『蒼い髪 12話』 ... ジャンル:ファンタジー 未分類
作者:土塔 美和                

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 話しは少し戻ります。ルカが七歳の誕生日を迎える頃、魔の星イシュタルでは、一人の王妃がつわりで苦しんでいた。ここ数日、まともに食事を取ることすらできない王妃は、見る影もないほどに痩せ衰えてしまった。このままではお腹の子はもとより王妃の命すら危ない。
 国王は決断を迫られる。このまま二人を喪うか、それともお腹の子を諦めるかと。
 王は王妃の元へ行く。青白い顔をしてベッドに横たわる王妃に寄り添い、医者からの言葉を告げた。
「そっ、そんな!」
 王妃は一瞬、絶望的な顔をしたが、弱々しいながらもその提案を拒否する。
 痩せこけた手で自分のお腹をさすりながら、
「この子は、白竜様なのですよ。そのようなことをしたらこの星に災いが」
 王妃は目を閉じた。
 あれは王妃が身ごもる半年前のこと。一人の老女が王宮に現われ、
「時空が歪み始めておる。そろそろイシュタルを統べる王女がお生まれになられる」と言い残して去った。
 イシュタルを統べる王女と言えば、この星では白竜様以外には考えられない。イシュタルは共和制の星。各コロニーを代表する王や王女はいてもイシュタル星全土を治める王はいない。ましてそれが王女ともなれば白竜様に間違いない。なぜなら白竜様はいにしえより女性と決まっているから。
「本当に、白竜様なのか」
 国王は疑う。
「白竜様を身ごもった女性は、天女のように美しくなると聞いていた。だがお前は」
 日増しに衰弱していく。まるで悪魔にでも憑かれたように。
「あなた」と、王妃は病み衰えたような手を国王に差し出す。
 その手には数ヶ月前までの瑞々しさは微塵もない。まるで別人の手のようだ。だがその手を王は強く握り締めると、
「もうこれ以上は」
 お前が苦しむ姿を見ていられない。
「私は命に代えてもこの子を生みます。この子はイシュタルの救世主なのですから」
 イシュタルの民が待ち焦がれていた子。
 この子さえ無事に生れてくだされば、私の命など。この子はきっとイシュタルの民を救ってくださる。
 永らく平和だったイシュタルは、ある日突然のネルガルの襲撃により今や完全なる彼らの支配下に置かれることになった。王とは名ばかり、その実権は全てネルガルの領事にある。彼らはイシュタルの民から絞れるだけの富を絞ると、しだいに彼らを奴隷としてネルガルへ売りさばくようにまでなっていた。このままではイシュタルの民が。そんな折だった、あの老女の予言は。この子に掛けるしかない。力ある者達は白竜様の誕生を察し、ネルガルと戦うための組織と軍備を整えつつある。

 王女は呻く。
 お願い、もう少しおとなしくして。こんなに気を乱されては、あなたをお腹の中において置くことすらできなくなってしまう。


 堅牢な作りの城壁の前、年の頃なら十二歳前後の紫の髪をした少女が立ち、その壁を眺める。その横顔は幼そうでありながら意志の強さを物語っている。そして腕には少女の全財産ででもあるのか、大きな包みを大事そうに抱えていた。
「昔はこうではなかった。宮へは何処からでも自由に出入りできた」
 少女はひとり呟く。
 イシュタルの城は平屋と決まっていた。無論、城壁などない。周りは水と森に囲まれ人間でも動物でも自由に出入りできた。それが何時ごろからだろう、ネルガルのような館が建てられるようになり、周囲を中が見えないほどの高い城壁で囲み、門には見張りまで居る。
 ここ二百年余りでイシュタルは変わった。
 少女は城門に近づく。長い旅のせいか靴は擦り切れ、服はつぎはぎだらけだった。それでも少女は会いに行く相手のことを思い、前日に城の近くに宿を取り、体を清め洗いたての服に取り替えた。
 しかし門番の態度はつれないものだった。
「乞食が何用だ。ここはお前などの来るところではない。物乞いならあっちでやれ」
 門番に突き飛ばされる。
 少女はそれでもこりずに何度か門番に頼んでみたが、中へは入れてもらえなかった。あげくには棒で殴られるしまつ。
 昔のイシュタルでは、髪が紫だというだけで誰も手をあげる者はいなかった。それどころか誰もが親切にしてくれた。紫の髪。もしかして紫竜様だったら大変なことになることを、イシュタル人なら誰もが知っていたから。
 少女は諦めて城壁沿いに歩く。
 人気がなくなったところを見はかり少女は姿を消した。


 ここは王妃の横たわる寝室。
「あなたは?」
 王妃は苦しい息の中、部屋の片隅に立つ少女に気づく。
「遅くなりまして申し訳ありません、王妃様。私はニーナと申します。今、楽にして差し上げますので」
 そう言うとニーナは包みの中から一枚の古びたおくるみを出し、王妃の腹へと掛ける。そしておもむろに包みの中から笛を取り出すと、竜の子守唄を吹き始めた。
 すると不思議なことに、あんなに乱れていた気がいっきに落ち着きを取り戻した。
 王妃は不思議そうに少女を見る。
「少しはお楽になられましたか」
 ええ。と王妃は頷いてから、
「あなた様は、もしや紫竜様で?」
 いいえ。とニーナは首を横に振る。
「では、紫竜様はどちらに?」
 白竜様のお傍には必ず紫竜様がおられる。彼らは二柱で一神。これがいにしえからの言い伝え。
「お二人は喧嘩なされて、ここ数千年という間、会っておられないのです」
「喧嘩?」
 これも王妃には意外な言葉だった。お神酒徳利に例えられるほど、白竜様と紫竜様は仲がよい。喧嘩するなど想像もつかない。
 ニーナは困った顔をすると、
「我が主は、仲がよすぎるのか、それとも性格が似すぎるのか、よく喧嘩をなされるのです。だが今回ばかりは」
 ニーナもほとほと困り果てていた。既に数千年の歳月。どちらにも折れる気配はない。白竜様の五感を司る紫竜様がお傍におられないと言う事は、白竜様には多大な支障が出てきていた。何しろこの世に生れたところで、光を見ることも音を聞くことも臭いを嗅ぐこともできないのだから。これでは生れたとは言えない。唯一感じることが出来るのは気配。それもかなり強い気力を持ったものの。
「歳月が長すぎたのです。白竜様は病んでおられます」
 ニーナはそれだけを王妃に告げた。
「病んでいる?」
 王妃は不安げに言う。
 それでこんなに気が乱れておられるのですね、紫竜様がお傍におられないから不安なのですね、きっと。
「このおくるみは紫竜様の髪で編んだもので御座います。そしてこの笛にも紫竜様の髪が巻きつけられております。もうかなり古くなってしまいましたが、紫竜様にお会いできない以上、新しい物を作ることもできませんのでこれをお使いください。お腹に掛けておきますと、つわりが楽かと存じます」
 見るからに古そうな布だった。だが白竜様にすれば唯一紫竜様の気配を感じられる品。
 王妃はそのおくるみの上からお腹をさすった。
 なんとなくお腹の子が喜んでいるような気がしたのは気のせいなのかしら。
 王妃は目の前にいる年端も行かない少女を見る。
「この子は、生んでもよいものなのでしょうか」
 いにしえより病んでいる竜は危険だとも聞いていた。
「ご心配には及びません、私が付いておりますので。この世にその方を降臨させてくださいませ。今度こそ紫竜様と話し合わせますので。そしてイシュタルを昔のような美しい星に」
 これは少女の断固とした決意だった。そしてイシュタル人の願いでもある。白竜様にこれほどのことを言えるこの少女は、いったい何者?
 その日からニーナは王妃専属の侍女になった。
 寝起きすら王妃の部屋でするほど、ニーナは主の元を片時もはなれない。
 突然現われた少女に周りの者は訝しがった。だが彼女が来てから王妃の容態が良くなったこともあり、また始めは乞食のような少女も、女官の服を着せるとその立ち振る舞いが素晴らしかったこともあり、周囲の者も次第に彼女の存在を認めるようになった。

 そして月は満ちた。
「王妃様、お気を確かに、もう少しで御座います」
 数名の医者が見守る中、一人の男の子が生れた。
「男?」
 しかも産声をあげない。
 医者たちは慌てて赤子を逆さまにし、羊水を吐かせようとするが。
「お貸し下さい」と、ニーナは赤子を医師たちの手からひったくるように奪う。
 何をする。という周りの言葉を無視し、ニーナはその赤子を逆さのまま抱くと、自分の能力で赤子の肺を絞り上げた。赤子の口から羊水が吐き出される。そして次の瞬間、そのしぼんだ肺をいっきに膨らました。空気は否が応でも赤子の鼻孔を通り肺へと入って行く。
 これが赤子がこの世に生れて最初にした呼吸だった。ほとんどニーナの力による。
 ニーナは赤子を抱きなおすと、
「主様、お生まれになられたからには死なせませ」
 ニーナの強い意志。
 その声が聞こえたのか、赤子は一瞬目を開けるとニーナを睨むように見、ニーナを無視するかのように目を閉じた。
「お誕生、おめでとう御座います」
 ニーナはそう言うと赤子を産湯につけてやり、例のおくるみに包んだ。
 そして疲れきっている王妃のところへ抱えて行くと、その腕に渡した。
「アツチ様にあらせられます」
 どうやら赤子の名のようだ。
 王妃は不思議そうにニーナを見た。
 男? しかも髪は白。
 赤子の誕生を聞いて駆け付けて来た国王までが唖然とした顔をしていた。
 白竜様ではなかったのか?
 白竜様なら髪は青、そして女と決まっている。
(白竜様に御座います。お名をアツチと仰せになります)
 テレパシー、誰の?
 国王は周囲を見回し少女と目が合う。
 彼女なのか。ということはこの声は、私にしか聞こえていないのか。
(あなた様と王妃様にだけです。他の者は関係ありませんので)
「では何故、髪が青くないのだ?」
(病んでおられますから)
 その話は王妃からうすうす聞いていた。紫竜様と喧嘩をしておられるとか。
「何が原因で?」
 それに関してはニーナはいっさい答えなかった。彼女自身も知らないのかもしれない。
 国王はじっと赤子を見る。
「愛してやって下さい」
 それが唯一、今の主様には必要なもの。だが並大抵の愛では主様には届かない。紫竜様以上の愛でなければ。
「それは当然だ。私の子なのだから」
「有難う御座います」
 ニーナは深々と頭を下げる。
 王妃の腕の中に抱かれた赤子は何の反応も示さなかった。ただ、体温のある肉の塊。
(必ずお二人に、生んでくださった御礼を言わせますので、少しお時間をください。そしてそれまで嫌いにならずに愛し続けてやってください)
 人は自分が幸せでなければ、人に感謝できない。今の主様には他人のことを考えるほどの余裕はない。
 お礼なんて、とんでもない。と王妃は首を横に振る。
「私は、あなたが無事に生まれてくれただけで嬉しい」
 母親はそれでいい。既に十月十日、お腹の子との関係ができているから。だが父親は何も反応しない我が子に戸惑うばかりだ。

 その頃領事館では、
「生れたそうだな」
「王子だそうです」
「王子?」
 王女だとばかり聞いていたが。
「まあ、よい。それで御様子は?」
「髪は白です」
「青髪では?」
 秘書は首を横に振る。
「なんと言うか、色のない赤子で御座います。髪は白く体もぬけるように白い。ただ胸から背中にかけて、何かに貫かれたようなどす黒い痣があるのです。それが体が白いだけにぞっとするほどです。それに」と、秘書はいったん口をつぐんだ。
 これからは私見、言うべきかどうか迷った。
「それに、何だ?」
 総領事にそう言われ私見を述べる。
「私の見る限り、長くは生きられないかと存じます」
「それは、どういう意味だ?」
「動かないのです」
「生きてはいるのだろう」
「生きてはおられるようなのですが、泣くこともなければ、手足すら動かすこともしないのです。ただ、だらりと垂れたままで。あのような赤子は初めて見ます」
 秘書も三児の父親だった。我が子は三人とも生れると直ぐに大きな声で泣き、元気に手足を動かした。だがあの子は死体のようにだらりと手足を垂らしたまま、何の反応もしない。色が白いのも血の気がないからなのか。生命力というものが感じられなかった。
 総領事は腕を組みながら秘書の報告を聞いた。
 秘書が下がってから、その報告を一緒に聞いていた情報部の男に声をかける。
「どう思う?」
「白竜が生れるなどと騒がせて、とんだ食わせものだ」とその男は笑う。
 総領事は窓辺に寄ると庭を眺めながら、
「国王ご夫妻の子が白竜でなかったというだけのことだ。生れて来るなら国王夫妻の間だろうと、我々がかってにそう決め付けていた点もあったからな。おそらくこのイシュタルの何処かで生れているのだろう。でなければイシュタル人達がこれほど騒ぐはずがない」
 イシユタル人はここ一年あまり、寄れば白竜の噂でもちきりだった。救世主の誕生とか言って。
「とにかく近いうちにご夫妻のところには挨拶に伺おう、ベビー用品でも持ってな。この目で確かめてくる」
「総領事も心配性な方だ」
「転ばぬ先の杖とでも言ってもらいたいね、災いの目は早いうちに摘むに限る」
 そう言うと総領事は情報部の男の方におもむろに向き直る。
「もし違うなら、ここ一年前後にイシュタルで生まれた青い髪の赤子は全て抹殺してくれ、男女を問わずにな」
「念には念をですか。畏まりました」
 そしてイシュタルではよりいっそうの青髪狩りが始まった。悪魔として。特に三歳児からゼロ歳児に対する殺戮は容赦なかった。


 ボイ星が近づくにつれ、サミランたちはルカにボイの婚儀のことや仕来りの事をこと細かく教えてくれた。ある程度は自分で調べて予備知識は持っていたものの、その背後にある思想がわからないと受け取り方もかなり違ったものになっていた。
 ルカがボイ星のことを必死で勉強している頃、守衛達は、これまた公達たちが連れてきた侍女を口説くのに必死だった。酒と女とベッド、これだけあれば満足な連中だ。中にはそんな仲間に入れない者もいた。その典型がクリス。何を間違ったのか、彼もボイ星同行のリストに入っていた。一人ぐらいまともな殿下の話し相手がいなければというリンネルの配慮のようだ。ハルガンなどに言わせれば、我が隊の中であの坊やが一番変わっているらしいが。


