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『龍のともし火』 ... ジャンル:童話 ファンタジー
作者:森木林
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あらすじ・作品紹介
――しかし、機会は訪れた。お前達は伝説を知らなければならない。 遠い昔から伝えられる龍の伝説とは一体。 龍と人、伝説と人、神と人。このような人と信仰の関わりの変化を描いたファンタジー作品。 現代に生きる人たちへ向ける、大人も子供も楽しめる物語。
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金色の鱗に銀の瞳、大きな翼に長い尾を引き連れて、ウォーン、と唸り声を上げながら、時折、口から炎を漏らしながら、その龍は、真っ赤に燃え上がるような色をした、大空へと舞い上がる。永い眠りから目覚めたばかりなのであろう、暫くの間、首を左右に振ったり、翼を何度か羽ばたかせたりして、自分の身体の動きを確かめている。その巨体が動くたび、空気がブンブンと音をあげる。やがて、一通り終え感覚を取り戻すと、ゆっくり翼を動かして空に浮かんだまま、そっと目をつむった。
辺りは夕暮れの匂い。太陽は夕日に変わり西の山の頂に被さっている。どこまでも続く山脈は、まるで世界の全てが木々に覆われてしまったかのように思わせる。そこで生活をしている動物たちは、突如空に現れた龍に気付くと、ガザガザッと音を立てて逃げていく。鳥たちも同様、哀れな泣き声をあげながらどこへともなく逃げていく。たちまち龍のまわりの生の気配は消えてしまった。
――さあ、ゆこう。
そんな思いが龍の心に浮かんだのだろう、思いついたようにパッと目を開き、炎を吐き出すと、勢いよく翼を動かし、西の空へと羽ばたいていった。
『 龍のともし火 』
1.
「じいちゃん、じいちゃん、あのお山、燃えているよ」
少年、喜久(キク)は、村の西にある大きな山の頂を指差して言う。
「そうだな、喜久、まるで燃えているようだな。でも、本当に燃えているわけじゃないよ。あれは、夕日が山頂に被さっているだけさ。木々の葉が光を反射して、ギラギラ、燃えているように見えるけどな」
村の長である吉(ヨシ)が、顔をほころばせて答える。それから、喜久の頭をそっとなでた。
2人は、村のはずれを流れる川沿いを歩いていた。一日も終わろうとする時刻、暇を持て余して散歩をしていたのだった。
「……でも、本当に燃えているみたいだよ」
喜久は、山の頂をじっと眺めて言った。それはやはり炎が上がっているようだった。山の頂の部分だけ、その向こうに見える夕暮れが僅かに歪んでいるのだ。
「んん……」
吉はじっと目を凝らしてみた。老眼で視力が落ちてきていたために、それを確認するまでになかなか時間が掛かったが、彼の目にも、山が燃えているように見えたのだった。
「こ……これは」
長老は目を丸くした。ガクガクと膝が震えだす。
「じいちゃん、どうしたの」
喜久は彼の手を引っ張り、目を覗き込んで訊く。
「いいか、喜久。……山のほうへ、耳を澄ませてみろ」
吉は震える声で言った。突然のことで、喜久は少し戸惑ったが、言われるままに耳を済ませてみた。耳の方にじっと神経を集中させると、周りの雑音がそっと消えていった。そして、遠くの方から微かに、ウォーン、という謎の音が聞こえた。
「ウォーンって、よく分からないけど、何か聞こえたよ」
そう言うと、吉は何度か頷き、目と口を大きく開いて、山の方をじっと見つめた。
「ああ、ああ。……これは、大変なことになった。喜久、急いで村の者を広場に集めておくれ。急いでだよ。……それにしても、大変なことになった」
吉の視線は、山へとではなく、もっと遠くの方へと向けられているようだった。相変わらず膝はガクガクと震え、手はギュッと力強く握られている。喜久は顔を横に傾け、訳が分からないといった表情をしていたが、自分に使命が与えられたことに気付くと、一目散に村へと走っていった。
「吉さん、どういうことだよ。山火事か? なら今すぐ男衆で」と若者が言おうとするのを、長老が遮った。「山火事などではない」
「じゃあ一体何が起きたと言うんだ。広場にみんなを集めてさ」
若者がため息をついて言うと、広場に集まっていた者たちも、そうだそうだ、と納得して言った。
「山が燃えていると言ったそうだな、坊主」
若者は喜久の方を向いて言う。喜久はうなずく。
「幸い、今はもうその炎は見えない。自然に消えたようだ。ほら、もう真っ暗だ」
若者の言葉で、みなは西の山を見た。たしかに炎らしき光は確認できない。すっかり暗くなっていた。火は自然と消えてしまったようだった。
「まあ、めでたし、めでたし、だな。もう解散でいいだろ、吉さん」
若者がそう言って去ろうとすると、長老は大声でとめた。
「待て、まだ話は何もしていない。お前達には、これから大仕事が待っている――それは本当の意味での大仕事だ。だが、それを言う前に、まずお前達にはこの村に伝えられる、龍にまつわる話をせねばならない」
「龍にまつわる話?」
若者は顔をしかめるが、長老は真顔だ。
「いつか話そうと思っていたが、なかなか機会が無くて言えなかった。しかし、機会は訪れた。お前達は伝説を知らなければならない」
長老は皆にその場に腰を下ろすよう促した。反抗的だった若者も、ブツブツと文句を言いながら腰を下ろした。
「これは、まだわしが幼かった頃の話だ」
2.
