『ツルバキア(短編)』 ... ジャンル:リアル・現代 未分類
作者:森村樹                

     あらすじ・作品紹介
女子高生のほんのりとした百合(女性同士の恋愛表現)です。

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 ツルバキア


 窓の外に大きく浮かんだ赤い夕日がきれいだった。あたしとユキは窓際にふたりで並んで座っていた。夕日が眩しいからカーテンは半分閉めていた。彼女のおかっぱ頭は、毛先に赤い色を灯して透けていて、それもきれいだと思った。
「かいなひきって知ってる?」
 ユキが突然ぽそりと言った。かいなひき。聞いたこともない言葉だ。あたしは首を振った。そっか、と言ってユキは黙り込んでしまった。言い出したくせに教えてくれないの、と突っこみたいところだったけど、ユキの纏う雰囲気がそれを許してくれなかった。
 今日の彼女には覇気がない。なにか嫌なことでもあったのだろうかと心配になったけど、無理に詮索してユキに嫌われるのが怖かった。ユキはクラスでも一番かわいい女の子だと私は思っているし、成績も優秀だ。そんな彼女があたしなんかを側に置いてくれていることは、あたしの鼻を高くする要素でもあったけど、同時にあたしを不安にさせる要素でもあった。
 時計を見やる。もうすぐ五時になってしまう。電車の時間に遅れちゃうかもしれないな、と思ってあたしは椅子を引いた。
「帰るの?」
 ユキの声が教室に響いた。ここにはあたしたち以外誰もいない。あたしは、少し間を置いてから「電車が行っちゃうから」と言った。ユキはふうん、とつまらなさそうにため息を吐いて、椅子を引いた。思っていたより大きな音がしてあたしは肩をすくめた。
「一緒に帰ろ」
 そう言ってユキがにっこり笑った。ふたりで帰ることは珍しくなかったけれど、ここまで落ちているユキと一緒に二十分も歩けるかしらと、あたしは不安に思った。それでもユキが誘ってくれたことは嬉しかったから、一緒に帰ることにした。

 河原をふたりで並んで歩いた。ユキは自転車を引きながら。今朝雨が降ったせいで地面はドロドロだった。傘をつきながら歩くあたしを見かねて、ユキが自転車のハンドルにあたしの傘をかけてくれた。代わりにあたしはユキの荷物を持ってあげた。そのやりとりをしたきり、あたしとユキは一言も喋らなかった。気まずいなあ、と思った。
「空、きれいだね」
 いたたまれなくなってユキに話しかける。
「そう?」振り向きもしない。ハンドルに掛かった傘が、彼女の歩にあわせて揺れてる。
「ユキはそう思わない?」
「私は眩しくて、嫌い」
 きらい。その響きがあたしの胸に突き刺さる。ユキは物事の好き嫌いがはっきりしている子だ。彼女に嫌われたらどうしようと、やっぱりあたしの思考はそこに行き着いている。ユキが病んでるのがうつっちゃったのかな、とぼんやり考える。遠くでカラスの鳴く声。この不安定な時間帯が、そういう心もちにさせるのかもしれない。
「あたしの彼氏の話、知ってるよね?」
 ユキの話が唐突なのもいつものことだった。あたしは頷く。ユキには近所の高校に通うかっこいい彼氏さんがいて、たまにあたしはその彼にまつわるのろけ話だったり相談ごとだったりを持ちかけられていた。
「昨日ね。別れちゃった」
「え」
「別れちゃった」
 抑揚のない調子だった。なんて声を掛けてあげたらいいのか全然わからなくて、あたしは口を半開きにしたまま歩いていた。
「あの人、意外と危ない人だった」
「危ない?」
「昨日突然カッター出してきて、私の目の前で手首切ったの」
「えっ?」
 びっくりした。ユキの話の中に出てくる彼は、野球部の部長で、勉強は少し苦手だけどやけに雑学に明るくて、写真の中ですっごく爽やかに笑っている人だったのに。あんな人がカッターを持つことすら想像できないのに、手首を切るなんて、もっと想像できなかった。
「縦に切ってた。それでね、かいなひきってわかる?」
「わかんないよ」
「腕を引くって書いて、腕引。お互いの腕に傷を作って、その傷から出る血を舐めて、契りあう儀式なんだって」
 いくら彼氏だって、他人の体から出てきた血なんか舐めたくないよね、とユキが苦笑いする。今日初めて見る彼女の笑顔だった。あたしは、そうだね、と言いながら、ユキに頼まれたら、ユキの血なら、舐めてもいいかもと考えていた。
 その短い話の最中、ユキは全然こっちを見ない代わりに全然泣かなかった。声も揺らさなかった。喋っている間も歩調は緩めなかったし、なんといってもあたしの傘をハンドルに掛けてくれた。あたしは彼女のそんなところが好きだ。
「それで、まあ、別れちゃった」
「そうなんだ」
 ぎゅ、と喉のあたりで変な音がした。なにか言おうとしたのに、音にしようとする寸前に忘れてしまったのだ。あたしは何を言おうとしたんだっけ?

 ユキはあたしの奇妙な様子に気づいているのかいないのか、また突拍子もない話を始めた。
「毒蛇に噛まれたら、傷口から毒吸い出すんだって」
「そうなんだ」
 知ってたことだけど、一応あたしは初めて知ったような素振りをした。
「もしあんたが毒蛇に噛まれたら吸ってあげる」ユキは不思議な冗談を言う。
「あはは」
「もし私が噛まれたら吸ってくれる?」
 ユキの声がここに来て少し揺れたようだった。あたしは迷わずに、いいよと答えた。ユキが初めてこっちを見た。落ちかけた夕日を背にして、彼女の顔は逆光になっていたけれど、お願いだから泣かないで、と思った。
「さっきの話、嘘だって言ったらどうする?」
「は?」
「彼氏と別れたとこまでは本当」
 あたしはいよいよ、ユキの言いたいことがわからなかった。いつの間にかふたりとも立ち止まっていて、電車の時間はもう過ぎてしまっていた。
 どれくらいの間そうしていたかわからないけど、やがてユキはふっと笑って前を向いた。
「電車、大丈夫?」
「ぜんっぜん間に合わない」
「じゃあ、あそこ寄ってかない? おごるよ」
「い、いいよそんなの。悪いよ」
「いいからいいから。変な話聞かせちゃったお詫び」

 その後ふたりで駅前にできたお店に入って、予定してた電車より二本も遅れた電車に乗って帰ってお母さんに怒られた。
 あの時のユキの話の意味を知るのは、この時点から八年も後、あたしが子供を産む時になってからだ。

2010/06/10(Thu)21:25:41 公開 / 森村樹
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■作者からのメッセージ
2年ほど前に書いた作品ですが、思い入れがあったのでここに投稿してみます。つたない文章ですが、読んでくださった方いましたらありがとうございました><

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