 ルカより一足先にネルガルを発ったキネラオとホルヘは、ボイの王宮の広間に通された。
「ただ今戻りました」
 挨拶もほどほどに、
「して、王子はどのような方だった」
 自分の娘の婿になる人物だ。親として気にならないはずがない。
 国王の隣には王妃も王女も座していた。
「プロフィールの通り、お小さい方で御座います。まだ七つで御座いますから。しかし頭は切れる方です。七つとは思えない。いや、子供とは思えないほどに」
「そうか」と、国王。
 それでは扱いづらいのではないか。
「性格は素直なお方で御座います。ネルガル人には珍しく、あまりお立場をお気になさらないのか、どなたにも寛大な方で御座います」
「我々にも差別するようなこともなく、とても親切にしてくださいました。侍女たちにもとても人気が御座いまして、その様子から下の者を大事になさる方とお見受けいたしました」
「ボイ語を流暢に扱われます」
「ボイ語を話すのですか?」と、王女は驚いたように聞き返した。
 王女のネルガル人に対する知識は、横柄な性格で自分の星の慣習がどの星よりも優れていると思い疑わない人種ということになっていた。そのような考えだから当然、他の星の言葉など自分達より劣ると信じ使うことはない。
「はい。なんでも我流で習ったとのことで御座いましたが、どうやら商人を相手に習われた御様子で、ところどころ王宮には相応しくないような単語も御座いました」
 いや、実際ネルガル語もかなり王宮には適さない言葉を使う時がある。ハルガン曹長を始め周りの教育者がよすぎるせいだろう。だがそのことはキネラオもホルヘも口にはしなかった。言わずとも会えば解ることだから。
「ネルガルではボイ語を話せる人物がおりませんので」と、ホルヘがルカのことを庇う。
「まあ、商人相手では致し方ありませんね」と王妃。
 ネルガル人相手に商売をするようでは相当腹も据わっているでしょうから。
「他の王子にも何人かお会いいたしましたが、年齢を別にすれば、ルカ王子が一番品がよろしいのではないかと存じます」
「まあ、そのような品定め、失礼ですわ」と、王女は驚いたようにキネラオとホルヘを見る。
「いや、私がよく見て来てくれと頼んだのだ」と、国王。
「余り質が落ちるようなら、他の王子と交換してもらうように申し出るつもりだった。年齢が年齢だけに口実はつくと思ってな」
「まあ」と、シナカは呆れたように国王である父を見る。
 ボイ星のためだからと言って、無理に縁談を進めておきながら。
 国王と言えどもボイ星では一般の父親と変わりはない。出来ることなら娘を大事にしてくれる男のもとへ嫁がせたい。
 シナカはシナカで、
「私は彼でよいと思っております」
 プロフィールは見た。異星人であるため色は白いし、その容姿は死体のようで好きにはなれない。だが、じっとこちらを見詰めて話しかける翡翠のような瞳は美しかった。
 あれだけしっかりと前を見て話される方なのです、きっと心が透き通っている方に違いない。
「丁度、弟か妹が欲しかったのです」
 兄のような存在は今目の前で平伏している。だが年下はいない。
「好奇心の旺盛な方のようですので、姉としてボイ星のことをいろいろと教えてさしあげようかと思っております」
「まあ、相手はあなたの夫になる方なのですよ」と、王妃。
 今からこの調子では先が思いやられる。
「でも」
 シナカに結婚するという実感はなかった。
「それでよいかと存じます」と、キネラオは言う。
「相手が王妃様と互角なら、自ずと好きになっていかれます。無理に格下の者を好きになることは御座いません」
 自分の目でしっかり確かめろというところなのだろう。
「では、あなたはどうでしたのですか」と、シナカは問う。
「はっきり申しまして、私はあのお方に惹かれました」
「ほー」と、国王。
 国王は暫し腕組みをして考え込む。
「お前ほどの者を、この子は惹きつけるのか」
「はい。不思議な魅力があります。たった三日でしたが、もう少し話をしたいと思わせるほどです」
「お前は、どうだ?」と、国王はホルヘにも訊く。
「実は、私もそうです。子供と侮れないところが御座います」
「お前たち二人を惹きつけるとは、なかなか面白そうな人物のようだ。会ってみたくなった」
「もう直、お会いになれます」
「それもそうだな」と、先程までの心配顔は何処へやら、国王は少し楽しそうになった。
「あなた。あなたがお貰いになるのでは御座いませんよ」と、王妃が余りにも嬉しそうな国王に釘を刺す。
「そう、妬くな」
「お父様、相手は男よ、それも子供なのに」
 その会話をキネラオとホルヘは聞いていて、いつまであの王子を子ども扱いできるだろうかと内心思っていた。自分たちも最初は子供を婿にもらうのだ、後々ボイの家風にしつければよいと思ってネルガルへ行ったのだが。
 それからキネラオとホルヘは暫し休息した後、王女の部屋を訪ねた。ルカ王子から預かったというよりも侍女たちから預かった物を渡すために。
「ルカ王子の取り扱い説明書だそうです」
 シナカとシナカの脇で控えていた侍女は怪訝な顔をする。
「どういう、意味でしょうか?」
「見ればわかるそうです。最初にこれを作られたのは王子様なのですが、服のお礼にと。あの服、とてもお気に召されておりました」
「そうですか」と、シナカは嬉しそうに答える。
「途中から侍女たちが持っていかれまして、何を撮影したのかは存じませんが、そう言って王女様に渡すように言われました、王子には内緒で。それと王子様のことをくれぐれもよろしくとのことです」
「そうですか」と、シナカは訝しげにその包みを受け取る。


 ルカは天文台へ行き、ひとり星を眺めていた。ボイ星が近づくにつれルカは無口になった。
「ホームシックですか」と、ハルメンスが背後から声をかけた。
「そう見えますか」
「違うのですか」と、ハルメンスはルカの隣に来てルカと同じように手摺に寄り添い星を見る。
「もし王女に気に入ってもらえなかったら、私はボイでずっと一人ぼっちになってしまいます」
「そのことですか、お気に病んでおられたのは」
 近頃ルカの元気がないので守衛たちが気にしていた。それでハルガンはハルメンスに少し様子を見てくるように言った。自分が直に訳を聞くより話すのではないかと思い。
「それでは寂しいと思っただけです」
 ハルメンスは微かに笑うと、
「そうなるとは限らないでしょう」
「ならないとも言い切れません」
 ハルメンスは大きな溜め息を吐くと、
「殿下の悪いところですね」
「何がです?」
「先の先まで考え過ぎる」
「そうでしょうか」
 結婚ということ自体、ルカにはまだ遠い存在だった。
「アントネラ王女のことをご存知ですか。アントネラ王女と言うよりもパロア王妃と言った方が彼女は喜ぶでしょうか」
 だが既にパロア星はネルガルの支配下に入り、現在パロア王朝は存在しない。王朝の代わりに今パロアにあるのはネルガルの領事館。
 アントネラ王女。現皇帝の妹君。ルカからすれば叔母。
 既にルカが生れた頃にはパロア星へ嫁ぎ、ルカは一度も会ったことはない。だがその噂は聞いていた。
「存じております。赤子と一緒にご遺体で戻られたとか」
「誰が殺したかご存知ですか」
 ルカは首を傾げながらも、
「それはパロア星の人たちではないのですか」
 噂ではそう聞いていた。和平が破棄されると同時に殺されたと。
「それが、少し違うのですよ。パロア星の王とアントネラ王女は相思相愛だったそうです」
「相思相愛?」
「ええ。最初はパロア星人の容姿に随分アントネラ王女は抵抗なされておられたようですが」
 全身がしからびて爛れたような皮膚。それがネルガル人にはどうもなじめなかった。まるでミイラのようで。
「王の優しさに触れるうちに次第に愛するようになられたとか。そして出来たのがあの赤子だったのです」
 王宮での噂は、可愛くないどころか醜い子だと。あんな姿で生きるぐらいなら死んだ方が赤子のためだろうと。殺されてよかったとまで言われていた。
「王女はネルガルのために亡くなられたのだから王墓へ。ところが赤子はパロア人の血を引く子だから下手の無縁墓地へということになったのですが」
 死んでも血が物を言う。
「それは、酷いですね」
「アントネラ王女の侍女たちが私の所へ来まして、赤子を王女と一緒に埋葬してくれるように頼まれました。ネルガルでは随分酷く言われている赤子でも、パロア星では皆に愛されていたそうです。それで先程の話なのですが、王女と赤子を殺したのは一緒に同行した貴族たちで、戦争が始まる前に早く帰星したいがために」
 ルカは唖然としてしまった。
「それで怒ったパロア王が彼らを全て処刑してしまったということです。王女によく仕えていた侍女たちだけを残して」
 その事件が、ネルガル星がパロア星に攻め込む口実になった。
「そう、だったのですか」
 ルカは暫し呆然としてしまった。
「侍女たちの話では、王女が王の愛を受け入れるようになってからは、鈴のように笑うようになったそうですよ。ネルガル星に居た頃は、いつも俯いておられたような方だったそうです」
 ハルメンスは王女と何度か会ったことがあるのだろう。だからこそ、侍女たちが頼みに来た。
 階級の低い母を持った王子や王女は王宮では居場所がない。それは今に始まったことではなかった。ルカも彼女の気持ちはよくわかる。
「噂とは随分違いますね。叔母は結婚されて幸せだったのですね」
「そうですね、少なくとも彼女はネルガルにいた頃よりも幸せだったようです。ネルガルでは笑うこともあまりなかったようですから」
「私もそうなれるでしょうか」
「なるしかないでしょう。ボイの王女は行動的で賢いそうですから、殿下とはけっこう馬が合うのではないですか」

 いよいよボイ星が肉眼で捉えられるようになってきた。到着するのは時間の問題。
「随分、赤い星ですね」
 何度か映像を見たことがあるが、こんなに赤かったかと思うほどに。
「ネルガル星に比べボイ星は陸地が多いのです」
 つまり水が少ないということだ。

 一方この一ヶ月間、アルコールに浸り羽目を外せるだけ外した守衛たちは満足しきっていた。
「そろそろアルコールをぬくか」
 誰が言い出したのかはさだかでない。だがその日以来、バーは静かになった。
「しかしこんなに好き勝手なことが出来るとは思わなかったな」
「殿下はやっぱり話せるぜ」
「いや、これからの締め付けがきついかも」
 やはり近づきつつあるボイ星を眺めながらそれぞれの思案に浸る。


 五つある月の一つが、ルカたちを向かい入れる宇宙港の一つだった。宇宙港では関係者だけの出迎えだった。それでも報道関係だけでもかなりの人数だ。この婚礼への関心の深さがうかがえる。
 宇宙港からシャトルで地上に降り立ってルカは唖然としてしまった。前もって下調べはしてある、ボイの飛行場はコロニーの外れにあると。だがその場所は飛行場があるだけで見渡す限り砂丘、緑はもとより町の形すらない。
「これは随分乾いた星だ」
 これがハルガンのボイ星に対する第一印象だった。
 ケリンはルカの情報収集に携わっていたからある程度は予測していたが、しかし調べた限りでは星はもう少し水で潤んでいたような気がした。
 ルカは急きょ喉の渇きを覚え水をもらった。だがここの水は美味しくない。
 ルカは嫌な感情は余り顔に出さないように心がけていたつもりなのだが、思わず顔をしかめてしまった。
 水が、「死んでいる」
 王宮の水も不味かったが、これ程ではない。
 ネルガル語で言ったのだがボイ人にはわかったらしく、サミランが「何がですか」と、心配そうに訊いてきた。
「いえ、何でもありません。ただ、本当に水の少ない星なのだなと思いまして。ネルガルとボイでは水と陸の比率が正反対です」
「そうですね、あれだけ水の豊富な星からすれば、ここは死んだような星かもしれません」
 ルカは慌てた。
「そんなつもりで言ったのではありません。ただ水に本来水がもっているはずの生命力がないような気がしたもので」
「水の生命力ですか」
 無機質な水に生命があるとは面白いことを言うと思いながらもサミランは、確かに水がなければ我々は生きられないのだから、そういう意味では水にも生命力があるのだろうと思いながら、
「ボイにとって水は貴重なのです。水の量によって住む範囲が限られます。よってこのような施設は水をあまり必要としませんので、郊外に作るようになってしまいます」
 この施設の水は全て一旦使用した水をろ過して使っている。それで本来水が持つ生命力を失っているのだ。大自然の気の中を流れてきた水ではない。
 ボイ星は十二の湖からなっている。湖といってもその広さはネルガルで言えばちょっとした大陸ほどある。無論、向こう岸など見えないし、中にはジャングルのよう鬱蒼とした島があるものもある。だがその内の二つは何かの拍子に枯れてしまい、今は十の湖しかない。今ではそこにはここに湖があったであろうという窪みだけが残っている。しかしそれすら何千年もの風化のためにしだいに窪みが浅くなり、地図でかろうじてわかるぐらいだ。その場に立ったのでは、いつから窪みの中を歩いていたのか、いつまでが砂丘だったのかわからない状態だ。
 飛行場には一番近いコロニーへと続くレールが数本引かれていた。他のコロニーには全て空輸で移動する。レールは砂嵐が起きても砂で埋もれないように地上数メートルの高さに建設されている。その上をレールより二、三十センチ浮き上がって列車が走る。
 ルカたちを乗せたシャトルが着くと、既にホームでは貸し切の列車が待機していた。しかしその列車は、一般車両と何ら変わるところはなかった。おそらく王族専用列車というものはこの星には存在しないのだろう。ボイ星の王は、王とは民衆から呼ばれていても我々ネルガル人がイメージする王とは少し違うのかもしれない。どちらかと言えば、母の村の長老というイメージほうが当てはまるのかも。
 ルカは前から三番目の車両に案内される。その前後は護衛や関係者が乗り込む。
 内装はあっさりしたものだった。これといった華美な飾りはない。だがこの高級感。おそらく素材に手が込んでいるので装飾品をあまり必要としないのかもしれない。装飾品は部分的にアクセンとのように取り付けられている。だからこそ、その細工には余計に目が留まる。
 ルカは乗り込むとさっそく外が見える位置に座った。
「一時間ほどで着きます」
「そうですか」
「その間、少し早いのですが食事でもいかがですか。列車から降りますと後はゆっくり食事をする時間もないと存じますので」
 日程には食事の時間もゆったりと取ってある。なにしろボイ人はネルガル人より時間の使い方がゆっくりだ。だが気分的に落ち着けないのではという彼らの配慮だった。
「そうですね、では何か軽いものを用意していただけますか」
 だがルカは食事にはあまり手をつけず、窓枠に肘をつくとじっと外を眺めていた。
 足の底からボイ星そのものの力は感じる。マグマの動き。竜は水(液体)を司る。核はネルガルと同じぐらいの力を生んでいる。だがそのエネルギーが地上まで。
 ルカは地上に降り立ってからずっと、ボイ星を取り巻く気脈を見詰めていた。力のある者だけが見ることができる風とは違う気の流れ。それに気が集中していたためルカは無口になっていた。
 地上に降り立ってからいっそう無口になったルカを気づかい、リンネルが相対して座る。だがルカはそれにすら気づいていないかのようにじっと外を眺めている。
 竜の組成は水。何が無くとも水があればあの子は元気なのですよ。そう言って池で泳ぐ我が子を見詰めていた奥方様。王宮でどんなに嫌なことがあっても一泳ぎした後の殿下の顔はすがすがしかった。
 この星は殿下には酷。
「召し上がらないのですか」と言うリンネルの言葉で、ルカは初めてリンネルが目の前にいることに気づく。
「あまり食べると後でボイの方々と食事をする時に食べられなくなりますので、それでは彼らに気を使わせることにもなりかねませんので」
 リンネルは微かに笑う。
「心配しました。少し御様子がいつもと違うようでしたから。でもそのような配慮をされるとはいつもの殿下ですね、安心しました」
「違うとは?」
「ずっと外ばかり眺めておりますから」
「いや、想像以上に植物が少ないと思っただけです。私のデーターではもう少し」
「ここ数十年、ほんの僅かですが湖が小さくなっているそうです」
「それはどうしてですか」
 そう訊かれてもリンネルには答えるすべがなかった。
 そうこうしている間に、乾燥に強い果肉性の植物が姿を見せ始めたかと思うと、あっと言う間に森林が現われた。この列車の速度がかなり速いのだ。今まで広大な砂漠を走っていたからその速さを感じられなかっただけで。だがこれだけの速さで空気中を疾走しているにもかかわらず、体にGどころか気圧の変化も感じられなかった。見事な重力制御システム。
 彼らの科学力が我々より劣っているわけではない。ただ彼らは兵器を作る必要がなかっただけだ。
 町に近づいたのだろうか、列車の速度が落ちるのが周りの景色の移動の速度によってわかる。
 宛がわれた列車の部屋は広かった。その気になれば横になることもできたのだが。
「少しお休みになれましたか」と、サミランが入って来た。
「もう直、到着いたします」

 ホームに着いたとたん、人、人、人で埋め尽くされていた。誰もが一目、王女の花婿を見ようとしているようだ。その人だかりを警備員たちが押し止め、やっとの思いで通路を確保しているという感じだ。ルカが降り立つと同時に大歓声。その人だかりは王宮へ続く沿道を埋め尽くしていた。
 ルカもこの光景には声を失った。
 地上カーに乗り込みやっと落ち着いたところで、相対して座っているサミランに言う。
「凄いですね、こんなに歓迎されるとは思ってもみませんでした」
 ネルガルではこのように歓迎されたことは一度もない。ジェラルドお兄様やアトリスお兄様が移動すると時は大衆に囲まれて歓迎されている報道を何度か見たことはあるが。
「皆さん、これでネルガルとの絆が固く結ばれると喜んでいるのです」
 大衆は何も知らない、上層部の苦悩を。大衆が知るときは上層部で手に負えなくなった時。ならもっと早く知らせてもらいたいものだが、早く知らせたところで結果は同じだろう。
「そうなのですか」
 ルカの返事には喜びはなかった。
 私がどういう意味でこの星へ来させられたのか知れば、彼らはショックだろう。
 時間稼ぎ、今の戦争が片付くまでの。
 どれだけネルガルからの罠をかわせるかルカにも自信はなかったが、ここまで来てはやるしかない。自分の命も掛かっていることだし。私がしくじった時がボイ星が戦争に突入する時。