これは、まだわしが幼かった頃の話だ。
そうだなあ、わしが喜久くらいのときだったろうか。
あの頃の村人たちは、みな龍の伝説を知っていた。いや、龍自体を知っていた、と言った方がいいのかもしれない。そもそも伝説だなんて思っている人は誰もいなかったし、実際それは伝説ではなかった。
今でもしっかり覚えている。あの時も、西の山に小さな炎が揺れていた。そして、龍の鳴き声が微かに聞こえた。
そのことを村の者たちに言うと、みな急に慌てだした。龍が来る、龍が来る。そう言って、走り回っていた。
龍が来る。わしはまだ子供だったから、何のことだかさっぱり分からなかったよ。でも、村の者たちが必死になって何やら働いている姿を見て、これはただごとじゃないと思った。男たちはすぐさま山へと出かけていき、女子供は出かける準備を始めた。2晩経って準備が整うと、その大荷物を抱えて、男たちの後を追って山へと出かけた。
今思うと、わしの一言で村の様子がそんな風に一変したのだから、こんな奇妙なことはないな。喜久も、今はきっとあの時のわしと同じ心境だろう。しかし、これはやはりただごとではなかったのだ。
山へたどり着くと、そこには巨大な塔が立っていた。本当に巨大な塔だった。高さは天にも届くほどだったし、直径も家2つ3つ分くらいあった。信じられないことだが、それは男たちが3日で作り上げたものだった。わしらが村で準備を整えている間に、こんな物が作られているのだなんて想像もつかなかった。
わしは母に――今は亡き母に――何度も訊ねた。なあ、これから何が始まるんだ、祭りか、何か楽しいお祭りでも始まるのか、ってな。何しろ見たことも無いくらい巨大な塔が山の頂上にそびえ立っているのだ。興奮していたのだろう。目を輝かせていたかもしれない。母は、しかし、人差し指を口にあて、わしの耳元でそっと言うのだった。お祭りじゃないよ、これから龍の儀式が始まるのさ。わしには訳が分からなかった。龍? 儀式? なあ、儀式って何だ。きっとわしはそんな風に訊いたと思う。母は、とにかく静かに、塔に向かって手を合わせ、目を瞑って祈るのよ、と言った。
それからどれほどの時間が経ったのか、わしにはさっぱり分からなかった。5時間か6時間かもしれないし、2日か3日くらい、いや、1週間くらい経っていたのかもしれない。時間の感覚というのが失われていたのだ。腹が減ったら各自食事を取る。何しろ食料は大量に持ってきていたのだから、食べたけりゃ食べたいだけ食べれば良かったのだ。食べて、寝て、塔に向かって祈る、そんなことを繰り返した。そして、その瞬間は来た。
龍が、やってきたのだ。
それは、恐ろしく巨大な龍だった。本当に恐ろしくてわしはその姿をじっと見ることが出来なかった。だから、どんな姿をしていたのかはさっぱり分からない。空が赤くなり、すごく強い風が吹いて、ウォーン、という鳴き声がした。それで、大きな龍が来たのだろうと直感でわしは思ったのだ。龍はしばらくあたりを飛び回って、それからふっと消えた。
わしはずっと目をつむっていたが、そっと目を開くと、龍の姿はもうどこにもなく、かわりに、塔のてっぺんに大きな炎が燃えていた。炎はまるで生きているようだった。見たこともないくらい強い光を放ち、見たことも無いくらい力強く燃えていた。
それから先のことは、今では全く覚えていない。ひどく興奮して放心していたのだから、仕方が無い。ただわしの瞳にはいつまでもたくましく燃える炎が映っていた。
そして、その後はみな、西の森の頂で燃えるその炎を見て生活をしていたように思う。暗く地味な生活に、その光が元気を与えたのだろう。村は明るくなり、人も明るくなかった。その炎が灯されて以来、な。
「伝説は伝説ではなくなり、そしてそれはわしに受けつがれた」
吉は、目をつむって、昔を懐かしむように何度か頷いた。
「喜久、お前は、さっき何かの声を聞いたと言っていたな」
喜久はそっと頷いた。
「それは、子供にしか聞こえない龍の声だ。そのことが、何を意味しているか、お前にも分かるね」
