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『シンクロニティー 『出会い編』』 ... ジャンル:リアル・現代 ミステリ
作者:鋏屋
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あらすじ・作品紹介
渋谷署刑事課の婦人刑事、胡桃田 茜【クルミダ アカネ】はある日、万引きをしようとしている少年を任意聴取した。その少年はとても魅力的な容姿を持つミステリアスな美少年だった。少年の名は真堂 九籠【マドウ クロウ】茜は九籠の容姿もさることながら、まるで茜の考えていることを先回りして喋る不思議な物言いをする九籠に興味を持った。やがて2人は親しくなっていくのだが……『シンクロニティー』という特殊な感覚を持つ少年、真堂九籠。他人からは理解されにくいその感覚は、彼に何をもたらすのか?
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序
「はいそこまで!」
私がそう言ってまだ会計を済ませていない2本目のボールペンを自分の鞄に押し込もうとしていた右手首を掴んだ瞬間、その少年は我に返ったようビクッとして私の顔を見た。 首に下げたヘッドホンからはジャカジャカとアップテンポの音が漏れだし、私は『こんな捕り物の現場にそぐわないBGMだな』と思いながらその少年の顔を覗き込んだ。
おおぅ! なかなかの美少年!
少し彫りの深い目鼻立ち、女性を思わせる切れ長の目元。そして伸びた前髪の隙間から若干色素の抜けた茶色の瞳が不思議そうに揺れていた。
その顔立ちは青年と言うには少し足りないような幼さを残し、まるで強く扱ったら砕けてしまいそうな、そんな危うい印象すら感じる。
まさに美少年と言うに相応しい…… 私は一瞬その少年のそんな美しさに心を奪われた心境だった。私はそんな心の中身を悟られまいと、毅然と彼に言った。
「君、ちょっと良いかな?」
私のその言葉に、彼はまた不思議そうな顔をしたが、私が握っている右手に視線を移した後、まるで今納得がいったと言う感じでため息を吐き、頷いた。
私は彼の手を引きながら、売り場から少し離れた非常口近くの物品棚の隣まで彼を誘導した。ここからならレジから見えないし、あまり人気のないコーナーなので客も来ないだろうと思ったからだ。
「何で連れてこられたか、わかってるよね?」
その私の問いに、その少年は少し目を伏せながら頷いた。
やばっ、か、可愛い…… って、イカンイカン。
「鞄の中、見せて貰っても良いかな?」
「鞄の中、見せてくれない?」
はぁ?
私の言葉と同時にその少年は私と同じような言葉を言って、自分の鞄を開いた。覗き込むと先ほど入れようとして、未だに手に持っているボールペンと同じ種類のボールペンが2本入っていた。どうやら私が見る前にも1本入れていたようだ。
「コレはまだ会計を済ませてはいない物だよね?」
「コレは犯罪だよ?」
また彼は私と同時に喋った。しかも今回は私よりもストレートな言い方で、私が言わんとしていることを言った。私の想像通り、その声もなかなか魅力的だったが、その人を馬鹿にした行為にカチンときた。
「あなたね、大人を舐めるのもいい加減にしなさいよ!」
私はちょっと声を荒げてその少年に言った。
「別に…… 舐めてなんかいないよ、刑事さん」
その少年は少し疲れた様子でそう言うと、首に掛かっていたヘッドフォンを掛けようとした。私はすかさずその手を掴み、もう一度少年を恫喝した。
「それが舐めているって言ってんのっ! 人が話してるのに何よそれっ!」
私がそう言うと、その少年はもう一度ため息をついてこう言った。
「店を出てからならわかるけど、この時点じゃ補導できないんじゃないですか? 僕がこのままレジに持っていくつもりだったって言ったら、どうするつもりなんです?」
その少年は澄ました顔でそう言った。
「任意で聞くことだって出来るの。私はまだ君に『万引きしましたね』って言ってないでしょ。それに、レジ抜けしてからだったら君は完全に現行犯で補導されてるわよ?」
私はそう反論した。確かにこの時点では『万引き』としては成り立たない。そうしても良かったのだが、私はあえてこのタイミングで声を掛けた。
ちょっと私好みの美少年だったから…… いやいやいや
管轄外と言うこともあるが、この少年を見た時に、何故かその仕草が不思議だったのと、彼が鞄に入れていた物のギャップが、私にこの少年への興味を駆り立てたからだった。
彼が鞄に入れていたボールペンは、どれも可愛いマスコットを頭に乗せた、女の子が好んで使う品物だった。
「にしても…… 管轄外なんでしょ?」
私はその彼の言葉に驚いて一瞬言葉を失った。
あれ? 私今刑事課って名乗ってないよね?
私が驚いて彼の目を見ると、彼はその視線を私の後ろに向けた。私は不思議に思ってその視線に引きづられる様に、彼の視線の先を追った。するとその視線の先に、先ほど彼がボールペンを鞄に入れていた売り場の棚の影から、セーラー服を着た女の子がこちらを伺うように見ていた。
その女の子は私の視線に気づくと、ビックリした様子で慌てて視線を逸らし、レジの向こうにそそくさと消えていった。
「君の知り合い?」
私は振り向いて少年に聞いた。その少年はしばらく少女が去っていった先を眺めながら、呟くように言った。
「知らないよ……」
少年はそう言って私を見た。私を見つめるその瞳は、何故かとても孤独で寂しさを含んだ色に私には見えた。
「もう良いですか、刑事さん」
その少年の言葉に、私ははっと我に返り言った。
「良い訳無いでしょ」
そう言って私はバッグから警察手帳を取り出し、シャープペンをカチカチならして少年に名前を聞いた。
「クロウ……」
その少年はそう呟いた。
クロウ……
私は一瞬考え、それがどうやら名前なのだと理解した。しかしクロウって名字なの? 名前なの?
「フルネームでお願い。あ、あと住所と年齢、それに通ってる学校名もね」
私の質問に、その少年は少しめんどくさそうな表情をして答えた。
「マドウ、クロウ。17歳。住所は杉並区浜田山……」
「ちょい待って、どんな字?」
マドウなんて名字を初めて聞いた私は、その漢字が全く浮かんでこなかった。
「真実の『真』にお堂の『堂』でマドウ…… 漢数字の『九』に『龍』って書いてクロウ」
真堂 九籠【マドウ クロウ】
私はその漢字を手帳に書き、その上に小さくカタカナでフリガナを書き込みながら、心の中でその少年の名前を2回ほど繰り返し、不思議な音の名前だなと思った。でも何だかこのちょっとミステリアスな少年にはピッタリのように思えた。
「学校は何処? 17歳じゃ高校3年生よね?」
「……高校には行ってません。通信制高校です」
その九籠の答えはちょっと以外だった。そんな風に見えなかったからだ。こう見えて、実は引きこもりなんだろうか?
それから私は九籠が言った住所を手帳に書き写し、手帳をバッグにしまい込み、九籠に質問した。
「それで、認める気になった?」
私の質問に九籠は少し考え、それから黙って頷いた。
うわ、なんか可愛い♪ うんうん、やっぱり素直な男の子は可愛いね。
「なんでこんなコトしたの? それもこんな女の子が使うような物ばかり……」
私はそう言って3本の可愛らしいボールペンを九籠の目の前に見せた。
「さあ…… 何となく…… 別に意味なんて無かったんじゃないのかな?」
私の質問に九籠はまるで他人事のように答えた。ちょっと素直になったと思ったらすぐコレだ。ホント今時の少年はわからない。
「ただ…… とても嫌なことがあって…… 家のこととか、学校のこととか……」
九籠は目を細めながらそう呟いた。
「学校? あれ? だって君って通信制高校なんじゃないの?」
私はそう九籠に言ったが、九籠には私の言葉が届いていないかのように、うつろな瞳で呟いていた。
「ママはいつも私に必要以上に期待を掛けて…… 先生だって…… だから私は……」
ママ?
げっ、もしかしてこの子マザコン!? うわ〜 イメージ崩れる。
でもその瞳が焦点が合っていない事に気づいて、私は彼の肩に手を掛けて呼びかけた。
「ちょっと九籠君、ねえ、あなた大丈夫?」
私の言葉に九籠ははっとして私の顔を見た。その仕草は私がさっき、彼がボールペンを
鞄に入れようとしていた手を掴んだ時と同じだった。
九籠は私の顔を見ると、軽い舌打ちをして、首に下げたヘッドフォンを耳に掛けた。
「ちょっと、まだ話が終わってないでしょ? それ外しなさいよ」
私はそう言って九籠の耳からヘッドフォンを外した。
「何か嫌なことでもあったの? 私で良かったら聞いてあげるから」
「私で良かったら相談に乗るよ?」
まただ。
私の言葉を発すると同時に、九籠が同じような意味合いの言葉を発した。まるで私の考えてることを先回りして言っているようなこのタイミング…… さっきはちょっとカチンと来たけど、何だか今は気味が悪くなった。
「あなた…… さっきからなんで私の言うことと同じ事を同時に……」
と言いかける私の目を見ながら九籠が言った。
「相談が必要なのは僕じゃない…… さっきの子だよ」
「さっきの子って?」
私はそう言いながら、先ほどレジの向こうに消えたセーラー服の女の子を思いだした。
「さっきこっちを見ていた、あのセーラー服の女の子のこと?」
私のその問いに答えるように、九籠はこう呟いた。
「とっくに『思考』が破綻してる。まずいなぁ…… 早まらなければいいけど……」
思考が破綻? 何言ってるのこの子……
「ねえ、あの子ホントに知らないの?」
「うん、ホントに初めて見る子だよ。嘘ついたって僕に何の得があるって言うんです?」
確かに…… 彼女が万引きしてて、それを庇うってんならともかく、万引きしていたのは九籠なのだ。彼女を知っているのに『知らない』と言う事に何のメリットが有るって言うのだろう…… でもなんだろ、このもやもやした違和感は?
