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『蒼い髪 20話』 ... ジャンル:未分類 未分類
作者:土塔 美和
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あらすじ・作品紹介
ネルガル帝国との戦いで、初戦を圧倒的な勝利で収めたボイ人たちは、ネルガル人の力を侮り、ルカの和平への提案を無視し、二回戦へと踏み出す。
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登場人物
ネルガル人
ルカ ギルバ帝国王子 十歳 母は平民
リンネル 貴族 ルカの侍従武官
ハルガン・キングス 貴族 親衛隊 元参謀本部勤務
ケリン 平民 親衛隊 元情報部勤務
レスター 貴族 親衛隊 人間殺人兵器として訓練を受ける
クリス 平民 親衛隊 超ド真面目
トリス 平民 親衛隊 クリスと真逆な性格
オリガー 貴族 親衛隊 軍医
ハルメンス 貴族 父が現皇帝の叔父 母が現皇帝の姉
クリンベルク 貴族 ギルバ帝国将軍
カロル 貴族 クリンベルクの三男
ジェラルド ギルバ帝国王子 第一帝位継承者
クラークス・デルネール 貴族 ジェラルドの後見人
ボイ人
シナカ ボイ星第五コロニー代表者の娘 二十歳 ルカの妻
キネラオ 宰相の長男
ホルヘ 宰相の次男
サミラン 宰相の三男
ルイ シナカの侍女
マルドック人
アモス 商人 ぼったくり号の船長
四次元生物
ヨウカ 三次元での姿は白蛇又は熟女
ネルガル艦隊が発したという知らせを受け、ボイ連合艦隊も出陣の準備を始めた。
敵艦、数、十二個艦隊。
「前回の倍だぜ」と言うトリス。
「ですが、今回はこちらも」と、ボイ人たちは悠長に構える。
数に関しては、前回の戦いでの損失も少なく、また他の星系からの助っ人もあり、かなりの艦船が集まって来ていた。だが、ハルガンを始めルカの親衛隊たちは彼らを当てにはしていない。
どうせ負け犬どもだ、いざという時は踏ん張りが利効くかない。他人の星のために自分の命を差し出す者はいない。いるとすれば何を考えているのかわからない我々の親分(ルカ)ぐらいだ。最終的に、自分の星は自分たちで守るしかない。当てにできるのは、今まで訓練してきたボイ艦隊のみ。彼らは必死になるだろうから。
作戦会議が開かれた。
ルカは今回は正攻法で行くことにしている。
「魔の空域は?」と問うボイ人に、
「おそらく今回は使えないでしょう。誘い込めるようでしたら、誘ってみますが」
ケリンが星域図を仕上げる前から、ボイ人たちは長年の経験でこの空域の抜け道をいくつか知っていた。使うとすればそれだろう、戦うためと言うよりもは自分たちが逃げるために。
作戦は立った、だが、艦隊を指揮するものが。ルカは前回と同じようにハルガンやリンネル、レイにそれぞれ艦隊を割り当て指揮してもらうつもりでいた。ところが、
「殿下、お言葉ですが、私の本来の役目はあなた様のお傍に控えて」と言い出したのはリンネルだった。
そしてハルガンまでもが、
「今回だけは、お前と同じ艦に乗る」
「それでは艦隊を指揮するものが」
「ボイ人から選べばいいだろう。何時までもネルガル人に頼っていないで、自分たちの艦隊だ、自分たちで指揮すればいい」
「では、誰が艦隊を指揮できるのですか」と、いらだつルカに、
「まずは味方を信用することから始めたらどうだ」と、ハルガンはばっさりと言った。
「信用?」
ルカは、はっとした。ここへ来て、自分がボイ人たちの腕を信じていないことを悟る。
「そうだ、もう既に彼らは、充分その能力を持っている」
ハルガンはこの日のために、ルカが作った災害救助隊(治安部隊)や元レジスタンスの中から、艦隊指揮を任せられるような人物を育て上げていた。
彼らがルカを見る。俺たちの腕を信用してくれと。
ルカは彼らの顔を一人ひとり見て、
「曹長、あなたの方が彼らに詳しいようですから、推薦してもらえますか」
艦隊の指揮官と配置が決まった夕方、ルカはクリスを呼び出す。
「月がきれいです、少し庭でも散歩しませんか」
「ええ、それはかまいませんが、お休みになれないのですか?」
ここの所、作戦会議で詰め通しだった。少し休まれた方がとクリスは思うのだが。
「実は、邸では話せないもので」
「えっ?」と驚くクリスに、
「リンネルやハルガンたちには内緒なのです。言えは反対されるのは目に見えていますから。それで、あなたに頼みたいのですが」
「何でしょう」
曹長たちが反対する頼みとは。頼みによっては私も。
「私達が戦艦に乗り込んだら、あなたはケイトと共にハルメンスさんのところへ行ってもらえませんか」
何のためにという顔をするクリスに、
「国王一家と、一部の文官をボイ星系外に避難させます。その段取りを公爵に頼んでありますので打ち合わせをしてもらいたいのです」
「殿下は?」と言うクリスの問いに、ルカは軽く首を横に振るだけ。
「国王夫妻と、シナカを頼みます」
「殿下は、殿下はご一緒では?」
「私は、ボイを守らなければなりませんから、お願いです。他に頼める人がいないのです」
クリスは黙ってしまった。返事ができない。今回の戦争、勝てないのはネルカル人の目には明らかだった。現状が見えていないのは、と言うよりも、ネルガル艦隊の怖さを知らないのはボイ人のみ。よってハルガンたちは殿下の救出のみに動き出した。例えボイ人をどれだけ犠牲にしても、今のネルガル帝国が存続する限り、ボイのような星は後を絶たない。よって今ここでボイを見捨てても、まずネルガル帝国の息の根を絶つ方が先決。それにはどうしてもルカの存在が必要。彼なら、ネルガルを作り変えることが出来る。ハルガンたちはそう見ている。
「でっ、殿下もご一緒なら」
「私は駄目です。既に私は死んでいることになっていますし、今更ネルガルへ戻ったところで」
ルカはクリスの手を強く握ると、
「お願いだ、私の最後の頼みです、遺言だと思って」
「縁起でもない」と、クリスはルカの手を振りほどこうとしたが、その小さな手を見て、何も出来なくなってしまった。
十歳なんですよね、私が十歳の頃は、貧しくとも両親がいて、家庭があって。
「わかりました、殿下。その代わりご無事でいて、私がきちんと殿下の命令に従って、国王ご夫妻とシナカ様を守り通したことを、褒めていただけますか」
「もちろんだ。ただ、このことはハルガンたちには」
「わかっております。私はシナカ様の護衛ということで、邸に残ります」
「ありがとう」
ルカは飛びついてきた。
「殿下」と、クリスは幼いルカを抱きかかえた。
「このことだけが心残りだったのです、誰に頼もうかと」
出陣の前日、ホルヘがルカの邸にやって来た。
「私も、あなたの艦に乗ることにしました」
「えっ!」と、驚くルカ。
「あなたには、国王夫妻とシナカの護衛を頼んだはずなのですが」
「国王の許可は取ってきました」と、ホルヘ。
ホルヘは国王夫妻と宰相を前に、どうしてもルカの傍に居たいと言い張った。
「お父様、私のわがままをお許し下さい。私はどうしてもあの方の傍に。代わりに兄をここへ残して行きますので」
宰相は申し訳ないという感じに国王を見、国王はホルヘの言葉に頷いた。
「気を付けるがよい」
「ルカと一緒に、無事のご帰還を」と、王妃。
「有難う御座います」と、ホルヘは国王夫妻と宰相に頭を下げた。
既に弟のサミランは、ボイ星軌道上の艦隊指揮をまかされている。ここが最後の砦だ。一陣、二陣と突破してきたネルガル艦隊をここで食い止める。この後は地上戦になる。
ルカはもう何も言わなかった。この人は一度こうだと決めると、誰が何を言ってもきかない。おそらく国王も宰相もそのことを知ってのことだろう。
「三次元チェスでもしますか」
取った駒を自分の駒として使うボイ独特のゲーム。敵を寝返らすという考え。実におもしろいとルカは思った。
「ええ、やりますか、久々に」
最初にルカにこのゲームを教えたのはホルヘだったかキネラオだったか。だがルカは見る見る上達し、今では二人とも勝てなくなっていた。
「まあ、それ始めたら、日が暮れるのも忘れてしまいますよ、せっかく今日が最後の地上だというのに、これから暫くボイの地面は踏めないのですよ、自然を楽しんだら」と言うシナカ。
自分が相手にされないので少し僻む。
「やるのはお昼までです。午後からはシナカと遠乗りに行きます」
「ほんとですか」と、嬉しそうに聞き返す。
「だから、お茶なんか用意してもらえると有り難いな」と、ルカ。
既に駒を並べ始めている。
「まあ、これは気が付きませんで」
シナカは嬉しそうにお茶を入れに行く。
シナカは二人にお茶をそそぎながら、
「でも、前日に遠乗りなどして、疲れません?」
「大丈夫です。持ち場に着くまでは時間がありますので、艦の中で充分睡眠はとれます」
ルカとホルヘがゲームに夢中になっている間、シナカとルイはキッチンで遠乗りに持っていくおやつを作っていた。
お昼になるとルカは約束どおりゲームを止めた。
「どちらが勝ったの?」と訊いても答えない。
ルカは意外に負けず嫌いである。自分が負けた時は言わない。
シナカはそれを察してくすくすと笑った。
お昼過ぎ、二人は馬を出してもらい遠乗りに出た。数人の者が護衛に付いて来たが、皆遠慮して少し離れている。いつも一緒のルイまでもが後の方から追って来る。
湖の畔、ほどよい所で馬を止め、手ごろな石に腰掛けおやつを開いた。
「きれいな湖ですね」
「コロニー5の命の泉ですから」
この湖が枯れれば、コロニー5は消滅する。争いをすると湖が枯れるという言い伝えがある。現に二つの湖は枯れて今は現存していない。無論、そこにあったコロニーも。
「湖、少し小さくなりましたか?」
「そうでもないと思うわ。水利権でボイ人同士が争っていた時は、少し小さくなったような気がしたけれども」
今は同じ争いでも、ボイ人同士は一致団結している。
「私もそう思います」と、ルカはシナカの作ってくれたクッキーをかじる。
「これ、美味しいですね」
「ルイに教わって作ったのよ」
ルカはひとしきりクッキーをもくもくと食べると、
「シナカ、実は話があるのです」
その改まったものの言い様に、シナカはどうしたのかと思う。
「もし、私に万が一のことがあったら」
シナカは驚いてルカを見た。
今度の戦いは勝てない。ルカはそう断言した。だがボイ人の誰しもがそれを殿下の弱腰と取った。この人は弱虫などではない。現実を直視しているだけだ。
「そしたら、再婚してもらえませんか」
「再婚!」
「ボイ人は男女とも、一人の人に一生添い遂げるそうですね、でも、死んだ人に義理を立てることはないと思います。それよりも新しい生活を踏み出して欲しい。毎日笑って暮らせるような楽しい家庭を築いてくれたほうが、死んだ人も気が楽だと思います」
「ルカ」と、シナカはルカの言葉を遮ろうとしたが、
「シナカ、私は死ぬのではありません、竜神様のところへ行くのです。だからもし私が戻ってこなかったら、あなたはキネラオさんと、本当はホルヘさんがいいと思ったのですが、彼は意外に頑固者なようなので、かえってキネラオさんの方があなたを大切にしてくれますね。だから私が戻らなかったら、二人で幸せな家庭を作り、天まで届くような声で笑ってください。その声が私のところまで届いたら、私は必ず竜神様に頼んで、この水の少ないボイに雨を降らせますから、約束します。だからシナカも」と言って、ルカは小指を立てた。
ネルガルの儀式なのだろうか、ルカは時折りこうやって小指を立てては二人で指を絡ませあい、約束をする。
「キネラオさんはいい人です。他の男性だと少し嫉妬するかもしれませんが、彼なら許せます」
翌日、ルカはシナカにぎゅっと抱きしめられて、この邸を後にした。もう二度と生きてこの邸に戻ることはないだろうと覚悟して。
シナカはルカと一緒にシャトルへ向かおうとするハルガンを小声で呼び止める。
「何でしょうか、奥方様」
「ルカを、あの人を、お願いします」
涙が頬を伝わる。ルカの前では気丈に笑って送り出したものの。
「お願いします。どうか無事に」
ハルガンはシナカの両肩に軽く手を乗せると、
「心配には及びません。必ずこの邸に、生きたまま送り届けますので、待っていてください」
「ハルガンさん」
ハルガンはいつもの様に不敵な笑いを浮かべた。
シナカはその笑いに勇気付けられた。
ハルガンはシナカの肩を軽く叩く、大丈夫だと。それからクリスの方に視線を送り、奥方を頼む。と頷きかけ、小走りに仲間の後を追った。
クリスとケイトは敬礼で仲間を見送る。
庭からシャトルが飛び立って行く様子が見える。数万というシャトルの数は、まるで魚の群れが銀色のお腹を見せて青い空を湖と間違えて泳いでいるかのように見える。それが天空まで永遠と続く。
「今回は、あの中のどれだけの人が無事に戻って来るのでしょう」
モリーはふと心に思ったことを呟き、慌てて口を押さえた。
モリーは戦争の悲惨さを知っている。貴族と言っても下級貴族の身、金で兵役を免除されたり後方支援に回してもらったり出来る身分ではなかった。モリーの身内のものは大半が戦争に行き、亡くなるか方輪になって戻って来ている。その保証金のおかげで生活が成り立っていると言ってもいいぐらいだ。
最後の作戦会議が、ボイの五つある月の一つカルガヌスで開かれた。
今回ルカは陣を三段階に構えさせた。第一陣はワームホール近郊。ワームホールから出てきたところを狙う。ここであらまし殲滅させるつもりでいる。第二陣は小惑星帯。第一陣が取り逃がした相手が中心となる。そして第三陣。ここはボイの五つの月を中心にボイの軌道上に布陣する。ここを突破されたら後は地上戦になる。ここが航宙では最後の砦だ。そして第一陣はルカ、第二陣はレイ、第三陣はサミランが指揮を取ることになった。地上にもトリスを始め数人のネルガル人を残した。
「何か質問は?」と、ルカ。
暫し待ったが何も出てこない。もっとも戦争は初めてなのだから無理もない。前回の戦争は解からない内に始まり、解からない内に勝ってしまったというのが本音だ。
「では、これで解散します。細かい打ち合わせは、各旗艦にてお願いいたします。とにかく、自分が与えられた範囲を死守してください」
勝つにはそれしか方法はない。
それぞれの艦がそれぞれの持ち場に着くために移動し始めた。真っ先に動いたのはルカが率いる第一陣。距離的にボイ星から一番遠い位置になる。
サミランは宇宙港の展望室でルカたちの艦隊を見送りながら、
「何も、最前線に行かなくとも、なっ、ズイケイ」
いきなり振られたズイケイは返事に窮する。
「もし、殿下の身に何かあったら、後の指揮はどうするおつもりなのだろう」
「それに関しては、宰相とかなり念密な打ち合わせをしておられたようです」
「父と?」
「はい。表向きは宰相が指揮を取っているということになっておりますから」
今回ネルガル方面からのワームホールが開くのは五箇所。ルカは艦隊を五つに分け、それぞれのホールの入り口に布陣させた。そして自分の艦隊は一番大きなワームホールを担当することにした。チャンスは敵艦隊がホールを抜ける一瞬。この時敵艦隊の機能が三次元に対応しきれず麻痺している。その僅かな隙を狙うしかない。
ここである程度食い止めたい。
ルカは最後の打ち合わせをした。
「できるだけ死守してください。でも無理はしないでください。もうこれが限界だと判断した時は、魔の空域に逃げ込んでください。あなた方が一番よく知っている軌道を使って。第二陣、三陣の方で態勢を立て直し反撃しますので、犬死だけは避けてください」
司令官たちは各々の艦へ戻り、それぞれ与えられたワームホールの前で陣を張った。態勢が整った頃、時空が歪み始めた。
ワームホールがどのような仕組みになっているかは、完全に解明されているわけではない。だがこの自然界には、人間がその仕組みをわからなくとも使える物はいくらでもある。その一つがワームホールだ。とりあえず、入り口から入れば別な星系に瞬時に行ける。
『いよいよワームホールが開きます』
時空の歪みがはっきりして来た。一瞬ホールが開く近辺は魔の空域と同じような現象になる。その影響を受けないぎりぎりの線にルカは艦隊を配置させた。
まず最初に開くのは第三艦隊が布陣している所。それから二十時間をかけて五箇所が逐次開いてくる。ルカはホールが開いたところから戦闘に入るように指示しておいた。
暫くして、
『第三艦隊からの通信です』
「開いてください」