吉はそう言うと、パン、パン、と手を叩いた。
「いいか、もう説明すべきことは何も無い。すぐ準備に取り掛かれ。今すぐに、だ」
すると、例の若者が、
「ちょっと待てよ。そんな夢みたいなことを本気に出来るかよ」
と言って抗議した。
「お前はたしか北の大工の秀(ヒデ)だね。お前の力が必要だ」
「数日でそんな塔が建てられるわけがない。絶対に無理だ」
「無理じゃない。計算や予想で何がわかる」
吉は、秀の前へとゆっくり歩いていき、手を肩にそっと乗せた。
「やってみなきゃわからない。……みんな、いいか、これは後から聞いた話だが、塔の完成が間に合わなければ、代わりに村が龍の炎に包まれることになる。そうならないためにも、急いで取り掛からねばならない。灯台を作るのだ。巨大な灯台を、な」
吉はそう言うと、再び秀の目をじっと見た。秀は仕方がなさそうに、何度か頷き、
「ああ、分かったよ。そのかわり、報酬は高くしてくれよ」
と言った。
すると吉は微笑み、広場にいるみなに聞こえるよう大声で言った。「これは儀式だ。儀式が無事に終われば、盛大に祭りをしよう。酒も食い物も、好きなだけ用意して、ぱあっと、な」
その言葉が、広場にいる者たちを元気付けたのだろう、みな、長老の言うとおりに――昔の村人たちがそうしたように、すぐさま準備に取り掛かったのだった。
3.
翌朝、秀は村の門の所で腕を組み、みなにあれこれと指示を出していた。彼はこの村の大工の中で名のある者だったので、長老から指揮を頼まれていたのだった。
「よし、その木も運ぼう。……ああ、それは柱に使えるな、それも持って行こう」
3日やそこらで巨大な塔が造れるかどうかは、確かにやってみなければわからない。そんなことを今まで試したことはないのだ。とにかく運べる木は運んでいって、闇雲に立てていこう。こんな仕事はさっさと終わらせて、早く祭りでも開いて盛大に酒を飲むんだ、と彼は思っていた。
樽ほどの酒を一気に飲み干す姿を夢見て一人微笑んでいると、
「おう、秀じゃないか、何ニヤニヤしてるんだよ」
と、隣町の大工仲間である弦(ゲン)が話しかけてきた。秀は驚いて、
「あっああ、突然話しかけるなよ、びっくりするだろう」
と言いながらも、やはり酒のことが嬉しいらしく、
「なあ、ここだけの話だぜ。酒がな、おっと違う違う、龍が来るんだよ、あの山に」
西の山を指差しながらそう耳打ちした。
「龍って何だよ、お前、何か様子が変だぞ。それに、この村のやつら、何をこんなに急いでいるんだよ。祭りでも開くのか」
「まあ聞けよ。祭りは後だ、そのまえに、長老の話だと……」
秀は彼に長老の言っていた伝説の話をした。男は興味津々にその話を聞いた。
丁度、全てを話し終わったときだった。
「おい、何を話している」
長老が秀の方に歩いてきた。
「な、何でもねえよ。おう、それじゃあな」
秀は手早く弦に別れを告げた。弦が去っていく姿を怪しげな目で見ながら、長老は秀に、
「お前、まさか龍の話をしたんじゃないだろうな」と疑うように言った。
「そんな話、するわけないだろう」
「忘れたのか、あの話は村のもの以外には……」
「だから、そんな話なんてしてねえよ」
秀はそう言って長老の前をそそくさと去っていった。
一晩明け、西の山の頂には、早くもこれから作る塔の骨組みが出来上がっていた。村人たちが力を合わせた甲斐もあって、予想よりもすんなりと作業が進んだのだった。
「よし、このペースでいけば間に合うかもしれないな」
秀は土台をいろいろな角度から眺め、完成した姿を頭の中に思い浮かべた。
「こりゃあ、すごいのが出来そうだな」
想像しただけで鳥肌が立った。今までに建ててきたどんな建物とも比べ物にならない。山にかかる雲を貫くほどになるだろう。
彼はギュッと拳を握り締めた。始めは長老の話なんて信用していなかったが、少しずつ彼の中にも、手ごたえのような、不思議な実感が湧き始めていたのだった。
「誰も見たことが無いような、巨大な塔を作ってやろうじゃねえか」
そう呟いて、彼は再び仕事に取り掛かった。
4.
