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『三国伝承歌』 ... ジャンル:ファンタジー 時代・歴史
作者:暴走翻訳機
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あらすじ・作品紹介
世界は三国に別れた。豪傑達は異なる文化の中で暮らしながらも、三者同様の思惑を抱いていた。世界の統一。彼らが夢見るは、理由こそ違えど同じ。そんな世界の一国に、魔王を倒して勇者と称えられた青年フェンリッドが凱旋を果たす。しかし、フェンリッドを待ち受けていたのは栄誉とも平穏とも違う過酷な運命だった。英雄から逃亡者へ。その時、フェンリッドが欲したものとは。
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凱旋
壱
一度、翼を広げ空に羽ばたけば、眩しい陽光が燦々と降り注ぐ。
風に乗り、ただ気の赴くままに大空“たいくう”を駆ける。大地では影法師が踊り、木々に混じっては形容し難い姿へと変わる。
森を一つ越え、一山を超えたところに、一つの王城が見え始めた。
世界を三つに分けた大国の一つ、王国・王都ラクレス。
色とりどりの華やかな旗に彩られた王城。城下は老若男女を問わぬ人々で埋め尽くされ、皆が挙って紙吹雪を振り撒く。
足元や民家の上からも降り注ぐ紙吹雪を浴びるのは、馬上より手を振るまだ十六前後の青年である。髪は黒、瞳も澄んだ黒の双眸。物好きそうな幼く見える顔立ちに、人知れぬ凛々しさを秘めた人相である。
純白の毛並みと鬣を風に靡かせた白馬に跨り、金銀珠玉の装飾が施された鎧に身を包む姿は、いかにも吟遊詩人の伝承歌“サーガ”に登場する王子様といった風体だ。
彼の姿を見つけると、鎧の肩当を止まり木の変わりにして翼をたたむ。
王子様の肩に止まる、鷹とも鸚鵡“オウム”ともつかぬ稲穂色の羽毛を持った鳥を、また人々は神の使いと囃し立てる。
「どこへ行っていたんだい?」
青年が笑顔を振り撒きながらも小声で問う。
鳥に問うて答えが返ってくるわけがない、と誰しもが思うであろう。
しかし、鳥は皆に気取られぬように薄く微笑みを浮かべ、
「ちょっと、周りを見てきたの。みんながあなたのことを英雄だと思ってる」と意地悪く言う。
見た目さえ奇異な鳥ではあるが、口を利くと知ればさらに皆一様に驚くであろう。
そのような怪鳥に、青年は擽ったそうに笑みを返しながら少し申し訳なさそうに口を開く。
「こんなの柄じゃないのだけれども……」
「仕方ないわ。だってあなたは、魔王を倒して帰ってきた勇者様だもの」
王都まで帰ってきてもまだ、難しがる青年に、またしても怪鳥は皮肉を込めてその言葉を囁いた。
勇者――世界を暗黒に包む邪悪の王、魔王を倒して英雄となった物の総称。
どこの伝承歌にもある存在だ。それが時として魔獣であったり、龍であったりすることもある。
彼の名はフェンリッド=シェイナス。
魔王メルリナを倒して世界に平和をもたらした、勇者フェンリッド。
「フェン、あなたは勇者でいたくないの?」
怪鳥の問いに、フェンリッドは難題を前にした学者のような顔をした。
「こんなの詐欺だよ。だから、王様にはちゃんと話すよ」
律儀というのか、フェンリッドは民衆を欺いていることに罪悪感を抱かずにはいられない。
「けれど、勘違いしたのはあなたじゃなくて王様の方でしょ? あなたは悪くないじゃない。だから、今はこうして勇者様を演じれば良いのよ」
怪鳥が耳元でそう諭しても、フェンリッドは納得せずに首をかしげる。
納得できないのも無理はない、と密かに怪鳥は思う。
彼にそんなことを説得している自分でさえ、説得していることを滑稽に思ってしまうのだから。
王都ラクレスから遥か北の山脈に、魔王メルリナは姿を現した。
メルリナは山脈深くに身を潜め、世界に跋扈する人ならざる存在――『異形“クリーチ”』――を操り人々を恐怖に陥れた。
森林の開拓をするキコリ達を襲い、作物を食い荒らすだけでは飽き足らず民家を破壊して、町や村をいくつも壊滅させたのも被害の一部でしかない。
三つに分かれた大国同士が睨み合う中、王政が整わぬ状況で『異形』の集団が猛威を振るい、人々は恐怖と絶望のどん底を垣間見たのだった。
そんな明日の光も見えぬ時、国王の勅命を受けて立ち上がったのが王都の城下に住むフェンリッドである。
切れ長の目に輝きを伴った黒の双眸、整った顔立ちこそ持つがどこか気弱に見えてしまう凡夫。しかし、王城に仕えていた剣士の父と歩弓手“ほきゅうしゅ”の母との間に生まれたが故に、両者の才能を持ち合わせたことが幸か不幸か、魔王退治に乗り出す羽目となったのだった。
だが、魔王メルリナもまた、蓋を開けてしまえばなんてことはない。
『異形』達の中でも好かれた一匹の雌が、人間への不平不満を呟いたものが周囲に広まり、強迫観念のようにして破壊に突き動かしただけなのだ。
もともと、『異形』達は王などというものを作らず気儘に生きる存在。そこいらの動物や人間と相変わらぬのである。
中には群れて、一匹のリーダーに付き従う集団もいよう。長い年月を経て知恵を持ったモノが、他のモノを誑かして悪事を働くこともあろう。
要は、魔王などというのは、人間が勝手にそれらの纏め役を『異形』の王だと思い込んだのが始まりだった。
そして、かく言う勇者の肩に留まる怪鳥こそ、人々から恐れられた魔王メルリナ本人なのだから、倒しにきた勇者フェンリッドを諭すなど馬鹿げたことだと思う。
いや、実際のところ、怪鳥が魔王ではなく、単なる『異形』達のアイドル的存在ならば、彼女を諭しただけのフェンリッドは勇者ではないという答えが導き出されるわけだ。
ゆえに、倒してもいない魔王を倒したとして、勇者となっ――勘違いされ――たフェンリッドに言わせるなら民衆を騙している詐欺師でしかない。
「けれど、私から真実を聞いたときのあなたの顔と言ったら、傑作でしかなかったわね。それでも、真面目に悪さを止めるように説得する顔には惚れちゃったわ」
と、フェンリッドと出会ったときのことを思い出してクスッと笑いを漏らす。
それが、『異形』達のアイドル、メルリナことメリィが人間のフェンリッドと共に王都の凱旋式に顔を出している理由であった。
「フェンリッド様ッ!」
目の前を通りかかったフェンリッドに、町娘の一人が歓喜の声を上げる。
笑顔を向けようとフェンリッドが首を捻るが、咄嗟にメルリナは顔の前に立って隠してしまう。
「こっ、こら……」
「勇者様じゃないのでしょ? なら、無闇矢鱈に笑顔を振り撒かないでよ。あなたの笑顔も、困った顔も、私だけのものなのだから!」
