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『うるせえばーか。死ね。』 ... ジャンル:ショート*2 ショート*2
作者:神夜
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あらすじ・作品紹介
自殺しようとしたら、天使に「死ね」って言われた。
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死にたい。ってそればっかり考えてた。
やることなすこと全部が裏目に出て、何もかも嫌になった。
全部ほっぽり出して、何もかも忘れて、このまま風に身を任せて身体を投げたら、楽になれるのだろうか。何かで聞いたことがある。20メートルほどの高さから落下した場合、頭から綺麗に落ちなければ死なない確率の方が高いらしい。下手に生き残ったら厄介だ。それこそこの一撃で決めるべきなのだ。だから20メールなんてちっぽけな高さじゃなく、その倍以上の高さを確保したのだ。
死にたい、ってそればっかり考えてた。
屋上から見上げる空はどこまでも青く透き通っていて、ゆっくりと吹き抜ける風はどこか優しかった。
ここから一歩を踏み出せば、もう後戻りはできない。比喩でも何でもなく、後戻りすることは不可能なのだ。なぜならここから先に、足場はないのだから。あるとするのであれば、それは50階建てのビルをまっ逆さまに落ちた所にある地面だけ。さすがにここから落ちたら死ぬだろう。死ねないと困る。
深呼吸をする。人生で最後の深呼吸だ。
長かった。辛かった。でも、いいんだ。やっと、終わるんだ。
ようやく開放されるんだ。
もう何も考えなくていいんだ。
自由に、なるんだ。
コンクリートを踏み締めていた足が、その一歩を踏み出した。
踏み出したと同時に、思わず背後の手すりを掴んで落下を免れた。
それはこの期に及んで怖気づいたとかそういうことではなく、ただ単純に、不可解なことがあったからだ。踏み出した足を戻し、後ろ手に手すりに捕まり、見つめながら考える。おかしい。これは幻影か何かか。死ぬ直前に見る走馬灯などの一種だろうか。じゃなきゃ死ぬ前に自らの精神がぶっ壊れたか。どういうことだろう、これは。
見つめるその先で、少女は言うのだ。
「おい。なに踏み止まってんだよ。早く死ねよ」
50階建ての高層ビルの屋上から空間に5メートルほど先に進んだそこで、足場などないはずのそこで、少女は空に浮いていた。
そして再度、少女はこう言った。
「だから死ねって言ってんだろ。止まるなよ。死ねよ」
死ね死ねとひたすら繰り返す少女は、自らを「天使だ」と言い切った。
「うるせえばーか。死ね」
フィルの口癖は「死ね」だった。
何においてもすぐに「死ね」って言う。
自己紹介された時もそうだった。
「わたしはフィル。天使だ。文句ないだろ。早く死ね」
奇妙な光景だったと思う。
一体どういうトリックなのか、何もない空間に座り込んだ少女は胡坐を掻き、持っていた巨大な白い鎌の柄の部分を首に当て、そこに顔を凭れさすような体勢のまま、実に面倒臭そうにただひたすらに「死ね」と言う。胡坐を掻いた足はびっくりするくらい短いミニスカートから大半が出ていて、太ももの中くらいまである黒いニーソックスが太陽の光で少々輝いて見える。風が吹く度に不安定な体勢のミニスカートが揺れ、もうちょっとで中が見えてしまいそうになる。
ただし問題はそんな所ではない。
染みひとつ付いていない真っ白な服、太陽に照らされてキラキラ輝く真っ白な髪、生まれてから一度も日焼けなどしたことがないであろう真っ白な肌、眼光の奥底に根付く黒の中にある真っ白な瞳、何かの玩具のように見える巨大な真っ白の鎌。見えるすべての物がそれだけ白で統一されているのにも関わらず、なぜかニーソックスだけが黒い。これは何か拘りがあるのだろうか。加えて、何よりも目につくのはその頭。真っ白い髪の上にある、黄と白の中間地点のような淡い色の光を放つドーナッツのようなもの。天使のリング、なのだろうか。フィルと同様、そのリングは摩訶不思議なことに、宙に浮いていた。実に不思議な光景だ。
歳は中学生、あるいは高校生くらいだろうか。少なくとも二十一歳の自分よりかは年下に思える。ただ、曲りなりにも二十一年生きてきたが、これほどまでに綺麗な顔を持ち、これほどまでに可愛い雰囲気を持っているのにも関わらず、これほどまでに砕け切った面倒臭そうな顔をする女性を、初めて見た。
そして、考える。
なんだろう。この状況。
フィルは実に面倒臭そうな表情を継続させたまま、こちらを真っ直ぐに見据え、言い続ける。
「ほら。死ねって。いいよ。見ててあげる。だから死ね」
天使というのは、人間に「死ね」と促す存在だったのだろうか。それともフィルが特別なのか。
しかしどちらにせよ、それは至極真っ当な意見であるような気はする。ついさっき、自分は本気で死のうとしていたのだ。フィルの姿が視界に入っていなければ、今頃自らの身体は遥か下に落下し、地面と激突の後にただの肉片になっていたに決まっていた。別にそれを止められたことに対しては怒ってなどいないし、今すぐにでももう一度踏み出すことも容易いであろう。その覚悟はもう胸の中にあるし、恐れはすでになかった。ただ、その前にどうしても、解せないことがある。死ぬのはそれを解明してからでも遅くはない、と管路和輝(かんろかずき)は思う。
風が吹き抜ける屋上で、手すりに体重を預けて、胡坐を掻いて座るフィルを見つめる。
「……君は、何なの?」
あ?、とフィルは眉をひそめる。
「お前、わたしの話を聞いてなかったのか? 天使だっつったろ。わかったらさっさと死ね」
女の子には到底似つかわしくない言葉遣い。
ただ、これだけ死ねと言われても、不思議と苛立ちを感じないのはなぜだろう。それはきっと、今まで和輝が聞いてきたどの「死ね」とも、まったく異なったニュアンスだったからだと思う。幼稚極まりない悪意の篭った「死ね」と、フィルの口から発せられる「死ね」とは、言葉は同じでも根本の何かが完璧に違っていたのだ。それが苛立ちを感じない原因。それがなぜか、ちょっとだけ面白かった。
不意に、和輝は笑った。
「君はどうして僕にそんなに死んで欲しいの?」
心底面倒臭そうな声が返って来る。
「死んで欲しいからに決まってるでしょ。ばっかじゃねーの」
もっともだ、と和輝は再度笑った。
すると今度は不機嫌そうな声が聞こえた。
「ところで早く死なないの? わたしも暇じゃないんだよ。死ぬならとっとと死ね」
暇じゃない、か。それはそうだ。フィルにもきっと、用事があるのだろう。
「そうだね。そろそろ死のうかな」
とても綺麗な笑顔が目の前で咲いた。
思わず見惚れそうなその笑顔が、本当に嬉しそうにこう言った。
「うん。死ね」
最後の最後に話した相手が、フィルで良かったと思う。
こんなに清々しく「死ね」と言ってくれた女性に見取られて死ねるなんて、それは素晴らしいことではないだろうか。最初、天使が人間に対して死を促すのはどうかと思ったが、よくよく考えれば天使は人を死から救うためにいるのではないのだろう。死んだ人を天国に導くために存在する。つまり、フィルは死んだ自分の魂を天国に連れて行ってくれるのだろう。そのため、とっとと死んでとっとと付いて来い、とそう言いたいのだ。では、それに応えよう。天使に逢えて、フィルに「死ね」と言ってもらえて、よかったと思う。
