『天使の約束事』 ... ジャンル:未分類 未分類
作者:浅田明守
あらすじ・作品紹介
幼いころの約束。『いい子にしていればまた会える』という言葉。それだけを頼りに僕はずっと星に願い続けた。そして十年ぶりの流星群の夜、彼女は流れる星々と共に僕の前に舞い降りたのは、天使とは名ばかりの常識知らずのトラブルメーカーだった……
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プロローグ「それは本当に突然で」
運命なんていつも突然で、思いもよらないところからやってきたりする。それは予測不可能で、ましてや回避することなんて出来るはずもない。どんなに努力しても失敗という名の運命がやってくればそこで終わり、逆にどんなになまけていても成功という運命がやってこれば万事が上手くいってしまう。
そう、運命の前には人の努力や意思なんてものは本当にちっぽけなものでしかない。なら自分の意思を持って努力することに何の意味がある? どうせ逆らえないのなら、環境に流され、人に流され、ただあるがままに事実だけを受け入れる。人間それが一番楽な生き方なんじゃないか? いや、むしろそれが人間の本来あるべき姿なんじゃないか?
あぁ、そうだ。僕はそうやって周りに流されて無難に生きて行きたかったんだ。なのに運命というのは本当に突然なんだ。
もしもこの世界に人が言う神様が存在するとしたら、それはきっと意地悪で、どこまでも気まぐれで、そしてどうしようもないろくでなしなんだ。だってそうだろ? そうじゃなきゃこんなことあり得ない。そうでなければ、今僕の目の前に展開されている状況をどう説明しろって言うんだ。僕はただ、流れ星に恋人が欲しいって、そう願い事をしただけなのに。
「き、きみは……いったい」
なのになんで、僕の目の前に羽を生やした女の子が立っているんだ?!
「天界庁地上対策第二課願望調査解決型準天使士官、ユーリ」
月の光に照らされ淡く光る滑らかな長い蒼の髪、覗きこめば吸い込まれそうな深い蒼の瞳、そしてフランス人形のような整った顔立ちにゆったりとした純白のローブに覆われた華奢で、しかし女性らしい丸みを帯びた体。そしてその背に生える白い翼。
そんな人形のような無機質な美しさを持った少女は一言、
「飯島猛。あなたの願い、叶えに来た」
とんでもないことを無表情に言い放った。
とある寒い冬の日の夜のこと。僕は空から一人の天使を招き入れた。
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第一話「とあるゴミ拾いの日に」
けたたましい目覚ましのベルで目を覚ます。時計の差す時間は午前八時半。今日は日曜日だからもう少し寝ていてもいい時間だ。目覚ましのベルを止めて心地よいまどろみの中、さっき見ていた夢のことを考える。
夢、そう一週間前の星の降る夜、僕の運命が大きく変わったあの日の夢だ。あの日、流れる星と共に僕の下に舞い降りた天使、僕の願いを叶えると言ったユーリは、無駄に懐が拾い家の両親によって家族として家に迎え入れられた。
ユーリが僕の下に来た理由は結局のところよくわからない。本人に聞いても「あなたが……星に願ったから」と訳のわからないことを言うばかりで本当のところを話してくれそうにもない。まあそれはいい、それはいいんだ。問題は……
「やっぱり常識、だよな……」
彼女がこの家に来てから僕の苦労が絶えることはなかったが、その中でもとりわけ面倒だったのがこの常識だった。とにかく彼女は天界で暮らしていたせいか、はたまたもともとの性格なのか、なにかと常識と言う者に欠けていた。それで、結果として僕が何かと苦労する羽目になって、順調にストレスが溜まっていくわけだ。具体的には……思い出したくもない。
と言う訳で、たまの休日ぐらいもう少し寝ていても罰は当たらないだろう。当たらないに違いない。以上、長い長い二度寝に対する僕の言い訳終わり! と言う訳でお休み……
迫りくる睡魔に身を委ね、意識を闇の中に落とそうとしたその時、部屋の外から誰かが階段を上ってくる微かな足音が聞こえてくる。この足音はたぶんユーリだな。おおかた母さんに俺を起こすように言われてきたんだろう。だが悪いな。せっかくの休みの日にこんなに早く起きるなんてお断りだ。
ガチャリと部屋のドアが開く音、ペタペタと素足で床を歩く音。
「……起きて」
ユーリのぼそりとした声が聞こえる。しかしその程度で目を覚ます僕じゃない。と言うかユーリのせいで日頃疲れているんだ。休日ぐらいはゆっくり寝かせて欲しい。
「……猛」
ゆさゆさと身体を揺すられる。しかし、甘い。その程度ではこの僕を起こすことは到底できない。
しばらくするとユーリは身体を揺さぶるのを止めて、部屋に静寂が訪れた。さすがに諦めたか、そう思って再び夢の世界へと沈もうとして……