そう独占欲たっぷりにのたまうメルリナを、フェンリッドは呆れ顔で見つめる。
一度、溜息を吐いた後、再び前を向き直り大通りの果てにそびえる白い王城を見据えた。
そのまま、勇者を乗せた白馬は蹄で石畳を叩き、凱旋の交響曲を奏でながら花道を城門まで歩むのであった。
弐
フェンリッドが城門を潜った後、誰も姿を知らぬとは言え、流石に魔王とされたメルリナが城内に入るわけも行かず、彼の元を離れた。何をするでもなく、王都の外を飛び回っていたように凱旋式のお祭り騒ぎを上空から見下ろす。
人里離れた辺境の山脈に身をやつしていたメルリナには、人間達の宴というのは興味深いものだった。
『異形』の中には、本能のままに生きるモノもいる。また、メルリナのように人間に近い知識を持ち合わせるモノもいる。
後者の『異形』達の中にも、人間と同様に祝い事をするモノも少なくはない。
野山から集めた木の実にせよ、人間の田畑から奪った作物や家畜にせよ、そうした嗜好は人の文化と相変わらぬものなのではなかろうか。
人間が狩りに興じるように、またメルリナ達も狩りをする。それが野生の動物を狩るか、人間を狩るか、といった弱肉強食の食物連鎖という些細な違いだけで。
「何が悪いとか、何が駄目とかじゃないのかもね。人間が獲物である動物を家畜として共存するみたいに、私達にだって人間と共存する術があるのかもしれない……」
荘厳な人々の歓喜を耳に、メルリナは独り言のように夢見がちな望みを口にした。
「馬鹿な話よね……。さて、今頃フェンは王様にご馳走をいただいているのでしょうから、私もどこかでご馳走にありつこうかしら」
希望的観測を頭から振り払い、気を取り直して食気に走る。
どこの屋台から食べ物を掻っ攫おうか、などと考えているところだった。
「あれ? あれってフェン……よね?」と間抜けな声を出して首をかしげる。
おかしな話だが、王城に入っていったはずのフェンリッドが路地裏に姿を消していった。
しかし、フェンリッド本人であるはずがない。
今まで美しい鎧を着ていたフェンリッドとは、そのときの姿がまったく違う。
良く言えばみすぼらしい、悪く言えば小汚い、襤褸とも言える布のローブとケープを身に纏っていた。それに、フェンリッドとは違う白銀の髪の毛も、後ろ髪をうなじまで伸ばしていた。
「横顔をチラッと見ただけだし、他人の空似よね」
そう、自分を納得させる。
メルリナ達『異形』には、人間の顔形など細かく識別できない。人間が家畜を模様や顔つきで大まかな分別をつけるように、私達も人間を大まかにしか認識しないのだ。
ただ、そう納得させつつも、不思議と好奇心がうずく。
他人の空似と思いたくとも、どれだけ短時間で髪の毛が伸びようとも、似すぎていたからだろうか。
低空を飛び、フェンリッドのそっくりさんを追って路地裏へと入ってゆく。
王都の城下は、これまで見てきた町よりも大きい。
城門から城壁の門につながる大通りから、十字にいくつもの枝道が伸びる。その枝道に交わりながら城下を中心にして四角く、大通りよりも小さな表通りと呼ばれる道が取り囲む。
そうした道に属さぬ民家と民家の間にある、日の当たらぬ道を、ゴロツキや盗賊が隠れ処とする裏通りが点在するという造形だ。
まさかフェンリッドが裏通りに出入りするとは思えないし、兄弟がいるという話も道中で聞いたことはなかった。あまり家族や友人関係について語らないので、実は王都に兄弟の一人ぐらいいても当然だろう。メルリナとて、喋りたくもない事情に突っ込むほど野暮ではない。
と、邪推を続けながら路地裏の角を曲がった時だ。
「キャッ!」
曲がり角に佇んでいたのか、またはこちらへ戻ってくるところだったのか、メルリナは誰かと鉢合わせになってぶつかってしまう。
向こうに言わせれば、鉢合わせではなく待ち伏せしていたのだが。
「誰かにつけられてると思ったら、俺と瓜二つの勇者様の肩に乗っかってた鳥じゃないか。見たところ珍しい異国の鳥みたいだし、この毛並みなら高く売れるかも、な。しかも、勇者様縁“ゆかり”の品なら相当の値になるぜ」
そう言いながらメルリナを見下ろすのは、フェンリッドとは到底かけ離れた物欲に塗れた笑み。牡丹の如き口が闇の中で三日月形に吊り上り、鳶色の瞳が値踏みしながらメルリナを見据える。
ただ、そんな表情でありながら、言葉の端々から攫われると読み取れることに恐怖を感じながらも、嫌悪を感じることはなかった。それに、男の言葉が真偽かどうかも読み取ることができない。悪性からでた本音か、祭の陽気に口走ってしまった戯れ言か。
と不安に駆られていれば、
「おいおい、そう脅えなさんな。旅をするための路銀や食料を奪うことはあっても、態々“わざわざ”勇者様を敵に回そうとは思わないよ。悪い奴らに捕まる前に、早くお帰り」
そう、自嘲とも取れる苦い笑みを浮かべて告げる。
そして、懐から取り出した酒の一瓶に口をつけながら路地裏の闇へと姿を消すのであった。
メルリナはしばし呆然としてから、ハッと我に返り急いで、蒼穹の見える民家の隙間へ飛び去った。
「なんだったのかしら……」
見下ろすところに男の姿はなく、ただ独り言を口にする。
そうして、馳走にありつくこともなく王城に向かって羽ばたき、偶然にも城門を出るフェンリッドと落ち合う。
「どうだった?」と問えば、
国王に真実を告げたこと、働きを労われ北方の小村の軍尉に封じられたことを知らせてくれた。
城下の生まれであるフェンリッドにしてみれば、国王の命で従軍できるだけでも喜ばしいことだ。が、仮に一国の危機を救った青年に対し、それだけの恩賞では割に合わぬような気がする。
そのことは、フェンリッド自身が満足しているようなので心に仕舞っておく。
旅立ちは、凱旋の間々もなく翌日の黎明直ぐである。
魔王退治の旅の疲れも癒えぬ内に、迎えの従者が家の戸を叩く。叩き起こされ、慌てて荷を纏めたフェンリッドをのせた御車は、住み慣れた城下に別れを告げる暇も与えてくれず件“くだん”の小村へと向かう。
参
日が暮れるころ、フェンリッドとメルリナを乗せた御車は、王都より遠く離れたウェルフォルン地方の村落へと到着する。
長閑と言うだけで決して活気があるわけでもない、村民達が隠れるようにして畜産を続け細々の住まうところである。また、南東の民国、南西の帝国の国境とも交わらぬ辺境故に更なる名を立てる争いごともない。
諍いごとの苦手なフェンリッドにしてみれば、戦も喧騒もないこうした辺境の方が性にあっているのだろうが。
今にして思えば、幼くに両親を失ったフェンリッドを魔王退治に狩り出したことも、褒賞が辺鄙な農村の軍尉程度だったことを含め、国王の遣り口に憤然とする。
フェンリッド本人が顔に出さぬので何も言えないが、やはり直訴の一つもしたくなる。
「さあ、着いたぞ」
