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『2DST・ゲーム〜Fin〜』 ... ジャンル:リアル・現代 未分類
作者:rathi
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絹のように白く、美しい手が荒々しくパンッ、と扇を広げた。そしてそれを、口元を隠すように顔にあてる。騒がしかったこの場所が、それだけでしんとなった。
「ではでは皆様方、ここは一つゲームで決めるというのは如何でしょうか?」
一人が野次を飛ばした。馬鹿にするな、そもそもいったい何のゲームをするつもりなんだ、と。
「ゲームは単純であればあるほど面白いものです。そして、その単純さを極めた遊び道具の一つが……こちら、サイコロでございます。物事を決めるゲームで、これ程最適なモノはありません。かのシーザーも、ローマを目指すときに言っておりました」
彼女はプラチナのサイコロを摘み上げ、宙に放り投げた。
「賽は投げられた……と」
◆
stage.1「オープニングが一時間って長すぎだろ」
※
葉根 東(はね あずま)こと俺が通う伊語(いご)高校は、一風変わった校訓を掲げている。体育館に取り付けられた校歌の下には、筆で荒々しく『競争せよ!』と書かれてあるのだ。
その言葉通り、この高校はとにかく競争させる事が大好きなのだ。中間テストは当たり前で、運動会、音楽コンクール、文化祭、果てには写生大会などなど、何かにつけて生徒たちを競い合わせている。そして、勝者には最大の賛美を送り、敗者には労いの言葉すら贈られないという、何とも厳しい教育方針なのである。
そもそもは校長が非常に教育熱心な方であり、今一番主流である、いわゆるゆとり教育――平等、公平といった勝ち負けが薄い教育方針がオバケよりも大嫌いであり、それにツバを吐きかけるように、校長は敢えて徹底的に競い合わせることで、向上心を培わせようとしているのだ。
まぁ、俺には一切関係ないんだけどね。
※
帰りのホームルームが終わり、我が2−Bのクラスメイトたちは蜘蛛の子を散らすように教室から出て行った。理由はもちろん、部活があるからだ。
俺は自分の席に座り直し、カバンからPSPを取り出す。理由はもちろん、帰宅部だからだ。
校訓の所為か、この高校は部活動にも力を入れている。ただ一応、生徒の自主性を尊重するという事で、入部の強制は行っていない。しかし何故か、四時未満には下校してはならない、という意味不明な校則が存在している為、俺は帰りたくても帰れないのだ。帰宅部に対する嫌がらせとしか思えない。
今は三時半。僅かに残った帰宅部員たちは、各々好きなように暇潰しを始めた。俺も残りの時間を有意義に過ごすため、PSPの電源を入れる。
メモリースティックにインストールしてあるSTG(シューティングゲーム)を起動する。実はコレ、パソコンゲームを無理矢理PSPで起動出来るようにしたモノで、正規品ではない。どーしてもこのSTGをいつ如何なる時でもプレイしたくって、ゴニョゴニョな方法で実現させたのだ。
見慣れた画面と、聞き慣れた音楽が流れ始める。もう何百回……ヘタすると千回以上このゲームをプレイしている事になる。クリアも数十回している。それでもこのゲームを続ける理由は、スコア(累計点数)を少しでも伸ばしたいからだ。
いわゆるスコアラーと呼ばれる人種で、主にゲーセンなどに出没している。最近は家庭機からネット経由でそのままスコアを書き込めるから、ますます激化している……と思う。スコアラーとしては、そう願いたい。
俺がプレイしているのは、今最も熱いSTGであり、スコアラーの間でも注目の的となっている。当然、それの全世界TOP10スコアを塗り替えると言うことは、今最も注目を浴びているスコアラーの10人になるという事なのである。
あと、STGは反射神経ゲームだと思われがちだが、実際は高度な暗記ゲームなのである。敵の出現パターン、弾の軌道、安全地帯、そしてスコアラーになると効率の良い点数の稼ぎ方も覚える必要が出てくる。社会や科学といった暗記物が得意になったのは、STGを日々精進してきたお陰といえよう。
そうこうしている内に、最後のボスが現れた。当然、難易度は一番高い。だが、今日の俺は調子が良い。集中力も途切れていない。この分なら自己最高記録を抜けそうだ。
最近のSTGはよく『弾幕ゲー』と呼ばれているが、このボスの攻撃は弾幕というより花火といった方が正しいと思う。沢山のSTGをプレイしてきたが、こんな綺麗な弾幕を張るゲームは類を見ない。
花火の間をギリギリの所で避け、かすりボーナスで更にスコアを伸ばし、ボスのHPをガリガリと削っていく。
よし、イケる。これなら自己最高記録を――、
「ほぅ、随分と巧いものですな。これだけの弾を易々と躱(かわ)すとは」
いきなり俺の耳元に、甘い吐息が吹きかけられた。驚いた俺はイスから跳ね上がり、同時に操作ミスで撃墜されてしまう。
「あーーーーー!!」
思わず絶叫してしまった。一回でも撃墜されてしまうと、スコアはグンと下がる。こうなったらもう、即終了ものである。
「おおぅ、これは申し訳ないことをした。悪気はなかった故、許して頂きたい」
謝れば済むと思っているのだろうか。スコアラーにとって一番ムカツクのは、調子の良い時に邪魔をされることだ。
文句の一つでも言ってやろうと、俺は立ち上がりながら振り返った。
「……え?」
まさかの人物がそこに立っていて、俺は言葉を失った。
「お互い初めまして。名乗らずとも、私の名前はご存じでしょう? なにせ、悪名高いものですから」
彼女は荒々しく扇をパンッ、と広げ、口元を隠すように顔にあてる。
右にやや流れているショートカット。少しつり上がった眼に、縁(ふち)が赤いメガネ。見る者を圧倒するその風貌を、知らないはずがない。この学校で一番目立つ存在である――亞足 赫華(あたり せつか)の名を。
その理由は、成績がトップクラスだから……ではなく、胸は慎ましくともスタイルがトップクラスだから……でもない。常に携帯している艶やかな扇と、交際OKの条件がゲームで勝負して勝ったら、という無茶苦茶な条件を公言している為、下から上まで名前が知れ渡っているからだ。ただしゲームといっても、サイコロやトランプといった、いわゆる賭博ゲームで勝利したら、ではあるが。
イケメンからブサメンまで、こぞって彼女に勝負を仕掛けたが、未だに誰一人として彼氏の権利を得ていない。しかも、挑戦権は一回きりなので、軽い気持ちで挑戦した生徒たちは時折その事を思い出してはむせび泣いている。そんな事もあり、いつしか彼女のことを『高嶺の景品』と呼ぶようになった。
ちなみに俺は、まだその挑戦権を持っている。勝てる気がしないから、使う気はないけど。
「は、初めまして……ええっと……」
突然の有名人とのご対面に、俺は二の句を繋げなくなっていた。
「やぁや、まずは自己紹介などをして頂けると、事を円滑に運べるのですが」
俺の名前は知らないんだな。まぁ、発売元と下請け会社ぐらい知名度が違うから、それも当然なのだが。
「葉根 東です。亞足……さん」
「呼び捨てで結構。同年に生まれた者に、上も下もありませんから」
そう、亞足は俺と同級生なのだ。しかし、その威圧感から、『さん』付けせずには居られなかった。
「それで、亞足。俺に何か用なの?」
他の人ならまだしも、亞足が校則違反を注意するようなタイプには絶対見えない。むしろ、大いに結構、とか言いそうだ。
亞足はキョトンとした顔になった後、広げていた扇をパチンと閉じ、それで頭をコツンと突いた。
「これはこれは失礼。東の一芸に見惚れ、つい忘れていましたよ」
せっかく閉じた扇をまたパンッと広げ、亞足は廊下の方に振り向き、
「おーい、ミコト! ミコトや! どこに居るんだい!? 会話が冷めちまう前に、こっちに来なさいよ!」
やけに芝居がかった言い回しで、ミコトなる人物を呼び始めた。扇の使い方といい、喋り方といい、まるで落語家のようだ。
「はいはーい、今行きますよ赫華さん。犬みたいに走れと言われても、ヨダレを垂らしながら走るのは意外と難しいもんなんですよ」
ノリの良い返事が廊下から帰ってきた。やり取りから察するに、付き合いの長い友人のようだ。亞足は孤高の存在だと思っていたから、かなり意外だった。
こちらに近付いてくる足音。そして教室に入ってきたのは、
「せ、占手(せんて)!?」
まさかの人物が、もう一人現れた。ミコトって、占手 美殊(せんて みこと)の事だったのか。
「やっ! もしかして、アタシの事を知ってくれていたりするのかなー?」
占手は勢い良く手を挙げ、元気よく挨拶をしてくれた。伊語高校にこの人在り、と謳われた至高の胸がたわわに揺れる。俺は満足げに頷く。
腰まで伸びた緩いウエーブの掛かった髪。オレンジのヘアバンドに、くりっとした愛らしい瞳。見る者を惹き寄せるその風貌は、何もかもが亞足とは対照的だった。
片や一番目立つ存在ならば、占手は一番人気のある存在と言えよう。お嬢様っぽい顔をしているのに、明るく元気でこざっぱりとした性格をしているので、男子だけではなく女子や先生にまで人気がある。
それにしても、この二人が付き合いの長い友達だなんて……。共通点は同級生ぐらいしかないのに、意外すぎる。
「それで、キミはだれ?」
「あ、えっと、俺は――」
自己紹介しようとすると、亞足がまた荒々しく扇をパンッ、と広げ、俺の言葉を遮ってしまった。
「こちらさんは葉根 東。なかなか達者な芸をお持ちですよ」
貴様なんぞにウチの娘はやらん、とでも言うように壁となって俺の前に立ち塞がってきた。やましい気持ちなんてこれっぽっちもないのに、失礼な話である。……くそ、鋭いな亞足。
「へぇー、そうなんだ。じゃあ、このアズマキシマムで決定なの?」
占手とも初対面なのに、いきなり俺の名前がフルチューンナップされてしまった。というか、決定って何の話だ?
「条件としては申し分ないでしょう。帰宅部でゲーム好き。そしてなにより、一芸に秀でている。決定、ですかね」
亞足は顔にあてた扇を、パタパタと動かしながら言った。だから、決定って何の話だ?
「おめでとう! 決定したよ!」
「貴方に賛辞を。共に切磋琢磨しましょうぞ」
意味も分からないまま、二人は俺を祝福してくれた。
「ま、まぁね。うん、ありがとう。頑張るよ!」
こんな美人二人に祝って貰えるなんて、最高に嬉しかった。もうニヤケ顔が止まらない。
「……って、だから何の決定だよ!?」
※
「……ゲーム同好会を作る?」
この学校では、同好会を作るためには最低三人が必要となる。今のところ、メンバーは亞足と占手の二人だけ。最後の一人を捜していた時に、たまたま俺を見つけ、帰宅部でゲーム好きでSTGが得意だからメンバー入りが決定された……亞足から聞いた話を要約すると、そういう事らしい。
「でも、既にゲーム部はあるけど?」
しかも、部員数18人とそこそこ多く在籍している。卒業生には業界入りした人も居るので、結構人気のある部だ。
「それは『ゲームを開発する部』であって、私のは『ゲームで遊ぶ部』なのです。作り手と遊び手では、創造主と泥人間ぐらいの差があります故」
言わんとしている事は良く分かる。俺はゲーム好きだが、ゲームを作るのが好きというワケではない。開発は肌に合わないと思ったからこそ、今も帰宅部を続けている。だが、純粋にゲーム好き同士が集まるのであれば、俺にとっては夢のような部となるだろう。ましてや……なぁ?
「うん、なら全然オッケー。喜んで入部するよ」
「やったー! これでゲーム同好会が作れるね!」
占手は身体全体で喜びを表した。見ているこっちが微笑ましくなるほどだった。そうか、俺が同好会発足を決定づけた事になるのか。そう考えると、スポ根マンガのように劇的な展開だな。背中がゾクゾクする。
「うむ、良きかな良きかな。では早速、こちらに印を」
そう言って、亞足は胸元からペンと入部届を取り出した。なんとまぁ準備の良いこと。
「それにしても、意外だな。占手までゲーム好きだったなんて」
俺はペンを走らせながら、思った事をそのまま口にした。
「んー、ゲームが好きっていうか、好きになってみようかなーって思ってね」
「へぇ、嬉しい事言ってくれるじゃないの。ちなみに、好きなゲームって何かあるの?」
「アレ! あのジャンケンッポンってメダルのヤツ! というより、アレぐらいしかやったことがないけどねー」
「へぇー……」
生返事をするしかなかった。ゲームっていうか、何ていうか……。少なくとも、俺の考えているゲーム好きとは違うようだ。
「やぁや、東氏よ。一つどうでしょう? 美殊とジャンケンで一席興じるというのは」
突然の提案だった。
「まぁ、別にいいですけど」
「うん! やろうやろう! 強いよーアタシは」
そう言う人は多いが、実際の所ジャンケンに強いも弱いもない。勝てる確率も、負ける確率も、引き分ける確率も、全て3分の1なのだ。たまたま運が良いだけか、勝ちを美化しているかのどちらかだ。
書き終わった入部届を亞足に手渡し、俺は席を立って構える。
「じゃ、行くよー? 最初はグー! ジャンケン……ッポン!」
俺は特に何も考えず、そのままグーを出す。対して占手は……パーだった。
「やりぃ! わーいわーい、勝った勝った!」
軽いジャンプをして喜ぶ占手。そこまでされると、こちらも負け甲斐があるというものだ。……良いモノも見られたし。
「勝ち逃げされるのは悔しいでしょうから、もう一席どうぞ」
亞足はそう言って勧めてきた。だが別に、ジャンケンに負けたぐらいで悔しがる歳でもない。とはいえ、止める理由もない。
「じゃ、もう一回! 最初はグー! ジャンケン……!」
チョキを出すか? ……いいや、その裏をかいて今度は俺がパーだ。対して占手は……チョキだった。
「やりぃ! また勝ったね!」
「へぇー。本当に強いね、占手は」
口ではそう言ったが、内心単にラッキーが続いただけだろうと思った。なにせ9分の1だ。おみくじで大吉を引くより簡単な事である。
「どうぞどうぞ。東氏の無念を晴らすまでは、この席を続けましょうぞ」
亞足は扇をこちらに向け、そう促した。青春真っ盛りの高校生が、ただのジャンケンをし続けるってどうなのだろうか? 喜んでやりたいのは、野球……いや、何でもない。
「さぁ、行くよー!」
もはや俺の意志など関係なく、占手はジャンケンを続行した。亞足が何を考えているのか分からないが、さっさと勝って終わらそう。
占手は、パー、チョキと出してきた。ならば残りのグーか? いや、そもそもジャンケンはバランス良く出すものだろうか? しかし、やはりグーの可能性が高い。だが、パーの可能性も捨てがたい。ならばここは、両方に対応できるパーで行こう。
「最初はグー!」
いいや、待て待て。となると、俺はパーを二連続で出すことになるのか? それは……危険ではないか?
「ジャンケン!」
占手が出したのは……まさかの二連続チョキ。対して俺は……同じく二連続のパー。俺がそうであったように、占手もまた二連続で出すのを嫌がるだろうと思って、俺はパーを出したのだ。しかし、逆にそこをやられたようだ。
予想だにしなかった三連敗。確率は27分の1。そう珍しくない事とはいえ、三回連続で負けるという事実は想像以上に重かった。
「続きを」
亞足は眉一つ動かさず、そう俺たちに告げた。何をさせたいのかさっぱりだったが、有無を言わせない迫力がそこにあった。
※
ここからは更に酷い結果となっていった。3分の1の負けが、どんどん俺に積み重なっていく。どれだけ深読みしても、どれだけ適当に出してみても、たった3分の1に勝てなかった。
そして、10連敗目を掛けた勝負の時に、俺は破れかぶれになって言ってみた。
「占手……俺は次に、パーを出す」
そう、宣言ジャンケンだ。次の手を発表する事で、相手を惑わせる姑息な手段である。大台に乗ってしまうよりは、卑怯と呼ばれた方がまだマシである。
「えっ、パー? じゃ、えーっと、えーっと……」
占手が初めて戸惑いを見せた。どうやら作戦が成功したらしい。なにせ、9敗中5回もパーを出して負けているのだ。宣言が本当かどうか、迷っているのだろう。
「じゃあ行くぞ! 最初はグー!」
「え、ええ!?」
更に動揺を生むため、今度は俺が号令を掛けた。
「ジャンケン!」
ポンッと出された手は……占手がチョキ。対する俺は……宣言通りのパー。
「うっわ、10連敗……」
俺はショックのあまり頭を抱えた。たかがジャンケンとはいえ、約6万分の1の確率で負けるというのは、泣きたくなるぐらいショックだった。
「やー、危なかったー! やっぱりアズマキシマムは嘘を付くのが嫌いみたいだねー」
俺はギョッとなった。図星だった。例えゲームといえど、俺は基本的に嘘を言うのが嫌いなのだ。まさかたった10回のジャンケン中に、それを見破られるなんて……。
「たかがジャンケン。されどジャンケン。遊び方が単純故に、そこに心と考えが大きく加わり、心理は大きく揺れ始める。遊び方が単純なものほど、実(げ)に面白きゲームかな」
亞足は扇を仰ぎながら、カッカッカッ、と天狗のような高笑いをした。
「これでお分かりかな、東氏よ? 勝負事は、確率などに支配されないという事を」
俺はまたギョッとなった。俺の考えが、完全に見透かされていたようだ。
「じゃあ、まさか……ジャンケンをやれって言い出したのは……?」
俺の質問に亞足は、片方の眉をクイッと上げて答えた。そこでようやく、亞足の思惑に気が付いた。最初からそれを見抜いていて、俺にジャンケンをさせたのだと。きっとその扇の下では、ほくそ笑んでいる事だろう。
「ン〜……チクショッ! 完敗だよ! なんでこんなに負けるんだよ……」
「それは、東氏がジャンケンに於ける戦略を持っていないからなのです」
「ジャンケンの戦略?」
思わず怪訝な顔で聞いてしまった。そんなもの、存在するというのだろうか?
「一番最初のジャンケンで、東氏はグーを出しました。初心者は、グーを出しやすい。なぜなら、拳を握るという行為そのものが強いと無意識に思っているからなのです。特に男性は、女性よりもグーに対する強さを知っています。故に、グーを出すだろうと美殊は予想しました」
そんなの詭弁だ。詭弁だが……現に俺は負けている。
「に、二回目はどうなんだ? それも分かっていたっていうのかよ?」
「ハッキリ申し上げて、二回目以降は確実な予想をする事が困難となります」
「なんだ……やっぱりそうだよな」
俺は何故かホッと胸を撫で下ろした。
「しかし、負けない手を出すことは出来るのです」
「負けない……手?」
「ではでは問いましょう。そもさんそもさん、二回目で二連続同じ手を出そうと思いましたか?」
「うっ……」
俺は呻くほかになかった。亞足の言う通りだ。無意識の内に、俺は同じ手を出すことを避けていた。
「そうなれば後は容易いこと。二つのどちらを選んでも、負けることはありません」
そう、最悪でも引き分けで済む。亞足の言う戦略は、俺の考えとは全く違うモノだった。勝つ方法ではなく、負けない方法を探しているのだから。
今思い知った。そこまで思考パターンを見破られていたら、勝てる筈もない。俺はガックリと肩を落とす。
「やぁや、そう落ち込む必要はありませんよ。最後の宣言で、美殊を動揺させましたしね。それに、私でも美殊と勝負をしたら、五分まで持って行くのがやっとですので」
「更に上を行く戦略がある……って事?」
「いいえ、それが困ったことに、美殊は先程申したような戦略など一切持ち合わせて居ないのですよ」
「……は?」
「本人曰く、場の空気や相手の調子でなんとなく分かるそうで。一言で現すのなら、カン、でしょうかね。戦略も何もかもをひっくり返す、厄介な存在ですよ。だからこそ、実(げ)に面白き存在かな」
再び扇を仰ぎながら、カッカッカッ、と天狗のような高笑いをした。
「さて、一席興じ終えたところで、同好会の申請へと馳せ参じるとしましょう」
「うん。それにしても、随分と早く決まったねー。作ろうって決めたの、さっきなのに」
「えぇ!?」
とんでもないキーワードが聞こえてきた。
「アタシがね、ゲームを好きになってみよーかなーって思って、じゃあ同好会を作ろうーって話を赫華にしたのが、20分前ぐらいかな?」
これまた意外だった。てっきり亞足が無理矢理誘ったのかと思ったら、事の発端は占手らしい。
さっきの事といい、同好会発足の理由といい、どうやら亞足は占手に甘いようだ。
※
同好会発足を決めたのが、つい先程の事。メンバーが集まったのは、その三十分後。そして更にその十分後、今度は『ゲーム同好会』解散の危機にいきなり直面していた。
「東海(とうかい)先生ー! なーんでダメなんですか!」
人の少ない職員室に、占手の大声が響き渡った。
占手が今詰め寄っているのは、学年主任の東海先生だ。その大太鼓のような腹と、禿げ上がった頭。そして、鳴き袋のように膨れあがった顎から、影では『ウシガエル』と呼ばれている。
事の発端は、入部届を処理するのはこの先生なので、亞足が同好会発足と三人分の入部届を提出したのだが、受理できないと拒否されてしまったからだ。
「占手君には悪いんだけど、さ。もう空き部屋がないんだわ、ね。それに、部と同好会の数が多すぎるから、これ以上は増やさないようにって校長先生からお達しがあって、さ。いや、本当に悪いんだけど、ね」
東海先生は、つるっぱげの頭をペシンと叩きながら謝った。
確かに、この学校には部と同好会が呆れるほどに多い。俺が知っているだけでも、ゆうに40は越えている。きちんとした部室を持っているのは少数で、他は教室や一つの部屋のスペースを区切って使うなど、かなり寒々しい状況である。
それでもどこか空いているんじゃないかと期待したが、門前払いされてしまったらもうお手上げである。
「学校の外で同好会を作るのは構わないから、さ。それで我慢してよ、ね」
「それじゃあ意味ないんですー!」
占手の言う通りだ。それではただのゲーム好き集団になってしまう。
東海先生と占手が喧々囂々とし、俺はもう廃部なのかとガッカリしているのに対し、亞足だけは扇を口元にあて、平然としていた。まるで、こうなることを分かっていたかのように。
「東海先生、一つ宜しいでしょうか?」
「あ、あぁ……。な、なんだ、ね。亞足君?」
亞足から呼びかけられ、東海先生はビクついていた。やはり学年主任クラス――肝は生徒より小さそうだが――でも、亞足から発せられるオーラに威圧感を覚えるようだ。
「部、または同好会が所持している部室は、顧問、並びに部員が承諾さえすれば、譲渡が可能である……。間違いありませんか?」
「それで合っている、ね」
そんな確認を取るなんて、どっかに頼んで譲ってもらうつもりなのだろうか? そもそも同好会の発足すら危ぶまれているってのに。
「もう一つ。その部、または同好会が機能していない場合は、その権限を学年主任の判断によって剥奪することが出来る……。相違ありませんね?」
「あ、あぁ……そうだ、ね。間違っていない、ね」
東海先生は、鏡を突き付けられたガマガエルのように脂汗をかき始めていた。いったいどうしたっていうんだ?
「東海先生、一つお願いがございます。『起業家倶楽部』の部員たちを……」
その名前が出た途端、ウシガエルがその場で飛び跳ねた。ガシャン、と回転イスが大きく軋み、何事かと数人の先生がこちらに振り返った。だが、ここに居るのは学年トップクラスと人気トップクラスというツートップ。問題は無さそうだと、安心した顔で向き直っていった。孤立無援とはこの事か。
「顧問の先生共々、校長室までご足労願えないでしょうか?」
※
「これはどういう事なんですかねぇ……東海センセー?」
またしても東海先生は詰め寄られ、溢れんばかりのガマ油を垂れ流していた。詰め寄っているのは、『起業家倶楽部』の部長――加賀 泰蔵(かが たいぞう)だった。短髪に痩けた頬、それにナイフのような鋭い目付きが怖さを倍増させていた。
「そ、それは、ね。亞足君が集めて欲しいって言われたから、さ。ね、ね?」
東海先生はちらりと亞足を見て、そちらに矛先を向けようとした。しかし亞足は、涼しい顔でその視線を受け流す。俺からの『説明を求む』の視線も、一緒に流された。
俺たちは、理由もワケも話されないまま、亞足に指示されるがまま校長室へと集められた。そして『起業家倶楽部』の全部員も、東海先生の校内放送によって緊急召集された。集まったのは、二人の男子と一人の女子――こちらと同じ数の合計三人だった。
確か占手がギリギリ部に昇格したと言っていたから、全部で五人の筈だ。他の二人は既に帰ってしまったのだろうか?
「止めたまえ、加賀君。キミがいくら優秀な生徒だからといっても、横暴な態度を取ることは私が許さない」
校長が低く通る声で加賀を注意した。加賀は舌打ちをしながら後ろに下がっていく。伊達にヒゲを蓄えてはいないな。
「それで、亞足君。ここに集めた理由は何かね?」
校長からそう質問され、亞足はこの校長室に来て初めて動き出した。
「お集まり頂き、誠にありがとうございます」
亞足は一歩前に出て、しずしずと頭を下げる。それだけで、この場にあった波紋のようなモノが消え去った気がした。
「此度皆々様方をお呼びしたのは、一つの吉報と、一つの凶報をお知らせする為でございます」
舞うように、扇をそろそろと動かす。
「吉報とは、つい先刻ほど、そこな三名との『ゲーム同好会』を立ち上げしたことでございます。良き日に立ち会えて頂けたこと、深く感謝致します」
占手が嬉しそうに拍手を送る。俺もつられて、小さな拍手を送った。
「何……?」
校長が眉をひそめた。そりゃそうだ。これ以上は同好会を作るな、とお達しした本人なのだから。
亞足はそれを気にも止めず、話を続ける。
「凶報とは、今この場で『起業家倶楽部』が解散するという事でございます。部室は、我が『ゲーム同好会』に譲る、と」
「何ィ!? おい、てめぇ! 何勝手な事をぬかしてんだ!?」
亞足に喰って掛かったのは、モチロン加賀だった。他の二人は、そんな事はどうでも良いから早く帰りたい、という顔をしていた。
「一つ増え、一つ減る。おぉ、偶然にも数はそのままのようで」
亞足は加賀を無視して、カッカッカッ、と天狗のような高笑いをした。
「相変わらずのようだなぁ……亞足ィ。てめぇと勝負した時も、ずっと嘲笑うような態度をとりやがってよ」
どうやら加賀も亞足に挑戦したらしい。結果は聞くまでもなさそうだが。
「だがよ、解散するのはてめぇらの方だろ? いや、そもそも企画倒れするんだろ?」
加賀はニヤニヤと笑いながら言った。もうこれ以上部や同好会を作れないのを知っているらしい。
「オレらのは部員がきちんと五人居るんだ。解散しなければならない理由なんぞ、一つもない」
その言葉を聞いた亞足は、スィッと扇を動かし、口元を隠す。……今、笑っていなかったか?
「おやおや、随分な啖呵を切りましたね。幽霊部員が三人も居るというのに」
加賀の顔色が、ハッキリと変わった。なぜか東海先生も、またガマ油を放出し始めた。
この学校では、週に二回以下しか活動しない部や同好会は、機能していない――存在している意味が無いと見なされ、解散を命じられる場合がある。
それと同じように、週に二回以下しか参加しない生徒は、部員として認められないのだ。つまり、幽霊部員が三人という事は……事実上、二人だけの部ということになる。
亞足の発言は、それを知った上でのものだったのだろう。的を射られた加賀の表情は、驚愕……ではなく、人を小馬鹿にするようにニヤついていた。
「他の二人はたまたま来てないだけだ。それに、てめぇの眼は節穴か? ウチの部員は全部で五人。その内の三人が、今、この場に居るんだぜぇ? ゲームのやり過ぎで、引き算すら出来なくなったのか?」
ゲラゲラと、加賀は汚い笑い声をあげた。癪に障る笑い方だった。だが確かに、今この場には『起業家倶楽部』の部員が三人居る。
一人目は、当然部長の加賀だ。
二人目は、枝のように細身で、髪型はボブショート。そして、中性的な顔付きをした男子だった。男モンの学生服を着ていなかったら、普通に女子と思っただろうな。
三人目は、大きな眼鏡と三つ編みの、レトロながらスタンダードかつ特定の需要に応えきった、委員長タイプの女子だった。いかにも気の弱そうなタイプである。
亞足はスッと身体の向きを変え、
「校長先生、一つお聞きしたいことがあります」
「なんだね?」
突然の質問に驚きながらも、校長先生は厳たる態度を保っていた。
「部活への出席の有無は、顧問の先生が行う事とする。ただし、部員数が二十人以上の場合、または何チームかに別れている時は、部長にそれを一存しても良い。……間違いありませんか?」
「あぁ、そうだ。……何故キミが部活に関する教員マニュアルを知っているのかは謎だがね」
亞足は片方の眉を上げるだけで、何も答えない。蛇の道は蛇、という言葉が亞足にはピッタリだった。
「東海先生……いえ、『起業家倶楽部』の顧問である東海先生にお聞き致します」
蛇に睨まれたカエルのように、東海先生の身体は完全に竦み上がっていた。
「出席確認は……どちらの方が?」
東海先生は鳴き袋をグーッと膨らませ、大きな音を立てて深いため息を吐いた。
「……部長である、加賀君、さ」
その告白に、加賀は東海先生をギッと睨み付ける。まるでナイフを刺されたように、東海先生は顔を歪めた。
「だからどうしたって言うんだよ? きちんと来てたんだから、誰が確認したって同じじゃねーか」
「美殊、今この場に存在しない二人の幽霊部員君について、証言したい事があるそうですね?」
呼ばれた占手は、明らかに驚いていた顔をしていた。しかし、こくりと頷き、一歩前に出て証言を始める。
「残りの二人って、サメちゃんとアッカイ君だよね? サッカー部と掛け持ちの」
占手以外、全員が首を傾げた。何なのだろうか、その売れない芸人みたいなコンビ名は?
「……鮫島(さめじま)と阿藤(あとう)がどうかしたってのかよ?」
加賀が訝しんだ顔で言った。思い当たるのが二人しか居ないから分かったのだろうな。
「その二人なら、最近出来た彼女とベッタリで、毎日遊んでるって話だよ? サッカー部の部長さんがグチてたから、本当だと思うけど……」
占手からの、決定的な証言だった。
「オ、オレの出席確認は間違っていない! 点呼を取るときには、ちゃんとコイツらが居たんだ! 途中で帰るのはオレの責任じゃねぇ!」
加賀が初めて動揺を見せた。苦しい言い訳だが、一応筋は通っている。
「それが毎日続いたのなら、それはそれで問題だと思うのだがね」
校長が鋭い言葉で加賀を刺した。さすがにごまかしきれないと思ったのか、じだんだを踏むだけで、これ以上は言い返してこなかった。
「東海先生、生徒を信頼するのは宜しいことですが、過信はいけませんな。それと、加賀君。現段階で、その二人を部員として認めるわけにはいかない。改善できないようなら、同好会に格下げさせてもらう」
加賀は怒りに満ちた顔で、亞足を睨み付ける。しかし、亞足は眉一つ動かさず――いや、訂正。再び片方の眉を上げ、
「校長先生、お待ち下さい。私は申し上げたはずです。幽霊部員は、『三人』居ると」
亞足の追撃は止まない。
「どういう事かね? そこに居る二人のどちらかは、今日たまたま来ていたという事なのか?」
校長の問いに、亞足は扇をパチンと閉じ、『参りました』とでも言うように頭をコツンと突く。
「さすが校長先生。半分正解でございます」
その場に居た全員が、呆気に取られた顔になった。……ただ一人を除いて。
能楽を演ずるように、閉じた扇が水平にツゥーッと動き、
「三人目の幽霊部員は――貴方様」
指し示す方向に居るのは……加賀だった。
「てめぇ……言うに事欠いてそれかよ」
加賀は吐き捨てるように言った。
「『起業家倶楽部』を立ち上げたのはこのオレだ! 何でそのオレが幽霊部員なんだよ!?」
前のめりになって怒鳴り散らす加賀。それとは対照的に、亞足はゆっくりと一枚一枚扇を広げ、そっと口元を隠した。
「お勝ちになられたそうですね……800万ほど」
あまりの金額に、思わず吹き出してしまった。800万も勝った? いったい何で? ……桃電で?