ばっ(僕の布団をユーリが引っぺがす音)
もぞもぞもぞ(ベッドの中にユーリが潜り込む音)
ごそごそごそ(引っぺがした布団を再びかけ直す音)
すーすー(僕のすぐ真横から聞こえるユーリの寝息)
「って、何やってんのさユーリ!」
当たり前のような(といっても無表情だが)顔でベッドに潜り込んでくるユーリに若干ドギマギしながらも布団を跳ね飛ばす。
「夜這い?」
意味を理解しているのかいないのか、とんでもないことを言ってくる。いやユーリさん、そんな無表情のまま頬を膨らまされても反応に困るのですが。いや、不機嫌そうに頬を膨らまされても困るんだけどさ……
「……くぅ」
「いや、だからって寝るなよ! というか僕を起こしにしたんじゃなかったのかよ!」
どうやら僕に“休日”はないようだ……。
朝の一件のせいですっかり目が覚めてしまった僕は、いつまでも人のベッドの中でゴロゴロとしているユーリを引きずりながら一階に下りる。
「あら、ようやく起きてきたのね。ありがとね〜ユーリちゃん。なかなか起きなくて大変だったでしょう?」
「大丈夫、問題ない」
「だろうな、僕のベッドに潜り込んで寝てただけだし」
キッチンがある方から匂ってくるおいしそうな匂いに食欲を刺激されながらテーブルの自分の席に着く。どうやら今日はシンプルにベーコンエッグとトーストのようだ。
「ところで猛。今日あんた、なんか用事ある?」
脈絡もなしに母さんが予定を訪ねてくる。激しく嫌な予感。経験的にこういうときは大抵面倒事を押しつけられるんだ。というわけで先手必勝!
「用事はないが面倒事を押しつけられるほど暇でもない」
「そう、ならちょっと母さんの代わりに町内会の清掃活動に行ってきてくれないかしら? 母さん今日はちょっと忙しくてねぇ。頼んだわよ」
当然のように僕の意見を無視して一方的に面倒事を押しつけられた。いや、わかってたよ。もういつものことだし。というかこんな時間に起こしたのはそのためかよ。
「あぁ、町内会の人に紹介がてらユーリちゃんも連れて行ってあげてね。実はなんだかんだで忙しくてまだ正式には顔合わせしてないのよ」
当然このことに対しても僕の拒否権はなし。断ったら断ったで三食ぐらい飯抜きにされそうだし。
正直面倒なことになったな、などと考えながら出されたベーコンエッグにかぶりつく。ベーコンが焼けすぎていて若干炭のような味がした……
朝食を済ませた後、僕はユーリを連れて家から徒歩で十分ぐらいのところにある割と大きな河川敷に来ていた。右手にはトング、左手にはゴミ袋。もちろん両手には軍手装備。つまり月に一度ある町内会の河川敷清掃活動に従事していた。
正直ここに着くまではどうやってユーリを紹介しようか、というか羽とか見て混乱しないだろうか、なんて心配をしていたが、ふたを開けてみればなんてことはなく、「そうかそうか、天使なんだ」の一言であっさり受け入れ完了。拍子抜けすると同時にこのあたりの人間の常識を思わず疑ってしまう。
「ようたけっちゃん。ゴミ、集めてるいかい?」
そんなことを考えていると、不意に後ろから思いっきり背中を叩かれる。あまりの突然さに思わず飛び上がってしまう。振り返ると、まあ振り返らなくてもわかるんだけど、そこにいたのは小学校からの腐れ縁の姿。はち切れんばかりにゴミが詰められたゴミ袋を手に超ご機嫌な顔をしているのは、まあこいつの性癖みたいなもんだ。
「なんだ変態。案の定来てたのか」
「変態っていうなよブラザー。いつもみたいにリョウちんって呼んでくれよぅ」
「今も昔もついでにこれからもそんな呼び方をする予定はない」
僕と変態との会話をユーリが無表情ながらも小首を傾げて見ていたので一応紹介する。
「このやたら軽い変態は高倉亮二。僕の小学校からの腐れ縁……のような違うような」
腐れ縁と言いきれなかったのは子供のころの記憶がどうにも曖昧だったからだ。それにどういう訳か、家中どこを探しても子供のころの亮二と撮った写真が出てこない。これだけ付き合いがあるんだがら一枚ぐらいあってもいいはずなんだがな……
「色々と酷いなぁ。俺は変態じゃなくてきれい好き。あと腐れ縁ぐらい言いきってくれよぅ」
「ゴミ袋を恍惚とした表情で見つめる男を変態と言わずして何と言えばいいんだ?」
そんな僕らのやり取りを見て何を思ったのか、ユーリがこくりと頷いて亮二に歩み寄る。
「ユーリ。天界庁地上対策第二課願望調査解決型準天使士官」
「へぇ、天使か。実物を見るのは初めてだねぇ。俺は高倉亮二。小椋高校二年A組、出席番号は二十番。ちなみに彼女は常時募集中」
天使という単語を当たり前のように受け入れたうえでわけのわからない自己紹介を返す亮二。周りの人間がこうも天使を当たり前のように受け入れてくると、一人だけ大騒ぎをした僕が馬鹿みたいに思える。違うよな? 周りがおかしいんだよな?
