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『オレンジラプソディー』 ... ジャンル:童話 リアル・現代
作者:カオス
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あらすじ・作品紹介
こんなハサミの思い出があるから、私はハサミは目に視えないものまで切れると、思い込んでいるのだろう。
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『オレンジラプソディー』
プロローグ
夕暮れの座敷だった。
それを見たとき、私は晩夏だと思った。明確な根拠はない。ただ、縁側から射し込んで来る橙色が、夏休みの終わりの切なさと同じだったからだ。
私に背を向けて、二人の男が座敷には居た。歳は分からない。だが、少なく見積もっても三十路は過ぎているように見える。
一人は紺色のスラックスに白い開襟という、夏らしい格好。もう一人は、ネズミ色の着流しを着ていた。
物音一つしない深海のような座敷だった。絵画をそのまま、現実に再現したような座敷だった。
白い開襟の男がゆっくり―――いや、のろのろとした動作で前の釦を外し始めた。着流しの男は黙ってそれを見ていた。表情は日差しに遮られて良く分からなかった。
座敷の中央には、長方形の黒い卓が置かれていた。黒い漆を塗りたくられた卓は、てらてらと、橙色の光を反射していた。その卓の上に、睡蓮の模様が描かれた湯のみが二つ、橙色の光を受け寂しそうに、置かれていた。注がれた緑茶は、既に冷えて濁っていた。湯のみの底には、緑茶が注がれてから経過した時間と同じくらいの茶葉が沈殿していた。澄んだ水面の緑、濁った底の緑。全部同じ緑なのに、こんなにも違う。
男の青白い背が、橙色の光に照らされた。あばらと肩甲骨が薄らと浮き出た背に、橙色の光が当たる様は、妙に切なく、私の胸を締め付けた。子供の頃、夕暮れを見たときの感情にそれは良く似ていた。すっ、と一直線に筆を下ろしたような背骨が、男の背を走っていた。そこだけ、影が濃い。
男の背には、真っ白な―――病的な程に消毒された包帯が幾重にも巻かれていた。ギチギチと男の青白い背に、真っ白な包帯が食い込む。
すっかり取り払われた開襟は、男の腕のあたりで、黒い影を作っていた。
着流しの男が何処からか、ハサミを取り出した。長く鋭そうなハサミだった。
ハサミが顎を動かす。その度にしゃきしゃきと、切れ味のよさそうな音が響く。
着流しの男の手が、真っ白な包帯を掴んだ。男の背が、ひくり、と動いた。
それだけだった。
しゃきしゃきと、ハサミが男の青白い背に近づいて行く。
橙色に染まった空。
時間が止まったように、空には鴉の一羽さえ飛んでいない。漠然とした橙色が広がっているだけだった。
青白い背の男は、そんな時間が止まったような空を眺めていた。横顔を観察する。頬が痩けていて、唇が荒れていた。
酷く疲れた顔だ。
しゃき。
ハサミが、切断した。
過去もない。
未来もない。
ただ、ぐったりと『現在』が横たわった橙色―――言うならば、夏休みの終わりが永遠に続く世界の中で―――ハサミは切断した。
『決断』は『切断』に、似ていると私は思う。単に『け』と『せ』が違うことを言っているのではない。
『決断』するということは、もう一つの未来を消してしまうことと、私が勝手に思い込んでいるせいかもしれないが。
とにかく、似ている。
良くも悪くも、人は何かを『決断』するとき何かを切り離さなくてはならない。例えばそれは、友人や恋人、家族だったり、金や地位、名声であったり愛や幸福、哀しみのような見えないものだったりする。人は何かを決めるとき、その代償に何かを切り捨てる。
だから、私は『決断』と『切断』は似ていると思うのだ。
