『ジョビネル・エリンギ3 第二話(完結)』 ... ジャンル:ファンタジー アクション
作者:木沢井                

     あらすじ・作品紹介
 傭兵ジークは、ミュレという少女を連れて旅を続けている途中、リュリュという少女に出会う。 彼女は怪我をしており、ジークは仕方なく彼女の住む場所まで送り届けることにしたのだが、その裏には目的があった。 その一方で、強欲な姉と下っ端気質の弟が金儲け企んでいたり、とある少年が野性味たっぷりの大男に襲われるなどののっぴきならない事態が……。

123456789101112131415161718192021222324252627282930313233343536373839404142
4【多々交差あり】


 下弦の月の下に、アシュレイの雄叫びが木霊した。
 彼の持つ、長柄に反りのある刃が付けられた武具が、今度は垂直に振り下ろされる。
「!」
 ヴィルはその迫力に怯みながらも退かず、むしろ前進し、アシュレイの真横を通り抜けたのであった。
「ヌ!?」
 アシュレイは、動揺した。彼は両手で武器を構えており、しかも大上段に構えて跳躍していたのだ。
 威力一辺倒の一撃は、それだけに大きな隙を生む。ましてやヴィルは相手との距離を作らず、更に詰めてきたのである。
 結果として攻撃が裏目に出たため、当然アシュレイは警戒した。必要であれば一撃を喰らう覚悟を決め、それでもまだヴィルを仕留める気概を失うことなく腰を落とし、蹴りの一撃でも見舞おうかとしていたのだが、
「ヌ……」
 先刻、予想外の俊敏さで詰め寄ってきた少年(のような風体の子ども)はアシュレイに何の攻撃を仕掛けることもなく、一目散に森の中へと逃げ込んだのであった。
 躊躇すること数秒、アシュレイは長柄の武具を握り締め、しかしヴィルを追おうとはしなかった。
 アシュレイは、リュリュと別れた後、とある理由から彼女ら一行を後ろから追っていたのだが、その時点からヴィルの存在を認めていた。
 最初はその様子から、臆病者の一人くらいとも考えていたアシュレイだが、ヴィルがジークらに気づかれることなく姿を隠して尾行していることに警戒心を抱き、今まさに里の中へ忍び込もうとするのを見た時、彼の警戒心は爆発したのであった。
 防衛の徹底と外敵の完全な排除――似て非なる二つを天秤にかけ、アシュレイは、彼の精神は前者を選んだのだが、
「こっちだよおじさん! ボクはこっちにいるぞ!」


 アシュレイが判断を下すのに要していた数秒は、ヴィルにも公平に与えられていた。
(……逃げよう!)
 ヴィルの頭の中では、感情と理性のそれぞれが同じ選択を採っていた。
 感情はヴィルの臆病な気質の反映を正確に受けており、アシュレイの迫力、彼の外見から感じた危険性への恐怖を覚え、直観的に逃亡をヴィルに促した。
 一方で理性は、ヴィルが課されている任務の達成を念頭に入れた上で、即ち戦略としての逃亡を命じていた。
(あの人と戦うことは……怖いけど、無理じゃない。でも、ボクのしなくちゃいけないことは、それじゃない)
 ヴィルは、強く自分に言い聞かせる。自分の使命、役割、それらを果たすために必要なものと不要なものについて。
 逃げる――感情は、すぐ目の前にあったアシュレイという恐怖からの逃亡を望み、すぐにでも始まるであろう全力疾走に向けて頭と身体に備えさせていた。
 だが、ヴィルの理性が感情の手綱を手放すことはなかった。
「こっちだよおじさん! ボクはここにいるぞ!」
 依然変わらぬ恐怖に顔の端を歪ませ、目じりには涙を浮かべながら、それでもヴィルは森の中からアシュレイに向かってへたくそなリグニア語で呼びかける。
 生き残るためには、逃げる。これは間違っていない。
 ただし、何故生き残らなくてはならないのか、その理由を忘れてはならない――強く念じるごとに、この言葉がヴィルの中で彼に力と勇気を与えた。
 恐怖と緊張の中でヴィルが選んだ選択肢は、『アシュレイを森の中へと招きよせ、そこから彼を振り切って壁の内部へと潜入する』ことであった。
「捕まえられるものなら捕まえてみろ。だけどおじさんじゃボクは捕まえられないぞ!」
 目立ち過ぎない程度に抑制された挑発の声が森のどこかに消えるよりも早く、猛烈な勢いで迫る気配があった。
(来た……!)
 確認すると同時に、ヴィルの体は動いていた。
 帯のように所々から差し込む月光によって、ヴィルの眼は夜の森の中であっても充分に見渡すことができた。僅かだが突き出た木の根にも地面の隆起にも足を取られることなく、ヴィルは風のように殆ど音を立てずに木々の間を通り抜けていく。
 だが、その背後からは依然として雄叫びが聞こえてくる。
 ヴィルが気配を消して立ち止まれば殆ど同時に慎重に彼の様子を窺うようにして立ち止まり、ヴィルがにじり寄ってくる気配に耐えられず走り出せば、足音はすぐさま一定の間隔を保ったまま猛追を再開するのだった。
 走っても止まっても、アシュレイは影のようにヴィルとの距離を離さず――
「ヌゥァアアアアアアッ!!」
「ひぇ!?」
 突然 真横(、、)から藪を突っ切って現れたアシュレイの、豪腕から振るわれる間断なき一閃を、ヴィルは間一髪のところでくぐり抜ける。
「――――!」
 ヴィルの背筋を、冷たいものが走る。
 返しの刃。アシュレイの武器は、棒の両端に、互い違いの方を向いた刃が付けられていた。持ち方が変わっている。
 一瞬の間に幾つもの情報が駆け巡った末に思考が命令を下すよりも尚寸刻速く、ヴィルは屈んだ状態のまま転がって身を投げ出す。小石や低木の枝が顔や体に辺り、その痛みで涙が出そうになる。
「……っうう!」
 痛い。苦しい。怖い――目の前にある全てからの逃亡へと誘う感情を唸りに換えて吐き出すと、ヴィルは鞄を落とさぬようしっかりと抱えて再び走り出す。
(嘘でしょ? 冗談でしょ? 何であのおじさん、ボクについてこれるの!? ていうか、なんで追いつけるの!?)
 というヴィルの動揺には、理由があった。
 ヴィルの眼は、特別であるとさえ言える代物である。静止視力、動体視力ともに優れ、夜目も利く。
 加えて、ヴィルの身体能力は同年代の身体能力を大きく上回っている。彼が所属する組織での訓練に因るところもあるが、それも突き詰めればヴィルの持つ先天的な能力に根本的理由を求めざるをえない。
 暗夜の森でも障害物を素早く認識し、たとえ不慣れな土地であっても転倒することなく走り続けられるヴィルは、これまでに何度も偵察を行い、その内の幾つかは成功させていた。
 その成功を支えてきたのも、全てはヴィルの身体能力と彼自身の特性によるもの。ヴィルにとってこれら二つは自信の根幹を成していると言って過言ではない。
 その二つを、アシュレイはたった一つの行動で根元から揺るがそうとしていた。
 迷うことなくヴィルを追いかけるという、ただそれだけのことで。
 アシュレイには、森の全てが視えている。
 その原理は、説明すれば何のこともない。古来より多くの情報を知っている側が戦いを制するように、アシュレイが地の利という点でヴィルを圧倒しているという、単純にして明快なものである。
 ヴィルのように視覚のみに依らず、付近一帯の山中であれば五感の全てと記憶を駆使して相手を追い詰めることのできるアシュレイは、ヴィルにとって全くの脅威であった。
(っあーもう! 考えたってどうにもならないんなら考えない! 以上!)
 まとまらない己の思考に苛立ちを感じ、ヴィルは声に出さずに喚く。明らかに兄貴分を自称する少年の悪影響を受けていた。
(どうしよ、ただ振り切るだけだったら……できなくは、ないけど)
 ヴィルの頭に、とある人物の言葉が思い起こされる。
(――「いいな、必ず覚えておけよ」――)
 ヴィルが思い出した言葉は、尊敬する上司にして、自身ともう一人にとって親も同然である人物、ディノンからのもの。
(――「もしお前が今のままのお前を望むんなら、日に二度も三度もやるんじゃねえ。いいか、絶対に忘れるんじゃねえぞ」――)
(分かってるよ、ディノンさん)
 低い所にあった枝をくぐり、ヴィルは小さな拳を握る。
 ディノンは彼に、使うことを禁じてはいない。ただ、使いどころを見誤るなと、依存してはならないと釘を刺していたのだと言ったのである。
「使うなら、今だよね……!」
 そう呟いて、ヴィルは頭に巻いた黄色い頭巾を解いた。
 風になる――この感覚は、最早ヴィルにとって快感ですらあった。
「ヌ!?」
 肌に粟立つものを感じて、アシュレイは立ち止った。
 馬鹿な――口にせずとも彼の表情は、そう語っていた。
「獣……」
 僅かに枝の揺れる音が聞こえたかと思った直後には、それまで追いかけていたヴィルの姿を見失ったのである。


(あ、危なかった〜……)
 黄色の頭巾を被りなおしながら、ヴィルは安堵の息を洩らす。
(何とか逃げれたけど、何だったんだろうあの人)
 アシュレイから逃げ切るという当面の問題を解決させた余裕からか、ヴィルは数刻前まで自分を追いかけていた男のことについて考える。
 常人では考えられない身体能力、同じく人間離れしているとしか言いようのない雄叫び、信じられない攻撃性、先刻の逃走劇の最中にヴィルが感じ取っていたものの一片でさえ、アシュレイの異常性を示すには充分であった。
(うーん、さっきのあれはどう考えても人間離れし過ぎてるけど……まさか、いや、どうなんだろ?)
 思いがけない可能性に幼い頭を一捻りしようとした矢先、ヴィルの体は律儀に空腹を訴える。
「あ、あは……とりあえず、今は何か食べよ」
 誰もいないはずなのにごまかすように笑いながら、ヴィルは鞄に手を伸ばしかけ、そこで制止する。
(ボクの仕事は、いつ終わるか分からないもの)
 彼の脳裏に浮かんでいたのは、ふとした考え。
(それにこれは、いざという時、本当に食べるものがない時に食べるためのもの)
 浮かんだ考えを支えるのは、正当性の皮を被った欲望。
(他に食べれるものがあるなら、そっちを選ぶ方が……賢い、よね?)
 それらを根本で操る正体は、空腹。
「それに、あっちにいれば一石二鳥だし」
 恐怖を克服しかけた少年も三大欲求には叶わないようで、ヴィルは躊躇いもなくよじ登った。
 その見上げる先には、段々とした壁が黒々とそびえていた。


 山中に切り拓かれた広場の中央、轟々と音を立て燃え盛る焚火を取り囲む男らの一人、強面の大男の傍に、皮膚病の鼠を思わせる小男が、一つ断りを入れてからやってきた。
「おう、アナバか。どうした?」
「ちょいと、耳に入れてもらいたいことが」
 アナバと呼ばれた小男が声量を抑えて前置きすると、焚火に照らされて浮かぶ大男の凶悪なほどに無骨な顔が表情を変える。それを受けて、他の焚火を囲う男らも各々で不吉な内容を囁き合っていた。
「続けろい、アナバ」
「へい」
 大男が横柄に続きを促すと、アナバは神妙な顔つきで話し始めた。
「俺の手下からの報告によりますと、どうもうちの若いのが二人、里の連中に捕まっちまったそうで――」
 言い終わるか否かのうちに、アナバは立ち上がった大男の手で高々と宙につり上げられる。アナバの襟首を掴む手も、それを支える腕も、何もかもが太く、逞しい。
 そんな代物を間近で見せられていた別の男が、大男を宥めようとする。
「お、おいダレン、いくらなんでも、そりゃあ――」
「手前は黙ってろ! おいアナバ、今の話は本当なんだろうな!?」
「ほん、本当ですっ! だから放――っげ!??」
 乱暴に手放されて地面に落ちたアナバは、息を整えながら詳細を語る。
「最初は、いつもみたいに食料の調達に行かせてたんですがね、そこにちょいと腕の立つ奴がいたらしく、そいつに不意を衝かれる形で二人が捕まり、一人が帰ってきてこの話を俺にしやした」
「そいつらについては? ……まさか、あの銀髪野郎じゃあねえだろうな?」
「い、いや、そうじゃないってのは昨日の……ええまあ一応、村の方は若いのに探らせてます。流石に深いところは無理でしょうが、何かしら掴んでくるでしょうよ」
 アナバが一通りの説明を終えた頃には、ダレンの顔は怪物の面具か何かのようになっていた。『あの銀髪』以外にも頭を悩ませかねない奴が現れたことへの怒りだろう、とアナバは上目遣いで眺めながら推察していた。
「アナバ、手前はどう見る!?」
「へい!?」
 風圧めいたものすら感じる怒声にアナバはすくみ上がるが、その視線はダレンに向けられている。ダレンは基本的に直情的且つ乱暴な性格をしているが、自らが冷静さを欠いている場合の対処法が分からない人間ではないのだ。
「へい、まだ推測の途中ですが、二つほど」
 アナバも、そのあたりのことは心得ている。意外にも品のある動作で襟を正すと、先ほどよりは落ち着きのある動作で人さし指を伸ばし、私見を語る。
「俺、あの村で何かが起きてると思うんですね?」
「あ?」
 男らの中から声が上がる。疑問と僅かばかりの威圧を含むその声は、ダレンの一声を受けた後のアナバにはさして効果はない。
「今まで殆どされるがままだった村の連中が、付け焼刃とはいえ大頭や俺の教えを受けてるあいつらを急に捕まえれるようになるってのは、ちょいと考えにくい話ですよね?」
 たしかに、という声が今度は男達の間で流れる。ダレンを相手に一歩も退かなかった一件もあり、彼らの中でもアナバを認める声は大きかった。
「それで、残りは?」
 煮え滾るダレンの面前で、小心者のアナバは周囲の評価を下げ戻しつつ「へい」と引きつった笑顔で頷き、二本目の指を伸ばす。
「これは本当に、俺の推測ってやつなんですが……村の連中、この一件をきっかけに、本格的に俺らと事を構えようとしているのかもしれ――やひィ!?」
「事を構えるってのは、どーいうことでぇ?」
 座したままのダレンに再び吊り上げられるアナバ。齢五十を過ぎて、いささかの衰えも感じさせない彼の腕力に、一人が感嘆の声を上げていた。
「ぐぇえ……れ、連ちゅ、う、何……ぐぅ!? お、大頭ぁ! 死ぬぅ! 死んじゃいぐふぅ!?」
「お、おいダレン、流石にまずいんじゃないのか?」
 紫色になり始めたアナバの顔色を見て、男達も事態の危険さを悟ったか、慌てて止めに入る。
 男達の説得の甲斐もあって何とか救出されたアナバは、喉からヒュウヒュウと普段にも増して危なっかしい呼吸を繰り返しながらも自説の供述を再開する。
「連中が何を……げほっ、か、考えて、こうなったかは、俺にゃあさっぱりですが、俺らに対して強気になると見ていいでしょうよ。あぁ、やっと落ち着いてきた……ええ、具体的には、俺らが送ってる若いのを見せしめに殺ってくとか」
 アナバが入念に噛み砕いた説明は、興奮気味のダレンの頭にもよくよく浸透したようだ。
「畜し――」
「畜生あいつら! 舐めたマネしやがって!!」
 他の男らを、彼らの憤慨もろとも掻き消しかねない勢いで激昂するダレン。その腕はまたもやアナバに伸びたが、掴む寸前でアナバは回避できた。
「……おい」
「あ、すんません」
 その直後に睨まれ、脳天に拳骨を打ち下ろされたのだが。
「おう手前ら!」
 頭を抱えて悶絶するアナバをよそに、立ち上がったダレンは幼児の頭ほどもある拳を固く握り締めた。
「俺ら相手に喧嘩を売ろうだなんてふざけたマネ、見逃していいと思うのか!?」
「そんなわけがねえ!」
「そうだそうだ!」
「ダレンの言う通りだぜ!」
 男達はアナバを横目に見つつも次々とダレンに同意する。ここ暫く続いた潜伏という退屈な状況が、彼らに刺激を求めさせるのだ。
「おうアナバぁ!!?」
「……へ、へい」
 頭にできた特大のコブを押さえながら、アナバはダレンに応じる。
「手前も村へ行ってこい! 若いのと協力して下調べだ!」
「へ、へ――は!? なな、何ですって!?」
「お前らは俺と準備にかかれィ! 明日からは実際に武器を使った訓練もすっぞ!」
『ウォーッス!!』
 ダレンの一声を受けて、またもや男達は吼える。強面の男達が腕を振り上げ唱和している様子は、焚き火の揺れる光を受けて悪鬼のようだった。
(だ、大丈夫なんかよぉ……いてて)
 少なくとも、二つの意味で頭を抱えるアナバだった。


 頃合いは早朝。コナーの村はまだ静まり返っていており、時折牛や馬の鳴き声に交じって農夫の声が聞こえるばかりであった。秋が深まりつつある季節ということもあって、窓から入り込んでくる風は乾いており、軽く、冷たさを伴う。
「おはようございます、エリザベス」
「ええ、おはようございます、あなた」
 それら、長く慣れ親しんだ感覚を寝起きの体で感じながら、村役人のリチャード・グレグソンは妻と挨拶を交わすと寝台脇の呼び鈴を鳴らして侍女を寝室内に呼ぶ。
 程なくして、年若い娘が入ってきた。この村に来てから新たに雇い入れた者なので田舎臭さが抜け切らないのが玉に瑕だが、それなりに有能であると言えた。
「おはようございます。なン――失礼致しました。何の御用でしょうか、ご主人様」
「お茶の用意を。他には、身嗜みの用意をしなさい」
 かしこまりました、と首肯して、侍女は静かに退出する。暫くして、櫛と布巾を持った別の侍女達が入出する。先刻の少女とは違い、彼女らはグレグソン家から連れてきた者達であり、所謂傍仕えの女性達であった。
 朝の挨拶と一例の後、彼女らは慣れた手つきでグレグソン夫妻の身嗜みを整え始める。
「先ほどの子、ようやくコナー訛りがなくなってきたようですね」
「ああ、そうだね」
 エリザベスが徐に話しかけてきたので、グレグソンは手短に応じた。
 リグニア王国の優れた教育制度のおかげで、彼女らの世代は生まれてからリグニア語を耳にする時間の方が圧倒的に多い。十年、二十年と時間をかけていけば訛りは殆ど失われ、この村を含めた地域は本当の意味でリグニアの支配下になるだろう。
 もっとも、その頃にはこの屋敷の主は自分ではなく、別の誰かになっているのだろうが。
「? あなた、どうなされたのです?」
「……いえ、私も歳をとったものだと思ってね」
 どこか自嘲気味に、グレグソンは微笑を浮かべた。
 先ほどの考えを一部を話すと、エリザベスも静かに笑みを見せる。
「自身が神の許に召された後を考えていると気付いた時は、不思議と感慨深い心地がしたね。ああ、歳をとるというのは、こういったものなのかもしれないね」
 おそらく無自覚であろう夫の愚痴に、エリザベスは言葉を選んで相槌を打った。
「……たしかに、随分と歳を召されましたね。あなたも、わたしも」
「貴女は昔と変わっていないよ。強いて言えば……ああ、少々髪は白くなったかもしれないな」
 まあ、とエリザベスは自分の髪に手を伸ばすと、これには「あなたもさして変わっていませんよ」と返した。
「おや、そうかな?」
「ええ」
 自分のどこが変っていないのだろうか――真面目に思案するグレグソンを見て、エリザベスが口元に笑みを湛えながら告げる。
「あなたは、常に先を先を見ようとなさっています。いつも十年、二十年と――あるいはそれよりも先を見つめて考え、行動なされています。……途方もなく先のことを考え、憂鬱になられない方は少ないのではないでしょうか?」
「……そう、だったな」
 エリザベスの激励を受け、グレグソンは少し寂しそうに微笑んだ。昨日訪れた女商人に見せたものとは全く違う、一切の虚飾を脱ぎ捨てた素顔である。
「ましてや、あなたは今までに多くのものを見聞きし、経験されてきました。お見えになるものも、感じ取られるものも、昔よりずっと多くなられていても不思議ではありませんよ」
「いやはや、どうも気弱になってたね。気持ちはいつでも、と言いたいところだが、少なからず認めねばならんようだ」
「仕方ありませんよ、人は変わるものです。好かれ悪しかれ、望む望まざるに関係なく」
 打てば響くように返してくる妻に、今度は苦笑を浮かべた。自分の許に嫁ぐ前から熱心な宗教信者であった彼女は、時々こうして経典か何かから引用した言葉を自分に説いてくる。それこそ、今も昔も。
「お茶をお持ちいたしました」
 先ほど退出していた侍女が、道具の一式を手に戻ってきた。
 お茶と彼女は言うが、グレグソンが侍女に用意させたのは適度に乾燥させておいた紅茶の葉と、水差しに容れさせた熱した湯と、二人分の食器。これら三種を、小さな円卓の上に用意させた。
「ご苦労様です。貴女は厨房へ行き、朝食の支度をするよう伝えてきなさい」
「はい、畏まりました」
 若い侍女が一礼して再度退出すると、エリザベスは傍仕えの侍女らも一度出入り口の両脇へとやった。
「それでは、かからせて頂きます」
「ああ、よろしく」
 断りを入れて寝台を離れたエリザベスは、円卓の上に用意された道具一式を用いて紅茶を淹れ始める。グレグソンはその様子を眺めて、満足そうに頷いた。
 リチャード・グレグソン。彼の朝は、妻に淹れさせた一杯の紅茶を飲むことから始まる。
「あなた、どうぞ」
「ふむ……」
  口に含む前に、湯気とともに上り広がる香りを体の隅々へ行き渡らせるように吸い込んだ。 まだまだ浅い香りだが、杯を重ねるごとに深く芳醇なものへと変化するのを楽しむのがグレグソンの流儀であった。
「ああ、よい案配だね」
「ええ、ありがとうございます」
 夫からの賞賛に、エリザベスは微笑みで応える。
 余計な言葉が介在する必要のない、村全体が目覚め始める前の、静かなやり取り。グレグソン夫妻の愛する、至福の時間。誰にも邪魔されることのない、安らぎと穏やかさに満ちた時間。
 だったのであるが、

「おはようさん! また来たよ――っと!」
「あ、貴様!? そこはグレグソン様ン寝室だって言っているだろうが!!?」

 彼女――レナイア・カミューテルの乱入によって、何もかもが台なしにされてしまうのであった。
 その背後から彼女の弟、警護役と数人ばかりが続々と押しかける中、悠然と、しかし震える手で紅茶を口に含ませた後、グレグソンは静かに口を開いた。
「……今度は何の用です、ミス・カミューテル? よもや私の安寧を損ねるためだけに、という訳ではありますまい?」
「なぁに、ちょいとお届けものさね。昔から言うんだよ、生ものは早めに、ってね」
 怒りを押し隠している――そのことを全面的に押し出しながらのグレグソンと、対照的に怒りも露なケヴィン達警護役の面々に対し、レナイアはいつもの調子を崩さない。
「ルーカス、連れてきな」
「お、おう」
 二つ返事で姉の求めに応えたルーカス(何故か衣服が所々乱れていたり汚れていたりしている)は、一度部屋から姿を消すと、数刻ほどでとんでもない二つの『届け物』を運んできたのであった。
 後ろ手に縛られ、ぐったりとした二人の男らである。どちらも荒んだ、どこか卑しい印象を受ける。
「彼らは……」
「近頃この辺を荒らして回ってるていう賊さね。夜中に畑を見張ってりゃ一発だったよ」
 あっさりと言ってのけるレナイアに、グレグソンは元より、妻エリザベス、警護役のケヴィンらも言葉を失った。
 この数日、自警団も旅の傭兵らも捕まえることができずにいた賊を、眼前の姉弟が捕まえたというのか?
 自分に向けられている視線の意味を正しく理解しているのだろう、レナイアは「ごもっともだけどね」とだけ言って肩をすくめた。
「信じられないっていうなら、村の連中の誰にでもいいから訊いてみな。きっと同じことを言うはずさね」
 大言壮語と言い表してさえ尚言い足りないと感じさせるほどのおこがましさに、グレグソンは眉間に手を当てて唸る。
「……ケヴィン、至急調べてきなさい。拒否は認めませんよ」
「え!? ……は、はい! ただいまっ!」
 ケヴィンは一瞬だけ嫌そうな顔になったが、すぐさま一礼して部屋を出る。
 レナイアは妙に自信を横溢させ、グレグソンは射抜くように眼光を光らせ、誰も口を開かない。静けさは元のままに、ただ圧倒的に重くなった空気の中、時間が遅々として流れていった。
「――失礼っ、します!」
 その中で、おそらく部屋にいた誰もが待ち望んだ声が響いた。
 息を整える暇すら惜しいのであろうケヴィンは、それでも一礼は欠かさずに入室すると、まずグレグソンに、続けて隣の夫人に耳打ちした。
「なんと――」
 口に出しかけたその先を、グレグソンは手を当てて漏洩を防いだ。
 カミューテル姉弟の言葉に嘘はない――そのことが、証明されたのである。
「如何なさいます?」
「……貴方とグウィンを残し、あとは退出させなさい」
 と静かに告げ、グレグソン夫妻はケヴィンら二名の警護役を彼女ら姉弟との間に立たせてから、何かを諦めたかのような口調で問いかけた。
「貴女がたが捕まえたその者らが賊であることは認めましょう。ですが、どうやって? いや、そもそも何故――」
「おっと、ただじゃ教えないよ」
 グレグソンの眼前に指を突き付け、レナイアは機先を制す――かに思えたが、「と、言いたいとこだけど」と言って肩をすくめてみせた。
「あんたは大事な商売相手だ。特別にお教えしようじゃないかい」
 そう言って、レナイアは先日の訪問の時のように人さし指を自身の眼前に立ててみせた。
「方法は簡単さ。まず、連中がやって来そうな場所を探す。次に、焚き火と案山子で偽の見張りを、あたしらが張ってる場所に置いておく。そんだけさね」
「ちょっと待ちなさい」
 弾かれたように、グレグソンが彼女の説明に異を唱える。
「普通、逆ではありませんかな? 偽の見張りを用いることでわざと抜け穴を作り、そこを通る際に押さえる。軍略に疎い私でも容易に考え得る策です」
「そんなだから、あんたらは賊に出し抜かれてんだよ」
 即座に返された悪辣な一言に、グウィンと呼ばれた小柄な男がレナイアへと掴みかかろうとしたが、それを今回はケヴィンが収めた。
「出過ぎた真似はよせ。こン女ン処遇を決めるンはグレグソン様だ」
「……はい」
 それまで固く握り締めていた拳を緩めて、グウィンは元の位置まで下がるのを確認して、レナイアは再開する。
「さて、あんたが言ったことが、まさにあたしの答えだよ。誰でも簡単に思いつく策なんてのは、用心深い連中なら賊でもあっさりと見抜いてくるよ」
 だから、と言葉を継ぎ足したレナイアは、一度周囲の面々を見渡してから息を吸い、次の長広舌へ悠々と繋いだ。
「あたしは、その『わざとらしさ』ってのを逆手に取らせてもらったのさ。そりゃもう露骨に『罠です』なんて言ってるよーな仕掛けを拵えて晩まで待ってみりゃ、後は簡単だったね。こいつら、何の躊躇いもなく一番近くの灯りが点いてる所を通ったんだから」
 この部屋にいた、ルーカスを除く全員が絶句した。
 彼女の策略自体に感嘆の念を抱いた者もいる。
 武装した警護役を従えたグレグソン相手に平然と啖呵を切った彼女の度量に愕然となった者もいる。
 だが、そうした異なる感想を抱いていたはずの者達は、やがて一つの疑問に行き当たる。
 どうして彼女は、こうも無謀としか思えない行動ばかりを選ぶのだろうか、と。
「さて、何であたしがこいつらを連れてきたのか、そもそもどーして捕まえたかっていうとだね、あんたとは本当の信頼関係を築きたかったからさね」
「本当、の?」
 ここでようやく、グレグソンは言葉を発することができた。まるで長い間、水の中にでも沈められていたかのような気分である。
「あたしは、あんた達が手を焼いてる賊を捕まえて……まあ、こう言っちゃなんだけど、自分の実力ってやつを見せたわけ。
 呆気にとられるコナーの村の面々、どこか誇らしげな弟を他所に、レナイアの表情は真剣そのものであった。
「あたしらは、自分の実力の証明としてこいつらを捕まえた。だから、あんたに求めたい」
そう言ってレナイアは、グレグソンに右手を差し出した。
「改めて、あたしことレナイア・カミューテルは、あんたに力を買ってもらうことを願うよ。外ならぬ、お互いの儲けのためにね」
「む……」
真っすぐに、そしてまた挑みかかるような、力強い視線。海千山千の商人に勝るとも劣らない眼光。
レナイアの持つ、あの妙な迫力を伴った視線が、再びグレグソンを貫いた。
(グレグソン様)
そんな折、傍らから彼に囁く者がいた。
 ケヴィンである。
(僭越ですが申し上げますと、ここは一度、頷かれた方がよいかと)
(……どういうことです)
常日頃、グレグソン夫妻の意見に異を唱えようとしないケヴィンの、非常に珍しい進言に、グレグソンは耳を傾けた。
(あン二人、おそらくグレグソン様が折れるまで諦めないでしょう。自分ン実力を示す程度には活動を続けるはずです)
(それならば、とうに私は読んでいますよ)
取るに足らない内容に期待を損ねられ、グレグソンは僅かに眉をしかめさせた。彼は言葉には出さなかったが、彼女ら姉弟を敢えて泳がせることで賊を討伐させようと考えていた。
(では、グレグソン様は、あン姉弟――特に姉ン方がそうした思惑に気付かないと?)
(……何ですって?)
(奴らは噂に高いカミューテル姉弟。強みはこちらにあるとはいえ、油断なされない方が賢明です)
 グレグソンは数秒反論に詰まった。ケヴィンの意見は、彼の抱く懸念を正しく射抜いていたのである。
 今、カミューテル姉弟の申し出を断ることは簡単である。あわよくば、彼女らは再び実力誇示のために何かしらの成果を上げるかもしれない。そして断り方に工夫を懲らせば、姉弟らと契約を結ばずして働かせることも可能だと。
そこでこの理想案に歯止めをかけるのが、カミューテル姉弟の名を大いに知らしめる原因となっているであろうレナイアの資質と性格である。
彼女を取り巻く噂と先日から垣間見てきた彼女の一面が合致するのであれば、まず間違いなく、レナイア・カミューテルという女は他者に踊らされて終わるような玉ではない。下手を打って彼女に余計な火を点けてしまえばどうなるのか、想像するだけで頭が痛む。
(ややもすると、あン女はグレグソン様とも敵対することになりかねません。仮にですが、グレグソン様は内側に敵を抱えたまま、身内を捕らえられて怒り狂う賊を相手にできますか? ……申し訳ありませんが、私にはできかねます)
最後の一言が、グレグソンを内側から揺るがせた。
 カミューテル姉弟がここまで執拗に「売り込み」をかけてくるということは、それだけこのリチャード・グレグソンからの見返りが大きいと踏んでのことなのだろう。
 だが、裏を返せば、一定以上の儲けさえ確約できるのなら、妥協してこちらには見切りをつける可能性があるのだ。曲がりなりにも信頼を前提としているとはいえ、カミューテル姉弟は行商人であってこの村の者ではない。折り合いがつかなければより条件のいい取引相手を選べばいいだけのことであって、しかも彼女ら姉弟は比較的自由に選べるだけの実力を備えているのだ。
 実を言えば、リチャード・グレグソンが村の内側に抱える悩みの種は少なくない。そして更に言えば、彼の立場上、問題としての重要性はそちらの方が賊の問題よりも圧倒的に高い。
 考えたくない話であるが、もしもあの連中がカミューテル姉弟という風切羽を得てしまえば。
(……妙な動きをされる前に、こちらで手綱を付けろということですか)
(そちらン方が、グレグソン様ン被害は少ないかと)
 それだけ進言して、ケヴィンは口を閉ざして下がる。つまり、いつものように判断をグレグソンに委ねたのである。
(やれやれ、いつの間にあのような食わせ者になったのやら)
 苦笑しつつ、グレグソンは隣の妻に目配せする。エリザベスは黙って頷いた。 苦笑を深めたグレグソンは、しかしその表情を捨て、毅然とした面持ちで眼前のレナイア・カミューテルへと向き直る。
 悩む時は悩め、悔やむ時は悔やめ、決める時は決めろ――彼が行政の一端に携わる時、己に課した誓約である。
「――分かりました」
「おや、やっとこ話し合いは終わりかい?」
 レナイアの揶揄するような言葉にも、グレグソンは「ええ」と涼しげに返して、
「このリチャード・グレグソン、貴殿らの助力するとの申し出を快く受けさせていただきましょう」
 レナイアが差し出していた、細くも頑丈な手を固く握ったのだった。
 それを見ていたケヴィンが、妖しい笑みを浮かべていたとも知らずに。


