『優しさのあわいで』 ... ジャンル:ファンタジー 恋愛小説
作者:森木林                

     あらすじ・作品紹介
 人間の麗華と、獣の瑠火。 出会った2つの命には、超えられぬ間(あわい)があった。 近づきたくても近づけずに、離れたくても離れられずに、しかし、思いは捨てられないまま。 幾度となく、繰り広げられる恨みあい、そして、殺し合い。 世の内の濁りの中、真っ直ぐな思いが、静かに光を灯す。

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――序章

1.
――争いは、嫌いだ。人を醜い生き物に変化させる。
   憎しみ合う数だけ、私たちは、命を無くすだけだ。
   喜ぶことも、悲しむこともできずに。

 静かに過ぎる秋の夜。あたりは、すすきが茂る一面の草原。
 頭上に広がるは、満面に輝く月。
 取り囲む雲は、それを遮らず、むしろ、守るかのごとく寄り添っていた。
 その美しさに見とれつつも、自分を取り巻くものの穢れさに、深く思い耽っている少女がいた。
 名は、麗香(れいか)。小柄な体に、小さな顔は、丸い目に、短く切った髪がうっすらとかかる。
 15にもなろう少女というよりは、まだ幼さの残る女子というべきか。

 世は、人間と獣が争い、憎しみ合う、戦乱の時。
 遥か昔、その太古から、姿の違う二者は、殺しあっていたと云う。
 始まりは、些細なことだけに、村の長である長老、和重(かずしげ)にも分からないそうだ。
 いつしか殺しあって、お互いを恨み、ついには決別した。
 人間は大きなヨギ川という川の辺りの低地で暮らし、獣はうっそうと茂る森の奥深くに住まった。
 しかし、獣はまれに水を求め、ヨギ川へ降りてくるのだと言う。
 その度に、争いは起きるのだった。

 最初は恐ろしくも、まだかわいいものだった。
 人は、大きな木の枝や、パチンコで木の実を打ったりして戦った。
 獣は、それに対して、必死に爪を立て、人に立ち向かった。
 命を失うものも、少なくなかったが、戦うそのさまに、醜さは感じられなかった。

 しかし、いつしか人は、鉄や火を自在に操り、鉄砲や鎧、ついには地雷や爆弾をも生み出した。
 それで、何匹、いや何十匹もの獣を、一度に殺したそうだ。
 獣は獣で、卑怯な人間を恨み続けるや、その恨みが呪いを生み、
 呪いを身にまとった獣は、もはや以前の獣の姿ではなくなっていた。

――もう、取り返しは付かない。
 麗香は、丸い月の浮かぶ瞳を潤わせた。
 いずれ、自分も、獣との争いを仕切るべき人間になる。
 麗華は、将軍である義公(よしこう)の、一人娘だった。
 義公は、女であろうと容赦なく、麗華を厳しく育てた。
 いずれは、自分の地位を、わが子に譲るためだった。
 そんな世界に住みながらも、しかし、少女の心は綺麗だった。
 どんな事があろうと、麗華の名の如く、心は穢れることが無かった。
 それは、余計に少女を苦しめた。
 今まで、何度恨んだ事だろう。対象のいない、悲しい恨みを。

 目の前に広がるすすきを見て、自分は、ここでは浮いている存在のように感じられた。
 自然は人を嫌っているのだろうか。
 と、そんなことを考えて、草原を見ていると、遠くに、なにやら、小さな一つの影を見つけた。
 気になった麗華は、ゆっくりと近づいていった。
 自分の背丈ほどの高さのあるすすきを掻き分けていくと、小さく丸まり、うずくまっている一匹の獣がいた。
 足から血を流して、ぴくぴくと、小刻みに震えていた。
――怪我を負っているのかしら。
 不思議と、恐怖は感じなかった。
 それは、父に教えられていたような、恐ろしい獣ではなく、紅く、美しい毛を生やした、子犬のような、子狐のような、小さな生き物だったからかもしれない。
――助けなきゃ。早くしないと、死んじゃう。
 少女は、その獣をそっと腕に抱えた。
 その時、獣は少女を、おびえたような、しかし、美しい目でじっと見つめた。
 そして、目を閉じた。
 少女は、獣を抱いたまま、一目散に草原を駆け出した。


2.
 幼い獣である瑠火(るび)は、少女の懐の温かさを感じていた。
 それは、とても優しい温かさだった。
 人間であるはずの少女が、自分を助けようとしてくれてる。
 今まで、同じ仲間であるはずの獣にも、優しくされたり、助けられたことのない瑠火は、嬉しさよりも、少女の事を恐ろしく思った。
 この温もりが、怖いと思った。
(なんで、俺を助けようとするのだろう)
 おとりにするため? 俺たちの情報を聞くため?
 生まれた瞬間から、獣の社会で生活してきた瑠火には、そんな捻くれた考えしか浮かばなかった。
 
