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『ジョビネル・エリンギ3 第三話』 ... ジャンル:ファンタジー 未分類
作者:木沢井
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あらすじ・作品紹介
青年は、選択する。少女は、ついてゆく。姉弟は、奔走する。少年は、追跡する。彼らの、行く末や如何に。
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第三話【集う奴らに儲けの臭い】
ある所に、オオカミと子犬がいました。白い毛の、りっぱなオオカミと、たくさん傷のある、子犬の女の子です。
子犬の女の子は、何もできませんでした。
上手くしゃべることができません。文字もわかりません。おりょうりもできません。ただいっしょにいるだけで、それよりほかのことは、本当に何もできませんでした。
そんな子犬のことを、オオカミは『じゃまだな』と思っていますが、それでも子犬を置いていったりはしませんでした。オオカミには、オオカミなりのこころづもりがあったのです。
ある時、オオカミと子犬は、森のなかで、小さなリスの女の子と、きらわれものの大きな熊に出会いました。
リスは、とてもやさしい女の子でした。熊が、森の外からやってきたオオカミと子犬としゃべってはだめだと言っても、リスはなかよくなろうとしました。
リスと熊は、ずっと森のみんなからきらわれていました。ものしりだけど、いじわるなフクロウが、森のみんなにうそをおしえていたので、リスがひとりぼっちになっていたからです。
そして、いじわるなフクロウは、オオカミと子犬のこともこまらせてやろうと思いついたのでした。
そこで、いじわるなフクロウは、こわいこわいお化けに、まず、オオカミと子犬、それにリスを食べさせようとしたのでした。
そんなフクロウのイジワルによって、オオカミ達は、お化けにたべられそうになってしまうのですが、そんなオオカミ達をたすけたのが、熊でした。
熊は、どうして自分やリスがきらわれていたのかを、オオカミたちに話しました。それは、とてもながくて、さびしいお話でした。
リスは、生まれてすぐに、とおくの森からきたのでした。そのことをしっている熊も、ヒトにつかまったことがあって、森のみんながきらいな、ヒトのニオイがまだのこっていたのです。
ほんとうは、リスと熊のいるところは、もうこの森にはなかったのです。
そのことをおしえてもらったリスは、オオカミに、森の外につれて行ってとおねがいしました。オオカミは、たすけてくれた恩返しにと、そのおねがいをききいれました。
こうして、オオカミは子犬にくわえて、リスと熊もつれてのたびに出たのでした。
さあ、こんどはどんなことが、オオカミ達のことをまっているのでしょう。
☆主な登場人物☆
ジーク
:ぼさぼさの銀髪、左眼の眼帯が特徴の青年。しかめっ面。長身。長袖長裾の旅装にマントとずだ袋。若くは見えない。
:本編の主人公。セネアリスなる人物を探して旅をしている。目下の悩みは、ミュレが片手以上の数が数えられないこと。老成した雰囲気を漂わせる十七歳。
ミュレ
:小柄な少女。背はジークの肩ぐらい。髪の色は艶のある藍色。瞳も藍色で、光がない。体つきは肉感的。
:ジークの旅に同行する少女。肉体と精神が対極の状態にある。幼い頃から“化け物”と呼ばれ、迫害と陵辱の日々を送っていたためか、人形のような雰囲気を漂わせている。推定年齢は十代半ば。
リュリュ
:外見は十歳ほどの少女。髪は黄色がかった茶色。髪は項のあたりで大ざっぱに刈られている。
:ジークとミュレが旅の途中で出会ったハイランダーという山中に住む一族の少女。しかし、その出生には秘密があり、それがきっかけとなってジーク達に同行する。実年齢よりも若く見えるといっても十四歳。
アシュレイ
:上半身裸。顔には横縞の刺青。髪は伸び放題。
:最後の最後で同胞を裏切り、自らの一族にすら“化け物”とまで蔑まれたハイランダーの戦士唯一の生き残り。とある人物の願いにより、リュリュの面倒を看ている。秋でも半裸の五十二歳。
セラ
:女性としてはまずまずの長身で細身。肩まで伸びた赤毛。大人しそうな顔立ちと表情。瞳の色は薄い青。頬が紅潮している。身軽な服装。
:ジーク同様、レナイアに誘われた傭兵の一人。外見は気弱そうな女性だが、その実力は侮れないらしい。比較的童顔な二十三歳。
1【そして手甲は拉げた】
秋はますますの深まりを見せ、誰の心にも、豊かな実りとその先に待っている冬を感じさせ始めていた。
頃合いは昼を過ぎたばかり。中天を下る日輪は早くも暖かみを失い始め、比較的温暖なリグニアにもいよいよ秋が訪れようとしていることがよく分かる。
東ジィグネアルを南北に貫く連峰ブルカン山脈の一角、聖ジョーンズ山と並んで双子山と称される聖ピーターズ山。雄大な景観を望む幅広の山道に、野太い男の声が木霊する。
「そっちへ行った! 二人は任せろ!」
注意を促したのは、毛皮を身に纏い長柄の武器を手にした、大柄な壮年の男。背後に二人の小柄な少女を庇いながら戦っている。
「分かっている」
無愛想な相槌を打ったのは、男とは対照的に当世風の衣類に身を包み、長剣を振るう銀髪に眼帯の青年。男が指示するよりも僅かに早く、青年の隻眼は『敵』の動きを捉えていた。
緩慢な足取りで四人を取り囲もうとしているそれらは、衣服を身に付けたものもいる。頭髪や髭が残っているものや、殆ど生きている時と変わらぬ姿のものもいる。しかし、赤みを失いどす黒くなった肌と、意思の光を感じさせぬ落ち窪んだ眼は、どう見ても腐敗の始まった死体そのもの。『ゾンビ』、『歩く屍』といった、様々な名称を持つ魔物の一種である。
《ォ、オオ……》
生きているとは思えない生き物の群は、鳴き声とも呻き声ともつかぬ声を絞り出しながら、突出した銀髪の青年を包囲しようと詰め寄っていく。
青年は、素早く周囲に視線を巡らせた。
前方に五体。右に四体。左に二体。隻眼故に死角となる右側の魔物は、既に間合いに入っている。
(まずは――)
青年が、動いた。
間合いに入った最初の魔物を、斬る。劣化していた肉体は青年の剣を受け止めるほどの靭性も軟性も失っており、殆ど抵抗なしに肘から先、膝から下を切り落とされた。
長剣を振り切った姿勢のままに左肩から反転、踏み込んだ勢いを利用して、背後にいた二体の膝関節も倒れこむようにして同時に斬った。
素早く起き上がる。魔物は目の前にいた。振るわれる腕。だが遅く、こちらの動きは死んでいない。見切るのは決して難しくない。
跳躍。腐った腕が通り過ぎる。剥がれた爪が、右眼の傍をかすめた。
着地した青年に、男が声を飛ばす。
「……駄目だ! きりがないぞ!」
「む……」
青年は互いの中途戦果を確認し、男の言葉が虚偽ではないことを認めた。
いつの間にか魔物は数を増やし、二人きりの戦力では追いつかなくなってきている。
「アシュレイ、二人を連れてこっちへ来い」
「ヌ……よし、分かった。任せろ」
アシュレイと呼ばれた男は、一人の少女に背中に飛び付くよう告げ、もう一人の少女を脇に抱えて青年の元へと駆ける。少女二人分の負荷が動作の鈍りに表れていたが、アシュレイはそれでも難なく魔物を切り伏せ、青年の許へと駆け寄る。
青年は、三人が無事に自分の傍に来たことを確認すると、俄かに半眼になり、ある一つの形を思い浮かべる。
頭に描いたのは、翠緑の刀身。柄も鍔も鞘もない、全てが剥き身の刀で構成されている。
その空想を形にすべく、青年は言葉を紡ぐ。
『 “風の刃”』
光った。薄い緑の光が、眼を持つ者らに瞼を閉じさせる。光に驚いたアシュレイ達は元より、魔物ですら体を折り曲げ、吹き付ける風に目を覆った。
しかし、真に驚くべき事態は、その直後に起こる。
《オォ……ッ》
緑色に光る風が吹き抜けた直後、魔物達の体中をなぞったかのような裂け目が次々と生じ、やがては輪切り状になって崩れ落ちていったのであった。
それら異様な光景を、青年は冷淡に見つめていた。己の技を誇るでもなく、ただ死にゆく者達を見届けている姿は、死神のように見えなくもない。
「ジークさんも、大丈夫でスか!?」
「む」
二人の少女のうち、アシュレイの背中に飛び付いていた方の少女が話し掛けてきた。服装はアシュレイと似た種類の毛皮を纏い、言葉にも訛りが窺える。この二人は同郷から出てきたのであった。
もう一人の少女は、何をするでもなく、ジークと呼ばれた青年を空虚な表情でただ見つめているだけだった。
背丈はジークよりも頭一つ分は低いが、胸や腰回りは非常に魅惑的な豊かさを有しており、服やスカートが窮屈そうであった。踵近くまである、二股の三つ編みにされた髪も、真っ直ぐにジークを見つめている大きな、殆ど白眼のない瞳も、見事な藍色である。
「ミュレ、平気か?」
「……ん」
ジークに問い掛けられたミュレは、顎を引いて肯定する。あまりにも微かな声量で、すぐ傍にいるにも拘らず、谷間を吹き抜けていく風にさえ掻き消されてしまっている。
無愛想にもほどがある態度であったが、ジークはさほど気に掛けない。この少女が人とまともに接することができないことを、よくよく熟知しているからである。
「あれだけの数をたった一人でか。相変わらず大した奴よ」
「そうでもない」
アシュレイに短く答えて、ジークは別件に考えを巡らせる。
(それにしても、妙だな)
(同意)
ジークが胸中で呟くと、分割思考と呼ばれる無機質な声による返答があった。
(奴らがこの土地にいることもだが、先ほどの連中は明らかに連携をとっていた)
(不可解)
(偶然である可能性は?)
(否定。先刻の魔物群が全て優先的に死角を狙っていたことを考慮すれば、偶然であると処理することは不適)
(そして何より、あの魔物は学習や経験といった要素は持ち合わせていないはずだ。何をもってあんな芸当を習得したのか……気掛かりだな)
(む、確かに)
(不可思議)
無機質な声に交じって、妙に多弁な、『二番』と名付けられている声が意見を求めてきた。
彼らが撃退した魔物は、本来知能を殆どといっていいほど欠落しているのだ。匂いなどによって複数の個体が引き寄せられてくることはあっても、集団で行動し、獲物を狙おうとすることはないはずなのである。
(兎に角、今はこの場を離れることが先決だ)
(ああ、そうだな)
一旦考察を打ち切ると、早速ジークは三人に目下の方針を告げた。
●
頃合いは宵の口。陽は既に遠く、聖ジョーンズ山の彼方に沈み、辺りは急に冷や水に浸されたかのような肌寒さに包まれていた。
今度こそ物言わぬ死体に戻った彼らの肉を山犬や魔物が漁りに来ることを警戒したジークは、文字通りの残骸を燃やした後にその場から離れ、聖ピーターズ山の麓の、見晴らしのいい場所を見付けた。
「俺とアシュレイで雑草と木を刈る。ミュレとリュリュは適当に石を、一カ所に固めておいてくれ」
「……ん」
「分かりマシタ」
作業を分担し、雑草を刈り石を蹴り飛ばすと、一夜を過ごすのに最適な空間が生まれた。
肩を鳴らしながら、アシュレイがジークに問い掛ける。
「おい、他にすることはあるか?」
「枯れ枝がいるな」
「おお、枝か。任せておけ」
一つ頷いて、歩き出したアシュレイと、彼に付いて行ったリュリュが木立に消えると、急に風の音が大きく聞こえるようになった。どちらも、一言も喋ろうとしないからである。
ジークにしてみれば、今自分は焚火のための石組みと蛇や兎の串焼きの下準備に取り掛かっているのであって、その行為と平行してミュレと会話する必要性を全く認めていなかった。
ミュレに至っては、ジークの対面に座り、虚ろな表情で彼がいる方を見ているだけであった。それも凝視しているというよりは、何となしに視線を向けた先にジークがいた、という様子で、そこに意思は感じられない。
そんなミュレに変化が見られるようになったのは、ジークが一通りの作業を終えてからであった。
(む)
微かにのみ感じ取れる、一対の視線。悪意や敵意は感じられず、ジークの鋭敏な感覚をもってしてやっと分かる程度のものであった。
出所は分かっていた。目の前で糸の切れた操り人形のように力なく座っている少女からである。
「ミュレ」
ジークが、名前を呼ぶ。伏せられていたミュレの、薄闇に溶けそうな藍色の瞳が夕日の残滓を受けて輝いた。
「どうかしたか?」
「ん……」
緩やかに顎を引いたミュレは、暫く口を開くのだが一言も発さずに口を閉じてしまうのであった。
(またこれだ)
(悪意ある行為と推察)
ミュレを快く思っていない六番が、殆ど断言に近い口ぶりでジークに提言するが、それはいつものことなので深く取り合わずにおいた。
ここ五日ほど、ミュレはいつもに増して奇行が目立っていた。
何か言いたげなそぶりを見せるが、ジークが発言を促しても何も言わずに黙ってしまう。彼女が唯一執着を示す食事の時であっても自ら進んで食べようとしない。反応が鈍い……等々、ジークが覚えている範囲内だけでもあと十はある。
五日前。全ての奇行の原因はそこにあるとジークは推測していた。
(五日前か……特筆すべき事柄は――)
ジークは分割思考を巡らせ、該当する日付に起きた出来事を振り返った。
聖ピーターズ山と対をなす聖ジョーンズ山の外れ、山道を行き交う者達も知ることのない隠れ里。そこでジークは、里長や頭数二十を超える、『嵐の獣』と呼ばれる魔物と矛を交えた。
(……それがミュレの現状に影響しているとは思えんな)
(同意)
(同意)
全体を俯瞰しても見つからないならばと、ジークは該当する事柄の中から、更に可能性の高いものを列挙していく。
里長のオッピドゥムによる拘束――一般的に考えるなら非常に身体的、精神的苦痛を伴うものだが、ミュレの過去を考えればやはりあり得ないと判断するよりほかない。
眼前に迫る魔物の恐怖――少なくともミュレが目の当たりにしたのは一頭だけであったし、その直後にはいつもと変わらぬ様子を見せていた。とはいっても、リュリュの反応と合わせて考えてみると何かしらの印象は残っていてもおかしくないので、可能性は捨て切れない。
リュリュと二人で待っていた時、彼女がミュレに何かしらの行為を働いた――極めて空想的で、現実性を欠いている。何より、こうした場合は自分の目で見ていないものを空想で補おうとすべきではないだろう。
(そこまでまどろっこしく考えるくらいなら、いっそのこと本人に訊いてみたらどうだ? 案外すっきり解明するかもしれんぞ)
(……いや、ミュレに限ってそれはない)
二番の正論に聞こえなくもない意見を、ジークは真っ向から否定する。
(奴の会話能力は皆無に等しい。そんな奴がまともに受け答えできるとは思えん。そうである以上、可能な範囲で推測していった方がまだ可能性がある)
(……なるほど。恐れ入ったよ)
と頷いた二番の物言いにそこはかとなく悪意を感じ取ったジークは、二番に発言の真意を求めようとしたが、彼の意識は自身に向けられている視線の方へと自然に向いた。
「む……」
視線の正体は、やはりミュレ。先刻と変わらぬ姿勢でジークを見つめている姿は人形のようで、ヒトならざるモノであるのような印章をジークに与える。
(……不可解な事態を放置しておくのは好かん。早々に解決させねばな)
(同意)
(不本意至極)
と、ジークが小目的を決定してから間もなくして、アシュレイとリュリュが林の中から戻ってきた。
「すまん。遅くなった」
アシュレイは、頭や肩に大小様々な木葉をくっ付けていた。脇には、大柄な彼が抱えるほどの枯れ枝の束がある。
「随分遠くまで足を運んでいたようだな」
「ああ。思ったよりも枯れ枝が見つからなかったンだよ」
「でもジークさん、アシュレイが水を見付けたんでス。ほら、見て下サい」
そう言って、アシュレイほどではないが木葉を付着させているリュリュが、枝を入れるためにと持たせてあった袋を見せる。麻や綿と違って一枚の革から造られてある袋は、リュリュが振っても水音を立てるだけで中身を零さない。
山奥で暮らしていたアシュレイとリュリュは、水の大切さをよく知っている。体に合わない危険もあったが、なるべく手には入れておきたいというのがジークの考えであった。
「む、そうか。それは助かる」
遠回しに礼を述べたジークは、まずアシュレイから枯れ枝を受け取り、それらを石組みの内側に敷く。
するとジークは、ずだ袋から彼の掌に収まる大きさの、蓋付きの壷と思われる容器を取り出した。
蓋を開けると、壺は容積の半ば辺りまで赤い液体を湛えていることが分かる。ジークはその中身を指先で掬い取ると、先刻拾い集めた石のうち、比較的平たいものを選ぶと、指で掬った何かを三角形と円形を組み合わせたような形に塗り付けた。赤い液体の正体は塗料だったらしい。
ジークは、丸と三角が重なったような図形を描き込まれた石を、枯れ枝の中に埋めた。
すると、程なくして枯れ枝の中から煙が立ち上り始め、十を数えるか数えないかの間に火が立ち上り始めたではないか。
「ジークさん、後はわたしがやりマス」
「む、そうか」
リュリュの善意からくる申し出を、ジークは一切の遠慮なく受ける。他人に借りを作ることを非常に嫌う男だが、こうした時は図々しさを見せる。
ジークが火を起こした後は、リュリュが目まぐるしく働き出した。汲んできた水を小さな鍋に注いで沸かし、その間に前日に採ってあった山菜や兎の肉を刻む。そして水が煮立ち始めた鍋に兎の骨を入れる。その骨から味が滲み出していることを確認すると、先程の野草と肉を鍋に放り込み、最後の仕上げを迎える前に枯れ枝を更に焼べ……小柄な体のどこにそれだけの力を秘めているのかと疑いたくなるほど、忙しなく働いている。
「相変わらず、リュリュはよく働いているな」
「おお、そうだろう」
リュリュの作業を傍で見ているアシュレイは、どこか誇らしげであった。焚き火の中に枯れ枝を放り投げる時も、高揚した心地が見て取れた。
「――それにしても、お前は奇妙な技を使う」
「む?」
アシュレイが、不意に話題を変えた。
「簡単に火を点けたり風で物を切ったりしていた技だ。いったいそれは何なんだ?」
「知るだけ無駄だ」
眉一つ動かさず、ジークは冷たく言い放った。アシュレイは何か言いたげに口を半開きにしながらジークと睨み合っていたが、それも十数秒ばかりのことで、やがてアシュレイは「そうか」と自分に対して言い聞かせるように呟くと、体ごとリュリュに向き直った。
「あれ、どうシたのアシュレイ?」
「ヌ」
ちょうど支度を終えていたリュリュが不思議そうに尋ねるのだが、アシュレイはそれには答えず「いい匂いだな」と返しただけであった。
「? ……うん、美味シくできたから、早く食べてね」
そうしたアシュレイの態度をリュリュは訝しんだが、そう言っただけで、同じことをジークとミュレにも伝えた。
陽は沈み、月も星の光も届かない木々の下、焚火を囲んで四人は食事を始めた。
「む……」
火から外しているとはいえ、未だに高熱を帯びた鍋に直接手を伸ばしているアシュレイの対面で、ジークは携帯している匙で一掬い口に含んだ。ミュレには、まだ食べさせない。
「どうでスかジークさん、変じゃないでスか?」
「む、問題ない」
との評価にリュリュは嬉しそうな表情を見せるが、ジークにしてみれば、ただ獣の骨と肉と、それに少々の野草を加えて煮るだけであるというのにまずいも何もあったものではない。
もっとも、隣にはそんな調理さえ満足にできない娘もいたが。
「ミュレ、いいぞ」
「……ん」
ジークが許可を出すと、それまで彼の傍でじっとしていたミュレは、手渡されたもう一本の匙をぎこちなく使い、緩慢な動作で食べ始めた。
「ミュレさんも、美味シいでスか?」
リュリュが問い掛けても、ミュレは答えない。
「ミュレ」
「……ん」
そこでジークが促すと、暫くしてミュレは小さな顎をゆっくりと引いた。ただし、その視線が向けられる先はリュリュではなくジークであったが。
「ミュレさんとジークさん、ほんとに仲よシでスね」
「……む」
不意にリュリュが放った一言に、ジークは眉を僅かに吊り上げる。理性が感情に競り勝った瞬間である。
「どういう意味だ、リュリュ」
「え? だってミュレさん、いつもジークさんが一番でス」
「違う」
「違うんでスか?」
「偶然が重なっているだけだ」
「ソうでスか?」
「む」
短く、だが深々とジークは断言する。これでリュリュも納得するだろうとジークは考えたが、果たして彼女のとった発言は全くの別物であった。
「でスけど、ほら」
「む?」
リュリュが指し示す先、即ちジークの隣。目をやればそこにミュレがいるのはいつものことであったが、今回は少し違った。
「ミュレ、どうした?」
「ん」
言葉とも呼べない発音とともにミュレがジークに差し出したものは、ジークが彼女に渡してあった匙と、その中に入った出汁と肉片であった。
(俺に渡そうとしているのか?)
(可能性有)
(異物混入の報告?)
(いや、見たところ、それらしきものはないようだが……)
とめどなく議論を重ねている分割思考を他所に、ジークはミュレに自らの意思を伝えておいた。
「……ミュレ、それはお前の分だ。お前が食って構わん。分かったな?」
「ん」
とミュレは頷くのだが、匙は先程までと同じく、上に下にと揺れながらジークに向けられていた。
「ん」
ジークが黙っている間、ミュレはじっと彼を見つめながら匙を持っていた。
ミュレが、ジークに食べるように促そうとしていることは分かっていた。
(問題は、その意図である)
(不可解至極)
過去の経験上、まともな説明をミュレに期待することは無意味であると判断したジークは、最も無難な選択肢であると思われる『ミュレが差し出している匙の中身を食う』を選んだのであった。
「やっぱり、仲よシでス」
「むぅ……」
嬉しそうに断言したリュリュにジークは訂正を求めようと考えたのだが、既に納得してしまっている人間を相手に、それも些細なことで口論を重ねるのは好ましくないと思い留まり、何か言おうとしている傍らの少女に意識を向けた。
「……いい?」
「……む」
そういうことにしておいてやろう、と心の中で付け足していたジークに、それまで黙って食事を進めていた男が話し掛ける。
「ところでだ、ジークよ」
「む?」
「この前から度々出てくる化け物ン話だ」
アシュレイが切り出そうとしている話題は、ジークの想像の範疇であった。
「ゾンビのことか?」
「おお。俺はこン辺りンことも少しは知っているが、あんな薄気味悪いンは今までに見たことがない」
「ほんとにびっくりでス。オッピドゥムの外には、あんなに恐い動物がいるって、思ってもないでス」
小さな体を震わせながら、リュリュも同意する。
「……そもそも、この辺りにゾンビなどという魔物はいないはずなのだ」
枯れ枝を拾ったジークは、焚き火の中に投げ込む。
「元来、あのゾンビという魔物は特殊な条件を満たした環境にしか住めない。こうした人気のない山奥など論外だ」
「しかし、現に度々出くわしているぞ?」
「考えれば分かることだ」
ジークは、またしても匙を差し出しているミュレから一口含んだ。
「おい、早く教えてくれ」
「普通ならばゾンビはここにいないのだ。つまり――」
ミュレが三度目の匙を差し出していたので、ジークは言葉を切った。
「娘、邪魔をしないでくれ」
「アシュレイ、これくらいはいいでショう?」
アシュレイが無理矢理ミュレを押しのけようとするのを、リュリュが苦笑いしながら制する。
そんなやり取りにはやはり関心を示さず、ミュレはジークをじっと見ていた。右手に握られている匙は、今度は自分で銜えている。
「……それで、結局何だというんだ?」
「この辺りで、よからぬことが起きているのかもしれん」
「ヌ……」
頭を掻いたアシュレイは、明かりの届かない森の闇を見て、誰にともなく呟いた。
「そういったことには、なるべく巻き込まれたくないんだがな」
「ならば、なるべくこの地域より離れることだな」
自身の希望も含ませつつ、ジークは選択肢を提示する。
「このまま道なりに進んでいけば、エタールという町がある。そこから北に向かえば、険しいがすぐに次の町へ向かえる道もある」
「ほう」
顎を撫でながら、アシュレイは「それはありがたいな」と返した。
しかし、アシュレイの横にいるリュリュは、ジークの話を聞いている間に表情を暗くしていた。
「ヌ、どうしたリュリュ?」
「ジークさん、ミュレさん、一緒でスか?」
リュリュの言わんとしていることを察して、アシュレイは複雑な心地になった。
友人らしい友人はおろか、まともな家族もいなかったリュリュである。無愛想だが極悪人ではないらしいジークと、年の近い少女のミュレとは別れ難いものがあるのだろう。
「む……」
(不必要にリュリュを傷つけないでくれよ……)
黙考し、言葉を選んでいるらしいジークにアシュレイは無言の念を送る。
しかし、ジークはアシュレイの予想を裏切った。
「俺は、これまでに両手の指に余るだけの人間達に出会い、同じ数だけの者達と別れた。何故だか分かるか?」
リュリュは、黙って首を横に振った。
「理解し難くとも聞け。人は生まれれば必ず死ぬ。出会えば必ず別れる。そういうものだ」
それだけ言ってしまうと、ジークはミュレにマントを渡す。
「明日も歩く。今日は早々に寝てしまえ」
「……はい」
リュリュは何か言おうとしたが、結局さびしそうな表情を作っただけで、既にミュレが包まっているマントに身を差し入れたのであった。
やがて、静かな寝息が一人と半人分聞こえるようになると、アシュレイは非難の情を視線と言葉に宿す。
「他に言葉はなかったンか?」
「ないな」
ジークは無慈悲な断言を以って一刀両断した。
「いずれ俺は、お前達やミュレとも別れる。故に下手に希望を持たせるようなことは言えん」
「それで突き放したンか」
というアシュレイの言葉とは裏腹に、口調は重々しい。
「お前が別れた理由が分かった気がするよ」
「む、そうか」
その日の晩、ジークはそれ以上口を開かなかった。
●
目を覚ました四人を迎えたものは、湿った空気と眼下の谷間を埋める白雲の海であった。
頃合いは早朝。山頂付近にいるためか、昨日に比べて肌寒く、吐息は僅かに白く濁る。
「……む」
ジークが体の状態を確かめていると、傍らから視線を感じた。
「ミュレ、おはよう」
「ん……」
未だにジークのマントに包まったミュレは、口を緩慢に開閉させた後、「おはよう」と平淡な口調で答えて首を傾げた。
「……いい?」
「む」
完全に定例化した確認を経て、ジークはミュレの小さな頭に手を置いた。偶然にやったらそのままミュレが気に入ってしまい、以来ミュレを褒める場合は欠かせぬ『報酬』、平たく言うと『ご褒美』になっていたのである。
「ミュレ、今からマントを脱がす。いいな?」
「……ん」
ジークはミュレが頷いたのを確認すると、マントに包まったまま動こうとしないミュレから器用にマントを剥ぎ取った。
ジークが人肌に暖まったマントを身に着けていると、リュリュが枝に刺さった何かを携えて来る。
「おはようごザいマス、ジークさん」
「む、おはよう。……手に持っているそれは、何だ?」
「兎ス。アシュレイ、朝から捕まえてくれマシタ」
どうゾ、とリュリュは枝に刺さった兎の肉をジークに差し出した。
その本人は、焚火の傍に腰を下ろし、こちらに笑い掛けていた。「礼を言う」とジークは告げて、笑顔のリュリュから兎の肉を受け取った。
ぎゅう、と間の抜けた音が傍らから聞こえたので、ジークは溜息を混じえてアシュレイにもう一本よこすように告げた。
(彼女がいつも通りというなら、これ以上ない証拠ではあるな)
(同意)
ジークに許可を与えられ、無表情で兎の肉をかじるミュレの様子を、分割思考は注意深く観察していた。
(……何か、繋がりがあるはずだ)
(同意)
ミュレの奇行には関連性があると、ジークと七番は推測していた。
(確かに、食事時には多く見られるが、それだけでも言い切れるか?)
(それを調べるのがお前の仕事だ。行動や言動の僅かな違いでも構わん、兎に角今は可能な限り収集しておけ)
不本意ではあったが、不可解な事態が自身の周囲にあることを嫌ったジークは、二番に指示を出すことにした。
そんなことを全く知る由もないミュレは、指に付いた油を舐めながらジークをじっと見つめていた。
●
「見て下サいミュレさん。きれいなお花」
一人で先頭を歩いていたリュリュが、路端で一輪の花を見つけて無邪気に喜んでいた。しかし、ミュレはいつもと変わらずジークの傍にいる。
「ミュレ、リュリュの所へ行ってやれ」
「……ん」
頷いてからも暫く黙ってジークに付いて歩いていたミュレであったが、最後はジークに背中を押されてリュリュの許へと行かされた。
「花を好まんとは、珍しい奴だな」
「無理にでも好きになってもらう。奴は、だいたいのことに興味を持たん」
事実、ジークはミュレに一般的に使用するリグニア単語を仕込んでいたが、肉やパンといった食に因んだ単語に比べて花や石、雲、空や日といった単語の定着は極端に時間がかかった。知恵が遅れている可能性もあったが、一番大きな原因は興味関心の欠落にあるとジークは推測していた。
「未だにミュレは、小用に行きたいと言葉では伝えられん。困った話だ」
「ヌ……それは、そうかもしれないな」
真顔で親か何かのような愚痴を話すジークに、アシュレイは笑みを堪えて彼に合わせた。
「――ジークさん! ジークさーん!」
「む?」
リュリュが血相を変えて二人に駆け寄ったのは、正にそんな時であった。
「あの、ミュレさんが、お花、ぱくって……!」
「む」
リュリュに遅れて寄ってきたミュレが、口から花の茎を出しているのを見て、ジークは溜息を吐いた。
「……ミュレ」
「……んむ」
と反応するミュレの声は、いつもよりくぐもった声であった。ジークが目を凝らして見ると、口が微かに動いていた。咀嚼しているのである。
(まさか、花の匂いにつられたのか?)
(だとしたら、我々の予定に狂いが生じかねんな)
(同意)
(奇怪千万)
(同意)
ミュレが見せた新たな奇行を分析するジークと二番。彼女の不気味さを警戒する六番と五番と、様々な思惑がジークの中で流れたが、食べてしまった花が毒草である場合を考慮して、とりあえずミュレに吐き出させることにした。
「お前が食っているその花は、食べられん。吐け」
「……ん」
まだ口の中をもごもごとさせながらミュレは頷くと、緩慢な動作で口の中から花を出した。噛み潰されて唾液にまみれ、花としての原形を留めていない手の上の物体に、リュリュは思わず自身の口元を手で覆った。
「毒はないンか?」
「……おそらくな。しかし食っても腹の足しにはならんし、何より変な癖が着いても困る」
またしても親か何かのような心配事を口にしたジークは、膝をついて視線の高さをミュレに合わせた。
「ミュレ」
「ん」
「俺は、お前が食べる時は俺が『いい』と言ってからだと、そう言ったな?」
「ん」
「それは駄目だと、分かっているか?」
「……ん」
再びミュレは頷くが、今度は間があった。
「ミュレ、駄目なことをした時は、何と言うんだ?」
「ん……」
ジークの隻眼をじっと見つめていたミュレは、首を傾げたまま何度も口を開け閉めしていたが、やがて一つの単語を、切れ切れに紡ぐのだった。
「……ごめん……な、さい……」
「む」
定着が不完全であっただけに言葉は拙いものであったが、言い間違いはなかったのでジークは及第とし、彼女の頭に手を乗せた。
「……いい?」
「む。だが、もう少し正しく言うべきだな」
「ん……」
髪を掻き回す、犬に対してやるような撫で方を続けながら、ジークは重々しくケチをつける。
「……あの、ミュレさん……早くソれ、捨ててほシいんでスが……うぅ」
未だにミュレが『きれいな花だったモノ』を持っているので、リュリュはちょっと顔が青ざめていた。
●
頃合いは夕刻。日に日に釣瓶落としという言葉の意味を実感させる紅い夕日の下に、アシュレイの雄叫びが木霊する。
聖ピータズ山道に入ってから二日後、ジーク一行は、またしても屍の魔物達に遭遇することとなった。
「おい、あン光る風はどうした!?」
「今は風が吹いていない。無理だ」
アシュレイが二体のゾンビを斬り斃した横で、ジークは平然と返して魔物を両断する。
状況は、一貫してジーク達が不利なままであった。
夜が近付くにつれ、魔物達はその数を徐々に徐々に増していき、ジークの魔術なしでは打開できないであろうというまでに追い詰められていた。
(まさかとは思うが、風の吹いていない時を狙ったというのか?)