従者がフェンリッドを御車から降ろす態度も、勇者に対してのものではない。
フェンリッドは、他者の悪意に疎いのか、冷たくあしらう態にも気にした様子なく御車を降りる。
フェンリッドが荷物を全て持って降りたことを確認すると、従者は早々と馬を走らせて去ってゆく。まるで、新しい軍尉の到着を憂う村民の目を逃れたいばかりに。
「良いところだね。空気が美味しい。ほら、見て、綺麗な小川まで流れてる」
嬉々と子供のように村を探索し、小川の畔でせせらぎに耳を澄ませるフェンリッドの背を見ていると、彼の無垢な性を哀れにさえ思ってしまう。
「遊んでいないで早く行きましょうよ。あそこが、今日からフェンの仕事場のようね」
駆け回るフェンリッドを母親のように窘め、村の低い丘を登ったところにある豪奢とも言いがたい館を目指す。館というにはややちんけで、それでも周囲の民家より浮いた建物だ。
館に辿り着いたフェンリッドを待っていたのは、数人の侍女の歓迎ぐらいのものか。
それでも、頭を下げる侍女の目には、新しい軍尉への歓迎の意より恐怖が湛えられていた。
一町民のフェンリッドにしてもれば呆然と突っ立ってしまうような光景も、新しい家主を軒先で待たせる非礼を恐れて言わずとも彼の荷物を二階に運んでゆく侍女の姿が、薄呆けさせてしまう。
荷物といっても、数着の服と軽鎧“ライト・メイル”、珠玉をあしらえた一振りの両手剣を除けば、とんと何もない。
鎧と剣は私を退治しに来たときも持っていたが、どうやら父の形見らしい。本人は身の上を語らずとも、就寝の時にも傍に置くほどのものだ。分からぬわけがない。
そんなまだ幼心を持った十六の青年が物珍しそうにしていると、老齢の侍女が声を掛けてくる。
「夕餉“ゆうげ”の準備が整っておりますが、いかがいたしましょう?」
「いただくよ。メル、えっと……メリィの分はあるかな? 肉と果物が好きなんだけど」
「分かりました。直ぐにご用意させていただきます」
フェンリッドと数言交わして、食卓まで案内するとそそくさと台所へと姿を消す。
フェンリッドの無垢な言動を前にしても、まだ新任の軍尉に対する恐れが拭えぬようだ。恐る恐るといった態度が、過去の軍職者の畏怖を示唆しているのは分かる。
フェンリッドが気づいているかは甚だ怪しいが、夕食自体は恙無く終わりを告げた。
夕食の後、フェンリッドとメルリナは二階の自室に戻ってベッドに身を投げていた。
「……軍尉というのはどうしたらよいものだろうか?」
フェンリッドは組んだ腕を枕に、天井を仰ぎながら誰ともなく問う。
王国ラクレスには、村、町、宮廷の人民が住まうところの兵、尉、佐、将、師の軍職者が配置される。凡そ、村の兵が役職として一番低く、次に村の尉、村の佐、将と続く。師まで行くと町の兵、尉というように位を上げてゆくのだ。
宮廷というのは王都のような領主の支配する王城を言い、人は高い位に就くことを誉れとする。
仕事の内容としては、兵はどこにいても領土の守りに徹し、尉になると民衆から税を徴収したり不届きな輩を罰することを主とする。また、佐が兵や尉を纏め、その上に将が就く形となる。ただし、師ともなると領主直属の護衛や下位の者の纏めに回るため、功績のみでは決まらず徳望なども重視されるのでなかなか師まで上るものはいない。
すると、フェンリッドの主な仕事は税の徴収や犯罪者の取り締まりであろう。
無論、フェンリッドがそうした単純な組織構成を知らぬことはない。ただ、彼が言いたいのはそうしたことではなくて、徴収する税の案配や司法の基準といったものを心配しているのだ。
これがいき過ぎても、甘すぎてもいけない。
村や町の軍職者は、定められた地域の領主に徴収した税を納めなくてはならず、いくらかは公費として当てなくてはならない。かと言って、徴収し過ぎれば民は生活に困り反感を抱く。
司法の基準も、甘すぎれば犯罪者は跳梁し、厳しすぎれば反感を負うといった気難しいところがある。
大方、新任者が就いた場合は前任者の残した資料を確認して決めれば良い。
「おかしいよね。領主に税を納めても充分に公費を賄えるだけの税を取っているけれど、出資が徴収分より大幅に少ない。ほら、畑に引く用水も着工してないのに税だけは徴収している。それに、処罰した村民の数は全体に対して多すぎるよ。軽い暴行事件にさえ五十杖の刑なんて、重すぎる」
数字と文字が分かれば一目瞭然たる資料を見て、フェンリッドが訝しんだ。
それで、村人や侍女達の余所余所しい態度の理由に凡そ検討がつく。
前任者の暴虐と重税の所為で、村民は軍職者に対して不満を抱いている。その不満を取り除かぬ限りは、ここでの暮らしは辛いものとなるだろう。
「明日から早速始めよう。誠意を持って努めれば、みんなもきっと分かってくれるよ」
そう、フェンリッドは決意を固めて軍尉の仕事に従事した。
翌日からお触れを出し、明確に税の取り分と罪状を報せる。
一つに、田畑一反につき五分の一を税として収めよ。
一つに、場合如何によっては減税もありうる。
一つに、定めし罪に相応の罰を与える。
一つに、異議申し立てあれば直訴も適う。
等々、幾らかのお触れを出して、直訴にて村民の不満を取り除いてゆく。そうした誠実さが実ったか、一月を過ぎるころにはフェンリッドは良君として村民に敬われることとなった。
逃走
壱
フェンリッドが小村の軍尉について三年は経とうとしていた。
そんな折に、小村は惨事に見舞われようしていた。
初夏も過ぎ、そろそろ夏が訪れようとしていたあくる日のこと。
その年は例年になく日照りが続き、農作も儘ならぬ不毛の日々を送っていた。美しかった小川は枯れ果て、新緑の稲穂は頭首(こうべ)を垂れて葉に皺を寄せる。
思えば、何かの予兆と危惧してもおかしくはなかった天候である。
昼に村の空を厚い雨雲が覆い、久しく雨が来ると村民も嬉々としていた。しかし、夜も更けるころには雨というよりも滝の如く水が降る。そうした悪天が数日も続けば、小川に流れていた川の主流も水嵩(みずかさ)が増し、人の手には負えぬ激流となって村を襲う。
村の男が総出で川を塞き止めようと土嚢を積むやら堰(せき)を作るも、それも耐え切れず奔流となって村全土を流しつくしたのであった。
「……嗚呼、如何としたものか。今年の稲穂だけではない、村も完全に地へ埋まり人の住むところもない」
と村民の誰かが嘆く。
幾らかは激流に流され、幾らかは家内にまで土砂が埋め尽くしていた。
こうなれば、復興するのも数年を要する。
「しかし、幸いにも死者は出なかった。村はまた作り直せば良い。今年の領主に収める税については、この軍尉が申しに行く。運良く、国王には面識があるのだから」
ことをしかと話せば、国王も待ってくれるだろうとフェンリッドが代表として国王に申し立てに出た。
