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『ドブネズミライフ』 ... ジャンル:未分類 未分類
作者:mimi
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あらすじ・作品紹介
ドブネズミのギャグ、ラブストーリです。 ドブネズミたちが、たくさんのところで遊び倒します。
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<第一話 憧れの子>
1 あの子と話したい
サーの家へ行こうと思ったのは、太陽が沈みかけた時だった。
サーというのは、もちろんドブネズミだ。おまけに変人。あ、変ネズミか。
――って、そんなことはどうでもいい。
ぼくは、これほど驚いたことがなかった。だって、道路の端をちびちび歩いていたら、ブロック塀の隙間から、不意に何かが飛び出してきたんだから。
それは、あの子だった。
『あ、あの……』
ぼくが話しかけた途端、彼女はびくっと振り返り、そこにぼくの顔を認めると、さっと身を翻し、遠くへ走り去ってしまった。
一瞬の出来事だった。
しばらく茫然としたぼくはやがて、サーの家に体を向けた。
『ほう、それでフラれたのか?』
サーがニヤニヤしながらぼくを見ている。
――そんなに期待した目で見るなよ。別に何があったわけでもない。
サーは、ずんぐりした体を伸ばしてべたりと腹這いになった。動くたびに、脂肪が揺れる。
どうしてこんなに太っているのか。理由は簡単だ。
肉が好きで、肉ばかり食べているから。というか、肉しか食べない。いつも、人間の家にあさりに出かけ、夕食に並んでいる肉の余りを盗んでくるとの話だ。
まったく、ひどい話だとぼくは思う。ぼくは、倉庫にあるサツマイモやジャガイモ、ニンジンをあるから食べているのであって、盗んではいないのだ。
……というのは、言い訳にすぎないのだが。
で、そのサーは、細い目を期待でキラキラさせて、こちらを見ている。
『フラれたのか? な? そうなんだな?』
ぼくの返答はそっけない。
『フラれてないし、そもそもフラれるほど近くに行ったことがない』
ぼくが言うと、サーはあからさまにがっかりした態度を示した。
ぼくは、冷たい目でそんなサーをみる。
すると、サーが目を力なくこちらに向けた。
『恋愛に詳しい奴、教えてやろうと思ってたのに』
え? ウソ?
サーは、悲痛な声で告げた。
『お前がそうやって意地悪するからなぁ』
いじわるも何もぼくはそんな事をしたつもりはないんだけど……。
『ああ、もったいない』
……なんだよ、脅すつもり?
『せっかくの恋愛のチャンスを無駄にするのか?』
あーもーっ。
『分かったよ! そのネズミのところへ案内してくれ!』
結局、サーは道順を教えてくれただけだった。これから
ステーキをレストランで食べに(盗みに)行くらしい。
仕方なく歩きだしたぼくだが……。
さっきから視界の下のほうにちらちらと見えるものが
集中力をとぎらせる。
それは何か――カマボコだ。
なぜ持っているのか――「恋愛に詳しい奴」には
これをもっていかないと会えないらしいからだ(信憑性は
いまひとつだが、万が一ということもありうる)。
そんなネズミがまともなはずもなく、ぼくは暗い気持ちで夕日に照らされる道を歩いていた。
しかし、一人でとぼとぼ歩く道ほどさみしいものはない。いや、むなしいというべきか。
『お前、よそ者か?』
大体、恋愛に詳しいと言ったって、どう詳しいんだ。ぼくは占い系はお断りだぞ。サーに言っておくべきだったかもしれない。本当に血液型占いみたいなものだったら――。
『おい!』
突然、しっぽを引っ張られ、ぼくはヂッと鳴き声をあげた。その間にぼくは巣穴のようなところに引っ張り込まれる。
『なんだよ!』
間髪いれず、ぼくは背後に向かって言った。
あ、説明し忘れていたけれど、ぼくたちドブネズミは超音波を使っている。「」が『』になっているのはそういうわけだ。なぜか、人間には通じないらしいけど、たいていの動物にはこれが通じる。もっとも、ほかの動物なんかと話すのは、殺される直前くらいだけど。
で、だ。後ろを振り返ったぼくが見たのは、でっぷりと太ったドブネズミだった。
どうにもかないそうにないのは、はた目にも明らかだ。
ドブネズミには、縄張りがある。その縄張りの中へほかのネズミが入ると、その縄張りの持ち主は、どんなことをしてでも追い払おうとする。そう、どんなことをしても。
ぼくをじっとにらんでいる目が、今すぐ出ていかないと攻撃するぞと言っている。
まずい、早く出ていかないと……。
そう思って足を踏み出した矢先、何かが足に当たってぼくはコケた。あのカマボコだった。
その瞬間、ぼくの頭に、ある考えがひらめいた。
このネズミが「恋愛に詳しい奴」なのか?
天才がひらめいた瞬間がよくわかる。天才は、こういう快感を得るために実験や調べたりするんだな。
ぼくは振り向き、できるだけ静々とカマボコの切れ端を渡そうと後ろを振り向いた。
『あの、よかったらこれを……』
ネズミがらんらんと輝く……予定だったのだが――。
ネズミの目が輝くどころか、怪しいものを見る目つきなのは、どういうわけだろう。
『それは何だ』
とどろくような大声でそうおっしゃる。
『か、カマボコです……』
ネズミの目がさらに、厳しくなった。
ぼくは思わず後ずさり。それを見たネズミは、大音量で叫んだ。
『さっさと出て行けっ。カマボコなんていう不可解なものを差し出すな! おれが好きなのは肉だ』
そりゃあ、体形からしてそんな感じですね……。
『って、え?』
思わず声を上げていた。
肉好きなの? じゃあ「恋愛に詳しい奴」じゃない……?
でっぷりドブネズミは、さらに間をつめてきた。
『何をさっきからぶつぶつ呟いてる。そんなにおれを怒らせたいか!』
絶体絶命――。
そう思った瞬間、外からのんきな声がかかった。
『おーい、エーグット。いる? 肉のおすそ分けにきたよー』
するとぼくをにらんでいたネズミはちっと舌打ちをし、入口のほうに歩いて行った。
いまが逃げるチャンス! ……のはずなのに、ネズミの体が大きすぎて入口に隙間がない。もしかして、入口から出られないんじゃないかというくらいである。
しかも、そのネズミと話している相手の声が聞きおぼえがあるのは、どうしてだろう。
『いや、今、変な奴が中にいるもんでさ。なかなか出ていかないんで噛みつこうこうかと思ったら君が来たわけさ』
でぶでぶネズミが言っている。
それに対して、なじみのある声が答えた。
『エーグットも相変わらずだな。ところでその肉、どうも○○産らしいよ。イズから聞いたけど。ほら、千二百八十円するやつ』
『おっ、あれなのか!』
ちょっと待て。
ステーキ?
まさか……。
ぼくは入口にふさがっている巨体を押しのけて、頭を外に出した。
『おいっ、何すんだ』
ネズミが何か言ってるが関係ない。
そこにいたのは――。
『――サーじゃん』
ぼくと目があったサーは一瞬キョトンとした後、げらげらと笑いだした。
エーグットが驚いたようにサーとぼくを見る。
サーは笑いながら、ぼくを指差した。
『変な奴ってお前か。はは、もー最高!』
――お前最低。
『エーグット、こいつはちょっとこれからイズのとこに行くんだ。まだ会ったことないもんでよ』
サーがでっぷりネズミ――エーグットか――に説明する。
それにしても、どうやら「恋愛に詳しい奴」の名前はイズというらしい。
サーのセリフを聞いたエーグットは、ぼくをじろりと見た。
『変な奴が変な奴に会いに行くわけだ』
エーグットの目がすっと細められる。視線の先にはカマボコが。
『あっ、これは……、えっと……』
あわてて弁解するが、結局最後まで言えなかった。
そんなぼくをエーグットは冷たい目で、サーはにやにやと見つめている。
――ってサー! お前、わけ知ってるなら助けろよー!
ぼくの願いもむなしく、エーグットにまで事の次第を話す羽目になってしまった。
仕方ないので、事情を話す。
意外にも、エーグットはそれを聞くと、サーのように笑い飛ばしたりせずに、こころよく外に送り出してくれた。
『がんばれよ』
真面目な顔でそう言ってもらって、少し恥ずかしかった。
でも。
エーグットって、いい奴だな。
2 水道管パイプの先は……
エーグットに送り出されたぼくは、再びイズ探しに戻った。
そして――。
『……ここ?』
ぼくは思わずつぶやいた。
入口は水道管パイプ。水のにおいはしないから、もう何年も使われていないようだ。けれど、それは問題ない。水道管を入り口にするネズミは多くはないけれど、確かにいることはいるのだ。
問題は、パイプの行き先だ。
なんだか感じ取れないくらいかすかに、異臭がする。あまり、かいだことのないにおいだ。
ぼくの本能が行くなと告げる。でも、ぼくの願いがそれを打ち消す。
行かなければ、あの子には会えない――。
そうだ、人間何事もチャレンジが大切だ(人間じゃないけど)
ぼくは一歩を踏み出した――瞬間、足を踏み外してどこかへ落下した。
ドスンという痛々しい音とともに、ぼくは床にたたきつけられた。
『いったー』
つぶやいて上を見上げる。
どうやら穴のような場所に落ちたようだ。たぶん巣穴だろう。今日はよくよく巣穴に縁があるんだな。
この中は思ったよりも暗くなくて、とくに上のほうは、夕方の赤っぽい光があふれるように光っている。
まぶしすぎてよく見えない。
どこかよく見えるところはないかと穴を探し回ったぼくは、面白いことを発見した。
この穴はおわんを伏せたような形をしていて、そこからトンネルのような道がいくつもあった。
ぼくは早速、道を探ってみることにした。
まず、一つ目。
道には入らず、入口でにおいをかいでみる。他のネズミのにおいはしないけれど、いきなり入ったら、何かに襲われるかもしれないからだ。
……特に変わったにおいはしない。土しかないようだ。
きっと、ずっと使っていないんだろう。使っていれば、
においでわかるはずだから。
二つ目。
――トイレだろうな。
三つ目。
『あっ!』
ぼくは思わず声を上げた。
だってその穴からは、あの異臭がしたんだ。
入ろうか、入らないか――。
決断というのはこういう状況のことを言うのだろう。
危険だ。けれど、おもしろそうでもある。
どうするか。
そう思った時、上から何かが降ってきた。
ぼくと違って、その物体は、穴を何回かバウンドして、止まった。いつの間にか、夕日はかすかになり、穴の中は暗くなっている。物体は、ピクリとも動かない。
どうしたんだと思っていると、今度は穴が真っ暗になり、巨大な何かが――。
ぼくは押しつぶされないよう穴に逃げ込んだ。あの、土のにおいのする穴の入口だ。そこから、鼻だけ出してあたりの様子を探る。
ドブネズミは、目より鼻、耳、ヒゲが頼りになる。目は暗いか明るいかの区別がつくくらい。てんで使い物にならない。きっと、人間が鼻をあまり使わないのと同じようなものだろう。ぼくにはよくわからないけれど。
その時、ぽんと音がしてその物体が地面に落ちた。今気付いたのだが、穴の一部はふわふわの土で、そこに落ちれば衝撃も少ないのだ。
『まったく、不便だなあ……』
その巨大物体がしゃべる。と思ったら、なんとそれはドブネズミだった。ぼくの鼻がそう教えてくれる。
体は小柄なほうで――ぼくよりは大きい。ぼくは生まれてこのかた、ぼくより小さいドブネズミにあったことがない――比較的やさしそうな雰囲気だけれど、油断は禁物だ。いつ襲われるかわからない。
その時、ドブネズミがぼくに気付いた。
見えていなくても、ドブネズミにはにおいで分かる。だから、隠れた意味はないけど、気休めってとこだ。
『キミ誰?』
警戒心のかけらもなく話しかけてくる。
――珍しいな、こういう奴。
『ねぇ、もしかしてだけど、もしかして――』
きらきらした目で、こちらを見つめてきた。
なんだなんだ。
『これ、キミの?』
これ、と言ってネズミが鼻で示したのは、最初に落ちてきた小さな物体だった。
ぼくは鼻をクンクンとさせる。こうするとにおいがわかるんだ。
『あれ、カマボコ?』
そうきいたぼくに、ネズミはうんとうなずいた。
ぼくは口を開く。
『あれ、ぼくのカマボコだけど』
言った瞬間、ネズミがさっと動いた。ぼくは反射的に後ろに飛び退く。体が壁に当たって、土がパラパラと降ってきた。
『ねえ、お願い』
そのネズミはぼくの下で、上目遣いにぼくを見つめていた。
『このカマボコ、ぼくにくれない?』
そう言ってくる。
けれど、その前に聞いておくべきことがある。
『キミは、サーを知ってる?』
そう、このネズミがサーの言っていたイズでないとカマボコはあげられない。
すると、ネズミは大きくうなずいて、話しだした。
『サーが住んでいるところは「どかんとハンバーグ店」の近くの土を掘った巣穴。サー自体はかな
り自己中心的な性格。よく、ステーキを盗みに行く』
おお、そこまで知っていれば間違いない。
『どうぞ、食べていいよ』
言った途端、ネズミがカマボコにかじりついた。なんとも幸せそうな表情で、カマボコを食べている。
―― というか、サーの家の近くが「どかんとハンバーグ店」という店名なのは初めて聞いた。ドブネズミの目はあまり良くないから、サーもぼくも、においでハンバーグとかの肉屋だとは分かっても、高い位置の看板は見えない。だいたい、人間の看板に書いてある「文字」というものは、いつもとても大きく書いてある。なのに、なぜ、このネズミ――イズは、それを知っているのだろう。
ふと気付くと、イズはぼくの後ろで何かがさごそ探していた。いつの間にかカマボコはなくなっている。
ぼくが見ているのに気付くと、イズはぱっと顔を輝かせた。
『カマボコくれたお礼に、何かあげる。こっちきて!』
そう言って、イズは穴を示した。
あの異臭の穴だ。
だから、ぼくは念のために聞いた。
『何があるの?』
変な答えが返ってきたら、行くのをやめるところだったけれど、イズが言ったのは、
『カマボコとかだよ』
という、簡潔な言葉だった。
ああ、そうか。異臭だと思っていたのは、カマボコだったのか。
納得するぼくを見て、イズは、それを穴に入るうなずきだと思ったのか、すたすたと穴に入ってしまった。あわてて、ぼくも続く。
穴は暗かった。けれど、ぼくらネズミは暗くても、さほど問題はない。鼻も、ひげも、耳も、頼りになるものがいっぱいだ。
イズの歩くぺたぺたという音が、穴に響く。
思ったより穴は大きいようだ。
歩き続けるうち、ぼくは変な気分になってきた。
なんでぼくはこんなことをしているんだ?
――イズにカマボコをあげたから。そのお礼。
なんでカマボコをあげた?
――イズにお話しを……。
『あー!』
思い出したと同時に、ぼくは大声をあげてしまった。その声に、前にいたイズがびくっとしてから振り向く。
『……ど、どうしたの?』
恐る恐るという態度のイズに、ぼくは説明した。
『ぼくはキミに、カマボコをあげたけど、それはこのお礼をもらうためじゃなくて――』
そう、ぼくは、このイズに「恋愛」の話を聞きに来たんだ。
『え?』
イズはまだポカンとしている。
『恋愛に詳しい奴……って、ぼく?』
『え? サーがそう言っていたけど……』
ぼくの頭の中に、嫌な予感が横切る。
イズはあっけらかんと言い放った。
『ぼく、そんな奴じゃないけど』
……サーのバカヤロー!
3 サーの悩み?
