-
『銀の流星―時の少女―(序章〜五章)』 ... ジャンル:リアル・現代 ファンタジー
作者:桜雪
-
あらすじ・作品紹介
二十世紀前半、全世界で謎の流星が観測された。その流星は天文学的にはありえないものであり、その奇抜さゆえに世界に流星ブームを引き起こした。しかし、その半世紀後、世界では異能の力を持った子供達が生まれてくるようになった。流星は様々な事象を引き起こし、一つの物語を生む。
123456789101112131415161718192021222324252627282930313233343536373839404142
序章 『始まりの雨』
何時からだろう……。
横薙ぎに降りつける雨を浴びていたのは。
目の前に横たわる二つのものを見つめながら、ぼんやりとする意識の中で、起きてしまった事実を認識し、否定し、それを繰り返す。
何が悪かったのだろうか?
誰が悪かったのだろうか?
冷え切った体は心さえも冷たい氷の殻に閉じ込めていく。そうしなければ、耐え切れなかったから……。それ以前に、このまま存在していていいのだろうか?
近づいてくる影が、こちらに向かって手を差し伸べてくる。冷え切った体は凍りついたように動かない。
影は手を差し伸べ、この冷え切った手を手に取る。影から伝わる温もりが、凍りついた手を開放する。
許されていいのか?
存在していいのか?
単純な疑問を告げる。影は疑問の答えとして今度は、この体を抱きかかえる。暖かい温もり。人の温もり。
温もりはこの体を、心の氷を溶かしてくれる。徐々に、人としての感覚が戻ってくる。雨とは違う、温かい水が頬を伝う。
抱きかかえる人は、体を離してもう一度、手を伸ばしてくる。
体はもう動く。手を差し出せば、またあの温もりが手に入るのか?
だとしたら一瞬でも良い。もう一度、あの温もりを……。
そして、――手を差し出した。
第一章 『変化者(チェンジャー)』
日本――東京都の中心。
都内の一角に建っている銀行から派手な爆炎が上がる。平和だった街中は、爆炎と悲鳴と共に一変して戦場へ変わった。
銀行の前では大して体格の良くない覆面を被った細身の男が、銀行前の道路に向かって爆破を行なっている。しかし、男は何の武装も持っていない。手当たり次第に街を壊す爆炎は――男の手の平から発射されていた……。
銀行内にも複数の覆面を被った男達が占拠していた。男達は外の男とは違い、手にはイスラエル製の短機関銃 UZI(ウジィ)が握られていた。
「いいかぁ、お前ら! 俺らの言う事を聞かない奴から蜂の巣にしてやる! 大人しく部屋の端に固まれ!」
銀行強盗をしている強盗のうち、一人が待合室にいた市民に対して警告する。手に構えられた銃を目にした者はそれに怯え、犯人の指示に従っていた。
「銀行員はさっさと金を詰め込め! 全速力でやるんだ!」
カウンターの中では銃を突きつけられた銀行員が涙目で大きなバッグに大量の紙幣を詰め込んでいる。犯行からたったの数分、その間に強盗達は見事な連携で犯行を成立させていた。
「へへっ、ちょろいもんだぜ。『変化者(チェンジャー)』が二人いるだけでこんなにも簡単に銀行が襲えるなんてよ……」
「ボス、金の詰め込みが終わりました。後は『移動』するだけです」
「分かった。『瞬間移動者(テレポーター)』と『発火能力者(パイロキネシスト)』を呼んで来い」
強盗犯のリーダーが誰かの呼称を呼ぶ。だが、その名前に青年が一人だけ反応する。
青年は立ち上がり、何の武器も持たずに強盗犯の方へ歩き始めた。ブレザーの学生服に黒に近い紺色の髪に年恰好に合った体格。身長は百七十センチといったところだろう。
それに気付いた強盗犯が青年に対して、UZIを構える。だが、青年は止まる事無くそのまま歩き続けていた。強盗犯のリーダーが青年に告げる。
「おい、何してやがる? さっさと元の場所に戻れ……」
だが、青年はその命令に無視して強盗犯へ質問を掛ける。
「変化者法律第三条。知ってるか……」
「あっ? 何言ってやがるこのガキ……」
「変化者を利用した犯罪は、通常の犯罪とは違う措置がとられる。その中でも、危険性の高い犯罪が起きた場合、即座に犯人には極刑宣告が出される。勿論、その中には銀行強盗も入っている」
青年は落ち着いた様子で強盗犯達に、忠告を告げ始める。その淡々とした様子に、強盗犯はどうしたらいいのか唖然としている。
「あんた達、このままだと死ぬ事になるけど……。今のうちに自首したほうが身のためだと思うぜ」
青年が強盗犯達に向かって無愛想な表情のまま、単調な喋り方で訴える。それはどう見ても自殺行為だった。
「くっくくっ、あーはっはっはっ!」
強盗犯のリーダーは耐え切れなくなったようで盛大に笑い出す。それにつられ、他の強盗犯も青年を見て笑っている。
強盗犯のリーダーはある程度笑った後、青年の頭に向けてUZIを構えた。
「まさか、こんなところで説教されるとは思わなかったぜ。ありがたい説教をくれたガキには褒美をあげないとなぁ、――鉛玉のな!」
次の瞬間、銀行内にけたたましい銃声が連続して鳴り響く。青年に向けられたUZIが発砲されたのだ。銃声に怯えた、他の人質が次々に悲鳴を上げる。
三十二発の弾丸が、撃ち終わり、強盗犯のリーダーは踵を返して他の仲間に指示をする。
「ほら、さっさと動け!」
だが、命令した仲間は動かずに撃ち殺した青年の方を向いている。仲間は怯えた様子で短く震えた声を出していた。
挙動のおかしい仲間と同じく撃ち殺した筈の青年の方を振り向く。今までの強盗で人を殺した事がなかったが、それがそんなに酷い事だったのかと思った。強盗犯なら、人だって邪魔なら殺すだろう。だが、それは違っていた。
目の前に映し出された光景は鮮血の赤ではなく。透き通った水の青だった。青年の周りと人質の周りに水の壁が立ちふさがっていた。UZIから発射された銃弾もすべて水の中で、止まっている。
そして、水の壁を通して強盗犯達に宣告が下される。
「変化者法律第三条に則り、現状を置いて『銀 の銃弾(シルバー ブリッド)』正式員『里見 悠輔(さとみ ゆうすけ)』の名において宣告する。全員、――極刑」
宣告が終わった瞬間、目の前にあった水の壁が突如、全身に纏わりつくように絡みついていく。振りほどこうとするが、それは水であってどんなに暴れようと取れる事はなかった。
身動きの出来なくなった。強盗犯のリーダーは、他の仲間に青年への攻撃を命令しようとする。だが、それは出来ずに終わった。
銀行内にいた仲間全員に自分と同じく水が纏わりついていた。もがいたり、している者もいたがやはり自分と同様に動きを拘束されていた。
目の前にたたずむ青年を見つめ、強盗犯のリーダーは震えながら質問をする。
「なっ、何でこんなところに銀の銃弾が……」
「偶々、金を下ろしに来てたんだよ。そこにそっちが突っ込んできただけだ。邪険にすんんじゃねぇよ……」
そう言う青年の手には、またも水が集まり始めていた。形状は先端の尖った矛。切っ先は強盗犯のリーダーに向いており、今すぐにでもそれは突き刺さりそうな状態だった。
「お、お願いだ! 命だけはっ、助けてくれぇ!」
先ほどまでとは打って変わった態度を表すリーダーだったが、青年の冷酷な蒼い瞳に死を感じる。目の前にいるのはもはや、容赦の欠片も無い絶対的存在だと理解した。
「うっ、うあぁぁっ!」
*
手に握った矛を強盗犯に突き刺そうとする。悠輔には躊躇いなどなかった。手に力を入れ、矛を突き出そうとする。しかし、強盗犯の叫び声と被るように、悠輔に静止の声が掛かる。
「ストーーップ!」
銀行内に今度は少女の声が響き渡る。悠輔はその声に反応し、矛を突き刺す事を止める。そして、声のした方向を向く。
視線の先には、ブレザー姿で肩まで伸びた艶のある黒いセミロングに、はっきりとした黒い瞳、目鼻立ちの整った少女が立っていた。
気の強そうな少女だが、その容姿は美少女といっていいだろう。少女は悠輔を指差しながら、ムスッとした表情で悠輔を睨んでいる。
「なんだよ、京(きょう)華(か)。邪魔すんなよ……」
「それはこっちの台詞よ! なに昼間っから善良な市民の前でスプラッタな光景を見せようとしてるのよ! それに、手当たりしだい殺されたら事件を説明できる証人がいなくなっちゃうじゃない!」
京華と呼ばれた少女は悠輔に対し、恐れもせず文句をぶちまけている。それに反発するように悠輔は言い返す。
「こんな奴ら、生かしている意味がない……」
「とにかく! そのまま全員拘束してて。それと、状況報告して」
「……わかったよ」
京華の言葉に、渋々と強盗犯に向けていた矛を引き下げる。その瞬間、矛は形を崩して床に零れ落ちる。床に広がっていく水は先ほどまでのものとは違い、ただの水に成り果てていた。
「状況報告、銀行強盗発生。犯人は銀行内の人数と外の見張り一名。そのうち、二人は瞬間移動者と発火能力者。外にいる発火能力者以外は俺の能力で捕縛、無力化。以上」
淡々と説明される報告に、京華は頷く。あれだけの簡単な説明でいいのかと悠輔は思うが、それはそれで楽なので追求はしない。
「外の発火能力者は私がやっといたわ。まぁ、これで一応全員捕獲完了ね」
「やっといたって……、どうやったんだよ」
「手足の腱を切っといた。それが何か問題でも?」
「……別に」
悠輔は自分には暴力を振らせなかったのに、京華はそんなふうにさらっと何食わぬ顔で暴力的な事をしていたという事にイラついていた。何か物に当たりたかったが、それも京華に止められるだろうと思い、その場は我慢する事にした。
銀行内に重装備をした警官隊が入ってくる。水によって捕縛されている強盗犯達に次々と手錠を掛けていき、外へ連れ出していく。人質が開放され、誘導にしたがって出て行く時、それに紛れて悠輔と京華も銀行の外へ出ていた。
外には消防車や救急車など、公共関係の車両がずらりと銀行を囲むように道を塞いでいた。その中には強固な移送車両などもあり、中には先ほどの強盗犯達が収容されていた。
そんな中、一台の黒塗りのワゴンが悠輔達のそばに止まる。扉が開くと、そこからは中年というにはまだ早そうな男性が降りてきた。純日本人の象徴である黒髪、黒目の男性は悠輔達に声を掛けてくる。
「やぁ、二人共。無事だったかい? まぁ、無駄な心配だけどさ」
「別に問題ありませんよ、長瀬さん。問題があるといったら悠輔のほうです!」
長瀬と呼ばれたのは悠輔達の所属する公共団体『銀の銃弾』の上司である。京華は姿勢を正して長瀬に向いているが、悠輔はそっぽを向いたまま不機嫌な表情で、その場に立っている。
「まぁまぁ、詳しい事は本社で聞くから。とりあえずは帰ろうか」
「はい。分かりました。ほら、悠輔。何時までもふててないで行くわよ」
「ふててねぇよ……」
三人は黒塗りのワゴンに乗り込み、そのままその場を後にする。悠輔達が離れた現場ではようやく、緊迫した空気が開放されてざわつき始める。それは主に、外で待機してた警察隊と、人質達だった。
ざわついた話し声の中には、現場を鎮圧した悠輔と京華への感謝の言葉ではなく、恐怖の言葉が溢れていた……。
*
二十世紀後半。世界全体で謎の流星群が確認された。天文学者による説明によれば、こんな流星群の観測はそれまで何の予兆もなく、急に出現したものだったらしい。謎の流星群はその特異性から数年の間様々な噂を呼び、世界を賑わせた。
しかし、結局流星群の正体はほとんど分からずに、世間の話題から消えていった。だが、科学者達は流星群を研究し続けた。
それから半世紀経った頃、事件は起きた。突如全世界で異能な力を持った子供が生まれ始めたのである。子供達は、水や炎など自然能力を操り、あるいは超人的な身体能力を持っていたりした。
国民が混乱する中、世界各国の政府の対応は迅速なものだった。世界の政府は国民に対し、この生まれてきた異能の子供達を「change existence(チェンジ エグジスタンス)」変化した存在 通称『変化者(チェンジャー)』と呼ばれる存在である事を発表した。
さらに、変化者の生まれてくる原因は、半世紀前に現れた謎の流星群の影響だという事を科学的に証明し、その存在をいち早く人類に知らせた。そのおかげで、国民の不安はなくなり、世界で変化者が認められるようになった。
だが、実際の功労者は国ではなく、半世紀前から研究を続けていた科学者の集まりだった。研究者達は、国に対して変化者の特殊性を先に見抜き、報告していたのである。
研究者達はこれから起こりえる世界概念の改変を訴え、政府公認の変化者研究組織を作った。
その名前は――『銀 の銃弾(シルバー ブリッド)』。
*
悠輔達の乗り込んだワゴン車は公道を走っていた。行く先は政府団体、銀の銃弾の東京本部である。
銀の銃弾は設立から、さらに半世紀後に研究施設ではなく、変化者の能力を悪用して犯罪を起こす者達を検挙する、対変化者組織として姿を変えていた。
変化者の能力は様々なものがあり、恐ろしく強力である。使い方によっては人っを殺す事も簡単に出来るのだ。その為、日本の自衛隊など抵抗も出来ずに終わり、変化者の能力を使った犯罪が激増した。
そのせいで、世界からの変化者への見方は変わった。能力を持たない一般人は、変化者を恐れえるようになった。
そこで立ち上がったのが銀の銃弾だった。変化者の能力を研究していた銀の銃弾は、研究に協力していた一部の変化者を対変化者犯罪用人間兵器として利用する事にしたのだ。
その結果、変化者の犯罪は減少。その功労を称えられ、正式に対変化者組織として国に認められたのであった。だが、それでも能力を持たない一般人からの変化者への見方は変わらなかった。
そして現在、銀の銃弾は全世界に発展。警察に匹敵する組織となっている。主な仕事は警察と連携をとり、犯罪を鎮圧する事にある。悠輔と京華も高校生であるが、銀の銃弾の正式な組織員である。
勿論、それは二人が有能な変化者だからである。『里見 悠輔(さとみ ゆうすけ)』は液体、主に水を操る事ができ、『棗 京華(なつめ きょうか)』は身体能力を極限まで引き出し、目にも止まらぬ高速移動をする事が可能である。
そんな二人が銀行強盗にあったのは本当の偶然なのだが、それでも功績を挙げたことには変わりはなかった。
「ねぇ、長瀬さん。今日の事件解決の手当てって入りますか〜?」
「あぁ、多分入ると思うよ。何しろ、警官隊が到着してもどうせ何もできてなかったみたいだし」
「やったぁ! これで今月危なかったお小遣いも助かるわ!」
ボーナスが入ることを喜ぶ京華を横に、悠輔は冷めた目で見ていた。確かに、ボーナスが入る事は悠輔にとっても嬉しい事ではあるが、悠輔達は給料というものを貰っている。
給料は普通の公務員なんかとは比べ物にならないほど高収入なのに、それで金欠になる事が謎に思えて仕方が無いようだ。京華の明るい表情を見ているうちに、先ほどまでの苛立ちも馬鹿馬鹿しく思えてくる。
