『二人と三人!』 ... ジャンル:リアル・現代 未分類
作者:KI                

     あらすじ・作品紹介
6月20日、後藤啓太は自分の身に起きている異変に気づく。空白の一日。謎の幻聴。

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 清涼な風が、室谷(しつや)の町を吹きぬける。晩春にさしかかった今ごろでは珍しい春風の日だった。
 長い梅雨の鬱憤を発散したかのような、雲ひとつない晴天の日。その中で、春が別れを惜しむように残留する、6月20日。春風の肌寒さのため、街には厚着で出かける人もちらほらと見える。
 このゆるやかに流れる景色とは裏腹、室谷の朝は慌しく動いているのであった。

 この住宅街の中で軒並み古い一軒家の二階。
 後藤啓太(ごとうけいた)は困惑していた。
「え? 明日が土曜日だって」
 呟いたというより、声が漏れた、といった風だ。後藤はメールの短文を凝視し、携帯を右手に持ち替え、また左手に戻す。彼は落ち着きなく彼の部屋を歩き回っていた。

”明日の土曜は代議員の打ち合わせだからね。” 

 後藤はメールの文章を睨みつけて呟いた。
「今日は木曜じゃないのか」
 彼、後藤啓太は忘れっぽい性格ではない。年に似合わず冷静な男子であることを除けば、短髪黒髪の黒瞳、中肉中背の普通の学生である。鼻が高く細い眉の薄めな相貌。淡白な気質。これらが災いし、クラスでは影が薄い方だ。
 彼は少し逡巡した後、グレーのパジャマのまま一階へと降りた。
「なあ母さん、今日金曜?」
「そうだけど」
 彼女は息子を見ただけで優しげに顔を緩める。挨拶もなしに飛び込んできた後藤を責めもしない。
 母の笑顔を受け、後藤は口端を半端に上げ、すぐに無表情に戻した。
「……俺昨日水曜日だった気がするんだけど」
 抑揚の乏しい声が、リビングをぽつりと埋める。
 後藤は細い目をさらに細め、乱雑にプリントが貼り付けてあるコルクボードに目をやった。分厚い日めくりカレンダーは存在感がある。そのため後藤は毎日チェックしている。
 6月20日。
 この数字に後藤は違和感を感じざるを得なかった。昨日食べた物すら思い出せないのだ。
 どうしても、昨日のことが何ひとつとして思い出せなかった。少なからず困惑する後藤を、さらに不可解な言葉が襲った。
「昨日学校休んだそうだけど、どこに行ってたの?」
「え、休んだ!?」
 ……さすがに休んだのなら覚えているだろ。
 彼は考え眉をひそめた。思考を手放しに過ごした自堕落な休日とはまるで話が違う。また、空白はつい「昨日」であるため、忘れたという線は第一に消える。
 では、昨日の「空白」がなぜ生じるか。
 第二の解答を求め、解答不在の思考が後藤の頭を空回りした。
「いや……」
 後藤は無表情に戻り、母へ視線を投げた。
「友達と映画見に行ってたんだよ。インシテンミル気になってたからさ。じゃあ着替えてくる」
 後藤は言うと、身を翻した。お茶を濁しきれた感じは全くしないため、さっさと自室へ駆け上がる。茶色の廊下をテンポ速く踏みつけると、後藤はさっとドアを閉めた。室内に漂う静寂に、ほっと息をつく。彼は白いシャツを掴んで一人ごちた。
「高校休んで映画ってマジで不良だろ」
 もっとマシな言い訳があるだろうに。彼は自嘲気味に口を歪めた。
 パジャマを脱ぐと、昨日よりも肌寒い気温に身震いする。
 怪奇な出来事がありはしたが、それとは関係なくルーチンワークが存在する。朝がくれば学校へ行かなければならない。門限までには帰らなければならない。従って、彼は考えても分からないことを考える時間を無駄だと考えた。
 制服のシャツに袖を通した時、後藤の意識は一足早く高校へ向かっていた。