 やがて、麗香と瑠火は、小さな村にたどり着いた。
 ここは、義公の城の城下町。麗香は、よくここに遊びに来る。
 息をつく間もなく、麗香は手当たりしだいに、近くにあった家の戸を叩いた。
 だが、村のほとんどの家を回っても、返事は返ってこなかった。
 当然だ。もう真夜中。みな寝静まっている頃だ。
 次第に、麗香の心に、諦めの気持ちが芽生え始めた。
 しかし、腕の中で、辛そうに荒く呼吸をしている小さな獣を見ると、諦めの気持ちは、たちまち、消えていくのだった。
――諦めたら、この子は助からない。
 自分がめげるわけにはいかないのだ。
 麗香は、村の一番奥の、長老、和重が住む家の前にたった。
 この家が、最後だった。
――じいちゃん。……お願い。
 麗香は、和重が起きている事を願いながら、何度も戸を叩いた。
 しかし、返事は返ってこない。
 腕の中の幼い獣の息は、さらに荒くなっていた。
 胸が痛くなって、涙が溢れてくる。
――お願い。お願いだから……。
 麗香は涙を流して、強く、何度でも戸を叩いた。
 すると、暗くなっていた家の窓に、そっと明かりがともった。
「誰じゃ……。こんな真夜中に」
 和重の声は、まだ寝ぼけているようだったが、
 戸を開け、少女が小さな血だらけの獣を抱えている様子を見ると、顔色を変えた。
「早く、入りなさい」
 白く立派なひげを顎に生やした、大きな体をした優しそうな老人、和重が焦りつつそう言うと、麗香はうなずいて家へ入った。

 和重は、暖炉に火をともし、麗香に、ソファーへ座るよう促すと、家の奥のほうへ行ってしまった。
 ごそごそと、何かを探している音がする。
 麗香は、そっと腕の中にいる獣に視線をおろした。
(何で、あんなところにいたのだろう)
 獣の足に刻まれた傷からは、鉄の臭い匂いがした。
 間違いない。人に切られたのだろう。
 深くはなさそうだが、絶えずあふれ出る血を見ていると、焦らずにはいられなくなる。
 
 やがて、和重が奥から戻ってくると、手には救急箱のような、古い箱を持っていた。
「ちょっと、貸してみなさい」
 和重がそう言うと、少女は戸惑った。
 この村にも、獣はまれに襲いにくる。
 だから村人は、たとえ子だろうと、獣にいい感情は持っていないと、麗香は思っていた。
 だから、普段優しい和重であっても、渡すのには迷った。
「大丈夫、傷を癒してやるだけだから」
 優しく言うと、少女はうなずいて、腕の中の獣を手渡した。
 傷は深くはないようだった。しかし、一応、消毒はしておくべきだろう。
 和重は、丁寧に、獣の足に包帯を巻いてやった。
「しばらく、寝かしてやった方がいいな。君も、一晩ここに泊まりなさい。
お城までは、遠いだろう。部屋を空けてあるから、休んでいきな」
 麗香は、将軍、義公の子だ。
 お城までは、かなり距離がある。
 少女が静かにうなずくと、和重は部屋に案内した。
 少女と瑠火を寝かすと、どちらもすぐに眠りに付いた。
 その健気な2つの寝顔を見て、和重は胸が痛んだ。
 
 満月が覆い、静かに輝く夜は、いつもと同じように、明け方へと向かっていく。
 しかし、この小さな国で起きた、小さな出来事は、美しく悲しい未来の幕開けとなる。
 そのことを、月は恨んだ。


3.
 翌朝、麗香が目を覚ますと、家の外から、薪を切る音が聞こえてきた。
 穏やかな日差しが、窓から差し込んでくる。
 その窓からは、和重の薪を切る姿を、目も前に見ることが出来た。
 隣では、獣の子が、まだ眠っていた。
 その寝顔は、一見優しそうで、穏やかそうだが、安らいでいるようでは、なかった。怯えているのだと、麗香は思った。
 少女は体を起こして、家の外へ出た。
 外で、和重が汗をかきながら、薪を割っていた。
「おう、麗香。目を覚ましたか」
 和重は、笑顔を浮かべて言った。
 麗香は、小さくうなずいて、和重の傍らに腰を下ろした。
「あの子は、まだ眠っとるようだな」
 麗香には、色々、言いたい事があった。訊きたいことがあった。
 しかし、どれから訊けばいいのか分からなかった。
 だから、麗香は、そっと和重の胸に顔を当てて、複雑な思いを抱えて、泣いた。
「悲しかろう」
 和重は、少女の心が痛いほど分かった。
「お前の気持ちはよく分かる。私も、昨日、あの弱弱しい獣の子を、
見殺すことなど出来なかった。定めを、知っていようと。
だが、たとえ子だろうと、殺さねばならぬ。それが、私たち人間の、
せねばならぬ事なのだよ。麗香」
 少女を抱えた巨体な老人は、痛々しく、つぶやいた。
 麗香は、声を上げて泣いた。
 獣は、殺さねばならない。
 それは、鉄則だった。
 たとえ子でも、逃がせば大きくなった時、人を襲ってくることは目に見えている。
 殺さねば、殺される。
 それは、人も同じだ。
 獣を助けたために殺された、哀れな人間が、何人いたことだろう。
 麗香は、声が枯れるほど、ずっと、ずっと、泣き続けた。
 悲しい運命は、少女の綺麗な心を、きずずきと傷めつけた。


 その様子を、家の窓から、そっと見ている影があった。 
 瑠火だった。
 瑠火は、おのが命がいずれ奪われる事を、分かっていた。
 でも、窓からみた景色。少女と老人のやり取りは、理解できなかった。
 そっと、思い浮かべる。獣の社会で暮らしていた日々のこと。
 父と母は、人間に殺され、瑠火の物心が付く頃には、すでにいなかった。
 それからは、獣の世界のボス、影闇(かげや)の遣いとして、働いた。
 人を殺したことも、何度かある。
 影闇は、いつも瑠火に、こう言っていた。
「人間は、恐ろしい生き物ぞ。やつらは、我らに汚らわしい呪いを授けた。
我々は、先祖代々苦しめられ続けた。……人間は、心無き生き物なり。
我らの優しさのようなものは、人間にはない。容赦なく、心無く、生き物を殺す事の出来る悪魔だ。
瑠火、お前は、我らとともに、人間と戦うのだ。そして、思い知らせてやるのだ。
我らの深い苦しみを」