悠輔は何気ない動作でブレザーの胸ポケットからタバコを取り出す。銘柄はマルボロだ。それを自然な動作で口にくわえ、火をつける。だが、その瞬間にタバコの先端はワゴン車の床に落ちていた。
悠輔の目の前には、刃渡りが二十センチ程度のダガーが突き出されていた。ダガーを突き出しているのは、横に座っている京華である。
「ちょっと、あれほどタバコは吸うなって言ったの、もう忘れたの……」
「タバコくらい良いだろ……。他の事は守ってるんだから」
「ダーメ! 未成年が何言ってんのよ。ちゃんと成人してから吸いなさい。本当は成人してからでも健康に悪いのに」
悠輔は先端の切られたタバコを箱にしまい、ポケットに戻そうとする。しかし、その前に京華が奪い取り、鞄にしまう。悠輔はまたも京華にやりたい事を止められて、ふてくされたように窓の外を見た。
二人のやり取りを見ていた長瀬は、クスクスと笑う。
「いや、二人は本当に仲がいいね。はたから見てると、姉弟みたいだよ」
「こんな姉はいらない。もっと自由が欲しい……」
「そうかい? 僕はお姉さんが欲しかったんだけどね、残念ながら一人っ子だから君達が羨ましく見えるよ」
「藤史郎は一人っ子で正解だよ。こんなおせっかいな奴、いても邪魔なだけだ」
年上、しかも自分の上司にも為口で話す悠輔に、長瀬は苦笑し、京華はため息をつく。悠輔はそんな二人のしぐさを見て、何に対して苦悩しているのか分からずにいた。
「でも、三年間もタッグ組んでやれているんだから相性はいいよね」
笑いながら話す長瀬は、二人を見てそんな事を言ってくる。だが、それにはすぐさま二人が反論した。
「そんな事ないです。私一人でもあんな銀行強盗くらい五秒で倒せます!」
「俺も。いつも邪魔ばかりしてくるし、殺すなって言うし……。邪魔なだけ」
「でも、未成年は必ず二人一組で行動するっていうのが組織で決めてある事だからねぇ。それには耐えてもらわないと困るなぁ」
長瀬の言う通り、銀の銃弾にはそんな決まりがある。一人で行動出来るのは、成年になってからだ。これは、何でも単一で暴走行為を起こさない為の対処なんだとか。つまり、相方の行動は自分の責任にもなるという連帯責任という奴である。
実際にこうしないと、暴走する未成年の変化者がいるからだという事である。ちなみにもっとも、この制度を嫌っているのは悠輔のような捻くれた性格の者だけだが……。
京華が独りになりたいというのはある意味、悠輔のような問題児とタッグを組む事になってしまったからだが……。それでも、今までやってこられたのは実際に二人の相性がいいからである。
特に、問題行動を起こす悠輔を止める事に慣れている、京華の性格のおかげが一番の強さだろう。あながち、長瀬の言う姉弟というのも間違ってはいないのである。
「大丈夫ですよ! 悠輔の暴走は私が止めますから!」
「あははっ、よろしく頼むよ、京華ちゃん」
京華の意気込みに答えながら、長瀬は窓の外を向いたままの悠輔に優しく語り掛ける。
「悠輔君も、なるべく犯人は殺さないようにね。もう、そんな事をする必要はないし、君は殺さなくても犯人を鎮圧出来る優秀な変化者なんだから」
「……分かってる」
ぶっきらぼうに答えると、またも長瀬は苦笑した。だが、その理由は分かる。何しろ、長瀬もあの場所にいた中の一人なのだから。
その後、しばらくしてようやく本部に到着した。目の前には厳重な警備をされた高層ビルが建っている。銀の銃弾の東京本部、十五階建ての立派なビルは警視庁にも勝るような立派な建物だ。
ワゴン車から降りて、ビルに入る。ビルの広いロビーでは、事務仕事に追われる者や、これから起きた事件に向かう同僚の変化者が走って出撃していく光景が見える。
そんな中、悠輔達はエレベーターに乗ってビルの八階に向かう。八階には、長瀬のオフィスがあるからである。これから、悠輔と京華はさっき起きた銀行強盗の報告書を仕上げなければならない。これも、仕事のうちである。
八階に着き、いくつもある部屋のうち長瀬と書かれたプレートがある部屋に入る。部屋は大体八畳ほどの広さだろう。中には仕事机と本棚、それと長瀬の座る大きな机がある。それ以外にも、ポットなどの小物が整頓されて机の上に置かれている。
部屋に入ると京華は自分の椅子に座り、背もたれに体を預ける。手足を伸ばし一息つくと、さっそく命令が悠輔に下される。
「悠輔〜、紅茶いれて〜、ミルク入りで砂糖いっぱいの〜」
「俺はお前の執事か? 自分で入れろよ」
京華は学校や仕事現場とは違い人が違ったように性格が変わる。この本部の部屋と家では厳しい凛とした京華から、我がままでお気楽な京華へと入れ替わる。この事を知っているのは長瀬と悠輔だけだ。
「いいじゃん、あんたと違ってこっちは自分の体動かしているんだから疲れるのよ」
「こっちだって、精神力を使うから疲れるのも一緒だ、年上の癖に我がまま言うなよ」
「むぅ〜、ケチ〜」
京華は渋々立ち上がり、マイカップとインスタントのティーパックを持ってポットへと向かっていく。
悠輔も自分の椅子に座り、さっそく報告書を書き始める。始末書の内容は大体の事件の内容と、犯人側の使った能力と自分の使った能力を書くだけである。それを上司である長瀬がきちんとした報告書にまとめ、事件の記録として事務課に送り記録するのである。
今回の事件は主に悠輔が一部始終を見ていたので、きっと書くのが大変だろう。憂鬱な気持ちを胸に抱きながら、スラスラと報告書を書いていく。京華も紅茶を入れると報告書を書き始めた。
こうなると、案外と一般の警察官と変わらない仕事内容である。ただ、違うのは仕事の危険度が高い事と、その幅が広い事だ。
勿論、対変化者用の部隊なのだから一般の変化者程度では、戦闘訓練をしている悠輔達に敵うはずはない。しかし、変化者は良い方面と悪い方面で特化した存在である。その為、裏社会の中にも強力な変化者がいる事には変わらない。
むしろ、銀の銃弾は裏社会の強力な変化者を討伐する為にあると言ってもいいくらいだ。その為に、悠輔達も何度か特殊な任務として強力な変化者と戦った事がある。
特に、悠輔は東京本部の中では能力的には上位に位置するような人材なので、よく特殊な仕事が回ってくるのだ。
「あ〜、最近こんな仕事ばっかり。もっと楽で高収入の仕事が回ってこないかな〜」
「京華ちゃん、今はこっちの仕事よりも学校のほうを優先した方がいいよ。大切な青春時代なんだからさ」
「くだらないですよ。学校の授業は簡単だし、男は男でくだらない、つまらない、経済力のない奴らばっかりなんですから」
不満をたらたら言う京華を放っておきながら悠輔は報告書を書いていたが、最近の仕事がつまらないのと、学校がダルイという事は同感だと思えた。同年代の学生と違って悠輔達は一つ壁の違う世界の中にいる。
同年代の、しかも変化者ではない人達の中ではそのギャップが違いすぎるのだ。
「まぁ、京華ちゃんの好みの男性は分からないけど、その平凡な時間もいいんじゃないのかなぁ? 僕はそう思うけどね」
長瀬の落ち着いた助言に、京華は「そうですか〜」などと、興味なさそうに答えていた。
*
しばらくして、部屋に誰かが訪問してきた。ノックの後に扉を開けて入ってきたのは、この東京本部の部長だった。部長などがこんな下っ端の部屋に来るなど、誰も思っておらず、長瀬も京華も驚いていた。ただ、悠輔だけは無表情だった。
「部長、どうなさったんですか? なにかご用事でも……?」
「ああ、ちょっと君達だけにしか頼めない仕事が入ってね。その連絡に来たんだよ。呼びつけるのもなんだか悪いような気がしたからね」
初老の優しい心の広い人だが、その心持ちが逆に今ここにいる二人を緊張させている。
「それで、私達にしか出来ない事とは何ですか?」
京華は素早く態度を外出モードに切り替えていた。先ほどまでのだらけていた様子など、今は微塵も見られない。
「あぁ、それなんだがね。実はある人から、自分の娘を護衛して欲しいと頼まれたんだよ。その娘さんは丁度君らと同じ高校生でな、護衛をするなら身近に置ける人物がいいと思い君たちを頼りにしてきたんだよ」
東京本部の組織員の中では悠輔と京かが一番年下の部類だ。他の部にはもう少し年齢の低い者もいるが、護衛任務などに就ける戦闘能力を持っているのは悠輔達だけだろう。
「えっと、つまりはこの子達に護衛対象の娘さんの学校へ転校して欲しいと……?」
「ああ、その通りだ」
いきなりの飛びぬけた話に、京華も口を開けたまま黙っている。それもそうだろう、何しろ今は四月。ようやく中学を卒業し、高校に入学してまだ数日しか経っていないのであるのだから。
「この仕事はもっとも優先してやって欲しい。勿論、二人には膨大な迷惑をかけることになるが、何しろ事態が酷いものでな。早急に対処して欲しいのだよ」
長瀬も戸惑ったまま固まっている。こんな急な任務など、今までにあった事はない。ちゃんと事前に連絡が入り、それから準備をして行なっていた。それがこんな急な事態になるという事は相当な重要性のある任務なのだろう。
「……詳しい内容を聞かせてもらえますか?」
「ああ、そうしてくれるとありがたい。だが、二人はこれを了承してくれるのか?」
「俺は別にかまわない。仕事なら俺はどんな事だってやる」
「私も、大丈夫です……」
悠輔はいつもと変わりなく簡単に言ってのけたが、京華は少々戸惑っているようだった。だが、確かに了承を告げた事には変わりなく、部長は仕事の内容を話す為、他の部屋へ移る事を提案してきた。
部長に続き、悠輔達は部屋を出て最上階の部長室へ向かった。この時の決断が、悠輔の運命を大きく変えるとは知らずに。
第二章 『護衛任務』
広い部長室の机に座った悠輔達の前に出されたのは、一枚の写真だった。
写真には、一人の少女が写っていた。透き通るような白い肌に、洗礼された女性らしい華奢そうな体つき。大きく見開かれた瞳は空のような純粋な水色。そして、腰まで伸びたストレートのアッシュブロンド。人形のように可憐に立っている少女は見るものを引き込むような美少女であった。
「護衛対象の彼女の名前は『徒波(となみ) ミツキ』。今回の依頼は彼女の母親からされたものだ」
「護衛の理由は?」
「彼女は……、『闇の使途(ダーク メッセンジャー)』に狙われているレアスキルの持ち主なのだよ」
『闇の使途』――凶悪な変化者が集まった犯罪集団である。組織の全容はほとんど分かっておらず、ただ分かっているのは裏社会では一、二を争うような巨大組織だという事事と、変化者に関わる様々な事柄に関わっているという事だ。
その中には、レアスキルを持った人物の誘拐も入っているという。
「それは、何か根拠があってのことですね?」
「ああ、闇の使途から直々に娘をさらうと予告があったらしい。これがその予告状だ」
――闇の使途より通告――
『近いうちに貴方のレアスキルを持った娘をさらわせていただきます。警察や銀の銃弾に強力を求めないほうがいい。貴方や警護の者がどうなるか、保障はしません』
「これはまた大胆な予告状ですね。これは何のつもりなんでしょうか……。名前の通り、本当に使いを寄こすという暗示なのでしょうか。それとも……、我々への挑戦状なのでしょうか?」
「実際の意図は分からん。しかし、この予告状には現実味があるのだ」
「と、言うと?」
部長は手元にある書類を手に取り、それを読み上げる。
「何でも、彼女の能力がレアスキルだという事は今まで極秘裏にしていたという事なのだ。依頼主は、イギリスの銀の銃弾に所属している幹部でな。それなりの権力を持って秘密にしていたのだが、それがばれているという事は敵も相当な情報収集能力があるという事なのだと推測できるのだ」
「つまり、本物の闇の使途の可能性が高いという事ですか……」
「でも、それならば東京本部などに匿っておけば安心なのではないでしょうか? わざわざ、私達が護衛する意味が分かりません」
京華の正しい指摘に部長が苦い顔をする。
「それがね、依頼内容の中に生活は今まで通りさせて欲しいと言われてしまっているんだよ。こっちも依頼を受けたら、なるべく内容通りに任務をこなさなきゃ信頼が取れないだろう?」
話の内容に悠輔達は想像以上に厄介な依頼だと考えた。護衛対象は今まで通り生活をさせながら、闇の使途からその身を守り通さなければならない。それは相当な苦労をともなうだろう。
「君達の決断しだいで今日にも転校手続きをさせてもらうつもりだ。こちらの準備はもう万全なのだよ」
だが、その答えにも悠輔は戸惑う事などしなかった。
「俺はこの依頼を受ける。京華、お前はどうするんだ?」
悠輔の問いに京華は戸惑う。悠輔と違い、やはりこの急な転校には抵抗があるのだろう。
「私は、まだ迷っています。いくら銀の銃弾の正式な組織員といっても、学校には行く権利が私達にはあります。やっと合格して馴染んだ高校を簡単に移動するというのは、ちょっと考え深いです……」
京華が迷っている原因はもう一つあった。京華は今通っている高校が目当てで入ったのである。変化者(チェンジャー)であるが為、学校はなるべく東京本部から近い場所に通う事が条件になっている。
その中でも、京華が気に入る高校はそこ以外にはなかったのである。何でも、制服が一番マシで成績もいいのがそこなんだとか。ちなみに、その後に、悠輔も強制的にその学校へ入学させられている。これは未成年のタッグ制度のせいだが……。
「ちなみに、その娘が通っている学校は何処にあるんですか?」
「ああ、彼女はここから少し離れた所にある、私立 星城(せいじょう)高等学校に通っておる」
「えっ! 星城ですか!」
京華は部長の言葉を聞くと同時に叫んだ。その様子に、長瀬と部長がびくりと反応する。悠輔も、京華の反応に少しだけ驚いているようだ。
「あっ、ごめんなさい。少しだけ興奮してしまって……。部長、私もその任務受けます!」
「お、おお、そうか。それは嬉しい事だ。では、さっそく転校手続きをしておくよ。この後は連絡があるまで待機していてくれ、それとこれは対象の資料だ。持って行ってくれ」
悠輔達に茶封筒に包まれた資料が渡される。それを受け取ると、長瀬は席を立つ。
「分かりました。では私達は一旦、事務室へ戻ります。二人はもうそろそろ家に帰すので連絡があれば事務室に連絡をください。では、失礼」
そう長瀬が言いながら、悠輔達は部長室を出て行く。部長との会話のせいか、長瀬は相当疲れたようで、歩きながらため息をついていた。
「大変な事になったね。本当によかったのかい? こんな無茶な任務を受けて、まだ内容だって全体的に伝えられていないのに……」
「いいんですよ! 悠輔も私も了解したんですから!」
心配そうな顔をする長瀬とは逆に、京華は笑いを堪えているようだった。悠輔はいつもながら無表情だったが、京華の機嫌の良さには少しばかり不気味な感覚を受けていた。
長瀬との話通り、悠輔達は帰宅していい事になった。事務室から鞄などを取りに行き、長瀬に挨拶をすると二人はその場を後にした。
廊下を歩く中、悠輔の方から珍しく京華に質問があった。内容はやはり今回の任務をどうして渋っていた京華が学校名を聞いただけでコロリと態度を変えたのかであった。