「貴方は本気で起業家になろうと考えておられる、立派な方です。しかし、会社を立ち上げるというのは、やはり莫大な資金が入り用になります。だから貴方は、それに手を出した。株という名の、最も危うい手段に」
亞足が喋る度に、加賀の顔色が真っ青になっていく。
「公開している日記、拝見させて頂きました故。実に、実におめでとうございます。やぁや、そうなるとおかしな点が出てくることになりますな。その更新日時のほとんどが、4時から5時に集中していたような……」
「日記の更新ぐらい、今はケータイで――」
「携帯電話で撮った、株取引の結果写真もいくつか見受けられました。ただしそれは、ご自宅で撮影なされたようでしたが」
加賀の言い訳を、亞足は揺るぎない事実で掻き消した。
「お勝ちになった日、貴方は、『部活をやんないでパソコンに張り付いていたお陰だ!』、そう書かれた筈。……相違ないでしょうか?」
亞足の問いに、加賀は何も答えなかった。……いや、言い訳を喉に詰まらせてしまい、喋れないでいるようだ。
「加賀君! これはどういうことかね!? それが本当なら、『起業家倶楽部』は即刻解散してもらうぞ!!」
嘘まみれの加賀に、ついに校長が怒鳴った。もうどうにもならないと思ったのか、加賀は苦々しい表情を浮かべ、だらんと力無く両手を垂らしていた。
どうやら亞足の言った通りになりそうだ。実質二人では、同好会としてすら認められない。
一つが減って、一つが増える。かなり後味は悪いが、これで思惑通りにいったと言うことなのだろう。
そう、思っていた。
「お待ち下さい、校長先生」
場を納めるように、亞足が一歩前に出た。
「……まだ何かあるのかね?」
亞足はスカートの端を掴み、まるで貴族のように会釈をしながら、扇でコツンと頭を突いた。
「冗談でございます。先程のは、嘘八百にまみれた落語話でございます」
全員がポカンとなった。あれだけの嘘をあばき明かしておきながら、今度はそれが嘘だと言い放ってしまった。もはや加賀もほとんど認めている状態なのに、何を言い始めるんだこの人は。てっきり『起業家倶楽部』を解散させ、そのまま部室ごと乗っ取るという真っ黒い魂胆なのかと思っていたのに。
「キミは……何がしたいんだ?」
まるで全員の疑問を代弁するかのように、校長が亞足に問うた。
「私はただ、部室を譲って頂きたいだけの事。それだけの事にございます」
それが、亞足の答えだった。
「ふざけんな……ふざけんじゃねぇぞ、てめぇ! これだけ散々チクっておきながら、今更部室を譲ってくれだぁ? 絶対に嫌だね! てめぇにやるぐらいなら、他にくれてやるよ!」
「なら、アタシたちに頂戴よ!」
「うるせぇ! 人の話聞いてたのか、てめぇ!」
喧々囂々。侃々諤々。校長室は騒音のるつぼとなっていた。
絹のように白く美しい手が、荒々しくパンッ、と扇を広げた。そしてそれを、口元を隠すように顔にあてる。騒がしかったこの場所が、それだけでしんとなった。
「ではでは皆様方、ここは一つゲームで決めるというのは如何でしょうか?」
※
亞足が投げたプラチナのサイコロは、校長室の絨毯に落ちた。俺が出目を確認する前に、加賀はそれを拾い上げてしまった。
「サイコロゲーム……だと? このメンバーで仲良くスゴロクでもやろうってのかよ?」
「ゲームの内容を決めるのは、私たちであってはいけません。公平さが失われます。丁度この学校には、『ゲームを作る部』が存在しております。そこに一存するというのは如何でしょうか? サイコロを使うゲームという絞りで」
「面白ぇ……。いいだろう、受けて立ってやるよ。それで、てめぇらは何を賭けるんだ? こっちはもう、部室の譲渡って決まってると思うけどよ」
「では、幽霊部員三人に代わって、私たちが正式な部員となりましょう。それで、部の存続は叶うはず」
部員である俺たちの了承など何処吹く風か。亞足と加賀の一存だけで約束をかわされてしまった。
なんだかとんでもない話になってきた。ゲーム同好会に入りますって言っただけなのに、いつの間にか賭けの対象になっていて、しかも『起業家倶楽部』に入らなければならないのかも知れないなんて。
「占手はいいのか、これ……」
俺はこそっと耳打ちした。耳元が弱点なのか、くすぐったそうに身をよじらせる。
「うーん、まぁ、赫華だし」
付き合いが長いからこそ言える台詞だった。
「いいや、それだけじゃ足りねぇ。ってか、そこの男は要らねぇ」
しかも、その上要らないとまで言われる始末だ。俺っていったい……。
「逆に問いましょう。そもさんそもさん、貴方様は何がお望みで?」
「……そうだなぁ……。オレたちが勝ったら、例の交際条件通り……オレの彼女になってもらおうか」
何とも小狡い条件だった。『オレ』ではなく、『オレたち』。チーム戦なら勝てると踏んで、『高嶺の景品』を狙いに来やがった。
「良いでしょう。その条件、お呑み致します」
亞足は何ともあっさりとその条件を受け入れた。何か秘策でもあるのだろうか? ゲームの内容すら決まっていないというのに。
「待ちたまえ、キミたち! 私の頭上でそのような取引をするなど、言語道断だ!」
堪りかねた校長が、ついに席を立つほど怒りだしてしまった。当たり前だ。校長室で、しかも校長の前で賭博ゲームの話をするなんて、とても優等生二人がやる事とは思えない。
「こんな……こんな面白そうな『競争』に私を混ぜないとは何事か!」
「えっ、そっち!?」
思わずツッコミを入れてしまった。しかも、校長の顔が運動会の小学生のようにキラキラとしていた。……かなりキモかった。
「校長先生、ご安心を。溜席(たまりせき)をご用意してお待ちしております故」
「鋭い解説をお願いしますよ、校長先生」
さすが優等生二人と言うべきか。どうやらこうなることを予測していたらしい。亞足はともかく、加賀も相当な策士のようだ。
「うむ、任せておきたまえ! 最っ高のステージを用意させようではないか!」
昔の血が騒いでくるわ、とでも言いかねないハイテンションさだった。
※
校長室から出た俺は、さっそく亞足に詰め寄った。何か今日はみんな詰め寄ってばっかりだなぁ。
「おい、亞足! こりゃいったいどういう事なんだよ!?」
質問することがありすぎて、逆にそれだけしか言えなかった。
亞足は扇をパタパタとさせながら、さも当然のように、
「先刻申し上げた通りですよ。この部は、『ゲームで遊ぶ部』……だと」
一瞬、何を言っているのか理解出来なかった。
理解した瞬間、血の気がサーッと引いていった。
今分かった。校長室に集めて加賀の嘘を曝いたのは、部室を手に入れる為ではない。対戦者を得る為に『起業家倶楽部』を追い詰め、更に校長を焚き付ける事でゲームステージを用意させる算段だったのだ。
そう、全てはゲームを遊ぶ為のお膳立てにしか過ぎなかったのだ。
つい一時間前の安請け合いを、俺は大後悔した。両手に花でキャッキャウフフな部活ライフは、ビル屋上に設置された一本の鉄骨を渡るような賭博ライフへと変貌を遂げたようだ。
「ねーねー、ゲーム同好会発足記念として、ちょっとした打ち上げやらない? まだ(仮)だけどさー」
「ふむ、悪くない提案ですね。近くの茶屋で甘味を食すと致しましょうか」
亞足は扇をパチンと閉じ、それをこちらに差し出した。
「では行くとしましょうか、東氏よ」
……いや、案外そうでもないのかも知れないな。
■-------------------■
stage.2「分厚い説明書はもう要らない」
※
ゲームの内容が決まったのは、それから五日後の事だった。その翌日には、
『ゲーム・クイーン、亞足率いるゲーム同好会!
<VS>
800万の男、加賀率いる起業家倶楽部!』
というチラシが、校内の到る処に貼り巡らされていた。
開催場所は、隣接している総合体育館。そして開催日は、その翌日――つまり、ゲームの内容が決まってから僅か二日後だった。
ここまで急なスケジュールにしたのは、校長と実行委員会(ゲーム部)が情報の漏洩を恐れたからである。その情報とは、ゲームの内容そのもの。
そう、内容を知っているのは校長と、『ゲーム部』の極一部の人間だけ。サイコロを使うという以外、俺たちは何も知らされていない。
全ては、公平を保つ為。
選手達に全貌が明かされたのは、大会が開始される、ほんの一時間前だった――。
※
決戦の当日、俺たちは特別に6時間目の授業を免除してもらい、ゲームの説明書が配られるという控え室――家庭科室へと急いだ。『起業家倶楽部』は理科室なので、真反対に居ると言っても過言ではなかった。徹底的に公平さを守っているというワケだ。
家庭科室に入ると、意外や意外、なんと東海先生が待っていた。てっきり校長が来ると思っていたが、どうやらお目付役としてあちらに行ったらしい。確かに気の弱い東海先生では、また不正が行われそうだ。
俺たちが丸イスに座ると、東海先生は紙の束を持って立ち上がった。
「まず説明書を配る前に、一つ注意事項があります、ね。予行練習は一切禁止になっているので、サイコロの持ち込みも禁止となっています、ね。もし今持っているのなら、先生に預けて下さい、ね」
「げっ、マジですか」
思わず呻いてしまった。せっかく近所のオモチャ屋をハシゴしてまで買ってきたのに、速攻で没収とは。俺はポケットから十個入りの袋を取り出し、泣く泣くテーブルに置いた。
どうやら持ってきたのは俺だけらしい。占手はともかく、いかにも用意周到な亞足が持ってこないのは意外だった。
「それでは説明書を配ります、ね。制限時間は一時間だけ、ね。それまでキチンとルールを覚えて下さい、よ」
そう言って渡されたのは……A4の紙一枚だけ。文章はパソコン入力だが、文字の大きさも体裁もバラバラ。特に酷いのは挿絵で、サイコロですらピカソが逃げ出すような前衛的な絵と化していた。急ピッチで作りました、というのが全面から漂ってくるようだった。
何かの冗談かと思ったが、待てども待てども次が来る気配がまるで無い。……どうやら本当にこれだけらしい。
平成生まれの俺たちに、こんなファミコン以下の説明書でどうしろっていうんだ?
「ほぅ、単純ながらも良く練られていますね。これは良い。とても良いゲームです。遊び方が単純なものほど、実(げ)に面白きゲームかな」
パタパタと扇ぎながら、カッカッカッ、と天狗のような高笑いをした。一つ分かったのは、亞足は上機嫌になるとその笑いが出るらしい。
それにしても、いかにも辛辣な評価を下しそうな亞足が太鼓判を押すなんて、相当良くできたゲームなんだろうな。さすがプロを輩出しているだけはある。……説明書の善し悪しは別として。
俺は腰を据え、説明書を読む体勢を整える。前評判も情報も聞かず、直感だけで買ってきたゲームの封を開けるような、そんな期待感と不安感があった。
「2DST(ツー・ダスト)・ゲーム……?」
それが、僅か一週間前に産声を上げたゲームのタイトルだった。
※
《えー、突然のルール変更があった為、予定より30分遅れて開催することをお詫び致します。……さぁ! というワケで、いよいよ開催となります! 校内部活動対抗戦、部室&交際権争奪バトル! 司会はみんなの耳のお友達、『ラジオ放送部』の部長こと、声部 織宮(せいぶ おりみや)デース! ヨロシク! そして解説者は、核の炎に包まれた後でも生き残れるようにと、今の教育方針にツバを吐きかけ続ける歌舞伎者こと、芽菜(めさい)校長先生デース! ヨロシク!》
《キミ、さすがにその紹介の仕方はマズイのでは……?》
《はい、ありがとうございましたー! さてわそろそろ、皆さんお待ちかねの選手入場と参りましょうか! まずは……コイツだァーーー!!》
声部の合図で、目の前にある体育館の扉が開かれた。
まず俺は、その人数に驚いた。こんな出来の悪い催し物に、ざっと百人以上が見物に来ていたのだから。各々にイスは用意されているのだが、誰一人として座っていなかった。まるでライブ会場だ。
次に驚いたのが、中央に設置された特別ステージだ。高さが腰ほどの台の上には、向かい合わせになった机と椅子、そしてそこに向けられたテレビカメラが二台。そして台の周りには、なんと40インチの液晶テレビが右側と左側に二台ずつも設置してあった。ローカルテレビ顔負けの豪華セットである。
俺は実行委員の男子に促され――というより無理矢理押し込まれるようにして、その中へと足を踏み入れた。
その瞬間、湧き上がる歓声、汗ばむほどの熱気……など、一切無かった。俺に向けられた視線は酷く冷たく、僅かに聞こえるペチペチという拍手は、むしろ俺を惨めな想いにさせた。
《さぁ、最初に現れたのは2−B組のPSP男、葉根 東だァーー!》
声部のハイテンションとは裏腹に、会場は水を打ったように静まりかえったままだ。右手方向のアナウンサー席に座っている声部は、困ったようにツインテールをピコピコと揺らす。
《……うーん、盛り上がりませんねぇ。そりゃそうですよねぇ。会場の99%の人が、『誰だコイツ!?』って思っているでしょうし。ちなみに、ウチも知りませんでした》
言われたい放題だった。痛い。視線が痛い。もう勘弁してくれ。マジで帰りたい。
《なので、ここの部長さん――後に紹介する亞足さんから、彼についてコメントを頂きました》
亞足の名前が出た途端、会場が異常なざわつきをみせた。さすが有名人といったところか。俺とは違うんだな、俺とは。
《えー、『東氏は我が部の秘密兵器である。その実力を刮目して頂きたい』……だそうです。なんと、あの! あの亞足さんからのお墨付きなのデース! もしかすると、今回のダークホースは彼なのかも知れません! 能ある鷹はやっぱり爪を隠す性分なのかァ!? 改めて紹介しましょう! 『ゲーム同好会』の秘密兵器……葉根 東だァーーー!!》
会場が揺れるほどの声援が、俺に浴びせ掛けられる。勝負する前からコールドゲーム寸前だったのに、今となっては手に汗握るホットゲームとなっていた。
どうせ亞足の威光で盛り上がっているだけだ。俺のお陰ではない。……だがそれでも、自然と血はたぎり、脳が火照っていくのを感じる。俺の感情が、会場全体の雰囲気に飲み込まれていくのを感じる。それは、自分のスコアが全世界のTOP10入りした時とはまた違う興奮だった。
振り返ると、亞足は片方の眉をクイッと上げた。まるでお膳立てはしてやったぞ、とでもいうように。
俺は……初めて亞足に感謝した。
《さぁ、もーりあがってまいりました! 次は『起業家倶楽部』の紅一点、入って来いやァーー!》
声部の号令で入場してきたのは、あのステレオタイプな委員長だった。改めて見ると、少女と言った方が正しいぐらい背が低い。間違いなく、この会場で一番場違いな存在だった。
規律を守る筈の委員長が、部員のために賭博ゲームに手を染める。そんな裏ストーリーがあるに違いない。だってほら、見てみなよ。迷い込んだ子羊のように、あんなにもオドオドと……していなかった。
まるでプロレスラーのように肩をぐるりと回し、委員長は俺の方に向けて中指を押っ立てた。それで会場は大いに盛り上がり、むしろ一番相応しい存在となっていた。
《おぉーっと! これは刺激的な挑発だァー! 知らない良い子は、明日お母さんに聞いてみよう! 家族会議は必須だぜ! 見た目は委員長、中身は伊語の暴れ馬! 2−D組のちびっ子番長、諸岡 明日美(もろおか あすみ)だァー!》
会場は更に盛り上がり、観客は足を踏みならしての『ちびっ子コール』が掛かった。
「誰がちびっ子だ、ゴラァ!」
ドスを利かせた声で、明日美が吠えた。ゲームはゲームでも、本格プロレスゲームで勝負しに来たのか、この人は?
突然、明日美がアナウンサー席に向かって走っていく。慌てて逃げる校長。早くも場外乱闘か?
明日美は声部からマイクを取り上げ、
《おい、美殊! アンタは自分が潰す! さっさと出て来いや!》
またしても挑発的なマイクアピールで、まだ出て来ていない占手を呼び出す。
「なんだとー!? 負けるもんかー!」
いとも簡単に挑発に乗り、占手は走って登場してきた。そして俺を追い越し、一番先に特別ステージへと駆け上がっていった。それに負けじと明日美も上がり、一番目立つ場所で大人と子供の睨み合いが始まってしまった。
《なんとォ!? ウチのお株を奪われてしまったぞー!? ちびっ子番長の呼び出しに応じたのはモチロン、伊語高校にこの『胸』在り! 頭良し、顔良し、スタイル良し! ついでにゲームの才能も良しなのかァ!? 全校生徒人気ナンバーワン、2−D組の占手 美殊の登場だァーーーー!!》
声部のアナウンスに、占手は手を振り上げて応える。至高の胸がたわわに揺れ、その瞬間会場の盛り上がりは最高潮に達し、体育館も大きく揺れた。
《ここまで盛り上がった後は入り辛いぞ! 顔は中性、成績も中の中、下馬評でも人気は中ぐらい! しかしその中身は、中牌(ちゅんはい)を使いこなすプロアマ雀士、寿 孟子(ことぶき もうこ)だァーーー!!》
寿はパッとしない男優のように、ペコペコと頭を下げながら入ってきた。しかし、みんな占手と明日美の睨み合いに集中してしまい、注目する者は少なかった。……なんか、俺と同じ匂いを感じるな。顔はまるで違うけど。
そう思った矢先の事だった。5〜6人の女子がせーのの合図で、「頑張れー! コ・ト・ブ・キ・クーン!」と黄色い声で声援を送ったのだ。寿はそれに困ったような笑い顔で応えると、その女子達はキャーキャーと嬉しそうに騒いだのだ。
前言撤回。アイツは俺の敵だ。
《続いても『起業家倶楽部』からだァー! 株で800万儲けたのは、もはやウチらの間では語り草! 卒業後はマジで会社設立か!? 奢ってくれよ、部長さん! 雇ってくれよ、社長さん! 就職難をせせら笑うぜ! 3−Aの大金持ち、加賀 泰蔵だァーーー!!》
会場の雰囲気に呑まれることもなく、かとって乗るワケでもなく、確固たる姿勢で威風堂々と歩いてくるその姿は、テレビでよく見る成功者そのものだった。例え、性格がどうであれ。
十人以上の女子――さっきの寿応援団のメンバーも入っていた――が加賀に向かって声援を送る。加賀は悠然とした態度で、それに軽く手を挙げて応えた。
ちくしょう、どうせ800万って金額に惹かれただけの女子軍だろ。悔しくなんかないぞ。悔しくなんか……ないんだ。
《さぁ……いよいよ最後の選手紹介です》
声部のトーンが一気に落ちた。今までとは違う緊張感が張り詰め、会場内は静かに、しかし最高潮に盛り上がり始めていた。
《トリを務めるのは、モチロンこの方。容姿端麗、頭脳明晰、堅牢強固。特攻した恋心は数知れず。しかし、しかし……ついに今日、『高嶺の景品』に手が届く者が現れるのか!? それとも撃墜マークが増えるだけなのかァ!? ゲーム・クイーン! ラブレター・キラー! 恋心の死神! 愛をチップに変えた女! 二つ名は好きに呼べ! 全校生徒知名度ナンバーワン、2−D組の亞足 赫華だァーーーー!!!》
熱を帯びた声部の紹介に、ボリュームが上がり続ける観客の声援。だがそれとは裏腹に、亞足はしずしずと登場してきた。炎の中に氷が現れたような、そんな空気の冷たさを感じた。亞足は何一つとして目立ったことをしていない。にも関わらず、会場を飲み込まんとするその存在感は、まさに圧倒的だった。
一つ、また一つと音が消えていき、やがて会場内は奇妙な静寂に包まれていった。誰一人として、声を上げようとしない。誰一人として、動こうとしない。まるで観客全員が、凍り付いてしまったかのように。俺も、いつの間にか音を立てないように呼吸をしていた。
「此度は私の我が侭の為にお集まり頂き、誠に感謝しております。大したお持て成しは出来ぬかも知れませんが、この舞台で繰り広げられるしばしの余興を、どうぞごゆるりとお楽しみ下さいませ」
絹のように白く美しい手が、荒々しくパンッ、と扇を広げた。その音でみんなに張り付いてた氷が砕け、黙っていた分を取り戻すかのように、会場は二次曲線的に盛り上がり始めた。
改めて恐ろしいと思った。その一挙一動だけで、完全に場を制圧している。亞足にとって、これもまたゲームの一部にしか過ぎないのだろうか……?
《……えーっと、あ、はい。では選手の皆様は、特別ステージ近くの席にお座り下さい! 壇の方側――赤い席が『ゲーム同好会』で、正面入り口側――青い席が『起業家倶楽部』です! 観客の皆様は、白いテープより内側に入らないで下さい! なお、視力の悪い方や、位置取りをマズった方は、設置してあるテレビをご覧になって下さい! 選手と手元のアップを見る事が出来ます! あと、今回のゲームについての説明書が実行委員会から渡されます! 束で貰った人はどんどん回していって下さい! ペラ紙一枚だけですよ!》
声部の指示通りに、会場全体が動いていく。俺たちは赤い席に、そして向こうは青い席に座った。
《準備は出来ましたか? 準備は出来ましたね! それでは今から……『2DST・ゲーム大会』を開催致しマース!》
※
この『2DST・ゲーム』で勝負するのは、全部で三つ。ビギナークラス、ノーマルクラス、そしてマスタークラスだ。敢えて三回戦勝負と言わないのは、それぞれのクラスでルールが若干違うからだ。……いや、今となっては大きく異なっている言った方が正しいか。
開催が30分も遅れた理由。それは、亞足によって更にルールが追加されたからだ。
「いよいよ始まるね。うーん、ワクワクしてきた!」
右隣に座った占手が、子供のように足をパタパタとさせる。それと同時に漂ってくる、芳しい匂い。見ると、ソースがたっぷりと塗られたタコ焼きパックが占手の手元にあった。
「……何それ?」
「ん? 『料理部』からの差し入れだよ? ほら、あそこ」
つまようじの指す方向に顔を向けると、いつの間にか渡り廊下の途中に屋台が軒を連ねていた。タコ焼き屋を筆頭に、お好み焼き屋、綿アメ屋、チョコバナナ屋と種類が豊富である。何故か謎のルーレットゲーム、『ワンツァンバッツリショー』まで存在しているようだ。商魂たくましいとはこの事か。
「食べる?」
そう言って、占手はタコ焼きを俺に差し出してきた。これは……まさか夢のシチュエーションの……!?
「あー……ん?」
パクッ、という音と共に、俺の夢は跡形も無く消え去ってしまった。
「ふぅむ……これもご……なかもご……」
「うぉぉおーーい!」
またしても俺の前に立ちはだかる、扇の魔女。さっきの立ち振る舞いは何処へやら。カリスマ・ブレイクし過ぎだよ。
「めっ! 喋るんなら、ちゃんと飲み込んでから!」
占手も占手で、怒るポイントがズレている。
「やぁや、これはこれは失礼。つい芳醇な匂いに誘われました故」
絶対嘘だ。
「それで、美殊。楽しんでいますか?」
「うん! ねぇ赫華、ゲームって楽しいね!」
亞足の問いに、占手は満面の笑みで答える。逆に俺は、不安が募る一方だった。聞いた事もやったこともないゲームで、いきなりガチンコ勝負だなんて……。
「ようやく分かりましたか、美殊? ゲームとは、至極面白いものなのですよ。心行くまで、そして一番楽しめた者が勝者となるのです」
左隣に座った亞足は、扇で口元を隠したままそんな事を言った。
「楽しむ……か」
俺はポツリと呟いた。亞足の言う通りだ。出来る限り、このゲームを楽しむとしよう。自然と両手に高嶺の花状態の今も、思う存分楽しむとしよう。……周りの男子から向けられている眼は、殺意に満ちているが。
《まずは、ビギナークラスからの勝負となります。両チームの先鋒、どうぞステージへ!》
俺らのチームの先鋒は……占手だ。理由は単純。そもそもゲームというモノに対してビギナーだからだ。
対して向こうのチームは、左端に座っていたちびっ子番長こと明日美だった。ゲームをやるようなタイプには見えないから、多分こちらと同じ理由で先鋒にしたのだと思うが、偶然にも因縁――あるかどうかは知らないけど――の対決となったようだ。
二人は我先にとステージへ駆け上がり、再び睨み合いを始めた。
「覚悟しとけよ、このダボォ! 心臓と一緒にそのメロンを縮めたるわ!」
「ふふん、じゃあアタシはアンタの身長を更に縮めてあげるよ!」
占手の胸が縮んだら、伊語高校の貴重な財産は失われるだろう。明日美の身長が更に縮んだら、高校生としての社会的地位が失われ、幼稚園児としてやり直すことになるだろう。どっちが勝っても、いろいろと問題が出そうだ。
向かい合わせの席に座ると、テレビカメラの電源が入れられ、会場内がワッと歓声をあげた。どうやらドアップの映像が映ってるらしい。あいにく、こちらから見えるのは背面パネルだけだが。
《さて、この『2DST・ゲーム』を聞いたことがある人は、一部を除いて会場内には居ないと思います。なぜなら、つい二日前に完成したばかりの新しいゲームだからです。そこで、まずはこのゲームがどんなものなのか、観客や選手を含め、お試しプレイで分かってもらう事にしましょう》
実行委員の女子一人がステージに上がっていき、二人にサイコロを一つずつ渡した。
《まずは先攻、後攻を決めます。大きい目を出した方が、好きな順番を選べます。投げるタイミングはお任せしますよ》
お任せと言われたにも関わらず、占手と明日美は我先にとサイコロを振る。全く、仲が良いのか悪いのか。
占手は5。明日美は3。幸先の良い結果になったようだ。
「もちろん先手で!」
占手が先手。何人かはこの親父ギャグに気が付き、苦笑いをしていた。一方亞足はと言えば、扇で顔全体を隠し、肩を揺らしている。……行くとこまで行くと、原点に還るとは良く言うがホントなんだな……。
《次に、両者とも五個のサイコロを振ってもらいます。ただその前に、互いの出目が見えないよう、間に仕切り板をセットさせてもらいます》
実行委員がキャスター付きのホワイトボードを机の間に滑り込ませ、お互いが見えないように仕切った。
《ここからは全員、サイコロに関する私語を一切禁止とします。違反した生徒は、強制退出と、後々校長先生からキツーイお説教があるので、注意して下さい。それでは、どうぞ》
二人とも実行委員から残りの4個を渡され、合計五個のサイコロを、各々のスタイルで机の上に放り投げる。
カンコンキンコンと調子外れな足音を鳴らし、サイコロは小さなステージで踊り続け、巨人たちの視線を一身に浴びる。踊り疲れたものは止まり、巨人たちが一喜一憂するフェアリーサークルを残していく。
占手の出目は、5、5、4、4、2。最強の6が無いとはいえ、かなり強い数が出揃った。
対する明日美は、5、4、3、2、1。ものの見事に階段となっていた。どうやら今回の勝負は、占手が負けることはなさそうだ。
《出揃いましたね? なお、サイコロではどうしても小さく見辛いので、今回は特性トランプを用意致しました。『美術部』の皆さん、ご協力ありがとうございます》
女子の実行委員がステージの上で、その特性トランプとやらを掲げた。六枚の特性トランプには、サイコロの絵と、それぞれに1〜6の出目が描かれてあった。
机の上からサイコロが回収されていき、代わりに同じ出目のトランプが合計五枚手渡される。
なるほど、それが手札になるワケか。
《さて皆さん、何故これが『2DST・ゲーム』と名付けられているのか、気になっている方も多いかと思われます。DSTとは、”Dice Show Time(ダイス・ショータイム)”の頭文字を取ったもの。つまり、勝負する前に手持ちのサイコロを2つ公開しなければならないのが、このゲーム最大のキーポイントなのです》
説明を聞き終えた観客が、急にざわつき始めた。当然の反応だった。それに一体何の意味があるのか、分からないからだ。かくいう俺も、少ししか理解出来なかった。多分ゲームが進むにつれて、その重要性が分かってくるのだろう。俺も含めて。
《両選手とも、好きなサイコロを2つ選び、表にして置いて下さい。残りは見えないよう、伏せて置いて下さい》
声部の指示通り、二人とも5つの中から2つを選び、机の上に表示した。
占手が選んだのは、5と5。強い数が2つもある事を誇示し、プレッシャーを掛けようという作戦だろうか。
対する明日美は、3と4。中間の数字を出してきたようだ。性格の割には慎重というか、占手の思考を乱そうとしている感じがした。
《それでは、一旦仕切り板を無くします。ちなみにこの時間を、『ダイス・ショータイム』と言います》
ホワイトボードが取り除かれ、ここで初めて占手と明日美は互いの数を確認し合った。
占手は余裕シャクシャクといった態度である。一方明日美は、苦々しい表情だった。それもそうだろう。自分の手札には、それに勝る数字がないのだから。
《相手の手札を確認しましたね? それでは仕切り板を戻します。その後で、公開した2つを手元に戻して下さい。バレないように、シャッフルしても全然OKです》
素直というか何というか、占手は本当にシャッフルし始めた。相手が見ていないのだから、全く意味がないのに。
《面倒な下準備はこれで完了です! さぁ! ここからのルールは至ってシンプル! 相手より大きい数字を出せば勝ち! たったそれだけです! 先攻、占手選手! 第一投目を出して下さい!》
いよいよ始まった『2DST・ゲーム』。どういう展開で進み、何が正しい戦略なのか、まだ誰一人としてハッキリとは分かってはいないだろう。ルールですら、まだ危ういところが多い。何もかも手探りで進まなければならなかった。
そんな状況の中、占手は迷うことなく5の数字を選んだ。
「置いたよー!」
占手の宣言に、会場がクスクスと笑った。所々から、「占手先輩、どんまいどんまい」という声援も聞こえてくる。
《あのー、占手選手。一応ルール上に乗っ取って、『セット』と宣言して下さい。格好が付かないですよ、それじゃ》
「やっ! ゴメンゴメン! じゃあ……セーーーット!」
まるでヒーローが変身するような掛け声で、勢い良く5を置いた。これがマンガなら、モンスターが3D化して出てくる所だな。
《それでは後攻、明日美選手! 第一投目を出して下さい!》
先攻は、何を出すべきかと悩むので時間が掛かる。後攻は、先攻が何を出したのかと悩むので、もっと時間が掛かる。
そう思っていた。しかし、明日美は少し悩んだだけで、占手とほとんど変わらない時間で置いたのだ。
「セット! ビックリしてアゴを外したらええわ!」
《あのー、明日美選手。なるべく私語は慎んで下さい。進行の妨げになります》
第一投目にして二人とも注意を受けるって、似たもの同士というか何というか……。
《気を取り直しまして、さぁ! 両者ともセットしたところで、オーーープン!》
再びホワイトボードが避けられ、相手が選んだ数字が公開される。
一瞬の沈黙の後、
「やったー! イェイ! まずは1勝!」
初勝利に、占手は飛び跳ねて喜ぶ。会場も、占手の勝利に大いに湧き上がる。だが俺は、自チームの勝利にも関わらず、苦い顔をしていた。なぜなら、この勝負はある意味負けだからだ。
明日美が出した数字は……1だった。
「ほぅ、あの童(わらべ)はもうこのゲームの神髄が分かったのか」
亞足が感心したように言った。占手ではなく明日美を褒めたのは、さすがというべきか。
明日美は負けて当然の数字を、5という強敵で消化したのだ。それにより、今の占手と明日美の手札は……たった一手でほぼ互角になってしまったのだ。
明日美は、次に繋がる負け方をしたのだ。
ほぼ勝ちだと思われていた戦局が、いきなり暗礁に乗り上げたようだ。
《さぁ、順番は入れ替わりまして、先攻は明日美選手! 第二投目を出して下さい!》
先程よりも長く悩んだ後、明日美が出したのは……5だった。さすがに2連敗は避けたかったのだろう。俺だってそうしていた。
続いて後攻の占手。出したのは……意外にも4だった。奥の手として、5を残しておきたいという気持ちがあったのだろう。負けはしたものの、その判断は正解だと思う。
「オッシャー! 見たか、このダボォ!」
「あー……負けちゃった。こっちを出せば良かったかなぁ?」
ホワイトボードがオープンされ、今度は明日美が喜び、占手は出した手を後悔していた。これで一勝一敗のイーブンだ。
占手の残りは、5、4、2。
明日美は、4、3、2。
一見まだまだ占手が余裕そうに思えるが、確実に勝利が拾えるのは一度だけで、タイミングを誤ると最悪引き分けに持って行かれかねない。
《占手選手、第三投目!》
一投目、二投目とはうって変わり、占手は特性トランプを見つめたまま、長考に入ってしまった。観客の多くが、じれったい想いに駆られる。しかし、この第三投目こそが、このゲームに於ける最大のキモなのだ。
占手が知っているのは、明日美が4と3のサイコロを持っているという事だけ。残りの1つは当然分からない。だからこそ、悩んでしまうのだ。
明日美が出したその2つは、最小値なのか、それとも中間ぐらいなのか、はたまた意味がないのか、占手はそれを読み取らなければならない。俺が占手に仕掛けた、宣言ジャンケンと似たようなものだ。中途半端に手札が分かっているからこそ、思い切った行動を取ることが出来ない。
俺たちから見れば、5を出せば確実に勝てるのは分かっている。しかし、占手にはそんな事など分からない。あくまで、勝てる確率が高いだけなのだ。知らない最後の一つが、6か5という可能性を捨てきることなど出来はしない。
加えて、幸か不幸か、明日美は5から1という階段の数字になった。そこまで綺麗に揃うのはなかなか珍しい事だ。だからこそ、酷く読み辛い。敵が5から1まで綺麗に揃った手札を持っているなんて、誰が予想出来ようか?