 案内されたのは王宮の一画にある離れ。そしてそこで待っていたのは懐かしい顔。
「キネラオさんにホルヘさん」
 ルカは思わず走り出したくなりそうな衝動を押さえた。
 見知らぬ土地で知人に会うとはこのことか。たった一ヶ月、それもたかだか三日ぐらいの付き合いだったと言うのにこれほど懐かしく感じるとは。
「私達が交代で婚礼まで殿下の身の回りのお世話をすることになりました。ご要望がございましたら遠慮せず申し付けください」
 初日は旅の疲れもあることだし、ここでゆっくりするように言われた。王との謁見は後日、日を改めてとのことだった。だがそうゆっくりもしてはいられなかった。役人たちは明日からのスケジュールの打ち合わせと新居の準備で忙しく、ルカの所にはボイ星の宮内部の者が最終確認でやって来た。何しろ十日で全てを終わらせなければならないのだから、忙しいことだ。だがいつもキネラオかホルヘが傍にいてくれたのは心強い。彼らにはかなりの権限があるようだ。
「やはり、ただの通訳ではありませんでしたね」
 ホルヘと二人きりになった時、ルカはホルヘに問う。
 ホルヘは照れたように笑い、
「実は私は国王直属の秘書なのです」
「凄いですね」
「何がですか?」
「あなたの家系です。お父さんが首相でお兄さんが内務、弟さんが外務であなたは国王の執事ですか。ネルガル的に言えばほぼあなたの家系でボイ星を掌握しています」
「かなりの血統だと思いますか。でもボイではあまり血筋は関係ありません。関係あるとすれば王だけです。それでも連れ合いは他のコロニーの平民から選ばれます。ボイに貴族という特権階級は存在しませんから。現に今のお妃様は漁師の娘ですし、私の祖父は商人です。祖母は町娘でしたし母は農家の娘です。あなたのお母様同様、この王宮の一角で田畑を耕しております。その方が落ち着くようで」
 ルカは驚いたようにホルヘを見た。
「それで私の母を見ても変に思わなかったのですね」
「ボイ星は実力主義なのです。父親や母親がなんであれ、その子にそれだけの実力がなければ後を継ぐことはできません。私も役にたたないとみなされれば、母の実家へ行き農家を手伝うか、祖父母の仕事を手伝うかということになります」
 ルカはボイ星の社会仕組みや生活習慣も事前に調べてはいたが、その感覚がどうもつかめないでいた。
「ですから、あなた様もご自身の血筋で悩む必要は御座いません。父が国王で母が農家の娘などということはこの星ではよくあるパターンですから。王族と呼ばれるのはその子まで、あとはすべて平民です」
 そう、この星では王族と呼ばれるのは王の親と子、それに兄弟姉妹まで、後はすべて平民。王の位が子に継承されれば、その段階で今の王の親と兄弟姉妹は平民になる。
「ボイ星はあまり豊かな国ではありませんので、税金で多くの王族を養うわけにはいかなかったのです」
 それで出来た決まりのようだ。今でこそ鉱物の一部が宇宙船の燃料として取り引きされるようになったので、なんぼか生活にゆとりが出てきたが、一昔前までは限られた水源を皆で分け合い、ぎりぎりの生活をしていた。なにしろ土地は砂地、水をいくら与えても直ぐに浸透してしまう。

 床は早めに用意された。だが床に着いてもなかなか眠れない。今日は朝から一体何十人の人に会ったのだろう。頭の中は既に飽和状態、顔と名前と職業が一致しない。ホルヘは少しずつ覚えればよいと言ってはくれたものの、だいいちどの顔も同じに見える。ほとんど特徴もない顔。だがボイ人にすればネルガル人の顔も皆同じに見えるそうだ。お互いまだ見慣れていないせいか、輪郭を掴むこつがわからない。
「眠れませんか」と、ルカの唯一の侍女であるモリーが暖かい飲み物を持って来てくれた。
「姫はどうなされておられるのでしょうか」
「式が決まった以上、式までは同席しないのがこの星の決まりのようです」
 最後の親子水入らずの日々を楽しむという習慣のようだ。

 次の日も午前中までは昨日と同じようだった。いろいろな人たちが代わり番にやって来ては挨拶をして行く。だが午後からはパタリと暇になった。
 ルカは縁側にすわると、シモンからもらった茶色の縫いぐるみに話しかけていた。ルカはネルガル星を発つ時からこの縫いぐるみを肌身離さず持っている。リンネルが不思議に思い尋ねると、
「シモン嬢から頂いたものです。姫様の前では母からということにしておいて下さい」と言うだけだった。


 その頃、ボイの王女は退屈していた。
「ねぇー、ルイ。二日目だというのに挨拶にも来ないなんて、不思議だとおもいません」と、侍女のルイに話しかける。
「しかしそれはネルガルの決まりで、式まではお会いしないということだそうで」
「でも」と、王女は納得行かない。
 確かにプロフィールは受け取った。キネラオたちが後から持って来てくれたメモリーボックスもなかなか面白かった。だが式まで一度も会わないなんて。
「ねぇ、ルイ」
 王女は侍女を近くへ手招く。
 こういう時の王女は、ろくなことを考えていないということをルイは長年の付き合いから知っていた。いたずらの前兆。
「何ですか」と、警戒しながら近づく侍女に王女は耳打ちした。
「そっ、そんな! いけません」
「少しよ、ほんの少し」と、王女は親指と人差し指で一センチにも満たない隙間を作り顔の前に掲げる。
「垣根の間からお姿を見るだけだから、ねぇ、付き合って」
 今度は拝むように両手を合わせてきた。
 こんな時、反対しても無駄なことも経験済み。下手に反対すれば、王女一人でもやりかねない。
「わかりました、ほんの少しですよ。お姿を拝見なされたら直ぐに邸にお戻りになられると約束して下さい」
「わかりました」と、王女は嬉しそうに言う。
 ルイはその返事を疑いながらも手伝ってしまう自分が情けなかった。もう少し自分がしっかりしなければと思いつつ。
 二人は町娘の恰好をして邸を出た。植木職人の恰好をさせた従者を二人従えて。
「ここら辺かしら」
 離れを囲む塀の一角に佇む。
「庭に出られておられるといいですね」
「今日はよいお天気ですから、日光浴でもしているかもしれなくてよ」
 王女の目はまるで子供のような悪戯っぽい光を放っている。
 ルイはやれやれと思いながらも、
「申し訳ありませんが、台になってもらえますか」と、従者に言う。
 そのために連れてこられたことを知っている従者は、しぶしぶ土の上に膝を付いた。
「よろしいのですか、こんなことして。後で叱られるのは我々なのですよ」
「心配いりません。口が裂けてもあなた方のせいには致しませんから」と、王女はきっぱりと言うが、やはり注意されるのは従者たちのほうである。
 王女は従者の背中に上り邸の中を覗くが、塀より伸びた植え込みが邪魔でよく見えない。
「どうですか」と、ルイ。
「もう少し高くなりません」と、王女。
 結局、肩車をするような恰好で従者の肩に足を掛け、塀によじ登ってしまった。
「危ないですよ」と、注意する従者たちの声も聞かず、
「おりましたよ」と、王女は嬉しげに言う。
「本当ですか」
 ここまで来ては好奇心には勝てない。止める立場のルイも王女と一緒になって塀に登った。
「本当ですわ、縫いぐるみなど抱えて、かわいらしい」
「まだ、七つですものね」
 王女はもっとよく見ようと体を載りだし、近くの枝を掴んだ。
「もう降りて下さい」と言う従者の声を無視し、ルイを招く。
「こっちの方がよく見えますよ」
 その時だった。
「そこで、何をしている」と誰何の声。
 あっ! と思った瞬間、二人の体重を支えきれなくなった枝は折れ、王女と侍女は庭の中へ落ちた。
 その時の悲鳴が悪かった。ルカを始め数名の守衛が駆け付けて来た。
「痛たぁー」
「何者だ!」という声の後ろから、
「これはこれは」と、呑気な声がかかった。
「ハルメンスさん、お知り合いですか」
 ルカはハルメンスから視線を外すと、草むらの中に上半身だけ起こしている女性を見た。スカートは引き裂かれ、覗いている足から血が滲んでいる。
「怪我をしておられるのですね、モリー、薬箱を」
「いや、薬はよした方がよい」
 ハルメンスは長年の経験から知っていた。自分たちに効く薬が、異星人に効くとは限らないことを。それどころか過度のアレルギー反応を起こさせショック死させてしまうことすらある。
「ネルガル人の薬がボイ人に効くとは限りません。かえって化膿させ、式の時にびっこをひかれましても困りますから。水で洗う程度にされたほうがよろしいかと存じます」
「そうですね」と、ルカは言いつつも、式のという言葉に引っかかった。
 ルカはハルメンスをゆっくり見上げる。そして娘へと視線を移した。
 上品でお淑やかな方だとは使者の方々から聞いていた。だがキネラオとホルヘたちはそのようなことは一度も口にしなかった。ただ聡明な方だとは何度か口にはしたが。
 シナカは慌てて切れたスカートで足を隠すと、
「枝が悪いのです。折れたりするから」
「姫様、お怪我は」と、一緒に落ちてきたもう一人の娘は、自分のことより王女の体を心配しているようだ。
 それで色が少しくすんでいる方が王女なのかと、ルカは判断した。
 そこへ外から二人の庭師を引き連れて守衛たちがやって来た。
「殿下、曲者です。どう致しますか。それと仲間が庭に潜入したみたいですが」
 どうやら庭師たちは王女の身分を守衛たちに明かしてはいないようだ。
 ルカはにっこりすると、
「放して差し上げなさい」
「しかし」と、守衛は困った顔をする。
 リンネル大佐の留守中、殿下の身にもしものことがあったら。
「それより、お怪我をされておられますので、薬があれば」
 ルカがそう言うが早いか、庭師の格好をした二人の従者は、
「姫! どこか撃たれたのですか」と、王女に駆け寄る。
「姫?」
 ネルガルの守衛たちは唖然とした。
「申し訳ありません」と、ルイは頭を下げる。
「それより傷の手当を」
「こんな掠り傷、たいしたことありません。いつものことですから」と、シナカはルカの侍女が持ってきてくれた桶の水にスカートの裾を浸すと、それで傷口を拭き始めた。
「私が」と、ルイが王女の傷口を拭いてやろうとすると、
「あなたの方が酷い怪我をしているわ」と言いつつ、ルイの腕の傷口を自分のスカートで拭く。
 ルイはたかだか数メートル高さでも受身を取り、王女の下に回り込んでいた。そのため王女はルイの上に落ちるような形になった。おそらく彼女一人なら怪我など負わなかったことだろう。お陰で王女はたいした怪我もせずに済んだのだが、下敷きになったルイは受身を取った腕を大きく擦りむいてしまった。
「いつものことなのですか」と、ルカが聞き返すと、
 ハルメンスがいかにも楽しそうに笑った。
 それを見てシナカはむっとし、
「無礼であろう」と、ハルメンスを睨む。
「無礼なのはどちらですか、姫様」と、ハルメンスは言い返す。
 二人が睨み合っていると、一人の守衛が仲裁に入る。
「まあ、よいではありませんか。昔から殿下の邸は、正門から客人が出入りしたことがない」
「そうそう、よい客人ほど、塀を登ったり潜ったりして来るんだ。正門から来る客はろくな客じゃない」
 これには今度はボイ人の方が驚いた。どういう意味だろうかと。
 そこへキネラオがやって来た。シナカを見るや否や、
「姫!」と、駆け寄る。
 シナカはキネラオの小言を制するかのように、
「少し、お姿をと思いまして」
「これが、少しなのですか」
「仕方ないでしょ。枝が折れてしまったのですから。あんな細い木を植えておくのが悪いのです」
 シナカはつんと脹れて横を向く。
 折れた枝元には、スカートの端切れが風になびいていた。
 やれやれとキネラオは大きな溜め息を吐く。だから決してお淑やかという言葉だけは口にはできなかった。それではこの誠実なネルガルの王子を騙すことになるから。
「どうして邸でおとなしく」
「だって式まで会えないなんて。いろいろとお話がしたいではありませんか」
「しかしそれはネルガル星の決まりで」
「ネルガル星の決まり?」
 ルカは首を傾げる。
「はい。式まではお会いにならないというのがネルガル星の慣習だとお聞きしました」
 ルカは怪訝そうな顔をしてハルメンスの方に振り向いた。婚礼に関する慣習的な儀式をルカは知らない。ボイ式でやるものかとばかり思っていたから、ネルガルのそれは調べもしなかった。実際それどころではなかった。情報部や軍部のデーターをハッキングするのが忙しくて。
「いや、ネルガルにはそういう慣習はない。私はてっきりボイの慣習かと思っていたが」
 ルカもそれには同感だった。
 彼らの仕業か。とルカは内心舌打ちする。私が王女の姿を見て婚礼を拒否するとでも。
「そんなに私が信用できないのか」
 ルカは彼らに抗議しようと歩き出したところをレイに止められる。
 レイは首を左右に振ると、
「今、彼らともめるのは得策ではありません。式が済めば彼らはネルガルに戻るのですから」
 それまでの辛抱。
「でも、しかし」
 ルカは納得いかない。
「彼らにしてみれば式が滞りなく済むことが大切なのであって、お二人の気持ちのことなどはなから眼中にありませんから。式までお二人を合わせずに置き、式が済めばその結果をネルガルに持ち帰る。これが一番もめごとの少ないやり方なのでしょう」
 会って好きだの嫌いだのと言われても始まらない。まして生理的に好きになれないなどと言われても。それよりも会わずに式を挙げてしまう方が早い。
「そういうものなのですか」
 ルカにはまだ実感がない。これらのことを理解するにはルカは幼すぎた。
 王女たちの手当ては、いつの間にかオリガーが来てやっていた。
「オリガー、薬」と、ルカが慌てると、
「これはボイの消毒液です。残念ながらネルガル人には効きませんが、ボイ人にはよく効くようです」
 何時の間にそのような知識をと思っているルカに、
「私は医者ですから。もしお二人で遊びに出られて怪我でもされたら困るでしょう。ボイの医師がいなかったために手遅れになったなんて言われたくありませんから」
 オリガーは自分が医師であることを自負している。
 そこへキネラオが呼んだ医師が駆けつけてくる。一通り王女の傷口を確認すると、その手当ての見事さに敬意を払った。
「これでしたら、もう私のやることは何も御座いません。ネルガルの王子様には、素晴らしい医師がお付きとお見受けいたしました」
 姫の傷もたいしたことがないとわかると、ルカは平常心を取り戻しハルメンスに問う。何故、ここに居るのかと。
「何か私に御用でしたか?」
「いや、別にこれと言った用はないのですが、殿下が暇を持て余しておられるのではないかと思いまして」
 どうやら様子見、兼、遊びに来たようだ。
「あいにく暇でもないのです」
「そうらしいですね、空から客人が来るようでは」
 その言葉にシナカはむっとする。
 ハルメンスはそんな姫の反応を無視し、
「どうですか姫様、せっかく起こしになられたのですからゆっくりされては。美味しいお菓子を持って来たのです。殿下が暇なようでしたら一緒にお茶でもと思ったのですが、今日のところは引き上げますので」
 そう言ってクロードに持たせておいた菓子箱をモリーに手渡させる。
「しかし」と、困った声を出したのは庭師の恰好をさせられている従者だった。
「姫様が邸に居ないと知れたら」
「その心配はいりません」と、シナカはきっぱりと言った。
 それにはルイも頷く。
「姫の放浪癖は今に始まったことではないのです」
 二、三日居なくなったところで、今では誰も心配しなくなった。その内帰って来るだろうと。
「しかし、こちらの身にもなってくださいよ」
 そうはいえ、やはり注意されるのは従者たちだ。もっとしっかり見張っていてもらわなければ困ると。
 ルカは従者と姫のやりとりを黙って聞いていた。
 キネラオは恥ずかしくて顔を覆いたかった。このおてんばさえなければ。
「それはそれは、よい趣味をお持ちですね。まるで誰かさんとそっくりです。趣味が同じではさぞかし気も合われることでしょう」
「それはどういう意味でしょうか、ハルメンスさん」
「あれ、私はまだ誰とも言ってはおりませんのに、そう仰せになるところをみますと、殿下には何やらお心当たりでも」
 ハルメンスは澄まし顔で言う。
 罠にかかったとルカは思いつつも、
「最初に誘ったのはあなたではありませんか」
 そう、最初に町に連れ出したのはハルメンスだった。彼とスラム街を歩いた。王宮の庭園しか知らなかったルカにはショックの連続だった。足がすくんで歩けなくもなった。ネルガルにこんな所があったなんて、しかも自分の住んでいる王宮の直ぐ近く、堀を隔てた反対側。彼らはあそこからあの煌びやかな王宮を見て、何を思っていたのだろう。それから時折り、ハルメンスに頼んではいろいろな町に連れて行ってもらった。ネルガルの実情が知りたかったから、データー化されたものではなく、生の声を聞きたかったから。
 無論、友達も出来た。こちらから何も言わなければ、向こうがかってにこちらの身分を憶測した。
「どっちから来たんだ」
「あっち」
「何処へ行くんだ」
「こっち」
 ルカは適当に指を差す。
「馬鹿じゃないのか、こいつ」
「お前、親は?」
「きっと戦争で亡くしたのよ、行く当てもないんじゃないの」
「だがそれにしちゃ、ましな恰好してるじゃないか」
 ハルメンスが用意してくれた街着は小奇麗なものだった。
「泊まるところあるの?」
 ルカは頷く。
 そして暫くするとハルメンスが迎えに来てくれる。
 彼を見て子供たちは、人買いじゃないかと囁く。
「あいつ、きれいだったからな」
 今頃あの子たちはどうしているだろう。

