『それは鎮魂歌』 ... ジャンル:リアル・現代 ファンタジー
作者:ガサラ
あらすじ・作品紹介
闇夜の歓楽街の現れた人ならざる者。闇夜に響き渡る咆哮。平和な生活を送ってきた家族はその出現により運命を捻曲げられてしまう。一家の大黒柱繭神が過去の鎖に縛られる中、家族である左京はその怪物に襲われてしまう。
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人間、それは自らの意思を持ち考え行動する生命体。この星の生命体の中で頂点に君臨していた者たちだ。
人間の探求は飽くなきまで続き、その所業は神をも冒涜する勢いにあった。
誰かが言った。
「この世界には神などというものは存在しない。ならば、何故我々は生まれたのか?その過程には何があったのか?我々にはそれを知る権利と力がある。そして。その謎が解けた時、我々人類は更なる生命体へと進化を遂げることであろう」
遥か昔に人類は神に対し宣戦の狼煙を上げたのだった。
彼らは我等こそが進化するに相応しい生命体と信じて疑わなかった。それどころか神をも見下す所業を行おうとしていた。
その時、彼らはそれが破滅への始まりだと気づいていなかった。
序 渦巻く業
時は現代。賑う繁華街、さまざまな人たちが行き交い所々で談笑が聞こえる。そして、今宵もまた、忘れ去られた古き呪いを受けた者が一人世を闊歩していた
賑う街の路地裏をその男は歩いていた。耳まで裂けんばかりの笑みを浮かべながら。
「へへっ、やっと、やっとだ。やっと力が手に入った。もう俺は負け犬なんかじゃない!」
男は静かに、だが怒鳴るような暗い声で呟き、痩せ細ったその拳を震わせた。
男は注射器を取り出すと躊躇いもなく首筋に打ち込んだ。
空気が抜ける音を発しながら注射器の中に入っていた液体は見る見る内に男の体内へとはいっていた。
男の体は震えだし手の中から注射器がするりと落ちた。地面に当たった軽い音が響いたが周りには人はいなく無機質な闇が男を見据えてるだけだった。
男の痙攣は次第にひどくなりその場に倒れこんだ。男は痙攣し吐しゃ物をまき散らしながらも笑みを浮かべていた。そして彼の瞳は淡く輝いた。
肉が裂け骨が軋む音が辺りに響いた。裂けた肉の中からは出たのは鉄であった。
「がああぁ!」
彼が叫んだ瞬間、彼の肉という肉は裂けその内側から無機質な人型のシルエットが生まれた。それはあちこちを鉄の鎧で纏い、その下には再生成された筋肉とチューブが体中を這っていた。それは動く度に軋んだ音を発し、生々しい蒸気を噴出していた。
まるでそれは人間を取り込んだ機械であった。その機械は腕を凝視し自分の姿を確認すると言葉では無い叫びをあげた。
その瞬間、耳を劈くような銃声が響き、機械の右腕は離れた主の体を見ていた。
呻き声と共に化け物はその場に倒れこんだ。その後ろには巨大な回転式拳銃(リボルバー)を二挺携えた男が凛と立っていた。
「今宵もまた哀れな魂が闇に落ちましたか。」
男は悲しくも冷徹な声で呟く。
化け物は撃たれた傷をものともせず、男目掛けてその剛腕を振り下ろした。その威力はコンクリートを砕き地割れを起こすほどだった。しかし、そこに男の姿は無く、ただ砂埃が舞っているだけだった。
「こんなものが出回るなんて世の中物騒になりましたね」
化け物が立ち上がろうとした瞬間、その後頭部に鉄の塊が静かに当たった。すでに男は化け物の後ろを取っていたのだった。
「願わくばその御魂が浄化されることを。」
そう吐き捨てると男は躊躇なく引き金を引いた。
化け物はその場に崩れ落ち、灰と化した。
「私はどうすれば。もう終わったはずなのに」
男は呟く。紅く染まったその身を月明かりに照らしながら。
一 廻り始めた時