 昼頃現代文の授業を受けていた時だ。
 突如、今朝の怪奇現象が改めて首をもたげた。
『ねえそれ、ページ間違えてんじゃない』
 周囲の喧騒の中、低い声がどこからともなく頭中に響いた。
 後藤は眉を上げて視線を教室へ這わせる。だが、小さい私語が飛び交う中、視線を後藤へ向けている生徒は前左右いなかった。
 ……となれば、後ろか。
 後藤は振り返った。
「東谷(あずまや)。今何ページだっけ」
 この言葉に相反し、後藤は現代文を真面目に受ける気は無かった。というのも、後藤がページ数を聞いたのは、声の主を後ろの人物と決めかかったためである。
「96ページだよ!」
 打てば響くといったような感じで、快活な高めの声が後藤に返ってきた。
「ああ、ありがと。なあ、お前今さっき俺に話し掛けなかった?」
「ん。俺がなんて話し掛けたって?」
 彼は大きな双眸を後藤に向けた。
 彼、東谷一樹は爽やかな秀才だ。少し背が低いのが難点だが、目が大きくて口端が上がっているくっきりとした顔立ちの男だ。スポーツもそこそこ出来る、真面目な優等生である。
「いや、『お前、ページ間違えてるよ』って言われた気がしてさ」
 お前じゃないならいいや、と加え、後藤は視線を教科書に戻そうとした。
「後藤」
 東谷が声を低くして呼び止める。
「保健室いくか?」
「俺が頭おかしいっていいたいのかお前……」
 東谷の冗談に後藤は顔を引き攣らせる。だが、彼の言葉は冗談ではなかった。
「だって、幻聴なんて、勉強しすぎじゃないか後藤?」
 東谷は心配そうに後藤を見る。
 東谷一樹は社交的だが、少し頭がおかしいのか突拍子もない言動に定評がある。その証拠に、彼のはっきりとした抑揚のある声には、微塵の揶揄も滲んでいなかった。
 窓際の光を反射して、東谷の大きな双眸が光る。後藤は苦笑した。
「いやあ、お前じゃねえんだからさ……」
『なんか授業って暇だよなあー』
「ん?」
 後藤はどこからともなく響いた低めの声に首をかしげた。東谷から視線を外す。周囲へ視線を投げるが、誰とも視線が合わない。気づいた時、後藤に戦慄に似た感情が走った。後藤は今度こそ、謎の声に対象がないと確信した。錯覚ではない。感覚的な鮮明さにおいて大きく違う。
 後藤は思わず耳に手を当てた。
 と、東谷が目を眇め、シャープペンシルを机に置く。
「後藤。挙動不審だぞ」
 後藤は動揺を隠し切れず口早に言う。
「いやお前に言われたくねえ。言われたくねえけど、今お前今『授業暇だ』って言わなかったか?」
「言ってないよ。なんだそれ、授業が暇っておかしいだろう。授業受けてるんだろ?」
「言ってないなら、お前なんか今聞こえなかったか?」
「え、何を?」
「だから、『授業暇だ』って!」
「おい、なに言ってるんだ後藤、落ち着け!」
 東谷が突如席を立つ。「おい、お前が落ち着け!」後藤はさらに動揺し、非難がましい目で東谷を見上げた。
「落ち着いてられるか! 後藤、幻聴は立派な病気だぞ!」
「お前人に落ち着けって言ったろ今!」
 教室中が後藤と東谷に目を向ける。
 半開きの窓から、春の名残を残す透き間風が後藤の髪をさらった。だが冷えた風に関係なく、後藤は体温が急激に下がってゆくのを感じていた。
 現代文の教師が顔を皺くちゃにしてチョークを置いた。
「君たち、どうしたのか。」
 老年に差しかかった男が窓際の端へゆっくりと向かってくる。
「先生! 後藤くんがおかしいので保健室に連れて行ってもいいですか!?」
「保健室? いやお前が、お前がおかしいんだよ!」
 後藤の声が上擦る。必死の説得を尻目に、東谷の視線はまっすぐに教師を見据えて動かなかった。むしろ、身振りを踏まえて後藤の病状を説明し始める。
 彼の顔には説得をする隙間がなかったため、後藤は頭を抱えて俯くほかなかった。
『保健室か、いいね。そこでサボろうよ』
 耳から聞こえる、というより、頭の中に直接響いてくる。音という認識が曖昧であるため、後藤はある種テレパシーのような感覚を覚えた。
 後藤を置き去りに、東谷と教師の間で話は進む。
 話は数十秒間の討論の末、こう決まった。東谷が保健委員として、後藤を保健室に連れて行くことになったのだ。