 そこへホルヘが侍女を二人従えてやって来た。どうやら着替えを持って来たようだ。
「あら、ホルヘまで。奇遇ですね」
「あら、ではありません姫様。どういうおもつりなのですか」
 そう言ってルイを睨む。
「ルイは悪くないわ、私が強引に」
「そうでしょう」
「だったら、ルイを叱らないで」
「申し訳ありません。私がお止めすれば」
「とにかくそのような姿ではなんですから、部屋を借りて」
 そう言うとホルヘはルカの方に向き直り、深々と詫びる。
「いいえ、私の館は塀から出入りするのは恒例になっておりますから」
 守衛たちはカロルのことを思い出し、ほのかに笑う。
 ホルヘはバッグを侍女たちに渡すと奥へ行って着替えてくるように促し、もう一度ルカに謝罪した。
 ハルメンスは頃合を見て立ち去る。
「あの方は?」
「ハルメンス公爵です。私の親友の一人で貿易商を営んでおります。ボイとの国交が成立し自由貿易が始まるのを前に、挨拶に見えたようです」
 モリーは庭にテーブルを用意し始めた。そこに先程ハルメンスが持って来てくれた菓子を並べ、お茶をセットし始める。
 王女とルイが服装を整えてやって来る。先程とは見違える美しさ。
 だが王女の開口一番は、
「先程の無礼な男は誰?」
 辺りを見回し姿が見えないので、
「何処へ行ったのかしら」と、訊く。
「姫、無礼なのは姫様の方ですよ」
「あの男は、私が空から降ってきたように言ったのですよ」
「違うのですか」と、キネラオ。
「あんな折れやすい植え込みをしておくのが悪いのです」
 どうやらここは譲る気がないようだ。
 モリーはくすくす笑う。
「勝気なところも、殿下に似ておりますね」
「私は、あれ程ではないと思いますが」
「いや、いい勝負だ」
 いつの間にかハルガンが傍にいた。どうやら何処かで一部始終を見ていたようだ。
「王女様、ネルガルのお茶ですが、用意が出来ましたのでいかがですか」
 モリーはさりげなく声をかける。どうやら勝ち気な相手の仲裁はルカで経験済みとみえ、すんなりと姫の機嫌を変えてしまった。
「ネルガルのお茶ですか」
 興味津々に近寄って来る。
 王女は成人、ルカは子供、並んで立てば見上げるよう。それでなくともボイ人の平均身長はネルガル人のそれより少し高かった。ルカの身長はシナカの胸ぐらいしかない。
 どういう形式で式が執り行われるのかしらないが、ネルガル式にバージンロードを歩かされた時には笑いものだ。
「王女様、こちらへ」と、モリーはシナカのために椅子を引く。
 それから、
「ルイさんでしたか、よろしければお隣へ」と、もう一つの椅子を引いた。
「私も、よろしいのですか」
「その方がよろしいかと存じまして」
 ルカは二人が腰掛けると自分も席に着いた。
 立っていた時の身長差は座ってもたいして変わらない。自ずと視線がずれてしまう。
 それを見かねて守衛の一人が、本当にこれは親切心から出た言葉なのだが、
「殿下、チャイルドチェアー、持って来ましょうか」
 ルカはむっとするとその守衛を睨みつけ、
「いりません。私は幼児ではありません」
「無理するな」と、言ったのはハルガンだった。
 傍らに立つハルガンを睨み付けると、
「後で、覚えておけ」と、小声で一言。
 ハルガンは両手を広げ、肩をすくめて見せた。
 モリーはさっそくハルメンスからいただいた菓子を、シナカ、ルイ、ルカの順に
切り分けた。
「残りはあちらの方々へ」と、ルカは縁側の方にいる侍女と従者を指し示す。
「モリーも一緒にいただくといいですよ」
「では、お言葉に甘えまして」と、モリーは残りの菓子を持って縁側の方へ行き、向こうにもお茶の用意をした。
 ハルガンは王女の背後に控えているキネラオとホルヘを見ると、
「お前らも向こうへ行って食ったらどうだ」
「しかし」と、キネラオはためらった。
「俺たちが、王女に何かするとでも?」
「いえ、その逆です。姫様は破天荒な方ですので」
 ハルガンは笑う。
「それなら心配ない。何故か知らんが、こいつの周りには破天荒な奴しかいない」
 ルカはむっとするようにハルガンを見ると、
「その中でもあなたが一番」と、言い掛けた時、
「まあ、その中でも俺が一番ましか」と、ハルガンは顎に手をあてながらルカの言葉を制するように言う。
「怖いですよね、自分を知らないということは。何故かしりませんけど、一番破天荒な者に限り、自分が一番まともだと思っているのですから」
 シナカは笑った。
 キネラオやホルヘから王子の性格は聞いていた。大人の中でお育ちになられましたから。
今、その意味がわかったような気がする。
「まあとにかく、無粋な男が背後に立っていては話もできなかろう」と、ハルガンはキネラオたちの方に話題を振った。
 そこへ守衛の一人が走り込んで来た。
「大佐が戻られました。宮内部の奴等と一緒に」
 言葉遣いが前と後ろではかなり違う。
「まずいですね」
 ルカはハルガンとすばやく視線を交わすと、
「王女直属の侍女がお見えになって、新居の打ち合わせをしているとでも言ってもらえませんか。用件でしたら後日聞きますと」
「任せておけ、うまくおっ帰してやる」
 そう言うとハルガンはキネラオたちの方へ視線を移し、
「お前らも向こうへ行け」と、縁側の方を顎でしゃくる。少しは気を利かせろと言いたげに。

 ハルガンと入れ違いのようにリンネル大佐だけがやって来た。
「ただいま戻りました」
「ご苦労様でした」
「お客様だそうで」
 そう言ってルカの前に座るボイ人二人を見る。
「シナカ王女と侍女のルイさんです」
「シナカ王女?」
 侍女が見えているとは聞いたが、王女様もご一緒だったとは一言も。
 リンネルは改めて紹介された女性を見、ネルガル式に深々と頭を下げる。
「リンネル・カスパロフ・ラバに御座います。初めまして」
「こちらこそ初めまして、リンネル大佐」と、シナカは守衛たちが呼ぶようにリンネルをネルガル語で呼んだ。この方が王子の侍従武官。
 どうやってここへ。というリンネルの疑問の顔に、ルカが答えた。
「カルロさん方式で」
「はぁ?」 その後なんと答えたらよいかリンネルは言葉に詰まった。
 破天荒な方だとは噂に聞いたが。
「リンネル。報告は後で聞きます」
「畏まりました」と、リンネルはこの場はいったん退出した。
 どう対応するかは、まず事情を部下から詳しく聞いてからだ。

「真面目そうな方ですね」
 これが王女のリンネルに対する第一印象のようだ。
「真面目そうではなく、本当に真面目なのです」
 困ったぐらいというのはルカの顔を見ればわかった。シナカにもキネラオという生真面目な人物が傍にいて困っているぐらいだから。
「ハルガン曹長とは正反対ですね」
「やはり、わかりますか」と、ルカは周りに聞こえないように声を潜めて言う。
「何てお呼びしたらよろしいのかしら」
「私のことですか」
「ええ」
「ルカで結構です」
「私はシナカ。よろしくね」と、彼女は手を伸ばしてきた。
 ルカはその手を握る。体温が同じぐらいなのか暖かい感じがした。
 結局ルカはシナカさんと呼ぶことにした。年上のこともあり呼び捨てにするには気が咎める。
「その縫いぐるみ、大事そうですね」
 自分の椅子の隣に座らせてある縫いぐるみ。ルカは宇宙船に乗る時からこの縫いぐるみを手放さない。
「母から頂いたものなのです」
「けっこう、マザコンなのね」
「そういう訳でもありませんが、母から頂いたのはこれしかありませんので」
「姫様、殿下はまだ七つなのですから。お母さんが恋しいお年です」
「そうね、私も七つの頃は」
 シナカは思い出すかのように視線を宙に遊ばせる。
「申し訳ありません。少しずつ慣れますので」
「気にすることないわ、私の方こそ、失礼なことを言ってしまったわ」
 これでこの縫いぐるみを大事にすることは公認になった。
「ねっ、ネルガルの王宮ってどのような感じなの? とても豪華だとキネラオとホルヘからは聞きましたが」
 ルカは困った顔をする。
「私はあまり自分の館から出たことがないのでよく知らないのです。もうご存知かとは存じますが、ネルガルには王子にも階級がありまして、私などは王宮の出入りを自由には許されておりませんでしたので、かえって先程のハルメンス公爵の方が自由だったと思います。彼の母は現皇帝の姉君であられますし、父は先代皇帝の弟君であらせられますから」
 叔父と姪の結婚。
「私などよりもは血がしっかりしておられます」
「でも、あなたは神の子だと聞きました」
 それにもルカは困った顔をした。
「それは母が巫女だったと言うだけで、私は何も」と、ルカは軽く肩をすくめて見せる。
「もし私が神の子でしたら、もう何らかの兆候があってもよさそうなものですが、今のところ私には何も変わったところはありません。普通の人間です」
 シナカはまじまじと目の前の小さな王子を見た。最初、色が白いと聞いて死体を連想した。プロフィールもパッとしない。もっとも後から届いたのは別だが。だが実際こうやって会ってみると、透けるような肌の白さが不思議と美しく思える。それにグリーンの瞳。まるで深い森を思わせるような。ボイ星では森は貴重だ。
「綺麗な瞳ね。ボイ人にはグリーンの瞳なんて初めてだから、なんか羨ましい。その紅い髪にとても合っているわ」
 シナカの瞳は真っ黒で黒真珠のようだった。
「有難う御座います。私は、昔から黒い瞳の女性に憧れていたのです」
 ネルガルにはなかなかいない。大概は茶か青が多い。確かハルガンの瞳は青。リンネルは黒だが、どんなに黒くっても茶が混じっている。これほど黒い瞳には滅多に合えない。だが何故かルカは黒い瞳が好きだった。そう、あの幻の青い髪の少女は真っ黒な瞳をしている。丁度この人のような。
「黒い瞳が好きなのですか」
 ルカは頷く。
「ネルガルにはあまり居ないのですけど」
 ボイ人は大概黒い瞳だ。
 それから二人、いやルイを入れて三人はたわいのない話を止めどもなく話した。ボイ星のことやネルガル星のこともふまえて。

 それを木陰でじっとヨウカは見詰めている。
「ヨウカ殿」
 ハルガンたちから事情を聞いたリンネルは、そんなヨウカを見つけ慌てて駆け寄る。
(心配いらん。わらわの姿はお前にしか見えん。それよりどうじゃ。綺麗じゃろ、エルシア)と、ヨウカはルカの方に顎をしゃくった。
 ヨウカにそう言われてリンネルもルカをまじまじと見る。
 そう言われれば確かに。どこがどうと言うわけではないが、ネルガルにいた時よりもよりいっそう美しくなったような。
「何か、なされたのですか」
 媚を自由に操る化け物。
(少しな。美しい子は好かれるからの。じゃが、わらわが何かしたと言うよりもエルシア自身が輝きだしておるのじゃ。この星はネルガルより気が澄んでおるからのー、呼吸が楽になったのじゃろう)
 水が少ないため喉の渇きは訴えたが、気はネルガルよりはるかに澄み渡っている。
(魂が輝きだした。本当はもっと美しいのじゃエルシアは。目で見ることができんぐらいにのー、眩しく輝くのじゃ。白い淡い光に包まれておるようにな)
 ヨウカは暫し昔に気を馳せているようだったが、ふと現実に戻ると、
(それに、あの女子はよい。イシュタルでもあれだけの魂を持った女子にはなかなか会えんわ)
 しみじみ感じ入ったようにシナオを見詰める。
 この化け物、否、ヨウカさんをもってこう言わせるボイの王女。一体、どのようなお方なのだろう。
 そこへ守衛の一人が駆け込んで来る。
「大佐!」
 リンネルは一瞬ヨウカの方を見たが、ヨウカは平然な顔をしてそこに佇んでいる。
「今、ボイのお城の方々が」
 正面玄関に押しかけているようだ。
 リンネルは慌てて正面玄関へ向かう。
「姫は、こちらにおられるそうで」
 屈強そうな老女が数名の侍女を従えて立っている。
 何処から事情が漏れたのか、騒ぎは大きくなっているようだ。おそらくホルヘが姫のクローゼットを侍女に物色させたのがいけなかったのだろう、気づかれてしまった。
「姫のところへ案内して下さいませ」
 言うが早いか、既に邸に上がり込んでいた。
 案内なしで姫のところまでたどり着く。まあ無理もない。そもそも彼らの邸なのだから、間取りは知り尽くしている。
「姫!」
「婆や!」
 婆やと呼ばれた老女は、ルカの方に深々と頭を下げると、
「奥の部屋をお貸しくださいませ。急いで着替えさせますので」
 着替えって、既に。と思っているルカを横目に、老女はシナカをひっくくるように連れて行った。
 ボカンとしているルカの所にキレラオがやって来て、
「申し訳ありません。お見苦しいところをお見せいたしまして」
「いいえ、でも着替えなら」
 先程ホルヘが持ってきてくれた服に着替えたばかりなのだが、また着替えるなんて。ここら辺は男には理解しがたい女性特有の行動。ましてルカのように服など身に付いていればよい主義には。
 シナカが着替えている間、キネラオは姫を庇っての言い訳を言い出した。
「姫様は悪気はないのです。ただ邸でじっとなされているのがお好きではないようでして、ときおり邸を抜け出すので侍女たちが困り果てております」
「そうですか」
 ルカも時折ハルメンスに誘われて館を抜け出したことがある。皆が困っていたのだろうか。
 暫くすると綺麗に着飾ったシナカが現われた。刺繍といい装飾品といい、今までの服装とはまるで違っていた。ボイの技術の推移を結集したという感じの手の込んだ衣装。だがそれが嫌味にならない。それどころかシナカの美しさをいっそう際立たせた。どうやらホルヘが持って来たのは侍女の服だったのか?
 綺麗に着飾ったわりにはシナカに先程までの元気がない。どうやら老女にさんざん小言でも言われたのだろう。
 老女はルカの前にひれ伏すと、
「大変お騒がせ致しました。このご無礼は平にお許しくださいませ。私は侍女頭のウムギと申します。今後お二人のお世話をさせて頂くことになっております。よろしくお願いいたします」と、従って来た数名の侍女たちとともに頭を下げた。
「いえ、こちらこそよろしくお願いいたします」と、ルカは座敷に上がると彼女たちと同じように座り頭を下げる。
 シナカは驚いたようにルカを見る。腰の低い王子だとはキネラオたちから聞いていた。
「あら、いいのよ、そんなことしなくとも。あなたはこれからこの者たちの主になるのですから」
「でも、まだ主ではありませんから」
「まあ、ネルガル人らしくないこと」と、シナカは笑う。
「私がですか」
「ネルガル人はもっと傲慢なのかとばかり思っていたわ」
 シナカがそう言うと、すかさず「姫様!」と言う老女の忠告の声。
 ルカはそれを無視するかのように穏やかに話し出す。
「大半のネルガル人は私の様なのですよ。ただ一部のネルガル人が。人は良い方より悪い方へ目が行きがちですから」
「それって、さり気なく私を非難しているの」
「非難なんて、とんでもありません。ただかなりネルガル人を誤解しておられるようですので、ここら辺で修正してくださればと思いまして」
 ネルガル人の九十パーセント近くが平民。残り十パーセントが貴族。その十パーセントが国民の所得の八割近くを占める。これがネルガル。そしてこの十パーセントの貴族の一部の行動がネルガルを代表している。
「おもしろい方ですね、あなたって」
 キネラオともホルヘとも違う。だが確かに頭はいいのかも。
「いつも、そのような装いを?」
「いいえ、これは特別よ。婆やが正装の服を持って来たのよ。毎日こんな服着ていたら、体が疲れるわ」
「でも、とてもよくお似合いです」
 赤い肌に黄色みかかった青い服は綺麗だった。しかも織りが複雑なせいで独特な光沢を放つ。
「ありがとう」
 シナカは侍女たちの方を向くと、
「二人だけで話がしたいの。席を外してくれませんか」
「しかし」と言う老女は席を立たない。
 先程のようなことを言われては。まだ相手が幼く怒らなかったからよかったものの、少し気の短い殿方でしたら。
 だがシナカは老女の心配をよそに、
「心配いりません、婆や。婆やの悪口は言いませんから」
 老女は何か言いたげだったが、ネルガルの王子の手前、やれやれと言う顔をしただけでその場を引き上げた。その分、キネラオとホルヘに当たる。
「あなた方、二人までが付いておられて」
 結局キネラオとホルヘがいたお陰でルイへの風当たりは弱くなった。