夜が明け朝が来る。その輪廻を繰り返しながら人は成長し学び死んで逝く。先程までの夜が明け人々は今日も生きる。己のすぐそばに佇んでいる闇の存在に気付かずに。
ただ、この者達だけは違った。高級なマンションや家屋が建ち並ぶこの通りに一軒だけこの場所に適してない建物がある。築三十年経っているような古臭い建物だった。この、地震が起これば真っ先に潰れそうな家屋にその者達は住んでいる。
コーヒーを啜りながら新聞に目を通す。
「一週間前から失踪中の某大企業の元社長の持ち物が昨夜、某繁華街路地裏にて発見。元社長の姿は無く、免許証、財布、破れた衣服、そして一面に彼のものと思われる血が付着していた。殺人の関連性もあるとみて引き続き警察は捜査に全力を注ぐとのこと…か。」
青年は誰に言うわけでもなく呟き終わると、その場で体を伸ばしだらしのない顔全快であくびをする。すると背後から男が青年が読んでいた新聞に手を伸ばす。
「あっ、繭神さん、おはようございますぅ。」
青年はあくびのせいか、眼に涙を溜めながら男に挨拶した。
「おはようございます。左京君。」
男は微笑みを浮かべながら挨拶をすると早速新聞に目を通した。
「世の中物騒になりましたね。一層用心しなければなりませんね」
この男こそこの店の店主である黒薙繭神(くろなぎけんしん)、その人である。長身で眼鏡をかけ常に笑顔を絶やさない、そして少し青みのかかった髪が特徴的な人物である。
そして、眠気眼でコーヒーを啜っている青年は鈴鳴(すずなり)左京(さきょう)。顔立ちは女の子と間違われたこともあるくらい童顔。訳あって繭神のお世話になっている。一応高校二年生である。繭神のコネで途中入学させられたらしい。
「そういえば纐纈さんはどうしました?もうすぐ学校へ行かなければいけないでしょう?」
眼鏡を拭きながら何となしに繭神が言う。
「今頃グーグーいびきでもかいて御就寝中じゃないですか?ハハ―――!」
笑いかけたその時、左京の後頭部に拳がめり込み、その反動で手に持っていたマグカップの中身が顔面にかかった。
「ぎゃああああぁ!」
あまりに熱かったのか近所迷惑と思えるくらいの叫び声を出しながら洗面所へ駆けて行く左京であった。
その後ろで怒りに満ちた表情で立っている制服姿の女の子が一人。
「だ〜れがグーグーいびきかいて寝てるですって?」
この子が綾瀬永実(あやせなみ)である。左京と同い年の凛のとした雰囲気を常に絶やさない少し大人の雰囲気を持った女性である。彼女も訳あって繭神にお世話になり左京と共に途中入学させられたらしい。
「お前何すんだよ!?」
顔を水浸しにしながら洗面所から出てくる左京に永実は呆れたように言う。
「あなたねぇ、後5分で家から出ないと遅刻なのに、なんであんただけまだパジャマのままなのよ!」
永実の言うことは最もである。永実は制服の姿に身を包み準備万端である。それに対し左京はパジャマ姿(コーヒーの染み付き)に寝癖MAXの状態である。
「わかったよ、今やるから。」
そう言いながらソファーに寝転がる左京を見て永実の頭の中の何かが音を立てて切れた。
物音を立てずに左京の後ろに忍び寄ると先程のものとは比較にならないくらいの本気のパンチを左京の頭に目掛けて繰り出した。
「ッ!」
あまりの痛さと衝撃に叫ぶことも許されない左京。
「ほら!部屋にいって着替えるわよ。本当にあんたは私が付いてないと駄目なんだから。」
そういうと半ば強引に左京の手を引っ張り二階の部屋へと連れて行く。
「わかったよ、だから手掴むなよ!」
少し顔を赤くしながら必死に振りほどこうとする左京。
「これが相思相愛ってやつですかね〜」
新聞を見ながら二人には聞こえないように呟く繭神。程なくして荒い足音と共に一回に降りてくる二人。すると左京は先程までとは見違えるほどに凛としていた。制服に身を包み髪はワックスでビシッと決まっている。