「なぁ、どうして任務を受ける気になったんだ? あの学校はお気に入りなんじゃなかったのかよ」
「んふふ〜。学校なんか興味のない悠輔にはわかんないでしょ、星城学校の凄さが!」
立ち止まった京華は浮かれたままの顔で笑っている。京華の言う通り学校に興味のない悠輔には星城学校の何が凄いのかが分からずにいた。そして、そのまま京華の説明が追加される。
「星城学校はね、この辺の学校でも有名なエリート学校なのよ! 通っている学生は何かしら一般人とは違うエリートな集団の集まる学校なの! とても普通の学生じゃ入れないような凄いところなんだから、そんなところに何のテストもなく入れるのよ! こんな儲け話は他にないわ!」
京華の説明が終わると共に悠輔の態度も元に戻る。悠輔には無縁の名声、ステータス、品格などが関わっている事が分かったからだ。
「つまり、京華はそれだけで今回の任務を引き受ける気になったのかよ……」
「そうよ! 何か文句でもあんの? いつも自分は『俺は別にかまわない』で任務を決める悠輔君が」
「そうじゃねぇ、京華が浮かれる時は何か不吉の前触れなんだよ」
「何それ、人を疫病神みたいに……。平気よ、きっと大した事のない任務になるわ」
歩き出す京華の後を追いながら、悠輔は京華の気楽さに疑いをかけていた。三年間の付き合いが何かを告げていたのだ。だが、それ以上はまだ追求をしない事にした。
悠輔と京華の住むマンションは銀の銃弾の支給金から出ている。東京本部からは少しばかり離れているが、それでも足に困る事はなかった。二人はエレベーターを使い、地下へと降りる。そこには、悠輔が珍しく自分の趣味で買ったバイクがあった。
悠輔はバイクの免許が取れるようになった時、率先して自分からバイクの免許を取った。それと同時に、買った悠輔の趣味の一つである。ネイキッドタイプのバイクだが、悠輔が貯めた金がかなりあった為、相当カスタムされて結構な速度が出るらしい。
京華はそれをいい事に銀の銃弾の出勤や学校の移動、さらに私物の買い物にも使わせている二人の必需品なのだ。
悠輔がバイクのエンジンをかけると駐車場に豪快なエンジン音が響く。ヘルメットを被り、京華が後部座席に座るのを確認するとバイクは快調な動作でマンションへの道を走って行った。
*
東京本部からマンションまでは大体バイクで二十分といったところだ。マンションの駐輪場にバイクを止めた悠輔と京華はお互いの部屋へと向かっていく。
マンションにはオートロックなどはないものの、学生が一人暮らしするには相当な広さのある部屋をたくさん抱えた大型のマンションである。そのマンションの五階に悠輔たちの部屋はある。
一応、部屋は二人共に分かれているが夜寝る時や、一人になりたい時意外は京華が悠輔の部屋に入り浸っている事になる。その為、悠輔の部屋は悠輔の私物よりも京華の私物が多く置かれている。
京華は部屋に着くと何も言わずに部屋の中に入っていった。悠輔もそれに気にせず、自分の部屋に入る。寝室に入って鞄を机に置き、制服から私服に着替える。私服といっても無地のTシャツに長ズボンという最低限の格好だ。
着替え終わると、鞄の中から渡された茶封筒を取り出す。部長から渡された今回の任務の要綱だ。あの場はいつも通りなんの躊躇いもなく二つ返事で了承をしてしまったがそれでもまだ分からない内容には不安があった。
中からは何枚もの枚数の資料が出てくる。悠輔はまず、その中から主な護衛任務の内容を見る事にした。淡々と書かれている任務に目を通す悠輔だが、その中には悠輔も驚くような内容が書いてあった。
「何だ、これ……」
あまりの内容に悠輔は動揺し、京華の部屋へと向かう。その内容を京華に伝える為、部屋の扉を開ける。そして、京華に話しかけようとした。だが、目の前にいた京華はバスタオル一枚という格好だった。風呂上りだったのだろう……。
濡れたバスタオルは京華の体に張り付き、出るところの出た丸びを帯びた体つきは、はっきりと悠輔の目に映っていた。
突然の出来事に二人共固まるが、悠輔がなんとか声を出そうとした瞬間、世界が逆様になった。
「うおっ」
悠輔は頭から床に落ちる。一体何が起きたのかと思ったが、冷静に考えれば京華が能力を使ったのだと分かった。目の前には京華の姿は見えなくなっており、奥の部屋から憤怒の声が聞こえてくる。
「ちょっと! 入るならノックぐらいしなさいよ!」
「いや、まさか風呂上りだとは思わなかったから……。それに、お前はノックもせずに俺の部屋に入ってくるだろ」
「私は女だからいいの! 良い? 今度から私の部屋に入る時は必ずノックをする事!」
悠輔は立ち上がりながらぶつけた後頭部をさすりつつ返事をする。部屋の中では衣擦れの音がしているので着替えをさっさとしているのであろう。悠輔は京華が着替え終わるのを待ってから重要な内容を話す事にした。
少しして出てきた京華はジャージ姿だった。これが京華の部屋着なのだ。髪をタオルで拭いている京華は、少しだけ気恥ずかしそうにしながら悠輔の前に立つ。
「んで、何か用なの……?」
「あぁ、今回の任務の内容を読んでたんだけど、それの中にこんな内容があって……」
差し出された内容書に京華も目を通す。しかし、読んでいる京華の顔はだんだんと蒼白になっていった。
「なっ、何よ、これ! こんな無茶な事をしばらくの期間実行しろって言うの!」
二人が驚く内容は、任務中の生活の項についてだった。そこに書いてあったのは、
『任務中、護衛者は護衛対象者の家に滞在する事』
と言う内容だった。
「嘘でしょっ! 護衛対象の家に泊まり込みで警護しろっていうの! 信じられない……」
「でも、もう了承しちゃったから放棄は出来ないぜ。んで、それで聞きたい事があったんだよ」
京華は不機嫌な顔を悠輔に向けて睨みつけている。
「何よ……?」
「護衛対象は俺と同い年なんだろ? 護衛中、母親の方は本部に匿ってもらうって書いてあるから、護衛対象は俺と京華の三人で過ごす事になるだろ。護衛対象は俺と同い年の女の子なのに、俺なんかが一緒に屋根の下にいていいのか?」
悠輔の質問に京華は別の意味で驚く。悠輔にも異性を気にするという概念があったのかとそんな事を思った。無表情ながら、悠輔なりに様々な事に意識をしているんだなと京華は微かにその事を嬉しく思う。
「って言うか何? もしかして女の子の家に泊まって何かやましい事でもしようとか思っちゃうわけ〜?」
「違げぇよ。相手の方が嫌がるかもしれないって事だ」
「ちっ!」
期待していた返事が返ってこなかった事に京華は舌打ちをした。もしかしたら、悠輔が少しでも照れるやら慌てる態度が見られるかと思っていたが、それが無かったのが残念だった。
「まぁ、その可能性もあるかもしれないけれど、今はなんとも言えないわね。もしかしたら私だけ一緒の家に住んで、その近辺にあんたを済ませるって事になるかもしれないし。私達が考える事じゃないわ」
質問の答えを待っていた悠輔にとりあえずの答えを教えておく。これが一応年上として、パートナーとして頼られた最低限の義務だからである。
「そうか……。分かった」
その様子は部屋に来る前とは大して変わりないように見えたが、それでも京華にはこの三年間の任務で初めて悠輔の不安そうな感じを読み取れた事が嬉しかった。
三年前、悠輔とパートナーを組む事になったあの日から、少しはまともな感情を見せるようになってきた事が悠輔の心に刻まれた傷の回復なのだと感じられたから……。
変にニヤニヤする京華を放っておいて悠輔は自分の部屋へと戻っていく。一応の目的も済んだ事だし、自分も風呂にでも入ろうと思った。京華の言う通り、この問題は自分が考えていてもどうしようもない事だ。そんな風に頭の中を即座に切り替えるのであった。
簡単にシャワーを浴び、汗を流したところで悠輔はシャワーを止める。浴室から出る時タオルを手にしようとしたところ、いつもタオルが入っている籠には一枚もタオルが入っていないことに気がついた。
全身ずぶ濡れのまま固まった悠輔だったが、思いついたように浴室の扉を閉じる。思いついたのは何もタオルで体を拭かなくても自分の能力で体の周りに付いている水分を取ればいいという事だった。
体に付いた余計な水分を取った悠輔は、そのままリビングの端に山積みになっている衣服の塊の中からタオルを引っ張り出し、湿った体を拭く。
下着だけを取り替えて、その上に着る服は先ほどまで来ていたものをもう一度、身に着けた。
髪の毛を拭きながら、冷蔵庫から冷えた麦茶を取り出して口をつける。さっぱりとした後の水分補給はとても心地よかった。悠輔は椅子に座り、先ほどまで読んでいた資料にもう一度目を通す。
これ以上、面倒くさい内容が出てこない事を祈りながら……。
数分後――悠輔の部屋には京華が来ていた。目的は夕飯を食べる為である。京華のこれまでの様子を見れば、分かると思うが京華は洗濯や掃除こそ出来るものの、何故か料理だけは出来ないという特化した不器用さがあった。
その為、二人のご飯は悠輔がいつも作る事になっている。こればっかりは面倒を押し付けられても健康の問題を考えると自炊しなければ両者の体に悪い。だから、仕方なく悠輔はこの三年間ずっと朝食と夕食を作り続けている。
今日作ったのは簡単なピラフとワンタンスープ、それと野菜のサラダだった。悠輔にとっては大したメニューではなかったが、それでもテーブルに並べられた夕飯を食べながら京華はそれを褒めていた。
「いやー、悠輔の作る料理はやっぱり美味しいわ! それも作るごとに上手くなっていくし、レシピも増えるし、数年後が楽しみだわ!」
「……数年後まで俺に飯を作らせるつもりかよ」
「いいじゃない。どうせまだあと三年はパートナー組まなきゃいけないんだから! その間にこの料理の味を満喫しなくてどうするのよ」
正直、自分の作った料理の味をコンビニ弁当や店で売っている物と比較できるほど、悠輔は関心を持っていなかった。京華は悠輔の作る料理の方が美味しいと言うが、そんな事は結構どうでも良かった。
「京華はもう資料の方に目を通したのか?」
「うん、あんたに言われてから気になって全部読んだわ。他には大して問題は無かった。けど、それだけ一緒に同居しろっていうのが無茶な条件なのよね」
結局、行き着く問題はそれだけであった。それ以外は、特に問題ない護衛任務だ。
「はぁ〜、星城学校にいける代価がこれか〜。なんだか、厄介な任務請けちゃったわね」
「弱気な京華は気味が悪いぞ。さっさと敵が来て片付けちまえば、その後は学校を満喫するだけで万々歳じゃねぇか」
「あんたにしてはまともな意見を言うわね。っていうか、あんたはさっさと敵を倒したいだか……」
なんとなく決め付けられたように言われてしまったが、悠輔の内心では落ち込んでいる京華を励まそうとしているのだった。だが、肝心な方向が流されて結果的にいつも考えている事の方に持ち込まれてしまった。
それ以上掛ける言葉を無くした悠輔は、まだ残っている夕飯を食べる事だけだった……。
「それじゃ、もう私寝るから。何か本部から緊急連絡があったら起こして。お休み〜」
夕飯を食べ終わると、京華は自分の部屋に戻って行った。悠輔もすでに夕飯を食べ終わっていたので、食器を水に浸して片づけをしているだけだった。
京華の言葉に軽く返事をして、その背中を見送る。ようやく一日の仕事を終えて自由な時間になったが、すでに任務の確認も終わってこれ以上はやる事がなかった。寝室に戻り、枕元に隠してあるマルボロを取り出して火を付ける。
やはり、一日に一本は吸わないと落ち着かない。タバコを満喫できるのは唯一、京華が寝るといって出て行った後の時間だけであった。
息を吸い込むと、タバコの先端は赤く燃える。フィルターを通して肺の中にマルボロの味の煙が入っていく。ある程度吸ったところで悠輔はふぅっと煙を吐き出す。
ようやく味わえたマルボロの味が今の悠輔には、とても心地が良かった。ベッドに腰をかけながらタバコを味わう。これがある意味、悠輔の一日の中で決まっている日課になっていた。
しかし、タバコを味わいながらも悠輔は未だに今回の任務について不安を拭いきれなかった。何しろ、護衛任務は未だに一度もした事がなかった。どんな事をすればいいかは、少し考えればいい事であって悩む原因にならなかった。
だが、たった一人の人を守るという事は今まで行なってきた任務とは真逆。その考えが何となく実感が湧かなかった。やった事の無い任務に不安を未だ抱えているが、任務を成功させるという意気込みだけはあった。
ましてや、親に恵まれたお嬢様だ。平凡に暮らしてきた人の人生を狂わそう等という奴らからは絶対に守りぬかなければいけない。自分と同じような辛い思いをさせてはいけないと、心に誓いを込めて悠輔はそう思っていた……。
第三章 『徒波 ミツキ』
翌日。
朝起きて電話を見たところ、FAXで本部からの指令が来ていた。内容は『星城学校に転校するまでは主に本部で待機。今の学校には転校すると手続きがされた為、登校しなくていい』という事だった。
内容を確認した悠輔はまず京華に連絡する事にした。おなじFAXが京華の方にも届いているとは思うが、京華は朝に弱い。現在の時刻は午前六時半。起きるには丁度いい時間だと思うが、京華は確実にまだ起きていないだろう。
適当な洗顔と身支度を整えると、まずは京華を起こす事から始めた。部屋から出て、京華の部屋のチャイムを鳴らす。一度だけでは必ず起きないので、連打するように何回もチャイムを鳴らしていくと少ししてから玄関の鍵が開いた。
それを起床の合図だと確認した悠輔は、扉を開ける。扉を開けた目の前には、まだ虚ろな目をした京華がふらふらと立っていた。
「お早う、京華。とりあえず、顔を洗ってからFAXを見て朝食を取りに来い」
「うん……、わかった〜」
おぼつかない足取りで洗面所に向かった京華を確認して、ようやく悠輔は自分の部屋に戻っていく。朝食を何にしようかと考えた結果、ご飯は昨日使ってしまいパンしかない事に気がついた。
仕方ないと思いながら、悠輔は冷蔵庫から卵などの適当な食材を取り出して炒めるだけの簡単な朝食を作る事にした。
朝食が出来上がり、テレビをつけてニュースを見始めたところで丁度良く京華がやって来た。目はしっかり覚めているようで、椅子に座りながら「お早う」などと一足遅い挨拶をしてきた。
京華に食べる食パンの枚数を聞いて自分が食べる分と合わせてトースターに入れる。パンが焼けるのを待っているのか京華は未だ朝食には手をつけていなかった。その代わりにテレビを食い入るように見ている。
内容は何の変哲も無いニュースだった。特に目立った事件も無ければ、事象も無い。表面上では平穏な日常だった。
トースターのベルが鳴り、ようやく朝食を食べ始める。夕飯の時はあれだけ騒げるのに、朝になるとここまで気分の上下が激しいのは悠輔には理解しがたい事であった。だが、朝はやはり静かな方がいい。何よりも心が落ち着くからだ。
