『熊天国の白い夢』 ... ジャンル:ショート*2 未分類
作者:水芭蕉猫                

     あらすじ・作品紹介
夢のような現実と現実を夢見る話

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 ひたすらに白い世界というのは本当にあるのだなとその時初めて俺は思った。
 ひたすら白い、というのは別に雪原でなければ太陽にキラキラ光る砂浜でもないわけで、それはそれは本当にひたすらに真っ白くて、俺の体と同じくらいの巨大な風船を沢山あつめて発泡スチロールみたいに固めてくっつけてひっくり返したようなそんな世界だ。
 無論、俺の尻の下もそんな白い風船で出来ているのか、指で突っついてみるとゆで卵の白身と殻の間に挟まっている皮のようなそんな感触がぷにょぷにょと伝わってきて、気持ちいい。
 さて、俺はどうしてこんなところにいるかと言うと、早い話が首を吊ったらここに居た。というわけで、ここは天国なのだろうか。しかし、天国というのは自殺した人間が来れる場所ではないらしいので、じゃあここは地獄なのだろうか。地獄だとしたら、随分殺風景な地獄だなぁと思った。鬼が居なければ血の池地獄も針山も無いではないか。
 いや、まぁ別に地獄に来たくて死んだわけではないけれど。
 とりあえずここでぼんやりしていても仕方が無いので、柔らかくて足を取られそうになる地面を歩いて少しばかり進んでみることにした。そしてそんなことを出来る状況にある自分に凄く驚いた。生きている頃の自分は、何かをしようとか、やりたいとか、そもそもどこかに行って見たいとか感じてみたいとか、そんなことを全く思わなかったから。死んで自分の何かが変わったのかとも思ったが、別にそういうわけでは無くて、違うのはこちらの世界のほうだった。
 何故か、この世界は俺が生きていた世界に充満していた恐ろしい程の圧迫感や息苦しさや苦痛に満ち満ちた気配を感じなかったからだ。ただふわふわした真っ白い卵のような風船の世界が山や丘を描くように地平線の彼方まで広がっていて、空は暖かなパステルカラーの薄桃色。太陽が見えることも無いのに世界はやたらと薄明るくて、気温は春の如くの暖かさ。
 気持ちいいな。
 生きていた頃の最後のほうにはとんと感じなくなっていた感情が湧き出して、思わず目を細めた。まさか死んでからこんな穏やかな気持ちになれるとは思わなかった。いや、死んだから穏やかな気持ちになったのだろうか?
 そして足の下でぽよ、ぽよと程よい弾力で押し返す地面がとても心地よくて、思わず全身で風船の中に飛び込んだ。
 ぽよん。ぽよ。ぷよん。
 そうやって俺の体が柔らかく跳ね返って、得も知れぬ気持ちよさが体の中から湧き上がると、俺はくくくと押し殺すように笑ってしばらく真っ白な風船にしがみついていた。
「おはよう。もうお目覚めかい」
 後ろから声をかけられて驚いた。
 慌てて振り返ると、そこに居たのは熊だった。小さな小さな、子どもが着たら丁度良さそうなくらいの茶色い小さい熊の着ぐるみで、実際熊の声は幼い少年とも少女ともつかない声だ。それが、茶色い毛皮の中に、ぽっかり開いた小さな闇色の二つの瞳で俺を見つめていた。
「どうしたの? 怖い夢でも見たのかな?」
「夢? あれ?」
 声に出して驚いた。自分の声も、熊の声のように幼い少年の声に変わっていたからだ。手のひらを見ると、ぷくぷくした柔らかそうな皮膚をした、子どもの手のひらになっていた。着ていた服も気づけば酷くぶかぶかで、靴もがぼがぼになっていた。
「どうしたの?」
 いつの間にか、俺と同じような背丈になっていた熊にもう一度問われる。熊の優しげな、黒いビーズみたいな目を見ていると、何故か俺の内側から得も知れぬような奇妙な温かい感情があふれ出し、瞳からひとりでにぽろぽろと涙が零れ落ちていた。
「怖い夢でも見たのかな?」
 熊は俺の頭を撫でながら、もう一度そう尋ねてきたので、俺はふるふると頭を振って、「寂しい夢を見たんです」と言った。例えば、怖くて怖くて外にでられなくなった夢。例えば、大好きな人達から居なければよかったと言われたそんな夢。それから、自分で死ぬ夢。どれもこれも、寂しくて寂しくて、仕方なかった。
 俺は熊に両手を伸ばすと、熊は俺を抱きしめた。俺は熊にしがみついてびゃんびゃんびゃんびゃんと泣き止むまで泣いた。熊はずっと傍にいた。