普通は占手のように、同じ数がダブる。多分、占手もそう思っているだろう。自分と同じように、5を2つ持っているのではないか、と。
「……よしっ!」
熟考の末、占手が出したのは……なんと5だった。これで、5、4、5と連続で高い数字を出すことになる。
占手の作戦が何となく分かってきた。先に三勝してしまえば、その時点で勝ちとなる。つまり、ほぼ負けてしまう2を使わずに済む――そういうことなのだろう。だが、だがそれは――。
後攻の明日美は、10秒と経たない内に手札を置いた。出したのは……案の定、2だった。
そうなのだ。速攻を仕掛けるというのは、その有効性と同時に酷く読まれやすい。占手が『ダイス・ショータイム』で5を2つも出したことから分かるように、早々と勝負を仕掛けてくるのはある意味明白だったと言えよう。
「決着……ね」
亞足がため息を吐きながら扇を閉じた。
「え? 四投目がまだだろ?」
「計算は苦手な方かな、東氏よ? 二人の手札をご覧なさい」
占手は、4と2。
明日美は、4と3。
あれだけ差があったにも関わらず、なんと逆転していた。
「で、でも、まだ勝てる可能性はあるじゃないか。冷静に考えさえすれば――」
「東氏も、次に占手が出す数は分かっているでしょう?」
亞足の言う通りだった。希望は必要だが、現実から眼を背ける為の希望的観測は、勝負事ではやってはならないこと。そう、きっと占手は――。
「やったー! よっしゃー! 二勝目!」
占手は大きくガッツポーズを取った。観客も「あと一勝! あと一勝!」と大いに盛り上がっていく。だが俺と亞足だけは、残念そうにそれを見つめていた。
明日美は悩むことなく、意気揚々と4を出した。そして占手は……4を出した。
これで、二勝一敗一分けで最終局――第五投目へともつれ込むこととなった。観客には、もうその結果が分かっている。俺と亞足には、その前からこうなることが分かっていた。
《もう悩む必要はありませんね? さぁ、ラストのサイコロを置いて下さい!》
占手が最後の手札を置こうとした瞬間、ハッとした顔になった。ようやく気が付いたのだろう。明日美が『ダイス・ショータイム』で出したのは、4と3。使っていないのは、3だけ。つまり……オープンする前から、第五投目は負けになるという事が。
「あー……やっちゃった」
占手は頭を抱えて机に突っ伏し、投げ捨てるように特性トランプを置いた。
こちらが圧勝するだろうと思って居た勝負は、蓋を開けてみればなんと引き分けにまで持って行かれてしまった。……いや、明日美が占手に与えた精神的ダメージはかなり大きい。大きい手札で、小さい手札に負けてしまったのだから。次からの試合に影響が出てしまうだろう。
それにしても、『2DST・ゲーム』の面白さと怖さが良く分かる勝負となったようだ。出目が最悪でも、心理戦で互角にまで持って行ける事を実証したのだから。
今後は更に、『ダイス・ショータイム』が重要なポイントとなってくるだろう。2つのサイコロを見せる。たったそれだけで、人の心は大きく揺れ動いてしまうのだから。
そう言えば、亞足も同じ事を言っていたな。
『遊び方が単純が故に、そこに心と考えが大きく加わり、心理は大きく揺れ始める』
逆に言えば、遊び方が難しいモノは心理戦が加わりにくい。最終的に効率化を目指していくことが、勝利へと繋がっていく。俺がやっていた、STGのように。熱中している間は良い。問題は、一度冷めてしまった後だ。複雑が故に、忘れやすい。そうなると、もう二度とやらなくなるのがほとんどである。
どうしてジャンケンが今も残っているのか、分かったような気がした。
※
一回戦目が終わった後、みんなの脳を休めるために短い休息が入った。
《いやー、なかなか白熱しましたねぇ校長先生。圧勝するかと思われていた試合が、まさかの引き分けにもつれ込みました》
《占手君は成績優秀ですが、真っ直ぐな性格をしてますからね。明日美君はその辺を分かっていたようで、マタドールのようにヒラリとかわして刺したのです》
校長の意外と上手い解説に、俺は驚いた。ちゃんと試合運びを見ていたようだ。ただ、あまりにも普通でまともすぎたため、面白味は全く無かった。欠伸を噛み締める生徒も多数居た。
「やー、案外難しいね、このゲーム」
左隣の席に戻ってきた占手が、頭を掻きながら申し訳なさそうに言った。
「普通のゲームをやったことがないんだから、しょうがないよ。引き分けでも儲けモンさ」
お世辞ではなく、本音である。有利な手札だったとはいえ、占手はジャンケン以外にゲームをしたことがないのだから。
「そうですね。悪くはありません」
亞足が静かに頷きながら言った。やっぱり占手には甘いようだ。
「次への香辛料と考えれば、なかなか刺激的な試合運びですから」
「香辛料?」
そういえば、引き分けになった場合は……。なるほど、確かに刺激的である。
《えー、はい。『ゲーム部』からのお知らせです。ただいま使用したサイコロと、特性トランプを個数限定でセット販売するそうなので、詳しくは『ゲーム部』までお越し下さい……だそうです。ちゃっかりしてますねぇ》
全くだ。商魂たくましい事この上ない。
《さて、こちらの準備も整ったようなので、第二回戦を行いたいと思います。次からは休憩を挟みませんので、ご注意下さい》
今の内にトイレに行っておけ、という事なのだろう。女子特有のぼかした言い方だな。
「うん! それじゃ、行ってくるね!」
占手は威勢良く立ち上がる。すると、スカートがふわりと浮かび上がり、その拍子に健康的な脚線美が露わとなった。瞬間、俺の網膜はオートフォーカスと動体検知付きになり、自動的に連続でシャッターが押された。
眼を閉じてスライドショーを楽しもうとしたら、扇でペチッと叩かれてしまった。
「鼻の下が一尺も伸びていますよ? 仲間に下種な事はお止めなさいな」
亞足からの注意に、俺はかなり凹んだ。下種って言われると、何だか心に響くものがあるなぁ。
《さぁ! 第二回戦……の前に、ルールの補足を致します。この『2DST・ゲーム』は、HP(ヒットポイント)制であることは説明書に書いてありますね? 念のため、マニュアルを読まない『大きく切って押し込め』派の為に全部説明致します》
声部は咳払いを一つする。
《ビギナールールで勝利する為には、相手のHP20を0まで減らす必要があります。では、どうやってHPを減らすのか? その回戦で三勝すれば、相手に累計ダメージを与える事が出来るのです。では、累計ダメージとは何か? その回戦中で溜められた、サイコロの差分ダメージの事です。ここまでは分かりましたか?》
何人かの生徒が手を挙げて、「分かりません!」と声を上げた。
《分かるまで説明書を読んで下さい。では、先に進みます》
扱いが酷ぇ。
《つまり、『大きい数−少ない数=差分ダメージ』という事になります。すぐにダメージを与えられる、というワケではなく、どちらかが三勝するまでそれは蓄積されていくのです。そして三勝すれば、場に溜まった累計ダメージを相手に与える事が出来る、というルールなのです》
声部の元に男の実行委員が近寄っていき、一枚のメモ用紙を手渡す。
《えー、一回戦目を例にとって説明致しましょう。一投目は、占手が5、明日美が1で、占手が勝利。差分ダメージは4となります。二投目は、明日美が5、占手が4で、明日美が勝利。差分ダメージは1となります。もうお分かりですね? 合計すると、一回戦目の累計ダメージは9でした。どちらかが勝てば、9というダメージを相手に与える事が出来たのです。しかし、一回戦目は引き分けでした》
今更になって、あちこちから「書いてない?」という声が聞こえてきた。
《書いてないんですよ。マヌケですねぇ》
そう、渡された説明書には、勝利した場合しか書いていなかった。
大会が始まる前、亞足がそれを指摘し、急遽ルールの補足が行われたのだ。
《引き分けになった場合は、その累計ダメージが次に持ち越されます。つまり、次に三敗してしまうと、前回と今回の累計ダメージをモロに浴びることになってしまうのです》
観客全員が「えぇ〜!?」と驚きの声を上げた。まるでテレビショッピングようだ。
《さて、それが一目で分かるように『電気科学部』の皆さんが、HPゲージと累計ダメージの表示板を作ってくれました。はい、拍手〜!》
会場内が惜しみない拍手で湧き上がる。『電気科学部』と思われる部員たちが立ち上がり、照れ恥ずかしそうに頭を下げた。
《さぁ、壇上をご覧下さい! あちらが……!?》
その光景に、声部が絶句した。遅れて見た俺も、観客も絶句した。亞足と占手だけが、妙に喜んでいた。
壇上にあったのは、本当に巨大なHPゲージだった。目盛り一つに通常サイズの蛍光灯が一つ使われ、高さは天幕スレスレである。まるでそれは、仮装大賞に使われる合格ラインメモリのようだった。それが、二つも鎮座しているのだ。
その間には、2桁まで表示出来る電光掲示板が設置してあった。こちらもなかなかのサイズで、黒板ぐらいの大きさがあった。
いくらなんでも気合いの入れすぎである。それに、なんというか……一歩間違えると、田舎にあるラブホテルのような安っぽい煌びやかさがあった。
《……えー、はい、えー、あちらを見れば一目瞭然という事で!》
一目どころか、嫌でも眼に入る大きさである。自己主張強すぎだろ、アレ。
《とにかく、これでビギナークラスのチュートリアルを終了致します。居眠りしてる人、起きてくださーい。もう説明はありませんよー?》
あちこちからガタタッ、と椅子の音が聞こえてきた。
《さぁ! 大打撃を喰らうのはどちらか!? 注目の第二回戦目、開始しマース!!》
最初がどれだけ大事なのか、それを痛感した二人はなかなか投げようとはしなかった。残念な事に、早く投げようが、躊躇おうが、そこから先は神のみぞ知る領域である。
それは自分の意志か、神の意志か。最初に掌からこぼれ落ちたのは……明日美だった。
一回戦目とは比べものにならない緊迫感がこの場を包む。いつまでも転がり続けるそれは、人を弄んでいるようにも見えた。
明日美の手札は……6、6、4、4、3。無言でガッツポーズを取る明日美。なんという強運だろうか。6を2つも出しやがった。これで二回は絶対に負けることが無くなってしまった。
占手は力強く頷いてから、サイコロを放り投げた。俺は祈らずには居られなかった。明日美に対抗できる手札を揃えるのは、相当厳しい状態なのだから。
そして占手の手札は……5、5、4、2、2。占手もまたカッツポーズを取った。何も知らずに喜ぶその姿が、酷く悲しく映った。一回戦目とはまるで逆である。……いや、より状況が悪い。
「これはこれは……面白くなりそうな手札ですね」
扇で口元を隠した亞足が、ぽつりと呟いた。面白くなりそう? この勝ち目の薄い手札でか? 俺は内心イラついていた。
《選びましたか? 選びましたね? イッツ・ア・『ダイス・ショータイム』!》
明日美は……偶然にも一回戦と同じ、4と3になった。前と同じぐらいの手札だ、とブラフを仕掛けているのだろうか?
対する占手は……5と2。ある意味無難な、最高値と最小値を出したようだ。どういった考えでそれを出したのか、それは分からなかった。
両者とも、喜びも悲しみもしなかった。ただジッとサイコロを見つめ、それを出した意図、そこから考えられる手札を必死になって想像しているようだった。観客もまた、ジッとそれを見つめている。プレイヤーもギャラリーも、きちんとルールを把握したこの今からが、本当の試合の始まりのようだ。
《本来であれば勝者が先攻となるのですが、引き分けでしたので、先攻は明日美選手とさせてもらいます》
そのアナウンスが流れた後でも、明日美は動かない。第一投目から長考となったようだ。
「時に東氏よ」
右隣の亞足が、急に耳打ちしてきた。肩を寄せ、扇で自分の顔と俺の耳元を隠す。まさに内緒話と言った有様である。
「そもさんそもさん、明日美氏の初手は?」
距離の近さにドキドキしながらも、俺は声には出さず、指の本数で答えた。6に違いない、と。なぜなら、二連続で出せばほぼ確実に二勝を拾えるからだ。
それに対し、亞足は口端を上げて笑った。どちらの微笑みなのか、判別は付かなかった。
「亞足はどう予想しているんだ?」
考えるような素振りを見せた後、亞足はそっと手を出す。指を折り曲げるとの同時に、明日美が机の上に数字を置いた。
亞足が曲げた指は……親指だけ。明日美が置いたのは……なんと4だった。亞足の予想は、見事に正解していた。
なぜそれを予想出来たのかよりも、なぜ明日美が6を出さなかったのか、それが不可解で堪らなかった。出せば必ず勝てるというのに。
「第二回戦が終わるまでの宿題としましょうか。ちなみに赤点を取得致しますと、厳しいお仕置きが待っています故、心してお考え下さいませ」
そう言った後、亞足は俺から離れていった。それでもドキドキは、まだ止まなかった。
言われなくても考えるさ。俺はヒントが少ない謎解きが出てくると、妙に燃えるタイプなんだよ。……でもまぁ、やっぱりヒントは多い方が嬉しいよな? もう少し様子を見てから考えるとしよう。
占手に出番が回り、やはりこちらも長考に……はならなかった。
「セーット!」
強い眼差しで特性トランプを眺めたかと思えば、ものの数秒で机に置いたのだ。俺を含めた観客全員が驚いた。
特性トランプの上から、占手の手が徐々に離れていく。そこにあった数字は……。
《さぁ! オーーーープン!》
明日美が4に対し、占手は……5だった。
「やっ……やったー……。あー、良かったー」
先程とはうって変わり、勝利したというのに占手は安堵のため息を漏らしていた。明日美は負けて当然という顔を取り繕っているが、内心はさぞや悔しい思いをしているだろうな。最悪の形で負けてしまったのだから。
理由は分からない。だが、占手はある程度の核心を持って5を出したように見える。亞足と同じように、明日美の考えが……分かったのだろうか?
《さぁ! 先攻は占手選手!》
第二投目も全く同じだった。占手はまたしても、ものの数秒で決めたのだ。迷いも無く置いたのは……この場で最弱の、2だった。
壁向こうの明日美は、苦々しい顔をしていた。勘付いたのだろう。自分の考えが、読まれていると。しかし、何故読まれているのか、全く分からない様子だった。
強く眼を閉じ、歯を噛んで考えるが、結局出した手札は……切り札の6だった。
ホワイトボードが避けられると、敗者の占手が喜び、勝者の明日美がガックリと項垂れた。占手にとっては最高が連続で、明日美にとっては最低が連続した結果となった。
次はいよいよ、ターニングポイントである第三投目だ。ここでどういう結果を出すかで、実質的に勝敗が決まると言っても過言では無い。
そう、問題のヒントもまた、ここに隠れている筈だ。
占手の残りは、5、4、2。
明日美は、6、4、3。
未だに厳しい状況が続いている。しかし、旗色は良い。今この場は、占手が制しているのだから。
《さぁ! 運命の第三投目だ!》
先攻は明日美。表情は曇ったままだ。俺と同じで、問題を解くための方程式が見つからないでいるのだろう。
明日美は心が迷ったまま、渋々といった様子で6を置いた。まずは確実に勝利を拾うことにしたのだろう。俺だってそうしていたに違いない。
「セッ……」
その途中、明日美はいきなり口を手で塞ぎ、設置完了のコールを無理矢理飲み込んだ。慌てて机に置いた6を回収し、近くに居た男の実行員を睨み付ける。それはまるで、『文句あんのか!? まだセットって言うてへんで!』と言っているようだった。
何故だ? 何故今、途中で止めたんだ? 明日美は、4、6、6と出そうとして止めた。何に気が付いたんだ? これで……何かマズイ事でもあるのだろうか?
……なんだろう? この数字の並びには、どこか見覚えがあるような……。
「あっ……!」
慌てて俺も声を押し殺した。そうか、そういう事か。明日美が気づいたモノに、俺も気が付いた。
この第二回戦は、一回戦の影響が色濃く残っている。手札も逆なら、展開もまた逆だったのだ。
明日美が一投目で4を出した理由……それは、占手と同じ過ちを繰り返さない為。最初から大きな数字を出すことを、無意識の内に嫌っていたのだ。そして二投目は保身に走った。占手は、それを読んだのだ。
だが三投目、出す直前で同じ轍を踏んでいた事に気が付き、急遽止めたのだろう。そのまま置いてくれても良かったのに。
明日美は、改めて考え始める。特性トランプを握っては放し、放しては握ってと繰り返していた。完全に思考の迷路に迷い込んでいるようだ。
《明日美選手、早めにお願いします》
声部がやんわりと注意した。このゲームには制限時間というものがない。まさか作り手も、ここまで長考するとは思ってもみなかったのだろう。
考えを落ち着かせる為なのか、明日美は三枚の特性トランプを机の上に伏せた。――と、いきなり右端を掴み取り、机の上に叩きつけた。
「正真正銘のセットや」
破れかぶれになった……というワケではなさそうだ。なぜなら、迷いを吹っ切った顔をしているからだ。
明日美が出したのは……最も予想外な3だった。あれだけの数字を持ちながら、一番分の悪い勝負に打って出たのか。
「その一手、実にお見事也」
亞足が感心したように頷きながら、小さな声で褒め称えた。
場の流れが変わったことを感じ取れなかったのか、占手は特に悩んだ様子もなく、思い切った様子で机の上に置いた。
《さぁ! ターニングポイントはどちらが制するのか!?》
明日美は3。それに対する占手は……2。
感無量で喜ぶ明日美に対し、占手は信じられないといった様子で何度も何度も数字を見比べていた。
一勝二敗の占手。残念ながら、この時点で占手の勝ちは無くなってしまった。なぜなら、明日美は確実に勝てる数字を持っているからだ。
第四投目は、占手が5で、明日美が6。一勝三敗となり、第五投目は行われなかった。
《決着! 決着!! けっちゃーーーく!!! 第二回戦目にして、ようやく勝者が決まりましたーー!!》
会場に居る全員が、自然と壇上に眼を向けていた。第一回戦の累計ダメージは、9だった。そして第二回戦は……6。電光掲示板に表示されている数字は、15。
たった一度の敗北で、いきなりの窮地に立たされた占手。一撃で負けなかったのは不幸中の幸いか。RPGで言うなら黄色になっている所だ。
残りHPは、20と5。4倍もの差があるとはいえ、実質二回戦分のダメージが当たっただけ。累計ダメージを上手く溜めて勝てば、一回でイーブンにまで持って行ける筈だ。まだまだ逆転のチャンスはある。そう思っていた。
だが俺は、肝心な事を忘れていた。占手は、超が付くゲーム初心者である事を。
つまりそれは、ゲームの負けに対する免疫を全く持っていないという事を。
本気で闘ったのならば、尚更そのダメージは大きく、持ち直すのに長い時間を要するという事を。
見れば、いつも太陽のように笑っている占手の顔が、月みたいに陰っている。どうして負けたのかと、どうして勝てなかったのかと、自問自答の負のスパイラルが繰り返されているようだった。
続く第三回戦目は、回復する間もなく始まり、散々たる結果に終わった。猫じゃらしで操られるが如く、占手の心は右へ左へといとも簡単に動かされ、あれよあれよという間に負けてしまったのだ。
その結果、累計ダメージは7。つまり、占手のHPは……0になってしまった。
※
《なんとォ! 意外や意外! ビギナークラスを制したのは……明日美選手だァーー! しかも、占手選手相手にストレート勝ちだァ!》
《『競争』に必要なのは、成績ではない。それをハッキリとさせた試合となりましたね。まさに――》
《凄いぞ、ちびっこ番長! ケンカ道はゲーム道にも通じているのかァ!?》
《いや、だから私に解説を――》
《中学から成績も、スタイルも勝てなかった明日美選手が、ついに勝利をもぎ取ったーーーーー!》
明日美は嬉しさのあまり机に上がり、一番高いステージで腕をぐるりと回し、身体が浮き上がるほど力一杯ガッツポーズを取った。
「見たか! こぉのダボォ!」
湧き上がる観客。主に最前列を確保していた男子たちが、狂ったように歓喜した。お立ち台に上がったもんだから、薄緑のパンツが丸見えである。……一応、心のシャッターは切っておいた。
《明日美選手! 机に上がらないで下さーい! 壊れます! ……とっとと降りろ、このちびっ子!!》
会場内が喧々囂々としている中、占手はグッタリと項垂れながらステージを降りてきた。
「だ、大丈夫?」
「ううん、まぁ……大丈夫っぽい?」
全然ダメそうだ。
「ご苦労様です、美殊。このゲームを遊んでみて、どうでしたか?」
「すっごく悔しかった! ……けど楽しいなぁ。やー、でも悔しい!!」
占手は何度も地団駄を踏んだ。心の底から悔しそうだった。
「それは重畳。楽しめたのならば、それで問題はありません」
口元が隠れて分かり辛いが、亞足はどこか嬉しそうに見えた。本当に勝ち負けを気にしていないようだ。『起業家倶楽部』の強制入部と、亞足の交際権が掛かっているというのに。……もしかして、占手にゲームの楽しさを知ってもらう為だけにこの大会を開いたんだろうか?
まさか、ね。
でもまぁ、同志が増えたみたいで嬉しいのは確かだ。ゲームは楽しむもの。亞足の言う通り、勝ち負けを気にせずに……って、ちょっと待て。今気づいたんだが、もしかして次負けたら、もう……?
「東氏よ」
亞足にポンッと肩を叩かれ、思わず身を竦めてしまった。
「な、なんでしょうか?」
「やぁや、二番手槍として頑張ってもらいたく、こうして激励をしているのですよ」
「えぇ、楽しんできます。思う存分、心の底から」
肩に乗せられた手を払おうとしたが、逆にペチッ、と扇で叩かれてしまった。
「ただ楽しむことに興じられるのは、初心者のみの特権。勝つために楽しむのが、中級者としての義務。そうでしょう? 『ゲーム同好会』の秘密兵器……葉根 東氏よ? お膳立ては、させて頂きました故」
やられた。最初からこうなる事が分かっていて、声部にあんな紹介をさせたのか。本っ当占手以外には容赦ないな、この人。
ちくしょう、もう負けられなくなってしまった。負けてしまえば、どこが秘密兵器だと強烈なバッシングを受けるに違いない。それも、全校生徒規模で。
ただゲームが好きなだけなのに、どうしてこうなってしまったのだろうか? 何故俺は、あの時安請け合いしてしまったのか?
この土壇場で、生まれてきてすいませんと思う程に後悔した。
※
《さぁ! 早くも後が無くなった『ゲーム同好会』! 次で取り返せるのかァ!? ノーマルクラス選手、前へ!》
立ち上がったのは、俺と、ボブショートの中性的な男――寿 孟子だった。数人の女子から黄色い声援が上がる。モチロン寿に対してだ。
俺はといえば、焼きそばを頬張りながらの口ごもった占手の声援と、無言の圧力を掛けてくる亞足の視線だけだった。……泣いてなんか居ないぞ、うん。
これでマスタークラスは必然的に、部長同士の戦いとなったようだ。俺が勝てば、の話だが。
なにせ相手は、プロアマ雀士だ。敵の手札を読むなど、もはや手慣れたものだろう。対して俺は、『秘密兵器』という名の首輪を付けられた、ただのゲーム好きだ。スタートラインが違いすぎる。
それでも俺は、六段しかない木の階段に足を乗せる。この逆境に打ち勝った時の快感を想像しながら。
一段昇る度に見える範囲は広くなっていく。上がりきってから周囲を見渡すと、百を超える観客達の顔がハッキリと確認出来た。それは同時に、百を超える視線が俺を見ていた。
そう、浴びせ掛けられているのは歓声ではなく、疑惑と興味が混ざった視線だった。
俺には、『こんなマヌケ面のヤツが本当に強いか?』という視線が。
寿には、『こんな優男がプロアマ雀士って本当なのか?』という視線が。
看板だけが立派で、実力は未知数。そういう意味ではビギナークラス同様、似たもの同士の対戦となったようだ。
「……お手柔らかに」
そう言って、寿は握手を求めてきた。美形だからさぞかし無礼なヤツだろうと思っていたら、実は俺よりも礼儀正しかった。……完璧超人か、コイツは。
「よ、よろしく」
俺はその手を握り返す。思わずドキッとした。少々骨張っているが、感触が完全に女の子である。
《華がないですねぇ、この二人。……まぁ、薔薇という名のBL臭はするのですが……。ゲフン、ゲフン! しかしご安心を! なんと、ルールには華がいっぱいあります! そう、追加ルールデース! ビギナークラスとは違い、ノーマルクラスでは更に高度な戦略を要求されるのデース!》
声部はカウボーイのように腕を振り回しながら言った。隣に居る校長が凄く迷惑そうな顔をしているが、そんな事など何処吹く風か。
まぁ要約すれば、ビギナークラスは練習モードで、ノーマルクラスからがこの『2DST・ゲーム』の本番という事である。
《まず、HPが30に増えます。そして追加ルールは、『ドロップ・アウト』です。ネーミングの通り、その試合をリタイアする事が出来ます。なぜなら、サイコロの目だけは知識や努力でどうなるものではありません。アンラッキーだけで負けになるのは、納得がいきませんし、そもそもクソゲーです》
同意するように、多くの観客が頷いた。……案外ゲーマーが多いな、この学校。
《その対策として、この『ドロップ・アウト』があります。今の手札では勝てないと思ったら、宣言して下さい。ただし、使えるのは第三投目までです。そして、当然デメリットもあります。それが、『ダイレクト・ダメージ』です》
俺の近くに居た女子の実行委員が、サイコロを一つ摘み上げて机の上に落とした。カラコロと回り、出た数字は4。
《『ドロップ・アウト』を宣言すると、敵側にサイコロを一つ振ってもらうことになります。例えば4が出た場合は、『累計ダメージ』に関係なく4のダメージを受けます。これが、『ダイレクト・ダメージ』です》
簡単に言えば、イバラの逃げ道が出来た、という事である。
例えば負けそうになったとき、逃げなければ『累計ダメージ』を受ける可能性があるし、逃げれば『ダイレクト・ダメージ』を受ける事になる。一見すると逃げる方がメリットが大きいように思えるが、当然逃げ続ければダメージは蓄積されていき、最悪逃げて自爆という一番最低な負けの危険性を孕んでいる。
戦うべきか、逃げるべきか、勝負中は常にこの二択を迫られる事になるのだ。
《そしてもう一つ、説明書にはない追加ルールがあります。これは、亞足選手から提案されたルールです》
会場内が大きくざわつき始めた。原因はモチロン、亞足の名前が出て来たからだ。
そう、大会開始の時間が遅れたのは、この追加ルールが原因である。このゲームの根底を覆しかねない、その追加ルールとは――。
《追加ルールの名前は……『公認イカサマ』です》
■-------------------■
stage.3「ゲーマーなら、最初っからハードモードだよな」
◆
――それは、大会開始前の事である――
東海先生から説明書を渡され、各々が熟読し始めてから3分ほど経った頃だった。
「東海先生、少し良いでしょうか?」
亞足がスッと立ち上がって呼びかけると、東海先生はビクッとなって身を竦めた。
「な、なな、なに、なにか、ね?」
いくら何でも噛みすぎだ。
「少々抜けがあるようで。引き分けになった場合の事が書かれておりません」
言われてみれば、確かにそうだった。いくらペラ紙一枚とはいえ、たった3分で穴に気づくなんてさすがである。
「そ、そうか、ね。じゃあ今、実行委員会を呼んでくるから説明して欲しいんだ、ね」
「お手数ですが、宜しくお願いします」
軽く会釈した後、亞足は音もなく座った。それから東海先生は、逃げるように教室を出て行った。
5分後、現れたのは実行委員会のリーダーであり、この『2DST・ゲーム』のプロデューサーでもある『ゲーム部』の部長――宇佐見 正(うさみ ただし)だった。
「ちっくしょう! バグだと!? くそったれ、ぶっ潰してやる! そいつはどこだ!?」
宇佐見は入ってくるなり、血走った眼でそう叫んだ。誇張表現ではなく、徹夜続きなのか本当に眼が真っ赤だった。
「こちらです」
亞足は臆することなく、丁寧にそれを説明した。まるで巨大な蟲を鎮める賢者のようだ。
「この担当は矢野だな……。あの野郎め! くそったれ、ぶっ潰してやる! あいつはどこだ!?」
説明を受けるや否や、矢野なる人物に対して罵詈雑言を叫びながら、宇佐見は荒々しい足取りで戻っていこうとした。
「お待ち下さい。この『2DST・ゲーム』、単純ながらも味わい深いゲームだと感服致しました」
亞足の言葉を聞いた宇佐見が、ピタリと止まった。
「……そ、そうか? そうだよな! いやー、やっぱりアンタにはこの面白さが分かるんだなぁ! なぁ、オイ!」
振り返った宇佐見の顔は、完全にデレていた。……随分と荒々しいツンデレだな、おい。
亞足は扇を口元にあて、
「このままでも充分で御座いますが、僭越ながら、このゲームをより面白くする為の遊び方を提案したいと存じます」
※
「『公認イカサマ』……だと?」
理科室から呼び寄せられた加賀は、今にもブチ切れそうな声で言った。そりゃそうだろう。制限時間は一時間しかないのに、更にルールを追加するというのだから。正直、俺も参っていた。
「おいおい、宇佐見さんよォ? アンタ正気か? そんなクソみたいなルールを受け入れるってよォ?」
座っている宇佐見に対し、加賀はまるでヤ○ザのようなメンチを切った。
「自分的には面白そうだがな、凄く。賭け事にはイカサマが付きモンだ。それを公認しちまうってんだから、恐ろしくも楽しい話じゃないか。既存のルールなんぞ、ぶっ潰しちまえ」
何かを凄い速度で書きながら、宇佐見はそう言った。そっと覗いてみると、『公認イカサマ』についてのルール作りをしているようだ。さすが部長、対応が早い。……ただ、字が汚過ぎて解読不可能だった。
「まぁ、自分的にはOKだから、あとは両チーム代表で話し合ってくれ」
宇佐見の言葉に、加賀は荒い鼻息を吹き出し、
「そ――」
喋ろうとした途端、亞足は荒々しく扇をパンッ、と広げ、口元を隠すように顔にあてる。
「まぁそう言わずに。ここは一つ、ゲームで決めるというのは如何でしょうか?」
「……まだ何も言ってねぇよ」
抗議の言葉には耳も貸さず、亞足はポケットから茶封筒を取り出す。
「こちらが勝てば、『公認イカサマ』は採用となります。そちらが勝てば、この写真――美殊の丸秘どっきりお宝写真を進呈致しましょう」
全員の視線が一斉に茶封筒に集まった。占手の……お宝写真?
「やーっ! ちょっとちょっと! 何やってのよ赫華!? アタシのお、お宝写真て何さ!?」
「それはそれはもう、まさに秘宝の館(やかた)に展示するのが相応しいぐらいのお宝でございます」
「やーっ! ダメー! 何が入っているか分かんないけど、ダメー!」
取り上げようとする占手の手を、亞足は全て扇で打ち払う。すげぇ攻防だ。
「ちょ……ちょっとだけ見せてくれ。本物かどうかを確かめたい」
加賀は生唾を飲み込み、前屈みになるほど食い付いていた。そりゃ男だったら是が非でも見たいだろ。かくいう俺も見たい。マジで見たい。
「本物であることは、この扇を掛けて誓いましょう。中身は、勝者のみが閲覧可能です」
ちくしょう、俺もそのゲームに参加したかった。……今だけ『起業家倶楽部』に入れないもんだろうか?
「いいだろう。ぶんどって拝んでやるよ!」
加賀は指の骨をポキポキと鳴らす。今までにない気合いの入りようだ。
「やーっ! やめてー!」
占手の抗議も虚しく、話はどんどん先に進んでいく。すまん、占手。俺も見たいんだ。
「宜しい。時間がありません故、最も公平で、最も単純なゲームで勝負すると致しましょう」
「最も公平で最も単純なゲーム?」
加賀はオウム返しに聞き返した。
「無論、ジャンケンの事です。老若男女問わず、これ程簡単に雌雄を決せられる勝負はありません」
「フンッ、無難っちゃー無難だな。いいだろう。ただし三回勝負で、そしてジャンケンをするのは……亞足、お前以外だ」
罠を張っていると思ったのだろう。加賀は、亞足以外を指定してきた。そもそもそれが、罠とも知らずに。
手を挙げたのは……モチロン、占手だった。
「ア、アタシにやらせて! アタシの写真なんだから、当然でしょう!!」
「宜しいでしょう。任せましたよ、美殊」
腕をまくり、フンフンと鼻息を鳴らしながら加賀の前に立つ占手。
「気合いの入れ過ぎで、オレの腹を殴るんじゃねぇぞ? どうせ、ジャンケンに強いも弱いもないんだからな」
加賀は、少し前の俺と全く同じ事を言った。どうやら知らないらしい。目の前に居るのは、亞足ですら勝てないジャンケン・マスターであることを。
多分これも、全て亞足の思惑通りなんだろうな。世が世ならば、諸葛亮のような戦略家になれたのかも知れない。チャームポイントの扇も持ってるし。
結果は明々白々。占手のストレート勝ちで、『公認イカサマ』は公式ルールとして採用されることとなった。
◆
会場内はざわつきから、やがて混迷に変わっていった。それもその筈だろう。イカサマとは、ゲームに於いて禁断の手段。勝利するための、汚い手段。それを、公認可するというのだから。
《落ち着いて下さい! はい、騒がない! シャラーップ!! シャーーラーーッップ!!》
声部のアナウンスでも、校長の咳払いでも、会場内の混乱を鎮圧することは出来なかった。
しばらくこの状況が続くだろうな、と思った矢先、応援席に座っていた亞足がスッと立ち上がり、カツン、カツン、とゆっくりステージを上がってきた。会場の視線は全て亞足に集まり、一挙一動見逃すまいと、意識は口ではなく眼に集中していく。
亞足が恭しく頭を下げる頃には、水を打ったように静まりかえっていた。
「此度は要らぬ混乱を強いてしまい、申し訳ありません。私の我が侭から追加された遊び方故、私の口から簡単な説明をさせて頂きます」
水に石を投げ入れるように、亞足の声は波紋となり、隅々にまで行き渡っていた。決して大きな声ではないというのに。
「私達……ノーマルクラス以上の選手達は、事前にこういったイカサマをする、という旨を書類に明記し、既に提出してあります。実行委員会の方がそれを認可すれば、そのイカサマは試合中に使用しても良い事になります。つまり、そのイカサマが公認可されるのです」
亞足は閉じた扇を口元にあてる。
「とはいえ、イカサマと言えども何でも有りという訳ではございません。壷振り師が如くサイコロに細工をする、麻雀の様師(さまし)が如く観客に教えてもらう、などの関係者以外に何かを求めるイカサマは認可されません。公認可されていないイカサマ……つまり、違法のイカサマを行いますと、厳しく罰せられます故、皆々様方ご注意を。詳しくは、声部氏から後々ご説明される事でしょう」
ゆっくりと扇を広げ、亞足はまるで舞うようにそれを翻した。いつもは寝ている者でさえ、その語り、その動きに魅了されていた。
「一人に付き、一つのイカサマが公認されております。観客の皆様もそれを推察しながら見て頂ければ、より面白味が増すかと存じます。ただし……」
亞足は言葉を区切り、広げた扇で口元を隠した。
「他の人に教えてはいけません。自分だけが分かっているという、素晴らしい優越感を無くすことになってしまうからです」
観客達はクスッと笑いながらも、小さく頷いた。非常に巧いと思った。あまりにも自然な箝口令である。勿体ないと思って、ネタバレしてしまう観客はこれで居なくなるだろうな。
「それでは皆様、この一興を存分にお楽しみ下さいませ」
亞足がパチン、と扇を閉じると、まるでそれが合図のように会場内が再びワッと盛り上がり始めた。
《ありがとうございます、亞足選手! ホンット助かりました! 後でお茶と『ずんだ(枝豆をすり潰したもの)餅』を持って行きます!》
「うむ、良きに計らえ」
亞足は階段を降りながら、珍しく嬉しそうな声で言った。なるほど、亞足はずんだ餅が好物なのか。……ところで、ずんだって何だ? 食べたことないけど、コンビニに売ってるかな?
《さて、引き続き『公認イカサマ』のペナルティについて説明します。まず一つ、先程亞足選手が言ったように、違反のイカサマを使うと『ダイレクト・ダメージ』の罰が与えられます。ちなみに、『汚いゲーマー』の不名誉付きです》
前半はともかく、後半は私生活にまで影響を及ぼす罰則なのか。厳しいってレベルじゃねーぞ。
《そして最大のペナルティが、イカサマが見破られた場合、です。いくら公認可されたとはいえ、イカサマはイカサマです。分かっているのに手を出せない、なーんてのは面白くありません。なので、まずは『見破った!』と宣言してもらい、その後どんなイカサマなのかを説明してもらいます。正解すると、当てられた方はもう二度とイカサマを使う事が出来なくなるのデース! 更に倍! 『ダブル・ダイレクトダメージ』……つまり、サイコロ2つ分のダメージがペナルティとして科せられます!》
会場内からどよめきと歓声が沸き起こる。賛同者の多くは、俺が知るゲーマー達だった。
《ただーし! 『見破った!』宣言がタダで使えるのは、1回までとします! 2回目からは、お代として『ダイレクト・ダメージ』が発生します! 逆に言えば、地獄の沙汰もHP次第デース!》
俺にはどうも、お代を払って死亡、というオチを期待しているようにしか聞こえない。
《さぁ! 華がない両選手よ! この華々しいルールを上手く使って、会場内を溢れんばかりに盛り上げてくれぃ!》
言われたい放題である。ちくしょうめ。……本当だから、なおさら悔しいぜ。
「その前に、一つ宜しいでしょうか? 実は東氏に伝え忘れた事がありまして」
唐突に亞足がそんな事を言った。俺は呼ばれるがままにステージを降り、足早に近寄っていった。なんだろう、伝え忘れた事って?