復興のための重要な資材ではあったが、避難させることの出来た牝馬を借りて王都へ旅立つ。
二十歳にもなろうかという青年の背を、村民は期待を込めて見送るのだった。
いつもなら二日と要せぬだろうが、大雨のために幾らかの道は塞がり、また野盗や山賊が横行する街道をよけて進むと、七日は掛かる旅となる。それに、若い駿馬ならまだしも農耕用の牝馬ではさらに時間が掛かる。
ただ、村民の将来が懸かったこととなれば、フェンリッドも怖気づいてはいられない。着慣れた軽鎧と剣を腰に携え、ゆっくりと、しかし、着実に王都への道を歩んだ。
そして、旅立ってから五日を数えようとしていた時のこと、牝馬に水を飲ませようと川原でひと時の休息を取っていた。
そんな時、どこからか幾人かの怒鳴り声がする。
「何だろうか? まさか、誰か旅の者が匪賊に襲われているのではあるまいか?」
フェンリッドは腰に下げた剣の柄に手を掛け、声のする方へと走る。共についてきたメルリナも、後を追って林の中へと分け入る。
林の中を掻き分け、少し進んだところに人の塊が見える。
単なる匪賊とは思えぬ鎧に身を包んだ武者が、これまた見事な白銀の鎧を纏った武人を取り囲んでいる。
武人は手に剣を持ち、どうにか武者どもの斬撃を凌いでいた。
何が起こっているのかわからぬ内に、
「嗚呼、我もここまでかッ。不逞な帝国の亡者どもに、みすみす首級を渡すこともないわ!」
と、剣を跳ね飛ばされた武人が嘆き喚く。
武者どもは隣国の侵略者らしく、武人は名のある者と見受けする。
武人は己の首を持ち帰っても分からぬように、手近にあった石を引っ掴み己の面を叩き割ろうとした。
そこで、フェンリッドは思わず武人と不逞な輩どもの間に飛び出す。
「フェン、どうするつもりッ?」
木々に止まり様子を窺っていたメルリナの制止も届かず、フェンリッドは両手剣を抜いて武者どもに躍り掛かった。
村の存亡を懸けた役目を負いながら、それを忘れたわけでもあるまいが、流石に自国の者を救えぬとあっては軍職に就く者の名折れと思ったのだ。
「はぁッ!」
裂帛と共に武者の一人を袈裟懸けに切り伏す。
背後からの奇襲という卑怯な手も、血飛沫に全身が鮮血染まったことも気にせず、驚き慄く二人目を切り上げる一撃で屠る。
「林を抜けた川原に私の乗っていた牝馬がおります。我が友の鳥がお供します故、お逃げください」
フェンリッドの助太刀に呆然とする武人は、どうにかその声で我に返り林の外へと駆ける。メルリナもその言葉を聞いていて、武人を川原まで連れて飛び立つ。
「待てッ。ここまで来ておめおめと逃がすかッ!」
「追わせん! くッ」
武人を追おうとした武者に飛礫を投げ、別の武者が振り下ろす剣を受け止める。
武者が使うのは、帝国と呼ばれる隣国の武器で、大きく刀身が反り返ったサーベルという刀剣だった。
「何用あって我が国の境を侵すか知らぬが、このような狼藉は見捨てては置けん!」
「黙れ、浪人風情が! 少しは出来るようだが、帝国の軍人に刃向かって命あると思うなよッ!」
キンッ、キンッと数合を打ち合いながら、両者が怒声を浴びせる。
どちらも怯むことなくまた数合を打ち合ったところで、敵のサーベルが圧し折れる。
「くッ……。流石は王国の剣、細身のサーベルでは適わぬか。しかし、我々が驕るのは剣の腕だけではない」
そう言って武者が腰から引き抜いたのは、刀剣ではなく木と鉄の筒を組み合わせて作った数十センチの棒。
「鉄砲か――ッ?」
敵の持つものの正体に気づいたところで、銃口から眩い火花が散る。頬をピュッと風が掠め、後ろの樹木を小さく穿つ。
帝国という国は、王国とは違いこうした軍事力に国税を費やしていると聞く。鉄砲なる円錐形の鉛を飛ばす武器も、帝国の技術が生み出した戦のための道具であった。
剣を迫り合うだけならば数人を相手にすることも出来ただろうが、剣よりも間合いの広い弓や鉄砲を前にしては、いくら心得のあるフェンリッドの敵ったものではない。弓ならば人並み以上に使えるものの、獣こそ射ることはあっても人を射ったことはなかった。手持ちもない。
どうにか初弾こそかわしたが、木陰に隠れたフェンリッドは手を拱く。
そんな態を見てか、敵も調子に乗ったらしくフェンリッドの隠れる木陰に近づいてくる。
ガサッ、ガサッと敵の足音が近づいてくる。
「役目もここまでか……」木陰に身を伏せ、小さく嘆いたときのことだ。
どこからか飛来する一矢が、鉄砲を持った敵の首筋に突き立つ。
「おうッ、何者ぞ?」
敵の一人が振り向くと、そこに王冠の周囲に幾多もの星を散りばめた刺繍をあしらえた旗の軍勢が殺到する。それ、まさしく王国の紋章なり。
「おぉーい、無事であられるかぁ?」
「フェン、大丈夫なら返事をしてッ!」
聞き覚えのある二合の声に、メルリナと先刻の武人が軍勢を連れて戻ってきたことを知る。
救援が駆けつけると、瞬く間に敵は討ち取られフェンリッドは難を逃れる。
「おうおう、無事でなによりだ。我が名はグレゴウ。家名をフォレストアという。国境の関所に就く軍佐だ。この度の恩は至極感謝する」
グレゴウと名乗る武人が、馬を下りてフェンリッドに謝辞を述べる。
関所に就く軍佐といえば、宮廷の軍尉にも劣らぬ役職である。
「いえ、フォレストア殿もご無事で何より。遅れ申したが、わたくしはフェンリッド。家名はシェイナス。ウェルフォルンの小村で軍尉を勤めております。しかし、またどうして、このような国境より離れたところで帝国の軍人に?」
「いやはや、お恥ずかしいが、先日の悪天に乗じて山地を越えられてしもうてな。気づいて後を追ったものの、仲間から逸れて先刻のように囲まれてしもうたのだ」
災難でありましたな、とグレゴウの説明を聞いて労いをかける。
「そう言えば、王国を悩ませていた魔王を討ち取った勇者殿の名も、フェンリッドと言ったか。まさか、主が?」
やはり王国の守りに就く武人なら、フェンリッドの名を知らないわけもない。
「はい、そのとおりでございます。いえ、勇者と呼ばれていても、しがない一小村の軍尉でございます。大した人間ではございません」
「うむ、そうか。しかし、本当に助太刀感謝する。その勇姿を称えて我が陣にお礼に招きたいところだが、その身なり、どこかに参るつもりであろうか?」
と、問われ、
「はい。同様、先日の悪天で村落が災厄に見舞われ、今年の税を納められるか分からぬ有様でして、国王に直々に承ろうと王都に向かっております」
「そうであったか。それでは時間をとらせるわけには行かぬな。この礼はいずれ、暇が出来た時にでも。そうだ、我からも国王の書状を書こう。下賤な輩を討ち取った働きを知れば、国王も良くしてくださるだろう」
フェンリッドの事情を知ったグレゴウは、そう言うとその場で筆を取って書状を認“したた”める。