すると九籠が私に向き直り、頭を下げた。
「刑事さん、ゴメンナサイ。もうしないよ。このボールペン、元の場所に戻してくるから許してくれる?」
九籠はそう言って顔を上げると私に向かってニコっと笑いかけた。私は一瞬その笑顔に見とれてしまった。
胡桃田 茜【クルミダ アカネ】27歳、国家公務員。不覚にも10も下の少年にドキっとしました―――っ!
「あ、ちょっと……」
九籠は私の手から3本のボールペンを取ると、そのまま売り場へ歩き出した。私は引き止めようとしたら不意に九籠は私に振り向きこういった。
「刑事さん、年下好きでしょ?」
「―――――なっ!?」
九籠のその言葉に私は言葉を詰まらせた。
「おねーさんの『思考』はわかりやすいよ。そんなんで刑事課って勤まるの?」
な、な、な、なんだと―――――っ!!
彼が何故私が刑事課って知っていたのかを問いただす前に恥ずかしさが込み上げた。
「だ、だから大人をからかうなって……っ!」
「さっきはありがとう。危うくホントに『万引き』しちゃうところだった。助かりましたよ、アカネさん」
九籠の言葉に私はまた驚いた。何で私の名前までわかったんだろう? やっぱり頭の中を読まれてるんじゃ……
もしかして、私の考えてることがわかるエスパーとか?
「な、なんで私の名前知ってるの?」
私の質問に、九籠はクスっと笑って私のバッグを指さした。私は不思議に思いながら自分のバッグに視線を落とした。すると鞄の横からプライベート用の携帯電話のストラップが顔を覗かせていた。そのストラップは小さな白いキューブが連なり、アルファベットで私の名前が彫ってあった。それは去年の誕生日に高校生の妹からプレゼントされた物だった。
なんだ、そう言う訳か……
普通に考えれば当たり前なことだったのだが、何故か彼の持つ独特な雰囲気が私を変な気分にさせていたのだろう。
そうよね、現実にそんな漫画みたいなエスパーなんて居るわけないって……
「ホントに今回だけだからね。次やったらホントに捕まえるから」
私はそう念を押した。私のその言葉に苦笑しながら頷き、九籠はヘッドフォンを耳に当て歩いていった。私はその後ろ姿を見おくりながら、ふと彼が言った言葉を思い出した。
『早まらなければいいけど……』
アレはどういう意味だったんだろう……
その言葉の意味を、私は1週間後に、朧気ながら理解することになる。
そしてこれが、この不思議な少年、真堂九籠との初めての出会いだった。私はこのとき、彼の持つその不思議な『能力』に全く気づいていなかった。
その力によって彼が抱える孤独や苦悩、そして深い悲しみも……
第1話 再会
枕元に置いた携帯の音で目が覚めた。朝6時にセットしたはずの目覚ましより早く鳴ったその携帯は、プライベート用の物ではなく、署からの支給品である。
もっとも、朝の6時以前に携帯を鳴らすような無神経な知人など、プライベートでは家族ぐらいな物だ。
私は枕元をまさぐり、未だにしつこく震え続ける携帯をつかみ、折り畳まれたそれを開いて、相手先を確認せずに通話ボタンを押した。
「おはよう…… ございます。胡桃田です……」
『おう、胡桃田、朝早く悪いな、起きてるか?』
野太い声が携帯のスピーカーを通してさらにその野太さを増幅しているようだった。声の主は私が勤務する渋谷警察刑事課刑事係、荻沼係長だった。私の直近上司で、歳は私と一回り以上違うが、なかなか下への面倒見がよくて部下からの信頼も厚く、警察という組織では珍しい『出来た上司』で私としても好きな上司なのだが、間違いなく寝起きに聞きたくない声であった。
「はい…… 今起きました」
私は欠伸をかみ殺しそう答えた。
『今日は署に向かわず現場に直行しろ。お前の家から近いからな』
荻沼の言う『現場』という単語に反応して、寝起きの頭が段々はっきりしてきた。
「事件ですか?」
我ながらアホな事を聞いたと心の中で舌打ちする。まだ頭がちゃんと起きていない証拠だった。案の定電話向こうの荻沼から皮肉が飛ぶ。
『じゃなきゃこんな時間に俺が一人暮らしの若い女に電話なんかするか! しっかりしろよ』
「はい、すみません。もう大丈夫です。係長の今の言葉で完全に目が覚めました」
私はそう言いながら、テーブルの上にある破ったカレンダーを切って作った裏紙のメモ用紙を掴み、同じくテーブルの上にあるペン立てからボールペンを抜き取った。
『ったく…… 住所言うからメモれ。渋谷区広尾……』
そう住所を言い始める荻沼の声を注意深く聞きながら、私は伝えられた住所をメモに書いていった。
『どのくらいで来れる?』
荻沼は住所を言い終わると、今度は間髪入れずにそう聞いてきた。私は部屋の壁にかけてある時計をチラリと見て少し考えこういった。
「40分…… いや、30分で行きます」
私はそう答えながら、空いた手で寝間着代わりのジャージのズボンを下ろした。
『わかった』
荻沼はそう言うと一方的に電話を切った。私もすぐに電話を切り、携帯をベッドに放り投げると下半身ショーツ1枚という姿のまま洗面所に飛び込んだ。そしてすぐさま顔を洗い、髪をとかしつつ鏡に映った自分の顔を見る。およそ年頃の女という雰囲気の皆無なドすっぴん状態の自分を眺めながらも、いつの間にかこんな生活に慣れてしまっている自分に苦笑したのだった。
荻沼から告げられた住所は地下鉄の広尾駅から徒歩で5分ほど歩いたところだった。周囲にはパトカーや野次馬、それに若干の報道系の車両と記者らしき人が右往左往していたのですぐにわかった。
私はバッグから手袋を取り出し、続いて腕章を左腕に通しながらその集団をかき分け現場に入った。
入り口に立つ警官に敬礼されながら先行して現場入りしているスタッフ達に軽く挨拶をし、私は外部から現場を目視できないように覆ってあるブルーシートをめくってその中に入った。
「おう、ご苦労さん。早かったな」
入るなり荻沼係長がそう声を掛けてきた。先日飲んだ時医者からメタボ予備軍だと宣告されたとぼやいていたが、服の上からはそれを感じさせない。まだ40代後半のはずだが、その顔に刻まれた皺と、最近目立つようになった白髪で実年齢より確実に年を食っているように見えるのは、やはりこんな商売を20年以上続けてきたからなのかもしれない。
その姿は、長年人の死を見つめ続けてきたベテラン刑事が持つ、独特の哀愁のような物が漂っているように感じた。
「おはようございます。係長だけですか?」
「いや、今留目【トドメ】が上に上がっている」
荻沼はそう言って上を見やる。そこには隣のビルの非常階段があり、そのてっぺんに数人の人間達が動いているのが見えた。
私はそれを確認すると、足下のシートの前にしゃがみ込んで手を合わせた後、そのシートをめくった。
そのシートの下には、セーラー服を着た少女が横たわっていた。うつぶせの状態でアスファルトに横たわるその少女の体の周りは白いチョークで縁取られていた。
右手と右足があらぬ方向に曲がっているのは、落下の際にどこかにぶつけたからだろうか。アスファルトに黒く滲んだ血痕の上で、長い黒髪を乱して伏せるその顔の右半分は無惨にも潰れて奇妙に歪んでいる。そして辛うじて残っている片方の目が、まるでこの世の全てを呪うような陰鬱な色でアスファルトを眺めていた。
私はそれを見て、すぐに目を逸らした。
別に恐いとか、気持ち悪いと思ったわけではない。刑事課に配属になって2年、今回よりも酷い状態の害者を何度も見てきた。そりゃ最初のウチは何度も嘔吐したが、それを重ねていくウチに、私は頭と胃袋を分離する術を学んだ。今では細切れになった害者を見た後でも、平気で焼き肉を食べられるまで慣れてしまった。
しかし、今回は学生服姿の女子高生だった。ダメだとは頭でわかってはいる物の、どうしても同じ年頃の妹のことが頭に浮かび、反射的に目を背けてしまったのだった。
美世梨【ミヨリ】と同じ歳ぐらいだな……
私は心の中でふと自分の妹の名前を呟いていた。
「自殺ですかね?」
私は思考を切り替え、荻沼にそう聞いた。
「断定はできんが…… 恐らくな。さっき上に上がってる留目から連絡があったんだ。上に残された遺留品の中のノートにな、『死にたい』って言葉が書いてあったそうだ」
「なるほど…… それで身元は?」
私は続けてそう聞いた。
「鞄の中にあった生徒手帳からな。名前は山極泉美【ヤマギワ イズミ】16歳。都立の高校に通っていたようだ。家は…… 目黒区だからそう遠くはないな。さっき遺族と連絡が取れたらしく、今こっちに向かっているそうだ」
私はすぐさまバッグから手帳を取り出し、荻沼の言う情報を書き込んでいった。
「まあ、これだけの状況証拠と遺書めいた物まで出てきたんだ。遺族の確認が取れ次第自殺って事で上に上げることになるだろうな」
荻沼はそこでため息をついて、さらにこう続けた。
「しかしこういう若すぎる害者を見るのは辛れぇなぁ…… ウチにも娘が居るからよぅ」
「同感です。私の妹も丁度同じぐらいですから…… 係長の娘さん、6年生でしたっけ?」
私は荻沼の言葉に心底同意しながらそう聞いた。
「今年から中学だよ。しかしなんだ、こんな子が殺されるのも嫌だが、自殺もやりきれないもんだぜ全く……」
確かに……
事故や他殺なら、理不尽だが当たれる物がある。しかし自殺は、残された者には別の悲しみを投げかける。その人が自ら死を選択してしまうまで、何一つ手をさしのべてあげられなかった後悔や自責の念。ましてや自分の子供が自殺を決意するまで悩んでいた事に気づけなかった親の心境は、まだ子供を持ったことのない私にわかる訳ではないが、その辛さは想像に難くなかった。
私はそれから2,3荻沼と業務の打合せをし、一度署に戻ってから出直し、害者の身元調査をする事になった。他殺ではないにしろ、そのあたりの一連の調査はしておかないと報告書が埋まらない。私はブルーシートをまくって外に出た。
横一文字に張られた黄色いテープの向こうには、数人の野次馬と報道関係者らしき人達がザワザワと集まっていて、時折フラッシュが焚かれる。数人の野次馬は、事件に遭遇した事が珍しいのか、自慢げに携帯をかざして写メを撮っていた。
私はその姿を見ながら、慌ただしく部屋を出たせいで寝癖を取りきれなかったことを思い出し、さりげなく右手で髪を撫でた。
いくら警察だからって、ほら、一応写真に写る訳だし……
と心の中でそんな自分に言い訳しながら人混みを眺めていると、不意にその中に佇む一人の少年が目がとまった。
あれ? あの子確か……
黒いシャツに同じく黒のダッフルコートを着込み、耳にヘッドフォンを付けて無表情で佇むその少年の顔は、私の記憶に有る顔だった。確か1週間ほど前に渋谷の大型文具店で出会った、ちょっと変わった少年だった。
不意にその少年と目が合う。
距離があるのに、切れ長の女性を思わせるその目元から覗く瞳に、何故か私は吸い込まれそうな感覚を味わった。
えっとたしか、不思議な音の名前だったんだよな……
私は彼の目を見つめながら、必死に記憶を検索する。
クロウ……
そうだクロウだ。真堂九籠っ!