目の前のこの少女は、天使なのだ。死を恐れるどころか、死を受け入れる喜びをくれたのだ。
この一歩を踏み出したら、きっと彼女はもう、「死ね」とは言ってくれない。
それがちょっとだけ寂しくて、でも、次に聞ける彼女の言葉が、すごく楽しみだった。
そうして、管路和輝は、今度こそ本当に、全体重を空間に投げ捨てた。
身体が傾いて、遥か下へ落下する直前、一瞬だけフィルの顔が見えた。
それはそれは、とても綺麗な笑顔をしていた。
その笑顔に釣れて、和輝もふっと笑った。笑って死ねるのは、フィルのおかげだ。
心から思った。
――ありがとう。
次の瞬間、鼻にびっくりするくらいの衝撃が来て、次いで全身を硬い何かに打ち付けた。
50階建てのビルを落下して地面に激突したにしては衝撃が早過ぎるし、痛みが転倒した程度しかない。そもそも落下する間に見えるはずの光景も確認できなかったし、落下する際に感じる浮遊感みたいなものもまったくなかった。つまり、自分は落下していない。だが、自分はまず間違いなく、全体重を何もない空間に投げたはずだし、今この瞬間に和輝が跪いているここには、何もなかった。それなのに、身体は落下しない。どうしてか落ちない。何もない空間に、なぜか静止している。
目を見開いて、己が状況を理解することに勤める。
信じられない。何かのトリックか、何かの手品か。何もないはずの空間に、見えない地面がある。
そこに倒れ込んだせいで、和輝の身体は落下しなかったのだ。奇妙な光景。
どういうことだ。なぜこんな所に地面があ
「――この蛆虫がッ!!」
跪いていた頭を、上から思いっきり踏み倒された。
見えない壁に再度鼻から激突し、目の前が真っ暗になった。何がどうなったのかがまったく理解できず、しかし現実は待ってくれない。恐ろしいまでのフィルの罵声と共に、容赦なく蹴りが降って来る。その度に顔と地面が激突して頭蓋が砕けるのではないかという音が響き渡る。顔中に付着した生暖かい液体は何なのか。口に広がるこの鉄の味は何なのか。それは、血以外に有り得ない。
急激に恐ろしくなった。
飛び降りて死ぬのは恐くなかった。ただ、このまま顔を踏み倒され続けて殺されるのは、恐かった。
死ぬと殺されるのでは、まったく恐怖のベクトルが違った。
堪らず顔を上げる、
「ちょっ、とっ、ばっ、」
ちょっと待ってタイム。そう言おうとした。
言葉にならなかった。遠慮なく踏み倒された顔面から発せられるのは訳のわからない言葉だけで、そんな言葉でフィルが止まる訳はなかった。顔を上げたその鼻っ面目掛けて、真っ直ぐに真っ白い靴の底が突っ込んできた。堪ったものではなかった。鼻の骨が圧し折れる音を、確かに耳の奥底で聞いた。
管路和輝が意識が途切れる間際の最後に見たものは、白と黒の縞々模様の何かだった。
◎
「名前は管路和輝。歳は二十一歳。合ってるな?」
「……はい」
「西暦1989年8月13日生まれの獅子座。血液型はA型。陽郷中央幼稚園卒。東邦第二小学校卒。東邦中学校卒。眞鍋高等学校卒。品磁区大学在籍。合ってるな?」
「……はい」
「小学校までは明るく活発だったが、中学に入ってから急に人見知りとなって静かに過ごすようになり、高校入学後にイジメに遭う。この時から友人らしい友人は一人もおらず、学校では存在を極限まで薄くして過ごすようになる。高校と同様、大学では特に友人もなく、便所飯と呼ばれるものを好み、毎日人目を気にしながら生きていたが、先日両親が不仲から離婚。そのゴタゴタのせいで一人暮らしを余儀なくされたが、仕送り等はなく、貯金もなかったせいで行き詰まり、借金だけがすでに80万。返せる見込みもなく、両親に相談もできず、どうしようもなくなって死を決断。約30分前、自殺を決行しようとした。合ってるな?」
「……はい」
疑問、
「あの、その紙って、」
「うるせえ。死ね」
真っ向からまたフィルに蹴られた。が、今度はそこまで強い蹴りではなかったため、意識を失うなんてことはしなかった。ただ、顔に足を置いたまま手に持った紙を見ているフィルは気づいているのかいないのか、気づいていてあえて気にしていないのかはわからないが、和輝はすごく目のやり場に困っている。正座している和輝の顔を立ったまま足蹴にすると必然的に足は上がるし、フィルはびっくりするくらい短いスカートを穿いているため、足の裏の向こうに、白と黒の縞々模様のあれが見える。ものすごく目のやり場に困る。
顔を踏まれたまま不自然なくらいそっぽを向く和輝には目もくれず、フィルは手元の紙に視線を落としている。
その紙はつい先ほど、フィルがスカートのポケットの中から取り出したもので、一体どういう情報源なのか、和輝の細かなプロフィールが書かれていた。卒業した学校はともかくとして、親が離婚したこと、借金が80万あることなどは、誰にも話したことはない。どうやって調べたのだろう。
頭の上からため息が降って来た。
「蛆虫が。お前がとっとと死なないから面倒なことになったぞ。死ね」
話についていけない、
「あの、どういう……?」
フィルは手元の紙をくしゃくしゃに丸めながら、
「お前があの時、すぐに死ねば良かったんだ。なのにうだうだしてるからこうなったんだよ。ほんっっっっっっとに迷惑で面倒。仕事だけ増やしやがって。これだから下等生物は嫌なんだ」
丸めた紙を足蹴にしたままの和輝に投げ捨て、こう言った。
「よく聞け蛆虫。お前は今現在、死ねない身体になってる」
「……は?」
意味がわからず間抜けな声を出した和輝をげしげしと足で蹴りながらフィルは続ける、
「命を自ら絶つことは、お前ら蛆虫が取る最悪の愚行だ。可能性、つまりは未来の放棄。それ即ち、神に対する冒涜だ。わたしたち天使はそんな蛆虫を見つけ、自らが犯そうとする罪に対し、罰を執行する。ただし、それには執行許可申請が必要で、それが通らなければ罰は執行できない。その申請が通って初めて、わたしたちは蛆虫が犯した罪に対して、罰を下すんだ」
そ・れ・な・の・に、とフィルは和輝の顔を踏み続ける、
「お前がさっさと死ねば、申請が通る前に全部終わったんだ。お前が死んでさえいれば、わたしの仕事はお終いだったんだ。わかるか蛆虫。お前が優柔不断でなかなか死なないから、わたしは仕事が増え、お前には罰が下された。わかるか? おいわかってんのか蛆虫野郎。だからわたしは死ねって言ったんだ。聞いてんのか蛆虫、死ね蛆虫」
どんどん蹴る力が強くなってきている、
「あてっ、っつ、ちょっ、っちょいて、まっい、待ってっ、」
「なんだよ蛆虫。文句でもあんのか」
腕で顔を必死に庇いながら、和輝はフィルを見上げる。
白と黒の縞々模様のあれが見えるがこの際気にしていられない。
「そ、その罰、っていうのは一体……?」
フィルは庇った腕の上からでも容赦せずに蹴り続けながら、
「だから言っただろ。ほんっっっっっとに人の話聞いてない蛆虫だなお前は。もう一度言うぞ。お前は今現在、死ねない身体になってるんだ。どんなことをされようと、どんなことをしようとも、お前は絶対に死ねない。神からの許可が通ったんだ。お前ら蛆虫程度の力じゃ、どうあったってそれは覆せない。だからわたしに頭蓋を砕かれようとも死なないし、ビルの上から身体を落下させても死なない。現にお前が今、跪いているここをどこだと思ってるんだ」