「出来た」
短く呟いたグレゴウの書状を、フェンリッドはこれ幸いと受け取る。
お世辞にも達筆とは言えない筆ではあったが、文字そのものはしっかり読める。
「我が戻る国境は王国と反対方向だ。また先刻のように下賤な輩に襲われるとも限らん、森を出るまでご一緒しよう。一人と、驚いたが人の言葉を喋る怪鳥――いや、怪鳥とは恩人の友人に失礼だな。メリィ殿と申したか? 一人と一匹では心細かろう。うぬ、一人で帝国の軍人に挑んだ勇者殿にも失礼だったな」
「いやいや、体が勝手に動いただけなので、然したる勇気など持ってはいません。メリィも、魔王退治の道中で寂しくなり、異国の行商人から安く譲ってもらった鳥が、独り言を聞かせている内に言葉を覚えただけなのです」
褒めそやされて悪い気はしないのか、珍しくフェンリッドが照れ顔を作る。
メルリナのことも、流石に魔王その本人とは言えず、嘘も方便と横目で苦笑を浮かべた。
そして、しばらく他愛のない話をしながら道なき道を進み、フェンリッドはグレゴウの一団と森の外で別れる。
それからフェンリッドは牝馬を走らせ、王都の位置するグラウベル地方に入ったのは夕刻にもなろうかというころであった。
弐
時は遡り、大雨の降りしきった日のことである。
王国と帝国の国境に伸びる山岳地帯を、黒い軍服の一行が列を成す。帝国の軍人達である。
軍人達は、二人か、または三人ほどで荷の乗った荷車を引き、あるいは押し、険しい山岳地帯を登ってゆく。
雨天に乗じて山岳を超え、王国の領土に踏み入れようという魂胆であった。
王国の上空に掛かる雨雲ほど厚くはないものの、山岳地帯とは言え足元は泥濘、険しさと合わせて行軍は思うより先へ進まない。
長い行軍もあってか、多くの軍人は日ごろの訓練にも増して疲労を湛えていた。季節は初夏にも近いのだが、やはり雨の所為もあって一行を寒さが襲う。
そんな彼らを先に追いやるは、軍人のプライドかお国の使命のためか。
そうした大儀に犯された者達の中に、一人だけ他とは違う考えを持つ男がいた。
男の名は、ウォズワルディ=ギュンター。
まだ三十路にもならぬ若い顔立ちに、うなじで一本に纏めた黒の長髪で純白の顔を包んでいる。目つきは鋭く、猛禽類を思わせるその顔は帝国の中でも珍しい。
「こんなことをして、どうにかなるものでもなかろう。雨に姿を隠せても、奇襲をかける頃にはみんな疲弊して返り討ちに合うのが関の山だ」
麻布に包んだ長銃で肩を叩きながら、ウォズワルディが愚痴を零す。
軍人の中で長銃を持つのは狙撃手の証ではあるが、ウォズワルディが持つそれは他のものよりも長く太い。
帝国の歴史の諸説に名を残した『異形』、『爆獣“ブランカム”』の名を冠したウォズワルディの愛銃である。愛銃が濡れてしまうことへの苛立ちもあるが、彼が苛立っているのはそれだけではない。
例え奇襲の基本が相手の意表を突くことであっても、今の愚痴のようにこちらが疲弊していては戦いにならない。それに、こんな多人数では奇襲と言わず単なる戦争を言うのだ。
どうせまた、国境で小競り合いをして引き返すのが落ちだろう。
軍人家系の名門ギュンター家に生まれ、物心がついた時から戦術や兵法を学んできたウォズワルディに言わせれば、この行軍は愚の骨頂と言えた。
ただ、歩銃手零長(俗に言う准尉)の役職であるウォズワルディが異議を唱えたところで、行軍指令三長(大佐)の隊長の決定を覆すことはできないのだ。
「歩銃手の我々さえ、この雨の中ではまともに狙いも定められん。いや、火薬が湿って不発に終わるか……」
そんな不平を声に出していては、疲労に口を閉じていた仲間も流石に気付く。
「ウォズワルディ零長、そのようなことを仰られては戦意を損ねます。お国のためにも、ここは口をお閉じになって従いましょう」
ウォズワルディを嗜めたのは、共に同じ荷車を押していた歩軍二兵(兵長)の若い軍人だった。
「……ほう、二兵の分際で俺に意見するか?」
「い、いえ、士気のことを思えばのこと。すみません、言葉が過ぎました……」
ウォズワルディに睨まれ、若い軍人はたじたじになる。
「ふんッ、まあ、良い。国のために戦う、か。それだから、我々はいつまでも王国如き下等な国一つ潰せんのだ。一国を乗っ取って、王に伸し上がろうと言うぐらいの気概がなければ、命を賭けてまで戦えんだろ。だから我は、いつまでもこんな体たらくな国で一兵卒のまま終わるつもりはない。いずれ、帝国の王――帝王になってやる!」
この時にウォズワルディが発した言葉はすべて本音である。
否、生まれながらの野心家たるウォズワルディにとって、帝国を治める程度では事足りない。いずれ王国を蹂躙し、残りの民国さえ己の手に収めようと考えていた。
そんな仰々しい宣言を耳にした者達は、驚いて目を見張る。耳を疑い、雨中の幻聴ではないかと軍服の袖で米神の辺りを拭う。
いくら雨で遠くまで声が聞こえぬと言っても、下手に隊長の耳に届けば反逆の意思があると取られて――違いはないが――軍法に処せられてもおかしくはない。
皆が慌てて静止しようとするが、それよりも早くウォズワルディが騒ぐ皆を手で静める。
「何か聞こえなかったか? 小石で荷車が揺れた時、悲鳴のようなものが……いや、気のせいか」
いきなりそんなことを言い出すので、また皆は拍子抜けした顔をする。
この雨の中だ。誰かが足を滑らせて叫んでもおかしくはない。
しかし、言い出したウォズワルディが誤魔化したのは、悲鳴の主がどこにいるかわかったからだ。
荷車の荷物を覆う布の下で、食糧の包みとは違う布切れが動いたのを見た。
誰が何のつもりなのか知らないが、帝国軍人の荷車に隠れて食糧を拝借しようとしている痴れ者がいる。
ここで布を引き剥がして暴露させることも出来るが、あえてウォズワルディはそれをしない。一人や二人で持ち出せる量など高が知れているし、ウォズワルディにしてみれば、食糧が消えてもらった方が行軍を中止できる機会となるかも知れないのだ。
フッと、そこで、再びウォズワルディの足が止まる。周りの皆も足を止め、今度は何をほざくか、と身構える。
そうではなく、今度こそ聞き間違えや見間違えではない。
何かが擦れるようなズズズッという重い音と、頭上から落ちてくる小石や拳ほどの石。
「荷車の下に隠れろ! 崖崩れだッ!」
気付いて叫ぶが、既に遅し。
それを合図にしたかのように、頂上から大量の岩が雪崩れとなって降り注ぐ。
大量の土砂が一行を包み、数百、数千という仲間が岩の下敷きとなってゆく。ウォズワルディは、どうにか荷車の下に隠れ暗転する視界の中で思った。
――これは、何を暗示する? そうだ、この中で生き残った俺こそが、この世界を治めるべき男だと、神が言っているに違いない!