 教室を後にする時、周囲の視線が痛い程後藤たちに突き刺さった。というのも、この東谷の説明が悪かったためだった。後藤は頭が錯乱していることにされた。ついでに統合失調症という仮病名まで付けられ教室をあとにすることになる。
 保健室へ到着するまでの間、後藤は汚名を着せられた無実の罪人を思い起こしていた。
 6月といえば、高校二年生のクラス替え後まだクラスの雰囲気が落ち着いていない頃だ。この時期にあまりの悪印象をつけられたため、後藤は顔を顰めていた。
 通り過ぎていく教室から漏れる声が、後藤たちの背を追っていく。
『保健室なつかしいなー』
 ゆるりと調子外れの声がベージュ調の廊下に浮いた。
 数秒の沈黙の後に、後藤は彼の言動に苛立ちを込めて口を開いた。
「なつかしいだって? なに外れたこと言ってんだよ、俺を頭おかしい人扱いしやがって」
「なつかしいって、なにが」
 前を歩いていた東谷が半身振り向いた。立ち姿の良さからは、彼の自信に満ちた人となりが滲んでいる。それが後藤に少し身を引かせた。
「いや、保健室なつかしいって……」
「言ってないよ。おい、本当に大丈夫か後藤! 保健室の先生に説明して病院に行こうか!?」
 東谷は全身で振り向きざま、後藤の両肩に力強く手を置いた。
「後藤、俺の声聞こえるか! なにか学校生活で悩みでもあるのか! 言ってみろ!」
「悩みなんてねえよ! あるとすればお前が原因だよ!」
 後藤は切れ長の目をさらに細め、彼の手を振り払った。東谷は手を下げると肩を竦めてみせる。
 東谷は然して気にも留めていなかった。ポジティブな性格なのだ。
 その一方で後藤は苛立っていた。意に反することが立て続けに起こったため、窓にそよめく緑を眺める気も起こらない。
 だが、後藤は悟った。苛立ちの原因は、少なくとも東谷ではない。彼は一見しての軽薄さに相反し、根の部分情に厚い人間である。従って、まずはこの幻聴の原因を探るべきだ。
 校舎外にある運動場から、遠いはしゃぎ声が廊下を木霊する。日は高く登り、ガラス窓から線となって廊下に照りつけた。
 後藤は冷静さを必死に手繰り寄せていた。
 二人は沈黙の中を歩き、気が付けば、保健室のドアを目前としていた。
「失礼します!」
 先に東谷が保健室のドアを開けるが、なぜか足を踏み入れない。
「あ! そういえば今日保健室先生休みだったなあ……」
「いいから入れよ!」
 後藤は肘で彼の背中を押した。
 保健室に入った後藤の目に、白を基調とした壁紙と薬品の臭いが広がった。また、閉ざされた純白のカーテンから覗く陽光に後藤は目を細める。
 部屋の奥には体調不良者用のベッドがある。ベッドは2つあったが、その1つはオレンジ色のカーテンで覆われていた。サボりの生徒が寝ている。後藤はいまいましさに舌打ちした。
「さて後藤、なんでも話してみろ」
 東谷は言って教師の座る背もたれ椅子に座った。隣に鎮座する薬品棚を肘掛にして後藤へ向き直る様は、本物の保険医の仕草と似ている。
「お前のカウンセリングかよ」
 東谷のポーズを揶揄した後、後藤は数秒口を閉じた。オレンジ色のカーテンの先に人がいることが気になったのだった。
 物音を探るための数秒間、静寂が白い部屋を流れる。
「……寝てるな」
 後藤は静かに呟くと、軽く息を吸った。
「俺、今は聞こえないけど、さっきから幻聴っぽいものが聞こえてるんだ」
 東谷は、頷いた。
「とても挙動不審だったな」
「てめえ……」
「まあまあ、話が進まないじゃないか! 最初の幻聴はいつなんだ。なんて聞こえた?」
 からかっておいて怒れば諌める、この人をおちょくったような言動に、後藤ただ頬を引き攣らせるしかなかった。
 だが後藤は本題に入るため、仕方なくこの場は矛をおさめることにする。
「最初の幻聴は、ついさっきだ」
「なんて言われたんだ?」
「『ページ間違えてんじゃない』みたいな感じで聞こえた」
 東谷はしばし逡巡した。
「……うん。よし検証してみよう。まず、俺たちのクラスって、机の感覚空いてるよな」
 東谷は手の平を平行に向かい合わせ、横へスライドさせる。
「だから後藤の机の上、教科書を見ようとしたら左右からは首を長くしないと見えないわけだ。そんなやつはいなかったよな」