「じゃあ、繭神さん。家のことよろしくね。」
永実は元気のいい声と共に繭神に手を振る。
「行ってきま〜す」
それとは正反対にあくびをしながら無気力に手を振る左京。
「二人とも行ってらっしゃい。今日の晩御飯は御馳走なので早めに帰ってきてくださいね」そう笑顔で二人を見送り一段落…と、いきたかったが繭神にはまだやるべきことが残っていた。
「ふう、朝から元気なのはいいですが散らかすのは勘弁してほしいものですね…」
繭神の目の前には凄惨な光景が広がっていた。床とテーブルにこぼされたコーヒー、左京が使ってそのまま近くに放置されたフェイスタオル、テーブルと流し台にはそのままにされた食器類、そして恐らく左京の部屋に放置されたままの染み付きパジャマ、それらを片づけるのも繭神の仕事なのである。普段は永実も手伝うのだが朝は大抵繭神の仕事になってしまう。それにしても、外見とは裏腹に中は高級マンションにも引けを取らない豪華さである。しかし、この有様ではその豪華さも台無しである。
「さて、始めますか…」
溜息をつきながら掃除を始める。こうして黒薙家の一日は始まった。
息を切らしながら校門へと走る永実と左京。
「なんでこんなに走らなきゃいかないんだよ!?」
左京が息も切れ切れに言う。
「あんたが朝から余裕ぶっこいてるからでしょ!」
その最もな言い返しに何も言わずに校門へと駆ける。
「じゃあまたお昼にね。」
そう言いながら手を振ると永実は隣のクラスに入って行った。左京と永実は学校は同じだがクラスまでもとはいかなかった。この学校ではこの都市では一番有名な高校である。
朝からだるいな〜オーラをまき散らしながら左京はクラスに入る。
「よう!左京!」「あ〜左京ちゃん、おはよう」「オッス、左京」
いろんな男女が左京に挨拶をしてくる。意外と人には好かれるらしい。それとは逆に左京はめんどくせえと言わんばかりの目つきで彼らを見つめ『ウィッス』とこの一言で終わらせる。
こんなやり取りが毎日続く生活を左京は正直楽しんでいた。退屈では無いと言うと嘘だが、こんな無愛想な自分を構ってくれる人がいるだけで彼は幸せだった。実は左京は繭神に会うまでの記憶がない。聞く所によると彼に会う前に酷い事故にあったらしい。医者は外傷的ショックによる記憶喪失だと言っていた。しかし、彼は過去については興味がなかった。彼は時々思うのだが昔はあまり幸せな人生を送ってなかった気がするように思えるのだ。もちろん確証はない。ただ彼は今の生活が続くことを切に願っていた。そんなことを考える頭をもっていることを知らない誰かが彼の頭を叩く。
「な〜にシリアスな顔してんだよ!」
噛みたての甘いガムの香りと共に友人が彼に吹きかける。
「朝から甘い臭いを嗅がせるな。今日は何味なんだ?」
わざとらしく鼻をつまみながら彼に問う。
「杏仁豆腐味」
彼もわざとらしく息を吹きかけながら答える。
「島木、勘弁してくれよ、マジで吐きそう」
寝不足の彼にとってその甘ったるい臭いはきつ過ぎた。
「マジで気分悪くなってきた。ちょっと便所行ってくる」
友人に断りを入れると左京はトイレへと走って行った。ついに彼は我慢できず便器に吐しゃ物を撒き散らした。しかしそれは今まで見たことのないものだった。それは黒い液体だった。左京は激しい動揺に襲われたがお構いなしに黒い液体は次々と口から吐き出された。まるでオイルのようであった。左京は考えるより先にレバーを倒しそれを水で流した。
「今のは一体なんなんだ?」
一度深呼吸をし、なんとか平常心を取り戻そうとした最中、彼を目眩が襲った。自力で立つのは不可能だった。
「お〜い、左京大丈夫かぁ?」