 老女を体裁よく追い払ったシナカはくすくすと笑う。
「やっといなくなったわ」と、シナカは小声で言う。
「どこにでもいるのですね、うるさい方って」
 えっ。と思いシナカはルカを見た。
「私の所にもああいう方がおりまして、あまり煩いもので、ネルガルにおいて来ました」
「いいわね、他の星へ嫁ぐと言うことはそういうことができて。私は彼女の小言から永遠に逃れられないわ」
 でも彼女たちがどれほど自分を愛してくれているかということも、二人は痛いほど知っていた。
「そうですね。逃れられない以上、彼女の血圧をあまり上げないようにして差し上げなければ、長生きしてくださらないと困りますから」
「まあ、面白いこと言うのね」と、シナカはまた笑う。
 彼女たちが自分たちに注意してくれなければ、他に注意してくれるものは誰もいない。二人にとって自分たちに小言を言ってくれる人物は貴重な存在。
 二人は気が合うのか、時折くすくす笑いながら話を続けている。
 襖の影からその様子を伺いながら、侍女たちはほっとする。
「ネルガル人と聞いて、どのような殿方かと思っておりましたが、あのような方でしたら」
「ですが、あれでは姉弟という感じですね」
 どう見ても夫婦には見えない。
「仕方ありません。まだ相手は七つなのですから」
「姫がかわいそう」
「そうでもないのではありませんか。あんな楽しそうな姫をお見受けするのは久しぶりですもの」
 ネルガルの脅威が囁かれるようになってから、指導的立場にある者たちの顔は暗くなった。それはシナカも肌で感じていた。ボイの将来を思うと、つい話題が暗くなる。そんな折だった、ネルガルからの和平の交渉が届いたのは。
「それにあの小さな王子様も、何時までも子供ではおりませんもの。後十年もすればりっぱな青年よ」
「そうですね」

 庭の片隅にはネルガルの守衛たちが集まって来ていた。
「まいったな」
「まさかボイまで来て、垣根越しに来客があるとは思ってもみなかったぜ」
「何で、殿下の客人というのはまともに正面玄関から入ってこられねぇーんだろーな」
「ありゃ、そうとうな跳っ返りだぞな。先が思いやられるぜ」
 リンネルは咳払いをした。
 誰が聞いているかわからないのに大きな声で王女の品評をしている部下たち。
「少しは言葉を慎め、ここはネルガルではないのだぞ」
 不敬罪などと言われた時には、殿下にまで迷惑がかかる。
 跳っ返りか。しかしヨウカさんはよい女子だと言っていた。イシュタルでもめったにいない。
 イシュタル。悪魔が棲むと言われている星。やはりエルシア様はイシュタルと何か関係がおありなのだろうか。
 だがイシュタルも、ここ二百年の間にネルガルの完全な支配化に入った。これと言った抵抗もなく。ネルガルの軍隊がイシュタルに入って真っ先にやったことは、青髪狩りだった。イシュタルには青い髪の者が多い。とは言え、人口の割合からすれば遥かにその数は少ない。一万人に一人以下ぐらいの確立で生れてくるのだが、それでもネルガルに比べればかなり居る。もっともネルガルでは青い髪の子は生れると直ぐに殺される。災いを招くと言って。今でも続く風習。イシュタルでは青い髪の者は老若男女を問わず、ネルガルの軍隊によって皆殺しにされたらしい、彼らを匿った者も。
 一体彼らが何をしたと言うのだ。髪が青いだけで殺されるなどと哀れなことだ。そう言うリンネルは、今だかつてリンネルは青い髪の人物に会ったことはない。


 式は、他の九つのコロニーからも客人を招き滞りなく速やかに行われた。
 余りにも小さな花婿に、ボイの国民は本心から喜んでよいのだろうかと迷いは隠せない様子だったが、それでも王女の美しさと式の華やかさには誰もが酔いしれていた。
 式の間の三日三晩は星中の者達が寝ずに騒いでいた。護衛の者たちにも酒が振舞われ、特にリンネルの部下たちは護衛ができるような状態ではなかった。それどころか、自分のからだすら護衛できない。
「おい、そこ気をつけろよ」と言っている矢先に物にぶつかり倒れ、これ幸いに寝込んでしまうありさまだった。
 その周りに座り込む。
「しかしよー、二人を並べて座らせたのは不味かった。あれじゃなー」
「どう見たって、親子だ」
「まあ、そこまではいかなくともよ」
「ボイに着くまで時間があったのだから、首と足持って引っ張っておけばよかったかな。そうすりゃ、もう少し背が伸びていたかもよ」
「おい、七つで一メーター七十もある方が気味悪いぜ」
「やれやれ」と、守衛たちは溜め息を吐いた。
 やはり自分の主は見栄えがよいに越したことはない。しかし今夜の式だけは、年齢差はどうにもならなかった。
「それより」と、一人の守衛が仲間たちに近寄るように合図し、声を潜めた。
「問題は、今夜だぜ」
 既にルカとシナカの姿は会場にはなかった。
「夫婦ともなれば、あの、その、あれだよな」
「おい、誰か教えてやったのか」
 皆が首を横に振る。
「そういうのって、ハルガン曹長の専売特許じゃないですか」
「でも曹長も、けっこうあれで口だけだからな」
「大丈夫なのかな」
「俺、明日、殿下に訊いてみよう」
「おい、余計なこと訊くなよ」


 ハッ、ハックション、ハックション。
「風邪ですか、ボイの気候はネルガルとは違いますから」
「いや、これは風邪などではない。誰かが俺の悪口を」
 ハルガンは既にボイの女性と床入りしていた。
「言っておくが、俺はこういうことになっても」
「ええ、わかっております。あなたのお噂でしたらネルガルで」
「知ってて俺を誘ったのか。ボイは一夫一妻だと聞いたが」
「それは表向き」と、女性は笑う。
 ハルガンは女性から水割りを受け取ると、
「それを聞いて安心したぜ。女性を枕にしなければ寝られないこんな俺でもこの星で生きられると」
 どんな星でも男女の仲が台本どおり進むことはない。男女の仲だけは本能が支配するものだ。これはハルガンのモットー。


「うまくいったようだな」と言ったのはボイの閣僚の一人、ウンコク。
「それはいかがなものでしょう。ハルガンという男、私が思うに一筋縄では。逆にベニーからこちらの情報を聞き出されてしまうのでは」
「キネラオ兄さん。ベニーはそんな口の軽い女では」
「いや、ベニーが口が軽いと言っている訳ではない。ただあの男の方が勝っていると言いたいだけだ」
「やめた方がいいな」
 はっきり否定したのはホルヘだった。
「影でこそこそやるよりもは、正々堂々と言ったほうがいい。その方があの方も態度をはっきりされるだろう」
「敵が敵の腹中に飛び込んできて、俺は敵だと言うものか」と、ウンコクは呆れたように言う。
「いや、あの王子なら言う」
 ホルヘは断言した。
「ホルヘ兄さん。兄さんネルガルへ行ってから少し変わられた」
「そうかな」
「あれほどネルガルを憎んでいたのに」
 ネルガルなどにボイ星は渡さないと言い張ったのはホルヘだった。この結婚も最後まで反対していた。なのに。
「とにかく、小細工が通用する相手ではないと思います」
 キネラオもある意味ホルヘに賛成している。ただホルヘほどあの王子を信じることはできないが。
 ウンコクたち閣僚が王子に会ったのはほんの一瞬だった。ボイ国王への挨拶といい、式の前に登城したものの、スケジュールは全てネルガルの方で組んできたため、挨拶も形式的なものだった。私語を交える隙もない。そのため大半の者はその姿を見るだけにとどまった。だが不思議と王女は、そんな王子を気に入っている。
「とにかく、どのような人柄なのか見極めない限りは、信用するわけにはまいりません」


 リンネルはルカの新居、新しく作られた池の辺に立っていた。そこはちょうど木の影になり新居の方からは見づらい位置になる。だがここから新居はよく見える。
 三日三晩の祭りも終わり、やっと静けさが戻って来た。
「こちらでしたか」
 レイが軽食を片手にやって来た。
「何も召し上がられていないのではと思いまして」
 リンネルは式の間ずっとルカの背後に控えていた。食事の時間はあったのだが、どうも喉を通らなかった。
「すまない」と言ってリンネルはそれを受け取ると、手ごろな岩の上に広げた。
 さすがに月が五つもあるせいか、ボイの夜は明るい。もっとも今は二つだ。先程まで三つあったのだが一つは沈んだようだ。今ある月も一つは満月に近いようだがもう一つはよく見ると半月のようだ。
「見張りを交代しましょうか」
「いや、今夜は眠れそうにないから」
「まったく、肝心な時に役に立たなくて申し訳ありません」
「いや、君のせいではないよ。しかし、連中の神経の図太さが羨ましい」と言いつつ、リンネルは笑う。
 守衛たちは周りのボイ人と片言のボイ語で話しながら、肩を叩きあって祝い酒を酌み交わしていた。リンネルも戦場ではその肝の据わり方は誰にも負けないのだが、どうもこういう社交儀礼は苦手だった。
 リンネルは小腹を満たすと、池を見詰める。
「しかし、不思議なものだ。今まで幾つかの惑星に行ったことがあるが、もっとも戦いのためだが、どの惑星にも似たり寄ったりの生物がいる。まるで我々は数十億年も前に同じ細胞から分裂したのだとでも言うように」
「実際、そうなのでしょうね」と、レイは答えた。
 そもそもネルガル人は、アパラの寿命を知り、アパラが膨張してネルガル星を飲み込む前にネルガルを脱出しなければならないと思ったのが、銀河に覇を唱えるもととなった。だがそれより遥か以前に生物は、一つの惑星が消滅しても、否、太陽系が、否、銀河が、消滅しても生きられるように、ウイルスや種子のような形でその分身をこの宇宙に撒き散らしているのではないかと思える。それらのウイルスは数十万光年という旅を続け、手ごろな惑星を見つけるとそこで繁殖する。それらが月日を経て現惑星のような生物へと進化した。一つの銀河が消滅しても他の銀河で生き続けられるように。現に千年も眠っていた種を台地に蒔き水を与えれば発芽する。つまりそのプロセスにはネルガル人が滅んでも、生物そのものは滅ばないという定理が成り立つ。
「おそらく三次元上の生物は、肉体の成分と作りは余り変わりはないのだろう」
 ネルガルの惑星上に存在する生物のどれかに似ているはずだ。
「と、申されますと」
 リンネルは微かに笑う。
 ヨウカのことを話したところで信じてはもらえない。もし彼女が四次元の生物なら、体の作りが我々と違っていてもおかしくはない。
「いや、何でもない。ところで、今動ける者は何人いるのだ」
「レスターが、今夜は自分が見張るから大佐は休まれるといいと申しておりました」
「そうか、では少し仮眠を取るか」
 不思議と奴がいるというだけで安心感が湧く。無口で愛想のない男だが不思議な奴だ。