 ――いつか見た光景。いつかと呼べるほどの昔に見た、村の景色。
 石造りの、少しだけ立派な造りの建物や、馬車が二つも並んで通れる道にも、月の冷たい光が落ちていた。昼間は顔見知りの人々で賑わっていた村も、夜になればまるで別の場所になってしまったかのように人影すら見当たらず、物音も聞こえない。
 それらを、少し高い所から見下ろしていた。
「お前も大きくなったなぁ、ジーク」
「……む」
 自分がいたのは屋根の上で、すぐ隣を見上げれば、そこにいるのは父だった。
 夏の日差しの下で一日中働いてもくたびれることのない、逞しい肉体。色こそ違うが、自分とよく似たくせのある髪。幼かったからとはいえ、全能であるとさえ思わせた、力強さと深さを兼ね揃えていた風貌は、逆光であるかのように黒く彩られているために見ることができない。
「男には、たった一つあればいい」
  父はこちらを見るでもなく、独り言のように「一つだけだ」と繰り返した。
「いいかジーク。男とは、皆誰もが自分だけの一つを持つものだ。いや、違うな。自分だけの一つを持てた奴のことを、男というんだ」
 その言葉で、思い出した。
 これは、五歳の時の記憶。セネアリスと共に祝ってもらったその日、父は自分だけを連れてこの話を始めたのであった。
 この夢の正体が記憶の一部を再現したものであるのならば、この先で何が起きるのかを想像することは難しくない。
「じゃあ、親父はどうなんだ?」
 あの日、自分は純粋な好奇心と期待を胸に質問を発したのだった。
「私か?」
 父の反応は意外そうであり、また嬉しそうでもあった。
「決まっている。だがそれを教えるわけにはいかないな」
「む……どういうことだよ?」
  明らかにはぐらかしている様子の父に、自分が憤慨したことは、よく覚えている。
「ジーク」
  先刻とは打って変わり、優しく言い含めるような、宥めすかすような口調であった。
「大事なものだって言っただろう? 自分だけの一つは、必ず自の真ん中に置いておくものだからな」
「む……」
 あの時は――いや、今もかもしれないが――何が言いたかったのか分からなかった、父の言葉。
「だからジーク、お前もそいつを大事にするんだぞ」
「む?」
 言われてジークは、父の座る反対側に目をやり――固まった。
「……おとう、さん」
 そこにいたのは、ジークの袖をしっかりと掴んでこちらを見上げるミュレであった。


 頃合いは朝。適度に湿気を含んだ空気は冷たく、屋根の隙間から降り注いでいる朝の日差しは憎らしいほどに爽やかであったが、
「む……」
 ジークの目覚めは、普段とは違った意味で最悪だった。
 身を起こし、睫毛の先に生じた汗を拭うと、ジークは苦悩のしわを眉間に刻みつつ、装備を整えにかかる。
(……何故俺が、あんな夢を見なくてはならん)
(不可解極まりなし)
 すかさず六番が、ジークの愚痴に同意する。
(おい)
(いくら夢が……む?)
 まだ夢見の衝撃が抜けきらないジークへと、二番が注意を促す。
 ジークが見た悪夢(彼は心中においてそのように断言している)の原因と思われるものは、すぐ発見できた。
「む」
 ミュレがマントに包まったまま寝転び、じっとこちらを見つめているのである。
「……ミュレ、おはよう」
「ん……」
 律儀なジークからの挨拶を受け、ミュレは空耳と聞き紛うほどに微かな一音を返すと、ややあってこう一言加え、首を傾げたのだった。
「おはよ、う。……いい?」
 拙いながらも返された挨拶によってミュレに与えられたものは常の『褒美』ではなく、眼前に真っ直ぐ突き出されたジークの掌であった。
「ミュレ、マントを返せ」
「……ん」
 例のごとく数秒ばかりの沈黙を経てから頷いたミュレは、何故か寝転んだままマントを脱ごうとしていたが、どうにも作業は捗らない。
 その態勢でやるにしても他に上手いやり方はあるのだろうが、半身と床の間にマントを挟んでいる現状では進むものも進まないのは当然である。
 一々やることが鈍くさい彼女への苛立ちに、先程の悪夢から生じた腹立たしさも加わったジークは、
「ミュレ、そこをどけ」
 マントの裾を握ったままのミュレの手へと手を伸ばし、直接マントを脱がしにかかったのだった。
(まったく、何故俺があんな夢を)
(まあ、そう気にしても仕方あるまい)
 作業の途中、ふと今朝の悪夢を思い出し、胸の内で愚痴を洩らすジークの相手を二番が受け持った。
(我々は少なからず彼女に注意しなくてはならないのが現状だからな。夢に見てしまうのも道理というものだろう)
(分かっている)
 ジークが問題視しているものは、それほど浅薄ではないのだ。
 故郷と家族を失ってからというもの、ジークは常に同じような悪夢を見続けるようになっていた。
 焼け落ちる家屋、次々と殺され、築かれていく死体の山、何一つとして抵抗もできない無力で幼い自分、
 そして、それらの果てに眼前で一人の少女をさらっていった不気味な影――
 これらが、ジークの見てきた夢の内容、その全てである。眠りにつくたびに、これらが場面を微妙に変え、時には夢であるが故に、悍ましく歪められて再現される時さえある。
 その夢が、昨夜初めて別のものになったのであった。
(たとえ奴を気にかけねばならんのだとしても、あの記憶を――セネアリスを、忘れてもいいという理由にはならん)
 マントの結び目を解きながら、ジークはそう断言する。
(それは――)
 暴論だろう、と二番には続けることはできなかった。
 分割思考は、それぞれが主格であるジークの知識や記憶を共有しているのだが、二番はその特異な経歴ゆえに、他の分割思考よりも深い部分までを共有している。
 だから二番は、ジークの感情を客観的にも主観的にも理解した上で、言葉を選び直すこともできる。
(……考え過ぎというものだろう。気にするなとは言わんが、それについては我々に任せておけ。現時点において――)
(分かっている)
 先刻とは異なる意図を忍ばせておくと、ジークはミュレの体の下に手を入れてマントの外まで転がし、そちらにはそれ以上の関心も寄せることなくマントを折り畳んだ。
 頃合いを見計らって、四番がジークに報告する。
(第二対象の存在が認識不能)
「む?」
 リュリュの姿が見えない、と言う四番からの意見を受けて、ジークは眉をしかめた。
(そういえば、我々が目を覚ました時から気配を感じなかったな)
(む)
 ジークは素早くマントとずだ袋を左腕で抱え、同時に己の装備を確認した。常に腰から下げている長剣は既に定位置にある。衣服の各所に忍ばせてある木の葉型の小刀も同じである。
 六番の唱えていた、リュリュ敵性論がジークの中で再浮上する。
 大まかな地形すら分からない上に、ここはリュリュ達ハイランダーの里。まさに今、この家屋の外を武装した人間がとり囲んでいてもおかしくはないのだ。
 ジークは精神を落ち着かせ、周囲の気配を探り始めた。索敵の魔術である“疾風の猟犬”はミュレが見ている以上、なるべく使いたくなかったのだ。
(何か聞こえるか?)
(いや、特に怪しい物音は聞こえない)
 という二番の回答に、残りの分割思考も同意との声を上げる。無論、そこに三番は含まれていない。
つまり、すぐさま誰かに襲われる可能性は、少なくとも現時点では極めて低いと言えた。
(だが、油断はできん)
(同意)
 それでも尚、リュリュとハイランダーへの疑念を捨て切れないジークと六番は、警戒の構えを解くことを拒んだ。自分の常識が通じ難い相手である以上、三番の意見も無視できないのである。
それからしばらくの間、ジークの聴覚は鳥の声や草葉の擦れる風の音や、時折聞こえる人の声に対し神経を注ぎ続けた。常人であれば既にへたばってもおかしくない時間が超過しても、分割思考を持ったジークには何の問題にもならない。
「――む」
 ジークの聴覚が、接近する一つの足音を感知した。
 足音の間隔が狭い――おそらく、子どもか女性の可能性が高い。そして歩調の感覚に微妙な差異がある。考えられるのは、脚部に何らかの負傷をしているから。
(……む)
(どうやら、お前も同じことを考えているようだな)
 肩があればすくめているであろう二番の言葉を聞き流し、ジークは立ったまま、扉を開けて入ってくる少女を迎えた。
「――あ、おはようございマス、ジークさん、ミュレさん」
「む、おはよう」
 控えめに見てもジークやミュレの半ばほどの年齢にしか見えない少女――リュリュは、両手で笊にいっぱいの野菜を抱え、しかし足取りは危うげなままジークに挨拶をした。
「手伝うか?」
「いえ、大丈夫でス……この、くらい……ならっ」
 義理から出たジークの申し出を断ったのはいいが、まだ足が治りきっていないらしいリュリュは、痛めている方の足に体重をかける度に痛みを密かに堪えている――つもりなのだろうが、ジークの隻眼は容易に見抜いていた。
 リュリュの虚勢は聞き流したジークは、彼女の手から笊を落とさない程度に加減して奪い取る。
「勘違いをするな」
「……え?」
 ジークに機先を制されたリュリュは、ジークを映した瞳を困惑で揺らめかせる。
「俺は借りを作るのは好かん。これを出してきたのも、原因の幾らかはあのミュレだろう。だからこの件にかぎり、変に気遣うな」
 表情も言葉遣いも無愛想なジークに対し、リュリュは少しだけ陰のある笑みを浮かべて、「お願いシマス」と言った。
「む。ではどこへ運べばいい?」
「あっちでス。昨日のお鍋の所でス」
 ジークが笊を指摘された場に置くと、遅れてリュリュが彼の隣に座った。
「これを洗いに行っていたのか?」
「はい。……ええと、ジークさんにご飯を出シてもらうのも、ちょっと悪いでスので」
 ちょっと、のところでリュリュは少し笑った。昨夜の蛇が、未だに尾を引いているようだった。
 用件があればまた言え、と残して、ジークはリュリュから距離を置いて腰を下ろす。
 すると、
「む」
「…………」
 ジークが呼んでもいないのに、ミュレが傍に寄ってきたのであった。触れるでもなく離れるでもなく、常に一定の距離を保ったままちょこんと座り、瞳はジークを映している。
(……執着か)
 気が付けばすぐ傍にいるミュレを見下ろし、ジークは彼女と出会った日を回顧する。
 食物を除く一切への関心を持たない、本当に人間なのかと疑いたくなるほどに異質さを漂わす少女。“化け物”とさえ呼ばれた彼女がジークに関心を示した理由とは、果たして何だったのか。
「? ジークさん、どうかシマシタか?」
 意外にも利発なハイランダーの娘は野菜を刻む手を止め、ジークに気遣う言葉をかける。
「……む? ああ、心配はいらん」
 最低限に抑えて返すと、ジークは分割思考とリュリュへの評価を改める。
(存外、鋭い奴だ)
(同意)
(要警戒)
 その根底には、いまだに不信感が根付いている。
 それを悟られぬよう気を払いながら、ジークは言葉を探す。
 何をさし置いても、情報は欠かせないのである。
「ところでリュリュ、少し用を足したいのだが、この近くにそういうものをする場所というのはあるのか?」
「用を……はい、厠でスね。ソれでシたら、この家を出てスぐ左のところにありマス」
「む、そうか――ミュレ」
「ん」
 ミュレの名を呼んでジークが立ち上がると、これにはミュレも即応して立ち上がった。
「念のため、ミュレも連れていく。少し遅れるかもしれんから、その場合は先に食べておいて構わん」
 分かりマシタ、というリュリュの承諾を背に受けて、ジークとミュレは家の外に出る。
湿度の高い空気が、呼吸の度に肺の中へ満ちていく。四方を山に囲まれているためか、こころもち薄暗く感じられた。
「ミュレ」
「ん」
 ミュレの意識が自分に向いていることを確認したジークは、ミュレにだけ通じる最低限の声量で、一言一言、噛んで含めるように言い聞かせる。
「今から俺が、いいと言うまで、絶対に目を開くな。分かったな?」
「……ん」
 やや間があってから、ミュレは顎を引いた。頷いたのだ。
「む、それでいい」
「……いい」
 ミュレへの『ご褒美』を今度は忘れなかったジークは、すぎさま分割思考とともに作業にかかる。
 ――ジークは、ただの人間ではない。
 自身の内奥に満ちる魔力によって別の魔力を操作し、それぞれの属性に応じた、任意の『主観的な現象』を再現する能力を持った人間、魔導師なのである。
(調整、開始)
(む――)
 風を、感じる。
 どこまでも吹き続ける風――その、途轍もなく大きな存在から一筋、自分の方に引き寄せる。
 一筋の大きな力は、あらゆる『力』の代替たり得る代物。人智を超えた理さえ、容易く実現させる純粋な『力』。
 それを己の周囲に感じながら、ジークは一つの像を頭の中で結んだ。
 それは、虹色に煌く色彩を秘めた鳥――その、翼。
『美しき鳥よ・その翼の下に我らを匿え・汝が翼は無限の虹なり――“” 世界を見渡す秘匿の鳥”(スパルナ・アディアーヤ)
――風が、ジークとミュレを中心に吹いたと同時に、二人の姿が消えた。
そう、姿は消えたのである。
(魔術“世界を見渡す秘匿の鳥”、不備なく起動。これより四番は魔術の制御および維持に移行する)
(む)
 四番から最終確認の結果と宣言を得て、ジークはいよいよ本格的な活動を始める。四番が死角となる左眼部分の視界の補助から機能を切り替えたことによって目に違和感を覚えてしまうが、それは身に付けてきた経験で補える。
「いいぞ、ミュレ」
「……ん」
  緩く閉じられていた瞼が開き、藍一色の大きな瞳がじっとジークを見つめる。
「ミュレ、俺から離れるな」
「ん」
 必要ないと六番は言ったが、念には念をとジークは釘を刺しておく。連れ歩くようになって暫く経つが、未だにミュレは思考が読みきれず、油断できない。
  ミュレに合わせて歩調を遅くし、ジークは姿を消しながら里内部の散策を始めた。ここでまず分かったことは、リュリュの家が殆ど西の外れの、周りから孤立した家にあることであった。
(む……やはり広いな)
(同意)
 ジークの呟きに応じたのは、分割思考では二番に次いで発言力のある七番であった。
 厚い土壁の内側は、リュリュの家と似たような規格の家が十数個ばかりあり、その多くが木製の柵で囲まれている。柵の内側には小さな畑があり、山羊と思しい動物を飼っている家もあった。
(見ろ、囲いのない家屋があるぞ)
(む?)
(視認済)
 逸早く気付いた二番と七番によって、ジークの視界にも件の家屋が一部分だけ見えた。
(行ってみるか)
(同意)
 ジークが歩き出すと、遅れてミュレがついて歩く。ジークが前を、ミュレが無心に彼を見つめる様子は、相変わらず親鳥とその雛のように見えた。
 この里に住むハイランダー達の生活時間はジーク達と微妙に異なっているからか、既に働き始めている人々もいた。その誰もが、堂々と歩くジークとミュレに気付かない。
 魔術“” 世界を見渡す秘匿の鳥”(スパルナ・アディアーヤ)。その効果は、空気の微妙な調整によって対象を中心に外部からは見えない箇所を作り出し続ける。
 幾つかの家の前を通ると、囲いのない家屋がいよいよ近くなってきた。見えるものも聞こえるものも、自然と増える。
(見ろ、煙だ)
(金槌の音も聞こえる……ということは、あれは鍛冶屋か)
(可能性大)
 更に近づいてみると、ジーク達の推測が的中していたことがよく分かった。
 金属を叩く鋭い音。微かな薪の爆ぜる音。そして職人達の折り合いのついた呼吸。扉は閉まっているために中には入れないが、間違いはない。
(製鉄や加工の技術まであったのか。ハイランダーは蛮族と呼ばれているが、これでは我々と殆ど差はないと言えるかもしれんな)
(む)
(同意)
 学者であれば驚愕なり狂喜なりの感情を示す事実の発見に対し、ジークは冷淡な反応を示す。
 しばらくの間、円形の里の内部を歩き回っていたジークは、多かれ少なかれ、目にするものがあった。
 井戸に描かれた、人とも異形ともつかない絵を見た。
 時折畑や道で見かけるハイランダーの、それぞれで異なる紋様を施した衣服を見た。
 リュリュの家から真東に向かった先で、他のものよりも一回り大きな家屋を見た。
 それらを隻眼に収めたジークは、七番に問いかけた。
(七番、このことを加味した場合、何が見える?)
(回答。彼らハイランダー族は二番も言うように、高い文化、社会性を有している可能性が極めて高い。且つ、彼らが家族単位で共有する意匠、家屋の配置から、我々の『宗教』に類する概念を有していると解釈している)
(宗教……では、この里に宗教指導者がいると見ていいのだな?)
(肯定)
 希望的観測は禁物だと考えているジークだが、少なからず事態が好転していると思えた。
 社会の構成に関与している宗教なら、必ず指導者がいる。そして彼らは役職上、ジークの求める交渉を理解できる高い知識、地位を持っている場合が多い。
(――警告。ハイランダーが我々に近似した文化を持つとはいえ、既得の概念が全て通じるとは考えない方が賢明)
(三番に同意)
(む)
(同意)
 これにはさしたる拘泥もなく、ジークも頷いた。
 三番の主な役割は、『現時点で最も起こり得ない事態』を想定し、予想外の事態への対処を早めることである。
(現時点では状況が好転しているとはいえ、油断を許す理由にはならない。ハイランダーに不用意な刺激を与えないよう、改めて注意すべき)
 三番の意を受けて、六番もジークに進言する。
 たしかに、とジークは思った。リュリュという、妙に毒気のないハイランダーと接触したり、他の連中の生活の一部を垣間見たことから、無意識のうちに気が緩んでいたようだ、とも。
(過去の事例からも、連中が俺達に対し敵意を持っていない可能性は低いと言える。今後もリュリュから情報を探りつつ、来るべき面会に備えるとしよう)
(了解)
 分割思考らと今後の予定についてまで話し合っておくと、ここでジークは、やっと傍らの少女の腹から流れる例の合図を聞いたのであった。
「む」
 またもや流れるそれに、ジークは眉をしかめた。ミュレの下品さに憤っているのではなく、ジークが使っている隠蔽の魔術が姿は隠せても音や匂いはどうすることもできないという短所があったからである。
(……リュリュのこともある。とりあえず戻るか)
 ジークは背後でじっと見上げてくるミュレを促して、来た道を辿った。


 朝食を終えたカミューテル姉弟は、昨日レナイアが単独で訪れた応接室に通された。部屋で彼女らを迎えたのは、リチャード・グレグソンただ一人。
「おンや? ご自慢の警護役はお花の水やりかい?」
「なに、彼らには少々席を外してもらっただけですよ。……何分、内容が内容でしてね」
 レナイアの軽口に表情を変えることもなく、グレグソンは例の油断ならない微笑みを口元に湛えたまま、
「正直な話、この村に出没する賊をどうにかできるか否かで、私の進退が容易く決定してしまうのですから」
 開口一番、あまりにも突飛で重大な内容を姉弟らに告げた。
「信頼の証として、貴女達には教えましょう。この地域一帯を統括しているエタール領主は、軍事力を多用せずにコナーの村とこの近辺の帰順を進めよという指令を私に課していたのです」
「それで、この村にゃ軍隊がいないのかい」
「ええ。軍事力とは、リグニア軍のことを指し示しております。要は、先の“統一運動”で生まれた我が国の軍への不信感を再燃させぬようにしつつ支配を強めろと私の上役は言っているわけですな」
「ふぅん。それにしても戦力を、ってのはまた妙な話だねぇ」
「それは、この村――いえ、エタールやアルトパ一帯の歴史が関わっているからでしょうな」
 どこか、遠い目をしたグレグソンは席を立ち、部屋の一隅を占める本棚から、一冊の古めかしい本を取り出した。レナイア達姉弟の方に向けて置かれた本の表紙にはリグニア語で『リグニア史大全』と書かれてあった。
「既に存じているかもしれませんが、この西リグニアは“統一運動”によって版図に加えられた地域です。それ以前は、独自の文化を持つ――まあ、言うなれば蛮族が住んでおりました」
  本を手に戻し、頁を繰りつつ喋っていたグレグソンは、目立ての項目を見つけると一旦言葉を切り、そこを二人に見せる。
「こいつぁ……」
 ルーカスは気付かなかったようだが、レナイアの目は見逃さなかった。
 本に載っている、死体と思われる武装した男達の体を彩る刺青は、ケヴィンら警護役の腕にあったものと酷似――いや、そのものと言えたからである。
「“彼ら”について研究していった学者は、ハイランダーと呼んでいます。中でもケヴィン達の一族は“ニール”という、一種の騎士階級にあったようですね」
「……あった?」
「ええ、彼らは自ら地位を捨て、“統一運動”に臨んだリグニア軍に投降したそうですので、現在は違うそうです」
 レナイアの疑問に、グレグソンは屈託なく答えた。
「生憎と私は詳しい経緯を知らされてはいませんが、現在の役職に就くにあたり三つの情報を与えられました」
 紅茶を口に含んだグレグソンは、悠然とした態度を変えることなく説明に戻る。
「エタール地方に住んでいたハイランダーの中には、現在の聖ジョーンズ山中に逃げ延びた者達がいること、今もコナーの村に残ったハイランダーは、徹底抗戦を望んだ者達であること、そしてリグニア軍や『裏切り者』のニール達を恨んでいること、この三つです」
 再度グレグソンは杯に手を伸ばし、口に含みかけたところで、レナイアに微笑んだ。
「お察しいただけましたかな?」
「まあね」
 真偽はさておくとして、レナイアは肯定した。こういった場で肝心なことは、あくまでも強気でいることだからである。
その一方でレナイアは、グレグソンからの情報と自身の集めた情報を整理し、“統一運動”期から現在に至るまでにコナーの村で生じた確執――その、一部を推理することができた。
 コナーの村に住む人間、とりわけ独特の名前を持つ人々がリグニア人であろう役人を嫌っているのは比較的早い段階で分かっていたことだが、これほどまでに深い理由があったのは意外だった。
(となると、まーたちょいと頭を捻るしかないかね)
と、新たに作戦を練る一方、レナイアはグレグソンが言外に滲ませた脅迫に笑みを見せた。
「――で、あたしらに首輪を引っ付けたわけだ」
「へ?」
「さて、何のことやら」
 ルーカスを置き去りにしたまま、レナイアとグレグソンは互いに笑みを見せていた。
 グレグソンは形としては顧客にあたるが、決して何から何までレナイアの自由にさせるつもりはない。ハイランダーとの過去を姉弟に聞かせたのも、重圧感を感じさせることと、敢えて秘密を知らせることで姉弟を始末する口実を得たことになっているのである。
(情報を鎖に、信頼を錘に、ってかい。あたしがその辺まで察するところまで計算して喋ってるね、この悪人面)
 しかもこれは、グレグソン自身は明言していない。表面上では彼は雇ったカミューテル姉弟に村の情報を提供しただけに過ぎないのだ。
 グレグソンの笑みが深まっていた。彼は彼で、レナイアの心中を見抜いているのだ。
「それじゃあまあ、もうちょい具体的な話に移ろうかね」
「ええ、そうしましょう」
 そう言葉を交わして笑う二人の傍で、ルーカスは後頭部を掻きながら後ほどレナイアに何と質問するかを考えていた。


 今やすっかり空腹も満たされたヴィルは、心の底から幸せそうな寝顔のまま、壊れかけた納屋の中で惰眠を貪っていた。
「……むにゃむにゃ、ボクもう食べらんない……むに……」
 口元を涎と、昨夜方々で失敬してきた食べ物の滓で汚し、同じく他所から失敬してきた藁の寝床で寝返りを打つ。なんとも平和な寝言まで漏らしている様子を見ていると、昨夜の一件が嘘のように思えてくる。
 納屋の隙間から差し込む陽光が顔に当たるようになった頃、ようやくヴィルは藁の中から這い出た。
「うー……よく寝たぁ」
 まだ夢の中に片足を突っ込んだままなのか、ヴィルは半開きの目をこすりこすり、大きな欠伸を一つやる。
「……えっと、あれ、ここどこだっけ?」
 久方ぶりの熟睡で気が緩んでしまっているらしい。暫くの間、右に左にと首を傾げていたヴィルは、現状の理解に至ると同時に「あ」と声を上げかけ、慌てて納屋の壁に身を寄せる。
(随分寝ちゃったけど、今はどのくらいの時分だろう? あの二人は、もうどっかに行っちゃったのかな)
 周囲の様子を窺いながらも、ヴィルの頭は追跡対象のことを考え始めていた。
 壁に節穴を見つけると、ヴィルは細心の注意を払って覗き込んだ。
 明るい。昨日は夜になるのがすごく早かったことも考えれば、時間帯は既に早朝を過ぎて昼に近いのかも知れない。
 自分なりに推断しながら、ヴィルは肝心である人の動きを見る。
(人は……そんなに多くないのかな? 音もそんなに聞こえてこないし……?)
 ここでヴィルは、それほど多くない人の動きから、妙な気配を嗅ぎ取った。
 気配は、不自然なほどにせわしなく動き回っている。ヴィルの、少ないが濃密な経験から判断すれば、
(何か、あったんだ……!)
 ヴィルの背筋を、冷たいものが走る。
 微かに聞こえる話し声。内容は分からないが、早口で喋りながら次々と動いている。
(どうしよう、人が来るのも時間の問題かもしんない)
 かといって、不用意に動いて見つかるのも得策ではない――現在地からの離脱を既に選択していたヴィルは、納屋の中に有用な物がないかと目を懲らす。無論、耳は絶えず外の音を拾い続けている。
 納屋とはいえ、壊れかけなだけあって、腐りかけた藁や、壊れた農具といったおよそ使い道のなさそうな代物しかない。
 このことを悟った時点で、ヴィルの頭から納屋にあるものを使うという選択肢は消えた。
(……駄目だ)
 ヴィルは、頭巾に伸ばしかけた手を戻す。
 『あれ』は、昨日の晩にやってしまった。身体は、まだ感覚が残っている。この状態での『あれ』はまだやったことがないが、それは危険かもしれないという予感がヴィルを踏み止まらせていた。
 神経を、研ぎ澄ませる。
 足音や気配は、その殆どが同じ方角に固まっている。つまり、相対的に危険性の薄くなっている箇所があるのだ。
(ボクを嵌めるための罠?)
 好機ではあったが、同時にそのことがヴィルの警戒心を掻き立てる。
 この機に乗じて動くべきか、それとも更なる好機を待つべきなのか――ヴィルが考えている間にも、時間は経過していく。
(迷ってる時間はない! 行こう!)
 ヴィルは、決断した。
 覚悟は、既に決めている。固めた覚悟は、臆病な気持ちを吹き飛ばす。それができれば、できないことなんてない。
 何度も何度も胸中で繰り返しながら、ヴィルは納屋から飛び出た。