 瑠火には、分からなかった。
 何故、少女と老人が、悲しそうにしているのか。
――俺を、気遣ってくれてるのだろうか。
 瑠火は、首を振った。そして、自分に言い聞かせた。
 人間が、そんな事を思うはずはない。
 人間は、恐ろしい、生き物なのだ。
 目の前に見える景色は、自分を騙す為の偽りなのだ、と。
 しかし、昨日、少女に抱えられた時の温もりが、瑠火には忘れられなかった。



――第一章

1.
「麗香さま、お気をつけなされ。敵は、ただの武者ではありませぬ」
 麗香と並んで馬を走らせている武者は、耳打ちするように、重く低い声で言った。
 全身を鎧で包んだその身は、傍からは鉄の塊にしか見えないが、
 そのがっしりした体と、図太い声は、迫力ある容貌を思わせるには十分だった。
 麗香を先頭にした騎馬の一行は、体勢を整えたまま、一面に広がる草原を駆けていた。
「噂では、獣どもは新たな呪いを生み続け、その能力は増すばかりだと、聞いております。
中には、人に化け、そこらの村にひそかに息づくものも……」
 麗香は、武者の言葉を遮るように、慣れた手つきで、馬に止まるよう指示する。
 それに気づいた武者も、ゆっくりと馬を止めようとし、訝しげに麗香を見た。
「どうなされました? 休まれるのですか?」
 その質問に、麗香は無言でうなずいた。
 それを見た武者は、後に続く騎士たちに大声で言った。
「一旦休憩するぞ。馬を休ませよ」

 騎士や馬たちは、束の間の休息を、思い思いに過ごしていた。
 少し離れた所で、麗香も休んでいた。
 永遠に広がるかのように見える草原。
 穏やかな陽に、優しい風。
 こんなに平和に見えるのに、あの頃と何も変わっていない。
 しゃがみこんで身を丸くした少女は、遠い日の事を思っていた。
 あの獣の子は、まだ元気にしてるだろうか。
 あれから、もう2年程たつ。
「麗香さま」
 突然声をかけられて、驚いた少女は声のする方を見上げた。
 先ほどの、ぶっそうな武者だった。
「獣殺しに、気が進まぬ事は当然でございます。
ただ、義公さまは、麗香さまに戦うということを、知って欲しいのではないでしょうか?」
 武者は、愛想のない声で言った。
 少女は、ただ黙っている。
 その決まらぬ態度を見てか、もどかしげに武者は言った。
「そろそろ、動き始めませぬか。見失っては、元も子もありませぬ」
 その言葉に、無理やり動かされた少女は、仕方なく腰を上げた。
「ねえ、基(もと)。何故、人と獣は、争わねばならないの?」
 基とよばれた、その武者は、当たり前のように言った。
「御先祖様の未練を晴らすためでございます。
獣の手により、尊き命が、幾つも奪われました。
獣は、恐ろしい生き物でございます」


 義公は、獣と争うことをやめなかった。
 先祖代々そうしてきたように、義公も、仇のために戦い続けるのだった。
 今年で17になる娘、麗香にも、自分と同じ道を歩ませるため、いずれは戦を教えようと、ずっと思っていた。
 そして、ついにその時がきた。
 麗香は、義公に呼ばれ、城へ出向くと、唐突に事を伝えられた。
「麗香。まだそなたは幼いが、戦いを知るために、獣退治に出て欲しい。
ある獣が、下町を襲っているとの報を受けてな。
一匹らしいから、兵を多く出せば、そなたにもできよう」
 断ることなど、出来なかった。
 受けざる負えなかったのだ。
 義公の子として、女であれど、その誉れに劣らぬようしっかりと振舞ってきた麗香だが、
 決して戦には出まいと、心に決めていた。
 しかし、いざとなると、その圧力に負けてしまうのだった。


 麗香は、自身の希望で、城から少し離れた場所にある小屋で暮らしていた。
 城にいると、その息苦しさに、絶えられなかったからだ。
 獣退治の依頼を受けてからは、何度も寝ずに悩み込んだ。
 恐れていた時がきてしまったのだと、嘆き続けた。
 また麗華は、以前助けた獣の子が気掛かりだった。
 あの真っ直ぐな眼差しの、どこが穢れていようか。
 まさか、あの子が、今回の敵ではないだろうか。
 そう思うと、辛かった。
 和重と二人で、森へ逃がしてやった日のことを思う。
 泣き止まぬ麗華を見て、最後は自分の身の危険にさらして、和重は麗華の味方をしてくれた。
 命が無くならなくてよかったと、心底喜んだものだ。
 あの時の温もりに触れて、ふっと我に返ると、絶望が襲ってくる。
 いっそ心が無ければ、楽なのに、と、何度も思ったのだった。