亞足は扇を広げ、自分の顔と俺の耳元を隠す。またもや予期せぬ急接近に、身体がカチコチに強張ってしまう。
「特別にこれを見せてあげましょう」
そう言って取り出したのは、一枚の写真。そこには占手が……。
「う、うぉお!?」
それは、着替えのシーンを撮ったものだった。上はブラジャーだけで、下は片足を上げ、今まさにスカートを外しているところだった。健康的な肢体と、陽の光に照らされて艶やかな光沢を帯びた素肌が、俺の眼を掴んで離さない。これが……これが、例の茶封筒の中身なのか?
「はい、極楽はここまでです」
亞足は一秒足らずでそれを懐に仕舞った。俺は驚きのあまり、うっかり心のシャッターを切り忘れていた。なんてことだ、一生の不覚だ。STGであと一歩でハイスコアを逃したときよりも悔しかった。
「勝者には、この丸秘どっきりお宝写真入りの茶封筒を差し上げます」
「オイオイ……いいのか? 娘は譲らん! みたいに散々俺を邪魔してきたクセに」
風雲急を告げるとはこの事か。
「ゲームには景品が付き物……いえ、褒美と言うべきでしょうか。目標を達成すれば欲しい物が得られるという単純な構図こそが、勝利への貪欲さを生み出すのです。美殊も、それで納得してくれるでしょう」
亞足は扇で口元を隠しながら言った。何となく、扇の下でニヤニヤと笑っているような気がする。
それでようやく分かった。亞足は過保護な親ではなく、親友の行動を自分の手で面白可笑しくさせるのが好きなのだと。……何というか、むしろ亞足らしくてホッとしたような……。
「随分と不満そうな顔ですね?」
「いや、だってさぁ……。つまり、ニンジンの代わりって事だろ? しかも、ぶら下げているのは……なぁ?」
さすがにエロ写真とは言いづらかった。
「おや、では要らない、と?」
「要りますとも!」
「うむ、宜しい」
亞足は何故か満足そうに頷いた後、カツン、カツン、と階段を降りていった。
俺は振り返り、寿に対してボクサーのようなファイティングポーズを取る。
「さぁ、来い!」
何故だか知らないけど、やる気が満ち満ち溢れていた。
《な、なんだか良く分かりませんが……とにかく、ノーマルクラス開始です!!》
※
先攻後攻を決めるジャンケンでは、寿が勝った。……もしかして、俺ってジャンケン弱い?
寿は後攻を取り、俺は先攻となった。
さっそくホワイトボードで間を仕切られ、向こうの顔が見えなくなった。当たり前のことだが、外から見ていたのとはまるで感触が違っていた。目の前にある壁がとてつもなく大きく、そして拒絶しているような冷たさを感じた。
女子の実行委員から五つのサイコロを手渡される。まるで羽根のように軽いこれが、俺の高校生活の全てを握っているのかと思うと、何ともやるせない気持ちに捕らわれる。
ギュッと握りしめると、角張ったサイコロが意外と痛かった。俺は握り拳を額に当て、魂を10.5グラム分だけそちらに移す。
「いけっ……!」
そして俺は、その魂を解き放った。キンコンキンと奏でるは破滅の音か、福音か。
「……っ!」
思わず声が出そうになった。出た目は……出た目は……。
6、5、5、4、3。よし、よしよしよしよし!
またとないぐらい良い物が出揃ったようだ。声が出ないように歯を食いしばり、何度もガッツポーズを取る。
女子の実行委員はその数字に驚きながら、特性トランプと交換してくれた。
サイズが大きくなった所為か、手札がより強そうに見える。壁の向こうでどんな数字が出ているのかは知らないが、これには勝てないだろ。
《さぁ! 2つ選んでください!》
声部のアナウンスで思い出した。そうだった、そうだった。まずは最初に2つ出さなきゃダメだったんだ。
さて、どうするか? 最小値の4、3で様子を見る? 6、3? それとも、6、5の最大値でプレッシャーを掛けるか?
……よし、ここは5、5のゾロ目で行こう。寿にはこれを最大値と錯覚させて、6は切り札として隠し持っておくか。
《選びましたか? 選びましたね? さぁ、イッツ・ア・『ダイス・ショータイム』!》
ホワイトボードが取り除かれると、圧迫感からの解放と同時に、寿の中世的な顔が眼に飛び込んできた。途端、相手は何を持っているのかという緊張感が襲いかかってきた。
寿が出したのは……6、3。最高値を臆面もなく出してきたようだ。となると、3が最低値という事だろうか? ……いや、仮に2か1を持っていたとしても、それを簡単に出せるものだろうか? 3が二つか、3より下が一つあると思った方が良いかも知れない。
《さぁ! 確認しましたか? 確認しましたね? 一旦仕切りますので、手元に戻して下さい》
俺は拾い上げた後、見やすいように手札を整えた。
《さて、最後に一つだけ変更点があります。それは、相手のイカサマを見破るというルールが存在している以上、選択中も相手の顔を観察する必要性が出てきます。つまり――》
両者の魂が置かれるまで開かなかった扉が、容易く開けられた。
《そうです。『ダイス・ショータイム』以降は、例外を除いて仕切りを無くさせてもらいます》
予想外の追加ルールに、手が汗ばんだ。壁が無くなるということは、このゲームが大きく様変わりしたという事である。観客が思っている以上に、壁が持つ存在意義は大きい。
壁がある時は、自分の部屋のように一人で、リラックスして考えることが出来た。しかし、これからは違う。何を出そうかと考えている時にも、相手は自分を観察してくる。同じように、自分は相手を観察しなければならない。さっきので手札がバレたのではないか? 今の行動は何を意味しているのだろう? 疑心が疑心を呼び、暗鬼が襲いかかってくる。
そう、今からこのゲームは思考と視覚、両面からの騙し合いゲームとなったのだ。
《ノーマルクラス第一試合、一投目! 東選手どうぞ!》
心の整理が付く前に、無情にもコールが掛かった。
さて、どうするか? 最初からイカサマを使いたかったが、生憎俺の方法では後攻にしか使えない。ここはガチンコで行くしかなさそうだ。
そうだな……何となくだが、寿は慎重派な気がする。多分、中間ぐらいの数字から出してくるのかも知れないな。
よし、最悪でも引き分けに持って行けるように、ここは5で行こう。俺は決めてもすぐには置かず、まだ悩んでいる風を装って寿の方を見た。
ポーカーフェイス……というより、微動だにしない。まるでマネキンのようだ。
「ふふ……セット」
俺はわざと不敵な笑みを浮かべ、ポンッと机の上に置いた。これに勝てるかな、とでも言うように挑発的な視線で再び寿を見た。
マネキンは動かない。……いや、もしかしたら思考がフリーズしているのかも知れない。
「悩むだけ無駄だ。楽に行け」
見かねた加賀が、リラックスするようにと声援を送った。寿はチラリと加賀を見た後、照れ恥ずかしそうに頭を下げた。
そこからは早かった。人差し指を鼻の頭に置いて悩み始めたかと思えば、先攻の俺よりも早く出したのだ。
まさか……今、何かイカサマをしたのか? 確か……寿は加賀の方を見ていた。しまった、まさかその時に何かサインを受け取っていたのか? 油断していて、全く見ていなかった。
《さぁ! 特性トランプを捲って下さい! いいですね? オーーーーープン!》
俺はメンコのように特性トランプを叩きつけた。対する寿は、まるで神経衰弱でもやるようにゆっくりと捲った。
俺が出したのは……5。
それに対する寿は……まさかの6。
ざわめく観客。またとない綺麗な勝ち方だった。
「ふぅ……危ない危ない。ギリギリだったね。まさか、5を出してくるとは思わなかったよ」
急に寿は饒舌に喋り出した。寡黙なヤツだと思っていたが、どうやら試合中だと良く喋るタイプらしい。
「それはどーも」
俺は眉をしかめて返事をした。ちくしょう、嫌み臭いヤツめ。
だが、疑惑が早くも確信へと変わった。間違いない。寿はイカサマを使って、俺の出した数字を知ったのだ。でなければ、のっけからこんな際どい勝ち方なんて出来る筈がない。
つい見逃してしまったが、次は強烈な弾幕をもかいくぐるこの動体視力で、穴が空くほど凝視してやる。
《さぁ! 第二投目! 寿選手からです!》
既に戦略が固まっているのか、悩んでないだけなのか、またしてもあっという間に特性トランプを置いてしまった。
ちくしょう、完全に寿のペースだ。流れが酷く悪い。だが、後攻なら俺のイカサマを使う事が出来る。
そうとも。今度はこっちがイカサマをする番だ。絶対に勝てるイカサマを思い知るがいい。
まず俺は、ごく自然にパキッと指の骨を鳴らした。これがイカサマ開始の合図だなんて、誰も気づきもしないだろうな。
続いて俺は、空いている方の手――左手で特性トランプの3を指差す。
1……2……3……。サインは無し。つまりこれでは、勝てないという事である。その隣に移り、今度は4を指差す。
1……2……3……。またしてもサインは無し。再び隣に移り、5を指差す。
「ゴホンッ!」
咳払いをしたのは、占手。そう、これこそが待ちかねていたサインだ。
3でも4でも勝てず、5では勝てる数字。つまり、寿は4を出したという事になる。
「セット!」
俺は意気揚々と5を机の上に置いた。よし、これで一勝一敗だ。ざまぁみやがれ。
……何だろう? 何やら会場内が騒がしい。ごく自然に咳払いをした占手に、妙な視線が集まっているようだ。
何だ、どうした、何が起こった?
「えーっと……いいのかな、これ……?」
苦笑いの寿が、何故か俺を見てくる。何だ、その同情するような生温い目線は?
辺りを見渡すと、寿と同じような視線が大量に向けられていた。だからその同情するような生温い目線は何なんだ?
寿は申し訳なさそうに手を挙げ、
「いや、ごめん、『見破った』よ」
何で謝るんだ? ……いや、今なんて言った? 『見破った』? そんな馬鹿な。いくら何でも、そんなに早く見破れる筈が――。
「多分、勝てる数字を選んでいたら、咳払いをする……かな?」
「………………え?」
嘘だ。まさか、そんな……え? だって、まだ一回しかイカサマをしてないのに……え?
《えー……言葉を失うとは、まさにこの事でしょうか。まさか……ねぇ? ある意味予想だにしないイカサマでした。そんな……ねぇ? その一発だけで、観客全員が見破っていましたよ?》
声部の意見に、観客全員が大きく頷いた。まさか、そんな……え?
「嘘だ……。なぜだ? なぜバレたんだ……? だって、見破れる要素なんてどこにも……」
思い返してみても、全てが自然で、何一つとしてバレる要因が思い当たらなかった。
「やー、この変な恥ずかしさはなんだろうね?」
ごく自然に咳払いをした筈の占手は、耳まで真っ赤になっていた。
「実に純朴なイカサマでした。まるで人柄を現しているようで」
扇で顔前面を隠した亞足がそう言った。肩を思いっきり震わせながら。……すぐバレるって分かってて止めなかったな、あの扇の魔女め。
《気を取り直しまして、さぁ! 寿選手、お見事? 無惨無惨にも見破られた東選手は、イカサマ禁止と、『ダブル・ダイレクトダメージ』のペナルティデース!》
声部のアナウンスが流れると、女子の実行委員が俺の手札をひょいと取り上げてしまった。
「ちょっ、まだ終わってないって!」
俺の抗議に対し、声部はツインテールを揺らして謝った。
《あぁ、言い忘れてました。『見破った!』が成立した時点で、その試合は終了となります。逆に、成立しなければそのまま続行となります》
「……マジで?」
《このマイクに誓って、本当です》
なんてことだ……。あれだけの手札が揃ったというのに、オジャンになるなんて……。
「ふぅ……危ない危ない。こんなので、どう戦ったらいいのか悩んだよ。良かった良かった」
そう言って、寿は持っていた特性トランプを全て表にして机に置いた。
4、3、1と全然強くなかった。ついでに言うと、さっき出していたのは4。
つまり寿の手札は、6、4、4、3、1。
ちなみに俺の手札は、6、5、5、4、3。
「あー……」
思わず頭を抱えた。適当に出しても勝てた勝負じゃないか。それが、またとない最悪の形で試合終了となってしまった。
《さぁ! 寿選手よ! イカサマ野郎のエンコ(小指)を詰めてやってくれ!》
声部のアナウンスに、寿は頬を歪めてニィっと笑った。それは、ドSだけが見せる笑みだった。寿はマネキンなんかじゃない。能面を被ったオオカミだ。
「10以上が出たら……愉快だねぇ?」
焦らすように、寿は二つのサイコロをゆっくりと零す。俺にはそれが、瓶から垂らされる毒のように見えた。
出た目がそのままダメージとなる、恐ろしいルール。頼む。どうか少ない数字であってくれ。
先に止まったサイコロは……不幸にも5。寿の言ったように、10以上になる可能性がグンと上がった。そうでなくとも、大ダメージはもはや確実だ。
次に止まったサイコロは……なんと、
「チッ……たった1か。何とも不愉快だねぇ」
俺は大きく胸を撫で下ろした。合計で6。普通に負けるより、全然ダメージが少なかった。不幸中の幸いとはこの事か。
とはいえ、今大会の最短記録――絶対に二度と破られないであろう記録――を作ってしまった事実には変わりない。大きなブーイングは無いものの、心底残念そうなため息があちこちから聞こえてくる。仲の良いクラスメイトですら、もう友達を止めたそうな失望にまみれた顔をしていた。
逃げるコマンドがあったら、すぐさま実行したくなった。
※
会場のざわつきと占手の顔色が元に戻るまで、しばしの時間を要した。それは、自分がどれだけマヌケなイカサマをしてしまったのか、気づくのには十分な時間だった。……十年経っても、ふいに思い出して悶絶しそうだなぁ……。
まぁいいさ。ハードモードで始めてしまったと思えば問題ない。ゲームはいつだって、プレイヤーに不利なように作られているのだから。
《珍事も珍事、一回戦目からのイカサマ禁止令! さぁさ、早くも崖っぷちな東選手! あとは背中を押されるだけなのか!? ある意味注目な第二回戦目!》
地道に、堅実に、まずは一勝を拾っていこう。圧勝はしなくて良い。確実に勝てる数字よ出てくれ。神社に無病息災を祈るような気持ちで、俺はサイコロを放り投げた。
止まった五つのサイコロを見て、俺は眼がおかしくなってしまったのかと思った。何やら赤がいっぱい見えるような気が……。
眼を擦って、もう一度見直す。……ちくしょう、やっぱりだ。降りてきたのは、死に神か、お笑いの神だったようだ。
4、2、1、1、1。これは、絶望としか言い様がない。
待て待て、こんなのでどうやって勝つって言うんだよ? 1を出したら、良くて引き分けが限界だぞ?
その時だった。隣に居た女子の実行委員が、ピシッと真上に手を挙げたのだ。
《おぉっと、ついに出たようです。寿選手だけは分からないと思いますが、東選手の出目が悲惨なことになっています》
「えっ、ちょ……!? バラすなって!」
司会者自らルール違反をするって、どういう事だよ?
《今回のは特別ルールというより、いわば救済処置のようなものです。野球のコールドゲームと同じで、このまま進んでも面白くないと判断された場合にのみ、もう一度振り直すことが許可されます。一つは、片方のサイコロが弱すぎる場合。1が3つ出た時、合計数字が15以下だった時など。もう一つは、片方のサイコロが強すぎる場合。6が3つ出た時、合計数字が27以上だった時などです》
俺はホッと胸を撫で下ろした。良かった。さすがにこんなクズ手では、諸葛亮もお手上げだろう。それにしても、強すぎても振り直しだなんて……。自分がそうならないことを祈るばかりである。
《水を差しかねないルールだったので、採用するかどうかつい先程まで揉めていたようです。これも『2DST・ゲーム』を面白くするための『縛り』だと理解して頂ければ幸いです――と、『ゲーム部』の部長から伝言がありました》
この場に居ないのは、恐らくこちらに来る体力すら残っていないからだろう。大会の開始直前に姿を見かけたが、まるで知恵の輪のようにイスにもたれ掛かって寝ていたし。
《と言うわけで、東選手、振り直しをどうぞ!》
俺は勢い良くサイコロを掴み上げ、今度こそと念じながらサイコロを放り投げた。
二度目の正直で出た目は……5、4、4、3、2。
思わず顔をしかめてしまった。特色がなく、なんとも扱いづらい至って普通なバランスだった。振り直してこれとは、泣きたくなってくる。
《それでは、『ダイス・ショータイム』です!》
寿が出したのは、6と1。確実に一勝一敗になるが、どうもそれが罠のような気がしてならない。
俺が出したのは、3と4。寿は、これが最低値と考える筈だ。なぜなら、相手が振り直したという事は、無意識の内に大きい手が来ているのではないか、と考えてしまう為だ。つまりこれは、相手に大きな数を警戒させるための伏線。
《第二回戦、一投目先攻、東選手!》
俺は大きい数順に並べ直し、改めて戦略を練った。もし俺が大きい数を警戒するなら、何を出す……?
小さな数字? いや、逆に大きな数字? ……いや、そうだな。小さな数字を出してしまうと、その警戒心が解かれてしまう。ならばここはハッタリをかます意味も含めて、
「セット!」
俺は、5を机の上に置いた。これで勝てなかったら、一投目にして大ピンチである。
《後攻、寿選手!》
コールが掛かった瞬間、俺は加賀を睨み付けるようにして見た。今度こそイカサマを曝いてやる。
「はい、セット」
寿は特に悩んだ様子もなく、ポンッと机の上に置いた。加賀に動きはない。どうやら今回はイカサマをしなかったようだ。俺にバレる事を恐れたのかも知れない。なるほど、見ているだけでも抑止力になるようだ。
《さぁ! オーーーップン!》
二枚の特性トランプが表にされ、力勝負が始まった。結果は……俺の負け。そう、寿は……まさかの6だった。
湧き上がる会場。思い返してみれば、これでは一回戦目の二の舞ではないか。もはや敗色濃厚である。途中棄権――『ドロップ・アウト』をすべきだろうか……?
こちらとは真反対に、寿は余裕……というより、さも当然という顔をしていた。
これは……まさか、さっきもイカサマをしていたのか? でなければ、こんな勝ち方を出来る筈がない。だが、だが……俺は加賀を見張っていた。いつ、どんな形でイカサマが行われたっていうんだ?
どうやら、まずはそれを見極めなければならないようだ。第三投目までは『ドロップ・アウト』がオッケーらしいから、それまでは様子を見よう。むぅ、甘く見ていた。イカサマの効果が……これほど強いなんて。
《二投目先攻、寿選手!》
寿はサラリと特性トランプを机の上に置いた。イカサマをした様子など微塵も無い。だが、迷いは一切見られなかった。
どっちなのだろうか? イカサマをしているから迷いがないのか、俺の考えがお見通しだから悩まないのか。或いは、両方なのか。
判断材料が少なすぎる。もっと試合数を重ねなければ、見えるモノも見えてこない。勝つために……負け続ける必要があるのかも知れない。
俺は……実験的にこれを置くことにした。
《さぁ! オープンプン!》
寿が置いたのは……1。対する俺は……2。
《おぉっと!? やられたらやり返すのが信条かぁ!?》
意外にも最高の形で勝ってしまったようだ。これで一勝一敗か。
どうやらこれでハッキリしたようだ。寿のイカサマは、俺と同じで後攻にしか発揮できない。俺の考えがお見通しなら、今回も負けていた筈だ。
それなら、ある程度イカサマの仕組みが限定されてくる。この『2DST・ゲーム』は、対戦相手以外には手札が丸見えなのである。無論、『起業家倶楽部』にも、だ。つまり、俺が置いた数字を何らかの手段で寿に伝えることが出来れば、それだけで勝てるという何ともシンプルな仕組みなのだ。
だが、その何らかの手段が分からない。一度目は加賀を見ていたが、二度目は見ていなかった。ましてや、俺のように音を出しているワケでもなかった。
いったいどうやって……?
《三投目先攻、東選手!》
残りは、4、4、3。悪くない手札である。壇上の電光掲示板を見ても、『累計ダメージ』はたったの2。多く見積もっても、6ぐらいだろう。『ドロップ・アウト』しなくても、特に問題はなさそうだ。
しかし、しかし……途中棄権して受けるダメージよりも、普通に試合をして受けるダメージの方が精神的なボディにじわじわと来る。それは後になればなるほど、嫌な形で効果が発揮されるだろう。
確かに、これでも勝てる可能性は十分にある。だが俺は、どうしてもこの手札で勝負を仕掛けたくはなかった。理由はない。ただ何となく、嫌なだけだ。
俺は軽く手を挙げ、
「ドロップ……アウト」
そう、宣言した。後に繋がる、勇気ある撤退だと信じて。
※
『ダイレクト・ダメージ』は、5。まだ一回戦すらまともに終わっていないというのに、俺の残りHPは早くも19になっていた。
これまでの事を考えると、負けられるのは良くてあと四回、悪くて二回という所だろうか。ハッキリと回数が決まっていないのが、非常にもどかしく、妙な焦燥感を掻き立てられてしまう。本当はもっとあるんじゃないか? 本当はもっと少ないんじゃないか? そう、考えてしまうのだ。
気持ちが安定しないまま、無情にも第三回戦は始められた。
ぐらついた気持ちとは裏腹に、6、6、4、3、2、とかなり攻撃的な手札となったようだ。二勝は拾えると思っておきたい。
『ダイス・ショータイム』で提示したのは、6と2。無難にまとめ上げたのは、6を2つ持っているとは匂わせたくはなかったからだ。
寿は、皮肉にも俺とほとんど同じの6と3。恐らく、6を2つか、5を2つ持っている可能性が高い。
先攻は寿。今までで一番長く悩んだ後、そっと机の上に置いた。
さて、何を出したのだろうか? 寿が先攻の時だけは真っ当な勝負が出来るので、非常に有り難かった。
後攻になれば、イカサマを使える。解釈を変えれば、その時だけは安心して勝負を仕掛けられる筈だ。更に逆に言えば、先攻の時は不安だらけになる、という事である。相手の数字が、分からないから。
ならばどうする? 決まっている。強い数字で、その不安を掻き消してしまえば良い。俺が出すのは……この数字だ。
《さぁ! 開けサイコロ!》
俺が出したのは……2。寿が出したのは……4。思わず顔をしかめ、深いため息をはいてしまった。絶対に6を出すだろうと思っていたのに。
「まだまだ読みが足りないねぇ」
寿は鼻で笑いながら言った。どうやらこの負けは、偶然ではないらしい。寿は、俺がそう思うだろうと予想して、逆に4を出したという事になる。
そこまで……考えているのか? 確かに、麻雀は相手の考えを読むゲームだから、寿がそれに長けているのは分かる。だがしかし、素人とプロアマというだけで、ここまで差が出てしまうものなのか?
しかも次は、寿が後攻である。6を出したとしても、引き分けにされるのがオチである。だがそれでも、出さざるを得ない状況だった。
俺は右から二番目の6を、ヤケクソ気味に机の上に置いた。この試合に勝てなくても良い。せめて、イカサマのヒントだけでも見つけたい。
加賀をジッと凝視するが、相変わらず動きがない。見えない何かでも送っているのだろうか? それとも、俺が気づかないだけで、もう送ってしまったのだろうか?
もうダメだなと思って視線を戻すと、意外な事に寿はまだ悩んでいた。演技なのか、それとも俺にバレるのを恐れてイカサマを使っていないのか。
……あれ? 何か……おかしくないか? 俺は寿の顔を見ている。寿も俺の方を見ている。その筈なのに、視線が交差していない。
視線の先にあるのは……俺の手札? 自分の手札ではなく、俺の手札を……見ている? 何の意味があって……?
俺は自分の手札に視線を落とした。イカサマに使えるようなキズも、跡もない。特性トランプが、普通に並んでいる……だけ……?
「あっ……!」
思わず声を上げてしまった。寿は驚いたように顔を上げる。その顔にはどこか、焦りの色が見えたような気がした。
俺は慌てて特性トランプをまとめ、シャッフルをした。それを見た寿が、大きな舌打ちをした。
やっぱりか。寿は……イカサマなどしていなかった。だが、俺の手札は手に取るように分かっていた事だろう。
俺は無意識の内に、見易いようにと大きい数字を右から順に並べていた。分かってしまえば、簡単な話だ。右から取れば、大きい数字。左から取れば、小さい数字。たったそれだけの事だが、効果は怖ろしい程にバツグンである。
麻雀でも同じだ。素人は、見易いように柄と数字を並べてしまう。だがプロは、それを防ぐ為にバラバラの状態にしておくのだ。そう、これが……素人とプロアマの差だ。
偶然にも右から二番目という微妙な位置を出したから、寿は悩んでいたのだろう。たしなみ程度に麻雀をしていて良かった。でなければ、それに気づくこともなかっただろう。
「クソッ、面白くないねぇ」
イラついた様子で、寿は特性トランプを置いた。
《さぁ! オォープン!》
俺は6。寿は……5。まさか6を2つも持っているとは思いもしなかったのだろう。ギリギリの所で勝とうとして、失敗したようだ。
「アンタも……まだまだ読みが足りないな」
格好付けて言ったものの、偶然勝てただけだ。しかし、ここに至ってようやく光明を見出せた気がした。
◆
「お見事也」
亞足はパチン、と扇で膝を叩いて鳴らした。
「うん? 何が?」
フランクフルトを頬張りながら、占手は質問した。ちなみにこれは買ってきたものではなく、クラスメイトの男子から差し入れられたモノである。
「東氏がようやく気が付いたからですよ」
「えぇ!? もうイカサマに気が付いたの!?」
「いいえ、御自分の価値にです。それこそが、東氏最大の武器。それこそが、私が東氏を仲間に引き入れた理由……」
◆
第三回戦の三投目、先攻は寿。しばらく悩んだ後、寿は雑に置いた。
俺の残りは、6、4、3。だいぶ悩んだが、これを選ぶことにした。理由は……直感的に、寿は絶対にこれを出さないだろうと思っただけだ。
《さぁ! 開けてビックリ玉手箱!》
俺は……6。そして寿は……5。
「よしッ!」
渾身のガッツポーズ。湧き上がる会場。流れが……大きく変わってきている。
二勝一敗。四投目に勝てば、この試合は俺の勝利となる。だが次は……寿が後攻だ。間違いなくイカサマを使ってくるだろう。
そして、問題がもう一つある。寿は、『ダイス・ショータイム』で見せたサイコロを使っていない。つまり、6と3を持っていることになる。対する俺は、4と3。
4を6で潰されれば、ここまで来たのに引き分けとなってしまう。……いや、負けに等しい引き分けとなるだろう。
《『秘密兵器』の名誉は取り戻せるのか!? 注目の第四投目!》
俺は、声部のアナウンスが終わると同時に置いた。結局、イカサマを見破らなければどちらを置いても同じなのだから。
ここで初めて寿は呻り声を上げた。俺が何を出したか、ではなく、イカサマを使うかどうかで悩んでいるのだろう。
寿は鼻の天辺を人差し指でトントン、と二回叩いた。……まさか、今のがサインを送れという合図なのか?
「手ェ止まってる! さっさとボコボコにしちまえっての!」
明日美が応援……というより野次を飛ばした。これは……了解という合図……なのだろうか?
寿が明日美の方をチラリと見る。俺はその瞬間を見逃すまいと、激しい弾幕を避けるときよりも鋭い眼光で凝視した。
口に添えられた手? 足の動き? 視線? どれだ? どれがサインなんだ? それとも明日美はブラフで、加賀だけがサインを送っているのか?
今、間違いなくイカサマをしている。それなのに、その伝達方法が全く分からない。怪しい所が、何一つとして見つからない。
《さぁ! 両者のサイコロが置かれました!》
視線を戻すと、いつの間にか寿は机の上に置いていた。その顔には、ドSな笑みが浮かんでいる。
《サイコロ全開!》
寿は威勢良くそれを表にした。その数字は……6。
俺は……震える手で特性トランプを掴んだ。どうやったんだ? どうやって……伝えたっていうんだ?
《おぉっと、これで二勝二敗だぁー!!》
俺の数字は……4。この時点で、引き分けになることが確定した。
※
続く第四回戦目は、酷い有様だった。
先攻は俺。後攻は寿。二敗することはほぼ確実だったが、逆に言えば二回見破るチャンスが生まれるという事である。……いや、生まれる筈だった。活かせなれば、結局それはチャンスなどではなく、ただのピンチである。
イカサマを見破るコツは、共通点を見つけることだ。共通しているということは、何度もそれをしているという事。つまり、そのイカサマに於いて重要な部分である、という事なのだ。
今回に当て嵌めるのならば、『鼻の天辺を叩く』、『明日美か加賀が声援を送る』、『寿がチラリと見る』、この三つがあげられる。
一番怪しいのは、声援を送る所だ。チラリと見てはいるが、何度見てもサインらしいサインは送られていなかった。つまり消去法で考えれば、可能性が高いのは声援の中に含まれた暗号だけだ。
ここまでは分かった。だが、例えこれで『見破った!』と宣言しても、「じゃあ暗号って何?」と聞かれてお終いになるだろう。
だから俺は、声援の中に共通点を見出そうとした。しかし、何一つとして共通したモノがなかったのだ。
最初の声援は、加賀の『悩むだけ無駄だ。楽に行け』。俺の5に対し、寿は6。
二回目は、明日美の『手ェ止まってる! さっさとボコボコにしちまえっての!』。俺の4に対し、寿は6。
三回目は、明日美の『ガンガン行かんかい! このダボォ!』。俺の2に対し、寿は3。
四回目は、加賀の『とんだ秘密兵器だな』。俺の4に対し、寿は5。
何度思い出してみても、ただの声援か野次にしか聞こえない。文字数でもなければ、喋った人物でもないし、ましてや喋った秒数すらバラバラだ。加えて、俺のように何かを確認する素振りも見られない。
ちくしょう、暗号解析がこれ程難しいものだなんて。映画や漫画じゃ簡単に解いているのに。あぁ、エニグマが欲しいなぁ。
一勝三敗――第四投目にして試合は終了し、前回と今回の累計ダメージが俺にクラスター爆弾の如く降り注ぐこととなった。
前回は6。そして今回は……7。合計は13。寿は未だにノーダメージだというのに、俺の残りHPは……たったの6。ついに『ドロップ・アウト』でも、ノーマルクラスの負けに繋がる圏内に入ってしまった。
この試合展開は……そう、占手と全く一緒だ。このままストレート負けする可能性もグンと増えてきた。
俺が負けるということは、即ち得意分野で一勝も出来ないまま終わってしまう、と言うことになる。ままある事だが、屈辱的な事には変わりない。
所詮ビギナーズ・ラックなんて、経験豊かな敗者が考えた最高の言い訳に過ぎないのだから。
※
《負ければ確実にジ・エンド! これが最後の試合となってしまうのかァ!? 大注目の五回戦目、スターーートデース!》
俺は何の気負いもしないまま、ゴミでも捨てるようにサイコロを掌から零す。決して諦めたワケではない。イカサマを見破らない限り、どんなに良い手札が揃っても無意味だからだ。
だがそういう時に限って、6、5、4、3、1、と悪くない手札になった。
『ダイス・ショータイム』も適当だった。ほんの数秒前の事なのに、俺が何を出して、寿が何を出したのかすら覚えていない。
先攻は寿。後攻は俺。
寿は鼻歌まじりに、食事メニューでも選ぶように特性トランプを置いた。ちくしょう、今に見てろ。一生分の苦虫を口の中に突っ込んでやる。
《さぁ! 天国の扉が開くのか、地獄への扉が開くのか!?》
声部の熱い声援に呷られるように、観客は固唾を呑んで見守っていた。
俺が6。寿が5。最高の勝ち方に、盛り上がる会場。だが俺は、それとは裏腹に冷め切っていた。今の俺にとって、勝ち負けなんてどうでも良かった。ただイカサマを見破ることしか、頭になかった。
声部からコールが掛かる前に、俺は5を出していた。もう、待ちきれなくなっていた。
さぁ、見せろ。早く見せるんだ。そのイカサマを余すことなく見せろ。見破ってやる。絶対見破ってやる。そのイカサマを……クリアしてやる。
もはや見破られないと踏んでいるのだろう。寿は嬉しそうに、見せ付けるように、鼻の頭をトーントーン、とゆっくり叩いた。
その直後の事だった。
――パチン。
今の音は……何だ?
慌てて加賀と明日美に眼を向ける。しかし、手には何も持っていなかった。――いや、明日美の手が、ポケットに差し込まれていたのが一瞬だけ見えた。
「何だっていい! もうトドメをぶっ刺してやれ!」
明日美の声援に応え、寿はチラリと見る。そして、机の上に特性トランプを置いた。
俺は5。寿も5。声部も会場内も、引き分けだ引き分けだと騒ぎ立てている。だが、そんなことなどどうでも良かった。パチンと音がしてポケットに仕舞えるもの、それの連想ゲームで頭は一杯だった。
《第三投目! 寿選手!》
またしても寿は余裕シャクシャクで置いた。俺はといえば、特性トランプを持つことすらせず、ただその事ばかりを考えていた。
明日美が持っていそうなモノ……。メリケンサック? いや、閉じるという動作がない。女子だから……コンパクトミラー? いや、そんな感じの音ではなかった。俺にも……そう、男の俺にも凄い聞き覚えのある音だった。アレは、俺自身も使ったことがある音だった。ということは……男女共通でポケットに入れるモノなのか?