「首長くしてる不審者がいたらさすがに分かるだろ俺でも」
 後藤は眉根を寄せた。東谷はそんな彼を尻目に深く頷く。
「次に、幻聴は俺じゃない。そもそも俺は後ろの席だからお前の机が見えないからだ」
「まあ、それもそうだな」
「だから、後藤の教科書が見えるのは後藤しかいない。従って、これは他人の声じゃなく幻聴だ。ほら! 立派な病気だよ後藤!」
 東谷が手を広げて席を立った。「おいちょっと待て」
 後藤は低い声で東谷の言葉を制す。
「人を病気扱いしやがって。その精神病って、その、悩みがあるやつとかがなるもんだろ? 俺は悩みなんてない。だから病気じゃねえ!」
 後藤は若干語気を強めた。
 だがこの主張にはかなりの無理があった。それを内心では後藤も理解していた。それでも言わざるを得なかったのは、彼の意地に他ならない。
 一方で、彼の動揺を知ってか知らずか、東谷は俯いて口に手を当てた。この時東谷は周囲の視界がぐっと縮まるほど深く思量に没頭していた。
 後藤は言った後、一先ずといった形で息を吐いた。胸に溜まる不安を吐きだすようにゆっくりと。そうして過ぎた数秒間の沈黙の後、東谷がゆっくり口を開いた。
「後藤、話が変わって悪い……だが大事な話だ。その幻聴おかしいところがあるぞ」
 東谷は後藤に目を向けた。視線だけ上がったため、自然と後藤を覗きこむ形になる。
「その……後藤、ページが違うなんて、気づいていたか?」
「はあ?」
「『そのページ間違えてんじゃない?』って言われた時、本当に開いていた教科書のページが違っていたのか?」
「ああ、1ページだけ」
「じゃあ、1ページ違ってたこと、幻聴に指摘されるまで気づかなかった?」
「気づかなかったけど」
 東谷は確信したように頷くと、相好を崩した。
「やっぱり。そうするとさ、後藤の『ページ間違えてんじゃない』っていう声は聞こえるはずないんだ」
 後藤はどうも腑に落ちなかったため、すぐには返事ができなかった。だが、彼の構想は意外な方面からの働きかけではある。後藤は黙って先を促した。
「まず、幻聴の内容っていうのは、大抵悪口であったり命令であったりするんだ。また、自分の頭の中の考えが、外部の別の声として聞こえるということもある。よって、幻聴は自分の頭の中から生まれるものだってことになるな。これは分かるだろ?」
「俺が幻聴を作ってるってことか」
 後藤は”声”を思い起こし、不思議な気持ちに駆られる。
 東谷は後藤を見据えて口を開いた。
「従って、ないはずなんだよ。少なくとも、後藤が認識してないことを幻聴に指摘されるなんていう、奇怪なことは」
「はあ」
 後藤は東谷の説明にただ頷いた。
 実際、東谷の説明内容は、知識を縒りあわせたただの推論である。だが、他にとっかかりのない状況下でこの推論は真に迫るものがあった。その証拠に、後藤は彼の説明を鵜呑みにしていい程の説得性すら感じていた。
「よくそんなこと知ってるな」
 後藤はふと、東谷が同じ制服を着ていることを不思議に思った。雑学への興味や親しくもなかったクラスメートに対しての真摯な態度を取って、優等生と括るには軽すぎる。
 後藤は、容易ではなかっただろうと彼の人生を推察した。後藤はこの推論に、彼の本質を垣間見た気がしたのだ。
「じゃあ、東谷。幻聴じゃなければなんなんだ? 俺だけに聞こえる声は」
「んー。それは、超常現象としか言えないな」
「はあ?」
 東谷は適当に結論付けて笑ってみせると、体をゆっくりと背もたれに預けている。
 それを見て、後藤は思わず傍にある薄茶の小テーブルを叩いた。
「お前、ここまできて超常現象だって!? 小学生か!? 小学生の発想か!?」
 後藤はすぐさま、一度でも尊敬した己を深く恥じ入る。約四秒間の後の反省だった。恐ろしく短い。
 それに対し、東谷は憮然として口を尖らす。
「小学生はみんな天才なんだぞ。バカにしないでくれ」
「お前が小学生並の発想だってことは否定しないのか!? いや、もうそんなことどうだっていい。俺は真面目にお前に相談してんだぞ!」