 今度こそリュリュ手製の料理にありついたジークは、食後の片付けが一段落したのを見計らってリュリュに「尋ねたいことがある」と話しかけた。
「お前が持っていた、あの袋は何だったんだ?」
「……ああ、あれでスか」
 食器を足元に置いたリュリュは、少し不調の残る足取りで箱の所まで行くと、例の袋を抱えて戻ってきた。
 リュリュが座り、袋の口を開けて見せた中身は、意外にもジークの知っているものだった。
「これは……宿木か?」
「? ええと、わたし達、これをミッスルトゥと言ってマス。とっても大事なものでス」
 リュリュはジークの言う『宿木』という単語の意味が理解できなかったらしく、改めて告げてからどのように大事なのかを説明した。
「ミッスルトゥ、他と違いまス。ミッスルトゥ、土から生まれマセン。水からも生まれマセン。だから特別でス」
(なるほど、興味深いな)
(同意)
 二番と七番が、この話題に興味を示した。
 宿木を神聖視するという風習は、ジィグネアル東北部の五大国、フェリュースト公国の地方においても見られる。聖人の誕生を祝う日だとかに宿木を玄関の上部に飾り、その下を通ることが魔除けや祝福としての効果を持つと考えているようだ。
(一部地域の風習かと思っていたが、これほど広範囲にまで存在していたとは意外だな)
(要調査?)
(その必要はない)
 リュリュの語るハイランダーの信仰について強い関心を示す二番と七番は無視し、ジークは本来の用件を切り出した。
「それとだ、リュリュ」
「?」
 遠慮なく与えられた料理を全て平らげるミュレに、もう何も残っていないと説明しようとしていたリュリュは、不思議そうに首を傾げた。
「どうシたんでスか、ジークさん?」
「もう一つ、質問したいことがある」
 ジークはミュレを自分の傍らに寄らせると、視線も言葉も真っ直ぐに告げた。
「アシュレイのことだ」
「!」
 ジークが言うが早いが、リュリュは表情を固くした。昨夜の一件が記憶に残っている証拠であった。
 これから話そうと考えている内容を考慮し、ジークはリュリュを宥めにかかる。
「む、そう構えなくてもいい。別に俺は、昨日のことなど気にしていない」
「……ソう、なんでスか?」
「む」
 ジークが断言してみせると、リュリュは俯けていた視線を僅かに持ち上げた。
 迷っているのだ。ジークの推測では、彼の言葉を信じるべきか否かで。
「アシュレイを理解するためにも、必要だからだ」
 ジークが放つ、一片の迷いの感じられない言葉は、リュリュに顎を上げさせた。揺らぐ心は、揺るぎない意思に抗うことはできないのだ。
 一度目は、当座の目的として妥協した。
 二度目は、僅かでも自分への敵意を減らしつつ情報を得るために押し止めた。
 だが、三度目はない。
「お前はこう言ったはずだ、俺とミュレが、アシュレイと仲よくなれるよう努力すると」
 リュリュに関しての分析は、既にあらかた完了している。どういった言葉を、行動を選択すれば恣意的に誘導できるかなど、さして頭を捻るまでもない。
「俺は、お前のあの言葉を信じていた。リュリュ、お前が奴と俺達の間を取り持つと信じていたんだ」
 信じる――この言葉を口に出した時、ジークは己の中の、分割思考のどことも言えない深い場所で何かが蠢いたのを感じた。
「リュリュ、力を貸してくれ。お前の知っていることを話してくれれば、俺は、俺達は奴との距離を埋められる」
 ジークは蠢いたものに目を向けることもせず、リュリュに嘘を吐くと、ミュレに同意を促した
「ミュレ、そうだな?」
「……ん」
 一時はリュリュの持っていた宿木をじっと見つめていたミュレであったが、今はいつものように(、、、、、、、)ジークを見上げて頷いた。
 リュリュは、ミュレの特性を知らない――というより話す必要性がないとしていたジークによって知らされていないので、このミュレの頷きを、彼女のジークに対する敬慕の念と信頼に基づく意思だと信じて疑わなかった。
「……アシュレイは、独りぼっちでス」
「む?」
 唇を固く結んでいたリュリュは、小さな声で切り出した。
「アシュレイ、わたしにたくサん、教えてくれマセン。でも、独りぼっちなのは本当みたいでス」
 語るリュリュは、表情も声音も暗い。
「みんな、アシュレイ、嫌ってマス。どうシてかは、教えてくれマセン」
「他の連中が嫌っていると言うが、アシュレイに対してどういう風にしているんだ?」
「みんな、里にアシュレイ、入れたがりマセン。お祭りの時も、アシュレイは独りぼっちでス! わたしがここに――」
 そこでリュリュは、慌てて言葉を切った。
「む、どうした?」
 不審に思いジークが問いかけても、リュリュは俯いて、
「ジークさん達には、話セないでス」
 と言って、話題を戻そうとした。
(要詮索?)
(話を拗らせるわけにはいかん。今は流しておく)
(了承)
 優先順位を遵守したジークは、リュリュの言葉を待った。
「……アシュレイ、本当はいい人でス。だけどみんなみんな、アシュレイを独りぼっちにシてマス」
「その理由は? 思い当たる節は、お前にはあるのか?」
 ジークが質問を掘り下げると、リュリュの顔に影が生じた。俯いたのである。
「わたしも、どうシてか知りたいでス。でも、みんなはどうシても教えてくれマセン」
「その理由すら、連中はお前に教えないのか?」
 この問いには、リュリュは無言で頷いた。
(……村八分、か)
(む)
 あり得ると、ジークは推断していた。
 集落の配置や建物の状態から、リュリュを取り巻く環境がいいものではない可能性は、三番と四番によって報告されていた。
 そこにアシュレイという情報が加わり、ジークはこの仮説の真実性を認め始めた。
(どういった経緯があったのかは定かでないが、リュリュとアシュレイは緊密な関係にあり、そのことが彼女らの現状と結びついている可能性は非常に高い)
(アシュレイが『ニール』であるということも理由に含まれているのか? だとしても、奇妙な話だな)
(それ以前の問題としてだ)
 自らの思考の一片が導き出した結果に、ジークは苦い表情を内心で作っていた。
 ジークがリュリュに同行することを申し出、更にはさして興味のないアシュレイのことまで詮索していたのも、全ては彼らハイランダーの長と交渉し、道中の安全を図ってのものである。間違っても無償の善意など介在しない。
(リュリュが交渉材料としての利用価値がないとは思わんかった。この二日分の空費をどうする、六番)
 大した意味はなかったが、ジークは行き場のない感情を、そもそもの発案者(?)である六番を非難した。
 だが、
(問題皆無)
 六番の答弁は、ジークにとっても予想外のものであった。
(どういうつもりだ、六番)
(回答。提案は先述の通りであるが、もう一つ副次的な提案がある。こちらは折を見て提案する予定であり、現状が頃合に該当すると看做して発言の許可を申請する)
 二段構えの作戦を具してリュリュの同行を提言したのだと説明する六番は、ジークからの許可を得るなりこう述べた。
(対象を、第二対象へ完全譲渡すべき)
(本気で言っているのか、六番?)
 この意見に対し、真っ先に言葉を返したのは二番だった。
 六番は、ミュレをリュリュに押し付けろと言っているのだ。
(愚問。我らは最良ならずとも最善の選択をすべきである)
(だとしても、そんな荒唐無稽な提案はあるまい。今の彼女では、十日前と同じ結果になるだけだぞ)
(問題皆無と告知済。対象には待機命令を厳密に行い、且つ第二対象の性質を利用すれば決して不可能ではない)
 二番の反論に対し、六番は自説を翻すどころか、ミュレやリュリュの性質、現状から考えられる最適に近い言葉の選択などを列挙してのけたのである。
 どうやら六番は、ミュレ排斥のためにこの二日間でかなりの情報収集と計画、そして二番を筆頭とする反対派への対策を講じていたらしく、やむを得ず二番はジークに意見を求めた。
(どうする。六番はこう言っているが)
(む)
 二番や他の分割思考と同じく六番の意見を耳にしていた(厳密には分割思考は肉声を持っておらず、実際に発声しているわけではないのだが、ジークは分割思考の発言を通常の肉声と同様に捉えている)ジークは、さしたる躊躇も見せずに回答した。
(六番の言っていることには、正当性を感じる)
(……おい、まさかお前もか?)
 二番にとってジークの返答は予想外のものであったようで、言葉の節々から驚愕と疑念が滲み出ていた。
(お前、自分が選んだ道を否定するのか?)
(極論は自重すべき。二番は冷静さを欠いている)
 二番のジークに向けた問いかけを、六番が遮った。
(六番、不必要な挑発行為は控えろ)
(了承)
 ジークは六番を嗜めると、それ以上は分割思考に対しての発言はなく、こちらを見つめるリュリュに意識を戻した。
「自分の境遇に負い目を感じているのか?」
「……え?」
 突然ジークから投げかけられた問い。その内容もさることながら、あまりにも唐突であったがために、リュリュは即応できなかった。
「俺達にいらん気遣いをさせたくないから、お前はこの話をしたがらなかった。違うか?」
 リュリュは声にこそ出さなかったが、首を横に振る動作で雄弁に肯定した。
「それこそ、いらん気遣いだ」
「え?」
 瞬きをしているリュリュの眼前で、ジークはミュレを自分の傍に寄らせた。普段から身一つ分の距離を保っている両者の間隔が密になり、互いの肩が触れ合う。
「ミュレも、お前と同じような境遇――いや、もしかすればお前以上に酷い境遇にあったと言えるかもしれん」
「え……!?」
 リュリュの声音が、色を変える。
「かく言う俺とて、あまり公言したくない過去を持っている身だ。お前の心境は理解できる部分も多い」
 だが、とジークは言葉を続ける。息を呑んで、リュリュは彼の言葉を待つ。
「それは、お互い様だとしか言えん。お前もミュレも、俺も、それぞれがぞれぞれに抱えるものはある。一々それらの一つ一つを気にかけることはせん」
 もっとも、とジークは話しながら肩をすくめた。
「あの話を語ること自体が、お前にとって苦痛であったのなら、事前に確認を怠ったことは流石に詫びねばならんがな」
「――っソ、ソんな!?」
 これにはリュリュも、弾かれたように反応した。
「ソんな、ソんなことないでスよ! ジークさん謝ること、ないでス。だってあの、ジークさん達に気を遣わセてシまったの、わたしでスから……」
「む、そうか」
 リュリュの懸命な言い訳にもかかわらず、ジークの対応は素っ気ない。元々がリュリュに対する心理的主導権の強化を目的として行ったものだからである。
 暫く、会話のない時間が続いた。リュリュの家は里の端にあるということもあって、鳥や家畜の鳴き声、僅かながらに遠くで働く人々の声が聞こえてくるばかりであった。
 気まずさもあってか、リュリュは朝食の調理に使った鍋を持って出ていった。
「ミュレ」
「ん」
 そうなると、必然的にミュレと二人だけになってしまうので、ジークはミュレに簡単な読み書きを教えることにした。
 ジークはむき出しの地面に幾つかの単語を書くと、手始めに一つの単語を指し示した。
「ミュレ、これは何と読むか、分かるか?」
「ん……」
 ジークが指で示す単語をじっと見つめること十数秒。藍色の宝玉のような瞳を瞬かせることもなく文字列を凝視しているミュレは、体内だけが石像と化したかのように動かない。
(……どうやら、分かっていないようだな)
(同意)
 質問自体を理解できているのかさえも怪しいミュレに域をひとつ吐いて、ジークは説明する。
「ミュレ、これは『ミュレ』と読む。つまり、お前の名前だ」
 そう言ってジークは、指先でなぞりながらもう一度読んでみせる。
「ミュレ、お前もやってみろ」
「……ん」
 ジークは頷いたミュレの背後から彼女の手を掴むと、先刻自分がやってみせたように、単語を指先でなぞりながら読ませる。
「ミュ」
「……みゅ」
「レ」
「……れ」
 たどたどしく発音を真似たミュレの頭を一つ撫でると、次にジークは一息に読ませる。
「ミュレ」
「……ん」
「む、違う」
 自分が呼ばれたものと勘違いしたらしく、肩越しにジークを見ようとしているミュレを、ジークは嗜めた。
「……ちがう?」
「む。ミュレ、今のはお前を呼んだのではなく、お前の名前を読んだのだ。分かるか?」
「……ん」
 ジークを見つめながらミュレが小さく頷いたのは、やや間があってからだった。返事が即答ではないのでジークはその頷きを信用し、もう一度繰り返す。
「ミュレ、お前も読んでみろ。『ミュレ』」
「……みゅれ」
「もう一度だ。『ミュレ』」
「……ミュ、れ」
 極めて拙く平坦な一度目に比べて、二度目は幾分か発音を真似ることができていた。そのことをジークは確認すると、ミュレの小さな頭に手を乗せた。
「ミュレ、少しよくなっていたぞ」
「……いい?」
「む。少しだけ、だがな」
「ん」
(――そんなことをしていれば、ますますミュレは我々から離れなくなるぞ)
 ミュレの頭を撫でていると、二番がそう言ってきた。
(本当に六番の助言を採択するつもりなのか? お前の目から見て、彼女は本当に我々から離れると思えるのか?)
(忠告。二番は一度沈黙すべき)
(七番に同意。二番は平静を大いに欠いている。現状維持が続けば、我々全体に不利益が生じる可能性有)
 二番に対し、第三位の発言権を持つ七番と、追い風を得た六番が横槍を入れる。
(しかしだ、奴が思考と行動において矛盾を見せているのは事実。そのことを指摘せずしてどうするというのだ)
(否定。二番以下には最終決定権はない。あくまでも各々に課せられた役割に徹すれば問題ない)
(その役割に則って――)
「……む、どうしたミュレ」
 ジークが自分の頭から手を離し、分割思考が議論を重ねている間も、ミュレはじっと彼のことを見つめていた。右手が掌と甲で重なり、ジークが背後から抱きすくめ、ミュレが身をよじって彼の顔を見上げようとしているという姿勢は、見るものが見れば誤解を招きそうなもので、
「……ん」
「む、続きか……む」
「……ええ、っと」
 どうやらリュリュも、その限りではなかったようだ。頬は真っ赤で、愛らしくさえある。
「二人は……その、何シてる、でスか?」
「読み書きの教授だ」
 振り返ると、ジークは後ろめたさなど全く感じさせない口調で、堂々と言い切った。
「え? ソ、ソうなんでスか?」
「む。だから気にすることはない」
「ソ、ソうでスよね。気にスること、ないんでスよね……」
 リュリュも早く忘れてしまいたいらしく、ジークの断言に流されるように頷きながら洗ってきた鍋を箱に戻していく。
 濡れた手を自分の衣服の裾で拭きながら、リュリュも二人が読んでいた単語群を覗き込んだ。
「……これ、読めマス」
「む?」
 ぽつりと洩らしたリュリュが、順繰りに読み上げていく。
「こっちが……『ミュレ』、ですか? こっちはたぶん『ジーク』で、あ、これは分かりマス。『ご飯』でスね」
「む……」
 語群の殆どを読み当てていったリュリュに、ジークの中で疑問が増大した。
 何故ハイランダーであるリュリュが、リグニア語を解せるばかりか、リグニア文字を読むことまでできるのだ?
「リュリュ――」
 ジークの疑問は、しかし解消されることはなかった。
「……む」
「……ジークさん、どうシマシタ?」
 雰囲気の変わったジークに、リュリュが心配そうな声を上げる。
「何か、音が聞こえないか?」
「音、でスか?」
 リュリュは首を傾げつつ耳を澄ませたが、ジークの言う音は聞こえなかった。
「あの――」
「静かにしろ。誰かが近付いている」
 言葉短くリュリュを制したジークは、素早く分割思考をめぐらせる。
(四番)
(把握済。ただし“疾風の猟犬”未使用のため、使用時に比して確実性が三割程度減少)
(構わん。リュリュがいる時点で魔術の使用は諦めろ)
 ジークの求めに即応した四番が、朝食前に行っていた探索によって描き出した地形、建物の配置を参考に接近する気配の位置や数を割り出し始めた。
 その結果に、ジークは僅かに眉根を寄せた。
(……む)
(多方向からの接近か。いざとなれば戦闘も覚悟せねばならないな)
(戦闘準備?)
(第二警戒程度に変更すべき)
(了承)
 二番、五番、七番が戦闘態勢を整えるべきと判断している間にも気配はどんどん大きくなり、遂に気配の主達が、扉を蹴破るような勢いで侵入してきた。
「―――――、――――!!」
「――――――!」
 入ってきたのは、手に手に農具を持った大人達であった。女性に比べ男性の割合が多いところを見るに、荒事になると想定して踏み込んできたようだった。
(動作からして日常的に武器を帯びた人間ではないようだが、ミュレやリュリュがいることを考えると撃退は難しいか)
(肯定)
(魔術の使用は?)
(魔術を使用せずというのが大前提である以上、最善であるとは言い難い)
(否定。事態は一刻を争う。眼前の一群が害意を有する以上、打破することこそが最上の選択である)
(五番否定。使用すべきかと質問した魔術とは“世界を見渡す秘匿の鳥”である。戦闘用の魔術及び通常戦闘は想定していない)
 瞬きをする間に、分割思考が幾つもの選択肢を考え出す。その結論を二番がジークに呈し、最終的な決定を求める。
(有力なのは、四番の“世界を見渡す秘匿の鳥”による現在地点からの離脱だが、どうする?)
(待て)
 分割思考の流れを止めたジークの隻眼は、弾かれたように動いた少女の背中を映していた。
「――――――!」
 ジークとミュレを背後に、リュリュが他のハイランダー達の前に立っていたのだ。
「リュリュ、――――――――?」
「アシュレイ――――、――――――――――――――――!?」
「――――ドルイド――――――――――――――、―――――――――――……―――――――!」
 口々にリュリュを罵倒しているらしいハイランダー達を前にしても、リュリュは一歩も退かずに言葉を連ねる。
「―――――、―――――――――! ――――――――――――――、―――……―――! ―――――――――――――!」
 リュリュは、ハイランダー達を懸命に説得しているようであったが、途中で言葉に詰まり、慌てて勢いで押し通そうとするなど、どうにも旗色が悪いようだった。
「―――、ドルイド――――――――! ドルイド――――――――――――。―――――」
「――――。―――――――ドルイド―――――――――。―――――」
 ドルイド、という単語が出たのは、これで四度目であった。
(三番)
(了承。可能性列挙――)
 ジークが分割思考に『ドルイド』という言葉の意味を探らせていると、
「―――――――――――、ドルイド――――――――――――!」
「―――……!」
 リュリュと彼らの間で、何かしらの結論が出たようだった。
「む……」
 男達が発する言語自体は分からないジークだったが、動作から内容は把握できた。
 彼らは、ジークに同行を命じていた。これが吉兆か凶兆であるかは、三番に考えさせていた。


 頃合いは正午。朝方の、湿り気を帯びた空気は殆ど薄れ、今は秋晴れの下を涼やかな風となって吹き渡るばかりであった。
 そんな爽やかな天気には甚だ相応しくない、おかしな三人がコナーの村に続く道を歩いてきた。
 みな、粗末な衣服を身につけている。それだけならば誰も気には留めないが、彼らには問題があった。
 まず、やたらと人目を気にしている。先頭を歩いている一人が、後ろの二人にやたらと何か話しかけるのだが、それがかえって三人の怪しさを際立たせているのである。
  次に、やたらと風体がよろしくない。こればかりは言っても仕方ないのかもしれないが、三人が三人とも、どうにも荒んだ雰囲気を漂わせている。歩き方は肩を大きく揺らして風を切るようなものだし、周囲を見る目には威嚇の色こそあっても羞恥の色は小魚の鱗ほどもない。
 つまるところ、この三人は遠目に見ても怪しいわけで、
「あんたら、何者だい?」
 早速、一人の女性が村人を代表するかのように進み出て、三人にそう質問した。いやがうえにも、周囲の視線は集まった。
「え? あ、ああ……別に俺ら、あ、怪しい者じゃ、ねぇけどよ?」
「ふぅん、本当に?」
「本当だってば。つーか俺ら、さっき知り合ったばっかだったし。なあ?」
「そ、そうそう」
  話しかけられた一人に女が詰め寄ると、別の一人が手慣れた様子で執り成しに入る。先を歩いていた二人に話しかけていた男である。
 しかし、話しかけた以上は引き下がれないのか、女は胡散臭そうに目を細めただけであった。
「口じゃあ何とでも言えるね。……嘘臭い」
「嘘臭いって、そんなこと言われたら、こっちは何も言えないじゃないか」
 男は、自分だけでは説得力が足りないと危惧したのか、一人話の輪から離れていた男にも話しかけた。
「おいっ、お前からもこの女に何か言ってやれよ」
「な、何かってよぅ」
 嫌そうな顔の三人目は、二人目ほど口が立つわけではないようで、二人に何を言われても消極的な反応を示すばかりであった。
「だいたい、こーいう時の役目はお前って、いつも決まってたじゃないか」
「そうだがよ、今は――」
 二人目の顔色が、目に見えて変化した。
「今は……何だい?」
 そして、その隙を逃さんとばかりに、女は更に一歩詰め寄った。三人の男を相手にしているとは思えない、妙な迫力があった。
「臭い芝居はよしときなよ。あたしに見つかっちまったのが運の尽きさね」
 そう言う本人が芝居がかった挙措で肩をすくめ首を振ると、
「あんたら、嘘吐いてるね。んん?」
  打って変わって、女は静かに言った。三人の表情を動揺が走っていった。
「嘘を吐くってことは、何らかの後ろめたい部分があるってことだけど、あんたらの場合はどれだろうねぇ……」
 女は顎に手を当て、質のいい野菜を品定めしているかのような口ぶりで喋り出した。
「たとえば、この辺りで何か悪さをしたとか? 具体的には、そうさね――」
「っおい、いい加減にしやがれ女ぁ!?」
 男の一人が弾かれたように、女へと掴み掛かった。予定にはない行動に、他の二人は唖然としているばかりであった。
 しかし、
「――っい、ぎ!?」
  突如、人込みの中から飛び出してきた少年が肩から男に体当たりを喰らわせ、悶絶している一人を尻目に残りの二人を睨みつけた。
 女――レナイア・カミューテルの弟にして護衛役兼雑用係、ルーカスである。
「ふぅ、間一髪だったよ、ルーカス」
「……姉ちゃん、こいつらで間違いないのか?」
「吐かせりゃ分かるさ」
 照れ臭そうなルーカスに大雑把な返事をよこして、レナイアは残りの二人に微笑みかけた。人込みから、ケヴィン達も駆け寄ってくる。
「さっ、あたしらと仲よく『お喋り』しようじゃないかい、んん?」
 レナイアの笑顔の奥に見え隠れする迫力の片鱗に、大の男二人が声もなく頷いた。


 騒ぎの収まりかけたコナーの村、騒動の中心である入口付近から対角線を引いた先にある山から、新たに四人組が姿を見せていた。
「あいつら、上手くやったようですね、兄貴」
「おお」
  簡素な旅装束を着込んだ四人の中心にいる、皮膚を患った鼠に似た兄貴分が、簡単に応じた。
 最初に現れた三人組は、囮だったのだ。
「しかし、流石兄貴だ。村の連中をあっさり騙しちまう」
「まーな――ん……!?」
「兄貴? どうしたんですかい」
 兄貴分の様子を気遣った一人が、恐る恐る尋ねた。忠犬でさえ逃げ出しそうな強面のくせに、どうも肝が小さい。
「……なーんか、嫌な気分がしたんだが……こう、背中を蟻がゾワゾワッと走っていったよーな」
「うぇ、そりゃ気持ち悪いっすね」
 返す笑い声も軽々しい一人はとりあえず無視し、鼠男――ダレン山賊団の頭脳、アナバは先刻の気分について首を傾げた。
(うーむ、もう何も感じないし、俺の気のせいだったのか?)
 アナバの、自他共に認める危機察知能力は、何度も彼自身と、ダレン山賊団を窮地から切り抜けさせてきた。それだけにアナバは自らの頭脳と並んでこの直感を誇っているほどである。
 それ故に違和感を無視することができなかったアナバだが、今は予め予定していた優先順位に従って行動することに決めた。アナバとしては、一刻も早くこの村から離れるには、ダレンから与えられた仕事を遂行することこそが最上なのである。
「行くぜ」
「うぃっす」
 騒動の収まる気配を感じ取りながらアナバは手短に返し、「んじゃ、手筈通りにな」と付け加えて男らを散開させた。彼らは堂々とした様子で、次々と村の中に溶け込んでいく。
 遅れてアナバも、事前に忍び込ませておいた手下から得ていた情報と、目の前の景色を改めて照らし合わせながら目的の場所へと足を運んだ。
(あー畜生、何だって俺が敵地のど真ん中に……)
 生来臆病で卑怯な性分のアナバは、こうした大掛かりな作戦でさえ最前線に足を運ぶのを嫌がった。作戦担当としてダレンの傍らに控えているのも、そうした理由が大きい。
(だー畜生、マイクの野郎が無事だったら、あいつに丸投げすんのによぉ)
 と、今はどこに行ったかも分からない手下のことを思い出して、アナバは憂鬱な気分になる。もしも彼がいれば、喜々として引き受けたのだろうが。
(かー畜生! それもこれも全部あの銀髪野郎のせいじゃねーか)
 そして、愚痴の対象は、そもそも自分達をこんな境遇へと追いやった、悪魔のような強さを持った銀髪の傭兵にまで及んだ。
(あの野郎、今度あったら……お、大頭や手下どもが、絶対にぶちのめしてやるからなっ!?)
 頭の中でしか願望を果たせない弱気な小男は、虚勢を抱えてコナーの村を堂々と――とはいかず、背中を丸めて通りを歩き出した。 忍び込んだ箇所から目的の場所までは、さして時間を要さない。それもアナバは、囮作戦の計算に入れていた。
(はっ、報告通りの立派なもンだねぇ)
 村の建物では一際大きく立派な村長の家を目の前にして、アナバは毒吐いた。塒を持たない人間のひがみである。
(さぁて、村長の居場所はどこ――)
「何してるんスか?」
 次の瞬間、アナバは人間の声からかけ離れた絶叫を上げた。その声は鼠というよりも鳥の類に似ていた。
 手と膝を地につけ、馬のような姿勢で荒い息を吐きながら、アナバはまだ震えの治まらない声で背後にいた少年に何者かと訊いた。
「え? あ、俺っスか? いや、俺はルーカスっていうんスけど、おじさん、こんな所で何してるんスか?」
 アナバの絶叫に驚いていたのも束の間。暢気に自己紹介をしてくれたルーカス少年に「お、おお……」と胡乱な対応をしつつ、アナバは立ち上がった。とりあえず、今はこの場を切り抜け、且つルーカス少年に不信感を抱かれないような嘘を考えなければならない。
「お、おじさんね、この村に来たの初めてなんだけどね、いやあの、どっか飯食う場所って知らない?」
 あながち嘘ではなかった。アナバは、嫌々ながらに初めてコナーの村に来ていたのだから。
(場所を知っていようと知らなかろうと関係ねー。兎に角何でもいいから、一度こいつを引っぺがさにゃ)
 実に姑息な智恵に長けたアナバであるが、そんなことに気付いた様子など微塵も窺えないルーカス少年はまたもや暢気に、「そうなんスか?」と朗らかに騙された。
「おじさん、飯屋はこっちと反対側っスよ。途中で気付かなかったんスか?」
「あ、あれー? そうだったのかい、おじさんホントに知らなかったよ」
「そうなんスか? おじさんってうっかりしてるんスねぇ」
 どうでもいいからさっさと失せろよ、とあしらって変に印象に残る訳にもいかず、
「分かったっス。おじさん独りだと迷子になりそうだし、俺が飯屋とかまで案内するっス!」
「……ありがと」
 ルーカス少年の、この上ない迷惑な提案を受けることにしたのであった。
 またもや生じた予定外の事態に、アナバはその場で頭を抱えて掻きむしりたくなっていた。
「おじさんって、どっから来たんスか?」
「お、おう、おじさんね、ちょっと遠いとこから来たんだよ」
 道中、ルーカス少年からの散発的で面倒臭い質問を適当に受け流す。最初は、彼がアナバに探りを入れようとしているのではという疑念が頭に流れていたが、
(こんなマヌケ面に、んな高度なことができるとは思えねぇ。こいつはただのめんどくせー野郎だ)
 主観的とはいえ少々酷な評価を下した現在では、普段以上の警戒をすることもなく、実は内心では戦々恐々としつつもルーカス少年の戯言に付き合っていた。
「――あ、そうだおじさん。実はさっき、すンごいことがあったんスよ」
「あん?」
 これまでと違い、どこか誇らしげな様子のルーカス少年は、「さっき、盗賊が紛れ込んできたんスけど、俺の姉ちゃんがそいつらを捕まえたんスよ」と語った。
「!」
 アナバの頭脳が、急速に回り始めた。
(こいつ、今何て……!?)
 聞き間違いではないとアナバの直感は告げている。勘違いでもない。
 コナーの村に起きている変化の原因。考えられる中で最も可能性が高いのは、外部からの協力者。アナバが調べようと思った要素の一つである。
 当たりを掴んだ――それも、とびきりの。
「よぉ」
「へ?」
 ルーカス少年を呼び止め、アナバは笑った。
「……その話、おじさんに詳しく教えてくれっかい?」