『こちら第三艦隊司令官ドゥダスです。敵艦影発見、ただ今より戦闘に入ります』
「武運を祈ります」
通信が切れる。
「いよいよ始まりましたね」と、ルカは近くに居るホルヘに言う。
「助けに行ってやりたいが、こちらもそうはいかなくなったようですね」
いよいよワームホールが全開に近くにって来た。後数分もすればネルガル艦隊が出撃して来る。今回は本当の艦隊戦だ。この内、どれだけの艦が生き残れるか。ここには他の星系から助っ人に来た艦も多く含まれている。現実としてどちらの方が動けるだろうか、味方の艦が破裂したのを見た後で。
『ワームホール、完全に開きました』と、オペレーターの緊張した声。
「全艦、ビーム砲用意」
ネルガル艦隊が怒涛のごとく出撃して来た。
「発射!」
ルカの合図とともに、数万という光が宙を切り敵艦に命中する。だが敵艦もこの攻撃に備え、前もってシールドを張っていたのだろう、一回や二回の命中ではビームが拡散され敵艦の表皮を撫でるだけだ。その度に敵艦が玉虫色に輝く。だがその回数も五回六回となってくると、シールドが弱まってきたのだろう、その輝きも弱くなり最後には稲妻のような閃光が艦の表皮に走ったかと思うと、次の瞬間、目を覆うような光の洪水、一隻の艦が爆発し宇宙の塵となったのだ。
「やったー」と言う歓声。
その爆発がネルガル艦隊の至る所で起こる。一方的な殺戮にも見えるこの光景、だが数十秒後、通常空間にコンピューターが対応し始めると敵艦隊が反撃に出た。
「やはり、待ち伏せか。突破するぞ」
ネルガル艦隊は配列を重圧にした。
ネルガル艦隊の方でもこれは想定済みである。敵星系へ侵入するとき一番怖いのが、ワームホールを出る瞬間。だが前回の戦いでは彼らはこの方法を取らなかった。それを戦のイの字も知らない輩と侮ったのが敗因。あのような手を使ってくるとは思いも寄らなかった。だが今度はその手には乗らない。
「ビーム砲の照準が合い次第、反撃しろ」
ほぼ完全なる撃ち合いが始まった。だが艦隊戦に手馴れているネルガル艦隊のビーム砲には無駄がない。同じ数を撃ったのでは、はるかにネルガル艦隊の方が命中率がいい。しかも同じ箇所を狙ってくる。
「怯むな、撃ち負けた方が負けです」
真っ暗な宇宙に光の乱舞。その中での阿鼻叫喚を想像しなければ実に美しいものだ。とハルガンは艦外の様子を映し出しているスクリーンを見て思った。だがおそらく彼らは痛みすら感じないだろう。艦がやられたと思った瞬間、艦ごと肉体も砕けているのだから。例え宇宙に投げ出されたとしても、気圧のない空間では液体は直ぐに気化する。あっと言う間に血液は沸騰してしまうのだ。痛みや苦しみを感じている暇もなかろう。航宙戦とはそれだけが救いだと言えば救いだ。ただし形見など何も残らない。後は宇宙の藻屑となって半永久的に真っ暗な宇宙空間をさ迷い続ける。
ハルガンは我が艦隊の小さな総司令官に目を移した。
まったく、王子なら王子らしく邸の奥にでも控えていればよいものを、こんなところまでのこのこと出しゃばりやがって。と言いつつも、見事なルカの指揮ぶりに感服していた。
魔の空域に追い込む気か。なかなか済みに置けないガキだ。
ルカは反撃をしながらも敵の軌道を徐々に徐々に変えていた。包囲するかのように見せかけて、魔の空域への軌道をさり気なく開けておく。敵は包囲されるのを嫌い、必然的にその軌道を取りつつあった。
これが十年後だったら、確実に勝てたのだが、まあ、やれるところまでやるしかないな。勝負は時の運、うまくすれば奴の美貌に勝利の女神が微笑むかもしれない。だが十年後なら奴も二十歳、勝利の女神は確実に奴に振り向いただろうに。
だがやはり一、二年で即席で作ったボイ艦隊は、いくらルカの指揮がよくても次第に戦争経験の豊かなネルガル艦隊に押され始めてきた。そして最終的にこの作戦に致命傷を与えたのは、左前方で別のワームホールのところで戦っていた第五艦隊だった。
『第五艦隊、崩れました』
そこは余り大きくないワームホールだった。だが不幸なことにそこに旗艦を始めネルガル艦隊の精鋭がそろっていた。
第五艦隊の敗走が始まる。それはかろうじて戦場を維持している他の艦隊にも少なからず影響を及ぼした。
『第二艦隊が後退しております』
敵に押されているのだ。
「包囲される前に逃げるように伝えてください」
そして我が戦場は、
『第五艦隊がこちらに向かって来ております』
「何!」と言うハルガンの言葉より早く、スクリーンはネルガルの精鋭艦隊に追われるようにして、魔の空域へ逃げ込もうとこちらへやって来る第五艦隊を映し出した。
「下手をすると、今戦っている艦隊と奴等が連れて来た精鋭艦隊とではさまれることになるぞ」
ハルガンにそう忠告むされなくとも、ルカも解かっていた。
どうする、彼らを魔の空域に追い込むことを諦めるか。だが、ここでどのぐらい敵艦隊を殲滅できたかが、後々の勝敗の行方を決める。
ルカは親指の爪を噛み、暫し沈慮した後、艦隊の位置を変え始めた。
「第五艦隊を救うのが先決でしょう」
ここはネルガル星、ルカのお供としてボイへ渡っていた公達は、ネルガル艦隊と入れ違う形で帰還した。
「キーレン・パーキンス子爵、ご無事でなによりです。ルカ王子があのようなお姿でお戻りになられたので、皆様の安否を懸念していたしだいです」
誰もが同じことを言った。既にネルガルではルカ王子はボイ人によって殺されていることになっている。
キーレンたちが宇宙港に着くと特殊な部屋に通され、そこで宮内部からルカの葬儀のことを聞かされた。既にそのことはボイの衛星放送で見て知ってはいたが、そのことを改めて説明され、もしルカが健在であることを他言するようなら、命の保障は出来ないとまで言われた。そして下僕や下女に至っては、特殊な装置を注入し事故や病死に見せかけて始末していくとも。キーレンたちはそれを承諾してその部屋から出ることを許された。
やっと自分の館へ戻ってゆっくり出来たのは二、三日だった。四日目の晩からは毎夜のごとくに何処かしらの館の夜会に招待された。それも鷲宮内の館で催される夜会に。
「ボイはどんな所ですか?」と、数人の門閥貴族に囲まれる。
ルカ王子の付添い人でもなかったら、このような人たちとこんなに親しく会話を交わすなどとは、自分の身分では永久にありえなかった。
宮中や各王子の館の夜会は憧れだった。いつかは彼らと親しい友達になり自由に出入りできるようになりたいと。毎夜毎夜、華やかな踊り。そんな中、ある館で、
「ルカ王子は、生きているのか?」と訊かれた時、キーレンは答えに窮した。
「宮内部に、口止めされているのか?」
「私達は皆知っているよ、彼が生きていることは。下賤の血を引くとは言え、一応弟だからね」
「あんな奴、弟と呼ぶ気もしないね」
「どうしてお父様は、堕胎させなかったのかしら」
「どんなのが生まれてくるのか、見てみたかったのだろう」
「お父様も、物好きね」
王子や王女たちは笑う。
「元気なのか」
「ボイ人と仲良くやっているようだが、あいつには恥と言うものがないのか」
「ボイ人のような下等な生き物の上に君臨していい気になっているのだろうよ」
「所詮ネルガルでは、誰も相手にしませんから」
「ジェラルドお兄様以外は」
侮蔑した笑い。そして華やかな音楽が流れ、紳士、淑女たちは踊り出した。
キーレンは彼らの姿を目で追いながら、ふとルカのことを思った。自分たちをネルガルへ帰すために手を尽してくれた王子。一緒に帰らないのかと尋ねると、軽く首を横に振る。私の母星はこの星ですからと。ボイと生死を共にする気か、愚かな。キーレンは我に返った。すると今まで華やかだと思えた音楽も踊りも衣装も、豪華で装飾華美なこのホールも、銀河の珍味を集めた料理も、次第に色あせて行くような気がした。何だったのだろう、私が今まで憧れ追い求めてきたものは、色白で線が細く一見ひ弱そうな外見、だがそれと反したあの意志の強そうな翡翠の瞳。あの瞳でまっすぐ見られると、自分が卑屈に思えた。それが嫌で、私はついつい彼の前で横柄に振舞った。私の身分はあなた程ではないが、それでも平民の血は混じっていないと。今頃、彼は、どうしているのだろう。
ボイの生活はどんなに求めてもここでの生活の千分の一にも満たない。だが今思い返せば、それでもボイ人は誠心誠意勤めてくれていたのだ、我々が殿下の友人だから。
キーレンは会場に背を向けた。
「パーキンス子爵、何処へ?」
ボイ星へ一緒に同行した仲間が声をかけてきた。
「今日は早めに引き揚げます。ここの所、連日連夜だったもので、少し疲れたようですので、主催者の方によろしくお伝え下さい」
一方、ジェラルドの館では、ボイ星へ行った公達が戻って来てからと言うもの、ジェラルドがルカの館へ遊びに行くと言い出し、宮内部へ日に何度となく顔を出すようになっていた。
「ルカは、ルカはどこに居るのですか? どうして私のところへ遊びに来てくれないのですか」
ジェラルドにしてみれば唯一、頭のおかしな彼をまともに相手してくれたのがルカである。ルカがボイへ行くと知って、一番寂しがったのもジェラルドだった。
「殿下、ルカ王子は既にお亡くなりになられておりますよ。先日、ご葬儀が」と、宮内部の事務官は諭すようにジェラルドに話すのだが、
「嘘だ、ルカは元気だ。昨日、遊んだ」
遊んだと言われて事務官は、背後に控えているジェラルドの付き人クラークスの顔を見る。
「夢を見られたようです」
「夢ですか」
事務官は納得しつつも、夢を見るたびにこうも押しかけられては、宮内部も狂人の相手をしているほど暇ではない。
「ご葬儀に参列しませんでしたから」
ルカ王子の死を実感できないのでしょうと、クラークスはジェラルドの行為を優しく受け止める。
皇位第一継承者のこんな姿を、民衆の目前にさらすわけにはいかない。これがジェラルドがルカの葬儀に出席できなかった理由。
「しかし、こう度々では」 公務に支障をきたす。
「生きておられると言う噂も伺いましたが」
誰から、それを。という感じに宮内部は鋭い視線をクラークスに向けた。
だがクラークスはその視線に気付かなかった振りをして、話を先に進めた。
「出来れば私がボイ星へ参り、ルカ王子の形見なりとも持ち帰りたく存じます。そうすればジェラルド様もご納得いかれるのではないかと」
「ルカ王子は生きておられる」と言ったのは、事務次官だった。
宮内部の者たちがその事務次官に注目する。
クラークスは、それは知らなかったとわざと驚いてみせ、その事務次官を見る。
「しかしネルガルでは彼は既に死んだことになっている。よって戻られたところで公に出すわけにはいかない。あなたの館の置く深くにでも閉じ込め、飼い殺しにでもしてくれますか、ジェラルド殿下の玩具として。それでしたらこちらも助かります」
宮内部はルカの処分に困り果てていた。暗殺を依頼したのだが刺客は全て返り討ちにあっている。親衛隊の腕がそうとうよいと見える。このまま地下組織などに拉致され利用されるぐらいなら、ジェラルドの館に閉じ込めれば、あそこなら監視もできるし一般の者はそう簡単には近づけない。
「わかりました、私の手でお連れいたしましょう。ただし、こちらもお願いがあるのですが」
「何でしょうか?」
「本来でしたら、一番会いたがっているジェラルド様もご一緒にと言いたいところですが、それは無理でしょうから、私が留守にしている間、ジェラルド様を預かってくだされば」
館に独り置いておくのは心もとない。この際、宮内部に預かってもらうのが一番間違いないだろう。
と言うことで、宮内部の指示でクリンベルク家がジェラルドの身柄を保護することになった。クリンベルク将軍のところなら安全だろうと言うことで。
「次官、よろしかったのですか、あのようなことを約束されて」
「ああ、暗殺に失敗したときの布石だ。ルカ王子の身柄、地下組織にだけは渡したくないからな」
「ジェラルド様が、この館にお見えになられるのですか?」
「そうだ。これから暫くの間、ここに滞在されることになった」
「どうして?」
クリンベルク将軍は王宮から戻るや否や、従者を集め館を掃除させ始めた。
休息室へ向かおうとする父の背を追いながら、シモンは尋ねる。
「ジェラルド様の執事のデルネール伯爵が、ボイ星へ発たれるそうだ。それで伯爵が戻られるまでジェラルド様をお預かりすることになった。ジェラルド様の身にもしものことがあれば、我がクリンベルク家は取り潰されるからな、心して仕えてくれよ」
「そっ、それは」 言われなくとも。
「お前がジェラルド様の身の回りのお世話をするか。まさか侍女たちにやらせるわけにもいくまい」
世話をするのは侍女たちである。ただいつも傍に付いていてシモンが指示をするという形になる。
「この館では、お前が一番暇だからな」
「そんな、私だって」 暇ではないと言いたいところだが、確かに兄たちとは違い艦隊を指揮するわけでもないし。
「王子がこの館に慣れるまで、デルネール伯爵もご一緒するようだ。伯爵から王子の趣味などいろいろと伺っておくとよい」
いきなり言われても。だが、クリンベルク将軍は完全にジェラルド王子をシモンに任せる気のようだ。
ルカ王子なら喜んでと言いたいところだが、ジェラルド王子ではどう相手したらよいのやら。
そうこうする内に、侍女が走り込んで来た。
「ジェラルド王子様が、お見えになられました」
約束の時間より早い。
まずは身の回りからと、シモンは慣れないドレスを着せられ転びそうになりながらエントランスホールに向かう。既にそこには父や母を始め、たまたま非番だった二人の兄が整列していた。そこへシモンがドレスの裾をたくし上げるような恰好で走り込んで来る。
「まあ、レディーなのですからもう少しお淑やかに」と、母親。
入り口から大きな花束を持ったジェラルド王子が現われた。彼をエスコートするかのようにデルネール伯爵。
「殿下、このようなところへお越しくださり、光栄に存じます」
「うん」と、ジェラルドは答え、周りをきょろきょろと見回す。
「予定より早く来てしまい、申し訳ありません。時間が待っていられなかったご様子で」と、デルネール伯爵は頭を下げ、
「暫く、お世話になります」と、挨拶をした。
「クラークス、カロルは?」
デルネールも周囲を見回しカロルの姿がないことに気付く。
「カロルでしたら、ただ今ネルガル近郊の偵察をしております」
本来ならその任務に着いているはずなのだが。
「カロルさんは仕事だそうですよ」と、デルネールはジェラルドに言う。
「仕事か。何時帰る?」
「当分は無理かと存じます」
「そうか、せっかく遊びに来たのに」
どうやら王子はカロルが目当てのようだ。いないと知りがっかりしたご様子。だが直ぐに気を持ち直したのか、今度はシモンの前に歩いて来て、
「鬼姫、これ」と、ジェラルドは花束を差し出す。
「鬼姫?」
シモンが素っ頓狂な声を出した。
背後で侍女たちが笑いを堪えている気配。
「カロルが言っていた」
「もー、カロルったら」とシモンは言いかけたが、その後の言葉はぐっと飲み込み、心の中で絶対に許さないからと言いつつ、空想の世界でカロルをコテンパンに伸していた。
シモンはしぶしぶその花を受け取る。本来なら王子からいただく花束、しかもジェラルド王子ともなれば令嬢たちの憧れの的、とても嬉しいはずなのに、
「誤解があるといけないと思いますのでこの際はっきり言っておきますが、私の名前はシモンです」 鬼姫が私の名前だと思われては。
「うん、知ってる。鬼姫はあだ名」
背後で笑いがもれた。見ると兄たちまでもが。
覚えておきなさいよ、カロル。この屈辱は絶対にはらす。
覚えておけと言われても、カロルはこの場にいなかった。
「殿下、シモンさんに失礼ですよ」
「どうして?」と、悪気のない顔でクラークスの方を振り返る。
「あだ名で女性を呼ぶものではありません」
「どうして?」と、繰り返すジェラルドに、
「綺麗な音ではありませんから。シモンの方がきれいでしょう?」
言葉の意味より発音から入るところがおもしろい。おそらく意味を言ったところでご理解できないのでは。
「うん。ではこれからシモンと呼ぶ」
余りにもあけっ広げに音が綺麗だと言われたもので、シモンは顔が赤くなるのを感じた。
ジェラルド様は、純朴なお方なのかも知れない。
話が途切れたところで、
「お疲れでしょうから、まずはお部屋のほうへ」と、クリンベルク。
「無粋な私が案内するより娘のほうがよいかと存じまして」と、シモンに案内するように促す。
シモンは花を広間に生けるように侍女に指図すると、
「お部屋にご案内いたします」と、ジェラルドの前を歩き出した。