2.
 麗華と基を先頭にした騎馬の一行は、草原を駆け続けた。
 会話もなく、闇雲に走るのは、皆の心がいよいよと迫る獣との戦いに集中してる証だった。
 次第に真上にあった陽が沈んでいき、周りの景色はだだっ広かった草原から、
 薄気味の悪い雑木林に入り、獣道へと変わっていった。
 足元もおぼつかかぬ場所に来てからは、一行は一列になり、ゆっくりとした速度になって進んでいく。
 背の高い大木や、おかしな形をしたきのこ、人を喰らいそうな怖い色をした花。
 得体の知れないものが、突然飛び出してきても不思議ではない。
 そんな、恐ろしい空気を漂わせていた。
「このあたりが、人と獣を隔てるあわいです。例の怪物も、この辺りにいるかと思われます」
 基が、静かに言った。
 しかし、物音一つとして無いこの林では、その声は怪しく響いた。
 麗華は、辺りを見回した。
――誰かに、見られてる。
 強くそう感じた。何故か、この前からずっと誰かの視線を感じていたが、ここに来てからはより強く感じた。
――めまいがする。それに、頭痛も。この場所、一体……。
 そんなことを思っているときだった。
 突如、麗華の耳に、聞きなれぬ声が響いてきた。
『ここに来てはいけない。すぐに引き返せ』
 それは少年の声だった。
 驚いて周りを見渡すが、声の主の姿は見えない。
 少し後ろを振り向くと、基は何もない顔をしていた。彼には聞こえていないのだ。
――誰? あなたは誰なの?
 心の中で叫んだ。
 すると、返事が返ってきた。
『いいから早く引き返せ。ここは人の来る場所じゃない』
 さっきよりも抑揚のある声だった。
 言われなくても分かってる。引き返すべきだなんて。
 でも、もう引き返せない。
 遠い昔から、覚悟してきたことなのだ。
 少女は、目を閉じた。臆病な心が生んだ幻聴に違いない。
 自分の弱さに、苛立ちを感じた。

 やがて、一本道だった獣道が、広場のような、一面を大木に囲まれた大きな空間に出た。
 辺りは、うっすらと霧が囲む。
 騎士たちは、麗華の周りに集まった。
 みなが予感した。ここだ、と。
 そして、その予感は的中した。
 広場の奥から、燃えるような赤い毛を生やした人の背丈ほどの大きさのある、狼のような獣が姿を現した。


3.
 静まり返っていた城下町。
 陽が暮れようとする空を、一人の巨体な老人が眺めていた。
 その瞳には、憂いの色を湛えている。 
 その老人、和重は、村の者たちが自分の悪い噂をしていることに、うすうすと気づいていた。
 今から2年ほど前だろうか。将軍の娘が、突然この家に血だらけの獣の子を抱えて、訪ねてきたのは。
 そして、その少女の真っ直ぐな思いに負け、獣を逃がすという大罪を犯してしまったのは。
 あれから、ちょくちょくと、事が噂として飛び交っていたが、最近では、その声も和重の耳に届く程になっていた。
 そして、明らかに、村の者たちは自分を避けてる。
 いつか、事は城に、義公の耳に届くだろう。
 そうなったら、自分の命は無い。
 しかし、こうなる事は覚悟の上での行動だったのだ。
 和重は、そんな事よりも、今朝、獣退治に城を発ったという麗華のことを思っていた。
 麗華の身に、今まさに、危機が訪れようとしている。
 そのことを、身に強く感じた。
――麗華。出来る事なら、そなたの運命を変えたかった。
 自分は無力なだけに何も出来ず、朝からこうして祈ることしか出来ない。
 この思いが届けばと、和重は必死に念じた。
 もしかしたら、何か奇跡が起きるかもしれない。
――神様。哀れなあの子を、どうか、お守りください……。


 広場の奥から出てきた獣は、身を震わし、毛を立たせた。
 紅く美しい体毛が、まるで炎のようにゆれた。
 金色に輝く瞳は、真っ直ぐに麗華たちを捕らえていた。
 麗華は、その迫力に圧倒された。
「愚かな者どもよ。よく来たものだ」
 獣は、低く響く声で言った。
「我ら獣一族は、人間に苦しめられ続けてきた。ついに、その報いを晴らすときが来たのだ。
いずれカゲヤ様が動き出す。そうなれば、人間は終わるであろう。
だが、まずは、そこの娘。あの憎き将軍、義公の子よ。まずはお前を、今から殺す」
 そう言うと、獣は前足で土を掻いた。すぐにでも動き出しそうなしぐさだ。
 麗華は、恐怖で動けなかった。
 父から鉄砲を貰ったが、まともに練習もしたことがなかったから、
 いざとなると、どう扱ったらいいのか、混乱の上分からなくなった。
――あの獣、本気で私を殺す気だわ。
 助けを求める目で、隣にいる基を見た。
 すると、麗華は愕然とした。
 基は、まるで死んでいるかのように、ぴくりとも動かない。
 いや、基だけではない、周りにいる騎士、そう自分以外の人間は動かなくなっているのだ。
「小娘よ、驚いたか」
 少女の様子を見て、獣が言った。
「呪いの力だ。お前以外の、無力な人間は、この霊気の下では動けまい。
どれだけ仲間を連れてこようと、無駄なのだよ。さあ、どうする」
 獣はそう言うと、カッカッと、笑った。
 もはや、どうしようもなかった。
 初めから獣は、こうなることを計算していたのか。
 自分はここで、この獣に殺されねばならないのか。
 少女の足は、ガクガクと震えた。力を抜けば、腰が抜けそうだった。
「さあ、もう時間だ。お別れだ」
 そう言うと、獣は勢いよく麗華に向かって駆け出した。
 まるで風のように、ものすごい勢いで、あっという間に近づいてくる。
 麗華は足がもたついて、動けなかった。
――もう、駄目だ。
 少女は諦め、目を閉じた。
 その時だった。
 ふっと自分の体が、宙に浮いた。
 いや、違う。誰かに持ち上げられたのだ。
 そして、軽やかに襲い掛かる獣を交わした。