島木の声がした。彼は必死にもがきトイレの扉を開けた。
「お、おい!大丈夫か?」
「はぁ、―――た、助かったよ。」
口を拭いながら左京は荒い息と共に礼を言った。が、島木は状況が読めないのかポカーンと突っ立っている。
「大丈夫かよ!顔真っ青だぞ?」
そう問いかける友人に手を貸してもらいなんとか立ち上がる。少しばかり膝が笑っていた。先程の影響だろうか目が若干霞む。
「悪い、ほ、保健室まで連れて行ってくれないか?」
情けなしと思いながらも友人に頼み、手を借りながら必死の思いで保健室までの道のりを歩いた。左京は自身の体をベッドに向け乱雑に投げ入れた友人に礼を述べ彼を見送った。口内の気持ち悪さに嫌悪感を抱きつつ彼を知らぬ内に静かに眠りへと堕ちて行った。
時を同じくして繭神は掃除が終わったばかりの部屋でコーヒーを独り啜っていた。しかし、その部屋には和むという雰囲気には程遠い、何か張り詰めた空気が満ちていた。
「――――このまま見過ごしてくれる訳ではなさそうですね…」
テーブルに立て掛けてある写真立てを見つめながらボソリと呟く。そこに映るのは楽しそうに笑う左京、永実、そして繭神であった。我が子を見るような、それでいてどことなく寂しそうな顔をしながらその写真に見入る。
「私はもう、大切な人達を失いたくはない。――――しかし…」
繭神は消え入るような擦れ声でそう言うと震える拳でテーブルを叩く。倒れたカップからコーヒーが流れ出しその滴が音を立てて床に弾ける。
彼の中で不安と焦燥だけが募っていた。もし、繭神が動けば彼らの日常生活は泥で作った城が雨水に流されるが如く溶けて無くなるだろう。しかし、彼が動かなければ左京と永実の他にも何千万、何億という人間が犠牲になるかもしれない。昨日まではなんとか気付かれずにやれていたが、あれは単に人間を殺しただけでしかない。彼らを醜い悪鬼へと変貌させた本体を叩かなければ意味がなかった。
そして、その本体を叩くとなれば今までのような戦いではとても無理だった。本格的に戦うとなれば彼の、いや、彼と彼に関わる人々が明るみに晒され、それは更なる敵を呼ぶことを意味していた。
繭神にはそれが分かっていた。分かっているからこそ彼はこれ程まで焦っていた。大切な者の眼前までそれが迫っていると悟ったからだ。
彼が黙考する中、時は静かに、だが確実に動き出していた。
――――どれほど眠っていただろうか。体が気だるい。陽が傾き窓から見える世界は橙に染められていた。下校時間だろうか、賑やかな声が窓越しから聞こえる。重たい瞼を擦り天井を見つめる。普段と変わらない保健室の天井が左京を見つめ返す。
ふと、壁のほうに寝返りをうつ。そこには目を細めながら見つめる二つの眼があった。
「ひゃあっ!」
予期せぬ事態に頓狂な声を漏らし、ベッドから飛び起きた。その隣にはじとじとした視線を送る永実の姿があった。
「お前何してんだよ!」
左京は眼を泳がせながら永実に怒鳴る。対する永実は相も変わらず目を細めじっと彼を見つめていた。
「何してるとはご挨拶ね。あんたの為に一時間もここで待ってたのよ?労いの一つでも言って欲しいものね」
「別に頼んでないだろ?それに待たなくたって起こせば良かっただろ」
左京はそう言いながら手ぐしで髪を整える。窓の外には下校する者、部活に励む者などが見えた。1時限目すら出れずに今まで眠っていた左京にとってはまるで自分だけが時間に置いて行かれたような気分だろう。
「起こしたけど一向に起きなかったのよ。それに繭神さんが今日は御馳走って言ってたじゃない?夕飯に遅れたらこの前みたくなっちゃうわよ!」