なるほど、と和輝は思った。
納得はしていないが、理解はできた。そういうトリックだったのだ。
和輝は周りを見渡す。何もない空が浮かんでいる。背後にだけ、つい30分ほど前に和輝がいた、50階建ての高層ビルの屋上がある。下には本当に小さく見える地面しかない。今、和輝は空間に浮いているのだ。ビルの屋上から身体を投げた時にぶつかったあの透明の地面。その上に、フィルに蹴られながら和輝は正座している。
納得はしていない。ただ、これがつまり、死ねない身体というものに繋がっているのであろう。どういう原理かはわからないが、ビルから落ちたら人は死ぬ、だからビルから落ちないよう、このような地面ができている、とそういうことなのだろうか。ただ死ねない身体、と言い切るのであれば、ここから落下して地面に激突してもぴんぴんしている方がそれっぽいのだが、そのあたりはどうなんだろう。
しかし死ねない身体か。フィルに顔面を蹴り倒されて意識を失った自分がこうして元気なのも、それが理由か。なんともおかしなことになったものだ。つい先ほどまで、自分は自殺しようとしていたはずだ。なのにそれすらできないというのか。どうしたものか。死ねないとなると、ここから先どうやって、
ふとした疑問。
「――その罰っていうのは、どうすれば終わるの?」
「蛆虫風情が質問するんじゃねえよ。説明するから黙ってろ」
げしげしとさらに蹴られる。
蹴られるのは痛い。確かに痛いのだが、不快感はやっぱりなかった。
不思議な感覚。今まで生きてきた中で、何度も蹴られたし、殴られもした。その度に本当に人を殺したくなるような憎悪と、死にたくなるほどの絶望感を味わい続けて来た。蹴られるのも殴られるのも、本当に恐ろしかったのだ。幼稚極まりない悪意の篭った「死ね」という言葉を投げられるのと、悪意しかない暴力を振るわれるのは、同一の苦痛だったはずだ。
だけど、なぜだろう。フィルから受けるそれらは、不快感を感じさせなかった。それどころか、なぜかこの状況で、こうして会話していること自体が、少しだけ楽しくなってきたような気がなぜかして、しかしそんな瞬間に自分は変態の素質があるのではないかと思い直して不安になる。快感や快楽は感じない、だけどこれは、なんだろう、この感覚って、
フィルは言う。
「お前の犯した罪に対する罰。それに対する贖罪――それは、お前が他の誰かを、死から救ってやること」
「……え?」
「お前ら蛆虫のような下等生物は、簡単に自分から命を捨てる。それはさっきも言ったが、神への冒涜に他ならない。正直、わたしはお前ら蛆虫が死のうが生きようがどうでもいい。本音は死滅すればいいとすら思ってる。お前らが死ぬと、わたしたちの仕事が増える。それは迷惑極まりない。だから死ぬんじゃなくて、死滅すればいいんだよ。絶滅しろ蛆虫。……まぁそれはわたし個人の考えであるからして、神はそう考えなかった」
フィルは続ける、
「神は心優しいから、お前たち蛆虫でも生きていて欲しかった。神の力を持ってすれば、お前たち蛆虫から『自殺』という概念を取り払うことは簡単だ。ただし、それをしてしまえば最後、お前たち蛆虫の『進化』はそこで終わってしまう。だから神は考えた。ちょっとでもお前らが死なないよう、神はお前ら自身に、この問題を解決してもらう術を考えた。それが今現在、お前が直面しているこの状況。お前が犯した罪を、他の誰かに犯させないようにする。それを行って初めて、お前は罪を償ったことになる。そうして、お前は死ねない身体から、ただの蛆虫の身体に戻る。――理解できたか?」
理解は一応できた。ただし、やはり納得はできない。
そんな考えをフィルは和輝の顔から正確に読み取り、今までよりちょっと強い力で蹴りを見舞った。
「阿呆面してるんじゃねえよ。ぶっちゃけた話をするぞ。お前は死にたいんだろう? わたしは別にそれを止めないし、勝手に死ねばいいと思ってる。ただし、わたしにも仕事がある。だから、形だけは業務をこなさなければならない。結論を言う。お前が死にたいのであれば、まずは誰かを死から救い、贖罪しろ。その後、もう一度執行許可申請が通る前に、自らの命を絶て。そうすればわたしの仕事の管轄外になるし、お前は死ねる。わかったか低脳蛆虫野郎」
死にたければ誰かを救ってから死ね――、フィルはそう言ったのだ。
フィルは唐突に和輝を蹴ることをやめた。
視線を上げたそこで、フィルがゆっくりと息を整えた。
「ではお前の贖罪を始める。とっとと終わらせて死ね蛆虫」
そうして、今まで手に持っていた巨大な真っ白い鎌を真上に構え、一気にそれを和輝に向かって振り下ろした。
意識が飛んだ。
意識が飛ぶ刹那に見た、フィルのそれはそれは面倒臭そうな顔が、すごく印象的だった。
◎
特に理由があった訳ではなかった。
陽郷中央幼稚園を卒業し、東邦第二小学校に入学した。この頃、いろいろ不安や問題はあったにせよ、友達はいっぱいいたし、それなりに充実した学校生活を送っていたと思う。毎日が楽しく、毎日に何かしらの楽しみがあった。人生の絶頂期だったのではないかと思う。不可能は何もなく、友達と一緒であれば、空だって飛べる気がしていた。
そして東邦第二小学校を卒業し、東邦中学校に入学した時、管路和輝は唐突に不安になったのだ。不可能なんて何もないと思っていた子供時代が終わりを告げ、少しだけ大人に近づいたあの日、和輝は怖くなったのだ。半分以上が知らないクラスメイト、名前のわからない教師、恐ろしいまでの先輩後輩の縦社会。思い知った。それらに抗うだけの力なんてものは、和輝には当たり前のようになかったのだ。ここで順応できなかったのが、すべての原因だとは思う。
それからは一部の友達と静かに学校生活を過ごすことになる。ただそれは別に不満ではなかった。楽しい時は確かにあったし、あれはあれで良い学校生活だったと、和輝は今でも思っている。ただし問題は、東邦中学校を卒業し、眞鍋高等学校に入学した時にあった。中学校で仲の良かった友達とは全員別々になってしまい、正真正銘、和輝はひとりぼっちとなってしまったのだ。
特に理由があった訳ではない、と和輝は思っている。
もし仮に理由があったとするのであれば、それは、ただひとりぼっちだったからとか、見た目が暗い奴だったからとか、そんな本当にちっぽけなものだったのだと思う。ただ仮定はどうであれ、和輝は目を付けられ、イジメに遭うことになる。典型的なイジメだった。物を隠される、パシリにされる、陰口を言われる、殴られる、蹴られる。クラスメイトはそれを笑って見ていたし、教師は気づいていたはずだが何もしてくれなかった。三年間は、ただひたすらに耐え忍んで終わった。
暗黒の三年間が終わり、眞鍋高等学校を卒業。その後、夢も理由もないくせに、ただ何となく品磁区大学に入学した。そこで大学デビュー、なんてものができれば少しは変わっていたのかもしれないが、暗黒の三年間で培ったものがそんなに簡単に消えて癒える訳もなく、ひとりぼっちで大学生活を送ることになり、何よりも落ち着ける場所がトイレの個室だった。そこしか、居場所がないように思えた。
そんな下らない日々を過ごす中で、最も決定的なことが起きた。