たぶんそれは、ウォズワルディの思い違いや馬鹿げた妄想に留まらないだろう。その事実はいずれわかることだが、強ち間違いではないことを知ることになる。
崖崩れが去った後、そこに残っていたのはウォズワルディと荷車の残骸だけだった。
ウォズワルディが隠れていた荷車の上には土砂や岩だけでなく、先を進んでいた仲間の屍や荷車が累々と重なっている。
「酷い有様だ。中群から後群は全滅したか。先鋒隊は既に山を越えたところか、戻ってくる様子もないとは……」
味方に見捨てられたことを悟り、いささかの憤慨と諦観を覚える。
生き残ったのはやはりウォズワルドだけらしく、呼びかけても返事をするものはいない。
と、思っていると、ウォズワルドを守った荷車の上に圧し掛かった土砂や荷車の残骸が小さく盛り上がる。
「し、死ぬかと思った。まさか、ここが天国などということはございませんよね? 軍人様、あなたは生きていらっしゃいますか?」
少しばかり泥に塗れてはいるが、無事に生き残った者がもう一人いた。
紺色のヴェールを被り、同色の法衣を纏った女性。
「……どこのネズミか、と思えば、なぜこんなところにシスターが隠れていらっしゃるのだろう? ずいぶんと若いが、おいくつか、お年をお尋ねしてよろしいか?」
「申し遅れました、私はソフィア=ランテスと言います。ソラとお呼び下さい。お言葉ですが、このような姿でもシスターではなく旅の者です。この姿の方が、女一人で旅をするのに向いているものでして。それから、女性に年を尋ねるのは失礼というものですよ」
自らソラと名乗る偽シスターは、慇懃ながら敬意を含まぬ口調でウォズワルディの質問に答えてゆく。ウォズワルディが憤慨しないのは、女子供のいうことにいちいち腹を立てていても時間の無駄だと思ったからだ。
確かにシスターや神父といった神に仕える聖職者は敬われる存在で、金銭に無頓着という既成概念からか匪賊などに襲われることが少ない。
たぶん、年は二十歳ぐらい、悪ければそれにも満たないだろう。
「軍人様達が王国の国境を超えると聞き知ったので、荷車に隠れてご一緒させていただきました。あ、別に大切な食糧をいただくことが目的だったわけではございませんので、その辺りはご配慮ください」
若くも、女の一人旅をしているだけあって強かだ。
「大丈夫だ。我にソラを裁く権限はない。こんな有様では、匪賊が奪っていっても咎められはしないだろう」
「それは良かった。あら? お怪我をなさっているのですか?」
ソラに言われてみて、初めて手の平から流れる血に気付く。
荷車の残骸か、尖った石で切ったのだろうが、大した怪我ではない。
「手を出してください。私は民国の生まれでして、少しなら治癒の魔術が使えます」
それを聞いて、ウォズワルディは内心で軽く驚く。
噂に聞くところでは、民国の住民は魔術と呼ばれる不思議な力を使えるらしい。
王国は弓や武器の技量に優れ、帝国は銃器などの技術が進んでいる。民国に限っては、平和ボケと呼ばれるほどに軍事力は低く、その代わりに魔術を使って暮らしを豊かにしているのだ。
「なるほど、確かに不思議なものだ。どうすればこんな光を生み出して、傷を癒すことができるのか……この力を帝国に取り入れれば、もっと高みに上れるのでは――」
「集中力が乱れるので静かにしてください。魔術をこの世の理で説明することは不可能に近いのです。例え私のことを黙っていてくださった軍人様でも、魔術を戦争に使うような方に教えられません」
傷を見る見るうちに癒してゆく淡い光を興味深く観察するウォズワルディは、言葉をソラに遮られて渋々と黙る。
いくら恩人であっても、蓋を開ければ民国も帝国とは敵対関係にある。
流石に平和ボケした民国の住民も、敵国に自分達の技術を見す見す手渡すわけはない。
「ところで、ソラはなぜ旅をしている? 女が一人、こんな危険な真似をしてまで旅に出る理由を、当たり障りがなければ教えてくれないか?」
ウォズワルドの問いに、ソラはしばしの逡巡を置いてから口を開いた。
「……弟を探しているのです。けれど、弟は国を飛び出して、どこかに姿を消しました。ただ旅立ったというのなら、魔術師の血は抗えないということでしょう。しかし、弟は魔術を使って悪事を働いていると噂で聞きました。他国から民国まで聞こえるような悪事を行っているのです。実のところ血は繋がっていませんが、私の母の元で共に魔術の修行をし、家族同様に過ごして来た弟を姉弟子として見過ごすことはできません。もし、ギルバートという名をご存知なら、教えていただきたいのですが」
「なるほど……そんな事情があったか。それで、こんな無茶をしてまで王国に入ろうとしていたわけ、か。しかし、残念ながらその名を聞いた覚えはない」
淡々と語るソラの言葉に、嘘や偽りはない。
ヒョウキンな女だと思っていたが、ウォズワルディを見据える瞳に燈る輝きは確かな意志を秘めていた。
「はい、終わりました。この術は、対象者の代謝を活性化させて傷の治りを促進させるものですので、しばらくは体がふらつくと思いますよ」
「これぐらいなら移動するのに支障はない。しかし、ここに留まるのは危険だ。夜になれば、この辺りにも『異形』どもが現れる。明るいうちに麓に戻ったほうが良いだろう」
そうして、ウォズワルディはソラとともに日が暮れ始めた山を降りる。
参
時はまた戻り、七日の旅路を終えてようやくフェンリッドは王都の門を潜った。
二年前に見た景色とは差して変わりはないが、魔王が倒れたことによって以前より活気付いている。
「不思議なものだね。二年しか経っていないのに、故郷がとても懐かしく感じる」
「ウフフッ。誰だってそんなものじゃない? 一月、二月でも、少し離れているだけで故郷の香りを忘れてしまうわ。私だって、住んでいた山の香りを思い出せないもの」
「そうかも知れない。うぅん、感慨に更けている場合じゃなかったね。早く国王に謁見して、村のことを伝えなくては」
懐かしい気持ちを抑え、今は己の使命を優先する。
そんな厳しさも、フェンリッドの優しさの一つなのかもしれない、と肩に留まるメルリナは思った。
たったの二年間であるものの、それだけの間にフェンリッドは成長している。きっと、いつか両親の名に恥じぬ立派な人間に成長するだろう。
名を告げるだけで、王城の門番が取り次ぐのだから、今でも十分立派なのかもしれないが。
「国王がお会いになる、とのことです。しばらくこちらでお待ちください」