ジェラルドがさってから、エントラスホールが笑いに包まれたのは言わずもが。
「カロルは何時の間にあれほどジェラルド様と親しくなられたのだろう?」
「ここをクリンベルクの館というよりもはカロルの館だと思われているご様子ですね」
「まあ、これから暫く気を使うな。殿下に怪我でもされたら」
誰もが顔を引き締め頷いた。
クリンベルクの館で最上級の部屋に案内する。
「こちらでよろしいでしょうか。何かご不足の物が御座いましたら」
「うん」と、ジェラルドは頷くと、広い部屋を幾つか突っ切り窓際の方へ歩み寄る。
ここは二階。前庭が全貌でき眺めは素晴らしかった。
「うん」と、またジェラルドは頷く。
不思議とこの部屋は装飾品が少ない。絵画も彫刻も選りすぐれたものが必要最小限度に留めてある。本来これがクリンベルク将軍の趣味ではないかと思われるほど、他の部屋と装いを異にしていた。
ジェラルドの荷物は既に届けられ、衣装などはクローゼットに収められていたが、日常的な小物だけは本人の使い勝手のよいようにと、そのままにしてある。そして侍女たちが数人控えていた。それらのものを何処に置こうかと。
さっそくデルネール伯爵が指示を出す。
「筆記用具はこのテーブルの上に、絵本はあちらに、縫いぐるみの大きい方はこちらのソファに、小さい方はベッドの上に、オルゴールはあちらの棚に」など忙しいようだが、肝心のジェラルドはといえば、ベッドに座りその硬さを確かめるかのようにその上で弾んでいる。
先が思いやられるなと思いながらそんなジェラルドを見ていたら目が合った。手を前に出し、来い来いとでも言っているかのように指で招く。
何かと思って行ってみると、先程棚に置いたオルゴールを持って来てベッドの端に座り、シモンも隣に座るように促す。
ゼンマイを巻く、もう骨董品と言ってもいいほどの旧式の玩具だ。いや、このまま預けられたらどうやって遊ぶのかわからない程の玩具だ。だが何故かジェラルドはこれを気に入っているらしい。
ゼンマイを巻くと蓋を開けた。筒に付いた突起が金属のベンのようなものを弾く。金属的な澄んだ音色。
「あっ、この曲!」
「うん。竜の子守唄」
「作ってもらったの?」
「うん。ルカより上手」
「まあ。ルカ殿下に言いつけますよ」と言うと、ジェラルドは慌てたように手を振り、
「内緒。私とシモンの秘密」とにっこりする。
思わずシモンも微笑んでしまった。
三歳ぐらいのレベルなのかしら。
部屋があらまし片付くと、デルネール伯爵がやって来た。
「シモン様がお相手してくださったので、早く片付きました」
「いえ、私は何も」と、シモンは慌てて立ち上がる。
「殿下、これでよろしいですか」と訊くデルネールに、
「内緒」と、ジェラルドは言った。
「何がですか?」
「私とシモンの秘密」
まっ、不味い。何か誤解されたのではと思い、とっさに弁解しようとした私に、
「内緒」と言って、ジェラルドは唇の前で人差し指を立てた。
デルネールはそんなジェラルドとシモンを交互に見る。
絶対、何か誤解している。後で弁明しなければ。
「お夕飯は、将軍がご一緒にとのことですが、もし何でしたら、こちらにご用意もできますが」
デルネールはジェラルドの方を見てから、侍女に視線を移し、
「ご一緒させていただきます」
「それではラウンジの方にご用意いたします」
夕食は、料理が口にあったと見え、綺麗に平らげてくれた。最後に場所を変えてお茶が出た時、
「何か、ご不自由は御座いませんか」と、長男マーヒルが尋ねる。
ジェラルドはマーヒルの顔をしげしげと見詰めてから、
「あっ!」と、今更ながらに気付いたように言う。
「マーヒル」
「覚えてくださいましたか、光栄です」
マーヒルはジェラルドの館の守衛の指揮を取っている。
「うん」と頷き、今度は次男のテニールに視線を移したがこちらは思い出せない。
王宮で何度か会っているのだろうが、ただすれ違いざまに会釈されただけでは覚えられない。
「私は、じっくりお会いするのは今日が初めてですので、ご記憶にないのも致し方ありません。テニールと申します。以後、お見知りおきを」
「うん」と、ジェラルドは答えた。
クリンベルク夫妻は知っている、今更自己紹介もない。そしてシモンも、ルカとカロルを通して。
「カロルは?」
「今日は、戻りません」
「では、明日?」
「明日も無理でしょう。一度任務に就くと、早くても一ヶ月は戻りません」
わかったのか、わからないのか、ジェラルドは俯いた。少なくともここ二、三日は戻らないということは理解したようだ。
「弓矢」と、俯いたまま小さな声で呟く。
「弓矢がどうかいたしましたか?」
「ルカが嫌がる」
マークスは、はっ! と思った。
「これは、気付きませんで、申し訳ありません」
ジェラルドの館も、ルカが遊びに来ないのは弓矢のせいだと言って、館中の弓矢を片付けさせてある。
「急いで、片付けさせます」
ジェラルドは嬉しそうに頷いた。
「これは、大変なことになったな」と従僕たち。
クリンベルクの武具の多さは他の館の比ではない。
「大変ご迷惑お掛けします」と、デルネールは従僕たちに頭をさげてから、
「見える範囲で結構ですので」と言う。
「ですが、それでは」
「ルカ王子はこれより先には行かれない」と言えば、納得しますので。
だが伯爵に頭を下げられた手前、従僕たちは一階と二階にある弓矢を後で出すときに困らないようにとタグを付けて全部片付けた。
これには将軍も驚く。
「ああも丁寧に頭を下げられてはな」
「こちらも誠意をお見せしなければ」
なるほどと将軍は頷く。
ジェラルド王子はどのような人物だか、わからない。だが彼に仕えているクラークス・デルネール伯爵。さすがはキングス伯爵の友人だけのことはある、かなりの人物と見てよい。
そして三日が経った。シモンもやっとジェラルドの扱い方を理解したのか、今では二人で遊ぶようになった。主に、花を摘んだり絵本を読み聞かせたり。
館の従僕たちの間では、王子が見えられてからというもの、シモンお嬢様がお淑やかになられたと好評である。
そして今日は、いよいよボイ星に発つ最後の打ち合わせだと言うので、デルネール伯爵は朝から外出していた。
そこへ昼過ぎ、ルカと同伴してボイ星へ行っていたという金達の一人が訪ねて来た。
それを聞いて、ジェラルドもその公達に会いたがる。
「会ったところで話がわかるわけでもないし」と言うテニールに、
「でもこんなに会いたがっているのですから」
「ルカの友達、ルカの友達が来た」と言いつつ、先程から部屋の中をうろうろしている。
「父は、いろいろと情報を聞き出したいのだ。邪魔されては」
「邪魔にはならないわ。私とゲームでもしていることにするわ、部屋の片隅で。従弟として紹介して、後は背を向けさせておけば、気付かないわ。面識はないでしょうから」
ジェラルドとパーキンス子爵では身分が違いすぎるので会った事はない。
「それに、まさかこんな所にジェラルド様が居るとは思ってもみないでしょうから」
妹のシモンに押し切られてテニールはしぶしぶ承諾した。
「これはキーレン・パーキンス子爵、よくお越しくださいました」
クリンベルク将軍は、軍で指揮を取っている時以外は、常勝将軍と呼ばれているわりには至って腰の低い人だ。それが自分と家族の身を守る唯一の方法とでも言わんばかりに。
「早くお伺いしなければと思ってはおりましたが、今になってしまい申し訳ありません」
ネルガルを発つ時は、護衛の関係でかなり世話になった。
「いえ、ご無事でなによりです」
「これも全てルカ王子のおかげです」
「ルカ王子は、お元気で?」
「はい。ボイの方々は皆、大変親切でした。ただネルガルとの開戦寸前になって、私達のネルガルへの帰還は情報が漏れると言ってなかなか承諾してもらえなかったのですが、そこを殿下が骨折ってくださいまして、情報は一切漏らさないということを条件に、全員無事に帰還することができました」
「さようですか」
「そのような訳で、ボイ星の情報は何も話せませんが、もっとも私達は蚊帳の外で、詳しいことは何一つ知らないのです。ただ巷の噂ぐらいで」
クリンベルクはにっこりすると、
「私があなたにお尋ねしたかったことはボイ星でのルカ王子のご様子であって、軍事面のことではありませんので」
「さようですか」
それを聞いてキーレンもほっとした顔をした。
そこへ執事が、
「ユージンさんがお見えですが」
ユージン? どこかで聞いたことのあるような名前だが、キーレンには思い出せない。
「ここへ通して来てくれ」
「畏まりました」
暫くしてユージンが客間へ入って来た。
キーレンはその顔を見て驚く。
「おっ、お前、生きていたのか?」
ユージンはキーレンのボイ星での下僕だった。鼻にもかけては居なかったぐらいだから、勿論、名前も知らない。だがどうしてその下僕がこんな所に。否、それよりよく生きていられたものだ。確か口封じのために体内に特殊な装置を注入されているはずだが。現に、ボイから戻った下僕や下女が数名発狂して死んだという話は聞いていた。
「私は閣下のお陰で、体内に装置を注入されるのを免れましたから」
キーレンは驚いたようにクリンベルクを見る。
「本来このことは他言してはいけないことになっておりますが、あなた様はご存知かと存じまして」
「ユージン、パーキンス子爵を攻めるのはよしなさい。助けてやれなかったと言う意味では、私も同罪だ」
「閣下」
「私も極一部の者しか助けてやれなかった」
「すまなかった」と、キーレンは初めて下僕に謝る。
「殿下に頼まれていたのだ。全員帰還できるように計らったから、下僕や下女に至るまで無事に帰還させてくれと。まさかこのようなことになるとは、殿下はご存知だったのでしょうか」
「いや、宮内部の措置までは知らなかったはずだ」
「私は、殿下に合わせる顔が。あれほど頼まれたのに、私にはどうすることも」
頭を抱え込むキーレンを見て、シモンが言う。
「パーキンス様、そんなにご自分をお攻めにならないで。ルカ王子なら許してくださいますよ。下僕を下手に庇い、ボイのスパイだと思われたくなかったというあなたのお気持ち、私にもわかります。私があなたと同じ立場でしたら、やはりあなたと同じように見て見ぬ振りをしていたでしょう。私も自分の命はかわいいですか。それをしないのはルカ王子ぐらいなものです。キングス伯爵がいろいろと段取られたのに、とうとうボイ星を離れようとはなさらなかった。おそらくボイと生死を共になさるおつもりなのでしょう」
「そうかもしれんな」と、クリンベルク。
「だが、キングス伯はまだ諦めてはいない」
「どうして、それがおわかりになりますの?」
「こうやってデルネール伯を呼びつけただろう。恋文にかこつけて、二度目は送れないから取りに来てくれと、美しく育った花を、つまりルカ王子を」
あっ。とシモンもあの時の手紙を思い出す。
まだ一回目の戦いも起こらないうちから、ハルガンは二回目の戦いを憂いでいた。
「キングス伯のことだ、最後の最後まで諦めまい」
シモンはじっと父を見る。
「私の思い違いでしたのですね」
「何がだ?」と、クリンベルク。
「お父様は、ルカ王子の館を掃き溜め代わりにお使いなのかと思っておりました」
「掃き溜め?」と、テニール。
「だって、軍隊で問題を起こした者ばかり、あの方の館に送り込むのですもの。聞いていてお気の毒になりました」
クリンベルクはそれには何も答えず、話題を変えるかのようにユージンに話を向けた。
「ボイでのルカ王子の生活はどのようでしたか」
「それが、なかなか守衛たちが厳しくて、私は公達の方の配下だと思われ近づくことができませんでした。庭に何度か忍び込んだのですが、直ぐに見つかりまして。遠くからお姿を伺うぐらいしか」
「そうか」と、クリンベルクは納得する。
ルカに配属した者たちは、娘が言うとおり軍ではつま弾きの者たちだが、それは彼らに力があるため下手な仕官の下では働きたくないがための反抗。だが彼らの特徴を捉えうまく使いこなせれば、かなりの戦力になる。
「遠くから拝見した感じでは、ボイの王女と殿下はとても仲がよろしいようで、時折りお二人で池の辺を散策なされているのを何度か拝見したことが御座います。国王ご夫妻からも我が子のように大切にされているご様子で、もっとも王と言いましてもボイの王とはネルガルの王とかなりイメージが違いまして、どちらかと言えば王と言うよりもコロニーの代表者という感じです。ボイでは湖ごとにコロニーがありまして、そのコロニーにごとに王、つまり代表者がおりまして、彼らが定期的に集まっては政治や経済を話し合っているようです。ネルガルのように身分制度はなく、誰でも親しく王と話が出来るのは慣れるまでは驚きでした」
ネルガルにも身分制度があるわけではない。だが何時しか金にものを言わせ、資産を持つ者と持たない者との間には、住むところはおろか、生活様式までもが違ってしまった。いくら平等だと言われても、資産を持たない親の元に生れた子には、どこが平等なのか理解できない。勉強しないから悪いのだと言われても、その日の生活に精一杯な子供に字を覚える暇などなかった。そして彼らは、次第に化石と化した昔の身分制度を復活させていったのである。金による成り上がりの貴族も、代を重ねるごとに自惚れは本物になっていく。我々は生れた時から平民とは種類が違うのだと。我々は愚かな平民を導くために神から選ばれたのだと。
「ボイは、よい所です」
ユージンは言ってはいけないことを口にしてしまった。
はっ。と思ったが舌が止まらなかった。
「殿下が命を掛けてでも守ろうとするお気持ちが、わかるような気がします」
「ユージン、そこまでにしておけ」とクリンベルク。
ユージンはぐっとクリンベルクを見据えると、
「閣下は、あのお方を、生かしたいのですか殺したいのですか」
ユージンのその問いには、シモンも息を呑んだ。否、部屋に居た全員が一時呼吸を止めたかのようだった。
クリンベルクは暫し黙り込んでいた。
そこにボイとの戦いは互角だとの情報が入る。もっとも一般市民にはネルガル艦隊が優勢だとの情報が流されているのだが、さすがはクリンベルク将軍の館、軍務に関する情報は正確なものが入ってきていた。その被害状況も。
「データーだけを見ると、ほぼ互角ですか」と、マーヒルが感想を述べる。
将軍は、うむ。と頷くと、
「地下組織にだけは渡したくないと思っている」と、ユージンの問いに答えた。
「もし、この戦いでネルガル艦隊が負けるようなことがあったら?」
ユージンは前回の戦勝祝賀会の様子を知っている。ボイにはほとんど損害がない圧勝だった。ネルガルではキングス伯爵の作戦だと言うことになっているが、実際にあれを立案したのはルカ王子。あのお方なら、また奇跡を起こしかねない。ユージンはそんな気がしていた。何時の間にかただ遠くからお姿を拝見していただけなのに、ユージンは引き付けられていた。
「そんなことはあり得ない」と、将軍。
「どうして、そう言いきれるのですか。あのお方は」
人ではない。と言う噂をユージンも聞いていた。神なら。
「その時は、私の出番だからだ」と、クリンベルク将軍。
ユージンはまじまじと将軍を見た。
「おそらくこのことは、ルカ王子もご存知のはず。あのお方は、はなから三回戦は考えておられない。二回戦ですら、やるおつもりはなかったはず。ただボイの方々に付き合わされてしまったのだろう。それはあのお方の戦略を見れば一目瞭然だ。一回戦はおそらく二回戦を想定して、戦力を蓄えて起きたかったがため、あのような奇策を弄したのだろう。だが今回は全戦力を投入しておられる。あのお方の眼中に、三回戦がない証拠です。そして三回戦は私が指揮することも。ネルガルは負けるわけにはいかないのです」
負けたら最後、ネルガルが支配している全ての星が発起する。そしたらいくらネルガル宇宙艦隊が無敵を誇ろうと、手に負えない。
「今回の戦い、勝っても負けてもボイには後がないのです。次は私の出番ですから、今ならまだ彼を叩ける。私の方が軍備もそろっておりますし、経験も豊かですから」
クリンベルクのその言葉に、誰もが黙り込んだ。
暫しの静寂。そこにデルネール伯爵が宮内部から戻って来た。
「どうか、なさいましたか」
水を打ったような静けさにデルネールが問う。
「いや、何でもない」と言って、クリンベルク将軍はキーレン・パーキンス子爵をデルネール伯爵に紹介した。
キーレンは驚く。デルネール伯爵と言えばジェラルド王子の第一秘書。否、実権は彼が握っているとも囁かれている人物だ。そのような方がどうしてこの館に?