「あっ、そうだ後藤。たぶんその声は宇宙人だ。宇宙からの交信だ。俺の持論なんけどさ、宇宙人は地球の環境に適応できる種ではないはずなんだ。だから地球人の一人にコンタクトをとったのさ!」
「真面目に相談してるんだから真面目に返せっつってんだろ!」
「俺は最初から真面目だ!」
『ねえ、聞いて聞いて』
 後藤の頭中に思念が響いた。後藤はぞっと背筋に冷たいものが走り、続けようと開いた口を噤む。
 その様子を見た東谷も口を開きかけた口を閉じ、後藤を怪訝に覗き込んだ。
「なんだまたか。どうしたんだ、後藤」
「また幻聴が……。なんなんだお前は……」
 後藤は反射的に頭を抱えた。
 もはや気のせいではない。おさまらない幻聴に後藤は焦燥した。
 だが、なんとはなしに発したこの言葉が、初めて事態を動かすことになる。というのも、後藤の問いかけに返答が返ってきたのだった。
『あの、大事な話があるんですけど』
 おずおず、といった口調で音が後藤の頭に降ってくる。
 後藤はえっと目を見開き、反射的に東谷に目を遣った。当然事情の分からない東谷は、眉間の皺をさらに深くしただけだった。
「今度はどうした」
「おい! 話っていったって、どうやって話すんだ。今の俺の声は聞こえてるのか」
「ん。何を言ってるんだ、後藤」
『聞こえてます。心の中で思ってることも聞こえてるんで……』
「誰の心の中だ?」
 ”声”の曖昧な説明に、後藤は怪訝な表情を浮かべた。
 この不審な振る舞いに、東谷が「ヤバイな後藤……」と一言ぼやいた。行動力のある東谷は、すぐさま紺色のズボンに入っている携帯を取り出した。そのまま東谷は近場の精神病院を検索し始めたが、ふとブラウザバックを押すと、今度は口コミで評判の良い精神病を再検索にかけ始める。
「おい」
 数十分の付き合いだが、後藤は端で東谷が何をしているか大体察した。後藤は胸ポケットからボールペンを取り出し、視線を先ほど叩いた机上に遣る。机上には今月号の保健室だより何十枚か置いてあった。その一枚手に取り、すぐさま裏返した。
 ”後から話す”
 そう走り書いてさっと東谷に押し付けた。文を読んだ東谷は、眉根を寄せて大きな双眸を細めていた。
「心の中、というのは?」
 言い辛そうに黙る”声”を後押しするよう、穏やかな物言いで後藤は話し掛けた。
『あなたが心の中で何か考えますよね……。それ、わたしにも聞こえるんです』
「じゃあ、今まで俺の考えてたことは筒抜けだったていうのか? いや――」
 後藤は話し途中だが、少し言葉を切った。というのも、考えることが筒抜けならば何も言葉を発することはない、と踏んだためだ。後藤は持ち前の冷静さを徐々に取り戻し、目を閉じてただ考えた。
『お前は誰なんだ』
『分からないんです……。ただわたし、死んでるんです。それは覚えてる』
 後藤の頭に深い失意の感情がいっぱいに広がった。念といったらいいだろうか。音声情報が曖昧な代わりに、感情情報が直接に流れ込んできた。
 そのため後藤自身、なんとも言えない寂しさを感じた。明日自分が死ぬかのような終息感と形容できるだろうか。
『なあ、俺は力になれないか? あんたがどういう人物か分からないが、こうしてあんたの声が聞こえるのも、何かの縁だと思うんだ』
 若干”声”の感情に引きずられてしまったきらいはあるが、これは後藤の本心だった。
『ほんとに?』
 ぱっと明るい感情が後藤の胸を埋めた。つられて、後藤にしては珍しく頬を上げて笑う。
『俺は後藤啓太っていうから』
『そうなの? よろしくお願いします。後藤君って呼べばいいのかなあ。あたしは藍川千春っていいます』
 ”声”の遠慮がちな話し方。相手の顔も見えないのに人見知りもなにもあったようなものじゃないだろうに。後藤はそう考え少し苦笑した。
『何でもいい。それより、目の前にいる男にあんたのこと言っていいか?』
 そう言ったのは、先ほどから待ちきれないと言わんばかりに後藤を凝視する東谷が気になったからだった。また、一人でこの案件を処理する自信もなかった。
 後藤は言った後だが、ふと気になった。”声”は目前にいる東谷を見ることが出来るのか。だがその疑問を掬い上げるように、『見えてます』と返事が来た時には、後藤自身罰の悪い顔をせざるを得なかった。