 ルカが目を覚ますと、既にベッドの中にシナカの姿はなかった。ルカは慌てて飛び起きた。
 ボイ人は朝が早いと聞いてはいたが。
 とりあえず身だしなみだけは整えて居間に入ると、さわやかなお茶の香り。
「お早う御座います、あなた」
 シナカの方から声をかけられてしまった。
「お早う御座います、寝坊してしまい、申し訳ありません」
「いいのよ、もう少しごゆっくりしていて下さって、私の方が何時もより早く起きてしまったのですから。婆やにも迷惑かけてしまったわ」
 シナカが早く起き出したため、ウムギは慌ててお茶を用意した有様。
「眠れませんでしたか。申し訳ありませんが、私はぐっすり寝てしまいました」
 そう、本当にぐっすり寝ていた。シナカはその寝顔を暫く眺めていた。目を開けている時も美しいと思ったが、目を閉じている顔も美しかった。
「いいのよ、あまり気になさらなくて。ここ数日いろいろとありましたから、お疲れになられたのでしょう」
 そう言うとシナカは自分の隣に座るように促す。
 小さな体。ここ数日、よく頑張っていたと思う。私が七つの頃など、これほどおとならしく振舞えただろうか。
 ルカは申し訳なさそうにシナカの横に座る。
 ルイがお茶を注いでくれた。
「ボイのお茶ですが、目が覚められますよ」
 ルカは驚きのあまりすっかり目が覚めたと自分では思っていたが、見た目はそうでもないらしい。
「どうぞ」とシナカは促す。
 ルカはそっと手を伸ばしシナカが差し出したカップを受け取る。一口、口を付けると同時にシナカの肩越しに外を見た。
 朝日が美しい。そしてその光が池に映り、まるで池の底から光を放っているようだ。
 ルカはカップを置くと立ち出す。
「綺麗ですね」と言うと、テラスの方へ歩み出した。
 ルカは知らない。この池の経緯を。
 ルカとシナカの新居は、王宮の一画、湖に近いところに建てられることになった。なぜなら庭に水を引くためだ。ネルガルからの幾つかある条件の内の一つが、ルカ王子の新居には池を創ることだった。水の少ないボイ星では水の私物化は許されない。例え王といえども、自分の邸に池を創ることは認められない。そのようなことをして湖が枯れるようなことになっては一大事。だがネルガルの条件はボイの国情など考えていない。条件が一つでも欠けるようなら、この婚礼はなかったことにすると高飛車な態度。ボイの国民からも水の私物化反対の抗議を受け、一時は交渉決裂まで行きかけた。それから何度かの交渉を繰り返し、やっと今の形に落ち着いた。そのため新居の造営はかなり遅れた。今でも一部、大工が入っている有様だ。
 嬉しそうなルカの顔を見て、シナカはキネラオたちの報告を思い出す。そう言えばあのメモリーボックスにも。
 取扱説明書、その一。
 水が好きです。特に嫌なことなどがあると氷が張っているような池でも裸で飛び込みます。でも以外に体は丈夫で、それで風邪を引いたことはありません。心配なさいませんように。
 シナカは思わず思い出し微笑んでしまった。
 ルイも同じホォトグラフィーを見ていたのでシナカの笑みの意味がわかった。
「泳いでみませんか」
 ルカはシナカのその言葉に内心驚く。今、泳ぎたい心境に駆られていたのを見透かされたようで。
「いっ、いえ」
 それだけ答えるのが精一杯だった。
 ナンシーから厳重忠告を受けていた。
 結婚されるのですから、もう子供のような行動はお慎み下さい。あなたはネルガル人を代表して行かれるのですから。
 わっ、わかっております。居なくとも煩い奴だ。
 居ないからこそ、いっそうナンシーの教訓が生きてくるのかもしれない。
「いいのよ、遠慮なさらなくとも」
 ルカは訝しがる。
「誰かから、何か聞かれましたか?」
「とっ、仰いますと?」と、今度はシナカが不思議そうな顔をしてルカを見る。
「例えばハルガンとか」
 シナカは楽しそうに笑う。
 守衛たちとは友達のように親しく付き合っていると聞いていた。何か言われてはまずいことでも彼らは知っているのかしら。後で聞きだしてみよう。とシナカは思いながら、
「あの方々とはあなたに紹介された時お会いしただけです。以後、一度もまだお会いしておりませんが」
「それは、本当ですか」
 ルカは不審に思う。ハルガンなら真っ先に声をかけてくるのではないかと思っていたのだが。
「あっ、そういえば」
 やはりと、ルカは思った。
「ケリンさんと言われたかしら、あなたの書斎は何処になるのかと、一度尋ねてこられたことがあるわ。もっとも私にではなくルイにですが」
 ケリン? ケリンが私の書斎の位置を気にするのはわかる。コンピューターを設置する都合からだ。
「まだ出来上がっていないのですが、と言いながらルイに案内させました。そうしたら一緒に設計しても言いかと尋ねられたもので、それではどうぞ」と、言っておきました。
「そっ、それはご迷惑をかけました」
 それでここのところケリンの姿が見えないのか。
「いいえ、同じには使いやすいように作った方がよいでしょうから」
 ルカは何と答えてよいやら迷った。
「気にすることないのですよ。本来なら、あなたが来る前に仕上がっていなければならなかったのですから」
 ボイ人は突貫工事はしない。技にプライドがある。完成品は自分の満足のいくものでなければならない。そのため工事がどんなに遅れようと一向に気にする節がない。
「申し訳ありません、ケリンには私からよく言っておきますので」
「いいえ、その必要はありません。あの方、何か装置を入れたいようですよ、あなたがネルガルで使われていた。でしたら装置にあわせて部屋を作り変えたほうがよいかと思いまして、その方が使いやすい」
 ルカは礼を言うしかなかった。
「私にも後で、その装置の使い方、教えてくださいます?」
「ええ、それは喜んで」
 ルカは気分を変えてまた池を見た。館の池には手前ほどに社があった。竜神様のお邸だと母は言っていた。
 朝日を浴びてきらきらと輝く池。
「まるで竜宮が浮上してきそうですね」
「竜宮?」
 ネルガル人から竜宮の言葉が出るとは思わなかった。しかも湖底から浮上する。
「はい。母の話では湖の底に、それはそれは美しい御殿が沈んでいるそうです。それが浮上すると湖の上が光り輝くそうです。シナカさんはこういう話、信じますか」
「さあ、私は初めて聞きますので信じるも信じないも、あなたはどうなのですか」
 だがボイ人にとってこの話、初めてではなかった。それどころかボイの歴史はここから始まる。神が池に降臨されると見る見る池は巨大になり湖底から宮殿が浮上してきたと。ボイ人がネルガル人をあまり抵抗なく受け入れたのには理由がある。彼らの容姿が、言い伝えられている神の姿に似ているから。
 シナカは初めて聞くということにして、ルカの様子を見ることにした。
 キネラオたちが国民の反対を押し切ってまでここに池を創ったのは、何もネルガルから強要されただけではなかった。ルカのネルガルでの噂が気になったから。神の子、しかも竜神様の生まれ変わり。
 今ボイでは、湖が小さくなりつつある。このまま行けば数千年後には。
「私は信じません」
 神も竜神も、所詮人が作り出した概念。そんなものに振り回される方がかおしい。
「今ならともかく、数千年前のネルガルの科学力では、そのようなことは不可能ですから。でも、今のこの池を見ていると、そんな御伽噺ができても不思議ではないなと思いました」
 ルカにとってはあくまで御伽噺の世界。ルカはじっと昇る朝日を見詰める。
 ボイでの第一日目が始まる。
 だがその決意の前に、
「お早う御座います、殿下。姫様、ではなく奥方様」
 外が賑やかだ。
「お早う御座います。随分ネルガルの方々はお早いのですね」と言うシナカに対してルカは、
「おかしい」と、呟いた。
「何がおかしいのですか」と、訊くシナカに、
「彼らが間違っても早起きするはずがない」
 ルカは訝しがりながら、
「何か、あったのですか」と、守衛たちに訊く。
 この三日間がまずかった。この星は水はないのに酒だけは浴びるほどある。そして自分は壇上、動きたくとも動きがとれなかった。リンネルやレイが付いていたのだろうが。
 夕べアルコールが入り過ぎて乱闘騒ぎでもやらかしたか。正気になってその後始末を私に。取り返しが付かぬようなことになっていなければよいが。
 守衛のひとりが「ちょっと」と、ルカを手招きする。
「やはり」と、思いつつルカはシナカに断ると、頭を抱えながら彼らの所へ向かった。
 こっちこっちと彼らはルカを茂みの中へと連れて行く。
「どうしたのですか?」
 だいたい彼らが朝早く顔を見せるというそれ自体、ろくな話でないことは過去の経験から覚悟しておかなければならない。
「どうしたのですか。とは、こっちの台詞だ」
「と、いいますと」と、ルカは守衛の言い草にきょとんとする。
 守衛の一人が隣の者を肘でこ突くと、
「お前、夕べ言っていただろう。俺が訊くって」
「あれは酒の席での話しだ」
 皆はもじもじしてなかなか話を切り出してこない。
 そんな中、一人が意を決したように。
「だから、あなたのことだよ」と、ルカに向かって言う。
 ルカはその視線が自分の背後にいる者に向けられたのかと思い、後ろを振り向く。
 背後に居た者は慌てて、顔の前で手を振ると、
「俺じゃなくて、殿下のことですよ。夕べ、その、何だ」
 ガキと話すのがこんなに話し辛いとは思わなかった。
 守衛たちの態度からルカは察する。
「夫婦生活のことですか」
「ガーン、そういう表現できたか」と、守衛の一人が額を押さえる。
「そうだよ、そう。その生活のことだ。ハルガン曹長にでも教わったのか」
「いいえ」と、ルカは首を横に振る。
「やっぱりな、肝心な時に役に立たねぇーだから曹長は」
「うんで、どうしたんだよ夕べは」
「必要になったら、教えてくれますか」
「あっ、それ、どういう意味だ?」
「夕べ、ベッドの上できちんと謝りました。体が成熟するまで待って欲しいと」
 あっさり言うルカ。
 守衛の一人は唖然とし、一人は笑い出し、一人は思いっきり地面を蹴り、一人は木を殴りつけた。
 冷静な一人が、
「まあ、それが一番無難だな」と、両腕を組んで頷く。
「じゃ、夕べは何してたんだよ、新妻を横に置いて」
「熟睡しました」
「それで今朝、すっきりお目覚めというわけか」と、やたら大声を張り上げる。
「はい」と、ルカはすんなり答える。
 その返事にまたもや、みんな先程と同じ事をする。一人は唖然とし、一人は
「俺たちの心配は何だったんだ」と、天を仰ぎ見る守衛。
「俺なんか夕べは、あれからずーと悶々して、一睡もできなかったんだぞ」
「何、人のことで悶々しているんだよ」
「あのな殿下、最初が肝心なんだ。最初にバッシと決めないと、バブのように尻に敷かれるはめになるぞ」と、言ったところでガキには通じないか。
「でもバブは幸せそうでしたよ」
 守衛たちは頭を抱え込んだ。
「殿下、わかっているんだすか。殿下は俺たちの主なのですよ。主がかかあの尻に敷かれてんじゃ、俺たち恰好が付かないじゃないですか」
 そこへモリーがやって来た。
「殿下、ボイでは食事は家族でお取になられるそうですから、早く支度をなされた方が。既にシナカ様はご準備が整っております」
「あっ、いけない。最初から遅刻では」
 ルカは慌てて邸に戻る。
「あなた方もあなた方よ、くだらないことを殿下に吹き込まないで下さい。せっかく殿下は素直にお育ちになられたのですから」
「俺たち、別に」と、守衛たちは互いに顔を見合わせて頷きあう。
「そんな大声で話をしていては、百メートル先から聞こえます。まして朝は静かなのですから」
 やれやれという顔をしてモリーは引き上げ行った。
「まったく、ボイの女性はこうでなければよいが」
 ネルガルの女性は強い。特にルカの館の女性は。


 こじんまりとした部屋に通された。既に国王夫妻は席に着かれていた。
「お早う御座います」と、王妃。
「お早う御座います。遅くなりまして申し訳ありません」と、ルカは深々と頭を下げた。
「あまり気にしなくていいのよ、こちらの方が早すぎたのですから」
 国王に急かされ、少し早めに来てしまった。
 王妃は席を促す。
 従者が国王の前の椅子を引いた。
 王妃はルカがその椅子に座るのを見届け、
「夕べはゆっくりお休みになれましたか」と話しかけてきた。
「ええ、お陰さまでゆっくり休ませていただきました」
「それはよかったわ。場所が変わると眠れないという人もおりますが」と、王妃はしきりに気を使ってくださる。
 国王ご夫妻と会うのはこれで三度。一度目はボイに着て直ぐ、ネルガルの皇帝からの引き出物の目録を持って挨拶に伺った時、二度目は結婚式、そして三度目。シナカとよく似ていると思うより、まだルカにはボイ人を見分ける眼力はなかった。
「やっと話が出来るな」
 国王のどしっと落ち着いた声。
「はい」
「わがままに育ててしまったせいか、跳ねっ返りの娘で私も随分てこずっていた」
「お父様!」と、シナカは咎めるような声を出した。
 国王はそれを無視し話を続ける。
「君のような落ち着いた者にもらってもらえれば、幸いだ」
「いえ、こちらこそ何もわかりませんので、ご指導いただければ幸いです」
 落ち着いていて挨拶はきちんとできる子だ。キネラオとホルヘはかなり高く買っている。子供だと侮られないほうがよいと。
 朝食が運ばれて来た。
「ボイの料理だ。口には合わないかも知れないが、少しずつ慣らしていってもらいたい。ときにはネルガルの料理も作らせるようにするが、なにろボイ人の舌で作るから、少し味がおかしいかもしれない」
「お心遣い、有難う御座います。ですが、それは不要です。私はボイの料理は嫌いではありませんので」
 既に何度か食している。ネルガルの料理に比べて味は淡白だ。だが元々あっさりした味の好きなルカには美味しく感じられた。守衛たちには少し物足りないようだが。
「昨日は疲れたでしょ。何から何まで初めての事だから」
 最初式はネルガル式で執り行うと、ネルガルの大使館の方から通達があったのだが、急遽、ボイ式になった。
 何も相手先まで行って、ネルガルの方式を押し付けることはないという王子の方針らしい。
 本来ならこのような申し出、取り扱うことはなかったのだが、ここへ来てルカ王子にへそを曲げられても困るとみた官僚たちのはからいで、今回だけはかなりルカの意見が通った。
「楽しかったです、国民の喜ぶ顔がみられまして。かなり反対されるのではないかと思っておりましたから」
「我々はネルガルとの友好を心から望んでいる。君の婿入り、反対するものはボイにはいない」
 本当にそれならよいとルカは心から思った。
「今日は、一日中スケジュールを空けてあるのだ。午後からでも邸を案内しよう。今日から君の家でもあるのだからな」
「お父様!」
 非難するような声を出したのはシナカだった。
「それは、私の仕事です。お父様は政務に励んで下さい。ここ数日、式の準備で本来決済しなければならない書類が山ほどあると、内務大臣が嘆いておりました」
「まあ」と、王妃は呆れたように言う。
「どこからそのような話を聞いて来るのですか」
「とにかく、邸は私が案内いたします。お父様は本来やるべき仕事にお戻り下さい」
 シナカは父親に何もわからない小さな夫を取られまいと必死だ。
 ルカはこの親子のやり取りを黙って聞いていた。
 父親、ルカには縁遠い存在だ。
「では仕方ない。ここはシナカに任せるか」
「当然です」とシナカは脹れて言う。

 食事が終わり邸へ戻ると、守衛たちが雁首を揃えていた。
「どうしたのですか、皆さんお揃いで」
 まだ酔いが残っている者もいたが、守衛をするにはさしさわりがないようだ。
 守衛は王女が居る手前、聞きづらそうにもじもじしている。それでルカの方が先に問いかけてきた。
「いかがでした、ボイの守衛の方々は」
 守衛は守衛で今朝方からボイの守衛たちと顔合わせをしてきた。
「なかなかいい奴等だ」
 既に酒の席で顔なじみになっていた者も何人かいた。
「うまくやれそうですか」
「ああ、任せておけ」と、守衛の一人は胸をたたく。
 ルカは頷いた。
「それより、殿下の方は如何でしたか。その、国王と王妃様は」
 守衛たちはやっとの思いで訊いて来た。
「とても、お優しい方です」
「そうか、それはよかった」
 守衛たちはほっと胸を撫で下ろす。
 ボイの国王がネルガルの皇帝のようだったらどうしようと思っていた。
「お着替えになられますか」と、タイミングを見はかりモリーが尋ねてきた。
 ルカはしばし自分の着ている服を見る。ボイの服だ。
「いや、このままでよい。結構この服、着易い」
 前を合わせて紐で縛るという服の着方は、ルカには何故か懐かしく思えた。この星は何処かの星に似ている。何処の星だろう。私はネルガル星しか知らないというのに。
 昼食は仕事の都合で家族で一緒に取れないこともあるが、夕食はまた一緒だ。
「午後から、父が言われた通りに邸を案内するわ」


 式の余韻が冷めやった頃、ネルガルから儀式のために付いて来た官僚や役人たちが帰ることになった。
「くれぐれもネルガルの皇帝の子として恥のないように」
 それが彼らのルカに残した言葉だ。
 ルカは彼らの帰還を自室の窓から見送った。
「よろしいのですか、ここで」と、シナカは気を使う。
 王家の結婚式を執り行うともなればボイではかなりの重臣たち。その人たちをこんな所で見送るなんて。
「かまいません。これで彼らの仕事は終わりですから。ネルガルに着くころには、彼らの記憶の中にもう私は存在していないでしょう」
 夫のその言葉にシナカは驚く。いまいちネルガルという星が理解できない。否、ネルガル人が。愛情がないわけではないのでしょうけど、どこか冷めている。
 彼らにとって私はその程度の存在。次に彼らが私のことを思い出す時は、私の命が尽きる時。
 ルカは成層圏へと昇って行く銀色に光るシャトルから目を逸らした。
 そうなる前に手を打たなければ。

 思いはそれぞれ。ルカの遊び相手、実態は監視役としてボイに残された公達は。
「いいですね、彼らは戻れて」
「我々が帰れるのは何時になることやら」
「生きて帰れるかどうかも」
「それぐらいは保障していただかないと」