「それで日程の方は?」
「明日の夕刻には、ネルガルを発つことになりました」
「それはまた急な」
「私ももう少し時間があると思っておりましたが、ワームホールの関係で急遽、明日の夕刻にはネルガル星を発ちます」
そう言いながらデルネールはジェラルドを見る。
ジェラルドは体半分をねじり、椅子の背もたれ越しにデルネールを見ていた。
「デルネール伯爵、心配はいりませんよ、二人でおとなしくお留守番しておりますので、ねっ、殿下」
ジェラルドはうんうんと言う感じに首を縦に振る。
「お留守番、お留守番」と言うと、またうんうんと言う感じに首を縦に振り、
「クラークスはもういらない、今度はシモンにする」
「これは、随分シモンお嬢様をお気に召されましたこと」
「うん、シモンは優しい。お前のように怒らない」
まぁ。とシモンは思った。おそらくデルネール伯爵は怒ったりはしないだろう。ただ度が過ぎた時、忠告なされるだけ。それがジェラルド王子には怒られたように感じるのかもしれない。
「それではゆっくり行って参ります」
デルネールがそう言ったとたん、
「駄目だ、ルカを連れて早く戻って来い。ルカと遊ぶのだ、花を摘んで」
「さようですか、では、急いで行って参ります。その間、クリンベルク家の人々にはご迷惑をかけないように、おとなしくしていて下さい」
「うん」 わかった。と言う感じにジェラルドは頷く。
キーレンは驚いた。従弟だと紹介された人物が、本当はジェラルド王子だったとは。キーレンは油の切れた人形のように、首をギィギィギィギィーと王子の方に向けた。初めて対面した。この方が第一皇位継承者、他の王子とは別格。
キーレンが膝を折り深々と挨拶しようとしたら、ジェラルドは手を振り、
「ルカは元気か」と、聞いてきた。
「はい。よく王女様と庭を散歩なされておりました」
「そうか、早く戻ってくればよいのに」
クリンベルク将軍はデルネールにソファを勧めた。
「先日、伯爵から頼まれていた件ですが、この男など如何かと存じまして」と、クリンベルクはユージンをデルネールに紹介する。
「このものはパーキンス子爵の下僕としてつい先日まで、ボイにおりましたので」
「ユージンと申します。ですが、ルカ王子のお傍に寄ることは出来ませんでした。何しろ警備がきびしいもので、私は公達の仲間と見られておりましたから」
「そうでしょう、刺客もことごとくやられているようですから」
刺客と聞いてシモンは唖然とした。
「どうして?」
「ルカ王子に生きていられては困る人たちがいるのです」
デルネールは強いて誰とは言わなかった。王子が毒殺される中には宮内部も絡んでいることが多い。彼らは自分たちの思い通りにならない王子が皇帝になることを好まない。頭のよすぎる王子は暗殺される。
「将軍、あなたがルカ王子の監視として付けた親衛隊は、キングス伯を始めそうとう腕の立つ者たちばかりなのですね」
クリンベルクは苦笑するしかなかった。
「しかし、キングス伯は随分とてこずっているようですね、ルカ王子には。彼らしくもない」
「てこずるとは?」
「本来でしたらとっくに送り返していたのですよ、替え玉を立てて、それが」
その計画は一向に進んでいない。ルカ王子が思うように承諾しないのだろう。クラークスはハルガンの困り果てた顔を想像して笑った。
「何が、おかしいのですか」と、シモン。
「これは失礼。いやね、ネルガル艦隊がいくら押し寄せても、閣下でもご出陣にならない限りびくともしないキングス伯が、たった一人のそれも十歳になろうかと言う王子に翻弄されていると思うと、想像しただけで」と、またデルネールは笑った。
「これは失礼」と、デルネールは咳払いをしてから、
「ところでユージンさん、やっとネルガルへ戻れたところですのに、またボイではご家族が」
「閣下のご配慮のお陰で、ここ数日、家族とはゆっくりいたしましたので」
「そうですか、それではお世話になります」
「こちらこそ、よろしくお願いいたします」
ユージンは不思議に思った。今までいろいろな貴族と接してきてクリンベルク将軍は特別だと思っていたが、ここにも変わった貴族がいる。これ程の地位にありながらこの頭の低さ、そしてふと、ジェラルド王子を見る。彼は相変わらずにこにこしているだけだ。このような方が誠意を持って仕えているジェラルド王子とは、一体どのような方なのだろうか。
デルネールは携帯を見て時間を確認する。
「今から二時間後に迎えが見えます、それまで少しゆっくりしましょうか。ユージンさんもご家族と」
「では、お夕飯でも」とシモン。
だがジェラルドは、
「散歩、散歩」と、外に出たがる。
「もう、外は薄暗くなりかけていますよ」と言うデルネール。
だがジェラルドは聞かない。
仕方なしにデルネールはジェラルドの腕を引き、部屋を出て行く。
「今度は、ルカも一緒」と言うジェラルドの言葉を残して。
「やっぱり、デルネール伯爵の方がいいのかしら」と、シモンはがっかりしたように言う。
あれほど私に馴染んでくれたようだったのに。
「それは仕方ないだろう。デルネール伯はジェラルド様がお小さい時からご一緒だったのだから、二、三日世話をしたからと、競り合おうとするお前の方が間違いだ」
「もっ、テニールお兄様、私は別にデルネール伯爵と競り合おうなどとは」
「ユージンさん、あなたもまた暫く家族とは会えないから、食事でもされてきては」と、マーヒル。
「では、お言葉に甘えて」
「すまないな、ユージン」
「いいえ、閣下。お役に立てて光栄です」
「そう言ってもらえると助かる」
ジェラルドやユージンが居なくなり、クリンベルクは瞑想でもするかのように腕を組み目を閉じた。
「どうなさいました、お父様」
クリンベルクは大きな溜め息を吐くと、
「ジェラルド様が次期皇帝になり、その御子が次の皇帝になってくだされば、ネルガル帝国も安泰なのだが」
「しかしあのご様子ではジェラルド様に玉座は」とテニール。
「生まれながらにあの様なお方ではなかったのだ。幼少の頃は聡明な方で。ルカ王子がこの館に見えられた時、ジェラルド様を思い出したぐらいだ」
やはりあのお二人、似てると思うのは私だけではなかった。父も、とシモンは確信した。
「だが二人の兄と妹の不慮の事故、それでおかしくなられてしまった。そこへこの間の新妻の毒殺」
新婚一ヶ月だった。公の発表は病死ということになっているが、実際は毒殺。食事には随分と注意していたようだが、毒は食物からではなく肌に塗る化粧品だったようだ。
「あれ以来、どんなに宮内部から公女を紹介されても挙式を挙げようとはなさらない、死神が来ると言われて。お気が小さいところがおありだからな」
「気が小さいって、私だってそんな目にあったら、発狂するわ」
「ほんとか、信じられない」と言ってテニールは笑う。
「もう、お兄様ったら」とシモンは脹れながらも、
「よかったわ、私、普通の貴族の娘で、毒殺されることはないもの」
おいおい、どこが普通の貴族だ。クリンベルク家と言えば、我々のような中流貴族が口を利くのもおこがましいというのに。と思っているキーレンとクリンベルク家の人々の目が合う。
「あなたがおられたことを、すっかり忘れておりました。今の話は」と、マーヒル。
既に噂では公女の毒殺の話は貴族の間では知るところとなっているのだが、クリンベルク将軍が正式に認めているという噂が流れたのでは。
「わかっております、聞かなかったことに」
「すまない」
「食事でもいかがですか」
「いえ、長居をし過ぎたようです」
ここからは上層部の内々の話になるのだろう、私の様な者が首を入れるところではない。
キーレンはやっと自分の位置を自覚できるようになった。それで早々に立ち去ることにした。
「変わったな、彼、ボイ星へ行く前とは別人のようだ」
「これもルカ王子の影響ですか」
彼は人を変える。少なくともカロルはルカ王子に会って百八十度変わった。
そして二時間後、デルネルールとユージンは宇宙港へと出立した。
ジェラルドは何時までも手を振り、見送る。もう暫くは戻って来ないのがわかっているかのように。
ルカは第五艦隊を救うために陣形を変え始めた。せっかく魔の空域に誘いかけていた陣形を解き、第五艦隊が逃げるための通路を開けてやる。そして自分はそのまま殿を勤め始めた。
何も殿下自らが殿をと誰でもが思うのだが、そこがルカという人物の性格、おそらく誰が進言したところで聞く耳を持つまい。
ルカの艦隊は元々戦っていた艦隊と第五艦隊が連れて来た精鋭艦隊と二つの艦隊を相手にすることになった。数でも技でも敵の方が勝る。だが仲間の艦が目の前で炸裂するのを見ながらも、ルカの率いる艦隊はよく持ちこたえた。殿下御自ら指揮を取ってくださっているという思いがものを言わせたのか。敵の精鋭艦隊と互角に戦う。
「第五艦隊が陣形を立て直すまで、踏ん張ってください」と言うルカの下知のもと、闘志を奮い立たせた。
だがそれでも経験の差はものを言い始めた。次第にルカの艦隊はじわじわと押され、それでも敗走しなかったのはルカの指揮もさることながら、彼らにも戦争を始めたのは自分たちなのだという維持があったからだろう。第五艦隊が逃げ切るまでどうにか持ちこたえたい。
第五艦隊が完全にルカたちの艦隊の背後に回った。
「よし、私たちも魔の空域に非難しよう」
その時だった、艦に衝撃。本来重力装置で揺れを感じることのないこの艦が。
ハルガンはこの時、経験上悟った。この衝撃、もうこの艦は持たないと。
警報装置がけたたましく鳴り出した。
「脱出する! シャトル室へ急げ!」
「操縦が利きません、墜落します」
ルカはとっさに何処に? と思った。
第二の衝撃。今度は第一の衝撃のような甘いものではなかった。
艦が何かに叩きつけられてバウンドしているようだ。
スクリーンには巨大な白い物体が砂埃を上げているのが映し出されているだけ。
艦橋の計器類がその衝撃に耐え切れず倒れて来た。
とっさにルカはその装置の真下にいるボイ人の幕僚の一人を突き飛ばした。そのルカをハルガンが庇いリンネルが駆けつける。だがリンネルの目の前で計器は崩れた。
一瞬辺りが、砕け散る計器類の破片と埃で見えなくなった。
「殿下!」と、リンネルの叫び。
衝撃が収まってから、
「殿下!」と、幕僚の声。
どうやらその幕僚は無事のようだ。
見れば目の前にハルガン。自分はハルガンの腕にしっかりと抱かれていた。お陰で砕けた破片はほとんどハルガンが受けてくれたようだ。血だらけになっていた。
「ハルガン、大丈夫か」
「お前は?」
「私は」と、ルカは言いかけて、
「どこへ、墜落したのですか?」
「ハイドスだ。何だお前、知らなかったのか」
ハルガンは痛みを堪えながら苦笑する。
リンネルが瓦礫を押しのけてやって来た。
「お怪我は?」
「私は」と、ルカ。
あちらこちらと怪我はしているようだが、意識ははっきりしている。
リンネルはルカの容態を確認すると、ルカをハルガンに任せ、現況をチェックし始めた、負傷したルカに代わって指揮を取るために。
「意外に冷静なようで、抜けているな」と、ハルガン。
自分の艦の位置もわからないとは。
「まあ、無理もない、初めてだからな。推進装置をやられたせいか、ハイドンの重力圏に捕まってからは早かった。あっと言う間に引きずり込まれた」
「皆は?」
「まだ、がんばっているようだな。だが旗艦がこの様じゃ、時間の問題だろう」
「うまく魔の空域に逃げてくれればよいのですが」
そしてルカは顔を歪めた。ここで初めて全身に痛みを覚えた。ハルガンがいくら庇ってくれたとは言え、全ての破片を引き受けてくれたわけではない。当たるものは当たり刺さるものは刺さっていた。特に足に痛みが酷い。
「おい、大丈夫か」
レスターの声。彼は今回は砲術室で指揮を取っていた。艦が墜落すると同時に急いで艦橋に駆け上がって来たようだ。レスターもどこか怪我をしたらしく服に血が滲んでいる。
助かった者たちが這うようにしてルカの周りに集まる。
ルカの下半身は完全に装置の下敷きになっていた。
「おい、誰か手を貸せ」
ルカの足の上に乗っている装置を押し上げる。
奇跡的に右足は装置の窪みにはまりほとんど無傷だったのに対し、左足は原形を留めていないぐらいだった。
「こりゃ、酷い」
「オリガーを呼べ、早くしろ」と、ハルガンは自分の傷を後にして怒鳴る。
「取りあえず、止血を」と、ハルガンは自分の首に巻いてあるスカーフでルカの太ももを縛り上げ止血すると、
「止血剤と増血剤は飲んでおくか、痛み止めは?」
いらない。とルカは首を振った。
「眠くなるから」
「そうか」と、ハルガンはルカのスカーフからカプセルを二つ取り出し飲ませる。そして自分も。
「戦況は?」と言うルカに、
「このまま行くと殲滅だな」と、レスター。
「奴等も馬鹿じゃない。魔の空域への軌道を塞ぐ気だ」
ルカたちの逃げ道を断つために。
ルカは黙ってしまった。
「砲術室は?」
「全員機密服を着て外へ非難するように言っておいた」
「そうですか」
レスターはルカの無事を確認するとメインコンピューターの前に居るリンネルの所へやって来た。
「動くか?」
「どうにか。他の艦と通信はできそうだ」
「そうか、一部貸してもらっていいか」
「何するのだ」
「自己診断をやらせ、故障箇所をモニターに列挙させる」
今からそんなことをしても、修理の仕様がなかろうと思いながらも、リンネルはコンピューターの一部をレスターに渡した。自分はその隣でルカに代わって艦隊の指揮を取り始めた、殿下は負傷したが無事であることを伝えて。艦隊全体をうまく後退させて、魔の空域に非難させるのがリンネルの狙い。
程なくモニターに故障箇所が表示され始めた。
「酷いな、これでは艦の機能はほぼ停止したも同然だ、生命維持装置すら動いていない。と言うことは、早く非難しないと空気がなくなる」とケリンは、乗員が聞けば焦り出すようなことを淡々と言いながら、傷だらけの姿でレスターの背後に立っていた。
「だが、まだ動く」
えっ! と思うケリン。
「大佐、機密服を着て、全員艦外へ出るように指示してくれ。それと同時に一艦、救援に来てくれと」
そしてレスターは次の行動を開始した。レスターは小さな箱を持っている。ケリンは一目見てそれが起爆装置であることを悟る。
「それを、どうする気だ」
レスターはここへ来る前に動力室へ寄って来ていた。砲術室から動力室はここへ来る途中にある。そこに装置をセットしてきたようだ。
「まだ、動くからな、最後に賭ける。このままじゃ、全滅だからな。全滅したら奴が悲しむ」
レスターにすれば味方がいくら死のうと関係ない。そもそも奴等が好きで始めた戦争なのだから奴等の血で償えばよい。だがルカの悲しむ顔は見たくはなかった。
レスターはコンピューターの下に潜り込み配線を取り出した。新たに繋ぎ合わせる。
「機関室、まだ誰か居るか?」
『はい』と返事が返る。
「手動に切り替えてくれ、そしたら退去しろ」
ケリンはじっとレスターの手の動きを見ていた。そして何をするのか理解した。迷いのない慣れた手付き。おそらくレスターはこれを繰り返し繰り返し訓練させられていたのだろう。
次の配線に取り掛かろうとして装置のカバーをはずそうとするレスター、だが歪んでなかなかはずれない。そこへホルヘが手を貸してくれた。
「相変わらずボイ人は馬鹿力だな」
「ネルガル人が力がないだけですよ」
レスターは配線を取り出すと、また組み替え始めた。
「なっ、ホルヘ。この戦い、はなから勝算はなかった」
「知っております。殿下を攻める気はありません」
「ネルガルには敵わない。否、ネルガルは負けるわけにはいかないのさ。だから今回また間違って勝っても、次はクリンベルクが出て来る。ネルガルの全兵力を挙げて。奴が出てきたらボイもお仕舞いだ」
ホルヘはレスターのその言葉を黙って聞いていた。
「ケリン、手伝ってくれ、時間がない。ホルヘ、殿下を頼む。他の艦に拾ってもらい、ハイドスの裏側に回り込むんだ」
その意味するところは、人間魚雷、その衝撃を避けるために。
応急措置が済むと、やっとルカの頭脳も正常に動き出した。痛みは我慢できないほどではない。否、現況の方が先で、傷みどころではないというのが実情。
