『スペースアイドル・宇宙美《そらみ》』 ... ジャンル:SF アクション
作者:天野橋立                

     あらすじ・作品紹介
火星自治共和国と金星準州の宇宙戦争が始まりつつあった近未来、火星の長屋に住む貧しい少女は、借金取りを撃退する日々を過ごしつつ、スペース・アイドルを目指していた。(本当にこういう話です)

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 火星への植民が開始されて五十年。その当初は火星開発公社の職員たちエリートのみの社会であった火星植民地、後の火星自治共和国も、長きにわたる一般大衆の流入によって、公社幹部に代表される上流階級から、最下層の庶民までの各階層が積み重なった階級社会へと、すっかり変貌を遂げていた。
 篠山口明美が生まれたのは、その階級社会でもかなり下のほうの人々が暮らす地区、宙京特別市の外れに位置する下町エリアの、宇宙長屋と呼ばれるカプセル連続式の簡易住居であった。
 決して恵まれた生い立ちとは言えないものの、頑固ながら娘想いの父親と、病弱だが優しい母親に見守られながら、明美はそれなりに幸せに育って行った。そう、その日が来るまでは。

「中におんのはわかっとるんじゃ! ここ開けんかいや!」
 柄の悪い声が、カプセル住居が連なって並ぶ通りに響き渡った。続いて、鉄板が激しく何かに打たれるような音。パンチパーマにサングラス、赤いネクタイ。白いスーツを着て、背中にロケットバックパックを背負ったその男が鉛入りの靴で蹴りつけていたのは、明美の住むカプセル住居の玄関ドアだった。
「ソーダ、デテコイ」
「カリタモンハ、カエサンカイヤ、ワレ」
 男の左右に並んだ銀色の人型機械、「取り立てアンドロイド」が、合いの手を入れるがごとく囃し立てる。
 そう、彼らは強引な取り立てで知られる金貸し、「銀河帝国金融」の取り立て屋だった。たちの悪いことに、銀河帝国金融はちゃっかりと自治共和国財務局の認可を受けた正式の貸金業者で、取り立てをあくまで違法すれすれのやり方に止めることによって、罰則の適用を逃れていた。

 圧縮空気ガスが吹き出す静かな音と共に、カプセル住居のドアが跳ね上がり、中から初老の男が出て来る。
「後生やから、ここで騒ぐんは堪忍しておくんなはれや」
 やつれた顔でそう言ったのは、明美の父である熊介である。
「誰も騒いだりしてへんがな」取り立て屋はうそぶく。「貸したもんを返してくれと、当たり前のことを頼みに来ただけのことやがな」
「そやさかいに、わしは金なんか借りてへんって」
「また、それか」取り立て屋はうんざりした顔で、隣の取り立てアンドロイドに指示を出す。「おう、例の証文見せたれや」
「ヘイ」
 アンドロイドはうなずいて、自らの腹部に内蔵されたディスプレイ装置に、何やら書類らしきものを映し出した。
「ほら、な。見てみい。ちゃんと連帯保証人の欄にあんたの名前と、炭酸レーザー実印がついたあるがな。これは要するに、あんたが金を借りた言うことや」
「そやからそれは、迷惑かけん言うて寅吉に頼まれてやな、レーザー実印の押印ペダルをつい踏んでしもうて」
「ついもへちまもあるかい!」
 取り立て屋が叫ぶと同時に、彼の背中のロケットバックパックが火を噴いた。一直線に垂直上昇した彼の身体は、居住ドームの保護ガラス近くで反転し、今度は地上目がけて飛んで来た。彼の右腕は、前方にぐっと突き出されている。
「デタ」
「オヤブンノ、あとむトリタテダ」
 二体のアンドロイドが、拍手を送る。
「ちょいとお待ち!」
 居住カプセルの中から、声がした。現れたのは、セーラー服を着た若い女性である。白い肌にかかるストレートの黒髪と、意志の強そうな瞳が印象的な彼女こそ、本編の主人公、篠山口明美であった。
「債務者に威圧感を与えて強制的に取り立てるアトム取り立ては、貸金法二百二十一条で禁止されてるはずよ。あんたたち、財務局に通報されてもいいんだね!」
「ちっ」
 取り立て屋は、空中で舌打ちした。この娘、法律が読めるらしい。
 取り立て屋は飛行の軌道を変え、そのまま中央ドームの銀河帝国金融本社へ向けて飛び去って行った。慌てたのは、取り残されたアンドロイドたちである。
「オヤブン、マッテ」
「クソ、オボエテヤガレ」
 口々にそう言いながら、二体はガシャガシャと走り去った。
 通りのあちこちからシュコ、シュコという音が聞こえ、居住カプセルのドアが一斉に開いた。中から、住民たちが出てくる。
「災難だったね、熊介さん」
「まったくとんでもない奴らだよ、銀河帝国金融の連中は」
「ささ、今朝穫れたてのドロゲシノイキスモスだ。三匹あるから、家族みんなで食べておくれよ。目玉も七つとも食べられるからね」
「済んまへん、みなさん」熊介が頭を下げる。「えらい迷惑かけてしもうて」
「悪いのは、寅吉のやつだ。あんたは悪くない」この宇宙長屋では「ご隠居」と呼ばれている白髪の老人が、静かな声で言った。「それにしても明美さん、あんた見事な撃退ぶりだったね」
「二級星間法務士の勉強が、役に立ちました」
 明美はにっこりとほほ笑んだ。
 しかし、彼女には分かっていた。取り立てのやり方はともかく、父が連帯保証人として債務を負っていることには間違いは無かった。いずれにせよ、いつかはこの債務を返済する必要が出てくる。真空破産という手はあったが、そうなるともはやこの居住ドームに住むことは許されなくなり、衛星フォボスかダイモスの収容施設で反重力傘張りや量子裁縫などの内職をしながら、残った債務を少しずつ返済しなければならなくなるはずだった。