4.
 突然の事で、何が起きたのかまったく分からなかった。
 麗華に当たり損ねた獣は、勢い余って、その先の大木にぶつかった。
 麗華を持ち上げていたのは、少年だった。
 清清しい顔立ちに、茶に赤が混じった短髪の、小柄な少年だった。
 麗華はその顔に、見覚えがあった。
 確か数ヶ月前、麗華の護衛として雇われた鼓春(こはる)だ。 
「どうして、ここに?」
 麗華が尋ねると、鼓春は息を切らせ言った。
「いいから、奥で隠れてろ」
 鼓春のその声を聞いて、麗華はあることを思い出した。
 心の中に響いてきたあの声、『ここに来てはいけない』と、警告してきた声。
 あれは、鼓春の声だったのだ。
――でも、何故鼓春が……。
 無限に謎が浮き立つ。麗華は完全に混乱していた。
「おのれ……」
 大木に頭を打ち付けて、つかの間怯んでいた獣が、体を麗華たちの方へ向きなおした。
「早く、隠れろ!」
 鼓春にそう言われると、麗華は素早く辺りを見回し、
 木と木の間に出来た身を隠せそうなくぼみを見つけ、そこに身を潜めた。
 獣は、鼓春目掛けて駆け出した。
「ぐっ」
 鼓春は、小さな剣で獣に立ち向かったが、当然勝てるわけもなく、獣の牙が左腕をかすめ、そこから血が飛び散った。
 少年は、その傷をかばって辛そうに身を屈めた。
――あの剣じゃ、無理だ。
 麗華は、そう思った。あんな、小さい剣では。
 しかし、少年は再び立ち上がると、また獣と向かい合った。
 左腕からは、血が垂れている。
「愚か者め。その剣で俺に勝てると思うか」
 獣はそう言うと、また鼓春目掛けて駆け出した。
 鼓春は、獣の動きに合わせて短剣を振る。
 その時、一瞬だが、鼓春の持っている剣が紫色に光ったように見えた。
「ぐっ……」
 しかし、獣の牙は、また少年の腕をかすめた。
 血が飛び散る。
――やっぱり無理だ。
 麗華がそう思った時、獣が、突然うなりだした。
 鼓春に切られた部分に、緑色の異様な傷が出来、その小さな傷が、獣を苦しめているようだった。
「お、お前。もしや……」
 獣はそう言うと、苦しそうに血を吐き、そして倒れた。
 その瞬間、鼓春も、力が抜けたようにその場にうずくまった。

 麗華が急いで、少年の下へと駆けていく。
 獣に引っかかれた時にできた傷口には、血が滲んでいた。
「大丈夫」
 少年は、傷を負った腕に土をかけ、そう言った。
「早く、この森を出よう。俺の背におぶされ。家まで送る」
 麗華は、首を振った。
 傷を負って、息を荒くする少年に悪いと思ったからだ。
「俺は、いいから。騎士たちは、まだしばらくは動けない」
 麗華の気持ちを察してか、鼓春はそう言った。
 ふと、固まっていた騎士たちを見る。獣を倒したが、まだ、ぴくりともしていなかった。
 申し訳なく思いながら、麗華は、鼓春の背におぶさった。
「しっかり掴まってろ」
 そう言うと、麗華を背負った少年は駆け出した。
 すぐに、風のような速さになった。
 景色が飛んでいくように過ぎる。
 麗華は、最初は驚いて目を瞑っていたが、ゆっくり目を開けた。
 あっという間に森を抜け、あっという間に草原を駆け、あっという間に、城から少し離れた麗華の家にたどり着いた。


 鼓春は、ゆっくり麗華を下ろした。
 いつの間にか、あたりは暗くなっていた。
 月の明かりが、かすかに二人の姿を照らす。
 風に揺れるすすきの擦れる音だけが、静かに響いている。
「ありがとう」
 麗華がそう言うと、鼓春はうなずいた。
 訊きたい事は、たくさんあった。
 しかし、まず何から聞くべきだろうか。
「あの……」
 麗華がとりあえず切り出し、鼓春の方を向くと、
「……あれ?」
 いつのまにか、少年の姿はなくなっていた。
――一体。何だったんだろう。
 今までのは、現実だったのか、夢だったのか。
 麗華は、腕を抓ってみた。痛みを感じた。やっぱり、現実なのだ。