「リンネル、状況は?」
「後は俺たちに任せろ」と、ハルガン。
ハルガンの傷も酷いが、応急処置だけで医務室へ行こうとはしない。
「嫌だ、彼らは私に付いて来たのだ。責任は最後まで取る。彼らを魔の空域まで完全に避難させるまでは」
このガキは。と思いつつも言い出したらきかないのは百も承知。
「勝手にしろ!」と、ハルガンは投げ出した。
ここでどうのこうのと言い合っている場合ではない。とにかくこの現状を脱却しなければ。
ルカは勝手にさせてもらうという感じに視線をハルガンからリンネルの方へ移す。そして装置の下で蠢いているケリンを見た。
「ケリン、何をしているのですか?」
ケリンは返事に窮した。
「俺本来の職務を手伝ってもらっている」と、レスター。
本来の職務? ルカはとっさに何を意味するのか理解できなかった。数秒の後、ルカの顔は青ざめた。それでなくとも出血が酷いというのに。
「駄目だ!」
レスターは敵艦に体当たりして、反動力モーターを開放する気だ。そんなことをしたら敵は殲滅するかもしれないが、レスターの命も。
「駄目だ、それは、許さない」
レスターは暫しルカを睨み付けていたが、背を向けるとまた作業にかかった。
「レスター、止めろ! ケリン!」
ケリンはためらい作業の手を止めた。
「ケリン、続けろ、時間がない」
「ケリン、よせ!」
ルカは必死で怒鳴る。
レスターは舌打ちすると作業の手を止めルカの所へ行き、ルカの頬に手をあげた。
バッシという音。
「全員、殺す気か! それでも司令官か!」と怒鳴る。
レスターにしては珍しいほどの大声。だがその後直ぐにルカの前に跪きルカと視線の高さを同じにすると、幼児をあやすかのような優しい声で、だがその内容は子供には到底聞かせるようなことではない。
「曹長に教わらなかったか、戦争とは最小限の犠牲で最大限の利益を得ることだと。俺一人の命と艦隊の命、どちらが重要だ」
ルカ個人としては艦隊の命よりレスターの命の方が遥かに重要だった。だが司令官としては。
ルカは唾を飲んだ。
レスターは軽く笑い、
「こんな簡単なことも決断できずに、司令官面するな」
レスターは通信機をルカのところに持って来ると、全艦隊に指示を出すように言う。
「オペレーター、通信の準備をしろ」
ルカが痛みで顔を歪めると、
「代わりに私が」とオペレーター。
だがレスターは駄目だ。と断る。
「これはこいつがやることに意義があるんだ。司令官が無事でしかもきちんと指示が出せるということは、全員の士気を高める。ほら、早くしろ十分だけ待ってやる。その間に全艦隊をハイドスの裏側に避難させろ。どうせこの艦が動かすには十分ぐらいかかるからな」
「この艦を動かす気か?」
ハルガンは呆れた顔をして問う。
「当然だ。ここで爆発させても意味がない」
否、ここででもそうとうな威力だ。とハルガンは思ったが口には出さなかった。
「奴等の、ど真ん中に行かなきゃな」
「どうやって?」
「前方のシールドに全エネルギーを集中させる」
敵の全艦から一斉射撃を受ける。それは想像を絶するエネルギーだ。シールドが持ちこたえられるところまで近づくというのか。
ケリンが一生懸命修復しているのを見て、
「何、やっているのだ」と、レスター。
「生命維持装置を、この部屋だけでも」
現に部屋の酸素濃度は低くなり室温も下がって来ていた。
「そんな暇があったら、少しでも推力があがるようにしろ。この部屋の酸素は後十分持てばいいんだ。お前等が出て行けば、そのぐらいは充分に持つ」
レスターは通信機をルカに渡した。
「早くしろ、敵が散ってからでは意味がない」
今、一団となっているところが狙いだった。敵に打撃を与えるには。
ルカはレスターを見た。顔は涙でぐしゃぐしゃだ。
「オペレーター、映像はいらない、音声のみだ。こんなみっともない顔、スクリーンに映せないからな」
ルカは片手に通信機を受け取り、もう片方の腕で涙を拭うと、通信機に向かった。
「私は無事だ。全艦、ハイドスの第三クレター上空に集結しろ」
そして近くの艦に救援を求めた。
すると直ぐに通信が入った。
『連絡、お待ちしておりました。既に上空で待機しております』
一艦が司令官の無事を祈って通信を待ち続けていたようだ。ゲートが開き、無数のシャトルが飛び出して来た。
ルカはそれをモニターでチェックすると通信を切った。
「それでこそ、司令官だな」
ルカは涙で滲んだ視力でじっとレスターを見詰める。レスターの顔をよく覚えておきたいのに、涙が邪魔で見えない。
時間がないと、自分の仕事に戻ろうとするレスターの服を掴み、顔を押し当てて声を出して泣き始めた。ひとしきり泣くと、感情の昂ぶりも収まったのか、静かになる。
レスターはルカを起こすと両手で涙を拭ってやり、
「そのぐらいの怪我で大声を張り上げて泣くようでは、ネルガルの皇帝にはなれんな」
「私は、皇帝になる気はない」
ルカの強い意思。
「そうか、まあ、お前が何になろうと、俺はもう見ることはないから関係ないが、この期に及んで、一つだけボイを助ける方法があるのを知っているか」
ルカは知らないと首を振る。今はそんなこと考えてはいられなかった。
「お前がネルガルの皇帝になることさ」
一瞬、艦内が静まる。レスターは謀反を奨励している。
そこへ、確かに。というハルガンの同意と笑い。
ケリンたちも笑い出した。お前がその気なら、俺たちも手を貸すと。
レスターは軽く笑うと、
「喧嘩とは、最後に立っている奴が勝ちなんだぜ」
レスターは首から自分の識別番号の記されたプレートを鎖ごとはずし、ルカに渡す。
「死体を回収する必要もないから、お前に全部やるよ」
本来は片方を首に残しておくもの。戦争終結後、死体を回収する時の目印に。
レスターはルカの前で立ち上がると、
「早く行け。お前等が居ると、この部屋の酸素量が減る」
全てのエネルギーが推進力とシールドに蓄え始められたようだ。部屋の重力が少し弱まったような気がする。
ボイの艦隊はネルガルの包囲を避けつつ魔の空域を利用して、次第にハイドスの裏側に移動し始めた。
リンネルはそれをモニター上で確認すると、指揮を別の艦へと委譲した。自分たちが脱出する間。
リンネルがルカの元へ駆け寄り、抱きかかえようとした時、
「私が」と、ホルヘ。
「私の方が力がありますから。力のある者に抱えられた方が、殿下も楽でしょうから」
医療用カプセルもあった。だが艦内がどうなっているかわからない以上、やはり一番頼りになるのは人力だ。どんなに瓦礫が積み上げられていようと、どうにか通れるものだ。
ルカは薬が効いてきたせいか、おとなしくなった。ハルガンは止血剤と増血剤以外に痛み止めも混ぜて飲ませていた。
レスターはルカたちの後姿を見送り、また作業を始めた。
「お前も、もういい」とケリンに。
「もう少し、手伝わせてくれ。二人の方が早いだろう。それより、自動操縦にしたらどうだ。それならお前も」
「無理だ。故障箇所を見ただろう。既に全ての機能が停止している。後は手動で騙し騙し動かすしかない」
「やはり、そうか」
ケリンも機械には詳しい。一目でそう解っていたのだが、訊かずにはいられなかった。
二人は暫くもくもくと作業にぼっとうしていたが、ケリンがふと気付くと、レスターは鼻歌を歌っていた。曲は竜の子守唄。
ケリンは驚いたようにレスターを見る。
レスターは苦笑しながら、
「俺はもともとこのために訓練されて来たんだ。誰だか知らない奴の名声をあげるために死ぬより、俺のために泣いてくれる奴の役に立てて死ねるのだから、こんな光栄なことはない。奴に言っておいてくれ、俺の死で自分を責めることはないと。お前のお陰で俺の人生は楽しかったと、これはほんの細やかな俺からの礼だと。それに俺は死ぬのではない、彼女の所へ行くのだ。以前話したことがあるだろう、俺を呼ぶ少女のことを」
洗脳、死を怖がらないための。ケリンが解除してやろうかと言ったのに、レスターは断った。
「そうか」と、ケリン。
「そろそろお前も行け、ここで二人死ぬことはない。五分だ、五分あればハイドスの裏側に回り込めるだろう。そしたら俺は、浮上する。ハルガンが高速シャトルで待機している」
「えっ!」と、ケリンは驚く。
「早く行け、奴は気が短いから」
立ち上がりかけたケリンに、
「ハルガンに後は頼むと言っておいてくれ。負けてもこの勝負、互角には持って行く。奴等だけ笑わせることはさせない」
作業に取り掛かって片手を上げるレスターに、ケリンは最敬礼をした。そのまま踵を返す。
レスターが言ったとおり、格納庫でハルガンが待っていた。
「こっちだ、ケリン」
ケリンが飛び乗るとシャトルが滑走し始めた。
「よし、これで完了だ」
レスターはモニターでケリンを乗せたシャトルがハイドスの裏に回り込むのを確認して、反動力モーターを始動させた。浮上してくれよ。という願いとともに。
ルカを救出してくれた艦にハルガンたちは乗り込むと、艦橋から衛星を使ってレスターの乗った艦が浮上するのを見た。
「まじかよ」と、ハルガンは我が目を疑った。
それも無理はない。浮上したのはいいが、外壁がぼろぼろとハイドスの引力によって剥がされて行く。まるでくず鉄の塊だ。
「私も、半信半疑でした」とケリン。
レスターの指示で配線を組み替えたものの、動くとは思わなかった。
「あれで、走行できるのか?」
ハルガンのその問いにケリンは首を傾げただけ。
ある意味、レスターの執念で動いているようなものだ。
この映像は医務室に居るルカのモニターにも映し出されていた。ルカがどうしてもと言うもので。
「動きましたね」と、ホルヘ。
ルカは黙っていた。
そしてその頃、先行部隊に遅れること半日、最後のワームホールが開いた。
コンピューターが三次元に対応した時、カロルが見たものは激戦の後。どれが味方の艦でどれが敵の艦だか判別が付かないほどの戦艦の残骸が、宇宙空間狭しと散らばっている。砲術室のモニターが映し出した光景は、それは悲惨なものだった。
「既に全滅か」
「俺たちの出番はなさそうだな」
カロルは拳をにぎりしめた。生きててくれよと。
そして約十五万キロ前方、魔の空域に逃げられ、その手前でたじろいでいる味方の艦影。
「合流する」という司令官の指示。
だがその時、レーダーが乱れた。スクリーンの映像が消える。
「妨害電波か?」
オペレーターがいくら操作しても映像は回復しない。通信も取れない。
「どの回線も無理です」
レーダーが使えないことには動きが取れない。
蛆が這って歩っているようなジリジリした映像を暫く眺めていた司令官は、不思議なノイズに気付く。
ノイズ? 否、これは人の声だ、しかも女。
「誰かを呼んでいないか?」と言う司令官の疑問に、オペレーターたちはノイズに耳を傾けた。
(カロル、カロル)
「女性の声のようですね」
「誰かを呼んでいるようです?」
「誰を?」
「カロル」と、オペレーターの一人が言う。
その名を聞いて司令官の頭の中に真っ先に浮かんだのは、クリンベルク将軍の三男坊。そして彼は今、この船に二等兵として乗船している。
「誰でしょう?」と言うオペレーターの疑問に対し、
「この船の中でカロルと言えば」
「ありふれた名前です。将官クラスにも何人かおりますが」
「砲術室にいるカロル二等兵を呼んで来い」
「はっ?」
誰も心当たりがなかった。
これがボイ星からの通信ならば、彼以外を名指して呼ぶはずはない。
だが呼びに行く必要はなかった。カロルは既に艦橋の入り口で扉が開くのを待っていた。
扉が開くや否や、
「どけ! 邪魔だ!」
カロルは目の前に立っている連絡兵を突き飛ばす。
艦橋の兵士たちが身構える、敵のスパイでも乱入したかと。
「ここは、お前のような下級兵が来るようなところではない」と、数人がカロルの前に立ち塞がる。
「よい、通せ」
「司令官」
カロルは司令官の許可が出るや走り込み、スクリーンの前に立った。
ジリジリとしたスクリーンに呼びかける。
「貴様、何者だ。何故、俺を呼ぶ」
スクリーンに映像が映る。とぐろを巻き鎌首をもたげた白い蛇。だがその映像はカロル以外の者には見えない。
「白蛇」
白蛇はじろりとカロルを睨み付けてから、
(今回はお前に免じてこの艦隊は許す。じゃきに、早々に奴を助けに行け)
「奴は、生きているのか?」
(当然じゃ、わらわが付いておるのじゃから)
「何処にいる?」
カロルと白蛇の会話。だが艦橋の中の者たちにはカロルの独り言のようにしか聞こえない。
「誰と、話しているのだ?」と、司令官に問われ、
「白い蛇」とだけカロルは答えた。
(わらわに付いて来い)
付いて来いと言われても。とカロルが思った瞬間、脳裏にジャイロが浮かび上がった。そしてその針の指す方向。
カロルはジャイロの所へ駆け寄り、それを見た。
「あの小惑星の裏側か」
だがその瞬間、針が動いた。
「なっ、何?」
針はまるで反対の方向を指す。
「からかっているのか?」
(命は欲しかろう。この空域から全速力で離れろ。後五分後に、この空域は爆発する)
「なっ! なにー」
カロルは焦った。
「どうした?」と、司令官。
「この空域が爆発するそうだ。命が欲しければジャイロの示す方向に逃げろと」
「信用できるのか、その情報。逃げた先に」
罠が待っているのではないかと司令官は疑った。
「大丈夫だ」と、カロルは自信を持って答える。
「あの蛇はボイとは関係ない。あの蛇の目的はただ一つ、奴の救出だ。それには俺たちが必要。だから奴を救出する前に俺たちを殺すことはない。救出した後はわからんがな」と、カロルは苦笑する。
「そうとう怒っているみてぇーだから」
だが他の艦に連絡がと思った瞬間、レーダーが回復した。
「全て、正常に戻りました」と、オペレーターの驚いた声。
どんなことをやっても修復できなかった通信網が、まるで何事もなかったように。
「通信回路を開け」
「準備完了」
「全艦に告ぐ。小惑星ニクスに向かって全力前進。小惑星ハイドスから離れろ!」
そして五分後。
警報装置の赤い回転灯が崩れた艦橋を照らし出す。レスターは起爆装置を大事そうに胸に抱えると、ルカが腰掛けていた指揮シートに腰を下ろし、目の前のスクリーンを見た。そこには魔の空域の手前でたじろぐネルガル艦隊の姿が映し出されていた。
「もう直だ、もう直お前に会える」
レスターの見ているものはネルガル艦隊ではなかった。
「お前が幽霊なら、俺ももう直ぐ幽霊になれる」
レスターを乗せた艦は、まるで夢遊病者のようにふらふらとネルガル艦隊に近づいて行った。
だがそれを見逃すネルガル艦隊ではなかった。数十の砲が、レスターの艦に狙いを定めた。
撃て! と言う合図とともに数十条の白い閃光が伸びてくる。
「駄目だ! あのエネルギーの量では、シールドは三十秒ともたない!」
ケリンが叫ぶ。
だが閃光が交わろうとするその瞬間、艦が消えた。
粉々になるのではないかとスクリーンの前で顔を覆ったものもいたが。
「なっ! 何だ?」
「消えた?」
「テレポートだ」
「奴ははなから、この手を使うつもりだったのか」
そして次の瞬間、レスターを乗せた艦はネルガル艦隊の中央に現われた。
レスターは夢を見ていた。矢車草の花畑。追いかけても追いかけても遠ざかる少女の影。だがその少女が振り向いた。
「やっと、振り向いてくれたな」
レスターは微かに笑む。そして起爆装置に手を掛けた。
超新星のようなエネルギーの翻弄。そのエネルギーはネルガル艦隊全てを飲み込み数秒で消えた。そしてその後には、まるでブラックホールを思わせるかのような何もない空間。かろうじてその周辺に艦の残骸。その衝撃は小惑星ハイドスを周り込み、背後に非難していたルカたちの艦にもパルスを注ぎ、瞬間だが計器類を狂わせた。
誰も一言も発せなかった。
ルカはベッドに沈み込みそのまま目を閉じる。何かが頬を伝わるのを感じた。だが抗いきれない薬の作用で、そのまま深い眠りに付いた。
「やっと、お休みになられましたか」と、オリガー。
ホルヘがそっと頬の涙を拭う。
本当はこの場面を見せないようにとハルガンに言われ、睡眠薬を投与したのだが、一向に効いてはこなかった。
レスターは自分の体が浮遊しているのを感じていた。これが、あの世なのか?