「金色の龍? お前、ふざけてるのかよ」
「龍なんているわけがないだろう」
「俺たちはそんなおふざけに付き合ってる暇はないぜ」
隣の村では、弦が村の男衆を集めて、昨日手にした龍の伝説の話をしていた。
「ああ、確かにな、俺だって龍の話をまともに信用しているわけじゃない。でも、隣の村のやつらを見てみろ。全員その伝説を信じて働いているんだぜ。これは何かあるだろう」
弦はそう言うと、西の山を指差した。
「秀の話だと、あの山に龍が来るらしい。近いうちに、な。これがただの噂だったら笑い話だが、もし本当に龍が来たとしたら? 考えて見ろよ、龍だぞ、それも金色の龍だぞ」
すると、村人の一人が顔をしかめて言った。
「だから、お前は何が言いたいんだよ」
「頭が固いやつだな。カネだよ、カネ。その龍を倒せば、山ほどの金が手に入るぜ、きっと。こんな儲けるチャンスはないだろう。この村だって、一気に活気付くくらいの金が手に入るんだ。みんな裕福な暮らしが出来るようになるんだ」
「だけど、そんな龍をどうやって倒すんだよ」
「大丈夫だ、もう手は考えてある。……巨大な大砲を作るんだよ」
そう言って弦は微笑んだ。「巨大な大砲?」と村の者達は顔を見合わせて言った。それから「そんなものがどこにあるんだよ」とか、「今からそんなものが作れるわけ無いだろう」といった非難の声が飛び交った。
弦は、そんな声に聞こえぬふりをして、村人達に向かって大きな声で言った。
「とにかく俺の言うとおりに動くんだ。俺たちだって負けずにこれから大仕事に取り掛かるぞ。絶対に龍を倒すんだ」
その日の晩、吉と喜久は夕食を終えると、だいぶ形の出来上がってきた塔の裏側で焚き火をしていた。パチパチと音を立てて枝が燃え、その小さな炎を見ながら、吉は喜久に話しかけた。
「喜久は龍を信じるかい」
喜久はしばらく考えてみたが、自分でもよく分からなかった。見たことが無いのだから、信じるにも信じられなかったのだ。
「うん、そうだろうな。わしも、子供の頃は、正直龍がこの世界にいるのだなんて信じられなかった。でも、龍は本当にいるんだ。そして、これからここへ来るんだよ」
「……龍が本当にいるのなら、見てみたいな」
喜久がそう言うと、吉は微笑んだ。
「ああ、見られるさ。喜久が見たと言った小さな炎も、声も、龍が来る合図なんだ。それは、誰にでも分かるものじゃない。選ばれた者にしか分からないんだ」
そう言うと、吉は、すっと真剣な表情をして、遠くの山のほうを眺めながら呟いた。
「わしは、どうしてもこの目で龍を見てみたいんだ。最初に会ったときは、目をつむってしまっていたからな。だから、もう一度そんな機会が来ないものかと、子供の頃からずっとずっと夢見てきたんだ」
喜久は吉の目をそっと見た。それは、子供の目のように輝いて見えた。今まで長老のそんな姿を見たことが無かったから、喜久は少し驚いたのだった。
「……僕に、龍が見えるかな」
喜久がそうつぶやくと、吉は微笑んで、「喜久なら見えるよ、きっと」と言った。
5.