(可能性有)
(流石に荒唐無稽に過ぎるとは思うが……否定もできないな)
ジーク、雄弁な二番、可能性を低い順に優先する三番のやり取りとは別に、四番、六番、七番が全力で打開策を模索し続けていた。
敵と味方の位置。地形。敵の数。残存体力。理想と現実の擦り合わせ。最良と最善の選択。幾つもの要素が目まぐるしい速さでジークの頭の中を駆け巡っていた。
(――警告)
(む)
無論、ジークには手を休めている暇などない。
戦闘に関する知識と技術と経験を司る五番の補佐の下、絶えず迫り来る魔物を斬り伏せねばならない。
(――報告)
四番による、無機質な声。待ち侘びていたものが、やっと訪れたのだ。
(左手、東の方角。ここが最も手薄)
(罠である可能性有)
(三番、今は現状を維持している場合ではないぞ)
(同意)
(魔術行使が望めぬ現状、緊急離脱こそが最善)
(同意)
結論は既に出ている。残るは好機を逸さぬよう迅速に動くのみである。
「俺の左手が示す先へ走れ! そこへ逃げれば助かる!」
「分かった!」
アシュレイが即応し、リュリュとミュレを抱えて移動しようとしたのだが、そこで彼らは異変に気付いた。
「ヌ? あン娘、どこへ行った?」
「あれ、本当――! み、ミュレさん!?」
「む?」
二人の動揺を察したジークは周囲に視線を巡らせ、そして事の原因を理解した。
いつの間にか、ミュレはジークやアシュレイ達から離れ、屍の群れへと歩いていたのである。
(あの馬鹿、いったい何を……)
(不可解)
動揺から一瞬にして冷静さを取り戻したジークは、アシュレイには構わず離脱するよう告げ、一方の自身は舌打ち交じりに反対方向へと駆けた。
数はおよそ三十。平時ならば殲滅は不可能ではないが、風のない今は実行可能な選択肢は少ない。
ジーク達魔導師は、自分自身の魔力のみで魔術を使用することはできない。
何故なら、彼らの魔術は使用者の魔力によって外界に充満する魔力を取り込み、そこから魔術に必要な各『力』に拡充していくのである。ジークの場合だと、無風状態である現状は非常に好ましくなかったのである。
ミュレの傍に辿り着くと同時に抜剣。彼女に覆い被さらんとするゾンビを横薙ぎに払う。
(せめて風があれば……)
(ないものねだりはするな)
(同意)
少なからず抱いていた願望を打ち払うと同時に、ジークはミュレを肩に担ぎ走った。
僅かの疲労も感じる暇はない。背後には腕を振りかざす屍の群れが犇めいているからである。
●
風の吹く場所までの全力疾走と魔術による殲滅で難事を脱した四人だったが、そのあとに待っていたのはジークからミュレへの雷であった。
「どういうことだ、ミュレ!」
沈みつつある夕日を背に、ジークが声を荒げた。これまで敵を相手にしていた時でさえも崩さなかった表情を憤怒に変えて。
「お前がしたことは、愚行以外の何物でもない。お前自身は元より、俺やアシュレイ、リュリュまでもが死ぬかもしれなかったんだぞ」
「じ、ジークさん……」
凄まじい剣幕でミュレを糾弾しているジークをどうにか宥めようと、リュリュは勇気を出して話し掛ける。
「ミュレさん、別に悪気があったわけじゃないって思いマス。だから――」
「善悪などという要素は無意味だ」
リュリュの弁護を一刀両断したジークは、木陰の中でじっとこちらを見上げているミュレの胸倉を掴んだ。
「ミュレ、何故お前は、勝手に違う場所へ行こうとした? 答えろ」
「……ん」
ジークの威圧感に動じた様子もなく、ただ首を傾げて彼を見上げていたミュレは、自身の瞳に映る青年に答えた。
「やくに、たつ」
「……む?」
微かな声量の、平坦な口調でミュレが答えた内容に違和感を覚えたジークは、眉間にしわを寄せる。
「もう一度だ。ミュレ、もう一度答えてみろ」
「やくにたつ」
先刻と変わらぬ口調で、ミュレは淡々と繰り返した。
(……おい、まさか)
(認めたくはないが、そういうことだろう)
(憤懣)
ミュレの真意をおぼろげに掴み取ったジークは、間違いであってくれという願望を込めて訊いた。
「ミュレ。まさかお前、あいつらと戦おうとしたのか?」
「……ん」
果たして、ミュレは頷いた。ゆっくりと、傾げていた首を縦に振って。
「ソんな……どうシてでスか、ミュレさん?」
ミュレは答えない。ただ自身の襟を掴んで吊り下げているジークを見つめていた。
(やはりか)
(不可解)
(確かにそうだが、何か理由があるはずだろう)
二番の意見は、的を射ていた。ここ数日の間に、ミュレは今日の奇行に繋がるものと思われる言動を多々ジークに見せていた。
ジークは掴んでいたミュレの胸倉から手を離し、彼女にもよく分かるようにゆっくりと問い掛けた。
「……ミュレ」
「ん」
「何故、お前は戦闘が役に立つことだと考えた?」
またもやミュレは、ジークをじっと見つめているだけかと思われたが、不意に片腕を真っ直ぐ横に伸ばした。
「……あれいった」
「ヌ?」
その先にいたのは、アシュレイである。
「ばけもの、たたくう、やくにたつ。いる、いい」
リュリュとアシュレイは首を傾げた。ミュレの言葉は幾つかの異なる国の言語が混在である上に、発音が極めて平坦だからである。
そうした二人にはまるで関心を示さず、ミュレは次に自分を指さした。
「わたし、ばけもの」
「……む」
ここでジークは、ミュレの奇行の発端を知った。
以前、アシュレイは自身の特殊な身の上を語る際に、自らを“化け物”と例えていた。
(――「俺は“化け物”でいい。だが、“化け物”には“化け物”だって一緒にいられる。……大事な奴ン、役に立ってな」――)
自嘲とも自負ともとれるアシュレイのこの言葉を、ミュレは聞いていた。
(その後、お前はミュレに何と言った?)
(む……)
(――「……ない?」――)
(――「む、そうだ。お前は役に立っていない」――)
ジークの優れた記憶力は、一字一句違わずにあの雨降る夜の会話、ミュレの奇行がその晩が明けた日から始まったことを思い出させた。
(最終的に、決め手になったのはお前の一言のようだな)
(……むぅ)
認めたくはないが、事実を捻じ曲げても仕方がないことをジークは分かっていた。
これまでに集まった情報を総合して類推すると、ミュレはジークの役に立つ方法を模索しており、ジークやアシュレイが逃げの一手に徹しようとした先刻の戦いでとった蛮行も、その一環だということになる。
全ては、ジークに認められるために。
(む……こうなってしまったか)
諸般の事情から殆どの物事に対し関心を持たないミュレに興味や執着心を持たせようと教育を始めた時から、ジークはその対象として最も接点が多くなる己を選ぶことを危惧していたが、それが形になってしまったのだ。
(それで、お前はどうするんだ?)
という二番の問い掛けには答えず、ジークは自身の選択に従って口を開く。
「ミュレ」
「ん」
片時もジークから目を離さない少女の瞳に、僅かだが意思の光が宿る。
「お前は、俺の役に立ちたいんだな?」
「ん」
ミュレが、顎を引く。相変わらず表情らしい表情を欠片も見せないが、普段は眠たげに細められた藍色の瞳が、夕陽の最後の輝きを受けて煌めいた。
そうしたやり取りに耐えかねたアシュレイが「俺達を忘れないでくれ」と言って、ジークとミュレの間に割って入った。
「おい、じきに陽が沈むぞ」
「……む、分かっている」
ジークは、何故か頬を赤く染めて俯いているリュリュにも視線をやると、ずだ袋を肩に担ぎ暗くなり始めた山道を歩き出した。
「――明日は、お前にも協力してもらうぞ」
「ヌ?」
アシュレイの横を通り過ぎる瞬間、素早く耳打ちをして。
●
日が昇り、聖ピーターズ山を照らし始めた頃。山道の少し開けた場所で、ジークとアシュレイはリュリュとミュレが見守る前で、互いに向かい合って立っていた。
「戦いとは、互いに向かい合ってから始まる」
「……ん」
独り言のようにジークが言うと、ミュレは小さく頷いた。
「では次に、互いに構える」
そう言って、ジークとアシュレイは同時にだらりと下げていた手を胸の辺りで構える。
「構えた次は、戦いだ」
ジークのこの言葉が合図となって、二人は動いた。
「仮に敵が先手を打っても、油断せずに相手する」
アシュレイが、大きく腕を振りかざして殴り掛かる。それをジークは受け流して回り込んだが、アシュレイは素早く身を翻してジークの膝に蹴りを叩き込もうとした。
「当然、敵も動きを読んでくる。……手足だけではなく、目や頭も使わなくてはならん」
アシュレイの蹴りは空を切った。ジークが彼の動きに合わせて半身を切り、そこから生まれた体の捻りを利用して強烈な裏拳を叩き込もうとする。
息を呑むような攻防が幾度となく繰り広げられた。やがて、どちらともなく模擬格闘を終えると、二つの拍手が起こった。呆然としながら手を打つリュリュと、彼女の真似をしているらしいミュレである。
「以上が、基本的な戦いだ」
息も乱さずに、ジークは淡々と述べた。
「ミュレ、今からお前には、これと同じことをやってもらう。俺のここ……顔に手を当てることができれば、お前の勝ちだ。戦って役に立てるようにしてやる」
「ん」
役に立つ――ジークがこの言葉を口にすると、ミュレの瞳が光を反射した。長く彼女を観察してきたジークならではの着眼点である。
ミュレは、理屈で説明したところで理解できない。
ジークは、リュリュに言ってミュレをアシュレイが立っていた場所まで歩かせると、次に構えるようミュレに告げた。
「やってみろ、ミュレ」
「ん――」
ミュレの全身が、僅かに沈んだ。
直後、衣の裂ける音が聞こえたかと思いきや、
「――――」
ミュレが、目の前にいた。
「むっ!?」
構えは先刻のまま、腕を大きく振りかぶっている。回避は間に合わない。迂闊に防御できない。反射に近い速度で右腕を小さな拳に合わせて受け流す。
(…………ッ!?)
直後に走る、激痛。
(っなんだ、これは――)
湧き上がる疑問。しかし答えも、考える余裕さえもない。
(警告!)
次の一撃が、永遠に近い一瞬を突き破って放たれた。
分割思考を巡らせる余裕もない。反射的に両脚に力を込め、体勢を殆ど変えずに跳びすさった。鼻先を、ミュレの大振りの拳が通り過ぎていく。
(手加減無用)
(……そうせざるを得んな)
考えを改めた直後、ジークは距離をとりつつ、全ての分割思考に指示を下した。
(――二番以下、優先順位を『外敵無力化』に変更)
(了解)
指示を出した直後、ジークには全てのモノの動きが緩慢になったかのように感じられた。
それまで、あらゆる情報の管理と処理に充てられていた全分割思考が、視界から経由した情報の高速処理や戦略、戦術の算出といった、戦闘に関連するものへと役割を統一されたのである。
(見えるぞミュレ、お前の動きが)
ミュレのでたらめな一撃が空を抉る。しかし、光を宿さぬ藍色の瞳は既にジークを映していた。
ミュレが来る。一歩一歩の幅が異常に広い。構えは先刻と同じ。大きく振りかぶっている。
(確かに、あれだけだ)
異様に振りかぶった姿勢であるだけで、他にあの破壊力を生じさせた要因は全く見当たらない。ましてや、容易く衣服を破るような、異常極まりない瞬発力の説明などできるはずもない。
(魔術を使用している確率は低い)
(先天的な要素に起因するものと推測)
(先天? つまりこれは、奴が生来備えていたものだというのか?)
(肯定)
それ以上の余裕はなかった。ミュレの小さな拳が、ジーク目掛けて再度放たれたのだ。
(要回避)
四番が、ミュレの腕の長さから間合いを素早く算出する。ジークはそれに従い回避を試みるのだが、
「む……っ!?」
拳は、跳躍したジークの右肩へと突き刺さった。骨の砕ける鈍い音が、焼けているかのような激痛を伴って襲う。
(しくじったか……!)
(猛省)
自身の経験が裏目に出てしまったことを、ジークは痛感していた。
考えてみれば、ミュレに間合いの心得などあるはずがない。先刻の肩への一撃は、偶然の代物だったのだ。
確実に骨が甚大な被害を受けているのだろうが、人体の構造に長ける三番を含めた全ての分割思考を戦闘に使用しているため、現時点では調べようがない。
(早々に仕留めるぞ)
(了承)
最早、ジークにはミュレの名前を読んで止めるという選択はなかった。戦闘時であっても独立させてある二番や三番を含めた、正真正銘全ての分割思考が、今やミュレを完全に敵として捉えているのだ。
(――む)
ミュレが、動く。蹴り足が地面を抉る爆発的な瞬発力は常人の想像を超えた一歩を可能とし、振りかぶった小さな拳は鍛え上げられた筋肉を貫き骨をも砕く。
それらを秘めた小柄な少女と相対するジークは、自由に扱える左手が前に出るよう左半身を前に構え、肘にやや余裕を持たせつつ腕を伸ばした。状況が違えば、握手を求めているようにも見える。
この間、ミュレは三歩も距離を詰めていた。たかが三歩だが、既にミュレは間合いに入ろうとしていた。
振りかぶられていた右腕が、その先にある拳を前へと突き出した。
「あっ!?」
リュリュが、大きな目を更に大きく瞠った。
ミュレの体が、空中で一回転した。
地面を打つ、鈍い音。土埃が上がり、一時視界が土の色に染まる。
「ミュレ、終わりだ」
「……ん」
破れたスカートと髪をはためかせるミュレは仰向けの姿で地面に倒れ、ジークは右手で彼女の首を掴み押さえていた。
恐る恐る、リュリュは事態の説明をアシュレイに求めた。
「アシュレイ」
「……俺にも、分からん」
アシュレイは額の脂汗を拭うことも忘れ、ミュレを立たせているジークを食い入るように凝視していた。
「ただ、これだけは言える」
「?」
アシュレイが、言葉を繋ぐ。汗が鼻先を流れ落ちる。
「あんな技は、俺には真似できん」
どちらも化け物だ、と口に出しては続けず、アシュレイはリュリュとともにジークとミュレの許に歩み寄る。
●
それら一部始終を眺めて戦慄している人物は、もう一人いた。ジーク達の場所からは見ることもできない木立の中、小さな体躯を殊更に縮めている少年が。
(う、嘘でしょ……)
軽装をまとい弓を下げ、黄色い頭巾で頭を隠す少年の名は、ヴィル。とある男の命の下に、ジークを探る密偵でもある。
(信じらんないよ。あの人、片っぽの腕と足だけで……な、投げちゃった)
ヴィルの眼は、見通しの悪い、遠く離れた位置からでも事の真相を見抜いていた。
ミュレの右腕が伸びる直前、ジークは構えを崩さず左斜め前に一歩動いていた。それだけで、あの驚異的な速度と威力の一撃を紙一重での回避をやってのけたのである。これだけでも充分瞠目に値するが、ジークがあの瞬間にやってのけた行為はそれだけに留まらない。
ジークは身を躱すと同時に足払いでミュレを転ばせ、更にそこから左腕で宙空にある彼女を地面へと叩き付けるように投げたのだ。
(ジークさんの技も信じられないけど……それにしても、あのミュレってお姉ちゃんも何者なんだろう)
動作は全くと言っていいほど洗練されていない、正に素人そのものだったが、あの動きは素人の娘にできるようなものではない。
(……一応、ディノンさんに報告しとくべきかな)
何やら話しているらしい四人を眺めながら、ヴィルは観察対象の追加を考えていた。
●
「お前達はここで待っていろ。……ミュレ、ここにいろ」
「……ん」
ミュレ達にそう言い残したジークは、ずだ袋から小さな皮袋だけを持って薮の中に姿を消した。
彼らからは見えない、林の中に立っている樫の木の根本に腰を下ろした途端、ジークの表情が苦痛に満ちたものに変わった。
「…………っ」
焼き鏝を押し付けられているかのように熱く痛む右肩を押さえていたジークだが、まずはミュレの最初の一撃を受けた右腕の袖を捲くる。
ミュレの拳の形に拉げた手甲が、腕の肉に食い込んでいた。
(これがなければ、完全に使い物にならなくなっていたかもしれん……)
(可能性大)
歯を食いしばり、手甲を外す。血の糸を引くそれを傍らに投げ捨てたジークは、右腕の触診を行う。
傷は酷い内出血が一箇所と裂傷が数箇所であった。幸いにして骨には大きな異常はないようだが、手甲が陥没した際に生じた破片が傷口に食い込んでいた。見えているものだけで、五つか六つはある。傷を癒すには、それら全てを取り除かねばならない。
(肩周辺の骨折を優先的に治療すべき)
(同意)
(……む)
耐え難い痛みが続く中、ジークは左手を右腕の付け根辺りに触れさせ、情報を三番と六番に伝えさせる。
(骨折箇所は鎖骨のみと思われる。また骨片による二次負傷は見られず)
返答は、主格にあたるジークの苦痛が一切反映されぬ、無機質で怜悧なものであった。それこそが、分割思考の利点の一つでもあった。
(では六番、特別な治療は必要ないわけだな?)
(肯定)
いつも通りの骨折だと判明するや、ジークは言葉を紡ぐ。
思い浮かべるものは頬を撫でる、涼やかな風。
『“安らぎの微風”』
呟かれたものは、この世の理を再現するこの世ならぬ業。千の軍勢を破り、また同じ数だけの命を救うこともできると謳われるその業を、人は『魔術』と呼んでいた。
ジークの全身から、翠緑の、胞子にも似た細かな光の粒が漂い出す。日差しを受けて煌くそれらは、ジークの右肩へと集まっていった。
「む……」
焼け付くような痛みが、洗い流されるように薄れ、消えていく。ジークが腕を軽く回してみても、痛みは感じなかった。
(次は腕だな)
(む)
皮袋から、折れ曲がった細い金属の棒を取り出した。鑷子と呼ばれるそれは、数々の道具と共に彼が師匠と仰ぐ人物から与えられた品の一つであった。
(消毒は……必要ないか)
(同意)
(同意)
僅かな躊躇もなく、しかし慎重に、ジークは自らの傷口に鑷子の先を突っ込んだ。
痛みの原因が半減したことで、集中力を掻き乱されることもなくなっている。利き手ではない左手に操られる鑷子は、殆ど震えることもなく手甲の破片を摘み、取り出していく。
(破片、目視していた分は摘出完了)
(魔術“安らぎの微風”、証明完了)
(む)
治療の下準備を終えたジークは、“安らぎの微風”を再び発動させながら考えを巡らせた。
(……それで、どうする?)
(む……)
二番の問い掛けは、皆まで言わずともジークに伝わった。こうした状況に限らず、分割思考は客観性を確立するためにジークの意識から独立してはいるが、記憶の共有や瞬時の意思伝達といったような、情報処理の高速化が工夫されている。
驚異的な結果を残したミュレだが、結果的にジークの返し技に組み伏せられたので、ジークが示した課題を完遂できていたとは、厳密に言い切れなかった。
(……しかし、あの人智を超えた身体能力を放置しておくというのは……)
ミュレがこちらの比護下から完全に独立したならば、頭を痛める必要は全くないが、連れて回らねばならない今、彼女の力は確実に不必要な災いを招きかねない。
処置か、放置か――この二つの道の前に、ジークは立っていた。
(お前のことだ、既に腹は決まっているんだろう?)
(……そこまで分かっているならば、答える必要はないな)
調合した傷薬で最後の仕上げを行い、使い物にならなくなった手甲を繁みの中に投棄したジークは、傷の癒えた腕に捲くっていた袖を戻して立ち上がる。
「…………」
「む」
藪を抜けてすぐ、目の前にミュレが立っていた。
「あ、ジークさん」
リュリュもすぐジークに気付き、心配そうな表情で駆けてくる。袖に血痕の残った右腕を気遣わしげに見ているので、ジークは『問題ない』とだけ告げておいた。
「ミュレ」
「……ん」
ジークに呼ばれて、ミュレは比較的早い反応を見せた。
「これから、お前の体力を調べる。いいな?」
「ん」
「え……ちょっと、待って下サい」
あっという間に会話を完結させてしまったジークとミュレの間に、リュリュが無理矢理入った。
「ど、どういうことなんでスか? あの、体力を調べるって」
「別に捻りなどないミュレの体力がどのような程度にあるのかを調べるというだけだ」
「ソうジャないでス!」
分かり切っているはずなのに戯言を弄したジークに、リュリュは一歩詰め寄った。
「わたしは、どうシてジークさんがソんなことをスるのか、ソれを教えて欲しいでス!」
そう言って、リュリュは唇を引き結び、ジークを真っ直ぐに見上げた。ジークはそんな様子の彼女を十秒ほど凝視すると、ただ一言こう言った。
「じきに分かる。アシュレイ、お前も手伝え」
「ヌ……」
アシュレイ自身は引き受けてもよかったのだが、リュリュは厳しい目つきで睨んでくるので、返事は自然と拒否に傾く。
「む、それならば構わん。好きにしていろ」
アシュレイが断っても、ジークは顔色一つ変えずにミュレに指示を出し始めた。
●
ミュレの身体能力を測っている間に太陽は橙色に染まり、山の向こうに没してしまった。
頃合いは夜。空気は日に日に冷たさを増し、清水のように染みてくる。
「ミュレさん、大丈夫でスか?」
ジークが体力を調べる前に比べて、明らかに全身に汚れが目立つミュレは、しかしリュリュに何も返さなかった。一日駆け回ったようなものなのに、疲労すら感じさせない藍色の瞳は、焚き火の揺らめきと銀髪の青年を封じ込めるばかりであった。
その視線の先にいる青年ことジークは、火を熾した時以外はずっと難しい表情で腕を組んでいるだけだったが、やおら着ていたマントを脱ぎ、ミュレに与えた。
「ミュレ、お前はもう寝ろ」
「リュリュ、お前もそうするといい」
「……ん」
「うん、おやスみなサい」
二人の少女が頷き、ジークのマントに包まってから暫く経つと、徐にアシュレイが口を開いた。
「……あんなことが、あっていいンか?」
「いいはずがない」
二人が話しているのは、今日行ったミュレの身体能力の測定結果についてである。
はっきり言って、ミュレが叩き出した数値は異常を極めていた。
ジークとの模擬戦で嫌というほど披露した瞬発力と腕力に加えて、ミュレは持久力、柔軟性、動体視力、反射神経といった、およそ現時点で調べられ得る身体能力の全てが常人の範疇を遥かに上回っていたのだ。
「あン娘、本当に人か? あんな芸当、俺ン知ってるニールでもそうそうできるものじゃあないぞ」
「……俺も、奴の全てを知っているわけではない」
ジークは集めておいた枯れ枝を焚火の中に放り込むと、リュリュと並んで眠るミュレに目をやった。炎に照らされる彼女の相貌は、石像のように生気を感じさせない。
そんなミュレを見つめること数秒、ジークは平静を保ちながら言葉を繋ぐ。
「ただ、奴は“化け物”と呼ばれていた」
「“化け物”? ……おお。そういえば、昨日そんな話をしていたな」
「それ以上のことは、俺は知らん」
「あン娘は、お前ン女じゃないンか?」
「違う」
ジークはそれ以上の追及を拒むかのように隻眼を光らせたが、アシュレイは更に一つ加えた。
「それで、あン娘をお前はどうするんだ?」
「それは決めてある」
平然と質問を続けてきたアシュレイに嘆息しつつ、ジークは端的に答えた。
「全ては、明日話す」
●
ミュレという少女は、“化け物”と呼ばれ、恐れられると同時に忌み嫌われていた過去を持つ。
少女がこのようなおどろおどろしい呼び名を付けられた根本的な理由は定かではない。ミュレの義理の両親が彼女を引き取る時、既に彼女は人形のような雰囲気を漂わせ、社会から孤立していたという。
接触を拒絶され、歪んだ居場所しか与えられず、生命維持を除いた殆どへの関心を欠落させた少女。
それが、ミュレの歩いてきた道であった。
●
翌朝、アシュレイとリュリュは早朝から緊張感に包まれていた。
二人の前にいるのは、一見するといつもと変わらず向かい合っているように見える、ジークとミュレ。
「む? リュリュ、お前は蛇が苦手だったのではないか?」
「え? あ、ソ、ソでシたね……」
知らぬ間に自分が蛇の干物をかじっていたことに気付いたリュリュは、恥ずかしそうに笑いながらそっとアシュレイに渡した。
「まだ不慣れだろうが、食えるものがあるうちはそれで食いつなぐべきだ。早く慣れてしまうことだな」
「はい……」
リュリュに、アシュレイが受け取った干物をかじりながら、ハイランダー言語で囁く。
(どうしたリュリュ。腹の調子でも悪いのか?)
(ううん、ちょっと……)
と、リュリュは言い出すべきか束の間迷ったが、努めて平静を保ちながらハイランダー言語で返す。
(ジークさん、いつもと違うように思わない?)
(ヌ……そうか、道理で妙な気配がしているわけだ)
干し肉の残りを丸ごと口に放り込んだアシュレイは、得心がいった様子で頷いた。
(大方、先日のことでも思い出しているのだろう)
(……うん。わたしもそうだと思うけど)
アシュレイはそれ以上の関心を寄せておらず、リュリュは持ち前の気丈さより気遣いが勝ってしまい質問を切り出すことができず、妙に重たい空気は食事が終わるまで続いた。
「――ミュレ」
「……ん」
ジークが、ミュレの名前を呼ぶ。朝食の前にも会話していたというのに、リュリュはひどく久し振りにジークの声を聞いたように感じていた。
「お前は、俺の役に、立ちたいんだな?」
「……ん」
感情の一切を欠いた呟きだった。しかし、それは確かにミュレの肯定であった。
「お前は、戦いで、役に立つんだな?」
次の問い掛けは、願望を尋ねた先のものと似ていたが、しかし全く意味合いが違っていた。
ジークは、ミュレに己が口にした言葉が、昨日の模擬戦を経過した後であっても変わらないのかと、最後の確認をしようとしているのだ。
「ん」
それを知ってか知らずか、ミュレはいつものように、僅かに顎を引いて頷いた。眠たげに細まった藍色の瞳には、真っ正面から見据えるジークの姿が映っている。
「む、そうか」
表情一つ変えず、冷淡な声音で呟いたジークは、射抜くような視線をミュレに向けた。
(やはり、この道を選ぶよりないか)
(不本意)
模擬戦の時以降、ジークは一つの選択肢を前にしていた。
――ミュレに戦う術を仕込み、その過程をもって彼女を制御することである。
ジークは、この選択肢が幾つかの利点と、同数の危険性で構築されてると判断していた。
利点としては、これまで行ってきた教育と平行して上下関係の徹底を図ることによって、ミュレの尋常ならざる身体能力や予期せぬ行動を抑制できる可能性があることが大きい。上手く事を運べば、ミュレの独立を早めることも可能になるだろう。
一方、ジークが最も危惧しているのが、接点が増えることによってミュレが今まで以上に執着してくることであった。ミュレが旅に同行したがった理由が判然としておらず、迂闊な選択をすべきではないという意見も七番から出ていた。
(だが、あの力を知っていて放置しておくことはできん)
(同意)
合理的とは言い難かった。しかし、状況が変化していることを知りながら現状を維持することは、ジークの根本的な部分が許さなかった。
「だがミュレ」
踏み出した。もう引き下がることはできない。
「お前は、実に不安定だ」
「……ん」
「力も速さもあるようだが、技がない」
「……ん」
「そして何より、経験が足らん」
「……ん」
全てに同じ相槌を用いたミュレにジークは僅かだが眉を顰めつつ、「そこでだ」と続けた。固唾を飲んで、リュリュとアシュレイもジークの言葉を待った。
「お前には、俺の訓練を受けてもらう」
「……ジーク、の?」
小首を傾げるミュレに、ジークは短く肯定する。
「とても辛いものとなるだろう。嫌にもなるだろう。やめたくもなるだろう。……それでも、やると言うんだな?」
「ん」
ミュレは、ただ小さく頷いた。いつものジークに比べて長々とした説明を聞かされても、沈黙を挟まずに頷いたのである。
それは、ミュレによる、はっきりとした意志の表れに相違なかった。
2【そして彼女は持ちかけた】
朝日の差し込む山中の森林に、ジークはいた。
意識を、研ぎ澄ます。目は、閉じない。
魔導師であるため、もとより風を読む術には長けていたが、今回は特に神経を張り巡らせている。一つ一つの小さな動きの全てを意識するのではなく、それらを内包した、より大きなものの中から『うねり』を見出だすのである。
――来た。
首筋に、張り詰めたものを感じる。『うねり』だ。出所は背後。速い。
反転。いた。構えられた右拳。届くまで秒もかかるまい。
轟音。風を切る拳。捌くのは危険。
「…………っ!」
可能な限りの速度で軌道を予測し、初手を躱わす。威力を想像し、思わず唸る。次の一撃。左拳。順当だ。息を吐く暇すらないが、単純な動きは読み易く、それに合わせて躱すのもまた然り。
狙いは顔面。首を傾けて躱わす。拳が僅かに頬の皮を削ぐ。傷とも呼べぬ傷ではあったが、ジークの矜持を削ぐには充分であった。
未だ完全には捉えきれず――瞠目と不満は思考の片隅に追いやり、今は眼前の蹴りを捌く。
後ろへ一歩跳ぶ。種類は前蹴り。まだ届く。それが分かると同時にもう一歩下がる。
伸び切った脚が空を裂く脇で身を翻し、息も吐かせず同時に反撃。狙ったのは反対側の脚。
足払い。何も抵抗できはせず、頭は下に足は上に、大きく輪を描きつつ、宙を舞って地に落ちた。
「終わりだ、ミュレ」
「……ん」
ジークは半身を切った構えのまま、仰向けに倒れたミュレに訓練の終了を知らせる。
一声かけてミュレを立ち上がらせると、ジークは彼女にも分かるよう評価を下した。
「少しは、よくなっている」
「……いい?」
ミュレは、小さく首を傾げて鸚鵡返しに訊いた。それに「む」と頷いたジークは、続いて批評に移る。
「だが、まだ動きが単純だ。次はもっと考えてみろ」
「ん……」
ジークに撫でられながら、ミュレは顎を引く。
ミュレの驚異的な身体能力が明らかになってから、早いもので七日が経った。ジークは一時的に行程を遅らせ、朝と晩の二回、時には魔物をも相手に、ミュレに戦いの技術を仕込んでいっていた。本来ならば、戦うための体作りから始めるべきなのだが、幸か不幸か、ミュレには生得のものと思われる身体能力があったため、そちらに時間を割くことはなかった。
しかし、その身体能力は同時に厄介でもあった。ミュレは、どうしても自身の能力を持て余してしまうのである。
走らせれば全力であらぬ方角へと走り、止まることもままならぬといった具合に、簡単な動作一つでも、兎に角ミュレは自分の身体能力に振り回されているようにジークは見たのだ。
(いきなり何もかもが我々の期待通りとはいくまい。七日かそこらなら、上出来だと思わないとな)
(それにしても、奴の身体能力が先天的なものというならば、あんな事態は起こらないはずだが……)
(奇妙)
(同意)
ジークと七番に続いて、六番が同じ意見を持った。特に六番はミュレのことを強く警戒しており、ジークが負傷して以来その傾向がますます強まっていた。
(対象の抹殺、排除、またはそれに類する行為を迅速に取り組むべきとの意見を再三提言する)
(六番、奴の危険性を把握した上で選択は行われたんだ。もう手遅れだよ)
ミュレに否定的な六番に比べて、二番は出会った頃から一貫して寛容な姿勢を示していた。二番もまた、擬似的人格の一つなのだが、最初期に作られたということもあってか非常に強い自我を持ち、ジークにさえ分かりかねる部分を有していた。
(反論。敵性の疑いある者は即刻我らの周囲より排除すべき)
(今のところ、訓練以外で奴は自ら我々に危害を及ぼそうとはしていない。今は、本当に奴が敵なか否か、それを見極めることに力を注げばいいのではないか?)
二番と六番が、ミュレの処遇について口論するのはいつものことであった。
そしてそれは、ジークの内心ではミュレの扱い方を決めかねていたからに外ならない。
分割思考といえど、根本にあるのはあくまでジークの知識や記憶なのである。したがって分割思考の論争とはそのままジークの葛藤に繋がっていた。
ミュレと出会い、じきに一ヶ月が経とうとしていた。あの時先送りにしていた疑問は、未だに答えが見つかっていない。
「……む」
ジークさん、と呼ぶ声。ジークが振り返ると、背後にはリュリュがいた。どうやら頃合いを待っていたらしい。
「ジークさん、もう終わりマシたか?」
「む」
リュリュに言われて、ジークは自分がずっとミュレの頭を撫でていたことに初めて気付いた。ジークが手を離しても、ミュレはジークをじっと見つめている。
「あ、ご飯の準備できマシた。早く来ないと冷めちゃいマスよ?」
「む、そうか」
一足先に駆けていったリュリュの後を、ジークとミュレは顔を見合わせずに続いた。
焚火の傍には、既に鍋が食べ物の匂いを漂わせつつ待っていた。
「えへへ、今日も美味しくできマシたから、いっぱい食べて下さいね!」
「む……」
リュリュが明るい笑顔と口調で渡してきた器を、ジークは対照的なまでに無愛想な態度で受け取り、表情一つ崩さずに匙を口に運んだ。
「どうでス、美味シいでスか?」
「む、そうだな」
またもや無愛想な反応ではあったが、ジークが一応頷いてみせると、リュリュは嬉しそうに笑った。
(彼女、明るくなったな)
(む?)