私が頭の中でその名前を検索し終わった瞬間、まるでそれが合図だったかのように、その少年は私の視線を外して振り向き、立ち去るところだった。
「あ、ちょっと……」
私は『待って』と言いかけながら野次馬の集団に駆け寄り、黄色いテープをくぐって人をかき分け九籠の後を追った。
何故そんなことをしたのか、何故彼を呼び止めよとしているのか、自分でもわからなかったが、私はまるで憑かれたように彼の後ろ姿を追った。
私は集まった人に肩が当たる度に「すみません」を連発しながらようやく野次馬集団を抜け、黒いダッフルコート姿を探した。ぐるりと見渡すと、少し先に片側2車線の道路の横断歩道を渡る彼を発見し、彼の名前を呼んだ。
「九籠君! ちょっと待って!」
私はそう呼ぶが、ヘッドフォンを付けているせいか私の声は彼の耳には届いてないようで、振り向きもせず歩いていく。
私は点滅する信号機を睨みながら全力疾走に移った。
ほとんどギリギリ…… いや若干アウト気味に横断歩道を渡り終えた私は、息つく暇もなく黒い背中に向かって走り出した。
腐っても元陸上部ってね!
と私は心の中で叫びつつ、その背中に追いつき肩を叩いた。すると彼はクルリと振り向いた。少し長めの前髪から、その魅力的な瞳で私を見ると、ちょっと微笑みながらヘッドフォンを外して首に掛けた。その表情に私の胸はキュンと音を立てた。
あ、相変わらず破壊力満点ねこの子……
「警察が信号無視したらマズくないですか?」
ぬぬ、この小憎らしさも!
「気がついていたなら何で行っちゃうのよ」
と私が文句を言うと九籠は澄ました顔でこう言った。
「茜さん勤務中だったじゃないですか。あの場で声なんて掛けられませんよ」
うっ、確かにその通り。
「で、でも私が追いかけてきてるのわかったんでしょ? 待ってくれたって良いじゃない」
「まあ…… 茜さんの『思考』なら追いかけてくるのは想像できましたけど……」
何その思考って。なんか私が『単純』って言わんばかりのそのコメント!
そう心の中で毒づくと、九籠はまた私に言った。
「別に茜さんが『単純』って言ってる訳ではないですよ」
九籠はそう言いながらもクスっと笑った。この子には年上の女の心をくすぐる天性の何かがあるようだ。
「またそうやって人の心を読んだ様な言い方する…… 年上をからかうなって言ったでしょ!」
私は心をくすぐられた事を誤魔化すようにそう言った。
「心を読んだわけではないですよ。ただ、茜さんの『思考』で考えるとそうだっただけで……」
「だからその『私の思考』ってのが馬鹿にしてるのよ。何よそれ、やっぱり私が単純だって遠回しに言ってるじゃない」
私がそう文句を言うと、九籠は困った顔をしてため息をついた。そして諦めた様な表情で私に聞いた。
「それで…… 何の用ですか?」
「え? あ、ああ…… えっと……」
げげ、マズイ…… 特にコレと言って用なんか無いじゃん私。何で追いかけてきたんだろう……
野次馬の中に九籠を見た時、一瞬電気が走ったような感じで衝動的に追いかけてきてしまった。九籠の言うとおり、勤務中であるにもかかわらず、一瞬事件も忘れて走り出していた。とりあえず一端署に戻る予定だったので、現場を離れることは構わなかったが、九籠を見付けて、今こうして九籠を呼び止めるまで事件のことは一切頭から飛んでいたのだった。
男追いかけるのに夢中になって事件忘れるって…… 何やってんのよ私は!
「べ、別にコレと言って用は無いんだけど、ほら、し、知り合いの顔を見たら、普通声ぐらい掛けるでしょう?」
「知り合いって…… 茜さん刑事でしょう? 僕はその刑事さんに万引き未遂で任意聴取された被疑者ですよ? そりゃ知り合いには違いないけど、僕の立場なら会わずに立ち去るのが当然でしょう」
うう、ごもっとも。
「茜さん、よく刑事課の刑事になれましたね……」
そう九籠が感心したように呟いた。
「五月蠅いわね、余計なお世話よ!」
私は恥ずかしいのと腹が立つのとで顔が熱くなるのを感じた。私のそんな姿を見ながら、九籠はまたクスっと笑った。
とても腹が立つのだが、その笑った顔を見ると嬉しいような、憎らしいような、何だかわからない感情が込み上げてきて、私は目を逸らした。
ヤバイヤバイ! 私高校生相手に完全に参っちゃってるじゃなーいっ!!
「ところで茜さん、さっきの現場…… 飛び降りですか?」
不意に九籠がそう聞いてきた。私はその言葉で我に返った。
「え? ええ……」
思わず反射的にそう答えてしまった。
「自殺?」
続けて九籠がそう聞いた。
「それについてはノーコメント。部外者には教えられないわ。私刑事ですから、コ・レ・デ・モ!」
私はさっきのお返しとばかりに当てこすって九籠にそう答えた。しかし九籠はそんな私の皮肉言葉に少しも触れずにさらに聞いてくる。
「亡くなったの、髪の長い女子高生じゃなかったです? セーラー服の……」
私はハっとなって九籠の顔を見た。九籠はその瞳に不思議な色を放ちながら私を見ていた。その視線に私は釘付けになっていた。
「何故…… それを知ってるの?」
その不思議な色をした九籠の瞳を凝視しながら、私は静かに九籠に聞いた。九籠は「やっぱり……」と呟きながら私の視線をしばらく受け止め、不意に視線を逸らした。私はその瞬間、全身からドッと汗が噴き出るような疲労感を憶えた。
「九籠君、君何か……」
「知りませんよ、何も。関係者ではないですから」
ほぼ同時に九籠が切り返した。
まただ。
それは以前初めてこの九籠という少年に出会った時の、私の考えを先回りするような物言いだった。それは私が、このどこか大人びていてミステリアスな少年を印象づける最大のポイントだったのだ。
「でも……」
不意に九籠がそう呟いた。
「茜さん、憶えていますか? 僕が茜さんと初めてあった時、僕らを見ていた学生服姿の女子高生……」
九籠のその言葉に、私は記憶を呼び戻した。そして……
「……あっ!」
私があの文具屋で九籠の手首を掴み、九籠を任意聴取していた時に、売り場の棚の影からこっちを見ていたセーラー服の少女が脳裏に浮かび、続いて先ほど見た、顔半分が潰れた少女の無惨な顔が重なった。
そう…… 飛び降りた少女はまさしく、あの日、あの売り場で目撃した少女だった。
私の表情から、九籠はその事実を正確に読みとったようだった。私は今までとは違う感情を込めて黒いコート姿の九籠を見た。何か得体の知れない物に触れたような感覚だった。
「僕は何も知りませんよ。元に飛び降りたのがあの女の子だったって、今わかったんですから」
そう言う九籠の横顔が、私には何故か少し寂しそうに見えた。そしてあの日九籠が言った言葉が思い出された。
『思考が破綻してる…… 早まらなければいいのに……』
『思考が破綻している』とはどういう意味だろう……
そして彼が『早まらなければいいのに』と言っていたその1週間後に少女はビルから飛び降りた…… あれは今回の飛び降り自殺を示唆した言葉だったのだろうか……
もしそうだとしたら、この九籠という少年は何故それを事前に知ったのだろう。
普通に考えれば2人は顔見知り、若しくは友達同士で、しかも自殺したくなる要因を相談し合える仲だった。
そう、確かあの時、九籠は何かブツブツと呟いていた。ママがどうのと……
あの時は単なるマザコンなのかと思ったが、あれはあの少女のことだったんじゃないだろうか? 何か家庭内にトラブルがあり、それが自殺に追い込まれるような事で、九籠がその相談を事前に受けていた…… そう考えるとつじつまが合ってくる様に思えた。
あの時私が問いただすと「知らない子だ」と答えたが、あれは嘘だったのだろう。
しかし何故九籠は嘘をついたのだろう? あの時の九籠の言葉ではないが、彼が嘘をつく理由がわからなかった。その嘘をつくことで、彼にどんなメリットが有るというのだ?
わからない……
私はぐるぐると同じところで立ち止まる自分の考えに舌打ちした。だが、見過ごせない情報であることは間違いない。私はもう一度九籠の顔を覗き込んだ。九籠も、あの吸い込まれそうな瞳で私を見ている。私は彼を署まで同行させて話を聞こうと考えていた。
「僕は警察には行きませんよ」
不意に彼は私にそう言った。
また……
また彼は私の言葉を先回りし、きっぱりと断った。何故この子は私の考えを先読みできるのだろう……
「何故…… ?」
私はそう彼に問いかけたのだが、同時に自分の言葉に疑問を持った。
何故……
私が彼に問いかけたのは、どちらの意味だろう。
何故行かないのかを聞いたの? それとも何故私の考えを先回りできるかを聞きたいの?