 それからと言うもの、慣れない事とはいえ、ルカの日常は穏やかなものだった。徐々に国の重臣たちを紹介され知人もできてきたが、それよりなにより国王夫妻との食事は楽しい。国王は好奇心の旺盛な人柄とみえ、ボイ星のことなら何でも知っていた。ネルガルにも興味があるらしくいろいろ訊いてくるのだが、子供であるルカの目に映ったネルガルは、国王を満足させたかどうか疑問だ。お妃は会話が一方的にならないように何時もうまく配慮して下さる。これが家庭団らんというものなのだろうか。ルカには母親はいたが父親はいないも同然。ボイには側室という考えはないようだが、ルカは念のために訊いてみた。
「陛下には、他にお子様がいらっしゃるのですか」
 ネルガルでは腹違いの兄弟姉妹がたくさんいる。
「陛下はやめてくれないか」と、国王は困ったような顔をして言う。
「君は娘婿なのだから倅も同じ。私的な所では父と呼んでもらいたいものだ」
「申し訳ありません、お父様」と、ルカは言い辛そうに言う。
「無理しなくともいいのよ、そのうちで」と、妃が気を使う。
「いや、こう言うことは無理しても毎日言うことだ。そうすれば直ぐに慣れる」
「お父様」と、シナカは少し非難めいた口調で言う。
「まだルカはこの星へ来て日が浅いのですから」
 だが既に弟だと思っているシナカは、ルカをさん付けで呼ぶつもりはないらしい。
 国王はそんな娘を無視して、
「ネルガルでは父のことを何と呼んでいたのかね」
「陛下と。父には月に一度、会食の時にしか会いませんので、会話もありませんでした」
「そうか」と、国王。
 ネルガルでは王子も身分があり、ルカは身分の低い王子だとキネラオたちから聞いていた。身分の低い王子や王女は捨て駒扱いだとも。
 場が暗くなるのを避けるように王妃は問う。
「では、お母様のことは」
「母上と」
「では、父上でもよろしいですね、あなた」
「そうだな」と、国王は頷くと急に昔話をし始めた。
「実は、私達には倅が一人いたのだ。生れて直ぐに亡くなってしまったが、生きておれば丁度ホルヘぐらいになるかな」
「それでホルヘさんを」 秘書として傍に。
「ああ、倅のように思えてな」
「そうだったのですか」
 この時、ホルヘとシナカが結婚した方がよかったのではないかと、ルカは思った。例え自分が成人しても、シナカとの間に子供は持てない。遺伝子が違いすぎるのだ。これではこの王朝が途絶えてしまう。
「どうなさいました」と、思いをめぐらせているルカに対し妃が心配そうに訊く。
「いいえ、何でもありません」

 ルカは結婚式以来、ボイの服を愛用していた。この恰好で邸を案内してもらうとボイ人たちの反応もよいから。王の邸はどこのコロニーも似たり寄ったりのようだ。前面に公務室や集会場があり、背後が国王一家の居住区になっていた。その間に庭があり、その庭が国王の私生活と公務を区切っているようだ。王の居住区と公務室等は幾つかの回廊で結ばれている。町は集会場の前にある広場を中心に出来ていた。そして王の居住区の背後にはボイ星では貴重な森林と湖が横たわっている。
 ルカは好奇心から邸で出会う人には誰にでも親しく声を掛けるようにしていた。そのせいかボイ人の間でも人気者になっていった。そして初めて会う人が必ず言うことばが、「その服、よくお似合いです」だった。ボイの服は会話のきっかけを掴むのにはよいアイテムだ。それでボイの服がよけいに抜けなくなった。だがルカのその様子が公達には気に入らなかった。彼らはボイの服には一度も袖を通したことがない。何をするにもネルガルの服だ。
「殿下、お話が」と、ルカが居間で休んでいると数人の公達がやって来た。
「何でしょうか?」
 公達はルカの傍らにいるシナカにきつい視線を向ける。
 ルカはその視線に気づき、シナカに一時席を外すように頼む。
 シナカの姿が部屋から消えるとルカは改まり、公達にもう一度問う。
「殿下はお忘れになられたのですか」
「何をですか?」
「ネルガル人はネルガル人らしくという言葉をです」
「いいえ、片時も忘れたことはありません」
 ルカは誰に対しても羞じぬように振舞っていた。守衛たちに言わせれば、もう少し手を抜けばよいものをと言われるほどに。
「では、そのお姿は?」
 ルカは両手を軽く広げて自分を見た。
「何か?」
「何かではありません。ネルガル人ならネルガルの衣装をまとって下さい。そのようなだらしない服を」
 ルカはまじまじと自分の着ている服を眺めながら、
「この服、悪いとは思いませんが。動きやすいし、意外に涼しい」
 ボイ星はネルガル星より暑い。乾燥しているせいかさほど感じないが、実際気温はかなり高い。
「それにここはボイ星ですし」
「殿下には恥と言うものがないのですか」
 がたがたと捲くし立てる公達に、
「わかりました。では一日おきということで」
「殿下、居間までの我々の話をお聞きになっておられたのですか」
「はい、聞いておりました」
「その服は、蛮族の服だと我々は申しておるのです」
「蛮族ねぇー」と言いつつルカはもう一度両手を広げて服を見る。
「蛮族が作ったものにしては、美しすぎませんか、織りも柄もこっておりますし」
 文明がなければこれほどのものは作れない。ある意味、その作品はネルガルの上を行く。
「世も末だ」と、一人が嘆く。
「あの女狐、どんな媚を嗅がせて殿下をここまで誑し込ませたのか」
 気取っている者は自分の使う下卑な言葉に気づかない。
「パーキンスさん」と、ルカは急に声音を変えた。
「私のことはどう言おうとかまいません。だが、妻の悪口を言うことだけは許しません」
「でっ、殿下!」
 ルカは不愉快だという感情をもろに顔に出すようにして公達を睨める。
「下がれ!」
 ルカが他人に命令的になることは珍しい。
 公達はすごすごと下がって行った。
 その一部始終を部屋の片隅で聞いていたキネラオは訊く。
「よろしかったのですか」
 ルカはにっこりとキネラオの方を振り向くと、
「お見苦しいところをお見せいたしました。でも妻の悪口がここまで腹に来るものだとは思ってもみませんでした。私はまだ子供ですからシナカさんのことを愛しているとは思っておりませんが、彼女のことは好きです。優しくて、親切で、あの方が傍にいてくれると心が落ち着きます。まるで姉のようで。私の友人には優しい姉がおりまして、とても羨ましく思っていたものです。シナカさんをそのようにとらえてはまずいでしょうか」
 シモンからもらった縫いぐるみは部屋に大事に飾ってある。ルカはシモンに対する気持ちもわからなかった。愛なのだろうか、それとも姉という存在に憧れていただけなのだろうか。
「それでよろしいのではありませんか。最初は誰でもそのようなものです。母に似ているとか姉に似ているとか」
「そうですよね」
 シナカはどことなく母上に似ている。ボイ人だから姿形とはいかない、だが凛とした立ち振る舞いと童女のようなあどけなさが同居しているところが。
「それで服装の件ですが」と、キネラオは話題を変えた。
「何も無理をしてボイの服を着なくとも、ネルガルの服の方が着易いのでしたら、それでも」
「いいえ。私は早くボイに馴染みたいのです。服は最初に馴染みやすいものですから、それにせっかく私のために作って下さったのですから」
 ボイ人とネルガル人では手足の長さが違う。ネルガル人の体型に合わせて仕立てた服は、ボイ人には着られない。
「職人たちの気持ちが込められております。粗末には出来ません」
「そうですか」
 だがこれ以降は公達の気持ちも酌み、ボイの服とネルガルの服を交互に着るようにした。ただし公の場はボイの服である。

 手足の長さの違いで困ったのは服だけではない、守衛たちもだった。ボイ人相手に体術の稽古をするのはよいのだが、どうも型が決まらない。本来相手を捕らえたはずの間合いが空振りだ。そのくせ充分取ったはずの間合いでカウンターを食らう。
「ちょっ、ちょっと待ったー」
 思いっきり顔面を殴られたトリスは鼻を押さえながらタイムをかけた。
 おまけにボイ人はネルガル人よりガタイがいいだけ力もあるから始末に悪い。
 鼻から流れ出た血は口元へと伝わる。
 鼻血を見たボイ人は驚き、
「あっ! すみません。避けると思ったのです」と謝る。
「避けたつもりだ。無駄に長い腕しやがって」と、トリスは鼻血を袖口になびりながら怒鳴る。
「無駄でもないだろう、当たったんだから」と、ロンが笑う。
 トリスはむっとした視線をロンに投げかける。
「おい、実戦で待ったはねぇーぜ」と、頭にきているトリスをバムがからかった。
 ハルガンも得意のナイフが使い辛そうだ。
 ちなみにここまでの会話はほとんどボイ語だった。ルカは守衛たちに覚えやすい言葉から覚えるように言っていた。まずは社交儀礼だろうと思っていたルカの予測に反して、彼らがまっさきに覚えた言葉は喧嘩用語と女をくどく言葉だった。何故かこれらの言葉に関してはインプットが早い。一度聞けば完全に彼らの頭脳に入力されていた。
 馬鹿ではないのですよね、ただ覚える気があるかないかの違い。だが守衛たちからすれば日常生活に必要か不必要かの違い。

 シナカはルカがボイの生活に慣れてきたところで、夕食を別な部屋へ用意させた。
「本当はここで食事をするの」
 そこは大きな食堂だった。千人は優には入れるのではないかと思えるほどの。こういう食堂が一つのコロニーに数箇所あるようだ。食堂の開店時間は朝、昼、夕と三時間ずつ。その間にこのコロニーにいる人々は職場仲間や友達、家族と連れ立って食べに来ることになっている。メニューは数種類の中から自分で選び配膳する。
 ルカはかなり後で知ったのだが、これらは全て無料。食堂はそのコロニーが運営している。よってボイでは餓死するということはない。どういう社会仕組みになっているのか、ルカは知りたかった。そういえば母の故郷も似たような仕組みだ。
「トレーを持ってそこに並ぶの。と言いたいところなのですけど、私達は特別なの」と言いつつ、シナカは食堂の奥へと入って行く。
 食堂の奥、一段高い壇上に何時もの顔ぶれがあった。だがそのテーブルに着いているのは家族だけではなかった。
「お父様、連れて参りました」
 国王は頷くと、ルカに自分の隣の椅子を勧める。
「これがボイの正式な食事なの。ネルガルでは家族で食事を取ると伺いましたから、あなたが慣れるまでと思いまして」
 ルカが席に着くと料理が運ばれてきた。ここの席だけは給仕が付いているようだ。
「朝寝坊すると、朝食は食べられないわよ。昼食は近くの食堂で食べるの。時間内に入らないと食べられないからわざわざここまで戻って来ることないのよ」
 王妃はシナカのその説明を聞いて笑っていた。
「お母様、何がおかしいの?」
「ルカさんはあなたと違うから、朝寝坊などしないでしょ」
 シナカは脹れる。
 一通りの配膳が済むと、国王はテーブルのメンバーを紹介し始めた。テーブルは十五人ぐらいが目安。今回はどうやら各省の代表的な人たちらしい、既にルカの知っている顔もあった。キネラオやホルヘ、サミランが含まれていたのは、知らない人ばかりではという国王の配慮のようだ。
「テーブルのメンバーは希望によって変える事ができるの、例えば音楽の話が聞きたければ音楽家を、スポーツの話が聞きたければスポーツ選手とか、芸術家でも商人でも実業家でも芸能人でも、好きな人を呼べるわ。ただ彼らのシケジュールが合えばの話だけれど」
 あくまでも国王に呼ばれたからと自分のスケジュールを変更することはないらしい。そこがネルガルとは違う。
「何も希望がないときはこのメンバーなの。もっとも先方で是非ともと言われれば、ここにその人が加わることもありますけど」
「そうなのですか」
 それでボイの国王は治世に明るいのか。ルカは感心したようにテーブルのメンバーを見る。なるほど既に紹介された人もいる、だが初めての人も。こうやって覚えていけばよいのか。だが待てよ、全員を入れ替えるなら語弊はないが、二、三人の入れ替えの場合はどうするのだろうとルカは思った。ネルガルならその一件が後々尾を引くことになる。
「でも」と、ルカは疑問を切り出す。
「もし私が誰かを希望した時」
「誰か、一緒に食事をしたい人がいるのですか」
「いえ、例えばの話です。すると誰かが席を外さなければなりませんよね。このテーブルはこれ以上座れそうにありませんから」
「二、三人の前後は大丈夫なのよ」
 シナカにそうは言われたものの、
「もし、席を外すようになった人は、嫌な思いをしませんか」
「嫌な思いって?」
 シナカには、いやボイ人には、今ルカが言わんとしたことが解らない。
「国王と食事ができるということは、ネルガルではかなり名誉なことです。特権ぐらいに」
 それを外されたとなれば。
「ボイでは違うのですか?」
「ボイでもそうですよ」と、答えたのはサミランだった。
「ですから国王に声をかけて頂ければ、よほどのことがない限りスケジュールを変更してでもやって来ます」
 そうでしょうとルカは思った。なら外される身になったら。
「我々は席を埋めているだけなのです」と言い出したのはどの大臣だったか、
「常備陛下とは顔を合わせておりますから、話題も今回のような特別なことでもない限り、執務室の延長になりがちなのです。ですからたまには人を入れ替えた方が新鮮味があって、面白いですよ。一部の入れ替えの場合は、それに興味のある者が残るようにしております。次はあなたの従者をお呼びになられたらいかがでしょう。ネルガルのことをいろいろ話してくださるでしょうから」
「そうですね」と、王妃は嬉しそうだが、ルカは返事に困った。
 国王夫妻の前に出せるような者たちではない。まともなのはリンネル、だが彼は無口だし、レイなら少し話題は豊富かも知れないがそれでも一般市民と言うよりもは軍人だし、ハルガンにいたっては、まあ彼ならそつが無いとは思うが。
「どうなさいました」
 物思いに耽っているルカに、王妃が問いかける。
「いえ、このテーブルに着ける前に言葉を」
「ネルガル語でもわかりますよ」
 ルカは苦笑しながら、
「言葉というよりも、言葉遣いですか」
 キネラオとホルヘも苦笑した。既に彼らと親しくなっている二人には、ルカの言わんとするところがよく解るのだが、
「ちなみに彼らはいつもあの辺りに居るのですよ。どうやらあの辺りが気に入っているみたいです」と、ホルヘが指し示した方を見ると、いつもの顔ぶれがあった。
 リンネルと目が合う。どうやらこちらを心配して時折り様子を伺っているようだ。
「若い子が多いのよ、あの辺り」と、シナカが囁く。
 どうやら邸に仕えている侍女たちのたまり場のようだ。
 リンネルたちはトレーを取ると、自分たちで好きなものを好きなだけトレーに乗せていく。慣れた感じだ。軍隊での食事がこのような方式だとルカは聞いたことがある。
 シナカは彼らの様子を暫く眺めてから言う。
「いいわよね、彼らは。自分の好きなものだけ取れて、お代わりもできるのよ。それなのにこのテーブルでは嫌いなものもだされるし、お代わりだっていちいち人を呼ばなければならないし」と、シナカは給仕されていて文句を言う。
「ならば、お前もあそこへ並んでくればよい」
「いいの、お父様」
「ああ」と、国王は頷く。
「では、次はあそこへ並びましょう。そしてリンネルさんの横で食事をしません? 私達の方から出向いて行くのよ」
 国王はやれやれという顔をした。
 ルカは会場を一通り見回す。公達の姿がない。彼らはボイの服は着ないから目立つはずなのだが。
「パーキンスさんたちの姿が見えないようですが、時間帯が違うのでしょうか」
 三時間も食事はできない。もっと早く来て済ませたのか、それともこれからなのか。
「申し訳ありません。何度となくお誘いいたしましたが、こちらでは食さないとのことで、味もお気に召さないようで」
 彼らは自分たちで食事を作って食べているようだ。
「それは私の方こそ申し訳ありません。私の方から少し言ってみますので」
「無理をなさらなくともよいのですよ」と、王妃。
 ルカが公達とはうまくいっていないことは知っている。
「味だけは仕方ないことですから」
 ルカは申し訳なさそうに俯いた。
「殿下は、大丈夫なのですか」
 そう問いかけてきた声は確か宮廷の料理長。自分の好き嫌いを最初に聞いてきた人だ。今日は特別にこの席に招かれているようだ。
「ネルガルの料理も我々の舌に合うようにして出してはみましたが」
 だがどれがそうなのかルカにはわからない。そもそもルカはあまり食べ物にはこだわらなかった。何か考え事をしながら食事をしている時など、たまねぎをかじらせてもりんごをかじらせてもわからないぐらいに。
 ルカはボイの料理を不味いとは思わなかった。
「私に気づかいは無用です。もともと母が魚料理は好きでしたので、ネルガルでもこのような食事を食しておりました。私にとってはこちらの料理の方があっさりしていて美味しいとすら思えるほどです」
 そのあっさり感がネルガル人には物足りないようだ。
「それは、有難う御座います」
 食事は後半に入りデザートが出てきた。
「シナカ、何か食べたりないのなら今のうちに言うといいぞ。これを食べてしまったらお代わりは出来ないからな」と、国王がこれ見よがしに言う。
「まあ、お父様ったら、こんなところで」と、シナカは脹れる。
 テーブルの者達が笑った。
 これがこの星の会食の仕方なのだ。
 その時、「あの」と、一人黙っていた男が口を開いた。
「私は町の治安を預かるもので、名前をムストレと申します」と、前置きをして話し始めた。
「実は、殿下のお連れの方々のことで」
 連れ? と言われてルカが真っ先に思い出したのは守衛たちのことだ。そういえばここ数日ハルガンの姿を見ていない。
 だがムストレが言ったのは、連れは連れでも公達のことだった。
 ムストレが話し始めようとした時、国王が、
「よしなさい、このような席で」と、止める。
 だがルカは、
「かまいません、話してください」
 彼らの町での振舞いにいろいろと苦情が出てきている。それに手を焼いた治安局は、食事のときにそのことを話そうとして席を一つ申し出た。
 ルカはムストレから一通りの話を聞くと、
「わかりました」と言い、守衛たちの方に合図をした。
 すると食事の途中だったのか手拭を置いてリンネルが立ちだして来た。
 ルカの背後に立ち国王夫妻に軽く会釈をすると、ルカの耳元へ「何か?」と、囁く。
 ルカはリンネルの方へ振り向くようにして、
「食事は済みましたか?」
 リンネルは頷く。軍人は食べるのは早い。だが今日は、ルカがこの会場を去るまでゆっくりしているつもりだった。
「リンネル、彼から詳しい話を聞いて対処方を考えてください。私からも彼らに忠告はしておきますが、おそらくそれだけでは無理かと思いますので」
 ルカは公達にネルガルでのような貴族の特権はこの星にはないことをはっきり言うつもりだったが、おそらく言っただけでは効き目がないことも感じていた。
「畏まりました」
 リンネルは話の内容から何のことか察した。既にそれらの情報はリンネルの耳に少なからず入って来ていた。それを殿下の耳に入れるかどうか迷っていただけ。まだボイへ来て日が浅い。その様式に馴染もうと努力している殿下に、これ以上の気苦労はさせたくなかったのだが。