不意に、二番がリュリュについて指摘する。
(気付かないのか? 三日以前まで暗い表情も見せていた彼女が、我々やミュレにまた笑顔を見せるようになっている。これを変化と呼ばずして何と言う?)
(変化……)
二番の言葉を内心で繰り返したジークは、汚れたミュレの口元を甲斐甲斐しく拭いているリュリュに目をやった。視線に気付いたリュリュは、小首を傾げて片手を出した。
「ジークさん、もっと食べマスか?」
「む……今度は少なくしておいてくれ」
ジークの嘘に「分かりマシた」とリュリュは微笑みながら返して、器を受け取る。
(どうした? 彼女が自身の抱えている悩みを吹っ切ってくれたのならいいじゃないか)
(……そうだな)
淡々と食事を掻き込みながら、ジークはミュレに気付く。
ミュレは、またも匙を片手にジークをじっと見つめていた。
●
*アルバート・フレッチャー著『リグニア史大全[』より一部引用。
エタールとは、リグニア南西部に広がる山と海岸の多い地域である。海路が未発達であった時代は、西の大国ヴァンダル、北のフェリューストとを繋ぐ要所であり、古くからこの土地を巡る争いが起きていた。また、我々リグニア人とは異なる文化や風習を持った人々もいたことが確認されているが、“統一運動”(脚注35参照)以後は彼らに関する情報は極端に減少し、私が最後に入手できた情報はアルトパ地方との境目に僅かな生活痕と伝承を発見して以来絶えて久しい。様々な地方から人や物が往来していたため、独自の訛りや食文化が見られることも特色の一つ。
※35“統一運動”
公歴 年にフェリューストが行った改宗運動、またはそれに端を発する五大国による侵略戦争が頻発していた時代の名称。国と地域によっては、未だにこれを恨む者もいる。
●
頃合は昼を過ぎ、僅かに夕刻に差し掛かっている。九の月が終わり、十の月も半ばを過ぎると井戸に桶を投げ込むかのように陽が沈んでいってしまう。
リグニア王国は他の五大国以上に人や物の出入りが激しく、ジーク達三人は、南北と東の三門のうち、北の門で名前の記帳と病気の有無と所持品の確認、滞在する人数、目的やおおよその期間といった諸々の記録と手続きを経たのであったが、最後の最後で門衛から「あのぅ」と物言いがあった。
「む、どうかしたか?」
預けていた長剣を腰から下げ直していたジークは、気の弱そうな門衛に訊いた。すると門衛は、
「そ、そのぅ、貴方様は何の問題もないのですが……」
言葉を濁し濁し、代わりに目線で告げた。
彼の視線の先には、服としての役割を半分ほどしか満たしていない物をまとうミュレと、粗末な獣皮の服しか身に付けていないアシュレイの姿があった。
「あのぅ……さ、さ、差し出がましいことだとは重々承知していますが……あ、あの方々はいったい?」
「む……」
門衛の言いたいことは、もっともだとジークも思った。
ミュレが身につけているものは当世風と言えるものであったが、半月もの過酷な訓練ですっかり破れ擦り切れてしまい、もはや修繕の痕がない場所を探す方が難しくなっている。
(アシュレイとリュリュはハイランダーの衣装が原因か。ミュレの方は兎に角として、あの二人についての説明は少々面倒だな)
(同意)
アシュレイ達ハイランダーとリグニアにおける確執を考慮に入れたジークは、門衛に「ここの責任者は誰だ」と訊いた。
「は……?」
「いるなら俺を案内しろ。手間は取らせん」
最初は戸惑っていた門衛だったが、最終的には一歩も引かないジークの圧力に屈して、不思議そうな顔をしているアシュレイとリュリュをその場に残し、
「……ミュレ、お前もそこで待っていろ」
「……ん」
当たり前のように後ろに立っていたミュレを出入口に残して、今度こそジークは取調室の奥に通じる扉をくぐった。
●
細長い通路を抜けた先には、真新しい樫でできた扉があった。門衛が恐る恐る開くと、簡素ながらも書斎の体を整えた部屋に続いていた。
「どうしたのかね」
部屋の更に奥で執務机に向かっていた人物は、鎧の代わりに隊長を表す襟章を付けた軍服に身を包んだ男であった。痩せぎすだが、服の上からでもそれと分かる引き締まった体つきは、枯れ枝というよりは細い筋を寄り合わせた縄のようだ。
門衛は視線を俯かせつつ、事の次第を報告した。
「あ、あの、こ、こちらの方が、ですね、隊長にお目通り願いたいと」
「ほう」
眼を細めて、責任者はジークを注視する。よく言えば謹厳実直な、悪く言えば融通の利かなさそうな雰囲気を漂わせていた。
「失礼ですが、当方に何の用が?」
「こいつを、見てもらおうか」
そう言って、ジークが懐から何か取り出して見せた途端、隊長は目の色を変えて席から立ち上がる。扉の傍に控える門衛からは、その正体を確認することができなかったが、懐から出したということは、小さな物に違いなさそうである。
「俺と一緒にいた男は、[バーソロミュー]の傭兵。背丈が低い方の女はその侍従――そういうことで通してもらおう」
「……分かりました」
愕然とした様子でジークを見つめる責任者は、それ以上は何も言わずに頷いた。ただ一人、門衛だけが事態を飲み込めていなかったが、ジークと責任者は彼を完全に無視して話を進めていく。
「……では、明朝に赴くとしよう」
「分かりました、それまでには。――おい、そこの。君には追って呼ぶので、今は下がってよろしい」
「は! かか、畏まりり、畏まりました!」
吃り癖か小心故にか、門衛はひどく畏縮した様子で一礼すると、扉を開く動作も慌ただしく、部屋をあとにするのだった。
門衛の気配が遠ざかると、隊長は表情の端を強張らせつつ口を開いた。
「ところで、こちらにはどのような用向きで?」
表情の強張りの下に隠れていたものを、ジークの隻眼は見抜いていた。
怯えや卑屈、そして原色に光る欲である。
「……お前が知る必要も権利もない。明日の朝までに資料を揃えておけばいい」
それらを知っていて、ジークは全てを語ることを拒んだ。隊長の方もジークの鋼の如き意思を感じ取ったのか、平然とした面持ちで「左様ですか」と応じ、話題の展開を図った。
「それにしても、よく無事にここまで来れましたね」
隊長の言わんとしていることを察したジークは、「人の姿をした魔物の群れか」と告げる。
「……やはり、遭遇していましたか」
頷いた隊長は、もう一度重たい息を吐くと、隊長は「どうか他言は無用に願います」と前置きしてから語り出した。
「貴方には包み隠さず申しますと、我々はあれらにはほとほと手を焼かされっ放しでしてね、ここ何ヶ月かばかりで幾度被害報告を耳にしたかを数えるのも嫌になりました]
苦笑めいた表情が隊長の顔に出たのも束の間、再び重たい疲労の影が表われる。
「あれらが東の方角から現れた以外、正体、総数、発生した原因、何も分かってはいません。現在は夜間の警備を固めることで内部への侵入だけは食い止めていますが、常に後手に回らされているというのが実状。この町にいるリグニア軍だけでは限界を感じずにはいられません」
「戦力なら、[バーソロミュー]の連中がいるだろう」
「今回は逆だったんですよ。最初は[バーソロミュー]の方で個々人から依頼を受けていたようですが、彼らであっても根絶は難しかったようで、エタール支部の代表者から協力の申し出が先日あったんです」
聞き慣れない話に、ジークも「む」と眉を動かした。リグニアのみならず、国境を越えて活動域を広げる傭兵ギルドの[バーソロミュー]には、腕利きの傭兵も少なくない。
(軍と傭兵ギルドが手を組んだのか。これであのゾンビどもが一掃されるといいが……)
希望的観測を述べる二番だったが、それが実現する可能性は極めて低いものだとを推測していた。
本来、ゾンビ――生ける屍と呼ばれる魔物は、自然発生することは決してあり得ないのである。
(理由はどうであれ、あれは知識のない人間には対処できん)
(同意)
(同意)
それに加えて、[バーソロミュー]とリグニア軍(厳密にはエタール領主だろう)と手を組んだのだとしても、上手く機能しないようにジークは思った。
(ということは、我々の出番か?)
(……さてな)
二番への回答を、ジークはぼやかした。
エタールと[バーソロミュー]の計画に割って入り、利益を引き出すことは不可能ではないが、自分は商人ではない。
(なんだ、手を貸さんのか? 決して損はしないだろうに)
(徒に力をひけらかすのは好かん)
五大国の一つであるフェリュースト公国は国を挙げて魔導師を養育しているそうだが、リグニアにおいて魔導師とは極めて珍しい存在であった。外界の物事に疎いアシュレイとリュリュの前では幾度かその技を用いたジークであったが、それも今は昔のことである。
厄介事を背負う羽目になるのは、ミュレだけでたくさんだ。
「では、また明日に伺う」
そう言い残して、ジークは執務室を去った。
●
大型の馬車が並んで通れそうな三つの門のいずれかで身分証明と滞在期間、目的の説明とを経ると、まずはすり鉢状になった町並みを眺めることができる。
「うわぁ……!」
門から一歩外に出た途端、リュリュは目を輝かせた。
アルトパにも劣らぬ整備された都市区画は全て白亜の壁で統一され、二カ所ほどに固められた住宅もそれに合わせる形で統一されていた。自然に発生したのではなく、入念な都市計画に基づいたものだとすぐに分かるこの造りが、見る者に整っているという印象と、リグニアの栄華を植え付けるのだ。
「凄い、凄ゥい! まるで模様みたいでスね、ジークサん!」
「む」
リュリュはその典型的に該当するようで、エタールの特徴的な構造をますます訛りの強くなったリグニア語でジークのみならず、アシュレイやミュレにまで話して聞かせようとしている。それがあまりに気に障ったので、ジークはアシュレイにリュリュを黙らせるよう告げることにした。
「アシュ――」
「ヌ? すまん、後にしてくれ」
ジークは、絶句した。絶句せざるを得なかった。
あの、中年の域を脱して老境に達しようとしているアシュレイまでもが、エタールの町並みに興奮を隠し切れない様子であった。
そして、
「……む」
例によってミュレだけは、ジークのすぐ隣で、じっと彼を見上げながら歩いていた。
立ち止まると、遅れてミュレも立ち止まる。何も言わずに暫く見つめてみると、ミュレは小さく首を傾げた。
(全く興味なしか。これはこれで嘆かわしいものだな)
(言うな)
分割思考を黙らせたジークは、鈍い銀色に光る髪を掻きながら道を進んでいく。
渦巻き状になった緩い坂を下ると、まずは市場の大通りにたどり着く。斜め上から眺めていた時は整然とした様子が窺えたが、いざ同じ目線に立つと、枠から勢いよくはみ出したような印象を受けるほどに様々な人と物に溢れていた。
方々から多様な衣服を身に着けた老若男女が口々に謳い文句を大音声で叫び、それらが入り乱れて一つ塊の怒号と化し、リュリュとアシュレイを打ちのめした。
「……アシュレイ、外ってこんなにスごいの?」
「……お、おお、いや、俺ン知っている村なんか、ここいらとじゃあ比べられん」
最初の興奮はどこへ行ったのか、リュリュばかりかアシュレイまでもが目を丸くして立っていた。
長らくこうした大人数を前に経験したことの乏しい二人が驚くのも無理はないが、それ以前に律義に待つ必要はないからと、ジークは半ば強引に「置いていくぞ」と告げるや、ミュレを連れて一足先に雑踏へ足を踏み入れる。
慌てて追ってくる気配を二つ、ジークは背中に感じつつも立ち止まらず、市場を奥へ奥へと進んでいく。
「お客さん方! 旅の疲れに薬草茶はどうだい!?」
「お嬢さん、素敵な衣装だが、こちらのお召し物にも袖を通されては?」
「いい面構えだぜ旦那! うちの武器は値が張るんだが、気に入ったから特別に安ぅくしとくぜ!」
「フェリュースト産の葡萄だよ。甘くて美味しいから食べてごらんよ!」
などなど、品物も手段も人種も雑多な誘惑をジークは全て無視して突き進んだが、一人堪えられない者が現れた。
「あ、あの、ジークさん、ちょっとくらいならお話を聞いてあげても――」
「買う物はない。故に聞く必要もない」
目の色を輝かせて辺りを見回すリュリュには一瞥もくれず、ジークは淡々と先を見据えて歩いた。見え透いた売り文句に耳を傾けている暇はないのである。
「アシュレイ、品物を渡されそうになっても受け取るな。金を騙し取られるぞ」
「ヌ……そうなのか」
あわや葡萄を受け取ろうとしていたアシュレイは、すんでのところで手を止めた。
(リュリュのみならず、アシュレイまでとは……)
(この調子だと、彼女にも注意が必要だな)
(頭痛必至)
冗談にも聞こえない二番の発言をジークが窘めようとした、まさにその時であった。
「――ほれほれっ、時間がないんだからさっさと運びな!」
「……分かってるって……そんなに怒鳴ん……」
市場のどこからか、聞き覚えのある声と会話が聞こえてきたのである。
(あの声は……)
(該当情報有)
分割思考が報告するまでもなく、ジークは二つの声の主達を克明に覚えていた。
(連中も商人なら、この町に来ていてもおかしくあるまい)
(同意)
それ以上は考えないようにしたジークは、危なっかしい三人を連れて市場を進んでいく。
●
ヴィルの状況を戦に例えるなら、堅城を相手に攻めあぐんだ将であった。
(……どう、しよう?)
荷馬車に紛れてエタール内に入ることができたまではよかったのだが、すぐに新たな問題がヴィルを襲った。
ヴィルは、市街地内での隠密行動が苦手なのである。
一口に『隠れる』といっても、実際はそれほど単純なものではない。ヴィルが得意としている密偵術は『陰術』といい、物陰や草の繁み、樹上といった物陰に身を隠して気配を絶つ技なのである。
今まで通ってきた山道や街道では陰術で問題なかったが、今ヴィルが追い掛けている場所は人通りの多い街中であった。そうした場では、陰術と対をなす、姿を堂々と現して目標に接近する『陽術』を用いるのが得策であったが、ヴィルは陽術の類はまだ不得手だったのである。
無理に身を隠そうとすればむしろ怪しまれかねないし、未熟な陽術を用いて目標に顔を覚えられでもしたらそれこそ厄介である。
(怪しまれないように、そーっと、そーっと……)
なるべく自然に人ごみに紛れ込もうと苦心しつつ、ヴィルはジーク達を追う。
商業大国リグニアの西部と北部を中継している都市だけあって、エタールの大通りは様々な人間と商品で溢れていた。服装一つでも、似たような物を探すのは難しい。
(そのおかげで見失わないのはいいんだけど、人が多過ぎるのってやだなぁ)
ジークと、彼に続く三人は、それら雑多な人と物の渦巻く市場を躊躇なく進んでいた。あまりに迷いのない足どりに、ヴィルは彼らが目的地を決めているのだろうと推測した。
(絶対宿に泊まるよなぁ。そしたらボクも同じ宿にしないといけないし、でも、そしたら――)
「君、どうしたの?」
不意に、背後から声と同時に肩に手を掛けられる。いつものヴィルなら飛び上がるほど驚くのだが、声があまりに柔らかく、心地のよいものだったので、反応が鈍ってしまったのである。
ヴィルが、恐る恐る振り返ると、そこには女性にしては長身の、赤い髪の女性が見下ろしていたのであった。赤みを帯びた頬が子供っぽく見せていたが、優しげな面立ちは二十歳を過ぎた者のそれであった。
(え? だ、誰?)
「ねえ、もしかして、迷っているの?」
「う、うん……」
女性は目線を合わせようと膝立ちになって、噛んで含めるかのような、声音と同じく優しげな質問をした。ここで否定するのも妙な気がしたという打算もあったが、半分は女性の声に釣られるようにして、ヴィルは曖昧にだが頷いた。
「君も、他所から来たの?」
「……うん」
「お父さんや、お母さんは?」
「い、いないよ。ボクだけ」
「泊まる所とか、あてはあるの?」
「えーっと……まだ、だけど」
答えてから、ヴィルは少し後悔した。見ず知らずの人間に答えなくてもいいようなことまで答えてしまった。
(そ、そうだ。そんなこと考えてる場合じゃない!)
視線を巡らせ、ヴィルは慌てて探す。
ジーク。銀髪の男。髪の長い少女を伴い歩く彼の姿は――
(いな、い)
頭巾や服の下から、いやに冷たい汗が流れているのがよく分かった。
見失っだのだと気付くや、ヴィルは女性の存在を無視して駆け出そうとした。
「待って」
「え?」
しかし、何故か女性はヴィルの手を取り、放そうとしない。
「いきなり話し掛けられて怖いのは分かるわ。だけどお願い、ちょっとだけでいいから話を聞いて」
どうやら女性は、ヴィルが走り出そうとした理由は自分を怖がって逃げようとしていたからだと勘違いしているようであった。妙な切実さを帯びた声に、思わずヴィルは立ち止ってしまう。
「実は、わたしもなの」
「……へ?」
ジーク達を見失った焦燥に駆られているところに女性の予期せぬ告白を受けたヴィルが思考を停止させてしまっていると、女性は赤い頬を殊更に赤らめながら語る。
「えっとね? わたし、行きたい所があるんだけど、初めてこの町に来たばかりだからよく分からないし、お店の人達はお買い物の話ばかりだから訊くに訊けないし、本当に困っているの」
「は、はあ……」
女性は、一歩だけヴィルに歩み寄った。思わず後退りしてしまいそうになるような、真に迫ったものがある。
「だからお願い。わたしも、君の宿探しを手伝いってあげるから、ちょっとだけ付き合ってもらえないかな?」
女性が言い終わってから暫くの間、ヴィルは何とか彼女の言葉を飲み込んで、その確認を試みた。
「それって……ボクに手伝ってほしいってこと?」
「……そう、なっちゃうわね」
流石にヴィルも突拍子もないことだと思っていたのだが、女性が恥ずかしそうに頷いたのを見て呆気にとられた。
(ほ、本気ィ……?)
裏社会にも通じているヴィルでなくとも、こうした状況では断るのが普通だろうが、女性の和やかな雰囲気による毒気のなさがヴィルの判断に待ったを掛ける。
「宿探しを手伝うって、ちゃんとボクが宿に泊まれるようにしてくれるってことだよね?」
大金を持っているわけでもなく、社会的にも何の後ろ盾も持たない子どものヴィルには、宿に泊まることすら厳しい。やはり毒気のない笑顔で肯定するセラを前に、ヴィルは下唇を突き出して考えた。
ジークを見失ってしまったのは手痛い失敗であるが、彼らがまだこの町に留まる可能性を考えれば、ここで彼女という後ろ盾を得るのは大きい。
(この人、怪しいけど本当にいい人みたいだし……やっぱり危ないようだったら、今度こそ逃げたらいっか)
それに上手くいけば、彼女の同行者として、怪しまれずにジークに接触することも不可能ではないかもしれない。
自身の身体能力と直感、そして幾つかの危機を独力で凌ぎきってきたという経験に由来する自信が、ヴィルに躊躇いという言葉を生ませなかった。
「……うん。分かった、手伝うよ」
「ありがとう」
心から嬉しそうに笑った女性は、ヴィルの右手を取ると両手で包んだ。ちょっと硬い掌の温もりと、彼女の髪から漂う匂いに、ヴィルはどことなく、落ち着かない気分になった。
「そういえば、自己紹介がまだだったね」
口元で両掌を合わせた女性は、また恥ずかしそうに笑って続けた。
「わたしはセラ。セラお姉ちゃん、って呼んでね」
「……ボクはヴィルだよ、セラ姉ちゃん」
「ヴィル君。いい名前ね」
言葉を噛み締めるように繰り返すと、セラは勢いよく立ち上がった。
「さっ! これでわたしとヴィル君は、もう知らない人同士じゃないよね?」
「う、うん……」
「それじゃ、行こう?」
セラが、首を傾げつつ手を差し出した。自分が子ども扱いされていることを不服に思いながらも、ヴィルは彼女の手を受け取った。
●
ヴィルはこの数刻の間に、どうしてセラが自分に話し掛けてきたのかを理解した。
「[バーソロミュー]? いや、私は知らんなぁ」
「は、はい、ありがとうございました……」
「……セラ姉ちゃん、お礼してどうするのさ」
顔を更に赤くして頭を下げるセラに、ヴィルは呆れつつも指摘をして店から離れるように促した。
「ご、ごめんね? 変なとこ見せちゃって……」
「ううん、ボク気にしてないから」
本音の半分だけを伝えたヴィルは、残ったの本音を胸中で洩らした。
(セラ姉ちゃん、恥ずかしがりなんだなぁ)
ヴィルが誰かに声を掛けるたびに、セラは薄紅色の頬を更に赤らめて、ずっと俯き気味になるだけで積極的に喋ろうとしない。
「よお姉ちゃん! 甘ぁい果物があるんだがね、そっちの弟さんと一緒にどうだい?」
「え? ええと、あの……」
「あの、ボク達急いでるから!」
言葉を詰まらせ、商人の売り文句に圧倒されているセラの手を引っ張りながら、ヴィルは逃げるようにその場から走りさった。
(道理でボクでもいいから、手助けが欲しくなるわけだよ)
自分に話し掛けてきた時の印象を一転させるセラの言動に呆れながら、ヴィルは店先に並ぶ果物を品定めしている男に話し掛けた。
「ねえ」
「ん? どうした坊主」
「あのね、ボクら[ばーそろみゅー]って場所を探してるの。お兄さんさ、どこにあるか知らない?」
お兄さん、と呼ばれて気をよくしたらしい男は、鼻の穴を膨らませながら説明してくれた。
「ああ、あれ? だったらあそこの……ほれ、手前の角から六番目のやつ、あそこを曲がってくと見えるよ」
「あ、ああ、ありが、とうございます……」
「お兄さんありがと! ほらセラ姉ちゃんも行くよ」
舌がもつれ、満足に謝辞も言えないセラの手を引っ張り、ヴィルは男に手を振りながら別れた。
男が見えなくなると、セラは呟くような声でヴィルに話し掛けた。
「す、すごいね、ヴィル君……」
「慣れてるもん」
そう言って、ヴィルはセラに笑い掛けた。比喩ではない、紛うことなき子どもの笑顔だが、セラはその裏にあるものを感じて、小さく呟いた。
「……本当に、凄いね」
雑踏に流され、雨霰と飛んでくる商人達の売り文句に圧倒されながらも、ヴィルはセラが目的としていた場所にたどり着くことができた。
セラが目指していたというのは、エタールの大通りにありながら、妙に人気のない建物であった。軒に吊るされた逆五角形の看板には、赤い旗と剣が交差した絵が描かれている。ちょうどそこから出てきた老人は、物々しい戦槌を背中に背負っていた。
「ここが、セラ姉ちゃんの探してたお店?」
「うん」
ヴィルがしげしげと眺めていると、セラが横から「あのね」と切り出してきた。
「わたしね、ちょっとだけここに用があるの。悪いんだけど、ヴィル君の宿屋探しはそれが終わった後でもいいかな?」
「え……?」
今度は即答せず、ヴィルは少しだけ不安そうな表情をセラに見せた。彼女を試そうとしているのである。
「……セラ姉ちゃん、ほんとにちゃんと戻ってくる?」
「戻ってくるよぉ」
だらしないと思えるほどに表情を緩ませたセラは、ヴィルの頭を撫でながら答える。
「ちょっとなのよ。ほんの、ちょっとだけ待っててくれればすぐに戻るから、ね?」
母親が幼い我が子に話しかけるようなセラの口調と語気は気に入らなかったが、およそ演技ではできそうもないセラの表情を見たヴィルは、渋々といった表情を作り「ほんとに早くしてよ」と返してセラを見送った。
「……ふぅ」
セラが建物に入ると、ヴィルは玄関脇に腰を下ろした。膝を抱え、右に左に流れる人々をぼんやりと眺める。
(……出てこなかったら、その時はその時かな)
わざわざ探りを入れてみた割には、セラを期待していないことにヴィルは気付いた。
(別にセラ姉ちゃんのこと、頭っから疑ってるわけじゃないけど……まあ、本当はボクがひとりで頑張んないといけないからねぇ)
いつまでセラを待つべきか、人ごみから西に傾く太陽を見上げようとしたヴィルは、危うく大声を上げてしまいそうになった。
「!」
目を瞠ったヴィルは、素早く、しかし慌てずに建物の陰に身を隠した。
(う、嘘でしょ……!?)