(レスター、レスター)
レスターは自分を呼ぶ声で目を覚ました。
この声、以前にも聞いたことがある。
(お前は、誰だ?)
(ご苦労だった。呼ぶまで眠るがよい)
お前は誰だ。と、もう一度問いたかったのだが意識が遠のく。
レスターの意識はそのまま深い眠りのホールへと吸い込まれていった。
そしてその衝撃はカロルたちの艦隊をも襲った。
波動の波に翻弄される艦、隣の艦に接触したりぶつかったり、だが大した事故には至らなかった。しかしカロルを乗せた旗艦も例外ではなかった。隣の艦と軽い接触をし、その衝撃が艦内まで伝わる。
「今の衝撃は、何でしょうか?」と、幕僚のひとり。
「反動力モーターを開放した馬鹿がいるようだ」
まだ三十歳中と若いがクリンベルク将軍の旗下で、豊富な経験を積んだドイル・パソフ・ハロルド司令官は瞬時に思った。何度かこのような経験はしたことがある。命からがら避難したことも。今はクリンベルク将軍の旗下には属していないが、内々に息子のことを頼まれていた。無論、カロルはそれを知らない。
カロルはジャイロの装置に突っ伏しながらスクリーンを見る。そこには白蛇が映っていた。
(大丈夫じゃったようじゃのう。じゃが、もう一度奴に銃口を向けてみろ、今度はお前等もあの二の舞じゃ)
「蛇とは一体、誰のことですか」と、幕僚。
だがルカは何も答えず、ただノイズでチラついているスクリーンを凝視しているだけ。
幕僚は自分が無視されたと言うよりも、彼に自分の声が聞こえていないように感じ、仕方なしに司令官に彼のことを訊く。
司令官パソフは、ただ肩をすくめて見せただけ。
カロルが誰かと話していることは、艦橋の誰もが知るところなのだが、その相手はわからない。少なくともその相手は、我々に敵意はないと言うだけ。さもなければ反動力モーターの開放からこの艦隊を救うはずがないから。
「司令官、小惑星ハイドスに向かってくれ、ただし敵艦隊と遭遇しても砲口は開くな。開けば俺たちもあの二の舞だ」
「しかし、やらなければやられる」と、幕僚。
「投降を促せ」
「彼のお方がおられるのですか?」
カロルは訝しげに司令官を見た。まるで敵対するような目。全身の神経を尖らせ、これに関しては、誰も信用しないという感じだ。
「奴はお前等には渡さん。俺が連れ帰る」
決意だった。もう奴を、誰にも利用させない。俺の館に住まわせる。どうせ葬儀も済んでいるのだから、奴の居場所はネルガルにはない。俺の館で静かに暮らせばいい。
ネルガル艦隊はほぼ全滅だった。だが旗艦は後方にいたせいか、辛うじてその一体が残っていた。
「ちぇっ、指揮官はまだ無事なようだな」と、ハルガンは舌打ちする。
「攻撃して来るでしょうか」と、幕僚の一人。
見れば生き残ったとは言え、どの艦もかなりのダメージを受けているようだ。
ハルガンは首を傾げる。
「とりあえず」と、リンネルが指示を出そうとした時、
「敵艦の背後に、新たな敵艦影、発見」
「なっ、何!」
ハルガンは食い入るようにスクリーンを見た。そして確かに。と納得せざるを得ない。
全艦無傷ということは、新たな敵。
「最後のワームホールが開いたようですね、小さかったので、誰も気に留めていなかったようですが」と、ケリン。
だがルカは知っていた。ケリンがそのことを報告すると、小さいから気にしなくともよかろうとのことだった。慎重な殿下にしては珍しい。
「全艦、戦闘準備、そのまま待機しろ」
艦内に緊張が走る。
レスターの追悼をしている暇もない。
「これじゃ奴、祟って出るぞな」
「彼のことですから、心にもない追悼をするぐらいなら、ほっといてくれと言うのではありませんか」
「違けぇーねぇー」とハルガンは苦笑した。
医務室で、ルカが呻くように動いたのに気付いたホルヘは、
「痛みますか?」と、声をかける。
ルカはホルヘの存在に気づくと、
「リンネルは?」と、尋ねる。
「大佐でしたら、あなたの代わりに艦隊の指揮を」
それでホルヘが付いていてくれたようだ。
「そうですか、済みませんが大佐を呼んで来てくれませんか」
ルカが意識を取り戻したのを知り、リンネルは副司令官に指揮を任せ、ハルガンと駆け付けて来た。
「ご気分は?」と訊くリンネルに、
「今の戦況は?」と、ルカ。
レスターのお陰で敵はほぼ壊滅状態であることを告げる。
「そうですか」
ルカは暫し視線を空中に泳がせていたが、
「カロルが来ます」
「カロル坊ちゃまが?」
「まさか、クリンベルク将軍が動き出したのか」と言うハルガンに、ルカは首を軽く横に振った。
「降伏を。それとこの戦いは、私が命欲しさにボイ人たちを利用したと、宮内部には伝えてください」
そう言うとルカは、また深い眠りに落ちて言った。
「目が覚めるとは思わなかった」と、オリガー。
薬が切れるにはまだ時間が早すぎる。
「よほどこのことを伝えたかったのだろう」
ここはルカの邸。ルカたちが戦艦に乗り込むのと時を同じくして、クリスとケイトはルカに頼まれたことを実行に移した。
殿下からの大切な託があるということで、国王夫妻、宰相夫妻、それにシナカに集まってもらったクリスとケイトは、マルドックスの商人アモスの前で、ルカからの内々の戦略を打ち明ける。
「つまり我々に彼の船で、この星系から離脱しろと」
「はい、とりあえず一時安全なところにほとぼりが冷めるまで避難された方がと」
「あなた方の身柄は、ハルメンス公爵が保証するそうだ」と、アモス。
「無論、他のコロニー代表者たちもご一緒に」
「そうすれば一時、ボイがネルガルの手に落ちても、また再考することが出来ると」
「それは。どうかな」と言ったのは国王だった。
「確かに、私達の命は助かるだろう。しかし国民を捨てて逃げ出した国王に、戻って来たからと言って国民がまた以前と同じように仕えるだろうか」
「私でしたら、仕えないわ」と、王妃。
「一番苦しい時に、逃げ出した指導者など、もう指導者ではありませんから」
「しかし」と、クリス。
「指導者がいなければ、国は再興できません。この戦争責任は必ず取らされます。それがネルガルのやり方です。ネルガルは自分たちに楯突くものを断じて許しません。指導者は、おそらく死刑」
シナカは息を呑んだ。
「我々が避難している間に、この星には新しい指導者が生れます。戦後は彼らが中心になって星を再興していくことだろう。我々の存在は不要になる」
「とにかく、その議論は後にして、今は時間がないのです。私も同行いたしますので」
王妃はクリスの背後に控えているケイトに視線を移した。ルカにそっくりな人物。ネルガルの服を着て黙って立っていられると、ここに来たばかりのルカを思い出す。右も左もわからず、それでもボイに早く馴染もうと努力されていた。
「あなたは、どうなされるのですか」
「わたしですか」と、ケイト。
本来ならこの様な身分の方たちとは言葉を交わすこともない身だったのが。
「私もクリスさん同様、あなた方のお世話をするように言い付かりましたが、ここに私が居ないのは不自然だと思いまして、残ることに致しました」
「おそらく彼らにボイ人を見分けることは出来ません。それはボイ人にネルガル人を見分けることが出来ないのと同じ理由です。ですから、彼が指差した人物が国王となります」
「つまり、その者に私の身代わりを」
「頼むようなことになるかと思います」と、クリス。
「殿下は、魔の空域で戦死するおつもりのようでしたが」
それを聞いてシナカは青ざめてしまった。立っているのがやっとと言う感じにルイにもたれかかる。
「ですが、曹長が力ずくでも戦線から離脱させ、あちらはあちらでやはり星系外へ避難させるおつもりらしいので、うまく行けば後で会えるかと存じます」
暫しの沈考。
「陛下」と、クリスは声をかけた。
ぐずぐずしてはいられない。ネルガル艦隊が攻め入る前に、ここを脱出しなければと、焦るクリスに対し、国王は落ち着いている。
「やはり、私は残ろう」と、国王は物静かに言う。
「陛下!」
クリスは驚いた。
「おそらく、他の指導者も同じだと思う」
「ボイの方々は、出直すということはお考えにはならないのですか」
「国民を見捨ててまではな」
「全員、処刑されますよ」
「それでも」と、国王。
既に国王はこの開戦の前に腹を決めていたようだ。
クリスは黙ってしまった。これでは殿下との約束がはたせない。
「ケイトさんも既にご自身の命を捨てておられる。こんな子供でも覚悟ができているというのに、私達おとなが逃げ隠れしていては、国民の笑いものです」
「ですが、あなた方と私とでは命の重さが」と、ケイト。
「同じです」と、王妃。
「ネルガルではどのような教育をなさるのか知りませんが、少なくともボイでは命の重さに差はありません。増してあなたは子供、これから賢人と巡り合い、徳を積み、立派なおとなになる過渡期にある身、まだ自分の命を他の者と比べる段階にある身ではありません。そのような言葉は、もうこれ以上成長できないと思った時に口にしなさい、自分より勝る相手の前で」
ケイトは唖然としてしまった。国王夫妻が、自分をこのように見ているとは思わなかった。これがボイの教育方針なのか。国王と言うが世襲ではない。ネルガルの概念からすれば、代表者と言うのが正しい。国民から選ばれた人たちなのだ。国民を見捨てるわけには行かないのは当然だ。
「わかりました、それでは私も一緒に戦います」と、ケイト。
「それは、なりません」と、王妃。
「あなたとクリスさんは、アモス船長と一緒に行きなさい」
「王妃様、お言葉ですがそれはできません。私達は、殿下からあなた方のことを託されたのです。お残りになられるのでしたら、私も残ります」
王妃はやれやれと言う顔をした。ルカもあれでなかなか頑固なところがあるが、どうやら部下も主に似ているようだ。
「実は、頼みがある」と言い出したのは国王だった。
「前々から誰に託そうかと悩んでいたのだが、丁度よい、君たちに頼もう」
「何をですか?」
国王はシナカに件の箱を持って来るように言った。ルカに渡すようにとシナカに託しておいたものなのだが、ルカがここへ戻って来ない以上、ここに置いておいても意味がない。
シナカは箱を国王の前に置く。
「これを、ルカに届けてもらえないか」
国王は箱の中からペンラントを取り出した。中央に巨大な宝石がはめ込まれ、周りを十二の宝石が取り囲んでいる。だが一つだけ石が欠けていた。
だがそれを見た瞬間、アモスは唾を飲んだ。一目でその値打ちはわかった。何しろ銀河を股にかけている商人だ。
「こりゃ、凄い。だが、欲しいな、欠けていなければ。しかし十一個の宝石と中央の宝石だけでも、そうとうな品だ」と言った時、
国王が首から下げているペンラントをはずした。その中央には一つの宝石。国王はその宝石をはずすと、一つ欠けているところにその石を入れた。これで完全なペンラントになった。
「本当は、ルカの目の前でこれをやろうと思い、一つだけ取っておいたのです。これを見せただけであの子なら、このペンラントの意味が理解できただろうと思い」
「確かに」と、クリスは言った。
「この十二の花弁は、コロニーを現しているのですね。そして本来この宝石は、そのコロニーの代表者が一つずつ持っている」
今、国王がはずしたようにして、ここに宝石が集められたのだ。
「そういうことだ。これは代表者全員の合意がなければできない。そして全員がルカをボイの絶対的な代表者として認めたということだ」
「つまり殿下を唯一のボイ国王として?」
「そういうことになる」
「そのペンラントは、持つべき者が持てば、その中央の石に竜神様のお姿が現われるといわれているの」と、シナカ。
「議会で、戦後のボイを託せるのは彼しかいないと言うことになった。君たち二人でこれを、ルカの元へ届けてくれ」
クリスはそのペンラントを丁寧に元のように紫の袱紗に包むと、箱に仕舞い、アモスのもとに持って行く。
「聞かれましたか、そういうことです。これを殿下のところへ。謝礼は殿下から頂いてください」
国王夫妻は驚く。
「私は君たちに」 頼んだのだ。
「私達には殿下からの命令が御座います。それはあなた方の身の安全。くれぐれもと頼まれましたから」
「処刑になる身だ」
「それはわかりません。それはそれで後で考えれば」
「クリスさん。あの子の心を推し量れませんか」と、王妃は優しく問う。
「殿下の心?」と、クリスは首を傾げた。
「どうしてあの子があなたとケイトさんを私達の護衛に選んだか。それはあなた方が一番若いから。この戦場から無事に脱出できるようにと」
それを聞いてクリスははっとした。
「そういうお考えだったのではありませんか」
「王妃様、こう見えても私は殿下より年上なのですよ」
「存じております。ルカは私達に隠し事はいたしませんから」
自分の行動に誤解があってはと、ルカはネルガルの階級のこと、思考パターンのことなど、よく説明してくれた。ハルガンさんなどに言わせれば、こいつは変わり者だから、こいつの言うことはあまり当てにしないほうがいい。などとからかわれながらも。
「では、私より年下の殿下が逃げずに戦場におられるのに、私達が先に逃げるわけには参りません」と、ケイトは強く出た。
クリスは王妃の考えに同調しながらも、
「そうかも知れませんね、殿下の考えそうなことです。ですが、王妃様が国民を見捨てられないように、私達も殿下の命令だけは遂行したいのです。もし後でお会いした時、堂々と胸が張れるように」と言い張る。
結局、どちらもここを動く気はないようだ。
まったくどっちもどったちだ。と思いつつ、アモスは成り行きを見ていたが、そうも悠長には構えていられない。そろそろ行くのか行かないのかはっきりしてもらわないと。
「それで、結論は」と問うアモスに、
「その箱を頼みます」とクリス。
アモスは受け取った箱を暫しじっと睨み付けていたが、
「もしもよ、もしも」と言って、アモスは言葉を濁らせた。
「何ですか、アモス船長」とシナカ。
王女に訊かれてはよけい言い辛くなってしまったのを、ぐっと胸の奥にねじ伏せ、
「縁起でもないことを言うようだが、戦争なのだからありえるだろう。もしも、渡そうと思っても渡せなくなっていたら」
つまりルカが戦死したら。
シナカはアモスが言わんとすることを瞬時に理解することは出来なかった。だが、国王は、
「その時は、ボイの十ある湖のどれかに投げ入れてくれ。そうすれば必ずそのペンラントは、持ち主のところへ戻ると言われている」
「その言い伝えって、殿下の笛と同じですね。あの笛も持つべき者が現われるまで、湖底で眠っているそうです」
「ええ、それもあの子から聞きました。まるでこのペンラントのことを言っているかのようで、不思議でした」