黙々と朝食を摂り終わった悠輔達は、そのまま出かける準備をして東京本部に向かう。移動手段は昨日と同じ、悠輔のバイクである。ヘルメットを被り、準備の出来た京華を確認すると軽快なエンジン音を立てて発進をした。
*
東京本部に着いた悠輔達はすぐに自分達の事務室へ向かう。エレベーターで八階まで昇り、廊下を進んでいく。事務室の前に着くと先に京華がノックしてから入室した。
「お早うございます、長瀬さん」
「お早う、藤史郎」
二人の挨拶に書類へ目を向けていた長瀬が顔を上げる。
「お早う、二人共。今日は予定通り、ここで待機していてくれるかな」
「はい! 了解で〜す」
京華は挨拶を済ませるとすぐにだらけモードに入った。そんな京華を横目に悠輔は長瀬が読んでいた資料に目がいった。どうやら、今度の護衛対象の詳細なデータと闇(ダーク)の使途(メッセンジャー)のデータのようだ。長瀬はそれを食い入るように眺めている。
「何か気になることでもあるのか?」
悠輔は長瀬に対し、質問する。すると、長瀬は少しの間を置いてから喋り始めた。
「いや、これは僕の心配のし過ぎなのかもしれないけどちょっと心配でね。何しろ、初めての護衛任務が長期護衛。しかも、闇の使途から護衛をするっていうのは少しハードなんじゃないかって思ったんだ」
長瀬の意見には二人共、反対はしなかった。実際に二人もそう思っていたからである。しかし、仮にも東京本部の部長から直々の任務などそう簡単に受けられるのもでもないし、任せれるものでもない。
だから二人は少々躍起になっている部分があった。それを長瀬は心配しているのである。
「大丈夫ですよ〜。確かにちょっとの不安はありますけど、私達のタッグならどんな任務だって出来ます!」
京華が長瀬に対し、強気に見せる。内心では結構な不安を持っているだろうと悠輔も長瀬も分かっていたが、そんな京華の言葉に長瀬は苦笑いをする。
「でも、本当に危険だと思ったら僕を呼ぶんだよ。学校まではいけないけれど、学校や戦闘時には援護に駆けつけるから」
「はい。分かりました!」
会話は一旦そこで途切れた。待機命令が出ている以上、ここでやれる事は昨日の報告書の続きを書く事か、京華のようにだらける事だけだろう。しかし、悠輔は性格上だらける事などはしない。
やさぐれているように見えるが、実際は勉強もするし命令にも違反した事はない。もっとも、京華と決めたルールだけは破っているが……。
結局、悠輔は昨日の報告書の続きを書く事にした。京華は雑誌を読んで退屈をしのいでいたようだが、数分後には読みつくしてしまい机に伏せって寝息を立てていた。
その後、午前中は何も指令は来なかった。悠輔は報告書を長瀬に提出し、昼食をとる事にした。眠っている京華に声を掛けたが、深く眠っているようで起きる気配は無かった。しかし、このまま一人で昼食を食べに行った事を京華が知れば恐らく理不尽な理由で怒り出して面倒な事になるだろう。
その事をふまえて悠輔は本部の中にある食堂ではなく、全国チェーンのファーストフード店『マックス・ド・ナルド』まで足を伸ばす事を長瀬に了承してもらった。これならば、お持ち帰りも出来るし起きた時に昼食があれば京華も怒る事はないだろう。
悠輔はそのまま京華を置いて、マックス・ド・ナルドまで向かう事にした。席を立ち、部屋を出ようとした時、ついでに長瀬の分も買ってきて欲しいと言われた。
「ビックマックス・バーガーを二個よろしくね〜」
悠輔はそれを了承し、部屋を出て行った。
部屋を出て廊下を歩いている最中、悠輔が何気に思った事は長瀬も人使いが荒いという事だった……。
*
買い出しから帰ると丁度、京華が起きて「お腹空いた」などと言っているところだった。悠輔が買ってきたマックス・バーガーを見ると、京華は「良くやった!」と言ってさっそく袋からマックス・バーガーを取り出して食べようとしていた。
「結局、午前中は暇だったわね。午後もこの調子なら退屈で死んじゃいそう……。何かいい暇つぶしないかな〜」
マックス・バーガーにかぶりつきながら京華はそんな事を言っていた。確かに、一日ずっと事務室に篭りきりでいるのはさすがに悠輔も暇になると思っていた。
午前中は報告書を書いていたからいいが、すでに午前中だけで終わってしまった為に午後にやる事は本当に何もなさそうだ。
「あぁ、そうだ。午後はやる事があるよ。さっき部長から連絡があってね、今日の放課後に星城学校まで行って護衛対象に会って話をしてきて欲しいって。荷物の事や、共同生活の事もあるからね」
同じくビッグマックス・バーガーにかぶりついていた長瀬がそう言ってきた。どうやら悠輔が出かけている間に指示があったのだろう。新しい指示に京華が嬉しそうにガッツポーズをとっていた。
「昼食を取ったら下の事務課に行って星城学校の制服を貰って行ってきて欲しい。護衛対象者には連絡がとってあって教室で待っている事になっているらしいよ。現段階ではまだ闇の使途の命令に従ってどの団体にも協力をしていないって事になっているから、バレないように対象に接近するように」
「具体的には何を話して来ればいいんだ?」
「ん〜、そうだね。とりあえずは顔合わせって感じかな。会って話して帰ってくればいいよ」
長瀬の対応を見るに本当に今日は顔合わせだけでいいようだ。大して警戒する必要もない簡単な用事になりそうだった。一方、京華の方は任務よりも星城学校に行ける事の方が重要そうだった。
「うふふっ、放課後が楽しみね! あぁ、どんな設備があるんだろう!」
「あんまり騒ぐなよ。あくまで任務なんだからな」
「そんな事は分かってるわよ。私はそんなミスなんかしないわ!」
そう言い張る京華はすでにマックス・バーガーを二つ平らげ、飲み物を飲んでいるところだった。
悠輔もようやく席に着き、マックス・バーガーを食べ始める。高校の放課後なら時刻として午後三時過ぎぐらいだろう。まだまだ時間がある事を確認しながらこれから会う護衛対象の事を考えていた……。
しかし、京華の方は星城学校に一分一秒でも早く行きたがっていた。そのおかげで、悠輔は昼食を食べ終わると同時に星城学校の制服を取りに行くのを強制された。
浮き浮き気分で事務課に向かう京華を見ながら、もう少し食休みがしたかったと悠輔は思った。
事務課に着いて用件を言うとすぐに星城学校の制服を渡された。それと同時に学校のパンフレットや入学書なども渡され、内容をよく読むように言われた。
新品の制服を慣らす為に着替えようと京華が言ってきたが、実際はすぐに星城学校の制服を着てみたかった気持ちの方が多かっただろう。しかし、京華の言う通り少しの詩話も無い新品の制服を着て学校へ行くのは問題があると自分でも理解したのでさっそく着替えてみる事にした。
今までの高校はブレザーだったが、今回は学ランだった。黒よりは少しだけ明るい紺色の学ランは悠輔の容姿に合って見事なものだった。しかし、悠輔の顔は渋っていた。
(学ランって首が苦しいな……)
きっちりと閉められた学ランの第一ボタンを外すと、ようやく息苦しさは無くなった。まとめた荷物を持って更衣室を出るが、まだ京華は着替えが済んでいないようだった。
気長に京華を待って十分後。ようやく京華が更衣室から出てきた。その表情は笑顔満開でくるくるとその場で回って新しい制服を見せ付けてきた。
「どう、悠輔! 私に似合ってる? 似合ってるわよね!」
京華の制服もブレザーからセーラー服に変わっていた。全体は紺色で襟やリボン、袖のラインなどには白が施されていた。細かいところに様々なポイントとしてフリルなどが着いていて、相当に凝った作りになっていた。
「別に変なところは無いぞ?」
悠輔の期待はずれな返答に、上機嫌だった京華の笑顔に渋りが入る。
「そういう事を言ってるんじゃないの! ここは普通、「似合ってるよ」とか「可愛いよ」とかそういう事を言う場面でしょうが!」
「……?」
「こいつの無関心さには超ど級がつく鈍さね……。聞いた私が馬鹿だった……」
京華はそう呟くと、さっさと先に戻ろうと歩き始めた。それについて行く悠輔は未だに京華が起こった理由が分からないようで、無表情なりに悩んでいた。
事務室に戻ると、京華はさっきと同じように制服を長瀬に見せていた。長瀬はその様子を見ながら格好を褒めていた。そうすると、先ほどまでの不機嫌さは何処へ行ったのかというような態度で喜んでいた。
放課後まではもう少しだけ時間がある。その間に悠輔は事務課で貰った星城学校の入学書を開く。中には校長の話や校則、学校の施設の紹介などが書いてあった。
学校の設備には目を張るものがあった。食堂なども通常の学校とは比べ物にならないほど豪華なランチを用意してあったり、コンビニや本屋などがあったり、学業に必要なものや関係ないものまで数多くの施設が配備されていた。
校舎についてもそれは同じだった。冷暖房完備に空調も完璧。机や椅子なども人間工学を応用した無駄にレベルの高いものになっていた。
悠輔は無表情ながらもこの施設の充実さに驚いていた。世の中にはこんな学校もあるのだと一人で無駄な知識をつけているのであった。
軽く入学書を読んでいるうちに放課後の時刻がやってきていた。ここから歩いて学校に行くまでの間、下校している生徒となるべく出くわさないように少し時間を遅らせる事にした。
京華も興奮半分、任務半分と気持ちの整理が上手くできていないようだった。しかし、学校に早く行きたいという事は変わらないようで、今も椅子に座りながらうずうずとしていた。
十数分後、丁度いい時刻となった頃に京華はもう耐えられないという感じで立ち上がった。
「悠輔! もうそろそろいいわよね! 行きましょう!」
京華の言う通り、もうそろそろ移動時間的には問題ない時刻だった。立ち上がり、一言だけ長瀬に任務として報告して部屋を出ようとする。
「それじゃあ藤史郎。行ってくる」
「うん、行ってらっしゃい。気をつけてね」
返事を聞くと先に出ていた京華を追うように悠輔も部屋を出る。そして、気持ちを引き締めた。仮にもこれは任務なのだから。歩きの早い京華を抑えるように悠輔はゆっくりと道路を歩く。星城学校を目指して……。
*
星城学校から帰宅中の生徒が多く見えるようになった頃、悠輔と京華は順調に校舎へと近づいていた。
実際に見る星城学校は立派というイメージが強かったが、監視カメラやガードマンなども多く配置されており、この学校のセキュリティーや生徒達の安全性も高い事が見られた。
「確かに、普通の学校とは警備のレベルが違うけれど、これじゃあ変化者に襲われたら意味がないわね〜」
「仕方ないだろ、いくら立派で豪華な学校でも警備員に変化者を雇えるほどの金なんかあるはず無いんだからな」
「そう考えると、今回の任務って内部の人からの依頼だから収入少ないんだろうな〜。この任務の給金は護衛が終わった時の結果次第ってなってるからなんか不安だわ……」
そんな他愛の無い話を小声でしながら正門を通り抜ける。事実上、悠輔と京華はすでにこの学校の生徒になっている為、問題は無かった。
長瀬に言われた通りに護衛対象が待っているはずの一年B組の教室を目指して二人は歩いた。
校舎の中ではまだ部活動の為に残っている者や、友人同士で話をしている姿も見られた。しかし、目的の教室の方へ行くにつれてその喧騒は静かに消えていった。約束の時間よりは本の数分遅れていたが容認できる範囲内だった。
目的の教室についた悠輔達は扉の前で立ち止まる。周りの喧騒はまったく無く、中に人がいなくても不思議でないくらい静かだった。
しかし、確かに教室の中には人がいるのが分かった。顔を合わせて頷いた京華は率先して教室の中に入っていく。
ローラーのついた扉が軽やかに開く。五十人くらいが入れそうな広い教室の中には夕暮れの光が差し込んで黄金色に染まっていた。その光の差し込む窓際に一人の少女の姿が見える。
逆光で顔が見えない為、悠輔達は教室の中に入りながらその少女に質問する。
「あなたが、徒波ミツキさん?」
京華の質問に少女が振り返る。やっと見えるようになった外見は間違いなく写真で見た姿と変わりは無かった。少女はしばらくこっちを見た後、質問の答えをくれた。
「はい。私が徒波ミツキです。あの……、銀の銃弾の人ですか……?」
「はい、そうです。あなたのお母さんから依頼を受けました。承諾書も持っています。心配なら今この場でご確認を」
「あっ、いえ。大丈夫です。お二人を見てとても人攫いをするような人には見えませんですから」
この時、京華はその発言にただ驚いているだけだったが、悠輔は違う感情を抱いていた。自分が誘拐される可能性のある人物なのに、初めて見た人間を何の証拠も無く見ただけの感想で受け入れるなど安易な考えでいいのかという事だった。
「一応仕事だから、確認してくれ。そうしてくれないとこっちも困る。それと、危機感が足りないんじゃないか?」
「ちょっ、悠輔。何言ってんのよ! あ〜、ごめんなさい、ミツキさん。言葉遣いが悪くて」
そんな悠輔たちのやり取りを見て、ミツキはキョトンとしながら頷いていた。しかし、その顔にはやはり警戒心など無く、すでに悠輔達を警戒する事などしていないようだった。
「いえ、大丈夫です。すいません。こちらの都合ばかり押し付けてしまって、この書類を確認すればいいんですね」
そう言ってミツキは書類を一枚一枚確認し始める。そんな中、悠輔は小声で京華に起こられていた。
「ちょっと、護衛対象に対してあの言い方は無いでしょう! もうちょっと、言葉をやわらかくしなさいよ!」
「そんな事言ったって、本当の事だろ。大体、同い年なんだしタメ口でいいだろ」
「あんたの場合はだれかれ構わずタメ口でしょうが!」
そんな風に小声で言い合いをしていると後ろから声が掛かる。
「あの、書類を確認しました。ちゃんとお母さんの合言葉もありましたし、これでいいですか?」
「あ、はい。ありがとう。ええ〜と、じゃあまず自己紹介からでもしましょうか?」
京華の提案にミツキは頷く。京華が先に自己紹介をしようとしたが、それはミツキによってさえぎられた。何でも自分から言いたいらしい。悠輔達は大概の事は書類で知っている為、本当は聞く意味など無いが、これも社交辞令なので大人しく聞くことになる。
「改めまして、徒波 ミツキです。趣味は宝石や鉱石を集める事、好きな食べ物は、ショートケーキです。この度は私の護衛についてくださってありがとうございます。これからどれくらいになるか分かりませんが、よろしくお願いします! あっ、それと言葉遣いはタメ口でいいです。というか逆に堅苦しいのは嫌いなので自由にしてください」
簡略的な自己紹介を終わらせると、ミツキは頭を下げた。
「んじゃ、お言葉に甘えて。あたしの名前は棗 京華。京華って呼んで。趣味は買い物、好きな食べ物はいろいろ。これから一緒に住む事になるけど、よろしくね、ミツキ!」
京華は今までの事務的口調を一変して明るい口調でミツキに話しかける。最後に手をさして握手をして京華の自己紹介は終わった。