いろいろと不満が溜まっていたのだろう。その全部が和輝が悪いとは言わない。ただ、その中の一部は、和輝にも原因があったのだと思う。高校に入学して少ししてから、両親が不仲になっていたことは何となく気づいていた。しかしそれがついに、表面化して爆発したのだ。両親は離婚し、和輝はどちらにも受け入れてはもらえず、爪弾きに遭い、最低限の準備だけを押し付けられ、なし崩し的に一人暮らしをする羽目になった。
最初は良かった。誰もいない、両親の小言や喧嘩の声が聞こえない1LDKの部屋は、居心地が良かった。ようやく、ちゃんとした居場所が見つかったのだと思った。ただそれは、最初の一ヶ月だけだったのだ。今までバイトをしたこともなく、貯金だってまともにしたこともない。料理だって洗濯だってやったことがなかったし、ゴミ捨てのルールだって何も知らなかった。どうすれば一般水準で生活できるのかが、まったくわからなかった。
両親からの仕送りはなかった。お金が底を尽きていた。
幸いにして運転免許証はあった。無人ATMでお金を借りることは簡単だった。そして一度借りてしまえば最後、それは無限のスパイラルとなった。気づけばいろんな所からお金を借りていたし、気づけばすでに借金が80万にまで膨れ上がっていた。社会人であれば、80万というのは案外すぐに返せる額だったのかもしれない。ただし、バイトもしたことがない、糞みたいな底辺の大学生にとって、80万というのは恐ろしいまでの大金だ、と気づいた時にはすべてが遅かったのだ。誰にも相談できなかった。相談できる相手が誰一人としていないことに気づいた時には、もはや引き返せなかった。
灯りも通らない部屋の中で、布団に包まって震える生活が続いた。
その頃から、死ぬことを考え始めた。
死ねば何もかも忘れて終われるのだと思った。
そう意識すれば、そこから先は悪循環しかなかった。
死にたい、ってそればっかり考えていた。
そうして管路和輝はあの時、50階建てのビルの屋上から、その身体を投げ捨てようとしていたのだ。
そうして管路和輝は、フィルと出逢った。
フィルは言ったのだ。言ってくれたのだ。
ただ一言。たったの一言。死ね、って。
救われた気がした。もう死んでもいいんだ、もう終わってもいいんだ、って。
心から思ったのだ。ありがとう、って。
なのに――
「――起きろ蛆虫」
頭を足で小突かれてふと意識を取り戻した和輝の目の前で、フィルはスカートのポケットから一枚の紙を取り出した。それをずいっと和輝の前に差し出す。無意識の内にそれを受け取ると、フィルは持っていた巨大な鎌の柄を見えない地面に付き立て、真っ直ぐに和輝を見据えた。
「聞け蛆虫。それがお前の救うべき蛆虫だ。そいつを死から救えば、お前は死ねる。とっとと救い出してさっさと死ね」
真剣にそう言われて、和輝は困惑する。
頭がようやく現実に追いついてきた。
物事を最初から並び替えて考える。自分はまず、死のうとしていた。それは間違いない。そして死ぬ直前にフィルと出逢い、自殺を阻止された。それに対してはやっぱり怒ってなどいないし、そもそもあの直前で踏み止まったのは和輝だ。フィルを責めるのは筋違いである。しかしそもそもの疑問だ。フィルは一体、何者なのだろう。
天使だ、とフィルは言った。
今に起きている諸々の事情を総合すれば、人間ではあるまい。ただ素直に天使ということを受け入れられるかと言えば、それは違う。信用していない訳ではない。疑っている訳でもない。理解はしている。さっきまで死ぬつもりだったのだ。今更に何が起きようとも、そこまで問題視はしない。脳みそが麻痺しているのかもしれない。理解はしているのだ。だけど、納得はしていない。
フィルを見つめる。
真っ白い。一言で言えばそうだ。ニーソックスだけは黒であり、加えて言うのであれば、あれも白と黒の縞々模様ではあるが、それ以外について言えばフィルは真っ白だ。天使だ、と言われれば何となくわかるような気はする。しかし、だ。天使というものは、鎌なんてものを持っているのだろうか。真っ白いとは言え、鎌は鎌だ。人の首なんて簡単に切断してしまうような巨大な鎌を、天使が持つのは不釣合いではないか。鎌を持つのはそう、死神とかそういう類の
気づいた。
「……あの、」
「なんだよ?」
自分はついさっき、間違いなく、
「……僕、さっき、鎌で……?」
鎌で、切られた。切られたかどうかははっきりとわからないが、そのせいで意識を失ったはずだ。
なのに自分に外傷はない。痛みもない。先ほどのあれは、何だったのだろう。
フィルは至極当然に、
「そんなことか蛆虫。斬った。ついさっき。これで」
そう言って、鎌の刃を少しだけ傾けた。
「で、でも、その……僕は、無事……?」
いちいち本当にうるさいなお前は、とフィルは不機嫌そうな顔をする。
「当たり前だろ蛆虫。これは切り殺すためのものじゃない。お前に罰を執行するためのものだ。さっきから気づいてないみたいだけどな、お前の頭の上のそれ。それが無くならない限り、お前は死ねない」
頭の上?
無意識の内に手で頭の上を探ってた。しかし自分の髪の毛以外には何もない。何があるのだろう、何のことだろう。そう訊ねようとして、ようやく和輝は気づいた。手の甲に何かが当たった。硬い何か。両手でそれを掴む。丸い、リング状の何かだった。ドーナッツのような形。どういう原理か、和輝の頭の上に固定されてもいないのに浮いているような気がする。でもこれって、もしかして、
「……天使のリング?」
「正確には違う。わたしたちのこれと、お前のそれは別物だ。それがお前が罪人である証。証拠にお前のそれは、真っ黒だ」
頭の上にリングがある。それは罪人というより、すでに死んだ人みたいだ。
ふと思う。
「……実は僕って、もうすでに死んで……?」
高速の蹴りが顔面に来た。
嫌な音と共に、視界の端に縞々が飛び込む、
「いい加減うるせえな蛆虫。話なんてどうでもいいんだよ。とっとと救ってさっさと死ねっつってんだろ」
そろそろこの痛みにも慣れてきた。
相変わらず快感や快楽は感じないが、不快感はない。
ちょっとだけ面白くなって、和輝は笑った。
「笑ってんじゃねえよ糞蛆虫野郎」
踵落としを食らった。
縞々が丸見えだったが、これにも慣れてきた。
◎
加藤真里菜。十九歳。
西暦1991年5月4日生まれの牡牛座。血液型はO型。平戸保育園卒。西口小学校卒。浅間中学校卒。海南高等学校卒。現在無職。
物静かで学業の成績も良く、どの学校のどの教室にも一人はいるであろう、生まれながらの委員長体質のような女の子だった。普段は自分の席に座って読書や勉強をしているが、決して人付き合いが苦手な訳ではなく、それどころか物腰が穏やかであるため、爆発的な人気はないにせよ、男女問わず好かれていた。学業の良さは小学校高学年辺りから特出し始め、中学校では常に学年一位の座についており、高校は有名進学校に進級。そこでも秀才さは発揮され、常に学年のトップ5以内には位置し続け、一位の座に座ったのも一度や二度ではない。誰もがそんな彼女の未来に夢を見ていたが、大学受験で失敗。人生初の挫折で引き篭もりとなり、両親とのいざこざの末、自殺を決意。本日十九時四十五分二十七秒、自室でロープに首を掻け、自殺を決行する。
フィルから受け取った紙には、そう書かれていた。
フィルが読み上げた和輝のプロフィールもおそらく、このように書かれていたのだろう。