門番の言伝を取り次いだ佐官の一人が、フェンリッドを応接間に待たせて王室に入ってゆく。メルリナは、相変わらず王城に入らず城下の探検に飛び立ってしまった。
一人で待つこと、本当にしばらくして国王の呼び出しが掛かる。
「お久しゅうございます、国王。ご健在で何よりとお喜びも申し上げたいところですが、この度、謁見を願ったのは他でもありません。先日の災厄にて、私が納める小村の田畑が甚大な被害を受けました。故に、今年の税を納めるのに苦難しているところです。なにぞと、しばしの猶予を承りたく存じ上げます」
国王に謁見したフェンリッドは、腰を低く慇懃に粗相もなく言い分を伝える。
しかし、国王の反応は今一芳しくない。
「うむぅ」と小さく唸り、顎に蓄えた髭を撫でて思案する。
フェンリッドの良君ぶりは、王都にも十分聞こえてきているはずだ。それに、大雨の被害を受けたのはフェンリッドの小村だけに留まらない。下流の町村も河川の氾濫で田畑をやられ、漁村などでも流れてきた残骸などで漁が難航していると聞く。
しかし、また、そうした直訴だけを聞いていては一国の経済が回ってゆかなくなる。
「もし王都の蓄えが危ういのでしたら、村の蓄えを少しずつ捻出していきます」
「いやいや、王都にも十分な蓄えはあるのだ。二年や三年程度ならば十分に持つだろう。ただ、我も色々と処理せねばならぬ訴状がある。しばし、城下にて待たれよ。明日か明後日には沙汰を伝令に伝えさせる」
「はッ。ありがたきお言葉。それでは、良きお返事をお待ちしております」
まだはっきりとした結果は出ていないが、悪い結果にはならないだろう。いざとなれば、まだ手渡していないグレゴウの書状を見せれば言い。
フェンリッドはそれだけのやり取りを終え、王城を後にする。
果たして、国王の沙汰が出るまでどこにいようか。悩む必要もない。ここはフェンリッドの生まれ故郷であり、家財こそ小村に移したものの一晩や二晩、寝泊りする家は残っている。
メルリナはまだ王都を探索しているらしいが、乗ってきた牝馬を家の前に繋いで置けばわかるだろう。
フェンリッドが懐かしの家路に着いた途中で出会ったのは、両親が死んで依頼、色々と世話を焼いてくれた隣人達だった。
「おぉ、フェンの坊主。いや、勇者様じゃないか」
「どうしたんだい、また? いつ帰ってきたんだい?」
ドルスおじさんに、テミーナおばさん。
その息子さんや娘さんなど、揃ってフェンリッドを出迎えてくれた。
フェンリッドは王都に戻ってきた事情や、王城での話を簡潔に伝える。
「そいつは災難だったな。この辺りは大して被害もなかったが、少しでも真っ当な生活を求めて逃れてくる者がいる」
「宿場は儲かるし、市場でも買い物をしてくれるから、活気付いてきてはいるけどね。治安の方は、まだ少し不安が残っているわね」
と、口々に現状の報告をしてくれる隣人達。
どうやら、まだ世の中も捨てたものではないらしい。もしかしたら、小村の何人かは王都や他の町に避難しているかもしれない。
「まあ、何かあったらいつでも呼びな。出来ることなら力になるからよ」
「遠慮なんかしちゃいけないよ。あんたのお父さんとお母さんには、色々と良くしてもらったからねぇ」
頼り甲斐のある隣人達のウィンクを受け取り、フェンリッドは一旦別れを告げて自分の家に入る。
久しぶりに戻ってきた家は、懐かしく、そして埃臭かった。持ち出せなかった家財に被さる埃を払い、床や壁の状態を確かめる。少し痛んではいるが、寝泊りするだけなら問題はなさそうだ。
フェンリッドは軽く床の埃を払い、手拭で拭いて寝床を作る。流石にベッドを使えるようにするには時間がないため、旅路で使ってきた寝袋を使うことにした。
一夜を明かす準備を終えて、次は食事の準備を始める。
すると、誰かが扉を叩く音が響く。
誰だろう、と思って、
「どうぞ、汚いところですがお入りください」と返答する。
返事を聞いて入ってきたのは、テミーナおばさんだった。
「あら、美味しそうな匂いじゃない。お母さんに教えてもらった腕は鈍っていないようね」
「えぇ、向こうでも色々と作り方を教えて貰いましたから」
「これ、大したものじゃないけどお食べなさい」
そう言って、テミーナおばさんがおすそ分けを手渡してくれる。
「ありがとうご――」
「――フェンリッドの坊主、一緒に酒でも飲もうや」
お礼を言い終わるより早く、今度はドルスおじさんがお酒を持ってやってくる。
それに続いては、隣人やら知り合いやらがフェンリッドの無事を祝いに酒盃やご馳走を持ち寄ってくるのだから、てんてこ舞いになるのも当然だ。
その日は、探索から帰ってきたメルリナも一緒になって夜遅くまで騒いだ。
そして、小さな宴が終えたのは、夜も更けた牛の刻ごろである。
フェンリッドにとっての、最後の平和な夜は終わりを告げたのだった。
フェンリッドの安眠と、城下の静寂を妨げたのは、ドアを蹴破る音と、響き渡る多くの怒号。
四
王都の王室にて。
フェンリッドに謁見を許した後、国王はしきりに王座の前を行き来する。
左官が、
「何をお考えになられていらっしゃるか?」と問う。
国王は気難しい顔をして、答える。
「ここのところ、おかしな夢ばかり見るのだ。あの勇者が魔王を倒したと聞いた日から、黄金色の鷹に追われる夢ばかり……」
「うむ、それは反逆の暗示でございます。あの勇者、名声を得ていずれ王を王座から引き摺り降ろそうとしているに違いありません」
「やはりそうか。巫女に聞いたところ、あの者を近くに置いてはならぬと言われた。態よく田舎に封じれたと思ったが、まさか戻ってくるとは」
いずれフェンリッドが身の毒となる、と考えた国王は、即座に兵を集めて向かわせる。
そして、宴を開くフェンリッドの周囲からの親しまれようを兵から聞き知って、さらに危惧を深める。
夜が更け、城下が寝静まったところでフェンリッドを討てと命じた。
そして夜が更けた頃、フェンリッドの家の前に集った兵は一斉に家の中へと殺到する。
扉が蹴破られた音で目を覚ましたフェンリッドは、身の危険を知ってすぐさま窓から外へ逃げ出す。
「どうして王の兵士達が襲ってくるのだろう?」
「わからないわ。でも、王国の兵士であることには間違いないみたい」
フェンリッドとメルリナは、分けもわからず奔走する。
持ち出せたのは大切な剣と鎧だけで、服は着の身着のまま。
「これに乗って逃げましょう。あの牝馬では、直ぐに追いつかれてしまうわ!」
メルリナが、家の前に繋がれていた王城飼いの馬を見つけて叫ぶ。
盗みはフェンリッドの思うところではないが、分けもわからず殺されるよりはマシと馬に跨る。