そんなことを考えていると、
「じゃあ、立候補」
どこかからとんでもない言葉が聞こえてくる。思わず声のした方を振り向く。
いや、確かに恋愛は自由だけどさ、『恋人が欲しい』って願い事を叶えに来た天使が願いを叶える前に自分が恋人作るってどうよ?
「えっ? マジでユーリんが俺の彼女に立候補?」
さっそくユーリに変なあだ名を付けている変態は放っておくとして、僕としてもユーリの真意は聞きたいところだ。
しかし次に聞こえてきたのは予想だにしなかったとんでもない言葉だった。
「違う、猛が立候補」
「って僕がかよ! 嫌だよ、というか訳がわからないし!」
「だって、恋人が欲しいって」
いや、確かに恋人が欲しいって言っただけで『彼女』が欲しいとは言ってないけどさ。僕はノンケだ。いや、仮にそっちの気があったとしてもごみ袋にはぁはぁしている男はごめんだ。
「ユーリ、とりあえず黙ってようか」
「ユーリんってなかなか面白いことを言うキャラなのねん」
そんな感じにワイワイと僕らがゴミ拾いをしていると、
「ちょっとあれ見てよ、ちょ〜ウケるんですけど」
河川敷沿いにある土手の上のほうからそんな声が聞こえてきた。
そこにいたのは今さらな感じのガングロにアクセサリー過剰装備な、今となっては絶滅危惧種に指定されそうな感じのマンバギャルがこちらを指差して、仲間と思しきマンバ2号を呼びながら爆笑していた。どうでもいいけどパンツ、見えてるんですが。非常に不快なのでどうにかして欲しいです。
「ゴミ拾いとかマジウケるし」
そう言ったのは後から来たマンバ2号。清掃を侮辱するような言葉に亮二がピクリと反応する。マンバ達に何か言いたそうな亮二を目線で宥めながら、何事もなく嵐が過ぎ去ることを願う。
しかし、
「ホント、ゴミ拾いとか“馬鹿がやること”だよね〜」
「あっ、そうだ。どうせゴミ拾ってんならこれも捨てといて〜」
僕の願いはむなしく、土手にいる馬鹿二人は手に持っていたペットボトルを河川敷に向けて放り投げた。つまりはポイ捨て。とっさの行動で僕は亮二を取り押さえる。というのも、亮二は以前、ポイ捨てをしたヤクザ二人をタコ殴りにして病院に送ったことがあるからだ。
「ハナセタケシ。オレハレイセイダ」
「どう見ても冷静には見えねぇよ!」
必死になって暴走しつつある亮二を抑え込む。しかし普段からは考えられないような馬鹿力を発する亮二相手にどれだけ抑えられるかわかったもんじゃない。手遅れになる前にあの二人を避難させるべく、視線を土手の上に移す。と、
「……は?」
そこにあったのは予想だにしなかった光景だった。
「…………」
「な、なによ」
「いきなり出てきてだんまりとかちょ〜キモいんですけど」
いつの間に移動したのか、いきり立つマンバ二人の前にユーリが立っていた。左手には半ばほどまでゴミが詰められたゴミ袋、そして左手にはなぜか先ほどのマンバが捨てたと思しきペットボトル。
その光景に、なぜか既視感を覚える。
そう、僕はこの先に起きることを、多分知っている。
『ゴミは自分で捨てる。じゃないといい大人になれない』
「ゴミは、自分で捨てる」
いつもの平坦な声。そしてゆらりとユーリの手が揺らめいたかと思えば、いつの間にやら手に持っていたはずのペットボトルがマンバギャルの口に突っ込まれていた。
そう、それは懐かしい光景。幼いころに見た、綺麗で、優しくて、温かくて、そして厳しかったあの人の記憶。もうずっと忘れていたあの日の光景だった。
マンバ達は何か言いたげだが、しかし口にペットボトルが詰め込まれているせいでしゃべれないので悔しげに僕らを睨みつけるとどこかへ走り去っていく。どうでもいいけどペットボトル、抜けばいいのに。なんであえて口の中に入れたまま走り去るかな……
毅然(?)とした態度でマンバギャルを追い払ったユーリに、町内会の面々が苦笑いしながらも拍手をする。亮二なんかは「感動した! ありがとう!!」とスタンディングオベーション(といっても最初から立ってたけど)状態だ。
「やり過ぎだ。まったく……」
なぜみんなが拍手をしているのかわからないと言った感じで(まあ無表情だけど)戻ってきたユーリに軽くチョップをした後に、「まあでも、よくやった」と言っておく。
「……ん。頑張った」
いつもと同じ無表情なのに、えっへんと口で言いながら胸を張るユーリがどこか嬉しそうに見えた……。