それを聞いて左京は苦虫を噛み潰した。前にも御馳走の日があったのだがその日に限って二人は帰り道に買い食いをして晩御飯に遅れてしまったのだ。その時の繭神はまるでこの世の絶望に直面したかのように生気のない顔をし、真っ暗闇の居間で一人、彼らの帰りを待っていたのだった。そしてその日、彼は部屋に閉じこもってしまったのだ。慌てた二人は食卓に放置された目を疑うような絶品料理を無理やり胃に流し込みなんとか繭神を立ち直らせた。
その時のことを思い出してか左京の顔が見る見る強張る。
「永実、急いで帰るぞ!」
そう叫ぶと二人は保健室を飛び出した。靴を履き変え校門へと向かう。ふと視線を感じ、振り返るとそこには2階の教室に呆然と立つ友人、島木がいた。
「わりぃ、先に行っててくれ!」
そう言うと左京は教室を目指し走る。
「ちょ、ちょっと!晩御飯までには帰ってきてよ!」
その叫びを背に左京は学校へと消えて行った。
「そういえばあいつに借りたCD今日返すって言ってたな」
そう呟きながら彼は廊下をひた走っていた。すると軋んだ音と共にドアが開きゆらりと人が出てきた、島木だった。
「よう、島木。借りてたCD返し――――」
左京の声が止まった。島木の様子がおかしい、そう察したのだった。そしてそれは的中していた。
彼はおぼつかない足取りで歩いてきた。目は虚ろ、口からは涎を垂らし必死に左京に手を伸ばす。
「に、にげ…ろ。は…やく!」
島木は苦渋に満ちた顔を更に歪めながら絞り出すように叫んだ。しかし、左京はそれに応えることが出来ずに立ち竦んでいた。その間も島木の顔は苦しさに歪み、遂にこと切れたかのようにその場に倒れる。
「し、島木?」
左京は倒れた彼を介抱しようと近づいた。その時彼の体がドクンと波打つ。左京は反射的に身を引いていた。島木の体は次第に強く痙攣してゆく。そして痙攣が治まったかと思った時、彼の体がまるで糸で背中を引かれるかのように力なくすっと立ち上がった。
彼が一歩間合いを詰めるとその分左京が一歩退く。彼が動く度に骨が軋むようなぎこちない音が聞こえる。その時、彼の肉は裂け、臓腑は爆ぜ一面を汚れた赤で染めて行った。しかし、そこには人影が立っていた。無骨な鎧の下に剥き出しの筋肉とまるで生きたようにうねるチューブを這わせた何かがそこには確かに立っていた。左京は眼前に起こった出来事が全く把握できなかった。
―――島木が消えた?いや、確かに島木は今俺の目の前で爆発した。じゃあ今俺の目の前にいるコレは一体何なんだ?
彼の思考からも虚しく具体的な答えは出なかった。しかし、先程まで左京の目の前に立っていた友人は肉塊となり果て四方に散らばっていた。そして目の前に立つソレが現れた、いや、生まれたのだ。
その時、立ち尽くしていたソレが錆びついた機械音と共に動きだした。生々しい蒸気を発しながらソレはゆっくりと一歩を踏み出す。
左京は咄嗟に後ずさった。彼の全身が彼に対し警鐘を送っていた。大量の冷や汗がで、動悸が激しくなる。左京はその警鐘に従い、壁を伝いながら逃げた。一歩一歩力が抜けるのを押さえながら必死に廊下を歩いた。その時ばかりは廊下がいつもの何倍にも長く感じ取れた。
「っ!」
言葉にならない声を漏らしながら左京は後ろへと振り返った。それは一歩踏み出したまま、立ち尽くしていた。しかしソレの体からは常軌を逸脱した何かが左京へと発せられていた。それは殺気に限りなく近かったがそれとは別のものであった。
突如、ソレはこちらに顔を向けそのまま小刻みに震えていた。左京は何が起こったのか分からず、今のうちにと振りかろうと思ったが彼は動けなかった。左京は目の前のそれが自分を見て笑っていることに気づいた。無骨の仮面の下で、無数の眼で左京を見据え、無き口を歪に歪ませながら笑っている。左京はそれに気づいてしまったのだった。
島木だった化け物はゆっくりと歩み始めた。無骨なガントレットから生えた鈎爪を翳しながら。