帰り道。ぼくは、重い、何かを引きずりながら、歩いていた。その何かとは、イズいわく、「ちくわ」というものらしい。どうやら人間の「こうじょう」なるところで作るもののようだが、なぜイズは、どんなことを知っているのだろう。
そもそも、こんなものを持って歩いているのは、イズがこれをくれたからなのだ。
そして、こんなに重いものを引きずっていても、ぼくが自然に笑ってしまうのは、あの子のことが分かったからに決まっている。
厳密には、あの子の探し方がわかっただけなのだが、そんな些細なことは、この際どうでもいい。
そう、イズはこんなことを教えてくれたのだ――。
『え? メスネズミ?』
ぼくがあの子を探していることを話すと、イズは目を丸くした。
『どんな子?』
そう聞かれるが、何ともいえない。
なぜなら、ぼくは、あの子がどんな子だかを知らないのだ。一目見ただけだから、そんな特徴があったかも。ただ、覚えているのは、とてもかわいかったこと。それだけ。
それを聞くと、イズは考え込むような難しい顔をした。
『うーん……。それだと特定は難しいな。地道に端から当たってみたら?』
それしかないか……。
肩を落としたぼくに、イズは、
『ここら辺だったら、どこにどのネズミが住んでいるかは、ぼくは知ってるから』
そう言って、ぼくにメスネズミのいる場所――まずは三軒だけ――を、教えてもらったのだ。
自分の家について、「ちくわ」を眺めていると、誰かがぼくの巣穴に入ってきたのが分かった。
ドブネズミの中で、勝手に、相手の縄張りに忍び込んでいくことは、命にかかわるくらい、危険なことだ。だから、エーグットにもあんな風に扱われたし、イズ……は、特別だ。
とにかく、それを知っていて、ぼくの縄張りに忍び込んでくる奴は二つしかいない(とぼくは思っている)
一つは、人間風にいう強盗。ぼくよりも強そうな奴だったら、だれでも来る。ぼくの場合、相手が強そうだと感じたら、さっさと逃げ出してしまうから、食料はあっという間にとられるだろう。
――とられたことはまだないけど。
そしてもう一つは、ぼくの知り合いの一人(一匹)だ。
巣の入口から声がする。
『おい、ライム! いるか?』
――サーが来た。
サーは、ぼくの家の床に、べたりと横になった。あやうく、きちんと、整頓したサツマイモやジャガイモがおちそうになる。
『で?』
ぼくは聞いた。
『なんで急に、ぼくのところにきたんだ?』
サーは、はぁとため息をついた。なんだか、サーらしくない。
『ライム。お前さ、好きな人がいるだろ?』
ちなみに、ライムとは、ぼくの名前だ。
いつになく、シリアスムードのサーにぼくはうなずいた。
サーは、それを見て、さらにシリアスになる。
……どうしたんだろう?
サーにそう聞くと、なぜかぼくを睨みつけて、
『オレには、好きな子がいないんだよ!』
と言った。
『…………』
『…………』
お互い無言になる二人。
ぼくは困惑して、口を開く。
『だから、どうした?』
サーは、あきれたようにぼくを見る。
『それは、悲しいじゃないか。オレというのは、彼女持ちっぽい性格だと思わないか?』
いや、ただの自意識過剰じゃないだろうか。
そう思ったが、口には出さなかった。
サーは本気で悲しいようだ。手足をだらんとさせ、目にも力がない。
『それで?』
まだよくわからないぼくは聞いた。
サーに好きな子がいないのは分かった。けれど、それをどうしてほしいのかが分からない。
『え?』
サーはちらりとこちらを見上げた。ぼくの質問の意味が分からないらしい。
『どうしてそんなことを言いに来たんだよ』
そう言うと、ようやく分かったようだ。
『だからな』
とサーはいい、ぱっと立ちあがった(四足だけど)。
『お前は、今からその片思いのを探しに行くんだろ? そこで、一緒に行けば好きな子が見つかるかと思ったんだよ』
ぼくは目をぱちぱちさせた。結局、よく意味がわからなかった。
けれど、サーはそんなぼくには、まったく頓着せず、気持ち良さそうに伸びをすると、
『じゃ、そういうことだから』
と言って、さっさと帰ってしまった。
…………。
一人になったぼくは、さっきのことを自分の中でまとめてみる。
要するに、サーは、好きな子を見つけるために、ぼくと一緒に探すと言っているのだ。
ぼくは想像する。
もし、サーがぼくについてきたら――。
『おい、サー。こっちだってば』
ぼくの大声に、サーは振り向く。が、
『オレのカンは、こっちにかわいい子がいるに違いない、っていってるさ。さあ、行こう!』
――うわ、最悪。
どうしたものか。
そうやって、悩みながら、巣の中を歩き回っていると、足にサツマイモが当たり、積み上げていたものが一気に降ってきた。
ぼくの巣にある食料は、サツマイモやジャガイモばかりだ。サーとは違って、積み上げるのが大変なため(サーは、その場で食べてしまう)巣の中は極力静かに歩くようにしていた。気をつけていたのに――。
バランスが崩れたジャガイモたちが、ぼくの目の前にアップになる。そして次の瞬間には――。
『え、何だこれ?』
そんな声をBGMに、ぼくは、ジャガイモの下じきになっていた。
『痛……』
思わず目に涙がにじむ。
やっぱり、積み上げておくのは危険だった。
何かあった時のために、そろそろ崩しておこうかとおもっていたのに、落ちてきたらと思うと、怖くてできなかった。
『あぁ、もう……』
ひとり呟いて、のそっと立ち上がると、ぼくの鼻が、ほかのドブネズミの気配を感じ取った。
『誰?』
入口の方に呼びかける。
ぼくは、サーのにおいと、あの子のにおいは分かる。
けれど、イズとか、エーグットとか、一回しか会ったことのないネズミは、よくわからない。
カサリと音がして、問いかけた入口から返事が返ってきた。
『おれだけど……』
すぐにわかった。
エーグットだ。
急いでエーグットを招き入れる。
ジャガイモや、サツマイモが転がっているが、それは気にしないでほしい。
ようやく座る場所に落ち着いたところで、
エーグットは口を開いた。
『おれがここに来たのは、イズからの伝言が
あったからなんだが……』
言いづらそうに、エーグットは言葉を切った。
そして、ジャガイモやサツマイモに目をやる。
『何があったんだ?』
そう聞くエーグットに、サーのことを説明してみよう
かなと思ったのは、ぼくの気まぐれだったに違いない。
『サーって、好きな子いなかったのか?』
事情を聞いたエーグットの第一声はそれだった。
『前に、サーは、オレの可愛い彼女が! とかいって
その話を日が暮れ始めてから、あたりが真っ暗になるまで聞かされたけど……』
『あたりが真っ暗になるまで!』
ぼくは目を□いた。
ぼくらドブネズミにとって、人間の時間というのはとてつもなく長いものだ。
たとえば、人間が九十年、ぼくらが三年、生きるとすると、なんと人間が一歳年をとった時、ぼくらは三十歳も年をとってしまう計算になる。
だから、日が暮れかかってから、あたりが真っ暗になるまでというのは相当な時間だ(結局、これを言いたいだけだったりする)
だが、話し好きのサーなら、あり得そうなことでもある。まったく。
――話を戻そう。
『サー、彼女って言ってたのか?』
エーグットにそう聞くと、エーグットは自信なさげに首をひねった。
『言ってたと思うんだけどな。でも、あのサーだからな。自慢したいあまり、うそを言ったのかもなぁ』
サーに対する評価は、どこでも一緒のようだ。
ぼくとエーグットが考え込んでいると、不意にエーグットが『あっ』と声をあげた。
ぼくがどうしたのと聞く前に、エーグットはぼくを見た。
『イズからの伝言で。ライムの好きな子、見つかったかもだって』
マジ?
4 衝撃の事実
『え? ホントに?』
ぼくが聞き返すと、エーグットはうなずいて言った。
『だから、イズのところへ行けば、その情報をくれると思うよ。あと、イズがお前の巣がどこかわからないから、おれに伝言させたんだ。だから、自分の巣の位置も言っておけよ』
『うん、わかった』
『じゃ、がんばってな』
エーグットはそれだけ言って、ぼくの巣を出て行ってくれた。一刻も早く行きたい、ぼくの気持ちを分かってくれたんだろう。
そして、もちろんぼくは。
真っ先に家を、飛び出した。
『あ、いたいた』
声がするから、顔をあげれば、遠くにイズがいることが分かった。
イズだ……。
ぼくは、イズにあいさつするほどの気力も残っていなかった。
あのとき――。
勢いだけはよく、巣を飛び出し、走り出したぼくだが、イズの家への行き方が分からなくなってしまったことに気付いた。興奮して走りまわったために、自分がどこにいるかさえわからず、ずっとあてずっぽうに歩きまわっていたのだ。
イズがこちらに走ってくる。
『大丈夫? もう何もかも嫌だって顔してるよ?』
その通りだと言ったらどうなるのだろう。
イズがぼくの顔を覗き込んで言った。
『とりあえず、ぼくのところへおいでよ。ほら、これ食べて』
何かを差し出してくれる。肌色のなにかと、茶色の何かをまいたようなものだ。甘い香りがする。
『だてまきって言うんだよ』
一口かぶりついてみた。においは危険ではなかったから、かなりガブリといった。
うわっ。
口の中で何かがとろけていく。少し人工調味料の味もするけど、それほど気にならない。
『これ、ふつうのだてまきじゃないんだよ。特別に作ってもらったんだ』
イズの説明を聞くうちに、ぼくはどんどんエネルギーが体にみなぎってくるのを感じていた。
『はやく行こう!』
ぼくが言うと、イズは一瞬目を見張ったけれど、すぐにニコッと笑って走り出した。
イズのしっぽがピュンピュンとゆれる。
ぼくもあとをついていく。
走っている時の風は気持ちいい。思えば、最初にあの子と会って追いかけた時もそうだった。気になって思わず追いかけてしまった。結局見つからなかったけれど。
でも今は――。
『ついたよ』
例の水道管パイプだ。ぼくが中へ行こうとすると、イズは引き留めた。
『そっち行くと、また落ちるよ。こっちに裏道があるんだ。あの時はカマボコのせいでぼくも一緒
に落ちちゃったけどね』
ぼくは納得してイズの後について行った。
水道管の横に、イズがぎりぎり入れるくらいの小さな穴があいている。ぼくは小さいから入れるけれど、サーやエーグットはどうするんだろう。
気になったぼくがそれを聞くと、イズはあれ? と声をあげた後、そうかとうなずいた。
『ライムには説明してなかったよね。でも、話すと長くなるから、また今度』
言いながらイズは、穴に入って、せかせかと進んでいく。ぼくも穴に入り、あることに気付いた。それは、においだ。
ここには、イズのにおい以外、ほかのドブネズミのにおいはしない。つまり、イズ以外、誰も、入っていないことになる。エーグットやサーは、この通路を利用していないのだ。疑っていたわけではないけれど、やっぱり不思議だ。
『もう着くよ』
イズが教えてくれる。
その通りで、少し進むとイズの住処についた。相変わらず、カマボコのにおいがする。
そういえば、ここもイズやカマボコ以外のにおいがしない。
どうしてだろう?
ぼくが疑問に思っているうちに、イズはあたりを見回って点検していたようだ。鼻が警戒するように、ヒクヒクと動いている。だが、やがてそれも収まり、イズは安心したように座った。ぼくも向かい側に座る。
イズが切り出した。
『それで、ライムが好きな子って、もしかして――』
イズが思い出すように首をひねる。
ぼくはドキドキして、次の言葉を待った。
『小さい方で、結構気が強くて、しっぽが普通より長い子?』
いきなり早口でそう言われて、ぼくは戸惑った。それでも、イズが真剣な顔でぼくをじっと見つめているため、返事をしないわけにはいかず、何とか応じた。
『体は確かに小さい方。だけど、気が強いかはわからないよ。一回――いや、二回見ただけだから。でも、しっぽは長かったかな。でも……。やっぱり良くわかんない』
どうしてイズはその子のことをそんなに知っているんだ?
ぼくの無言の質問に答えたように、イズが話しだした。
『実はね、サーが言ってたんだけど、一回目その子に会ったときにライムがその子を追いかけてたところを、見てたみたいなんだ。それで、その先にいたのはサーの知っている子だったんだって。そのときは、ライムがその子のことを好きなんて思ってなかったから、見間違いかと思ったらしいんだけどね。ぼくから話を聞いてすごくびっくりしてた』
『でも、本当にぼくの好きなあの子を追いかけてた時なの? 人違いもあり得るんじゃない?』
ぼくがそう尋ねると、イズは意外そうな目でぼくを見た。
『ライムはほかの女の子を追いかけたこともあるの?』
あ……。
『ない』
そうか、それならサーが見た先にいたのは、あの子に確定か!
『それで? サーは何を知ってるの?』
ぼくは期待を込めて聞いた。
一刻も早く答えを知りたくて、体がウズウズしてくる。
『言っていいの?』
イズがぼくに念を押す。
『もちろん。早く言ってよ』
ぼくがせかすと、イズは吐息と一緒にそれを告げた。
『その子はサーの妹だよ』
『え?』
ぼくは硬直した。あまりのことに頭が回らない。
『サーの妹……って……』
口を開いたものの言葉は切れ切れにしか出てこなかった。
『本当だよ。今度サーに聞いてみたらいいと思う。でも――』
そう言って突然、イズがぱっと顔を上に向けた。ぼくもつられて顔をあげる。
ぼくが見た先には、闇が広がっている。さっきまでは少し明るかったのに――。
『太陽が沈んだね』
イズが言う。
ぼくはうなずいた。頭が重い。そろそろ寝る時間のようだ。
見ると、イズも同じように眠そうにしている。
『じゃあ、ありがとう。帰るね』
イズにそういうと、ぼくはイズの巣のあの道を通って帰った。そういえば、初めてイズの巣に来た時もここを通ったかもしれない。
眠いせいで、よくわからない。
『また来てねー』
そういったイズの声が、なんだか遠くに聞こえた。
それでも、あの子がサーの妹だということだけは、ずっと頭のまわりをまわっていた。
<第二話 おすしや>
1 ご対面です
あの子がサーの妹?