私は幼いころから母に下の世界のことを聞かされて育ってきた。下に住む人々の暮らし。どんな文化があってどんな遊びをしているか。中でも私のお気に入りは一人の少年の話。純粋で、優しくて、少しイタズラっ子な男の子の話。私は幾度となくその話を母に願って、空で言えてしまうほどその話を聞いて育った。
そのせいか、人間界ってどんなところだろう、昔からそんなことばかりを考えていた。そこはどんな素晴らしい世界なんだろう、どんな人が暮らしているのだろう。そんな想像で頭を一杯にしていた。
しかし実際来てみれば、そんないいものじゃないって、すぐにわかってしまった。空気は汚いし、世界は打算と悪意に満ち溢れていた。人の心は荒んでいて、今だって人の苦労を嘲笑い、踏みにじり、そして笑っていた。やっぱり、人間なんてろくなものじゃない。彼だって、私は正しいことをしただけなのに、それでもやり過ぎだといって私を叩く。まったくもって、この世界は理解不能で理不尽だ。
でも……彼に頭を叩かれた時、理不尽さを感じながらもどこか喜ぶ私がいた……
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昔、誰かとした約束。それをした相手が誰なのかはわからない。もう顔も、名前も覚えていない。覚えていることと言えば、その子はとてもうるさかったということ、そして何より、その子のことが大好きだったということ。
どうしてかは覚えていない。でも僕は大好きだったその子とお別れをしなければならなくて、「いい子にしていたらまた会える」という誰かの言葉を頼りに、二人で必死になって考えた「いい子」でいるための約束。
でもそれが何だったのか、今はもう、思い出せない……
第二話「昔と今とこれからと」
あの日から一週間が過ぎた。あの日、というのはユーリが時たま予想外の行動を起こす天使として町内会の人たちに受け入れられたあの河川敷清掃の日のことだ。
ユーリはあの一件以来すっかり町内の人たちに気に入られたらしく、今では道を歩くだけで色々な人から声をかけられるようになっていた。
僕はというと、すっかりユーリの突飛な行動にも慣れて、それなりに楽しくてほどほどに退屈な日常を過ごしていた。そう、僕はすっかり油断していたんだ。僕はすっかり忘れていたんだ。運命なんていつも唐突で、予期せぬところから突然やってくるものだってことを。
僕たちの運命は星の降る夜に空から落ちてきて、夕日が沈むころにゆっくりと終わりを告げた。
ことの始まりは一通の手紙。それを見つけたのは学校の教室。いつ誰がそこに入れたのかはわからない。体育が終わった後、ふと鞄の中を調べてみたらそれが入っていたのだ。
『ユーリの本当の姿を知っているか』
手紙にはただ、そう書かれていた。書かれていたのはただそれだけ。差出人も、ユーリの本当の姿とやらについても何も書かれてなかった。そんな気味の悪い手紙なんてすぐに捨ててしまえばいいのに、どうしても捨てることが出来なかった。頭の片隅に『本当の姿』という言葉がこびりついて離れなかった。
「ヘイ、ブラザー。どうしたんだ浮かない顔で」
手紙を睨みつけるようにして見ているところに声がかかる。どこか軽い、聞きなれた声。
「亮二か……いや、何でもないよ」
「ユーリんのことか?」
さっきまでとはまるで違う、初めて聞く亮二の真面目な声に少しだけ驚く。でもそれ以上に、亮二の口から出た言葉に驚いた。
「どうしてそれを?」
「俺の鞄にも入ってたんだよ。たぶん、お前が握りしめているそれと同じ手紙が」
そう言って亮二がポケットから出した手紙。そこにも僕の鞄に入っていたものと同じく、ただ『ユーリの本当の姿を知っているか』と書かれていた。
「心当たりはあるか? この『本当の姿』ってのはなんだと思う?」
「そんなもん……」
あるはずがない。そう答えようとしてはっと気づく。まだ一ヶ月と経っていないが、それでも一つ屋根の下で暮らし、寝食を共にしているユーリのことを、もうだいたいのことは理解できていたと思っていたユーリのことを実は何一つ知らなかったということに愕然とした。
「気にするな。俺だって家族のことを全部知っているわけじゃない」
そんなことはわかっている。そう言おうとして、声が出なかった。
怖い。何が? わからない。
心の奥底でどろりとした嫌なものが蠢く。