そして、残されたのは悠輔の自己紹介だけになった。
「里見 悠輔。一年生。趣味はバイク。好きな食べ物は特に無い。よろしく」
淡々とした口調で喋った悠輔の自己紹介は商会とは程遠いものだった。人との触れ合いが苦手な悠輔にとってはこれで十分なのだろうが、とても冷めた自己紹介にしか聞こえない。
その態度に、またしても京華が食いついてくる。
「ちょっと、悠輔。もうちょっと何か言う事があるんじゃないの? それじゃ自己紹介なんて言えないわよ」
「これ以上に何を言えって言うんだよ……」
「言う事が無いならもうちょっと言葉のバリエーションって物を増やしなさいよ。まるでロボットみたいに単語を並べてるみたいじゃない」
今日に限って妙に食いかかってくる京華に悠輔はイラついた。現場での指揮だってこのくらいで起こられた事はない。何か分からないが、悠輔は反抗した気分になった。
「じゃあ、仕切り直しだ。名前は里見 悠輔。一年生。趣味はさっきと同じバイク。好きな物はタバコ。嫌いな物は京華の小言。家に迷惑になるがよろしく。……これでいいのか」
「こっ、このっ……。あんた、いい度胸してるんじゃない……」
悠輔の嫌味な自己紹介に京華も怒りを隠せない。目の前にはミツキがいるのにも関わらず、今にも悠輔に対して更正の為、愛の鞭を振ろうとしている。
しかし、そんな京華の怒りもミツキの言葉によってから回りする事になった。
「あはっ、良かった。お二人が面白い人達で。結構、緊張してたんですよ、一緒に家に住んで護衛してくれる人達がどんな人なのか」
クスクスと笑いながらそう言うミツキに対し、京華は驚きながらも質問する。
「ミツキ、あなたはこいつが面白いって言うの? 本当に?」
「だって、お二人って何だか姉弟みたいで仲がいいじゃないですか。それに個性的です!」
純真無垢の笑顔でそう言うミツキに京華は呆れるしかなかった。ミツキは嬉しそうに笑いながら再度、悠輔達を見直してくる。
「それじゃ、京華さん、悠輔さん。これからよろしくお願いします!」
三人の出会いはこんな形で始まりを迎えた。悠輔はいつも通りに淡々と、京華は変わり者の二人の間に挟まれて戸惑い、ミツキは嬉しそうに……。
*
自己紹介を終えた三人はこれからの行動について話をする事にした。ミツキの言えに住むという事は闇の使途に護衛がついたと知らせるようなものである。住み込むようになったら彼らを排除するまでの長い期間を護衛する事になるだろう。
その為には生活する為に必要な道具の運び込みが必要になってくる。今はその話をしているところだった。
ミツキの家にはまだ開いている部屋が三つあるらしい。そのうち二つが悠輔と京華の部屋になる。家から家具を送る訳ではないが期間相応の仕度が必要になるだろう。その為、今から荷物の宅配を頼む手はずを整えていたのだった。
「今日はまだいつ学校へ行ってミツキの家に住むようになるかわかんないけど、準備は速めにしておかないといけないわね」
「お部屋はもう片付いていますので、こっちの準備はばっちりです。何か必要なものがあれば買い備えておきますが?」
「あぁ、そういうのは平気よ。気にしないで。こうなると、問題はもう上からの指令を待つのみだから」
京華とミツキが順序良く話す中、悠輔はその様子を見ながらぼんやりとしていた。心の中では奇妙な違和感が渦を巻いていた。
(何か……、変な感じだ……)
もやもやした気持ちを抑えようと、ポケットの中に手を伸ばす。さすがにタバコの箱ごと持ってくる訳に行かなかった為、今はポケットの中に数本と簡易灰皿が入っている。
しかし、いざポケットの中からタバコを出そうと思った時、今自分が学校にいる事に気がついた。これから厄介になる学校でさっそくタバコを吸うなどさすがにまずいと悠輔は思った。
仕方なくタバコを吸うのを我慢し、京華達が話し終わるのを待とうかと思った時、不意に声が掛けられる。
「あの、悠輔さんは何か質問とかありませんか? 出来ることなら何とかしますけど」
今まで会話に混ざっていなかった悠輔を思ってなのか、ミツキは悠輔に声を掛ける。悠輔は特に無いと答えようとしたが、その横で睨んでくる京華の顔を見て何か一つでも質問しなければいけないと考えた。
少しの間考えた結果、数少ない悠輔の行動の中で一番重要だと思った事を聞いた。
「部屋の中でタバコを吸ってもいいか?」
「へっ、あの、タバコ……。吸うんですか?」
「ああ、一日一本は吸わないと落ち着かない」
一応、悠輔なりには考えて発言したのだったが、ミツキの横ではがっくりとうなだれる京華の姿が見えた。ミツキも困ったような顔をして返答に困っているようだ。
「あの、悠輔さんは私と同い年ですよね?」
「ああ、そうだけど……?」
「だったら、タバコは吸っちゃいけないです。体に悪いですよ……?」
返ってきた答えは駄目だったと考えていいようだ。ミツキは悠輔を見ながら心配そうに答えた。結局、タバコはこの二人の前では吸えそうにないと悠輔は考えた。
「それ以外には何かないですか?」
「いや……、無い」
「そうですか……」
今度こそ、本当に何も質問する事が無かったのでないと答えた。そうするとミツキは残念そうにしょんぼりしながら体の向きを京華の方に戻したのだった。
主な話は京華とミツキが話していた内容を聞いていたので分かっていた。時間も相当経ち、夕日の色が濃くなってきた頃、これ以上ミツキを家に帰さないでいると変に思われると思い、引き上げる事になった。
ミツキとは教室で別れた、一緒に出て行くのもまずいし、かといってこれ以上時間を長引かせる訳には行かなかったので先にミツキを帰らせたのだ。今ならまだ住宅街の方にも人気は十分にあるだろう。
悠輔と京華はミツキを見送り、しばらく経ってから学校を後にしたのだった。
*
星城学校から帰ったのは五時過ぎだった。かれこれ二時間ほど話していた事になる。帰り道で京華はミツキの事を「変わっているけど純粋でいい子」だと言っていた。
悠輔は特に会ってみて特別な感情は抱かなかったが、確かにミツキが純粋であるという事は分かった。しかし、心の中ではそれ以外にも何か違和感が残っていたのを悠輔は忘れなかった。悠輔の中ではまだミツキに心を開けるのは無理だと思っていた。
東京本部に着いて、さっそく悠輔達は今日の事を長瀬に報告する。ミツキとの関係を深められたのはいい事だと長瀬は喜んでいた。
「それじゃあ、次はこっちからの報告だね。部長からの連絡で、明日にでも学校には転入して住み込みを始めて欲しいそうだ。だから、今日中には荷物を準備しておいて欲しい。それと、入学の準備もね。明日の朝に君達のマンションに迎えに行くから、早めに起きるように。荷物はこっちで彼女の家まで送り届けるから、君達は学校への転入をしっかり頑張るように。以上だよ。さぁ、今日はもう引き上げていいよ。明日の準備があるだろうしね」
長瀬の言葉通りに悠輔達は早めに本部を後にする事にした。明日からは始まる新しい生活と任務の為に準備を早急にしなければならない。
悠輔達はそれぞれの思いを抱いて新しい日常に挑んでいく事になった……。
第四章 『新しい日常と任務』
翌朝。
悠輔と京華は星城学校の制服を身に纏い、大きなバックを持ってマンションの前に佇んでいた。時刻は七時半。ここから本部へ迎えの車で向かって十分。さらにそこから歩いて二十分。転校初日としてはもう少し時間を持って学校へ向かおうと思っていたのだが、その計画も長瀬がやって来ない事によってつぶれてしまった。
「おかしいわね〜。長瀬さんって時間とかにはルーズな人じゃなかったはずなのに……」
京華が時間を気にするように一人呟く。確かに、長瀬は昨日の帰りに迎えに来るといっていた。しかし、時間は明確に言っていなかった。
「連絡はつかないのか?」
「電話してみたりしてるけど、繋がらないの。あ〜、どうしよう。転校初日から遅刻なんてやだなぁ〜」
「……後、十分経っても藤史郎が来なかったらいつも通りバイクで行こう。荷物はしょうがないから部屋に置いといて、後で回収してもらえばいい」
「そうね、そうするしかないかぁ……」
がっくりと肩を落とす京華を見ながら悠輔はため息が出る。確かに、転校初日からこんな調子では後の事を考えるだけで気疲れがしてくるだろう。出だしのよくない日はろくな日にならない。そんな事を思いながら悠輔は長瀬の車を待っていた。
その数分後、マンションの前に一台の乗用車が止まった。明るいグレーの車から出てきたのは紛れもない長瀬だった。
「いや〜、ごめんごめん。迎えに行こうとしたらいつもの車がパンクしててね。しかも、タイヤ替えていざ発進って思ったら今度はガス欠起こすし……。散々だったよ」
「藤史郎、そんな事はどうでもいいから早く行こう。遅刻して面倒を起こしたくない」
「あぁ、そうだね。荷物はトランクに入れて、早く行こう」
長瀬の言う通りに悠輔と京華はトランクにバックを押し入れる。荷物を入れると二人は飛び乗るように後部座席へ乗り込んだ。
「しっかりシートベルトをしてね。少しだけ、飛ばすよ」
長瀬はそう言うと、車を発進させた。最初は住宅街をゆっくり走っていた車だったが、少しずつそのスピードは増していった。狭い道路を結構なスピードで走っている光景を見て京華は少し怖がっているようだったが、そのスピードはどんどん加速していった。
住宅街の道路を抜けて本格的な車道に出るとそのスピードはさらに加速していった。道路交通法ギリギリのスピードで走る車を運転する長瀬は何故か鼻歌を歌い、上機嫌だった。
結局、長瀬が遅れた時間の分は学校の途中まで送ってもらう事で大幅に取り戻せた。車を降りて学生鞄を持った悠輔達に長瀬が声を掛ける。
「それじゃ、学校への転校頑張ってね。特にこれって注意は無いけど、なるべく目立つ事は避けてね。それじゃ、楽しい学校生活を満喫すると同時に、任務の達成を祈るよ。連絡は定期的に入れるから頑張ってね」
それだけ言うと、長瀬は静かに去って行った。ちらほらと見える同じ学校の生徒達はゆったりと通学路を歩いている。残された悠輔達はゆっくりと学校に向けて歩き出す。
少しの間、無言で歩いていた京華だったが黙っているのが辛くなったのか、それとも独り言だったのか知らないが一言呟いた。
「そういえば、自己紹介……。またやらないといけないんだよね」
そんな事を言ってまだ黙り込んでしまった。
それを聞いた悠輔もまた陰鬱な気持ちになった。ミツキだけでさえあれだけ抵抗があるのに、今度は完璧に見ず知らずの他人達に自己紹介をしなければいけないのだ。悠輔にとってそれはとてつもない苦痛である。
かといって、昨日京華に言われたように淡々とした自己紹介で済まそうかと思うと、そうはいかない。仮にも、学校の中で過ごしながらミツキを護衛するなら、クラスに馴染んで交友関係を潤滑にして不自然に浮かないようにしなければいけない。
前回の学校でも自己紹介だけは考えられる言葉を全開に使ってなんとか仲がいいといえる何人かとグループを組めたのだ。しかし、今回は人の性質が違う。気楽な一般人が通う学校ではなく、何かしらについてエリートな人や有名人、またはお嬢様、お坊ちゃんなのだ。
そんな人達とは接した事もない。その為、どんな対応をしていいのか分からない悠輔は、頭の中で自己紹介を考えながら歩いていくのであった。
*
学校に着いたのは予想していた時間よりも少しだけ遅いくらいだった。おかげでクラスに向かうまでの間の時間が増えた。それは二人にとっては時間的にも心持ち的にも緊張をやわらげてくれる時間になり、助かる事だった。
職員室に入ると若い女性教師が声を掛けてきた。悠輔達は自分たちが転校生だという事を話すと、事前に連絡を受けていたのか校長室に迎えられる事になった。部屋に通されてから少しだけ待たされると、部屋の中にスーツを着込んだ中年の女性が入ってきた。
「ごめんなさいね、お待たせしちゃって。あなた達が銀の銃弾から派遣された護衛の棗さんと里見君ね」
「はい、そうです。今回は様々な対応にご協力いただきありがとうございます。校長先生」
「いえいえ、そんな事はありませんよ。逆にこちらの方が支援をしていただくことになってしまって申し訳ないくらいなんですから。何より、うちの生徒を守ってもらえるのですからどんな協力も惜しまない心持ちです」
「ありがとうございます。それでは、支援の結果を教えいただけますか?」
ここで、京華が支援という言葉を使った。支援とはこの学校内で悠輔達がいかに自然に生活をしながらミツキの護衛をしやすくしてくれるか、という事だ。
「ええ、ばっちりですよ。そちらの希望した通り、里見君には徒波さんと同じ一年B組に入ってもらう事になりました。棗さんの教室もなるべく一年B組に近い場所のクラスに入ってもらう事になっています。それ以外にも支援の結果はありますので、それは資料をご覧ください」
そう言って京華に対して茶封筒が渡される。京華は手早くその書類を鞄の中にしまいこんだ。その時、校長室の扉がノックされる。ノックされたのは職員室側の扉だった。
外からは若い男性の声がした。その声を聞いた校長は中に入るように指示をする。開かれた扉からは若い男性と女性が入ってきた。
「紹介しますね。この二人はそれぞれあなた達のクラスの担任教師です」
「初めまして、里見君。君の担任になる。よろしくな。ちなみに担当教科は数学だ」
「私は棗さんの担任になります。よろしくね。国語を担当しているわ」
悠輔も京華のお互いの担任と挨拶をする。
「この二人だけはあなた達の都合を知っています。困った事があったらぜひ相談相手にしてくださいね」
「お気遣いありがとうございます。心強いです」
あれこれしている間にチャイムが鳴る。予鈴が鳴り、学校全体が静かになっていく。校長先生によくお礼を言い、担任達と一緒に校長室を出る。悠輔の向かう先は二階の教室だ。階段を上がり、京華とは離れ離れになる。別れ際に京華は一言だけこう言ってきた。
「頑張って友達作りなさいよ。いいわね!」
そう告げると京華は女性担任と共に三階へ上がっていってしまった。告げられた内容にしばらく頭を抱えるが気にしてくれたのか担任が声を掛けてくれる。
「あははっ、大丈夫だよ。うちのクラスは君の他にも変化者がいるし、みんな明るい子ばっかりだからね。自然に解け込めれると思うよ」
「……そうですか」
そうこうしている間にクラスの前にたどり着いてしまった。嫌な緊張が久しぶりに体を伝うが、気を引き締めていかないと駄目だと思った。その為、悠輔は心の中で何度も自己紹介を反復する。
「それじゃ、ちょっとここで待っていて。先に君の事を紹介しちゃうから」
そう言って担任はクラスの中に入っていく。教室の中では担任がクラスの生徒に着席するように声を掛けていた。淡々とした口調でHRが始まる中、最初に転校生がいる事が説明されると教室の中がざわめきに溢れた。
一応、悠輔達の急な転校は親の転勤と言うベターな言い訳で通す事になっている。そんな内容で大丈夫なのかと言われれば苦しい事には変わりないが、その程度ではボロが出たりは決してしない。