ぼくは、朝日の照り返しがきつい道路に立ち、再び茫然ぼうぜんとしていた。昨日聞いたことが信じられない。
考えるたびに信じられない気分になる。その疑問を解消するため、ぼくはサーの家へ行こうと思っていた。
『行くか』
自分に気合を入れて歩き出す。サーに言うべき言葉はもう決まっている。
サーのところへの通いなれた道のりは、何も考えていなくても行くことができる。だからぼくは、あの子のことをぼんやりと思い浮かべていた。
そもそも、ドブネズミの兄弟というのはたくさんいて、十匹くらいになることもしょっちゅうだ。そのため、妹といっても、子供のころ一緒にいたというだけで、あとは交流がない方が多い。
しかし、妹というからには、サーとあの子には、何らかの関係があるのだろう。血のつながりだけでなくて、もっと仲がいいのだろう。
サーの家に着いた。無断で入ってしまおうかと考えたが、危険なのでやめにした。サーみたいなのは一人でいい。
入口から声を張り上げる。
『サー! ぼくだよ』
しばらくすると、のそりとサーが出てきた。面倒そうな態度は、ここに来た時の習慣のようなものだ。
『何か用か?』
そう言って、家の中に入ってしまう。入っていいという意味だろう。
ぼくは、サーの後をついて行き、サーが腰を下ろした隣に、ぺたんと座った。
冷たい土が気持ちいい。
『聞きたいことがある』
できるだけ重々しく聞こえるように言ったら、サーに笑われた。少々むっとしたけれど、気にしていても仕方ないので、さっさと本題を話す。
『サーの妹と会わせてほしいんだ』
サーは分かっていたと言いたげににやりと笑って見せた。――気に入らない。
『ジェリーに会いたいか?』
と言うサーは、いつもの意地の悪い笑みを顔に浮かべてぼくを見ている。
そのジェリーというのが、あの子の名なのだろう。
『もちろん会いたいよ』
『本当に?』
……おかしい。
今日のサーは、いつもと違う。表情こそ変わらないけれど、こんな風に念をおっ巣ことなんてめったにない。
『何か心配ごとでも?』
一言そう尋ねると、サーはため息をついた。
『おれの妹を傷つけたりしたら、ただじゃ済まないぞってことだ』
どうやら、本当に大切に思っているようだ。珍しい。なんでも、ま、いいかですませてしまうくせに、こういうときは真剣になるんだな。
だが、それがジェリーに会うのに支障があるわけではないため、ぼくはサーをせかした。一刻も早く会いたい。あの子にもう一度会えると思うともう……。
『おいお前。顔がニヤけてるぞ』
下水道を泳ぎながらサーに言われて、ようやく顔を通常モードに戻した。
ジェリーの家は、この下水道の先――川の近く――に住んでいるようで、ますますぼくはあのこらしいなと思う。夏に楽しげに泳いでる姿が目に浮かぶ。
もちろん、そんな風に思える間柄ではないのだが、第一印象として、かわいく泳いでいるイメージがなぜかある。あのつぶらな瞳が水に反射して光り、あの小さな手が水をはじき――。
『おい』
しっぽを踏まれて振り向くと、サーがしかめつらをしてこちらを睨んでいた。
『そんなんでジェリーに会えるのか?』
そうだ、落ち着かないと……。
サーはくぎをさすように言った。
『お前は一回逃げられたんだろ? なら、絶対変なことをするな』
サーが真剣になっている。これはかなりレアな光景だ。
『無理強いはするなよ』
そう付け加えて、サーはくるりと背を向けた。それを見て、ジェリーに逃げられた思い出がよみがえる。胸が痛い。
『あれ? そういえば――』
ぼくはあることに思い当って切り出した。
『どうしてぼくはあの時ジェリーに逃げられたんだ?』
特に、ぼくは何もしていないはずだ。あの子が急に飛び出してきたんだから。
しかしサーは、
『そんなことは、本人に聞け』
と不愉快そうにい言い、コンクリートの間に入ってしまった。そこがジェリーの家なのだろう。
サーの不機嫌なんかよりも、ずっと大事だ。
――いよいよ、あの子に会える。
『あれ? お兄ちゃん?』
初めて聞いたあの子の声はそれだった。少し進むと、暗い所に着く。
あの子だ。あの子のにおいだ。
『ジェリー。今日はオレの友達を連れてきたんだ』
サーがそう言うと、ジェリーがこちらに近づいてきた。
『はじめまして』
警戒気味の声。ぼくと会った時のことは覚えていないようだ。
『よ、よろしく』
ぼくも挨拶を返そうとして、噛んだ。恥ずかしい。
ふとサーのほうを見ると、サーはぼくに見向きもせずに、ジェリーを見つめて幸せそうな顔をしている。
『ねえ、お兄ちゃん』
ジェリーがお兄ちゃんと言うたびにぼくの心がぎしぎし鳴るのだが、どうしたらいいのだろう。
『わたしさ――』
話しかけられているサーは、見たこともないような、笑顔一面だった。絶対、脳が花畑になっている。百万円を賭けてもいい。
そんなことを考えていたために、ぼくは、もう少しでジェリーの言葉を聞き逃すところだった。
『イクラ食べたいな』
――そこからの展開は、語らなくてもわかるだろう。
ジェリーに恋するぼくと、妹を愛するサーが、どっちがイクラをとってこれるかで競うなんてことは、読者の皆さんにはわかりきったことだと思っている。
そうそう、ジェリーはその口論(戦いの始まり)の間、ずっとぼくとサーをかわりばんこに見て、驚愕していたもちろん、そんな顔も可愛かった。サーもそう思ったに違いない。
2 おすしや潜入!
『イクラか……』
巣にもどり、サツマイモを並べながら考えるも、浮上する疑問は一つだけ。
――イクラってなんだ?
そこを分かっていなければ、分かるものも分からない。
ということで、ぼくはエーグットのところへ向かった。本当はイズの家に行く予定だったけれど、その途中にエーグットの家があるからだ。
エーグットは、家(巣?)の外にいた。縄張りに入ってくるネズミがいないかを見張っている様子。
『エーグット?』
ぼくがそっと声をかけると、エーグットは鋭い目でぼくを見据えた。ぼくだとわかると、ようやく表情を和らげる。ぼくも息をついた。
『ライムか。ごめんごめん。さあ、中へ――』
『大丈夫』
ぼくはなるべく優しく割り込んだ。急がなくてはならない。ゆったりするのは後回しでいい。
『エーグットは、イクラって知ってる?』
『――は?』
エーグットはそう声をあげ、ぼくを見た。しばらく眉を寄せて考えていたが、やがて、
『聞いたこともないね』
と言った。
少々落胆はしたが、まだ希望はある。エーグットにお礼を言って背を向ける。エーグットは、何も聞かなかった。ぼくが急いでいることを分かっているのだろう。相変わらずだ。
『イズーッ』
水道管の横の道を駆け降りる。
そこには――。
誰もいなかった。
『え?』
頭が真っ白になってしまう。空っぽの巣が示しているのは、出かけているということだけだ。そして、それはとても困ることだ。
そこまで考えて、ようやくぼくの脳は復活した。道をゆっくりと戻っていく。
どうするか……。
イズに聞いた方が早いのは明確だ。いろいろと物知りなのは、ぼくが知っている中ではイズしかいない。
――などと思っていたら、いた。
道路の向こうに、一匹のネズミ。
『イズ!』
ぼくは叫んで、走り出した。
その声に驚いたように、イズが止まる。そして後ろを振り向いて、ぼくだとわかると驚きの表情でぶつかってくるぼくを見ていた。
『イズだー!』
ぼくが感動で思わずイズを抱きしめていると、イズはにこにこしてぼくを離した。
『で、どうしたの?』
ぼくはその時やっと、イズに話すべきことがあったのを思い出した。
『あー、イクラね』
話を聞き終わった途端、イズは大きくうなずいた。しかし――。
『今は用意できないんだ』
『どうして!』
急がなきゃ、サーが先に見つけてしまうじゃないか。
焦りでぼくは、全身から汗が噴き出してきた。それでもイズは、のんびりと言う。
『今、こうやたちが旅行に行っているんだ』
『りょこう?』
知らない言葉だ。しかも、「こうや」って誰だ? まあ、それは後でもいい。今は、りょこう、についてだ。
『遠くに何日か泊ってくるんだ』
『へえ。ってじゃあ、入手はムリ?』
『うん、まあ』
イズはまた、のんびりとうなずく。事の重大さを分かっていない。どうしよう。見る間に焦りだすぼくに、イズはゆっくりと言った。
『でも方法はあるよ』
『本当?』
わらにもすがる思いである。
『ライムともう一匹のネズミの二匹でお寿司屋さんから盗んでくるのがいいんじゃない?』
『え?』
なんだか今日は、イズに驚かされてばかりのような気がする。
『盗んでくるって、盗むこと?』
混乱して意味不明なことを口走ってしまった。ぼくの脳に、ムキムキのネズミとぼくが必死に「イクラ」を盗んでいる光景が浮かぶ。
そんなぼくを見て、イズは安心させるように、
『もう一匹のネズミで、すごく優秀なネズミに思い当ったよ。今から会いに行く?』
ぼくは大きくうなずいた。イズもにこりと笑ってくれた。
急に、耳を大音量の音が襲った。
『うわっ』
イズが耳を押さえてうずくまる。ぼくは少しでも離れようと走ろうとした。あまりの音で動けなかったけれど。
やがて、音が遠くなると、ぼくらは顔を見合わせた。
『車が通ったからだよね。あれって本当に耐えられない』
イズがつぶやく。そうか、あれは車と言うのか。今までは名称は知らなかった。やっぱりイズは物知りだ。イズと知り合いでよかった。
イズが再び歩き出そうとしてよろけた。
『大丈夫?』
そう聞いて支えようとするも、自分の体もうまく動かないことに気付く。やっぱりさっきの「車」のせいで体が変な感じがする。
『イズ、耳がガンガンしない?』
イズが小さくうなずく。どうやらぼく以上に音がこたえたらしい。
二人で黙って歩を刻む。
――なんて言うとカッコイイ感じがしないでもないが、要するに歩いているだけだ。
『あ、着いたよ』
ようやくイズが足を止めたのは、かなりたってからだった。もうぼくは、へとへとになっていた。やっぱりサーみたいに、肉も食べたほうがいいのかな。
『ミラレーノ!』
イズが声を張り上げる。そのミラレーノというネズミの家があるのは下水道近くのコンクリートと土の隙間。やっぱりドブネズミは水の近くに住んでいることが多い。
『ところで、イズ』
『なに?』
イズが振り返る。
『ミラレーノっていう名前から考えて、相手は――女の子?』
『え? そうだけど?』
えーっ。
ぼくは驚いた。そんなぼくを見てイズは戸惑うような表情で尋ねる。
『女の子じゃ、ダメだった……?』
こういうときのイズは、オスのぼくから見ても可愛い。いや、もちろん純粋な意味で。
『ダメじゃないよ』
そう言ってぼくはイズに微笑みかけたが、内心は焦りまくりだった。
別に、女の子でもダメではない。それは本心だ。しかし、ぼくは思いこみで男の子――それもムキムキ――だと思っていた。だから、びっくりしただけだ。ということをイズに伝えようとしたのだが――。
言えなかった。
なぜかというと、そこにいるのがあまりにかわいい子だったからだ。
こちらを見つめてくる目に、ぼくは思わずクラッときそうになった。――危ない。ぼくが好きなのはジェリーだ。
ちなみに、その間に、イズはミラレーノにぼくの事情を話してくれたらしい。
『えっと……』
気がつくと、イズがじっとぼくを見ている。
『なんていう子?』
その質問に、イズは首をかしげた。それでも口を開く。
『ミラレーノ』
あ、そうだ。さっき聞いたんだっけ?
彼女のほうを見ると、余裕そうに微笑んでいる。雰囲気からして大人っぽい。
『じゃあ、行く?』
長い沈黙の後、ぼくがやっと言った。
ミラレーノの顔を直視できなくて、どうしてもうつむいてしまう。
その間、イズはずっと、ミラレーノとぼくを交互にしげしげと眺めていた。
『ねえ、ぼく、何か変だったかな?』
隣を歩くミラレーノに聞いてみる。目と目を合わせるとどうにかなってしまいそうだったので、ぼくの視線はアスファルトの地面に固定されていた。
『何がですか?』
どうして敬語なのだろう。気になって横を向くと、ミラレーノはまっすぐ前を見ている。ぼくのほうをちらりとも見ない。
けれど、そのおかげでぼくは緊張が解けた。
『――イズがずっと、ぼくとキミのことを見てたから、何か変なことをしたかなーと思ってさ』
『それはイズが、私とあなたに恋の関係があるのではと疑っていたからでしょう』
即答。どこまでわかっていて、なぜ何も言わないのだ。
ぼくの無言の疑問を無言で返しているミラレーノ。
なんだか目に見えないところですさまじい戦いが繰り広げられている気がする。ぼくが言うのもなんだけど。
――というか。
『どうして私がこんなへらへらとした奴と……』
ミラレーノは、静かに怒っているようだった。
『あの……』
恐る恐る声をかける。ミラレーノの反応は速かった。
『何ですか』
……間違いない。怒っている。最初に会った時はもっと可愛かったはずだ。でも我慢。ここは我慢……!
『ミラレーノには、好きな人がいるの?』
ミラレーノの目から闘志が消えた。
『あなたは知らないでしょうが――』
口調も穏やかだ。
『エーグット様という方を、お慕いしているのです』
『エーグットっ?』
声が跳ねた。
『エーグットって体が大きくて目力がすごいあのエーグット?』
『エーグットという名がそれほどたくさんあるわけではないでしょうから――』
ミラレーノは息を軽く吐いた。
『あなたの知っているエーグット様は、わたしがお慕いしているエーグット様でしょう』
信じられない思い出ミラレーノを見ていると、今度はミラレーノから話題を振ってきた。
『あなたの名前は何ですか』
今まで知らなかったのかとツッコミでも入れたくなるが、確かに聞かれていない。ぼくの話題じゃなかったからな……。
ぼくが口を開いたとき、ミラレーノの足が止まった。
『着きました』
おすしやに着いたらしい。結局、ぼくの名前は言えなかった。ミラレーノとしては、ぼくの名前より、おすしやのほうが重要なんだろう。
『さあ。入りますよ』
ため息をついているぼくを一瞥して、ミラレーノはわずかにあいた扉の隙間から、するりと中へ入った。
透明な板――ガラスだっけ――の向こうで、ミラレーノがはやく来なさいというように、ジェスチャーしている。
けれど、どうもぼくは人口のものが嫌いだ。人間臭いし、危ない気がする。
『嫌だな……』
思わずつぶやいてしまってから反省する。
そうだ。すべてはあの子のため。ジェリーのため。
ぼくは決心して、おすしやの中へ滑り込んだ。
3 ミラレーノについての考察
『まったく。何してたんですか』
また、軽くミラレーノが怒っている。というか、呆れている。
『どうしてここまで来て、あそこでためらう必要があるのです。男ならもっと――』
『つまり、エーグットなら男らしく、たくましく入ってきただろうってことだよね』
一瞬にして赤くなるミラレーノ。
『ち、違います! エーグット様はかっこいいけど、男らしくはない……こともないけれどでも違うんですっ』
うんうん。がんばって否定したいのがわかるよ。
ぼくがそれをなんとなくほほえみながら見ていると、ミラレーノはぷいと顔をそむけて、歩きだしてしまった。
まあ、いい。
目的は、イクラをとることだ。
『あっ』
ミラレーノが声をあげた。何事かと聞こうとした瞬間、ミラレーノがすごい勢いで走りだした。
『ちょっ……。え?』
事態が分からず茫然とするぼく。けれど救いの手は現れない。
『行くしかないのかな……』
仕方なくミラレーノの後を追ってみる。においで、どこにいるかは分かる――。
『外に出ますよ!』
その声に気付いた瞬間、ぼくは外に引きずり出されていた。摩擦で肌が痛い。
『なんでこんな目に……』
『取れました』
え?
ミラレーノのほうに目を向けると、見慣れない赤い玉がふたつ。
もしかして、これがイクラ?
じっとイクラを見つめているぼくをどう思ったか、ミラレーノは一個を口にくわえた。もう一個は、ぼくによこしてくる。
くわえてみると、それがかなり重くて薄皮のようなものでできているのが分かった。これを二つもどうやって、おすしやから持ってきたかが疑問だが、それを聞いてはいけないのだろう。
『というか、なにがあったの?』
あの短時間に。
ミラレーノは驚いたようにこちらを見た。
『気付かなかったんですか?』
何を?
『私達の後ろから、人間が迫ってきたんですよ。何やら怪しい物――きっとスプレーか何かでしょう――を持って』
『それ、本当?』
ようやく気付いたぼくに、ミラレーノの反応は冷たかった。
『だからわたしは、イクラの回収とともに、動きの鈍いあなたまで連れ出すことになったのです』
賢いんだな、ミラレーノって。
『行きますよ』
すたすたと歩き始めるミラレーノに、ぼくは一言だけ。
『助けてくれてありがとう』
ただそれだけで、ミラレーノの顔が、ぱっと赤くなった。
とりあえずイズの家へ――。
ぼくとミラレーノで話し合った結果、そういうことになった。
どうやらミラレーノは、エーグットのことが好きで好きでたまらないらしい。ミラレーノ的お勧めポイントは、あの力強さだとか。
『でもですね――』
ミラレーノは、切なげにため息をついた。
『わたしはまだ、エーグット様とお会いしたことがないのです。わたしはあの無敵な声を聞きたくてたまらないというのに――』
ミラレーノは、、ぼくがそばにいることなどすっかり忘れているようで、視線は虚空を見つめ、歩くスピードも、どんどん遅くなっている。
『じゃあさ』
ぼくが声をかけると、ミラレーノは、はじかれたように前を向いた。やっと、我に返ったらしい。
『ミラレーノは今回、ぼくの恋を援助してくれるわけだから、今度はぼくがミラレーノの恋を助けるよ』
『え?』
『要するに、ミラレーノとエーグットを会わせてあげる。もちろん、いい出会いになるように』
『それ、本当ですか?』
ミラレーノはまだ信じきれない様子だ。
でも大丈夫。たぶん、イズやエーグット――はダメか――サー――はろくな意見を出さないだろう――ってあれ? もしかして頼れるのって、イズだけ?