今まさに、ヴィルと女性が通ってきた道を、ジークとあの三人が歩いてきたのである。
●
途中で道に迷ったので時間が掛かったが、ジークは目的の場所までたどり着いた。
入り口に掲げられてあった看板を興味深そうに見上げていたリュリュは、不思議そうにジークに尋ねた。
「ジークさん、ここは何でスか?」
「入れば分かる」
言葉短く答えたジークは、一人先に中へと入った。すぐにミュレが、遅れてアシュレイとリュリュの二人が、ジークに続いた。
民家ほどの室内の奥、壁で仕切られた受付に座っていたのは、緋色の瞳が印象的な女性であった。ジークを見た途端に表情を硬くしたが、対面する頃には平静を装っていた。
「どちら様ですか?」
「01―0192、ジークだ」
即答する。最初の数字が登録した場所で、次が登録番号である。女性はそれらを手元の台帳で確認すると、またも目を丸くした。
「セント・リグーノの百番台ですか……! お若いのに、ご立派です」
「む……それより、ここの館長と話がしたい。可能か?」
女性の賛辞を殆ど無視したジークは、用件を切り出した。この場所を訪ねる者が求めるものを知っているだけに、女性は戸惑いを見せた。
「館長、ですか? 今のところ外出したという報告はないので、まだ当館内にいらっしゃるとは思いますが……」
「後ろの男と女を、ここで働かせたい」
そう言ってジークは、背後のアシュレイとリュリュを示す。本当はそこにミュレも加えたいとジークは思っていたのだが、現時点では不可能だと分かっているので諦めた。
アシュレイとリュリュを交互に見ていた女性は、「分かりました」と答えた。先ほどに比べて、真剣みの増した声音で続ける。
「お二方とも、当館の職務をご存知なのですか?」
「いや、知らん」
ジークは振り返って確認すると、二人に代わって答える。
「分かりました。それではご説明いたします」
「簡潔に頼む。あの二人は、リグニア語に少々疎いところがあるのでな」
心得ています、と相槌を打った女性は、背筋を伸ばして説明を始める。
「[バーソロミュー]とは、傭兵ギルド――つまり、傭兵、またはこれから傭兵になろうとしている方々をお助けするための場所です。もう少し簡単に言いますと、皆さんに仕事や情報を提供するための場所ですね」
そこで女性は一呼吸置いた。何も見ず、途中でつっかえることもないということは、この仕事に就いてそれなりに長いのだろう。
「[バーソロミュー]では、登録者と未登録者に分類されています。登録されている場合、優先的に依頼を受けることができたり、当館の施設を割安で利用できるという利点もありますので、わたし個人としては是非とも登録されることをお勧めします」
以上です、と女性が言い終わるのを待って、ジークは振り返った。
「今の説明で、分からなかったことはあるか?」
「俺は大丈夫だが、リュリュ、お前はどうだ?」
「わたしも大丈夫だよ、アシュレイ」
二人揃って大丈夫だという旨を伝えると、女性は首肯する。
「では、登録希望者は、こちらにご記入を」
そう言って女性は、薄い小さな木の板を差し出した。それが何を意味しているのか分からず、アシュレイとリュリュ、そして何故かミュレまでもが揃ってジークを見ると、女性は小さく噴き出した。ジークが僅かに眉尻の傾斜を上げると、彼女は慌てて咳払いをする。
「ええと……失礼しました。傭兵として登録するには、この木札に名前を書いていただきたいんです。そうすることで、登録されている方とされていない方を見分けるんですね」
「おお、なるほど。分かった」
妙にジークの顔色を窺っている女性を不審に思いながら、アシュレイは彼女から受け取ったペンで手早く名前を書く。見た目に似合わず、意外と流麗な筆致であった。
「では……アシュリー、さん?」
「アシュレイだ」
ただし、綴りに間違いがあったようであった。新たに女性から受け取った木札に書き直した。
「ではアシュレイさん、わたしについてきて下さい」
木札をどこかへしまった女性は、壁の脇にある扉から姿を現した。
「今から、館長の許へご案内いたしますので――」
「……あの」
リュリュが、割って入った。アシュレイの陰に身を隠し、恐る恐るといった口調で申し出る。
「わたし達も一緒、だめでスか?」
わたし達、という言葉には自分も含まれているのだろうと察したジークは、胸中にざわめくものを感じつつ、しかし、表出させずに事態を静観していた。
顎に手をやり、女性は何かを考える仕草を見せていたかと思うと、笑顔を作ってリュリュに答える。
「ええ、どうぞ。だけど、静かにしていて下さいね」
「……はい!」
途中、赤毛の、長身の女性とすれ違った女性とジークら四人は、二階の細長い廊下の奥、一つだけ金属で縁取りされた扉の前にまで来た。女性が扉の中央に設けられた鈴を鳴らし、少しだけ声を張り上げた。
「レティです」
「どうぞ」
扉の向こうから返ってきた声は、男性のものであった。既に老境へと足を踏み入れている者特有の、張りを失いかけた声である。
レティを先頭に、ジーク達は室内へ足を踏み入れる。西日で白っぽく染まった部屋には、少々肉付きのいい老人が一人、壁際の本棚で書物を手に立っていた。
「おや、そちらの方々は?」
書物を棚に戻した老人は、緩やかな口調で尋ねた。傭兵と接する機会の多い[バーソロミュー]で働いているとは思えないほど、険のなさそうな人物である。身形がいいことと相俟って、役人のように見える。
「ウィルソン副館長、ベッソン館長はどうしたんですか?」
「館長ねえ、さっきから隣で――」
「ちょいとあんた! そこの板っきれに貼り付けるだけで、わざわざ二百クランも取ろうってのかい、ええ!?」
突然、右手の壁――隣の部屋から女性の怒鳴り声が響いた。あまりの声量と迫力だったので、ジークとミュレを除く四人は、それぞれ肩をすくませたり慌てふためいたり武器を構えたりと忙しない。
「はぁ!? ワケの分かんないこと言ってんじゃあないよっ。あたしはねぇ、あんたの言ってる規定ってのが……っああ、うるっさいよルーカス! あんたは下がってな!」
相手と、止めようとしているらしい人物の声は聞こえない。こちらにまで飛んでくるのは、全て彼女の非難する声ばかりである。
「……別のお客さんの相手を、してるんだね」
「ヌ……凄まじいな」
「いったいどんな人なのかな、アシュレイ?」
「む……」
恐々としつつも語り合う二人を余所に、ジークは全く別のことを考えていた。
壁一枚隔てた先にいる女の正体を、ジークは確信していた。
(間違いないな)
(ああ)
(同意)
あの女がどういった理由で[バーソロミュー]に来ているのか知りたくもなかったが、凡その見当はつく。
(おそらく、また誰かを巻き込んでいるのだろう)
(同意)
おそらく、と思いながらもどこかで確信していたジークの目の前を、ウィルソンはゆったりとした足取りで横切ると、大小二つある机の、小さな方に着席する。
「まあ、登録なら僕だけでもできるから、手早くやってしまおうかな」
そう言ってウィルソンは、アシュレイに自分の前へと来るように手招きした。リュリュも続こうとしたが、レティが手を伸ばして止めた。
「ええと――」
「アシュレイ、というそうです」
「アシュレイさん。貴方、傭兵をなさった経験はありますかな?」
「いや、ないな。だが、住んでいた場所を護るために化け物どもと戦ったことは何度もある」
ウィルソンの目がしわの奥で光を放ったのを、ジークは見逃さなかった。やはり[バーソロミュー]に勤めているだけあって、人の実力を見抜く目を持っているのだろう。
「化け物というのは、どのようなものですか?」
「熊に似ているが、それよりも大きいな。二本足と四本足、どっちでも動けていた」
「それは、一頭だけで現れましたか? それとも群で?」
「ヌ……一頭だけン時もあったが、だいたいは群だ」
「それを貴方は、どなたかと?」
「いや、一人でだ」
また、ウィルソンの目の奥で何かが動いた。
この辺りに生息している魔物で、アシュレイの言う特徴に合致するのは、一般的にオークと呼ばれている、猛獣を人型にしたような生き物である。熊に酷似した外見をしているが知能は高く、基本的に群を形成して行動しているために人里に及ぼす被害も甚大であり、とある地方では『嵐の獣』とも呼ばれている。当然、このエタール地方や、隣のアルトパ地方でも毎年のように被害は出ている。
そうした魔物らとの交戦経験があると語るアシュレイを、ウィルソンは真っ直ぐに見つめる。睨む、という表現よりは吟味している、という方が近い。相変わらず険のない目つきだが、ジークは以前体感した、柔らかな迫力に近いものを感じている。
ウィルソンもアシュレイも口を閉じてから、緩やかに時間が流れていく。ジークの手に、何かが触れた。最初はミュレかと思ったが、リュリュであった。こちらを見上げる彼女の表情からは、明らかに不安が滲み出ている。ジークは、ただ頷いてみせた。言葉は、内容と使い時次第で無力にもなる。
「――分かりました」
長い沈黙が過ぎ、部屋の空気から緊張感が解れて消えた。リュリュなど、ウィルソンが一声発すると同時に床にへたり込みそうになっていた。
「貴方を、当館に迎え入れよう」
真っ先にリュリュが喝采を上げた。ジークとミュレの間で二人の手を取ってはしゃぐ彼女にも聞こえるよう、「ただし」とウィルソンはやや声量を上げた。
「まだアシュレイさんの実力を確かめたわけじゃないから、大きな仕事は任せられないけどね。まあ、傭兵見習いという形にしばらくなるけど、それでいいかな?」
「分かった。それで構わない」
ウィリアムが差し出した手を、アシュレイは躊躇なく握る。ここまでは問題ないが、最後に一つ、残されているものがある。
「ところで、登録の際には幾らか手続きが必要なんだけども……」
「それは俺がやろう」
ジークが名乗り出た。不当な契約内容であるか否かを確認するのもあるが、アシュレイがハイランダーの出身であるという事実が何らかの好ましくない事態を招くのではと危惧し、偽の出自を記載するためである。
「こいつは自分の名前ぐらいしか書けんのでな。代筆のために俺も来た」
「はあ、なるほど……ん、大丈夫。書類に不備はなし。これで貴方も、我ら[バーソロミュー]の一員というわけだ」
ジークから受け取った書類に目を通してからレティに手渡したウィルソンは平然と告げたが、アシュレイの内部では非常に大きな意味を持っているはずである。
今この時、ハイランダーの戦士アシュレイは、完全にこのジィグネアルから消え、傭兵のアシュレイ・ハンターが誕生したのだから。
●
「俺がお前達にしてやれるのは、ここまでだ」
〔バーソロミュー〕の出口で、ジークは淡々とした口調で告げる。
「必要な手続きは全て完了している。今日から依頼を受けることも可能だ」
「おお、そンつもりだ」
頼もしげに逞しい胸を叩いてみせたアシュレイの横から、リュリュが前に出た。
「ジークさん」
「む……」
リュリュは、既に涙で目を潤ませていたが、意外にも表情は悲痛なものではなく、ジークには微笑んでいるかのように見えた。
「今まで、ありがとうでシた」
「先に借りを作ったのはこちらだ。礼ならいらん」
「ソうでスか?」
ジークの無愛想な言葉に、リュリュは小首を傾げただけであった。
「でもわたし、嬉シいがたくサんでス。もっとジークさんとミュレさんに言いたいでス」
「む……」
毒気のないリュリュの言葉に、ジークは唸った。長く人の悪意や善意の背後と接し続けてきたこの男には、リュリュのように純朴な人間の存在が堪えかねるのである。
それを知ってか知らずか、アシュレイは割って入ったかと思うと「リュリュ、こいつは照れているだけだ。だから気にせず言ってもいい」などと言うのであった。
「ソう? よかったでス」
アシュレイの言葉に本心から喜んでいるらしいリュリュは、ジークとミュレの手を握った。
「ジークさん、ミュレさん」
頬を伝い流れる涙を拭おうともせず、リュリュは、健気なまでに笑顔を作っていた。
「また、お会いシマショウ。ソれで、ソの時は、いっぱい、いーっぱいお話しマショウね」
「む」
とジークは頷いたが、実際はそのようなつもりは毛頭ない。面倒な事態を招かないようにしただけであって、既に思考は背後の街路に向いている。
「では、失礼す――」
「あ、ちょっとだけ待って下サい」
何を思ったのか、リュリュが呼び止めた。ジークとアシュレイ彼女を見ている中、リュリュはミュレに歩み寄る。
「ミュレさん、ちょっとだけごめんなサい」
殆ど密着した状態で、リュリュは何事かをミュレに囁いた。時間にすれば十秒にも満たない間に、リュリュは離れる。
「ヌ、リュリュよ、いったい何を言ったんだ?」
「えへへ、内緒」
妙に含みのある笑みであった。アシュレイが何を言っても、リュリュはその表情のままはぐらかした。
「では」
「おお、また会おう」
ジークが簡潔に告げると、アシュレイも同じように応じた。リュリュは何も言わず、微笑みを浮かべて三人を見ていた。
それ以上のやり取りはなく、どちらからともなく背を向け、それぞれ歩き出した。
ミュレに何を告げたのか、結局ジークは訊かなかった。
●
紅色の日差しと影が町並みを彩り始める。心地よい涼しさと感じられていた秋風にも、肌寒さを覚えるようになった。
頃合いは夕刻。昼から夜に変わるこの時分、エタールの町は、もう一つの顔を覗かせるようになる。
「お兄さん、お兄さん、林檎酒をご一緒しませんか?」
「うちは山の幸ばかりじゃあございません! うちでしか味わえない海の味、どうかご賞味あれ!」
「うちは料理も美味いが女も取り揃えております! 嘘だと思うならそこのお兄さん、ちょっと寄ってみませんか?」
引き潮のように大通りが静まっていくのと同時期、この町を富み栄えさせるもう一つの大通りである宿場街では、潮が満ちていくかのように客寄せの男や女が秋だというのに肌も露に謳い文句を口ずさみ、次々と旅人や住人達を呼び寄せていく。
夕刻過ぎに宿をとっていたために夕食を用意ができないと断られていたジークとミュレは、宿場街に点在する食堂か酒場を利用することにした。
「……む」
宿を出た頃から、ミュレはジークの袖を握っている。理由は論じるまでもない。
「ミュレ」
「ん」
ジークが一声掛けると、ミュレにしては比較的早い反応を見せた。
「腹は、減っているか?」
「ん」
ミュレは、顎を引いた。雑踏にいるために聞こえないが、空腹を訴える音は今も鳴っているはずである。
「む、そうか」
「ん」
確認の呟きにも、ミュレはこちらを見ながら頷き、
「……む」
街路にあった何かで蹴躓いて転んだのであった。袖を握られていたジークもそれに引っ張られたが、巻き添えを喰らうより先にミュレが地面に倒れた。
「ミュレ、歩く時は前を見ろ」
「ん」
ミュレが立ち上がり、傷の有無を確認したジークは、短く注意を伝えると歩き出した。
辛抱強いジークの教育が実を結び、ミュレは簡単な質問になら答えられるようになってきていた。自身の欲求を動作で訴えるという行為も、以前よりは頻度が上がっている。
(とはいえ、まだ『ん』としか言わんがな)
(言うな)
そして一方、反応速度や対応の成長に比して語彙の増加が見られないというのも、また事実であった。
(それに、まだアシュレイ達が使っていたような訛りの強いリグニア語には対応しきれていない。)
(たしかに、あの二人が話し掛けても反応は薄かったな)
二番とミュレに対する教育の進捗状況を確かめ合いつつ、ジークは宿からそう遠くない、美味そうな匂いと喧騒を放つ店に入ることにした。
「よお、いらっしゃいっ!」
訪れた先は、酒場であるらしい。店主の豪快な声に迎えられた二人は、勧められるままに店の奥へと足を運ぶ。一般的な民家ほどの広さしかないため、十人かそこらの客で店内は混み合っていた。
奥には、二人掛けの小さな机があった。他の客達が大勢で卓を囲んでいるために必要とされていないのか、椅子だけを持っていかれたのかは分からないが、ジークにとっては都合がよかった。
「……む」
席に着いたジークは、ミュレが向かいの席に座らないことを疑問に感じた。握った袖も、まだ離そうとしない。
「ミュレ」
「ん」
「どうして、そこに座らない?」
「ん……」
ジークの顔をじっと見つめていたミュレは、僅かに視線を逸らした。
「む?」
ミュレの視線の先にあったものは、ジークの反対側にある椅子。
「椅子が、どうした?」
「……いい?」
視線をジークに戻したミュレは、首を傾げた。
「ミュレ、何がしたいのか俺には分からん。もう少しでいい、喋れ」
「ん……」
首を傾げたまま、ミュレはジークの向かい側にある椅子を指さした。
「……あれ……」
寝言のような言葉の呟きに続き、更に緩慢な動作でミュレはさした指先をジークの隣に向けた。
「これ……いい?」
「む……」
やっとジークは、ミュレが自分の隣に座りたいらしいことが分かった。
(またわけの分からんことを……)
(まあ、これぐらい聞いてやればいいだろう)
まるで動く気配のないミュレに痺れを切らしたジークは席を立ち、向かい側の椅子を引き寄せてやった。ミュレが何も言わずに座ろうとすると、ジークはそれを止めた。
「ミュレ」
「ん」
「人に何かをしてもらった時は、何と言うんだ?」
「ん……」
首を傾げたミュレは、口を小さく開いたり閉じたりを繰り返しながら、やっと一つの単語を口にする。
「ありが、とう。……いい?」
「む」
未だに発音の怪しいミュレの『ありがとう』だが、ジークは彼女の頭を撫でてやることにした。他にも褒め方を考えるべきなのかと思ったこともあったが、今のところ効果がなくなってはいないようなので続けている。
店員が、頃合を見計らって現れた。風貌は荒んでいるが、挙措は丁寧だった。
「ご注文はどうされますか? この頃は何でも取り揃えてありますぜ」
「む、これで足りるだけの肉と野菜を頼む」
そう言って、ジークは金を入れてある袋からクラン銀貨三枚と銅貨一枚を取り出した。合わせて三十五クラン。男一人女一人で食べる分としては多過ぎるぐらいだが、ミュレは元よりジークも食べるつもりだったので問題はない。
承知しました、と店員は酒場に相応しく威勢のいい返事を残して厨房に戻っていった。
雑然とした賑わいの中で暫く待っていると、先ほどの店員が両手に皿を持って戻ってきた。
「お待たせしました」
「む」
大皿に乗っているのは、パンと焼いた鶏一羽に、真っ二つに切って乾酪を塗った芋、そして大皿いっぱいに横たわっている海魚の丸焼きであった。山中であっても海の産物を入手できるのがエタールの特色であるが、鮮魚を調理したものと思われるこの一品は見事の一言である。
「悪くない」
ジークは、懐から更に一枚の銅貨を取り出し、店員に投げよこした。慣れた様子で見事に受け取った店員は「こいつはどうも」と会釈して、他の客の注文を受けに行った。
「……よく待った。いいぞ、ミュレ」
「ん……」
ジークは、頭を撫でてやる。ミュレは表情こそ変わらなかったが、首を傾げて尋ねてくる。
「……いい?」
「む」
「――ありゃ、あんた」
ジークはミュレの頭を撫でる手を止め、声のした方に目をやった。
机を挟んだ対面には、上下一体式のゆったりとした衣服を身にまとった女性と、彼女よりは背の高い、剣を帯びた少年が立っていた。多少の差はあるが、どちらも似通った面立ちをしており、兄妹ないし姉弟であると分かる。
この二人が何者なのか、ジークはすぐ思い出した。一ヶ月ばかり前に出会った女商人と、その弟である。
眼前の女は、ジークの射竦めるような視線を真正面から受けても堂々とした居住まいを崩さず、それどころか「ちょいと失礼」と言うや、空いていた他所の椅子を持ってジーク達の対面に着席した。背後に控える少年は彼女に続かず、三人を俯瞰するように見ていた。
「久し振りだねぇお二人さん。最後に会ってから、どんだけ経ったかね?」
女が、馴れ馴れしく話し掛ける。ジークは表情を変えるどころか、口も開かずに真っ直ぐ彼女を見据える。笑顔の裏が、常に善意である保証はないのだ。
女は、ジークが一言も答えないで睨んでいると、口元だけで僅かに笑った。
「ちょいと、そう気を張らなくってもいいよ。あんたに荒事じゃあ敵わないことくらい、あたしゃ承知の上さ」
「……背後の男は、そうでもないようだがな」
ジークは、初めて彼女の背後に控える少年に焦点を合わす。腕組みはせず、姿勢はいつでも動き出せるように備えられており、視線も全体を把握しようとしていたが、視線を動かす際には必ずジークで一度止める。その時の眼球の動きから、ジークは緊張と僅かな敵意を感じ取っていた。
女は、飄々と肩をすくめ、おどけた表情を作ってみせた。
「心配しぃの弟でねぇ。いざとなったら、あたしを抱えて逃げようってのさ」
「姉ちゃん」
少年が女に口止めしかけたが、女の「黙っときなルーカス」という鋭い言葉で逆に遮られてしまった。
「……で、納得の程は?」
「演技なら三流の出来だ」
「役者が悪いからねぇ。ま、馬鹿正直も美徳の一つってことで、何とか納得願えないかね?」
軽口の応酬を経ても、女は飄然且つ堂々とした態度を崩さない。
ジークが何も言うつもりがないことを察すると、女はすぐさま口を開いた。
「――さて、場も温まったとこで、改めてお互い自己紹介といこうじゃないかい」
ぬけぬけと言い放った女は「んじゃ、あたしから」と勝手に名乗り出した。
「あたしはの名はレナイア・カミューテル。しがない行商人さ。んで、こっちが弟のルーカス」
「……どもっス」
姉に紹介されても、ルーカスなる少年は強張らせた表情のまま一礼した。
「で、あんたらは? ……まさかとは思うけど、愛想ばかりか名前までないってんじゃないだろうね? んん?」
レナイアは、片方の眉と目尻を吊り上げ最後の一言を加える。ジークは、そうした彼女の挑発の意味が込もった言動に眉筋一つ動かさずに「ジークだ」とだけ返す。
「それと、こっちがミュレだ」
ジークがミュレを示した途端、レナイアの背後で弟らしい少年の表情に僅か、漣のような動きが見られた。
(不審)
(問い掛けてみるか?)
(いや、今はやめておく)
少年の挙動は確かに不審に値するが、情報の少ない現時点での質問は、彼女によって偽の情報を植え付けられる可能性があるため、できるだけ避けておきたかった。
(三番、七番。今のうちに推測を頼む)
(了承)
(推測開始)
瑣末な機微さえ見逃さないよう分割思考を巡らせながら、ジークはレナイアに意識を戻す。
「うちの弟が、どうかしたかい?」
「やはり、腹に何かを飼っているように見えるな」
平然と見透かしてくるレナイアに、やはりジークも平然と同じように返す。
するとレナイアは、いきなり堰を切ったように笑い出した。鳳仙花が爆ぜたような彼女の笑い声に、流石のジークも眉根を寄せた。
一頻り笑って満足したらしいレナイアは、意外に長い睫毛に残っていた涙を拭き取って、また笑った。
「あっはっは……! 聞いたかい、ルーカス。あんたさっきから考えてること、全部この兄さんには丸分かりだってさ。……やれやれ、怖い奴もいたもんだよ」
朗らかに弟に話し掛けていたかと思えば一転、レナイアは表情を変えずに声量だけを極端に落とした。
「そんなあんたを一つ見込んで、ちょいと儲かる話をしたいんだけどね、どうだい?」
「断る」
即座にジークが拒むと、さしものレナイアも取り澄ました表情を崩して食い下がった。
「ちょいと、そんなに早々と断らなくってもいいじゃあないかい」
「お前の話など聞く必要もない」
「分かってないねぇ」
取り付く島もないとしか言いようのないジークに、レナイアは苦笑しながらすぐさまこう返した。
「儲かる話といって、何も金銭ばかりじゃあないだろ?」
「む?」
ジークが僅かに眉を動かすと、レナイアは勿体つけるように前髪を弄ったり水差しから水を注いだりしてから、ゆったりと口を開いた。
「例えば……時間、なんてものもあるさね」
表情一つ崩さないジークの眼前で水を飲み干したレナイアは、明日の天気を占っているかのような口調で続ける。
「アルトパ地方で会ったあんたらと、このエタールで会った。しかもあんた達はあたしらと違う道を、それも徒歩で行ったにもかかわらず、せいぜい八日ぐらいしか遅れずに着いた。……とくれば、分かることは二つ」
得意げな面持ちで、レナイアは二本の指を立てる。
「あんた達の通った道はブルカン山道。でもって、こっから北にある町に急ぐ価値がある奴なんてそうそういないってことを考えたら、あんたの目的地は……セント・リグーノ。割と大雑把な推測だけど、違うかい?」
「む」
淡白に頷いたジークであったが、内心では警戒心を強めていた。
飄々とした振る舞いの中に、どこか、鋭いものを持った女だった。僅かにでも隙間を見せると、すかさずそこに差込み、抉じ開けようとしてくるのだ。
(噂には聞いていたが、油断のならん奴だ)
(同意)
音にも聞こえた女商人の実力を察知したジークは、言葉を選んで答える。
「……む。お前の推測が強ち的外れではないことは認める」
「だろ?」
遠慮するどころか、むしろレナイアは得意げな面持ちで胸を反らした。商人にありがちな卑屈さはないが、むしろ不遜が過ぎるようにも見えた。
そんな人間、それも女が、これまで商人としてどうやって生きてきたのかは気になったが、ジークはひとまず話を進めた。
「その眼力を評して訊いてやる。お前の言う『儲かる話』とは何だ?」
「人型の魔物退治」
レナイアは笑みを深めると、何気なく、しかし鋭い言葉をジークに放った。
「あんたも既に会ってるはずさ。あの人間の姿をした、薄っ気味悪い魔物どもとね」
で、とレナイアは、再び声をひそめる。
「ここだけの話、実はあたしにゃ、心強い味方がいてね――」
「姉ちゃん」
ルーカスと呼ばれていた弟分の少年が、今度は強い口調でレナイアの言葉を遮った。器用に片方の眉だけを吊り上げたレナイアは、小うるさげに応じる。
「なんだい、ルーカス」
「姉ちゃん、あんま喋っちゃまずいって」
「うるっさいねぇ。あんたがンなこと言わなきゃ、余計な波も風も立たないんだよ」
「それは、そうだけど……」
最初こど善戦していたように思われたルーカスだったが、次第に姉の語気に圧倒されていき、最後は予定調和のようにルーカスが殴られて決着がついた。レナイアは結い上げた髪を乱雑に掻き、顎を擦っているルーカスなどいなかったかのように振舞い始めた。
「……ま、大っぴらにゃできないけど、確かな協賛者だよ。そいつが人を集めててね、あたしがその代役として抜擢されたってわけさ」
レナイアが、机に身を乗り出した。ありふれた色彩の瞳が、これまでにない光を宿している。
「簡単な取引さね。あたしはあんたに力を貸して貰う代わりに、足を貸す。あんたは魔物どもをやっつけるだけで、一日でも早くセント・リグーノへ行けるし、ちょっぴりだけどお金まで貰える。どうだい? あんたはこれで満足してくれるかい?」
「む」
姉弟の一部始終を顔色一つ変えずに眺めていたジークは、「事情は概ね分かった」と重々しく頷き、次のように答えた。
「その上で、俺は断る」
レナイアの顔から、表情が消えた。
しかし、それも一瞬だけのことで、直後にレナイアの表情は元の陽気な笑顔に戻った。それと同時に、乗り出していた上半身も戻した。
「……あれま、あそこまで聞いたらやってくれるかと思ったのにねぇ」
「生憎と、金には暫く苦労せん身でな。明後日にでもこの町を離れるつもりだ」
ジークの言葉を聞くや、レナイアは違った笑みを見せた。これまでの好感が持てる笑顔ではなく、どこか意地の悪そうな笑みである。
「ああ、そりゃ無理無理。魔物をどーにかしないと、馬車はおろか徒歩だって無理さ」
「む?」
レナイアは、どこか楽しそうに言った。
「一昨日、あたしがここの領主に言ってやったのさ。『まず魔物の問題を解決しとかないと、被害はどんどん増えるよ』ってね。だからあんた外からここに来る奴はいても、町の外に出る奴なんていないってわけさ」
嘘に決まっている。最初にジークはそう考えた。いかに才気ある行商人とはいえ、五大国リグニアの、それも中継都市を擁するエタール地方を治める領主を動かすことは勿論、謁見することも容易ではない。
(そのはずだが……)
(む……)
分割思考とは異なったどこかで、ジークは断じきることができずにいた。
「お前は……」
「あたしのことは、まあ後でいいじゃないかい」
レナイアは、朗らかにはぐらかした。その表情のまま再び声をひそめ、しかし今度は机の向こう側から語りかけてくる。
「あんた、急いでるんだろ? だったら早いとこ魔物どもをどうにかした方がいいんじゃないのかい?」
多くを語らず、レナイアは短い率直な言葉を用いてきた。他には何も語らず、口元だけに笑みを湛えてジークの言葉を待っていた。
(対象の言が真実である可能性を無視することは軽率)
(三番の発言は無視しておいても問題皆無)
(同意。容易に発言を許容する必要性皆無。したがって拒絶の意を対象に伝えるべき)
(同意)
(反駁。我々の目的遂行を考慮した場合、一時的に対象との関係性を構築しておく価値有)
(否定。これ以上の不必要な接触は忌避すべき)
水面下では、分割思考がレナイアの申し出への受諾に関する是非を論じていた。三番と七番は受諾を肯定していたが、ここでも六番が否定側の筆頭として強く意見していた。
ジークの意識下で行われている議論から何かを感じたのか、レナイアは薄く笑った。
「今すぐ答えろとは言わないよ。だけど、もしあたしの申し出を受け入れる気になったんなら、明日の昼過ぎに領主ン所に行っとくれ」
引っかかる台詞を幾つか残したまま、レナイアは「じゃーね」と挨拶も軽く立ち上がると、ルーカスに酔っ払い達を押しのけさせながら去っていったのであった。
「……む」
ジークが視線を食器に落とし、続けて横を見ると、順番に空の食器と口の周りが汚れたミュレがいた。
「……ミュレ」
「ん」
「とりあえず、口は吹いておけ」
「……ん」
ミュレがのろのろと自分の袖で口を拭こうとしている姿に嘆息しつつ、ジークは別のことにも頭を回した。
エタールがゾンビのことで頭を悩ませていることは既に知っていた。この町が流通の軸であり、リグニアという国にとって要所であることを考えれば、レナイアの背後にいるという人間の正体も分かる。
とりあえず、自分が何か妙な事態に巻き込まれていることだけは重々理解していた。
●
「姉ちゃん、あれでよかったのか?」
「んん?」
食堂を出るなり、ルーカスが姉に尋ねた。外は未だに往来する人々で賑わっていたが、ルーカスは常に姉と一定の距離を保ちながら歩いているため、会話するには問題ない。
「さっきの白髪の人……えっと、ジーク、だっけ? あの人、姉ちゃんが目ェつけてた『掘り出し物』の一人なんだろ? ちゃんとした約束、取り付けなくてよかったのか?」
「あれでよかったのさ」
当の本人に聞かせてやりたい発言をさりげなく洩らしたルーカスに、レナイアは大きく構えて答えた。
「ああいう、いかにも頑固そうな奴はちょっとやそっとじゃ絶対に折れないよ。下手な強攻策なんて採ってみな、あっという間に敵意むき出しになるよ」
「たしかに、ちょっと怖そうな人だったよなぁ……」
ルーカスは笑い混じりに相槌を打っていたが、レナイアは掌の汗を隠すことに心を砕いていた。
ジークが一筋縄でいく相手とは、相対した瞬間から思っていなかった。
相対してまず思ったことであるが、威圧感が尋常ではない。これまでに傭兵や兵士を相手取ったこともある自分が、内面を気取られないよう細心の注意を払わねばならなかったのは久しぶりのことであった。
話していて印象に残ったのは、ひどく無機的な男だったということ。普通ならば声に、表情に、体の動きに表れてくるはずの感情が、ジークからは殆ど伝わってこなかった。軽口の応酬を行った時でさえ、感じられたのは強い警戒心である。
(人形みたい、ってのとは違うんだよねぇ。ありゃあ殻……いや、棘?)
誰かの靴を踏み、肩と肩がぶつかってもレナイアは足も気も留めず、ひたすらに自分が掴みかけているジークの性質への考察を重ねた。
何も近付けさせまいとするジークの強烈な敵意と強靭な自制。恐らくその根底にあるものは、他者への猜疑。
(猜疑……? なるほど、どーりで……)
レナイアは口元に手をやり、薄く笑った。唇に触れた指先は、まだ湿っている。
あの男と対峙していたことに恐怖すら覚えそうになった原因が、今になって分かったのだ。
言動でも挙措でもない。あの時、自分が見ていた中で猜疑心が色濃く表われていたのは、隻眼。それを、長く見ていたからである。
昏い色彩を封じ込めた瞳は映し込んだ全ての紙背を暴かんとしているようで、鋭い眦と相俟って矢のようであった。その延長線上に自分がいたのだと思うと、手に滲んだ汗にも納得がいく。
(よくまあ、そんな奴を前に平然としてられたもんだよ)
レナイアは、他人事のように胸中で呟いた。
相対するだけで感じる強烈な威圧感。そして本物の鋭さを秘めた目。同業者でないことを安堵したのも初めてである。
(ま、あの無愛想じゃあ、その辺の問題はないだろうけどね)
直後に、レナイアは思いっきり噴き出してしまった。あのジークが、傍らに座っていた少女と二人して商いをしている様子を想像したが、それがあまりにも不似合いだったために堪えきれなくなったのだ。
どんなに優れた能力を持っていようとも、やはり向き、不向きというものがあるということだろう。
「ったく、世の中ってのは広いもんだね」
「へ?」
「あんたは気にしなくていいの。それよりさっさと別の酒場行くよ。今度こそ明日に備えて飲まないとね!」
「……明日のことを考えたら、飲まない方が――イデっ!?」
思いっきり踏まれた爪先を抱えながら、ルーカスはいつの間にか先を歩いている姉の後を追った。
●
自分の身に起きた出来事を、ヴィルは指折り確認した。
ジーク達を追って町の中に侵入した。雑踏で四人を見失った。セラという変な女の人と道に迷った。迷いながら向かった先でジーク達を目撃した。ジークの行き先が宿場街だと分かった。
そして、現在。
「ただいま、ヴィル君」
「あ、うん、おかえり」
セラが部屋に入って来ると、ヴィルは寝台から下りて出迎えた。微笑み返したセラの腕には、四つの林檎とパン、それに干し肉があった。
「ごめんねセラ姉ちゃん。ボクの宿代出してくれたのに、食べ物まで……」
本音を半分、彼女への取り入りを半分取り混ざったヴィルの言葉を、セラは「いいのよ。約束なんだから」と優しく包んだ。
「それより、お腹空いてるでしょ?」
はい、とセラが差し出した林檎とパンと干し肉を、ヴィルは躊躇いがちに受け取る。本当はすぐにでも飛び付いてしまいたかったのだが、そんな 子供みたいな真似はできないと思い止まり、もう一度だけ礼を言って口を付けた。
ジーク達を追跡するようになってからというもの、殆どが味の悪い保存食か蛇や虫、草や木の実ばかりを食べていたヴィルにとって、セラの買ってきた三つは何にも勝る馳走であった。最初こそゆっくりと、落ち着いて食べていたのだが、次第に夢中になって干し肉をかじり、林檎で喉を潤すようになった。
「ヴィル君、落ち着いて食べないと危ないよ」
「……ボク、子供じゃないよ」
セラの言葉が自尊心に触れたヴィルは、口を尖らせ小さく反論した。
「本当に?」
「本当さっ。一人で旅だってできるし、もう大人とおんなじ……っ!?」
得意げに胸を叩いた途端、ヴィルは激しく咳込んだ。食べ物が変な所に入って噎せたのだろう。暫くの間噎せたり胸を叩いて直そうとした。
ヴィルがやっと落ち着いたのを待って、セラは含みのある笑みをこぼした。
「確かに、大人の人とおんなじ噎せ方ね」
「……うー」
ヴィルは何事か言い返そうとするのだが、また噎せてしまっては堪らないので大人しく咀嚼することにした。
会話のない時間が、暫く続いた。陽が沈んでからも宿場街は賑わいが衰えず、従業員らの客を呼び込む声が大きく聞こえる。
ふと、ヴィルは思う。
(ジークさん、まだこの町にいるのかな?)
食べかけの干し肉を手に持ったまま、ヴィルは頭を捻りに捻って、ジーク達の動向を推測してみた。
ジークが急いでいることは、今までの行動から推測できていた。そのジークがこの町にわざわざ立ち寄るということは、それなりの理由があるのではないだろうか。
(たとえば……買い物、とか?)
「……買い物?」
「うぇ!?」
思わず口に出してしまっていたのだろうか。不思議そうに
「あ、か、買い物、明日になったら行こうかなって! ここ、色んな物があるし!」
咄嗟に思い付いた言い訳を早口にまくし立てると、セラは「ヴィル君ったら、気が早いのね」と言って口元に手をやった。
「でも、考えなしに買い物しちゃ駄目だよ? お金は大事にしなきゃ」
「えへへ……」
どうやら、ごまかすことに成功したらしい。ヴィルは胸中で盛大な安堵の息を吐くと、気を取り直して続きに取り掛かった。
滞在するとしたら、どれだけの期間になるのだろうか。流石に一泊ぐらいするだろうとは思うが、もしもすぐに発っていたとしたら追い掛けようがない。
好ましくない状況だった。この町での活動拠点はできたが、肝心の追跡対象を見失い、見つけるための手掛かりもない。
(……こーゆーの、何ていったっけなぁ)
空腹感が解消されて集中力の欠けた頭は徐々に回転を鈍らせていき、瞼も少しずつ下がり出していた。
「……ヴィル君?」
「はゃ!?」
そこにセラが声を掛けたために、ヴィルは驚き余って寝台から転げ落ちそうになった。
「だ、大丈夫……?」
「うん、何とか……」
頭に被った頭巾に異常がないかを確かめつつ、目に涙を浮かべたヴィルは肯定した。
「ご飯の手も止まってたみたいだし、眠たいの?」
「ち、違うよ。ただちょっと……考え事してただけだよ」
苦しい言い訳だったが、思いの外セラは人が好いようで、特に詮索もしないで頷いた。
「……あ、でも怪我してるかもしれないから、頭巾を脱いでくれる?」
「え!?」
セラが黄色の頭巾に手を伸ばそうとするや、ヴィルはひどく慌てた様子で彼女の手を払い、子供とは思えない俊敏さで部屋の隅まで跳び下がった。
「だっ、ダメダメダメ! これはダメなの!!」
「どうして?」
「どうしても!」
頭巾の両端を握りしめたヴィルは眦を吊り上げ、激しさすら感じさせる表情と語気で突っ返した。セラは戸惑った顔を見せていたがそれも最初だけのことで、今は落ち着き払った様子でヴィルのことを窺っていた。
二人は互いに黙ったまま見つめ、睨み合う。どちらも表情を崩さず、相手を視界の真ん中に収めていた。
「ごめん」
どちらともなく、謝辞がこぼれた。その言葉が錐のように働いて、二人の間に充満していた重苦しい空気をどこかに抜いてしまった。
セラの許に戻ったヴィルは、彼女の傍に腰を下ろすと、自分の頭の頂点近くを指さした。
「ボク昔ね、頭のここン所に大怪我しちゃったんだ。それですごい痕が残っててさ、だから誰にも見せたくないんだ」
全てが嘘であった。頭巾について疑問を持った者達を騙すため、ヴィルはこうした嘘を幾つか教えられていたのだ。
「そうなんだ……それなのにわたし、ヴィル君にあんなこと訊いちゃって、ごめんなさいね」
俯き、もう一度謝るセラの姿は、仕方がないからと割り切って嘘を吐いていたはずのヴィルにも罪悪感を抱かせた。
「ううん、いいの! ボクと会ったら、皆一回は訊いてくることだからさ。ね、そんなに気にしないでよ」
「……うん。心配かけちゃってごめんね」
「もうっ、だから謝んなくていいってばぁ」
ヴィルは明るく振る舞い、セラに貼り付いていた陰を払ってみせるのだが、心の隅に罪悪感は小さく焼き付いたままであった。
セラは、心の優しい女性なのだろう。気が弱そうに見えるのも、子ども相手でもすぐに謝るのも、それは人のことを気にし過ぎるからなのだろう。
(本当に悪い人じゃない……の、かも)
心の中でセラへの評価を微妙に改めながら、ヴィルは食べかけだった干し肉に手をつける。
●
割り当てられていた部屋に戻るなり、ジークはマントも靴も脱がないで寝台に身を横たえた。その全身に感じている重苦しさは、決して食後だからではない。
酒場で接触したレナイアとの会話を思い出していたジークは、天井を睨みつつ彼女の真意を探った。
(……魔物退治と、言っていたな)
(同意)
(それに、心強い後ろ盾がいるともな)
町の外から来たレナイアならば、ゾンビの存在や、それらが被害を及ぼす範囲を広げていることを知っていてもおかしくない。この世で密偵と噂好きの女に耳で対抗できる人種は商人をおいて他にはない。
(だが、あの隊長と呼ばれていた男は、初めて外部の人間に洩らすというような意味合いの発言をしていなかったか?)