教室の中が少しずつ静かになってきた頃、教室の中から担任が悠輔を呼んだ。悠輔は腹をくくって教室の中へ扉を開けて入り込んだ。
教室の中は同じ制服を着込んだ生徒達が多く並んでいた。数は四十人くらいだろう。その全員が悠輔を一斉に見つめている。ざわざわと隣同士の席などで話す内容は全部聞こえており、その内容は主に女子が容姿、男子は性格だった。その中にはミツキも入っていた。
教壇の横に立つと担任が自己紹介をするように言ってくる。悠輔は黒板に自分の名前を書くと何度も繰り返した自己紹介を口にした。
「初めまして。里見 悠輔と言います。趣味はバイクについていろいろ。親の急な転勤で転校する事になりましたがこれからよろしくお願いします。それと、俺は会話が苦手なのであまり上手く話せないが、よろしく」
悠輔が朝から考え抜いた自己紹介は変に噛むこともなく終わった。その瞬間、クラスから大きな拍手が飛んできた。クラスから「十分喋れんじゃねぇか!」とか、「声も低くてかっこいい」とか様々な声が飛んでくる。
「はいはい、一旦静かにしろー。今日のHRと一時限目は里見のクラス馴染みにちょっと時間を使うが、昨日言った通り小テストも行なうからな。それじゃあ、まずは質問タイムから始めようか。質問前には先に自己紹介しろよ」
担任の言葉が終わると同時にクラス中から手が上がる。その光景に驚く悠輔だったが、そんな事は関係なく質問が始まった。最初に選ばれたのはクラスの中でも一番大きく目立っていた頭のツンツンした男子だった。
「はいは〜い。クラス一のムードメーカーこと長谷川 辰也(はせがわ たつや)で〜す。よろしく! んで、みんなも気にしてるだろう第一の質問はやっぱりこれでしょう!」
そう言った長谷川はビシッと人差し指を向けて聞いてきた。
「里見君は変化者ですか〜?」
その質問に心臓がドクリと高ぶる。表に感情を出す事はなかったが内心かなりびっくりしていた。悠輔の思考はこの質問に対して、本当の事を言うべきか否か、考える事になった。変化者だからといって避けられたりする事はないだろう。
問題は自分が変化者だと分かる事と能力の露見だ。これが一番問題になる。そんな事を考えているうちに質問した長谷川も悠輔が答えにくいと思ってか、さらに声を掛けてきた。
「あ〜、そんなに構える事ないのよ。ほら、俺も変化者なんだぜ。今証拠見せてやるから俺の右手にご注目を」
そう言うと長谷川は右手を天井に向けて差し出した。そうすると教室の中で風の流れが生まれる。目には見えないが彼が右手を中心に空気を動かしているようだった。しかし、その動作は急に変化した。天井に向けられていた右手が素早く今度は床に向けられる。すると、その瞬間一気に教室の中に強風が吹いた。
「必殺! スカート返しッ!」
長谷川が叫ぶと同時にクラス中の女子がスカートを押さえて悲鳴を上げる。そしてそれとは逆に男子全員から歓声が沸く。
「ほぅら、この通り! ってちょ、女子の皆さん! その握りこぶしは何ですかぁーー!」
長谷川は周りにいた女子達に思い切り殴られていた。その様子を見ていた悠輔はこの様子なら別段軽い能力の露見程度なら平気だろうと見切りをつけた。ボコされた長谷川がぐったりと机に伏せっている中、悠輔は質問の答えに応じる。
「俺も、変化者だ。能力は……、水を操れる」
その答えにクラスのみんなが感嘆の声を上げる。大して珍しい能力でもないが、この学校にはいないのだろう。変化者かどうかという質問はそこで終わった。
そして次の質問は元気のある女子からの質問だった。
「始めましてー、遠野 和美(とおの かずみ)っていいます。里見君には彼女はいるー?」
その質問にクラスの女子が期待の眼差しを送る。
「いや、いない」
はっきり言ってこの手の質問も苦手だった。さっさと答えて終わらせようと、すぐに返事をするが遠野はしつこく追加の質問をしてくる。
「じゃあ、好みのタイプはどんな感じ?」
そんな事を言われて悠輔は戸惑った。女性なんて親しく話した事のあるのは母親と京華くらいだ。つい昨日、ミツキとも話したがほんの二、三回の会話で終わっているので話したとはいいづらい。
しかし、生活の中で付き合っていくのならば京華のような乱暴な性格ではない、大人しい性格の方がいいと思った。
「大人しい性格のほうがいい」
そう言うと、遠野は満足したのか「ありがとね〜」と言って席に座った。女子達の間ではこそこそと談義が繰り広げられていたが、気にしない事にした。
その後、あと何個かの質問を受けたところで担任が声を掛けた。悠輔の自己紹介も終わり、悠輔はクラスの後ろ辺りに座らせられる。席の斜め前はミツキが座っている。この辺も考慮したのだろう。
ざわついていた教室は担任の声によってようやく静まる。事前に報告されていたテストを行なうらしい。前の方から担任によってテストのプリントが回されてくる。それを受け取って後ろに回す。そして、全員にいきわたったところでテストは始まった。
*
一時限目が終わり、休み時間になった時、最初に悠輔の席に近寄ってきたのはミツキだった。
「お早うございます、悠輔さん。どうですか? このクラスには馴染めそうですか?」
「まだ分からない……」
「そうですか、でも大丈夫ですよ。みんないい人ばかりですから」
ミツキはそう自信満々に言い張っていた。一体その根拠は何処から来るのかと思ったが、それは案外当たっていた。
「あれぇ、ミツキちゃん。里見君と知り合いなの? ずいぶんと親しげだねぇ」
話しかけてきたのは最初の質問をしてきた長谷川だった。長谷川の質問にミツキは返答に困っているようだった。まさか、私の護衛ですなんて言えはしないのは当たり前だ。
「入学手続きの時に知り合ったんだ。同じクラスになるとは思わなかったけど」
悠輔は助け舟を出すように会話に割り込む。そうすると、ミツキは「そうなんです!」とかしどろもどろになりながら説明をしていた。
「へぇ、良かったじゃん。クラスに知り合いがいてさ。まぁ、このクラスのみんなもまだ知り合ったばかりでお互いの事はよく知らないけどな」
「でも、もう大分お友達やグループは出来てますよね。とってもいい事です」
「分かんない事があったらなんでも言ってくれよな。俺とその恋人のミツキちゃんが何でも相談に乗るからぁっ――」
「さっそく変な嘘教えてるんじゃないわよ!」
喋っていた長谷川を横からどついていたのは遠野だった。長谷川はわき腹を押さえながら涙目で反論する。
「いいじゃんか〜、そのうちミツキちゃんは俺の恋人になんだから〜」
「あのぅ、和美ちゃんの言う通り、変な事言わないでくださいよ。誤解されちゃうじゃないですか……」
「二人は付き合ってるのか?」
状況がこんがらがっている悠輔はそう聞き直す。
「違うわよ〜。長谷川が勝手にそう言ってるだけ。入学してクラスの自己紹介の時に即効で告白したのよ! 信じられない節操なしでしょ」
「全部、長谷川君の嘘ですよ」
「あぁ、俺、これで一体何回の恋人否定を受けたんだろうか……。悲しいなぁ」
目の前では一喜一憂の状況が繰り広げられている。前の学校とは違い、なんだかこのクラスは確かに馴染みやすい雰囲気がしていた。何しろ、前の学校では何日か経ってからようやく会話をしたって言うのに、すでにミツキ以外の二人と会話をしている。それだけでも悠輔には驚きの事だった。
「それにしても、人見知りのミツキがこんなに気楽に話せるって言う事はかなりのいい人って事なのよね。今のとこ全然そうは見えないけど」
「そんな事ないですよ。悠輔さんはいい人です!」
「まぁ、ミツキの人を見る目は信頼できるものがあるからねぇ。信じるけどさぁ。何か、変に里見君の事を強調してない? まるで何か裏があるみたいに……」
その言葉にミツキはビクッとする。その様子を見ていた悠輔は、クラスの中でいつかボロが出ないか心配になっていた。
二時限目が始まると、悠輔は暇になった。授業は前の学校よりは難しかったが、それでも十分に理解できる範囲内だった。適当に黒板に書かれていく授業内容を書き取りながら、悠輔は軽い警戒をしながら授業を聞き流していった。
授業はどんどん終わり、昼休みになった。一緒についてきた長谷川と購買で買ってきたサンドウィッチを教室に持って帰ると、すでに教室ではミツキと遠野が弁当を広げていた。近くの席に着き、悠輔は他愛ない世間話をしながら昼休みを終えた。
午後の授業も適当に受けた。最後の授業の鐘がなると、クラスは騒がしくなり帰り支度を始める。担任がやって来て、報告事項を伝えるとさっそく解散となった。
京華からはすでに校門で待っているという報告があり、残っているのはミツキの校内での用事と、外での用事だけである。悠輔はそれを聞いてみる事にした。
「ミツキ、この後は何か用事があるのか?」
「いいえ、今日は二人がやってくると言うので用事などは済ませてあります。もう、家に帰るだけです」
「そうか、だったら行こう。校門で京華が待っている」
「はい!」
ほんの吸う会話をこなすと悠輔とミツキは校門へ向かった。校門で京華と合流する。すると、歩きながらさっそく京華がミツキに対して、「悠輔が面倒を起こさなかったか?」とか「自己紹介はどうだった?」とか余計な事を聞いてきた。
「おい、京華。俺だって入学早々問題なんて起こさねぇよ」
「あんたの言う事は信じられないの! で、どうだったのミツキ?」
「いえ、大丈夫ですよ。自己紹介も昨日よりすごい滑らかでしたし、お友達ももう出来ました!」
ミツキがそう言うとようやく京華はため息をついて安心したような仕草を見せる。その様子が悠輔にはたまらなかった。
「そう言う京華はどうなんだよ。クラスでは上手くいってるのか?」
「あんたと一緒にして欲しくないわ。クラスではもう友達も一杯出来たわ! 携帯のアドレスも増えて大変よ」
「そうですよね。京華さんって美人ですし、みんな憧れると思いますよ」
「あははっ、ミツキは嬉しい事言ってくれるね! それに比べて、悠輔はくだらない事に意地張っちゃって、本当に子供よね〜」
「ちっ……」
言い返す事の出来ない悠輔は、舌打ちと共にそっぽを向いてしまった。京華はしてやったりというような満悦の表情、そしてミツキはそのやり取りに苦笑いを浮かべていた。
ミツキの家は学校から歩いて十分とちょっとのところにあった。ちょっとした庭のついた二階建ての一軒家。デザインハウスのようなオシャレな感覚があり、白く塗りつぶされた外見は清楚な感じを漂わせていた。
中に入ってみるとその造りは見事なものだった。統一された洋風の空間は現代の家という感じがとても似合っていた。ミツキに案内されて二階に上ると、廊下の先にいくつかの部屋があった。
「私の部屋は一番奥です。その正面はお母さん達の部屋。お二人の部屋は、私の部屋の隣り二部屋です。中は同じ構造なので自由に選んでください」
ミツキがそう言い終わると、すぐに京華はミツキの隣の部屋を選んだ。悠輔は別段、これに関して文句は無かったが、京華が何故か悠輔を睨んで警戒をしていた。その意味は結局分からず、部屋割りは決まってしまった。
部屋を決めたところで、そのまま一階へ戻った。まだ本部から荷物が届いていない為、着がえる事も荷物の整頓もする事が出来ず、結局リビングにて休憩をするしか出来ないのであった。
ただし、ミツキは先に着替えてきた。無地のロングTシャツに白のパーカー、それと赤色のチェック柄のスカートを着ていた。京華はその姿を見るとすぐにベタ褒めしていた。いつもジャージしか着ないくせにと悠輔は思っていたが、外に出る時にはちゃんとした私服を着ているのでやはり、衣服にこだわりはあるんだなと認識できた。
そんな事を考えているうちに、二人は服の話で盛り上がっていた。ついには二人して二階に上がってミツキの部屋に閉じ篭ってしまったぐらいである。
悠輔は一人でリビングに残ったまま、これから暮らす事になるこの空間をじっくりと観察し、時間をぼんやりと過ごしていった……。
*
悠輔達が家に帰り、夜になった頃。
ミツキの家から離れたところにあるマンションの一室から二人の男がその様子を見つめていた。
「やはり、警護の人間を雇ったようだな。忠告してやったというのに……」
「仕方ねぇんじゃない? そりゃー黙って娘を誘拐されたくないでしょ。でも、ちょっと厄介だよなぁ。どうせあれ、変化者だろ? 銀の銃弾から送られてきた」
「そうだろうな。しかし、いくら銀の銃弾の変化者とはいえ、お前は負ける気がするのか? 触れられない者(ノー・タッチャー)」
触れられない者と呼ばれた青年は、その質問に対し、高圧的に返事をする。
「んな訳無いだろうが! そういうテメェはどうなんだよ? 刃の嵐」
「勿論、負けなどはしない」
黒いコートを纏った若い初老もそれに対して返事を返す。
二人はお互いを牽制しあうように視線をぶつける。しかし、それも刃の嵐が視線を逸らし、すぐに終わる。そして鋭い目つきでミツキの家を呟く。
「邪魔者は、排除せねばな……」
間章・一
自分が怖がられていたのは知っていた。
初めにそれを知ったのは、まだ幼稚園の頃だった。幼いなりに分かっていたのだ。二人は自分の機嫌がいい時はまだ、普通に接していてくれた。しかし、少しでも機嫌が悪ければ二人は自分の事を異常にまで褒めたり、物を買ったりして機嫌を取ろうとしていた。
別に何もする気など無かったのに……。
しかし、それも小学校に入って学年が上がる毎に変わっていった。例え、自分の機嫌がいい時でも自分を見る目が恐れを抱いているのが分かるようになっていった。
それからは、関係が悪化するのみだった。学年が上がる毎に自分への二人の恐怖心は大きくなっていった。それでも、自分は二人の事を嫌いになどならなかった。
だって、二人は、二人しかいないのだから。
だから、自分は努力をした。二人に嫌われないように怖がられないように、勉強をして、運動もして、学校で褒められて、様々な事で二人に自分をアピールした。
しかし、それも逆効果でしかなかった。自分に力がある事を知った二人はますます自分を恐れるようになり、ついには顔を合わす事も避けるようになっていった。
それは、まだ小学校四年生の時の事だった。
そして、残された時間は着実に消え始めていっていた。
決して忘れる事は無いだろう、あの事件が起こるまでの時間が……。
第五章 『闇の使途(ダーク メッセンジャー)』
カーテンの向こうから射し込んでくる朝日。
その眩しさと、未だ慣れない部屋の空気に目が覚める。ゆっくりと上体を起こし、寝ぼけた眼差しで時計を見ると丁度、起床時間だった。
転校してから一週間。ようやく学校や生活リズムは整ってきたものの、やはりところどころなれないものがあった。その中でも、一番慣れないのがミツキの起床時間である。
さすがに一人暮らしをしている事もあってミツキは何でも出来た。炊事、洗濯、掃除は当たり前であり、悠輔達が暮らすようになってからも、ほぼ毎日朝食はミツキが作っている。