 ジーク達が連れてこさせられたのは、ジークとミュレが里の内部を探索した時に見た、一際大きな建物であった。
 ジークが見たところ、リュリュの家のように単純なテント式ではなく、石の壁で花弁のように部屋が区切られた構造になっているようだ。ジーク達が連行させられた部屋は、その中でも入り口から二番目に遠い、入り口を対面として左隣の部屋である。言うまでもないが、ジークの武装や荷物は全て取り上げられた上に、武器を持った見張りが三名ほど、部屋の出入り口を固めていた。
(窓はあるが、脱出には不適。出入り口は完全に一つのみか)
(肯定)
(となれば、脱出する場合はあの連中を無力化させなくてはならんわけか)
(分析結果、敵性集団の練度は極めて低く、非武装乃至暗器を用いた戦闘でも撃退可)
(五番に同意)
(反駁。敵性集団の総数、装備等が不明瞭な現時点で五番の提言実行は危険)
(む……いや、今のところ、荒事は考慮に入れておいて問題ないだろう。五番、第二種戦闘態勢待機継続。内容は三番、四番と連携し、対集団戦における第一種戦闘の想定だ)
(了承)
 と、ジークが荒事になること前提で考えを進めていると、不意にリュリュが沈黙を破った。
「大丈夫でス、ドルイド、話分かってくれマス」
「む?」
 何度かハイランダー同士の会話に出ていた単語に、ジークの食指が動いた。
「ドルイドとは、この里の長か?」
 リュリュは、何も言わずに頷いた。
「ドルイド、里の争いを止めれマス。ドルイド、悪いところ治しマス。ドルイド、神様の声が聞こえるからでス。ここで悪いこと起きる、ドルイドが全て何とかシマス」
(なるほど)
 リュリュの拙い説明を分割思考で補い、ジークはおぼろげながらにドルイドなる存在がこの里における宗教的、政治的指導者であるらしいと推測した。
「――――」
 ジークらを監視している男の許へ、別の男が何事か耳打ちしていった。
「何と言っている?」
「……ドルイド、じき来るって言ってマス」
 リュリュが密かに通訳の内容を伝えてから暫く時間が経過した後、ドルイドはが部屋を訪れる。
 現れた人物は、ローブを纏いフードを目深に被っており、男とも女とも判別し難かった。敷物に腰を下ろして相対し、ジークらを見つめる眼差しは涼しげだが、水面のようである。目を凝らしても、奥が知れない。
「――ワタシの言葉、理解できるかな?」
「む……」
 予想に反して、周囲からドルイドと呼ばれる人物が発したのは流暢なリグニア語であった。ジークはそのことに驚いたことを気取らせまいと、感情をひた隠しにした声音で肯定しておいた。
「ふむ、そうかね」
 そういったジークの内心を見透かしたように笑いながら、ドルイドはマントの裾をはためかせずに歩み寄り、朗々と、詩か物語でも読み聞かせるような口調で告げる。
「ワタシは、コナーのオッピドゥム。この里を治めているドルイドだ」
「……ジークだ。そこの娘はミュレ」
 オッピドゥムと名乗る人物の漂わせる妙な迫力に物怖じせず、ジークは己とミュレを示した。今はただ、下手に出ることでオッピドゥムの情報を引き出そうと考えているのだ。
 そういったジークの考えを知ってか知らずか、「さて」という言葉を皮切りに、オッピドゥムはジークにこう質問した。
「君達は、何故リュリュの家にいた? いや、そもそもどうしてこの里に来ようと思ったね?」
 和やかな声音には似合わない、威圧的な声であった。単体としての人間ではなく、重ねられた累代を包含し現出させたことで成し得る、一種の超越的な感覚を覚えさせる声だった。
(どうあっても、自分に都合のいい言葉を吐かせようというわけだ)
(同意)
 上手いやり方だった。自身の持っている雰囲気の持つ効力をおそらく熟知しているだろうオッピドゥムは、自らの発言を受けた人間が自分を警戒し、迂闊に言葉を選べないという自縄自縛の状態に陥らせ、主導権を握りながら対話を進めんとしているのだろう。
 加えて、オッピドゥムのように特殊な事情から集団の長になっている人間は、ジークの経験上、その集団に属する者達に自らの権威を誇示するためなら、どのような言葉を(たとえ真であれ偽であれ)受けようと、額面通りには受け取らず、自身に都合のいいように曲解する可能性があった。
「――ドルイド!」
「む」
 突然リュリュが、ジークやミュレを背後に庇う形で立ち上がる。彼女が発したのは、アシュレイとの口論で用いていた言語であった。
「ふむ……」
 ジークには分からない言語でリュリュと幾らかの会話を経たオッピドゥムは、彼女の頭越しにジークへと話しかけた。
「彼女は、自分を助けた礼として君をここに招いたと言うが、それは本当かい?」
「む……」
 ジークの隻眼が、僅かに動いた。
 常人の半分ほどしかない視界の端、オッピドゥムの死角にあたる位置から、リュリュが必死の面持ちで視線を送る。
(意図有と解釈)
(分析結果、対象の行為は我々に対する威嚇であると推察)
(否定。三番の意見は現状において不適である可能性大)
(彼女は、自らの言に我々が同意することを望んでいるのではないか?)
(同意)
(可能性有)
 分割思考が、リュリュの視線の意図について次々と解釈を重ねていく。三番と六番が粘り強くリュリュが敵である証拠と論駁していたが、それも時間の問題となっていた。
 そうやって集約されていく結論を得て、ジークは自らにとって最善と思える行動に出た。
「違う」
「え!?」
 リュリュの言葉を、否定したのである。
「俺の目的は、最初からオッピドゥム――お前に会い、交渉することだった」
「……ほう?」
 オッピドゥムは、二つの理由から狼狽した様子のリュリュと、不動の姿勢を崩さないジークとミュレを視界に収めた。
「交渉、か。どのような用向きだね?」
 来た――ジークは漣ほどの動揺もすることなく、真の目的を告げる。
「相互不戦の契約を、結びたい。……リュリュは、そのための足がかりに過ぎん」
「!」
 平然と、そして冷淡に断言したジークに、リュリュは表情を強張らせた。
「ソんな……ソれジャあ、ジークさん……」
 大きな感嘆(、、、、、)を押し殺した様子で、リュリュは呟いた。
 勘違いからリュリュの顔を通り過ぎていった感情を看破したオッピドゥムは「ふむ、何やら上手く丸め込んだようだが」と評すと、
「ワタシは、君の申し出を受け入れることはできないな」
 また平然と、言葉で切り結んでくるのだった。ジークの表情が険しくなることも、厭わず。
「おっと、勘違いしないでもらおうか。何もワタシは、君達を殺すだとか、そういった理由で拒んでいるのではないのだ。何故ならワタシには、君の願望を拒まなくてはならない三つの理由があるのだよ」
 オッピドゥムはオッピドゥムで、物質的な刺激にすら感じられるジークの視線に晒されようと歯牙にもかけず、悠々と語り出した。
「まずひとつ。それはワタシが『コナーのオッピドゥム』だということか」
 そう言ってオッピドゥムが片手を上げて、窓の外を示した。
「む」
 里の内部を一望できるよう工夫が施されているらしい窓からは景色ばかりでなく、こちらのやりとりを窺おうとする者、いつもと変わらぬ日々を送ろうとする者らの姿も、手に取るように見えた。
「ワタシは『コナーのオッピドゥム』ではあるが、それ以外のオッピドゥムではない――そう言えば、分かるだろう?」
「……この山々には、他にもお前のようなドルイドや、こうした集落があるのか?」
 というジークの確認に、オッピドゥムは僅かに喜色を滲ませる頷きを見せ、
「我々は、みな一つの輪の中で神と共に生き、神と共に死ぬ。故に外から来るものを拒み、内にのみ目を向けるのだ」
 浪々と、詩を口ずさむように言葉を連ねるのだった。
(さて、どう見る?)
(む……)
 ジークの中で、分割思考による論議が展開される。
(対象の発言は虚偽である可能性大)
(否定。先刻の対象による口述の内容は虚偽が挿めないものであった。よって三番の意見には無理がある)
 真っ先に発言した三番に、四番が反論を唱える。
(我々がいるこの集落は、四方を森林に囲まれた盆地である。また、ここに至るまでの道は防衛以外の目的では不利にしかなり得ないはず)
(反駁。交通不便であるがためにこの土地が選ばれている可能性有)
 三番と四番の議論は平行線をなぞり続け、一向に終わりを見せない。そろそろ見切りをつけるべきか、とジークが考えかけた時、
「ワタシの言葉が信じられぬと見えるな、賢くも疑り深き風よ」
 ジークの僅かな逡巡を察して、オッピドゥムが白い歯を見せて笑う。
「まあ、それも当然のことだろう。君がワタシの言葉の真偽を疑えるように、ワタシも真偽を言い分ける……あー、こういう場合、君達の言葉では何と言うのかな?」
「権利か?」
 というジークの補足に例も言わず、オッピドゥムは涼しげに「そう、ケンリだ」と繰り返した。
「おっと、話が逸れていたね。では、二つ目の理由――我がオッピドゥムには、ニールが一人しかいない、ということだ」
「む」
 意外とも言える内容に、ジークは初見の楽譜を前にした見習い楽士のような反応を見せた。面食らったのである。
(奴の言っていることが虚偽ではなく、且つリュリュと口裏を合わせていないと仮定するなら、先刻のリュリュの発言は真実であると考えられるわけだが)
(同意)
(反駁。可能性は未検証であり、結論を出すのは早計)
 ジークが分割思考に可能性の一端を探らせていると、
「ん? まさか、知らないとでも言いたいのかな?」
 オッピドゥムの目に、これまではなかった光が宿った。
「ワタシ達から土地を奪い、ニールまで奪い去った挙句に、奪い去った事実すらも忘れ去ったというのかな? それが勝者の特権という幻想が生み出したものであるとも知らず、いや、自覚さえもなく無為に過ごすのか?」
 瞳に湛えた怜悧な空気はそのままに捲くし立てたオッピドゥムは、一転して淡々と告げた。
「そして三つ目の、最大の理由――それは君が、リグニア語を解する、リグニア人であることだ」
 オッピドゥムが指示するや否や、彼の背後で出入り口を固めていた男達がジーク達を取り押さえた。
「ドルイド! ――――――――――!?」
「リュリュ、君には失望したよ」
 酷薄な笑みを浮かべて、オッピドゥムは告げる。
「君がこのオッピドゥムに来て以来、君は物心がつき始めたばかりで、完全に我らが同胞となり得たかと思っていたのだが……やはり、血は争えないということか」
「血!? 血って、何のことでスか、ドルイド!??」
「今の君には、知る必要のないことだよ」
 リュリュが必死に訴えるが、オッピドゥムはリグニア語でせせら笑うと、彼女らを取り押さえる男達に言葉短く指示を与えると、わざわざその内容をジーク達にも分かるよう伝えた。
「君達が明日の朝日を浴びることはないだろう」
 それは非常に端的で、最も具体的に三人を待ち受けているであろう出来事を容易に想像させる一言であった。


 頃合は正午を過ぎた頃。天気は先刻まで騒動があったことなど忘れさせてしまいそうなほど爽やかな秋晴れであった。
「っは〜。何というか、こっから上手くいかないねぇ」
 そんな秋晴れを武器屋の窓から見上げて、レナイアは独り愚痴をこぼす。将棋盤と台を挟んだ対面には、武器屋の主人がいる。
 賊の斥候――偵察役を上手く捕まえることができたのは幸運であったが、そこからがよろしくなかった。
 斥候達は頭目と職務に忠実なのか最初から何も教えられていないのか、レナイアやケヴィン達が何をやっても口を割ろうとしなかった。
 仕方がないので尋問は一時中断し、ルーカスにも行き先を告げずに息抜き目的で気の向くままに散策した結果が、現在の武器屋の主人との一局である。
 決してグレグソンらには言わなかったが、レナイアは考えあぐねていた。
 こちらからも探りに行かせようかともレナイアは考えたのだが、グレグソンが『それには村の人間である狩人に頼らなくてはならない』と渋っているため望み薄である。
 それ以外にも、こちら側にあるものもできることも少ない。
 主だった戦闘員は、騎士階級の子孫だったというケヴィンら二十三名。山賊や盗賊との交戦経験はあるとのことなので、期待してもいいとレナイアは内心で評価していたが、いかんせん人数が心もとない。
 滞在者も含めた非戦闘員の総数は百人余。基本的に防衛戦となることを考えれば、ケヴィン達だけではどうしても手が足りなくなる。
(てなったら、どーしても村の連中の手助けが欲しくなるんだけど、あの悪人面が頷かなきゃ何ともなんないっていうのがねぇ……)
 レナイア達は、何よりも情報を欠いていた。
 賊の規模。錬度。拠点の位置。指揮を執る人間はいるのか。そこから枝葉を広げれば、知っておかなくてはならない要素は数知れないが、その殆んどが入手困難、あるいは不可能と言える状態にあったのである。
 つまるところ、八方塞であった。
(その分やることがはっきりしてるからよし……ってことに考えとかないとね)
「……しっかし、あんたも物好きだねぇ」
「んん? そうかい?」
 レナイアが眉間にしわを寄せて悩んでいると、台を挟んだ向こう側で苦笑を浮かべている武器屋の主人は、レナイアの飄々とした反応に笑みの種類を変えた。
「こんな昼日中から、俺らみたいな親父と将棋がしたいなんて言う奴なぞそういねぇよ」
「いるじゃないかい。ここにさ」
 そう言ってレナイアは、駒の一つを動かした。相手を務めている武器屋の主人の顔色から、笑みが消し飛んだ。
「むむ、次はそうきたか……おいお前、ちょっくら知恵貸せ」
「そう言ってお前、さっきも負けてたじゃねえかよ」
 主人の隣、頑丈な皮の手袋で汗を拭う鍛冶屋の老人が苦い過去を思い出させた。過去といっても、つい一局前の話なのであるが。
「そりゃね、何もあたしゃ暇潰しで来てるわけじゃないさ」
 武器屋の主人が唸りながら次の一手を捻り出そうとしている間に、レナイアは肩を竦めておどけた様子で言葉を返す。
「ちょいとした愚痴と……ま、頭の体操ってとこかねぇ」
「頭の?」
 鍛冶屋が、この局の結末を自信を持って予想しながら首を傾げる。
「それだけじゃねえンだろ」
 やっと一手を捻り出した武器屋が、その一手に一言加えた。
「他の奴から聞いたぜ。あんた、役人どもとつるんでるらしいじゃねぇか」
「なに、本当なンか?」
 情報の伝達にあった齟齬からか、鍛冶屋は信じられないと言いたげにレナイアを見た。
「……ま、隠すつもりはなかったってことだけは言っとくよ」
 と言って、レナイアは肩をすくめた。およそ自己弁護とは程遠い弁舌であった。
「あんたの言う通り、あたしは村長と取引して、手を組んだことになってる」
「そりゃまた――」
 どうして、という鍛冶屋の疑問は、言葉ともども武器屋の主人により抑えられた。
「そこいらは俺も訊きたいが、あんたは無償で朝飯はくれんのだろう?」
 武器屋は、口調や駒を動かす動作こそ軽かったが、視線はレナイアを値踏みするように、深い部分まで見極めようとしているかのように、鋭い。
「そりゃそうさ」
 すかさずレナイアは相槌を打ち、駒の一つを動かして形成を二手前の状態に戻す。
「あたしにも事情ってものがあるからねぇ。ほんのちょびっとになるか、コレをもらうか、ってことになるかね」
 レナイアは、親指と人さし指で輪を作る。金銭か、それに準じたものの要求である。
「それだけの価値は?」
「あるさ。あたしの名前と、儲けの匂いにかけてね」
 レナイアは最後となる一手を投じた。
 彼女の駒は、武器屋の王将の喉元に切っ先を向けている。
「さ、あとはあたしを信じるか、あんたの中のあたしを信じるか、ってとこかね」
 それ以上の言葉は用いず、レナイアは真っ直ぐに王将――武器屋を見つめる。
 レナイアは、答えを急かさない。眼前の二人が自ら折れるまでは、詰んでいるからといって勝利と誤認してはならない。
 武器屋は、鍛冶屋の肩に手を置いた。
「……ちょいと、こいつと考えたい。暫く店ン外で待っててくれ」
「ああ、好きにしなよ」
 男達とは対照的な余裕綽々の笑みで応えると、レナイアは店外に出る。
 武器屋の主人は、レナイアの姿が見えなくなると年老いた鍛冶屋に声をかけた。
「なあ、どうする?」
「どうするってなァ、どういうこったい?」
 将棋盤の駒を指先で弄りながら、鍛冶屋は訊き返した。
「あの姐ちゃんが言っていることが本当か嘘かなぞ、俺には分からんぞ。そういうンは、お前ン方が長けてるだろう」
 大事なことだから自分で決めろという言外の意見を受けて、武器屋は頭を掻いた。
 鍛冶屋が気付いていたのかは知らないが、彼女から儲けの匂いが漂ってきたのは事実であった。それ自体には問題ないのだが、同時に承諾しかねたくなるような臭い(、、)も、彼女からは漂っているのである。
(武器屋に用ってことは……まあ、内容はなんとなく分かるがよ)
 ましてや、あそこまで露骨に秘密性を臭わせる言動をしていったのである。単なる武器の買い付けで済むとは思えない。
 ――まさか、彼女は自分達のしていることに感付いたのではないだろうか?
(……嫌な予感しかしねぇ。いくら儲かりそうだからっつっても、流石にこン自分に危ない橋は渡れねぇよ)
 と弱気な思考に陥りかけた武器屋の主人であったが、先刻まで鍛冶屋が弄んでいた駒を見て、表情が変わる。
(あいつ、結構頭が回るみたいだったな)
 自分と鍛冶屋の二人を相手に彼女が連戦連勝を重ねた手際は恐ろしく鮮やかで、迅速且つ理に適った攻めを展開してきていた。
 ――外に神出鬼没の敵を、内には超大国を背後に持った敵と、いずれも一筋縄ではいかない連中を相手取っている現状。少しでも戦力は多い方がいい。
(そのためなら、多少の危険ぐらい……)
 どだい、自分達は無理無謀としか思えないことをやり遂げようとしているのである。それを思えば、一つ二つの危険性に怖気ついているわけにはいかない。
(何より、あの姐ちゃんが連中の側に付いた場合……いや、既に付いてるかもしれねえか)
 いずれにせよ、武器屋の腹は決まっていた。
 答えを胸に、扉を開ける。


(んー、十中八九は……成功、かね?)
 必要以上に内面が表出しないよう気を払いつつ、レナイアは二人が出すであろう回答に見通しをつけていた。
 手応えは感じている。残るはまさしく、時間の問題なのである。
(これで物資と、まあ人手もちょいとは埋まるだろうけど、あとは……いよいよ、あたしの本領発揮、ってとこだろうね)
 レナイアの脳裏に浮かぶのは、柔和だが決して油断ならぬ気配を秘めた笑みを見せる、リチャード・グレグソンの姿。
(……やれやれ、外の敵よりも先に中の敵かい)
 あの男の曲げられないもの――それがどこからくるものなのかを推し量ることは、レナイアにとって不可能なことではなかったが、
(まあ、あんな話を聞かされちゃあねぇ)
 緩く冷たい秋風で乱れた髪を乱雑に撫でながら、そう思い留まるのだった。
 レナイアが思っていた以上に、この村における対立の歴史は深い。グレグソンが協力関係を拒むのも無理はない。
(んんー、何か、奴さん方が協力せざるを得ないような、そういう方法でもあればいいんだけど)
 そこでレナイアは、思考を一時中断した。堂々巡りになりかけていたということもあったが、視界に弟の姿が映ったというのが一番の理由であった。
 小走りで駆け寄る弟に、レナイアはわざとらしく眉と口を苛立っている時のものに変えてルーカスに問う。
「ルーカス、あんたこんな所で何してんだい?」
「姉ちゃんこそ。急にどっか行くんだから心配したんだぜ」
「あたしのことはいいんだよ。それよりルーカス、あたしに何か用でもあるのかい?」
「え? お、おう、それもあるんだけどさ、さっき面白い人に会ったから、そのことでも話そうかなって思ってさ」
「んん?」
 弟の言う用事とやらも気になったが、それよりも先にレナイアは『面白い人』についての説明を求めた。
「いや、何が変ってさ、こんなに広くない村で迷って村長の屋敷まで来ちゃったり、何度も何度も変な質問してくるってのもあるけど、その人がまた鼠にそっくりなもんだからついおかしくて――」
「ルーカス!」
 レナイアの細い手が、ルーカスの胸倉を掴んで引き寄せる。
「あんた、そいつがどんな感じの奴だったか、ちゃんと覚えてんだろうね?」
「ば、馬鹿にすんなよ姉ちゃん。いくら俺が……まあ、アレだからって、あんな変な人はそうそう忘れないってば」
 互いの息がかかりそうなほどの距離にあるルーカスの顔は、滑稽に思えるぐらい真面目な表情を作っていたが、それをレナイアは気に入っていた。
「おいおい、あんたら何をしているんだ?」
 いつの間にか、武器屋が背後に立っていた。どうやら話がまとまったようだ。
「なァに、気にすることはないよ」
 それより、とレナイアは素早く話題を自分が望むものへとすり替える。
「ボサっとしてる暇はないんだ、急いで仕度しな」
「は? ……お、おう」
 呆気に取られた様子の武器屋は、しばし頭を掻くと頷いて店内に戻り、そこでもう一度頭を掻いた。
 レナイアには、たしかにまだ何も言っていないはずだった。


 コナーの村長宅、グレグソンの書斎に、奇妙といえば奇妙な面々が一堂に会していた。
 部屋の一番奥にあたる席に、リチャード・グレグソン。
 彼から見て左側の席に、レナイア・カミューテル。
 彼女の対面、グレグソンから見て右側の席に、何故かルーカス・カミューテル。
 最後に、グレグソンの対面、最も扉に近い席には武器屋の主人が、それぞれ座っている。
「……ミス・カミューテル、まず私は貴女に質問か……詰問を行うべきかと思案しているのですがね」
 席に着いて最初に口を開いたグレグソンは、まずレナイアに現状の説明を求めた。
「んん? ああ、そうだったね。まずはここに集まってもらった面々にゃ、そこから説明をしようかね」
 剣呑な雰囲気を仄めかすグレグソンに対して、レナイアは余裕の感じさせる対応をとった。
 頬杖をつき、レナイアは簡潔に述べた。
「あんた達にゃ、是非とも協力してほしいのさ」
『――は?』
 グレグソンと武器屋の主人、そしてルーカスら三人の声が、見事に重なった。
「ま、言いたいことはだいたい分かってるけど、とりあえず意見はあたしの話が終わってからにしとくれよ」
 グレグソンらに釘を刺してから、レナイアはいよいよ本腰に入る。
「まず、今この村に起きている事件――作物が荒らされたり、旅人が足止めを喰らったりしている原因が賊の一派だってこと、連中を退治するためにそこのリチャード・グレグソンにあたしら姉弟が雇われてるってが、ここにいる連中全員共通の情報なのか、ってのを確認しときたいんだけど、大丈夫かい?」
 これに対し、ルーカスを含む三人の反応は肯定であった。視線を巡らせて確認を終えたレナイアは「んじゃ、始めるよ」と言って説明する。
「ちょいとばかし前からこの村を悩ましてる連中、あんたらが思っている以上に頭が回ってるよ。何人か忍び込ませて、そっからあんた達の情報を集めて、盗みやすくしてるんだ」
「し、忍び込ませる!? 本当かよ?」
「ああ、実に厄介な連中さね。これはたぶんだけど、あんた達の行動に関しちゃ、かなり裏をかけるところまでいってるんじゃないかね」
 レナイアの言葉は完全に予想外のものだったらしく、武器屋の主人どころかグレグソンまでが、微笑みの仮面を忘れて驚愕する。
「頭の回転だけじゃなく、たぶん行動も早いよ。あたしらが賊の仲間を捕まえた翌日にゃ、もう早速新しい斥候を出してきたぐらいだからね」
 今度は、真っ先にグレグソンが「そんな馬鹿な」と言って反論した。
「その新しい斥候とやらは、既に貴女が捕らえていたのではないのですかな?」
「あたしもそう思っていたんだけどねぇ」
 ちらりと、レナイアはグレグソンから弟に視線を向けた。
「どうやら奴さん方、わざわざ二段構えの斥候なんて出してきてたみたいなのさ」
 という返答の直後、「え?」と素っ頓狂な声を上げたのはルーカスであった。
「そ、それじゃあ、もしかして、あのおじさん……本当なのかよ姉ちゃん?」
「十中八九、あたしはそいつと……まあ、あと何人かが本当の斥候として入ったはずさ」
 ルーカスへの回答に続き、レナイアは補足に入る。
「この、あたしの弟が、その本命さんと接触したんだとさ。ま、幸いにしてそいつは、うちのルーカスを都合のいい馬鹿だって思ってくれたようだからねぇ、あれこれと好きなだけ訊き出してくれてったようだよ」
「それがどうだというのです?」
 歯痒さを感じながら、グレグソンは続きを促す。
 彼にしてみれば百害あって一利なしという結果しか見えてこないにもかかわらず、レナイアの表情は明るい。そのことが、尚更彼にとって彼女を異質なものと思わせた。
「あんたも分かんない奴だねぇ」
 レナイアは肩をすくめ、大げさに溜息を吐いてみせると、武器屋の主人にこう問いかけた。
「例えばの話だよ? あんたとあたしが同じ品を扱う商人だとして、あたしの方が儲けているとするよ。あたしに何でも好きなことを訊けるのなら、あんたはあたしに何を訊くね?」
「何を、かい? そりゃお前さん、儲けの秘訣だとかを……ああ、そうか! そういうことか!」
 少しばかり頭を捻っていた様子の武器屋は、納得がいったらしく両手を打ち鳴らした。
「質問なんてするからにゃあ、下心があって当たり前だ! そりゃそうだ、あんた流石に目の付け所が違うなぁ!」
「そう。あんたは将来の儲けを企図してることを前提に質問するだろ? それが答えさ」
 唐突に椅子から立ち上がるや、レナイアは言葉の節々に身振り手振りを加えて語り出す。その姿は、まるで集団を操る宗教家か詐欺師のようであった。
「質問には、必ずその質問をするための理由がいる。ましてや忍び込んでまで訊き出してるんだ、無意味だと思えるようなことの中にも、じっくりと突き詰めていけば、連中の目的や企みを細かいところまで見抜くことも無理じゃあないさ」
「そんな」
「無茶じゃないね」
 グレグソンの言葉を、レナイアが包んでしまう。
「あたしを誰だと思ってるんだい。んん? あのレナイア・カミューテルさね」
 その言葉はあまりにも無茶苦茶だと言えたが、同時に彼らに妙な説得力を植え付ける。
「それに、何もあたしが独りで頑張るわけじゃないさ」
『?』
 首を傾げる男達を前に、レナイアはいよいよ肝心要の言葉を舌に乗せる。
「あんたらも、そしてこの村にいる全員で頭働かせるんだよ。でなけりゃ意味がないだろーに」
 グレグソンと武器屋の主人は、目を瞠りながら彼女を見て、それからゆっくりと互いを見た。
 レナイアの言葉が、ゆっくりと浸透していった証拠である。
「変な言い方だけどね、これを機会に、手を取り合っちゃあどうだい? というか、そうしてくれないとあたしとしてもやり辛いんだねぇ、これが」
 と哀れっぽい口調でレナイアが締め括ると、武器屋の主人が失笑を漏らした。
「いや、悪い悪い……なるほどね、どんな形でもいいから、兎に角まずは共同で何かをやれってか。あんたらしいっちゃ、あんたらしい話だな」
 しかし武器屋は笑みをすぐに消し去り、真剣な表情を作る。その内奥からレナイアが感じ取ったのは、理性と感情、この二つの間で生じる葛藤。彼女が嫌というほど体験し、同時に目の当たりにしてきたものである。
 一語一語を絞り出すように、武器屋は商売人以前に一人のコナーの村に住む村人として、全員に聞こえるよう告げた。
「昔あったことは、忘れることはできねぇ。これは村の連中の殆どが思っていることだし、俺もそうだ。リグニア王国も裏切ったニールどもも許せねぇが、こン役人には恨みはない――今しばらくは、そう思うようにしとくよ」
「ああ、それで充分さね」
 満足げに頷いて、レナイアは武器屋の主人に握手を求め、それから固く手を握り合った。
「――んじゃ、作戦会議といこうかい。ルーカス! あんたがそのおっさんからの質問、覚えてるだけ全部喋りな!」
「おう!」
 二つ返事で答えたルーカスは、姉の役に、ひいてはコナーの村に住む人々のためにと、懸命に頭を絞った。




5【そして兆しは】
 頃合は夜。コナーの村を通り抜ける風は重く冷たく、雨が近いことを報せていた。
「演じ手とは、常に二律背反を強いられ続ける定めに在る」
 にもかかわらず、時を告げる者のいない鐘楼の上に、一人の男が立っていた。
 男の両腕には特徴的な刺青があり、それを誇示するためか、袖のない衣服を着ていた。太い手足と短い髪が、男を戦士の類であると想像させる。
 紛れもなく、そこにいた男はグレグソンの警護役をまとめているケヴィンであった。
「何故なら、必要に応じ彼は己を捨て老若男女に成り分ける。其の道は無論平坦なものである筈も無く、又、最たる関門が立ち塞がろう」
 両手を高々と、そして大きく左右に広げると、ケヴィンはあたかも眼下に聴衆がいるかのように朗々と言葉を紡いだ。
「何処まで行こうとも『彼』は『彼』という個を捨てる事は叶わず、故に『彼』の挑戦は『私』の殻を突き破れぬままに留まる」
 それと同時に、自然に身を屈めたケヴィンは、突如として無骨な顔を、続けて全身を跳ね上げ、絶叫する。
「嗚呼、何と嘆かわしき哉! 演じ手は役に没頭せんと己を捨てるが、其ればかりでは彼の求める高みに至る事は叶わぬのだ!」
 夜の空気を貫くような絶叫は、しかし唐突に哀切なる響きを含んだものに変わる。
「彼は『私』を捨てねばならず、されど『私』を捨てる事は決して出来ない――」
 ケヴィンは右手を天にかざし、今まさに雲に隠れんとしている月に向かって手を伸ばす。狂気じみた演説のような絶叫から一転し、今度は悲劇の主演を演じているようであった。
 風が雲を招き、月光をつかの間隠す。それはまるで、舞台と舞台の幕間であるかのように。
 その証拠に、再び月光が雲間から流れ落ちた時――主役は、入れ替わっていた。
「――だが、其れ故に美しい」
 時を報せる鐘楼の上には泥臭い田舎の戦士などどこにもおらず、代わりに優美な影が一つあった。
 この時期、秋の夕暮れ時に見えるそれのように細長い影は、異常なほどに白く見える繊手で輝きを秘めた黒色の長髪を掻き上げる。爪の先まで白く見えるその手は、まるで継ぎ目のない白骨のようであった。
 しかし、美しかった。
 瓜実面と言えるが小さくまとまりがある。特に切れ長の眼に収まる黒瞳と酷薄そうな笑みを形作る唇が、一層の妖艶さを際立たせる。
 影のような衣装と黒髪を、白骨のような手と貌を持つ男は、絶妙な形の顎に指先を這わせて呟いた。
「ふ……っ、好い風だ。争う人の声、血の香、どれもこれも良く伝えてくれる。御膳立ての甲斐も有るというものだ」
 蕩けるような男声。低く囁くような響きは陶酔を包含し、影の周囲で流れて消えた。
 観客のいない舞台に佇む影は一点を見据える。
「では、双方の御手並み拝見と行こうかね。此の私の其れに劣りはするだろうが、御膳立てに見合う舞台を……期待しているよ?」
 遠からぬ戦場を、夜の闇よりも漆黒の瞳に収めんとするかのように。