(あの女なら門の詰め所に乗り込んで情報を掴み取るぐらいのことはやりかねん)
考えるまでもなく無謀な行為なのだが、レナイア・カミューテルが行ったのだと思えば奇妙なほど違和感が少ない。
(……あるいは、こうして俺を納得させて謀に嵌めるつもりなのか)
(可能性有)
六番だった。誰かに疑念を抱いた時、決まって六番が真っ先に支持を表明してくる。
(疑念対象の提言を容易に受諾するのは軽率。目的を達成した後、迅速に出立すべき)
(む……)
明日の朝、詰め所で目的を果たしてすぐにこの町を発てば、ゾンビ達の活動が活発化する時間帯である夕暮れまで余裕を持って移動できるだろう。
(反駁。携行食の乏しい現状を考慮した場合、出立は尚早と考えられる)
(回答。不足分は道中にて補うことが可能。よって問題ない)
三番の意見にも、六番は素早く切り返す。レナイアのことをどれだけ警戒しているかが分かるが、今回は窘めておく必要があった。
(六番、食料に関する問題はそれでいいかもしれんが、この町で手に入れなくてはならんものは他にもある。だから予定滞在期間に変更はない。以上だ)
室内に設けられてあった燭台に火を点してなかったので、窓の外から明かりが入ってくる。暗い室内と明るい室外。この二つを比べていると、内外の差が逆転してしまっているようであった。
(了承)
六番の返事は、ジークが窓の外に視線を移し、取り留めのないことを考え出すまでかかっていた。
(レナイア・カミューテルは、他にも何かしら仕掛けてくると思うか?)
(む――)
二番の質問に答えようとしたジークの視界を、よく見慣れた顔が遮った。
「……ミュレか」
「ん」
ジークの顔の両側に手をつき、ミュレはじっと見下ろしていた。覆い被さる態勢をとっているため、必然的に視界の大半はミュレで埋まっている。
どうした、とジークは訊かない。その選択肢は、ミュレが自ら口を開くまで選んではならないからである。
ミュレは動かない。何を考えているのか、人形のような顔からは想像もできない。
ミュレは動かない。瞬きすらしないため、時間が止まってしまっているかのような錯覚を覚えてしまいそうになる。
ミュレは動かな――
「……ミュレ」
「ん」
時間の空費だったと胸中で毒吐いたジークの声は、苛立ちがこもっていた。
「どうした。何か、用があるのだろう?」
「ん……」
ミュレの口が、僅かに動いた。唯一の光源であった窓に背を向けているミュレの、眠そうに細まった大きな藍色の瞳には光がなく、普段にも増して洞のように見えた。
「ん……」
「む――」
半開きになっているミュレの口元に光るものを見た刹那、ジークの分割思考が急速に回転を始めた。
(あれは)
(警告)
(要回避)
(迅速に回避すべき)
(いや、それでは間に合わん。四番)
(演算完了)
物の動きが、急に緩慢になったように感じられる。ミュレの口元に見えるそれの予想落下軌道までもが見える中、ジークは腹筋と背筋を総動員して上体を起こす。その反動でミュレは弾かれ、あわや寝台から転落、というところでジークが止めた。
まだ顎の端に涎の線を残したまま、ふらふらと覚束ない頭のミュレに、ジークはゆっくりと問い掛ける。
「ミュレ、お前……眠いのか?」
「ん……」
ミュレは、うな垂れるように顎を引いた。肯定である。
眉間にしわを寄せたジークは、「なら、さっさと寝ろ」と嘆息交じりに伝えた。寝台から下り、ミュレがすぐに眠れるように計らったのだが、ミュレは横にならず、やはりじっとジークを見つめている。
「む……ミュレ、どうした?」
「……ん」
寝台上に手足をつき、四つん這いでジークに寄っていったミュレは、伸ばした小さな手でジークのマントを握った。
「む……」
ミュレは、ジークのマントを要求していたのである。
(毛布があるというのに……分からん奴だ)
(同意)
(まあ、いつもの彼女らしいといえばらしいな)
(同意)
ジークは嘆息、二番は苦笑いしながら、マントの留め具を外してミュレに投げ与えた。もう半分は眠ってしまっているような顔のミュレは、マントの裏表も確かめずに頭から被ると、今度こそ寝台に身を横たえた。
「ミュレ」
「……ん」
ふと、ジークは思いついたことを口に出してみた。マントの隙間から、ミュレが薄く目を開いてこちらを見る。
「お前、そのマントが好きか?」
「ん……」
ミュレは、何かを答えるようなそぶりを見せたが、そこに言葉は続かなかった。
軽く息を漏らしたジークは、窓を閉じてもう一つの寝台に横たわった。
明かりも音も殆ど存在しない部屋の中で、ジークは隻眼を閉じる。
3【そして彼女は着替えた】
その警備兵は、一人で外壁の上に設けられた通路に立っていた。
頃合は夜。市街とは対照的に、外周壁の辺りは不気味なほどに音がない。秋も深まるこの時分に珍しく、虫の音がなく風ばかりで、まるで冬の一夜のようだった。雲が厚いせいで月もなく星もなく、松明の光ばかりが微かに微かに揺れているのが心許ない。
壁の向こう、町の外で、闇が蠢いていた。
盆地を切り拓いて造られたエタールの周囲には、森林と呼べるだけの木立は存在しない。にもかかわらず、夜の闇に紛れて何かが蠢いているのだ。
警備兵が目を凝らしてみると、蠢いている闇が無数の『ヒト』の形をしていることが分かった。ただし、それは決して人間ではなかった。
体の一部が、あるいは全身が、黒ずんだ肌をしていた。この警備兵は死に馴染みの薄い男ではあったが、その肌が死人のものに似ていることは知っていた。
「日増しに増えている……」
警備兵は、それが何なのかも知っていた。
ヒトの形――ヒトの死体に酷似した、魔物。一ヶ月近く前から姿を現し始め、リグニア王国において東西南北の要となるエタールに被害を齎し始めている害悪。
出現当初こそエタールにいたリグニア兵も夜毎に兵を出していたが、決定的な効果が見込めないとのことで、今は静観を決め込んでいた。警備兵が聞いたところによると、上層部では新たな対策が採られようとしているらしい。
「交代だよ」
外壁の上に設けられた通路に、声が流れた。
「おお、助かります……」
槍を片手に周囲を見回していた警備兵は、身を震わせて、自身と同じ様相の男を迎えた。まだ冬の夜には及ばずとも、身を浸す寒さは耐え難い。
「いやぁ、めっきり秋も深まったな」
「ええ」
「それにしても、今年の夏は、やけに短かったような気がしないか?」
「そう、ですね。山が色付くのも、心持ち早かったような」
寒そうに振る舞う男に、警備兵は同意した。柔和だが、押しの弱そうな雰囲気を持っていた。彼は頷くだけでそれ以上は喋らず、男が続けるのを待った。
「あのゾンビども、今日も入り口まで来ていやがるのか」
「は……ええ。確かに、そうですねぇ」
警備兵は、僅かに怪訝な表情を作ったが、すぐに和した。
「はて……どう、されましたか?」
男は、月を見上げていた。
「見給え、月が出る」
「は――」
月が、雲間から現れた。暗幕が取り払われたかのように月光が天上から注ぎ、その場に立つ者達の顔と姿を明らかにさせた。
片や、頭から爪先まで特徴のない、影の薄そうな中年の警備兵。
「十六夜……ふっ、欠け往く月も、又良い物だ。君もそう思わんかね、うん?」
片や、顔や袖から覗く手を除き、総身を黒で塗り潰した長身の美丈夫。
「ここ、これは、ユフォン様でございましたか……っ」
警備兵は、慌てて片膝を床につくと、恭しく一礼する。両者には主従か、それに類する関係が存在していることが推察できたが、同時に警備兵は美丈夫――ユフォンのことを強く恐れているようにも見えた。
ユフォンは、弓張り月のような笑みを作って歩み寄る。月光を頭上から浴びても髪や黒衣は光を反射せず、依然として相貌は闇の中で白く浮かび上がり、幻想的であり、同時に不気味でもあった。
「久しいな、シロフ。変わらず壮健かね?」
「も、勿体ないお言葉にございます。ユフォン様は勿論のこと、“主”様や皆々様に、あの方々のお蔭もございまして、私めでも問題なく捗っていたのでございますが……」
「うん? 如何かしたのかね?」
シロフと呼ばれた警備兵は、おずおずと顔を上げて話し始めた。
「ここのところ、領主の屋敷に変わった人間が出入りしているのでございます」
「続け給え」
「は、はい。ぎ、行商人を名乗る姉弟なのですが、どうも一般的な商人の方々とは違って……」
「魔物退治に口出しを始めている、かね?」
芝居がかった口調でユフォンが言った。シロフは、驚きに目を瞠り、言葉をどもらせながら「左様にございます」と答える。
「しかも、それが不気味なほどに功を奏しているのです。今は妨害工作に留めておりますが、場合によっては……」
そこでシロフは俯き、言葉を濁らせた。肌寒い夜に不似合いな汗を額に結んでいると、やがて、ひどく辛そうな顔で「あの方々に、働いていただきます」と結んだ。
ユフォンは「そうかね」とだけ返して、細く尖った顎を撫でる。何気ない所作であるが、それだけで妖しい美しさを見る者に感じさせる。
「とと、ところでユフォン様は、何故に私などの所へいらっしゃったのです?」
「ふっ、少々思う処が有ってね。此度の君への挨拶は、其のついでと謂う訳さ」
「……と、仰いますと?」
シロフは、遠慮がちに尋ねた。それを待っていたと言わんばかりに、ユフォンは得意げな表情で「久方振りに、面白い輩に逢ったのだよ」と答える。
「今は其の者の動向を観ている途中なのでね、君の任務の協力も邪魔もせんよ。成功を祈るぐらいはするがね」
「は、はいっ。勿体ないお言葉にございます」
シロフは、更に上体を屈めた。ただでさえ片膝を屈した状態なのにそこから体を折り曲げるものだから、今の彼は殆ど地に伏しているような姿になっている。
「では、又近い内に逢おう」
「は、はい……?」
月は、再び雲に隠れた。シロフは、いつの間にか傍からユフォンが消えていたことに気付いた。
●
ジークは、肌寒さで目が覚めた。窓は閉めきっていたが、顔や指先の触れる空気は朝方の冷たさを含んでいた。毛布を払い、保たれていた暖気が除かれると、一層の冷たさが体中を浸す。窓を開くと鈍い朝陽が射し、ジークに僅かな暖かさを与えた。
頃合いは早朝。眼下では早くも市場が開かれており、人と物が絶え間なく行き交っている。そこでやり取りされる物品、風貌、言語の多様さは、商業で名を馳せるリグニア王国屈指の中継都市であるエタールの盛栄を物語っている。
「む……」
ゆっくりと、ジークは首を捻った。凝り固まっていた首と肩の骨が軋んで音を立て、僅かだが快感が余韻となって残る。
肩当や長剣を外さずに寝てしまったため、ジークの目覚めはおよそ心地よさとは無縁であった。左肩や腰の辺りには、いつも通りの圧迫感が残っている。
(これでは、宿をとって休息した意味がないな)
(構わん、まともな睡眠をとれただけで充分だ)
二番に返したように、ジークは野外では警戒のためにと、殆ど仮眠しかとらない。もっとも、今のように宿泊施設等で眠る場合でも浅い眠りしかとらないのだが。
(いずれにせよ、眠りでは俺の気分が休まることはないのだからな)
(……そうだったな)
ジークが全てを語らずとも、二番には理解できる。およそ本体とはかけ離れた言動の目立つ二番であるが、持っている知識や記憶はジークのものなのである。
ジークの目覚めが不愉快なものであった理由。それは寒さや具足ではなく、浅い眠りの中で見る夢にあった。
(だが、だからこそ、肉体的な休息は必要ではないのか? 我々も気を払うが、お前も忘れるなよ)
(分かっている)
二番の余計とも感じられる助言に煩げに応じたジークは、先刻から感じている一対の視線の出所に目をやった。
ジークが使っていた寝台の隣、もう一つの寝台でミュレが上半身を起こしてジークを見ていた。まだジークのマントを頭から被っており、その隙間から見える藍色の大きな瞳は、まだ夢の彼方にいるかのようであったが、ミュレは半開きの口を動かし、ぎこちなく言葉を紡いだ。
「……おはよ……いい?」
「む、おはよう」
ジークは淡々と返して、ミュレの頭を撫でた。
(そろそろ、この行為も必要ないかもしれん)
(同意)
六番が、ジークの独り言に応じた。
(対象の知能発展は明確。現状維持による副次的被害が発生する前に即時取りやめるべき)
微々たるものだが、確実に知的成長を遂げているミュレは、ジークの行為に予期せぬ解釈をするかもしれないから、今のうちにやめておけ、と言いたいのだ。
それに対し、反論を述べたのは三番であった。
(反対。信頼関係を構築している現時点において、接触手段に変調を来すことは危険)
三番は、褒賞をやめることで悪影響が出る可能性もあると示唆してきた。
(笑止。成長は適応を側面に持つ。三番の主張は事態の停滞しか招かない)
(六番は性急に過ぎる。当該事項は静観し、観察経過から判断材料を収集することが現状では得策)
(三番に同意)
(同意)
四番と五番が、三番への同意を表明した。大局を見据えていた二番と七番は、機を見て発言する。
(結局、当面は様子見も兼ねての現状維持だな)
(同意)
(同意)
ミュレが、ジークから与えられる報酬を好み、それのみを積極的に求めるようになれば望ましくないが、そうなり得るのか否かを見極めるにはまだ早い。
(少なくとも、今はな)
あくまでも初志を忘れまいとしながら、ジークはミュレの頭から手を離した。
●
食堂は狭いながら長机が三台も並んでいた。それが間取りに対して釣り合っていないために、十人あたりの客でも賑わっているように見えていた。
「ジークだ」
「承ってます。どうぞこちらへ」
入口脇に控えていた男性にジークが一声掛けると、彼は爽やかに応じて二人に先導する。
「夕べは、よくお休みになられましたか?」
「む」
「お連れ様、まだ眠たそうになさっていますが、ひとまず中庭の井戸に行かれた方がいいのではないですか?」
「む」
「……あの、今日は昼までに雨が降るかもしれないそうですので、どうかお気をつけて」
「む」
ジークの愛想の悪さに戸惑いつつも、従業員は奥の方にある席まで二人を案内すると、一礼して下がった。
暫く、というほど時間が経過しない間に、先ほどの従業員が三皿の料理を手にやってきた。一つの皿には皮を剥いて茹でた芋が六つに乾酪を溶かしたものが、そして二つの皿には三つの大きなパンが、それぞれに並べられてあった。どれもこれも、皿以外の食器を要さないものである。
「その他、ご入り用の品は?」
「無料なら水を」
やはり無愛想なジークの態度に対し、従業員は努めて爽やかな態度を保ちながら「分かりました」と頷いて踵を返す。
二人分の水が届けられると、ジークは「ミュレ」と一声掛ける。ぼんやりと対面にいるジークを見ていたミュレの藍色の瞳に微かな光が点った。
「これが何か、分かるか?」
そう言ってジークが手に取って見せたのは、白々とした湯気を立ち上らせる芋。溶けた乾酪が芋の表面を僅かに滑り、皿の上の芋との間に白い糸を引いた。
「ん……」
相変わらずの無表情で芋を見つめていたミュレは、首を傾げた姿で固まった。ミュレは喋ろうとする際に口だけ動く時があったが、今回はその様子さえ見られない。
溶けかけの乾酪が冷めるのはよくないと考えたジークは、溜め息を一つ吐いて説明する。
「ミュレ、これは『芋』という」
「……い、も」
ミュレはジークの口の動きを真似て、たどたどしく喋った。頷いて肯定の意を示すと、ジークはもう一度訊いた。
「ミュレ、これは何だ?」
「……い、も……いい?」
やはり発音に怪しい箇所があったが、「いいぞ」と答えたジークは、慣習としてミュレの頭に手を伸ばしかけたところで動作を止めた。
(……試して、みるか)
(同意)
(否定)
六番とは対照的に、三番はすべきではないと反対を表明する。水面下での、刹那ほどの逡巡を経たジークは、持っていた芋を手だけで器用に割って与え、自身も淡々と残りの半分に口をつけようとした。
(む……)
ジークがささやかな異変に気付いたのは、その時であった。
ミュレが、渡された芋を手に持ったまま、ジークをじっと見つめているのだ。首は、小さく左側に傾いている。
「ミュレ、どうした?」
「ん……」
ジークが問い掛けるも、ミュレは口を動かすだけで言葉は発しない。急かしたところで意味がないことを十二分に心得ているジークは、ミュレが喋り出すまでの間に今日の方針を考えることにした。
(まずは)
(子細確認)
町の入口に行き、兵士長から件の情報を取り出さなくてはならない。
(昨夜の一件も、無視してはおけないだろう)
(む)
(同意)
(同意)
二番の意見には、ジークも同意していた。
レナイア・カミューテル。飄々とした中に鋭いものを隠した女行商人。彼女が持ち掛けてきた『商談』は、彼女の思い描いていた形とは(恐らく、という言葉が含まれるかもしれないが)違った形でジークの頭に残っていた。
(――「一昨日、あたしがここの領主に言ってやったのさ。『まず魔物の問題を解決しとかないと、被害はどんどん増えるよ』ってね。だからあんた外からここに来る奴はいても、町の外に出る奴なんていないってわけさ」――)
(――「今すぐ答えろとは言わないよ。だけど、もしあたしの申し出を受け入れる気になったんなら、明日の昼過ぎに領主ン所に行っとくれ」――)
自分が町の権力者と結びついているかのようなレナイアの発言は、果たしてどこまでが真実なのか――ジークの関心は、そこに集中していた。
(噂には聞いているが……流石に本当に領主と手を組んでいるとは考え難い)
(同意)
(しかし、もし彼女の発言が嘘ではないとしたらどうだ? レナイア・カミューテルに関する噂が正しければ、警戒しておいても損はないのではないか?)
(む……)
二番の言わんとすることは、ジークに漏れなく伝わった。
レナイアは、エタール領主という、リグニア王国における要職にある人物と接触し、行商人であり、なお且つ女でありながら魔物に対する方針を決定する一因にまでなっていた。これが事実であるならば、彼女は相当に無理をしていたはずである。
その無理も、この町でなら罪と見做される可能性は高い。一端とはいえ、ジークはこの国の政治に関与するつもりはなかったが、見過ごせるような立場にもなかった。
「……ない……?」
「む」
ジークの耳が、殆ど喧騒に埋もれている、微かな声を拾う。
首を傾げているミュレが喋りやすいように、ジークは言葉を選んで促す。
「ミュレ。何が、ないんだ?」
「ん……」
ミュレは、口を開け閉めしているだけで、言葉は紡がない。伝えようという意思はあるようだが、彼女の乏し過ぎる語彙では難しいのだろう。これ以上は待っても無駄だと判断したジークは、そこで初めて助け舟を出す。
「食べ物が、ないのか?」
「ん……」
特別な反応はない。頷きもしないということは、ミュレの要求しているものは別にあるということなのだろう。
「……ない……?」
繰り返される、確認の言葉。藍色の瞳は、亡羊としつつもジークを真正面から映している。
(ひょっとして……)
(言うな)
二番が言いかけたのを、ジークが制した。
現時点において、ジークが知っている、ミュレが望み得るものなど一つしかない。それを汲み取り実行することに逡巡したが、結局ジークはミュレの頭に手を乗せてやった。特に目立った変化はなかったが、じっと見つめてくるミュレの首は傾いていなかった。
(む……)
(どうやら、褒章行為として彼女の中で定着しつつあるようだな)
(やはり検討すべき)
六番が、水を得た魚のように切り出した。ジークはそれに取り合わず、残りの朝食を片付けて席を立った。何も言わずとも、ミュレは当然であるかのようにジークに続いた。
(それで、彼女からの『商談』にはなんと答える?)
(とりあえず、奴の目の前で適当な時に頷くとしよう)
淡々と答えるジークに、二番は「そうか」と返しただけであった。
ジークの時と同じく、二番にも彼が何を言おうとしているのかが分かっているのだ。
●
朝食を済ませたジークは、ミュレを伴って昨日に来た道を戻り、昨日に約束を取り付けておいた北門へと向かう。
「お待ちしておりました」
気弱そうな兵士に案内された先で待っていたのは、昨日の隊長であった。こちらを見据える様子こそ、最初の頃の謹厳さを有していたが、ジークに話し掛ける時には先日の卑屈さが仄見えていた。
「どうぞ、こちらへ」
「む」
執務室には、別室に通じる扉があるという。そちらへ案内しようとする兵士長を制して、ジークは振り返った。
背後には、やはりミュレが立っていて、じっとジークを見上げていた。
「ミュレ、お前はそこで待っていろ」
「ん……」
ミュレは、反応こそ見せたが頷かなかった。ジークの意思に反するつもりなのだろうが、これに関してジークは折れるつもりはない。
「ミュレ、お前は、俺が戻るまで、ここで、待っていなければならない。分かったな?」
「……ん」
今度はジークが念を押すように言い聞かせると、ミュレはじっとジークの顔を見た。事態が飲み込めていない兵士長は二人の様子を窺っていた。
「行くぞ」
「よろしいのですか?」
「む、構わん」
兵士長は気付かなかったが、ミュレは頷いてみせていた。実際、ミュレはこちらの方をずっと見ていたが、立っている場所からは動く気配がない。そのことを確認したジークは、兵士長の促す先へと続いた。
「お求めのものは、これらにございます」
「む」
通された部屋は、応接室のようなものであった。脚の短い椅子が二台、同様に脚の短い机を挟んで並んでいた。机の上には、なめし皮の装丁が施された大きな書物が十五冊も積み上げられてある。
「ここ十二年以内の、出入記録です」
「む」
「お申し付け下されば、私どもで昨夜のうちに調べることも可能でしたが、本当によろしいのですか?」
「構わん。どの道、自分で調べるつもりだったからな」
兵士長の申し出を淡白な口調で払い除け、ジークは椅子に腰掛けると、細かく書き込まれた出入記録へ次々と目を通していく。
元々は大罪人を取り締まるために考案されたという出入記録は、リグニア王国の領地拡大と商業による国力増強とに伴い、人々の流れを把握していく上で重要な参考資料としても機能していくようになっていた。
ジークの旅の目的の一つとは、そうした情報を丹念に調べ上げ、一人の人間を捜し出すことであった。
(該当情報皆無)
(む……)
ジークが頁を捲るごとに、分割思考が淡々と結論を述べる。しかしジークは手を止めることなく、次へ次へと読み進めていく。
(セネアリス)
アルトパにも該当する記録がなかったことから、ジークは『彼女』がエタールに来ている可能性も低いだろうと考えていた。あるとすれば北方、ベイザントやフェリュースト方面から訪れたという記録なのだろうが、別の土地でも同じように調べていたジークには、それすらも信じられない。
(ジョアンナ・ジョーズ。年齢は十二。瞳は薄緑。合致せず)
時期。凡その年齢。髪の質。瞳の色。偽りようのない情報は決して少なくない。
(該当情報皆無)
年齢と性別の関係上、該当する可能性のある人間は極めて少ない。割合は三頁に一人ほどで、それを無数の文字列の中から見つけ出していくのは分割思考であっても骨の折れる作業であった。
(クラリッサ・ニューフィールド。年齢は十四。髪は金色で瞳は青。合致せず)
セネアリス――ジークは胸中で呟いた。その行為が自身の取り組んでいる作業に微塵の影響も与えないことを理解していたが、何故かやらずにはいられなかった。
(該当情報皆無――)
内心では重い息を吐いて、ジークは最後の一冊を閉じた。
この町にも、セネアリスの行方を知る手掛かりとなり得る情報はなかったのだ。
「む、協力に感謝する」
「は、はあ、恐縮にございますが……あの」
淡々と、且つ簡潔に告げたジークに、兵士長は頷きながらも「ふと、気になったのですが」と質問の許可を求めた。
「む?」
「十二年以内なら、その娘は童女と呼んで差し支えないほどに幼かったはず。そのような者を、何故貴方が――」
兵士長の背筋を、冷たいものが走った。
「お前が知る必要はない」
ジークの隻眼が、兵士長をその中に映し込んだ。放たれた矢のような眼光が兵士長を射竦めていたのである。
「……し、失礼いたしました。どうかご容赦を」
「む」
睨みを効かせて兵士長の質問を断ち切ったジークが席を立とうとした時、分割思考がジークに告げた。
(案件)
(む)
この兵士長に対して優位に振舞える今の状況というのは、レナイア・カミューテルの発言の真偽を確かめるには都合がよかった。
(念のため、訊いておくか)
(む)
無駄な時間と手間であるとおもいつつ、今度はジークの方が兵士長に訊いた。
「お前は、カミューテル姉弟を知っているか?」
「は?」
唐突なジークの質問に、兵士長は少し戸惑いを見せたが、すぐに考えを巡らせる仕草らしきものをみせた。
「単純な知識として、という意味合いでしたなら肯定ですが、それが何か?」
「いや。あの二人がこの町で何をしようとしているのかを、お前が知っているのかと訊いている」
そうジークが告げると、兵士長の表情に強張りが見えた。ジークに対し卑屈な態度を見せている男だが、その時ばかりは兵士長も、紛れもなく公務の一端に携わる人間の顔を見せた。
「重ね重ね申しますが、このことは本来、外部の方に漏らしてはならないと厳命されているのですが、貴方と私の関係性を考慮した上で、特別にお教えするのだということを覚えておいて下さい」
「では、あの姉弟が領主に接近していたというのは真実なんだな?」
というジークの問いに、兵士長は頷いた。
「今から私が話すのは伝聞ですが、彼女らは十五日ばかり前にこの町に訪れると、門衛や検閲官に、人型の魔物について訊いて回っていたそうです」
「む?」
ジークは、眉根を寄せた。
検閲官というのは、役人の部門の一つで、町を出入りする人間を取り調べ、ここまで至る経路や目的の他に、個々人の身体的特徴なども記録する役職である。一概に全てが、とは言わないが、行商人に対し気さくな態度をとるような人間ではない。
「誰も、奴を止めなかったのか?」
「それがですね、ここより西にあります、コナーという村の管理を行われている、グレグソン氏の名前が書かれた紹介状を持っていたのですよ。彼女がどういった手段を用いたのかは知りませんが、こちらにある氏の署名と一致している以上、下手に疑うことさえ手間取っている間に――」
「奴に食い込まれたのか」
ジークが結論と思われる可能性を告げると、兵士長は顎を引いた。
「領主様の近衛部隊を務めている同僚から耳にした話ですが、彼女らはかなり強引なやり方で領主様の許に訪れたにもかかわらず、短時間の会話で領主様の信頼を得たそうです。そしてそれ以来、彼女自身はあくまでも行商人という身分でありながら、領主様を通じて我々に対し間接的に命令を出すことのできる立場に就きました」
「お前やその部下は、既に何かしら命令されているのか?」
「夜間になるとこの付近にまで人型の魔物が現れるのですが、それらとの交戦を控えるようにとだけです。他には領主様のお屋敷の一室を無償で借用しているとか」
「その同僚とやらの言うことは、信用できるのか?」
「彼女がこの町にやってきた時期と、我々に指示が下された時期は一致しています。それに彼は買収には不向きな男です。私などとは違い、職務の間のことで嘘を吐けるほど器用ではありません」
「む……」
ジークは、下顎に手を添えた。
兵士長の発言とレナイアのそれとが一致している部分は大きかったが、兎にも角にも話が荒唐無稽過ぎているために、どこからどこまでを信じていいものかと、ジークは分割思考を巡らせた。
(奴の言葉には真実が多分に含まれていた、と解釈せざるを得ないのかもしれないな)
(同意)
ジークの中で、レナイアに対する疑念が消えていないのは言うまでもない。彼女の誘いに乗ってやろうとしているのも、全てはそこに基づいているのである。
(結局、真相を確かめるには彼女と再び接触する他ないわけだ)
(憂鬱)
結論と当面の方針を導き出したジークは、日差しの傾きが変わるほどに張っていた根を引き抜いて腰を上げた。
「必要な情報は一通り入手できた。協力に感謝する」
「いえ、私も貴方の助力ができて光栄でした」
この言い回しをジークが用いたのは二回目であった。そのためか、兵士長の相槌も淀みないものになっていた。
「そうそう、最後にでございますが」
兵士長が、笑みを見せた。これまで見せていた、怯えばかりが強かった笑みではなく、昨日一度だけ垣間見せた、原色の欲が光る笑みを。
「今回の一件、協力したのがこのアーネスト・エイムであること、努々お忘れなきよう」
「……む」
それだけ返して、ジークは隣の部屋に戻った。こちらの方を向いて立っていたミュレが、緩慢な足取りで寄ってきた。
アーネストなるあの兵士長が、先刻の相槌をどういった形に解釈しようとも、それは彼の自由であるとしか考えていない。
●
陽の下に出れば肌寒さも和らぎ、曇り空ながらに暖かい。
頃合いは昼過ぎ。食事時ということもあって、方々にある店から食欲を誘う匂いが漂ってきていた。
「……む」
ジークは、自分のマントを何者かが掴むのを感じた。
「ミュレ」
「ん」
掴んでいる張本人は、本人よりも雄弁に主張する腹の虫を鳴らしながらじっとジークを見上げていた。
「お前、腹が減ったんだな?」
「ん」
ジークのマントを握ったまま、ミュレは頷く。そんな彼女の、あまりにも露骨な要求が余計な人目を惹いてしまうことを嫌ったジークは、やむなく林檎を二つ買った。
真っ赤な二つの果実を見せて、ジークはミュレに問う。
「ミュレ、これが何か、分かるか?」
「……あか……いい?」
「む」
ジークは、眉間にしわを寄せた。
「ミュレ、これは林檎だ」
「り ん ご」
たどたどしく、ミュレはジークの発音を真似ようとする。ただでさえ緩慢にしか喋られないミュレが、殊更にたどたどしく喋るのである。それはもはや、単語ではなくそれぞれが独立した音であったが、ジークはミュレの頭に手を乗せる。
「ではミュレ、この林檎の数は幾つだ?」
「ん……」
ミュレは首を傾げると、眠たそうな目を二つの林檎の間で往復させていた。
「ミュレ」
「ん」
「分からないなら、指を使って数えろ」
ジークが助け舟をするのだが、ミュレは人差し指をぎこちなく伸ばしただけで、それ以外に変化はない。
「ミュレ、数は覚えているな?」
「ん……」
彼女の思考が稚拙であることをジークは理解していたが、それでもやはり、掛ける言葉には苛立ちがこもってしまう。
やっと五指全てを用い始めたミュレは、ジークを見上げて「に」と言った。
「……いい?」
「む、そうだ」
もう一度ジークはミュレの頭を撫でて褒めてやると、一つの林檎を与えた。小さな両掌で林檎を包むミュレに、ジークが忠告しておく。
「ミュレ、林檎の色は確かに赤だが、それはこいつの名前ではない。分かったな?」
「ん」
どこまで理解しているのか――嘆息はひとまず胸の中にしまい、ジークはミュレに食事の許可を与えた。
(……数を数えさせるのは、まだ早かったか)
(他の手段も考えた方がいいかもしれないが、食べ物ぐらいにしか集中力がないのではなぁ)
二番は苦笑気味に語るが、そのミュレと実際に接していくのはジーク本人なのであるが、分割思考である二番も決して無関係ではないのだ。
(そう焦るな。水をやったからといって、いきなり種は大木に育つまい。そう思ってやるしかないだろうさ)
結局、当面のところはそれぐらいしか選択肢はないのか。多少の手間が掛かってしまうことは承知の上だったが、それにも限度はあるのだ。
(成長と発達を促す術を、一刻も早く見つけねば……む)
ジークの手から、もう一つの林檎が消えた。
「ミュレ」
「ん」
「誰が二つとも食べていいと言った」
●
ジークは少女の頭を撫でていたかと思うと、唐突に叩いた。
(……あれは、何をやっているんだろ)
セラに頼まれて買い出しに出掛けた矢先、見失ったかと思われていたあの二人を見掛けたのをこれ幸いとばかりに尾行を始めたのはよかったが、二人は前述のようなやり取りをしているだけで、どこかへ行く様子も見せない。
行くとしたら、一体どこへ――そう考えるヴィルの頭に、一つの考えが閃いた。
(まさか、ここを出ちゃうのかな?)
だとしたら困る。町の中にいたからこその再発見である。また見逃してしまえば、二度と見つからなくなるという可能性もある。
そう思う傍らで、セラの優しい微笑みを思い出し、ヴィルは左胸を押さえた。針の先で突かれたような痛みを感じたのだ。
(……セラ姉ちゃんには、悪いと思うけど、ボクにもやらなきゃいけないことがあるんだ)
痛みを義務感で隠して、ヴィルは歩き出したジーク達を追い掛けながら、自分なりに推理をしてみる。
エタールには、南北と東の三ヶ所に門がある。位置的に近いのは北門であったが、二人が歩いている方角は南だった。それから何度か道を折れたりしながら、やがてエタールを東西に貫く大通りに出た。
(あれ? 町を出るんじゃないのかな?)