俺はふと、ポケットに手を伸ばす。ゴツゴツとした物体が手に触れた瞬間、視界の全てが光で満たされていった。
身体が痺れる。脳髄がとろけていく。あぁ……なんだこの楽しさは。
これは……そう、全国ランキング1位を取ったときのような……いや、それの何倍も楽しい。
《東選手? 聞こえてますか、東選手?》
声部の呼びかけで、俺はハッとなった。いろんな意味でぶっ飛んでいたらしい。
俺は体育館の天井を見上げ、大きく深呼吸をした。そして、
「やっと……やっと、『見破った』……!」
◆------------◆
stage.4「『解決編』、の前にもう一度プレイし直すのが礼儀」
◆------------◆
俺の宣言に、会場内はざわつき始めた。その大半が、「苦し紛れだろ」とか、「分かるワケがない」だとか、疑いの声ばかりだった。
完全にアウェイな状況。しかし、俺は楽しくてしょうがなかった。数十秒後には、その評価がひっくり返るのだから。
《東選手、本ッ当に『見破った』んですね?》
「モチロン。合図も仕組みも、端から端まで何もかも」
俺は自信たっぷりに言った。だがそれでも、寿は余裕の表情を崩さなかった。どうせハッタリだろう。そう言っているように見えた。
ならば砕いてやる。クリティカルヒットを浴びせ掛け、ドSな顔のままでうろたえさせてやる。
《では、東選手。解説を……どうぞ》
期待しているのか、あざ笑う為なのか、会場はしんとなり、俺の言葉に耳を傾ける。
「まず……『鼻の頭を叩く』、これが暗号を送れという合図です」
観客の多くが頷いた。味方が出来たみたいで、何となく安心した。
「最後にチラリと見るのが、恐らく了解の合図。そしてイカサマの肝となるサイン――暗号は当然、その間に発せられたという事になります。……つまり、あの声援の中に暗号が潜んでいた、という事になるワケです」
先ほど頷いた観客の八割が首を傾げ、残りは自信なさげに頭を垂らした。
「さっきの第二投目は、俺が5、そして寿が5を出して引き分けとなりました。偶然? それとも俺の心を読んだ? ……まぁ、普通に考えればイカサマですよね」
「あのさぁ、下手なトークは場を盛り下げるよ?」
寿が呆れた顔で言った。俺は気にせず続ける。
「その直前、明日美は言いました。『何だっていい! トドメをぶっ刺してやれ!』――と。この声援が暗号ならば、つまり、この言葉の中に数字の『5』が潜んでいた事になります」
俺の解説を聞き、会場内がどよめいた。寿の顔に変化は無い――いや、マネキンのように無表情になっていた。
観客たちはその言葉を呟きながら暗号を解析し始めた。文字を数える者、秒数を計る者、口の動きで何かを見出そうとする者、などなど様々だった。
「腐れた言葉だけど……いつだって答えはシンプルだ。そう、この暗号もまた、単純かつ、より精確に俺の手札を伝えるモノでした」
そう言って、俺は思わず笑ってしまった。
「……何がおかしいんだよ?」
寿は無表情のまま、苛ついた様子で言った。
「いや……ゴメン。比喩でも例えでもなく、そのまま答えを言っちゃったもんだから、さ。ついおかしくって」
本当にそのまんまだった。伝えるのに、これ以上最適なモノなど有りはしないのだから。
「男女関係なく、世代も、年も関係なく、それは誰もが常に持っているモノ」
操られるように、観客たちは自分のポケットを探り始める。そして、ソレに触れた者たちは皆、呆気にとられたような顔になっていった。
「そう、答えは……これだ」
俺はポケットから、黒くて四角い物体を取り出した。寿の顔を覆っていた塗装が、見る見るうちに剥げていく。
「世界一のメッセンジャー、ケータイです。さぁて皆様、ご自分の携帯電話をご覧下さい。俺の答えを……そこに伝えてあります」
観客全員が――答えを知っているであろう声部と校長までもが携帯電話を取り出し、確認し始めた。ややあって、観客の一人が快感を帯びた驚きの声を上げた。それは、波状となって広がっていく。
「暗号の答えは……文字を打つ部分なのです」
寿の顔は、俺が見たかった表情になっていた。そう、一生分の苦虫をかみつぶしたような顔だ。
「例えばさっきのは、『何だって』の頭部分……『な』だけが伝えたい部分になります。これをケータイに照らし合わせると……『5』になる事が分かります」
会場内からは、本当だ、本当だ、という声が聞こえてくる。
「他も同じように、四回目に言った『とんだ秘密兵器だな』では、『と』だけが伝えたい部分となります。ケータイで『と』を出すためには、『た行』である『4』を押していれば出てきます。ここで重要なのは、押した『数』ではなく、押した『文字盤』なのです。単なる『あかさたな』の順番でやらなかったのは――ケータイに合わせた暗号にしたのは、イカサマをバレ難くする為。そして、俺を混乱させる為……!」
もし全ての声援が『あかさたな』で始まっていたら、俺はもっと早く気が付いていただろう。
厄介なのは、試合中の俺たちはケータイを確認することが出来ない、という事。つまり、敵が最大のヒント――というより答えを持っていながらも、それを確認される心配がない、という何とも嫌らしいイカサマでもあるのだ。
「以上のことから……これがケータイの文字入力を使ったイカサマである、という事が言えます」
俺のアンサーに対し、訪れたのは心音すら聞こえない静寂。観客は息を殺し、その時を待っていた。
声部はツインテールが揺れるほど大きく身震いをした。ガタッとイスから立ち上がり、
《完璧な……完璧なまでに正解ッデーーーース!! グレイト! ワンダフル!! ビューティホーーーー!!!》
ハウリングを起こすほどの大絶叫。観客は耳を塞ぎながらも、嬉しそうな顔をしていた。
そうだ、亞足と占手は? 喜んでいるだろうか? 俺は応援席に顔を向ける。
俺の視線に気が付いた亞足は、見せ付けるように扇をパンッ、と荒々しく開き、
「お見事也」
簡素に、しかし力強い声で俺の成功を祝ってくれた。
「やっ! ホンットすごーい! スゴイすごーい!!」
占手は両手を挙げての盛大な拍手をしてくれた。それが切っ掛けとなり、いつの間にか会場中が俺に拍手を送ってくれていた。
みんなが俺を見ている。みんなが俺を褒め称えてくれる。嬉しい。本当に嬉しい。誰の力でもなく、俺の実力が本当に認められたんだ。あぁ……何て楽しいのだろうか。
《さぁ! 盛り上がったまま行きましょうか! 『ダブル・ダイレクトダメージ』のお時間だァーーー!!》
俺はナイフに成り代わる2つのサイコロを、指先で摘み上げ、掌に乗せることなく落とす。
やっと掴んだ初ダメージへの道。多くは望まない。次への足がかりにさえなれば良い。地道に行く事こそが、きっと勝利への道だ。
……嘘だ。もっと欲張りたい。10以上のダメージを与えたい。勝って、もっともっとみんなに誉められたい。亞足と占手に、もっともっと認められたい。それが、本心だった。
サイコロの目が、ナイフに変わっていく。寿に突き刺さるその本数は……4本。そして……6本。
合計、10本が寿の心臓に突き刺さっていった。
「オオォォーッッッシャーー!!」
◆
「やっ! スゴイすごーい! アズマキシマムの逆転ショーが開幕だね!」
チョコバナナを片手に、足をバタバタさせて喜ぶ占手。だが亞足は、広げた扇で口元を隠し、ほのかに憂いな表情を浮かべていた。
「さて……果たしてそう上手くいくものでしょうか?」
「めっ! そんなの分かってる! 仲間なんだから、水を差しちゃー、めっ!」
「これはこれは失礼を。確かに今の東氏は、賽の神が降りたように神がかっております。……しかし、時の運の前には神すらも太刀打ち出来ないもの」
パチン、と扇を閉じ、それで頭をコツンとく。
「さてはて……死神が居眠りしている間に、布団をひっくり返す覚悟は必要かも知れませんね……」
◆
《さぁ! もうイカサマは使えない! 純粋な心理戦を制するのはどちらか!? ステゴロ(素手のケンカ)な第六回戦目、開始デース!》
そう、ここからはこのゲームの特徴でもある『ダイス・ショータイム』がキーポイントになるだろう。
出されたサイコロから相手の心理を読み、出すサイコロで相手の心を惑わす。求められるのは、そういった純粋な力だ。
……いや、もう一つある。それは、手札を出す順番。物語のように演出し、ストーリーの中に相手を引きずり込む力だ。
そうか、それが出来るかも知れない。寿が俺の思う通りの性格をしていたのなら……必ず引っかかってくれる筈だ。
無心で振った俺のサイコロは――。
◆
寿が麻雀を始めたのは、中学一年生の頃。大学生の兄が面子不足だから、という理由で無理矢理付き合わされたのが切っ掛けだった。
ルールが分からず、ただ座っているだけの寿は、当然ボロ負けだった。そもそも興味が無かったので、覚える気もなかった。
偶然にも勝てた、その時までは。
揃っていた事すら分からなかったが、たまたま兄が覗き込み、偶然にも一発逆転な手札である事が分かったのだ。
周りは全員体格の良い大学生。それを、中学一年の自分が勝った。華奢な自分でも勝つことが出来るのだと、寿は思った。
以来寿は麻雀にハマり、腕に自信のある大人たちを蹴散らしていった。それが堪らなく快感だったからだ。
『起業家倶楽部』に入ったのは、単に雀荘が欲しいだけで、起業に興味があるワケではない。本当は『麻雀同好会』に入ろうとしたのだが、寿が強すぎて部長が入れたくないと言った為だ。強すぎた為の、孤独だった。
寿は麻雀が好きなだけで、ゲーム好きというワケではない。だから、このゲーム大会にも乗り気ではなかった。
しかし実際にプレイしてみて、その気持ちは大きく変わっていった。相手の手札を読み、自分の手札を隠す。根っこの部分は、ほとんど麻雀と変わりなかったからだ。
そして、相手を徹底的に屈服させられるという点もまた、同じだった。
※
『ダブル・ダイレクトダメージ』で10という大ダメージを受けたにも関わらず、寿には焦りの色など一つもなかった。なぜなら、東は残りHP6に対し、寿は20も残っているからだ。
寿は最低でもあと三回負けられるのに対し、東はもう『ドロップアウト』すら許されない状況である。こちらの手札が悪かったときは降りられるが、あちらは泥船だと分かっていても乗り続けるほかにない。軍艦に乗って沈むかも、と不安になる馬鹿は居ないだろうと寿は思った。
女子の実行委員から渡されたサイコロを、スゴロクでもやるかのように気軽に振った。
5、5、4、3、1、と比較的バランスの良い手札となったようだ。ただ、1の存在だけが気掛かりだった。
《さぁ! 『ダイス・ショータイム』のお時間です!》
寿は……5と4を出すことにした。これならば、2はあるかも知れないが1は無いだろう、と思わせることが出来る筈。そう思っての事だった。嫌な空気が漂い始めている中で、弱みを見せるのだけは避けたかった。
対する東は……3と3。それを見た寿は、
――うわっ、なんて、なんて……必死なんだ、この人。
危うく笑いそうになってしまった。
尻も頭も隠しているのに、背中が丸見えなのに気づかないのがおかしくておかしくて堪らなかった。
恐らく、どっちだ、と悩ませるために出したのであろう。逆に言えば、悩まなかったら困る、という手札を持っているという事だ。
――考えが浅はかなんだよ、ただのゲームおたくクセに。
寿もまた必死だった。込み上げてくる笑いを堪えるのに。
《先攻、東選手!》
コールが掛かっても、東は動かない。だが寿には、それが小芝居だと分かっていた。恐らく、最初に出す数はもう決まっている筈だ、と。
東が特性トランプを置いた瞬間、寿もまた机の上にそれを置いた。見え見えなんだよ、そう威嚇するために。
《さぁ! フルオープン!》
寿は……4。対する東は……予想通りの3だった。ギリギリの攻防戦に、会場内は盛り上がっていく。
――やっぱりだ。案の定、それを出して来たね。
続く第二投目、先攻は寿。今回もまた、コールが掛かっている途中で机の上に置いた。
東は同じようにしばらく悩んでから、力強く置いた。絵に描いたような大根役者っぷりだね、と寿は思った。
《さぁ! カードをクルリンッパ!》
寿は……5。東は……3。東が早くも絶体絶命だと、会場内は騒ぎ立てる。
――よし、イケる!
残りは、5、3、1、と勝てない手札ではない。
――……と、思わせることが狙いなんでしょ?
東が寿にどっちだ、と悩ませたかったのは、自分が高い手札を持っていることを隠したかったからだ。では、何故隠したかったのか?
答えは、
「はい、『ドロップ・アウト』ね」
たった一つの宣言で、全てが台無しになってしまうからだ。
このままトドメを刺してやると思わせ、誘い込んだところをバッサリ。それが東の作戦だろうと、寿は思った。
――ふふ……逆にバッサリ切ってやるよ。その手札を、ね。
会場内からは、なんで、どうして、という疑問の声が多く上がってくる。この優勢で逃げる意味が分からない――そういう事なのだろう。
――バカばっかりだな、この会場は。
恐らく、6、6、5。それか、6、5、5、が残っている筈。自分だから避けられたのだと、自慢げに笑う。
「ほら、見せてやりなよ」
寿は観客たちにそれを教えてやるために、東から特性トランプを引ったくって机の上にばらけた。
「……なにこれ?」
思わずマヌケな声を上げてしまった。そこに散らばっていたのは、5、2、1。寿の絞りかすのような手札よりも、弱かったのだ。
「いやー、ありがとう。あのまま勝負されてたら、俺負けてたよ。まさか、あんな場面で『ドロップ・アウト』するだなんてねぇ」
東はニヤニヤと笑いながら言った。
――この人、まさか……!?
◆
そう、本命は……寿に『ドロップ・アウト』させることだった。ポーカーと同じだ。自分は大きい役が揃っていると思わせることで、相手を降ろさせる。これならば、手札の強さなど関係なく、確実なダメージを与える事が出来る。
戦略通りに行動すれば、必ず引っかかってくれる。そうだと分かっていても、不安で不安で堪らなかった。
寿の性格……それを一言で現すのならば、傲慢(ごうまん)だ。プロアマ雀士という自負もあるのだろう。自分は格上な存在だと信じ込んでいるようだ。だからなのだろう。自分の考えに、疑問を持たないのは。
俺は、そこを狙った。
自分を格上だと思っている人は、格下の気持ちや思考など絶対に考えない。結局の所、自分がどうすれば勝てるか、に行き着いてしまうから。自分が正義だと、信じ込んでいるから。
そして寿は、自分が勝つために、俺への嫌がらせの為に、『ドロップ・アウト』という道を選択した。――いや、格下の俺がそうさせたのだ。
ホッと胸を撫で下ろすと、背中にジットリと付いていた汗が冷えていくのを感じた。風通しの悪い部屋から外に出たような、妙な心地良さがあった。
《まだまだ嬲(なぶ)り足りないのか!? それとも本当に逆転劇の幕が開けたのか!? まさかまさかの『ドロップ・アウト』!!》
観客たちは盛り上がるに盛り上がれない様子だった。それもそうだろう。さっきの心理戦を理解出来た人は、ほとんど居ない筈だ。
だったら、分かり易く盛り上げてやろうじゃないか。
俺は女子の実行委員から奪うようにサイコロを摘み上げ、荒々しく机の上に放った。
出た数字は……予想外の5。俺は思わず立ち上がってガッツポーズを取った。それで火が付いたように会場内が盛り上がり始めた。
立て続けに高ダメージ。これで寿のHPを半分減らしたことになる。
あと三回……あと三回勝てば、このノーマルクラスは俺の勝利となる筈だ。
このピンチを切り抜けた意味は大きい。そして、残りHP20という大台から引きずり落とせたのが、何よりの功績だった。
※
《さぁ! ラッキーセブンになるのはどちらなのか!? ますます眼が離せない第七試合目!!》
俺の出目は……6、6、3、3、2。これは……何とも面白い形になったものだ。
《イッツ・ア・『ダイースショータイーム』!》
寿は、5と2。恐らく、全体的に弱い手札が揃ったと見た。良くてもう一つ5があるぐらいだろう。
対する俺は、前回と同じ3と3。再び問いかける『どっちだ?』に、寿は苛立った表情を見せた。
第一投目、俺は3。対する寿は……2。大きい数字を出すと踏んで、失敗したらしい。
第二投目、俺は2。対する寿は……5。偶然にもベストな形で負けることが出来たようだ。これで一勝一敗。
次で寿が降りると思っていたが、そんな気配は感じられなかった。恐らく、俺の手札の揃いが悪いと予想したのだろう。前はこれだから、次はこれになる。イカサマに頼りっぱなしだった所為か、そんな素人のようなドツボに嵌ってしまったのかも知れない。
第三投目、俺は6。対する寿は……2。最悪な形で勝利してしまい、これで二勝一敗。だが、俺の残りは6と3。この段階で、俺の勝ちはほぼ確定となった。
当然、次に出すのは――。
第四投目、寿は5。俺は……3。これで二勝二敗。どちらが勝つのか、と声部が饒舌にアナウンスしているが、水面下で勝敗が決した今では無意味な事だった。
第五投目、俺は6。寿は……4。予想通り、6は持っていなかった。冴えている。俺の読みが、恐ろしいまでに冴え渡っている。
《さぁ! さぁさぁさぁ! どうか皆様、電光掲示板をご覧くださーい!!》
声部に促され、観客達は電光掲示板に目線をやる。寿もそちらに眼を向ける。だが俺だけは、寿の顔を見ていた。
寿はギョッとした顔になり、慌てた様子で俺を見てくる。その反応に、俺はほくそ笑まずにはいられなかった。
「リスクを背負ってまで五投目に持って行ったのは……この為か?」
「高い役の為に危険を冒すのは、麻雀だって同じだろ?」
俺は、片方の眉を上げながら答えてやった。
累積ダメージは……一試合中では過去最高の、12。これで、寿の残りHPは……3となった。
《逆転、逆転、逆テーン! 凄いぞ東! 惚れそうだぜ東! あれだけの大差を、何と何と本当に本当にひっくり返してしまったぞ! 『秘密兵器』は、嘘偽りが無い『秘密兵器』だったー!!》
大絶叫する声部。熱狂する観客たち。
いいや、逆転ではない。ここに来てようやく、イーブンになっただけだ。次の負けが、そして『ドロップ・アウト』ですら、ノーマルクラスの決着に繋がるのだ。
俺は……気味が悪いほど落ち着いていた。さながらそれは、覚えきった弾幕パターンをかわしている時のように。
◆
亞足は扇をパチン、と閉じ、その先端を東に向けた。
「ご覧なさいな、美殊。あれこそが、東氏の真価。私がこの部に引き入れた理由です」
「アズマキシマムの……真価?」
「例え話をしましょう。投げられた球をかわすのが得意な人が居ます。そもさんそもさん、何故かわすのが上手なのでしょうか?」
「うーん、動体視力が良いから? ほらっ、シューティングが得意だって言ってたし」
「答えは、どこに飛んでくるのかを知っているからです」
「……へ?」
「強い者ほど、自分なりの作戦を構築しています。言うなれば、独自の必勝法を持っているのです。それはとても早い球であり、或いは変化球であり、それで相手を討ち取ってきたのです。……しかし、球がどこに飛んでくるのかが分かる相手に、果たしてそれは通じるでしょうか……?」
東に向けていた先端を、亞足は唇にそっと付ける。
「東氏が射撃ゲームで遊んでいるのを後ろから見ていましたが、何十――いえ、何百という敵の行動を覚えているようでした。花火のような弾幕を先読みし、かわしていくその姿はさながら演舞のようでもありました。美殊とのジャンケン勝負の時もそうです。十回目にして弱点を見破り、尚かつその打開策を実行した」
自然と顔が綻んでいく亞足を、占手は意外そうに見ていた。こうも他人の事を嬉しそうに喋るのは、初めて見たからだ。
「そう、東氏の真価とは……敵の行動を学習する早さにあります。そしてその風貌には似つかわしくない度胸が、勝負強さを生んでいるのです」
「それが……アズマキシマムの良い所?」
「えぇ、それが東氏の良い所です」
亞足は、どこか満足そうに頷いた。
◆
《残りHP的に見て……恐らく次が最後の試合となるでしょう。どちらが勝っても、どちらが負けても、誇りに思える試合をしてきたと思います。……なーんて言えるのは勝者だけ! コイツは勝負という名の『競争』だ! 敗者が得るのは綿ボコリのみ! 一時も眼を離すな! 終幕の第八試合目!!》
緊張しているが、俺の心音に乱れはない。良い感じだ。ベストスコアを出す直前の気持ちと良く似ている。
ふと横を見ると、サイコロを渡す係の女子の実行委員の手が震えていた。俺よりも緊張しているようだった。
「が、頑張って下さい! 応援してます!」
初めて俺に喋り掛けてきたかと思うと、急にそう励ましてくれた。無愛想かと思っていたら、公平を保つ為に喋らなかっただけらしい。
「うん、ありがとう」
そう答えると、女子の実行員は、えへへと照れ笑いながら俺にサイコロを渡してくれた。ギュッと握りしめていたのだろう。彼女の体温が、サイコロ越しに伝わってくるようだった。
俺にはプロ雀士になる力も、株で稼いで起業家になるような頭も無い。唯一得意なのは、ゲームだけ。自分自身でも使えないスキルだなと嘲笑ってきたそれが、今初めて誇りに思えた。
サイコロを力一杯握りしめ、全ての力を注ぎ込むようにそれを力強く投げ落とした。
ラストに相応しい出目は……5、5、4、4、3。最強の6はないが、実に頼もしい手札が揃ったようだ。そう、俺にはこのぐらいが丁度良い。
《自分の誇りを見せつけてやれ! ラスト・ショーダウン!!》
俺が出したのは……4と4。策を弄してこそが、俺の誇りだ。
対する寿は……寿は……最後の最後で、自分そのものを見せつけてきた。会場内が大きくざわめく。あくまでも、自分はお前の格上だ。そう言いたいらしい。
寿の前に置かれたのは、6と……6。最強の二つが、そこに並んでいた。
顔が引きつっていく。心音が跳ね上がっていく。これで、二敗することは確実となってしまった。
《さぁ! 先攻は寿選手!》
やはり最後というだけあって、圧倒的に有利な筈の寿でさえ、だいぶ悩んでからそっと机の上に置いた。
恐らく寿の手札は、非常に偏ったモノになっている可能性が高い。でなければ、実行委員か声部が振り直しを要求する筈だからだ。
それにしても、何を……出したのだろうか? 先程まで読めていた寿の思考が、途端に読めなくなってしまった。
今までの寿は、高いところからただ見下しているだけだったが、今回は違う。地位が危ういと感じ、俺を敵として認め、高いところから踏み潰しに掛かってきたのだ。
そうなると俺は、対空に向かって迎撃しなければならない。足下をすくうような戦略は、恐らくもう通じないだろう。
何を……出すべきか? 6に勝つ手段はない。ならば、寿が6を出すか否か。それだけに絞って考えるべきかも知れない。
俺の出した答えは――。
《閉幕までのカウント1! オープン!》
答えは……否。俺は、4を出した。
対する寿は……2。予想通り、初手には6を使わなかったようだ。
今までの戦略は通じない。だが、辛うじて寿の思考パターンはまだ読めているようだ。
《奇跡の逆転劇は本当に実現するのか!? 第二投目、先攻は東選手!》
この決戦で重要になってくるのは、寿が何投目で6を出してくるのか? それだけだ。それだけを考えれば良い。……他にも山ほど悩むことはあるが、それだけに絞ることにした。複雑なものを複雑に考えようとすれば、絡まったヒモのようにいつまで経っても解けないままだ。
では、自分に問おう。次に、6を出してくるか?
俺の出した答えは――。
《閉幕までのカウント2! オープン!》
答えは……またしても否。俺は、5を出した。
対する寿は……6。最悪の形で予想を裏切られることとなったようだ。
一勝一敗。状況としては悪くはない。6には必ず負けるが、逆に言えばそれ以外は弱いのだから。
《これまでの試合も、ほとんどここで大波乱が起きていました。選手にとっては鬼門の第三投目!! 先攻は寿選手!!》
寿の指は、三枚の特性トランプを右往左往していた。悩みはただ一つ。6を出すか、否か。
長い、長い時間を掛け、己のプライドをベットするように、
「……セット」
寿は、机の上に置いた。
《さぁ! 後攻、東選手!!》
確証は無い。確実性も無いが……やはり次も6を出さない気がする。6は……第四投目に出してくる筈だからだ。
そうか、なんとなく寿の考えが読めてきた。寿の手札は出目が偏っている。恐らく、1を持っている可能性が高い。それは、確実に負ける数字。ならば、どうするか?
使わないようにすれば良いのだ。つまり、第四投目でカタを付ければ何の問題もない。
声部の言う通りだ。第三投目は、俺にとっても、寿にとっても鬼門。そして、大波乱を起こすのは……俺だ。
読み切った。寿が次に出すのは……3か4のどちらかだ。
残った手札は、5、4、3。俺は確実に勝てる5を手札から抜き取り、机の上に――。
「セッ……!」
机の上に――。
「ぐッ……!!」
置かなかった。――いや、置けなくなっていた。あと数センチの所で、踏み留まっていた。最後に見た3が、異常なまでに気になりだしたからだ。
これは……長年培ってきたゲーマーとしてのカンだ。この3が、恐らく勝敗を握る鍵であり、俺にとってのアキレス腱な存在になるだろう、と。
俺は、先程こう考えた。『寿が次に出すのは、3か4』だと。ハッキリとした理由はない。しかし、無意識の内に3以上の数字を持っている事を嗅ぎ取っていたことになる。
この事から、恐らく寿の残り手札は、6、1、そして3か4。対する俺は、5、4、3。
もう一敗する事は確実だから、最低でもベストな勝ち方を二度もしなければならない。……今になって気づいた。なんて分が悪すぎるのだろう。手元に残る3から、死神が溢れ出してくるような錯覚すら受けた。
そうか、ようやく分かった。寿が『ダイス・ショータイム』で6と6を出したのは、威嚇するためでも、弱さを隠すためでもない。音もなく近づき、隠し持っていたナイフ――4でトドメを刺すための布石だったのだ。
死ぬと分かっていて特攻する俺ではない。だが、だが――逃げた先に待っているのもまた、死神なのだ。
この状況を打破する確実な方法はただ一つ、『ドロップ・アウト』のみ。しかし、残りHPは……死神の手が届く範囲にある。
確率はたった6分の1。だが、勝負は確率ではないということを身を持って知っている。例え天文学的数字だったとしても、当たるときは当たるのだ。
そして一番恐ろしいのは、逃げて負けたという汚名。会場中から浴びせ掛けられるバッシングが、眼に浮かぶようだった。
これも……寿が描いたストーリーの内なのだろうか?
背中に嫌な汗を感じた。手が急に震えだした。もはや心音しか聞こえなくなっていた。
この手札で……本当に勝てるのだろうか?
――いや、勝てる。負けると思うから、負けるのだ。勝てると信じれば、勝てる筈なのだ。結局最後は、精神論と、諦めない心が勝利を生むのだ。
置け。置くんだ。この5を置いて、『ドロップ・アウト』の道を切り捨てるんだ。ヘタな退路があるから、迷いが出るんだ。行け。行くんだ。勝つために、突き進むために、この5を置くんだ。
俺は手を、手を――。
「それが……私の認めたゲームプレイヤー、東氏の選択なのですか?」
亞足の言葉が、動きかけた俺の手を止めた。
「うぅっ……!」
思わず嗚咽が漏れた。嘘だ。負けたくないからじゃない。格好悪いのが、嫌だからだ。僅かにある勝機を捨ててでも、ブーイングが出ない綺麗な負け方をしたかっただけだ。
何をどうしたら良いのか、分からなくなった俺は亞足に眼を向けた。広げていた扇をパチン、と閉じ、亞足はピシッと俺を差した。
それは――。
《東選手、亞足選手、それ以上の会話はイカサマと見なし、ペナルティを与えますよ?》
声部がやんわりと注意してきた。これ以上の会話は出来そうもない。だが既に、亞足の言葉は全て伝わってきた。
『逝ってくるが良い』
亞足の眼が、そう言っていた。そうだ、勝つためには……一度地獄を潜ってくるしかない。
俺は歯を噛み締め、大きくため息を吐く。そして、
「ドロップ……アウト」
※
俺の『ドロップ・アウト』宣言に、会場は大きく揺れた。ある者は壇上で光っている蛍光灯を数え直し、またある者は説明書を読み返し、そしてある者は……俺にバッシングを浴びせ掛けた。
「卑怯者」「臆病者」「自爆なんてダサい」「戦って死ね」などなど、オーソドックスな野次ばかりだった。
早くも地獄の一丁目――針山地獄が訪れたようだ。唯一の救いは、余裕そうな笑みを浮かべ、「それで死んだら面白いのにね」と寿が嫌味を言ってきた事だ。描いていたストーリーを潰され、さぞかし腹が立っている事だろう。
《まさか……まさかの『ドロップ・アウト』! この台詞を言ったのは何度目だ!? 本場さながらのロシアン・ルーレットでもやろうというのか!? 確率は6分の1!! 当たれば大失笑ものの大自爆!! 外れればキミはミスター・ラッキーマン!! その心意気だけは買ってやろう!! さぁ!! そいつをブン投げてみろ!!!》
渡されたのは、たった一つのサイコロ。なのに、ズシリと重かった。俺の心臓を掌に置かれたような錯覚を受けた。
胃が痛い。吐き気がする。手足が痺れる。耳鳴りがする。奇妙な浮遊感が襲いかかってくる。怖い。怖い。怖い。この状況を心の底から楽しんでいる――俺が怖い。
かつてない程の逆境。しかし、もしも、もしもこの逆境を全てひっくり返すことが出来たら……。想像するだけで、脳髄が蕩けていくようだった。
全てのゲームは、プレイヤーにとって不利に作られている。だからこそ、面白いのだ。
俺は、俺の心臓を机に投げた。それは弧を描き、カツンという音を立てて大きく跳ね返る。机から飛び出し、ステージから飛び出し、それでも尚サイコロは転がり続ける。全観客が、全カメラが、その行く先を追い続ける。
全ての視線が辿り着いた先は……、
「お見事也」
亞足は一際大きな動作で、扇を荒々しくパンッ、と開いた。熱くなった俺の頬を、冷たい風が撫でていった。
辿り着いた場所は、亞足のお膝元。そして数字は……数字は……。
「嘘だ……そんな事って……!?」
寿は頭を抱え、くしゃくしゃの顔になってしまった。俺もきっと、そんな顔になっているのだろう。表現している感情は、まるっきり反対だが。
出た数字は……5。何度確認してみても、黒い点は五つしか無い。本当にギリギリの……5だった。
観客たちの声が爆発した。まるで英雄の帰還を祝うかのように。
◆
――そんな、あり得ない!
寿は、亞足の足下に転がるサイコロを見つめたまま凍り付いていた。
――勝った筈だったのに!
それが見えた瞬間、寿は勝ったと思った。だが結果は、瀬戸際の所で東が生き残っていたのだ。
おかしいと思った。それは、東が生き残ったことでも、5が出たことでもない。
――なんで? なんで自分は……勝ったって思ったんだ? 6以外は勝ちにならないって知ってたのに。
勝ちを確信した理由が、全く見当たらないからだ。
――勝ちたいって思いが……錯覚させたのか? まさか、もしかして……自分は、追い詰められているのか?
「待たせたな……」
寿はハッとなった。それは、もはや満身創痍で気力の欠片も感じられない、絞りかすのような声だった。だというのに、
「今度こそ……今度こそ、本当に最後の試合にしてやる……!」
眼光だけは、飢えた獣のようにギラギラとしていた。その腹を満たすのは、ただ一つだけ。プロの世界に身を置く寿は、この眼を嫌と言うほど見てきた。
――そんなに勝ちが欲しいのか!? この勝負ジャンキー共め!!
◆
残ったのは、たった1。だが、生きている。まだ、俺は負けていない。
《これは……これは……神のイタズラでしょうか? それとも、悪魔の仕業でしょうか? 本当に生き残ってしまいました……それも、たった1だけを残して……》
声部は途切れ途切れに喋った。あまりの事態に、言葉を失わないようにするが精一杯のようだ。
《ウチには、これを解説する事が出来ません。形容する言葉も見つかりません。言えるのは、この台詞だけです》
スゥッと大きく息を吸い込み、
《さぁさ、さぁさ! 正真正銘、これが最後の試合だ!! 第九試合目、開始ィィィ!!!》
俺の残りHPは、1。寿の残りHPは、3。両者とも、退路は……無い。
STGに例えるなら、残機もボムもコンテニューすらも無い状態で、隠し裏ボスに辿り着いたようなもんだ。しかし、やることは何時だって変わらない。相手を撃ち続けながら、弾幕をかわし続ける。それだけだ。だが、それが一番難しい。そしてそれが……一番スリルを味わえる瞬間。
「自分は……お前みたいなヤツが嫌いだ。逆境こそが、勝負の醍醐味だと思っているようなタイプがね。安定した作戦で、安心して勝って、何が悪いって言うんだよ? ……さっさと潰れちまえ、この勝負ジャンキー」
唐突に、寿が吐き捨てるように言った。
「俺も、アンタみたいなのは嫌いだよ。安心して勝ちたいんじゃない。勝負をしたいワケでもない。ただ、敗者を見下したいだけだ。桃鉄で弱いCPUを、99年間ボコボコにして楽しんでいればいいさ」
随分と長く真っ正面に顔を付き合わせていたが、まともに会話を交わしたのはこれが初めてだった。それが罵り合いとは、とんだお笑いぐさである。
ただ、不思議と怒りは湧いてこなかった。何故か、コイツは元々こういう性格だった、と諦めの境地に達したような気持ちがそこに合ったからだ。寿も同じなのか、呆れたような苦笑いを浮かべている。
手渡されるサイコロ。だが……運も、心臓も、もう既に投げきってしまった。残っているのは……サイコロを投げるという行為だけ。
空っぽの俺を満たしてくれる出目は……5、4、3、2、1。最後の最後で、綺麗に揃ってしまったようだ。正直、厳しい手札である。読まれづらいのがせめてもの救いか。
さて、どうするべきか……?
《イッツ・ア・ラスト・ショーダウン!!》
俺が出したのは……5と4。素直に最大値を出したのは、空城の計のように、何かあると疑心暗鬼にさせる為だ。
対する寿は……1と2。おやっ、と思った。俺とは逆に、最小値を出してきたようだ。……逆?
それで俺は、ハッとなった。もしかして……俺と寿の手札は……。
声部の言葉を借りるなら、これは神のイタズラなのか? それとも、悪魔の仕業か? まさか……全く同じ手札になるなんて。
誰が仕組んだのかは知らないが、まったく残酷な事をしやがる。運などではなく、純粋な『読み』勝負で決着を着けろとは。
後悔も後腐れもなく、どっちが上でどっちが下か、完璧にハッキリさせろ。そう言いたいのだろう。
余計なお世話だ。イーブンだろうが、ハンデがあろうが、弱キャラを使おうが、強キャラを使おうが、勝ちは勝ち、負けは負け。そんなもの、ゲームを始めたときから知ってる!
◆
――まさか、こんな偶然が起きるなんてね。
寿もまた、その事実に気づいていた。恐らく、自分と東は同じ手札だろう、と。
分かった理由は、寿と東が正反対な性格をしているからだ。『ダイス・ショータイム』で見せられた数字は、寿の考えとは対極にあるモノ。だからこそ、気が付くことが出来たのだ。
《さぁ! 先攻は東選手!》
声部のアナウンスに促され、東は何を出すか悩み始める。
――何を、出すつもりなんだ?