マンションでは京華が悠輔よりも早く起きてくるなんて事は滅多にない事だったので自分よりも先に誰かが起きて朝食を作るなど考えられない事だった。それだけは違和感があってたまらない。
悠輔は来だるい体を動かし、身支度を始める。といっても部屋で出来る事は着替えることのみなので制服への着替えはすぐに終わる。仕度が終わると悠輔はさっそく一階へ降りていった。
リビングに寄る前に、洗面所へ向かい顔を洗う。冷水が悠輔の意識をはっきりとさせ、気合を入れてくれる。洗面所で出来る事をこなし、リビングに入るとさっそく明るい声でミツキが挨拶をしてくる。
「あっ、お早うございます。悠輔さん! 待ってくださいね。もう少しで朝食が出来ますから」
「何か手伝う事はあるか?」
「こっちは特に無いです。それよりも、いつも通り京華さんを起こしてきてください。京華さん、未だに私だと二度寝しちゃうんですよ……」
「はぁ……、分かった、行ってくる」
そう言われて悠輔はリビングを出て行こうとする。しかし、その前にもう一度ミツキの声が掛かる。
「あっ、悠輔さん! パンは何枚焼きますか?」
「あ〜、二枚頼む」
「はい! 了解です!」
笑顔でそう答えたミツキはパタパタと朝食を作るのを再開した。悠輔もミツキに言われた通り、京華を起こしに行くのだった。
悠輔の心も徐々にミツキに慣れ始めていた。その結果、前のように話していても違和感や気恥ずかしさはまったくなくなっていた。それは、悠輔自体もこの生活に楽しみを覚えていたからだった。
京華を起こし、もう一度リビングに戻るとすでに食卓には朝食が並んでいた。作られたものは全て簡単なものだが、それでも美味しいことには変わりはない。二人で席に着いて少しの間、京華がやってくるまで待つ。
すぐに京華もふらふらしながらやって来て席に座り、ようやく朝食が始まる。これは、ミツキが決めた約束の一つだった。
「ん〜、今日もミツキのご飯は〜、美味しいわ〜」
「京華さん、しっかり噛んで食べてくださいね。寝ぼけて喉をつまらせたりしないでください」
「大丈夫だよ、京華は飯を食べるのだけは朝でもしっかり行動できるから」
悠輔の言葉にミツキは京華のほうを見ながらがっかりする。
「はぁ……、本当はしっかり起きて欲しいんですけど」
「それが出来ていれば俺がとっくに直してる」
「そうですね……」
この一週間、敵が襲ってくる気配はなかった。さすがに能力や遠距離での監視を受けていればそれは分からないが、少なくとも狙われているという感覚はまったくなかった。
しかし、それでも悠輔達は気を抜いたりなどはしていない。護衛任務とは期間が長ければ長いほど気が緩み、隙が増えていくものだ。適度な気晴らしとなるのは家でみんなが揃っている時や学校内での時間だった。
朝食をみんなが食べ終わり、一息つくといつもの登校時間になる。悠輔達は一旦、自室に戻り鞄を取って玄関に集合する。
「忘れ物は無いですね?」
「ん、おっけい!」
「平気だ」
そう言うと、ミツキは玄関に鍵をかける。戸締りやガス元の確認を頭の中で済ますと、悠輔と京華に向かって元気よく言う。
「では、行きましょう!」
そして悠輔達は学校へ向かった。いつも通りの登校路を談笑しながら歩く姿は、他人から見ればただの仲の良い友達だった。
*
「本日も三人一緒に登校開始。いやぁー、仲がいいって言うのはいい事だよなぁ」
触れられない者は高倍率の望遠鏡で悠輔達を見ながら、おちょくるような態度でそう広告していた。それを聞いていた刃の嵐は無言でその様子を見ている。
「んで、クライアントからももうそろそろ動けって命令がきてるけど、どうすんの?」
「今日の放課後、……動くぞ」
「りょうか〜い。やっと動けるのかぁ。体が鈍って仕方が無いぜ!」
触れられない者は立ち上がり、腕をぐるぐると動かす。その様子を見ていた刃の嵐は追加の言葉を言う。
「女子供といえど、この世界に入った者だ。容赦はするなよ。それと、ターゲットには絶対に怪我をさせるな。いいな……」
「はいは〜い。分かってますよ。そもそも、相手がどんな奴だろうと俺は手加減しないし!」
それ以上、刃の嵐は何も口にはしなかった。ただ、その目には獲物を狩る狩人のような闘志が現れていただけだった。
*
昼休み。
転校してからあの日以来、悠輔、ミツキ、長谷川、遠野とこの四人で集まって昼食を取る事が当たり前になっていた。悠輔と長谷川はいつも通り購買でパン類を買い、遠野とミツキはお弁当を食べる。
いつの日かミツキが悠輔と京華の弁当も作ると言った事があったが、同居していることが分かり易くなってしまうという事で断らせてもらった事があった。
転校当日から馴れ馴れしかった遠野と長谷川だが、一週間たった今ではそれはもっとランクアップしていた。
「なぁなぁ、悠輔。今日は一体何枚の手紙が入ってたんだ?」
「二枚……、いい加減にうっとおしくなってきた」
「相変わらず、悠輔君はモテるわね。うちのクラスは勿論、他クラスと上の学年からもアプローチを受けてるんでしょ? 一週間でこれじゃあ先が思いやられるわね。これは気をつけないといけないわよ! ミツキ!」
「ええっ、何で私に振ってくるの? 別に、悠輔さんがモテようと私には関係ないよぅ」
手紙――というのは勿論、ラブレターの事である。転校して一週間。どういう訳だか悠輔は学校注目の転校生として祭り上げられている。転校して次の日から机には必ずといっていいほどラブレターが入っている。
容姿としては平凡より上の悠輔だが、何故ここまで人気が出ているのかは分からない。
「だぁー、何で悠輔がモテるのに俺がモテないんだー! 俺のルックスなら悠輔にも劣っていないはずだろう!」
「まぁ、確かにルックスは負けてはいないわよね。ルックスは」
「何だよ、嫌にそこを強調してくるな。じゃあ質問するが、それ以外に俺が悠輔に劣っている部分があるとでも!」
「いや、めっちゃあるでしょ。例えば、学力とか性格とか品性とか」
「ぐふぅ……」
長谷川が机に突っ伏せる中、悠輔は興味の無い話に黙々と耳を立てていた。品性と性格についてはどういう事か分からないが、学力についてだけは自分が蒔いた種だと分かっている。
『銀の銃弾の正式員である者、文武両道である事』
と言う規則が銀の銃弾にはある。これは、戦闘にばかり特化している者は正式員として相応しくないと、主に銀の銃弾の学生に対して作られた規則である。その為、銀の銃弾の学生はある一定の学力を保つように仕事の合間に勉強をするという時間がある。
そのおかげで、銀の銃弾の学生は任務によって潰れる授業時間を取り戻しているという訳なのである。しかし、あくまでそれは勉強が出来ていない学生の場合である。悠輔と京華はそれとは逆に恵まれた頭脳を持ち、一度も規則に引っかかった事が無い。だが、それが今回は仇となったのだ。
転校した初日にあったあの実力テスト。後日返還があったのだがそれが第一の始まりだった。
さっきも言った通り、悠輔は頭がいい。その為、返された実力テストは満点だった。しかも、担任が堂々きってクラスにそれを暴露するものだから、その事はクラス全体に伝わる事になった。しかも、そのテストは全クラス同じ問題だったらしく。悠輔のテストの噂は爆発的に広まった。
第二も同じような事だった。実力テストで満点を取った悠輔は、先生達にことある毎に問題を解く事を要求された。今では最初にクラスの誰かを先生が当て、答えが外れた場合は必ず悠輔にお鉢が回ってくるようになっている。
しかも、その問題をあっさりと解いてしまうのだからこれもまた自業自得である。
「ルックスOK、成績OK、運動神経もOK、そして寡黙だけど案外と思いやりのある性格。こんな完璧超人どうしたら放っておく女子かいるのか。逆にそっちの方が不思議に思えるわ」
「俺は逆に放っておいて欲しい……」
「どうしてー? だってそれだけラブレター貰っているなら悠輔君の好みの子もいるでしょ? 嬉しくないの?」
「別に、恋愛なんて今のところ興味ないし」
「えっ! 何! 悠輔君って女の子に興味ないの!」
「えっ……! マジかよ、悠輔……」
「テメェら……、一回ぶちのめしてやろうか?」
と、こんな風に軽い冗談や、気楽な話まで出来る仲のよい友達になっていた。
そんな昼のひと時も終わり、また授業が始まる。そんな中、悠輔はミツキと共に物理の資材室へ足を運んでいた。ミツキはクラス委員であり、授業の準備などを玉にしなければいけない。相方の男子もいたのだが、今日は偶々風邪で休んでいたので悠輔が手伝う事になった。
抱えたダンボールの中にはいくつかの音叉(おんさ)が入っていた。
「これで全部か?」
「えっと、はい。そうみたいです」
「よし、だったら早く戻ろう。いくら授業の準備をしていたといっても、遅刻したら何を言われるかわからねぇ」
そう言って準備室を後にしようとした時、後ろからポーンっと音叉が鳴った。後ろを振り向くと、ミツキが目を瞑りその音を心地良さそうに聞いていた。
狭い準備室の中なのでか、その音に共鳴してダンボールの中に入っていた音叉も微かに共鳴して鳴り響いていた。
「音叉と人って似ていますよね。一つの音叉が鳴るとその音が他の音叉に共鳴して音がなる。それは人も同じ。一人の人がいるだけでその周りの人に影響する。そう思いませんか?」
「……一体何の比喩なんだ?」
「いえ、少し不安になっただけなんです。今こうやって平穏に楽しく暮らしていられるのは悠輔さんと京華さんがいるから成り立っているんだって。それを今、この暗い部屋に入って思ってしまったんです」
ミツキはそう言って立ち上がる。その表情には少しだけ曇りがあった。
「だから、ほんの少しだけ、怖くなってしまったんです。もし、本当に闇の使途が来てこの生活が壊れるような事になったらって……」
その様子に悠輔は少しだけため息をつく。
「そんな事で悩んでいたらこの先、一生心配して生きていく事になるぞ」
「そう、ですよね。そんな事じゃいけないんですよね……」
「ミツキ、お前は今言ったよな。俺と京華がいるからこの生活が保っていると。だったら、もっと俺達の事を信用してくれてもいいんじゃないのか?」
「勿論です! 信用はしています! でも、闇の使途は凶悪な集団だって知っています。私に何も無くても、悠輔さんと京華さんに何かあったらと思うと」
悠輔はその言葉に驚く。ミツキが自分の身の危険と、自分達の危険も考えに入れて悩んでいたなんて思わなかったからだった。
他人への心配。そんなものを真剣に考えた事は、この数年間無かった。あの事件以来、悠輔の人への感情がまるっきり変わったからだった。しかし、今この時になってその考えを見直す時が来ていた。
悠輔はミツキの思いを真剣に考えて言葉にしていく。その中で先ほどのミツキの音叉の例えが脳裏をよぎっていた。
「大丈夫だ。ミツキ。俺達はそんなに簡単にやられたりしない。それは心から約束する」
「本当ですか……?」
「本当だ。だから、俺達を信じてくれ。その代わりに、俺達は必ずこの日常を守り抜いてみせる。きっとだ心配なんかさせない」
それは悠輔がこの数年間見せた事のない、心のこもった言葉と表情だった。ミツキは悠輔の瞳を見つめたまま、しばらくした後、やわらかい微笑を見せて頷いた。
「分かりました。私は悠輔さんと京華さんを信じます」
その言葉に、ふと悠輔の顔に笑みが見られた。その様子を見たミツキは笑いながら先に準備室を飛び出る。
「えへへっ、悠輔さんの笑った顔、初めて見ました! レアものです!」
そう言うと、ミツキは走って先に行ってしまった。その場に残された悠輔は思わず、自分の頬に手を伸ばし、つねっていた。
「俺が……、笑ってた……」
自分でも分からなかった出来事に呆けていた。しかし、そんな中チャイムが鳴ったのを聞いて慌てて教室を目指して走っていた。その顔にはもう笑みは残っていなかったが、心の中には確かな変化があったのは確かだった。
*
授業も終わり、悠輔とミツキはいつも通り校門で待っている京華の元へ向かっているところだった。あの昼休みの一件からかミツキは上機嫌でいた。心なしかいつもの笑顔よりも感情があふれ出ているような感じだった。
それは京華も分かったようで、校門で合流して即座に指摘していた。何があったのか京華はミツキに質問していたが、ミツキはそれを嬉しそうに秘密にしていた。
その後も何があったのか、直接悠輔にも聞いてきたが、悠輔はミツキに対してあんな言葉を言ったのが恥ずかしくて結局知らない振りをする事にした。
「まぁ、別に悪い事じゃないからいいんだけどさぁ」
「そうですよ、気にしない気にしない」
「でも、そこまで浮かれているのを見ると、お姉さんとしては聞きたくなってくるのよねぇ」
「えへへっ、秘密です! 絶対に喋りませんよー!」
そう言って笑っていたミツキと京華だったが、次の曲がり角を曲がったところで京華のほうから笑顔が消えていた。ミツキの腕を掴み、自分の体の後ろに隠すようにして立ちふさがる。
それは悠輔も同じだった。先ほどまでの楽しい空気は一変し、悠輔と京華からは警戒と敵対の雰囲気が出ていた。
二人の急変さに驚いたミツキだったが、二人の視線の先を見るとそこには黒いコートを羽織った初老と青年が立っていた。その二人を見た瞬間、その二人の視線が自分に降り注がれている事に気付き、初めてこの事態が危険なものだと気付いた。
先に行動を起こしたのは悠輔と京華だった。
「京華、ミツキを連れて本部へ。こいつらは俺が引き付ける」
「了解。ミツキ、しっかりつかまって」
そう言うと京華はミツキを担いだまま、驚異的な跳躍をして民家の屋上に飛び乗っていた。そのまま跳躍を続け、その場から遠ざかっていく。
「ありゃー、一人は身体能力者か。このままだと厄介だなぁ」
「私が追おう。あいつは任せていいな、触れられない者」
「はいはい。了解ですよー、行ってこいよ、刃の嵐」
刃の嵐の方が踵を返し、二人が向かった方向を向く。しかし、そんな事を悠輔が許すはずが無かった。
「させるか!」
そう叫ぶのと同時に、悠輔の力によって空気中の水分が凝縮される。凝縮された水は分厚い壁となり、道路を空まで覆っていた。
「へぇ、水能力者(ウォーターマスター)か。しかも、結構強そうじゃないか。さすがは銀の銃弾が寄こした護衛だけはあるな」
「ここで大人しくつかまってもらう。抵抗すれば怪我だけで済まない……」
悠輔が作り出した壁は強固な物だ。特別な能力か、相当な能力者で無い限り脱出は出来ないものである。しかし、二人はそれを見ても変わらない態度で話していた。
「では、行ってくる。早めに終わらせろ」
「はいはい、さっさと行けって」
何かある。そう思って悠輔が攻撃をしようとした時、急に目の前から手裏剣のような薄い板状の物が飛んできた。何とか紙一重でその手裏剣を避ける事には成功したが、すでに初老の姿は水の壁の中にはいなかった。その変わり、刃の嵐は先ほど京華が着地した民家の屋上に立っていた。
(あいつ、瞬間移動能力者か!)