しかし不思議な紙だ。どこからこのようなプロフィールを調べ上げているのだろう。和輝のことも大雑把ではあるが、誰にも言ったことのない要点もきっちりと書かれていた。探偵でも雇えばこれくらいであればすぐにわかりそうな気もするが、どうしてかこれは、そういったものの力を借りて書かれたものではない気がする。
フィルは自分を天使だと言った。そして、その上には神もいると言った。
神は全知全能である、と何かで見たことがある。
ただ、全知全能であるのであれば、もっと違う方法もあったのではないかとも思うのだが、そのあたりをフィルに突っ込んだところでまともな返答が返って来るとは思えないし、逆に蹴りが打ち込まれるはずなので、もちろん訊かない。
そして、これが探偵などを使って調べ上げたものではないということを決めつける最もな理由は、一番最後にあった。
「本日十九時四十五分二十七秒、自室でロープに首を掻け、自殺を決行する。」
現時刻は十五時二十五分である。本日十九時四十五分二十七秒に自殺を決行する、ということはつまり、約四時間三十分後、加藤真里菜というこの女の子は、自殺をするのであろう。和輝の時もそのように自殺決行日時が書かれていて、それを頼りにフィルは会いに来た、と。
予言、なのだろうか。それとも全知全能である神様は、それが起こるべきことだと、すでに知っているのか。だからこそ、こうした指令書のようなものを天使に手渡し、自ら罪を犯そうとする蛆虫野郎に罰を与えようとしているのだ。仕組みは知らないが、たぶんそんな感じなのだと思う。そしてそれに見事当選のようなことを果たしたのが、この管路和輝、なのだろう。
さて。どうしたものか。
さっきからフィルは和輝の背中を蹴りながら「何してるんだ蛆虫。早く行け。わたしも暇じゃないって言ってるだろ。ノロマな蛆虫め、早く死ねよ」と文句を言い続けている。そんなことを言われても困る。結局のところ、和輝は何もわかっていないのだ。罰の贖罪の仕方はわかった。わかったのだがしかし、どこまでやればいいのか。そこが問題だ。
紙に書いてあるこの時刻に自殺させなければ合格なのか、それともこの女の子の「自殺する」という意志を潰して初めて合格なのか。前者ならたぶん簡単だ。無理矢理にでも押し掛けて、その時間に自殺させなければいいだけの話。ただ後者であるのなら、相当難しい問題ではないだろうか。死ぬことを決めた人間から、「自殺する」という意志を失くすことは、容易ではあるまい。なぜなら和輝もまた、その意志を捨てていないからだ。この贖罪が終われば、きっと和輝は、再び自殺しようとするのだから。だってそれ以外に、道はないのだから。そのために今、和輝はこうして行動しているのだから。
とぼとぼと歩きながら、フィルに背中をげしげしと蹴られながら、和輝は見知らぬ土地を歩いて行く。
疑問は訊かなければわかるまい。
「ねえ」
「なんだよ蛆虫」
げしっ、とちょっと強めに蹴られた。
和輝は振り返らずに、
「この贖罪って、どこまですればいいの?」
「あ?」
何言ってんだこの蛆虫、というのが聞こえて来そうな「あ?」だった。
和輝は苦笑する。
「この紙に書いてあるこの時刻に自殺させなければいいの? それとも、この子から自殺する、っていう意志を失くさなくちゃならないの?」
げしししっ、と蹴りのコンボを食らった。
「脳みそ腐ってんのかお前。後者に決まってんだろ。その時間の自殺を阻止しても、違う時間に自殺するに決まってるだろ。お前も死ぬ気だったんだからわかるだろ。寝言言ってんじぇねえよ」
やっぱりそうなのかぁ、と和輝は頭をぽりぽりと掻く。
さて。本当にどうしたものか。
これはかなり大変なことだ。自分が自殺するためには、加藤真里菜から「自殺する」という意志を失くさなければならない。なんとも矛盾した話か。自殺したい奴が、自殺したい奴に向かって、自殺するなと説教をする。滑稽以外の何ものでもあるまい。これほどまでに説得力のない説教話も他にあるまい。本当に、どうしたものか。
そうして見知らぬ土地を歩いて辿り着いたのは、見知らぬ家だった。
極々普通の一般住宅地に建つ、極々普通の一軒屋である。
門にある表札を確認する。木のボードに白い字で「加藤」と書かれている。
つまりはここが、和輝が救わなければならない、加藤真里菜の住む家である。
とりあえず行動を起こさなければならない。普段の自分なら決してできないような、見ず知らずの人の家のチャイムを鳴らすなんていう驚きの行動を、極自然に行った自分にちょっとだけ驚く。どうやら一回死を決断し、本気で死の境を彷徨った自分は、少しだけ大胆になっているらしい。それとも後ろから常に圧力を掛けて来るフィルの影響だろうか。
電子音のチャイムが鳴り、しばらくしてから回線が繋がった。
女性の声だった。
『――はい?』
ここで初めて、何の策も考えていないことに気づいて少しだけ狼狽する、
「あ、っと、えー、その、あの、」
『――?』
一息着く、
「……あのっ。加藤さんのお宅ですかっ?」
『……そうですけど?』
不審そうな声。それはそうだろう。
気を取り直す。
「あの、管路和輝といいます。えーっと、加藤真里菜さんに会いに来たのですが……」
一瞬の間、
『……真里菜とは、どういった関係ですか?』
関係。そう言われれば何だろう。
まさかお宅の娘さんが自殺しそうなので止めに来ました、とは言えまい。
「……加藤さんの、高校の頃の、クラスメイトです」
口から出任せが言えたことに驚く。
こんな感じで普段から順応できていれば、きっと和輝の人生ももうちょっと違う方向を向いていたのかもしれない。それこそ、自殺するなんていう決断をしなければならないほど、追い込まれることもなかったのかもしれない。ただ今更に悔やんでも意味はないのだ。もう決めたことだ。これが管路和輝の、人生の末路だったのだ。
声はさらに不審そうに、
『……少々お待ちください』
「なんだよ蛆虫。脳みそ腐ってる割にはちょっとは機転が効くじゃん」
初めてフィルに褒められた。ちょっと嬉しい。
そして数分の後、再度インターホンから声が聞こえる。
『真里菜は貴方なんて知らないと申しております。お引取りください』
「え、あの、」
『お引取りください』
ジッという音と共に、回線が遮断された。
背中を蹴られる。
「使えねえ蛆虫だなお前」
結局どうしていいかわからず、加藤真里菜の家の周りを無意味にぐるぐるしていた。
時刻はすでに十九時を回った。太陽は沈み、すっかりあたりは暗くなってしまった。十九時四十五分二十七秒まで残り四十五分足らずしかない。このままでは加藤真里菜の自殺を止めることはできないだろう。どうしよう。どうやって止めよう。ここに来るまでは順調だったのに、もう完璧に詰んでいた。
後ろで宙に浮いているフィルは何も言わない。蹴られることも随分前から止まっていた。ただ、そこから発せられる雰囲気だけは嫌というほどわかる。相当に苛立っている感じがする。それは早く自殺を止めろ、というよりは、早く仕事を終わらせろ、という怒りの雰囲気に思える。無茶言わないで欲しい。
そして、ここに来てようやく、そのことに思い至った。
「……そう言えばさ、」
「あ?」
本日で一番怖い「あ?」だった。
ちょっとだけ脅えながら、
「えっと……もしこの贖罪が失敗したら、僕はどうなるの?」
ふざけんなよ蛆虫、とフィルは言った。