 シャツ一枚に裸足の俺は、熊の背中におぶってもらって白くて柔らかな世界を進んでいた。熊は歩きなれているのか途中で柔らかさによろけるなんてなくて、ずっと同じような、たゆ、たゆ、という振動だけが暖かい熊の背中から伝わってきた。
 風船の世界はどこまで行ってもずっと同じくはるか遠くまで続いていて、風景が変わることは無かったが、途中、熊が立ち止まった。他と同じように形作っていた白い風船のようなもの。それのうち、隣り合った風船が二つ、内側から淡く光っているのが見えた。
 それはホタルみたいな明滅を、一秒ごとに繰り返して、ぱちんと静かにはじけると、中から小さな赤い服の女の子が二人で手をつないで現れた。
「ごめんねごめんね痛かったね」
「ごめんねごめんね苦しかったね」
「ごめんねごめんね辛かったね」
「ごめんねごめんね悲しかったね」
 手をつないだ女の子は二人で抱き合って泣きながら謝りあっていた。熊は何も言わずにそれを見つめていると、二人の女の子は徐々に溶け合って混ざり合ってどろどろになって一つになって、そして丸い光になってぽわんと白くてふわふわの地面の中に溶け込んだ。
 熊は何も言わずに見つめていた。
「あの子たちはなんなの?」
 熊に尋ねると、熊は無表情なままで教えてくれた。
「夢の中で殺した子と殺された子だよ。でも仲良しだから大丈夫」
 それからまたしばらく同じように歩いていると、また明滅する風船。それがぱちんとはじけると、中から小さな青い服の男の子が現れた。男の子は、ママを呼んで泣いていた。熊が男の子を見ていると、別の熊が風船の間からもぞもぞと這い出してきて、男の子を抱きしめた。ママを呼んでた男の子は、さっきの俺みたいに熊に抱きついて泣いたが、すぐに泣き止んだ。そして熊の腕の中で、熊と一緒にとろりと溶け出して柔らかな地面のなかにとろけて消えた。
「さっきの子は何?」
「夢の中で病気で死んだ子だよ」
「熊も消えたよ」
 俺がそういうと、熊は当たり前のように答えた。
「そうだよ。だって僕らは君らだもの」

 