 後藤は東谷に今までのことを全て話していった。といっても、”声”についてほぼ何も知らないといってもいい状況下、話の内容は薄いものだった。
 従って、もっともの話は、後藤の言い訳だった。”声”の正体について何も知らない段階であるにも関わらず、”声”に協力を約束してしまった行動に対してのことだ。
 ただ、この行動が失敗であると後藤は考えていない。しかし、行動が安易すぎる自覚はあった。そのため、東谷にこの行動が却下されることを前提に話してはいた。
  だが、この部分は意外にもスルーされる。
「うん。俺も協力するよ、後藤」
 東谷は随分あっさりと承諾した。 
 面食らってる後藤を追打ちするように東谷が言う。
「かわいそうに。風呂に入れなくなるな」
「は?」
「後藤と視界を共有しているのなら、風呂はおろかトイレにも行けないな!」
 確かに的を得た指摘ではある。だが、最初に議論するところがここでは話が進まない。後藤は眉を顰めた。
「あのさ、東谷。俺はお前の下ネタを聞きたくて藍川の話をしたんじゃねえんだよ」
「ははは。……あ! なあ、本当に超常現象だったろ、後藤!」
「その話を聞きたかったわけでもねえよ」
「いや、甘いよ後藤。超常現象だということはだな、事が少し楽になったんだ!」
 東谷は口端を上げて視線を落とした。続いて後藤の口が開きかけたが、すぐに閉じられる。東谷の双眸は決して笑ってはいなかった。
「本当に後藤が精神病の類であった場合、治療にはおそらく年単位でかかるから……」
「そうなのか?」
「だから、これでいいんだ。超常現象でいい。さて、それで、協力と言って後藤は何をするつもりなのか聞いていいか!」
 前半の静かな声とは打って変わって、彼の声のトーンが上がる。
 超常現象。この言葉に、後藤は予想以上に事態がやっかいになっていることを実感した。
 だが後藤は計りかねていた。果たしてこの超常現象は精神病よりやっかいでないものか。

2010/12/03(Fri)21:40:18 公開 / KI
■この作品の著作権はKIさんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
初小説なので試行錯誤を繰り返して書いてはみましたが、小説の書き方が根本的に間違っていないかどうか心配でした。
書きすぎるとくどくなる。書かなすぎると分からない。他の執筆者も常にジレンマと戦っているのでしょうか。

アドバイスや感想などがあればよろしくお願いします。

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12/2推敲+2終わり

作品の感想については、登竜門:通常版(横書き)をご利用ください。
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