『サッカーボールに恋をして』 ... ジャンル:リアル・現代 未分類
作者:ケイ                

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 クァン。
 学校のグラウンドに集まった数十人の観客から、何ともいえないため息が聞こえる。
 櫻井蓮の蹴ったサッカーボールは、ゴールポストに跳ね返って、相手チームのものとなった。蓮と幼馴染で、ツートップを担う朝倉修斗が、蓮の肩を軽く叩く。
「気にすんな。次、集中」
 そんな台詞を言われた気がして、蓮は俯いた顔を上げ、目に掛かった前髪を払った。
 真夏の太陽が走り回る選手を容赦なく照りつけるなか、審判の笛の音が、グラウンドに響いた。


「櫻井先輩今日も凄かったですね」
 部室で蓮は、一年生に声を掛けられた。
「修斗の方がすごかったろ」
「いやあ、動きは二人とも同じですよ。たまたまゴールに入らなかっただけで」
「もういい」
 遮るように蓮は言った。
「じゃっ、お疲れでした」
 一年生は軽く挨拶をすると、部室を出て行った。
「動きは同じ……か」
 蓮は一人で軽く舌打ちをした。
「お疲れ」
 部室のベンチに座っている蓮の頭に、スポーツタオルが掛けられた。顔を上げると、修斗が立っていた。
「お疲れ」
 タオルで汗を拭きながら、少し低い声で答える。
「何でそんな暗い顔してんだよ? 勝っただろ?」
「別に、暗くねえよ」
 痛いところを突かれて、蓮はタオルで顔を隠したまま、ユニフォームを着替え始めた。
「当ててやろうか? ゴール決められなかったからだろ? ポストに当たったやつ」
 修斗はシャツを脱ぎながら何気なく言った。
「別に」
 目を合わせないまま蓮は答えた。
「不機嫌だな〜。ゴール決められなかっただけで落ち込むなよ。暗いと彼女出来ねえぞ」
 高校二年生らしい台詞を残して、修斗はドアへと向かった。
「お前は違うんだよな」
 蓮は、自分にしか聞こえないほど小さな声で、ポツリと呟いた。
「え? 何か言った?」
 ドアの前で修斗が振り返って尋ねる。
「いや、何でもない」
「そっか、じゃあまた明日な」
 そう言うと、修斗は茜色に染まって消えていった。
「違うんだよ」
 部室で一人になった蓮は、再び呟いた。


 クァン。
 夕日も沈み、うっすらと月が昇り始めた頃、蓮は学校のグラウンドに立ってボールを蹴っていた。昼間の試合と同じコースでボールを何回も蹴る。しかし、ボールはポストに当たり、蓮の足元に返ってくる。ボールを見つめながら下唇を噛み締める。苦い鉄の味が拡がる。
 自信はあったのにな。
 夏の生暖かい夜の風を浴びて、ヒリヒリと痛む唇を舐めながら、心の中で呟く。
 自信。確かに自信はあった。小学生の頃から少年団に入っていた。コーチの先生は蓮の動きを見て、正直驚いていた。
「君はサッカーボールに愛されているんだ。これからもサッカーは続けていきなさい」
 小学六年生のとき、少年団を辞めるときコーチにそう言われた。それ以来、自分は特別だと思っていた。コーチの言うとおり、中学のときも一年生からレギュラーになり、全国大会にも出場した。マスコミに騒がれたこともある。
 俺は特別だ。俺は潤っている。
 高校生になるまでは本気でそう思っていた。
 朝倉修斗。生まれて初めて立ちはだかる壁。己の実力を限界以上まで引き出しても敵わない。それを知ったときの絶望感は凄まじかった。絶えず吐き気に襲われ、夜も眠れなくなった。
 ツートップで全国を制覇しよう、なんて爽やかなことが言えるなら、どれだけ楽だっただろうか。いっそ自分が平凡だったら、どれだけ楽だっただろうか。修斗と自分の才能の差に気づかないほど無知だったら、どれほど楽だっただろうか。中途半端な自信と才能は、蓮を容赦なく傷つけた。
 乾く。蓮の心は乾いて、獣のような呻き声を上げる。
 サッカーボールに愛されてる……か。
 ボールを持ち上げて、一人で笑う。
「居残り練習?」
 不意に声を掛けられて、ボールを落とす。すぐ近くに、修斗が立っていた。
「そんなんじゃない」
「隠さなくてもいいじゃん。昼間と同じコースに蹴ってたろ?」
 ニヤリと笑みを浮かべて、修斗は言った。
「見てたのかよ」
「もち。かっこよく唇噛むとこまで」
「帰る、ボール片付けといてくれ」
 脇に置いてあったスポーツバッグを持ち上げながら、蓮は言った。
「明日」
 修斗が呟いて、蓮は足を止めた。
「練習、来るよな?」
 眉間に皺を寄せながら、修斗は言った。
 蓮は何も答えず、修斗の目を三秒見つめた後、背を向けた。
 蓮の姿が見えなくなった後、修斗は軽いため息をついた。
「違うんだよ……か」
 そう呟いた後、修斗は落ちていたサッカーボールを、蓮と同じコースで蹴った。
 クァン。
 誰もいないグラウンドに、変に高く、情けない音が響いた。