東は自分と正反対な性格をしている。だから、出す数字も逆な筈である。……最初はそう考えたが、恐らく向こうもそう考えているに違いないと、寿は思い直した。
だったら何を出してくる? 大きい数字から? 小さい数字から? それとも中間から? 麻雀と比べるまでもなく、牌の数は圧倒的に少ない。たった5つだ。そのたった5つから、1つを読むだけなのだ。だというのに、寿は東の考えが全く読めなくなっていた。
「セット……!」
東が神妙な趣で机の上に置いた。当然、何を置いたのかは見えない。表情を窺っても、それは変わらなかった。
分からない。何も分からない。東が置いた特性トランプを引ったくって見たい衝動に駆られたが、辛うじて抑える事が出来た。
――それしか、無いのか。
麻雀には、安心して捨てられる牌――安牌というモノがある。しかし、安心だと決めるのは自分なので、当然間違っている場合も多い。
この『2DST・ゲーム』で言う安牌とは、負けない数字の事。つまり――。
《さぁ! オープン!》
寿の数字は……4。対する東は……2。勝ったには勝ったが、素直には喜べない結果となった。同じ手札なら、たった1の差が明暗を分けるからだ。
残る安牌は、1つだけ。危険牌――3か2で勝てなければ、それは……負けを意味している。
《第二投目、先攻は寿選手!》
寿は、東の筋牌が未だに読めないでいた。しかし、次に1を出してくることは……絶対に無い筈だと確信していた。真剣(ガチ)であればあるほど、連続で負けることだけは避けたいと願うからだ。
――そこを、狙う。
恐らく、5……いや、4を出してくる可能性が一番高いと予想した。寿の手札には、もう4がない。つまり、引き分けを狙う以外は5を使う意味が無いからだ。
寿は大きく息を吸い込みながらそれを引き抜き、叩き付けるようにバンッ、と置いた。
――これで、勝負だ。
《緊張は高まるばかり! さぁ、オープン!》
寿は……1。先程の意趣返しの為だ。
対する東は……予想だにしなかった、3。
――くそっ!
最悪な負け方は避けられたものの、寿は苛立ちを隠せなかった。
――なんでだ!? どうして……東が自分と同じ位置に居るんだ!?
相手はプロ雀士でも、学園最強ゲーマーと謳われた亞足でもない。ただの、冴えないゲームおたくである。だというのに、実力は拮抗している。――いや、徐々に追いつめられつつある。
最初はともかく、今は決して舐めてかかってなどいない。敵として認め、本気で闘っている。にも関わらず、
――どうして……どうして……東の考えが読めないんだ?
たった3つなのに、ジャンケンと同じ数なのに、麻雀よりも遙に単純で数が少ないのに……次に出てくる数が、全く予想出来なかった。
《……選手? 寿選手!? 聞こえてますか!?》
声部のアナウンスで、寿はハッとなった。考え事に集中しすぎて、自分を見失っていたらしい。
「えっと、うん……大丈夫……」
まだ少しぼうっとしている様子だった。
寿は下唇を強く噛み、痛みで強引に意識を引き戻す。勝負中にこんな事をしたのは、プロ雀士の検定中以来だった。
《では、気を取り直しまして……さぁ! さぁさぁさぁ! またしてもここで事実上の決着となってしまうのか!? 第三投目、先攻は東選手!!》
寿の残りは、5、3、2。
東の残りは、5、4、1。
不思議なもんだと寿は思った。東の持っている1が、自分が持てば疫病神にしかならない1が、今は……酷く恐ろしい。
――何を……出すつもりなんだ?
少しの情報も逃すまいと、寿は東の顔をジッと見る。格下相手に顔色をうかがうなど屈辱の極みだが、もはやなりふり構っていられなかった。
――自分は……何を出せば勝てる?
5を出せば、確実に勝利か引き分けをもぎ取ることが出来る。タイミング的にも、ここで出すのが最適だろう。それなのに何故、寿は躊躇っているのか?
――もし1を出されたら……そこで終了だ。
もしも第三投目が、寿が5、東が1、という形になってしまったら、寿の残りが3と2、東の残りが5と4となる。そう、小学生でも分かる。勝てる数字が……無くなってしまう事ぐらい。
――となれば……2が……一番良いか?
東がどんな数字を出してこようと、2だけは全てに対応することが出来る。1なら勝てるし、4か5でも1以上の差が生まれ、プレッシャーを与える事が出来るからだ。
――最悪、次の試合に持ち越したい。
累積ダメージがどれだけ貯まろうと、オーバーキルになるだけでもはや関係なかった。『ドロップ・アウト』以外に仕切り直せる方法は、
――これしか……ない。
寿は東とほぼ同じタイミングで手札から引き抜き、机の上に……それを置いた。
《さぁどうなる? さぁさぁどうなる!? 事実上の決着となってしまうのかァ!?》
会場内は緊迫した空気に包まれ、それにともなって口数も減っていった。やがて、誰も喋らなくなった。使命を帯びた、ただ一人を除いて。
《その第三投目を……申し合わせたように出されたその第三投目を……オーーーーープン!!!》
――自分は……引き分けに持って行きたいと思った。何故だ? 同じ数字だから? 東の考えが読めないから? 何て……何て逃げ腰なんだろうか。格下の相手に追いつめられたから、逃げる。最悪な選択じゃないか。――いや、もはや東は自分より上なのかも知れない。この試合中に、自分を飛び越していったのかも知れない。
寿は、東を睨み付ける。
――格上なら……尚更逃げるわけにはいかないんだ。屈服させてやる……!
寿が出したのは……2、ではなく勝負を掛けた――5。それは東が出したモノを予想してではなく、自分のプライドそのものだった。
女子の実行委員の手が、東の特性トランプに伸びていく。
――開け……そして出てこい!
そして、それを摘み上げる。……と思ったが、緊張で手が震え、上手く掴めないようだった。何度もトライするが、右へ左へと動くだけで、一向に開かれる気配がない。
「早く……早く見せろ!」
我慢しきれなくなった寿は、その手を弾き退け、自らの手で表にした。
そこに描かれていたのは……そこに描かれていたのは……、
――黒い点じゃ……ない?
赤い赤い、太陽だった。
◆
《本当に……本当に逆転してしまいました……! あわやストレート負け寸前という所からの、奇跡としか言い様がない逆転劇!! ノーマルクラスを制したのは……!!》
突然会場内の照明が全て消され、代わりにスポットライトが俺に当てられた。
《『ゲーム同好会』の『秘密兵器』!! 羽根 東選手だァーー!!》
照明が戻ると同時に、地鳴りのような歓声が俺に浴びせかけられる。肌がビリつく程凄かった。
声部のテンションは最高潮に達し、マイクを持ったままアナウンス席に乗り上がる。校長の前だというのに、お構いなしである。しかも飛び跳ねるもんだから、パンツが丸見えだ。
凱旋を飾るべく、俺はガッツポーズをしながら立ち上がった。――つもりだった。
「……おや?」
立ち上がる所か、イスから1センチも浮き上がっていない。
「……おややや?」
足に力が全然入らない。というか、感覚すらない。なんだこりゃ?
「おっ……おぉ?」
ふいに、ぐにゃりと視界が歪んだ。ヤバイと思った時にはもう、世界は真横になっていた。
「うわっ!? アズマキシマム!? ちょっとちょっと、大丈夫!?」
占手が胸を揺らしながらステージ上に駆け上がってくるのが見えた。なんだなんだ、局地的な地震でも起きたか?
「おー、占手。俺は勝ったぞー。慌てる事なんて何にもないぜー?」
平気平気、とでも言うように俺はパタパタと手を振って見せた。
「やっ! そんなドリフみたいなことしなくて良いから! 全然マズイから! 顔が青リンゴだから!」
「ハッハッハッ……そんな馬鹿な。ゲームをしただけで、こんなに疲れるはずが……」
よっこらせ、と立ち上がろうとするが、身体を支える手は異常なまでに震え、上半身を起こすことすらままならなかった。
「……マジか? ゲームだけで、こんなにも疲れるもんなのか……?」
将棋やチェスの試合後は立てなくなるほど疲れるというが、まさかサイコロゲームでそうなるとは思わなかった。俺は、それ程までに集中してたって事なのか?
疲れを自覚した途端、身体は鉛のように重くなってきた。ずぶずぶと泥の中に埋まっていくような、そんな錯覚すら受けた。
「やっ! ほらほら、肩を貸すから立って立って!」
占手は俺の手を自分の肩に回した。普通は逆じゃないかと思いつつも、俺は「せーの」の掛け声で立ち上がる。重心を占手に預け、よろめきながらも何とかステージを降りていく。
ざわめいていた会場は、やがて歓声に変わり、ついにはスタンディングオベーションで拍手喝采にまでなった。こんなにも大勢から祝ってもらえるなんて、初めての経験だった。
俺は力を振り絞り、手を挙げてそれに応える。すると、拍手の勢いが一気に増していった。言い様のない快感が、俺の背筋を走っていく。
「なんでだ……なんで何だ!? どうして1を出した!? 何故1を出せたんだ!? 答えろ、東ァ!!」
俯き、沈黙を守っていた寿が、ついに吠えた。
「めっ! アズマキシマムは疲れてるから、答え合わせはあとあと!」
「まぁまぁ……大丈夫。そのぐらいは答えられるから」
占手に重心を預けたまま、俺はその時の解説を始めた。
「気づいてた? アンタは、第三投目になるとほぼ確実に小さい数を出していた。それでこそ、『パターン』と言って良い程に」
寿は面食らった顔になっていた。やはり気づいてなかったらしい。
「……ちょっと待って。それじゃあ……1を出した理由にはならない。むしろその逆。小さい数が来ると分かっていたら、大きい数を出す筈。……なのに、1を出したっていうのか?」
「いや、このラスト――第九試合の三投目でも、俺は小さい数が出てくる筈だと信じていた。それを逆手にとって罠を仕掛けようと考えていた。だが、アンタの何気ない行動が、俺に疑問を持たせてくれたんだ」
「自分が……何をしたって言うんだ?」
寿は苦々しい顔で言った。当然だろう。思い当たるのなら、最初からこんな質問をして来る筈がない。
だから俺は、自分の顔を指先でトントン、と叩いて見せた。
「俺の表情を……観察しただろ?」
その答えに、寿はハッとなった。
「そう、この『2DST・ゲーム』の鬼門である第三投目でアンタが小さな数を出し続けてきたのは、俺を格下に見ていたからに他ならない。相手を観察するということは、敵として認めているという事。そして、恐れを感じているという事。つまり、同格か、格上に見ているという事。……プロアマ雀士相手にそう思うのは、ただの自惚れかも知れない。でも……俺はそれに賭けた。アンタは、第三投目に……大きな数字を出してくる、と」
その結果、寿が……5。そして俺は……1。第三投目が終わって、一勝二敗。
寿の残りは、3と2。俺の残りは、5と4。それはまだ、ステージ上で使われずに残っている。しかし、俺の勝利は……もう確定していた。
「どうして……自分はお前の考えを読めないんだ……?」
寿は自問自答するように、敗因となったそれをそのまま俺にぶつけてきた。
「だって、おかしいだろ!? 何で東はこっちの考えが分かるんだよ!? 東はただのゲーマーで、自分はプロアマ雀士だぞ!? 読みのスペシャリストが読めないなんて……絶対におかしいだろ……!?」
寿は俺が最後に出した1を、悔しさのあまり握り潰した。最後の勝ちが負けに繋がるなんて、つくづく奇っ怪なゲームである。
それは、俺も疑問に思っていた。どうして寿は、最後まで俺の考えを読めなかったのか? 俺よりも遙に、読み合い差し合いの世界に生きてきた筈なのに。
だが、さっきの独白のような寿の言葉で、ようやくその答えが見つかった。俺を甘く見ていたのもあるだろう。イカサマに頼っていたのもあるだろう。だが根本的な問題が、そうさせていたのだ。
「あぁ……そうか。アンタは、この『2DST・ゲーム』で遊んじゃいなかったんだ。麻雀の経験を無理矢理変換させて、それっぽく遊んでいただけだったんだな。アンタは、このステージにすら上がっていなかった。俺たちが囲んでいたのは雀卓じゃないって事に、アンタはずっと気づけないで居たんだな……」
それぞれのゲームには、それぞれの遊び方がある。そして、それぞれの戦略が必要となる。寿は、プロ麻雀で通じたモノを使っていただけで、新しい戦略を作ろうとはしなかった。きっとそれが、負けた理由だ。
「ああああァァーーー!!」
寿は特性トランプを撒き散らしながら、あらん限りの声で吠えた。突っ伏し、何度も机を叩く。格下の俺に負けたのが悔しいのか、本気で闘ったからこそ悔しいのか。
声部は、『敗者が得られるのは綿ボコリのみ』と言っていたが、それはある意味間違っていると思う。確かに、人によってはそれはただのゴミだ。しかし、人によっては……火種に成り得る場合もあるのだ。そう、俺を見上げる寿の眼には、炎が宿っていた。
そしてもう一つ、敗者が……いや、両者が得られたモノがある。それは、ほんの僅かな友情だ。
※
「あぁー……うぁー……」
占手の肩を借り、元の席に戻った俺は、ため息ばかり漏らしていた。
「おぅおー……うんー……うっ」
ただしそのため息は、お風呂に入ったときに漏らしてしまう深い深ーいため息とよく似ていた。
「ねっ? ねっ? どうどう?」
後ろから聞こえてくる占手の甘い声に、俺は大きく頷く。
「あぁー……こりゃ気持ちいいわぁー……」
地獄を抜けた先に待っていたのは、この世の物とは思えぬほどの極楽だった。
倒れてしまう程ゲームに集中し、勝利をもぎ取ってきた俺を労り、なんと占手が肩揉みをしてくれると言ってきたのだ。
「昔はこれで父さんからお小遣い巻き上げてたからねー。よいしょっ! もう特技と言えるぐらい上手くなっちゃったのよねー。うんしょっ!」
占手の言う通り、お世辞抜きで上手だった。こりゃ確かにお小遣いをあげたくなるわ。
鉛のように重かった身体が、今は試合前よりも軽い。……まぁ、一部分が鉛化するのを抑えるので必死だが。
「勝者は労われるもの。……実にお見事な寄席でした、東氏よ」
ふいに、目の前に立っている亞足が俺を褒め称えてくれた。
「う、うん……どうも」
一番意外だったのは亞足だ。俺が席に座ると、亞足が扇でパタパタとそよ風を送り始めてくれたのだ。あの亞足が、だ。あまりにも意外すぎて、会場がどよめいた程である。
後ろからは占手の肩揉み。前からは亞足の扇。さながら気分は王様だ。
会場に居る全ての男子から、刺すような視線が……というか、死線を俺に突き刺してくる。
どうだ? 羨ましいか? だがお前らにはやらん。これは、勝者だけが味わえる特権なんだよ。あぁ……本当に勝って良かった。何百万払ったって、こんな極楽味わうことは出来ないだろうなぁ。……明日、マジで極楽に旅立ってしまうかも知れんけど。
《さぁ! さぁさぁさぁ! そこで鼻の下を伸ばしきっている東選手のお陰で、次のクラスを始めることが出来ます! 皆さん、長らくお待たせ致しました! ウチも待っていました! 本日のメインディッシュ! 800万VS高嶺の景品! マスタークラスを……開始致します!!》
声部のアナウンスが流れると、占手と亞足の手がピタリと止まってしまった。
「ほらほら、出番だよ。ヨッ! 真打ち!」
「では、参ると致しましょうか」
亞足は扇をパチン、と閉じた。嗚呼……さようなら、俺の極楽よ……。
「それにしても……先程の試合は本当にお見事でした。久方振りに、私の魂も打ち震えましたよ。あれこそが勝負。あれこそが……本当のゲーム」
思わずギョッとなった。湖畔のように静かに語る亞足が、急に熱弁し始めたのだから。
「あれだけの攻防を見せつけられたら……ふふ……私の眼に狂いは無かったようですね」
亞足が上着をほんの少しだけ捲り上げた。何をするのかと思えば、腰の所に扇を仕舞い込んだだけだった。何も持っていない亞足を見るのは、これが初めてだ。
「後の事は、私にお任せ下さい」
踵を返し、ステージに向かっていく亞足。彼女以上にその台詞が似合う人は、他に居ないだろう。
「うわぁ……赫華が本気だ……」
「本気?」
俺は顔だけを後ろの占手に向ける。少し傾けば触れてしまうような距離に、占手の艶やかな唇があった。俺の方が恥ずかしくなって、思わず身を引いてしまった。
「そっ! 赫華が扇を持っているのは、集中力を低下させる為なの」
低下させる? 普通は上げる為じゃないのか? というか、低下させて何の意味が?
「本気になる時だけ、ああやって扇を仕舞うのよ。最後に見たのは……ここへ入学して間もない頃かな? アタシとジャンケンした時に仕舞ってたっけ」
亞足が交際権を賭けて、男子と勝負をしている姿は何度か見かけたことがある。だがその時でも、扇を手に持っていた。つまり……本気ではなかった、という事なのか。最も身近に居るであろう占手でさえ約一年ぶりにそれを見ると言うことは、本気を出すまでもなく、ほぼ全員の男子に無敗を誇ってきた事になる。
生唾を飲み込まずには居られなかった。亞足の本気がどれだけ凄いモノなのか、もうすぐ見られるのだから。……それにしても、本気を出した亞足でさえジャンケンでは占手に勝てないなんて……恐るべし、ジャンケンマスター。
「うーん、大丈夫かなぁ……?」
ぽつりと、占手が呟いた。なにせ相手は株長者だ。不安になる気持ちは良く分かる。
「相手は800万男だけど、亞足なら大丈夫だろ」
「やっ! そうじゃないの。亞足はね、本気なると――」
※
準備は全て整い、二人は言葉を交わすことなく互いの席に座る。
《ここで改めて……両選手の紹介を行いたいと思います。西に座るはマネーの虎! 『実業家倶楽部』の部長にして、今や伊語高校イチの大金持ち! 今最も熱く、注目を浴びているのはこの人! 加賀 泰蔵選手だァーーー!!》
声部の紹介にも、拍手喝采の会場にも応えることなく、加賀は腕と足を組み、ただジッと亞足を見ていた。
「てめぇに交際勝負を挑んだのは……去年の5月ぐらいだったか? ゲームで勝てば、好きにさしてくれるバカ女が居るって噂を聞いてな。面白半分で挑んだのを、今も後悔しているよ。何もかもが未熟だったオレを、ブチ殺してやりたくなるぜ」
加賀は何度も大きな舌打ちをしながら言った。
「だがな、今は違う。あれからオレは、一度も負けたことがねぇ。ゲームなんてちゃちいフィールドじゃなく、もっともっと危ない駆け引きをやり続けてきたんだ。そしてオレは……勝ち組になった。分かるか? てめぇに負ける理由は、もう存在してねぇって事なんだよ。覚悟しとけ、オレのは……マグナム級だぜ?」
最低な挑発に、下卑た笑い。しかし、亞足は眉一つ動かさずにそれを受け流していた。さすがである。
《続きまして、東に座るは飛車成りの竜王! 『ゲーム同好会』の主(あるじ)にして、伊語高校を影から牛耳る主(ぬし)! こちらが掴んでいるだけでも三桁になる無敗記録は、まだまだ伸び続けるのか!? ゲームと言えばこの人!! 亞足 赫華だァーーーーー!!!》
ここ一番の盛り上がりに対し、亞足は両手を太ももの上に置いたまま、いつも通り静かに、しかし隅々にまで届く声で喋り出す。
「たかだか豆鉄砲一つで国を落とそうとは……誇大妄想を言いなさる」
亞足の言葉で、会場がドッと沸いた。加賀の顔は怒りで真っ赤になり、亞足は片方の眉を釣り上げていた。……多分、亞足は落語的な意味合いで巧い言い方をしたと思っているようだが、実の所下ネタに下ネタで返しているってことに気が付いていないんだろうなぁ。
《さぁ! お二人とも、係の者からサイコロを受け取って下さい! 受け取りましたか? 受け取りましたね? 伊語高校の歴史に残る名勝負になる事は必須! まばたきを忘れるほどに熱中させてくれ! これが『2DST・ゲーム』のラスト・ステージ!! マスタークラス……開始ィ!!!》
片や大金を手にした掌から、片や勝利を掴み続けた掌から、砂時計のようにサイコロがこぼれ落ちていく。たった5個のサイコロに、己の全てを乗せ。
こうして、生涯忘れる事がないであろう勝負が……厳かに始められた。
◆------------◆
stage.5「ゲーセンの景品って、いくら注ぎ込めば取れるんだ?」
◆
加賀はこの『2DST・ゲーム』の説明を受けたとき、内心ほくそ笑んでいた。なんだ、オレが勝ってきた株相場と仕組みは同じじゃないか――と。
サイコロは、証券――いわゆる株券そのもの。価値の高いものをどう活かし、価値の低いものをいつ切り捨てるのか、加賀はそれを散々繰り返してきた。
そして極めつけは、『ダイス・ショータイム』だ。株用語で言う所の『見せ玉(みせぎょく)』がゲームに使われているとは驚きだったが、当然それも多く経験してきた。
『見せ玉』とは、難しく言えば今の価格よりも安い価格に大量の買い注文を入れ、ほかの投資家がそれよりも高い値段で買うように誘導する……という事である。早い話が、デコイのようなモノだ。巣穴から獲物を誘き寄せ、掛かったところで食らい付く。そう、ほとんど『ダイス・ショータイム』と同じなのである。
ただ、株取引に置いて『見せ玉』はルール違反であり、莫大な賠償金を支払うハメになるケースもある。特に加賀を含め、昨今増加の一途を辿っているデイ・トレーダーの存在によって、それは加速化している。
加賀は『見せ玉』を行った事はないが、引っかかる寸での所で助かったことは何度もある。ただ、勘や運といった曖昧なものでそれを回避したワケではない。徹底的な下調べと調査によって、それは危険だという裏打ちがあったからこそ、一度も引っかかったことがないのだ。
よく株取引はサイコロのような博打事だと思われがちだが、実は違う。『見せ玉』を回避したように、その銘柄に対し徹底的な下調べと調査を行えば、リスクは最低限まで落とすことが出来る。その会社が起こした事件、クレーム、一般ユーザーの評判などなど。今はインターネットがあるから、普通の高校生にでもそれは可能だ。努力さえ惜しまなければ。
ちなみに加賀は、買うと決めた会社の上層部――部長以上の素性、家族構成まで徹底的に調べ上げる。本人、またはその子供がブログを書いているから、人脈が無くとも思いの外簡単に情報を集めることが出来る。
何故そこまで調べる必要があるのか?
それは、人事異動、開発部長の評判などによっても株価が上下してしまうからだ。極端な話、社長の誕生日会ですら株価を上下させる要因に成り得る。何故上がり、何故下がったのか、そこには必ず理由が存在しているのだ。それを把握した者だけが、株で勝ち続けることが出来る。
加賀は、決してラッキーマンなどではない。時間を使ってマーケティング調査をし、知識を活かしてその対価を得る、歴としたビジネスマンなのだ。800万という金額を稼げたのは、粗暴な態度とは正反対の、その極めて慎重な性格のお陰なのである。
――さて、本日の株価は……っと。
テレビの電源ボタンでも押すように、加賀はサイコロを放り投げる。
網膜という名の液晶画面に映る数字は……6、4、4、3、1。
これまでの出目から見れば、上の部類に入る手札だった。しかし加賀は、不満そうに大きく舌打ちをした。もっと高い手札が欲しかったワケではない。その逆で、もっと全体的に低い方がこの『2DST・ゲーム』の感覚を掴めると思ったからだ。
大きい数字は、いつまで経っても価値が高い。だが小さい数字は、その価値が目まぐるしく変わっていく。加賀は、それを見極める感覚を初戦の内に掴んでおきたかったのだ。
――まぁ、いい。問題は、『見せ玉』をどう演出するか……だな。
加賀は株取引に於いて『見せ玉』をした事がない。しかし、見抜いた数は百を超えている。言い換えるなら、バレ難い形も多く知っているという事だ。
――オレは死ぬほど腕が上がった。だがてめぇはどうかな、亞足ィ?
《さぁ! 火蓋を切って落とすのはこちら! 『ダイス・ショータイム』!!》
加賀が出したのは……6と1。どこにも偏りが無い為、間の数字を霧隠れさせるのには最適な形だ。そして、相手の力量を推し量るのに最も向いている。
対する亞足は……2と2。恐らくは最小値だろうと加賀は思った。
――高い手札を隠すためか?
単純に考えれば、それしかない。しかし、未熟だったとはいえ一度は負けた相手。そんな見破りやすいモノを出すだろうか?
――相変わらず人を食ったようなヤツだぜ。
恐らく、向こうもこちらを試している。『そもさんそもさん、私の手札はなぁーに?』と、このサイコロを使って問いかけているに違いないと加賀は思った。
机に置いたサイコロを雑に回収しながら、
――見破ってやろうじゃねぇか。イカサマ無しでな。
加賀は、鼻で笑った。それが了承の合図だった。
※
ジャンケンは加賀が勝ち、後攻を選択した。最初からピタリと当て、鼻をあかしてやろうと思ったからだ。
《第一投目、先攻は亞足選手!》
声部のアナウンスが終わると同時に、亞足はスイッと特性トランプを摘み上げ、迷いも、淀みもない動作で机の上に置く。加賀は、それに見とれていた。
――コイツをモノにしたい。
負けてからずっと抑えていた衝動が、再び湧き上がってきた。
――その端麗な表情が……どんな風に乱れるのか、見てやりたい。
加賀はうっとりとした顔で、亞足を見ていた。
《加賀選手? 出番ですよ、加賀選手? ……オイ、そこのヘンタイ! 何いつまで見てんだよ!》
アナウンス席の声部が、机を叩きながら立ち上がった。
「怒るなよ。せっかく『高嶺の景品』が目の前にあるんだ。じっくり見て何が悪い?」
加賀は、亞足から眼を離さずに言った。観客からは「このエロガッパ!」「眼を潰してしまえ、亞足!」「頼む、自分と代わってくれ!」などと罵詈雑言を浴びせ掛けられるが、加賀は気にも留めなかった。こうも近い距離で真っ正面に見つめ合えるチャンスなど、1日に100万稼ぎ出すよりも少ないのだから。
――さてと。
充分堪能した加賀は、ようやく手元の特性トランプに眼を落とした。
――当たりを付けるなら……6、5、4、2、2、が妥当だろうな。
2以外にも二つ持っている可能性もあったが、敢えて考えないことにした。多くの可能性は、ただ迷いを生むだけだ。
――オレを試してるのなら……コイツに間違いない。
手元から一枚を引っこ抜き、机が動くほど荒々しく置いた。
《さぁ! 注目のファースト・オープン!》
加賀は……4。対する占手は……4。Qに対するAを、ものの見事にやってのけたのだった。
《おぉっと!? これは意外や意外! なんと引き分けから始まりました! これは、実力が拮抗しているという証拠でしょうか!?》
ざわめく会場。それもその筈だった。亞足と同格という事は、つまりこの学校でナンバーワンの地位を手にしたのと同じなのだから。
しかし加賀は、
――拮抗している……だと?
呆れたようにため息を吐く。
――とっくの昔に、オレの方が上だよ。
そう、加賀の実力はもはや、この学校に収まるようなモノではなかった。株市場という、世界で最も危険なフィールドにその身を置き、勝ち続けているのだから。
《第二投目! 先攻は加賀選手!》
加賀は頬ではなく、こめかみに親指をあて、眼を覆うように手を広げた。遠くを覗き込むような姿勢が、加賀が悩み出したときのクセだった。自分の考えを読まれたくない、という無意識の現れなのかも知れない。
――さて、次は何を出そうか……?
一投目は安い挑発に乗ってわざと引き分けにしたが、二投目からは勝ちを狙いに行こうと加賀は決めた。何故なら、
――徹底的に負かして、その後味わうのも悪くないな。
ニィ、と口端を歪め、加賀はムチを振るうように特性トランプを置いた。
亞足は先程と同じように、声部のアナウンスが終わると同時にスイッ、と摘み上げ、何の音もなく机に置いた。まるで無声映画を見ているようだ。
《さぁ! 最初に勝つのはどちらなのか!? セカンド・オープン!!》
悩んだ末に出したのは……4。まさかの連投を演出してのものだった。
――さぁ、驚きやがれ!
亞足は華を摘み取るように拾い上げ、手首だけでひっくり返す。そこに描かれていたのは……4つの黒い点。驚かされたのは、逆に加賀の方だった。
――クソッ、読み損なったか! 4を二つも持っていやがった……!!
まるでお返しと言わんばかりの二連続引き分け。『貴方に出来ることは私にも出来る』、亞足はそう言っているように見えた。
――嫌らしいまでに亞足だな。あの時のオレが勝てなかったのは、むしろ当然って事か。
忘れていたワケではない。身を持ってそれを覚えている。対面している相手は……百戦錬磨、常勝無敗の『ゲーム・クイーン』だという事を。
亞足もまた、この学校に於いて規格外な存在だった。
※
一回戦目は二勝一敗二引き分けで、辛くも加賀の勝利となった。
累計ダメージは……たったの3。ほとんど意味がなかった。しかし、問題はそこではない。
――クソッ、釈然としねぇなぁ……。
どうにも加賀は、勝たせてもらった、という印象が強く、素直に喜ぶことが出来なかった。
――いや、初戦なんて関係ない。
株で大事なのは、トータルで考えること。例え99回小さな損が続いたとしても、1回の大儲けでプラスになれば、それで勝ちなのである。要は、終わり良ければ全て良し。その一言に尽きる。
――止めだ、止めだ! 数字合わせはもう終わりだ!
加賀は短い髪を両手で掻き上げる。
――次からは……てめぇの裸を覗かせてもらうぜ?
◆
「やー、幸先悪いね。いきなり負けちゃったよ」
隣の席に戻った占手は、低いトーンで喋った。
「あー……まぁね」
確かに負けは負けなのだが、普通の負けではないような気がする。なんというか……上手く言い表せないが、一番近いものとして試合に負けたが勝負に勝った、みたいな感じ……かな?
《さぁ! 試合はまだまだ始まったばかりだ! 迷わず振れよ! 振れば分かるさ! 行くぞーー!!》
声部のコールに合わせ、観客全員がカウントを始める。隣に座っている占手も、嬉しそうに腕を振り上げた。俺の視線は上下するソレに釘付けだった。
《1、2、3、ソイヤーーー!》
熱き闘魂と共に投げられるサイコロ達。キンコンキンと、調子外れなコングを鳴らしていく。
その時だった。
加賀の視線が自分のサイコロにではなく、『起業家倶楽部』の応援席に向けられていたのだ。
亞足はそれに気づかない。当たり前だ。目の前には、互いのプライベートを守る絶対的な壁が存在しているのだから。
ルール違反……などではない。黙認されているワケでもない。審査が通っているという事は、それは公認のイカサマなのだ。
当然、タイミングに縛りなど存在しない。いつ何時(なんどき)でも、それを行っても良いのだ。
それが、イカサマというモノ。人の死角を突くことこそが、ある意味本質と言えよう。
しかし、しかし……相手が選ぶ前にイカサマをする意味を、俺は理解することが出来なかった。
「なぁ、占手。さっき対戦したとき、一番困った事って何だった?」
「んー? そうだなぁー、やっぱ相手の手札が分かんない事かなぁ? アタシの手札が弱いのか強いのか、もう不安で不安で」
占手はため息混じりに言った。
やはり……あのイカサマは亞足の手札を伝えた、という事なのだろうか? 確かに、相手の手札が分かれば断然有利になる。それは揺るぎない事実だ。しかし、そこには大きな落とし穴と、巨大な壁の二重苦が待っている。
俺も寿も、『相手が出した数字』を伝えてもらった。確実に勝ちたいというのもあるが、その一つに絞った理由は……サインの伝達時間を短くする為だ。
仮に全部伝えようとすると、一つに付き2秒と考えても、五つで10秒にもなってしまう。そんな事をしていたら、どんなマヌケでも気が付くだろう。
だが、加賀があちらを向いた時間はほんの一瞬だけ。一つだけなら伝えられたかも知れないが、それではイカサマの意味がない。ましてや、知ったそれを『ダイス・ショータイム』で出されたら、むしろ悲しさが込み上げてくるだけだ。
「何を……伝えたっていうんだ……?」
俺の呟きは、声部の『ダイス・ショータイム』コールによって掻き消されてしまった。
◆
加賀の手札は、5、4、3、2、1。『ダイス・ショータイム』には、4と2を出した。階段になっている事を悟られない為だ。
対する亞足は、3と1。またしても最小値の二つを出して来たようだ。
――という事は……4、4、3、3、1、の可能性が一番高いか。お互い少ない数字のやりくりになりそうだな。
試合中でなければ、加賀は大笑いしていた事だろう。亞足の手札が丸わかりだから、ではない。自分の考えたイカサマが、あまりにも凄すぎるからだ。
――直前で変えて正解だったな。
加賀が申請した元々のイカサマは、東や寿と同じで後攻に効果を発揮するもの――『相手が出した数字』を伝えてもらうモノだった。その仕組みは、身体のそれぞれに数字を割り振っており、触れている部分が『相手が出した数字』という事になる。頭に触れていれば1、腹を押さえていれば6、といった具合である。
しかし実際の試合を目の辺りにして、このイカサマではすぐにバレてしまうと強く感じた。ましてや、相手は亞足。東のように、一発目でバレかねない。
そこで加賀は、マスタークラスが始まる前にイカサマの変更を申し出た。却下されようものなら、そんなルールなど無い筈だ、そっちの要求を飲んだのだから今度はこっちの番だ、などなど徹底的にごねて無理矢理通すつもりだった。
だが、亞足は二つ返事で了承した。甘く見られたのか、最初からそのつもりだったのかは分からない。だがその結果、
――後悔するんだな。それが最大の誤算だったって事に!