「絶対に終わらせるんだよ。お前、もし本当にこのまま引き篭もりの蛆虫を自殺させてみろ。その時は生きたまま二万回死なして生かし続けてやるぞ」
ふむ。失敗した時のリスクは大きいらしい。
しかし、だ。策はないが、このまま加藤真里菜を自殺させるのはもちろん忍びない。自分が死ぬのは構わないが、自殺するとわかっている人を、見す見す自殺させるのは後味が悪かろう。自分が清々しく死ぬためにも、ここで加藤真里菜の自殺を止めなければなるまい。フィルの雰囲気も驚くほど恐いし、至急、行動に移さなければならない。
目の前の加藤家を見上げる。
取るべき道はひとつしかあるまい。
和輝は歩き出す。そのまま加藤家の周りを半周し、カーテンが閉ざされた二階の一番奥の部屋に狙いをつける。たぶん、あそこの気がする。子供部屋というのは二階にあるのが相場だろうし、他の部屋はすべてカーテンが半開きだったり空いていたりするのに、あそこの部屋だけきっちりとカーテンが閉まっている。それはつまり、外との空間を完全に遮断したいがための行動であろう。なぜなら、布団に包まって死にたいと考えていた和輝もまた、同じことをしていたからだ。
門ではなく、フェンスをよじ登って庭に侵入する。こんな所を加藤家の誰かに見られたらそれこそアウトだが、幸いにして見つからずにカーテンが閉まった部屋の真下まで侵入することに成功した。問題はここからだ。唯一できそうなことと言えば、二階の窓の横、屋根から地面にまで真っ直ぐに伸びているこの排水溝。これを使って登るより、他にあるまい。
しかしそんなことが可能なのだろうか。漫画のようなそんなことが、実際できるのだろうか。
できるできないじゃないか。やらなくちゃ。
後ろで何も言わないフィルをそのままに、和輝は排水溝に手を掛けた。少々古いが、ちょっとやそっとでは壊れないだろう。何とか行けそうだ。排水溝と家を固定している金具に手を掛け、足をパイプと補強具の出っ張りに押し当て、体重をすべて乗せた。メシメシッと音は鳴るが平気そうだ。登れる。
よじ登って行く。ただの変態この上ない。無様な格好のまま、芋虫のように着実に登る。フィルが蛆虫と罵るその姿がここにはある。ふと思って下を見るとそこにフィルはおらず、どこに行ったのかと思ったらすでに二階の窓の前で浮きながら、本当に不機嫌そうに和輝を見下げていた。和輝からはフィルを真下から覗き込む形になっているため、完璧に縞々が見えてしまっていることに僅かに同様したが、見えないふりをしながら登る。
長い時間を掛け、ようやく二階まで登り切った。腕がぷるぷると震える。いつの間に切ったのか、手から少量の血が流れ出ていた。それを拭うこともせず、和輝は一度だけ深呼吸をする。
片手を離すのは少しだけ不安だったが、足が安定する場所を探し当てたため、何とかなった。
カーテンの閉まったそのドアを、遠慮がちにノックした。
返事はない。再度ノックする。返事はない。今度はちょっとだけ強めにノックする。
カーテンが少しだけ揺らいだ。やっと気づいてくれたらしい。
カーテンの中心部が少しだけ動いて、部屋の中は真っ暗でよく見えないが、そこから目が見えた気がした。その目はゆっくりと動き、部屋の真横の排水溝に捕まる和輝を見てぎょっとして、慌ててカーテンを開け放った。窓の外の月明かりが差し込み、窓際に立つその姿がはっきりと見えた。
大人しそうな女の子。眼鏡を掛けている。髪は肩より少し下くらいだが、女の子とは思えないくらいにぐちゃぐちゃで、頬は随分とやつれているような気がする。今でこそ目は驚きに染まっているが、雰囲気は嘘をつかない。擦り切れた感じ。すべてを諦めた、放棄した気配。直感、なんていうものじゃなかったけれど、自然と納得していた。なぜならきっと、和輝もこんな雰囲気を放っていたと思うから。
和輝は自然と笑った。
「あー。えっと。こんばんは。ちょっと話をしたいんだけど、いいかな」
なぜ自分は、見知らぬ人間に対して、こう素直に台詞が言えるのだろう。
一体いつから、自分はこんな素直な人間になったのだろう。
自分の行動に、和輝は今、真里菜異常に驚いている。
しかし脳とは別に口は動く、
「……なんていうのかな。まぁいろいろあって、それで、」
言葉は特に考えなかった。
「僕は管路和輝っていうんだけど、君と、えー、君のこれからの行動について、少し」
その言葉に、それまで目を見開いていて固まっていた真里菜は一瞬ハッとして、ゆっくりと動いた。
鍵を開け、少しずつ窓をスライドさせながら、
「…………なんで…………?」
蚊の鳴くような声だった。
どうして知っているのか――、真里菜の目はそう言ってた。
和輝は苦笑する。
「説明するとややこしいんだけど……とりあえずその、入れてもらっていい……?」
窓が開かれる。
自分の精一杯の力を導入させ、排水溝から窓辺に捕まり、体重を一気に移動させた。最後の力を振り絞って窓際からよじ登り、部屋の中へ転がり込む。その途中でバランスを崩して、顔から床に激突した。カーペットにほっぺたを預けたまま、和輝は大きな息を吐いた。
疲れた。手が痛い。
ふと見ると、フィルは窓際に座ったまま、真里菜をじっと見つめている。
しかし真里菜はフィルに気づいていないのか、脅えるような目で和輝だけを見つめている。
あれ、もしかして。
その答えを口にしたのはフィルだった。
「余計なことを言うなよ蛆虫。いま、わたしの姿はお前にしか見えていない。とっとと救ってさっさと死ね」
なるほど。とりあえずはいいか。
体勢を立て直す。
和輝は床に座り込んで、立ったままこちらを見つめる真里菜を見上げた。
そこに和輝は、今日の朝、洗面所に移った己を見たような気がした。
一言で言えば、それは死相だった。
そして、そんな相手に向かって、和輝は単刀直入にこう言った。
「……君、自殺しようとしてるでしょ?」
真里菜が再び目を見開く。
震える口から、掠れた声が漏れた。
「…………どう、して……知って、るの……?」
どうやって説明したものか――。
ふと部屋の中で光を放っていた、ビデオデッキのデジタル時計が目に入った。
『PM 19:35』
そう、表示されている。部屋の中を改めて見回す。女の子の部屋、と一目でわかるような部屋だがしかし、明らかにおかしい。部屋中に物が散乱しているし、壁に貼られた一年ほど前にデビューしたアイドルグループのポスターはズタズタにされ、大きな熊の人形の首から上が薄皮一枚で繋がり、中から綿が出ている。凄惨な光景だ。そしてこの光景を、和輝は見たことがある。ある物も状態も違う。しかしこれは、管路和輝の部屋の光景と、非常によく似ている。
ただ決定的に違うものと言えば、それは、勉強机の上に置かれた、屈強なロープだ。
考えてもきっと、答えは出なかったと思う。
だから、こう言った。
「自殺はやめておいてくれないかな。君が自殺すると、僕が死ねないんだ」
何とも意味がわからない言葉だと思う。
だが、考えたとしても、これ以上の言葉は出て来なかったとも思う。
ただ。ただそれは、加藤真里菜に取って、果てしなく失礼な言葉だったのだ。
歯を食い縛る音が、はっきりと聞こえた。
「貴方に……っ! 貴方にそんなこと言われる筋合いなんて……っ!」
最もな意見だった。
そして正直な話、それ以上のことを、和輝は考えてなどいなかった。
真里菜は続ける、