『うん、大丈夫。きっといい出会いになるよ。そうなるよう頑張るから』
『やったぁ! お願いしますねっ』
ミラレーノの無邪気な笑顔を見ながら、ぼくは内心冷や汗をかいていた。
『あ、イズの家ですよ』
ミラレーノが上機嫌で中へとはいっていく。
――まあ、ミラレーノとエーグットのことは、またあとで考えればいいか。
ぼくはそう思うことにした。とりあえずは、ジェリーとぼくが素敵な関係になれるようにするのが先決だ。
前を歩くミラレーノが、不意に止まった。
『何かにおいがします』
そう言われてみると、確かに何かのにおいがする。かいだことがある。これは――。
『おすしやのにおいです!』
ミラレーノがぱっと駆けだした。ぼくも猛スピードで穴を駆け降りる。
――と、急に視界が暗くなった。気付いた時には、体に柔らかな衝撃。
『え? きゃあっ』
自分が足を踏み外して、ミラレーノも巻き込んで転んだと、あとで気付いた。
ゴロゴロと穴を転がっていくぼくら。幸い、穴はそんなに長くなかったため、すぐにイズの巣へたどり着けた。
ドスンという痛々しい音とともに、ぼくは床にたたきつけられた。
ああ、前にもこんなことがあったな。あれは初めてイズの巣に来た時だった。その時と違うのは――。
『最低!』
ミラレーノが隣にいることだ。
『なんであそこで足を踏み外すんですか? 信じられません。おまけに他人まで巻き込んで!』
しかも、またご立腹のようである。
『まあまあ』
そこに割って入ったのは、ぼくではなく、イズだった。
『ライムもわざとやったんじゃないから。ミラレーノも許してあげなよ』
『ライムというのですか、あなたは』
ミラレーノがこちらをじっと見ていた。
どうでもいいけどミラレーノ。言葉の端々に怒りがにじみ出てるよ。
『それで、いいことがあったんだ』
イズが頑張って、この場を丸く収めようとしているのが見てとれる。あとでお礼を言っておこう。
『実は、これがとれたんだ』
そう言って、イズが指すのは、さっきのおすしやのにおいがしたもの。
『なんですか? これ』
イズの狙い通り、ミラレーノはそれに駆け寄っていく。ぼくへの怒りなど、どこかへ忘れたようだ。
それを見たぼくらは、お互いににやりと笑った。
『これは、デパートのおすし詰め合わせというものなんだ。だから、イクラの他にも、マグロ、イカ、タコなんかが入ってる』
さっきから知らない単語ばかりだが、どうすればいいんだろう。
『要するに、ジェリーの好きなものがたくさん詰まったものだよ』
おおっ、それはすごい。
『――ってイズ、、ジェリーのこと知ってるの?』
そう言うと、イズはかすかにうんざりした表情になった。
『さっき、サーにあって、ジェリーとオレの妹のために――って、十回くらい聞かされた』
……お気の毒に。
『今すぐイクラを準備しろって言うから、おすしやに行けばって言っておいたけれど――会わなかった?』
『会わなかったよ。だよね、ミラレーノ』
振り返ってみると、ミラレーノがいなかった。周りを見回すと、ミラレーノはあのおすし詰め合わせパックをあさっていた。
それを見て、ぼくはつぶやく。
『何が入ってるか、気になって仕方ないんだろうね――。え?』
ふいに、重大なことに気付いた気がする。
『もしかして、サーは今……。おすしやに行ってるの?』
『うん』
イズは何のためらいもなくうなずいた。
『じゃあ、イクラを見つけて帰ってくるかもしれないってこと?』
『いや、それはないでしょう』
ミラレーノ、いつの間に!
『あなたは、あのサーがお寿司屋に入り、イクラをとってくることが可能だと考えますか?』
……無理だな。
ぼくが無言でいると、ミラレーノは手に持ってひきずっていた何かをぼくとサーに見せた。
『これは何ですか?』
ミラレーノが持っていたのは、小さな紙袋のようなものだ。
『これ、知ってる』
ぼくが言うと、ミラレーノが驚いたように
こっちを見た。
『それ、乾燥剤ってやつ。食料が長く持つように、
袋に入ってるんだよ』
ねっというようにイズを見ると、イズは大きく
うなずいてくれた。対してミラレーノは、
自分が知らないことをぼくが知っていたのが
ショックだったのか、茫然とぼくを見つめている。
――よっぽど、ぼくのことをバカだと思っていたんだな。
『な、なんで、知ってるんですか……』
口調もミラレーノではなくなってきている。
かわいそうなので、理由を説明してあげることにした。
『ぼくの家によく落ちてるんだ、乾燥剤』
ミラレーノがあからさまにホッとしているのが分かった。
『そ、そうですよね。そんなことだと思いました。このライムがそんなこと知ってるわけないですからね』
ぼく、さりげなくバカにされてるよね?
『さりげなくじゃないけどね』
そのツッコミはフォローにさえなってないよ、イズ。
『では、そのジェリーのところへ届けに行きましょう。それと――』
ミラレーノがためらうようなしぐさを見せた。
『その帰りに、エーグット様のところへも寄っていただけませんか?』
ぼくとイズは、その可愛さに、舌を巻いた。
4 幸せ……
『そういえば――』
ぼくは、さっき思いついたことを、イズに聞いてみることにした。
『さっきの……おすし詰め合わせパックって、どこから持ってきたの?』
前を歩いていたイズが振り返った。今は、ジェリーの家に行く途中のため、ぼくらは一列になって――先頭はミラレーノだ――黙って歩いていた。
振り向いたイズの目は、なぜかぼくのことをまじまじと見ていた。
『こうやが持ってきてくれたんだ』
『コーヤ?』
食べ物だろうか。
『話してなかったっけ?』
ぼくはうなずく。イズはびっくりしたようだった。けれど、ちゃんと説明してくれる。
『実は、ぼくさ、人間の家に住んでいるんだ。で、その人間が「こうや」っていうの』
『あっ』
ぼくは声をあげた。
『もしかして今、「りょこう」に言っている人たちのこと?』
イズはほっとしたように、何度もうなずいた。
『そのこうやたちがさっき帰ってきて、ぼくが事情を話したら、買ってきてくれた』
『そっか……って、え? 本当?』
よく考えると、これは普通のことではない。なぜならば――。
『イズとそのこうやって言葉が通じるの?』
ぼくらは、超音波で会話をしてる。だけど、人間は、もっと重い感じの音を口から出している。その人間とぼくらが、どうすれば会話できるんだろう。
そんなぼくの心の声を聞いたかのように、イズは口を開いた。
『実は、テレパシーみたいのを使えるんだ』
『テレパシーッ?』
声が跳ねあがる。
けれど、イズは微妙な顔で首をひねった。
『テレパシーではないんだ。でも、お互い、考えてることが伝わるっていうのかな、そういう感じ』
『ふーん』
でも、すごい。ぼくなんかはおそれている人間と、仲良くなるっていうイズは、すごいネズミだ。
『イズ、ライム』
ふいに、前の下水道管から、ミラレーノの声がした。続いて、頭が出てくる。
『ちゃんとついてきてますか? ここを通ったら、ジェリーの家らしいです』
そう言うや、ジェリーはさっさと下水道に入っていった。さすが、行動がはやい。
『イズ、先に言って』
イズを促す。さっきミラレーノにぶつかったトラウマが消えないうちは、ミラレーノの後ろを歩ける気がしない。
いつかサーと一緒に来た時のことを思い出す。もうずいぶん前のように思える。
ミラレーノがコンクリートの隙間から入っていく。イズとぼくも続いた。
『ジェリー』
代表して、イズが問いかける。ミラレーノは初対面だし、ぼくは――とても声をかけることなどできない。イズはもともと知り合いだったようだ。
ミラレーノとぼくは、その床――といっても土だ――に、持ってきたイクラと、おすしつめあわせパックに入っていたものを置いた。イズはすでに、自分が持ってきたものを横において、ジェリーを待つ姿勢。
『はーい』
そんなかわいらしい声とともに、登場したジェリーは、イクラたちを見て瞳を輝かせた。
『もしかして、わたしに……?』
キラキラした瞳でぼくらを見るジェリー。
――ぼくが壊れてしまいそうだ。
『そうだよ』
声を出せないぼくの代わりに、イズがこたえた。するとジェリーは、今にも食べたいとでもいうように唾を飲み込んだ。
ぼくはとっさに、イクラをとりジェリーに渡す。やっぱり何も言えなかった。
『ありがとう……!』
ジェリーは、上目遣いにぼくを見つめていた。そして、手に持ったイクラにかぶりつく。
薄い膜のようなものに穴があいて、液が飛び出してきた。それをジェリーはおいしそうに飲んでいる。
かわいい。
そうとしか言えない状況だ。
そんなこんなでジェリーは、海の幸を堪能すると、ぼくにお礼を言ってくれた。
『今日はありがとう。とってもおいしかった』
そして、そのあとにミラレーノは、こういったのだ。
『今度、これをとった場所に、一緒に行かない?』
さあ、困った。
だって、この食料の大半は、イズが持ってきてくれた「おすしつめあわせパック」なのだ。ぼくがとれたのは、イクラ――いや、それもミラレーノがとってくれたから、何もないということになってしまう。
そんなことを言ったら、今、ぼくに向けられている純粋な瞳は、ほか二人――イズとミラレーノに、向いてしまうだろう。
『実はね――』
イズが口を開く。ぎょっとしてイズを見ると、イズはぼくにだけ分かるよう、ウインクをしてきた。
『おすしつめあわせパックっていうのから、持ってきたらというアイディアを出したのがライムなんだよ。それで、こうやにとって来てもらった。だから、そこに行くことはできないんだ』
ナイスフォロー!
ぼくは、イズの頭の回転の速さに感動した。
けれど、ジェリーの顔は、なんだか暗くなってしまったようだ。
『こうや、ってイズと一緒の人間でしょ』
『うん』
ぼくとイズが同時にうなずく。ミラレーノはさっきからずっと黙っている。
『わたしね――』
ジェリーが沈んだ声で言った。
『人間が嫌いなの。いつか、殺されそうになったから』
『で、でも、そのこうや、っていう人みたいに良い人も――』
そう言いかけたぼくを、イズは目で制した。
『ゴメン、ジェリー。不快な思いをさせてしまって。お詫びに、これを食べてくれない?』
そう言って、イズはジェリーに赤くて平たいシートのようなものをちぎって差し出した。
なるほど、これが大人の対応か……。
『これ、マグロっていうんだ』
イズがにこりと笑う。
ジェリーは嬉しそうに、マグロを食べている。
その時、ぼくはマグロの下にある、白くて丸い、少しねばねばしたものに気付いた。
『これ、何?』
そうイズに聞くと、イズはなんとそれを少し食べてしまった。
『ご飯っていうんだ。ぼくは好きなんだけど、ねばねばしてて食べにくいって、みんなは言ってる』
ぼくは勇気を出して、ご飯とい言うものに触ってみる。手に、ねばねばとした感触が伝わった。
――食べるのはやめよう。
ふと、ジェリーのほうを見ると、ジェリーはちょうどマグロを食べ終わったところらしかった。
『おいしかった?』
ぼくがきくと、嬉しそうに笑ってうなずくジェリー。けれど、その顔はすぐに、ぼくの横に向いた。ミラレーノのほうだ。
『は、初めまして』
ジェリーが言う。ミラレーノは、それに対してにこやかに笑いながら答える。
『初めまして。お刺身はおいしかったですか?』
ぼくに対する態度とは、別人のようだ。
それにしても、こうやって見ると、ミラレーノがお姉さんで、ジェリーが妹みたいに見える。
『はい、今日はありがとうございます』
そういいて、ジェリーが頭を下げた。良い雰囲気だ。
『じゃあ、そろそろ帰るね』
イズがそう言い、みんながうなずいた。
ぼくは少し残念だったけれど、だからといって長居しても迷惑だろう。
『今日は、本当にありがとう。今度、またみんなで来てね』
ジェリーの家を出る直前、ジェリーがそんなことを言っていて、ぼくはますます幸せになった。
そんなこんなで、ぼくは、世界一幸せになったかのような気持ちで、ジェリーの家を出たのだった。
5 ライバル認定……らしいです
『なかなか可愛かったですね、ジェリー』
ジェリーの家を出てすぐ、ミラレーノが言う。ぼくも同感なので、大きくうなずく。
すると、イズが急にはっとした表情になった。
『どうしたの?』
ぼくがきくと、イズは上の空で口を開く。
『こうや達に、しばらくしたら来てねって言われてたんだ。すっかり忘れてた……』
『ぼくらを気にせず行ってきなよ』
ぼくが言うと、イズは驚いたようだった。
『いいの?』
『もちろん』
『今日、イズにはお世話になりましたしね』
ミラレーノも口をはさむ。
それを聞いたイズは、ありがとうと言ってあっという間に走り去った。よっぽど急ぎだったらしい。
『では、エーグット様のところへ行きましょう』
ミラレーノが嬉しそうに言う。それを聞いて、ぼくはやっと思い出した。ミラレーノと一緒に行って、紹介するって約束をしたんだった。
『こっちだよ』
曲がり角を次々を曲がっていく。この周りは細くて曲がり角が多いから、間違いやすい。けれど、慣れてしまえば、逆に、人間などから隠れやすくなると、エーグットが言っていた。
『でも、ぼくらがこうやって並んでいるのって、珍しいことだよね』
ふと思いついたことを言ってみる。ミラレーノもうなずいてくれた。
『こうして、ほかのドブネズミに会いことは、珍しいですからね。わたしもこの前まで、イズしか知り合いがいませんでした』
『あ、それ、ぼくも同じ。知り合いはサーだけだった。って、サーってわかる?』
その質問に、ミラレーノはどこか複雑そうな表情でうなずいた。
『先程、イズに聞きました。どうも、あまり良いネズミではないような言いからをしていましたが
……。どんなネズミなのでしょう?』
『ああ……』
確かに、いいネズミとはいえないかもしれない。しょっちゅうほかのネズミを利用するし。
でも、まあ……。
『悪い奴ではないよ。ちょっとずるくて、ネズミを利用するだけ』
あれ? 今の説明だとサーが悪い奴みたいだな……。
『そっか!』
ぼくはやっと気付いた。
『サーって、悪い奴だったんだ』
納得したぼくの横で、
『なんだか、すごいバカがここにいる気がします……』
ミラレーノが呆れた顔で何かをつぶやいていた。
『さあ、行くよ』
エーグットの巣の前。ミラレーノが緊張した――それでいて高揚している顔でうなずく。
『エーグット』
ぼくが前に出て、エーグットの名を呼ぶと、奥でがさごそという音がした。ミラレーノの顔が、さらに緊張したものになる。
『おう、ライム』
そう言って、出てきたエーグットを見て、ミラレーノがとろけそうな表情をしているのが、横のぼくにも分かる。
『今日は、ぼくの知り合いを連れてきたんだ』
ぼくは早速、ミラレーノを紹介することにした。
『名前はミラレーノ。それでね、実は、エーグットのことが――』
そう言いかけたとたん、目の前が暗くなる。
『何を言おうとしてたんですか?』
どうやら、目をふさいでいるのはミラレーノらしい。メスっぽい、良い香りが濃厚――。
『な・に・を、言おうとしていたんですか?』
再び体を締め付けられる。まずい、かなり怒ってる……。
『ゴメン、やっぱりこういうことは本人から……』
――おなかに衝撃が。
『わたしは絶対に、告白なんかしませんから』
ミラレーノが何か言っているが、それどころではない。パンチされたところが、痛い……。
『わたしの名前はミラレーノです』
ミラレーノはぼくから離れて、エーグットに話をしているようだ。
『……大丈夫なのか、ライムは?』
『ええ、バカほどはやく立ち直りますから』
今、さらっとひどいことを言われた気がする。
けれど、実際、痛みは引いてきたので、立ち上がる。そして、二人から離れた場所に腰を下ろした。
『よろしくな』
『よろしくお願いします』
なかなかいい雰囲気だ。ミラレーノも、あんな顔するんだな。
『では、わたしはそろそろ帰ります』
『えっ、帰っちゃうの?』
ぼくはあわてて腰をあげる。ミラレーノのことだから、一晩中いるとかいいそうだと思ったのに。
『わたしは今日、やるべきことがあるのです。ライムは、ここにいて結構です。わたしは見送りなどいりませんから』
ぼくにそういうと、ミラレーノはエーグットのほうを向き、
『今日はお話できてよかったです。ありがとうございました』
と頭を下げ、すたすたと出て行った。
その姿を見送ったエーグットがぽつりと言う。
『ミラレーノって面白い奴だな』
ぼくとしては、エーグットとの対応の差に疑問を覚えるけどね。
もちろんそんなことはおくびにも出さずに、にっこりと笑う。
『そうだね、また来てほしい?』
これが大人の対応だ!