ナオミ夫人の村の伝説とボイの伝説、殿下でなくとも共通点が余りにも多すぎると思う。
「アモス船長」と、国王。
「運賃は、前払いにしておこう。払えなかった時は君たちに迷惑だからな。幾らだ」
「いや、俺は前払いというやり方は取らないんだ。仕事が終わってから請求するよ」
「しかし、それではもし私達が」
「誰かしら居るだろう、例えば宰相とか」
「悪いが、私達もここに残ります。子供たちを置いて自分たちだけ避難はではない」
とはいうものの、宰相夫妻も代表者だ。やはり自分たちを指導者として選んでくれた国民を置いて、自分たちだけで避難はできないようだ。
「まあ、それでも誰かしらいるさ」とアモス。
アモスももう運賃のことはどうでもよくなっているようだ。ここに副船長のイヤンでも居れば、それはそれ、これはこれできちんと運賃をいただいていただろうが。後の祭りだ。船に帰ってからもめる。こんな危険な物を預かっておきながら、運賃の交渉をしてこなかったのかと。
アモスは苦笑しつつも、箱を大事そうに抱え込むと、
「俺がただ働きにならないためにも、生き抜いてくれよ」
トリスたちは執務室でリンネル大佐からの通信を受けた時、覚悟を決めた。とにかく、国王ご夫妻とシナカ様だけは守らなければ。
「レスターさんがやられたって、本当なのですか」と、クリスが慌てて走り込んで来た。
そこには宰相を始め国王夫妻、シナカも同席している。
「レスターさんが」と、シナカは息を呑む、その後の言葉が出てこない。
皆から怖いと恐れられていた彼だが、彼を理解するに従い、シナカは彼を怖いとは思わなくなっていた。本当はとても優しい人なのではないかと。少なくとも彼がルカを見るときのあの目は、とても優しい。あんな目が出来るのですもの、絶対悪い人ではないわ。
「奴一人で、ネルガル艦隊の半分近くを片付けたらしいぜ」
誰もが黙り込む。
「だが、これまでだ。敵が着陸するのも時間の問題だ。そろそろ覚悟したほうがいい」
国王は頷く。
「無条件降伏ということになるが、話し合ってもらえないか」
ボイ人の指導者たちが納得しない限り、降伏はできない。
「とにかく、コロニーの人々に、いつでも防空壕に避難できる準備をしておくように、言っておいたほうがいいな」
どのコロニーの近くにも、地底都市を彷彿させるような防空壕がある。ルカが一時、クーデターにより幽閉されたのも、そこ。
ルカはこの洞窟の調査をしながらクリスたちに語った。おそらくボイは過去に大きな戦争を経験している。見れば体つきもネルガル人より戦いに向いているようだし、腕力もある。おそらくその戦いによって星が砂漠化してしまったのではないかと。そして何もかも失ってしまったボイ人の前にイシュタル人が現れた。それは偶然だったのか必然だったのかはわからない。偶然ならおそらく宇宙船の走行トラブルだろう。助けてもらった礼として彼らはボイに水と文明をもたらした。喧嘩をしないと言う条件のもとに。
だが今は、その洞窟が役に立つ。
魔の空域で取り逃がした敵艦は、小惑星地帯で激戦を繰り広げた結果、母星ボイへと向かっていた。
レイは小惑星を利用して神出鬼没に艦隊を操り攻撃をかけたのだが、やはり戦争に慣れているネルガル人と初めて戦争をするボイ人とでは、その反応の差は歴然としていた。同じ数では勝てない。そしてサミラン率いる五つの月での艦隊戦も、難なく交わしたネルガル艦隊はボイ星への入り口、宇宙港の占拠に取り掛かった。
「やっと、本星が見えてきました、閣下」
「ああ、素人どもに、ここまで手こずらされるとは思わなかった」
「やはり、ハルガン・キングス伯爵の」
「策謀とでも言いたいのか」と、閣下と呼ばれた男は唾を吐いた。
ゴードン・カーティス・クンツ、元ハルガンの上官で、今回は最前線の指揮を後方の方で取っている。中肉中背で見た目的にはハルガンと見劣りするところはないのだが、何故か矮小な心というものは表に出てくるものだ。それが外見を歪めている。
見ていろよ、今度こそお前のその生意気な面を。
宇宙港に降り立ったカーティスは、全員を一角に集めさせた。
「ネルガル人は、一人も居ないのか?」
「そのようです、閣下」
「奴等、何処へ隠れた?」
我々に訊かれてもという顔をする部下たち。
一角に集められたボイ人たちをカーティスはモニターで見ながら、
「どいつもこいつも同じ顔をしていて、見分けが付かないな」と感想を述べた後、
「この宇宙港の指揮官を私のもとへ連れて来い」
「畏まりました」
指示を受けた幕僚の一人が、ボイ人たちが集められているドームへおもむき、指揮官は誰かと尋ねた。だが、返答はない。
幕僚は隣に立つ護衛に顎をしゃくって見せた。それが合図かのように、その護衛は持っているレーザー銃を構えると、目の前のボイ人を撃った。
一瞬の出来事だった。そのボイ人は声を立てることもなく、前に突っ伏すと見る見る白く変色して言った。
「へぇー、ボイ人は死ぬと白くなると聞いていたが、本当なんだな」と、笑う。
殿下が言っていた。あなた方はネルガル人の本当の怖さを知らないのだと。彼らはネルガル人以外を人だとは思ってはいない。よって、害虫を駆除するかのように簡単に殺すと。
今殿下の言葉がボイ人全員に蘇った。あなた方は、私達を見てネルガル人を判断してはいけない。ネルガル人はもっと冷酷だ。否、ネルガル人以外の生物を殺すのに、彼らは何ら良心を咎めることはない。
「十秒だ、十秒ごとに一人ずつ殺していく、その間に名乗り出るなり教えるなりしろ。それともネルガル語がわからないか? 否、そんなはずはないな。宇宙港では他の星の船も出入りしているはずだから、ネルガル語は銀河共通語だしな」
そう言うと、隣の護衛に数を数えさせ始めさせた。
「私だ、私がこの宇宙港の取締役だ」と、一人のボイ人が立つ。
一斉に護衛たちがその男に銃を構えたが、幕僚の合図で銃口を下ろす。
「連れて来い」と言うと、
護衛の二人がその男を両脇から押さえ込むようにして連れ出した。
小惑星ハイドスの裏側に回り込んでカロルたちが見たものは、かなりの数のボイの艦隊。それらが整然と陣を張っている姿だった。
「まだ、あんなに生き残っていたのか」
「こちらの三倍はありますか」
これでは砲門を開いたところで艦隊戦ではこっちが不利だ。だが、カロルは強気に出た。
「オペレーター、通信機をよこせ」
カロルはオペレーターを押しやると、強引に通信システムの前に立ち、回線を開いた。
「俺は、カロルだ。ルカ、居るんだろう。居るのなら応答しろ」
親父の名前を出すわけにはいかなかった。だが、これで奴には通じるはずだ。
暫し待つが、応答がない。
「居ないのか? 俺は、戦いに来たわけじゃない。投降しろ。お前等全員の生命は、俺が保証する」
「間違いないな、カロル坊ちゃんだ」と、ハルガンは苦笑する。
スクリーンの中のカロルは、三年も見ないうちに随分背丈も伸び、体つきもしっかりしてきていた。クリンベルク将軍に、だんだん似てきたな。とハルガンは内心思った。
カロルはボイ人にも自分がルカの親友のカロルであることがわかるように、ルカが贈ってくれた剣をかざしていた。竜の紋章がよく見えるように。
『俺だ、正真正銘のカロル・ク』と言いかけて、後を濁す。
親父に迷惑はかけられない。
「どうして、カロルさんがここに?」と言うケリンに、
「見ろよ、肩章を」
二等兵のマーク。
「つまり、一兵卒として」
「そうらしいな、それで艦橋を乗っ取ったようだ」
誰もがやれやれという溜め息を吐いた。クリンベルク将軍の心情が思いやれると。
『ネルガル人は誰もいないのか。だったらキネラオかホルヘが居るはずだ。この剣、見覚えあるだろう』と、カロルは剣をよく見えるようにスクリーン一面にアップにさせた。
『悪いようにはしない。とにかく投降しろ』
「どうする?」と、ハルガンはホルヘを見た。
ルカが眠りに付いてから、ホルヘはルカをオリガーに託し、艦橋へとやって来た。
「どうして、私に?」 訊くのですか。
「お前たちボイ人がどう思っているのかと思ってな。俺は、投降したいのだが、ボイ人たちはまだ戦いたいのかと思って」
この戦い、結局ボイ人たちが始めたものだ。ルカは最後まで反対していた。
ボイ人が戦いたいのなら、続けるしかない。
ホルヘは幕僚たちを見る。
「しばし時間をもらってくれないですか、話し合ってみますから」
ボイ人は何事も会議で決める。まどろっこしいが、会議で決まれば猛反対していた者までが素直にそれに従うのはおもしろい。
「わかった、回線を開いてくれ」
ハルガンの上半身がスクリーンに映った。
「ハルガン」と言うカロルに、
『やっ、坊ちゃん。元気そうだな』と、ハルガンは片手を軽く挙げて見せた。
『指揮官を出してくれ』
それでやっと主導権が正式なルートに戻った。
「私がこの艦隊の司令官、ドイル・パソフ・ハロルドです」
『パソスか、久しぶりだ』
「こちらこそ、ご無沙汰しております、少尉」と言ってから苦笑した。
ハルガンがある事件で階級を下げられたことを思い出したからだ。あのまま順調にいっていれば今頃、大尉ぐらいにはなっていたはずだ。
知り合いなのか。とカロルはスクリーンに映ったハルガンと目の前に居るパソフを交互に見た。
『少し、時間をもらえないか。話し合う』
「畏まりました。しかし余り長くは。前衛部隊は、いよいよ地上戦に入ろうとしております」
『そうか』
「ところで」と、パソフがルカ王子の安否を尋ねようとした時、
「奴は、どうした?」と、カロルが脇から。
カロルはこの戦いのどんなことにも関心はなかった。あるのはただ一つ。
『寝ておられます』
「寝てる?」
『怪我をされまして』
見ればハルガンも、大の色男が台無しだ。
『少し出血が多かったもので。ここはボイ星で輸血もままなりませんから。しかし命に別状はありません』
そうかと、安心するや、カロルは怒りを感じた。
「どうして、奴が前線にいるんだ!」と、カロルは怒鳴る。
王子ともあろうものは、王宮の奥に引きこもって居ればいいんだ。それをこんな危険な所に。それともボイ人は奴を大切にしなかったのか。
ハルガンは苦笑しながら、
『それは、あなたがそこに居るのと同じ理由です』
「はっ?」と、カロルはハルガンの言う意味がわからず、あんぐりと口を開いた。
『なんぼお止めしても、なかなか親の言うことを聞いて下さらないのですよ』
これにはパソフも思わず吹き出してしまった。
数分後、正式にボイ艦隊から投降する旨の連絡があった。
カロルはほっと胸を撫で下ろす。
さっそく相手の旗艦に自艦を寄せろと言うカロルに対し、
「カロル坊ちゃま、この艦は私の艦です」とパソフ。
カロルはその意味を理解し、すまなかった。と一言。
戦闘で、指揮系統を乱す事ほど、危険な事はない。
「奴が無事なら、それでいいんだ」と、艦橋を去ろうとするカロルへ、
「どちらへ?」と、パソフ。
「部屋へ戻る」
「私の部屋をお使いになりませんか」
「いや、いい。結構、あの部屋も楽しい」
カロルが艦橋を去ってから、パソフ司令官は五十人の指揮官クラスの身柄の引渡しを求めた。人質にするためだ。
投降した振りをされて攻撃されたのではたまらないからな。
「ネルガル人の俺たちが行っても意味がなかろう」と、ハルガン。
さっそくリンネルがその一人になろうとした時、ハルガンは言う。
「私も、そう思います」とホルヘ。
「リンネルさんの代わりに私が」と言うホルヘに、
「お前は指揮官ではないからな、やはり意味がなかろう」
本当は、五十人もの人質を取るよりホルヘ一人の方がボイ人をおとなしくさせるのには効き目があるのだが、そこら辺の事情はネルガル人は知らない。何も知らないことを親切に教えてやることはないので、ハルガンはホルヘが指揮官ではないと言うことを盾に、五十人の名簿からははずさせた。
それぞれの艦を合わせた中から指揮官五十人が選ばれ、パソフの旗艦へと移された。代わりに旗艦からはパソフ中尉と数名の幕僚と護衛が乗り移ってきた。その中にカロルの姿も。
「カロル二等兵、指揮官がお呼びです」
「えっ!」と、カロルは寝ていたベッドから飛び起きる。
「ボイ語がわかるそうですね、通訳として同行を許可するそうです」
カロルは飛び跳ねた。会える、奴に。
シャトルの格納庫で待っていたのはハルガンとホルヘだった。
大佐のところへと、案内しようとするハルガンに、リンネルの所より奴の所だと、はやる心をカロルは必死で抑えた。
俺はただの二等兵なんだ。ここでパソフの顔を潰すわけにはいかない。もうかなり潰していたが。せっかくパソフ中尉が俺のことを連れて来てくれたのだから。手続きを踏んでからだ。
リンネルはパソフが連れて来た幕僚たちに旗艦の艦橋を明け渡すと、パソスとカロルをルカの所へと案内した。
だがそこには既に、
「貴様、何者だ!」
誰何するオリガー。
だがナランは平然と、
「カロルの友人だ。彼に頼まれてルカ王子の容態を診に来た。これでも医師でね」と答える。
カロルの友人? 医師? オリガーは訝しがりながらも、何か逆らえないものを感じた。
以前から彼を知っていたような、知らないような。
「どこかで、お会いしましたか?」
「カロルの話の中で、私も出てきませんでしたか」
クリンベルクの三男坊についてはよく知らない。まして彼に医者の親友がいたなど。だが言われて見れば、そんな気もしないではない。
ナランはルカの顔を覗き込むと、
「これは酷い。せっかくの美少年も台無しだな。痕が残らなければよいが」と、わざと呟いてみせる。
オリガーは彼に不審を抱きながらも、ルカの容態を詳しく説明しながら、ナランを監視するでもなく眺めていた。
その二人の姿は、傍から見れば医師同士がルカの容態について話し合っているように見える。
そこへカロル。
ナランの姿を見るや否や、剣を抜くと飛び掛かって行った。
「ナラン! 貴様! どうやってここへ?」
カロルの抜刀をナランは難なく交わし、反対方向に飛び退くと、自分は抵抗する気はないと言う感じに両手を軽く挙げた。
「カロルさん、ここは病室ですよ。そんなもの振り回したら、危ないではありませんか」
カロルの大声で、オリガーは我に返った。一瞬、何があったのか理解できずにほうけていると、ハルガンが不思議そうな顔をしてオリガーに問う。
「どうしたんだ、お前らしくもない。見知らぬ者を殿下に近づけるとは」
それが、見知らぬ者ではなかったような気がしたのだが、今こうやって新たに見直すと、
「カロルさんのご友人で医者で」
「俺に、そんな頭のいい友達いるはずなかろー。考えなくともわかりそうなものだ」