私はそのどちらの答えも聞きたかった。
「警察って嫌なんですよ」
彼のその言葉を聞いて、私はちょっとショックだった。私は警察の仕事が好きだった。父親が警官だったこともそう思う要因の一つだが、何というか、みんなを守っているんだという充実感あった。誇りと言っても良い。
確かに辛いこともあるが、それに見合うだけの魅力がこの警察にはあると私は思いながら仕事をしていた。
だが、警察の対応に嫌な思いをした人もいるだろう。もしかしたら九籠もそんな1人なのかもしれないと私は思った。
「あ、でも茜さん、僕は警察が嫌いって訳じゃないですよ? 警察署という場所に行くのが嫌なんです。どこか他の場所でなら聴取に応じますよ」
九籠はまた私の考えを読んだようにそう言った。そしてその九籠の言葉に、ちょっと安心する自分を自覚した。
「何処だったら良いの?」
私はそう九籠に聞いた。警察署では嫌だという九籠の意見を尊重した私だったが、他の場所となるとちょっと考えてしまう。
彼がどんな話をするのかわからないが、人が亡くなった事件である。あまり関係のない一般人には聞かれたくない内容なはずだった。
「なるべく人のいない場所がいいですね……」
九籠はそう言って考え込んだ。私は彼のそんな仕草を眺めながら、彼の言葉を待った。 ちょっと物思いにふける美少年…… なかなか絵になるわね。
そんなことを考えていたら、不意に九籠が思いついたように言った。
「僕の家ってのはどうですか? ここからそんなに離れて居ないですし」
私はその答えにちょっと疑問を持った。
「え? たしか杉並って言ってなかった? そんなに近くはないわよ?」
私のその言葉に九籠はばつの悪そうな顔をした。
「いや、それは実家なんですよ。僕は今叔父の家にやっかいになって居るんです…… 御免なさい」
九籠はそう言ってすまなそうに頭を下げた。私はそんな彼の仕草を見て胸が苦しくなってしまった。
ああ、もうなんて可愛いのかしら!
彼の叔父の家は中目黒にあるとのことだった。ここからなら地下鉄で駅二つ先である。確かに遠くない距離だ。
「別に構わないわ、九籠君がそこが良いって言うなら。あ、でも急に私なんかが来たらビックリするんじゃない? お家の人」
私は気を遣ってそう言った。しかしこの話の内容…… まるで初めて彼氏の家に行く彼女の台詞よね♪
私は脳内で勝手にそんな妄想をしながら口元がほころびるのを感じていた。
「確かにそうですね。でも…… 彼女って無理がないですか?」
私は九籠のその言葉に度肝を抜かれた。
な、なな、なんでわかるんだーっ!
「ば、馬鹿ね、な、な、何言ってるのよ! お、大人をからかうなってさっき言ったでしょ!」
私は動揺しまくり、どもりまくりでそう答えた。しかし言葉とは裏腹に年上というアドバンテージは、彼の前では完全に機能していない。もしかしたら刑事であると言う事実も、九籠の前では無力だろう。もし…… もし仮に、何かの間違いで、九籠に押し倒されたりでもしたら、私は刑事であることを忘れてしまう気がする……そんな妙な自信がある。
どうしたんだ私? 相手は未成年よ! 10コも下なのよ! 茜っ! お前はそんなキャラじゃないだろっ! てかそれ以前に刑事でしょうがっ!!
私はそう心の中で自分を叱咤する。そんな私の訳のわからない心の中の葛藤を知ってか知らずか、九籠はうつむく私の顔を覗き込み、こう言った。
「茜さんってわかりやすいですよね? そう言われませんか?」
こ、この子って…… この子ってっ!
「でも、僕は結構好きですね。茜さんには余計なことしなくて済みそうだから」
そう言って九籠はニコっと笑った。
だ、ダメだ、もう降参っす……
私はそう心の中で白旗を揚げた。未だに男社会である今の仕事について身につけた私の処世術は、この子の前では完全に役に立たないことを悟る。
六本木あたりでホストにでもなったら確実に連日指名の嵐だろう。17歳と言う年齢も、年上マダム達の背徳感みたいな物をくすぐりまくる要因になるだろうとな、と馬鹿な考えまで浮かぶ始末だった。
「あ、でも茜さん、警察署に戻るとか…… あ、そうか……」
九籠は私にそう言いかけ、少し考えてから何かに納得したように語尾を濁した。
「え、何?」
「上司にメールを入れるから大丈夫……」
九籠はそう呟き、ポケットから携帯を取り出した。私は一瞬何を言ってるのかわからなかった。私が不思議そうな顔をして九籠を見ると、九籠は手に持った携帯の画面見ながら一瞬固まり、目を閉じた。そしてその形の良い眉が少し歪んでいた。まるで何かに耐えているような…… それはそんな仕草だった。
時間にしてわずか数秒。彼は再び目を開け、私を見て苦笑しながら、手にした携帯を折り畳むとポケットに仕舞った。特に携帯を操作した様子ではなかったと思う。
今のは何だったんだろう……
「……いや、茜さん署に戻るつもりだったから大丈夫なのかなって思ったんです。でもメール入れておけば問題ないなって…… でしょ?」
彼のその答えは私が考えた事そのままだった。私は驚き返す言葉が見つからず、ただただ彼の顔を見つめていた。
やはりこの子は私の心を読んでいる…… 馬鹿馬鹿しい事だとは思うけど、そうとしか考えられない。
私は心の中でそう結論づけた。
「ただ茜さん、一つだけ忠告しておきます」
九籠はそう言って私の顔を見つめていた。私はその彼の視線に呪縛されながら痺れるような感覚を味わった。
「手品の種明かしは簡単です。でもきっとあなたは理解できない……」
ああ、なんて哀しい目をするのだろう……
まっすぐに私の目を刺す彼の瞳が、底知れぬ哀しみを含んでいた。それが何に起因するのかわからないが、私はその理由に興味がわいた。
真堂九籠……
この人を惑わすような容姿を持った少年は一体何者なのだろう……
2
係長にメールを打ったあと、私たちは地下鉄で九籠の叔父の家があるという中目黒に向かった。
広尾駅までの道のりを歩いている時も、九籠は常にヘッドフォンを耳に当て、流れているであろう音楽に耳を傾けていた。その間、会話は一切無し。私としては非常に不本意だったが、黙って彼についていった。改札をパスモで通り抜け、私たちはホームに入ってきた最初の電車に乗り込んだ。
地下鉄は下り電車ということもあってか、朝のラッシュ時であるにもかかわらず比較的空いていた。それでも座れるほどではなく、私と九籠は並んでつり革を掴まりながら電車の揺れに身を任せていた。
私はふと隣の九籠の横顔を観た。九籠は目を閉じてヘッドフォンから流れる音楽に聴き入っていた。私はコレ幸いとばかりに九籠の顔をしげしげと見つめていた。
慎重は167cmの私より少し高いから175cmくらいだろうか。耳までの髪を自然に後ろに流し、目に掛かる程度に伸びた前髪の隙間から覗く、静かに閉じられた切れ長の目元。少し彫りの深い鼻筋を下に辿り、若干色が薄いが愛くるしい唇は形良く結ばれ、その下に続く顎までのラインが見事なカーブを描いていた。
このままカツラを被らせ、女の子の服を着せて渋谷のセンター街でも歩かせたら、化粧をしなくとも声を掛けてくる男はいるだろう。いやいや、むしろこのまま歩いたら雑誌モデルのスカウトマン達が放っておかないだろうな…… などと馬鹿な考えをしつつ九籠の横顔に魅入っていた。
すると不意に九籠が目を開きこちらを見た。少し色素の薄い茶色の瞳に見つめられ、私はビックリして目を逸らした。すると九籠は体ごとこちらを向き体を寄せてくる。私は高鳴る鼓動に慌てながら、もう一度九籠を見て彼に聞いた。
「な、何?」
すると九籠は不思議そうに首を傾げながら、ドアをさしてこう言った。
「着きましたよ、中目黒」
私はその言葉で外を見た。九籠の顔を魅入っている間に、電車はいつの間にか目的地に到着していた。私は顔が熱くなるのを自覚しつつ、慌てて電車を降りた。九籠も私のあとに続いてホームに足をつけたのだった。
そして九籠はそのまま改札階へと続くエスカレーターに向かって歩いて行った。
どうもこの子と居ると調子が狂うわね……
私はそう心の中で呟きながら九籠の後を追った。
九籠の叔父の家は、地下鉄の出口から歩いて7,8分の所だった。若干大きめの2階屋の一戸建てで、道路に面した門の表札の上に『望月診療所』と書かれた看板が掲げられていた。
「昔はそこそこ有名な脳医学者だったんですが、10年前に大学を辞めて開業したんです。僕はその頃からここに住んでいるんですよ」
看板を見ていた私に九籠は耳に付けていたヘッドフォンを外し、首に掛けながらそう教えてくれた。
「ってことは九籠君は7歳からここに住んでいる訳ね。ご両親は?」
私は何のけなしにそう聞いた。九籠は門をくぐり、玄関へと続く石畳を歩きながら私の質問に答えた。
「亡くなりました。僕が4歳のころ」
九籠は特に気にした風もなくそう言った。私はその言葉に心の中で舌打ちした。よく考えれば7歳で親元を離れ、叔父の家で暮らすなど、何か事情がなければあり得ないことぐらいわかるはずで、その場合二親が亡くなっているという可能性は低くはなかった。もう少し慎重に聞くべきだったと後悔した。
刑事という今の職業は、他人のプライベートを覗く機会が多く、またそう言う物に自ずと興味を抱いてしまう衝動が働いてしまう。それは好む好まざるにかかわらず、刑事としては重要な資質であるに違いないとは思うが、そう言うことに慣れてしまうと他人のそういうデリケートな部分に鈍感になってしまう。刑事になった女性が結婚から縁が遠くなるのも、実はそう言う理由も少なからずあるのだ、と先輩から聞いたことがある。そしてそれには私も含まれているのは間違いないと思った。
「ゴメン…… 余計な事聞いちゃった」
私は素直にそう九籠に謝罪した。
「気にしないでください。ほとんど憶えてませんから」
九籠はそう言って微笑んだ。その笑顔は作り笑顔ではないように思えた。いや、思いたかったという方が正しいかもしれない。
九籠は私をどのように思っているのだろう……
ふとそんなことが頭をよぎり、続いて少し可笑しくなった。
私は10歳も年下の男の子にどう思われたいと思っているのだろう。ましてや私は刑事で、彼は事件の情報を持っているかもしれない参考人だ。
ただそれだけの関係である以上に、何が必要なの?