それならそれで好都合だが、いずれにしても自分のやることに変わりはないと言い聞かせ、人山の向こうに見える二人を追った。
「ごめんなさい、ちょっと道を通らせて下さーい」
盛りを過ぎているというのに、大通りは相変わらず人と物で溢れ返っていた。歩道には出店までもが軒を連ね、小柄なヴィルでさえ道を歩く際には謝りながらでないと通れない。
(さっきから、すごく人がいるところばっかり歩いてるけど、もしかして、ボクを振り切ろうとしてるのかな?)
ふと、そんな推測が思い浮かんだヴィルは、周囲に身を隠しやすい場所はないものかと視線を巡らせる。見つかる危険性が高まっているが、それでも簡単には引き下がれないのである。
(……でも、怖いのはやだなぁ)
少なくとも、気取られているのかどうかが判明するまでは下手に動けないだけに、ヴィルはセラの時とは違った意味で心臓が痛むのを感じていた。
やがて、ジークとミュレが通る道から徐々に人や店が消え、閑静な空間が広がっていった。
道路を舗装していた石材は、赤茶けたものから白い石へと変わり、建物も窮屈そうなものから間隔の広い、立派なものが増えている。
(あ)
そこでヴィルは、一つの問題に気付いた。
このまま二人を尾行していると、身を隠す場所がなくなってしまうのだ
(わっ、どうしよ? このままじゃ隠れられない!?)
ヴィルは慌てて、これから進む先に隠れられる場所はないものかと探してみたが、やはりそれらしいものはどこにも見当たらない。
(どうしよう。見失っちゃうのは嫌だし、でも見つかるのも嫌だし)
考えている余裕は殆どない。こうしている間にも、二人の背中は遠くなっているのだ。
(……しょうがない)
つかの間の逡巡を経て、ヴィルが駆けたのは二人へと続く道ではなく、脇の路地であった。
昼間であっても薄暗く、赤ら顔の男らが寝転ぶ路地を駆け抜け、店の裏手に回り込んだヴィルは、まだ店内に運び込まれる前の、階段状に積み上げられてあった木箱を見つけて、思わず拳を握った。都合よく、二階の窓もある。
荷物番の目が自分に向いていないことを確かめたヴィルは、一片の迷いも見せずに木箱の上を駆け上がった。小柄で体重の軽いヴィルであったからか、木箱自体が頑丈なためであったからか、不思議と大きな音はしなかった。
ヴィルは一息に最上段の木箱まで登ると、今度は窓枠の出っ張りを器用に利用してよじ登り、あっという間に店の屋根までたどり着いたのだった。
道を歩く人々に気付かれないよう気を付けながら、ヴィルは鳥になったような気分で下界を眺めた。
(えーっと……あ、いたいた)
素早い決断が功を奏して、ヴィルはジークとミュレを見失わずに済んだ。二人は、やはり立派な白い道を歩いている。
(あんな所に、いったい何の用があるんだろ?)
ヴィルは首を捻りながら、遠ざかる背中を見つめていた。
「あれ?」
ふと、ヴィルは呟いた。
二人は、脇道に逸れることなく、真っ直ぐに進んでいく。その先にあるものを見て、ヴィルは目を瞬かせた。
(あそこって……?)
●
エタールは、町の規模こそアルトパに劣るが流通の拠点になっているだけあって商人も多く、その中には庭付きの屋敷を構える者もいる。
ジークとミュレの歩いている通りは、そうした商人らの館が連なっている場所であった。国によって呼び名は異なるが、リグニアでは一般的に『富裕街』と、皮肉と羨望を込めて呼ばれている。
それら屋敷の数々を従えるように、通りの奥で堂々と鎮座するエタール領々主の屋敷の前に、二人はたどり着いた。
「レナイア・カミューテルという女の紹介で来た」
「承っています。どうぞこちらへ」
ジークが何の前触れもなく門衛に告げると、彼は驚くほど簡単に頷いて門を開いた。
「どうぞ、このまま真っ直ぐに玄関まで向かって下さい。後は担当の者がご案内しますので」
門衛の対応は王侯貴族を相手にしているかのように丁寧だったが、同時に淡白で、愛想も感じられなかった。
玄関脇に立っている兵士も、やはり門衛と似たような態度を示しており、淡白な受け答えを返すとジークら二人を一室に案内した。
「時間が来るまで、こちらの部屋で待機していて下さい」
「む」
室内に入ると、ジークはその広さに唸った。
室内の装飾は臙脂色と金色で統一されており、お世辞にも上品とはお世辞にも言い難いが、およそ五十人前後の傭兵を一室に易々と収容できているのは流石だった。巨大な長机と立派な椅子もあったが、それは部屋の片隅に追いやられてあった。
(目測で五十三人)
(む)
四番が、素早く計算していた。六つの分割思考の中でも特に空間認識に長けており、目測も例外ではなかった。
他に情報を得ようと視線を巡らせると、入口側の壁面には都市エタールを中心とした四方五里を描き記した地図が、縁取る赤布の飾りも華やかに掛けられていた。
「む」
ジークは、その地図の一角、東北部辺りに不可思議な点を見つけた。
東北部は山と森ばかりなのだが、円形の空間が、山間の森の中にあったのだ。わざわざ塗料を用いてあるということは、描き残しではないようである。
(名称も付記されていないというのは奇妙だな)
(同意)
二番は関心を示していたが、対照的にジークは気に留めず、部屋にいる傭兵達を観察していた。
(四人ほど、格の違う奴らがいる)
(同意)
ジークにとって、力量の抜きん出た人間というのは自ずと分かる。実際の動きを見なくとも、その人間の持っている空気が、ジークの肌に伝えてくるのだ。
現在のところ、ジークがそのように感じている人間は、次の四名であった。
戦鎚を肩に担ぎ、部屋の隅で黙想している、重装歩兵の姿をした壮年の男。
部屋の中央辺りで、仲間と思しい連中と軽口に興じている、大弓を背負った青年。
ジーク達に程近い部屋の隅で、抜き身の短刀を手にしている、無表情の男。
そして四人目が、これはジークにとっても意外なのだが、先程から目の前でおどおどとした様子で周囲を見回す、赤毛の女性であった。
「あっ、す、すみません……っ」
「む?」
ジークと視線が合うと、女性は元々赤みがかっていた頬を殊更に赤く染めて別の場所へと移る。
(本当に、彼女が抜きん出た実力を持っているのか?)
(俺にしても心外だったが、他の四人に劣らんと感じたのは事実だ)
(同意)
二番はジークの直感に懐疑的な反応を示していたが、戦闘に関する技能や知識を専門としている五番はジークに同意する。
(言いたいことは分かるが、それにしても人は見た目だけでは分からんなあ)
(同意)
実体を持たない分割思考が外見を語ることの矛盾に眉根を寄せつつ、ジークは他にどういった人間がいるのかを見て回ろうとしたが、
「やあやあやあやあ! 悪いねぇ、ちょいと昼飯が長引いちまった!」
その矢先、慌ただしい音とともに扉が開き、一人の女性が慌ただしく、遅れて二人の男が静かに入ってきた。
レナイア・カミューテルが、弟と兵士を具して現れたのである。
●
部屋では、五十人ほどの傭兵達が、各々のやり方で時間を潰していた。
男も女も、少年も老人もいたが、いずれも一筋縄ではいきそうにない雰囲気を少なからず漂わせており、レナイアは自らの目論見がまた一つ上手くいったことに内心で笑った。
「命知らずが五十三人! よく来てくれたもんだって思うよ」
傭兵達の目が自分に集中し始めた頃を計って、レナイアはよく通る声を発した。それにつられるかのように、残りの傭兵も彼女へと意識を移した。
「あん? 誰だテメエ?」
「あたしン名は、レナイア・カミューテル。あんた達がここにやってくるきっかけになった者さ」
恐面の傭兵が一人、レナイアに食ってかかってきたが、レナイアは飄然とした態度を崩さずに笑って答えた。傭兵の表情が動いたので彼女が背後に目をやると、ルーカスが腰に差してあるナイフの柄に手を掛けていた。気の抜けた、いかにも凡庸そうだった少年の顔が、一端だが戦士のそれになっていた。
「やめなルーカス」
簡潔だが、強制力のある声であった。ルーカスは視線を男から逸らさず、ゆっくりと手を柄から離す。少年の予期せぬ反応のよさに、傭兵は無意識のうちに唸り声を洩らしていた。
囁きを交わしている者、様子を静観している者、呆然としている者――その場にいた傭兵達は、概ねこの三通りに分かれた。
「――で、こっちがあたしの弟で雑用係のルーカス。そこンとこよろしくね」
事態の終息を見計らってレナイアは紹介を終えると、地図がある方の壁際へと足を運んだ。偶然、近くにいた傭兵達は、特に何かを言われたわけでもないのに道を空けていった。
「さて、あんた達は人型の魔物退治に志願してくれた面々なわけだけど、まず一番初めにあんた達に言っとかなきゃいけないことがあるんだよ」
空気が、数人の傭兵達から急速に変わっていった。やはり、選びに選んだ人間だけある。
「まずは、どーしてまた、再三失敗してる人型魔物の討伐に踏み切ったのかってのを説明しようかね」
如何にも重要そうな話題を飄々と語ってみせたレナイアは、その姿勢を崩さずにこう続けた。
「何を隠そう、あたしらは連中の塒を突き止めたのさ」
傭兵達の動揺が、彼らのざわめきを通じて伝わってきた。続いて表れたものが疑念の一語であったのには、流石のレナイアも苦笑いであった。
「ま、詳しいことは、こっちの兵隊さんから聞いとくれよ」
それじゃあよろしく、とレナイアに促されて前に出たのは、口髭を生やした、恰幅のよい兵士だった。しかし一同から視線を寄せられるその男の表情には、およそ覇気と呼べるものは感じられない。
「だ、第四次討伐作戦以降、我々り、リグニア軍は、討伐に平行すす――失礼、平行する形で、人型魔物の追跡調査を開始したのです」
「ちょいと、いきなりそこから話しても分かりにくいじゃないかい」
とレナイアに指摘され、兵士はますます萎縮した様子を見せながらの解説を始めた。
三ヶ月ばかり前から現れ始めた謎の魔物を退治すべく、エタール領は、領内に駐屯しているリグニア兵を都合六度、四度目と五度目の間に傭兵の派兵を挿みながら討伐隊として派遣していた。
しかし、思うように事態は進捗せず、やむなく討伐は傭兵に依託する傍らで、魔物の調査と研究にあたることにした。
研究の方はまだ初期段階に過ぎず、討伐に貢献できるほどの研究成果は出せてなかったが、第五次討伐隊として傭兵と調査隊による混成部隊を派遣し、魔物が明け方になると引き上げ、更にはどの魔物も決まった方角に向かっていることを突き止めたのだ。
「……そ、そして第ろく、第六次討伐隊の方々の、ご尽力の結果、判明した魔物の棲み処というのが」
「ここさ」
地図の前に立ったレナイアは、何故か腰に手を当てて、何やら考える仕草を見せた。
「ルーカス、そこの長細いやつを取ってきな」
そう言って、レナイアはルーカスに持って来させた暖炉の火掻き棒で指した。背後の兵士は気まずそうな顔をしていたが、構わずに続ける。
「奴らが棲拠としてる、ここなんだけどね」
レナイアが指し示したのは、エタールから東北部にあった、山間の謎の空間であった。
「元々のエタールがあった場所、通称“旧市街”っていうらしいね。奴らは朝が来ると、ここに逃げ込んじまうんだとさ」
「そこを、俺達だけで潰せってのか?」
「いんや」
質問に、レナイアは首を横に振って応える。そして強烈な、火のような笑みを見せると、
「燃やしちまうのさ。この廃墟ごと、丸ごとね!」
拳を振り上げ、高らかに宣言したのであった。
最初こそ呆気にとられていた傭兵達だが、すぐにざわめきが室内に生じ始めた。あまりに大規模且つ大雑把過ぎる提案に、誰もが現実味を感じられずにいたのである。
そんな中で、異なる反応を示した人間が一人いた。
「如何様な手段をもってすれば、可能になるのかね?」
戦槌を携えた、重歩兵風の装備に身を包んだ老兵であった。四日前にレナイアが声を掛けてあった、武者修行の途中だという、自由騎士である。彼の行動に怪訝な顔を作った傭兵もいたが、視線を向けられると皆俯いてしまった。
「考えがあるのなら、聞かせてもらおう」
「この町の兵隊さん達の働きのおかげで分かったのは、何も魔物の棲み処だけじゃあないのさ」
平然と老兵に言い返したレナイアは、壁に掛かっている地図の東北部を火掻き棒で指した。
「この時分、風はブルカン山脈の間を抜けて南西の方、ちょうどエタールを通るようにして吹く。それも、雨の降るちょいと前ぐらいからね。それなら」
ふむ、と老兵は頷いた。
「あたしがあんたらに頼みたいのは、その雨が降ってくる直前の、まだ南西の風が吹いてる間に、火攻めの下準備をする連中の警護さ」
レナイアの言葉が会議室に消えると、つかの間沈黙の幕が降りた。
「おい、それって大丈夫なのか?」
それを開けたのは、また別の傭兵であった。若々しく頑健そうな肉体とは対照的に、表情には力強さがない。
「当然、危険だともさ。何たって魔物の巣に行くわけだし、山の天気だって安心できやしない。例の人型のは言うまでもないし、他の魔物に出くわす場合だって考えられる。悪いんだけど、報酬の金額ぐらいしかあたしらは保証できないよ」
レナイアが包み隠さず、それも彼らが特に気に病んでいるであろう内容に触れると、質問をした傭兵を皮切りに、他の傭兵達までもが水の滲み出るように囁きを交わし始めた。今、部屋に充満しようとしている感情が、レナイアには嫌というぐらいに理解できた。
(……姉ちゃん)
ルーカスが、背中越しに耳打ちしてくる。その声色だけでレナイアは弟の表情まで想像できたが、何も言わず、不安にざわめく傭兵達を静観していた。
「――お、俺は行くぜ!」
彼らの胸裏を浸食していた感情が外に溢れようと、一人の傭兵が、弾き出されるように声を張り上げた。
「俺もよ、傭兵だ、危険な仕事なんざァ山ほどやってる! 今更、魔物なんかにケツまくって逃げるわけがねえし、だ、だいたい、ンなことを言われて引き下がれるかってんだ!」
声を震わせ、それでも言い切った彼の啖呵に、他の傭兵達が呆気にとられている中、レナイアだけが拍手をして「よく言ってくれた」と言って笑った。
「あたしらが求めてるのは、そーゆー人間さね。自分の命を守ってるだけじゃあ、傭兵なんて仕事は務まんない。ましてや、こいつは[バーソロミュー]と領主が手を組んでやる、とびっきりの依頼だ。それを受けて、命懸けて英雄になるもよし、ここで尻尾を巻いて逃げて、細々生きるのもよし――」
言葉を切ったレナイアは、一同を見渡し、ゆっくりと結びの言葉を紡いだ。
「――さあ、どっちだい?」
「無論、私は逃げぬ」
自身の左胸に手を当て、老兵が応じた。
「引き受けた時より、私は退くつもりなど毛頭ない。警護が役目ならば、身命を尽くして臨むまでよ」
「お……俺もだ!」
最初は一人二人だった同意の声が、次第に五人六人と増え、やがて殆どの傭兵達が、レナイアと一時の相棒への高揚に声を上げていった。中には、自身の通り名を挙げる者もいる。
部屋の中は、いつしか異様な熱気が充満していた。
●
作戦を行う日にちや賞罰が語られ、傭兵達の質問も一通りが終わった頃にはジークとミュレ、カミューテル姉弟、そして姉弟に付き添っていた兵士の五人だけが部屋に残っていた。
「なんだい、やっぱり来てたんだね?」
レナイアが、ルーカスを率いて歩み寄ってきた。言葉とは裏腹に、表情には妙な自信が仄見えていた。
「なかなかに悪党だな」
「んん?」
「リグニア兵を数人、傭兵の中に紛れ込ませていただろう」
レナイアの口元が、微かに動いた。しかし直後に、笑みの形を作る。
「早い段階で意気込みを表明した傭兵達の存在は、あまりにもお前にとって都合の好過ぎだった。だからお前が、事前に何らかの『仕込み』をしていると判断した。違うか?」
ジークが指摘すると、レナイアは肩をすくめてみせた。無言の肯定である。
「できれば使わずにおきたかったんだけど、ま、及び腰で事にあたられちゃあ、できるものもできなくなるからねぇ。ま、あのじーさんには後でそれとなく感謝でもしとかないとね」
あっけらかんと、レナイアは説明した。全く悪びれた様子を見せないあたり、ジークの下した『なかなか』という評は的外れであったかもしれない。
(やはり、油断のできない女だ)
そう思いながら、ジークは単刀直入に訊いた。
「何故、お前は一介の行商人でありながら、このような真似をしている? お前のしていることは、どう考えても『商人』の範疇外だろうに」
レナイアの、赤茶色の瞳が僅かに歪んだ。ジークの質問が、単なる散発的なものではないことを感じ取ったらしく、彼女は背後のルーカスへ僅かに視線をやった。
(警戒しているな)
(しかも、それを気取られないよう心掛けている。侮れない女だ)
(同意)
流石に、レナイアは表情から読ませない。だがルーカスは違った。姉から目線を向けられたと思しい瞬間に、この気弱そうな少年は表情に強張りを見せたのだ。
(やはりか)
(油断禁物)
(分かっている)
レナイアのことである、いざとなればルーカスに動揺するふりを仕込むことも不可能ではないだろう。
(あるいは、それも虚偽なのかもしれないが)
(同意)
最も低いとジークが判断した可能性を扱う三番を除いた分割思考が疑念を抱く中、レナイアは飄然と、
「どうしてって……そりゃあんた、金になるからさ」
そして簡潔に、答えた。
「ここのお偉方が誰かに魔物退治の知恵を借りたがってた。で、あたしはちゃんと金さえもらえるなら、知恵でも何でも貸す。つまりはそーいうことさね」
「む……」
馬鹿な。ジークはそう言おうとした。言おうとして、この女が、少なくとも、世間ではどういった評価を受けているのかを思い出した。
『馬鹿な』――彼女にこの言葉を用いることこそが、馬鹿なのだと。
「……お前が、何をどのようにして成功したのか、分かった気がする」
「あれま、そりゃ嬉しいねえ」
わざとらしく頬に手をあて、はにかんでみせたレナイアは、不意にジークへと一歩踏み込んできた。目の前には、昨夜と昨夜に見せた鋭い光があった。
「で、どうすんだい? さっきのあれ、他の傭兵連中に触れて回るってのかい?」
「どうもせん。魔物によって迷惑を被っているのは、俺とて同じことだ」
少なくとも、嘘ではなかった。ゾンビ相手ならあしらい方を心得ていたが、何らかの不利益を被ることは目に見えていた。
「ふぅん」
レナイアの相槌は淡白だった。だが、目はジークの本心を見抜かんとしているようで、細かく瞳が動いているのが見てとれた。
「……ま、そーゆーことにしとくかね」
結局、レナイアがこのような妥協の言葉を口にするまで、ジークの体感時間でも数分は要した。
「ところで、その子の服はあんたの趣味かい?」
「む?」
急に話題が変わったことにジークは眉をしかめながらも、ミュレへ目をやる。
エタールを訪れるまでブルカン山中で、それもジークとの鍛練を行っていたミュレの衣服は、スカートを中心にひどい裂け目が何ヶ所かあった。
「別に趣味というわけではない。自然とそうなった」
「自然って、あんたねえ……いくら何でも、こりゃあんまりじゃあないかい」
「近日中に替えてやる予定だ。故に問題はない」
「……ふーん、なるほどねぇ」
レナイアが、口の端をつり上げる。ジークの首筋を、嫌な冷たさが撫でていった。
ミュレを除く二人の目の前で、独り何事かを考える仕草を見せていたレナイアは、突如ジークを指さして「毎度!」と言った。
「……何のことだ?」
「その子の新しい服、あたしが見繕ったろうじゃないかい」
レナイアは、先刻までの飄々とした笑みではなく、人好きのする、花のような笑みを浮かべていた。愛想を求められる仕事用の笑顔であることを、ジークは即座に看破していた。
「どんな品がいいかね? ああいや、こんな場所で話すのもなんだね。ひとまず、あたしについてきとくれよ」
そう言って、レナイアは兵士を傍に寄らせると、何事かを耳打ちする。頷いた兵士を残して、四人は廊下に出た。
「さて、どんなのがお望みだい? うちは何からナニまで色々取り揃えてるよ」
「む……」
ジークは眉根に詩話を作ったが、実際は別のことを考えていた。
レナイア・カミューテルが、この状況で好意的ともとれる行動に出ているのには、何か裏があるのではないだろうか、と。
(あのルーカスとかいう男の顔からは動揺と当惑しか読み取れんが……)
(疑いたくなる気持ちは分かるが、今は素直に受け取ってもいいのではないか?)
(同意)
二番と三番の提言を受け、ジークは少しだけ方針を変える。
やろうとしていることは、あくまでもミュレの装備の購入。金銭の物品以外の交流は、そこに見出せないはずである。
(仮に奴がそれ以外のものを求める素振を見せようと、その時は実力行使に出るまでだ)
(同意)
三番と対立することの多い六番も今回の方針には合意を示し、ジークは何食わぬ顔でレナイアに条件を告げる。
「まず、丈夫で動きやすいことが第一条件だ。激しい運動にも耐えられるようなものが望ましい」
他にもジークは、過剰な装飾がないことや色彩が派手ではないこと、そして最後に「それでいて、こいつが着ていても違和感のないものを頼む」と、取って付けたように締め括る。
「ふむふむ……」
顎の先に手を添えるレナイアの、商売用の作り笑いの中で、目だけが異質な光を僅かに放った。昨夜、ジークに話を持ち掛けてきた時にも見せた光である。
「あるにはあるけど、高いよ」
「分かっている」
当たり前といえば当たり前だが、ジークはレナイアの言い値で買うつもりなど毛頭ない。そしてそのことを、レナイアも分かっている。
「そしてお前が良心を持っている商人で、俺のために値引きをすることも知っている」
「おや、よくご存知だ」
レナイアが、白い歯を見せた。紛うことなき笑みだが、目は笑っていない。
「ってなワケで、いつもなら六割増しで提供してるところを、五割五分増しで提供しとくよ」
「お前も冗談が好きだな」
レナイアは不適な笑みを浮かべて、ジークは無表情で睨みつけて、互いに沈黙していた。ルーカスは困った様子で二人の間で視線を往復させていたが、ミュレは何も考えていなさそうな様子でジークを見ていた。
やがて、レナイアは肩をすくめた。
「ま、とりあえずあたしらの馬車まで来てもらえるかい? ここで用意してもらってる部屋に行ったって、あるのは毛布と寝間着ぐらいだからねぇ」
そういった四方山話をしながら、ジーク達と姉弟は屋敷の裏手に置かれた馬車へと向かった。傍には見張りと思われる、二人の兵士が立っていた。
「ちょいとばかし商談があるんで、暫く席を外しといてもらえるかい?」
「は、ははいっ、分かりました……」
同僚が溢す愚痴の聞き役に回っていた小柄な中年の兵士が、目に怯えの影を落としつつ敬礼の姿勢をとると、愚痴を溢していた方の兵士と二人して足早に去った。
「あのおじさん、あれでどーやって兵士になったのかねぇ。ま、とりあえず中に入ろうじゃないかい」
悪意のない、小さな笑みを漏らしたレナイアがまず最初に、
馬車は、以前ジークが乗った時と変わらず、不思議な雑多さで溢れていた。
「……んん? そういやあんた、その子の武器は買わないのかい?」
「こちらで用意するから必要ない」
「そうかい。んじゃ、この子を着替えさせるから出ていっておくれよ」
そちらには深く追及することはなく、レナイアはジークとルーカスに馬車を出るよう促した。
「……言っとくけど、二人とも覗くんじゃないよ」
「うぇっ!?」
ルーカスが瞬く間に赤面しているのとは対照的に、ジークは冷淡な表情を崩さなかった。その対比を見て、レナイアは顎に手をやりながら尋ねてくる。
「なんだい、あんた女にゃ興味ないクチかい?」
「男にも動物にも興味はないがな」
こうした質問への切り返しも、ジークは慣れていた。そもそもミュレの一糸まとわぬなど度々目にしているのだ。今更関心を持つ必要もない。
「ミュレ、お前はここにいろ。いいな?」
「ん……」
残念そうに舌打ちしているレナイアは無視して、ジークはミュレに言い聞かせると独り馬車を出た。遅れて、ルーカスと呼ばれていた少年も続いた。
「……さて、男どもはいなくなっちまったね」
ミュレに聞こえるよう呟いたレナイアだったが、彼女の目が向いている先を知るや、意地の悪い笑みを見せた。
「おやおや、そんなにあの男が気になんのかい?」
レナイアは、ミュレのジークに対する執心ぶりを揶揄したつもりであったが、肝心のミュレは彼女の言葉に反応を示すどころか、聞こえてないかのようにジークの出ていった方をじっと見ていた。
「おーい? 聞いてんのかい?」
呼び掛けても、話し掛けても、目の前で手を振っても鼻を摘んでみても、やはりミュレはレナイアが存在していないかのように直立不動を保っていた。
「ったく、どんだけ強情なのかねぇ……ま、何はともあれ、仕事はやっとかないと、あのジークって男に文句言われっちまいそうだからねぇ」
独り呟いたレナイアは、ミュレに合う服を探すために彼女に背を向け、衣装の入った箱を開けた。
「……ジーク?」
「それにしても、何やったらあんなぼろっちく……んん?」
微かな声音にレナイアが振り返ると、先ほどまで動く気配など微塵も見せていなかったミュレが、じっとレナイアの方を見つめていたのであった。
「どうしたんだい?」
レナイアが問い掛けても、ミュレは微動だにしないままであったが、勘のいいレナイアは、すぐさま真相に気付いた。ゆっくりと、もう一度ミュレに問い掛ける。
「ジークが、どうかしたのかい?」
ジーク、という部分に重点を置いてみると、案の定ミュレの表情が動いた。具体的には、視線が馬車の外へと動いたのだ。
「大丈夫だよ。いくらあの男が血も涙もなさそーだからって、あんたを置いてったりはしないさ」
「……いい……?」
やや間があって、ミュレがたどたどしく訊いてきた。その子どもっぽい様子が妙に可愛らしく感じたレナイアは、仕事用ではない、本心からの笑みで「勿論さ」と返した。
(なんだい、やっぱり可愛いとこもあるんじゃないかい)
岩ばかりの山道で、小さく可憐な花を発見をしたような心境になりながら、レナイアは最初の一着を取り出した。
●
「お待ちっ」
レナイアは一足先に馬車から出るなり、食堂か酒場の女将のような口調で二人に告げた。
「いいかい、目ン玉かっぽじってよーく拝むんだよ」
「む」
床板を軋ませ自分の前にまで寄ってきたミュレを目にして、ジークは眉根を寄せた。
現れたミュレのいで立ちは、何ともちぐはぐなものだった。
下穿きは少々大きいが、ジークが要望した通りの、動きやすい裾の短いズボンであった。膝下まである長靴もしっかりとした革製のもので申し分ない。
しかし、厚手の上着は男物のようでかなり丈が余っており、袖は幾重かに折り返してあった。これでは、まるで幼子が背伸びして、父か兄の衣服を着ているようである。
「どうだい? なかなかのもんだろ?」
「む……上着の丈が、少々余り過ぎていないか?」
ジークは、率直な感想を伝えた。何かしらの反論を述べてくると予想していたのだが、レナイアは何故か苦笑いで返してきた。
「この子のおっぱいの大きさに合わせるとなったら、普通の旅装じゃ無理なんだよ」
ほれ、と言って、レナイアはミュレの乳を下から手で押し上げてみせた。彼女が掌を大きく広げてもまだ余るほどの乳房は、手の動きに合わせて鞠のように弾んだ。
「う……っ」
小さな呻き声が聞こえたのでジークが振り返ると、ルーカスが鼻の辺りを押さえながら蹲っていた。床板に滴るそれは、間違いなく血である。
「あれま、なーにやってんだいルーカス!」
弟の情けない様に呆れたレナイアは、出血の具合を確かめようと近寄っていく。ルーカスも一度は「いいよ」断ったのだが、やはりレナイアには敵わないようで、大人しく鼻の穴を姉に見せていた。
それらの様子を見ていたジークの視界に、ミュレが入ってきた。
「む?」
何を思ったのか、ミュレはジークの眼前で一転、衣服の裾や、藍色の太く長い三つ編みを翻してみせたのであった。宙を舞った髪が再び床に落ちると、ミュレは小さく首を傾げてみせた。
「……いい?」
「何がだ?」
首を傾げて尋ねるミュレに、ジークは真顔で訊き返した。嘘でも偽りでもなく、本当にミュレの行為が理解できなかったのである。
ジークは奇妙な物体を見ているような顔で、ミュレは首を傾げたまま、両者、言葉もなく見つめ合った。
「……レナイア」
「んん?」
やがてジークは、口を開いた。レナイアは何食わぬ顔を気取っているつもりなのだろうが、口の端は笑みに歪みかけている。
「お前、ミュレに妙なことを吹き込んだな?」
「妙ってのは随分な言い草だねぇ。せっかく気を利かしたってのに」
ジークの予想通り犯人であったレナイアは、悪びれるどころか飄々と言い返すと、ジークとミュレに歩み寄った。
「この子は、あんたの要望通りに着替えてんだよ? だったら『可愛いよ』とか『似合ってるよ』ぐらいは言ってやるのが筋ってもんじゃないのかい?」
「知ったことか」
ジークが冷ややかな言葉と態度で応じると、レナイアは腰に手をやり、眉を逆立て更に反論する。
「あんたね、流石にそんな言い方はないんじゃないかね?」
「だとしても、他人であるお前にとやかく言われる筋合いはない」
ジークも譲ろうとしないが、レナイアも譲らない。普通の人間なら睨むだけで萎縮してしまうというのに、レナイアは怯むどころか真っ直ぐにジークと相対する。
「あんたねぇっ、それでもこの子の親かい!?」
「違う」
即座に、そして背筋が凍り付きそうな声音で、ジークは否定した。レナイアが閉口したのは、あまりにも対応が早かったからだけではあるまい。
「俺の年齢は、十七だ。こいつの親ではない」
「……何だって?」
レナイアは唖然とした表情で結い上げた髪を掻きながら、もう一度「何だって」と繰り返した。
「じ、十七だって!? ってことはあんた、ルーカスと二歳しか違わな……あんたまさか、まさかあたしよりも年下だってのかい!?」
「え、そーなんスか!?」
レナイアの背後で、ルーカスまでもが驚きの声を上げる。
「あ、あんた幾ら何でもそんな冗談は……」
表情を一切変えないジークを前に、レナイアの語勢は徐々に削がれていく。
「……本当、なのかい?」
「そうだ」
ジークは端的に、吐き捨てるように答えた。心の底から不愉快そうな声である。それを知ってか知らずか、レナイアは言いにくそうに「なんか、ごめんよ」と謝った。流石に気まずさは感じていたのだろう。レナイアは何も言わずにルーカスの爪先を思いきり、踵で踏んだのであった。蛙が潰された時のような呻き声を発してルーカスが蹲る横で、レナイアは「……ごめんよ」と再び告げた。
「謝らんでいい」
「んん、そうかい。――で」
急にレナイアが、声をひそめて寄ってきた。ジークは何も言わず、彼女が詰めた分だけ距離をとった。場合によっては、この場で彼女を斬ることすらジークは考えていた。
「なんだい、情ないねぇ」
と肩をすくめて言うだけで、レナイアは口の端に笑みを引っ掛けて続ける。
「『親子』じゃあないなら、いったいどーいう関係なんだい?」
「答える義務も義理もない」
「義理ぐらいあってもいいじゃないさ」
レナイアが口を尖らせるも取り合わず、ジークは懐から革袋を取り出した。
「代金だ。受け取れ」
「……ったく、しょうがないねぇ」
革袋から銀貨を数枚取り出し、レナイアに手渡す。指定していた金額よりも少々増額しているのは、詮索無用というジークの言外の意思である。それを理解した上で、レナイアは銀貨を受け取った。
「また何かあったら、いつでも言いに来とくれよ」
「む。何か必要な品があれば、その時は頼むとしよう」
無論、こちらには先刻のやりとりに関するもの以外にも、レナイア本来の職業である、行商人としての発言も含まれている。ジークは前者に気付いていないふりをして、特に後者を強調させて返した。頑なな態度をとり過ぎることによって、レナイアの興味を惹かせたくないからである。
「あんたって奴は……ま、それでもよしとしとくかね」
適度に他者を拒もうとするジークに、レナイアは呆れつつ、今回は追及の手を引くことに決めた。
(その頭の回転のよさが仇になったねぇ。あんたの抱えてる秘密、このレナイア・カミューテルの名に懸けて、必ず聞き出してやるからね)
そのためにも、今はジークか、もっとも近しい間柄にあると思われる少女と親密になる必要があった。
「では、失礼する」
「あ、ちょい待ち」
足早に去ろうとしているジークを、急いで呼び止める。
「最後にだけどさ、あんたこの子の下着の着け方、覚えてっとくれよ」
「知っている。男性のものと変わらん」
「そう言うと思ってたよ」
ため息交じりに返すと、レナイアはミュレの背後に回り、
「いぃ!?」
「こっちの方だよ、こっち」
ミュレの襟元を、思いっきり肌蹴させたのだ。またしても鼻を押さえて蹲ったルーカスを尻目に、レナイアはジークに乳房にあてがう方の下着を着け方を教えた。
「面倒とは思うけどさ、まあ覚えるまでの間だけと思ってやっとくれさ」
「む……」
ジークは心底気乗りしていないようだが、一通りの説明は頭に入れているのは分かった。
「んじゃ、また明後日にね」
「む」
ジークの淡白な挨拶に何も言わず、レナイアは門を出ていく二人を見送った。
「ルーカス、ありゃあんたにも可能性あるよ」
「……ふげ?」
唐突に話題を振られてルーカスは戸惑ったが、レナイアはそれ以上この話題には触れようとしなかった。
●
ジーク達が屋敷を出る頃には、すっかり陽が傾いていた。昼間の時間帯は、日増しに短くなってきている。夜の訪れも、時間の問題であった。
宿に戻る途中で夕食を済ませてきたジークは、真っ直ぐに寝台に横たわった。ミュレはといえば、もう一つの寝台ではなく、やはりジークの寝台に腰を下ろした。
「む……」
ジークは、仰向けになって天井を見上げた。隣室の客人も姉弟なのか、若い女性と少年の話し声が壁を通して聞こえてくる。耳障りではないと言えば嘘になるが、今の彼には他に思案すべき事柄があった。
(明後日のことを考えているのか?)