「何も知らないくせに、いきなり来たと思ったら……っ! 貴方は何なの!?」
人が死ぬ理由なんて、それこそその人にしかわからないし、理解なんてできないだろう。
加藤真里菜が悩んで悩んで、悩み抜いた結果、結論は自殺だった。それまでの葛藤がどうだとか、それ以外に道はなかったのかだとかは、意味を成さない。なぜなら管路和輝もまた、同じだからだ。その時に思ったこと、感じたことは本人しかわからない。どれだけの苦悩を経たと思っている。どれだけの胃液を吐いたと思っている。一体どれだけ、泣いたと思っている。だからこそ、いきなり現れた奴に、何も知らない奴に、自殺はやめろと言われて、はいわかりました、なんて納得する訳はないのである。それで納得する奴は、最初から自殺なんてするつもりのない奴なのだ。
だから、フィルに「死ね」と言われて、管路和輝は、感謝したのだ。
フィルがどういった意図で言ったにせよ、あの一言で和輝は救われたのだ。
救って、くれたのだ。あの、たった一言が。
やっぱりそうだよな、と和輝は笑った。
自殺を決意した人間に対して、止めるのは酷だ。
――僕は、そして彼女は、もう、……引き返せないんだ。
だからこそ、和輝は笑ったのだ。
「……そうだね。ごめん。僕が間違ってるよね」
真里菜が肩で息をしている。
混乱と、感情的になったことでの疲労が来ているのだろう。
「もう止めない。自殺を決行しても構わない。でも、一つだけ言わせて」
和輝はフィルに救われた。
ならば、今度は和輝が真里菜を救おう。
そもそも、自殺をしようとしていた人間が、自殺をしようとしている人間を止められるはずなんか、ないのだ。どの道、死ぬことでしか解放はされないのだ。ならば残された道はひとつだけ。どのように死ぬか。たった、それだけ。だったら、和輝の取るべき行動もひとつしか有り得ない。止めることではなく、見送ってやること。それが管路和輝が唯一、加藤真里菜に対して出来ること。
だから、この言葉を伝えよう。
「……お疲れ様。頑張ったね」
背後のフィルは、何も言わなかった。
怒られるのを覚悟していたのだが、なぜだか何も言わない。
それの意味を知る前に、真里菜の頬を涙が伝った。和輝の見つめるそこで、少しだけ口を開いて呆然としていた真里菜の瞳から、涙がゆっくりと流れ出している。そのことにたぶん、真里菜自身は気づいていないかもしれない。未だに呆然としたまま、真里菜は泣き声など出さずに、ただ泣いた。
その涙を見た瞬間、ふと悟った。
――嗚呼。……そういうことか。
今更に気づいた。
自分で言った台詞。
お疲れ様。頑張ったね。
自分は確かに、そう言った。
それは自分に言い聞かせた言葉でもあったのだ。そうだ。頑張ったのだ。どのようにすれば生きていられるのか。どのようにすべて上手くいくのか。ちっぽけな自分が考えられる策は全部考えた。頑張って頑張ったのだ。どうしようもないほどに頑張ったのだ。だけど、それでも、どうしようもなかったのだ。気づいた時にはどうしようもないほどの底まで沈んでいたし、光に向かって手を差し出しても、誰も掴んではくれなかったのだ。ずっと前から、ひとりぼっちだったのだ。
死にたい訳ではなかった。
ただ、死ぬしか道は残っていなかったのだ。
誰かに言って欲しかった。たった一言だけ。
「頑張れ」ではなく、――「頑張ったな」の、その一言を。
フィルに言われた「死ね」は、そう聞こえた。だから、救われたのだ。
真里菜がようやく、自分の瞳から流れる涙に気づいた。
「…………え?」
自らの手で自らの涙に触れ、それですべてを理解した瞬間に、塞き止めていたものが決壊した。
その場にゆっくりと膝を着く。涙が一気にその量を増す。
声を上げて、加藤真里菜が泣いた。
聞き取れないような声で、こう言い続けていた。
頑張った。頑張ったんだ。
その光景を見つめ、和輝はゆっくりと歩き出した。
思う。
真里菜もまた、頑張ったのだろう。ずっとずっと成績が良かった。それは産まれ持って頭が良かったこともあるのだと思う。だけどそれ以上にきっと、この子は努力したのだろう。必死になって、頑張ってきたのだろう。成績を落とさないよう、周りからの期待を裏切らないよう、誰からも落胆されぬよう、頑張って来たのだろう。そして一度だけ、彼女は失敗してしまったのだ。そしてそのたまたまの一度切りの失敗が、人生で一番大事な場面での失敗だった。苦しかっただろう。辛かっただろう。挫折しただだろう。でも、それだけではなかったはずだ。それだけなら、彼女はきっと、立ち直れたはずだ。ならばなぜ、彼女は潰れてしまったのか。
それは、たぶん彼女は、誰からも責められなかったんだと思う。
みんな、彼女が頑張っていることを知っていたから。
だからみんな、口を揃えてこう言ったのだ。
頑張れ。次は頑張れ。
悪気があった訳ではないだろう。心から純粋に、次は頑張れ、とそう彼女に言ったのだろう。
だけどそれが呪詛になった。
頑張った。頑張ったんだ。苦しくても辛くても、もう一度頑張ろうと思ったのだ。でも、終わりが見えなくなってしまったのだ。失敗しても頑張らなくてはならない。一体どこまで頑張ればいいのかわからない。終わりの見えない努力。その先に見えるものが何なのかもわからない。誰一人として、止めようとはしてくれなかった。頑張れ、と背中を押し続けた。頑張れ。頑張れ。頑張れ。そう、それはきっと、死ぬまで頑張らなくてはならない呪詛。死ぬまで頑張れという呪い。
誰一人として、「頑張ったな」と、言ってくれなかった。
たったそれだけでよかった。誰か一人でもよかった。誰か一人でも、自らを罵倒してくれれば、責めてさえくれれば、終わりは見えたはずだったのだ。だけど誰も言ってくれなかった。止まれなかった。終われなかった。頑張って頑張って頑張って頑張って、そしてその先にあるのもまた、頑張ることであるのなら、頑張る必要性を、見出せなかったのだ。
頑張ることに疲れてしまった。そうして辿り着いた結論が、死だったのだ。
和輝の目の前に座り込む、この少女もまた、自殺をしようとしたのだ。
しゃくり上げるように泣く真里菜の頭に手を置いた。
ぐしゃぐしゃの髪の毛だった。学校に通っていた頃は手入れは欠かさなかったはずだ。毛先の一本一本ですら、大切に丁寧に、洗っていたりしたのだろう。その面影がまったく感じられない。想像するのは難しくなかった。随分悩んだのだろう。随分辛い思いをしたのだろう。和輝と同じように、苦しみ、吐き、泣いたのだろう。
もういいんだ。もう、いいんだよ。今ここで――、終わりにしよう。
和輝はその場に腰を下ろした。
涙に染まった真里菜の瞳がすぐそこにある。
和輝は笑った。
「……邪魔をしてごめんね。君は、頑張った。頑張ったんだ。だから、もういいんだよ」
頭に添えたままの手を、ゆっくりと動かす。
その途中、もう片方の手も動かして、そっと重ねた。
和輝の両の手が、真里菜の首に添えられる。
「――今ここで、僕が君を殺す。それがたぶん、君に対して僕ができる、唯一のことだ」
深呼吸をした。
ここで真里菜を殺したら、贖罪がどうなるかは知らない。
だけど、これはケジメだ。真里菜に対して、「頑張った」と言った自分が行える、ケジメなのだ。
自殺を決意した蛆虫同士の、最後の手向けだ。
首に添えた手に、懇親の力を込めようとした瞬間、