左京はとうとう足が動かなくなりその場に呆然と立ち尽くすしかなかった。いつ殺されるかわからない恐怖の中、左京はソレから目を離すことが出来なかった。
その時、廊下のガラスが音を立て割れた。左京は思わず足を止め音の方へと目をやる。だが、そこにはただ割れたガラスが散らばっているだけだった。その次に化け物の方へと目をやる。しかし、彼の姿は先程までと違い歪んでいた。唯、それは透明な何かで遮られてるようにも見えた。
ふと、人の肌の感覚が左京の顔を覆った。それは、大切な人を包みこむ温かさと全てを突き放す冷たさを併せ持っていた。そして冷たさが牙を剥いた。左京の顔を通じて彼の脳へと直接衝撃を注ぎこまれ廊下の端まで吹き飛ばされた。
――――赦さないでください、クロエ。
冷たい囁きが彼の頭の中に木霊する。しかし、どことなく懐かしい雰囲気に包まれながら彼の意識は一度途切れる。
化け物は左京が吹き飛ばされた方向を睨んでいた。ただし、左京ではなくもっと近く、眼の前の歪みに対してだった。咄嗟に化け物はその鋭利な爪を振り下ろす。すると、眼の前にあった歪みが裂けそれを纏っていた者が現れる。
鋭い眼は眼鏡の下から全てを見据え、その長身は現代の服装に似つかわしくない衣を纏い、闇夜と共に佇む空の様な淡い蒼を連想させる髪が割れた窓から吹く風に靡いていた。
その者こそ向こうに倒れている左京の保護者、黒薙繭神であった。そして巨大な回転式拳銃(リボルバー)をその左右の手に携えられていた。
「嫌な予感はしていましたが、まさか直接狙いに来るとは少々驚きです。」
するとパチパチと乾いた拍手が廊下中に響いた。繭神が音がする方へ眼を向けると、教室のドアからその声の主は現れた。
「驚いてるのはこっちだぜ。俺が来るのはわかってたんだろ?」
それは金髪にオールバックという出で立ちの若い男だった。
「これだけ派手に動かれては警戒しないわけにはいきませんからね。それに貴方達は私と同郷のようだ。フェネル公の差し金と私は踏んでいるのですが?」
そう言うと繭神は静かに撃鉄を起こす。殺気が全身から発せられ床に散らばったガラスが音を立てて震える。
「その通りだ。黒薙繭神、いや、ガリアス・ソー・マリアス大佐。いや、元大佐か」
男が言い終わった瞬間、銃の撃鉄は振り落とされていた。銃から発射された弾丸は瞬きする間もなく、島木と化した化け物に命中した。化け物の頭は木端微塵となり、残された体は力なく倒れた。
「貴方はもしや軍の方ですか?」
その声は普段の繭神からは想像できなないほど重く冷たかった。
「そうさ。グラース・ミナタ中尉だ。最もあんたが軍にいた時は軍曹だったが」
グラースは薄っすらと笑みを浮かべた。彼はポケットに手を突っ込み、背中を壁に預けた。
「マリアス大佐、そろそろ本題に入らせてもらうが、そこのガキを渡してもらうか」
「断ります」
間髪入れず繭神は吐き捨てた。
繭神の答えにグラースはやれやれと言わんばかりに頭を掻いた。そして、羽織っていたコートの中に手をやると、ゆっくりと引き抜いた。70センチくらいの棒だ。いや、それは剣の持ち手の部分、柄だった。
「出来れば穏便に事を済ませたかったんだがな」
「左京さんを襲っておいて穏便とは何とも矛盾してますね」
繭神は小馬鹿にするかのように鼻を鳴らす。
「それを仕込んだのは俺じゃない。あんたが相手にしてた奴らに種を植え付けたのも違うやつさ。俺は関係ない。」
足元に転がる肉塊を指差しグラースは言った。
「…貴方達の目的は何ですか?私たちを襲う理由はあっても街にナノマシーンをばら撒く必要は無い筈」
「それは俺にも分らんね。所詮俺は下っ端だ。お偉いさんの考えてる事までは教えてもらえんさ」