そう、お前は怖いんだ。好きになりかけた相手から裏切られるのが。そう、それでいいんだ。お前は周りに流されて生きて行けば、それで。お前は一体何を勘違いしていたんだ? たかだか数週間、同じ屋根の下で暮らしただけでその相手を好きになるなんて。いい加減に目を覚ませ。お前は“いい子”でいなきゃいけないんだろ? ここいらが引き際だ。よく考えてみろ、お前は人間で、相手は天使。釣り合いがとれるわけがないだろうに。そうだ、諦めろ。お前には無理だ。ここはそういう流れなんだ、逆らうな。諦めろ。諦めろ諦めろ諦めろ諦めろ諦めろ諦めろ諦めろ諦めろ諦めろ諦めろ諦めろ諦めろ諦めろ諦めろ諦めろ諦めろ諦めろ諦めろ諦めろ諦めろ諦めろ諦めろ諦めろ諦めろ
―――諦めろ
「……っ!?」
酷い眩暈がする。視界が歪む。真っ直ぐに立っていることも危うくなり、とっさに机に手をつく。
「おい、大丈夫かよブラザー。顔色が真っ青を通り越してヤバい感じになってんぜ」
心配そうに亮二が僕の顔を覗き込んでくる。
僕の顔色がどうヤバいのか気になるところではあったが、どうもそんなことにツッコミをしている場合じゃなさそうだ。風邪でも引いたのかもしれない。
「悪い、早退するわ。先生に言っておいてくれ」
そう伝えると僕はふらふらと教室を出て行った。原因はよくわからないが、体調が悪いのは確かだ。亮二が顔色がヤバい、と言っていたのもあながち大袈裟ではないかもしれない。とりあえず今は休みたい。保健室で寝ているのもいいけど、どうにもあそこの薬品臭いにおいが好きになれない。幸いここから家まではそんなに距離があるわけじゃない。
ふらふらと覚束ない足取りで家への帰路を歩く。いつもは数分で済む短い道のりが果てしなく遠いもののように感じられる。それでもどうにか家までたどり着き、玄関の扉を開ける。あと少しで自分のベッドだ。
しかし次の瞬間、そんなことはどうでもよくなった。
玄関を開けたその先にあった光景。意味がわからない。どうしてか、玄関にはユーリが顔を真っ青にして倒れていた……
夢、夢を見る。夕焼けに染まる川、右手に感じるの小さな手の温もり。赤く染まる河川敷を大好きな人と手を繋ぎながら歩く夢。
僕たちはしきりに口を動かしている。てんでバラバラなことを自分勝手に話し続ける。それはまるで話していなければ死んでしまうとでも言うかのように。
遠くから聞こえてくる声。少女の名前を呼ぶ母親の声。それは僕らにとっての別れの合図。繋いだ右手を離して小指を絡め、長い長い指切りをする。
「指切りげんまん嘘ついたら針十本のーます!」
「ねぇ、なんで十本なの? 千本じゃなかったっけ?」
「だって千本も針を集めるの大変だもん。それに千本なんて飲んだらきっと死んじゃうよ」
そう言って向日葵のような笑い顔を見せる彼女が、僕は大好きだった……。
頭に温かな重みを感じて目を覚ました。真っ先に目に入ったのは夕日で赤く染まった窓。寝惚けているものあって、自分がまだ夢の中にいるのか、それともここは現実なのか瞬時に把握できない。とりあえずわかるのは、今僕は誰かに頭を撫でられているということだ。
「……おはよう」
感情を感じさせない平坦な声。それでようやく意識がはっきりとしてきた。
たしか体調が悪くなって、学校を早退したら家の玄関でユーリが倒れてて、慌ててユーリを担いだはいいものの、いくら緊急時だとはいえ女の子の部屋に勝手に入るのはあれだったからとりあえず僕の部屋に運び込んで、それから……
「猛、ずっと看病してくれてた」
「起きてたんか? だったらそうと言ってくれ、さすがに心配したよ」
「起きては、ない。でもわかる」
ほら、と頭を撫でていない方の手を軽く上げる。その手には僕の左手がしっかりと握られていた。
「あ〜……ずっと手を握ってた、とか?」
「猛の手は、あったかい」
顔が熱くなる。ずっと手を握ってたとか、恋人じゃあるまいし。恋人で、あるはずがないのに……
「大丈夫」
ユーリが無表情な顔を少しだけ綻ばせて僕の頭を抱えるようにして抱きしめる。僕の頭を抱きしめて、何度も何度も、言い聞かせるように大丈夫、大丈夫と繰り返し囁く。
「悪いのは、私だから。猛は、何も悪くない」
ユーリが何を言っているのかわからない。けれどもそれは、まるで僕の不安を見とおしたような言葉で、その上で自分の身体の方がよほど大丈夫じゃないのに、僕のことばかりを心配するようなユーリの声に、僕の苛立ちは募っていった。
「わけが、わからないよ。なんでユーリが悪いんだよ」
「私は、嘘をついていたから」
ぽつりとユーリが語り始める。
「私、猛の願いを叶えに来たわけじゃない。そもそも私には、願いを叶える力なんてない。私は、天使になれなかった、なりそこないだから」