加藤真里菜は言った。
「…………………………………に……ない…………」
手を止める。
目の前、真っ直ぐに見つめてくる瞳から、大粒の涙が流れて行く。
今度のつぶやきは、はっきりと聞こえた。
「……………………死に、…………たくない…………」
次第に声は大きくなってく、
「……死にたく、ないよ…………生きていたい……、死ぬのは、嫌だよ……」
涙は流れ続ける。
死にたくない。そう言って泣く真里菜を見つめ、今度こそ本当に、和輝は笑った。
首に添えた手を離し、もう一度、その頭を撫でた。
「そっか。うん。わかった」
たった、それだけ言った。それ以上は必要なかった。
大声を上げて、真里菜が泣いた。注意していなければ聞き取れない泣き声で、しかし真里菜は拙くいろんなことを吐き出した。真里菜の拙い話に、和輝は「うん」とだけ、相槌を打ち続けた。泣きながら吐き出すそれは、きっと呪詛の塊だったのだろう。思っていたこと、言いたかったこと、聞いて欲しいこと。いろいろあったのだと思う。しかし言えなかったのだ。言えるべき相手が、一人としていなかったのだ。
それは管路和輝もまた、同じだった。
思っていたことは誰にも相談できなかった。相談できる相手が誰一人としていないことに気づいた時には、もはや引き返せなかった。灯りも通らない部屋の中で、布団に包まって震える生活を送った。死というものが脳裏を掠めた瞬間から、死ぬことばかりを考え始めた。死ぬことを考え始めると、もはやそれ以外のことは考えられなくなっていった。
死にたい訳ではなかったのだ。
死ぬ以外に、道がなかったのだ。
誰か一人でも、話を聞いてくれれば、それで良かったのだ。
力になってくれなくても、それで、良かったのだ。
いつしか相槌を打ちながら、管路和輝も泣いていた。
背後に気配を感じた。振り返ることはついにできなかった。
「――これにて、贖罪を終える」
真っ白い鎌が振り下ろされる。
意識が途切れる。
その間際、
やればできるじゃないか、蛆虫。
そう、聞こえた気がした。
◎
50階建ての高層ビルの屋上。
そこに管路和輝は、外側から手すりに体重を預け、フィルを見つめていた。
何もない空間に座り込んだフィルは胡坐を掻き、持っていた巨大な白い鎌の柄の部分を首に当て、そこに顔を凭れさすような体勢のまま、実に面倒臭そうに和輝を見据え、こう言った。
「――で? お前は死なないの? 死ぬなら執行許可申請が通る前に死ねよ」
和輝は苦笑する。
何があっても、フィルは和輝に死んで欲しいらしい。
空を見上げる。何もない青空が広がっている。吹き抜ける風はどこか優しい。
見上げたまま、和輝は言った。
「ねえ。お願いがあるんだけど」
それはそれは、面倒臭そうな声。
「あ?」
和輝は躊躇わなかった。
「僕の話、聞いてくれないかな?」
露骨に嫌そうな顔が帰って来た。
「ふざけんなよ蛆虫。なんでわたしがお前みたいな蛆虫の話を聞かなくちゃならないんだ。死ぬんだろお前。早く死ね」
ふむ。何があっても死んで欲しいらしい。
どうするかなー、と和輝は思う。
ようやく気づけたことがある。きっと誰か一人でも、和輝が思っていたことを話せる人がいれば、自殺をするという結論には至らなかったのかもしれない。自殺しようと思ったのは、自殺するしか道がなかったからだ。でも、仮に誰かが話を聞いてくれれば、そこまで思い詰めなくてもよかったのかもしれない。空想論と言ってしまえばそれまでだし、誰かかが聞いてくれたとしても、自殺していかもしれない。それは否定しない。でも、未来はちょっとだけ、変わっていたかもしれない。
死にたい訳ではなかったのだ。
死ぬしか、道は残っていなかったのだ。
困った顔をする和輝の目の前で、フィルが背中を向け、何もない空間に仰向けで寝転んだ。
「あー、うぜえな糞蛆虫野郎が。死ぬか死滅するか絶滅するか、10分くれてやるからその腐った脳みそで考えろ。それまでわたしは寝る。起こすなよ蛆虫」
両腕を枕にして、フィルが目を閉じた。
その姿を見つめて、和輝は笑った。
心から思った。ありがとう、って。
さて。どこから話したものか。そう考えて、やっぱり最初から話そう、と和輝は思った。
再度、空を見上げる。雲ひとつない、青空が広がっていた。
「……――特に理由があった訳じゃない、って思ってる」
和輝が話し終えたと同時に、フィルは目を覚ました。
ゆっくりと起き上がり、物凄く不満そうに和輝を見やり、
「なんだ、まだ生きてたのか蛆虫」
そう言った。
和輝は笑った。そして、決断をした。
「――ごめん。やっぱり僕、死ねないや」
「あ?」
「もうちょっとだけ生きてみようと思った。だから、ごめん。僕は死ねない」
真っ直ぐに見つめてくるフィルを、真っ直ぐに見据え返す。
そうして唐突にフィルが視線を外し、本当に面倒臭そうに身体を起こしながら、「んー」っと伸びをした。
フィルは振り返らなかった。
「そうか。勝手にしろ蛆虫」
「うん。勝手にする」
唐突に、フィルの背中から、真っ白い巨大な翼が広がった。
太陽に照らされて光を淡く反射するそれは、恐ろしいまでに美しかった。
最後の最後に、管路和輝は笑い、初めてその名を呼んだ。
「ありがとう、フィル」
フィルが一瞬だけ振り返り、
そして、実に面倒臭そうに、こう言った。
「うるせえばーか。死ね」
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2012/02/25(Sat)20:21:15 公開 / 神夜
■この作品の著作権は神夜さんにあります。無断転載は禁止です。
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■作者からのメッセージ
初めましての方は初めまして、久しぶりの方は4年ぶりくらいの久しぶり。
神夜です。
仕事やめてえなぁ、ニーソ穿いた女の子ときゃっきゃうふふしたいなぁ、と思いつつ、仕事が2週間ほどやることがない状況だったので、仕事中にひたすら書いた作品。せっかくなので投稿してみる。
あまりに暇すぎて、過去の自分の作品を眺め、セロヴァイトなどは3回以上読み直した。過去のみんなの作品をかたっぱしから読み耽り、そうするとふと書きたくなり、上記理由と相まって書いてみた。
構想時間2分。ニーソ穿いた女の子に踏まれたい。そう思って書いてたらこんな話になった。だから後半部分はめっちゃくちゃ。そのうちに幾つか訂正する予定。名前も学校名も、大半はキー見ないで適当に乱打して出た文字をそれっぽく変換しただけというお手軽さ。
なんか久々に書いてみて面白かった。さあ批判ばっちこーい。
しかし一人でも楽しんでくれる方がいると願い、神夜でした。
※誤字脱字修正UP
作品の感想については、登竜門:通常版(横書き)をご利用ください。
等幅フォント『ヒラギノ明朝体4等幅』かMS Office系『HGS明朝E』、Winデフォ『MS 明朝』で42文字折り返しの『文庫本的読書モード』。
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MSIEではフォントサイズによってアンチエイリアス掛かるので、「拡大」して見ると読みやすいかも。
2020/03/28:Androidスマホにも対応。Noto Serif JPで表示します。