亞足の手札は、加賀のイカサマによって丸裸同然となったのだ。
《さぁ! 先攻は加賀選手!》
加賀は悩むことなく、5を出した。まずは堅実に一勝を拾おうと考えたからだ。
対する亞足も、迷うことなく特性トランプを置いた。
《さぁ! オープン!》
亞足は……3。予測通り、1は出してこなかった。
続く第二投目。加賀は4を出した。
《さぁ! オープン!》
亞足は……3。連続で同じ数字を出してきたようだ。
――やっぱりか。
当然、1を5で勝つという最悪なパターンも考えられた。しかし加賀は、1は絶対に出て来ないという自信があったのだ。
――1だと確実に負けるから……じゃない。4と3を二つずつ持っているからだ。
同じ数字が二つになる事はそう珍しくはない。だが、二つずつになるのはハッキリ言って予測の範疇外なのだ。亞足は、確実にそこを突いてくるだろう。
――残念だが、突くのは男の仕事だ。
実は亞足の釣り餌でした、という事は絶対にあり得ない。なぜなら、この戦略は相手の手札を完全に知っていないと組み立てられないからだ。加賀は、既に罠の向こう側に居た。
相手の手札を知るという事は、相手の戦略を知るという事。あとはそれに合わせ、ゆっくりと撃退方法を考えれば良いだけだ。
――まるで残党狩りだな。
加賀は笑みを噛み殺した。あの亞足が、こうも自分の術中に嵌るとは思いもしなかったからだ。
《さぁ! 注目の第三投目!》
声部のアナウンスで観客が盛り上がる。加賀はそれを、冷め切った眼で見ていた。
ビギナー、ノーマルの両クラスはここで事実上の決着が付くことがほとんどだったが、この試合は……始まる前に終わっていた。
第三投目は、加賀は1。亞足は4。
第四投目は、加賀は2。亞足は4。
そして第五投目は、加賀は3。亞足は1。
三勝二敗。累計ダメージは……10。早くも亞足のHPは、半分近くにまで減っていた。
※
《なんとォ!? 加賀選手の連続勝利だーー! 幸運の星は、今も頭上で輝き続けているのかァーー!? それとも、亞足選手の頭上に死兆星が現れたのかァーー!? どーなってるんだ、この『2DST・ゲーム』は!? 下馬評をちゃぶ台返ししまくりだァーー!!》
加賀は、今度こそ実力で勝った、とその余韻を噛み締めていた。しかし、観客から上がってくるのは声援ではなく、どよめきだった。大会前、必ず加賀が勝つと応援してくれた友人ですら、戸惑いを隠せないで居るようだ。
皆、無意識の内に信じ込んでいるのだ。亞足は、負けるはずがない、と。その立ち振る舞いが、風貌が、築き上げてきた実績が、全ての人を盲信させているのだ。
だが、そういった幻想は酷く脆い。一度の負けが、全ての崩壊に繋がっていく。築き上げてきた実績が、全てガラスのシャワーとなってその身に降り注いでくる。
――安心しな。オレが……ちゃーんと堕としてやるよ。
加賀は、亞足の全てをメチャクチャにしてやりたいと強く思っている。嫌いだから、ではない。好きだから、とも少し違う。一番近い言葉を上げるとするならば、尊敬しているからだ。尊敬しているからこそ、羽をもぎ、地に叩き付け、メチャクチャに壊してやりたいと思うのだ。
それが、加賀の愛情表現だった。
《さぁ! もう誰にも試合展開は読めない!! 加賀選手がハットトリックを決めるのか!? 亞足選手が一本背負いで逆転するのか!? 第三試合目、開始ィ!!》
サイコロが手渡され、仕切り板が差し込まれる。亞足にとっては邪魔な存在も、加賀にとっては最高のディフェンダーだった。
加賀は低い位置からサイコロを落とす。亞足よりも早く手札を成立させ、イカサマをする為だ。
サイコロが止まり、6、5、4、4、2、と上等な手札が揃った。仕切り板の向こうから遅れて、キンコンキンという音が聞こえてくる。どうやら作戦通り、加賀の方が早く終わったようだ。
加賀は『起業家倶楽部』の応援席に顔を向け、明日美と眼を合わせる。合図を受け取った明日美は、目線だけで亞足の手札を確認する。そして、視線だけを上に向けた。
――なるほど、6か5を2つ以上持っている可能性が高いか。
残念だが、このイカサマを使っても亞足が持っている数字を1つすら特定出来ないのが現状だ。たった一つのサインだけで全てが分かるほど、甘くは無いという事である。
この段階では、だが。
《さぁ! 『ダイス・ショータイム』!》
加賀は……6と5を出した。大きい数を晒すことで、中間の数字を隠す作戦である。
亞足は……3と2。またしても最小値と思われる数字を出してきたようだ。何か思惑があるのかも知れないが、今は無視しておく事にした。
――となると……最悪でも、5、4、4、3、2、は持っている事になるのか。
加賀はこめかみに親指をあて、眼を覆うように手を広げた。
――いや……5以上は2つ持っている筈だ。つまり――。
◆
俺は教える事が出来ないもどかしさを噛みしめていた。
また亞足には見えない所で、加賀がイカサマをしている。しかし、それは二秒にも満たない短さであり、動きにもサインらしいサインは見当たらなかった。
だが、効果はバツグンのようだ。二回戦目の4、4、3、3、1、という非常に読み辛い手に対して、加賀は完璧なまでに合わせてきた。つまり……そのイカサマだけで、亞足の手札を全て読んでいたことになる。まるで魔法だ。
「マズイなぁ……」
俺だってまさか、とは思う。しかし、いつかは負けるときが訪れる。勝負に絶対は無い。そして、亞足にもまた、絶対は存在しない。
「んー、確かにマズイねぇー」
極太のフランクフルトを頬張りながら、占手は言った。……それにしても、何か作為的なモノを感じる太さだな。
「今の戦況が? それともフランクフルトが?」
「どっちも違うかな。さっきも言ったでしょ? 亞足が本気になると、悪いクセが出てくるって」
「あぁー……それか」
確かに悪いクセなのだが、ある意味ゲーマーとしての性だとしか言い様がない。普通の人からすれば、やはりバカバカしい事なのだろうが。
「でもまさか、こんな土壇場に……」
占手は呆れたようなため息をはく。それが返事だった。
「うぇ、やるんだ。キモが座っているというか、亞足らしいというか……」
そのこだわりっぷりは素晴らしいと思う。ゲーマーの鏡だとも言える。だけど流石に今回ばかりは、それを曲げざるを得ないだろう。亞足の手札――6、6、4、3、2、がイカサマによって丸見え状態なのだから。
◆
実行委員が仕切り板を掴み、引き下げていく。加賀はこの瞬間が好きだった。亞足の肘が、肩が、顔が徐々に露わになっていくこの瞬間が。
――亞足が持っているのは、6、5、4、2、1。これが一番可能性が高い。
可能性が高いだけであって、これが絶対ではない。指針と言った方が正しいだろう。一投目の結果によっては、若干の軌道修正も入れるつもりだった。
このイカサマで分かることは、これが限界……というワケではない。改良を加えれば、恐らくもっと分かるようになるだろう。しかし加賀は、敢えて隙間を残していた。
――作戦は、完璧にしてはいけない。マーフィーの法則と同じだ。単純なモノほど壊れにくく、複雑なモノほど壊れやすい。
株市場に於いて、独自の理論と数式を完璧に仕上げ、それで大金持ちになった人はたくさん居る。だが、そういった人たち程たった一つのイージーミスによって、首を吊るハメになった人が多いのもまた事実だった。
だから、敢えて穴を塞がない。そうすれば、完璧じゃないからと警戒を怠らないから。
《さぁ! 先攻は亞足選手!》
亞足は全く変わらない速さで、動作で机の上に置く。追い詰められているという気概は、微塵すら感じられなかった。
――さて、あの手札ならどういう戦略になる?
加賀は親指をこめかみに当て、長考の体勢に入った。
――俺だったら……まず最初にアレを出すだろう。
手札を一通り見た後、加賀は叩きつけるように特性トランプを置いた。
《さぁ! オープン!》
加賀は……2。亞足は……3。加賀は小さく唸った。5を出してくると予測していたが、大きく違っていたようだ。
――なるほど、1ではなく3を持っていたのか。
加賀は亞足の手札を、6、5、4、3、2、の階段だと考え直した。
《さぁ! 先攻は加賀選手!》
両者とも悩むことなく、まるで申し合わせたように机の上に置いていく。
《さぁ! オープン!》
加賀は……6。今度こそ5を出してくると予想したからだ。
対する亞足は……6。まさかの一敗一引き分け。しかし、今の加賀にとって戦績などどうでも良かった。何故第二投目で6を出してきたのか? それだけが重要だった。
――何かおかしい。予測は間違っていない筈だが……。
加賀は言い様のない違和感を覚えていた。これは、そう――。
《さぁ! 注目の――》
「待った。オレは『ドロップ・アウト』する」
声部のアナウンスを遮って、加賀は手を挙げて『ドロップ・アウト』宣言をした。
どよめき立つ観客達。加賀はそんな事など気にも留めず、亞足の手札を眺めていた。
株用語の中には、こんな言葉がある。
『売りは早かれ、買いは遅かれ』。株の値が上がるときは徐々に、しかし長く続く。逆に値が下がるときは急速に、しかし短い。言い換えるのならば、上がり続けているモノもあっという間に落ちていく、という意味を内包している。
違和感の正体。それは、自分の流行り(トレンド)と、場の流行りの差違によって生ずるものだった。つまり、沢山の人が買いに走っていると思っていた株が、実はその逆だった、という事である。
もしかしたら、この手札でも勝てたのかも知れない。亞足に対して、三連勝という輝かしい名誉を手にする事も叶ったのかも知れない。それでも加賀は、引き下がった。
株用語の中には、こんな言葉もある。
『頭とシッポはくれてやれ』。何事も腹八分目がベスト。どれだけ予測が合っていようと、引き際を間違えれば……丸ごと喰われてしまうだろう。
そして、やはりその言葉は正しかった。ちらりと見えた亞足の手札は、6、6、4、3、2。このまま勝負を続ければ、間違いなく負けていただろう。
※
亞足は水でもすくうようにサイコロを摘み上げ、掌を静かに傾けてそれを零した。今まで仕切り板で見えなかったが、これもまた甘美な動きだった。
出た数字は4。決して安い代償ではなかったが、良いモノを見られたこともあり、加賀は満足げに頷いた。
これで残HPは、26対17。一度の負けでそれも簡単にひっくり返るが、イカサマを見破らなければそれも難しいだろう。
安心は出来ないが、怯えるほどでもない。試合展開は、順調そのものだった
――しかし、たった一つだけ気になる事がある。
第三投目が終わっても、それらしい動きは全く見られなかった。
そう、亞足のイカサマだ。簡単に見破れないのは覚悟の上だが、乱発されるより、沈黙を守り続けている方が不気味だった。
《さぁ! いったいどこまでウチらを混乱させてくれるのか!? まさかの『ドロップ・アウト』により、ますます試合展開は読めなくなってきました!!》
――まぁいい。てめぇがどういう思惑で動いているのなんて、関係ねぇ。
敵の考えを読み切るなど、最初から無理な話なのだ。ましてや、相手は亞足。逆に思考の海に引きずり込まれない。
重要なのは、事象――事実と現象。思考はいくらでも嘘を付いてくるが、既に起きてしまったことはもう嘘には出来ない。だから、それを観察すればおのずと答えは見えてくる。
あとは簡単だ。答えから、その計算式を割り出してしまえば良い。その答えとは、
《さぁ! 第四回戦を始めマース!!》
声部のアナウンスで、仕切り板が差し込まれる。法の穴の中で、加賀はニィっと口端を歪めて笑った。
――てめぇの『答え』……また覗かせてもらうぜ?
◆
第四回戦目は、加賀のストレート勝ちで終わってしまった。そのお陰か、累計ダメージは5しか受けなかった。しかし、『ドロップ・アウト』を抜かせば、加賀は事実上三連勝した事になる。俺はそれに、戸惑いを隠せなかった。
「なぁ……これってもう、悪いクセとか関係ないんじゃ……? 普通に負けてないか……?」
亞足は強い。それは疑いようのない事だ。しかし、株で800万も稼ぎ出すようなヤツが相手では、いささか分が悪いと感じ始めたのだ。
「何を言ってるの、アズマ?」
強張った声と共に、占手は鋭い目付きで俺を睨み付けた。
「赫華の実力を疑うっていうの? 仲間なのに? そんなの……寂しいよ……」
膨らんだ風船がしぼむように、占手は徐々にシュンとなっていった。
「悪ぃ……失言だった。その……つい不安になって……」
俺は項垂れながら謝った。我ながらバカな事を口にしたと猛反省した。
「あっ! ゴメンゴメン! 気持ちは分かるのよ、うん。本当にね。アタシも最初の頃は随分とヤキモキさせられたから」
言い過ぎたと思ったのか、占手は三割り増しの笑顔でフォローをしてくれた。それだけでもう、俺の不安は吹き飛んだ。というか、違う気持ちで満たされた。
《さぁ! さぁさぁさぁ! 今日ついに不敗神話が崩れてしまうのか!? いよいよ追い詰められた亞足選手!! 大事な大事な第五回戦目!!》
占手から聞いた、亞足の悪いクセ。確かに俺も、たまにだがそれをやってしまう。しかし、自分の交際権を賭けた試合にまで、そんな無謀な事をするものなのだろうか?
「『ドロップ・アウト』を」
だがその疑問も、第五回戦目が始まった途端に答えが出されてしまった。それも、悪い形で。
『ダイス・ショータイム』が始まる前に、亞足は音もなく手を挙げ、『ドロップ・アウト』をしてしまったのだ。
完全なる暴挙。一際大きくざわめき始める観客。それもそうだろう。事情を知らない者から見れば、勝負を投げ捨てたようにしか見えないのだから。
亞足の悪いクセ。それは、疑いようのないものになった。
占手の言葉が脳裏を過ぎる。
〈亞足が本気になるとね、そのゲームのつま先から天辺まで、最大限に……心行くまで楽しもうとするのよ。どんな風に楽しむのかはゲームによって違うけど……多分、ううん絶対、このゲームではワザとギリギリまで追い詰められようとするわ〉
その言葉通り、『ドロップ・アウト』した筈の亞足の顔はどこか楽しそうに見えた。扇で顔が覆われていない分、やけにハッキリと。
◆
――ちくしょう……ちくしょう……!
自分は勝っている。自分は亞足を追い詰めている。その筈である。その筈なのに、
――なめやがって!
悔しがっているのは加賀で、微かに不敵な笑みを浮かべているのは亞足だった。戦況と心情が、まるで逆だ。
――てめぇは……てめぇはどこまで人をおちょくれば気が済むんだ!
勝負を投げ捨てたワケでも、イカサマを封じるためでもない。ましてや、勝つためでもない。ただただ、瀬戸際の勝負を楽しむだけの行為。
観客のどよめきは止まない。実行委員も動揺している。しかしそれでも、愚直なまでに己の義務を果たそうと、焦点の定まらない眼で加賀にサイコロを振るよう促す。
――クソッタレめ!!
加賀は乱暴にそれを掴み取り、思いっ切りサイコロを投げ捨てる。
カンッ、と小気味良い音を立てて机を跳ね返り、それは亞足の顔に直撃した。
「あーッ!?」
声を上げたのは亞足ではなく、占手だった。当の本人は表情一つ変えず、当たって落ちたサイコロをただジッと見つめているだけだった。
無論、ワザとではない。加賀は亞足を汚(けが)したいという強い願望はあるが、決して暴力を奮いたいわけではないのだ。
当たったのは、右こめかみよりも少し上の所だった。アザにはならないだろうが、白いキャンバスに一滴の血を垂らしたような、そんな痛々しさがあった。メガネに当たらなかったのは、不幸と言うべきか運が良いと言うべきか。
少し遅れて、ようやく事態を呑み込めた観客たちが騒ぎ始めた。皆、凶悪犯を見つけたような形相だった。
加賀は、謝るタイミングを完全に逃してしまっていた。もはや謝って済むような雰囲気ではない。
観客たちの抗議は更に激化していく。実行委員の静止も、声部の声すらも掻き消してしまうほどに。
試合中止が危ぶまれたとき、沈黙を守っていた亞足が、スッと手を挙げた。
「『ドロップ・アウト』を」
会場が、しんとなった。――いや、ポカンとなった。
今度は、第六回戦が始まる前だった。
※
『騒ぎを鎮圧したいのなら、更なる混乱を与えれば良い』。そんな暴論が、今この場に一番相応しいと加賀は思った。亞足の一言によって、加賀が起こした不祥事など吹き飛んでしまったのだから。
――どっちだ?
ギリギリを楽しむ為なのか、加賀を動揺させる為なのか。或いは、
――もっと、別の何かがあるのか……?
加賀は右こめかみに親指をあてる……寸前で慌てて止めた。今まさに、思考の海に引きずり込まれようとしていた。
――考えるな。現象から、事実から、答えから、計算式を割り出せ。
現象とは、加賀がぶつけてしまったサイコロは、6が出たという事。
事実とは、それを引けば……亞足の残りHPは6だという事。
答えとは、答えとは、
――オレの勝ちが、目前に迫っているということ。
加賀は、亞足にぶつけてしまったサイコロを拾い上げ、眼の高さまで上げた後、そのまま手を離して落とす。
出た数字は……4。加賀は静かに頷いた。そして思った。
――やっぱりか。
それは、こんな事で負ける亞足ではないという『希望的観測』か。理由は説明出来ない。証拠も何一つとして無い。だが、サイコロを振る前から、死神の鎌は届かないという確証が加賀にはあった。
一言で現すのならば、カンである。それは、数字と事象から掛け離れた考え――矛盾した考えだということに、加賀は気づくことはなかった。
だが一つだけ、加賀が気づいた事がある。感じたことと言っても良い。
――オレの流行り(トレンド)が……完全に終わる、か。
栄枯盛衰。生者必滅。どんな株も、いつかは必ず下がっていく。そして次に来るのは、亞足の流行り。つまり、
――猛反撃が……ここから来やがる。
圧倒的なHPの差。普通に考えれば、まず負けることのない差。だが、ノーマルクラスではそれがひっくり返った。そしてマスタークラスでも、まるでなぞらえたようにそれが行われようとしている。
――……ん?
何かが引っかかったが、結局それが何なのかは分からず終いだった。
――まぁいいさ。オレは、寿とは違う。
加賀の考える株で最も大事な事とは、儲け続ける事ではなく、如何に損を少なくし、そしてカバー出来るか、なのである。言い換えるのなら、逆境にどう対抗するかが重要という事だ。
どれだけ儲けようと、最後の最後に大損をしたら、それは負けなのである。加賀は、そういう輩を腐るほど見てきた。だからこそ分かる。ピンチなのは亞足ではなく、実は自分であるという事が。
――どうだ、亞足? これでもまだ未熟だって言い放てるのか?
亞足と初めて戦った時の加賀は、まだ泣くことしか知らない赤子同然の存在だった。
――株が、オレの全てを変えてくれた。
欲にまみれた世界で、加賀は自力で生き残った。儲ける術を、独学で構築していった。それが、自信へと繋がっていた。
――勝つのは、オレだ。
亞足の残りHPは、2。これ以上ないぐらいに追いつめている。恐らくは、これが亞足の望んだ展開。なのに、どこか悔しそうな顔をしていた。
※
《えー……はい、いろいろと予期せぬ事が続きましたが、第七回戦を開始したいと思います!》
声部は辿々しくアナウンスをした。あまりの事態に、いつ言葉を失ってもおかしくない様子だった。それは、周りの実行委員も同じだった。度重なる不測の事態に、指揮系統は崩壊寸前である。
大きく舌打ちしながら、加賀はサイコロを拾い上げる。脇に立つ実行委員は既に木偶の坊と化しており、サイコロを手渡すという簡単な役目すら果たせなくなっていた。
バカみたいにあんぐりと口を開け、仕切り板を掴みっぱなしだった男の実行委員が、慌てて動き出した。
――完全に呑まれちまったか。
亞足の創る『場』に、会場全体が呑まれようとしていた。株という極めて特殊な『場』に慣れていなければ、加賀もまた簡単に呑み込まれていただろう。
――焦るな。急くな。今は……機を待て。
確実に勝てる、その時まで。
加賀の手札は……6、4、4、2、2。あまり良い数字ではなかったが、『ドロップ・アウト』はするつもりはなかった。本気になった亞足がどういう戦略を取るのか、一試合分キチンと見ておきたいからだ。
イカサマの為、加賀は応援席をチラリと見る。
――……なんだ?
送られてきたのは、明日美の困った顔。当然、決められたサインではない。
――見逃したのか、見えなかったのか……。
このイカサマの唯一の欠点がそれだ。タイミングや角度によっては、どうしても見えない場合が出てくる。
どうしようもないと思った加賀は、視線を戻し、今回はイカサマ無しで勝負をすることに決めた。
《さぁ! 『ダイス・ショータイム』!》
加賀は……2と2。最小値を出したのは、亞足に合わせての事だった。
亞足は……1と3。案の定、また最小値を出してきたようだ。思考の海に誘うための罠だと、敢えて断定した。
《第一投目、先攻は……えーっと、亞足さん……じゃなくて、加賀選手です!》
本当は亞足が先攻である。しかし、誰も気が付いていないのか、もはやどちらでも関係ないと思っているのか、全員黙ったままだった。
加賀はそれに従い、まずは一勝を拾おうと6を出す。
《さぁ! オープン!》
対する亞足は……6。珍しい事に、6で引き分けとなってしまったようだ。
――引き分けか。オレの流行りは完全に終わったが、かといって亞足の流行りが始まったワケじゃねぇのか?
もしかしたら、この試合で勝てるかも知れない……そんな甘い幻想を噛み殺し、加賀は4を出した。大きい順に出していったときの反応が見たかったからだ。
――まさか、な。
冗談混じりに、そんな事を思った。そして亞足が出したのは……亞足が出したのは……、
――オイ……オイ、待てよ……?
そのまさかが、そこにあった。亞足は……4。これで二連続引き分け。
次は亞足が先攻だったが、その事実に耐えきれなくなった加賀は、順番を無視して机に置いた。もはやそれを咎める者など、誰も居なかった。
開かれていく、特性トランプ。それが見えた瞬間、全身が粟立った。
加賀は……4。対する亞足は……4。
――三連続で……引き分け?
加賀は愕然とした。この『2DST・ゲーム』で一番難しいのは、勝つことでも、負けることでもない。引き分けになる事である。それを三連続で……しかも狙ったとすれば、まさに悪魔の所行としか言い様がない。
あまりの出来事に手の力は抜けていき、加賀は特性トランプを落としてしまう。残りの手札――2と2が露わになってしまった。
「おや……? どうやら引き分けのようですね」
亞足はそう呟き、自分の手札をそっと机の上に置いた。そこにあったのは、3と1。亞足の言う通り、この時点で引き分けが確定していた。
一勝一敗三引き分け。累積ダメージは……たった1。
またしてもざわめき始める観客達。そこにあるのは、驚きや感動といったモノではない。混乱と、未知なる展開への恐怖だった。
※
《第八回戦目を……開始します》
もはや声部は、それを言うだけで精一杯だった。
加賀の手札は……5、4、3、3、3。それだけを確認した後、今度は寿を見た。
寿は亞足の方に視線を向けた後、苦虫を噛み潰したような顔で『下』というサインを送ってきた。
――いったい……何が起こってやがる?
異常事態が起こっている。それだけは加賀も感じ取れた。しかし、目の前にある壁に阻まれ、加賀はそれを確認出来ないでいた。
――クソッ……邪魔な壁め!
取り除かれたときには、時既に遅し。何一つ変わらない亞足が、そこに鎮座しているだけだった。
『ダイス・ショータイム』で公開されたのは、加賀は3と3。亞足は3と1だった。
――寿のサイン、本当に合ってんのか……?
苛立ちながらも、加賀はサイン通りに数字を予測し始める。
――『下』って事は……5、4、4、3、1、ぐらいか? ……いや、4、4、4、3、1。多分これだ。
寿があんな顔をしたのは、酷く予想しづらい数字だったからではないか? 加賀は、そう考えた。
――まさか、また引き分けになるんじゃねぇだろうな?
表情から読み取っているのか、或いは自分の知らないクセがあるのか。加賀は無駄と知りつつも、亞足が出すのを待ってから勢い良く机の上に置いた。
加賀は……5。対する亞足は……、
――ふざけんな……ふざけんじゃねぇぞ!
自信があった。引き分けだけは無いと確信していた。しかしそこにあったのは、存在していない筈の……5。
――何故だ? 何故引き分けに出来るんだ!?
加賀は思わず頭を抱えた。こめかみに親指をあて、眼を覆うように手を広げる。
息苦しい。目の前が濁って見える。周りの音が、遠くに聞こえる。
加賀は、思考の海に溺れていた。
結局、この試合も引き分けで終わってしまった。前回と同じ、一勝一敗三引き分けで。
ショックだった。だが一番衝撃を受けたのは、亞足の手札だった。
6、5、3、3、1……。そう、この手札なら送られてくるべきサインは、
――何が『下』だ! これは『上』じゃねぇーか!!
加賀は寿を睨み付けた。どうしようもなかったんだ、とでも言うように顔を横に振って抗議をする。明日美の方にも視線を向けると、同じような表情をしていた。
――……まさか。
ここに来て、加賀はようやく気が付いた。
明日美は見えなかったのではなく、見させてもらえなかったのだと。
寿は見間違えて『下』と送ってきたのではなく、そうなるように仕向けられたのだと。
この事象から導き出される答えは一つ。
亞足は、
――イカサマの仕組みに……気が付いているのか?
◆
何なんだ、これは。俺はいろんなゲームの大会を見てきたが、こんなの初めてだ。
静けさ、空気、試合展開。全てが異常だ。全てが――バグっている。だが、そんな中でも試合は続けられていく。
第九試合目の始まりを告げたのは、声部のアナウンスではなく、二人のサイコロが落ちる音だった。仕切り板が入ったのは、その後。
加賀の手札が確定し、例によってイカサマが始まったとき、俺はある異変に気が付いた。
「……あれ? サイコロが……4つしかない?」
眼を細めてよーく確認してみると、亞足の手の影の所に五つ目が存在していた。まるで、覆い隠すように。
数字のすり替えに繋がるので、サイコロを隠すのはルール違反の筈だ。しかし、隣に居る男子の実行委員は静かに頷いた後、何事もなかったかのように特性トランプを五枚渡していた。
そうか、あの隠し方なら……俺たちにも、実行委員にも、カメラにも映る。見えないのは、『実業家倶楽部』だけ。特性トランプについても、それは同じだった。一枚だけ、巧妙に隠していた。
イカサマ対策だろうか? でもどうして、一枚だけなんだ? それだけを隠して、どんな効果があるっていうんだ?
だが、応援席の明日美は困った顔をしている。仕組みは不明だが、確実にイカサマを防いでいるようだ。
加賀がイカサマを使って知る事が出来るのは、サインの長さからして一つだけ。一枚を隠すだけで、その一つだけを防ぐ事が出来るのか。
五枚では良くて、四枚ではダメ……? しかも、それを一つだけで伝える……?
「つまり……?」
何の前触れもなく、俺はそれを理解した。そこには理論も計算式もない。降って湧いた幸運のように、突然理解したのだ。
あの時の快感が、背筋を走った。分かった。完全に分かった。加賀の、イカサマの正体が。
それを考えつく加賀が恐ろしいと思った。だが、それをいとも簡単に防いでみせた亞足もまた、恐ろしかった。
俺の視線に気が付いたのか、亞足が初めてこちらをチラリと見た。
そして、微かに笑う。
◆
第九試合目の戦績は、二勝二敗一引き分け。結局また引き分けに終わり、これで三試合連続の引き分けとなってしまった。
そして累計ダメージは……14となった。
加賀は2桁の数字を見て、ようやく気が付く。亞足が狙っているのは、大量の累計ダメージ……一気に勝敗を着けるつもりなのだと。
恐らくは、それに伴う精神的ダメージやプレッシャーが真の目的なのだろう。少しずつ削っていくのとは、ワケが違う。
加賀のHPは、26。まだ倍以上も余裕がある。対して亞足は、たった2。一度の敗北が即負けに繋がるが、逆に言えば小ダメージだろうが大ダメージだろうがもはや関係ないのだ。開き直れる分だけ、加賀よりはマシであろう。
その前に勝てば問題無いのだが、三試合連続引き分けをやってのけるような相手では、普通の勝利でさえ酷く遠い。
――いや、オレが勝つ方法が……もう一つある。
それは、亞足のイカサマを見破ること。サイコロ2つが直接ダメージに繋がるので、例えピンゾロ(1が2つ)だったとしても加賀の勝利となる。見破った瞬間、決着となるワケだ。
現状では、亞足の流行りをひっくり返す唯一の方法と言っても過言では無い。しかし、
――クソッ……分からん!
何かしらイカサマをしているのは確かだった。そうでなければ、ここまで引き分けが続く筈もない。
――オレと同じで、壁がある時にイカサマをしてるのか? それとも、音で伝えているのか? 他に……他に何か伝える手段は……?
自ら重りを纏い、思考の深海へと沈んでいく加賀。
――何も……何も見えねぇ……。
朧気な意識の中、いつの間にか第九試合目は終わっていた。ただ、引き分けになったという事実だけが、イヤにハッキリと分かった。
※
十試合目、十一試合目……。引き分けの連続記録は更に伸びていく。
気が付けば、累計ダメージは20を越していた。未だ何の解決策も見出せないまま、加賀のタイムリミットは刻一刻と迫っている。
そして迎えた第十二試合目。ここで負ければ……恐らく累計ダメージは加賀のHPを上回るだろう。
亞足が『見破った』宣言していれば、もっと早く、そして危険性も少なく出来たはずなのに、何故かそれをしようとはしなかった。
――あるいは、まだ完全には見破ってねぇのか。
だが、今となってはもうどうでも良い事だった。
――残念だったな……亞足。時間という不安要素が、てめぇの株を腐られた。売りに売られ、もはやストップ安だ。
加賀は、ゆっくりと手を挙げる。
――一番嫌いな事だが……やるしかねぇ。
「あとで番号とアドレスを教えろよ? 連絡が取れない恋人なんて、格好が付かないからな。……『見破った』ぜ」
加賀の宣言に、廃墟と化していた体育館は徐々に活気を取り戻していった。
――オレは、これに賭ける。
◆
ついに恐れていた瞬間がやって来た。加賀の『見破った』が成功すれば、その時点で……『実業家倶楽部』の勝利が決定してしまう。
「大丈夫だよな……? 問題無いよな……?」
俺はうわごとの呟いた。
「やっ! ノー問題! 大丈夫、大丈夫!」
占手は胸を張り、たわわに実った胸をポインッ、と叩いた。それだけ亞足が考えたイカサマを信頼しているという事か。
加賀同様……いや、亞足のイカサマはそれ以上に凄いモノなのだろう。なにせ、味方の俺ですらその片鱗を見破れないでいるのだから。
そう、俺は亞足のイカサマを知らない。知っているのは、占手だけ。サインを送っているのも、占手だけなのである。
教えて貰えなかったのは少し寂しいが、きっと長年の仲でなければ出来ないようなイカサマなのだろう。
何もかもが正反対なのに、信頼し合える仲。二人の関係が、羨ましくなった。
◆
亞足は手に持っていた特性トランプをそっと机に置き、膝の上に手を戻した。何一つとして、行動に乱れはなかった。
――嬉しいぜ。この土壇場でも、そこまで冷静にいられるなんてなぁ。だからこそ……だからこそ、てめぇを隅々まで汚してやりたい……!
数分後に見られるであろう亞足の泣き顔を想像し、加賀は軽いエクスタシーを覚えた。
加賀は占手の方を指差す。すると、百を超える視線が一斉に占手に集まった。
「な、何々!?」
美味しそうに焼き鳥を頬張っていた占手の手がピタリと止まる。
「流石だよなぁ……亞足。盲点だったよ。まさかこの大会が始まったときから、ずっとイカサマの種を出しっぱなしだったなんてなぁ……」
加賀の言葉に驚いた観客達は、周囲を見渡し始める。そして、首を傾げた。
「見つけられねぇか? そりゃそうだろうよ。なにせ――」
加賀はステージから降り、
「眼には、見えねぇんだから」
ゆっくりと占手に近寄っていく。
「振り向く必要もねぇ。相手に見られる可能性もねぇ。在っても誰も疑問に思わねぇ」
占手の前で立ち止まった加賀は、人差し指を鼻にあてた。
「答えは――『匂い』だ」
会場内が大きくどよめく。まさか、そんな、観客たちは驚きの声を口々にした。
「真実は眼に見えない……。ボウフラ湧いた詩人みてぇな事を言いてぇのか? ハッ、女帝の意外な一面だなぁ、オイ」
鼻で笑いながら、加賀は振り返って亞足を見る。しかし、表情に変化はない。
「こんな学園祭みてぇな屋台を作らせたのも、てめぇの作戦だろ? 校長がこう仕立て上げるはずだと、てめぇは分かっていた筈だ。加えて、ゲームの内容は知らなくても、出店の情報はただ漏れだからなぁ。屋台の食い物に1〜6の数字を割り振って、亞足はサインを送る時にはそれを食らう。……いや、手に持ってちょっと振るだけでも分かる筈だ。どれもこれも匂いが強いモノばかりだからなぁ」
加賀はフンッ、と鼻息を鳴らした。
「食い物を隠すなら大食らいの胃袋へ、ねぇ? 馬鹿馬鹿し過ぎて、考えもしなかったぜ」
その答え合わせに対し、亞足は何も言わない。何の反応もない。それどころか、加賀を見ようとすらしなかった。
「……答えろよ。なぁ、オイ! 当たってるんだろ!? 泣いてみせろよ!! こっちを見ろよ!!!」
いきり立った加賀はステージを駆け上がり、亞足に詰め寄っていく。近くにいた男の実行委員が慌てて止めにはいるが、簡単に押しのけられてしまう。
危険を察知した東が跳ねるように走り出す。一歩遅れて占手も亞足の元へ走り出した。他の実行委員たちも応援に駆けつけていく。
加賀の手が亞足に伸びていく。誰もが試合中止だろうと思ったとき、あと一歩という所で加賀は足を止めた。
亞足が、加賀を見ていた。
――なんだ、その顔は?
相変わらずの無表情。だが加賀は、亞足は怒っていると感じた。
それは小さな声だった。しかしハッキリと、加賀にだけ聞こえた。
「座りなさい。まだゲームの途中ですよ……?」
ゾッとなって、加賀は思わず後退った。心臓をわしづかみにされた気分だった。気が付けば、背中にはじっとりと冷や汗を掻いている。
《あのー……加賀選手……》
何故か声部は申し訳なさそうに声を掛けた。
「……なんだよ?」
返事をした加賀の声は、もう落ち着いていた。東たちは立ち止まり、ホッと胸を撫で下ろす。
《非常に言いづらいんですが……あのー……》
「だから何なんだよ!? ハッキリ言え!!」
加賀は声を荒げた。それに対して声部は、大きな大きなため息を吐きながら、諭すように言う。
《ハズレ……なんですよ》
その瞬間、体育館の時間が止まった。まるで音が死んでしまったかのような、虚しい静けさが会場を覆った。
「……何?」
沈黙を破ったのは、加賀の絞りかすのような声だった。
《えっと、『見破った』は失敗に終わった……そういう事です》
ようやくその言葉を飲み込めた加賀の瞳孔が、見る見るうちに開いていく。
「……オイ、何言ってんだ? これ以外ないだろ? オイ、これ以外何があるっていうんだよ!?」
にわかには信じがたい事だった。何度も何度も入念に消去法で確認したが、匂い以外には考えられないのだ。亞足は一度も振り返らなかったし、不審な音も無かった。視覚でも聴覚でもないのなら、残るは嗅覚しかない。味覚など論外で、触覚も――。
「い、いや……じゃ、じゃあこっちだ! ケータイの……そう、ケータイの着信時間――バイブレーションの長さで数字を伝えていたんだろ!?」
加賀は自分の考え不足を悔やんだ。そして、とっさにそれを思いついた自分を誉めたくなった。
――何が食い物の匂いだ、バカバカしい! 腹一杯になったら、その時点で終わりじゃねぇか!!
その点、こちらには上限というものが存在しない。そして、理論的に考えても何一つとして穴が無かった。
――完璧に……勝った。賭に……勝った。長かった……。ずっと欲しかった亞足が……今……今、この手に……!