そんなぼくの後ろで、エーグットがかみしめるようにつぶやいた。
『――そうだな、また来てほしいな。かわいかったし』
……やっぱり、悔しいものは悔しかった。
一人、なぜエーグットがモテて、ぼくはモテないのか考えながら歩く。
いつもはかんかん照りの太陽も、今日はなんだか弱いようだ。世間では、これを曇っているというのだろう。
天気のことじゃない。エーグットのことだ。
確かに、エーグットはいい奴だ。強いし、かと思えば案外優しいし。
けれど、それだけであれほどミラレーノに熱愛される理由はあるのだろうか。
ぼくが好きなのはジェリーだ。けれど、ぼくにだって、プライドはある。あそこまで差が歴然としているのはオスとして、嫌だ。
――と、そこまで考えた時、背後に殺気。考える間もなく体が動く。守備はネズミの常識だ。
『お前なあ……っ』
なんと、後ろから飛びかかってきたのはサーだった。
『お前のせいで、オレはこんな目に!』
言いながら、また飛びかかってくる。
『え? 何? サー、説明してよ』
何を言っても聞く耳を持たない。
どうしよう……。
『ライムたちがイクラを取ってきてくれたから、もうお兄ちゃんはいいよ、だとさ。なんでオレがそんなこと言われなきゃならないんだよーっ』
一瞬で理解した。
そして、弁解しても無理だと思ったぼくがとった行動は――。
『仕方ないじゃん』
そう叫んで逃走。逃げ足ならだれにも負けないっ。
『絶対、お前なんかに負けないからな。ライム!』
――ああ、また厄介なことになった……。
<第三話 誕生日会>
1 サーの誕生日会開催!
『こんにちはー』
入口の方から声がする。ぼくはその声で目を覚ました。
『どうぞー』
寝ぼけたまま返事をする。この声は――。
そうだ、ジェリーだ。
ジェリーにイクラを届けてから、ぼくらは結構仲良くなった(もちろん、友達としてだけだけど……)。
だから、こうしてぼくの巣にくるのも珍しいことじゃない。だって、最近は――。
『おはよう、ぼくイズだよ』
『おう。お邪魔するよ』
『おはようございます、ライム』
なぜかぼくの巣がみんなのたまり場になっているんだから。
『あれ? サーは?』
巣の入口に言ったぼくは少し驚いた。必ずと言っていいほどいつもいる、サーの姿がない。
『あ、お兄ちゃんは――』
朝からかわいらしいジェリーが口を開く。
『家に言ったら寝ていたので、そっとしておきました』
寝坊か。
それにしても、ジェリーにのぞかれていたなんてことをサーが知ったら、泣いて喜ぶだろう。
ジェリーと仲良くなったことで、サーとジェリーの関係がよく分かった。サーはやっぱりシスコン。ジェリーは、お兄ちゃん思いの妹と言うところ。ジェリーとしては、サーのことをただのお兄ちゃんだと思っているらしいけれど、周りから見れば少々過保護に見える。
『ライム、上がってもいい?』
イズの声で我に返った。ぼくの前に並んでいる、イズ、ジェリー、エーグットとミラレーノを見る。
うん、今日もジェリーが一番かわいい。
一人チェックをしながら巣の中へとみんなを招き入れる。
『それで、ライム』
イズが切り出した、
『何?』
そう聞くと、イズはわずかに緊張した口調になった。
『明日、サーの誕生日会をしようと思うんだ』
『誕生日会?』
『うん』
イズはうなずくと、説明を始める。
『サーは珍しく、自分の誕生日を知っているらしいんだ。それで、明日が半年の日らしいから、みんなでパーティーとかしたいなって思ったんだけど。あ、もちろん、用意している間は、サーには秘密で』
『サー、生まれて半年か。まあまあ長生きしてるんだな』
ぼくたちに対して、半年とは、長生きのほうだ。特に、この辺の町などは、人間が作ったというネズミ取りというものとか、車とかがあふれかえっていて、危険だ。だから、寿命を全うできるのは、非常に少ない――と、イズに聞いた。実際、ぼくらが何年生きられるかは教えてくれなかったけれど、きっと、一年や二年で死んでしまうのだろう。
ちなみに、ぼくは誕生日を知らない。小さい頃、兄弟とけんかして、自立しても生活に必死で。そんな日付なんか、気にしていられなかった。
『それでですね』
イズに変わり、ミラレーノが話しだす。
『とりあえず、サーがほしい物を皆でそれとなく聞き出します。いいですね?』
ぼくはうなずいた。といっても、サーがほしいものなんて、肉以外ないと思うけどな。
『おーい』
まさにベストのタイミングで、サーの声がした。ミラレーノがうなずく。作戦決行という意味だろう。
サーは、ぼくの返事を待たず、ぼくらのいるところまではいってきた。いつものことだ。
『寝坊した。まったく、今日は良くない日だな。ところで、何を話してたんだ?』
おお、ナイスだ、サー。
ぼくにとっては、今日は良い日だな。
『実は、おれたちが今あったらうれしい物の話をしてたんだ』
すかさずエーグットがそう言ってくれる。ぼくらもうんうんとうなずく。
『サーは、何かほしいですか?』
ちなみに、ミラレーノとサーは、この前対面して、ほどほどに仲良くなったようだ。そんなに悪そうには見えないとミラレーノは言っていたけれど、ぼくは信じない。
『オレ? もちろん肉だろ』
やっぱり肉だ。どんな肉が好きなんだろう?
それを聞いてみると、サーは目を輝かせた。昔食べたステーキの味でも思い出しているのだろう。
『実は、いいステーキ屋があってだな』
……ここまで予想どおりな友達と言うのもなんだか悲しい。
『○○店の焼いてしばらくしたヤツがもう、とろける感じで――』
そう言われても、ぼくにはさっぱり分からない。ここは、エーグットに相手をしてもらおう。
『それでなんだけど……』
のんびりサーとエーグットの会話を聞いていたぼくに、天使の声がかかった。顔をあげると、ジェリーがこちらを見ている。
『な、なに?』
思わず口ごもってしまう。それほどにかわいいのだ。
『ライムのところでパーティーをやりたいの。大丈夫かな?』
『もちろん!』
即答だ。
だって、ジェリーを含むみんなが集まるなんて、嬉しくてたまらない。もしかして、二人きりになれるかもしれないし。
『そっか、ありがとう』
にこりとジェリーが笑う。
ああ、幸せ……。
『おい、ライム』
ぼくの幸せをぶち壊したのは、野太い声のサーだった。
『なんだよ』
ぼくが言うと、サーは眉をしかめて言う。
『おれ、寝不足だから帰るんだよ。また明日な』
確かによく見ると眠そうだ。――昨日肉でも食べていて、寝られなかったのかもしれない。
『昨日、いい肉が入ったからな。はやうちに食べたいと思っていたら、夜更かししてたんだよ』
…………。
無言のぼくに、サーは背を向け、ぼくの巣から出て行った。出て行く前に、眠くて注意力が散漫になっているのか、サツマイモにつまずいて、転びそうになっていた。
――いろんな意味で、残念な友達だ。
『――さて』
サーがいなくなったぼくの巣で、エーグットが口を開く。
『サーには悪いが、いなくなってくれて都合がいい。役割分担をしよう』
みんなが神妙にうなずく。
『まず、イズ』
呼ばれたイズは、なんだいと言うように首をかしげる。
『こうやと協力して、できる限りのものを集めてきてくれ。パーティーだから、みんなの好きなものを集めるといいんじゃないか。ライムは何がほしい?』
ここは素直に言ってしまっていいのだろう。
『サツマイモとかジャガイモとかかな』
なんだか平凡すぎる気がするけど、仕方ない。
『ジェリーは?』
『わたしは魚類がいいです……』
恐縮したように言うジェリー。そんなに緊張することないのに。
『イズは……ねりものか』
エーグットはイズの好物を知っているらしい。
『ミラレーノは?』
ミラレーノは少し顔を赤らめながら、考えている。それを見てジェリーがぱっとぼくのほうを見た。ミラレーノとエーグットを見て、そういう関係なの? と目で訴えてくる。きっとミラレーノの片思いだというのが分かったのだろう。まあ、誰が見てても分かるけどね。
『うーん……』
ぼくらの間で話題にされているとは知らず、ミラレーノは唸っている。
『特にないですね……』
『そうか……』
エーグットも思案顔だ。一人だけ何もないというのもかわいそうだと思っているのが、ありありと伝わってくる。
『ドライフルーツは?』
そう言ったのはイズだった。
『どら……?』
ミラレーノも知らないらしい。イズ以外、みんなキョトンとしている。きっと、ぼくもそんな顔をしているのだろう。
『果物を乾燥させたものなんだ。まあ、とりあえず持ってくるよ』
ミラレーノがこくんとうなずく。
良かった、一件落着。
それを見ていたエーグットもなんとなく微笑ましそうな顔をしている。
『で、おれはサーと同じ肉かな……。あ、こうやは肉嫌いだったっけ?』
『うん。だから、肉はみんなにも取ってきてもらいたいな。あとは、とりあえず何とかするから』
取ってくる……。要するに、忍び込んで盗むってことだ。
問題は、誰が行くかだけど――。
『おれが、責任を持っていこう』
よし、そうきたら――。
『ミラレーノも行ってきなよ』
そうぼくが言うと、ミラレーノはあわてて否定しようとしている。けれど、
『うん、それはいいかもな……』
というエーグットの言葉で、すぐにおとなしくなっていた。
分かりやすくて助かる。
『じゃあ――』
イズが確認を始める。
『ぼくが肉以外をこうやと集めてくる。エーグットとミラレーノは、肉をステーキ屋から取ってくる。あとは――』
ぼくとジェリーに向けられる視線。
もしかして、これって二人きり……?
『ライムとジェリーは、ライムの家の整理を担当してもらおうか』
やった!
思わず叫びだしたくなるのをこらえた。隣を見ると、ジェリーもかすかに顔を赤らめている。
良い。実に良いね。
顔を赤らめている気がするような気がするジェリーが口を開く(文章が長いけど仕方ない。実際ぼくにはよく分からない)。
『ここ、暑いね……。ちょっと外で涼んでくるね』
え?
すたすたとジェリーはぼくの巣から出て行った。
『あ……れ……?』
助けを求めるように、みんなを見ると、みんな、残念だなとでも言いたげな表情だった。
このままではぼくがかわいそうすぎるので、唯一の可能性を口にする。
『恥ずかしくて顔が赤くなったのがばれたと思って出て行った……なんてことは、ないのかな……』
『…………』
沈黙。
みんな、やっぱりお気の毒にって表情をしてる。
『はあ……』
ぼくの幸せは、まだまだ遠そうだ。
2 準備も大切
エーグットとミラレーノ、イズをお口出したころに、ジェリーも戻ってきた。
『今日、太陽がきつくなくて気持ちよかった。あとでライムも行ってみたら?』
にこりと笑って、ジェリーは行った。
――まあ、ジェリーの笑顔が見られたからよしとするか。
ジェリーがぼくのことを好きになってくれるかは分からないけど、ぼくはジェリーが好きなんだ。それでいいのさ!
そう思うと、元気も出てきた(半分は空元気だけど)。
『とりあえず、ぼくの巣を整理しよっか』
ぼくがそう言うと、ジェリーは周りを見て首をかしげた。
『何か整理するものあるの?』
確かに、何も置いてない。
『……じゃあ、土を平らにしようよ。歩きやすい方がいいし』
ここはなんとしてでも時間を稼がなくてはいけない。仕事がなくなったら、ジェリーはどこかへ行ってしまうかもしれない。
と言うことで、ぼくらは土を平らにすることにした。最近はたくさんのネズミがくるせいで、結構土はぐちゃぐちゃになっている。
『まずは、へこんでいるところに、土を詰めていこうか』
『うん』
普段はこうやって仕切ることもないから――大体は、イズがエーグットがやってくれる――なんだかこういうのは新鮮だ。
『ジェリーは、いつ魚とかが好きって思ったの?』
それを聞いて、ジェリーはとてもうれしそうになった。やっぱり、好物の話題は好きなんだろう。
『ずっと昔に、イズがね、急に家に来たの』
ほほえましい気持ちで話を聞いていたぼくの胸に、何かがチクリと刺さる。
『で、これ、食べてみる? ってイクラを差し出してくれたの』
『ふーん』
なんだか不愉快だ。
『最初はそのイクラが何だか分からなくて、心配だったんだけど、イズは信頼できるからと思って食べたらびっくり! すごくおいしかった。だから、イズには感謝しなきゃ』
ジェリーはずっと昔と言った。ということは、ジェリーとイズはその頃から仲良くしていたことになる。
しまった。話題を間違えたな。
『じゃあ、ジェリーは魚介類で何が好き?』
足元の土を埋めながら聞く。いらいらしている気持ちをそこにぶつけていたら、とても硬くなってしまった。
『うーん……』
ぼくの横で、ジェリーが唸っている。悩むあまり手が止まっているけれど、そこは気にしない。可愛いからオッケーだ。
『やっぱり、イクラかな』
ジェリーはそれでも、悩んでいるようだ。
『でもイクラだけでもなくて、マグロも……いや、イカも捨てがたいし』
『そんなに真剣に悩まなくてもいいよ?』
ぼくが言うと、ジェリーははっとしたように、土を埋める作業に戻った。
『別に、そこまで好きってわけじゃないの。考えるのに熱中するあまり、ライムの存在を忘れられてたなんてこともないからねっ』
そうか。ぼくは魚介類以下か……。
『そう言うライムは、何か好きなものは?』
『え?』
聞かれると思っていなかったぼくは、変な声をあげてしまった。
『す、好きな……』
『うん、好きな食べ物』
ジェリーはキラキラした瞳でこちらを見つめている。そんな顔をされても……。
ああ、頭の中が真っ白だ。
『さ、サツマイモとかジャガイモだと思うよ……』
いつも答えていることを言う。これだけで慌ててしまうぼくって、なんだか情けない……。
『ライムは人間の家から盗んでくるの?』
『う、うん』
『ライムはいいね……』
少し沈んだ声を聞いて、ぼくはジェリーを見る。
『わたしはいつも好物を食べるわけにはいかないから』
ああ、そうか。
ぼくが食べるサツマイモなんかとは違って、ジェリーはぼくのことがうらやましいのだろう。
それなら――。
『これから毎日、ぼくがとってこようか?』
『え?』
目を待つくするジェリーに、ぼくはできるだけ頼りがいがある表情を作った。
『実は、ぼくのいつも食べ物を取ってくるところの家が、おすしやを始めたらしいんだ』
これは本当の話だ。だから最近、台所の上のところに、マグロやイカなどたくさんの魚が並んでいる。そして、その横には――。
『おさしみ?』
『そうなんだよ』
そう、その横には、切ったお刺身が置いてあったのだ。
『だから、今度届けに行くよ』
『うん、ありがとう!』
ジェリーは本当にうれしそうだった。
良かったよかった。
ト、そんなこんなで土を平らにする作業は終わった。久しぶりに見る平らな床だ。
『おわったー』
一人、のびをしていると、
『ライム、入るぞー』
エーグットの声がした。
ジェリーがぱっと顔をあげる。その顔が話をする前より緊張がなくなっているのを見て、ぼくはますます嬉しくなった。
エーグットとミラレーノが入ってくる。
『エーグット様、持ちます』
『いや、大丈夫だから』
『でもそれは』
『ほんとにさ。おれは平気だし』
――仲良くなったのはぼくたちだけではないようだ。
『よいしょっと』
エーグットが肉を床に置く。ドスンという地響きがした。ジェリーがその音に飛びあがる。
『す、すごい音だねっ』
取り繕うように口にするジェリー。頬が赤くなっているのも、何とも言えないかわいさだ。
対して、言われたエーグットは胸を張った。
『がんばったんだ。しかし、ミラレーノって物知りだな。いろいろ教えてくれたよ。店に入れたのも、こいつのおかげだ』
ミラレーノは、真っ赤になっていた。
『ありがとう、ございます……』
なんだかぼくだけがカヤの外だ。つまらない思いであたりを見回す。
すると、イズの声がした。なぜかホッとする。
『ライム、手伝ってー』
巣の入口に出ていくと、たくさんの食べ物があった。
『すごい!』
感動してイズに言う。
けれど、イズは困ったように頭をかいた。
『こうやが集めてくれたんだ』
周りを見ても、人影はなかった。
『こうやにはかえってもらったんだ。ジェリーもいるしね』
『あ、そっか』
ジェリーは人間が嫌いだもんね。
『じゃあ、そのこうやに、ありがとうって伝えておいてくれる?』
『うんっ』
イズと一緒に食べモノを運ぶ。途中からエーグットも手伝ってくれて、山ほどあった食料は、あった言う間にぼくの巣の中へとはいって行った。
そのあとは、みんなで整理をした。一人ひとりの量が同じになるよう調節していく。
『ジェリーとは仲良くなったのですか?』
気付くと横にミラレーノがいた。
『あなたのことですから、何も話さず終わったのでは?』
『そんなことないよ。結構話したんだよ。イクラのこととか』
それだけだな……。
けれど、それを聞くとミラレーノは驚いたように、ピクリと眉を動かした。
『意外ですね。まさかそれで告白してしまったとか――』
『ないない。普通に話しただけ』
『安心しました』
失礼な。
『けれど、わたしをエーグット様と同じ組にしてくれたのは、感謝します』
そう言うと、ミラレーノはすたすたと歩いて行ってしまった。
今のってもしかして、ありがとうって意味かな?