 にわかに信じがたい事が続いたせいか、体はとても疲れており、家に入った麗華は、複雑な思いを抱えながら、まっすぐ床に就いた。



――第二章 「 長老の行く末 」

1.
「みなの者、麗華の獣退治の功しを称える宴だ。とくと祝おうぞ」
 義公がそう言うと、太鼓と笛の音が盛大に大広間に響だし、ガヤガヤと忙しない話し声が出始める。
 城にいるものは皆、この大広間で、祝いの夕餉に集まっていた。
 眩しく飾られた大広間には、縦に長い机が2つ並べられ、そこには永遠と料理が並んだ。
 そこに、城に使えるもの達が隙間なく座り、飯を頬張っていた。
 麗華は、大広間の一番奥に、義公と二人で、特別輝いている席に座っていた。
「麗華。噂によると、そなたは一人で獣を倒したそうではないか」
 義公は、麗華の耳に口を近づけて言った。
 そのきりっとした目と声は、まさに将軍といえるものであり、
 それが近付くと麗華は、子であれど身に力が入った。
「いやあ、実に立派なものよ。さすがわが娘だ」
 義公は、悦ばしげにそう言って、酒を口にした。
「さあ、遠慮せず食え。そなたを祝う宴だ」
 遠くのほうでは、話し声がどんどん大きくなり、騒ぎの様相を呈してきた。
 麗華は、目の前に並べられた豪華な食事に少し手をつけ、
 そっと窓辺へ移動し、外の景色をぼんやりと見た。
 大広間は城の中でも上階に位置していたので、そこからの眺めは美しかった。
 少し遠くに麗華の住む木小屋があり、またそこからすこし遠くに、すすきの茂る草原が見える。
 まだ記憶に新しい、獣の子を助けたあの日の草原だ。
 

 麗華は、鼓春の事は誰にも言っていなかった。言わないほうがいいと思った。 
 鼓春は城に遣える者として、今もここで働いている。
 まれに城の中ですれ違うこともあるが、どことなく気遣わしげな表情をして麗華を見るも、
 言葉を交わすことはなかった。
 麗華も、何か言わないといけないと思いながらも、言葉は出なかった。
――あの少年は、特殊な力の持ち主なのかもしれない。
   何か特別な才を持っているのかもしれない。
 皆にそのことを言えば、間違いなくあの少年は獣退治の兵となるだろう。
 そしてこれから先に待つ、新たな麗華の獣退治の護衛となるかもしれない。
 麗華はこれ以上、少年を巻きこませなくないという思いと、
 新戦力が現れることで、獣との戦にさらに油を注ぐ結果になる事を恐れていた。


――あっ!
 宴の騒ぎを他所に外を見ていた麗華の目に、驚くべき光景が飛び込んで来た。
 数人の兵に取り囲まれ、縛り上げられた老人が、城の方へと連行されていた。
 明らかに様子がおかしかった。何かの罪人だろうか。
 その姿が城に近づいてくる。麗華は、その顔に見覚えがあった。
――じいちゃん!?
 その姿は紛れもなく長老、和重の姿だった。
 麗華は、窓から身を乗り出してその姿を見た。
――間違いない。でも、何で……。
 やがて、和重とそれを取り囲む兵士の姿が見えなくなった。城に入ったのだ。
――なんで、じいちゃんが……。
 あの様子。まるで罪人のように縛り上げられ、身動きを許されぬ姿。
 考え込む麗華に、遠い日の記憶が蘇った。
――まさか。
 いや、それしかない。
 胸に嫌なざわめきを感じた麗華は、一目散に宴会中の大広間を駆け出した。
 後ろから、その行動に驚いた義公が、自分の名を呼んでいるのが聞こえたが、気にせず走った。


2.
――じいちゃんは悪くない。じいちゃんは悪くない。じいちゃんは悪くない。
 そう呟きながら、麗華は、大広間を出た廊下を走っていた。
 ただ、ひたすらに、それだけを考えて走った。
 やがて階段に辿り着くと、すぐに下へ、和重たちが来ているであろう下へと、駆け下りていく。

 獣の味方をしたものは、誰であろうと死刑。
 その鉄則は、いつの時代も守られてきた。
 獣を逃がすのも同じだ。なら、じいちゃんは、殺されてしまうのか。
 違う。じいちゃんは悪くない。悪いのは……、私だ。
 次第に麗華は、自分を責めるようになっていた。
 しかし、麗華自身、悪いことをしたという気はなかった。
 それだけに胸の痛みは、罪悪感とは違う疼きだった。

 一番下の階に降りたとき、廊下の向こうに和重と兵たちの姿を見つけた。
「待って!」
 麗華は叫んだ。
 すると、和重と兵たちが振り返る。
「麗華」
 驚いた声で、和重はつぶやいた。
 麗華は、息を切らせながら、和重達の方へと走った。
 兵に囲まれ、全身を身動きが取れぬ姿にさせられた老人は、
 しかし、走ってくる少女に向けて言うのだった。
「来るな!」
 その声を聞くや、麗華は驚いて立ち止まった。
「じいちゃんは、悪くない……」
 麗華は、つぶやくようにそう言った。
 兵たちは、訝しげに麗華を見た。
 それに気づいた和重は、また強い口調で言った。
「違う! すべて、私が悪いんだ!」
 そう言うと、麗華の姿を尻目に、
 和重は兵達に構わないと言うと、廊下の奥のほうへと連れて行かれた。
 呆然と立ち尽くしていた麗華は、ただその姿を見ていることしかできなかった。

「麗華」
 いつの間にか、麗華の隣には義公の姿があった。
 麗華は義公の顔を見た。
 その表情は、怒りを伴っているようだった。
「父上、悪いのは私です」
 麗華がそう言うと、義公は驚いた様もなく言った。
「分かっておる。お前と二人で、獣を逃がしたのだろう?」
 その言葉を聞くと、麗華は黙った。
「本当はお前も、あの老人と同じ罰を受けるところだが、
今回は多めに見よう。お前にはこれから、多くの仕事をしてもらわねばならぬからな」
「罰って、なんです?」
 麗華は、分かっていながらも、そう訊いた。
「死罪、ということになろう」
 麗華は、その場に崩れた。
 怒りで、体が震えた。
「麗華。今後再び、獣に情けをするようであれば、そなたも罰を受けることになる。
穢れ者に、心を奪われるでないぞ」
 そう言うと、義公はその場を離れた。
 