「完成だ」という叫び声に続いて、大きな歓声が辺りに響いた。その歓声の真ん中に、天にも届くほどの巨大な塔が立っている。大人も子供も、その大きさに見とれていた。そして、これからそのてっぺんに龍が炎を灯す姿を思い浮かべた。
「よいか、村の者」と長老である吉が言う。
「これからはずっと塔に向かって手を合わせ、祈りを捧げるのだ。もうじきに、龍は来る」
塔は完成し、食料も運び終わり、あとは龍が来るのを待つだけだった。村の人たちは、長老の言うように、塔に向かって祈りを捧げた。
その頃、塔から少し離れたところでは、大きな大砲が身を潜めていた。火薬が用意され、あとは弾丸を入れればすぐにでも発射できる状態だった。
「ここなら向こうにいる隣村のやつらにもばれないし、上手い具合に木々で隠れているから龍にも気付かれないだろう」
弦は大砲をなでながら興奮した口調でそう言った。
「でも、こんなことして大丈夫かよ」
そばにいた村人が不安そうに言う。
「お前、ここにきて怯えているのか」
「だって、相手は龍だぞ。もし失敗したら、どうなるか……」
「失敗なんてない。絶対に倒すんだ。そして、金を手に入れるんだ」
弦は拳をギュッと握り締めた。塔の辺りを飛び回る龍に向けて、大砲を放つ瞬間を思うと、胸が弾んだ。
「なあ、そろそろじゃないか。もう弾丸をつめる準備を……」
弦がそう言おうとしたその時、辺りが一瞬で真っ暗になった――それは、暗黒と呼ぶにふさわしい黒、光という光がこの世界から消えてしまったかのような暗闇だった。皆は一気に混乱状態となった。「なんだなんだ」「火はどうした」「何が起きたんだ」そんな声が飛び交いだす。
弦は皆に、静かにしろ、と言って宥めていたが、何気なく東の空を見た瞬間唖然となった。
「お……おい、あれ……」
彼はみなに東の方を見るように言った。
小さな光の点が見える。そして、それは少しずつ、確かに少しずつ大きくなっていく。始めは点ほどの大きさであったはずのそれが、徐々に姿を現しはじめた。
――まさに、龍だった。
真っ暗闇の中を、炎を吐きながらこちらへ飛んでくる金色の龍だった。
みな、その姿を見て言葉を失った。
龍は、銀色の目を光らせながら、まっすぐに塔の方へと飛んでくる。
そんな中、弦は、いち早く冷静さを取り戻した。
「おい、何をぼうっとしている。早く弾丸を入れろ。それから、発射のタイミングを見計らうんだ。これを逃したらもう次は無いぞ」
弦は美しく羽ばたく龍をじっと眺めて思う――こいつを絶対にしとめてやる。
6.
龍がその大きな翼を羽ばたかせると、一気に塔よりも高く、雲よりも上へ舞い上がった。一瞬にして、龍の姿は雲の上へと消えてしまう。龍は上空から下を見下ろし、うなりを上げ、大きく口を開けて炎を吐いた。すると一気に空が夕暮れ時のように赤くなる。その光景を見れば、誰しも雲が燃えているように見えることだろう。この世の終りを思わせる赤、それはやがて巨大な灯台の先へと移る。灯台に移った炎は次第に大きくなり、暗闇だった世界に明かりが灯る。
吉がそっと顔を上げると、そこには炎の灯った大きな塔、そしてその向こうに巨大な金色の龍がいた。吉は声にならない叫びをあげた。目の前の光景は、本物だろうか。本当の世界だろうか。そっと両手で目を擦ってみるが、見える世界は変わらない。気が付くと、涙が溢れていた。何故かは分からないが、頬を涙が伝っていた。
喜久も龍に見とれていた。金色に輝く龍。震える空気。全てが想像を超えていた。そして喜久は、何故か龍との繋がりのようなものを感じた。不思議な感覚だった。それは、もしかしたら、自分は吉の言うように選ばれた人なのだ、という思いが生んだものかもしれない。しかし、これはたしかな繋がりであるように思えるのだった。
龍は、祈りを捧げている村人達を見渡した。それから、空気が揺れるほどの大きなうなりをあげた。
――と、その時だった。
ドン、と、どこからか爆発音が鳴り、地響きがした。そして、巨大な弾丸が、それは真っ黒な星が降ってきたように、龍に当たった。途端、龍が大きな叫びをあげる。弾丸は龍の左の翼に当たり、その翼を貫いて飛んでいく。風穴の開いた翼からは、大量の血があふれ出す。龍は、顔を歪め、目に怒りの色を浮かべた。そして、大きく口を開け、木々の中に隠れていた大砲を目掛けて、炎を吐き出した。