『よしっ』
横でイズの声がした。イズを見ると、楽しそうに笑っている。
『準備完了っ。サーを呼ぼう!』
3 試食会
サーのことは、エーグットが呼びに行った。その間に、ぼくとイズは雑談。
『こうや、すごいよね』
ぼくが言うと、イズは嬉しそうな表情になる。
『ネズミと関わってくれる人間は少ないからね。そうだ、こうやの漢字、知ってる?』
『知らない』
とくに知りたいとも思わない。
『功也って書くんだ』
イズが床の土にそう書いてくれるけれど、ぼくにはなじみのない文字だ。
けれど、ひらがなのことと、漢字のことは知っている。昔、またぼくが生まれて間もないころ、教えられた。多分、教えてくれたのはぼくの母だろう。
だからといって、かけるわけでもないんだけど。
『すごい文字だね』
『そうかな?』
母は、ほかにもたくさんのことを教えてくれた。けれど、今覚えていることは少ない。別にそれでもいいとぼくは思っている。だって、本当に必要な時には思いだせるような気がするから」
『漢字ってすごいんだ。たくさんあってね――』
イズの話を聞いていると、ぼくも物知りになれたようで、いつも嬉しくなる。
その時、入口からサーのにおいがしてきた。
『サーがきたみたい』
ぼくが言うと、イズもピタリと話をやめる。
『……なんか、肉臭いね』
隣でイズがつぶやく。どうせまたどこかでステーキでも食べてきたのだろう、サーは。
そして、サーがやってきた。
『おおっ』
サーは歓声をあげて肉にとびつく。
――計画通りだ。
そのタイミングでみんなと目くばせする。
せーのっ。
『お誕生日おめでとう、サー』
サーは一瞬目を見開いた後、笑いだした。
『お前たち、そんなんでこんなにたくさんの食べ物を用意したのか? まあ、ありがとよ』
そう言って、サーはぼくを見た。
何だ?
『これからどうするんだ?』
『これから?』
あ、今からってことね。
『一人ずつ食料がみんな同じになるように分けてあるから、そこに適当に座って。サーのだけは肉が多めだよ』
ぼくの言葉で、みんなが席に着いた。
『じゃあ』
みんなで合わせて――。
『いただきますっ』
全員がそう言って食べ始めた。しばらくはみんな食べることに集中するだろう。ぼくもそうさせてもらう。
ぼくの目の前には、肉の切れ端がある。なんだか妙な香りがする気がするけど、本当においしいのだろうか。
『うまいっ』
そんな疑問に答えるように、エーグットがぼくの隣で肉を食べ、叫んでいた。
恐る恐る口に入れてみる。
サツマイモとは違ったかたさだ。
――噛み切れない。
何とか飲み込んだけれど、肉と言うのは食べにくいようだ。確かに、味はかなりおいしかったけれど。
次はぼくの横に置いてあるものだ。まだ、あたたかい。サツマイモを輪切りにしたようにも見えるけれど、サツマイモはこんなに甘い香りをしないはずだ。
じゃあ、これがドライフルーツ?
『あつっ』
口の中をやけどしそうになった。そんなぼくを見て、サーが笑っている。
むっとしたぼくは、サーにも同じ思いを味わってもらうことにする。
サーのもとへ歩いて行き、ドライフルーツらしきものを指差す。
『これ、食べてみなよ』
するとサーは、ケケケと笑った。
『オレはサツマイモなんか食べないぜ。それよりこっちの肉だ』
――サツマイモ?
『あれ、ドライフルーツじゃないの?』
『は? ドライフルーツはこれだよ』
何かを口に入れられた。口いっぱいに広がる酸味と甘みのバランス。そしてこの歯ごたえが――って。
『これがドライフルーツ?』
『そうだっていってんだろうよ』
じゃあ、さっきやけどしそうになった甘い物は。
『サツマイモ……なの?』
『お前いつも食べてるんだろ?』
サーは呆れた顔をしている。サーにバカにされるのはよっぽどの屈辱だけど、それさえ気にならないくらい、ぼくはびっくりしていた。
『サツマイモって、甘いんだ……』
ぼくのセリフを聞いたサーの笑顔が、かたまった。珍しい表情だ。
『ライム、お前……。もしかしてサツマイモをそのまま食べてたのか?』
なぜか、そんな当たり前のことを聞いてくる。
『ふつう、そのままでしょ。かたいままで、ぼりぼりと』
『ええっ』
一斉に、周りのみんなが叫んだ。どうやらぼくらの会話を聞かれていたらしい。
『ライム……。サツマイモをそのままって本当?』
イズが聞いてくる。なぜかその目が違うといってくれるのを期待しているように見えるのは、ぼくの錯覚だろうか。
『そのままで――たまに、切ってラップに包んであったりするけど、でもそのままだよ。他にどうやるっていうの』
『ええっ』
本日二度目の大合唱。みんな同じ顔だ。信じられないと叫びそうな表情。
『もしかして――』
ぼくは思いついたことを口に出してみる。
『みんなはサツマイモ、そのままで食べないの?』
すると、みんながうなずいた。
『えーっ』
今度はぼくが声をあげる。けれど、さみしいことに叫んでいるのはぼく一人だ。
『と言うか、そのままってまずいでしょ?』
イズが言ってくるけれど、そんなことはない。
『あの食べにくい硬さ、そして味がしないという衝撃的ジ汁、おまけに大きすぎてはを立てるのが大変だという不幸。たくさんの魅力があるよっ』
みんなを見ると、変な表情をしていた。
『……お前、それは魅力と言わないと気付け』
サーがつぶやいて、ぼくを見た。ぼくは考え直してみる。
『……あれ?』
おかしい。サツマイモのそのままはまずいという結論になってしまった。
『え? サツマイモはそのまま食べるのはおいしくないっていう結論になっちゃったんだけど……』
『それでいいんだよ』
エーグットが口をはさむ。
『――あれ、ホントだ』
言われてみると、それがしっくりきた。今までもやもやしていたところがすっきりした感じだ。
みんなは、呆れたようにため息をついていた。ジェリーもぼくを見てつぶやく。
『知らぬが仏って、こういうことなんだね……』
ぼくにはよく分からなかった。
『とりあえず、食べてしまいましょう』
ミラレーノがそう言うと、またみんながそれぞれの場所に着いた。
やっぱり素直に食べるのが一番だ。
今度は一番奥にあるもの――これは、ねりものだな。
においをかいでみる。あの異臭がした。どうもぼくは、このにおいに慣れそうにない。
食べようか迷っていると、
『おいしいから、食べてみなよ』
といつの間にか横にいたイズに言われた。
その雰囲気に押され、小さくかみつく。
『あ……』
正直に言う。
好きじゃない。
だけど、こっちをじっと見つめているイズに、そんなことを言ったらどうなるか――考えなくても分かる。
『あっ、うん!』
ぼくはムリに明るい声を出す。
『とってもおいしいよ。食べてよかった』
するとイズの顔が輝いた。
『じゃあ、今度持ってきてあげる』
げっ。
今思ったことが顔に現れていないことを祈りたい。
『でも、ぼくはサツマイモで沢山だよ……』
『遠慮はしなくていいよ?』
遠慮じゃない。遠慮じゃないのにっ。
『ほら、食べ過ぎると太るしね……』
『ライムはもっと食べないと』
あっさり切り捨てられた。けれどあきらめたら、また食べるはめになる。
『実はぼく、少食なんだっ』
『だからもっと食べれるようにならないと』
どうしてこんなに即答なんだ……!
『食欲も増すんだよ、ライム。練り物はおいしいしね』
もう真っ白な灰になった気分のぼくは、イズの向こうにミラレーノの姿をたら得た。
(ミラレーノ、振り向けっ)
眼力を込めてミラレーノを見つめる。
『ちくわ、かまぼこ、どっちがいい?』
イズはまだ一人で話している。
その時、ミラレーノが振り返った。
ナイスだ、ミラレーノ!
(イズをそっちにやってっ。ぼくがもうダメそうなんだ)
『いや、ちくわ以外にもあるか。うーんと……』
まだ話しているイズは、ある意味すごいと思う。
(なんですか? 意味が分からないのですが、またあなたが何かをしたのでしょう)
ミラレーノの冷たい目。
(ぼくが悪いわけじゃないんだ。とにかく、お願いしますっ。イズをそっちにやってください)
ミラレーノは眉をひそめながらも実行してくれた。
『イズ、ちょっと質問があるのですが』
ミラレーノに感謝だ。あとでエーグットと二人きりの時間を作ってあげよう。
やっと解放されたぼくは、また新たなものに手をつけることにした。
今度はあれだ。おさしみ。いつか食べたけれど、ジューシーでおいしい。
『おいしいなあ……』
ひとり呟く。こういう時間はとっても幸せだ。
――でも、どうしてぼくの友達は変なネズミばっかりいるんだろう。
そんな疑問は、無視することにした。
4 ジェリーの好きなのは――
『散歩してこようよ』
みんなが食べ終わったとき、ぼくは言った。
どうしてかというともちろん、エーグットとミラレーノの二人の時間を作るため。そして、ぼくとジェリーも二人きりになりたいという本音があるからだ。残るのはイズとサーになるけれど、そこはいいだろう。
『普通に、希望を聞いてわかれたらつまらないから、ここはくじで決めないか?』
けれど、サーが変なことを言い出す。
そんなことをしたら、二人きりの状況が作れなくなるかもしれないじゃないか。
『くじなら、あみだっていうのがあるよ』
イズの言葉で、ことがあっという間に進んでいく。
『好きなところを選んで――』
みんなが選んでしまう。仕方ない。ぼくは一番恥の線にした。ジェリーと一緒になれるようにという思いを込めて。
『じゃあ、やるよー』
イズが線をたどっていく。
ドキドキする瞬間だ。
『えっと、エーグットと――』
心なしか、ミラレーノの顔が赤くなっている。
『サー……』
イズが言いかけた瞬間、ぼくはサイドステップでイズのもとに。
『……サーじゃなくて、ミラレーノだよね?』
低くつぶやく。イズは心底おびえたらしく、すぐにミラレーノと言いなおしてくれた。
よし、これでいい。
『続いて、ライムと、サー……』
今度はサーがイズの首を絞めていた。かわいそうに。
イズは蒼白な顔で、こくこくとうなずいた。
『ライムとジェリー』
『違ーうっ』
サーが叫ぶ。みんなはそれで、異常に気付いたらしい。
『何が違うんだ? さっきのおれのペア決めの時もライムがイズに何か言ってたし。アミだって、そういうものなのか?』
エーグットに言われたサーは、渋々と引き下がる。確かに不正だからね……。
『うん、じゃあ……』
イズはぼくのペアを誰にするか迷っているようだ。サーにしたらあとでどうなるか、分かっているのだろうか.