「あっ、いけない」大事なことを思い出した明美は、手のひらで自分の額を叩いた。「お母さんのご飯、作りかけだったんだ」
 彼女は慌ててカプセル住居に戻り、台所に駆け込んだ。アンドロ粥を炊いていた鍋から、粥が噴きこぼれている。木炭ガスコンロの火を吹き消して、彼女は鍋の蓋を取った。幸い、焦げついたりしてはいないようだった。明美はほっとしながらアンドロ粥を器へと移し、母の寝室へと運んだ。
 
「いつも済まないねえ……」
 寝床から身体を起こすと、母の秋子は言った。
「それは言わないイワン雷帝、の約束でしょ」明美は近ごろ流行のコメディアンのギャグを織り混ぜてそう言うと、母の枕元に器を置く。「タキオン、ちゃんと飲んだ?」
「ああ、飲んだよ。でもあれは喉がぴりぴりして、飲みにくいねえ」
「でも、そのぴりぴりが効くんだって、山鼬先生もおっしゃってたでしょ。良薬口に苦し、よ」
「そう言えば、お前」秋子は壁に貼られたポスターを見上げる。「オーディションとやらはどうするんだい?」
 そのポスターには、こう書かれていた。「火星政庁公認・スペースアイドルオーディションのお知らせ」
「私達のことはいいから、どうかお前はお前自身の幸せのことを考えておくれ」
 秋子はそう続ける。
「うん、受けて見ようかと思ってる」
 明美はうなずいた。もしこのオーディションに受かれば、賞金として2000兆クレジットもの大金を手にすることができるはずだった。いかに火星クレジットの通貨価値が暴落しているさなかとはいえ、これだけの額があれば借金がすべて返せるのはもちろん、今までとは比べ物にならないような豊かな暮らしが出来るはずなのだ。幸い明美は、歌にも踊りにも自信があった。星間法律専門学校の学園祭で演じられた古典劇では主役の麻宮サキを演じ、そのヨーヨーさばきが大好評を博したほどだったのだ。
「お父さん、お母さん、見ていて。きっとわたし、スペースアイドルになるわ」明美は心の奥で、そう誓うのだった。