(む……)
(仕方あるまい。ゾンビを根絶するということは、必然的にあれと矛を交えることになるのだからな)
(憂慮必然)
(分かっている)
本来の目的から大きく外れているのは事実だが、間接的に利益が生じる以上は仕方がない。
(……とはいえ)
ミュレの教育。ゾンビ出没の謎。カミューテル姉弟の奇行と、討伐隊への参加。
昨日、今日と、このところ不必要だと思われることばかりに時間や手間を掛けさせられているように思えた。
(ままならないのが人生だと分かっているが、愚痴らずにはいられない――か? 人の性の悲しいところだな)
(……黙っていろ)
内心を言い当ててくる二番に、ジークは唸るだけであった。分割思考の中で、二番だけがこうして第三者のように振舞う。場合によっては最大の理解者として機能することもあったが、今は鬱陶しく感じられた。
(それはそれで構わんが、例の物を忘れてやるなよ)
(む……)
頭の中を切り替えたジークは、上半身を起こして「ミュレ」と少女の名を呼ぶ。眠たげに半ば開かれ、半ば閉じられた眼の奥で、深い藍色の瞳が動いた。
ジークは、自身の左腕の、肘から手の甲までを覆っていた手甲を、傍まで寄ってきたミュレに差し出した。
「これを、お前にやる」
「ん……」
緩慢に頷いたミュレは、ジークから手甲を受け取ってじっと見つめ、何を思ったのか躊躇なく手甲の端に口をつけたので、ジークは彼女の頭をはたいた。ふざけてやっていないのだろうから、尚のこと厄介であった。
「ミュレ、これは食べられない」
「……ない……?」
「む」
ミュレの無知さ加減に嘆息しながら、ジークは「左の腕を出せ」と命じた。緩慢に頷き、真っ直ぐに腕を伸ばすミュレの左袖を捲くったジークは、自分の左腕を保護していた手甲――先日、ミュレによって拉げられた手甲と対になっていたもの――を、彼女の細腕に装着させた。肘と手首に固定するための器具が付いているが、元々ジークの手の甲から肘までを保護していた代物なだけあって、ミュレが着けていると、小型の盾のようになっていた。
ミュレの尋常ならざる身体能力を考慮すれば、下手な武器を与えても耐え切れずに自壊してしまう可能性がある。それならばむしろ、徒手空拳を妨げない程度の手甲や脚甲の方が役に立つはずだとジークは考えたのである。
「む、これでいい」
「……いい?」
「む」
ジークは頷き、ミュレの頭を撫でる。手が頭から離れると、ミュレは光のない瞳を手甲に向けた。
「……む?」
ミュレは、袖を下された自分の左腕をじっと見つめていたかと思うと、何を思ってか、上着の左袖を肩の辺りから引き千切った。袖は無残にも襤褸切れと化し、肩口で僅かに繋がっているだけであった。
唐突に目の前で行われた奇行に、ジークは眉をしかめて訳を訊いた。
「ミュレ、どうして袖を破った?」
「ん……」
返事はなく、ミュレは小首を傾げただけであった。口が僅かに動いていたのが、せめてもの手掛かりであった。
(少なくとも、理由もなしにやったわけではなさそうだな)
(可能性有)
(む……)
過去の経験から類推してみると、ミュレの行動には意味がなくとも少なからず理由はあった。
(ただ、その理由が兎に角分かり辛いんだよなぁ)
(分かっている)
からといって、毎回それを見過ごしてやってもいいということにはならない。
「ミュレ」
「ん」
「これからは、どんな理由があっても、勝手に服を破るな。いいな?」
「……ん」
反応は示すも、ミュレは首を傾げる。
「ミュレ、分かったな」
「ん」
もう一度、今度は語調を強めてジークが言うと、ミュレは数秒ほどジークをじっと見つめ、それから緩く頷いた。
(厳しいな)
(当然だ。奴の面倒を看ると選択した以上、俺は最後までやらねばならん義務がある)
(義務、か。お前らしい)
義務、という部分を強調させるジークに対し、二番は含みのある言い方をした。そのことについてジークは意見しかけたが、結局それ以上二番とは取り合わず、ミュレが破った袖を小刀で切り落とすと、マントを脱いでミュレに与えた。
「ミュレ、お前はもう寝てしまえ」
「ん」
頭からジークのマントを被ったミュレは、自分の寝台ではなく、ジークのいる方で横になった。もらった手甲は外さず左腕に着けており、マントの合わせ目からジークを覗いている。
ジークは寝台から降りると、一声掛けた。
「ミュレ、手甲は外しておいてもいいぞ」
「ん……」
暫くして、マントの中でミュレが動いた。姿は見えないが、手甲とは無関係に思えた。
「今は外さないなら、それでも構わん。だが、辛いと感じたら外すようにしろ。分かったな?」
「ん」
分かっているのかいないのか、相変わらずの分かりにくい返事ではあったが、ジークはそれ以上追求することもなく、就寝前の挨拶を告げる。
「ミュレ、『おやすみ』だ」
「おやす、み……いい?」
「む」
たどたどしいが、それでも返事をしたことにジークは頷いた。頭を撫でると、それまでじっと見つめてきていたミュレの大きな目が、ゆっくり閉じていく。背中を丸め、マントに包まって眠るミュレの様子は、やはり小動物めいていた。
ミュレの頭から手を離したジークは、自身も具足や上着を脱いで眠ることにした。
●
「おかえりセラ姉ちゃん!」
領主の屋敷から戻ったセラを迎えたのは、ヴィルの無邪気な言葉であった。そんな少年に朱色の頬を緩めながら、セラは「ただいま、ヴィル君」と返した。
「どう? 何もなかった?」
「うん、大丈夫だったよ! ねえねえ、何しに行ってたの?」
「今度の仕事のあ話よ」
「どんなお話してたの? お仕事ってなぁに? ねえねえ、教えてよぅ」
矢継ぎ早の質問に、セラは口元に手をやりながら方々に目を動かし、真剣に言葉を選んでいるらしい様子を見せると、やがて真っ直ぐヴィルを見た。
「……悪いけどね、やっぱりヴィル君には教えられないの」
「ちぇっ、残念だなぁ」
本心ではそれほど残念がっていなかったが、ヴィルは口を尖らせてみせる。セラは困ったように微笑みながら、ヴィルが買ってあった夕食を見て、「あ、もうご飯にしよっか」と切り出した。
ベッドに腰掛け、新たにセラが買ってきていた林檎を齧りながら、ヴィルは何気ない風を装って話し掛ける。
「ねえ、そこって傭兵の人がいっぱいいたの?」
「そうよ。いーっぱい、傭兵さんがいたのよ」
「そこにさ、銀髪の人っていた?」
「銀髪……?」
ヴィルの質問が意外だったのか、セラは思わず顎に右手を添えて思い出そうとする。
「……あ、そういえばいたかも。銀髪で、背が高くて目の怖そうな人?」
「それそれ!」
思い掛けない情報に、ヴィルは身を乗り出した。
「ねえその人、女の子も一緒だった? 髪長くて、おっぱいの大っきい女の子!」
ヴィルは捲くし立てるように質問を並べたが、セラはそれどころではないようだった。
「お、おっぱいって……そっ、そそんなの見てるわけない、から……!」
頬を真っ赤に染めたセラは、今にも泣き出しそうな顔で声を張り上げた。その様子があまりにも可哀想なものに見えたので、ヴィルは小さく「ごめん」と謝り、彼女が落ち着くのを待って話題を変えた。
「あ、そうだ。ねえセラ姉ちゃん」
「……どうしたの?」
「あ、あのさ、腰に下げてる棒みたいなのって武器でしょ? それって、どんな武器か見せてくれる?」
セラは少しの間、考えるような素振りを見せると、やがて腰から下げている二振りの武器を抜いて見せた。
「ふぇえ……」
ヴィルの目の前で光を鈍く反射するそれらは、どちらとも細長い円錐上になっており、柄から上は槍か杭の先端のようになっていた。
「これって、槍?」
「それに、近い物かな」
そう答えて、セラは件の二本を、それぞれ順手と逆手に持った。
「これはね、敵の急所――喉だとか、体の弱い場所を狙って突くの」
こうやってね、と言ってセラは順手に持っていた右手の槍を突き出してみせた。体の運びや目線は、ヴィルの目から見ても素人のものとは思えない。そこにヴィルは、セラの技量を垣間見ると同時に、彼女の『覚悟』も覗くことができた。
「……ねえ、これ持ってみていい?」
「いいけど……先っぽは危ないから触らないでね」
そう言って、セラはヴィルに二振りを渡した。齧りかけの林檎を脇に置いて、ヴィルは両手に一振りずつ持った。
セラのために造られた武器であるためか、柄頭までの総てが金属でできているにも拘らず、子どものヴィルであってもさほどの重みも感じなかった。
(本当、これでどうやって相手をやっつけるんだろう?)
セラは『槍』と言っていたが、それにしては柄の長さは短剣と殆ど差がなく、槍という武器の持つ利点を生かせそうにない。つまり、武器としては欠陥品なのではないか?
(何でこんな、使えなさそうなのを持ち歩いてるんだろ?)
縦に横に、時には柄頭の方を眺めてみたりしながら考えてみたが、やはり理由は分からず、「ありがと」と言ってセラに返した。
「すごい武器だねぇ」
「うん、すごく変な武器でしょ?」
微苦笑を浮かべながらヴィルから槍を受け取ったセラは、こう続けた。
「この武器は『おまじない』なの」
「おまじない?」
そんなに特別な武器なんだろうか、と目を凝らすヴィルにセラは微笑むと、蝋燭の光を槍で反射させながら、呟くように答える。
「わたしねえ、本当はすごく怖がりなの」
「へ?」
何を今更、と言いかけてヴィルは口を噤んだ。セラの表情には、からかいの言葉が許されそうにない、どこか昏い影があったのだ。
「本当は、誰かを死なせたりするのも、戦うのもすごく嫌。だけど、旅をするからには、自分の身は自分で護らなくちゃいけない。だからね、これを手にしたってことは、本当に、自分の身を護らなくちゃいけない時、本当に相手を……殺さなくちゃいけない時だって、そうやって自分に言い聞かせるの。でないと……」
その先をセラは言葉にしなかったが、ヴィルには分かった。
(コレは、本当に人を殺すための武器なんだ)
あんな長さではまともに戦えるわけがない。だからセラは、この武器を 本当に殺さなくちゃいけない時 に使うのだろう。
先ほどとは違った目で武器に見入っていたためか、セラは悲しそうに微笑んだ。
「ごめんね、物騒なお話聞かせちゃって」
「う……ううん、平気だよっ」
放っておくと、自分を責め出すのではと思ったヴィルは、わざとおどけた風を装い、彼女を元気付けようとした。最初こそ呆然としていたセラだったが、やがて朱色の頬を緩ませくすりと笑った。
「あ、今ボクのこと笑ったでしょ」
「あ……ご、ごめんね。別にヴィル君が悪いわけじゃ……」
と、弁解を試みてはいるものの、セラの表情はどう贔屓目に見ても笑顔と形容する以外にない。
「あー! やっぱりボクのこと笑ってるぅ」
んもぅ、と口をとがらせるヴィルだったが、内心ではセラの表情から昏い影がなくなっているのを見て安心していた。
「……ああ、こんなに笑ったの久しぶりかも」
「うー……」
ヴィルが悔しそうな顔をしながら小さな拳を握っているのをやはり微笑みながら見ていたセラは、「あ」と言って手を打った。
「そういえばね、面白い人達に会ったのよ」
「面白い人?」
不機嫌な態度をやめたヴィルは、猫のような量眼を瞬かせながら続きを待った。
「行商人の――あ、旅をしながら物を売ってる……」
「もう、そのくらい分かるよぉ」
「あ、ごめんね。えっと、行商人の女の人とその弟君なんだけどね、不思議な人達というか……うん、やっぱり面白い人達だったの」
面白い行商人の姉弟と言われて、何となくヴィルは一ヶ月ばかり前にジークとミュレが出会っていた行商人の女性を思い出した。
「それって、どんな人達なのさ?」
「とってもお喋り好きで、元気そうなお姉さんと……うーん、ちょっと目立たなさそうだけど、お姉さん思いの弟君」
「へ、へえ……」
偶然とは恐ろしいものである。セラが出会ったというその姉弟は、恐らく――いや、ほぼ確実に、あの姉弟だ。ジーク達と別れてから別の道を通って、この町に来ていたのだろう。
「えっと、元気そうだった?」
「え? ……うん、元気、かな。特にお姉さんがすごく活発な人でね――」
へえ、と何度か相槌を打って、ヴィルは小さく欠伸を漏らした。
「ヴィル君、眠たいの?」
「う、ううん! 大丈夫だよっ」
ヴィルが強がってみせも、セラは微笑みを浮かべて「もう、寝よっか?」と優しく告げた。それにもヴィルは反論したかったのだが、柔らかな物言いにとある女竜騎士に通じるものを感じてしまい、渋々頷いたのだった。
林檎の芯や骨付き肉の骨を窓から投げ捨てたセラが、蝋燭の火を吹き消した。あっという間に部屋は真っ暗になったが、ヴィルには変わらず微笑んでいるセラの顔が見えた。
「おやすみ、ヴィル君」
「うん、おやすみなさい」
という短いやりとりを交わして、二人は床に就いた。暫く経って、セラの寝台から寒さに喘ぐような声が聞こえてきたので、好奇心に負けたヴィルはそちらに目をやった。こちらに背を向け、毛布を頭から被っていたセラが、小刻みに震えていた。
暗闇の中で、ヴィルは静かに思う。
(セラ姉ちゃんにも、色々あったんだろうな……)
どうして彼女が、そんな思いをしてまで旅をしているのかは訊けなかったが、そこにはヴィルが仲間と呼ぶ人々――【翻る剣の軍勢】の面々にも劣らぬ『覚悟』を見出すことができた。
(……覚悟、かあ)
生きるために必死だった日々。知恵と技を身に付けるべく費やした日々。ごく限られた関係の中で生きてきたヴィルは、セラに対し言葉にし難い、親しみさのようなものを感じ始めていた。
(でも、それとこれとは話が別だもんね)
セラと同じように、ヴィルも怖いからといって逃げたり、尻込みしてはいられないのである。
セラが行こうとしている『仕事』には、ジークが関係している可能性が高い。彼の動向や能力の調査という役目を与えられていたヴィルにとって、またとない機会なのだ。
(ボクは、ボクの力でジークさんを追っ掛けてやるもん)
未だ震えるセラに背を向けて、ヴィルは心の中で誓った。
窓から漏れる月の光が、僅かに翳った。
4【そして骸は言い残した】
頃合いは夜。月は既に闇に身を隠し、払暁の時刻まで幾許もなくなっていた。
傭兵と、作戦の要となる火計を担うリグニア兵達が、北門へと続く道の前に集った。集まった彼らの目の前には即席のものと思われる台が用意されており、そこには全員が思っていた人物らが立っていたのだが、
「姉ちゃん、姉ちゃんってば。しっかりしなよ」
「ん、んん……わかってる、ってぇの……あ、あんた、あたしを……」
弟に半ば以上支えられ、だらしなく立っているレナイア・カミューテルの姿を、傭兵達は言うまでもなく、リグニア兵までもが疑問に満ちた眼差しで見つめていた。
「わ、わかってる、分かってるから……うるさいんだよ、っこの!」
「ぼっ!?」
理不尽な理由で弟の横っ面を殴ると、つい先程までとは一変、レナイアは背筋を真っ直ぐに伸ばし、よく通る声で全員に向かって話し始めた。
「さあて、いよいよ作戦をおっ始める時間が来たよ。皆忘れ物はしてないかい? 用足しも済んでるかい?」
「いや、遊びに行くんじゃないんだから……」
「そうそう、いくら仕事が上手くいったからって気ィ抜くんじゃないよ。仕事は家に帰って一杯やって寝るまでが仕事だからね」
レナイアは傍らの弟から指摘されるも無視し、一通り気が済むまで喋った上で最後に片腕を突き上げて、「んじゃっ、サクっと終わらして、英雄になって帰ってこようじゃあないかい、ええっ!?」と声を張り上げた。
「なんだい、あんたら寝起きかい!?」
もう一度、レナイアが全員に向かって声を張り上げると、今度は全員がリグニア兵までもが一斉に腕を突き上げ、鬨の声を上げた。
その中で、ジークは冷ややかな視線をレナイアに向けていた。
●
セラは、一抹の不安と、心配事を胸に秘めながらレナイアの話を聞いていた。
(ヴィル君、起きた時にわたしがいなくて、大丈夫かな)
一昨日の晩、どういうわけかヴィルは今回の仕事について詳しく聞きたがっていた。セラが断ると、ひどく残念そうな顔をしていたことが思い出されていた。
(カミューテルさんに『関係ない人には教えては駄目』って言われてたから教えて上げられなかったけど、ちょっとだけ悪いことをしちゃった気分……)
頭に浮かぶヴィルの顔と罪悪感を一緒に振り払おうと頭を振った。
(それにしても……)
落ち着きを取り戻したセラは、先程目に留まったものを見ようと視線を右隣に移した。
すぐ隣にいたのは、何故かヴィルが気にしていた、銀髪の傭兵と、やはり何故か彼の傍にいる、『大きな』少女だった。
(確かに……お、おっきぃ)
思わず、悠然と聳える彼女の『それ』に見入ってしまう。そして自らのものと比較して、妙な敗北感が両肩に圧し掛かってくるのを感じてしまった。
大きくても不便なだけ、という話はセラも何度か耳にしたことはあったし、見ていて大変そうだと思ったことも一度や二度ではない。しかし、それ故になのか、『自分には体感し得ぬ悩み』を抱える彼女らへの、憧れにも似た羨望を隠せずにいた。
(あれぐらい、とは言わないけど、できたらわたしも人並みに……って、今度は何を考えてるのよぅ……!)
セラは周知と自己嫌悪で顔を真っ赤に染めて、先程よりも激しく頭を振り、身を捩るのであった。
●
やがて、一人の兵士が門からレナイアの許に現れた。彼が何事か告げると、レナイアはその兵士を下がらせ、先刻のような、軽薄な調子で出立を告げた。他の傭兵達はそれぞれで会話をしながら、北門まで登っていく。
いよいよ、作戦が始まったのだ。意気込みと呼べるようなものは全く持たないが、これからまず間違いなく遭遇するであろう存在に、心はざわめいていた。
「む?」
ふと、ジークが台の上に視線を戻すと、カミューテル姉弟が何事か話しながら台を降りると、そして集団の後に続いていったのだ。
(門で見送りをしようというのか?)
(可能性有)
ジークは常の習慣で見掛けたものを分割思考と分析しながら、自身も門へと赴く。
「姉ちゃん、あの二人が」
「んん……? おや、やっぱり来てたんだねえ」
「む」
ジークの姿を認めると、レナイアは不敵な笑みを見せた。よからぬ気配を感じたので睨み返すと、彼女は「相変わらずだねえ」と飄々とした振る舞いを見せた。
「ったく、これから一緒に戦いに行くってのに[/rubybase]、、、、、、、、、、、、、、、、[rubytext][/rubytext][/ruby]、そーゆー態度はないんじゃないかい?」
「む? お前も、あの連中に同行するというのか?」
「正しくは、あたしら姉弟とそこのおっさんもだよ」
レナイアは、飄々と答えた。
「そもそもこいつは、あたしが引き受けた仕事だからねぇ。だから最後まで見届けときたいのさ」
「む……」
そんな理由で、わざわざ商人が死地とも呼べる魔物の棲み処に赴こうというのだろうか。ジークには理解しがたいものがあった。
「ま、心配はしなくてもいいよ。いざとなったらあたしにゃルーカスがいるからね」
「へへ……」
ジークの思惑をよそに、レナイアは自分の背後を指差した。ちょうどその先では、ルーカスが恥ずかしげに鼻の頭を掻いていた。
「そうか」
これ以上相手をする必要はないと判断したジークは、二人を無視して門を通っていく。後からレナイアが「ちょいと」と言って追ってきた。
「次は何だ」
「次はって……まあいいよ。ところであんたさ、そこの子に武器をやるって言ってたけど、その手甲がそうなのかい?」
「俺がお前に話す義務はない」
ジークがそう言った途端、レナイアは笑った。邪悪なものを感じさせる笑みであった。首筋に嫌なものが走る。
「言ったね。『俺が』って」
「む……」
レナイアの言葉に不穏なものを感じ取っていたジークの目の前で、彼女はミュレに話し掛けた。
「そーいうわけでさ、ちょいと教えとくれよ。あんたはその手甲以外に何か、こいつからもらったりしてないかい?」
と、レナイアが商人特有の、愛想だけはいい笑みを浮かべて話し掛けても、ミュレは全く表情を変えず、ただジークの後ろを歩くだけであった。
(ここまで予想通りだと、むしろ哀れにすら思えるな)
(同意)
二番と四番の間で取り交わされる会話を聞き流しながら、ジークは夜の闇に包まれた森へと踏み込んだ。
ジーク達やカミューテル姉弟らは、一団の最後尾である。旧市街なる場所へ続いている下りの坂道を、リグニア兵達の持っている松明が所々で頼りなく照らしている。
(風向は南西)
(計測の結果、今日中の降雨発生確率は三割二分程度)
肌に触れる風を、分割思考が調べる。
(あの女が言っていたことも、あながち間違っていなかったようだな)
という二番の発言を、ジークは快くは思わなかった。
(二番、今回は偶然こちらの計測と重なったが、それだけで不必要に評価するな)
(同意)
ジークは、レナイアに対する疑念を捨てるどころか、より一層堅持しようとしていた。
(なんだ、彼女のことはまだ信用しないのか?)
(当然だ。奴のような輩は、迂闊に近づけてはならん)
ジークは、それだけは決して変えるつもりはなかった。
●
ヴィルは、集団の最後尾を、林の中から見失わないように注意を払いながら追っていた。
(ジークさんは、あそこか)
光の全くない闇夜であろうとも、ヴィルの眼は昼間と殆ど変わらない機能を誇る。ましてや、今追っている一団の周囲には松明があるのだ。見えないはずがない――そうヴィルは思っていた。
集団の目的は未だ分からないままだったが、集団を追っているうちにヴィルはあることに気付いた。
集団の進む先から漂ってくる、死んだ人間の臭いである。
(変だな。どうしてこんなに死体のニオイがしてるんだろ)
五感を研ぎ澄ませても、戦いの痕跡は感じ取れない。追跡を始めた当初、ヴィルはあの集団が何かしらの戦闘の増援として送られているのではと考えていたが、今は違うのではと思い始めていた。
理由は、もう一つの疑問であった。死臭を感じ取るようになってから暫く経つというのに、臭いの原因と思われる死体に全く遭遇しないのである。動物が食べ尽くしたごなのかとも考えたが、それにしては臭いが強過ぎる。
(まさか、死体が動いてるっていうの?)
そんなはずがない。死体は動かなくなっているから死体と呼ばれているのである。
(……って思うけど、なーんか違う気もするしなぁ)
鼻を摘みながら首を傾げ、自分が抱いている疑問を彼ら一団の目的から推測しようとしていたヴィルだが、一つだけ誤算があった。
死臭の原因は、後ろでも動いていたのだ。
●
ゾンビの追跡が今のところ順調に進んでいることを、彼らの放つ腐臭が物語っていた。
「ったく、こいつがまだまだ続くのかい。風上にいるってのに堪ったもんじゃないねぇ」
いつの間にか傍に来ていたレナイアが、鼻を摘みながらぼやく。
「ちょいと、あんたもそうは思わないかい?」
「俺達がいるのは風上だ。話し声を聞かれる可能性が高い。黙っていろ」
「はいはい。あんた、案外口喧しいんだねえ」
と、肩をすくめて言い返すレナイアの言葉に態度に含みを感じて即座に抗弁しかけたジークだったが、この女行商人を言い負かすのに要するであろう労力とそれへの対価が釣り合わないことを計算してやめた。
それから暫く、森を切り拓いて造られた道を進んでいると、街道の両脇に丸太の残骸が積み上げられてあった。レナイアが手ごろな大きさの残骸を拾って、矯めつ眇めつする。
「こいつは門の一部みたいだね。壊したのは魔物かね」
「そのようだな」
やはり残骸を調べていたジークが、同意する。
(旧市街の存在を隠蔽しようとしていた者がいたらしい)
(目的は……まあ想像はつくか)
(同意)
残骸を通り過ぎると、今までとは違った様子の道が現れた。道の舗装に使われていた赤茶色の石材は、すっかりひび割れてしまっており、その隙間からは雑草が無数に繁茂していた。路端からは幼木も育ち始めており、この道が森の一部となるのも近そうであった。
(たしかに、今は使われていない道のようだな)
(同意)
明らかに人の手を離れて久しい舗装路を歩きつつ、ジークは背後を振り返った。ミュレはいつもと同じように、一定の距離を保ってついてきていたが、心なしか瞼が普段の位置と比べて下がっているように見えた。
「ミュレ」
「……ん」
「お前、眠いのか」
「ん……」
彼女を知らない者が見れば、違いどころか何が起きたのかさえ分からなかったのだろうが、ジークはミュレの反応が、いつもにも増して遅いことを見抜いていた。
時刻は、未だに夜。寝不足にならないようにと日の入り前に睡眠をとらせたりしてはあったが、所詮はおざなりに過ぎなかったようだ。
「眠いなら、帰れ」
返事はなかったが、マントに僅かな重みが加わった。確認せずとも、誰がマントを握っているのか、そして何故握ったのかは分かる。
「なら、背筋を伸ばせ。俺は、待たんからな」
「ん……」
返事は、やはり半ば眠りかかったような声であった。
(だがまあ、起きているだけよしとしよう)
(同意)
(憂慮)
(――警告)
ジークの足が、止まった。やや遅れて、ミュレも倣う。傍でその様子を見ていたレナイアは、不審そうに訊いてくる。
「んん? 今度はどうしたってのさ」
「足音だ。こちらに向かって来ている」
そう言って、ジークが指差した先は、林の中。隣ではレナイアが目を閉じ、耳を澄まそうとしていた。
「……たしかに、足音っぽいものは聞こえるね」
他の傭兵やリグニア兵達もレナイアに倣っている中、ジークの隻眼は近寄る[ruby][rubybase]もの[/rubybase]、、[rubytext][/rubytext][/ruby]の正体を見抜いていた。
小柄で華奢な体躯に、幼い顔立ち。身軽な服装。背負っているのは剣か、矢筒。
「どうやら、子どものようだ」
「子どもだって!?」
「いや、それだけではない」
鞘走る音や、弓弦の引き絞る音が方々から聞こえてくる。勘のいい者達は、既に気付き始めていたようだ。
「ちょいと、何だってんだい?」
「奴の背後から、例の魔物が見える」
そしてジークも、自らの長剣を引き抜いた。
レナイアとその弟が、見る間に表情を険しくした。
ジークの言ったように、こちらへ駆けてくる子供の後ろには、ぎこちない動作で歩く人影が見えていた。
●
魔物の襲来をリグニア兵達が迅速に伝えていき、討伐隊の一団は急速に戦闘態勢をとる。
「ったく! いきなり戦う破目になるなんて、ついてないったらありゃしないよ!」
本来なら悪態を吐いている場合ではなかったが、今はそうした気分であった。余計なものをいつまでも腹に残しておくべき状況でもないのだ――そう心の中で開き直りながら、先々のことに頭を働かせる。
「かか、カミューテル様はこちらに……! わ、我々がお守りしますのでっ」
「あたしより荷物や子供を助けてやりな!」
強い語調で兵士の言葉を遮って、レナイアは再度林の中を走っているという子どもに向かって、こちらへ来るようにと呼び掛ける。
姿は未だに見えてこないが、足音に混じり、子供のものと思われる息遣いが聞こえるようになった。
「姉ちゃん……」
「まだあんたの出番じゃないよ。それを履違えんじゃない」
そして同時に、複数の緩慢な足音も聞こえてきている。
「――で、どうなんだい、ジーク? 子供は見えるかい?」
「じきに現れる。そして気安く呼ぶな」
他の傭兵やリグニア兵が慌てふためいている最中、この男とその傍にいる少女はどこまでも変わらない。
「ま、もう片っ方のお客さんは任せたよ」
「お前に言われるまでもない」
こちらも変わらないこの男の無愛想加減に肩をすくめていると、暗闇の中から何かが飛び出した。
頭巾をかぶった、小柄な少年。その顔は、恐怖で強張っている。
「こっちだよ! こっちにおいで!」
最初は躊躇したが、今はそんなことに頓着している場合ではないと思い改めて呼び込む。続いて現れた魔物の相手は、他の連中に受け持ってもらうつもりであった。
軽い衝撃。胸元へ目をやれば、あの少年が背を丸め、必死の形相でしがみついている。レナイアが少年の頭を撫でてやると、腰の辺りに巻かれた腕の力が一層強まった。
レナイア・カミューテルという人間は、それだけで決意が固まる。頭よりもまず先に、触れる肌が結論を出すのだ。
「……さァて、こっからが本番だ」
少年を抱き締めたまま視線を巡らせるが、人並みにしか夜目の利かないレナイアには、闇に包まれた林の中を知る術はない。
「地図!」
「はは、はい……」
傍にいた兵士が、慌てて近隣の地図を広げる。レナイアは、弟の松明に照らし出されたそれに素早く目を通し、周囲の情報と合わせて考える。
考えろ。味方はどこだ。どうやって敵と戦っている。作業班の位置は。被害を少なくするには。
「――あんた!」
「ひゃはぃ!?」
傍にいた兵士に、素早く次の指示を出す。
「一旦、町の方に退くよ。すぐに前にいる連中にも伝えな」
「ひ、退くんですね?」
「囲まれたら面倒だからね。ひとまず門の辺りまで行くよ」
これ以上はまどろっこしく思い、撤退の合図を出す時機、どの辺りに退くのか、殿を務めるのは誰か、退いてからどうするのか、それらをレナイアは、乱雑にまとめて兵士に指示する。
「ぐずぐずしてる暇はないからさっさと伝えるんだよ!」
「はははいっ、ただいまっ!」
最後まで落ち着きのない兵士は、慌しく敬礼をすると先頭へ駆けていった。
「走れるかい?」
「……うん」
「上等だ」
少年がすぐに返事したことに頷いて、レナイアはもう一度撫でてやった。少しだけ抵抗するそぶりを見せたが、少年はすぐに大人しくなった。
「で、伝令、終わりましたっ」
「んん、ありがとさん」
やはり、こうした事態には兵士達の規律は役に立つ。レナイアは改めてそのことを実感しながら、傍にいる弟や、あの無愛想極まる二人組み、遠くにいる他の傭兵、リグニア兵達全員に聞こえるよう怒鳴った。
「ッさあ! とっとと逃げるよ!!」
●
レナイアの号令一下、討伐隊は壊れた門にまで無事に退くことができた。
「……とはいえ、ちょいと予定外だったかね」
「はあ、確かに……」
休息している一団から離れた位置にある樹の根元に腰を下ろして、レナイアと兵士は現状把握に努めていた。
「ルーカス、もうちょい灯りをこっちにやっとくれ」
「うん」
レナイアは後頭部を掻きながら、ルーカスの松明に照らし出された地図を覗き込む。
まだ旧市街に辿り着いてもいないというのに、早くも脱落者が出てしまった。数人の傭兵が、魔物を恐れて逃げたのだ。
「い、いかがでしょう? ここは一度、まっ、町まで、そう、エタールまで戻っては?」
「いや、それはできないね。やっちまったらあたしは今日中に縛り首さね」
そう言ってレナイアが首吊りの様を真似てみせると、兵士の顔色が急激に青褪めた。他人事にもかかわらず心配顔を見せる彼に「流石に冗談だよ。そんな真に受けないどくれよ」とレナイアは苦笑しながら言う。
「そ、そうは言いますが……」
「何にしたって、今ここであたしらが注意しないといけないのはこれ以上『失敗した』って考えをあの連中に持たせないことだよ。人にもよるだろうけど、『失敗』ってやつは服に染み付いた葡萄酒みたいに簡単に落ちないからねぇ」
人員は殆ど減っていない。必要な物資も無事。今は失われそうになっている士気は、これから作ってやればいい。
そして何より、このレナイア・カミューテルは生きている。失ったものは、何もない。
(まだ、この仕事はやれる)
頭を掻く手を止め、レナイアは顔を上げた。鏡はなくとも、自身の顔が力強い笑みを浮かべていることは分かっていた。
「ま、忠告してくれんのは嬉しいけど、引き返せないってのがあたしの意見だよ」
「は、はあ――」
「答えろっつってんだろォがよ!!」
兵士の声を遮って、野太い怒鳴り声が夜の森に木霊する。反射的に身をすくませている兵士とは対照的に、レナイアは前髪を弄りながら呟いた。
「考えなきゃいけないことは、他にもあったんだっけねぇ」
「は?」
レナイアの目は既に兵士から離れ、人垣を作る討伐隊の方に向いていた。
突然現れたあの少年は、取り囲んでいた。
「おいガキ、何だってンな所にいたんだ、おォ?」
取り囲んでいる傭兵の、主格と思しい男が語気荒く少年に詰問する。所在なげな顔をしていた少年は、男の恐面が間近に寄せられると身を縮めた。レナイアにとって不審だったのは、少年から感じる雰囲気には『怯え』の色がなく、また別のことを気にしているように見えることだった。
「どうなんだよ、答えろや?」
「あ、あの、ぼ、ぼボク、ボクは……」
「ヴィル君!?」
驚きの声を上げて、駆け寄る女がいた。ジークの時と同じく、レナイアが街中で見つけてきた赤毛の女傭兵である。
「セラ姉ちゃん……!」
「やっぱり、ヴィル君だったのね。ああ、ヴィル君。怪我はない? 大丈夫なの?」
セラは片膝をつき、かいがいしくヴィル少年の体を調べていた。
「ほれほれっ、あんたらは退がっときな。手当てだの見張りだの、するこたいっぱいあるだろーに」
ヴィル少年とセラを取り囲む傭兵らを方々に追いやりながら、レナイアは二人の様子を観察していた。
街中で目を付けて以来、セラとは何度か会っていたが、あんな少年といるのを見たことがない。
(確か、一人旅だって最初に言ってたはずだけどねぇ)
レナイアの中で、何かが鎌首を擡げた。儲けの匂いと同じぐらい、他人の秘密が好きなのである。
子供にしては、装備品が手慣れている。無駄がないのだ。俄かには信じ難い話だが、あの少年は明らかに独りで旅をしている。それも普通の子供では考えられないような期間でなければ、説明がつかない。
逸る好奇心を胸裏に、レナイアは頃合いを見計らって会話に加わった。
「ちょいとセラ、その子はどんな関係なんだい?」
「え、あ……っ」
安堵した様子から一転、セラは慌てて立ち上がり、言葉をどもらせながらも何とか答えようとした。
「こ、この子は、ヴィル君といいまして、わたしの……えっと、色んなことを手伝ってもらってる子で――」
「ボクね、セラ姉ちゃんがどこに行くのか知りたかったんだ!」
セラの弁明に弾き出されるように、ヴィル少年が喋り出した。
「セラ姉ちゃん、どこに行くか教えてくんなかったし、あの、あの、怖い魔物の所だったら危ないと思って、それでボク」
「わざわざセラのあとを追っ掛けてきたのかい?」
「だって……」
ヴィル少年は、目だけでセラを見ると、やがて下唇を突き出して、意を決したかのように答える。
「……ボクだって、男だ。何もしないでじっとしてるなんて、そんなの嫌だよ!」
「嫌だって……」
呆れたねえ、とレナイアは後頭部にある結い上げた髪の辺りを掻きながら言うと、いきなり掻いていた手を振り上げ、ヴィルの頭を容赦なく叩いた。本当はもっと探りを入れたいのだが、ひとまずやることができてしまった。
「ぁ痛っ!? ……っうぅ……!」
「それで済んだだけありがたく思いな」
あまりの痛さからか蹲り、恨みがましい目で見上げてくるヴィルに、レナイアは鼻息荒く言い返した。
「その向こう見ずさと気骨は買ってやるさ。けどね、あんたのやらかしたことはそこのセラだけじゃなく、ここにいる皆までを殺してしまいかねなかったんだよ」
見なよ、と言って、レナイアは周囲を示した。それに倣い、ヴィルも見回した。
地面に座り込んで手当を行っている者、散開して周囲を見張っている者、いずれもが時折、ヴィルに鋭すぎる視線を向けていた。それを目にし、表情を強張らせたヴィルの肩に、レナイアは手を置いた。
「誰一人死ななかったのは不幸中の幸いってやつだけどね、だからってあんたを許そうって奴は殆どいないよ」
レナイアは、そこで言葉を切った。ヴィルの目は、細かく右へ左へ動いている。自分を取り巻いている状況と今の言葉から、これから訪れるかもしれない危険を予想しているのだろう。頭の巡りも悪くない。
「怖いかい?」
「……うん」
「反省してるかい?」
「うん」
打って変わって神妙な態度を見せるヴィルに、レナイアは「よろしい」と笑って返した。
「じゃ、好きなようにしな」
「ホント!?」
途端に、ヴィルの顔が輝いた。
「結果的にゃ、あんたのお蔭で逸早く魔物が後ろから来てるのに気付けたって借りがあるんだし、それに何より、あんた一人だけ歩かせるのは危なっかしいからねぇ。――ただし」
顔を近付ける。ヴィルは一瞬だけ、歳相応に驚きの表情を見せたが、すぐさま目に力を入れてきた。
どうやらこの少年、やはりただの臆病者ではないらしい。そのことを悟ったレナイアは、
「あんたはこのレニィお姉さんや、そこにいるルーカスって兄ちゃんと一緒にいること。いいかい?」
「えー? ……う、嘘! 嘘だから怒んないでよぉ!?」
[ruby][rubybase]少々、軽めに注意を促してから、全員に呼び掛けた。
「さあて! ちょいとばかし時間を食っちまったけど、まだ間に合うはずだよ!」
素早く立ち上がる者、手足の具合を確かめる者、互いに顔を見合わせぼやく者と、反応は一人一人まちまちではあった。だが、反応を示さない者は一人もいなかったことに、レナイアは笑みを強めた。
「確かにあの魔物は手強かったろうさ。だけどあんたらは、あんたらにとってのあいつらより、もっと手強いんだよ!」
リグニア兵の中には、まだ暗い顔をしている者もいたが、傭兵達は違った。もとより危険を承知で今回の討伐戦に参加しているのである。早くも表情に明るさを取り戻し、互いに互いを鼓舞し始めている。
「さあ! 出発しようじゃないかい!」
レナイアが最後の発破を掛ける頃には、項垂れている者は一人もいなくなっていた。手順よく隊列を組み、出発した時と殆ど変わらない状態を構成した。
自身も隊列に加わる際、レナイアは銀と藍色の二人組みを見つけた。
あの銀髪男――ジークは、傷らしい傷も負わず、無愛想な鉄面皮を形作ったまま行軍に加わっている。ミュレと呼ばれていた少女も、相変わらず彼と着かず離れずの位置を保っていた。
足早に歩み寄り、ジークの顔を見て一言、首を傾げて問い掛ける。
「あたしがあの子を連れてくのに不満があんのかい?」
「俺が携わるべき問題ではなかった。したがって何もない」
素っ気ないが、明らかに刺のある口調である。僅かだが、この無愛想極まりない二人連れと付き合うコツを掴みかけているのであると理解すると、「ふうん、そうかい」と相槌を打って口元を歪めてみせた。
「む、何が言いたい」
「気にしてくれんのかい?」
レナイアが言うと、ジークは何も言わず、足早に立ち去ろうとする。
「ったく、どこまで情ないんだかねぇ」
レナイアはジークの耳元で、苦笑いを保ったまま、鋭く素早く囁いた。
「あのヴィルとかいう子、あんたはどう見る?」
「……既に答えた。それは俺が携わるべき問題ではないと」
鉄面皮の下では確実に何かが動いていたが、ジークは足早にレナイアから離れていった。その背後を、例の作り物めいた少女が影のように着いていく。
●
ヴィルは、自らの現状に内心頭を抱えていた。
(何でまた、こんなことになっちゃったんだろ?)