「まずい、逃げろ」
弦を含めた隣村の者たちは、龍に気付かれたと分かるやいなや、一目散に大砲から離れていった。直後、龍の炎が届き、大砲は破壊された――間一髪、危機を逃れたのだった。
祈りを捧げていた村人たちは、何が起きたのか全く分からなかった。吉は「ああ」と叫び声を上げ、龍の方へと走っていこうとするが、周りの人達がそれを必死で止めた。龍は、傷を負った翼を庇い、よろめくようになりながらも、雲の上へと消えていった。
「何故だ、何故だ、一体」
吉はそう叫んだ。
「長老、落ち着いて、今は動かないほうがいい」
駆けつけた秀が言う。
秀は、心の中で、もしやあれは弦の仕業ではないかと考えていた。いや、間違いなくあいつの仕業だ。あいつ以外に、龍のことを知っているよそ者はいないはずだ。だとしたら……これは俺の責任だ。
彼は長老を止めながら、後悔の念に襲われていたのだった。
「……すべて終わった」
長老はそうつぶやき、うつむいた。
「もう龍は二度とここへは来ない。伝説は終わったのだ」
その言葉を聴いて、村人たちはみなうつむいてしまった。
「じいちゃん! じいちゃん!」
突然、喜久が叫んだ。喜久は、遠くの山の方へと消えていく龍を指差していた。「龍が帰っていくよ」
――さようなら。
喜久は、消えていく龍に向けて、そっとつぶやいた。龍の姿は段々小さくなっていき、現れたときと同じように、最後は点となって消えた。
喜久は、龍の姿が見えなくなってからも、その方向の空を眺め続けた。龍に出会ったときに感じた繋がりのような感覚は、今もまだ続いていた。不思議なことに、喜久は龍と別れた気がしなかった。どこからか、いつまでもざわめく翼の音、龍の鳴き声。もしかしたら龍は、目の前から消える代わりに、心の中に入ってしまったのかもしれない、と思った。
7.
灯台で燃える炎はいつまでも消えなかった。
昔と同じように、村人たちはその炎に幾度となく励まされたのだった。
龍はもう二度と来ないだろう。伝説の生き物に人が手を出せば、それは消えてしまうのだ。と長老は言う。
「ねえ、じいちゃん、龍はどこに行ったんだろう」
何日か経ったある日、喜久は吉にきいてみた。
「目に見えないところへ行ってしまったんだよ」
と吉はさびしそうに微笑みながら言う。
「なんだか、あの時から不思議な感じがするんだ」
「ほう。それはどんな感じだい」
喜久はそっと笑った。
「分からない。……ねえ、もしかしたら、僕の心の中にいるのかなあ」
吉は、はっはっ、と笑った。
「ああ、そうかもしれないね。これからはそこに住むのかもしれないね」
龍は世界から消えた。
だがしかし、その炎――龍のともし火――は、いつまでもいつまでも消えずに、人の心に明かりを灯し続けるのであった。
――おしまい――
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2010/03/10(Wed)10:35:03 公開 / 森木林
■この作品の著作権は森木林さんにあります。無断転載は禁止です。
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■作者からのメッセージ
ここにはずいぶん前にお世話になったことがあります。それから久しくなりますが、また作品を持ってきました。
これは、一応子供達に向けて書いた作品ですが、多くの人に読んでいただきたいです。そして、読んで思ったことを知りたいです。
難しいことは書いてないので、読みやすい作品だと思います。お時間がありましたら、よろしくお願いします!
作品の感想については、登竜門:通常版(横書き)をご利用ください。
等幅フォント『ヒラギノ明朝体4等幅』かMS Office系『HGS明朝E』、Winデフォ『MS 明朝』で42文字折り返しの『文庫本的読書モード』。
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MSIEではフォントサイズによってアンチエイリアス掛かるので、「拡大」して見ると読みやすいかも。
2020/03/28:Androidスマホにも対応。Noto Serif JPで表示します。