 コナーの村は、“統一運動”期以来の混乱を迎えていた。
「東から増援だ!」
「慌てるな! こっちから三人、急いで連れていけっ!」
 うろたえながらも村長宅に報告しに来た警護役に、ケヴィンは応答する。
 遠からぬ戦火の叫ぶ声に、グレグソンは表面上では落ち着き払った様子で椅子に腰掛けながら、独り言のように呟いた。
「……概ね、我々の立てた予想通りになりましたな」
「そりゃそうさね」
 表情に不安と緊張が見え隠れするグレグソンと武器屋の主人に、レナイアは、飄々と相槌を打ってやる。
「あたしらが知恵を出し合ったんだ、当たって当然さね」
「お、おお……」
 無理して答えようとする武器屋の主人であったが、やはり表情は硬く、暗い。
 レナイア達は、賊と思われる男の質問から、彼らが次にどのような行動に出るかと対策を立て始めた。
 これまでにはなかった、囮を使っての侵入――その背景にあったのは、恐らく仲間を捕まえた敵の実態を調べようという魂胆だったのだろう。
 事実、この計画は発案者の思惑とほぼ変わらぬ結果を収めたと言える。村人が最初に捕まえた賊達に気を取られている間に、本命の偵察役が村に入り込んで、村人からそれとなく情報を集めていったはずである。
 ――だが、『ほぼ』の中に含まれる僅かな差異が、現在行われている攻防戦という結果となっていた。
 レナイアの弟、ルーカスもまた、賊達の聞き込みを受けた一人であった。その際、囮や偵察のことなど何も知らなかった彼は偵察役と思われる男にコナーの村で起きたことや、自分達の素性までを訊かれるままに喋ってしまったのであった。
 ルーカスの知り得る情報のみであるとはいえ、内情のかなりの部分が賊側に流出してしまったのは大きな痛手だったが、同時にレナイア達の側にも貴重な情報を与えることとなった。
 偵察役がルーカスに対して行った質問の内容である。
 質問には行った者の意図を多分に含んでいるというレナイアの言により、リグニア王国の役人とそれらに反発する勢力の主格である人物が一堂に会させられたばかりか、三者三様、各々の持てる知識と知恵と人脈を駆使しての一大防衛戦略が組まれることとなったのである。
 これには無論だが、山のような問題が両派の間では予想されていた。
 村を挙げての戦略である以上、根強く残る対立問題は無視できない。
 また、コナーの村に滞在している来訪者達の安全の保証も問題となっていた。彼らの中には行商人も少なからずおり、万が一にでも損害が生じた場合の責任はどこが負担するのかという案件一つ論じるにしても、コナーの村の内部における不和は拡大しかねない。
 とてもではないが、レナイアの立案はあらゆる面で不可能だと断言せざるを得ない――と、思われていたのだが、
「今だけの辛抱なんだから我慢しな」
 余計な修飾の殆どを取り去れば、概ねこうした意味合いを持った理屈の下に、レナイアは反対する人間を次々と論破――もとい説得していったのであった。
(――「あたしゃ商人だからね、相手を説き伏せるなんてのは日課みたいなもんさね」――)
 と訊かれてもはぐらかすばかりで、具体的な内容は明かさなかったものの、兎に角コナーの村で史上初の官民協同の体制が誕生したのであった。
 レナイアは、賊の中には偵察の存在を見抜かれることを想定し、そればかりか対策を練る者がいると読んでいた。
 仮に読みが正しければ、賊が集めた情報が活かせる間に何かしらの行動(レナイアはより具体的に襲撃と述べていた)に出る可能性がある。
 そして、その可能性が最も高いと思われたのが、灯が点るか点らないかという境目となる、日没の間際という薄暗い時間帯。
 時間帯は特定できたが、果たして今日中に仕掛けてくるかは賭に等しかったのだが、賊はレナイアの予想通り今日中に仕掛けてきた。
(……つっても、安心するにゃあまだ早いだろうね。連中があたしらの裏を掻くよーなことを企んでるかもしんないし)
 続々やってくるケヴィンの部下達の報告に耳を傾けながら、レナイアは次なる一手を考える。


 コナーの村は、北から東、そして西側の一部が山と接した村落である。
 その中でも、北部は特に山と接している面積が広いため、ダレン山賊団の攻勢が最も激しくなると予想された地点となっていた。
 にもかかわらず、山賊団は一人としてコナーの村へと侵入できず、ひたすらに波状攻撃を繰り返すだけであった。
 最も有力な原因は、二つ数えられる。
 一つは、ダレン山賊団が機を見て襲撃を仕掛けるまでに、幾許もないが猶予があったこと。
 侵入しやすいと分かっていれば、相応の対策を講じることも不可能ではない。これまでに何度も破られた防壁も、レナイアの知恵やグレグソンの知識が合わさることで槍を生やした強固な障壁となり、そういった大掛かりな設備の設営が間に合わなかった箇所も穴を掘るなどの妨害工作が行われていた。
 そして、もう一つが――
「うぉおおおおおおおおっっ!!」
 一本の頑丈なだけの槍を手に、最前線で果敢に立ち向かう、ルーカス・カミューテルの存在である。
 全身を駆使して槍を振り抜き、自分よりも大柄な男を薙ぎ倒したルーカスは石突で地面を突くや、篝火を背後に姉にも劣らぬ大喝一声を発し、山賊達を食い止める。
「こっから先には、一歩も通さねっス!!」
 一見すると無謀な行動に思えたが、ここにも彼の姉であるレナイアの入れ知恵があった。
 完全に防備を固めてしまえば山賊達は他の箇所に狙いを移すだろうが、敢えて少数のみを配置し、防備の薄い箇所を装うことで『ここさえ突破すれば』と敵の関心を集めさせ、結果として防衛の要として活きる。
 そこにルーカスの派手な立ち居振る舞いが加われば、山賊達の多くが『あの小僧を殺せば』と殺到し、効果は倍増する。
 もっとも、これはルーカスが最後の最後まで死なずに持ち堪えることが大前提であるのだが。
「畜生! 小僧が舐めくさりやがって!」
「おい、待て!?」
 仲間が止めるのも聞かず、血気に逸った山賊の一人が錆びついた剣を手に、ルーカスへと突進した。
 構えは大上段。腕力に体重と落下速度が加わるために威力はあるが隙も大きいこの構えに対し、
「死ねやガキィ!」
「俺はガキじゃねぇっス!!」
 ルーカスは怯むどころか、真っ直ぐに男へと突っ込んだのであった。
 退けばその分動きは取り辛くなる。互いの体重差や腕力を考えれば受け止めることはできない――となれば、残る選択は一つ。
「――ぉおおっ!?」
 攻撃という動作そのものを、殺すことである。
 前進の勢いに男の腕を振り下ろそうとする動作が加わり、結果的に男はルーカスの頭部に両肘を打ち下ろしてしまう。
 当然、肘に慣れない激痛と痺れが走った男は呻きながら剣を取り落として倒れたが、ルーカスとて無事では済まない。
 強打を喰らった額は勢いよく擦れた際に皮膚が破れ血を流しており、ともすれば男と同時に昏倒していてもおかしくないというのに、ルーカスは己の足で地面を踏み締め、他の自警団やハイランダーとともに山賊らと相対していた。
「この野郎、よくもテッドを!?」
「ブッ殺す!!」
 山賊達は口々に罵りながらルーカスへと襲い掛かる。一人は同じく大上段に構えて二の舞を踏み、一人は鎌を横薙ぎにしようとしたが喉を射抜かれ、一人はナイフを突き出そうとしてハイランダーに肩から臍の辺りまで斬られた。
「すまん! 援護が遅れたか」
「うんにゃ、ありがてっス!」
 と僅かに言葉を交わしただけで、ルーカスは額から止めどなく流れる血を袖で拭い、更なる攻撃に備えた。まだ先刻の一戦が記憶に残っているからか、今度はすぐには襲ってくることはなかった。
(……流石に、ちっと疲れてきたかな)
 その僅かな間に、ルーカスは思う。
 防衛戦が始まって以来、最前線で戦い続けたからだろう。呼吸は荒くなっているし、流血しているのは額の傷ばかりではない。体当たりのような戦い方をし続けていたルーカスの体には、目に見える箇所だけで大小四つの傷口が覗いていたのである。
「下がるなら今のうちだぞ!」
 先刻、寸でのところで背中を守ってくれたニールが、短く言った。ケヴィンと一緒にグレグソンを守っていたニールの一人で、たしか名前をグウィンといったはずだった。
「いや、まだ俺は戦えるっス」
 そう答えてルーカスは口を引き結んだが、それが空元気であることは疑いなかった。
 山賊達も、ルーカスの発言を虚勢と看做したのだろう。手に手に武器を持ち、再び一斉に踊りかかる。
「っ、どうなっても知らんぞ!」
「平気っスよ!」
 そうしたやり取りを皮切りに、ルーカス達は次の山賊らの一波を迎え撃つ。
(姉ちゃんは、この作戦は俺が鍵だって言ってた)
 腹に力を入れて大喝。自らを奮い立たせ槍を打ち出す。
(俺が派手に戦り合えば、それだけ他の所が楽に戦える)
 大降りの一撃がくる。下がれない。槍の柄を斜めに構えて受け流すだけで精一杯だ。
(楽に戦えたら、そんだけ勝てるってことだよな!)
 受け流しが功を奏した。武器に持っていかれて体が流れている。見逃せない。
(つまり――)
 足を踏み出す。捻った体を最大限に利用し、がら空きの脇へと渾身の力を込めた下突きを打ち込んだ。
(この戦いは、俺が負けなかったら勝つって言ってた!)
 姉の言葉を、打ち倒した実感を噛み締め、ルーカスは声を上げる。
「そんなもん、姉ちゃんを守りながら戦うのに比べたら楽なもんっスよ!」
 ――大丈夫だ。
 姉は、小さな時からずっと辛い思いをしてきた。
 それに比べれば、一時がむしゃらに戦い続けることなど、何が辛いものか。一つや二つの怪我をすることになど、何を恐れるというのか。
 全ては姉の――レナイア・カミューテルのために、一度として自分を見捨てはしなかった、彼女の恩に報いるために。
「ここを通りたかったら、まず俺を斃してからっス!」
 ルーカスが、吠える。
 すぐ目の前から漂う『死』の臭いに恐れを見せず、槍を頭上に掲げ、愚直なまでに姉を信じて。


「それにしても、貴女の弟君も大したものですな」
「んん?」
 不意にグレグソンがレナイアに話しかけた。
「先程の報告によれば、賊に臆することなく、未だに最前線で戦っているとか。いやはや、実に――」
「……まあ、ね」
 妙に熱弁を振るうグレグソンに対し、レナイアの反応は冷ややかとはいかないものの、どこか素っ気ない。
「おや、流石の貴女も弟君が心配ですかな?」
「そんなんじゃないよ」
 首を傾げて茶化すグレグソンに、レナイアはまともに取り合う。
「あたしが気を揉んでんのは、もっと違うとこさね」
「ほう?」
 机上の地図に視線を移すレナイアに、グレグソンも倣う。
「上手く、行き過ぎてる気がするんだよ」
「なら、いいんじゃないンか?」
 武器屋の主人が、横から口を挿さむ。
「連中にも、マヌケな奴がいたじゃねぇか? ほれ、多分そンへんが関係してるんじゃないか?」
「そうですとも。それに、貴女の策が加わった結果ではないのですかな?」
「あんたらねぇ、考えてもみなよ」
 二人の発言に露骨な溜息を吐いたレナイアは、机上の地図を指先で叩いて示す。
「奴らにゃ、偵察を出すのにもわざわざ囮を使ってるような輩がいるんだよ? いくら策を捻り出したのがあたしだからといっても、戦い慣れしてない村の連中と盗賊どもが戦り合って、ここまで一方的に進めてるとかえって気味が悪くなるもんだよ」
「……ふむ、言われてみれば、的を射た意見ですな」 顎に手を当て、グレグソンは同意する。
「おいおい、するとあれか? 賊どもには何か裏があるっていうンか?」
「断言はし切れないけど、可能性が高いねぇ」
 無数の書き込みがなされた地図を見下ろして、レナイアは「奴が病気になったとか、そんなのだったらいいんだけどね」と面倒臭そうに呟いた。
「楽観的に構えて済むのでしたら、貴女を雇いませんよ」
「ったく、その通りさね」
 グレグソンの皮肉を顔色を変えずに流し、レナイアは眉間のしわを解しながら書き込みだらけの地図上に新たな一文を書き足す。
「おまけに敵はまだ内側にいるみたいだし……さて、そろそろ次の手を打とうかね」
 そう言ってレナイアは、グレグソン達に次の指示を伝える。


 頃合いは宵の口。木々は苔むした身体を寄せ合い、風も月の光も通さずに、我と我の間を通る、幾つもの人影を見下ろしていた。
 ハイランダー達は拘束を施したジークら三人を連れて、森の奥へ奥へと向かっていた。
(……香を焚いている。この匂いであれば、薬効は獣除けか)
 と、常のように油断なくオッピドゥムらハイランダー達から情報を集めていたジークであったが、その表情は暗い。
 ――ジークら三人の現状は、無樣と言うより他なかった。
 両手は後ろ手にきつく固定され、足も一定以上には広げられないよう、短い縄で左右と前後に(ジークを中心に、リュリュが前方でミュレが後方に)繋がれており、
「っきゃ!?」
 特に小柄なリュリュが足を縺れさせてしまい、それにつられてジークやミュレまでもが倒れてしまうことが多々あった。
「む……」
 周囲からの嘲笑を無視して立ち上がったジークは、口に出せない感情を胸中で吐いた。
(完全なる失策と言わざるを得ん)
 ハイランダーが迫りきていた時、ミュレとリュリュを見捨てて自分はあの場を離脱し、その後折りを見て二人を救出するなり単独で逃亡するなりを選ぶ――というのが、あの時考えられ得るかぎりでは最善の選択であったはずなのである。
(だというのに、何故俺はオッピドゥムとの対面交渉に期待したのだ?)
 その選択は、リュリュが交渉材料となり得ないのであると分かった時点で三番の管轄に移動させ、ミュレをあの集落に置いていけずとも早々に出立すべきであったというのに。
(リュリュなど……いや、ミュレにしてもだが、俺の目的には何ら影響を為さん、むしろ害悪としか言えん奴らを見捨てられなかったのだ?)
 自問自答を繰り返し続けても、答えには至らない。 ジークの求める答えは、彼が思わぬ方向から、彼の思わぬ形で訪れたもの。自覚は元より、指摘されたとしても容易に得られるものではない。故に優俊を誇る分割思考であっても、理解には至ることはできない。
(指摘。当懸念内容は我々の現状において、最下位の優先順位である。我々が真に優先すべきは、自己の保身と現在地からの逃亡)
(七番に同意)
(同意)
 己らが処理できない領域の問題であると判断した二番以外の分割思考が、冷徹だが現状では最も合理的な選択を提唱する。
(その結果、お前は二人の娘を殺すのだろうがな)
 三番を除き孤立していた二番が、そのようなことをジークに告げた。
 武器を取り上げられ、四肢を封じられて満足に動くこともできない現状、唯一ジークに残された独力での脱出手段は魔術――それも“世界を見渡す秘匿の鳥”のような魔術ではなく、戦闘用の魔術を用いることであった。
 ジークは、練達の剣士であると同時に優れた魔導師でもあった。最も初歩的な魔術“風の刃”を用いるだけでオッピドゥムらを無力化することは容易い。
 ミュレやリュリュが犠牲になるかもしれない可能性に目をつぶれば。
 ジークの扱う魔術とは、風である。広い範囲に対し高い殺傷性の風を生み出せる魔術は、間違いなくハイランダーが傍にいる二人を、ともすれば魔術を放ったジークすら巻き添えにするだろう。二番の発言は人道を重んじる立場からのものではなく、なりふり構わず逃走しようとして自らの首を絞めてしまわぬようにと釘を刺すためのものだったのだ。
(反駁。二番の意見せんとする内容は理解可能。だが後顧の憂いを排除した上で現在地からの脱出を図るのであれば、七番の提唱する選択肢に勝るものは皆無と断言することも可能)
(後顧の憂い、それが本音か六番。脱出とミュレ達の抹殺、あくまでもこの二つを実行しようというのか)
(笑止。我々の真に優先すべき事柄は一つ。そこへと至るためであれば、ありとあらゆる選択肢を視野に入れるのは自明の理)
(同意。仮に我々が負傷しようとも、三番と六番さえ機能していれば治療は至極容易。二番の発言は臆しているがためと推察)
(同意)
 論議は延々と平行線を辿り続けており、一向に収束する気配はないまま、ジークと二人はやがて山中に不自然に開けた空間へと連れてこられた。中央に緑青をふいた円盆のような台座がある以外は、草の生い茂る広場にしか見えない。
(切り株……人為的に拓かれた場所なのかもしれん)
(雑草の自生具合から推察するに、年単位で時間経過があったと思われる)
 立ち入るやジークが即座に分析を始めているとも知らず、オッピドゥムは広場の殆ど中央に立ってジークらに微笑み掛けた。温かくも冷たくもない、形ばかりの笑みであった。
「久しく訪れぬ間に、随分と草が茂ってしまったな……ここがどういった場所か、分かるかな?」
 独り言とも問い掛けともつかないオッピドゥムの言葉に相槌はなく、オッピドゥムはそのまま続けた。
「儀式の場だよ。我がオッピドゥムを乱した輩を森に捧げ、降り注ぐ災いを退けるためのね」
 生贄――その言葉の意味するものに、ジークとリュリュは程度の差こそあれ、それぞれ表情を固くしていた。一方で、ミュレは相変わらず無表情のまま、ジークを見つめていた。
「――――――――」
 オッピドゥムは傍らに控えるハイランダーに手を伸ばし、小さな袋を受け取ると何事か命じて、三人を拘束していたハイランダーに自分の立っている位置まで引きずらせた。
 彼らは手慣れた様子で金具のようなものを地面に打ちつけ始めた。
(む)
 ジークの隻眼は、彼らの手元を鋭く見据えていた。
 彼らが懐から取り出していたのは、一人二本ずつの金具、計六本。そのどれもが、鎹のような形状をしている。
(俺達を固定するための道具か)
(可能性大)
 ジークの読みは正しかった。ハイランダー達は三人を拘束している縄を手に手に掴むと、縄を挟んだ状態で金具を台座の窪みにはめ込んでしまった。
 構造は意外と巧妙に計算されており、縄の部分まで含めて完全に穴が塞がるようになっている。取り出すには縄を引き抜くか、切断するしかなさそうだ。
(魔術“風の刃”を使用?)
(……いや、まだだ。準備段階に留めておけ)
 五番に指示を下しつつ、ジークはオッピドゥム達の様子や言動を注意深く観察していた。
 ――ジークもまた、六番の意見を大筋で認めていたのであった。
 それでいながら、ジークは踏み出しかねていた。
 敵はこちらを無力化したと思い込み、完全に油断している。オッピドゥムなどジークのすぐ傍で一人、彼を物珍しそうに眺めているのだ。隙を衝くのは非常に容易く、一人なら混乱に乗じて脱出することもできるだろう。
(……そうだ、俺一人ならば……)
 隻眼を僅かに動かし、ジークは同じ境遇の少女らを見た。
 リュリュは、後ろ姿しか見えないが、肩が小刻みに震えているのがよく分かった。微かに聞こえる呼吸も荒い。明らかに緊張状態にあるのだ。いざ行動を起こさんとした時、邪魔になるのは明白であった。
 ミュレは背後に繋がれているので姿すら見えないのだが、ほぼ間違いなく、無表情のまま突っ立っているだろう。自身を取り巻いている状況を理解しているのかも怪しい。リュリュほど不測の事態を招かないだろうが、活用法を考えれば囮として、やはり同行はさせない。
(はっきり言って、こいつらは足手まといだ)
(同意)
 目標達成の前提となる、生存への足手まとい。死を招く要因。害悪。
 そんなもの(、、、、、)を気にかける必要が、どこにあるというのか。
 考えれば考えるほどに、訓練された分割思考は正常な回答を、何故正常であるかを論議し、証明しながら呈する。
(――「あんたの手で、今度こそ、ミュレさんを……まっとうな、道 に――」――)
(……む)
 記憶の隅から、忘却に伴い風化しかけた言葉が甦る。
 言葉の主は、ふとした縁で知り合った、人形のような少女のために命を落とした御者。ある意味、ジークの現状を作り出した元凶とも言える人物。
(……今になって思い出すとは……下らん)
(同意)
 苦々しい表情を顔の端で僅かに作るジークを見て、オッピドゥムは笑み浮かべた。嗜虐的な笑みであった。
「苦しいかね? 恐ろしいかね? ――そうだろう、生贄の意味を知っているであろう君のことだ、知らぬ者よりも感じずにはいられないはずだ」
 神経に障るような物言いに続き、オッピドゥムは手に持った袋の中身を三人に振り撒いた。ジークの肩や、ミュレとリュリュの頭に降り懸かるそれは、奇妙な臭いを漂わせる粉末であった。
「……む」
 その臭いに、ジークは覚えがあった。
 何故なら、かつてジークも使用したことのあるものだったからである。
(該当情報有)
(内容を列挙)
(やはりか。これは――)
 臭いの正体は、ジークが魔物の注意を集める際に用いた丸薬と、少なくとも薬効に関しては同じものであるようだ。
「君達の神が、無事に君達の死を見つけてくれることを祈るよ。……もっとも、ここは我らの土地だがね」
 もう一度神経に障るような笑みを浮かべると、オッピドゥム達は足速に広場から立ち去るのだった。
 残されたのは静寂と、内にひそむ緊張。
(……やはり、か)
(同意)
 リュリュの態度、先刻の粉末、ハイランダーの慌てた様子――それら断片から、ジークはこれから始まるであろう『処刑』の内容を予測した。
巨猪(ヌラフ)……いや、師匠の本に書かれていた内容が正しければ、これから来るのはあれか)
(至急準備)
(魔術“風の刃”証明済。起動要請を待つ)
 事態は急を要すると判断していたジークに連動し、分割思考が早急に対応策を打ち出し、ジークも行動に移るようにと指示を飛ばす。
(……四番)
(肯定。証明開始)
 ジークが指示すると、即座に四番は事象の証明――魔術によって発生する現象の証明にかかる。
 頭に浮かべるものは猟犬。疾風の如く速く鋭敏で、迷うことなく獲物を見つけ出す。
『神速の狩り手よ・汝の鋭き眼より隠れ得る者はない・何人とて汝の追撃より逃げ(おお)せることはない“疾風の猟犬(ゲイル・ハウンド)”』
「――――?」
 風が、吹いた。
 背中の方からリュリュの前髪を揺らした突風は一度限りで、その後は吹かなかった。


 それら一部始終を、茂みに隠れて窺っていた者がいた。
(大変だ……)
 ヴィルである。
 ジークらの騒ぎもあって無事に里から脱出した後、ヴィルは連行されていったジーク達を尾行していたのだ。
(イケニエ、って何なのか分かんないけど、多分よくないことじゃないのかな?)
 そうでなくとも、ジーク達を取り巻いている状況は好ましいものには見えない。怪しげな物を振り掛けているようでもあり、そして何より、あの場自体が不吉な臭いを漂わせている。
(どうしよう、助けないと……でも)
 目の前の事態と、自身に課せられた任務とが真っ向から向かい合う。
 ヴィルの恩人であり上司でもあるディノンの言葉を冷静に突き詰めて考えれば、ジークに対しては遠くでの傍観に徹し、仮にここで死んだとしてもその場合は『有用性は認められず』と一筆認めてしまえばいいのである。自身には何の被害も及ばず、回れ右で帰り、三流という評価とともに次の雑務を受けて終わりだ。
 そういった思考が出来るほどにヴィルは賢くなく、またディノンへの信頼感も低くない。
(ディノンさんが認めてるくらいだ、絶対何かすごい秘密があるはずなんだ)
 事実、彼はヴィルの眼下でレオーネという一級品の女騎士を相手に剣と魔術を駆使して互角の戦いを繰り広げたばかりか、彼女の隙を衝いて逃げ果せたのである。
(魔術を使わないのも、もしかしたら何かわけがあるのかな?)
 と、幼いなりに目の前の出来事を理解しようとしながらも、ヴィルの眼は三人(ヴィルは、ミュレとリュリュの名前を知らない)を連行した男達が去るのを見逃さなかった。
「!」
 それと同時に、嫌な気配を感じ取る。
(……腕とかがピリピリしてる。何かがこっちに……ううん、あっちに向かってるんだ!)
 事態は急を要する――と認識した直後に、ヴィルは走り出していた。
 姿を見られてはならないという制限はある。だからといって、見捨てることはできない。
(あの人は、絶対にボクが死なせない!)
 賭のような思い付きではあった。だが、それ以外にヴィルは『一番』だと思える選択肢が思い浮かばなかった。


 荒い呼吸に呻く声が方々から聞こえる中、ダレンとアナバ、及び他の山賊団の頭目らが焚火を囲って話し合っていた。
「……で、こっちの被害はどうだ?」
「前以て注意しといたのが効きやしたね」
 ダレンに問われ、アナバが汚い顎髭を撫でながら、先の戦果を報告する。
「何人かが頭に血を昇らせて自滅してやすが、大多数が軽い怪我、一番酷くて骨を折った奴が三人ばかりでした。他は皆、まだまだ戦えやすぜ」
 という一連の報告内容に、ダレンは表情を歪める。笑ったのだ。
「大頭の調練が効果を発揮してるみたいですぜ」
「おう」
 ダレンが得意げに頷いてみせたことから分かるように、彼がこの数日でダレン山賊団に齎した影響は非常に大きい。
 今は亡きアルトパ王国においてダレンが持っていた肩書は練兵官――つまり、数十年前の話だとはいえ、軍隊式の調練に通じた人間なのである。
 掲げ続ける祖国再興の夢を忘れたわけではないが、その道程としてダレンの心を燃え上がらせる者が現れた。
 策で攻めようと数で攻めようと、超常の力で状況を悉く打破し、自分達を圧倒した銀髪に隻眼の剣士。
 このままでは、決して歯が立たない――頭脳役を務めるアナバの説得を受けたダレンは、他の手下や彼に賛同する山賊団や盗賊団とともに歯痒い思いとともに撤退した日の晩、固く報復を誓った。
 数人から十人単位での、組織的且つ柔軟な動きを可能とするための訓練。体を鍛えるのは勿論のこと、技も鍛えていかねばならない。立場的にも増員は厳しい組織である以上、一人一人を鍛え抜いていかねばならないのだ。
 計画を実行に移してから早いもので十日を過ぎた。まだ殆どが初期段階に過ぎないが、小隊単位での動きは幾らか成果を上げ始めていた。
 実戦を交えることで効果が倍増することを確信したダレンは、上機嫌になってアナバと次の作戦を練り始める。
「おうアナバ、村の中に放っといた連中はどうなってんだ?」
「へい、受け取りにやった奴の話ですと、奴らどうも村からの出入りする連中を厳しく見張ってやがるようです」
 即座に、アナバはダレンの求める問いに答える。
「はっ、どうやら連中も、大分と尻の穴を締めて掛かってるみてぇだな」
「ええ、偵察のバートも、近付くだけで精一杯だって言ってやしたね」
 アナバは、地面に木の枝で描かれた鳥瞰図を大きく円で囲う。ダレンも下品な冗談はやめて、戦に携わる人間の面構えに変えた。
 コナーの村は、現在山と接している、東西と北部の防衛に重きを置いている。無難な策だけあって、安定した効果を上げていた。
 特に、攻めやすい北部には腕の立つ傭兵か自警団が守りを固めており、そこを避けて通ろうとすれば細く伸び切らされ、数の利点を活かし切れなくなる。
 様子見に留めておいたので大した被害は井なかったが、このまま本格的に事を構えるとなれば先刻以上の被害が出ることは明白なのだ。
「おめぇなら、出し抜けるんだろうな?」
「……失敗したら?」
 そこで軽妙な台詞の一つでも出せれば格好がつくのだが、彼はアナバだ。
「俺の拳骨よりも痛い目に遇うだけだ。覚えとけ」
「……へぃ……」
 もはや定例となりかけているやり取りを経て、主従は次の作戦を練る。


 薄暗い書斎に、二人の男が話し合う声が聞こえた。
「……では、全ての用意が調ったのだと、私はそう認識しても構わないのですね」
「は」
 リチャード・グレグソンの確認に、現場で総指揮を任されていたケヴィンが首肯する。
「仕掛けも、人払いをした上で確認しましたが、ただ一つを除いて問題ありませんでした」
「ただ一つ?」
「あン仕掛けは、あン女が思い描いている通りにいけば充分に効果を発揮するってことです」
「……妙に含みのあることを言いますね」
 わざわざこの場で言うまでもないようなことを進言してくるケヴィンに、グレグソンは疑問を覚えた。
「グレグソン様が手を汚さずとも、あン女は賊どもに決定的な打撃を与えます。今はまだ、座視しておくべきかと」
「私は労せず、落ちてくる果実のみを手にせよ、ということですか」
「それが、今ングレグソン様にとって、最も確実な手段だと、俺は思っています」
「ふむ、そうですか」
 細く尖った顎に手をやり、グレグソンは一考する。
「分かりました。あの姉弟には、作業が終了したことだけを伝えておきなさい」
「は」
 あれ以上の余計な意見を挿むこともなく、ケヴィンは一礼して書斎を出た。
「ふむ……」
 窓辺に立ち、グレグソンは独り思案を重ねる。
 案件は、カミューテル姉弟のこと。
(作戦は大詰めとなった)
 あの姉弟は、非常によく働いていると言える。
 しかし、そのことが心中に暗い影を落とす。
 知恵と口先と勢いだけとはいえ、長く深い歴史からの対立を続けてきたコナーの村の内部をまとめ上げ、外部の敵にのみ備えさせた手腕は瞠目と同時に危惧を覚えるのだ。
 ともすれば、このまま村を自分達の傘下に置いてしまうのではないかと。
(……まさか)
 彼女らがそういった面での悪事を働かないらしいということは、面会に訪れる商人や旅人からよく聞いている。
 そして何より、今は非常事態なのだ。固まらざるを得ない現状であれば、やむなしと思う人々はいても、日常に戻ればまた対立関係に戻る可能性は少なくないだろう。
(最悪の場合、この私を敵に回すことでエタール領主とも敵対することになるというところまで考えれば、流石に無謀な行為に出ないでしょうが……何でしょうね、この嫌な予感は)
 不測の事態と言うなら、グレグソンには現状こそがその最たるものである。
 この数日ばかり、散々手を焼かせた賊の一味を捕獲しての再訪。ハイランダーの代表者を自分もろともに説得し、半ば強制的に作り上げさせた協力体制。彼ら賊軍相手の善戦――どれもこれも、一つとしてグレグソンにとって予想外のものばかりであった。
(彼女らなら、何かやるとの期待と不安……さて、私はどうすべきなのでしょうかな)
 ざわつく心は月を見上げても治まらず、グレグソンは本棚から一冊の本を抜き取った。
 それは、リグニア史大全――カミューテル姉弟にも見せた一冊であった。
(貴女がたを評価はしましょう。しかしながら、こればかりは譲れません)
 無表情に近い、暗い表情で頁を繰りながら、グレグソンは胸中の燭台に火を点した。
(新たな歴史の頁は、このリチャード・グレグソンの手によって記されなければならない。断じて、貴女がたではない)
 ――だが、早急に動くのは悪手。まだまだ彼女らには働いてもらわないと困るのだ。
(それまでは、協力して差し上げますよ。何せこの村の存亡も私の野望も、今のところはお二方にかかっているようですからね)
 燭台のみが明々と燃える中、グレグソンは不気味に笑った。
 月明かりは消え、外では雨が降っていた。


 疾風の如く走る――今のヴィルを表す上で、これを上回る適切な言葉はなかった。
「おじさん、いるんだろ!?」
 下手くそなリグニア語でヴィルは叫んだ。視線を巡らせても、あの大柄な姿は見えてこない。
「ボクはまだここにいるぞ。昨日の晩、おじさんが仕留められなかったまま、ここにいるぞ」
 幼い声は暗い森の中へと吸い込まれ、静寂が返ってきた。
「ボクはここにいるぞ」
 ヴィルは繰り返した。気配は、まだやってこない。
(くそ……! どこにいるんだろう?)
 胸中で毒づきながらも、ヴィルは諦めずに叫ぶ。叫び続ける。
 五度十度と繰り返しても反応がないと分かった時、ヴィルの胸中には確とした不安が居座っていた。
 ヴィルの理想としては、昨晩のようにアシュレイを呼び寄せ、振り切らず追い付かれずを保ちながら三人の許へと誘導し、直接的な関与は禁じられている自分に代わり援軍、または状況を掻き回すのに一役買ってもらうというものであった。
 しかし、事態はヴィルの描いていたようには動いてくれない。
 呼べど叫べどアシュレイは現れず、気配も全く感じられない。彼の声が虚しく木霊すれば、辺りにはまた静かさが戻ってくる。
(どうしよう……やっぱりボクが何とかするしかないの?)
 握った拳に力が入る。
 ヴィルにとっての最善策はアシュレイなくして成立しない――となれば、いよいよ次善の策を選ばざるを得なくなる。
 自力で、ジークらの救援に臨むことである。
(でも、それは……)
 危険な賭になるかもしれない――独りで、あるいは仲間達と危険を乗り越えてきたヴィルは、経験と直感から察していた。
 今はまだ、『仲間にする価値のある』ジークの実態を見極めている期間なのであって、姿を見せることは決して望ましくはない。
 ましてやジークとヴィルは間接的とはいえ敵対したことがあるのだ。ヴィルの所属する[翻る剣の軍勢]に悪感情を抱いている可能性が高い今、不用意な接触は利口と言えない。
 しかし、ここでジークを失えば元も子もないのだ。
(……こうなったら、やるしかない)
 元々が次善の策である以上、多少の賭に出る必要性があることは自覚していたのだ。
 他の手段が考えられないなら、やるしかない。
 覚悟を決めたヴィルの脚は、暗い森の中であっても迷わず駆けていく。
(あの人達は、ボクの手で助ける……!)