私は心の中でそう自分に問いかけた。そんなことを自問すること自体おかしな事だと思うと、何故か私は一抹の寂しさを感じた。
九籠はそんな私に背を向けながら玄関であろう引き違いの入り口を開け、私を招き入れた。
中に入った私はぐるりと周囲を見回した。右手にあるカウンターの下に備え付けられた棚には事務用スリッパが並び、その横には下駄箱がある。カウンターの上には小窓があり、奥には事務所があるようだった。玄関の上がり框から伸びる板張りの廊下は、細長く奥へと続いており、『この先、関係者以外立ち入り禁止』と書かれたついたてが立っていた。
どうやら診療所と兼用の玄関のようだった。
九籠は靴を脱ぎながら「ただいまー!」と言うと、カウンター向こうから中年の女性が顔を覗かせた。初めに九籠を見、続いてその視線を私に移したところで、その女性は目を見開き、驚いた表情でぽかんと口を開けたままその表情を凍り付かせた。
私はとりあえずお辞儀をしたが、私が顔を上げると振り向いて大声で叫んだ。
「せんせー! せんせーっ!!」
その女性はそう叫びながらバタバタと足音を立てて奥へと消えていった。
九籠はそんな様子を見ながらクスっと笑いつつ「大げさだな」と呟きながらカウンター下のスリッパを取ると私の前にそろえて置いてくれた。
「僕が出かけて初めて人を連れて帰ってきたのでビックリしてるんです」
九籠はそう言って苦笑した。すると先ほど消えたバタバタという足音が戻ってきた。しかも今度は複数だった。そしていきなりカウンター横のドアが開き、白衣を着た初老の男が姿を現した。どうやらこの人が九籠の叔父のようだ。
「こりゃたまげた…… シンクロウが人を連れてきたと聞いたが、まさか女性だとは思わなかった」
その初老の男はそう言って九籠と私を交互に見た。彼の後ろに立つ、先ほどカウンター越しに見た中年女性も、うんうんと頷いていた。
それにしても…… シンクロウ?
「見たところ年上のようだが、なかなかの別嬪さんだ。彼女か?」
いやいやいや…… でもちょっと嬉しかったりして♪
「ははは、違いますよ。この人、刑事さんなんです」
九籠は笑いながらそう言った。その九籠の言葉を聞いた瞬間、その2人の顔に鋭い緊張が走って表情が凍り付いた。私はこういう反応には慣れていた。犯罪者以外の一般人は度合いの大小はあれど、大体誰も一緒だった。
「お前、まさかまた何か……」
「いえいえ、違いますよ。僕じゃありません」
九籠はちょっと困った顔をしてそう答えた。
また? またってどういう意味なんだろう?
私はそう思いながらも黙っていた。すると九籠は私を連れてきた理由を掻い摘んで2人に説明した。すると叔父と中年女性は若干緊張を緩めたようだった。
「大体わかったが…… 本当にお前が原因じゃないんだな?」
叔父はもう一度九籠にそう念を押した。
「はい、僕が関係している事じゃありません。安心してください」
九籠その答えに、叔父は「なら良いが……」と呟きながら私を見た。私はその視線を受けたのを合図に名乗った。
「渋谷署刑事課の胡桃田です。突然お邪魔して驚かせてしまい申し訳ありません。実はこの度、私の担当する事件で、彼に聞きたいことがあり、同行をお願いしたのですが断られてしまったのですが、ここでなら話を聞かせていただけるとのことでしたので、ご迷惑かと思いましたが、お邪魔させて貰った次第です」
私はそう言ってお辞儀をした。
「そうですか…… 立ち話もなんですから、どうぞお上がり下さい」
叔父のその言葉に、私は「は、恐縮です」と答えてパンプスを脱ぎ、先ほど九籠がそろえてくれたスリッパに足を差し込んだ。
それから私は応接室に案内された。九籠は「着替えてきます」と言って先ほど見た廊下の奥に消えていった。私は叔父と2人で応接室で向き合ってソファーに腰掛けた。
丁度私が座る向かい側の壁に掛かった柱時計を見ると、時計の針が午前9時を指すところだった。ふと私はこんな時間に来てしまって大丈夫だったのかなと、今更ながら思った。私のその視線で時計を見ていることに気がついたのか、テーブルを挟んで正面のソファーに腰掛ける叔父は、そんな私に答えるかのようにこう言った。
「今日は午後診療のみなんですよ。あと土曜日もね」
そう言って叔父は私に名刺を差し出しながら名乗った。
「当診療所の所長をしております、望月【モチヅキ】です」
私はその名刺を受け取る代わりに、自分の名刺も差し出しながら、改めて名乗る。
「渋谷署の胡桃田です」
そしてお互いに軽い会釈をかわした。私は受け取った名刺をテーブルに置き、眺めた。
望月 庄太郎【モチヅキ ショウタロウ】と書いてあった。
「あの子から聞いてるかもしれませんが、あの子の叔父に当たります。あの子は私の妹の子供です。書類上は身元引受人で、現在のあの子の保護者となっています。両親の事は……?」
望月は言葉を選びながらそう聞いた。
「ええ、お亡くなりになったとだけ……」
私は短くそう答えた。望月は「そうですか」と答え、先ほど中年女性が運んできたお茶をすすった。
「それで…… 胡桃田さん、シンクロウはああ言っていましたが、本当にあの子が原因の何かではないんでしょうか?」
望月は先ほど九籠に念を押していた件をもう一度私に聞いた。私は少し考えてから答えた。
「確かに、今の段階では直接的な関係は見えてきておりません。ですが私には無関係とは思えないんです」
「何故ですか?」
私の言葉に望月は間髪入れずにそう返した。私は率直に私の考えを望月に話すことにした。
「私が今調べている事件は、現場の状況から飛び降り自殺だと思われます。九籠君はどうもその飛び降りた方を以前から知っていたようなのです」
望月は私の話を黙って聞いていた。私を見つめるその目は、なにか私を観察しているような目だった。私はその視線を受け止めながら話を続けた。
「私は彼に被害者のことを知っているのかと質問しました。しかし彼は「知らない」と答えました。ですが私は彼が嘘をついていると思っています。その方の遺体は今朝発見されたばかりで新聞はおろかTVやネットでさえ流れていないはずです。ですが彼は遺体も見ずに被害者を言い当てました。遺族と現場の捜査員しか知らない情報を彼は知っていたのです。それについて聞くと彼は知らないと答える…… 私には彼が嘘をついているとしか思えません」
私はそこで一端話を切り、「頂きます」と言ってテーブルの湯飲みに口を付けた。望月はそんな私を黙って見ていた。私は湯飲みをテーブルに戻し話を続けた。
「しかし、何故嘘をついているのかがわかりません。何か知られたくない事情があるのかもしれません。私はそれが何なのかを知るためにここに来たのです」
私はそう言って望月の目を見た。望月は「なるほど……」と呟いて視線を逸らし、ソファーの背もたれに背中を預けてため息を漏らした。
「それと…… 九籠君はその…… どういう子なのでしょうか?」
今度は私が望月に質問した。望月は少し考えてこう言った。
「どういう…… とは?」
「失礼な言い方かもしれませんが、その、何というか…… 少し変わった少年だなと思ったものですから……」
望月はまた私を凝視する。私は九籠と初めて合った時のことを望月に話した。望月は私の話が終わると、納得したように頷いた。私はとても不思議に思った。望月が妙に落ち着いているからだ。いくら実の父親ではないとしても、九籠は10年も一緒に暮らしてきた子供であり、しかも望月は彼の保護者である。その子が『万引き』をして、補導されないにしても警察である私に注意されたのだ。普通の親ならショックを受け、少なからず動揺するはずだと思うが、望月からはそういった動揺が伝わってこなかったからだ。
もしかしたら2人はあまり上手くいってないのだろうか……
私はそんなことを考えながらもう一度お茶をすすった。
「ということは…… 胡桃田さんはあの子からまだ何も聞いてはいない訳ですね?」
望月の言葉に私は頷いた。
「ええ、事件についてはまだ何一つ……」
「いやいや、事件のことではなく、あの子自身のことです」
私は望月の言っている意味がよくわからなかった。彼自身のこと? それはどういう意味なの?
「すみません、仰ってる意味がよくわかりませんが……」
私は素直にそう聞いた。そう言えばさっき『また』と言っていた事を思い出した。九籠は以前にも何か問題を起こしたのだろうか…… もしかしたら『万引き』など日常茶飯事のことで、だからそのことを聞いても動揺しないのかもしれない。私はそんなことを考えていた。するとそんな私をどう見たのか、望月は静かにこう言った。
「まあ、無理もありません。あの子と初めて会った人は皆、同じように不思議がる。今のあなたのようにね。あの子を理解するのには時間が掛かるんですよ……」
その望月の言葉で、私はますますわからなくなった。『彼を理解する』とはどういう事なんだろう……
『手品の種明かしは簡単です。でもきっとあなたは理解できない……』
私の頭の中で、先ほど聞いた九籠の言葉が繰り返された。確かに九籠は少し変わっていると思う。あの私の言葉を先回りして喋る物言い、そしてどことなく物悲しい雰囲気。時々見せる、危うさを含んだ虚ろなまなざし…… 私が今まで出会ったどの少年よりも九籠は異質だった。そしてその異質さが、彼の持つその容姿と溶け合い、混ざり合って独特のミステリアスな雰囲気を醸しだし、私の心を乱しているのだった。
と、そこにドアをノックする音に続いて、九籠が部屋に入ってきた。ブラックウォッシュジーンズに薄手の紺のハイネックセーターがよく似合っていた。
「お待たせしました」
九籠はそう言って望月の隣のソファーに腰掛けた。
「事の経緯は、今胡桃田さんから聞いたので大体わかったよ。お前『万引き』しそうになったんだってな? なんで言わなかったんだ」
望月がそう言うと九籠は申し訳なさそうに言った。
「御免なさい叔父さん。あまり心配させたくなかったんだよ。それにまた外出できなくなるかと思って……」
「人が大勢いるところに行く時は、俺か幸枝さんが一緒に行くって、いつも言ってだろう。ヘッドフォンを外したのか?」
望月は九籠にそう言った。九籠は望月の隣で小さくなっていた。肩をつぼめているその仕草が、またなんとも可愛らしかった。しかし私は、今の望月の最後の言葉の意味がわからない。ヘッドフォンがなんだというのだろう?