 誰が悪いのか、何が悪いのか。
 麗華は何度も、何度も己に問いた。
――あの獣を助けたばっかりに、じいちゃんは殺されてしまう。
   こんな事なら、獣など助けなきゃ良かった。
 麗華は、先日戦った、あの獣の姿を思い出した。
『まずはお前を、今から殺す』
 あの獣の言葉。
 思い出すだけで、身震いがする。
――そうだ。獣は、恐ろしい生き物なんだ。
   あんな獣のせいで、じいちゃんは殺されるんだ。
 麗華は、歯を食いしばって、拳を握り締めて、獣を恨んだ。


3.
 その一件を、少年、鼓春は物陰に隠れながら見ていた。
 少女が拳を握り締めて何を思うか考えると、胸が痛む。
 自分のせいで、少女を苦しめている。それがとても悲しい。
(麗華以外の人間であったなら、こんなに苦しい思いはしないで済むのに)
 何故かこの少女と出会ってから、人間に対する恨みの感情は消えていた。
 それは、分かってる。
 あの日の、あの温もりが、忘れられないからだった。
 いつまでも消えないあの少女のぬくもりを、鼓春はいつも手のひらに包んで守ってきた。
 それは失いたくない――大切なもの。


 やがて、少女がだっと表へと駆け出る姿を見て、少年もそっとその後を追った。
 城の外へ出ると、少年は身構えた。
 少女が黒い3つの影に取り囲まれている。
 陽が翳っていてよく見えなかったが、やがて雲が流れ陽が差すと、その影の姿が浮かび上がってくる。
 影は、青黒い毛を生やした獣だった。少女よりも背は低いが、大きな牙と爪を持っていて、どっちが強いかは明らかだ。
 犬のような雄叫びを何度も上げて、瞳を輝かせている。
 獲物を見付け、喜びの表情を称えたその獣の姿は、まさに野犬だった。
 その声を、鼓春はしかと聞いた。
「こいつが将軍の娘か?」
「ああ、そうだろうよ」
「ここで殺せば、先日の抜かりの分は補える。影闇さまの怒りも静まろう」
 カゲヤ、この言葉を聞くや、鼓春は身を震わせた。忘れたいことを思い出させられたかのように。
 自分の立場を、状況を、諭されているな気がした。
 

 突如3つの黒い影に出くわした麗華は、まさに袋のねずみだった。
――獣が、こんな所にも。
 自分は馬鹿だ。命が狙われていることなど、分かっていたというのに。
 思いがはち切れそうになり、たまらず城を出てきた麗華は、武器も何も手にしていなかった。
「ガルルル。ゴウギャゥ」
 合図でも取り合っているかのように、狂ったよな獣の吠え声が飛び交う。
 うっすらと夕日がかった空の下、荒れた野の上、手立てなど無い。
 やがて、3つの獣の内、一匹が飛び掛ってきた。
 よだれを垂らした大きな口、大きな牙が、麗華の目の前に迫ってくる。
 反射的に、両手が獣の上顎と下顎を押さえた。
 かろうじて獣の攻撃を止めるが、その勢いで麗華は地面に転げた。
 そして、油断する間もなく2匹目が飛び掛ってくる。
 と、その時、
――サザッ。
 風の音。獣の匂い。麗華の顔を突然赤い風がさすった。そして、
「ギャィン」
 と獣の鳴き声。緑色の傷。獣独特の血が飛び散る。 
 一体何が? そう思うまもなく、麗華の手を誰かが握った。
 そして、強く引っ張られ、その力のままに少女は走り出した。


4.
 誰かに連れられて、麗華は荒野を駆けた。
 獣も追って来れぬほどの速さで、自分でも驚くほど足が回転している。
 目の前の背中に見覚えがあったが、後姿では誰か分からなかった。
 ふと、少女は自分の腕をつかんでいる手を見る。そこには、見覚えのある大きな傷跡があった。
――このキズ、何処かで見たことある。
 いつだったか、どこだったか。そんなに遠くはないだろう。何か、大きな何かだったはず。
――そうだ! 鼓春だ。
 獣退治のとき、麗華を恐ろしい獣から救ったときに、鼓春が負った傷とそっくりだ。
――さっきの赤い風、あの風の獣の匂い。まさか……。
 麗華の頭に、恐ろしい予想が出てきた。
 