馬は驚きに嘶くも、フェンリッドに宥められて走り出す。
「追ってくるわ。危ない!」
メルリナの叫びに、咄嗟に身を伏せる。
ちょうど頭上を、一矢が飛び去っていった。
馬を奪われたことに気付いた兵士達が、一様に矢を番えてフェンリッドに狙いを定める。
道は城門へ続く長い一本道。
このままでは狙い撃ちにされる。
もう駄目かと思った瞬間、家を建てるための木材の山が崩れ、追い迫る兵士達を足止めしてくれた。
そして、足を速めるフェンリッドの前に、松明の明かりが煌く。
「こっちへ、早く!」
声を潜めた誰かが、フェンリッドを脇道に誘導する。
「テミーナおばさんッ?」
「シッ!」
脇道に逃げ込むと、テミーナおばさんと何人かの知り合いがいる。
「ここに隠れていなさい」
「城門のほうへ逃げたわ!」
木材を超えて追ってきた兵士を、他のみんなが別のところへ誘導し始める。
城門に立つ門番にも、嘘を吹き込んで外れてもらう。
「さあ、早く逃げなさい」
「でも、それじゃあ皆が……」
ここでフェンリッドだけ逃げれば、助けた知り合い達が咎められる。
「大丈夫よ。あなたのお父さんとお母さんに受けた恩を思えば、あなたを生きて逃がすぐらい罪じゃないわ」
「早く行きなさい。兵士達も、直ぐに戻ってくるわよ」
皆に急かされ、フェンリッドは辛酸を呑んで馬を走らせた。
「ありがとう! この恩は忘れません。どうか、ご無事で!」
フェンリッドの叫びは、兵士達の怒号にも負けず城下の夜陰へと響き渡る。
きっと戻ってこよう。
何年、何十年と掛かるかも知れない。
けれど、皆の無事を確かめに、必ず戻ってこよう。
フェンリッドは、夜の冷たい風を切って、心にそう誓った。
フェンリッドが王都の喧騒から離れたのは、もう空も白み始める黎明の頃。
初夏だというのに、朝露に熱を奪われた空気が体を凍えさせる。
グラウベルの平原には影もなく、ただフェンリッドとメルリナがゆっくりと歩を進めるだけ。
「これからどうしよう? あのようになっては、たぶん税のことも無理だろう」
「今はそんなことを考えている場合じゃないわ。生き抜くことだけを考えて。いずれ、王国中にあなたは追われることになるのだから」
フェンリッドの優しさは、同時に甘さとなる。
辛い話だが、王国にフェンリッドの居場所はないのだ。
たぶん、村落のほうにも国王の手は伸びるだろう。
「隣国に逃げましょう。王国の人間のほとんどがあなたの敵になるのだから、限られたところに隠れていても直ぐに見つかってしまうわ。帝国か、民国に逃げ込めれば、王国の手も届かなくなる」
メルリナの言うとおりにするしかないのか。
しかし、どんなに考えを巡らせてもそれ以外の方法は思いつかない。
「帝国に逃げるにも、たぶん関所の守りが堅い。民国に身を潜めて、事が静まってから戻ってこよう」
「そうね。いつになるかわからないけれど、生きていなければ何もできはしない。悩んでる暇はないわ。直ぐに進まなければ、兵士達に追いつかれる」
そうして、フェンリッドは行く末を決めた。
何が原因かはわからないが、誰かに勘違いされたまま一生を終えるフェンリッドではない。
国王の心が静まってからまたも戻ってこれば、その時に話せば済む。
それでも、住み慣れた国を出て、異国に渡ることは心残りだった。
「お父様、お母様、不本意ながらこうして国を離れる親不孝な息子をお許しください。必ずや戻ってきて、お二人の墓の前で手を合わせることを誓います」
青く澄んだ空を見据え、フェンリッドは静かに祈る。
祈りを終え、ぐずぐずしている暇はないと馬に鞭を打つ。
王都から民国との国境まではおよそ三日は掛かる。それまでの路銀もないが、運よく軍尉の経験から食べられる草木の見分けや猟の方法も知っている。
だが、心細かった。
たった一人、見知らぬ土地へ行くことが。どこで、『異形』に遭遇するかも知れない恐ろしさが。
まだ、二十歳にもならぬ青年なのだから、それも仕方ない。
いや、一人ではなかった。
肩に留まる小さな温もりが、黎明の寒さから守ってくれていた。
「フェン、これだけは言っておく。私は、どこへ行ってもあなたの味方よ」
「うん、わかっているよ」
メルリナの透き通った声が、心に渦巻く不安を和らげてくれる。
一人で彼女に会いに行けたのだから、これぐらいの旅など大したことはない。だから、ゆっくりでも、確かに、一歩ずつ前へ進んだ。
こうして、一人と一羽が歩む、長い長い物語が始まるのであった。
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2009/06/09(Tue)12:56:17 公開 / 暴走翻訳機
■この作品の著作権は暴走翻訳機さんにあります。無断転載は禁止です。
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■作者からのメッセージ
題名で気づいた方もいらっしゃるとは思いますが、ずばりファンタジーVer.三国志です。
ファンタジー物は苦手なのですが、あえて早いうちに苦手をなくしておこうと挑戦した稚作です。淡々と進む物語の中に、人間的なドラマを。そして、ドラマを盛り上げるのは隠し事一切無用の謀略と人間関係。
序盤は個人戦が多いですが、後々は国対国の戦争を始めてゆく予定です。果たして世界が、そして登場人物がどんなドラマを織り成すのか、楽しんでいただければ幸いです。
三国志を読んだ方ならば、誰が誰に結びついているのか気づいてしまうかも知れませんね。ジャンルについては、戦記が無くなってしまったのであえて時代・歴史物として準ジャンルとして確定いたします。
ちなみに、言葉遣いや地の文が歴史風と現代風が混ざっているため、表現として微妙なところが多々あると思います。それにつきましては、気づいた方の指摘を随時お待ちしています。忌憚無きご意見をどうぞ。
作品の感想については、登竜門:通常版(横書き)をご利用ください。
等幅フォント『ヒラギノ明朝体4等幅』かMS Office系『HGS明朝E』、Winデフォ『MS 明朝』で42文字折り返しの『文庫本的読書モード』。
CSS3により、MSIEとWebKit/Blink(Google Chrome系)ブラウザに対応(2013/11/25)。
MSIEではフォントサイズによってアンチエイリアス掛かるので、「拡大」して見ると読みやすいかも。
2020/03/28:Androidスマホにも対応。Noto Serif JPで表示します。