刃の嵐は悠輔の方を少しだけ見ると、そのまま消えていった。引き付け役として二人を拘束できなかったのは悠輔としてはかなりの屈辱だった。
「さぁ〜て、うるさい奴も行った事だし、俺も仕事に励みますかねぇ」
その言葉に悠輔は反応し、目の前にいる敵に意識を戻す。
「お前だけでも、必ず捕まえてやる……」
「お〜、おっかねぇ。そんなにあいつに逃げられたのが悔しかったのか、くくくっ」
触れられない者の挑発には、そう簡単に乗る事は無かった。悠輔は自分の周りに野球ボール程度の水の玉を大量に作り出していた。
(まずはあいつの能力を知らないと……)
変化者同士の戦いでは、まず相手の能力を知る事が最優先事項である。その為、うかつに能力の分からない相手に近づく事は危険である。
(行け!)
悠輔が触れられない者に手をかざすと空中に浮いていた水の玉のいくつかが、触れられない者に向かって高速で飛んでいく。そのスピードは凄まじいものであった。
「ひゅう!」
しかし、触れられない者は素早い身のこなしでそれらを全て避けきっていた。水の玉が当たった場所は水圧によって抉れていた。
「お〜、おっかねぇ。やる気満々だねぇ! でも、そうじゃなきゃ面白くねぇよなぁ!」
そう言うと触れられない者は両手を胸の前に交差して差し出し、それを振り下げた。すると、コートの袖の中からは鋭い鉤爪が六本、俗に言うクローが出てきた。
「簡単にやられるなよ!」
クローを構えた触れられない者が勢いよく突っ込んでくる。それに対抗し、悠輔は周りにあった水の玉を集めて短剣を作り出す。武器を持っている事から悠輔は触れられない者が身体能力者だと想定したのだ。
どんな攻撃が来るか分からない悠輔はこの一撃を警戒していた。しかし、触れられない者の攻撃は単調で振り下ろしてくるだけであり、その威力もまったくもって普通だった。
だが、そう思った瞬間。バチッという音と共に悠輔の全身に激痛が走った。痛みによって一瞬思考が飛ぶが、気を振り絞って触れられない者から離れる事を考えた。痛みによって弛緩する筋肉に力を入れて後ろに跳躍する。
「どうだ〜、俺の攻撃。効くだろう〜、全身にさぁ〜」
「お前、電気能力者(エレクトロマスター)か……っ」
触れられない者のクローの間に紫電が走っている。バチバチと鳴る音はスタンガンのようだった。
「正解〜、さぁて。能力もお互い分かった事だし、ここからは本当の殺し合いだぜぇ」
悠輔の顔に苦渋の表情が浮かぶ。水に対して電気。どう考えても戦うのには相性が悪すぎる。遠距離から攻撃しようにも、自分で作り出した壁がある為に大した距離は取れない。
しかし、だからといって壁を無くす事はもっと悪い選択だ。もし、壁をなくしたら触れられない者はそのまま京華を追いかけ始めるかもしれない。そうなってしまったら引き付け役の意味が無い。
今この場で考えられるのは、触れられない者から距離をとりつつ、接触しない間接攻撃をするしか対抗手段が無かった。
(くそ、だから名前が触れられない者なのか……)
悠輔は片手に持っていた水の短剣を分散させて先ほどの水の玉を作り出す。こんな状況でも戦わない訳にはいかない。悠輔は京華達の身を心配しながらも今、目の前にいる敵に向かって対抗策を考える。
「さぁ、いっくぜぇぇ!」
(時間が掛かりそうだな……)
向かってくる触れられない者に水の玉を飛ばしながら、悠輔は意識を集中させて戦うのであった。
*
京華はミツキを担いだまま屋根や屋上を絶え間なく跳躍していた。京華の護衛任務の分担はミツキの安全確保だったからだ。悠輔が敵を引き付け、その間に京華がミツキを逃がす。これが二人で決めた事だった。
だから、今こうして逃げている間にも京華は悠輔の事を心配していた。いくら悠輔が強いとはいえ、二対一ではどうなるか分からない。しかし、それでも京華は逃げなければいけなかった。
しかし、その事を割り切れていないミツキは先ほどからずっと京華に対して叫んでいた。
「京華さん! いいんですか! 悠輔さんを置いて私達だけが逃げるなんて!」
「仕方ないって言っているでしょう! 私達の最優先事項はミツキを守る事なの! その為には仕方ない事なのよ!」
「でも、悠輔さんは!」
京華はそれ以上、口を開かなかった。ミツキの言っている事は正しい。本当ならば今すぐにでも悠輔の元に行って援護をしたいくらいだ。しかし、それでは悠輔が今頑張っている意味が無くなってしまうのだ。
その為、京華は一刻も早く本部にミツキを保護させ、悠輔の元へ向かう事だけを考えていた。
しかし、軽快に跳躍し続けていた京華は次に着地したマンションの屋上で動くのを止める。いきなりの停止に戸惑うミツキだったが、すぐにその原因が分かったようだった。
「追いかけっこは終わりだよ。お譲ちゃん達」
目の前にはさっき道路で会った黒いコートの初老が立っていた。輻輳には乱れが無く、意気もまったく上がっていない。
(悠輔はまず敵を捕縛するはず、こいつは逃げ出してきたの……? だとしたら、能力は身体系じゃない、自然系ね)
京華はミツキを自分の後ろに隠すように立つ。スカートの中に手を入れてホルダーに入っていたダガーを取り出す。
「ミツキ危ないから下がっていなさい。それと、これを持っていて」
そう言って京華はミツキに小さなバッジのようなものを渡す。バッジにはLEDがついており、一定の間隔で点滅していた。
「それは発信機よ。もし、私に何かあったらそれを持って逃げるの。いいわね」
「はっ、はい」
ミツキはそう頷くと後ろに下がっていった。京華はそれを確認して視線を初老に戻す。
「さて、そろそろ準備はいいかね?」
「そっちこそ、容赦は出来ないわよ」
「ふふっ、望むところだ。この刃の嵐、例え女性であろうと容赦などしないぞ」
「上等!」
啖呵を切った京華は全力で刃の嵐に向かって突っ込んでいく。その速さは並みの人間なら目にも留まらないような速さだった。一瞬で刃の嵐の後ろに回りこんだ京華はダガーを振りかざす。
しかし、振りかざした場所には刃の嵐はすでにいなかった。気配と視界をめぐらせ刃の嵐の位置を確認しようとすると直後、上空から何枚かの手裏剣が真っ直ぐ京華に向かって飛んできていた。
それに気付き、京華は後退する。しかし、攻撃はそれだけでは終わらなかった。避けたと思った手裏剣は、地面に刺さる直前に進行方向を変えて京華の方へ向かい始めたのだ。
急な出来事に京華は驚いたが、何とか手に持っていたダガーでそれらを弾き返す。弾き返した手裏剣はようやく地面に刺さり、動きを止めた。
「ほう、今の反射速度はすばらしい。君もかなり腕が立つようだね」
刃の嵐の声はすぐ後ろから聞こえた。即座に後ろを振り返りその場から離れる。更なる攻撃を予想していたが刃の嵐は立ち尽くしたままで何もしてこなかった。
(こいつ、瞬間移動能力者なの? でも、今の手裏剣の軌道は……)
刃の嵐の能力がまだ完璧にはつかめていない京華は慎重に考えていた。このままいつも通りに攻撃を続けるか、それともこのまま様子を見るかだ。
だが、そう考えていた京華の目の前では刃の嵐が次の攻撃の為に手裏剣を取り出していた。今度手に持たれた本数は八本。どんな攻撃が来るか京華は警戒を強めた。
(瞬間移動能力者なら攻撃方法は二通り。直接物体を飛ばして攻撃するか、飛ばしてから転移させるか。だったら!)
攻撃パターンを見切った京華は先ほどと同じように刃の嵐に対して、真っ直ぐ突撃する。下手に攻撃されるなら、自分から先手を取ったほうがやりやすいと考えたからだ。
高速で刃の嵐に近寄ると、同じく素早い動作で刃の嵐に向かってダガーを振る。今度は刃の嵐も動かずに、手に持っていた手裏剣でダガーを受け止める。しかし、それは刃の嵐のミスだった。
京華は動きの止まった刃の嵐に対し、もう攻撃を仕掛けた。受け止められたダガーを即座に引き戻し、回転しながらその刃をもう一度反対側から首に掛けて切りつける。それと同時に、もう片方のダガーを腰の辺りに目掛けて突き出す。
突然の高速な斬撃に刃の嵐は驚く。まさか、ここまで自分の体を高速で操れると思っていなかったのだろう。動揺の隠せない表情をしながら、京華から離れようと試みるがそれを京華は許さなかった。
流れるように動き、舞うような京華の攻撃は着実に刃の嵐の体に命中していた。黒いコートを切り裂き、四肢に裂傷を負わせていく。
「くっ!」
さすがにたまらなくなったのか、刃の嵐は攻撃を無理やり受け止めて瞬間移動する。目の前からいなくなった刃の嵐だったが今度は簡単に見つける事が出来た。刃の嵐は単に後ろへと後退していただけだったからだ。
「驚いた。まさか、ここまで身体制御が出来るなんて思ってもいなかった」
「舐められちゃ困るわね。これでも、銀の銃弾じゃ『剣の踊り子(ソード ダンサー)』って言われているのよ!」
「なるほど、それはいい二つ名だ。覚えておこう。だとしたら、こちらもなりふり構っていられないな」
「瞬間移動能力じゃ、私には勝てないわよ。精々、逃げ回るのね」
京華は勝てると思った。能力的に圧倒的にこちらの方が有利だと思えたからだ。完璧な戦闘向きの自分の身体強化能力と、移動用か逃走用の能力の瞬間移動ではどう考えても負けることは無いと思えた。
だが、刃の嵐は京華の言葉に対して不気味に微笑んだ。
「くくくっ、確かに。瞬間移動能力では君には勝てそうに無い」
「何? 降参でもするの? それとも逃げ帰る?」
「まさか、そんな事はしない。ただ……、他の能力を使うだけだよ!」
そう言った刃の嵐は腰についていたホルスターから手裏剣を全て取り出す。さっきまでならそれを飛ばして攻撃してくるだけだったが、京華が見たのはまた別の能力だった。
バラバラと撒かれた手裏剣はまるで意思を持つかのように宙に浮き、刃の嵐の周りを飛び回っていた。それは、瞬間移動能力などではなかった。
「さぁ……、続きといこうかね、剣の踊り子よ」
-
2009/03/01(Sun)07:23:23 公開 / 桜雪
■この作品の著作権は桜雪 さんにあります。無断転載は禁止です。
-
■作者からのメッセージ
ありがちな異能力物を書いてみました。今回の自分への試練は
どれだけオリジナリティを出せるかどうかと、文章表現の上達です。
そこらへんを気にして書いてみました。
更新一回目
やっとバトルが出てきました。
まだ途中ですが頑張っていこうと思います。
作品の感想については、登竜門:通常版(横書き)をご利用ください。
等幅フォント『ヒラギノ明朝体4等幅』かMS Office系『HGS明朝E』、Winデフォ『MS 明朝』で42文字折り返しの『文庫本的読書モード』。
CSS3により、MSIEとWebKit/Blink(Google Chrome系)ブラウザに対応(2013/11/25)。
MSIEではフォントサイズによってアンチエイリアス掛かるので、「拡大」して見ると読みやすいかも。
2020/03/28:Androidスマホにも対応。Noto Serif JPで表示します。