ぼくとサーが、イズをじっと見つめていると、イズはやけくそで叫んだ。
『ライムはジェリーとペアっ。ぼくとサーがペアで決定!』
『なんでオレが男同士で組まなきゃならんのだ!』
サーが叫んでいたが、無視。
『ジェリー、一緒だね』
『うん……』
ジェリーはどうも後ろめたい気持ちがあるようだ。それを感じるのは、ぼくとサーでいいのに。
もちろん、ぼくらはそんなことみじんも感じていない。
『わたし、本当は誰とだったの?』
そんなのどうでもいいんだよと言おうとしたら、ミラレーノがジェリーのそばに来た。
『そんなのどうでもいいんですよ。幸せになれれば、ね』
何とミラレーノは慈愛に満ちた表情をしていた。大丈夫だろうか。
けれど、ぼくが声をかける暇もなく、ミラレーノとエーグットは連れ立って行ってしまった。
『じゃ、ぼくらも行く?』
そう言うと、ジェリーはついてきてくれた。納得はしていないようだけど、ついてきてくれるなら別にいい。そう思っておこう。
後ろでイズとサーも話している。
『ねえ、サー。ぼくが女の子役やるから』
『は?』
『そしたらサーもさみしくないでしょ?』
『はぁ? いや、オレは――』
『いいのいいの』
『よくない――』
『さあ、行きましょうダーリン』
『誰がダーリンだっ』
……お気の毒に。
『巻き込まれないように、早く行こうか』
ぼくの言葉に、今度はジェリーは大きくうなずいた。
『ライムはスポーツドリンクって飲んだことある?』
『すぽーつどりんく?』
聞き覚えのない言葉に、首をかしげる。
『イズに紹介してもらったんだけどね』
ジェリーは微妙な表情をしている。おいしくなかったのだろうか。
『何か甘くて、でも酸っぱくて、おいしくなかったの……』
やっぱりイズの味覚は、ほかのネズミとは違うようだ。
ふと、思いついたことを聞いてみる。
『イズのことをどれくらい知ってるの?』
話を聞く限り、いろいろなものを紹介してもらっているようだけれどぼくらみんなでいるときに、特に仲良くしている様子はない。
『イズと?』
ジェリーは、目をぱちくりさせた。
『イズとは昔からの友達なんだけど、でも、そんなに話すわけじゃないよ。球に、物をもらうくらいかな』
何だ、そんなに親密じゃなかったのか。
なんだか安心した。この前のイクラのことで二人の関係が気になっていたから、真実が分かって良かった。
『あっ。もしかして私とイズが特別な関係とか思ってたの?』
大正解だ。
『そんなわけないよ。わたし、好きなネズミいないもん』
そっか、いないのか……。
さみしい風が胸を吹き抜ける。
『あ、でもね……』
ジェリーは照れ臭そうに、頭をかいた。
まさか――。
『気になっているのは、いるの』
まさかまさか――。
『聞きたい?』
上目遣いに見上げてくるジェリーを三満返せなくて、ぼくは俯いた。
『聞きたくないの?』
ジェリーは少し拗ねたような口調になる。ぼくはあわててうなずいた。
『実はね――』
息を小さく吸うジェリー。
ぼくの心臓は破裂しそうだ。――……。
『隣の家に住んでる犬が大好きなのっ』
――まさか、そう来るとはっ。
と言うか、大好きという時点で気になっているに収まっていないと思う。
『その犬はね、大きくて、でも、わたしに優しくしてくれるの』
本来、ネズミと犬派的なはずなんだけど、球にこういうことが起きる。要するに、その犬は、ジェリーのことが好きなのだ。
『それ、本当?』
『もちろん』
大きくうなずかれてしまった。
『好きなネズミとかは――』
『いないよ。さっきも言ったのに。ライムったら』
ジェリーは楽しそうに笑っている。でも、ぼくは楽しくない。
救いを求めるように周囲を見回す。
何と、道路の向こう側に、サーとイズがいた。
『ジェリー』
ジェリーにそのことを言うと、一瞬目を見開いた後、そこへ行こうといってきた。その目はキラキラと輝いていて、無邪気そのものだ。
いきなり声をかけるのはやめようということを話し合ったぼくらは、こそこそとサーたちに近づいていく。
『――ここの鼻は綺麗ね。あなた』
あれ、まさか――。
『だからイズとオレでなんでこんなことしなきゃいけないんだよっ』
まだあれは続いていたのか……。
この調子だと、最後までこんな感じだろう。サー、お気の毒に。
ぼくはそろそろと後退する。巻き込まれるのはごめんだ。ジェリーも同じことをしているのを見ると、同じことを考えているのだろう。
元の道に戻ったぼくらは、ほっと息を吐いた。
『大変だね、あの二人』
ぼくが言うと、ジェリーはうなずいた。その顔には、かわいそうにという表情が浮かんでいる。
『じゃあ、そろそろ帰る?』
ジェリーが口を開く。
少し残念だけれど、ぼくはうんと言って歩き出した。もしかしてミラレーノ達もぼくの巣に帰っているかもしれないし。
そんなことをぼんやりと考えていたぼくは、気付かなかった。
前から、人間が来ていたことを。
はっとして物陰に隠れた時には、人間たちいに見られていた。
危険を感じたぼくの体は、意志とは関係なく動く。
コンクリートの好きなから、どこかへと潜り込む。そして全力で走る。走る。走る――。
やっと体が自由になったことには、ぼくは自分の巣にいた。
でも――。
『あれ?』
何か違和感がある。
それが何か悟った時、ぼくは体中の血の気が引いて行くのを感じた。
――ジェリーが、いない。
5 捜索
立ちすくんでいるぼくの巣の近くに、すぐに誰かが来た。
『楽しかったな』
『ええ、本当に』
ミラレーノとエーグットのようだ。けれど、それを気にする余裕はぼくにはない。
ジェリーが、いなくなってしまった。
と言うより、ぼくが置き去りにしてしまった……。
ジェリーは、人間が嫌いなのに。話を聞くだけでも嫌がっていたのに、現実で会って、もしかして捕まえられてしまったら――。
考えはどんどん暗くなる。
その時、巣の入口からエーグットたちが顔を出した。
『あれ、ライム?』
エーグットの声にも反応できない。
『ライム、ジェリーはどうしたのですか?』
ジェリー。そうだ、ジェリーだ。
『人間が……』
つぶやく。エーグットが、すぐに反応した。
『人間がどうしたんだ?』
『人間に会った……』
ぼくの言葉に、ミラレーノも顔色を変えた。
『それで、どうしたのですか? まさか、ジェリーは捕まえられたのですか?』
ぼくはミラレーノの顔を見る。必死な表情だ。何とかしなければと思うのに、感情がそれについていかない。
『分からないんだ……』
言った瞬間、ミラレーノがつかみかかってきた。抵抗する気力もなく、ぼくはミラレーノを見つめる。
『分からないってどういうことですか? まさか逃げてきたなんて言うつもりではないですよね。ジェリーはどこにいるんですか』
ミラレーノの目に、涙がたまっている。それを見ても、何の感情も浮かんでこなかった。ただ、聞かれたことにのろのろと答える。
『気付いたら、体が動いていて、逃げていたんだ。また気付いたら、ここにいた……』
『探しましょう!』
ミラレーノがそういったとき、サーたちがかえってきた。エーグットが事情を説明している。
『なんだと?』
それを聞いたサーが大声をあげ、ぼくのほうに向かってきた。
『ふざけんなっ』
なぐられた。
でも、何も言えない。悪いのはぼくだから。
『サー、それくらいにしときなよ』
慌てたイズが仲裁に入る。別にそんなことしなくてもいいのに。
『とりあえず、ジェリーを探そう。日が傾いてきたらここへ集合っ』
イズがそう発言したことで、みんながぼくの巣を出て行った。
ぼくも立ち上がる。
ぼくにできることはこれだけだ。
『ジェリーっ」
叫んでみても、返事は返ってこない。
人間に会ったところに行くのは、勇気が必要だった。けれど、ジェリーが今どうなっているかを考えると、いてもたってもいられなくなる。
そこまでの道を、ゆっくりと歩いていく。慎重ににおいを嗅ぎながら、耳もしっかりと立ててかすかな音にも反応できるようにする。
『ジェリーっ』
あちこちから、そんな声はする。みんな、必死で探してくれている。
そんな仲間に、感謝の気持ちがわいた。
『よしっ』
気合を入れる。
もう、暗い気持ちは残っていなかった。
けれど――。
ジェリーは、見つからなかった。
日が傾いてきたからぼくの巣へと帰らなくてはならない。一人だけみんなとの約束を破って探していたら、ぼくまで探されてしまう。
巣に帰る途中、エーグットに会った。ぼくがきく前に、エーグットは首を振る。
はあ……。
本当にまずいことになってしまった。今になっていないなら、連れ去られてしまった可能性が高い。
巣が見えてきた。イズたちはもういるのだろうか。
巣の入り口の段差に足をかける。
『ライム!』
突然何かが首に飛びかかってきた。そのせいでぼくは視界が完全に遮断される。
けれど、このいっぱいに広がる香りは――。
『――ジェリー?』
間違いない。
ジェリーだ。
その時、やっと視界を遮っていたものが離れた。
『ライム……!』
ジェリーはいつもと変わっていなかった。ただ、目だけが涙で光っていた。
『ごめん』
ぼくは頭を下げる。それしかできなかった。
『ライムのせいじゃないよっ』
珍し靴用口調のジェリーに、驚いて顔をあげると、ジェリーは皿に行った。
『わたしが最初に逃げちゃったの。ライムに知らせもしないで。だから、ライムは悪くないのっ』
ジェリーがぽろぽろと涙をこぼす。
見ているぼくは何もできなくて、それを呆然と見ていた。あとから来たイズとサーも一緒だった。
『ごめん』
ぼくはやっぱりそれしか言えなかった。それ以上何もできなかった。
状況が変わったのは、ミラレーノが来たからだ。
『ジェリーっ』
ミラレーノはジェリーを見つけるなりそう叫び、ぼくらを突き飛ばしてジェリーのところへと言った。
『無事だったんですね……』
安心したように息を吐き、泣いているジェリーを優しく抱くと、ぼくらをにらんだ。
さっさと出て行けということだろう。
ぼくらは巣を出て男同士で丸くなった。
『いやぁ……』
口を開いたのはサーだった。
『なにはともあれ、見つかって良かったな』
その言葉に、全員が強くうなずく。
『でも、ミラレーノ、怖かったよね』
イズの言葉には、エーグット以外がみんながくがくとうなずく。あれはこわかった……。
ただ、エーグットは分かっていないようで、
『ミラレーノがどうかしたのか?』
『…………』
さすがミラレーノ。こんな緊急事態でも、エーグットがよそ見をしている間に、ぼくらだけを睨むなんて。
分かっていないエーグットに、それは幸せなんだよと言いたかった。
もちろん、ミラレーノがもっと怖くなるから言わないけどね。
6 では
『じゃあ、あらためて――』
ジェリーも泣きやんで、一件落着した。ぼくらは後でミラレーノからお説教を食らうんだけど――エーグットは別――それはここで騒ぎ倒してからだ。
『サー、お誕生日、おめでとう!』
みんなで声を合わせて言う。そしてイズが、肉を持ってきた。
本当は、散歩の後に、このビッグプレゼント――何と言ってもその肉は高級カルビとか言うものらしい――をあげて、また騒いで終わるという計画だったから、やっと今、ここに追いついたという感じだ。
サーは肉を見て、だらしなくよだれを垂らしている。いつもなら注意するところだが、今日はいいだろう。
それに、ぼくも大切なことが分かった。
――もっと強くなって、ジェリーを守れるようにならないと。
と言うことで、今度はぼくを強くするというお話になりそうだ。
でも――。
『ライム、これ食べよう!』
そう言って、ジェリーがドライフルーツを差し出している。
『うん、食べる』
――今日ぐらいは、遊んでも罰は当たらないだろう。
<第四話 ピクニック>
1 Let,s go!
ピクニックだ!
ピクニックと聞いて、心が躍らないものはいないだろう。
そう、ピクニックだ!
だって、サーの誕生位階の後、ジェリーがそう提案したのだから。
『ピクニックにみんなで行かない?』
と。
ジェリーいわく、
『こうやって、みんなで食べ物を取りながら、この近くを回っていくのって楽しそうじゃない?』
ジェリーが楽しいと言ったら、どんなことでも楽しくなる。他のみんなはどうかなと思って見回すと――。
『肉っ。肉だあっ』
『またほかのネズミと戦えるかもしれないな』
『エーグット様とまた外出できるのですね』
『ねりもの、食べられるのかな』
うん、みんな賛成のようだ(理由が不純なことには突っ込まないという優しいぼく)。
――というわけで。
今回は、みんなでピクニックに行くことになった。
前回、ぼくが強くなるためとか言ってたけど、それより今回のほうがずっと重要だ。そのくらいかと言うと、エベレストの頂上と、地上の酸素の量くらいだ。
だって、ジェリーとあんなことやこんなことができるかもしれないからだ。
それより気にかかるのは、後ろの会話。淋しくなってきたから、ぼくも加わることにする。
『オレは肉から回りたいんだよ』
『ねりものだよっ』
『いや、サツマイモがいいんだけど……』
『おさしみ!』
『エーグット様……!』
……何やらいけない乱後が混ざっていたが、それは気にしないことにしよう。
けれど、みんながこうして意見を言っているのに、エーグットだけが無言だ。
『エーグットは何か食べたいものはないの?』
エーグットは、ぼくの問いに首をひねった。
『前にも言ったように、おれは特に好物と言うものがないからな。肉は好きだが、それほどと言うわけではない』
そっか。
きっとエーグットのことだから、みんなに悪いなどと思っている部分もあるだろう。ここはみんなで――。
『肉って言ってんだろ!』
『痛っ。サー、キックはないよ。ぼくだって往復ビンタだったんだから』
『ミラレーノ、おさしみなのっ』
『これは女の戦いですっ。エーグット様は譲りません!』
なんだか乱闘が始まっている。
『みんな』
声をかけたけれど、みんな反応してくれない。
すると、エーグットが任せておけとでもいうようにうなずいた。
『お前ら!』
その一括で、その場が静まり返る。
さすが、エーグット。
そのエーグットは、ぎらつく瞳でまっすぐ前を見つめ――くるりと振り返った。
『で、何を話せばいいんだ?』
ありゃ。
そういえば、何も言っていなかった。
『えっとね……』
そういったぼくに、エーグット以外の鋭い視線が刺さる。さっき絵0ぐっとに睨まれたせいか、みんな瞳がぎらぎらとあやしく光っている気がする。
『……一人ずつ、またあみだで順番を決めればいいんじゃないかな……』
『…………』
まずい。冷や汗が出てきた。
『そうだな』
そう言ってくれた救世主は、エーグットだった。その言葉でぼくは、さっきから解放された。
エーグットがテキパキと床に線を引いていく。それを見ているミラレーノが両手を堅田の前で合わせて、乙女のような姿をしていた。
――なるほど。こういうことでモテるようになるんだな。
大切なことを学んだぼくは、早速実践に移すことにした。
『エーグット、手伝う――』
『ああ、もうおわったよ。ありがとな、ライム』
…………。
いや、諦めないぞ。まだ次はある。
『じゃあ、ぼくが結果の線を――』
『線引きがわたしがやります』
くそぉーっ。
見立てーのは少々顔を赤らめてエーグットとぼ奥のほうに近づいてきた。
そして、ぼくの横を通り過ぎる時に一言。
『エーグット様は誰にも譲りません』
あ、エーグットの引いた線だからか。
『分かりましたか?』
去り際にまた、低い声でミラレーノがつぶやく。
ぼくはそれに対してがくがくとうなずくしかなかった。
『エーグット様。あとはわたしがやります。どうぞ、お席へ』
『オレはライムがなぜあんなに青くなっているかを知りたいのだが……』
『きっと寒いのでしょう』
今、夏だぞ。
しかし、ぼくのセリフはミラレーノによってかき消される。
『一番に回るところは肉ですね』
…………。
技とぼくが発言しないようにしているに違いない。
ぼくがミラレーノをじとっと睨んでいると、不意にジェリーがポンと手をたたいた。
『そっか』
納得したようにうなずき、
『ライムはジェリーが好きなんだね』
とつぶやく。
――って。
『違―うっ』
『そんなわけありません』
ぼくとミラレーノが同時否定。
けれど、それを見てミラレーノは薬と笑っただけだった。
『恥ずかしがっちゃいけないんだよ、そういうことは』
それから違うと何回も言ったけれど、誤解は解ける様子がなかった。
……どうすればいいのだろう。
2 誰?
みんなで肉を取りに行く。
当然、それが決まるまで多大な時間がかかった。
『ねりものだって!』
『おーさーしーみっ』
『いや、ここはサツマイモで』
『やはりエーグット様がよろしいのではないかと』
それぞれが主張を譲らず、張り詰めた空気が流れる。
そこへ――。
『ここはとりあえず、サーに譲ってあげようじゃないか』
などと言うエーグットの努力の数々で、やっと方向性が決まった。なんかいつものシチュエーションだが、一番苦労しているのはエーグット泣きがする。口論していたぼくが言うのもなんだが。
『にくっ。肉! ニックにく肉ーっ』
前を歩くサーは当然上機嫌で、スキップをするように先頭を歩いている。
それにたいしてぼくらは。
『次はおさしみね』
『ねりものだよ』
『いえ、エーグット様でしょう』
相変わらず、醜い争いをしていた。
ちなみにぼくは、体力切れとエーグットに対する申し訳ない気持ちで出場を辞退をしている。
『好物だけでこんなに争うが起こるとはな……』
そのエーグットは、もちろん疲れ気味だ。あれだけの争いを平和に解決す絵うだけ、裸子かに膨大のエネルギーが必要だろう。
『ごくろうさま』
ぼくが言うと、エーグットは笑ってくれた。こういうところがエーグットの良いところだったから、ミラレーノも好きになったのかもしれない。
『エーグットはミラレーノのことどう思ってるの?』
『ミラレーノ?』
まずい、ピンポイント過ぎた。
『いや、みんなは怖いなと思ったりするけど、エーグットはどうかな……って』
――あとで、ミラレーノにしばかれるだろう、こんなことを言ってしまったら。
『ミラレーノ……ね』
エーグットは首をひねった。下手に言及しないところがエーグットらしいと思う。つくづくいいネズミだ。
『良い友達、かな』
まあそうだろう。ここで好きだと言われても困るだけだし。
『でも、みんなと違ってミラレーノが怖くはないな』
『まあ、エーグットはね……』
『それだよ!』
急にエーグットが叫ぶ。幸いにも、前を歩いているサーと醜い争いを繰り広げているネズミたち――消して外見が見にくいわけではないことを赤字で示しておくところだ――は気付いていないらしい。
『最近なんでオレは仲間はずれっぽくされるんだよ』
『仲間はずれっていうか……』
むしろそれは幸せなことだと思うけど。
『だからさ……』
こういうとき、エーグットはごまかせない。答えを聞くまで鋭い眼光で見つめてくる。
『肉っ。ニクっ。肉屋に着いた!』
歌っていたサーがピタッと止まった。
『あ、肉屋だよ』
ぼくが早口でそういうと、エーグットは注意をそらしてくれた。やっぱり肉は好きらしい。
『じゃあ、肉を取ってくるけどさ』
サーが振り向いた。
『全員で行くわけにはいかないだろ? どうするんだ?』
確かに、この人数で言ったら確実に見つかるだろう。かといって、サーだけで言っては持ち帰れる肉が少なくなってしまう。
『じゃあ、おれも行く』
エーグットが名乗りを上げる。それを見たミラレーノが即座に手をあげた。
『わたしも行きます』
これで、イズが言ってくれれば――。
『じゃあ、ぼくも行こうかな』
ジェリーと二人きりだ!
『待て』
早速出発しようとしていたところに、サーがストップをかける。
『ジェリーも一緒に来ないか? 楽しいぞ』
こんなところでシスコンを発揮している場合じゃない!
『いや、それだとまずいよ』
すると、イズが口を出した。
『人数が多くなりすぎてもいけないから、四人と二人でちょうどいいと思う』
ナイスだ、イズ!
イズのほうを見ると、イズはアイコンタクトで何かを言ってきた。
(その代わり、次行く所は、ねりものにしてくれる?)