「先輩〜。昨日大活躍でしたね〜」
 翌日の正午過ぎ、練習に来た修斗の下に、一年生が目を輝かせてやって来た。
「ハットトリックの大活躍。先輩は俺たちの憧れです!」
「今度、ドリブルのテクニックを教えてください!」
 一年生たちの言葉は止まることなく、次々に飛んできた。
「わかったわかった、また今度な」
 最後まで粘った一年生を適当にあしらうと、修斗は部室へと向かった。
「修斗」
 部室に入ると、中にいた同学年の白木が修斗を呼んだ。
「ん?」
 軽い口調で答えたが、白木の顔色を見て、修斗も真顔になる。
「何かあったのか?」
 昨日から胸にくすぶっている悪い予感が、段々と大きくなる。
「これ」
 白木が指差したのは、蓮のロッカーだった。そこには皺一つなく丁寧に畳んだユニフォームと、整った字で「退部届」と書かれた白い封筒が置かれていた。
「お前何か聞いてたか?」
 乾いた唇を舐めながら、修斗は言った。
「何も、それよりどうすんだ? 蓮が辞めるなんて……」
「白木」
「ん?」
 泣きそうな顔のまま、白木は返事をした。
「お前はここにいろ。それと、このことは誰にも言うな。部長にもだ」
「わかったけど……お前は?」
 修斗の真剣な眼差しを見つめて、白木は言った。
「蓮を探してくる」
 そう言い残すと、修斗は部室を飛び出し、真夏の太陽の日差しを浴びながら、走り去った。


 蓮は、少年団の頃練習していたグラウンドでベンチに座りながら、ゴールと落ちているサッカーボールを見つめていた。こめかみから汗が流れ、グラウンドの土にシミをつくった。
「こんなとこでサボりか?」
 呼ばれて振り返ると、そこにはやはり、修斗がいた。
「どうせなら涼しい場所でサボれよ」
 わざとらしく笑い声を上げながら、修斗は蓮の隣に座った。十秒ほどの沈黙が流れる。
「辞めんのか?」
 靴紐を結び直す蓮を見ながら、修斗は呟いた。
「ああ」
 蓮は迷う様子を見せずに答えた。
「どうしても?」
「もう決めた」
 ゴールポストから目を離さずに、蓮は言った。
「どうして?」
「わかってるだろ?」
 ああ、わかってるよ。痛いほどよくわかってる。
 修斗は心の中でそう呟いた。それでも確かめたかった。
「馬鹿がよかった」
 蓮は空を見上げて、不意に呟いた。
「え?」
「こんな中途半端じゃなくて、将来の夢はプロサッカー選手です! なんて言えるほど馬鹿に生まれたかった」
「頭いいじゃん。俺なんていつも赤点ギリギリだぜ」
 違うとわかっていてもそう答える。本当のことを答えようとすると、息が詰まりそうだった。
「俺さ」
「ん?」
「正直お前が憎いよ」
 蓮は感情を込めずに、さらりと言った。
「うん」
「憎いし、嫌いだ」
「うん」
「怒らねえのか?」
「仕方ねえだろ。人の感情なんだから」
「そっか」
 数分間の沈黙が流れる。修斗は落ちているボールと、ゴールを交互に見つめた。
「ホントにさ」
 蓮が不意に大きな声を上げた。
「お前がいなけりゃさ、俺はさ。俺は、馬鹿のままでいられたのにさ!」
 呼吸と言葉が上手く噛みあわず、吐き気を感じる。構わず喋り続ける。
「俺は特別なんだって! 才能があるんだって! そう思っていられたのにな」
 修斗が憎い。修斗のユニフォームも、修斗のこめかみから流れる汗も、修斗のくるぶしソックスも。全てが憎かった。
 それが理不尽な怒りであることは、蓮も十分わかっていた。それでも、憎むしかなかった。誰かを憎まないと、誰かのせいにしないと、自分が壊れてしまいそうだった。
 そう言い切ると、蓮は大きく息を吐いた。
「片思いだったよ」
「え?」
「サッカーボールにな、愛されてるってコーチに言われたんだ。でも俺は愛されてなんかいない。ちょっと上手いから調子に乗ってただけだった。ボールに片思いして浮かれてただけだった」
 蓮は肩を落とすと、嗚咽を漏らした。 
 修斗は何も言わず、蓮の肩を軽く叩いた。何も言わない修斗が、余計に憎く感じられた。
「蓮」
 数秒後に、修斗はサッカーボールの横に立って蓮を呼んだ。
「ゲームしようぜ」
「ゲーム?」
「そ、ゲーム。ここから、昨日と同じコースでシュートを打つ。ゴールに入ったら戻って来い」
 蓮はしばらく黙った後、小さく頷いた。
「一回俺蹴るからな」
 そう言って修斗は、美しいフォームでボールを蹴った。
 ボールはきつめのカーブを描いてポストに当たると、ゴールの中へと転がっていた。
「次、蓮の番。本気でやれよ、じゃないと後悔すんぞ」
 言われなくたってそうするさ。
 溜まっていたものを吐き出し、多少スッキリした心の中で、蓮はそう呟いた。蓮にとって、才能があってもなくても、大好きだったサッカーを手を抜いてやることはあり得ないことだった。
 ボールを定位置に置くと、三歩ほど後ろに下がった。二回深呼吸をすると、ゆっくりと助走をつけて走り始めた。
 右足に思いを乗せて、サッカーボールを蹴る。ボールはスピードを上げてゴールの隅へと飛ぶ。
 
 クァン。
 真夏の太陽が二人の少年を照りつけ、蝉がこれでもかというほど鳴いているグラウンドに、情けない音が響いた。



2009/04/28(Tue)23:11:05 公開 / ケイ
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■作者からのメッセージ
スポーツをテーマにしたものを書いてみたかったので、サッカーをテーマにしたものを書いてみました。才能ってあってもなくても大変だと思います。才能を持つ人と、それを知って苦悩する人。その二つをしっかりと書けていたら嬉しいです。

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