カロルのこの答えに、カロルを知る全員が納得した。
カロルの友人と名乗る者たちは元宇宙海賊だの博打仲間だの飲み仲間だのと、感情を司る右脳が人一倍発達している奴等なら一杯いるが、左脳が発達している友はルカ以外いない。ここがカロルの艦隊の欠点でもある。
カロルはオリガーを怒鳴りつけながらも、剣を構えナランから目を離さない。
「何、していた?」
「主様のお言葉を伝えていた」
「どんな?」
「お前に言う必要はない」
カロルはむっとした。
「言葉を伝えると言っても、殿下は見ての通り今、意識はありません」
カロルはオリガーの方へ振り向くと、
「こいつは、ルカと話をしているのではない。おそらくエルシアと」
「ご存知なのですか、彼を」
「やはり、そうか」とカロル。
「残念ながら俺は、一度も奴に会ったことはない。だがルカが、自分の体内にはもう一人の自分、エルシアが居ると言っていたからな」
「そうですか、エルシア様もこの方も同一人物です」
「俺には、別人に思えるが」と、カロル。
「それはまだ、お二人が融合していないからです」
「融合?」
「一つの生命とは、幾つもの人格が集まって出来るのです。それは誰しもが気付いていることです。自分の中にいるもう一人、否、もう数人の自分。はっきりそれらに固有名詞まで付ける人はめずらしいですが。ある意味、能力のあるものはそうします。私の主などもそうです。時には、内なる葛藤だけでは済まず、現実の世界にその人格を呼び出し掴み合いの喧嘩までしますからね、私たちとしては止めずに止められず、ただ傍観するしかありません。なにしろどちらも主様なのですから」
どう言うことだ。と思いながらハルガンたちは今のナランの話を聞いていたが、
「そこまで話したのだ、ついでにそのエルシア様とか言う人に、何を話したのか聞かせてくれてもいいと思わないか」と、ハルガンが言い出す。
ナランは薄っすらと微笑むと、
「ネルガル星への攻撃のことだ。彼は我々がネルガル人に攻撃するのをお許しにはならないので。だが、これなら彼も文句は言えないでしょう、ネルガル人同士が殺し合うのですから。我々が直接手を下すことはない。我々は彼らに少しアドバイスをしただけ」
「アドバイス?」
「知りたいですか?」
カロルは当然だという感じに頷く。
ナランはまた薄笑いを浮かべると、
「こう言ったのです、ある一部の者たちへ。何も傾きかけたギルバ王朝を支えることはない。あなただって充分、ネルガルの皇帝になる素質があると」
そしてナランはにんまりすると、カロルを見詰め、
「カロルさん、あなたもですよ」
カロルはむっとして、
「誰が、そんな手に乗るか」
「私の特技は夢を操ることでしてね」
それをオリガーにも先程仕掛けた。自分を以前から知っていたかのように。
「夢枕に立ち、神のお告げのように宣言するのです。次の皇帝はあなただと。あなたをおいて他にいないと。大概の者は、その気になります」
「なるほど、それでここの所あちらこちらで内乱が勃発しているのか」
「我々にも許容範囲というものがあります。ネルガル人は我々が許している内に手を引くべきです。さもないと」
「さもないと、何だと言うのだ」
ナランはまた薄っすらと笑いを浮かべると、
「それは直にわかります」
カロルはむっとしてナランを睨み付けた。
ナランはその視線を気にも留めず、ルカを指し示すと、
「出来ればこの方、あなた方の手で殺していただきたいのです。そうすれば我々の仕事ももっとはかどるのですが」
「貴様!」
こんどこそカロルはナランを一刀両断にするつもりで踏み込んだ。一瞬、ナランの左肩から袈裟に刀が入ったような気がしたが、手ごたえがない。
残像か。
視線を上げると既にナランはカロルから五歩も飛び退き、バイバイという感じに片手を挙げ軽く振っている。そして、消えた。
「なっ! 何?」
カロルは驚く。だがカロル以上に驚いていたのはパソフ中尉だった。
「テレポートだ」と、ハルガン。
「お前たちは、驚かないんだな」
「以前に一度、見たことがあるからな」
イシュタル人が使う超能力。ハルガンたちは既に何度か見ているため、テレポートに関しては免疫ができていた。
オリガーは暫しナランが消えた場所をじっと見詰めていたが、
「我々は、恐ろしい相手を敵にしようとしているのではないか」と、オリガー。
イシュタル人の術に落ちたからこそ感じること。
自分が何時の時点で彼の罠にかかったのかはわからない。既に彼に会った時には、違和感を覚えながらも警戒心が薄らぐのを感じていた。
「殿下とイシュタル人とは、どういう関係なのでしょうか」と、ケリン。
「今の奴の口調から察すると、少なくとも彼らにとって殿下は邪魔な存在のようだ」
「ナオミ夫人は言っていたな。こいつは村の守り神ではなくネルガルの守り神だと」
「ほー、カロルにしてはなかなかいいところに目を付けたな。まあ、そこら辺がこの謎を解くヒントなのかもな」
「つまり、殿下が死ねば、ネルガルが滅びる」と、ケリン。
「さあな、そんなことはないと思うが。だいたい人間には寿命というものがあるんだ。もしこいつが死んでネルガルが滅びるようなら、こいつの寿命を百として、後九十年しか持たないということになる」
「それもそうですね」と、ケリンは納得する。
「まあ、何はともあれ今は、この戦争にどう終止符を打つかの方が先決だろう」
イシュタル人のことは後回し。
「それもそうだな」と、カロル。
リンネルだけが何か思い詰めたようにじっとナランの消えた地点を見詰めていた。
カロルは一言でも話がしたいと思い、ルカの意識が戻るのをじっと待っているのだが、ルカは一向に目覚める気配がない。
「血圧が低いのだ、血が足らないものでね」と、オリガー。
「じゃ、俺の血を使ってくれ、確か型は同じはずだ」
オリガーは首を横に振ると、
「それは出来ない、今は非常事態だからね、君の血液が薄くなったことで判断力が鈍り致命傷を負ったとなれば、一番悲しむのは殿下だ」
「二百や四百、抜いたところで」
意気込むカロルの肩にハルガンが手を添える。
「このままでいい、意識が戻ればまた辛い思いをしなければならない。それより戦争が終わるまでこのまま静かに寝ていたほうが、どうせ、勝てない戦なのだから」
「今のところ、命に別状はありませんし」と、オリガー。
「やっと睡眠薬で眠らせたのですよ、なかなか薬が効かなくて」
それほどにこの戦況を気にかけていた。
カロルは自艦に戻ると、もう一度ナランに問いただそうと自室へ向かった。部屋に入ると全員揃っていたが、ナランの姿だけがない。
「ナランは、何処へ行った?」と言うカロルの問いに、
「ナランって、誰だ?」と、部屋の者たちが全員答える。
各々イヤホーンで音楽を聴いたり、漫画を読んだりカードをしたりしているが、誰もナランのことを知らないと言う。
「そんな奴、最初からこの部屋には居ないぜ」
「じゃ、このベッドは?」と、カロルはナランが寝ていたベッドを指差す。
「そこは、最初から一つ、空いていただろう」
壁のプレートを見ても、ナランのプレートはない。
「じゃ、どうしてこんなにベッドがぐしゃぐしゃなんだよ」
「お前が、あっちへ寝たりこっちへ寝たりしたからだろう」
「おっ、俺が?」と、カロルは自分で自分の鼻を指差した。
「そうだよ、上官に見つからないうちに、片付けたほうがいいぜ」
彼らは各々の趣味から手を離さずに言う。
砲術室へ行って誰に聞いても、やはり答えは同じだった。誰も彼のことは知らない。一緒に仕事をしていたはずなのに。乗員名簿を見ても彼の名前はなかった。彼の存在は完全にこの艦から抹消されている。彼のことを知っているのは俺とパソフ司令官だけ。
「一体、これはどうなっているんだ?」
パソフ司令官も首を傾げる。
結局カロルは、自室へ戻りナランのベッドを綺麗にメイキングすると、そこに腰掛けた。
「一体、奴は何者?」
「それよりカロル、お前、今まで何処にいたんだ?」
カロルの疑問をよそに、部屋の仲間が訊いてくる。これこそが疑問だとばかりに。
「艦橋」
「艦橋? どうして?」
二等兵などが出入りできるところではない。
「通訳としてだよ。俺、ボイ語話せるんだ」
部屋の仲間は怪訝な顔をしてカロルを見た。こんな辺境な星の言葉など、習っても意味がなかろうという感じに。
「ボイに、友達がいるんだ。この剣、作ってくれたのはボイ人なんだぜ。お礼が言いたくて」
ボイ星ではいよいよ地上戦の前兆、成層圏を突入したネルガルコマンド部隊による空爆が始まっていた。
「陛下、とりあえず防空壕の方へ」
クリスとケイトは国王夫妻たちを急き立てる。
途中でトリスの率いる治安部隊と出会う。
「コロニーの人たちは?」
「今、避難させている最中だ。俺は国王たちの身をと思って」
「国王たちは私達が」と、クリス。
「じゃ、頼む。俺はコロニーの人たちを」と、トリスは国王に軽く挨拶すると、部下を数名残し、また町の中へと走り去って行った。
防空壕の入り口は町のいたるところにある。どこから入っても迷路のようになっていて最終的にはコロニーの外れの砂漠の下に行き着くようになっている。何時作られたのかは知らないが、この洞窟はシェルターのようだ。食糧の貯蔵庫もあれば狭いが居住区もある。おまけにホールまで。おそらくやりようによっては一年や二年ぐらい、コロニー全員を匿える。こうなるのだったらもう少し食糧を運んでおけばよかったか。だがルカは、余り長期間の滞在を予定していなかったようだ。長くとも一、二ヶ月。その分の食糧しか運び込ませていない。ただ医療設備だけはかなり調えてあった。籠城したところで、誰かが助けに来るということもないし。
国王たちは数日分の食糧を各々で背負い、ライトを頼りに中へと入って行く。洞窟の入り口近辺は牢獄として使っていたようで、なんぼか生活感があったが、中に入ると同時に未知の空間となっていった。だがライトに照らし出される空間は、思ったより綺麗だった。側面は鏡のように磨かれ、高さはボイ人が優に立って歩けるほどの高さがあり、横は四、五人が並んで通れる。よほどしっかり作ったと見え、何千年経っているのかは知らないが、ほとんど傷みはなかった。それどころか何処からか微風。空調がきちんと整えられているのだ。
クリスたちは防空壕へ入る注意点として、ルカからガスの検知器を持って行くように言われていた。万が一、メタンや一酸化炭素が充満していたら、だがその心配は不要に終わった。何処まで行っても地下道の空気は地上と同じ。おそらくこの風のせいだ。
最初のドームに出た時、既にそこには他の入り口から避難して来たのだろう、数十人のコロニーの住民がいた。やはり各々荷物を背負い、中には子供や赤子を抱えている人もいた。そして怪我をしている者も。
「これは国王ご夫妻」
彼らが場所をあけようとした時、
「怪我をしているようですね、早く消毒を」と、王妃はシナカに持たせた救急箱を持ち出し、怪我人の手当てを始めた。
「もう少し奥に行けば、医療チームが待機しているはずです」
ルカは前もって医薬品と保存食を治安部隊に指示して運び込ませて置いた。その指揮を取ったのはクリスとケリンだった。クリスとケリンはこの地下道を何度か行き来している。
「確か、この先を左に曲がって、歩けますか?」
「ええ」と、言うボイ人に、
「肩を貸しましょう」
彼らは空爆から逃れて来たようだ。
「私達のところは、壊滅です」
「そうですか」と、宰相は気の毒そうに言う。
防空壕に避難するようになったら、降伏を考えてください。とはルカに言われていた。もうこれ以上の苦渋を、国民に舐めさせることはないと思います。国民も力の差を理解したと思いますから。もっと時間をかけ力を蓄え、星系外に味方を作ってからでなければ、ネルガルとは戦えない。早すぎたのです。後二十年、否、十年、我慢してくれれば勝算も出てきた。銀河の勢力図はネルガルに不利に動きつつあるのだから。
「どうしました、宰相」
宰相は国王の声で我に返った。
「いえね、今、殿下の言葉を思い出していたところです」
「私もだ」
「ここら辺が、潮時でしょう」
宰相のその言葉に、国王も頷く。
病棟と化したドームには、次から次へと怪我人が運び込まれていた。戦闘ではない、虐殺だ。コロニーを覆っていたシールドが破壊されてからは、ボイにはほとんど攻撃する手立てがなかった。ルカは地上戦までは念頭に入れていなかったようだ。そうなる前に降伏する。これがルカの考えだった。地上戦は犠牲が大き過ぎる。何も子供まで巻き込む必要はない。彼らはこの戦争に賛成したわけでも反対したわけでもないのだから。
シナカは看護婦に交じって怪我人の間を走り回った。ルカも上空で戦っているのよ、私もここで。傷口を消毒してやり、包帯を巻いてやり。
地上ではトリスたちが数少ない地対空ミサイルやレーザー砲で、ネルガルに対抗していた。
「これじゃ、イナゴの大群をパチンコ玉で打ち落とすようなものだ。一隻や二隻打ち落としたところで、話にならねぇー」
「後から後から湧いてきますぜ」と、ボイ人の一人。
「だから言ったただろー、この戦い、はなから無理だって。なんせ武器の数は少ないし、訓練された兵士もいないし」
トリスはやけくそになっていた。
「とにかく、コロニーの住人を全員避難させろ」
他のコロニーもここと似たり寄ったりだった。必ずルカの親衛隊だったネルガル人が一人か二人居て避難と迎撃の指揮を取っていたが、中には砲台ごと吹き飛ばされ命を落とした者もいる。ボイ人は次第次第に追い詰められて行った。
ボイは美しい町だ。あまり破壊されないうちにとクリスは思っていた。だがネルガル人である自分から、彼らに降伏を勧めるわけには行かなかった。
瀕死の我が子を抱きかかえて泣き叫ぶ母親。
見かねてクリスは、
「陛下」と、国王に声を掛ける。
「わかっている」
国王は立ちだすと奥のドームへと入って行く。
その後に各々コロニーの代表者が続く。
クリスは一緒に中に入ろうかどうか迷ったが、ケイトと一緒に入り口で待つことにした。これからはボイ人が決めることだ。ネルガル人の私達が口出すことではない。
おそらく無条件降伏。その後の処罰は、かなり厳しいものになるだろう。逆らってしまった以上、植民化は免れない。ここにボイ星のボイ人による統治は終わりを告げる。
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2010/10/07(Thu)22:43:15 公開 / 土塔 美和
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