セラがこっそりと目を覚まし、部屋を出たのを待ってから尾行した。これは自分でもよくやったと思う。その後、怪しまれないように兵隊が用意していた荷馬車の中に入り込み、適当なところで抜け出て林に身を隠した。これはもう自分で自分自身を褒めてやりたいとさえ思った。
それが何故か、訳の分からない魔物から逃げている途中で傭兵達に見つかってしまったばかりか、一緒になって同じ道を歩いているのだ。
(ほんとは、もっと上手く隠れるつもりだったのに……)
気が動転していたとはいえ、あまりにも情けないと、ため息を漏らしそうになったが、やめた。何を吐いても、自分の中に渦巻いている気持ちはどうしようもない。
(……まあ、怪しまれないでジークさんの様子を見れるんだし、悪いことばっかりじゃないんだろうけど、なんだかなぁ)
密偵として活躍しようと息巻いていただけに、今の状況はヴィルにしてみれば不本意なものでしかなく、どれだけ割り切ろうとも、自然と体はため息を吐きそうになる。
「あの、おっかない銀髪兄ちゃんかい?」
「え!? あ、あは……」
全く不用意な時に話し掛けられたために何をしていいか分からず、ヴィルはあからさまな作り笑いを浮かべてみせることしかできなかった。
「ま、あの顔だもんねえ、あたしもその気持ちは分かるよ。ありゃ絶対どっかの町で恐喝紛いのことしたり、路地裏で札付きの悪党を殴り倒したりしてるよ」
(あ、あながち間違いでもない……!)
レナイアの洞察力に慄く一方で、どうやら彼女が作り笑いを好意的に解釈してくれているらしいことにヴィルは安堵していた。
「それとあんた、後でセラに感謝しときなよ」
「え?」
「え? じゃないよ。あんたを他の連中から守ってくれたのはセラじゃないかい」
「うん……」
曖昧な相槌を打ち、ヴィルはセラがいるであろう先の集団に目をやった。
(セラ姉ちゃんに、迷惑かけちゃったなぁ)
課せられた任務の性質上、ヴィルはなるべく接点を持ってはいけないにもかかわらず、セラには世話になった上に庇われてしまった。密偵にあるまじき失態だった。
(……何で、こうなっちゃったのかなぁ)
そこで思考は堂々巡りになっていた。今に至るまでを追想し、気付けばため息が出そうになる。何か考えようとすれば、嫌なことばかりが頭に浮かぶ。
(ボクって、実はまだ子どもなのかも)
と、傍からすれば滑稽な、本人にとって重大な疑問を胸に、ヴィルは薄く射し込む朝陽を浴びた。
●
急に枝葉を縫って、光が差し込んできた。払暁である。
頃合いは早朝。朝靄が白く煙り、鳥達も囀り始めるのだが、その下を歩く傭兵達の表情は、そうした光景とは裏腹に、顔や動作から張りつめた空気が漂っていた。
一行がたどり着いたのは、完全な廃墟であった。
放棄されてからどれほどの月日が経過しているのだろうか。かつては行き交う人々で賑わっていただろう大通りは敷き詰められた石の隙間から丈高い草が生い茂り、軒を連ねる建物群はその身をただ朽ちるに任せるばかりだった。
「ここが、旧市街ってとこなのかい?」
「え、ええ……」
レナイアの問い掛けに、相変わらず兵士は目線を合わそうとせずに頷く。印象に乏しい男だが、小刻みに頷く姿はおもちゃのようで、滑稽に見えた。
「わ、我々が四日前に調査したところによ、よりますと、人の姿をした魔物の殆どは、っこ、ここに戻って来ているそうなのです、はい」
「殆どねぇ……」
傭兵の一人が、誰にともなく呟いた。分からなくもない、とレナイアは、彼が思っているであろう不平に同意した。
風化寸前の旧市街だが、入口である現在地から見渡して見ただけでもかなりの広さであることが想像できた。魔物どもが身を隠せる場所など幾らでもあると思うと、それだけで嫌気がさす。
「ま、何はともあれ、さっさと仕事に掛かるよ」
だが、今回は日暮れまでという刻限がある。既に魔物から襲撃を受けたことで予期せぬ遅滞を喰らっているのだ。いつまでも陰気な
レナイアが作業を開始するよう告げると、傭兵達は事前に割り当てた作業班と共に各所へと向かっていく。
「あ、ちょいとセラ!」
「はい?」
その中で一人、セラだけをレナイアは呼び寄せた。
「あの、どうしました?」
「あんたはあたしらと一緒にいとくれ。でないと、また勝手に飛び出しちまいそうなのがいるからねぇ」
そう言って、レナイアは視線を流した。彼女の背後では、ヴィルが少し不貞腐れた顔をしてセラを見上げていた。頭を押さえているということは、先程の『愛の鞭』が効いているのだろう。
「……分かりました」
「んん、ありがとさん」
これで余計な心配事は片付いた。残っているのは、肝心要の魔物退治だ。
「さて、後は何も起きなきゃいいんだけどねぇ」
●
作業班と呼ばれていたリグニア兵らの掛け声と傭兵達の囁き合う声が方々で聞こえてくるが、ジークの耳の傍では風の音ばかりが響いている。
ジークが知る限りでは、現在のところ傭兵達の力を必要とするような事態は起こっていない。そのためだろう、周囲では談笑を楽しむ者、作業を手伝う物好きな者、果ては物陰で賭け事に勤しむ者と、大半の傭兵達は緊張感に欠けた行動をとっていた。
ジークは、そのどれにも該当しなかった。例によって後ろをついて歩くミュレを除けば一人、着々と焼却の準備が進められている廃屋群を観察しながら歩き回っていた。
(該当記憶有)
(やはり、ここはオッピドゥムの一つだったようだな)
(む)
分割思考が突き止めた歴史の残滓には目もくれず、ジークは別のものを感じ取っていた。
滅び去った旧市街を通り抜ける風には、リグニア兵が刈り取った草の匂いに混じり、微かな死臭。
(確かに、ここはゾンビの巣で間違いないようだ)
(同意)
だが、事実であると革新すると同時に、一つの疑問の芽がジークの胸中で急速に育っていく。
(何故、廃棄されて久しい山奥の町で、急にゾンビが現れたのだ?)
ゾンビは、決して自然発生しない。仮に出現するとしても、エタール旧市街は条件に合致していない。
(一体、何故――)
「よう、銀髪の旦那」
背後から、声が掛かる。しかし無視して、ジークは思索を続ける。
(北部から流れてきたか?)
(可能性は低いな。そもそもあれ自体は動かず、ゾンビを増やすことで自らの領域を広げるというやり方のはずだ)
(同意)
「ちょっと、そこの女の子連れてるあんたですよって」
(可能性提言。対象は最初から当集落に存在していた)
(三番に同意)
(確かに、現在のところはそれ以上に妥当な可能性があるとは考え難い)
「頼むって。待ってくれって」
懇願するような声が追い縋ってくる。これ以上放置すると面倒なことになりかねないと思い、ジークは立ち止まった。
振り向くと、線の細い、狩人風の装いをした青年が息を切らせていた。
「やれやれ、あんた知ってて歩いてったろ」
一息吐くと、青年は笑った。陰のない、いかにも好青年、といった風貌だが、ジークには疑念しか与えなかった。愛想笑いを浮かべている者ほど信じるに値しないとさえ、ジークは考えているのだ。
物乞いを見るような目つきで青年を睨みながら、ジークは漸く問い掛けた。
「名前ぐらいは聞こう」
「名前を訊くならまず名乗っ……分かったよ、まずはこっちから名乗るって」
ジークが一睨みすると、青年は肩をすくめてみせる。その飄々とした佇まいは、どこかレナイアに通じるものがあった。
「俺ン名前はヒューイ。仲間内じゃあ“疾風”なんて綽名で通ってる狩人兼傭兵さ」
「ジークだ。横にいるのがミュレ」
気取った様子のヒューイとは対照的に、ジークはどこまでも淡々と告げる。傍ではミュレが、名前を呼ばれて反応を示していた。
「その“疾風”が、何故俺に構う?」
「あんたが、あそこにいた人間の中じゃあ、一番飛び抜けていたからさ」
ジークの目の前で、ヒューイが変貌した。飄々とした言動は変わらないが、目は獲物を狙う狩人のそれである。
「領主の屋敷であんたを最初に見た時、俺はすぐに分かったんだ。ここには俺も含めて五人、飛び抜けてた奴がいたって。中でもあんたは特別だ。身に着けてる風も……血の臭いも」
風。ヒューイが何気なく口にした言葉に、ジークは僅かに眉の傾斜を強めた。
「用件は端的に言ってもらおうか」
「急がなくてもいいって。せっかちな奴は損するぜ?」
まあ、俺は構わねえけど、とヒューイは笑い混じりに返し、そしてまた抜き身の刃のような表情を作った。
「あんた、俺と組んでみ――」
「断る」
「な……は?」
まさか、言い終える前に断られるとは思っていなかったのだろう。
「なんだよ、ちょっと好感触って感じだったじゃないか」
「それは貴様の思い込みに過ぎん」
ジークは刺々しい言葉を投げ帰したが、それに堪える様子も見せずにヒューイは笑った。
「まっ、返事は後でもいいって。とりあえず俺は、あんたに背中を預けてるつもりでいるけどな」
勝手に言っていろ――胸中で毒吐いたジークは、再び廃墟を見て回る。その後ろを、ヒューイが付いて歩く。
「旦那よ、さっきから二人して歩き回ってるけど、何か目的があるんかい?」
「黙れ」
「そう言わずにさ、せめてそれぐらいは教えてくれって」
「黙れ」
ジークは、多弁な人間が嫌いだった。不必要に修飾された言葉を多分に聞かされると不快に感じるからである。
(その意味では、まだミュレの方が連れ歩くには適しているということだな)
(お前も黙れ)
(同意)
下らないことを考えている二番を黙らせ、ジークは背後の喋りたがりを引き剥がす方法でも考えようかと思った矢先、
「旦那、焚き火だ。家の中に焚き火の跡があるって」
「む?」
ヒューイが突然そんなことを言った。ジークが足を止めて振り返ると、ヒューイは戸口に背を預けて肩をすくめている。
「今のも、黙ってた方がいいってか?」
「御託はいらん」
冷淡に切り返したジークは、ヒューイを無視かのするように建物内へと入った。
中に足を踏み入れると、外と同じ風化した町の匂いの他に、強烈な死臭が充満していた。戸口や壊れた窓から入り込んだ土埃が体積しており、半ば背の低い植物が占領される室内には、腐乱した死体が横たわっていた。
(やはり、ゾンビどもは建物内で休眠しているようだな)
(同意)
そんな、明らかに人間が住めるはずのない環境下に、円状になって転がっている物体があった。
(これか)
(む)
ジークは屈んで、足元に落ちていた、黒く細長い物体を調べてみる。
墨の欠片であった。拾い上げてみると、乾いた音を立てて指の隙間から破片がこぼれた。
(確かに、焚火の痕跡か)
(同意)
それも、年単位の古さではない。明らかにこの町が廃墟になって以降の代物である。
「旦那。これっておかしいんじゃないのかい?」
「分かっている」
いつの間にか背後にまで来ていたヒューイも、事の異常さを理解しているようであった。
他にも、ジークとヒューイが建物内部を調べてみると、他の焚き火の跡や、その周辺で動物の骨を見つけたり、複数人からなる足跡を発見できた。
(足跡の主が焚火をしていたと推測)
(いや、それよりもこいつらの正体の方が問題だ)
(敵性の疑い有)
六番が、すかさず警戒すべきだとの意見を出す。
(レナイア・カミューテルが、この場所はリグニア兵の調査によって発見されたと言っていたが、彼らが滞在していた跡ではないか?)
(可能性小。夜行性であるとはいえ、魔物の棲家とされる地での野営は困難)
足跡の主は兎も角、焚き火をしていた者達は、少なくともリグニア軍関係者のものではなく、尚且つ非友好的な存在である可能性が高いとジークは結論を下した。
(四番、五番、警戒水準を上げるぞ)
(了承)
(了承)
いつ現れるとも知れない『敵』に備え、ジークは戦闘関連の分野を司る分割思考に指示を出すと、続いて『邪魔者』の排除にかかった。
「ヒューイ。お前がカミューテルに知らせてこい」
「俺?」
途端に、ヒューイの顔が輝いた。曲者めいた雰囲気とは裏腹に、意外と性根は順良であるようだ。
「よーし分かった。ちょっくら行ってくるぜ!」
「む」
次からのあしらい方を考えつつ、ジークは改めて旧市街の探索に戻ろうとしたが、
「む?」
気が付くと、ミュレが袖を握っていた。ジークを見上げる小さな顔は、僅かに傾いている。
「ミュレ、どうした?」
「ん……」
ジークが促しても、ミュレは半開きの唇を緩慢に動かすだけで、言葉は出てこない。
(またこれか)
ジークは、舌打ちしたい気分だった。ミュレの成長を促進させるためには、彼女の発言を待ってやらなくてはいけない。
(また『役に立つ』か?)
(可能性有)
(警告。遅滞厳禁)
(同意)
(む……)
しかし、今はあらゆる事態に警戒しなくてはならず、余計なことに時間も頭も割いている余裕はない。
「ミュレ。話なら、後で聞いてやる。だから今は、手を離せ」
「ん……」
反応こそ示すのだが、ミュレは握った袖を離さない。
「ミュレ。手を、離せ」
「……ん」
もう一度、今度はゆっくりとジークが伝えてやると、ミュレはじっとジークを見つめたまま、指を袖から離していく。
(また訳の分からんことを……)
時も場所も選ばぬミュレの奇行にジークは苛立ちを覚えながら外に出た。
●
望ましくない事態になっている――それだけは、自分でも分かった。
彼女は、短時間で我々の計画を阻止し得る手段を講じるに留まらず、今まさに王手を掛けようとしていた。
彼なら、彼女の策など苦にせず撃退できる。ただし、そうなれば彼女らは全滅してしまうだろう。
陽は、まだ高い。彼らが動けるようになるのはまだ先だ。このまま彼だけが残ったとしても、目の前の計画のみならず、先々に至る目論見にまで支障を来してしまう可能性があるかもしれない。
……やはり、頼らざるを得ないのか。
身勝手な願いであることは分かっているが、できることなら必要以上の犠牲は避けたい。そのためにも、彼女らに早くこの場所から離れてもらわなくては。
私がもっと早くから決断していれば、こんなことにはならなかったのに。
ごめんなさい。ごめんなさい、ごめんなさい。
●
建物の外に出ると、更に陽が傾いていた。
頃合いは昼過ぎ。しかし吹きぬける風には、早くも夕刻の寂れた冷たさが混じり始めている。
レナイア・カミューテルの目論見が順調に進捗しているのなら、あと二刻の内にこの死んだ町は火の海に飲み込まれる。建物の内部で休眠するゾンビの群も、なす術なく灰となるだろう。
しかし、それだけでは根本的な解決にはなり得ないことを、ジークは知っている。
(となれば、やはり我々がやらねばならんな)
(む)
(難戦必至)
五番が指摘した通り、困難を極めることとなるのは間違いない。
(五番、勝率は?)
(二割未満)
(皆無ではないだけ希望は持てるな)
という二番の皮肉めいた言葉に、ジークが応じる余裕はなかった。
首筋を、冷たいものが通り過ぎる。
(上!!)
分割思考が警告した直後、体は動いていた。頭から前へと跳び、手をついて一転する。視界の隅に、真下へ刃物を突き出した人影が見えた。
(こいつは……)
体勢を整えるジークの眼前で、頭上から奇襲を仕掛けた者は、ゆっくりと立ち上がった。
仮面を着けているために確信はないが、体つきからして、男。軽装であることと携行に適した短刀を有していることを判断すると、接近戦に長けている可能性が高い。
「む」
動いた。
狙いは左。眼帯の死角。普通なら消えたように錯覚したのだろうが、分かる。
(下段。構えは逆手と推測)
(回避推奨)
一足、退いた。短刀。頚を外して通り過ぎる。大きく跳び上がり、伸びきった姿勢。見逃すはずもなく、長剣を抜いた。
(――警告)
(む――)
手応え。脾腹を半ばまで裂いた。四番が訴える。剣はそのままに、素早く身を翻す。
いつの間に露ていたのか、同じような風体の男が、地面を這うような姿勢で短刀を突き出していた。
(囮だったのか……!)
退くのは難しい。左右のいずれか。敵の歩みは。次に繋ぐためには。
回避。左へ動く。男は追い縋り、腰だめに構えていた短刀を真横に振り抜こうとした。
(分かっている)
振るわれようとしている腕の、肘を押さえた。そのまま関節を逆の方向に捩り上げ、自身は背後に回って動きを封じた。
「抵抗は無意味だ。降参をすれば命までは奪わん」
低い、抑えた声音だが、有無を言わさぬ響きを含んである。これは一種の試金石で、ジークは自身が提示した条件に従うか否かで、捕えた男の性質を見抜こうとしていた。
だが、事態は思わぬ方向に動いた。
「む!?」
首筋によからぬ感覚を覚えたジークは、捕らえた男の右脇腹に拳を打ち込んで行動不能にさせてから背後へと振り返った。
未だ脾腹にジークの長剣を食い込ませた男が、短刀を手に、再度襲い掛かってきたのである。
(馬鹿な、あの傷では動くこともできないはず)
(しかし、現に動いている)
二番が動揺したことで、ジークはむしろ冷静に事態を考えることができた。
(今は目の前の事態を処理しなくてはならん。三番、七番と推測をしておけ)
(了解)
ジークは事の解明を分割思考に任せ、自身は眼前の敵の無力化にあたった。
(ゾンビと類似したものである可能性有)
(ならば頚部より、手足を断つ方が有効かもな)
(試す価値は、あるか)
分割思考が即座に類似性のありそうな情報を導出し、ジークは素早く実行する。
膝の力を抜いて身を低くし、真横に振るわれる短刀を回避すると同時に、男の鳩尾目掛けて前蹴りを放ち、蹴り飛ばした反動で長剣を引き抜いた。息吐く暇もなく一太刀で左腕を、続けざまに、右肘から先と両の脚を斬り落とす。精確に骨の継ぎ目を狙った一閃は、ジークにさしたる感触も残さない。
(警告)
(分かっている)
反転。最後に残った男が立ち上がろうとしていた。これも躊躇わず、ジークは斬った。
長剣を鞘に収めたジークは、“疾風の猟犬”で周囲の様子を窺う。やや遠く、旧市街東部の辺りで大きく動くものの気配を感じたが、近くに危険はなさそうであった。
二番が、話し掛けてくる。
(それにしても、脾腹打ちも効果なしと分かった時は、全てがゾンビと同じと思っていたが、違う部分もあるようだな)
(む)
まず、敏捷性が桁違いに高い。ゾンビという魔物の性質上、人並みの素早さで動くことは不可能なのだが、この二体は明らかに常人以上の速度で動いていた。
(亜人である可能性有)
(同意)
(亜人にしては、見た目は普通の人間と変わらんようだが)
(それに雰囲気も妙だ。奇妙な言い方だが、生き物を相手にしている気がしない)
二番の言わんとしていることは、ジークにも理解できた。
この二体は、ゾンビとは違った意味で生き物の気配を感じさせない。致命傷となる一撃を幾度受けても倒れず、淡々と襲い掛かる様は、むしろ人形という表現の方が近い。
(人形……)
ジークの目は、自然とミュレに向けられた。陽光の下でも輝くことのない藍色の瞳は、じっとジークを映している。
(いや、流石に無関係だろう)
(同意)
(否定。疑念は捨てるべきではない)
六番が、即座に否定する。二番以下六つの分割思考の中で、六番は最もミュレに対し懐疑的な姿勢を維持し続けている。
(六番、今はミュレへの疑いは忘れろ)
(同意)
(反省)
(いずれにしても、素顔を暴いてみるとしようか)
(同意)
(要警戒)
あくまでも油断すべきではないと六番は警告する。それを無視するような愚挙はせず、ジークは長剣を引き抜き、肘と膝から先を失った死体に近付く。柄を逆手に持ち替え、喉元に切っ先を向けた状態で、ジークは慎重に男の顔全体を覆う仮面に――
「旦那!」
ジークは死体から飛び退り、即座に身を翻す。長剣の切っ先は、違わず背後に現れた者に向けられていた。
「ちょ、待ってくれって。俺、俺だって」
「む」
ヒューイであった。遅れて二つの死体に気付くと、驚きの顔も見せずに「ここにもいたのか」と呟いた。
「他の場所でも現れたのか?」
「あ、ああ。突然屋根の上から飛び降りてきたと思ったら、作業班の連中に襲い掛かりやがったんだ。俺が何とか仕留めたんだが、それでも随分と被害が――あ!?」
そこでヒューイは、何故か大声を上げる。
「そうだった! そのことで、あの姐ちゃんが俺らに集まれって言ってんだよ。旦那、あんた達も早く来てくれよ」
*主だった面々の能力一覧
ジーク
持久力:A
筋力:B
耐久性:A
柔軟性:B
敏捷性:A
動体視力:AA
魔力:B
判断力:AA
決断力:A
技術:AA
運:C
ミュレ
持久力:SS
筋力:SS
耐久性:D
柔軟性:S
敏捷性:SS
動体視力:SS
魔術:G
判断力:F
決断力:F
技術:E
運:c
ヴィル
持久力:B
筋力:C
耐久性:D
柔軟性:B
敏捷性:A
動体視力:S
魔術:G
判断力:C
決断力:B
技術:B
運:A
レナイア
持久力:C
筋力:D
耐久性:D
柔軟性:C
敏捷性:D
動体視力:C
魔術:G
判断力:A
決断力:AA
技術:G
運:A
ルーカス
持久力:A
筋力:B
耐久性:AA
柔軟性:D
敏捷性:C
動体視力:C
魔術:G
判断力:C
決断力:A
技術:C
運:D
*評価
SS(10) “化け物”
S(9) 人外
AA(8) 非常に優れている
A(7) 優れている
B(6) 平均よりは上
C(5) 人並み
D(4) やや悪し
E(3) 難アリ
F(2) 致命的にダメ
G(1) 論外
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2011/01/09(Sun)20:24:14 公開 / 木沢井
■この作品の著作権は木沢井さんにあります。無断転載は禁止です。
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■作者からのメッセージ
はじめまして、という方は少ないでしょうが、定型なので、はじめまして、もしくはTPOに則った挨拶をば。三文物書きの木沢井です。多忙を極めると思われる皆々様がた、お読み下さりありがたく思います。
当拙作の表題には『3』という数字がつけられてありますが、これは単なる作品番号というだけですので、前作、前々作とは一切関係ありません。そのように紛らわしい表題ではありますが、今のところ改める予定はございません。
改善・改良のための酷評は広く受け付けております。自身でも推敲はしておりますが、なにぶん当方は三文物書きですので、お目汚しとなることも多々あることと思われますので、その際はどうぞご遠慮なく。
では、ここまで目を通して下さった方々に改めて感謝を。
ありがとうございます。
【エリンギ3用語集】
ジィグネアル
:ジョビネルエリンギ3の舞台。周囲を無数の小島で囲まれた巨大な大陸。地球上でのパンゲアやゴンドワナ超大陸のようなものと考えていただきたい。
五大国(ゴタイコク)
:数多あるジィグネアルの国家群で抜きん出た五国の通称。互いに軍事介入しないことを条件に『五大国条約』を締結している。伝説によると、それぞれの国家を打ち立てたのは『神魔大戦』を終わらせた英雄らであるという。
:以下、五大国の国名
:北方の『ベイザント連合国』
:大陸中央から西部の『ヴァンダル帝国』
:東方の『フェリュースト公国』
:東南部の『リグニア王国』
:大陸最南端の『サンドラ王国』
クラン
:リグニアの通貨。クラン金貨、クラン大小銀貨、クラン大小銅貨の計五種類ある。リグニアは国外の市場でも絶大な力を持っているため、五大国の支配下にある(つまり、殆どの)地域で利用できるが、クラン金貨は非常に価値が高く、流通している場所は殆ど限られている。なお、現在価値で三〇五〇クランで一般的な店持ちの商人の一ヵ月分の生活費である。
9/11 2の一部を投稿しました。
9/14 2を更新しました。
11/21 3を投稿しました。
1/9 4の前編を投稿しました。
作品の感想については、登竜門:通常版(横書き)をご利用ください。
等幅フォント『ヒラギノ明朝体4等幅』かMS Office系『HGS明朝E』、Winデフォ『MS 明朝』で42文字折り返しの『文庫本的読書モード』。
CSS3により、MSIEとWebKit/Blink(Google Chrome系)ブラウザに対応(2013/11/25)。
MSIEではフォントサイズによってアンチエイリアス掛かるので、「拡大」して見ると読みやすいかも。
2020/03/28:Androidスマホにも対応。Noto Serif JPで表示します。