《あー……本来ならペナルティが発生するんですが、あまりにも意地悪なので、今回はナシとしときます。それでいいですね、亞足選手? ついでに答えも教えちゃいますよ?》
――何を言ってるんだ? ペナルティ? 意地悪? 答えは、もうとっくに出ただろう?
声部は青い紙を一枚だけ取り出す。加賀はそれに見覚えがあった。そう、『公認イカサマ』の申請書だ。
それを持ち上げ、くるりと回して表をこちらに見せる。そこに書かれてあったのは、亞足の名前と、イカサマの内容が――。
◆
「……え? あれって……?」
何かの冗談かと思った。俺の眼が疲れているのかと思った。単に声部が間違えたのかと思った。
首をかしげたまま、俺は横にいる占手に顔を向ける。サインを送っているであろう親友もまた、俺と同じような顔をしていた。
俺はそれを知らなかった。占手もまた、それを知らなかったのだ。そう、知っているであろうとお互いに勘違いをしていただけだった。
そこに、そこに書かれているのは――。
◆
《亞足選手のイカサマは……『白紙』です》
その事実に、会場全体が息を呑んだ。『公認イカサマ』を提案したのは、亞足。にも関わらず、その本人がイカサマを申請しなかったという。つまりそれは、イカサマを使えない――いや、使う気がないという事。
当たらないのは当然の事だった。そもそも、ソレ自体が存在していないのだから。
「てめぇは……てめぇは……!」
溢れる怒りを抑えきれず、加賀は力の限り机を叩いた。激しい音と共に、サイコロと特性トランプが宙を舞う。
「てめぇはどこまで人をバカにすれば気が済むんだ!!」
※
両者の手札が入り交じってしまった為、第十二試合目は無効試合となった。
マナー違反として校長からペナルティを課せるよう申請がなされたが、かなりグレーなイカサマだった為、お怒りはごもっともという事になり、実行委員からお咎め無しという判断が下された。
その代わり、落ち着くための休憩時間は無しになり、加賀は怒りが収まらぬ内から第十三試合目に挑む事となった。
――クソッタレ! このクソッタレめ!!
対等に勝負などしていなかった。初めから亞足は天上から見下ろし、掌の上で遊ばせているだけだった。そう思えば思うほど、加賀は悔しくて悔しくて堪らなかった。
やっと追いついたと思っていた。やっと追い越していたと思っていた。だがそれは、ただの思いこみだった。株という修羅場を潜ってきても尚、実力の差は歴然だった。
――……オイ、待てよ?
その事実に気が付いた瞬間、怒りは急速に冷めていった。それは氷点下を超し、身体中が凍えるほど寒くなっていく。
――亞足は……イカサマを使っていない……?
あり得ないと思った。しかし、事実としてソレがある。根拠となる数字が、眼を背けられない事象が、そこにあった。
六試合連続引き分け。もしもこれがイカサマのお陰でないとしたら、それは、それは――。
――まさか……?
途端に恐ろしくなった。追いついた所の話ではない。亞足が居る場所は、地平線の向こうの向こう側。見えたと思ったのは、ただの蜃気楼だったのか。それとも、亞足がそう見せさせたのか。
――あぁ……クソッタレめ……。
勝負は時の運。前に負けたときは、そう思っていた。オレは、たまたま運が悪かっただけだ、と。
しかし、今は違う。数字が全てというリアルでシビアな世界を味わってきた後では、運など所詮言い訳の一つにしか過ぎないということがよく分かる。
亞足が強くて、加賀が弱かった。言葉にすると何ともシンプルで、逃げ道がない理由だった。
加賀は今初めて、負けを覚悟した。
◆
「うん、終わり……っぽいね」
唐突に、占手がそう口にした。
「終わりって何が?」
「やっ、マスタークラスがって事。赫華に勝てないって思っちゃったんだろうねー。ほらっ、諦めた顔をしてる」
俺は加賀を見てみるが、相変わらず厳めしい顔のままである。
「……どの辺が?」
占手は両手を前に押し出して背伸びし、猫のように欠伸をかみしめた。
「あー、これで終わりかー。もっと楽しみたかったなぁー」
確かに、今の累計ダメージは22。加賀の残りHPは26。この第十三試合目で確実にそれを超すだろう。つまり、亞足の一発逆転勝利となる筈だ。
占手の根拠はいまいち不明だが、事実関係からしてこの試合で終わりなのはまず間違いないだろう。
「そっか、終わるのかー……」
俺はため息をはきながら、天上を見上げた。巻き込まれた時はどうなるものかと思ったけど、終わると分かった途端、寂しく感じてしまうのは何故だろうか?
終わりのないゲームは嫌いだ。だけど、いつも終わって欲しくないと思ってしまう。このまま永遠に続いて欲しいとすら思ってしまう。だけれど、終わりは必ず来る。それは、どんなものにでも。
だからだろうか、終わりが近づいてくると俺は一旦そのゲームを止めてしまう。嫌いになったからじゃない。誰にも邪魔されない時間と空間の中で、エンディングに浸りたいからだ。そのゲームの全てを……余すことなく味わいたいからだ。今までそうだった。きっとこれからもそうだろう。……だけど、こうやってみんなで騒いで終わるっていうのも、案外悪いものではないのかも知れない。
そう、思っていた。
第十四試合目が終わった。だが、スタッフロールも、カーテンコールも流れはしなかった。
なぜなら、結果は……二勝二敗一引き分け。累計ダメージは28になり、当然マスタークラスは続行。誰しもがここでトドメを刺すだろうと思っていた試合は、まさかの引き分けとなった。
「七連続……引き分け……?」
あり得なかった。偶然にしては出来過ぎている。だが、仮にそれを狙ったとしても、これ以上得られるものなど何も無い。
しかし、後になって気づいたのだが、亞足の目的は全く別の所にあった。それは、宇宙の果てを目指すような行為。
そして、加賀にとっての本当の恐怖は、ここからだった。
◆
stage6「スコアラーという人種について」
◆
数字が増えていく。数字が増えていく。数字が増えていく――。
普段は嬉しいそれも、今は恐怖でしかなかった。
連続引き分けが二桁の大台に乗った衝撃もつかの間で、記録は更に伸びていき、十二連続する頃には加賀の残りHPの倍……53も累計ダメージが貯まっていた。
ここまで長引くとは、誰が予想したであろうか?
時刻は七時を過ぎ、辺りはこの会場の空気のようにどんよりと沈んだ暗さになっていた。
だがそれでも、誰一人として席を立とうとはしない。責任問題に発展しかねないというのに、校長もまた頑として沈黙を守り、試合の行く末を見守っていた。
もはや体育館に響き渡るのは、キャスターの音と、サイコロが転がる音と、時計の音だけ。観客は、呼吸すら忘れているようだった。
負けを覚悟した加賀だったが、それでも勝ちを拾いに行こうとイカサマを使って手札を覗きに行く。結局、どう頑張っても引き分けになってしまうのだが。
ワザと負けてしまおうかと、何度も思った。一刻も早く、この数字地獄から抜け出したかった。だがそれは、加賀のプライドが許さなかった。一番惨めなのは、毒にも薬にもならない観客からの生暖かい拍手だと知っているからだ。
しかし、そんな葛藤も空しく、ただただ数字だけが積み重なっていく。
※
そしてついに――その時を迎えた。
「これが……限界ですか」
二十七連続引き分け――第三十四試合目が終わったとき、唐突に亞足がそう呟いた。この会場で言葉らしい言葉が発せられたのは、実に一時間振りである。
視線の先にあるのは、電光掲示板。数字は……99になっていた。しかし、本当の累計ダメージは三桁――100を超えていた。だが、この電光掲示板での限界数値は99まで。
そう、いわゆるカンストである。
「これまで、ですかね」
亞足はスッと音もなく手を挙げ、
「加賀氏の御業……『見破った』」
静かに、そう宣言をした。
※
水を打ったように静まりかえっていた会場は、まるで波紋のようにざわめきが広がっていく。
観客は左右の者と顔を見合わせては、そう言えばそうだった、と口々に言った。
こうも引き分けが続き、亞足が有利に立っているのだから、加賀のイカサマはもうとっくに見破られている――。無意識のうちに、そう思い込んでいたようだ。それは、加賀も含めて。
なんて残酷だろうか。なんて容赦がないのだろうか。死に体の加賀に、また針を刺そうとしている。多くの観客は、加賀に同情の目線を送った。
だが当の本人は、
――これは……チャンスだ。
相手にダメージを与える方法は、何も勝利するだけではない。そう、『見破った』宣言を二回失敗する事で発生する、ペナルティが存在しているのだ。
――亞足の事だ。自爆なんてマヌケな負け方は、絶対にない。……オレもそう思っていた。
だが、違っていた。先ほどのカンストでようやく分かった。亞足は勝利する為の戦略者ではなく、己の絶対美学にこだわるタイプだと。
――間違いなく、意地でもイカサマを見破ってくる筈だ。
なぜなら、正解出来なければそれは、負けと同じだからだ。
「見破れるモンなら……見破ってみろよ!」
加賀は見え見えの挑発をした。自らを悪役に貶めるために。
「では……遠慮無く」
敢えて乗ってきたのか、亞足は応えるようにスッと立ち上がる。寒々しかった会場は、それだけで熱せられていった。まるで、ヒーローが登場したかのように。
悪と正義。その分かり易い構図に、観客は更に沸き立つ。
――これで、逃げるわけにはいかねぇよなぁ?
ヒーローは、裏切ることを許されない。もしそれをしてしまえば、観客はこの世で最も恐ろしい敵となって襲いかかってくるからだ。
観客とは、操るもの。それもまた、株で得た知識だった。
「東氏に見習い、言葉だけではなく、分かり易いよう動作を含めて説明すると致しましょう」
亞足のさりげない言葉に、加賀はハッとなった。
――見習う? 天上天下唯我独尊が最も似合うてめぇが、あの冴えねぇ男を見習っただと?
無意識の内に、加賀は東を睨んでいた。その目線が意味しているのは、嫉妬。
株で成功してもなお、亞足には見向きもされなかったというのに、あの男はいとも容易く尊敬の眼差しを受けている。それが憎く、そして羨ましかった。
キィ、という音で加賀は我に返った。いつの間にか亞足は、ホワイトボードを掴んでいた。
「ご存じの通り、これは東と西を分け隔てる大きな白い壁にございます。同時に、自軍の手札を全て覆い隠してくれる大事な大事な壁でもあります」
亞足は静かにホワイトボードを押した。カラカラと無機質な音を立てながら、向かい合わせの机の間に滑り込んでいく。
「見上げても、そこにあるのは雪原のみ。そう、純白とは潔癖の証。ここでイカサマなど、行われる筈も無し」
観客はそうだそうだ、とでも言うように何度も頷く。
「ですが、いつの世も悪がはびこるのは白き壁の内側。イカサマが行われた舞台もまた、潔癖と謳われた場所でした」
頷いたばかりの観客たちが、今度は驚きの声を上げる。
「これは、私達では絶対に超えられない法の壁。しかし、一歩離れてみればただの壁に過ぎません。そう、応援席に居る者たちを縛る力など、皆無」
観客の視線が一斉に明日美と寿に集まった。
「実に簡単な話です。壁がある時に――私には見ることが出来ない絶対的に安全な場所で、そこな応援席から暗号を受け渡しした。……それが、加賀氏が考えたイカサマの概要です」
亞足の的確な解説に、加賀は大きく鼻を鳴らした。
――やはり、気づいていやがったか。
明日美や寿のサインの精度が鈍ってきたのは、亞足が何らかの対策を行ったからに他ならない。恐らくは、この先にも気づいているだろうと加賀は思った。敢えて概要と言ったのは、その為であろう。
――だが、チャンスはまだある……!
加賀は諦めそうになる心を噛みつぶした。今は耐えるときだ、と。いずれ値崩れは止み、上がるときが必ず来る、と。
「ですが、ここで一つの疑問が生まれてきます。それは、どうやって伝えたか? という事」
観客たちは感嘆の息をもらす。どうやら亞足の言わんとしていることが何となく分かったようだ。
「先のノーマルクラスでは、東氏、寿氏、両者とも後攻でしか使用できないイカサマでした。それは何故か? そもさんそもさん、はい、美殊」
亞足は急に振り向き、フランクフルトを頬張っていた占手を名指しした。
「もがっ!? ……ごくん。えーっ!? いきなり!? ……えっと、相手が何を出したか分かんないと、勝てないから?」
「ご明察。では問題を変えましょう。そもさんそもさん、何故両者とも後攻でしか使用出来ないのでしょうか?」
「やっ! だって先に手札が一枚分かったって、全然意味ないもん。まぁだからって全部伝えようとしたら、サインが長くなっちゃうし」
「ご明察。そう、美殊の言うとおり、先に手札が一枚分かっただけでは意味を成さないのです。ましてや、数字が判明したそれを『ダイス・ショータイム』で公開されたのならば、いよいよもってイカサマの意味がございません」
亞足は肩をすくめ、戯けて見せる。扇が無い所為か、いつもより動きが減っていた。
「先攻ではイカサマが出来ない……いえ、イカサマをする必要性が薄い。誰しもがそう考え、そう結論付けた筈。……それこそが、法の抜け道でした」
加賀は苦虫を噛み潰したような顔になった。今亞足が言ったことは、加賀がこのイカサマを思いつく切っ掛けになった考えそのものだったからだ。
「おや? そう言えばつい先ほど、私はこう申し上げましたね。相手の手札を一枚知った所で、意味は無い。では、意味が有るようにする為にはどうすれば良いか? ……答えは簡単です。全てを――五枚の手札全部を伝えれば良い。そうすれば、イカサマをする意味が生まれてくる」
観客たちは大きくざわめいた。そう、先ほど占手がこう言ったからだ。『全部伝えようとしたら、サインが長くなる』、と。
「これはこれは失礼致しました。美殊の発言を一つ、正すのを忘れておりました」
「え? アタシ何か間違った?」
「美殊、どうして暗号が長くなると思ったのですか?」
「え? え? ちょっと待って、質問の意味が分かんないんだけど……」
占手は頭を抱えて悩み始めてしまう。その隣で、東が不敵な笑みを浮かべていた。
「おやおや、どうやら東氏はお気づきのようで」
亞足は珍しく上機嫌な声で言った。またあの男だ、と加賀は苛立つ。
――てめぇなんかに、オレのイカサマが分かるものか!
「そもさんそもさん、はい、東氏。どうぞお答えを」
「サインが長いのなら、短くすれば良いだけだろ? ……五枚分を、一つに、さ」
加賀はガタン、と椅子を鳴らすほど大きくたじろいだ。それを見た亞足は満足そうに頷き、
「続きを」
そう言って、手で促した。
「普通は……そう、普通なら、相手に数字を教える時は必ず一個一個、丁寧に伝えるのが普通だ。そうしないと、相手が理解してくれないから。だから、サインは長くなる。だから、このイカサマは使えない……。無意識の内に、そう思っていた筈だ」
東は両手を広げ、そしてそれを合わせた。
「だが、鍵(パスワード)があれば話は別だ。圧縮されたファイルを、解凍する事が出来るからな。瞬間的に相手の手札を全て伝える方法……それは、五枚分の合計値だ」
――バカな……!? バカな、バカな……!! なんでてめぇがそれに気づくんだ!? ただの、ただのゲームオタクのクセに……!!
「ゲームオタクで悪かったな。こちとら幼稚園からゲームで遊んでいる筋金入りさ。不条理なイカサマになんて慣れっこだっつーの」
加賀は思わず眉をひそめた。まるで亞足のように、こちらの考えを見透かしているようだった。
「そこまで。実に素晴らしいご解答でした。……ですが、また新しい疑問が一つ生まれたようです。それは、鍵とは何か?」
亞足の言葉に、加賀は口をきつく結んだ。
――いよいよだ。
ここからは、タイミングが全て。
――いつ羞恥心を売りに出し、いつチャンスを買いに出るか。
場の空気を少しでも読み違えれば、その時点で……勝ちは無くなる。
「この会場に居る皆々様方に問いましょう。そもさんそもさん、今、貴方様方が知っておられるのは五枚分の合計値。では、一つの数字を知る為にはどうすれば良いのでしょうか?」
その質問を受けた途端、観客たちは興奮気味に「なるほどっ!」と声を漏らした。
「ご明察の通り、単純に5で割れば良いのです。そうすれば、おのずと数字の平均値が割り出せます。そしてこのイカサマが優れている点は、このゲームの最大の特徴である『ダイス・ショータイム』の特性を生かした所にあるのです」
女子の実行委員の掌にあった五つのサイコロをひょいと摘み上げ、机の上に放り投げる。
6、4、4、3、3。合計値は、20。平均値は4となった。
「さて、私はこの二つを公開します」
そう言って亞足が出したのは、3と3だった。
「この二つは、平均値よりも下です。しかし、合計値は20と決まっています。残りの合計値は、14。三枚で割れば4、そして余りが2。……そう、余った分は他に足されるのです。ここまで来れば、予想は簡単です。……5、5、4か。或いは――6、4、4か」
観客たちが一際大きくざわめいた。よもや相手の合計値を伝えられただけで、ここまで手札が分かるとは思いもしなかったのだろう。
数学は魔法のようだと例えられることがあるが、まさにその通りだった。たった一つの数字で、相手を丸裸にしてしまうのだから。
声部が立ち上がり、大きく息を吸い込んだ。
「せ――!」
――ここだ!
「ハズレだ!! そいつには致命的な欠陥がある!!」
加賀は罵声を浴びせかけるように叫んだ。それが正解だと思い込んでいた観客たちは、ポカンとなった。完全に虚を付かれた状態だった。
「合計値を暗号で伝えるって言ったよなぁ? だが、そいつはどうやってだ? 最低合計値――5から数えても、全部で25通り存在してるんだぜ? その全てを答えない限り、正解とは言えねぇよなぁ?」
会場にある全ての視線が、加賀に集まっていた。そこに込められているのは侮蔑ではなく、一種の同情だった。これが最後の足掻きか、と。
――チャンスを……買い取れたぜ。
しかし、それこそが加賀の狙っていたモノだった。同情こそすれど、反発の声は上がっていないのだから。場の空気が、亞足に完璧な答えを求めようとしている。
――ここで応えなきゃ……観客は全員敵になる。
拒否する事は簡単である。だが、亞足の求める完璧な勝利とは言えなくなるだろう。
しかし、
「外れも何も……まだ私の解説は終わって居りませぬ故。それに……何を仰っているのか、私には分かりません」
返ってきたのは、予想外の答えだった。
「だから、全部の通りをだな――」
「やぁや、これはこれは可笑しい話ですな。ご自分がお決めになられた暗号の数を、もう忘れてしまわれたのですか? たった……二通りしかないというのに」
加賀は驚きのあまり、椅子から転げ落ちそうになった。
――クソッ、気づきやがった! さっきのが……ブラフだって事に……!
「ならばお答え致しましょう。加賀氏が決めた暗号とは、相手の合計値が特定の数字より『上』か、『下』か。……たったそれだけで御座います」
「その――」
「その特定数字とは……18。強すぎず、弱すぎず、絶対に振り直しを要求されない合計値。『下』であれば、強気な勝負に出ることも叶いましょう。『上』であれば、痛手を負う前に撤退も出来ましょう」
何もかもが、亞足の言うとおりだった。何もかも……見透かされていた。
「そもさんそもさん、これで……間違いはないでしょうか?」
加賀は、ほとんど無意識に頷いていた。全てに於いて、亞足が上手だったようだ。
《正解、正解、正解ーー!! 加賀選手にはペナルティが――!!》
「いえ、それには及びません。どのみち、次で決着が付くのですから」
亞足の手によってホワイトボードが差し込まれ、向かいの席に戻っていく。
本当に潔癖となった純白の壁の向こう側で、亞足は言った。
「さぁ……最後の勝負を致しましょうか」
加賀を引き戻したのは、キンコンキンという調子外れな音だった。
――そうだ、まだ……終わってねぇ。
砕け散った心と共に、机の上に散らばっているサイコロを掻き集める。
――最後の最後に、何が起こるか分からない。それは株だろうがゲームだろうが同じだ。勝負から……眼を離すな。
※
《さぁ! 長かった戦いもこれで最後! 『ラスト・ダイス・ショータイム』デース!!》
ゆっくりとホワイトボードが避けられると、そこにあったのは――。
「ピン……ゾロ……?」
1と1。絶対に勝てない数字が、そこに二つ並んでいた。
加賀の手札は、5、4、3、3、2。確実に二勝は出来るが、亞足の残り手札は恐らく全て4以上の可能性が高かった。
――最後の最後で……とんでもねぇ手札になっちまったようだ。
仮に亞足が1を出し、加賀が5で勝ってしまえば、その時点でマスタークラスは敗退となる。
逆に亞足が4以上を出し、加賀が2で負けることが出来れば、その時点でマスタークラスは勝利となる。
そう、場合によっては事実上一回戦目で勝敗が決することもあり得るのだ。
そして先攻は――亞足。
序盤を除き、思考パターンを一切読むことが出来なかったというのに、最後の最後でそうなるとは皮肉としか言い様がない。
――本当に……すげぇ女だ。
ふと、加賀は思った。もしも亞足が株をやったら、どうなるのだろうかと。その疑問に答える解決策を、加賀はすぐ口にした。
「なぁ……勝っても負けても、オレと一緒に株をやらねぇか? てめぇは稼げる女だ。――いや、稼いで上に立つべき女だ。高校を卒業するまでで良い。一緒に……荒稼ぎをしねぇか?」
会場内が大きくざわめいた。加賀の疑問は、全員の疑問と同じだった。名実共にこの学校で最強のゲーム・クイーンが、世界にどのぐらい通用するのか。
亞足は眉一つ動かさず、
「お断り致します。私が好きなのは株ではなく、ゲームです故」
実に素っ気なく、趣味に合わないと切り捨ててしまった。
「だからこそ、だ。てめぇだからこそなんだよ」
加賀は引き下がらない。それどころか、更に熱を帯びていく。
「株はマネー・ゲーム。このゲームよりももっともっと刺激的で、もっともっと複雑にして怪奇な世界なんだよ。てめぇだって思ったことがあるだろ? ゲームで稼いだ金が、現実にキャッシュバックされねぇかなって? ……赫華よぉ、架空の数字で満たされるようなてめぇじゃねぇだろ? てめぇは……それで満たされちゃダメなんだよ……」
架空のお金、架空のレベル、架空のステータス。結局は全てニセモノで、毒にも薬にも、生活の役にも立たないただの数字の塊。似合うのはそこに居るゲームオタクだけで、亞足に似合うのはそれらを全て現実に置き換えたモノだけ。そうでなければおかしい。そうでなければならない。
負けたあの日から加賀は、亞足を崇拝していた。その事に、加賀は気が付いていない。
「加賀氏よ……貴方は大きな勘違いをされている。株で儲けることは、ゲームではなく仕事なのです。仕事は、やはりどこまで行っても仕事なのです。それはやがて、日常となってしまう」
亞足はそう答えながら、何の迷いも、淀みもせず、
「……ゲームとは、非日常を味わう為の物。日常には無い刺激を味わう為の物。日銭を使い、酒代を削り、欠けた茶碗でチンチロリンに興ずるのが……ゲームという物なのです」
まるで当たり前のように手札からそれを抜き取り、静かに置いた。それが、最後の数字になるかも知れないというのに。
「何でだ……? オレには……てめぇの言うことが理解出来ねぇ……」
何も理解できない。分からない。もはや亞足という存在が、加賀にとって意味不明になっていた。
――いや、そうだ。理解する必要も、分かる必要もない。勝って、オレ色に汚してしまえば良い。その時に、株無しでは生きていけないようにすれば良い。
自分のように、数字の魔力に取り憑かれてしまえば良い。加賀は、そう思った。
――何故、1と1を出して来やがった?
勝つために、加賀は思考を切り替える。
――思えばそうだ。亞足はずっと……『ダイス・ショータイム』には2つの最低値を出し続けていた。何の意味があって?
加賀は亞足の顔を覗き見る。しかし、その行動すらも見透かされているのではと怖くなり、すぐに眼をそらしてしまった。
――最低値を出し続けるメリットなんて何もない。だが、亞足はそうした。つまり……オレの知らないメリットがあるという事なのか?
それをメリットと言えるかどうかは分からないが、思い当たるのが一つだけあった。
――最後の試合でも……亞足は絶対に最低値を出すだろうと思った。ここまで続けていたんだ。今更変える、何て事はしないだろうと。特に理由もなく、そう思っていた。
こめかみに親指をあて、加賀は遠くを見るような姿勢になる。
――思い返してみれば……第一投目に一番下の数字を出してきたことが一度もねぇ。なのに、『ダイス・ショータイム』では2つの最低値を絶対に出してきた……。
加賀はハッとなった。ようやく気が付いたのだ。いつの間にか自分は思考の深海に慣れ、地上が在ることを忘れていたんだと。真っ暗な闇の中で、答えを探し続けていたんだと。
無意識の内に事象――事実と現象を整理し始めていたのは、多くの苦渋と経験を味わってきたからこそ成せるワザだった。
――そうだ。それこそが……オレのやり方! 事実とは、亞足は第一投目に一番下の数字を出したことがないという事! 現象とは、最後でもそうなるだろうとオレが思ってしまったという事!
加賀は、手札のそれを掴み取り、
――そして答えとは、この瞬間の為の……最高のブラフだという事!
導き出したその答えを、机に――自分の全てをそこに置いた。
――こいつで……全部決めようじゃないか。
加賀は、もう『ドロップ・アウト』をする気は無かった。この第一投目で外れたのなら、その時点でマスタークラスを――部室を――亞足を諦めようと決めていた。
急に、どっと疲れが襲いかかってくる。頭は風邪をひいたように熱っぽく、何も考えられない。眼を開けているのが精一杯だった。
そう、背水の陣で挑みたいワケじゃない。体力的にも、精神的にも……これで最後なのだ。
「貴方は……本当に賢い方です。それ故、慎重。それ故、迷う。失敗を恐れている訳ではなく、かといって危険な成功を望んでいる冒険者でもない。貴方は……きっと成功者で在り続けるでしょう」
亞足の言葉に、加賀は泣きそうになった。
――よく見てやがる。このオレを……ちゃんと見てるじゃねぇか。
2つの最低値を出し続けていたのは、何かがおかしいと思わせる為。そう、意味ある偶然――必然的な連続と思わせる為なのだと。つまりそれは、敢えて気づかせる為の罠。
不思議なものだと、加賀は思った。この罠は、絶対に相手が気づくと信頼しなければ成立しないのだから。そして確信した。この罠の正体は……自分の性格を逆手に取ったものだと。
「ですが、加賀氏よ。貴方は一番大事な事をお忘れになられている」
「一番大事な事?」
「これは、ゲームなのです。株のように、負ければ人生が終わるような仰々しいものではなく、ささやかな景品の為に一喜一憂する為の……ちょっとした非日常を楽しむ為の遊びなのです。それが、ゲームというもの」
「何を……言いたい? てめぇはオレに何が言いたいんだ!?」
亞足は机に置いた特性トランプの端を、そっと摘み上げる。
「ゲームの楽しみ方は、一つではないという事です。負けるのもまた、一つの楽しみ方なのですよ?」
加賀の出した答えは――5。
そして亞足が出した答えは――。
「一つだけ答えろ……。てめぇは何で、あんなにも引き分けを続けることが出来たんだ……?」
「先刻申し上げた通り、貴方は成功者で在り続けようとしていた。常に『負けない戦法』を守り続けていた。私は……それに合わせただけ。私の手札を知っているのなら、それは尚更です」
亞足が出した答えは――。
「貴方はこのゲームを楽しもうとはしなかった。それが……敗因です」
裏の裏――1だった。この時点で……加賀の勝ちは無くなった。
加賀は声部の方に顔を向け、力無く首を振る。それは、ギブアップの意思表示だった。
疲れすぎているのか、悔しさが湧いてこなかった。ただただ、亞足を手に入れられなかったという虚脱感が襲いかかってくるばかりだった。
「此度の勝負、実に楽しませて頂きました。機会があれば、また……」
ささやかな茶会でも終えたかのように、亞足は平然とした顔で立ち上がり、木の階段を降りていく。
「てめぇは……どこに行こうとしているんだ?」
加賀の質問に対し、亞足は顔だけ振り返りながら、腰から扇を取り出し、荒々しくパンッと広げ、水平にして口元を隠す。
「ゲームが在る所ならば、何処へでも」
こうして、『ゲーム同好会』の勝利で大会は幕を閉じた。
◆-----------------◆
Ex.stage「最後の隠しアイテム」
◆-----------------◆
三日後、『ゲーム同好会』の設立は東海先生によって無事処理された。一緒に部室の譲渡も行われたが、結局加賀たちはその時も姿を見せなかった。同好会に格下げされ、部室も奪われたのだ。そりゃ顔も合わせたくはないわな。
てっきり解散すると思っていたが、なんだかんだで細々活動しているらしい。それを聞いた俺は、ホッと胸を撫で下ろしていた。
それはともかく、晴れて同好会設立、晴れて部室獲得!
「だったのになぁ……」
部室と言っても、備品や加賀たちの私物は既に無く、部屋の中は寒々しいまでに物が無かった。あるのは、明らかに扉の幅より大きい無駄に立派なインテリアな机と、恐らく体育館倉庫からパクって来たであろうパイプ椅子がいくつかあるだけだった。しかも、ちょっと錆びてるし。
「いぇーい! アタシたちの部っ室ーーー!!」
とはいえ、占手は嬉しそうだった。うんまぁ、確かに悪くはないかも知れない。
「ほらほら、赫華! そこの部長席に座ってよ!!」
「ふむ、美殊がそういうのでしたら……」
そう言って、亞足は無駄に立派なインテリア机に座った。うわっ、めちゃくちゃ似合う。これでスーツを着てたら、完璧にやり手の女社長だ。
「おぉー、風格あるねー。さっすが赫華! ヨッ、部長!!」
「そうかね? では美殊君、これでお祝い用の食べ物でも買ってきてくれたまえ」
亞足は財布から二千円を取り出し、占手に渡した。さすが部長太っ腹、と妙な誉め言葉を口走りながら、占手は買い出しへと出かけていく。……なんだ、この安い漫才は。
「さて、頑張った東君にもボーナスを出さないとな」
「まだ続くんだ、そのノリ……」
亞足は胸元から茶封筒を取り出す。おや、何か見覚えがあるような気が……。
「丸秘どっきりお宝写真。どうぞご賞味あれ」
「うぉっ、マジですか!?」
思わず周囲を見渡してしまった。そうか、占手を買い出しに行かせたのはこの為か。
俺はそれを両手で恭しく受け取る。すっかり忘れていた。というか、写真をくれるなんて冗談だと思っていた。占手のファンだったら、一年分のバイト代を払ってでも欲しがるだろうなぁ。……まぁ、絶対に売らないけどな。
それにしても、俺は本当に勝ったんだな。あのプロアマ雀士の寿に。これで実感が湧くってのも変だけど、どうやら俺の実力はプロにも通じるらしい。……もしかしたら、この調子で亞足にも……?
俺には挑戦権がまだ残っている。挑んで……みようかなぁ……?
ワクワクしながら茶封筒に手を入れる。出てきたのは、
「……お宝はどこ?」
それは、大会の時に撮られた写真だった。手ブレが酷く、ぼやけた観客と、椅子に座っている亞足が真っ正面に写っているだけだった。……もしかして、パンチラでも映っているのだろうか?
「気づいていましたか、東氏よ? あの大会中に、一度だけ非公認のイカサマが行われていたことを」
「……は?」
急に亞足がそんなことを言い出した。非公認のイカサマが……あった?
「その写真は、その時の証拠写真です」
状況を理解できないまま、俺は食い入るように写真を見る。
よーく観察してみると、亞足の足下に5個の黒い点が存在していた。……いや、これはサイコロか? なんで足下に……?
あぁ、分かった。これは、俺がサイコロを場外に投げてしまった時に撮られた写真のようだ。あの時カメラは無かったから、映像のワンシーンをプリントアウトしたモノなのだろう。でも、何でこれが証拠写真に?
俺は運良く5を出して逆転したんだ。運も実力の内。非公認のイカサマなんてやってないぞ。
「……ん? ちょっと待てよ。何で真っ正面の写真なのに、5が写ってるんだ……?」
手ブレが酷くて分かりづらいが、どうやら5個の黒い点があるだけで、5の面が写っているワケではなさそうだ。
これは……3の面と、2の面が正面に写っているのか。なんだ、勘違いか。
「ちょっと亞足、どこにもおかしい所なんて――」
3の面と……2の面?
俺は大会前に没収された十個入りの袋をポケットから取り出し、乱暴に破いて一個だけサイコロを取り出した。
やっぱりそうだ。もしも写真の通りだとしたら……5が出る筈がない。
真っ正面の左が3の面、右が2の面だった時、上の面は――本当に出るべき数字は、6。
「もしかして……もしかして……!?」
あの時、亞足が一際大きな動作で扇を開いたのは……この為なのか。
「古典落語の一つ、『死に神』で御座います」
その扇の風圧で、サイコロをひっくり返したっていうのか。
「どうです? 丸秘どっきりお宝写真でしょう?」
「ハハ……ハハハ……」
俺は力無く笑うしかなかった。本当だったら、俺の大自爆で大会は終わっていたのか。それに気づかず、俺は強くなっただなんて恥ずかしすぎる。
挑戦するのはまだまだまだまだ先だな。権利はその時まで保存しておこう。本当に強くなった、その日まで。
「たっだいまー! さぁさ、レッツ・パーティータイムだよ!!」
占手が両手に持つ買い物袋には、胸焼けする程のジャンクフードがぎっしりと詰まっていた。どう見ても三人分じゃねぇ。
「って、机ってそれしか無いんだったねー。あー、長机とか欲しいなー。2個くっつければ、またあのゲームが出来るっしょ? でも自腹はキツイよねー。部費も支給されないし、どうしよっか?」
亞足は扇をパンッ、と広げ、口元を隠す。
「さて……次はどんなゲームで景品を得ると致しましょうか……?」
《完》
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2011/01/25(Tue)23:27:50 公開 / rathi
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■作者からのメッセージ
ども、もはや気力だけでこれを書き終えたrathiです。
うわーん、もう二度とこのジャンルは書かねぇよ!
こ、こんなにも難しいものとは……。実力不足を呪うばかりです。
ぐわー、マジでしんどかったぜ。マジでもう嫌だぜ。
もうゲームをやる小説なんて書かないぜ。
というワケで、次はゲームを作る小説を書きます。
ではでは〜
作品の感想については、登竜門:通常版(横書き)をご利用ください。
等幅フォント『ヒラギノ明朝体4等幅』かMS Office系『HGS明朝E』、Winデフォ『MS 明朝』で42文字折り返しの『文庫本的読書モード』。
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2020/03/28:Androidスマホにも対応。Noto Serif JPで表示します。