 ずいぶんと走って、場所はいつかのすすき野に来た。
 昔、麗華が幼い獣の子を助けた、あのすすき野原。
 日も暮れて、頭上には真ん丸の月に、朧な雲。
 どことなく、あの日の場面と似ている景色。
 やがて、麗華を導いてきた背中が止まった。
「もう、追ってこないだろう」
 息を切らせながら、そう言って背中が振り返る。やはり鼓春だった。
「獣も、たいした事無いな」
 鼓春は顔をほころばせながら、優しい声で言った。
 真っ直ぐな瞳に、真っ直ぐな微笑み、疑いようのないこの真っ直ぐな思い。
 思わず麗華は自分の考えを疑った。
「なんで、私を助けてくれるの?」
 麗華がそう尋ねると、鼓春はきょとんとした表情になった。
 何かを考えているのか、しばらく無言になる。
「なんでだろうな。俺にもわからない。でも、助けずにはいられなかった」
 途切れ途切れに、鼓春は答えた。
 そして言葉がとまる、時が止まるように。
 静かな風の音だけが二人を包む。本当に、あの日と同じよう。
 麗華は、心を決めて、胸の奥で引っかかっていた疑問を投げかけた。
「あなたは、本当に人間なの?」
 言った瞬間、鼓春の表情が固まった。
「本当は、獣だったりしない?」
「……ばれてた?」
「うん。さっき、気付いたとこだけど」
 鼓春は何かを言おうか言うまいか悩んでいたようだったが、やがて、ゆっくりと口を開いた。
「俺は、本当は、鼓春じゃなくて瑠火って言うんだ。
覚えてないかもしれないけど、俺は昔、麗華が助けてくれた獣の子だ」
 それを聞いて、麗華は驚きを隠せなかった。
――今、目の前にいる少年が、あの獣の子。
 そういえば前、基は獣は人に化けられると言っていた。
 確か、あの恐ろしい獣が、呪いの力で人は動けないといってた時、この少年は動けていた。
 なら、本当に、目の前にいるのは獣で、それも昔助けた獣の子なのかもしれない。


5.
「でも、何で……」
 麗華は、混乱した声で呟いた。
 すると、少年、瑠火は静かに口を開いた。
「俺は昔、影闇っていう獣の世界の頭の命令で、人間の世界へ来たんだ。
でも、まだ俺は幼かったから、鉄砲や刀にやられて、逃げて逃げてこの野原で倒れた。
だだっ広い野で一人、俺は死ぬんだろうなって思った。
でも、麗華が来て、俺を助けてくれた」
 ふと、瑠火の表情が和らいだ。
「不思議だったなあ。人間の腕に抱えられて、人間の家に入れてくれて、温かい布団で寝かせてくれた」
「あの時は、私も必死だったから」
 瑠火の表情につられて、思わず麗華も顔がほころぶと、2人の間には温かい空気が満ち溢れた。
 そんな中ふいに、瑠火は真剣な眼差しになる。
「あの日の事は、今でもずっと覚えてる。麗華の事も、和重の事も、助けてくれた事を忘れたことなんてなかった。
それから、まだ人間の世界に居たくて、主には詮索のためって言って、人間の世界に住むようになった。
上手くやって、麗華の護衛になることもできた」
 瑠火の顔が、少し赤くなる。瞬きをして、ためらいながら、言葉を続けた。
「それからは、ずっと、麗華のそばに居た。ずっと、見守ってきた。
でも、俺は、獣だから……」
 瑠火の思いは、嘘のない晴れやかなものだった。
 この穢れのない心。
 それは、麗華のもとに真っ直ぐに響いてくる。
 そういえば、獣退治の時のあの声、ここへ来てはいけないと、警告してくれたあの声。あれは本当に、瑠火の声だったんだ。
 あの時に強く感じたあの視線も、瑠火が見守っていてくれていたのだ。
「ごめんね、瑠火。私……」
 麗華の胸に、熱いものがこみ上げてきて、そっと瑠火に抱きついた。
――私は……馬鹿だ。
 仲間と戦ってまでして、自分を守ってくれた瑠火を、さっきまで恨んでいた。
 悪いのは、じいちゃんでも、瑠火でもないのは、分かっていた筈なのに。
 麗華は、泣かぬまいと歯をかみ締めるが、その分息が詰まってあふれ出てくる。
 そんな少女を見て、瑠火は悲しげな表情をしながら、そっと少女の背に手を回した。
 美しい月に照らされた二人の姿は、温かくも冷たい空気に包まれていた。



 そんな時城中では、薄暗い将軍の間に、たいまつの火がうっすらと灯る中、二人の男の姿があった。
「……明後日だ」
 立派な腰掛に座った将軍義公は、勢いよく言った。
「明後日でございますか。……畏れながら申し上げますが、兵たちの状態を考えると、もうしばらく……」
 義公の前でかしこまったいかつい男、基がそう言おうとすると、
「駄目だ! わからぬか! 獣どもが動き始めておる。城の周りにも、うろうろしておろう。
じきに向こうから攻め入ってくる。その前に、我らが動かずしてどうする」
 ドンと、膝置きを叩いて、義公は怒鳴った。
「……はい。おっしゃる通りでございます」
 その勢いに押されたのか、巨体な体を震わせて、基は言う。
「では、早くいそぎをせよ。それから、麗華はどこにおる? あいつには、私の側近として、戦に来るよう伝えよ」
「畏まりました」
――2日後だ。獣との戦いに、ついに決着をつける時が来る。
 義公は、汗に滲んだ拳を握り締めた。
 爆撃で獣が吹き飛ぶ姿を、まざまざと浮かべて、さらに興奮した。
――憎き獣よ。人間の恐ろしさ、とくと見せてやろうぞ。



2009/06/14(Sun)10:30:47 公開 / 森木林
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■作者からのメッセージ
第2章を更新いたしました!!
読んで頂き、心より感謝申し上げます。
自分の心の中に浮かぶ美しい世界の一瞬一瞬のその絵を、大切に手ですくい上げるように描きました。
まだ素人ものですので、表現やプロットは拙いものであるかと思います。
ただ、瑠火と麗華が満月の下で儚い思いを抱えて抱きしめ合っているその絵を、感じて頂けたなら幸いです。
第三章の更新は、また久しくなるかもしれませんが、期待していただければ幸せです。では!

作品の感想については、登竜門:通常版(横書き)をご利用ください。
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