 風の魔術は、淡々と機能し、残酷な事実をジークに伝えた。
(頭数およそ二十。非常に大型の個体も含まれている)
(対象群は我々のいる地点まで直進中。速度高)
(む……)
 分割思考が次々と送られてくる情報を処理していくごとに、ジークの表情は険しさを増していく。
 迫り来るものが並の猛獣を凌駕する危険な生物――魔物だとは分かった。問題なのは、その種類だ。
 オーク。人間と同様に、二足歩行に伴い知能と知性を獲得した魔物である。熊よりも二回りほど巨大な個体も珍しくなく、近年では二階建ての家屋に相当する体高の個体が討伐されたという記録が残されている。
 そして何より、この種族を警戒する上で忘れていてはならないのが、巨体からは想像もできない社会性を有していることである。
 オークという魔物は、熊に酷似した特徴を備えていながら、十頭前後からなる群を形成して行動しているのである。その圧倒的な数と質量によって人里に甚大な被害を齎すため、地方によっては『嵐の獣』と呼称されることもある。
(しかも、この群は二十頭近い数だ。複数の群が嗅ぎ付けてきた可能性もあるぞ)
 二番が行動に移ることを急き立てる。
 オーク達は同じ方向から来ている。ここから分散し、広場を包囲されるよりも先に脱出する――現状では、それが最善であると二番は判断したのである。
(提言。それには囮を用いるべき)
(六番、こんな時まで……!)
 と、分割思考らが論争を再開させようとした時、この場にいた誰もが、(少なくとも一名以外は)想像していなかった事態が発生した。
「――誰だ?」
「え?」
 突如、ジークが呟いた内容にリュリュは目を丸くしたが、彼女には何も言わずに意識を魔術に向けている。
 オークの群とは別の方向から、何かがジーク達のいる広場へと近付いていたのだ。
(何だ……人か?)
(四番)
(“疾風の猟犬”は使用中)
(となれば、オークの群れの方に意識を集中させていた時に接近されていたのか?)
(可能性有)
 “疾風の猟犬”とて万能ではない。あくまで『感覚の延長』であるために、一つの方向に意識が偏れば当然効果の弱まる箇所も出てくるのだ。
(いずれにせよ、問題となるのは敵であるか否か)
(む)
 既にジークは、その『誰か』を警戒していた。彼の思考に『楽観』という文字は原則として存在しない。第三者に対し、まず考えることは常に敵か敵でないか、この二つである。
(四番、俺が合図を出したら“疾風の猟犬”を解除しろ)
(了承)
 オークの動きが分からなくなるのは痛いが、今は目の前に迫りつつある何者かに備えるべきであった。四肢を拘束され、武器も取り上げられている今、頼みの綱は魔術しかないのである。
「む」
 風の音に、動物が藪を掻き分ける音が混じってきた。何かが、確実に近付いてきているのだ。
(五番)
(了承)
 いつでも“風の刃”を放てるよう備えつつ、ジークは何者かが現れるのを待った。リュリュもそうしたジークの様子から何かを感じ取ったのか、あれから質問しようとはしなかった。
 時間の経過に伴い、件の人物の存在がはっきりと感じられるようになってきた。
 ミュレ達には分からないだろうが、ジークには風が草葉や枝を通り抜ける音に交じって異質な音が聞こえていたのだ。
 その異質な音とは、人の足音。
(……来る――)
 闇夜の向こうに仄見える人影を認め、四番に合図を出そうとしていたジークは、
「む!?」
 相対したその男を前に、唸るような声を上げるのであった。
 見上げるような体躯には刺青。ジークにとって異様なものに映る拵えの服装と長柄物――
「……間に合ったか」
 リュリュ曰く唯一のハイランダー、アシュレイである。
「あ、アシュレイ……!」
 この場にいた三人で、恐らく一人彼の出現に期待していたリュリュが、明るい口調と表情で迎えた。
(どう捉える)
(単純に考えるのならば、リュリュの救出に来たと考えられなくもないが)
(油断厳禁)
(同意)
 喜ぶリュリュとは対照的に、ジークは疑念で胸中を満たしていた。
(対象は敵対組織の一員である可能性有。要警戒)
(同意)
 リュリュにしてみれば、アシュレイは非常に頼れる存在なのかもしれないが、ジークにとってこの男は(一度だけだとしても)矛を交えた相手であり、間違っても信頼の出来る相手ではないのだ。
 様子見か、牽制か、先制か――分割思考は可能性をこれら三つの選択肢にまで絞ると、常人を超えた速度で選択肢を絞り始めた。
(ここは懐柔策こそ最善)
(笑止。敵は優先的に排除すべき)
(待て、こういう場合こそ焦るべきではないだろう)
(同意)
 ジークの中で答えが出ない間にも、アシュレイは一歩二歩と接近してくる。
(……この状況下で、後手に回ることは許されん)
 それは選択肢を狭める行為であるからだ。
 たとえ状況が不利なものであろうと――否、不利な状況であるからこそ、常に主導権を維持し、最善の選択をしなくてはならない。そうやってジークは生き延びてきたのだ。
「何の用だ?」
 試みとしてジークは、リグニア語で問い掛けた。相手を恐れるどころか、出鼻を挫こうとする攻めの姿勢――を、演出するための発言である。
(待て、もしアシュレイと矛を交えようにも、今のままではどうにもならん)
(最悪の状況とは常に考慮すべきもの)
(同意。対象が我々を敵視している可能性は無視不可能)
 今は甘いことを言っていられる状況ではないという六番の反論に、二番は沈黙を余儀なくされた。異質な要素を持った二番だが、根本はジークや他の分割思考と変わらない。あの男を信用していないという点に関しては、程度の差はあれど二番も同じなのである。
 そうしたジークの思惑を余所に、アシュレイは徐々に距離を詰めてくる。彼は彼でジークを警戒しているのか、視線を逸らそうとはせず、真っ直ぐにジークを睨んでいた。
「お前はリグニア語を理解できているはずだ。聞こえているなら答えろ、アシュレイ」
「……え?」
 対峙するアシュレイではなく、リュリュが驚きに満ちた目でジークの背中を見た。
「じ、ジークさん、どうシて……」
「ハイランダーの知識は俺も多少はある。リュリュにリグニア語を教えた人物があのドルイドでないなら、消去法で奴だけが残る」
 事もなげに語ってのけたジークは、大股にして五歩程度の距離にいるアシュレイを改めて鋭く見据えた。
「どうだ、俺の言っていることに間違いがあるのならば否定してみせろ」
 本来ならアシュレイへの不用意な挑発は避けるべきだった。臆していることの裏返しであると解釈され、不利な状況へ追いやられる可能性も充分にあり得たのだが、ジークは自らの推測と直感に従い言葉を重ねた。
 アシュレイの歩みが止まる。おぼろげに闇に浮かぶ男は、肩をすくめて首を横に振った。
「……いや、何も変わらん。大した頭だ」
 返答は、深みと訛りのあるリグニア語であった。
 アシュレイは、再び歩き出す。ジークが僅かに膝を沈めて身構えようとするが、
「心配するな。今ン俺は、お前達を特にどうこうするつもりはない」
 と言って、リュリュへと歩み寄った。
 ジークが肩越しに視線をやると、リュリュは無言で首を横に振った。大丈夫だから心配するなと言いたいのだろう。顔の端々に期待と希望からの喜色が滲んでいた。
(信じるのか?)
(形の上ではな)
 事実、ジークはいつでも“風の刃”を放てるようにしてある。一言発するだけで、アシュレイを細切れのように変えることができるのだ。
(油断厳禁)
(分かっている)
 そうしたジークの思惑は、またもや外れることとなった。
 アシュレイはジーク達の拘束を解く以外、何もしなかったのである。
 何も言わずとも傍に来たミュレを横目に、ジークは自らのあるのならば手首の調子を確かめながらアシュレイに問い掛けた。
「……どういうつもりだ?」
「そう殺気立つな。手元が狂っても知らんぞ」
 アシュレイは、ジークの心を読んだかのような一言を発した。
「元をただせば、お前達がここに来なければリュリュはこんな目に遭わなかったんだ。そンことを、忘れるなよ」
 そう言いつつ、アシュレイはジークの戒めを解いていく。
「じきに嵐の獣がここへと来る。お前達は何もせず、ここで夜が明けるンを待ってから逃げろ」
 一方的に告げると、アシュレイは傍らに置かれた武具を手に取った。ジークと取り合うつもりはないと、言外に伝えているのだ。
「あ、アシュレイ!」
 しかし、咄嗟に出た彼女の一声には、反応せざるを得なかったようだ。
「嵐の獣ってどういうことなの? ソれにアシュレイ、一人でどうスるつもりなの?」
「リュリュ……」
 あの時――最初にこの二人と遭遇した時と同じであった。リュリュに対して、アシュレイは必要以上に狼狽した態度を見せる。
 この時、ジークの隻眼が光った。
「リュリュ、訊いてやるな」
「……え?」
 ジークの言葉に、リュリュは複雑な視線を向けた。
 動揺に混じっているのは驚きと、微かな不信。
「ジークさんまで、どういうことでスか?」
「その男は、自らを犠牲にしてでもお前を護ろうとしている。――違うか?」
 返事はなかった。アシュレイは黙秘を貫いたつもりだったのだろうが、その行為がジークに真実を伝えることとなった。
「……どうやら、真実のようだな」
「ソんな……アシュレイ!」
 悲痛な表情になったリュリュは、一も二もなくアシュレイにしがみ付く。
「リュリュ……」
「アシュレイ……!?」
 アシュレイはリュリュの肩に手を置き、離れるよう促す。その行為が信じられない裏切りであったかのように、彼女の表情から強い失望にも似た感情が溢れ出ていた。
「力を、貸してやろう」
 自然と流れ出た言葉。二人が同時にジークを見る。どちらに、とジークは明言しない。あくまで両者に対し淡々と言葉を連ねる。
「嵐の獣――オークの数や位置なら、俺はアシュレイ以上に把握している。そして撃退する術も持っているが、こちらは今の時点では充分と言い難い」
 そこでだ、とジークは言葉を繋げる。アシュレイは訝しげに、リュリュは呆然と、次の言葉を待った。
「アシュレイ、俺に協力しろ」
「協力だと?」
 問い返すアシュレイの言葉には、侮蔑に近い嘲笑が含まれていた。件の魔物の恐ろしさを知っているアシュレイである。『こんな奴に何ができる』と思っているのだろう。
「俺は、ドルイドとかいう奴に武器や荷物を取り上げられていてな。そいつを取り返すことが条件だ」
「アシュレイ……」
「リュリュ、こン男ン言ってることを聞くな」
 リュリュが何か言う前に、アシュレイが封じ込めた。
 当然の反応だろう。アシュレイにとっても、ジークは警戒すべき人間なのだ。
「ならばこうしよう」
 そう言ってジークは、ミュレの肩に手を置くと抱き寄せた。この中ではただ一人、リュリュだけが頬を赤らめた。ひどく場違いな行為であったが、これは副次的なものであるため彼女を責めるのは不条理というものだろう。
 理解し難い行為を見せつけられたアシュレイは、彼なりにジークの意図を解釈しようとするあまり、五感を鈍らせてしまった。
「来たか」
「え――」
 咆哮。――近い!
「ヌ!?」
(四番)
(了承)
 魔術を解く。それまで手に取るように分かっていた遠くの様子が分からなくなるが、肝心の情報は全て残っている。
 迫り来る気配に合わせ、ジークは言葉を紡いだ。
『弓を携え射抜く者よ、汝の翠緑の羽を束ね弓と矢を成せ。 “翼有る狙撃手達”(フェザー・スナイパーズ)
《グォオオオオオ――――――――!!》
「ヒィ……っ!?」
 直後、林間から猛然と飛び出してきた それ(、、 )を目にしてしまったリュリュは、言葉にならない絶叫を上げて再びアシュレイにしがみ付いた。
 雄たけびを上げて現れたのは、月も星もない闇の中で輪郭のみを浮かび上がらせる、見上げるような巨体の獣であった。贔屓目に見ても、その体高は周囲の樹木と比べても遜色ない。
 それが三頭、正面と左右から現れたのであったが、
「……え?」
 そのどれもが、広場に現れると同時に地面へ倒れ伏したのである。
 あまりにも呆気ない一連の展開にリュリュは言葉が出ず、アシュレイに抱きついたまま力なく、その場にへたり込んだ。
 あとには血腥い空気と、気味の悪い静けさだけが残った。
(計算どおりにいったな)
(肯定)
「……お前、何をやった?」
 リュリュを庇うように抱き寄せながら、アシュレイは奇異なものを見る目で訊いた。
 オークの咆哮と自身の絶叫でリュリュは気付かなかったが、アシュレイはジークが魔物が表れる瞬間に合わせ、それぞれの方向へと魔術を放ったのを見ていたのだ。
 “翼有る狙撃手”――指定された位置へと圧縮された風を撃ち出す魔術で、一対一、もしくは多対一を想定した魔術である。その名が示すように精密な投射攻撃を可能としており、四番の優れた空間把握能力と組み合わせれば、最小限の消費で多数の敵を殲滅することもできる。
 魔導師や魔術のことを何も知らないということを奇しくも露呈させたアシュレイに、自らの優位性を悟ったジークは言葉を選ぶ。
「先刻の言葉を証明したまでだ。こうでもしなければ、お前は納得しなかっただろうからな」
 強い恐怖と警戒心に満ちたアシュレイを前にして、ジークは堂々とした佇まいを崩さない。
「それで、お前は条件を飲むのか?」
「ヌ……」
 アシュレイは、リュリュへと目を逸らした。
 リュリュは、一瞬だけジークとミュレに目をやり、そしてアシュレイに頷いてみせた。
 それが決め手となった。


 ジークの提案とは、次のようなものであった。
 まず、ジークとアシュレイの二人だけでオッピドゥムへと向かう。この間にオークを引き付け、斃せるだけ斃して数を減らす。そこからジークは武器と荷物を回収しに向かい、アシュレイは地の利を活かしてジークが戻るまでの足止めを行うのだ。
 ジークは、リュリュを危険にさらすこの作戦をアシュレイが真っ向から反対するかと予想していたが、意外にも細かな質問を行うだけで、反論などはなかった。直情的な人間だが、そこまで考えなしの男ではないらしい。
「ミュレ」
「ん」
「お前は、何があってもここにいろ。分かったな?」
「……ん」
 時間に余裕はない。すぐにでも行動に移らねばならないと判断したジークにより、ミュレとリュリュはさしたる言葉を交わすこともなく二人を見送ることとなった。
 再度“疾風の猟犬”を用いて索敵したジークは、オークの群の動向を探っていく。
(結果報告)
(……む)
 四番が収集した情報を、ジークは感情一つ動かさずに分析していった。
「近いぞ」
「……ああ」
 ジークの呟きに、アシュレイは首肯する。
 どうやらオーク達は、群を分散させて、役割ごとに動こうとしているようだ。木々を薙ぎ払いながら猛進する様子は、その実体を見せずとも『嵐の獣』という形容をジークに想起させた。
 まずジークらが狙うのは、その中でも大きく迂回している一隊――最初の三頭を先遣隊とすれば、恐らく挟撃要員にあたる群の撃退ないし殲滅であった。
「先程の技で、何とかならんのか?」
「厳しいな。距離が離れ過ぎている」
 と、半分だけ嘘を吐いたジークは、即座に代替案を出した。
「連中の気を俺達のいる方に逸らす。戦うのは、なるべく集めてからだ」
「それで間に合うンか?」
 ジークは頷いたが、内心では実際のところどう転ぶかは断言しかねていた。
 オークの知能は決して高いとは言えないが、それを補う獣の直感があるのだ。ジークの思惑を、予想し得なかった方法で気付く可能性は充分ある。
 ジークはそうした事態に備えて三番を働かせておきながら、アシュレイに可能か否を訊いた。
「できるか?」
「方法はある。だがそれはお前次第だ」
 そう言って、アシュレイは立ち止まる。
「戦士ン約束だ。俺は俺ン名に懸けて誓う。お前は、お前ン名に懸けて誓え」
 冗談で言っているわけではなかった。殆ど月明かりのない闇夜の森で、アシュレイの瞳は爛々と光っている。
 ジークは、アシュレイの意図を僅かだが汲み取ることができた。
 恐らくアシュレイは、己の流儀に則ってジークに約束を結ばせることで、自分自身への、ジークに対する不信感や疑念を、一時的にでも抑えようとしているのだ。
 戦いに迷いは禁物である。アシュレイは自分なりの方法でそれを断ち切ろうとしているのだ。
(土俗的な思考だが、まあいい、こちらにしてみれば好都合だ)
(同意)
 そうした思惑の下にジークが首肯してみせると、アシュレイは武具を胸の前で構えると、厳粛な声で文言を唱えた。
「俺は“叫びン”オハンが末裔、アシュレイ。必ずやお前が戻るまで待つ」
「大魔導師ゼロルガンド・オーディグニルの弟子、ジークは約束を果たす」
 ジークの文言には、語られるべき父の名はなかった。
 それどころか、ジークは母の名も知らなかった。
 全てを擲つと決めた幼い日から、ジークは師と仰ぐ男に一度として両親の名を尋ねたことがなかったのだ。
「では、任せた」
 手筈通り、ジークは里の方に走り出した。
 すぐ後ろの方から、森全体を揺るがすような雄叫びが聞こえてきた。


 拘束されていた時には長く感じられた道のりも疾風のように走り抜けたジークは、リュリュが使っていた侵入口から忍び込むと物陰に隠れつつオッピドゥムの屋敷に接近した。
 屋敷の出入口には守衛が二人、それぞれ左右にある篝火の傍で守りを固めている。形の上だけのものなのか、棒状の武器を構える姿はお世辞にも練度が高くは見えない。
(時間はかけられない。力ずくで突破する)
 落ちていた石を拾う。隙を見て低い姿勢から下手投げで投じた。
 ――疾走。
 石が転がると同時に動いたため、守衛達はどちらにも反応できず、狼狽えた顔を篝火に浮かび上がらせただけであった。
 まず一人。背後から首を締め上げる。一時的に強い負荷を首に与えることで、容易く失神してしまった。
 もう一人。何やら叫んで逃げようとしていたが、最初に倒した守衛の落とした武器を素早く拾い上げるとその動作から一気に振り抜いた。四番の計算により、軌道は狙い違わず守衛の脇腹を強打していた。
 時間にして数秒程度で男二人を昏倒させたジークは、もう一本の武器を拾って奥に向かう。
 中にはまだ守衛がいたのだが、いずれも入口を固める二人と大差なく、ジークによって悉く昏倒もしくは行動不能に追いやられ、前代未聞の侵入者をドルイドの許へと向かわせてしまうのであった。
 ジークが求める物も、者も、一つ所にあった。
 奥の広間、オッピドゥムの部屋には無数の道具や袋が散乱しており、その中央に座っているオッピドゥムが驚きに目を瞠っていた。ジークが愛用している長剣も、傍らに見える。
「――――」
「無駄だ。守衛は全て倒したのだからな」
 オッピドゥムに先んじて、ジークが言葉を発する。これで動揺するかと思われたが、しかしオッピドゥムは落ち着いた挙措で立ち上がると、不敵な笑みを口元に刻んだのであった。
「アシュレイが、裏切ったようだね」
「そうだ」
 何もかも見通していると言わんばかりのオッピドゥムに対し、ジークは平然と歩み寄ると武器を彼の喉元に向けた。
「悪いが、時間がないのでな、早々に俺の荷物を返してもらおう」
「……仕方がない。負けてしまったようだね」
 諦観に満ちた声音で呟いたオッピドゥムの片目が僅かに動いたのを、ジークは見逃さなかった。
「――――」
 素早く左足を斜め後ろに引いて反転。剣と思しい武器を振り上げていた男の金的を蹴り上げた直後、足元の長剣の鞘を拾って突進するオッピドゥムを勢いそのままに投げ倒した。
 傍からすれば一瞬の出来事に、背中から叩き付けられたオッピドゥムは呆然となっていた。
「な……っ」
「悪いが、お前のような奴の言葉は最大限に警戒している」
 この状況で油断を誘っているような物言いをする以上、何か裏があるとジークは読んでいたのだ。
 長剣を下げ直したジークは、冷厳な眼差しをオッピドゥムに向けた。
「今度こそ、詰みのようだな」
「の、望みは何だ?」
 先刻までとは態度が一変し、オッピドゥムは卑屈な物腰をとり始めた。その姿は代々の長を父祖に持った人間らしい傲慢なものだったが、表情には怯えの影が濃く張り付いていた。
「わ、ワタシはこのオッピドゥムのドルイドだ。人も物も、全てがワタシの思いのままにできる。宝が欲しければ持っていけ。女でも男でも、命を約束するなら幾らでも差し出そう」
 あまりにも軽薄な命乞いであった。以前事を交えた鼠似の男でさえ、それなりに真剣な命乞いをしていたが、このオッピドゥムは彼にも劣る。
(単なる害悪だ)
(同意)
(同意)
(同意)
(同意)
 冷厳に評価を下したジークの対応は、輪を掛けて冷徹であった。
「っがぇ……!?」
 一切の躊躇なく、オッピドゥムの頭を蹴り飛ばしたのである。
 鼻血と涎を垂らして気絶したオッピドゥムをその場に放置したまま荷物を回収したジークは、全て揃っているか確認をする。
(全てあるな)
(不備なし)
(……む)
 特にとある物品の存在が、ジークに僅かながらの安堵を許した。
 ジークの掌に収まるそれは、質素な円形の革に馬と槍の意匠が施された、用途が想像できない品だった。長旅に携行されていたのか、所々が擦り切れてはいるが、意匠は紛れもなく錦糸によって造られている。
 最悪の場合、焼却などによる消失も懸念したジークだったが、それを上着の内にしまうと、リュリュの家に放置されていたマントをまとい、ずだ袋を担いだ。
 ここからが本番なのである。


 夜の山道を走る途中、咆哮が聞こえた。
 最早“疾風の猟犬”を用いるまでもなかった。オーク達の咆哮が幾つも重なって、森の奥から轟いてくるのだ。
(まだ生きているようだな)
(同意)
 冷静に分析する一方、ジークは藪を漕ぎ木の根や石を飛び越え進んだ。既に“疾風の猟犬”によって付近一帯の情報を得ていたジークにとって、闇夜は大した障害にはなり得ない。
(――警戒――)
 歩を止める。長剣の柄を握る感覚は、常のそれと同じだ。
 涼やかな秋の夜風に、ジークは不穏な気配を感じていた。
(二体。それぞれ左右の方向)
(剣による迎撃は不向き。現在地に留まり、投射攻撃に切り替えるべき)
 即座に四番と五番が意見を出す。
 藪を掻き分ける音。近付いている。
 ジークはまだ動かない。五感の全てを通して、己の周囲を感じ取っているのだ。
 風に獣の匂いが混じる。近付いている。
 ジークは四番の持つ記録を頼りに、周囲の様子を調べ始めた。
 現在地から見て右方全体は薮が繁っている。前方には大きな樫の木が生えており、その根本にはジークが通れそうな獣道があった。後方にはジークが通ってきた薮が広がっている。
 ――来た。
 素早くジークは、右斜め前の薮に向かい跳んだ。
 咆哮――それも二つが、すぐ背後で轟いた。オークである。
 薮に落ちるよりも先に、ジークは右手の内に忍ばせていた小刀を雄叫びのする方へと投じた。
 薮に落ちる直後、絶叫が迸しる。どこかまでは分からないが、いずれかの急所に刺さったと見て間違いなさそうだ。
 ジークが薮から身を起こし、ずだ袋の確認をしている間に、二頭のオーク達は身の毛もよだつ暴走を始めていた。
 獲物であるジークを見失い、各々に突き刺さった刺の正体も理解できず、怒りに身を任せて互いに争いを繰り広げるのだった。地面を踏み鳴らし、木々を薙ぎ倒しながら暴れ狂うその様は、彼らの異名を考えた者の正しさを証明していた。
(下手な刺激は禁物)
(む)
(同意)
 時折舞い飛ぶ木っ端だの小石だのを打ち払いながら、ジークは密にその場から離脱した。
 徐々に背後からの咆哮が遠ざかっていく中、反対に強く大きくなってくるものがあった。
「ヌゥゥオォォォォォオォォオォ!!」
《グォォォォォオオォオォオォォォォオォッ!!》
 二種類の獣による雄叫びと、血の臭いである。
(居場所は?)
(把握済)
 どうやらアシュレイと魔物の群れは、少し先にある盆地にいる可能性が高いようだ。
(流石に考えているようだな)
 件の盆地は遮蔽物の少ない開けた土地になっている。絶えず他方向への警戒を強いられることとなるが、長柄というアシュレイの武具の特長を考えれば強ち間違いとも言い切れない。
(この様子だと、混戦しているようだな)
(同意)
 ジークは接近を試みるが、迂闊に魔術を使うことのできない状況であるために歩みは遅い。
 慎重に歩を進める。興奮状態にある魔物と戦士が入り乱れて戦っているのだ、軽率な真似はできない。
 耳を劈く轟音。木が倒れたのだ。
(……オークか)
(可能性大)
 あの膂力をもってすれば、さして不可能な芸当ではない。ジークは長剣の柄を固く握った。
(四番、五番)
(了承)
(迅速善処)
 そこからジークは、不可解とも言える行為に出た。
 風下ではなく、風上へと向かったのである。
 オークに限らず、嗅覚も発達した動物に奇襲を仕掛ける場合、普通なら風下を選ぶ。臭いで居場所を感付かれてしまう危険性が高いからだ。
 それを分からぬジークではない――となれば、この男が狙っているのは『普通の』奇襲ではないのだ。
(警戒)
(……む)
 入り乱れた動きの中に、同じ動作をする者達の気配が現れた。こちらの様子を窺っているのだ。
 しかし直後、気配は再び乱れる。おそらく、アシュレイがオークの隙を狙ったのだ。
(気を利かせたつもりか。余計な真似を……!)
 と内心で毒吐きながら、ジークは暗闇の奥で戦っているアシュレイへと合図を飛ばす。
「風下へ走れ!」
 気配が動く。風は吹いている。
 合図の直後、一瞬の惑いもなくジークは魔術を発動させた。
 思い描いたのは、翠緑に光る、一本の刀身。
『“風の刃”!』
 重く湿った秋の夜風に、一陣の突風が吹いた。
《ォ――――――》
 絶叫。それ以外に、この音をどう表現すればよいのだろうか。
 静けさが戻ると、ジークはアシュレイに声をかける。
「生きているか?」
「……ヌ……何とかな」
 そう答えるアシュレイは、自らの鼻を摘んでいた。
 当然の行為だろう。
 突風が吹き切った後には、『吐き気を催す』という言葉ですら足りないほどの血臭が漂っていた。それら全てが、輪切りに近い状態にまで切り刻まれたオークの成れの果てである。更に目を凝らせば、幾つかの木々にも同様の傷痕が付いていることに気付けただろう。
「しかし、恐るべき力だ。あン嵐ン獣どもが手も足も出ないとは……」
 つい先刻までは己もいた惨状を改めて見回したアシュレイは、疑念を宿した目でジークに問い掛けた。
「ひょっとしてだが、オッピドゥムまで荷物とやらを取り返しに行く必要はなかったんじゃないか?」
「そうでもない。これらの有無は俺にしてみれば最大の懸案事項だった。先刻の魔術の具合にも大きく影響している」
 と、白々しい態度でジークは応じた。
「魔術……そうか、あン不思議な風は魔術というンか」
 死体の傷口を一つ一つ観察していきながら、アシュレイは興味深そうに呟いた。
(どうやら、互いに訊かねばならんことがあるようだな)
(同意)
 念のためにと周囲に気を配りつつ、ジークはミュレ達の許へと戻ることにした。
 歩き出す二人の周囲で、無数の小さなものが一斉に跳ねる音が聞こえてきた。雨である。