 熊におぶられながら、随分歩いた頃、目の前に小さな遊園地が現れた。
 パステルカラーの小さな観覧車。全部で六頭の馬しか居ないメリーゴーランドに、コーヒーカップ。ぐるぐる回る空中椅子は、全部俺が知っているもの。でも、一つだけ違うのは、そこには誰も居ないこと。
「遊びなさい。ここで見ているから」
 熊は俺を背中から下ろして背中を軽く押した。振り返ると、熊はあの時の熊のように沢山の色とりどりの風船を手に持って、そのうちの一つ、赤い風船を俺に渡した。
 とても嬉しくて、熊から風船を貰うと俺は駆け出した。駆け出した俺の服装は、いつだか見たようなヒーローモノのシャツに青い短パンとスニーカー。
 遊具の入り口には全て同じ熊がいて、熊が全てを操作している。あの時の、長い長い夢で見た、昔々の世界と同じ光景で、あの時と同じように俺は遊んでいた。
 メリーゴーランドに乗って、コーヒーカップを回して、ブランコに乗った。ジェットコースターには背丈が足らなくて乗れなかったのがとても悔しくて、うつむいたら大きな熊があの時の誰かのように頭を撫でてくれた。
 ベンチに座ってそういえばと思い出せば、遊園地の地面はレンガで固かった。空は相変わらずの薄桃色だが、薄水色の雲が飛んでいた。ベンチに座っていたら、さっきの大きな熊がやってきて、あの時の誰かのように俺に片手に持った何かをくれた。それは小さな白いピンポン玉のような玉で、それに口付けると、温度なんて感じないはずなのに、あの時と同じソフトクリームみたいに冷たくて甘いと感じた。大きな熊はあの時のあの人みたいに始終無言だった。
 最後に観覧車。
 観覧車は大きな熊といっしょに乗った。
 かたんたたん。と音を立てながら上っていく観覧車の窓を眺めていると、白い世界の真ん中にぽっかりと浮かぶ緑の土地に、大きな木が立っているのに気がついて、「アレは何?」と熊に聞いた。
 熊は無言のままで首をくいとかしげると、その木を指差した。
 よくよく見てみると、拡大レンズを覗くようにそれらが大きく見えた気がした。それは俺の家だった。昔々、俺が住んでいた家だ。栗の木が生えていて、木造の一軒家は、まだ俺が世界を信頼していた時代の家だった。きらきら輝く川は魚が泳いでいて、飼っていた犬がわんわん吼えているのまで聞こえてきそうなくらいだ。木々の放つ芳香も、小川のせせらぎも、犬の獣臭までが自分を祝福していたような気がするあの日の光景。
 あまりに驚いて、俺は熊を見た。
 熊は席に座って、やっぱり無言だった。





「たのしかったかい?」
 俺は、大きな熊に手を曳かれ、小さな熊のもとへ帰ってくると、小さな熊は俺に尋ねた。
 楽しかった。と俺は頷くと、熊は一言「よかったね」とそう言った。
「君も楽しかったよね」
 俺が大きな熊を振り返ると、そこには何も居なかった。
 それどころか、先ほどまであったはずの遊園地も綺麗サッパリ消えていて、視界に広がるのは見慣れた白い風船の世界が広がっていて、遊園地の入り口を示す寂れた門がただ一つだけ残っているのが滑稽だった。
「じゃあ、いこうか」
 熊は俺の手を引いて、ゆっくりと歩き始めたが、俺は熊を引っ張って立ち止まる。
「待ってよ。くまを探すから」
 熊は首を傾げて「何故?」と尋ねた。尋ねられた俺は、えぇとと出てきそうで出て来ない言葉を探して唸った。考えて、考えて、思い出した。
「夢の中で会った大事な人だから」
 熊はこくりと頷くと、「もう一度、夢を見てみたいかい?」と尋ねてきた。だから俺は、しばらく考えてから頷いた。すると、熊と繋いだ手から、とろりと光になって溶け出した。熊と俺が、とろとろと溶け出して、消えていく中、遠くで熊が囁いた。
 今度はどんな夢を見ようか?
 俺はもちろんこう答えた。


 今度は、寂しくない夢が見たいな。


 
終わり

2009/05/10(Sun)21:34:09 公開 / 水芭蕉猫
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■作者からのメッセージ
お久しぶりです。えぇもう心のそこからお久しぶりです。久しぶりに書いてみると、なんだか書き方を忘れていて困ったものです。ショートというか短編ですね。
現実が夢であり、夢の中こそ現実であるという昔から言われている話がモチーフです。でも、実は夢も現実も関係なく、「私」という存在が「そこにある」というのが大事なのかもしれませんね。何故なら、架空でも夢でも幻でも「私」があれば、そここそが「私」にとっての現実となりますから。多分。

五月十日、指摘箇所を微修正。

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