私が下界に降りてきたのは、実はこれで二回目。昔、一度だけ母に連れられてほんの少しの間だけ下界にいた時期がある。その時私は一人の男の子と友達になって、そして約束をした。また会おう、また遊ぼうって。
天界に住む者が下界に降りる方法は二つある。一つは天使となり人の願いを叶えるために正規の手続きを取ってゲートを開く方法。天使はこの世界に伝えられているような、元からそうである存在ではなくて勉強して、修行して、試験を受けることでなるものなの。だから私は必死に勉強して、天使になるための試験を受けた。
天使になるための試験は一生に一度、それを逃せば二度と天使になることは出来ない。私はその一生に一度の機会に事故に遭って、そして……
天使になれなかった私に残された地上へと至る手段はあと一つ。流星が降る夜、その日は天界と下界の境界があやふやになってゲートを潜らなくても下界に降りることが出来る。もちろん、簡単なことではないし、許されることでもない。それでも、私は約束を守りたかったから。
ユーリの淡々とした語り口に、少しずつ僕の記憶が解きほぐされていく。
約束の女の子。明るくて、お喋りで、向日葵のような笑みを浮かべる少女。初めて好きになった、初恋の相手。もし、ユーリがあの女の子だったら、僕が彼女を好きになったのも無理はない。だって、初恋の相手なんだから。
あぁ、でも……ユーリは本当にあの少女なのだろうか? 少なくとも、僕の記憶にあるあの子のイメージとはかけ離れている。
「天使は本来、肉体を持たない」
そうしている間にもユーリの独白は続く。滔々と、淡々と、あの少女とはまるで違う、感情のない人形のような語り口で。
「だから天使は下界に降りる時、人が誰かを想う気持ちを利用して肉の身体を造り上げる」
人の想いを使って……じゃあ、もしかしてユーリが倒れた原因は、
「そう。正規の手続きを持って下界に降り立った天使の場合は複数の人間の想いを少しずつ利用する。でも、そこのユーリんのように違法な手段で下界に降りた天使は特定の人間との繋がりを当てにするしかない。俺はそれを利用させてもらったってわけだ」
ユーリの言葉を繋ぐような声が二階の窓の外から聞こえてきた。
それは聞きなれた声。軽くて、チャラくて、どうしようもなくふざけている声。小学校のころからずっと機器馴染んできたと思っていた声。
「へいブラザー、ちょっち窓を開けてくれないかい。人に見られると何かと面倒だしさ」
窓の外にいたのは背中の羽を羽ばたかせて窓の前で滞空している白いローブのような装束を着た亮二だった。不思議とそれに驚かない自分がいる。ユーリの話を聞いて、少しだけ昔の自分を思い出したせいかもしれない。
「ちなみに亮二。小学校からの付き合いなのにその頃の写真がなかったり、いろいろ記憶があやふやだったりするのはそういうわけか」
「なんだブラザー。あんまし驚いてないのね」
冷静な僕の様子に少しだけ驚いたように言う。まあ無理はないだろう。誰が一番驚いているかって、ほかならぬ僕なんだから。というか何で僕はこんなに冷静なんだ。これじゃあ僕も町内会の人たちのこと、とやかく言えたもんじゃないな。
「まあたけっちゃんの言うとおりなんだけどね。俺はユーリんが天界を抜けた後に天界から使わされた第三級天使士官、つまり天界の使いっ走りだよ」
言いながらごそごそとローブに手を突っ込んでどこかで見た手紙を取り出す。
「俺が上から言いつけられたお使いは二つ。一つはユーリんの動向を探って何のために下界に行ったのかを確かめること。もう一つはこの手紙を使ってユーリんと直接つながりがある人間の想いを断ち切ること」
「その手紙、僕の机の中に入っていたやつか」
「そゆこと。この手紙には人間が負の感情を抱きやすくする力が込められているんよ。そのせいでたけっちゃんのユーリんへの想いは風前の灯、あわやユーリんは力を失くして消えてしまいそうに、ってのが現状」
そう言って手紙を再びローブの中にしまいこむと亮二はちらりとユーリを見て苦い顔をする。亮二が話している間にもユーリの症状は悪化する一方だった。ほんのりとその身体が透けて見えるのは、きっと気のせいじゃないだろう。
「僕には、どうすることも出来ないのか……!?」
「残念ながら、ね。ここまで来たら仮にたけっちゃんの想いが回復したとしても、それこそ奇跡でも起きない限りユーリんが回復することは……ない」
重苦しい沈黙が部屋に降りる。僕の中にあるのは、自分のせいでユーリがこうなったという罪悪感と、何もできない自分のふがいなさに対する苛立ち、そして……どうしようもないという、諦め。