「ちょっと気になる万年筆があって、店員さんに値段を聞いていたんです。そしたら…… でもその時茜さんが僕を止めてくれたんです」
九籠はそう言って私を見た。2人の会話を注意深く聞いていた私は、いきなり自分の名前が出てきたのに驚いた。
「いや、止めてくれたのがあなたで良かった。ありがとうございます」
そう言って望月は私に頭を下げた。私はさっぱり意味がわからず、ただただ慌てていた。
「いや、わ、私は女として…… じゃなくて、け、警察官として当然の事をしたまでで、そんなお礼を言われるようなアレは……」
な、何言ってるんだ私は! てか、意味わからないんですけどーっ!
そりゃ確かに穏便に済ませようと万引き成立前に腕を掴んだけど、そこまで感謝されるか普通? 本人どころかその保護者にまで? え? ちょっと待って、何この状況!?
「だからこの人の質問にちゃんと答えてあげようって思ったんですよ」
九籠は望月にそう言って私を見た。私の方は、そのまなざしだけでお腹いっぱいだった。
「それで、何を聞きたいのですか?」
九籠はそう私に聞いた。私は先ほど望月に語った内容とほぼ同じ内容を九籠に言った。駆け引きで情報を引き出すというやり方を知らないわけではないが、私は私は抱いている九籠への印象を素直に九籠に伝えた。私が話している間、九籠は真剣なまなざしで私を見つめながら、私の言葉を聞いていた。
「改めてもう一度聞くわ、九籠君、あなたはあの女の子を以前から知っていたわね?」
私はもう一度九籠にそう聞いた。今度は正直に話してくれるという自信があった。何というか、ここまで話しているウチに、彼が私に心を開いてくれていると言う確信みたいな物が芽生えていたからだった。
しかし、九籠の口から出た言葉は、私が想像していた物とは違っていた。
「すみません茜さん。あなたの期待を裏切る様で申し訳なく思いますが、僕の答えはNO…… あの子のことは、本当に知らないんです。名前すら……」
九籠は本当にすまなそうにそう答えた。しかし私は納得など出来なかった。出来るわけがない!
「じゃあ何で飛び降りたのが、あの文具屋で会った女の子だってわかったの? 何であなたは遺族か捜査員しか知らない事を知ってるのよっ!?」
「何故そう嘘をつくのっ!!」
私は少し声を荒げてテーブルを叩きながらそう言った瞬間、九籠もまた同時に喋った。私はその人を馬鹿にしたような九籠の態度に腹が立ち、思わず立ち上がってしまった。
「あなたねっ!!」
「いい加減にしてっ!!」
するとほとんど同時に九籠も立ち上がり、また私が喋ると同時に同じ意味合い…… というより私が考えたことと同じ言葉を、私よりストレートに言って私を睨んだ。私も完全に頭に血が上っていて、にらみ返していた。
そして同時に、心の中でそんなことをする自分が凄く嫌だなと思った。一瞬でもこの九籠という少年を近くに感じたのが錯覚だったんじゃないかと思ったからで、なんか裏切られたような感じがしたからだった。それは完全に私の勝手な思いこみに過ぎないことはわかっているつもりだったが、つい感情的なってしまった。
「ちょ、ちょっと待ってください胡桃田さん!」
そんな私と九籠のにらみ合いを見て、望月は慌てて私たちの仲裁に入った。
「おい、シンクロウ……」
望月はそう言って立ち上がったまま、未だに私を睨む九籠にそう声をかけた。しかし九籠の耳には望月の声は届いていないようだった。
「だから大人をからかうなって……」
「九籠っっ!!」
私を睨みながらぶつぶつと呟く九籠の肩を掴み、望月は部屋中に響き渡るような声で九籠を恫喝した。九籠はその声に反応し、今度は望月を睨む。望月はその九籠の両肩を掴み、九籠の体を揺すった。
「しっかりしろっ!」
「お前は誰だっ!!」
望月の言葉に、九籠の声が重なった。九籠の体が一瞬びくっとなり、数秒間2人は無言でにらみ合った。すると不意に九籠が目を閉じ、その形の良い眉が歪んだ。
「私は……」
九籠が譫言のようにそう呟いた。
「僕は…… マドウ…… クロウ……」
「そうだ、お前は真堂九籠だ…… そうだな?」
望月はゆっくりと九籠にそう確かめるように聞いた。私はその2人の奇妙な行動を不思議に思いながら眺めていた。
「……ええ、もう、大丈夫です、叔父さん」
九籠はふうっと息を吐き出しながらそう答えた。望月は「そうか」と言いながら九籠の肩を軽く叩いた。
「お前は少し席を外せ。庭で外の空気でも吸ってこい」
望月はため息をしつつそう九籠に告げた。
「え? でも……」
「いいんだ。胡桃田さんには俺から話す…… 胡桃田さん、すみませんがそう言うことで構いませんか? 恐らくそれであなたの誤解が解けると思います。それでも九籠に聞きたいことがあるなら、その時は九籠を呼びますから」
望月は私にそう言った。私は何が何だかさっぱりわからなかったがとりあえず頷いた。いずれにしても九籠から話を聞く機会は得られたのだし、望月が私に何を話すのかも興味があったからだ。
しかし、私の『誤解』って何?
望月は九籠が部屋を出ていくとまたソファーに座り直した。それを見て私もソファーに腰掛けて望月と対峙した。
「話すにあたって、胡桃田さんに、先に言っておくことがあります」
望月はそう前置きして私を見た。私はその望月の視線を受け止めながら無言で頷いた。
「私が今から話すことを最初はきっと嘘だと思うでしょう。若しくはからかわれていると思うかもしれません。しかし、私はあなたに嘘をつく理由がないし、ましてやからかう気もありません。これから話す事は、私があの子の事で知りうる限りの全てであることを理解して欲しい。あの子のことは、実のところ私も全てをわかっているとは言い難い…… だから私の憶測も交えて話しますが、そこには誓って他意がない事を初めに言っておきたい……」
望月は静かにそう言った。私はその言葉の意味を考えながら相づちを打った。それを見た望月は「ありがとう」と呟き、話を切りだした。
「胡桃田さんは『シンクロニティー』という言葉を聞いたことがありますか?」
望月は私にそう聞いてきた。
「シンクロニティー?」
私はオウム返しにそう呟いた。そう声に出しながら記憶を探るが全く思い当たらなかった。
「いえ、聞いたことがありませんね」
私は素直にそう答えた。
「まあ、そうでしょうな。あまり使われない単語ですから。この単語でピンと来る人間など、世界でも一握りの脳医学者でしょうし」
じゃあ聞かないでよ! とつっこみたかったが、私はそれをぐっと我慢して聞いてみた。
「何ですかそれは?」
「それ自体は1976年にイギリスの脳医学者A.Fマロリーがベルリンで行われたシンポジウムで発表していて、正式にはmind synchronize sense【精神同調感覚】といって、人間の5感とは別のシックスセンスと言われる感覚の一種です。脳医学者はそれを『シンクロニティー』と呼んでいます」
望月はそこで一端話を切り、ふっと自嘲気味に苦笑いした。
「こう見えて私は昔、脳医学者だったんですよ」
私はさっき九籠が言っていたことを思いだした。しかし、シックスセンスって…… なんかそんな映画があった気が……
「さっき九籠君からお聞きしました。それで…… その『シンクロニティー』とはどう言った物なんですか?」
私は望月にそう聞いた。
「精神同調といいましたが、実際は脳波パルスが同調する現象のことです」
この時点で私の頭の中には?マークが3つほど並んだ。そんな思いが顔に出たのか、望月はさらにかみ砕いて説明した。
「人間の脳は生きている限り、常に微弱な電気パルスを発生させています。一般に脳波と呼ばれる物です。この脳波は各個人、その強さや波長、リズムなどが違っていて、全く同じ脳波を持つ人間は2人といません。指紋や声紋、網膜などと同じで、次世代の生体認証媒体としても注目されています。
しかし、希にこの脳波パルスが、違う2以上の個体と一時的に一致してしまう事があるんです。それが『マインドシンクロナイズ』【精神同調】という現象です。これは同じ遺伝子を共有した生物に良く見られます」
「同じ遺伝子?」
私はそう言葉に出した。
「ええ、親子や兄弟…… 中でも一卵性双生児同士でよく見られます。聞いたことがないですか? 双子のうち、片方が怪我をしたりすると、もう片方が何でもないのに痛みを訴えたりする話を」
望月の言葉に私は頷いた。確かに聞いたことがある。双子の幼児が、片方がグズると、今まで寝ていた方が急に泣き出したり、離れた場所で怪我をした片方の痛みが、全く別の場所に居たもう片方に伝わったりする……
「ええ、確かに聞いたことがあります」
私のその言葉に望月は頷き、さらに話を進めた。
「アレは双子の片方、つまりどちらか一方の脳波に、もう片方の脳波が一時的に一致し、お互いの精神を共有した結果なのではないか、と言われています」
「それってテレパシーみたいな物ですか?」
私はそう聞いた。
「まあ、アレも一種の同調現象と言えるかもしれませんが、あくまで漫画やアニメの中だけの話ですよ。こちらはもっと現実的です。何せその発生原因や法則が特定できていませんからね」
望月は私の言葉にそう結論づけた。
「簡単に『精神を共有した』と言いましたが、その時間や脳波の強弱には個人差があり、どれだけの感覚情報が共有されるのか、今の所全くわかりません。一卵性双生児でも全く起こらない場合もありますし、そういう事が起こったと言う公式な事例も極端に少ないのが現状です。
ですがごく希に…… 今言ったような似通った遺伝子を持つ一卵性双生児でさえ、一生のうちにほんの数回、しかもほんの数秒しか起こらない『精神同調』を、全くの他人の脳とで行えてしまう人間がいます。数憶人に一人とか、そう言うとんでもなく低い割合でね。その者達はそれを『感覚』として身につけてしまっているんです。その彼らが持つ感覚が『シンクロニティー』です。現在わかってるだけでは、世界でも恐らく20人も居ないでしょう」
望月はそう言って私を見つめた。私は話の半分も理解できなかった。話が突飛すぎて……
「九籠君がそうだと仰るんですか?」
私は混乱する頭で、辛うじて望月にそう聞いた。
「ええ…… あの子は、他人の思考に自分の意識を同調させ、それを自分の思考として認識してしまう精神同調感覚、『シンクロニティー』の持ち主です。それも強力な……」
そう言う望月の顔は苦渋に満ちていた。私はその望月の表情を無言で見つめていた。
3
望月の話は、正直私は半分も理解できなかった。端々に出てくる色々な用語もそうだけど、話しそのものもだ。もちろん半信半疑であることも確かだ。
だってそうだろう。いきなり『私、人の心が読めるんです』なんて面と向かって言われたら、誰だってギャグか冗談にしか聞こえない。若しくは『大丈夫?』と逆に問いかけてしまうだろう。
だが、その望月の苦渋に満ちた表情が、どうも嘘を言っているようには見えなかったのだ。それに、確かに先週初めてあった時も、そして今さっきも、九籠は私の言葉を先回りして喋っていたのは確かなようだったし……
「すると、九籠君は他人の心が読めるんですね?」
私はとりあえず望月の言葉を確認するように聞いた。
「心を読む…… 確かにそうとも取れるでしょうが、そんな単純な事ではない。他人の思考をトレースするんです」
望月はそう言って私の言葉を訂正した。
他人の思考をトレース…… う〜ん、どう違うって言うの?