ジェリーと一緒になれるなら、そのくらい朝飯前だ。
『じゃ、行ってらっしゃい』
ぼくが言うと、みんなはぞろぞろと――サーだけは仏頂面だったけれど――お店へはいって行った。
さて――。
『また二人だね』
声をかけると、ジェリーはちらりとこちらを見て首をかしげた。
『いつもだね。なんでだろう?』
それはぼくがそう計画しているからさ――などとはもちろん口には出さず、にこりと笑う。
『不思議だね』
『あっ』
ジェリーが小さくつぶやいた。
どうしたの、と聞く暇もなかった。
だって、ぼくは急に投げ飛ばされたのだから。
『なにするんだよっ』
叫んだ先には大きなドブネズミ。
『ああ?』
『えっとですね……』
いつかもこういうシチュエーションがあったな……。あのときは、そう――。
『あなたはカマボコは好きですか?』
みたいなことを聞いたんだよな。
『ライム、何言ってるの?』
ジェリーの声で現実に引き戻される。
そして目の前に、怒りに全身をつつんだドブネズミがいた。
『カマボコっていったな? おれがそう呼ばれているのを嫌がっていることを知っての挑戦か? ああ?』
……まずい。
また地雷のスイッチを踏んでしまったようだ。
しかし、こういう時こそ、男らしくすべきだ。
『ジェリー。キミは先に逃げて――』
『おりゃー』
襲いかかってくる巨大なこぶし。
『――ゴメン。一緒に逃げよう』
ジェリーの手を引き細い道へ入る。これであの大きなドブネズミには入れないはずだ。
『……ふう。助かった』
ジェリーのほうを見る。怖がっているかと思ったら、案外冷静だった。
『ライム。あそこは後ろに下がってから、フェイントをかけてみるとよかったのに。そのあとに右からキックをしたら倒せる相手だったと思うよ』
耳を疑った。
『ジェリー……。強いの?』
『ん? どのくらいかは分からないけど、あのドブネズミは倒せるかな……』
『本当?』
その細い体のどこからそんなエネルギーが出るというのだろう。
『本当だよ。ためしてみる?』
ジェリーの目が戦いモードに。
『いやいやいや』
ぼくは必死で否定の意を表す。殺されかねない。
『大丈夫、殺しはしないから』
まだ何も言っていないのにっ。
しかし、殺しはしなくても怪我はするってこと?
――おそろしい。
『おーい』
遠くからサーの声がした、肉を取ってきたのだろう。けれど、そこにはあのドブネズミが――。
『おりゃっ』
続いて聞こえてきたのはドスンという音。
もしかして……。
『エーグットが倒したのかな?』
というジェリーのセリフ。
影からそっと覗いてみると、サーたちが立っている横で、そのドブネズミはのびていた。
3 タロウっていうんです
『いやあ、びっくりしたな』
肉を加えたサーが言う。サーがこういう風に、素直にしているのは珍しいことだ。
『でも、もう倒したから』
エーグットのクールな言葉に、ミラレーノがまた感動していた。
イズは特に感想もないようで、黙ってみんなのことを見ている。イズにとってはよくあることなのかもしれない。イズの住んでいる地区は、ドブネズミが多いらしいから――と言っても、ぼくは一回もあった頃がないけれど。
『それで、こいつは何者なんだ?』
サーが伸びたネズミを見下ろす。
起きる気配はない。
『ぼくの巣の近くにいた気がする』
今まで沈黙を守っていたイズが、急に発言した。皆の視線が集まる。
『確か、この前彼女と別れたとか何とか。だいぶショックだったみたいだよ』
ああ……。かわいそうに。
その時、そのネズミがうめいた。
『きゃっ』
らしくもない悲鳴をあげて、ミラレーノが飛び退く。もちろんその先にはエーグットがいる。
……最近、ミラレーノがどんどん積極的になってるな。
ネズミが目をあける。
『お前ら……』
威嚇しようと思っているのだろうが、低くかすれた声しか出ない。
『なんだよ……。みんなで囲みやがって……』
このネズミに同情したくなってきた。
『名前は?』
驚いたことに、そう聞いたのはジェリーだった。
その優しい声に、ネズミの表情も和らぐ。
『タロウっていうんだ』
変な名前だ。
そう思ったぼくとは違って、ジェリーは優しげな微笑を浮かべている。
『そっか。じゃあ、タロウ――』
やっぱとジェリーは優しい。慰めてあげるんだろう。
『お仕置きね』
『げばっ』
目にもとまらぬパンチが命中。
哀れなタロウは、ゆっくりと倒れて行った。
本当に強いんだな、ジェリー……。
『仲間を傷つけようとした、バツです』
女の子に守られるぼくって……?
かわいそうなぼく。そしてタロウ……。
そっと手を合わせておく。イクラぼくたちに襲いかかってきたとは言っても、仕返しがエーグットとジェリーのパンチでは、刑が重すぎる……。
だが、ほかのみんなは、そんなことを気にも留めず、わいわいと話していた。
『次はねりものだーっ』
『おさしみだよ!』
『エーグット様だと先程から言っています』
そうだった。イズにお礼をしないと。
『ぼくもねりものがいいな』
割り込んでそういう。すると、ミラレーノと減りーからの反発が来た。
『おさしみがいいって言ってるのに……』
『あなたは首を突っ込まないでください』
ジェリーはともかく、ミラレーノは冷たすぎないか?
諦めたぼくは、エーグットのところへ行くことにした。
サーとエーグットは、楽しそうに肉を食べていた。
『エーグット』
『なんだ』
振り返ったエーグットの口から、肉汁が垂れる。
『……なんでもないや』
――こわい。
ネズミを食べているような雰囲気に関いるのはぼくだけだろうか。
となると、残りは、あそこしかない。
タロウの横に行く。かわいそうに、顔が絶望している。
…………。
むなしいという表現がこれほど会う状況も珍しいだろう。
周りを見回す。
相変わらず口論をしている三匹。もしエスカレートして殴り合いになったら、止めに行くことにしよう。それまでは、ぼくは邪険にされるだけだ。――いや、そのあともかもしれないけど。
サーとエーグット。まだ肉はある。二匹で楽しい会話でもしているのだろう。――エーグットの口から、一筋の血が流れていたのは、見なかったことにしよう。
そして、タロウがいつ。力尽きるまで頑張った太郎に、症状をあげたい。――別に死んではいないけど。
あれ?
もしかして、ぼくの居場所はどこにもない? この人気者のぼくに?
ああ……。
見栄を張っても状況は変わらなかった。
そうなったら、行動するのみだ。
ぼくは、決死の覚悟でジェリーたちのほうへ向かって行く。
『ねーりーもーのっ』
『だからどうしてもねりもの何ですか? その理由を五文字以上三十字以内で述べてください。『
『何字だか知らないけど、とにかくおいしいから。それだけ!』
……なんか高度になってるけど。
黙っていたジェリーも発言する。
『それなら、わたしのコクがあって、水分補給にもなるお刺身がお勧めだよ』
『わたしのかっこよくて素晴らしいエーグット様が一番ですとさっきから言っています』
正当な理由になってない気がするのはぼくだけなのだろうか。
って、そうだ。参加しようと思ってきたんだ。
『ねえ、ぼくもねりものがいいと――』
『出ていってくださいっ』
なぜこんなに反応がはやいっ?
――あきらめてはいけない。
ぼくはイズに声をかける。
『イズ、守りに来たよ』
ぱっとイズが振り向く。その顔に、笑みが浮かんだ。
『ありがとう!』
あっさりと会話に入れてくれる。ぼくの今までの苦労は何だったのかと思いたくもなる。
まあ、ともかくイズは優しいということが分かっただけでも満足だ。
『ぼくも、ねりものがいいと思うんだ』
今度はミラレーノも文句を言わなかった。
そのかわり、
『どうしてそう思うのですか?』
ト返してきた。
ぼくは必死に考えを絞り出す。
『ねりものは、柔らかくて、おいしいし。それに、噛めば噛むほど味あするのは、これしかないよ
っ』
うーん、あまり説得力がなかったか……。
しかし、その言葉にジェリーとミラレーノの顔が曇った。
『噛めば噛むほど……』
『そういう考えからもあるのですね……』
まさか、説得されちゃった?
『いいでしょう』
信じられないことに、ミラレーノがうなずいた。
『この勝負、ねりものの勝利です』
その横で、少々悔しそうに、ジェリーもうなずいていた。
――って本当に?
イズを見ると、今にもぼくに飛びつきそうな顔をしていた。
ぼくはさりげなくよける。
じゃあ――。
『おい、次はきまったか?』
いつの間にか、サーとエーグットが近くに来ていた。二人ともたらふく食べて、満足の様子だ。
『ねりものだよっ』
イズがとびあがらんばかりに言う。
ミラレーノとジェリーも、決まったことに興味はないのか、何も言わなかった。
『やっと平和に解決したんだな』
半分呆れ口調で、エーグットがぼくを見る。そして小声で、がんばったなと言ってくれた。
『じゃあ、行こうっ』
イズがぴょんぴょんと跳ねるようにして歩きだす。他のみんなも苦笑してついていく。津波に、タロウは寝かせたままだ。そのうち起きるだろう。
隣に気配を感じて振り向くと、ミラレーノがいた。
『あなたは、告白しないのですか?』
『へっ?』
ミラレーノは、真面目な顔をしていた。
『わたしは、しようかと思ってます』
突然の展開に、頭が回らない。
『本当?』
『ええ。あなたは?』
ぼくは……。
『今で十分だし』
『そのうち、これでは足りないと思う日が来ますよ』
…………。
確かに、そうだろう。
現状に満足できない日が来ることくらい、分かっている。
でも――。
『まだ、いいよ』
ミラレーノが、ちらりとぼくを見た。
『今のうちだと思いますよ』
『どうして?』
ぼくには、ミラレーノが言っている意味が分からない。
ミラレーノはそれを聞くと、小さく息を吐いた。
『早めに告白して、早く満足したいやないですか。友達の前に、恋人になりたいと思わないんですか?』
恋人――。
思ってもいない言葉だ。確かに、そうなりたいとは思っても、そうなれるとは思っていない。
けれど、そんな風に言われたら。
『そりゃ、なりたいよ……』
認めるしかないじゃないか。
『告白しましょう』
一拍おいて、ミラレーノが、うなずいた。
4 告白?
ミラレーノがおかしい。
歩きながら、感じることはそれだった。
告白するということ自体は、あり得るかもしれない。
けれど、それを人に押しつけてまでやるような性格では、決してない。
きっと、誰かに何かを言われたのだろう。
ミラレーノに再び近づく。ミラレーノがすぐに振り返った。
『なんですか?』
いつも通りのきつい視線だ。その目に、ぼくは聞く。
『何か言われた? イズあたりに』
ミラレーノの目の奥がわずかに揺らいだ。
――図星だったようだ。
『なんて言われたの?』
『いえ、あの……』
口ごもっている時点で、ミラレーノは普通ではない。
『思いは、伝えなきゃ伝わらないよ……って言われました……』
確かにそうかもしれない。
『好きで、会いたいなって思ってること、相手に知ってほしくないの? なんて言われたら、どうしようもないじゃないですか……』
ミラレーノは、涙目になっていた。
イズらしい言葉だ。
考えるだけなら、行動してみなよ。
よくぼくも言われてる。
でも。
『じゃあ、ぼくはやっぱりいわない。
ミラレーノが、えっと言うように眉をひそめた。
『だって、今のぼくは、これでいいと思っているから。でも、きっと……』
小さく息を吸う。なんだか緊張していた。
『そのうち、これじゃ満足できなくなるんだね。だから、ぼくは、その時にとっておこうかな。
少しだけ笑ってみる。すると、今行ったことが、少しずつ頭にしみ込んできた。
そう。
それで良い。
『ミラレーノは?』
そう聞くと、ミラレーノは唇を引き結んだ。
『わたしは……やっぱり言います』
ミラレーノは、はっきりと言いきった。
『わたしは、今の状況に満足してません。ライムとは違って、能天気じゃありませんから』
ミラレーノ独特の、皮肉が混ざる。
でも、これがミラレーノだ。
みられーのは、ぼくをまっすぐに見た。
そして、にこりと笑う。
悔しいことに、そんなミラレーノも、やっぱり可愛かった。
『エーグット』
小声でエーグットを呼ぶ。今はねりもののところだ。スーパーとかいう大きな店に、イズとサーは行ってしまった。
『なんだ?』
ジェリーと話していたエーグットは、振り返った。その表情が心なしか迷惑そうに見える。――ジェリーとの会話が楽しかったのだろうか。
いや、今はそんなことを考えてる場合じゃなかった。
『ミラレーノが話があるって』
それを聞いて、エーグットは何の反応もなかった。けれど、隣のジェリーははっとした表情になって、ぼくに問いかけてくる。もちろんアイコンタクトで。
(ミラレーノ、告白するの?)
ぼくはその言葉に、重くうなずく。
するとジェリーはミラレーノにアイコンタクトを始めた。
きっと励ましの言葉をかけてあげてるんだろう。
ぼくはこの現状に満足……してるのか。
もっとあってほしい気もするけど、別に何も起こらなくても楽しめるという感じだ。
きっと、ミラレーノは、もう我慢できないくらい好きでたまらなかったんだろうな。
そういう風に、仲間の性格も少しずつ分かってきたころが、ぼくは素直にうれしい。
いつの間にか、エーグットとミラレーノはどこかに行っていた。
きょろきょろとあたりを見回すぼくに、ジェリーが教えてくれる。
『ミラレーノなら、エーグットに話をするから二人きりがいいといって、あっちの方に行ったよ』
ジェリーが指し示す先には、細くて暗い路地があった。
なるほど。やっぱり二人きりがいいのか。
ふと、遠くの方からがやがやと声が聞こえてきた。
――イズたちがかえってきたようだ。
けれど、二人にしては声の数が多いような気がする。
『こんなの、朝飯前だぜ』
『すごい、タロウ!』
『オレも尊敬するよ』
タロウも一緒にいるようだ。何気にうまく仲間に入っている。
ぼくも尊敬しよう。まさか、自分が襲った仲間と仲良くできてしまうなんて、すごい度胸だ……。
『タロウってすごいね』
聞き耳を立てていたジェリーも半ばあきれたようにつぶやく。やはり感想はみんな同じらしい。
すると、急に声がピタリとやんだ。
ぼくとジェリーは、顔を見合わせる。
『ここで食べないか?』
タロウの声が風にのって運ばれてくる。
『え? みんなに分けないと』
そういったのは、もちろんイズ。
『だって、こんなにおいしいんだぞ。分けるのなんてもったいないじゃないか』
……タロウって、結構ひどい奴なんだな。
太郎の話は続く。
『みんなには、がんばったけど取れなかったって言えばいいのさ』
沈黙が流れる。
それを聞いているぼくらもドキドキだ。
『よし、分かった』
ウソ、納得?
そのイズの言葉に、サーも賛成した。もっとも――。
『もちろんだ』
サーがこんな計画に乗らないほうがおかしいけど。
それにしても、タロウたちは、ここがぼくらとあまり離れていない場所と言うことが分かっているのだろうか。
それきり、タロウたちの声は聞こえなくなってしまった。どこか食べやすいところへ移動したようだ。
『ライムも告白すればいいのに』
耳元に柔らかい吐息がかかる。横に、ジェリーがいる。
……そう、今は、二人だけなのだ。
『告白しないの?』
上目遣いに見つめてくるジェリー。
ぼくが好きなネズミを……知っている?
『しないの?』
その一言で、ぼくの心はきまった。
『実はぼく、キミのことが――』
『――ミラレーノに』
『はい?』
なんか前もそんなこと言ってたような気が……。
『ミラレーノはエーグットだけってわけでもないかもしれないし。ここは勇気を出して。ねっ』
『いや、それ違うから。前にも行ったよね?』
しかし、ジェリーは聞いていない。
『わたしもあの犬に告白しようかな……』
ああ……。
ジェリーに告白するよりも前に、この大きな二つの誤解を解かなければいけない(ネズミと犬は結ばれないんだ!)。
けれど、その誤解を解くより、ジェリーに告白する方が楽だというぼくの考えは、気のせいなのだろうか。
ああ……。
ぼくの恋の道は、まだまだ遠い。 END ……かな?
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2010/09/25(Sat)14:56:47 公開 / mimi
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