 数日後、治安局の男がリンネルの所へやって来た。あれ以来、公達の行動がおとなしくなった。その報告に来たのだ。その帰り、ムストレはホルヘに会う。
「あなたの仰る通りでした。遠慮しないで話してみるものですな」
「話せばわかる方ですから」
「対処が早いのには驚きました。我々でもああは。ホルヘさんからもよくお礼を言っておいて下さい。私が感謝してましたと」
「しかし何時まで彼らがおとなしくしているかだ。今度目に余るようでしたら、遠慮なくこちらの法律で裁いて下さいとは、殿下から言付かっておりますが」
「しかし」と、ムストレは戸惑う。
 そう言われても、殿下のご友人ともなればそう簡単に逮捕するわけにもいかない。
 困り果てているムストレの背後から声。
「悪いことをした者は、どんどん豚箱にぶちこむとよろしいでしょう」
 乱暴なことを丁寧に言うこの声の主は。
 慌てて二人は振り向いた。そこに二人のネルガル人。
「これはハルメンス公爵とクロード男爵」と、ホルヘはネルガル人の階級で二人を呼んだ。
「暫くお顔をお見せになられないものですから、もう帰られたのかと殿下が寂しがっておられましたよ」
 殿下のことだ、寂しがるはずはない。これはこのボイ人の親切心から出た言葉だとハルメンスは受け取り、
「邸の改装に少し時間がかかりましたもので、どうもその畳というか床というか、はって歩くのは苦手なもので」
「さようでしたか、言ってくだされはお邸の一つも、こちらで用意いたしましたものを」
 三人の会話が盛り上がるのを見て、ムストレが去ろうとした時、
「かまいませんから、今後彼らが何かするようでしたら、捕らえて処罰して下さい。少しくさい飯でも食わせれば彼らもおとなしくするでしょう。彼らには私が許したと言ってください。そうすれば彼らも黙ります」
 この男にどんな権限があるのだろうか。とムストレは思いながらも、
「わかりました」とだけ言って、その場を去った。
「困った人たちだ」と、ハルメンスは呟いてから改めてホルヘを見、
「殿下は、お元気ですか?」
「はい」
「では、少し寄って行きますか。そんなに寂しがられていたのでは」
 ハルメンスたちは守衛の案内で庭へ通された。
 子供の賑やかな声。
 数人の子供たちが庭でボールで遊んでいた。その中にルカも交じっている。
「役人の子供たちです。近頃、遊びに来るようになったのです」
「遊びに来るように仕向けたのだろう」と、ハルメンスはホルヘの言葉を言い直した。
 ホルヘは照れくさそうに笑う。
 公達とうまくいっていないルカには遊び相手がいない。大人ばかりの世界ではとそれを見かねたホルヘたちが、やはり子供は子供同士と思い、役人の子供たちを連れてきた。
「楽しそうですね」と、クロード。
「あの方があんなに笑うのは初めて見ます。ネルガルではあのように笑われたことはない。この星はあの方にあっているのでしょうか。以前よりのびのびなされているような気がいたします。そう言えはこの星の生活様式は、奥方様のご実家にどことなく似ているような気がいたします」
「そうだな」と、ハルメンスも相槌をうつ。
 彼ら二人はナオミの実家に行ったことはない。だがナオミから話は聞いていた。
「もうあの中ではリーダーですね」と、ホルヘは言う。
 ボイはどちらかと言えば実力主義で、親の仕事は子供に影響しない。子供は子供、そこに身分も階級もない。かなり年上の者を連れてきたつもりだったが、すっかりルカがまとめ役になっていた。
「そうでしょう。彼は人の下にいるような人物ではありませんから」
 ハルメンスは暫し子供たちのボールゲームを眺めながら、
「ところで」と、ホルヘの方に話を切り出した。
「彼を見つけたのは私ですから」
「えっ、何の話でしょう?」
「あなたも随分彼にぞっこんのようですから、ここで念を押しておこうと思いまして。落し物は先に見つけた方に所有権があるのです。私は彼を五歳の時に見つけました。あなたは七歳の時だと思います。ですから彼の所有権は私にあります。あなたにはやりません」
「はぁっ?」と、訳がわからずホルヘはぽかんとする。
「アルシオ様、ルカ様は物ではありませんから、その所有権というのはどうかと」と、クロードが言う。
「物のようなものだ。宮内部にいいようにされ、自分の意思では何一つ自由にならない。今度は私が宮内部の代わりです」
 そう言うとハルメンスはゲームの中へと歩み出した。
 突然の侵入者に子供たちはぱっと避けると同時にブーイング。折角の勝負が台無し。
 だがルカだけは一段と顔をほころばせた。
「お久しぶりですね」
「お元気そうですね、殿下。背がお伸びになられましたか」
 ルカが今、一番気にしていることだ。なにしろシナカと並んで歩く時、恰好が付かない。
「それは、数日会わないだけで背が伸びるようでしたら、喜びますよ」
 ハルメンスは小さなルカの頭に手を置くと、押さえつけるように撫でた。
 ルカはその手を払いのけ、
「そういうことするから、背が伸びないのです」
 ハルメンスは笑った。

 ハルメンスの姿を見るや否や、シナカの隣で子供たちのボールゲームを眺めていたハルガンは嫌な顔をする。
「まったく、やな奴が来たぜ」
 ひとり呟いたつもりだったが、それはシナカにも聞こえた。
「天敵だそうですね」
「誰がそんなことを奥方様のお耳に?」
「ルカが。なんでもネルガルのご婦人を二人で分かち合っているとか」
 ハルガンは苦笑しながらも、
「あいつなど眼中にありませんよ。ネルガルの女性は全て私のものですから」
 シナカは、まぁっ。と言いつつも、
「でも不思議ですね」
「何がですか?」
 妙に楽しそうに微笑むシナカを訝しがりながらハルガンは訊く。
「そのお二人の男性が一人の男の子を取り合っている。まるで女性などそれこそ眼中にないような感じで。それとももう女性には飽きてしまったのかしら」
 ハルガンはニタリとすると、
「奥方様は、面白いことを言われますね」
「違いましたかしら」
 ハルガンはルカを見、それからシナカに視線を移した。
「なかなか手に入らないものは、どうしても欲しくなるものです。しかしここへ来て強敵が現われました。我々が二人係でも敵いそうもないほど。もっとも相手がどれほど強敵でも、奴とだけは同盟を結ぶ気は毛頭ありませんが」
「それはかなりの強敵ですね、いったい誰なのですか?」
 ハルガンは苦笑しながら、
「あなたですよ、奥方様」
「私?」と、シナカは驚いたように自分を指差しながら問う。
「彼はあれで一途なところがありましてね。最初は自分のためにボイをどうにかしようと思っていたようですが、それでは身が入らないようで。しかし近頃はあなたのためにボイ星を救おうとやっきになっています。こうなると寝食も忘れるようで」
 そう言えば近頃、ルカが床に着かないときがある。子供は早寝早起きが一番と諭すのだが、あまり子ども扱いしても気を害するのではないかと、ついつい言いそびれてしまう。

 ルカはハルメンスの肩越しに見てしまった。シナカとハルガンが仲良く話す姿を。
 突然の侵入者に驚いていた子供たちに、ルカは休憩タイムを取ることにした。
 子供たちがシナカの近くに用意してある飲み物や菓子に駆け寄るより早く、ルカはハルガンの前に立った。
「ハルガン、そこ、私の場所です」
 ハルガンはさっと避けると、
「何、怒っているんだ。座布団、暖めておいてやったんだぞ、礼の一言ぐらい欲しいな」
「余計なこと、してくれなくとも結構です」
 ハルガンはニタリとすると、
「心配するな、俺は気取っている女より、直ぐ脱ぐ女の方が」
 ルカは最後まで言わせなかった。腰に差してある笛を抜くとそれを振りかざした。
 ハルガンは慌てて逃げる。
「シナカさんの前で、二度とそのような言葉は使うな!」
 ハルガンは笑いながら行ってしまった。
「面白いわね、あなたの周りの人たちって、個性豊かで」と、シナカは笑う。
「個性が強すぎるのです。どうしてあのような男をネルガルの女性は好くのか、彼女たちの気が知れません」
「あら、ネルガルだけではなくてよ。ボイの女性にもかなりのファンがおりますよ」
 今ではボイの婦人の間でもハルガンは人気者になっていた。
「心配には及びませんよ、世間話をしていただけですから」と、ホロに入ったのはキネラオ。
「ご婦人をひとり、縁側に放置しておく殿下がわるいのですよ。ですからあのような間男が」と、言ったのはハルメンスだった。
 子供たちはどうしてよいやら、うろうろしている。子供たちが遊びに来る第二の目的はこれだというのに。
 シナカはそれに気づいて「どうぞ」と、子供たちをテーブルの菓子類の方に促す。
 子供たちはやっと許しが出たといわんがごとくにそれらにかぶり付いた。
 後々もめ事の種になりそうなことを軽く言ってのけたハルメンスは、座敷の隅で眠たそうに壁に寄りかかっているケリンを見る。
「ケリン君、君にプレゼントを持って来たのですが、随分こき使われているようですね」
 ルカはその言葉に敏感に反応した。
「こき使ってなどおりません。あれは彼の趣味です」
 ケリンはやれやれと言う感じに気だるそうに肩をすくめて見せると、
「そう言う事にしておいて下さい」
 ハルメンスは笑いながら包みをクロードに渡すと、彼の所へ持って行くように指示した。
 ケリンは怪訝そうな顔をしながらその包みを受け取り開いた。
「こっ、これは!」
 睡魔が一瞬にして去った。
「どうやって、これを」
「コンピューターは、内蔵するハードでかなり違ってきますからね」
 その回路は、まだルカたちがネルガルを発つときは開発途中だった。軍の最高機密。ケリンとしてはそれが出来てから発ちたかった。その装置が完成すればせっかくボイで組み立てたコンピューターも処理能力で遥かに劣ることになる。武器が劣り情報処理が劣っては、もうこの戦い、勝ち目はない。
「幾らだ?」
「聞いていませんでしたか、差し上げると言ったのですが」
 ケリンはますます訝しげな視線をハルメンスに投げかけた。
 ハルメンスは公爵でありながら宇宙を股にかけた商人だ。彼の年商は惑星の一つや二つ軽く買えるほどの金額だと聞いている。そんな彼がただで?
「私の大切なものを守って下さるのですから、協力は惜しみませんよ」
 そう言いながらハルメンスは首にかけたペンラントを外すと、ルカに差し出す。
「こちらは殿下に、ペンラントは奥方様にでも差し上げて下さい」
 ボイの石ではない。どこの星の石なのだろう、その光から察してかなり高額そうだ。
 だが、それどういう意味? このペンラント、石以外に何の価値があるの。
 ルカはじっとペンラントを見詰める。そしてその輝きの奥に。
「では今日のところはこれで失礼致します。元気なお姿を拝見できまして、光栄です」
 どうやら彼らはこれを渡すのが目的のようだった。あそこで偶然会ったのではなく、彼らもルカの邸に向かっていた。
 ルカは石と台座の間に銀細工の細いナイフを当てると、石を外した。その下から米粒ほどのチップ。
 石を台座に戻すと、そのペンラントをシナカに差し出した。
「これはあなたに、私が必要なのはこれですから」と、ルカは小さなチップをシナカに見せる。
「何なのですか、それは」
「ネルガルのニュースです」
 表向きはそうなっている。だがある暗号を解読すれば。
「ケリン、回路の取り付けは後にして、これを」
「はいはい、畏まりました」と、ケリンはのたのたと立ち出す。
「ケリンさん、寝ていないのでしょ、少し休まれたら」
「そうもいかないもので」
「あなた、あまりこき使ったらケリンさんの体が」
「半分は機械なのだから、休憩は私達の二分の一ですみますよ」
 ケリンは諦めたように肩をすくめて見せた。
 後はケリンのクロッキングの腕に頼るしかない。この中にどれだけの情報が入っているかはしらないが。

「驚きましたね」
 ケリンの目はすっかり冴え渡っている。
 その情報はケリンがハッキングするのとほぼ同等の超極秘情報。だがこれはハッキングしたものではない。そのものをコピーしたものだ。
 つまり情報部や軍部の中にも彼の手下が。否、手下と言うより仲間と言うべきだろう。組織しているのは彼ではない。彼も後から加わった口なのだから。
「彼らは、既にネルガル王朝の深部まで侵入してきているのですね」
 ネルガル王朝はネルガル人の手によって滅ぼされる。もうそんなに永くもないのかもしれない、後、数十年の内には。
 それまでボイ星をもたせれば。それにはどうしたらよい。
 ルカは爪を噛みながら考え始めた。
 まずはボイ人が文明人であることをネルガル人に認めさせなければならない。自分たちと同じ組織を持って初めて、相手が文明人だと認めるネルガル人へ。だが実際、多種多様な思考がある以上、その国を形取る組織も多種多様であってよいと思うのだが、ネルガルはその形を一つしか認めようとしない。自由と平等と独立の精神だが、自由と平等は自己中心的な競争を招き、独立は民族自決を生み、争いの耐えない星になってしまった。その争いも長く続くと勝者と敗者の溝を深めて行き、今では貨幣による帝国主義を生み出してしまった。だが最初の頃は誰もがそれに気づいていなかった。勝者は自分を皇帝だとは名乗らなかったし、あくまで自由競争の中で勝ち抜いた勝者という形を取っていたから。ただ武器が弓矢から銃、そして貨幣になっていっただけなのに、誰もが貨幣が銃のように恐ろしい武器になるとは思ってもみなかった。そして今では貨幣によって絡め取られた敗者を、勝者(皇帝)が支配するという形になってしまった。
 だがボイにこの精神を埋め込むことは出来ない。なぜなら、ボイは国王による仁政がひかれている星だから。この美しい星をこのままの姿で文明星と認めさせるには?

2009/10/22(Thu)22:07:25 公開 / 土塔 美和
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 今日は。ここまでお付き合い下さい、有難う御座います。これで登場人物がほぼ出揃いました。これからは場面があっちへ行ったりこっちへ行ったりしますが、またお付き合いくだされば幸いです。コメント、お待ちしております。

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