「一つだけ、ユーリんが助かる方法がある」
そんな中、ポツリと亮二が話し始める。
「このままここにいればユーリんは確実に肉体と共に消滅してしまう。でも、今すぐに天界に戻れば、そうすれば天使の住人が本来あるべき姿に戻り消滅はきっと免れる。でも……」
でも天界に戻れば、ユーリはきっと勝手に地上に降りた罪を裁かれる。それがどれほど重い罪なのかはよくしらないけど、少なくともユーリが僕の前に現れることはもう二度とないだろう。
「なにか、なにか他に方法が――」
「……猛」
何か方法がないのか。その言葉はユーリによって阻まれる。もう随分と薄くなっている手が優しく強く、僕の手を握り締める。
「もう、いい」
ゆっくり、しかしはっきりとユーリはそう呟くとベッドから起き上がりふらふらと亮二の方へ歩み始める。
「本当に、いいのかい?」
「本音を言えば、イヤだ。でも、私が消えたら、猛は悲しむ。もう二度と会えなくなる。でも、生きていればまたどこかで会えるかもしれないから」
普段は無口な彼女の精一杯の詭弁。そんな奇跡みたいなことが起きるはずもないのに。
「なあユーリ。本当に、それしかないのか?」
「……そう」
「どうするんだよ。きっと母さん、お前の分まで晩飯作っちまったぜ? 残飯処理なんて、ごめんだからな」
「……ごめん」
「だいたい母さんにはどう説明すればいいんだよ。ユーリは犯罪者だったから天界に帰りましたとでも家ってのか?」
「猛に、任せる」
らしくない、子供のような泣きごとを言う。最初はただ混乱して、ユーリの常識のなさに呆れて、早く出ていってくれ。そう思うこともあったのに。亮二の企みとはいえ、一時はユーリのことを疑って、自分にとってはユーリなんてその程度の存在だと思っていたこともあったのに。いつの間にか僕は、ユーリを失うことを怖いと感じるようになっていた。
今になあって、ようやくわかった。僕は、きっと、
「なんで……こんなに、こんなに僕はユーリのことが好きなのに、なんで……これでも足りないって言うのかよ!」
悔しくて、悲しくて、情けなくて。僕は狂ったように床を拳で打ち付ける。
わかっている。彼女が選んだ選択肢が一番、誰も傷つかなくて済む答えで、正しい選択だって。わかっている。彼女が選んだ道を、僕が邪魔する資格なんてないし、邪魔しちゃいけないってことぐらい。
あぁ、わかっているんだ。だってそれは、ずっと前にした約束なんだから。
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エピローグ「ハッピーエンドの導き方」
赤い夕焼け。二人の子供が手を繋いでいる。一人は少し無愛想で強引な男の子。一人は勝気でお喋りで、ポイ捨てを見ると烈火のごとく怒りだす、きれい好き女の子だ。
いつもの声が聞こえる。彼女の帰りを促す声。でもその日のそれはいつもとは少し意味が違っていて、この土地を離れる少女との長い長い、あるいは永遠の別れを意味していた。
「ねえ、また……会えるかな」
「いい子にしてれば、きっとまた会えるって。お母さんがそう言ってた」
少女の声は震え、今にも泣きだしそうだった。少年も唇を強くかみしめ、今すぐこの手を握ってどこか遠くへ駆け出していきたい欲求を必死に抑え込んでいた。
「どうすれば、いいこになるんだろうな」
「悪いところを直す、とか? たけしちゃんはもう少し人の言うことを聞く様子するってとこかな」
「それならお前はそのお喋りをどうにかしてもう少し女の子らしくすることだな」
そんな憎まれ口を目に涙をためながらお互いに言いあう。それに一頻り飽きると互いの小指と小指を絡ませて約束を立てる。
「指切りげんまん嘘ついたら針十本のーます。指切った!」
そう、僕はあの日、あの時から、もう一度彼女と会うために自分を捨てて、ただひたすらに周りに会わせるようにして生きてきたんだ。人に会わせて、場の流れに合わせて、波風が立たないように、誰も困らないように、自分を殺し続けてきたんだ。
「猛、ごめん。でも、また会えてよかった」
自分が消えそうなのにどうしてだか満足そうに無表情な顔を綻ばせて、ユーリはゆらゆらと右手を揺らしていた。
きっと僕も笑って手を振り返すべきなんだろう。彼女が決めたことを尊重して、笑って送るのがいい子としてやるべきなんだろう。約束を守るなら、きっとそうするべきだし、それが正しい答えだ。
―――あぁ、でも……それがどうした!