そういうとグラースは持っていた柄を勢い良く振った。そして振り下ろされた柄の先にはガラスの様に薄く透けた赤い刀身が伸びていた。
それを見た瞬間、一瞬繭神の顔が鬼の様な形相となった。
「ミナタ軍曹、あなたがそれを使えるということはまさか!」
「そのまさかさ、あんたと同じヴァイルだよ」
それを聞いた瞬間、グラースの眼前からは繭神は消えていた。しかし、グラースの後頭部には凍えるほど冷たい銃が当たっていた。
「流石は大佐の名前はだてじゃないね。―――-だが俺もヴァイルの一員だ!」
そう叫ぶとグラースは背後めがけ剣を振った。しかし、その刀身は銃のグリップによって止められていた。間髪いれずもう一丁の銃がグラースの眉間めがけて火を噴いた。
それを反射的に躱しグラースが一旦退く。一瞬の出来事だった。
グラースの額からは赤黒い禍々しい色をした血が一筋流れ出ていた。額に手をやり流れ出た血をそっと拭い取る。悪鬼の様な形相で手についた血を舌で舐めとり武器を持つ手を力強く握りなおす。
「ふぅ、流石は特務部隊隊長、一線を退いてもこれ程の力か…全く恐れ入るぜ」
額に血を滲ませながら呆れたように笑う。一方の繭神は鋭い眼光はそのままに、ゆっくりと撃鉄を戻し片方の銃をホルスターへと戻した。
「貴方にはまだ私の力などは欠片も見せていませんよ。現役がロートルに後れを取るとは軍の質も落ちたものですね」
その言葉にグラースはハッと声を鳴らす。
「悪いが俺はまだヴァイルの中ではルーキーなんだよ!それに力を見せていないのは俺も同じだ!」
そう叫んだ瞬間、グラースの腕は機械音を立てながら変形しチェインガンへとその姿を変えた。そして、その銃口は間違いなく繭神を捉えていた。
グラースの口元が吊り上がると同時にチェインガンは回転を始め唸りを上げた。おびただしい数の銃弾が繭神目掛けて発射される。しかし、その瞬間、繭神はその場から消えた。銃口から撃ちだされた銃弾達は空しく空を貫いた。間髪入れずにグラースは背後に渾身の一撃を斬りこむ。しかし、何かに斬撃は阻まれ辺りには鋭い火花が散った。そこには消えたはずの繭神が不敵な笑みを携え立っていた。驚いたのはグラースが放った一撃を止めたのは繭神の腕だった。生身の人間であれば間違いなくそこから上が吹き飛んでいただろう。それほどの鋭さと力、速さがあの一撃には乗っていた。その証に廊下の壁には繭神の腕の間隔だけ空いて真空の刃で出来た斬撃がめり込んでいた。
「!?」
驚きに目を丸くしたグラースの額にはまたしても死の臭いが纏わりついた銃口が当てられていた。
「反応速度は良し。只、応用力に欠けますね」
ダメ出しをしながらずれた眼鏡を空いている手で掛け直す繭神。
「ですが今の斬撃は中々のものでしたよ。さらに精進なさい」
まるで幼い子供たちに諭す老いた道場主のような口ぶりだった。だがその穏やかな口ぶりとは裏腹に額に当てられてる銃からは殺気が微塵も消えてなかった。それを察知したのだろうか、グラースの顔からも先程の余裕は消え失せ、焦りと恐怖が滲みだしていた。
しばらくの沈黙の後、深く嘆息しながら繭神は静かに銃をホルスターへと戻した。
「な!?」
グラースが訳がわからないという表情を見せた後、咄嗟に繭神との間合いを空けた。
「どういうつもりだ?」
「もう貴方から殺意は感じられない。とっととそこの残骸と貴方が設置したシールドも解除して失せなさい」
それを聞き、グラースは力が抜けた笑い声を廊下に響かせた。
「流石だな、全てはお見通しって訳か」
刀と腕の銃を戻し、グラースはゆっくりと怪物に残骸に向って歩き出す
2010/07/24(Sat)20:23:23 公開 /
ガサラ
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