 山賊達が退いてから幾分か経っていたが、コナーの村は未だに緊張感に満ちている。
 頃合は深夜。僅かに雲間から見えていた月も山裾に消え、コナーの村から明かりは失われていた。
「……んー、たしかに、雨が降りそうだもんなぁ」
 ルーカスが、村長宅の一室にある窓から外を眺めて呟いた。まだ小雨ではあったが、これから雨脚が強くなっていく可能性もあった。
 レナイアの提案により、明け方まで交代制で見回りをさせることが決定した。ルーカスもそこに含まれており、三番目に行くことになっている。
「姉ちゃんが宿の方に戻りたがらないのもよく分かるよ」
「馬鹿だねぇ、あんたは」
 言葉ほどではないが視線に態度に軽侮を含ませて、レナイアはルーカスに切り返す。
「雨なんて連中からすりゃ奇襲を仕掛けるのにもってこいの天候じゃないかい。そんな最中に出掛けるわけないよ――ってのが、一つ」
「?」
 一つ、のところで急に声をひそめる姉に、ルーカスは首を傾げながら一歩歩み寄る。こういう時の姉は、周りに声が漏れるのを嫌うのだ。
「この村にゃ、連中の手下が紛れ込んでる」
「お、おう」
「連中がどーやって互いに連絡し合ってるのかは知らないけど、さっき一戦やり合った時に何かやり取りがあったかもしれない。――たとえばそうさね、あたしを暗殺しろとかね」
「あっ、暗さ――ふがっ!?」
「一々声が大きいんだよ、ったく」
 ルーカスの鼻の穴に指を突っ込み、一言ごとに捻りながら黙らせる。
 引き抜いた指を自らの服で吹きながら、レナイアは続ける。
「兎に角、しばらくは人目に付くよーな場所にあたしは出ない。だから事が済むまではこっちにいるよ」
「じ、じゃあギデオは?」
「あたしらの馬だってことがばれてるかもしれない。――だからって動くんじゃないよ、ルーカス」
 放っておくとすぐにでも飛び出してしまいそうな弟に、レナイアは釘を刺す。
「いいかい、連中はあたしらがこの村に力を貸してることを知っているんだ。てことはね、あたしらのことを探してる可能性が高いんだ」
 つまりね、とそこで一息置いて、レナイアは告げる。
「あんたも、あいつらに狙われてるかもしれないんだよ?」
「…………っ」
 平気さ、とルーカスは返したかったが、レナイアの視線が許さなかった。
「いやはや、姉弟水入らずの時間に失礼」
 いつの間にか、部屋にはグレグソンがいたのだ。
「え、い、いつ――痛ぅ!?」
「いつからリグニアのお偉いさんは、無断で客人の部屋に入るようになったんだい?」
「いえ、先ほどケヴィンより連絡がありましたのでね、そのことを伝えようと逸るあまりに忘れてしまいました」
 グレグソンも、ルーカスの鳩尾に肘を打ち込んだレナイアも、それぞれ悪びれた様子もなく話を続けていくのであった。
「てことは、あれは何とかなったのかい」
「ええ、一時はどうなるかとも思いましたが、ケヴィン達のお陰で何とか間に合いましたよ」
 と、暗黙のうちに了解をとる二人の間に、ルーカスは何とか割って入ろうとする。
「な、なあ姉ちゃん、その『何とか』って何なんだよ?」
「いざって時のための備えさね」
 そこでレナイアはグレグソンに目をやり、一つ頷くとルーカスに耳打ちした。
 姉の話を耳で咀嚼し嚥下し終えると、まずルーカスは目を瞬かせた。
「……本当かよ?」
「別に嘘ってことにしといたっていいさ」
 信じかねているルーカスに対し、レナイアの態度は飄然としたものであった。
「ま、その方が驚きも大きいだろうねぇ」


「……では、あン魔術というンは、使うだけでこン山に被害を出すンか?」
「そうなるな」
 魔術について問われるままに、ジークは回答していった。無論、嘘の情報を。
 魔術とは便利なようで不便な点も多い。それら欠点を隠すために、総じて魔導師は嘘を吐く。
「なるほど……それではなるべく使いたがらないわけだ」
 と頷くと、アシュレイはジークの腰に吊ってある長剣に目をやった。
 ジークとアシュレイが、二人の少女が待っていた広場へと戻った頃にはすっかり雨が本降りとなっていたので、広場の一角に天幕を張り、一晩過ごすことにした。長時間に亘って死闘を繰り広げたアシュレイは言うに及ばず、ジークも今日だけで魔術を何度も使ったため、心身ともに疲労していた。
 焚火を囲っているうちに、リュリュが横になった。いつもは寝ている時間だということもあるが、極度の緊張状態から解放されたことが最たる理由だろう。ミュレなど、いつものようにジークの傍に座って黙々と蛇の干し肉を齧っている。
 リュリュが眠るのを待っていたかのように、押し黙っていたアシュレイが口を開いた。
「我々とリグニア人がこの地で争ったというンは、知っているか?」
「む」
「……あの時、俺達は抵抗した。武器で敗れ、数に負けても」
 ジークが頷くと、アシュレイは昏い声音で述懐する。その傍らでは、未だに気を失っているリュリュが眠っていた。
「その中で、リグニアは俺達ニールを捕まえ、直接リグニアへ寝返るよう伝えてきたのだ」
「……つまり、お前にもか」
 アシュレイは、話を続けることで肯定する。
「あン時、俺達は迷った。オッピドゥムは大事だ。だがリグニア相手に戦っても勝ち目がないことは、何度も戦った俺達が一番分かっていた。ニールの中には捕らえられ、リグニア語を無理矢理仕込まれた者もいる」
 数秒ほど焚火を見つめていたアシュレイは、淡々と言葉を連ねる。
「俺も、そン一人だった。そして俺が解放される前に、全てが終わっていた」
 アシュレイの口から語られたのは、短くも重い彼の半生であった。
 十五年前。リグニア軍から解放された頃、オッピドゥムは現在の場所にあり、探し出すのに苦労したこと、アシュレイ以外に故郷を捜そうとする者がいなかったこと、アシュレイがやっと見つけた時、彼の妻子までもがニールを裏切り者として憎んでおり、自分の居場所がなくなっていたと知った時のこと――それらを順に語り終えると、アシュレイは遠くを見ながらこう付け加えた。
「リュリュと出会ったのは……いや、託されたのは、そんな時だった」
「……む?」
 アシュレイは何の問題もないように語っていたが、ジークの脳裏には疑問が残った。
「……質問を加えたい」
「構わん」
「本当に十五年前、お前はリュリュと会っていたのか?」
「そうだ。あの頃リュリュは、四歳ほどだったはずだ」
 妙に張りつめた気配を漂わせていたジークは、アシュレイの回答を聞いて愕然とした表情を垣間見せた。
「そうか……そうか……」
「どうかしたか?」
「……いや、気にするな」
 というジークの言葉を額面通りに受け止めたアシュレイは、「そうか」と頷いて話を本筋に戻した。
「いよいよ帰る場所がなくなってしまった俺は、行く当てもなく山ン中を歩き回っていた……」
 その最中に悲鳴が聞こえ、向かった先には崖から転落して壊れた馬車と、半死半生の四人がいた。
 アシュレイによれば、その四人は家族だったかもしれないらしい。父親と思われる男と少年が馬車の残骸の下で死んでおり、母親と思われる女は死にかけ、彼女が抱きしめていた娘だけが、まだ生きていたらしい。
 女は、アシュレイに助けを求めた。腹が破れ、大量出血によって青ざめた顔になりながら、必死になって抱えていた娘を差し出してきたというのだ。
「その娘が、リュリュだったというのか」
「……そうだ」
 武骨な指でリュリュの額に触れながら、アシュレイは頷く。
「あの頃ン俺が何を思ってリュリュを引き受けたのか……それはもう思い出せん。ただ、母親らしき女の、あン目は今も覚えている」
 目を閉じたアシュレイを見ながら、ジークは密かに考えていた。
 そう言って目を閉じるアシュレイが、実際は覚えているのだろうとジークは推測していた。
 おそらくアシュレイは、リュリュの母だという女の願いを聞き入れることに、自らへの救いを見出だしていたのだろう。
 全ての根源を憎み続けていても一矢報いることすら叶わず、帰る場所もない。アシュレイにしてみれば、己の中にある、どうしようもない虚しさを埋める最高の機会だったはずだ。
「リュリュがリグニア語を解せたのは、お前が仕込んだものだったのか?」
「……いずれ、何かン役に立つだろうかと思ってな」
 表面上は淡々と次の質問に移ったジークに、アシュレイは静かに答えた。
「最初ン一年余りは、俺が独りでリュリュを育てた。育てようとしたんだ。しかし駄目だった。薬は辺りの草や木から幾らでも採れたが、まだ赤ん坊だったリュリュには足りないもンがあった」
「乳か」
 これに関しては、ジークは確信に近い自信があった。
 人も獣も、産まれて間もない頃は母乳を通すことで栄養を得ている。その時分に母を失っていたリュリュを、どのような不幸が訪れたのかは想像に難くない。
 案の定、アシュレイの口から語られた内容は、艱難辛苦を極めたものであった。
 アシュレイは聖ジョーンズ山から下りて山羊や牛の乳を盗み、それをリュリュに与えていたのだ。それも一度や二度ではない。傷みやすいそれら乳をむずがるリュリュに与えるべく、日に何度となく盗みに及んでいた。
「だが、それにも限界があった」
 一年も盗まれ続けていれば、村の人間もそれ相応の対策を処してくるものだ。リュリュを独りで山の中にいつまでも隠しておくわけにもいかない。歴戦の士であるアシュレイとはいえ、これ以上離れ業を続けるのは無理だったのだ。
「そこで俺は、最後の手段に出た」
 ジークが焚火の中に何か加えているのを見ながら、アシュレイは続ける。
「俺はオッピドゥムに戻り、先代のオッピドゥムに全てを話して頼み込んだンだ。『何でもするから、リュリュを助けてやってくれ』とな」
 その言葉に含まれていたのは悔しさと、そしてほんの僅かな自嘲。
「するとオッピドゥムはこう言った。『二度とオッピドゥムには入らず、この山をリグニア人の手から守り続けると約束するなら、リュリュをお前の家の者に預ける』とな」
 分かるか? とアシュレイはジークを見据えて言う。
「オッピドゥムは……あいつは、ニール全員が裏切った理由を知っている。そしてリグニア軍を恐れていた。だから身を守る術を欲していたんだ」
 そしてそれぞれの利害は、形式の上では一致していた。他に選択肢を見出せなかったアシュレイは里の警護を約束し、幼いリュリュはアシュレイの妻子だった(、、、)者達の許に預けられ、更にはアシュレイの交渉によってオッピドゥムによる庇護も得られるようになった。
「庇護? それはどのようなものだったんだ?」
 初めて出てきた情報に、ジークは説明を求めた。
「祈りや祭りに使うミッスルトゥを採りに行く役だ。あれはオッピドゥムや一部の選ばれた者にしか触れんもンだった。特別扱いには恰好の理由だったわけだ」
 特別扱い、と呟いてジークは分割思考を巡らせる。
(ミッスルトゥ……宿木か)
 特別な役割を与えられているというのも、彼女が置かれていた状況を考えれば無視できる要素ではあるまい。
 突然オッピドゥムに現れ、オッピドゥムの許で神聖な役割を担っていくこととなった少女――信心深いハイランダーにとって、彼女は畏怖を与えることはあれど、親しみの対象とはなり難かったはずだ。
「……そして、俺がリュリュと接する機会ともなっていた」
 聞けば、ハイランダー達は里から全く出ないらしい。山奥で完全に隔絶された社会の中、リュリュは
「リュリュは物心付く前にオッピドゥムに預けられたが、俺のことは覚えていたらしい」
 どこか懐かしむように、それでいてジークには形容し難い感情を滲ませながら、アシュレイは語り出した。
「リュリュにリグニア語を仕込んでいたのはそン頃だ。草や木、獣のことを教えつつ、誰にも俺ンことは教えるなと言い聞かせながらな。同時にリュリュも、色々と教えてくれた。俺ン妻が病で死んだことや、娘が嫁に行って、二度と帰ってこなかったこともな」
 焚火が踊り、戦と迫害の中で生きた男の顔を様々な模様の明暗で彩った。
「……リュリュは、お前の生い立ちや今の立場を全て知っているのか?」
「断言できんが、全ては知らんはずだ。何故ニールが俺だけなのかも、他ン者達が俺を嫌っているのかも
「お前は、それでよかったのか?」
 自然と、そんな問いかけがジークの口を衝いた。
「全てが不本意な状況で、いや、自由に振る舞うことができたにもかかわらず、何故お前はその道を選ぶ。お前なら、リュリュと共に生きる術はあったろうに」
 アシュレイは、沈黙していた。答えに窮しているのではなく、己の深いところにある言葉を汲み出そうとしている者の目だったからである。
「……俺はリュリュに、俺ン幸せも持っていてもらいたかった」
 静かに語り出したアシュレイは、そっと眠っているリュリュの額に手を触れさせる。
「俺は、もうオッピドゥムにはいられない。あそこで生きることができない。だから俺は、リュリュに俺ン分までオッピドゥムで幸せになってもらいたかった。それを見届けることが俺ン役目だと、俺ン幸せなんだとさえ思っていた」
 アシュレイは、喉の奥で笑い声を絞り出した。
「馬鹿なことを、とも思うだろう。だが、“化け物”とまで呼ばれ、帰る場所ンなかった俺には、それ以外にいい方法が思い浮かばなかった」
「“化け物”?」
 思わず、ジークは訊いた。彼の知る、もう一人の“化け物”と呼ばれていた少女は、彼のすぐ傍でじっと座っている。
「昔ンことだ」
 そう言ったきり、アシュレイは話題を戻す。件のことにはあまり触れたくないようだった。
「……リュリュには、悪いことをした。そンことを思えば、“化け物”と呼ばれることなど大した苦にもならん」
 固く握りしめた己の拳を見つめて、アシュレイは呟くように語る。
「俺は“化け物”でいい。だが、“化け物”には“化け物”だって一緒にいられる。……大事な奴ン、役に立ってな」
 そう言ってアシュレイは、もう一度リュリュの顔に手を伸ばした。風向きが変わっていたのか、リュリュの目元が濡れていたのだ。
 アシュレイが口を閉じた。彼が語ることのできる全て、と思っているものを語り終えたのだろう。ジークの耳に、枯れ枝の爆ぜる音、風と雨の音が戻ってくる。
「……事情は概ね理解した」
 供述を促した人間として、ジークはこの話題全般における会話が終了したことを告げる。
「ここまで聞いた誼だ。一つ世話を焼かせてもらうとすればだな」
 ジークは、人さし指を天に向けて伸ばした。
「お前の願望は、本当の意味でリュリュを幸せにはしていない」
「……何だと?」
 アシュレイの手が、武器へと伸びた。
「こン俺が、リュリュを幸せにしていないだと?」
「お前は、お前が得るはずだったであろう幸福をリュリュが得ることを望んでいたな? ――では問おう。お前が望んだ幸福とは、いったい何だ?」
「それは……言っただろう。オッピドゥムに戻ることが、俺ン――」
「それが間違いの根源だ」
 アシュレイの鬼気迫る形相を前に、しかしジークは変わらず言葉を続ける。
「お前の望みとは故郷に戻ることであって、極論するならばあの里である必要すらない」
 アシュレイは反論しようとしたが、口から出たものは唸り声ばかりであった。
 本当はアシュレイも、とっくに分かっていたのである。
 本当にリュリュの幸福を望むのであれば、少なくとも彼女だけでも人里で育てるべきだったのだ。
 それに気付いていながら、アシュレイは自らの手で、そしてオッピドゥムで育つことを望んだ。
 長らく望んだ故郷への帰還。護るべきだったはずのオッピドゥムに住む人々を裏切ってしまったことへの罪悪感。結局これまでの行い全てが、それらから目を反らすためのものだったのであろうか。
「俺ン自己満足、だったと言いたいンか?」
「そう――」
「ソんなこと、ないでス!」
 突然、リュリュが跳ね起きた。ジークとアシュレイ、特に彼女のすぐ傍にいたアシュレイは、驚きに満ちた目で彼女を凝視していた。こちらを見つめるリュリュの目元は、ほんの僅かに赤くなっている。
「あ、あの、聞いて、マシタ。アシュレイ、言ってること、全部……」
 供述するリュリュの声音は震えていた。言葉もリグニア語とハイランダー独自の言語が混合しているために、ジークには彼女が言っていることの半分も理解できなかった。
「……ミュレ」
「ん」
 ジークは傍らのミュレに声を掛けると、徐ろに腰を上げた。幾らか遅れて、ミュレも続く。
「どこへ行く?」
「暫く時間をやる。心行くまで話してやれ」
 そう言って返事も聞かず、ジークはミュレを伴って森の闇に姿を隠した。
 ミュレの後ろ姿が消えると、あとには再び雨音と焚火の爆ぜる音ばかりが残った。
 沈黙に耐えかね、最初に口を開いたのはアシュレイであった。
「リュリュ――」
「説明、してくれるよね?」
 僅かに遅れ、しかしその遅れを取り戻そうとするかのような勢いで、リュリュが切り出した。
 幼く見える面立ちの中で、双眸だけが凛とした光を放っている。
「……ヌ……」
 断る術など、アシュレイにあるはずかなかった。



 ジークとアシュレイ達の奮闘の陰で、もう一人安堵している者がいた。
(よ、よかったぁ〜。あのおじさん、ちゃんと助けに来てくれてたんだ)
 ヴィルである。
 三人を救出しようとこの広場にまでやってきた時、既にアシュレイが彼らの縄を解いていたのだ。
(結局ボクにとって都合のいい感じになったけど……なーんか、すっきりしないかも)
 憧れの人に自分を重ねて息巻いていただけに、ヴィルはやり場のない気持ちを抱えていたのである。
(……でも、これでよかったんだよね)
 彼らは無事だった。誰も暗い表情もしていない。
(考えてみたら、ボクが皆を助けてたらすっごく面倒なことになってただろうしね)
 こんな子供が危険極まる夜の山の中に現れ、しかも救出しようとすれば、あのジークは確実に疑ってかかるだろう。下手を打てば所属している[翻る剣の軍勢]のことまで訊き出されるかもしれない。
(それを考えたら、これでよかったんだ。ありがとうおじさん)
 と心の中で手を合わせたヴィルは、震える体を抱きしめながら暖まる場所を求めた。
 一つ解決しただけで、ヴィルの山積みになった課題や問題は消えないのだ。

 雨が降り続く森の中を、ジークは適当に歩いていた。先刻まで満ち充ちていた血腥ささは雨が洗い流し、凄惨な死闘があったことが嘘のようであった。
(それにしても、リュリュが十九歳だと? そんな馬鹿げたことが……)
(ハイランダーと我々では暦が違う可能性大)
(同意)
(同意)
(……やめてやれ、余計に惨めだ)
 と茶化す一方で、二番は状況をよく分かっていた。
「む……」
 こんな真っ暗闇の中でも、ミュレはジークの後ろを一定の距離を保っている。眼か耳が特別なのだろうとジークは答えを出していたが、本当のところはジークにも分からない。
「……む」
 ミュレが、ジークの袖を掴んだ。探った様子はない。最初から見えていたのだ。
「む、どうしたミュレ」
「やくにたつ、なに」
 暗闇の中、ミュレはじっとジークを見つめていた。首を小さく傾げている。先程の言葉は質問だったのだ。
(やくにたつ……ああ、“役に立つ”か)
(可能性大)
(同意)
 ミュレの言葉を翻訳することはできたが、一番の問題は、質問を発した彼女の意図である。
「……何故、そんなことを訊く」
「ん……」
 また首を傾げる。会話は成立しない。
(言いたくないのか、単純に言い表す語彙がないのか……おそらく後者か)
(しかし、まさかこいつがアシュレイの話を聞いていたとはな)
(驚愕)
 これまでのミュレの言動を間近で見聞きしてきた者故にジークは俄かに信じることができなかったが、気を取り直して質問に答えてやることにした。
「役に立つということは、『いい』ということだ」
「……いい」
 小さく可憐な唇を微かに震わせ、ミュレはジークの言葉を復唱する。
「……わたし……」
「む?」
 ミュレの口が、また開きかけて止まる。
 促すべきか、黙して待つべきかと考えたジークは、後者を選んだ。
 どれくらい時間が経ったのだろう。雨水はとうの昔に全身を浸し、肌寒さすら感じている。
「……やくに、たつ」
「……む?」
 雨音ばかりが満ちる中では、ミュレの囁いたような言葉は半ば埋没していた。おまけにミュレの発音は平坦なために、それが疑問か意志表示かさえ定かではない。
「ミュレ、それでは何と言っているか分からん」
「……ん」
 暫くの間沈黙していたミュレは、先程と同じ調子で繰り返した。
 微小で平淡な囁きの正体は、疑問であった。
(役に立っているか、だと?)
(奇妙)
 理解し難いミュレの質問に、ジーク以下分割思考は逡巡する。
(アシュレイの発言から、こいつは何を考えた?)
(幼児同様、目先の疑問に対し考えもなく発したものと考えられる)
(同意)
(否定。六番の意見は当座の疑問への解答となり得るが、対象これまでの言動と繋がりが見受けられない)
(質問する以上、何かしらの意図があるはず、という点に関しては三番に同意)
(七番に同意)
(いずれにせよ、ここは質問に答えてやるべきだな)
 という二番の言が決め手となり、ジークはミュレに断言してやる。
「お前は、俺の役に立っているとは言えない」
 嘘偽りのない、ミュレに対するジークの評価であった。
 じっとジークを見上げること数秒、ミュレは小さく首を傾げた。
「……ない?」
「む、そうだ。お前は役に立っていない」
 そう言ってジークは踵を返し、来た道を戻り始めた。時間的にも健康面においても、これ以上夜の秋雨に身を打たせるべきではないという判断である。
 すれ違いざま、ジークはミュレの顔を見た。
 雨に濡れぼそったミュレは、打ち捨てられた人形のようでもあった。


 頃合いは明け方近く。一晩続いた雨も上がり、東の空は僅かに紫色に染まった雲海が飲み込んでしまっているため、空を見上げることは叶わない。
 そうした薄明かりの射す闇の中、身を低くして走る者達がいた。
 統一性のない装備に野卑な雰囲気を漂わせる様相。しかし、隊列を組んで静かに動く様子は、訓練を受けた軍隊のそれに近い。
 ダレン山賊団である。その後方には、ダレンとアナバの姿も見える。
 一団が村の外周に沿って山から平原に下り、コナーの村全体を見渡すことのできる位置まで到着すると、反対側から二人の男らが駆けてきた。
 二人は息を整えるまでもなく、アナバに報告した。
「俺らの配置、終わりやした」
「おう。分かった」
 どうやら、新たに現れた二人は別働隊らしい。何事かをアナバから聞かされると、素早く頷いて駆け戻っていく。
 昇りつつある朝日を眺め、ダレンが呟いた。
「……へっ。まさか連中も、俺らが夜明けと同時に攻め込むとは思っちゃいめぇよ」
「へい、そのはずでさぁ」
 アナバが、ダレンの言葉を継ぐ。
 ――アナバの狙いは、最初から夜襲ではなかったのである。
 通常、奇襲とは夜の間に行われる場合が多い。現にアナバは一度やらせていたし、あの姉弟は夜襲を想定した備えをしていた。
 その逆を、アナバは衝いたのだ。
 コナーの村内に潜伏していたアナバの手の者の存在も大きい。彼らとの連絡が一切できなかったことは、そのまま村の人間が彼らを恐れて一晩中心身を絶えず緊張させていたことに繋がっている。
 そして夜が明け、奇襲はもうあるまいと安堵させたところで、ダレン・アナバの率いる本隊と別働隊が三方向から襲撃するのだ。
「今は濃霧が出ていやす。仕掛けるなら好機ですぜ」
 と言うアナバを山賊らが小声で讃える中、ただ一人不穏に思っている者がいた。
 外ならぬ、アナバである。
(いけるのか? マジでいけちまうのか?)
 彼の頭脳――というよりは小動物的直感が、状況の楽観を許さないのだ。
 コナーの村内部に放った者達からの連絡がない――それには、二通りの推測ができた。
 前述のように、潜伏している彼らを過剰に警戒するあまり鉄壁の包囲を敷いたか、全員残らず抹殺されたか、である。
(一応、見張りは付けさせてたがそいつだって万全とは言い切れねぇ。何かあるかもしれねーって思うことは間違っちゃいねぇ)
 はずだ、と胸中で付け加えたアナバは、奥歯を強く噛み締めた。
 これしきの知恵比べで、ダレン山賊団は負けるわけにはいかないのだ。
 全ては、あの忌まわしい銀髪の青年に勝利し、過去の屈辱を晴らすためである。
 柄にもなく、アナバは拳を固く握った。
 これからの戦いは、自分達の恐ろしさを植え付ける戦いであり、銀髪の男への復讐、そして最後にして最大の目標である故国アルトパを奪還する戦いに続いていくための戦いなのである。
「ヒヒヒ……行くぜぇおま――っこふぅ!?」
「手前が仕切ってんじゃねぇ。――行くぜお前ら!」
『おぉーっす!!』
 アナバを殴り倒した勢いそのままに、ダレン以下本隊を構成する面々がコナーの村へと続く坂へ向かって猛進していく。
 ダレンを猛追する手下らによって容赦なく踏まれるわ蹴り飛ばされたりと散々な目に遭ったアナバは、体の節々を撫で摩りながら立ち上がると不気味な笑みを浮かべた。
「い、イチチ……いや、だがそれで正解だぜ大頭」
 大事な一戦。その出鼻を挫くことは許されないとなれば、何物をも恐れぬほどの強引さで人を引っ張れる人間――即ちダレンのような男が一番槍を務めるべきなのだ。
(……って、ンなことしてる場合じゃねえ。早く大頭を追っ掛けねーと)
 ふらついた足どりながらも、アナバは先行している一隊を追った。
 コナーの村。どんどん近くなる。見張りらしき姿は見えない。別の所からも声が聞こえる。別働隊も動き出したのだ。
 勝利へと続く坂道。何という高揚感だろう。先刻の不安など掻き消えてしまったかのようだ、
 った、のだが、
「んなぁ!?」
 最前を走っていたダレン達が、忽然と姿を消したのである。
(いや、違――)
 異変の正体に気付き、注意を促さんと叫びかけたその時、アナバの腕を誰かが掴んだ。
「や、やめろ、俺まで落ちたくねえ〜〜〜っ!!」
 という悲痛な叫びも虚しく、アナバはダレン達共々に坂の頂上近くに掘られた巨大な落とし穴へと転がり落ちたのであった。
 強面の男達が犇めく穴の中で、アナバは悔しそうに唸った。
(畜生あいつらぁ、まさかこんな単純な罠を仕掛けてやがったとは……)
 落とし穴――穴を掘るだけという至って単純明快な罠だが、時に進退を封じ、時に致命傷を負わせることもできることから最も古い歴史を持った罠でもある。
 しかもこの落とし穴、かなり深い。三十人近い男が落ちていたにも関わらず、それでも縁には容易く手が届きそうにない。
「……まんまと、引っ掛かってくれたねぇ」
「!?」
 頭上から降ってきた声に、ダレン山賊団は弾かれたように上を見た。
 穴を覗き込んでいるのは、浅黄色の、ゆったりした衣服を纏った、口元を白布で隠した女性。
 レナイア・カミューテルである。
「て、手前! 何故俺らの策が分かった!?」
「雨が降った夜、これ以上ないってくらいに夜襲にゃ持ってこいの時に仕掛けてこない――となったら、後は一晩中気ィ張りっ放しで疲れてるだろう明け方を狙ってくることぐらい読めるさね」
 ま、と言ってレナイアは肩をすくめる。
「本音を言えば、どっちもあるって考えてたんだけどね」
 得意げに語ってのけるレナイアに、アナバは愕然となり、直後には悔しさで胸を満たした。
(畜生、やっぱ嫌な予感は当たってたのかよ)
 そう毒吐いている間にも、アナバの頭は小賢しく働いていた。
 穴の深さと人数を考えれば、数人を支えにすれば縁まで這い上ることも不可能ではない。
「……んん、来たね」
 アナバが急ぎ小声で伝えようとしていた時、レナイアにも動きがあった。
 何かを運んできている。その正体、運んでくる理由は分からないが、これだけは間違いない。
「〜〜〜っ!? ォェ……ッ」
 吐き気を催す程に、臭いのだ。
 否、臭いなどという生易しいものではない。鼻腔から脳天へと突き刺さるそれは、ただの、そして想像を絶する『激痛』である。
 長年、不健康な生活を送ってきた山賊団の面々であるが、これほどのものは体感した経験がなく、ただただ悶え苦しむばかりであった。
(クソッ! まさか落とし穴ばかりか、こんなものまで用意してやがったとは……つか、何なんだこの臭い。どっかで、に、似たようなものを――)
 偶然にもアナバが半分ほど正解に辿り着いた時、
「さあて、いよいよ本番だよ」
 悪夢の正体が一足先に彼らの許に、正しくは頭上にやってきた。
『――ゲェエェ!!?』
 アナバが、ダレンが、他の山賊達が、異口同音に叫び、顔面蒼白となる。
 同じく顔の下半分を布によって隠した男達がレナイアの立っている場所と反対側の縁に運んできたものは、ゴボゴボと中から不気味な音を聞かせる巨大な三つの壺であった。
 疑う余地はない。先ほどから辺りに充満している激烈な悪臭の出所は、あの壺なのである。
 恐怖に駆られ、思わずダレンが泡を飛ばしながら叫ぶ。
「て、手前! 何だその壺は!?」
「……んん? 知りたいかい?」
 にたりと、レナイアが笑った。背筋を冷たいものが走る。嫌な笑みだった。どちらかといえばこちら側(、、、、)特有の、人を奈落の底へと突き落とすことも厭わない外道の笑みである。
 そんな恐ろしい笑みを浮かべて、レナイアはもう一度訊いてきた。
「ほんっとに、知りたいのかい?」
「大頭、おれ嫌だ、知りたくない」
「俺も知りたくねえです」
 と手下達が口々にダレンを宥めようとするのだが、事態はどんどん悪化していく。
「うるせぇ! このダレン様が……こ、こんな臭いになんぞ屈して堪るかってんだ!」
 ダレンは、負けず嫌いなのだ。
 レナイアを指さし、ダレンは吠える。
「おい女ァ! そんな虚仮威しぐれぇで俺がビビるわけがねーんだよ! おい手前ら、さっさとこの穴を上るんだ」
「へぇ? 怖くないのかい」
「おお――いでぇ!?」
「上等だよ! 火でも魔術でも、何でも来やがれっ!」
 必死になって止めようとするアナバを殴り、ダレンは尚も手下らに発破を掛けようとするのだが、