 火星自治共和国の領宙線近く、いわゆる上空200万カイリ宙域付近を哨戒中だった火星宙軍第4宇宙戦闘艦群は、領宙線のすぐ向こう側から、不審な物体が近づいてくるのを補足していた。
 第4宇宙戦闘艦群は、旗艦である宇宙重巡シャウエッセン、同じく宇宙重巡アドミラル・グラウチョ・マークス、宇宙駆逐艦ギョエテ、工作艦ルードヴィヒ・ミース・ファン・デル・ローエ、掃宙艇チライ=ア=ピッペ・フォン・ローゼンメイデンなどからなる、火星宙軍においても有数の宇宙艦隊だった。不審な物体を敵と判断した旗艦の艦隊司令部は、即座に全艦に戦闘体制を取ることを指示した。
 宇宙駆逐艦ギョエテが前に出て先鋒を勤め、その他の各艦は旗艦シャウエッセンを取り囲むような隊形を取る。はるか2億キロの彼方で輝く太陽の光を受けて、対ビーム兵器装甲が施されたシャウエッセンの漆黒の艦体がぎらりと輝いた。その精悍な様は、月夜に吼える孤狼を思わせた。

 やがてシャウエッセンの電探装置は、前方の物体が月面金星領軍所属の宇宙打撃巡洋艦、ペヨン大王艦であることを突き止めた。ペヨン大王艦は領宙線ぎりぎりまで接近を続け、第4宇宙戦闘艦群には異様な緊張感がみなぎった。もしペヨン大王艦が領宙線を越えて侵入して来れば、こちらとしては攻撃を開始せざるを得ない。それは即ち、小惑星プロメシウムの領有権を巡って外交レベルでの争いを長年続けて来た、金星準州との全面戦争が開始されることを意味するかも知れなかった。
 しかし幸いなことに、ペヨン大王艦は領宙線の手前で慣性キャンセラーを作動させてぴたりと静止した。やれやれと胸をなでおろした艦隊司令部は次の瞬間、敵艦が取った異様な行動に度肝を抜かれることになった。ペヨン大王艦はその甲板に据え付けられた主砲塔の上に、扇形をした巨大な帆を上げて見せたのである。宇宙船における帆は、太陽風を受けて船を前に進ませるのに用いられるものであるが、噴射系の推進装置と違って急加速が出来ないために、戦闘艦で使われることは少ない。帆の中央には真っ赤な円が描かれていて、それはまるでかつて地球に存在したという日本国の特産品であった、「日の丸扇」にそっくりなのだった。
「司令、あれは一体?」司令部でその情景を目撃した副官マクシミリヤン大佐が、困惑の表情で艦隊司令の顔を見る。
「うむ、分かったぞ」口ひげをたくわえた艦隊司令、ゴダール准将代理が重々しくうなずく。「君は、那須与一を知っているかね?」
「那須与一。確か、中世期の人物ですな」
「その通りだ。『ヤシマ作戦』と呼ばれた大海戦で、与一は敵方であるヘイ家の軍艦が掲げて見せた日の丸扇を、大変な遠距離から見事撃ち落として見せたと言われている。どうやら金星の連中はその故事に倣って、我々の腕試しをしようと言っているようだ」
「なるほど」副官ははたと手を打った。「ここで逃げては火星軍人の恥。司令、ここはやはり」
「うむ。もちろんだ、応じよう」艦隊司令はまたも重々しくうなずくと、大声で指令を出した。「艦首砲、発射用意!」

 警報サイレンの音が艦内にけたたましく鳴り響き、戦闘科の要員が慌ただしく準備を始めた。シュヴァルツシルトボイラーのバルブが全開にされ、急激に流量を増したタキオン粒子が、宇宙重巡シャウエッセンの艦首に並んだ三門の砲、邪道砲、非道砲、外道砲のそれぞれの薬室内に、注入され始めた。タキオン粒子の噴出するシュウシュウという音が、耳を聾せんばかりである。非常弁から漏れ出てくるタキオン粒子を有効活用しようと、給食班の隊員が弁の上に甘薯をかざし、宙軍名物の超光速ふかし芋を作りにかかる。