「でもそれって凄いことですよね?」
私は素直な感想を漏らした。それが本当なら九籠は漫画で言うホンモノのエスパーみたいなことをやってるわけだ。本当ならだけど……
「凄い…… はは、確かに凄いことですよ」
望月はそう言って疲れた笑いを漏らした。
「ただ問題は、それを他の五感と同じ『感覚』として身につけてしまっている点です。あの子の脳は、周囲にいるどんな人の脳波とも同調する。どんな人の『思考』も片っ端から受信し、その『思考』を自分の『思考』として行動に移す…… しかし感覚として身に付いているがゆえ、あの子のその感覚はOFFになることがない。寝ている時でさえ……
頭の中に、常に電源の入った何台ものTVがあるような物です。普通ならまともじゃ居られない……」
望月はそう言って目を伏せた。その姿は自分の息子を哀れむ親のそれだった。
「でもそれじゃ、日常生活にも支障をきたすんじゃないですか?」
その私の問いに、望月は頷いた。
「当然です。ですからあの子は学校にも行ってません。義務教育課程も通信教育です。学校に通えないですからね…… でもあの子は自分なりに訓練して自分のその感覚をある程度コントロール出来るようになりました。あの子が外出する時に掛けているヘッドフォン、あれもその一環です」
望月のその言葉に、私は九籠がしていたヘッドフォンを思い出した。そう言えば初めてあった時もヘッドフォンを付けていたっけ……
「音楽を聴いていると気が紛れるんだそうです。それもなるべくアップテンポなロック調の方がその効果が高いみたいです。常に他から流れ込んで来る『思考』をなるべく意識しないようにする…… あの子が編み出した対処方です。それでも4、5時間ぐらいが限界のようで、そうやってあの子は常に他の思考と戦っているんです。自分の思考が乗っ取られないようにね」
そう言って望月はため息を漏らした。
「でも私はあの子が外出するのは反対でした。もしネガティブな思考に支配されたら、あの子はその思考を自分の物として行動してしまう。万が一今回のように『自殺したい』というような思考に同調してしまったら…… そう考えると私としては反対せざるを得ない。それ以外にも周囲から絶えず襲ってくる思考に対抗するのはかなりの精神力と体力を消耗するはずで、そんなことをしてまで外出する理由が私にはわからなかった……」
望月はそう言って困ったような表情をした。
「しかしあの子はどうしてもと聞きませんでした。私が理由を聞くと、あの子は『街を一人で歩くのが夢なんだ』と答えました……
私はそれを聞いた時、胸が締め付けられる気がしました。あの子はその感覚のせいで、普通の若者が、普通に出来るそんなことでさえ『夢』だと語るんです。そう考えると、なんかあの子があまりにも不憫で…… ですから人が大勢いる場所には、私か若しくは幸枝さん…… さっきの女性ですが、そのどちらかが付き添う事を条件に許可しました」
私は望月の話を聞いて胸が痛くなった。九籠が時々見せる、あのちょっと苦しそうな表情は、その流れ込んでくる他人の思考に抗っているからなのだろう。でも、そんなに辛い思いをしてまで、外出したいと思う九籠の気持ちが何となくわかる気がした。
「あの子が万引きしたのも、その女の子の事をわかったのも、そのシンクロニティーでその子の思考に同調した結果でしょう……」
望月は疲れたようにそう言った。私はそれを見て先ほどの自分の疑問を理解した。
「納得いただけたでしょうか?」
望月は私にそう聞いた。私は複雑な思いで頷きつつ答えた。
「まだ…… 混乱してて頭が追いつきませんが、大体はわかりました。理解できたかと聞かれれば微妙ですが……」
私はそう言って言葉を濁した。今の望月の話に嘘は無いように感じるが、『はいそうですか』と単純に納得できないでいたのも確かだったからだ。それは私が刑事だからかもしれないと思った。しかし今回の件で九籠を問いただす気は、私にはもう無かった。
「あの子を呼びましょうか?」
その望月の言葉に、私は首を振りつつ、鞄の隣に置いたコートを手に取り席を立った。
「いえ、その必要はありません。今のお話でわかりましたし、これ以上九籠君に聞くこともありません」
「今の話を信用するんですか?」
望月は少し驚いたようにそう聞いた。私は苦笑しながらコートに袖を通した。
「その質問はちょっと変じゃありません? 信用して欲しいから話したんですよね? それとも全て嘘ですか?」
私は少し意地悪っぽく望月にそう言った。望月は私の言葉に慌てて返してきた。
「いえいえ、初めに言いましたが、私には嘘をつく理由がない。今の話は誓って嘘はない。しかし…… 今の話しであの子の事を理解していただけるとは思っていませんでしたから……」
望月はそう言って恥ずかしそうに頭掻いた。私はそんな望月を見ながら微笑みつつ答えた。
「今言ったじゃないですか、理解できたかは微妙だって。でも信じる、信じないは別ですよ。少なくとも私は、今の話しに…… と言うより望月さんに嘘がなかったように思いました。こう見えても私、自分の人を見る目は確かだと自負してます。これでも刑事ですから……」
いや、信じるのではなく、信じたいと思ったのよ…… たぶん。
私は心の中で自分の言葉にそう付け加えた。
『あなたには理解できない……』
そう言った時の九籠の瞳が、あまりにも哀しかったから…… きっと九籠はそう言いたかったのではなく『理解して欲しい』と訴えてたんじゃないかな?
私が信じたいと思ったのは、正直な話し、望月の話ではなく、あの人の心を吸い込んでしまうような哀しい色をした九籠の目を見たからだった。あの目は、私にある人を思い出させていた。
そう…… あの子も私にあんな目を向けていたんだよな……
「朝の忙しい時分に、お手間を取らせてすみませんでした。私はこれで失礼したいと思います。他にも色々調べなければならないですから」
私はそう言ってバッグを肩から提げるとドアに向かった。望月もドアの方に移動し、ドアを開けてくれた。
「何のお役にも立てなくて申し訳ない」
望月はそう言って頭を下げた。私は「いえいえ」と言いながら玄関に歩いていった。
「それでは、失礼します。九籠君に宜しくお伝え下さい。あと…… 疑って悪かったて」
私はパンプスを履き、「お邪魔しました」と言いつつ玄関を出た。空を覆う雲の隙間から若干の日の光が差し、私はそれを見ながらふうぅとため息をついて、門の外で振り返った。門の上の看板は、来た時より若干明るく見えた気がした。その看板を見ながら、私は九籠の事を思った。
たぶん…… もう会うこともないだろうな。
そう思うと、少しだけ寂しさを憶え、私はそれをうち消すように駅に向かって歩き出した。
しばらく歩いていると、後ろから誰かが走ってくる気配がした。
「茜さん!」
と九籠が私を呼ぶ声がした。私は一瞬振り向こうとしたが、少し考えやめた。若干スピードを落として歩いていると、九籠が追いついてきた。
「気がついてるのに何で行っちゃうんです?」
九籠のその言葉に、私はクスっと微笑みながら振り向いた。九籠は朝着ていた黒いダッフルコートを羽織り、ヘッドフォンを付けていた。そして私が振り向くと、付けていたヘッドフォンを外して首に下げた。
「あら? 私は刑事で、君は万引き未遂の被疑者でしょ? 君の立場なら私を避けたいんじゃ無かったかしら?」
私は意地悪く九籠にそう聞いた。九籠は苦笑いをして私を見た。
「茜さん…… 性格悪いですよね」
「うん、よく言われる」
私はそう言って笑った。九籠はそんな私を見て目を丸くし、そして肩をすぼめて小さなため息をつきながら微笑んだ。その仕草が可笑しくて、私はさらに笑ってしまった。
「駅まで送ります。叔父さんもそうしろって……」
九籠はそう言って私の隣を歩いた。私は歩きながら九籠を見た。九籠はそのヘッドフォンを付けず、首に下げたまま歩いていた。
「ヘッドフォン…… しなくて大丈夫なの?」
私は先ほど望月から聞いた話を思い出し、九籠にそう聞いた。確かヘッドフォンは他人の思考に同調しないようにする彼なりの対抗策で、外出時の必須アイテムのはずだ。
「ああ、多少なら我慢できます。周りにそれほど人が居なければね……」
九籠は歩きながらそう答えた。
「それに、今は茜さんがいてくれます。僕が誰かの思考に乗っ取られても助けてくれるって信じてますから」
私は九籠のその言葉にドキっとして九籠を見つめた。
やばっ…… 思いの外嬉しいかも、その言葉。
しかし、そんな仄かな私の想いは次の言葉で霧散してしまった。
「だって茜さん刑事さんだし」
ははは…… そういうことですか…… まあ、そりゃそうだよね……
「でも、僕がヘッドフォン外して一緒居れる人って、家族以外じゃ茜さんが初めてです。それに、嬉しかったんですよ、僕の感覚のことを信じてくれたのが……」
九籠はそう言って私に笑いかけた。私はその笑顔を見て、顔が熱くなった。
持ち上げて、落として、また持ち上げて…… まったくもう、私はどうしたらいいの?