身体は勝手に動いた。これからどうすればいいのか、それは僕の身体が知っている。だから僕は身体が動くに任せて、たった一つのことだけを考えればいい。
人の意見を尊重して、波風を立てないように周りに合わせて、自分を殺してまで人のことばかりを考えて、それで何になる? そうすることで一番失いたくなかったものを失うなんて、そんなのは本末転倒なのもいいところだ。
僕がすべきことは単純明快。失いたくないものをこの手でつなぎ止めて、自分の想いをただぶつければいい。
「行くな、ユーリ!」
気がつけば、僕はユーリの手を握っていた。もう逃がさないとばかりに強く、強く。
「約束がなんだ。針十本? 十本と言わずに百本だろうが千本だろうが飲んでやる。いい子にしていなきゃ会えない? そんなもん知るか。僕が好きなのは――」
極度の緊張と混乱で自分が何を言っているのかわからない。亮二が感心したように口笛を吹いていたり、無口無表情がデフォルトなユーリの顔が赤くなったりしているってことはよほど恥ずかしいことを言ったんだろう。
あぁ、この場で消えてなくなりたい。そう思っても繋いだ手だけは離さなかった。ユーリもガチガチに固まった僕の顔を見ると、ふっと表情を和らげて、
「……やっぱり、止めた。最後まで、猛と一緒にいる」
そう言って僕の手を強く強く握り返した。その瞬間、不思議なことが起きた。突如として光が僕らを包み込み、そして……
「ユーリ……その身体」
透き通って幽霊のようになっていたユーリの身体が確かな実態としてそこに存在していたのだ。ただしその背中にはもう、白い翼はなかったが。
「わからない。猛と手を繋いだら、なにか温かいものが流れ込んできて……」
何が起きたのかわからずキョトンとしている僕らを見て亮二が一人苦笑いをしている。少し呆れたように、そして少し嬉しそうに首を振りながら窓に再び足をかける。
「亮二、どうするんだ?」
「どうするもこうするも、俺の仕事は天使ユーリを監視すること。ここに天使は俺しかいないだろう?」
じゃあな、と手を振って「さてと、大天使長にはどう説明しようかな」なんてことをぶつぶつと言いながら亮二は窓から空の彼方へと飛び去っていってしまった。
部屋に残されたのは未だ事態を把握しきれていない僕とユーリ。ていうかこれって、なんだ? 奇跡とやらが都合よく起きてくれたのか?
まるで小説やドラマのようなご都合主義な展開にふつふつと笑いが込み上げてくる。なんというか、今まで自分がやってきたことが馬鹿らしくなってきたというか。
前々から思っていた。もしこの世界に神様がいるなら、そいつはきっと意地悪で、どこまでも気まぐれで、どうしようもないようなろくでなしだって。だったら、場に流されて、運命の通りに生きていたって自分が望む未来にたどり着く訳がないんだ。
あぁ、そうだ。ようやく気付いた。気付くことが出来た。
神様が用意してくれないなら、自分の力で掴み取ればいいだけのことなんだ。強引だろうがなんだろうが、自分にとっての最高にハッピーな終結を創ってしまえばいい。
―――ハッピーエンドの導き方。
「とりあえずその……これからも、よろしくな」
―――それは繋いだ温もりを決して離さないこと。そしてただ、その名を口にすればいい。
「ユーリ」
2010/08/03(Tue)00:20:06 公開 /
浅田明守
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■作者からのメッセージ
皆様はじめまして。あるいはお久しぶりです。一カ月ぶりの投稿、テンプレ物書きの浅田です。
頂いたご意見を参考にしながら結構な改築工事をしてみました。改善になったか改悪になったかは不明。というか相変わらずの中途半端さが……というか第一話の主人公のフラッシュバックが死んでますorz
とりあえずもげきちさんのご意見にあった「主人公の意思が薄い」というのを逆手にとって見ました。意識的に自分の意思を持たないようにする。なんか矛盾しているようでしていないような、そんな微妙な主人公です。
それでは駄文ですがご意見ご感想などがあったらお願いいたします。
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