もう、随分前になる。私の友人にそれを言ったら、友人は突然大声を出して笑い始めた。私が何か可笑しかったかと、問うと友人は、また大声で笑い出した。それから、暫くして友人の笑いが納まってから、再び問うと、友人はヤケにさっぱりとした声で『君の言っていることは、私にとって笑いの薬になるよ』と言われた。それから、友人は抹茶アイスの乗った餡蜜を私に気前良く、奢ってくれたのを今でも覚えている。けれども、笑った理由は教えてくれなかった。
巧く誤摩化されたものだ。
ハサミが切断したのは、幾重にも巻かれた真っ白な包帯だった。しゃきしゃきと、ハサミはテンポよく包帯を切断して行く。
包帯だけでなく、ハサミは様々なものも切断して行った。目に見えるものは包帯だけれども、着流しの男が使っているハサミは視えないものまで切断して行く。それがなんなのかは、私には分からなかった。けれども、目に視えないものまで切って行くのが分かった。
包帯が畳の上に重なって行く。
それは、彼らの関係の上に降る雪なのかもしれない。
しゃきしゃきと、ハサミが顎を動かす音だけが、響く。ハサミの切れ味はとても良かった。
私の一番古い記憶は、曾祖父の葬儀から始まる。
まだ、私が小学校にも上がらない餓鬼の頃の記憶だ。そんな餓鬼の記憶なのに、今でもはっきり思い出せる。だから、少なくとも悪い記憶ではないのだろう。良い記憶とも言えないが、悪い記憶ではないはずだ。
天気は覚えていない。それなのに、黒と白の対比が鮮やかだったと覚えている。黒と白で埋め尽くされた世界で、曾祖父は棺桶の中で静かに横たわっている。白い着物を着て、黒い柩の中に横たわる曾祖父。白菊に埋め尽くされた髪も肌も白い曾祖父。そのすぐ隣に、喪服を来て黒く髪を染めた黒い曾祖母。
モノクロの夫婦だ。
死者の白、生者の黒。白と黒がこんなにも入り乱れているのに、その境は眩しいほどに明確だ。その境の中、曾祖母はハサミを握りしめて立っている。そのハサミは、曾祖父が生前庭木を剪定するのに、良く使っていたものだった。曾祖母の瞳は、射るように棺桶の中で横たわる曾祖父の顔を見つめていた。まだ、幼い私は曾祖父の髪でも切るのだろうかと、大変呑気なことを考えていた。
曾祖母の手が、ぎゅっとハサミを握りしめた。指が白くなるほどに。私はそれは死者の指だと思った。柩の中に横たわる曾祖父の指と、同じ色だったから。そして、曾祖父の顔にハサミを突き刺した。ハサミは、曾祖父の閉じられた瞼の上に突き刺さっていた。ずるりと、曾祖母がハサミを抜いた。そして、もう片方の瞼の上にもハサミを突き刺した。私は、曾祖母の顔を見た。
彼女は美しかった。
壮絶なまでに。
大きな何かが彼女を急き立て、突き動かしていた。
こんなハサミの思い出があるから、私はハサミは目に視えないものまで切れると、思い込んでいるのだろう。
青白い男の背から、真っ白な包帯が滑り落ちて行く。包帯で覆われていた場所も、青白かった。
しゃきり。
ハサミが全ての包帯を切断した。絡みつくように残っていた包帯も、着流しの男の手によってはぎ取られて行く。包帯の白い繊維が、橙色の中を舞う。真っ白な包帯が畳の上に無惨な姿を晒す。
青白い背中には、見るも無惨な火傷が広がっていた。
「………もう…………た、…………よ」
青白い男の荒れた唇が淡々と語り出した。よく聞き取れない。
着流しの男が、何か言おうとした。
橙色の景色でその唇の動きが、妙にリアルだ。
ああ、そう言えば。
ここは何処なのだろう……………?
プロローグ完
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2009/04/11(Sat)23:19:49 公開 / カオス
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■作者からのメッセージ
お久しぶりです。そして、初めまして。
ここまで、読んで下さってありがとうございます。
誤字・脱字などありましたら教えて下さい。
長くなりそうなです。気長に見守って頂ければ幸いです。
それでは、どうかよろしくお願い致します。
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