「そんじゃ、お望み通りに地獄を見てもらおーかい」

 彼らが実行に移るよりもずっと早く、レナイアは器用に指を鳴らし、対面にいる男らに壺の中身を穴の中に注がせる。
 湯気が立つほどに沸騰した、液状の糞を。
『――――!!』
 言葉にできない。できるはずもない。


 悲鳴すら上がらなかった。
 黄土色の濁流に飲み込まれた山賊団の面々は、見るも無惨な姿となって穴から這い出てくるなり彼女らに襲い掛かるかと思われたが、力なく項垂れ、声もなく泣きながら坂道を降りていく。途中、似たような状態の一団が合流してきた。別働隊も同じ運命を辿ったらしい。
 異様な勝利に歓声も凱歌を上げることも忘れ、村の面々が呆然としていると、レナイアの隣に口元を手拭で隠したグレグソンとルーカスがやってきた。
「追撃を、命じなくて宜しいのですかな?」
「あんたは糞塗れの連中にまでとどめを刺したいのかい?」
 レナイアが訊き返すと、グレグソンは黙って肩をすくめた。
 それを肯定であると解釈したレナイアは、得意げに遠ざかる山賊団を眺めた。
「あんな連中、まともに戦り合ったって勝ち目がないのは目に見えてたからね。こうするのが一番だと思ったのさ」
 見も蓋もないことを――グレグソンはそう思ったが、彼女の言い分は分からないでもなかった。
 戦とは、何も力と力のぶつかり合いが全てではない。卓越した力と技を持っていたとしても、心理戦に敗れればその力を十全に発揮するどころか、先刻の山賊らのように戦う気力すら喪失することもあり得る。
「入念に情報の流出を遮断し、決め手となる仕掛けを最大限に活かす……ふむ、見事と言わざるを得ますまい」
「なーに、あんた達があたしの無茶を聞き入れてくんなきゃできないことだったんだ」
 言葉を切ったレナイアは、天に拳を突き上げ高々と叫ぶ。
「あたしら全員で掴んだ勝利だ! 皆で喜ぶとしようじゃないかい!」
 少し遅れてざわめきが走り、そしてざわめきは大きな一つの歓声となって村中に木霊した。
 ハイランダーもリグニア人も関係ない。人々は手当たり次第に近くの人間と抱き合い、肩を組み、早朝にもかかわらずコナーの村を祭日のような熱気で包み込んでいく。
 ルーカスもそうした様子を見て実感が湧いてきたのだろう。勝利に酔う人々と姉を交互に見やり、自分もあの輪の中に加わってもいいかと許可を求めている。
「――ところで、ミス・カミューテル?」
 そういった状況下であっても、グレグソンは自らの職務を忘れない。
「ったく、好きにしな……で、どうしたんだい?」
「これらの後始末は、どうなさるおつもりですかな?」
 深々と掘られた穴では沸騰した人糞が湯気を立ち昇り、激烈な悪臭を未だに周囲へ撒き散らしている。しかも山賊団が歩いていった道にも人糞が点々と落ちていっているのだ。
 こうした惨状が全部で三ヶ所あり、しかもそれぞれで掘り出した土砂は村内に潜伏している山賊に気付かれぬよう、袋に詰めてグレグソンの家に運び込ませていたのだ。今でこそ他の村人達と喜びはしゃいでいるが、徹夜の作業によって心身は疲労の極みにあった。
 とてもではないが、今すぐどうにかできるとは思えない。
「もちろん、ミス・カミューテルのことですから、何か策を用意されたのでしょう?」
「……あー」
 意外にも毒の少ないグレグソンの問い掛けに、レナイアは頬を掻き、明後日の方角に目をやった。
「ミス・カミューテル?」
「いや、まあ、アレだよ、その……うん、そりゃ考えてたさ」
  妙に歯切れの悪い言い方をするレナイアをいよいよグレグソンが怪しみ始めた時、レナイアは「みんな」と、よく通る声で呼び掛けた。
 喧騒が薄れ、一人、また一人とレナイアに視線が集まる。
「あたしらは、確かにあいつらに勝った。でもそれだけさね」
「勝っただけって、勝てたらそれで充分じゃないンか?」
 と訊いたのは武器屋の主。村に残ったハイランダーの代表だ。
「あんたらは、別に戦を生業としてるわけじゃない。今日も明日も戦いにばっかり明け暮れるわけじゃないだろう?」
 レナイアは全員に見えるよう大きく手を広げ、大衆に教えを説く宗教家のように喋り出した。
「山賊がいなくなって、明日からはここを出て行く奴もいる。旅人や行商人だって来るようになるんだ。そのための準備もしないで浮かれてる場合じゃないよ」
 たしかに、と彼女の弁に同意する声も上がる。
「てなわけで――」
 言葉を引いたレナイアは、腕捲りをしてみせる。
「皆で、後片付けといこうじゃないかい」
『……え〜!?』
 その場に居合わせた全員が、口を尖らせて難色を示した。
「ほれほれ、なーにボケっとしてるんだい! これからここにいる村長だって(、、、、、、、、、、)働くってのに、あんた達が働かないなんておかしいだろ?」
「……は?」
 グレグソンの思考は、一瞬だけ止まった。
「それを言われるとなぁ……」
「だろ? また皆でやるんだ、文句なんてないはずさね」
「――い、いえ、ちょっと待って下さい」
 我に返ったグレグソンは、慌ててレナイア達の会話に割って入る。
「この私が労働に加わるというのは何かの冗談でしょうな、ミス・カミューテル?」
「いいや、まったくの事実さね」
 取り澄ましたグレグソンの表情が、僅かながらに歪んだ。
「あんたもご存知のとーり、ケヴィン達も自警団の面々も昨晩の仕事でクタクタになってるのに、全部押し付けるのは酷ってもんじゃないかい。んん?」
「しかし――」
「そう言うもんじゃないよ」
 グレグソンの口に人差し指を押し当て、レナイアは小声で続ける。
(折角、こーやって皆の垣根が低くなってんだ、この調子で共同作業を続ける方が得策じゃないのかい?)
(た、確かに……しかし、だからといって私まで働くというのは、少々無理があるのではないのですかな?)
(別にあれこれ押し付けるわけじゃないさ。その辺は……ま、やってみりゃ分かるさね)
 反論は認めぬと言わない代わりに、レナイアはグレグソンに背を向けて声を張り上げる。
「さ! 動ける奴は仕事仕事! 老いも若きも男も女も、皆でできることをやってくよ!」


「ふ……っ、まさか本当に独りで殆ど解決させようとはね」
 逗留客までも労働に駆り出しているコナーの村の面々を宿屋の屋上から見下ろしているのは、血に濡れた剣を片手に持ったレナイアであった。
 その足元には、六人の男らが転がっていた。装いも体格も異なっているが、全員が首を切り落とされていることだけが共通している。
 勢いよく噴出した血が剣の切っ先辺りにまで流れてきた時、そこにいたのはレナイアではなかった。
 漆黒の長髪を風に煌めかせ、妖艶な微笑みをこぼすのは、影法師のような男――ユフォン・カテドラル。
「……確かに、呆気無く散りゆく花とは美しいものだがね、其れは咲き誇りたる花であるが故の話、蕾を手折るのは無粋と知り給え」
 既に物言わぬ男らの血に触れることを拒んで身を躱すと、ユフォンはそのまま円舞のように身を滑らせる。
 黒髪と黒衣を翻す剣の舞は、場違いなまでに繊細で優美。
「観たい。観たくなったぞ。あの女が、あの姉弟が持てる花を咲かせ、そして儚く散華する様を……!」
 声量を抑え、顔の半分を片手で押さえながらユフォンは身を折り曲げて呟く。
 しかし、その声音は、表情は、全くと言って過言ではないほどの狂気に満ちていた。


 汗と土と人糞に塗れた重労働が終わると、誰からともなくささやかな宴が方々で始まり、それらはやがて村全体を巻き込んだ祝祭の域に達した。
 ダレン山賊団を撃退したからといって、賊への恐怖がコナーの村から完全に消えたわけではない。
 しかし、一昨日までは確実にあった役人と村人の、ニールとハイランダーとの間にあった垣根を越えての協力は、それによって掴み取った勝利は、無比の喜びを村中に齎した。耐え難い激臭でさえ、彼らの勝利への歓喜を微塵も損ねることができない。
 その翌日。見事な秋晴れの下を次々と旅人や行商人達が旅立っていくコナーの村の入口脇に、グレグソン夫妻とケヴィンら警護役、カミューテル姉弟、そして彼らの馬車の姿があった。
「何から何まで、お世話になりましたな」
「ま、まあねぇ……」
 謙遜するどころか、更に得意げに返すレナイアだったが、弟の肩に掴まる様子は、どう見ても弱った人物のそれであった。
 それもそのはず、昨晩の宴でレナイアはルーカスが止めるのも聞かずに多量の酒を飲み、二日酔いになっていたのである。
 それならもう一泊すればいいようなものだが、レナイアによれば『必要以上の貸し借りと無駄は真っ平』らしく、今にも吐きそうな状態で旅立つことになったのである。
「エリザベス、彼女らに例の物を」
「はい」
 微笑みながら頷いたエリザベスは、両手で包むようにして持っていた小さな袋と、一枚の書状をひとまずルーカスに差し出した。
「私と同様にこの村も貧乏なのでね。代わりといってはなんだが、むこう二十年間の、コナーの村での塩の優先販売権と、ケヴィン達の一族に伝わる酔い止めだそうだ。……前者は兎に角、後者はすぐにでも役立ちそうだね?」
「え、ええまぁ……」
 うぷっ、などと危なっかしく呻く姉に代わり、ルーカスが相槌を打った。恐らく、今の彼女が口を開けば昨日の惨事がルーカスを襲うことだろう。
「……やれやれ。最後の最後まで貴女は私の思い通りには動きませんでしたな」
 なんとも情けない村の救い主にグレグソンが苦笑していると、「……そりゃ、そう、さね」とその本人が口元を押さえながら言い出した。
「は?」
「知らないのかい……っぷ、あたしゃ、人の言いなりになるのと……貸し借りをそのまんまにしとくのが、嫌なのさ……ぅぇ」
「姉ちゃん!? おい姉ちゃん!?」
 締まりの悪い決め台詞を決めると、顔面蒼白となったレナイアは危険な呻き声を洩らした。彼女を背負ったままでは酔い止めの袋を開けることもままならず、誰かに開けてもらうという発想もないまま慌てていた。
 こんな姉弟に何故自分が出し抜かれ続けてきたのかと疑問に思ったグレグソンは、ふと一つの答えに思い至った。
(理解が及ばない、か……なるほど。そう考えれば、納得はできますな)
 彼女らは、リチャード・グレグソンという男が想像できる範疇の外にいるのだ。故にこそ、彼が理解できないような発想や行動をも平然とやってのける。
「歴史を作る人間というのは、こうした人々だったのでしょうな」
「へ?」
 独り言を耳聡く拾ってきたルーカスに「何でもありませんよ」と告げ、グレグソンは村長として彼女らにできる最後の役割を果たす。
「貴女がたに、国王陛下の祝福があらんことを」
「貴女達姉弟に、神の御恵みがありますように」
「……うっス!」
 姉に代わって頷いたルーカスは、彼女を馬車の中にある寝台へと横たえると、まだグレグソンらがいる間に御者台へ出て、手を振りながら鞭を入れた。
「それじゃっ、また!」
 夫婦それぞれの祈りを受けて、姉弟を乗せた馬車は元気に走り出した。
 ――後世には、次のような一節が伝えられている。
 狡知に長けたる賊現る。六日六晩村人、旅人を苛むが、勇気と知機に富む姉弟現れ、これを治む。




エピローグ
 カミューテル姉弟を乗せた馬車は、旅人が点々と見える平原の街道を進んでいた。
 姉を気遣い、極力馬車を揺らすまいと気を払うルーカスであったが、それでも御者台から馬車内の寝台でぐったりとしているであろう彼女に声を掛けた。
「なあ姉ちゃん、体の調子はどうなんだ?」
「……んん、ああ、そう、だねぇ……まぁ、ちょいとは楽に、なってるかねぇ……」
 弱々しい声ではあったが、応答できる程度には回復しているらしい。
「ふぅん。飯は?」
「いや……ああ、ちょいと腹に入れとこうかね」
「うっス」
 二つ返事で快諾したルーカスはギデオに合図を送り、街道脇に造られた停留地に向かわせる。
 ギデオが落ち着いたのを確認してから、ルーカスは複数ある箱から日持ちする硬パンと干物、そしてコナーの村で買い入れた林檎を取り出した。
「ほい、姉ちゃん」
「ああ、ありがとさん……」
 寝台で身を起こした姉に食物を渡すと、ルーカスは自身も林檎をかじりながら質問を発した。
「……なあ姉ちゃん。俺、ずっと気になってたんだけどさ。山賊退治ってあれでよかったのかな?」
「……よかったのさ、あれでね」
 語気とは裏腹に、弟以上の豪快な挙措で林檎をかじり取ったレナイアは、頬張りながら続けた。
「あの村に足りなかったものは……嫌でも協力し合うこと、まあ一丸になることさね。それを考えずに、何から何まであたしらが解決しちまったら、あたしらのいないこの先も、変わらずあの連中はずーっといがみ合い続けて、最後にゃ呆気なく滅んだろうさ……」
 身も蓋もない内容で言葉を切ると、レナイアは林檎をもう一口かじる。
「だから今回は、皆で協力させることから始めたってわけさね。山賊っていう、斃さなきゃならない共通の敵もいたし、あのグレグソンって男もいた。そう考えりゃちょうどいい状況だったってわけ」
「グレグソンっていったら、あの村長さん? あの人も何か関係あったの?」
「あったもなにも、大ありさ」
 悪戯っぽく笑って、レナイアは硬パンに口を付けた。
「あの爺さんは気取り屋で腹黒くて、おまけにもう一つくらい何かありそうな奴だったけど、兎に角無能じゃなかったことは確かさ。……だから、利用させてもらったんだよ」
「利用? どうやってさ?」
「あたしはどうもしないさ。あちらさんが自分で勝手にやってくれるからね」
 謎めいた答えの意味は、すぐに明かされなかった。
「っ、うぅ……!」
「姉ちゃん!?」
 急に口元を押さえて呻き出したレナイアに、ルーカスは持っていた食物を投げ捨て血相を変えて、彼女に縋る。
「姉ちゃん、なあ大丈夫かよ姉ちゃん!?」
「あ、ああ……だい、じょぶ、さ……」
 先刻とも違った弱々しい声音で弟を制したレナイアは、汚れてしまった口や手を袖で拭うと身を横たえた。
「……ったく、そんな心配そうにしてるんじゃないよ。少し落ち着いてきたんだからね」
「そうか……よかった」
 レナイアが微笑んでみせると、ルーカスは笑顔とも泣き顔ともつかない表情になった。
「……ああ、グレグソンのことなんだけどね」
「姉ちゃん、もういいから」
「心配ないさ。喋ってる方がまだ楽なんだよ」
 心配そうにしている弟とは対照的に、レナイアは日輪のような強く明るい笑みを浮かべてみせる。それを見たルーカスは、沈黙するしかなかった。
「……あのグレグソンって男はね、どういうわけだかあたしに対抗意識っていうか、思い通りにはなりたかないって気概が見え隠れしてるんだよ。そんでもって、本当に得することが何なのかってことも分かってる」
「はぇ?」
 首を傾げたルーカスに、今度はすぐ答えが与えられた。
「あたしらを貶めるって形じゃなくて、あたしらが上げた成果を上回らないと、本当の意味で自分が満足できないってことを自覚してるのさ」
「本当の……」
「それが何かは知らないよ。だけどあの爺さんにゃあ強く執着してる……それも大切なものがあるってのは本当だろうさ」
「ちゃんと俺らに勝たないとそれが台なしになるから、汚いことはしたがらないってこと?」
「ちょいと短絡的だけど……まあ、そんなもんだろうさ」
 弟に落としていた食物を拾うように告げたレナイアは、林檎の芯を窓から投げ捨てた。
「あーいう『前向きな野心家』ってのは、一度上手いこと動かしゃ勝手にいい方へ転がってくのさ」
「へぇ、やっぱ姉ちゃんは凄いんだなぁ」
 といつもの文句でルーカスが締め括ると、レナイアは満足そうに笑った。
「ところで姉ちゃん、次はどこに行くんだよ?」
「そうさねぇ……」
 寝床で頬杖をつきながら、レナイアは少しだけ常の笑みを見せて答えた。
 奇しくもそれは、銀髪の青年が行き先を告げた時と同時であった。


 二日前の雨は上がり、聖ジョーンズ山の連なるブルカン山脈一帯は晴れ模様であった。
 頃合いは昼過ぎ。天蓋のように頭上を覆う木々の枝葉をすり抜けて、秋の日差しが山道を歩く四人を貫いた。
「リュリュ、足を滑らすなよ」
「う、うん……」
 道なき道を歩きつつ、リュリュに注意を促すアシュレイと、彼らを背後で見つめるジーク、そして彼の背後を追従しているミュレである。
(何故、このようなことに……)
(憂鬱)
 六番が呟くまでもなく、ジークの内心は苦渋と不満が席巻していた。
 あの日の晩。ミュレを伴い戻ったジークに、アシュレイが自身の進退を告げた。
(――「俺達は、オッピドゥムを出る」――)
 その発言自体はどうということはない。自身に害が及ばなければ、基本的にジークは他者の行為に無関心であることが多い。
(――「だから、頼んだぞ」――)
 故にこそ、この発言に引っ掛かるのだ。
 アシュレイの言によれば、リュリュを切り捨てたオッピドゥムにはもう未練はないらしく、また、彼女も外の世界――本当の両親が暮らしていたという他所の土地を見て回りたいと言い出したことで話が決まり、その道中でジーク達に外の世界に関する知識を教授していってもらおうと考えたのだそうだ。
 当然、ジークは難色を示した。ただでさえミュレによって大幅に予定が狂ってきているというのに、ここにアシュレイとリュリュという不確定要素が加わることは、不本意以前にジークの合理性が許さなかった。
 しかし、わざわざ言い出したからにはアシュレイも容易には折れず、「決して、お前らに損はさせん」と言うばかりであった。リュリュはリュリュで、
「わたし、アシュレイがジークさん達と仲良くできるよう、頑張りマス」
 と笑って答えただけで、ますますジークの頭を痛めた。
 そんな中、六番はジークの不信を抱く考えに同意していたが、意外にも二番と三番がアシュレイ達を同行するべきとの考えを表した。
(第二対象の同行を許可した場合、少なくともアシュレイによる襲撃の可能性が減少する可能性有)
(それに、あの男の土地勘や知識は我々にとって有益なものとなるはずだ。既にミュレという荷物を抱える我々の現状を鑑みれば、彼らは決して有害無益とは言い切れないのではないか?)
 皮肉めいた二番の言は、ジークの痛い所を衝いていた。
 ジークとアシュレイは、今のところ和解に近い状態になってはいるが、現在に至る過程で彼がジークに対し悪感情を持っていたことは事実であり、リュリュが危険な状況に晒された原因もジークにあったと言える。早い話、アシュレイが再びジークの敵となる理由は充分にあるのだ。
 しかし、それらはあくまでもジークの強い疑念が反映された推測であり、本人の言から推量すればアシュレイはジークの思っていた以上に感情に左右されない深みのある思慮を持った男であることが分かる。故に恐れず、彼の申し出を受けるべきだと二番や三番が、そして四番や七番、五番までが意見するのであった。
 そしてそれら逡巡の結果が、現在の面々である。
(なんだ、まだ不満があるのか?)
(む……)
 二番に茶々を入れられ、ジークは思考を切り替える。
 客観的に見れば、どちらの選択肢も有益な面と不利益な面を持っていた。
 ここで削ぎ落とさなくてはいけないのが、感情からくる選択肢だ。
(完全な害悪というわけではないのだ。これ以上選択した道について思い悩んでも仕方あるまい)
(同意)
(同意)
 半ば開き直りに近い形でジークが選択の合理化を図っていると、アシュレイとリュリュが笑いながら話し合っている様子が見えた。
 ――あの二人は、あれでよかったのだろう。
 己を束縛していた環境からの解放による喜び、未知の世界への期待と幾らかの不安――それら全てが入り混じり、二人を包む高揚感を生んでいるのだ。
 今のジークには、最も縁遠い光景である。
(……セネアリス……)
 未だに一筋の光明すら見出だせぬ己の旅路を呪わしく思いながら、ジークは雨水を吸って重く柔らかくなった腐葉土を踏んで前へと歩き続ける。
 その背後で、一人の少女が常のように彼を見上げてはいないことに気付かず。


 道ならぬ道を歩き通したジーク達は、いつしか人工的な山道を見下ろすことのできる崖の上に出た。
「ここは……」
 その場所に、ジークは覚えがあった。
 リュリュとアシュレイに、最初に出会った場所である。
(ほんの数日前に来た場所だが……妙に感慨深いとは思わないか?)
(何とも思わんな)
 二番の問い掛けに心ない返事を投げ付け、ジークはアシュレイに続いて崖から降りた。
「……む」
「よし、降りて大丈夫だ」
「ありがとう、アシュレイ」
 残る二人をどうするかとジークがアシュレイに話し掛けるべく見れば、アシュレイの背にはリュリュが掴まっていた。
 崖の上に視線を移せば、そこには独りでぽつねんとこちらを見つめているミュレの姿があった。
 そうしたジークの様子に気付いたリュリュが、不思議そうに問い掛ける。
「……あれ、ジークさん、ミュレさんはどうシマシタ?」
「む……」
 やる方ない感情を溜息に変えて吐き出し、ジークは荷物を足元に置いて降りたばかりの崖をよじ登った。
 ジークが戻ってきても微動だにしなかったミュレであったが、流石にジークが名前を呼ぶと眠たげな目を彼に向けた。
「ミュレ、腕を両方、前に出せ」
「……ん」
 緩慢な動作でミュレは頷くと、ジークの指示通りに腕を真っ直ぐに伸ばした。人によってはジークに抱擁をねだっているようにも見える姿勢だが、ジークは眉一つ変えずに彼女の手を自分の肩越しに組ませた。
 どちらかといえばミュレがジークにぶら下がっているという表現の方が正しいのだが、一応先刻のアシュレイがリュリュを背負う姿に似ていると言えないこともない。
「俺がいいと次に言うまで手を離すな。分かったな?」
「ん」
 信憑性に欠けてはいるが了承を取り付けたジークは、二度目の下降を試みた。その間、例えようのない柔らかさを持った物体が背中に押し当てられていたのだが、それ以外は特に何も起こらなかった。
 ジークが崖から降りると、リュリュが安堵の息を吐いた。
「……よかったでス。二人とも無事のようで」
「む、そうか。……もういい、離れろミュレ」
 まだぶら下がっていたミュレを自分の足で立たせると、ジークは荷物を拾って肩から下げた。
(荷物と『お荷物』では、やはり重さが違うか?)
(下らんことを吐かすな)
 妙にしつこい二番を黙らせたジークに、アシュレイが話し掛ける。
「さて、約束通り俺はここまで案内した。次はお前ン番だ」
「分かっている」
 にべもなく応えたジークは、次に向かう町の名前を三人に告げた。
 奇しくもそれは、とある二日酔いの女商人が行き先を告げた時と同時であった。


 青年は、ただ一つの目的がため、
 少年は、尊敬する男への報恩がため、
 男は、今はなき故郷と、一人の少女がため、
 姉は、己が自由による夢のため、
 弟は、解放された姉の夢のため、
 貴族は、憧れ続けた足跡を残さんがため、
 男達は、主魁の掲げる野望がため、
 男は、自らの享楽がため、
 それぞれにそれぞれのため、持てる力を尽くし、相入れなければ全力で衝突し、その中で心折れる。そして立ち直りもすれば、新たな道をそこに見出だす者もいる。
 そして、その中で――

「次は、エタールだ」



【次回予告】
 遂に明かされるミュレの秘密! なんと彼女は、ロストテクノロジーによって造り出された生体兵器なのであった!!
「ミュレ、その腕は……」
「……ジークに、しられる、いやだった」
 残酷な運命によって青年と少女の間に生まれてしまった深い亀裂。しかし、彼らに息つく暇はなかったのである!
「悪いけど、その娘はあたしらがいただくよ!」
「覚悟するっス!」
 一目でミュレから儲けの匂いを嗅ぎ取り、あの手この手を尽くして強奪しにかかる強欲商人・カミューテル姉弟!
「悪いけど、その少女を置いて死んで下さい」
「俺らの理想ってやつがかかってるんでな」
 反現行政府組織の活動に加担し、謎の暗躍を続ける[翻る剣の軍勢]!
「ミュレ、俺は……」
「……いい。ジーク、なら」
 幾つものすれ違いと葛藤の果て、青少年は大人への階段を二段飛ばしで駆け上がる……!!?
 次回、ジョビネル・エリンギ3第三話【鋼鉄の人形少女】に続く!(ウソ)

2010/05/22(Sat)16:40:26 公開 / 木沢井
■この作品の著作権は木沢井さんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
はじめまして、ということはまずないでしょうが、それでも一応、はじめましてかTPOに則った挨拶をば。三文物書きの木沢井です。
 昨年の夏から長々と投稿させていただいていました当拙作も、皆様のお陰で無事に完結いたしました。物語は未だに道半ばで、本当に完結させてあげることができるのか、これは私自身にも想像のつかないことですが、日進月歩、只管に前回よりも優れた拙作をお届けできますよう、拙いながらも精進していきたく思います。
 改めまして、本当にありがとうございます。

*誠に身勝手ながら、こちらで投稿させていただいていた『神様はさびしがり』は一時休止させていただきます。これは一度に三作品以上を一度に更新していくことが困難になったためで、現在投稿させていただいている作品群との兼ね合いがつき次第、再開させていただくつもりです。
 重ね重ね、身勝手な行為を深く反省しています。

1/17 続きを更新しました。
1/18 加筆修正しました。千尋様、ありがとうございます。
2/15 4を更新しました。
2/23 加筆修正しました。
3/13 5の一部を投稿しました。
5/7 5の大半を投稿しました。
5/17 完結しました。
5/22 加筆修正いたしました。

*分割思考早見表
二番:唯一個性が口調に(如実に)現れている。他の分割思考に比べて雄弁。ある意味、一番のジークの理解者。
三番:最も低いと思われる可能性を最も高い可能性として(つまり予想に反する事態に備えて)扱う思考。他にも、人体に関する知識も扱っている。
四番:空間や図形などの、視覚的イメージを専門的に扱う思考。ジークの数少ない死角である、左目の視界を補助する役割を専任としている。
五番:剣術や体術などの戦闘関連の知識や記憶を扱う。基本的に他の分割思考に同意しているか、過激な発言が多い。
六番:三番が人体の構造などに通じているのに対し、医術や薬学、解剖学など、生物や生命「関連の」知識を蓄えている。分割思考の中では最もミュレを嫌っている。
七番:ジーク(一番)や二番のサポートや三番以下の管理を行なっている。

当拙作もいよいよ半ばを過ぎましたので、主だった面子だけでも紹介したく思います。というか、そうしないと際限なく増えてしまいますので。

●ジーク 17歳
本編の主人公。銀髪隻眼の剣士。セネアリスという人物を探している。現在、ミュレを一日でも早く独立させるべく教育に明け暮れている。
●ミュレ 十代半ば(ジークの推定)
ジークの旅に同行する少女。肉体と精神が対極の状態にある。幼い頃から“化け物”と呼ばれ、迫害と陵辱の日々を送っていたためか、人形のような雰囲気を漂わせている。
●レナイア(レニィ) 25歳
主にジィグネアル南部を巡る女行商人で、カミューテル姉弟のよく殴る方。現在、コナーの村にて一儲けを企んでいる。ちなみに、ジークとは面識がある。
●ルーカス 十五歳
レナイアの弟にして、護衛兼肉体労働係兼家事担当の少年。カーミュテル姉弟のよく殴られる方。
数日前に出会ったミュレのことが忘れられないらしい。
●ギデオ
カミューテル姉弟の馬車馬。人物ではないが、立派な相棒である。名馬でも駿馬でもないが、どんな悪路も物ともしない体格と根性を持つ。牡馬。
●ヴィル 十一歳
非常に小柄で、頭に黄色の頭巾を被っている子ども。[翻る剣の軍勢]という組織に所属しており、上司にあたる人物の命を受けてジークとミュレを尾行する。基本的に憶病。
●リュリュ 十二歳前後?
ジークとミュレが道中に出会った少女。幼いようだが意外に芯は強く、また物怖じしない性格である。
●アシュレイ
ジークとミュレに襲い掛かった謎の男。一時はジークと互角に戦ったほどの腕前だが、リュリュには逆らえないらしい。
●ダレン
コナーの村付近に根を張る一団の首領。ジークに並々ならぬ恨みを抱いている一方で、自分たちに喧嘩を売ったコナーの村の面々に報復を企む。元々は亡国の兵士長。
●アナバ
ダレンの片腕。一団の頭脳担当。頭の切れ具合と人望はまずまずだが、外見は「皮膚病の鼠」。
●ユフォン・カテドラル ??歳
名前の由来は、『優れた響き』を語源に持つ楽器と、『伽藍』から。

作品の感想については、登竜門:通常版(横書き)をご利用ください。
等幅フォント『ヒラギノ明朝体4等幅』かMS Office系『HGS明朝E』、Winデフォ『MS 明朝』で42文字折り返しの『文庫本的読書モード』。
CSS3により、MSIEとWebKit/Blink(Google Chrome系)ブラウザに対応(2013/11/25)。
MSIEではフォントサイズによってアンチエイリアス掛かるので、「拡大」して見ると読みやすいかも。
2020/03/28:Androidスマホにも対応。Noto Serif JPで表示します。