 照明が落とされ、計器類の輝きのみに照らし出された司令部に、艦首砲へのエネルギー充填率が120%を超えたとの報告が入った。いよいよ、シャウエッセンが誇る最強の兵器が発射可能な状況となったのだった。
 砲手を勤める戦闘長のピエール・ギャバン大尉が砲手席に着き、ぺヨン大王艦の姿を映し出すターゲットスコープをにらみつけた。その照準の中心は、例の日の丸扇のど真ん中をぴたりと狙っている。
「ギャバン大尉、落ち着いて良く狙うのだぞ。締まって行こう!」副官がそう言って、ギャバン大尉の肩を叩いた。そのはずみで、大尉は危うく引き金を引きそうになる。
「ちょ、ちょっと副官。脅かしっこは無しですぜ」ギャバン大尉は慌てて振り返る。「とにかく、皆さんは発射体制に入ってくださいよ」
「分かった」副長はうなずくと、マイクを取り上げて艦内に指令を出した。「艦首砲発射へ、カウントダウン開始。全艦、対ショック・対閃光防御体制」
 再び、警報サイレンが鳴り響く。艦内の至るところにあるモニター装置が、一斉にカウントダウン表示を開始した。デジタル表示の数字は120から始まり、一秒ごとに一つ減っていく。艦隊指令以下全員が着席してシートベルトを締め、左右のレンズが赤と青になった色眼鏡をかける。

 ターゲットスコープを見つめながら、ギャバン大尉は背中に汗が流れるのを感じていた。実戦経験のないシャウエッセンが艦首砲を発射するのは、実はこれが初めてのことだった。果たしてどの程度の威力があるのか、発射した際の衝撃がいかほどのものなのか、彼は知らない。かつてはその度胸と正義感の強さから「宇宙刑事」の異名で呼ばれたほどの彼でも、緊張感を隠すことはできなかった。
「大尉、平常心。平常心だぞ」
「うむ。手のひらに『人』と書いて飲み込むのだ。そうすれば、あがらずに済む」
 指令や副長が呑気な声を掛けてくるのも、落ち着くどころか却って腹立たしい。
 やがて、カウントダウンの数字は10を切った。9、8……。ギャバン大尉は、かつて父から教えられた言葉を繰り返し呟きながら、引き金に指を掛けた。
「逃げるな、求めよ。さすれば与えられん」
 数字が、0になった。
 シャウエッセン艦首の三門の砲、その発射口が、不意に目も眩まんばかりの閃光を放った。次の瞬間、三条の光の帯が、真っ暗な宇宙空間に向かって放たれた。


 その砲は、まさに最終兵器と呼んでも良い威力を有していた。限界にまで圧縮されたタキオン粒子は、光速をも超え得るその巨大なエネルギーを、思うさまペヨン大王艦に叩きつけたのだった。日の丸扇型の帆はもちろん、対レーザー装甲に覆われた艦体も、そのエネルギーの前にはひとたまりもなく、哀れ敵艦は一瞬のうちに蒸発し、宇宙の藻屑と消えた。
 予想外の事態にシャウエッセンの艦内は騒然となった。艦隊司令はショックで一旦気を失い、簀巻きにされて艦内の共同浴場に運ばれて頭から冷水をかけられ、ようやく正気を取り戻した。

 こうして、後の宇宙史家が「第一次火・金戦役」と呼んだ、火星自治共和国対金星準州の宇宙戦争が始まったのだった。
(続く)

2010/09/06(Mon)19:09:47 公開 / 天野橋立
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■作者からのメッセージ
スペース・オペラみたいなのを書いてみようと思ったらこういうことになってしまいました。「これが人様に読ませるべき作品か?」とは思いつつ、せっかくここまで書いたんだからいいや、えいっとばかりに投稿してしまいました。
今までの作品と、かなり傾向が違いますので、これだけ読んでこういうのを書く人と思われてしまうのもちょっとあれですので、できれば「田園デジタル・アワー」のほうを読んでいただければうれしいです。

9/6 一部修正。
 

作品の感想については、登竜門:通常版(横書き)をご利用ください。
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