「常に他人の思考を読みとるのって…… どんな感じ?」
私は乱れた心の中の葛藤を誤魔化すように九籠にそう聞いた。九籠は「う〜ん」と言いながら少し考え答えた。
「口で説明するのは難しいなぁ…… 完全に同調しちゃうと僕はその思考が他人の物だとは思えなくなるから……」
九籠は前を見つめながら続けた。
「実はですね、僕は他人の思考に1度同調すると、その人の思考パターンが蓄積されるんです。それ以降はその蓄積パターンを自由に呼び出せる。そしてたぶんその通りに行動出来ます。これは叔父さんも知らないことなんですけどね」
九籠はそう言って人差し指を唇に持っていき「シー」のポーズを取った。
「何で教えないの?」
私は素直に思った疑問を九籠に聞いた。
「何でですかね…… 僕自身あまり認めたくないからでしょうか」
「認めたくない?」
「ええ、自分的には嫌ですね……」
九籠の表情が、微かに曇ったように見えた。
「僕は一番信用できないのが自分の思考なんです。他人の思考に同調し、その思考を蓄積していく。今ではどれが僕の思考だったのかわからない…… 今こうして茜さんと話している思考でさえ、もしかしたら僕が今まで出会ってきた誰かの思考かもしれない…… そう思うとたまらなく空しくなるんです。自分という存在が空っぽだって事に気づいてしまう。
自分の中ではまだ我慢できるけど、他の人から…… ましてや家族からそう思われるのは辛いです。叔父さん達なら『そんなことないよ』って言ってくれるかもしれないけど、僕は他人の思考に同調する。もし叔父さん達の思考に、そんな思考が混じっていたら、僕は耐えられないと思うんですよ」
九籠は遠くを見つめるような目でそう言った。私はそんな九籠の姿に胸が苦しくなった。なまじ人の思考がわかるだけに、その事実が九籠の心を痛めつけるのだ。
「僕が怒ったり悲しんだり、何かに感動したり笑ったりしても、それは僕の思考で導き出された感情じゃ無いかもしれない。例えば誰かを好きになっても、それが他の誰かの思考から導き出された感情だとしたら…… そう考えると、僕の全てが嘘のように思えてきてしまうんです」
九籠はそう言って乾いた笑いを漏らした。私はこの時初めて、そんな感覚を持ってしまった九籠の孤独を垣間見た気がした。自分の思考に自信が持てないという彼の辛さがどれほどの物かは、当事者でなければわからないが、私は心底彼に同情していた。そしてそれと同時に、それを抱えながら生きていくこの真堂九籠という少年の心の強さにも驚嘆した。
そのうちに私たちは駅に着いた。私は九籠に軽く挨拶して地下へ続く階段に歩いていこうとしたら、不意に九籠が呼び止めた。
「あの、茜さん?」
私は「何?」と九籠を見た。
「また、僕と会ってくれますか? 時間のある時で構わないので」
私はその九籠の言葉に、情けないほど動揺してクラっときた。九籠はおねだりするような目で私を見つめている。
「け、携帯もってたよね?」
私は混乱する頭でそう九籠に聞いた。九籠はポケットから携帯を取り出した。私は自分の番号とメールのアドレスを九籠に告げようとしたら、九籠は自分の携帯に打ち込み始めた。私の思考を読んだようだった。程なくして私のプライベート用の携帯からメールを受信したことを告げる着信音が流れた。私は携帯を開いて画面を覗き込んだ。
「それが僕のアドレスです。本文に携帯の番号を書いておきました」
sinnkurou.brain@……
着信フォルダの頭に、九籠のアドレスが表示されていた。
「シンクロウ、ブレイン……」
私は九籠のそのアドレスを声に出して呟いた。
シンクロウ…… そう言えばさっき望月も九籠の事をそう呼んでいたような気がする。そんなことを考えていると、また私の思考を読んだのか、九籠が私の疑問に答えた。
「僕のニックネームです。真堂の『真』をシンって読んで、名前くっつけただけ。それで僕の持つ感覚の名前と掛けて『シンクロウ』 もし僕が学校に行けたなら、みんなにそう呼んで貰えたかもしれないかなって、叔父さんが付けてくれたんです。まあ、でもそう呼ぶのは結局叔父さんと幸枝さんぐらいなんですけどね」
そう言って九籠は恥ずかしそうに笑った。私はそんな九籠にこう言った。
「私もそう呼んで構わない?」
私がそう言うと、九籠は少し意外そうな顔をした。
あれ? 思考がよみとれなかったのかな? 確かに今私はあまり考えずに言った気がする……
「え、ええ、もちろんです!」
九籠は元気良くそう言った。その顔はとても嬉しそうな表情だった。
「ねえシンクロウ、また会うのは良いとして、私から一つお願いがあるの。聞いてくれる?」
私のその言葉に、九籠は「はい」と素直に答えた。たぶん私の考えを受信しているだろうから、私が言いたいことはわかっているはずだった。でも私はあえて自分の言葉で九籠に言った。
「シンクロウが人の思考を読みとってしまうのは仕方がないと思う。でも、私と会う時は出来る限りで良いから、同調してない『フリ』をして。喩え同調して仕舞っても、してないように振る舞って欲しいの。それが見え透いた演技でも私は構わないから……
私もそのつもりでシンクロウと接するわ。私の言葉で、私の考えを私なりにシンクロウに伝える。だからシンクロウも私の言葉を聞いてから喋って欲しい…… 嫌?」
私のその言葉に、九籠はゆっくりと首を横に振った。それを見て私は頷いた。
「その方が人間として自然でしょ? 私にとっても、シンクロウにとっても」
「茜さん……」
私の言葉に九籠はそう呟いた。私はそれを聞きながら続けた。
「私はね、シンクロウの言葉を信じてあげる。自分の中にある思考の、どれが自分の思考か信じられないなら、自分が『一番信じたい思考』を選べばいいじゃない。喩えそれが他の誰かの思考だったとしても、私はシンクロウの言葉として聞いてあげるわ」
私の言葉に、九籠は少し困ったような顔をした。
「あれ? 私なんか変なこと言ったかな?」
すると九籠は首を横に振って答えた。
「いえ、そんなこと言われたの初めてだったので、どういう反応をして良いかわからなくて…… あ、でも凄く嬉しいです」
戸惑う九籠に私は笑いかけてこう言った。
「嬉しい時は素直に笑えばいいのよ」
私の言葉に、九籠は笑顔で「はい」と答えた。その顔は、私が九籠と出会ってから初めて見る17歳らしい笑顔だった。私はきっとこれが、九籠の本来の顔なんだと思った。
「ありがとう、茜さん」
九籠はそう言って手を挙げた。私はその魅力的な笑顔にとろけそうになりながらも、手を振って「またね」と言いながら地下へ向かう階段を下りていった。
ああ、もうどうしてくれようこの気持ち!
私は緩みまくりる口元を右手で隠しながら、携帯を取り出し画面を覗き込む。そして先ほどゲットした九籠からのメールを開いた。そこには九籠の携帯番号を示す11桁の数字と『ありがとう、茜さん』と言うさっき九籠が言った言葉と同じメッセージが書かれていた。私は嬉しい気持ちを抑えつつ、その番号とメールアドレスを登録した。登録しながらキャンディーズの『年下の男の子』なんぞを小声で口ずさんでみたり……
とその時、車内アナウンスが次の停車駅を伝えてきた。
《まもなく広尾〜 広尾〜 お降りの際はお手周り品をお確かめの上……》
ん?
私は不思議に思いドア上の路線図を見た。そこではたと気がついた。
あれ? そういや何で私地下鉄乗ってるのー!? 署に戻るなら東横線じゃん!?
私は電車が止まるやいなや、慌ててホームに降りた。そこは今朝九籠と一緒に電車に乗り込んだ広尾駅だった。
年下の男の子のメアド&電話番号ゲットで舞い上がり、乗る電車間違える警察官てどうなんだろ実際……
私はそんなアホな自問自答を繰り返しながら、下り線のホームに歩いった。
この日から、刑事である私と、『シンクロニティー』という特殊感覚保持者である九籠のちょっと奇妙で微妙なつき合いが始まったのだった。
〜出会い編 完〜
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2010/12/20(Mon)19:40:20 公開 / 鋏屋
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■作者からのメッセージ
初めて読んでくださった方、ありがとうございます。
毎度読んでくださる方、大変感謝いたします。
今回はちょっと修正とタイトルを変更し、出会い編といたしました。内容はほとんど変わってはおりません。この『出会い編』を長いプロローグとし、『事件編』として新たに投稿したいと考えます。
鋏屋でした。
作品の感想については、登竜門:通常版(横書き)をご利用ください。
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