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『空とぶスキップ』 ... ジャンル:ショート*2 未分類
作者:崎本けん
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あらすじ・作品紹介
色聴の俺と、同居人のヒロの話。
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ツンとする空気。重たい荷物。誰も乗らないブランコ。風にゆられて、軋む、緑色。
とんかつを食べている最中、ヒロに言われて、とっさに頭に浮かんだのは、垂れ下がったしっぽ。ちなみに、半分より下がない、短いしっぽ。その持ち主が、ぼてぼて、歩く姿を見かけた、いつかの風景。なんとなく近づいたら、彼を驚かせてしまったらしい俺。うなった後、彼なりの素早さで隠れてしまった、ボスネコ。がさごそ、葉っぱが絡まる音。目の前をかすめていく水色。
ヒロが言うには、いろいろと我が物顔で近所を歩き回っていたボスネコを、近頃見かけなくなったらしい。脳裏によみがえる水色。あの三毛ネコか、と俺。どっかで飼われてんとちゃうかな、とヒロ。いや、あれは人になつかんやろ、と俺。
そうかな。
俺、前に逃げられたことあるし。
もぐもぐ。もぐもぐ。ヒロに咀嚼されていくキャベツが、時折顔を見せる。
ネコか。そういえば居た、そんな奴も。つられて思いを馳せてみれば、最近、商店街から、シャッターを開け閉めする音が聞こえないことに気付く。必然、部屋に青が入り込むことも、なくなった。
同じ駅で降りる人がまばらになり、通過電車を告げるアナウンスだけが、さびしげに響いて、辺りを銀色に染める。
越してきた当時は、両隣の部屋に学生が住んでいて、近くの弁当屋のおばちゃんが、よく世話を焼いてくれていた。話す声が、オレンジ色をした、にぎやかな人だった。
余りものだと言って、玉子焼きを一本丸ごと、それにからあげまでくれた日には、「おばちゃん、僕らこんなにいろいろ食えへんよ」と目を細めたヒロと二人、ケラケラと笑った。
最近見いひんなあと思っていたら、おばちゃんは、シングルマザーの娘さんと一緒に蒸発したらしい。旦那さんが亡くなってから、いろいろしんどい事も多かったみたい、多分いろいろと立ち行かなくなったんやね、とヒロは言った。
俺はヒロに教えられるまで、何も知らなかったから、色んな人に、それこそ現実離れしたドラマがあるんや、ってただただ驚くばかりやった。不謹慎だけれど、ある種の感慨深ささえ感じた。
チカチカと揺れる電灯。空洞になったマンション。それでも変わらないもの、ヒロの口癖、いろいろ。
ゆっくりゆっくり、それは確実にある無へと戻っていく。死なない生き物など有り得ないし、物はかならず廃れていく。
失って見つけて、いっぱいになって、両手からこぼれて。
また掬って(すくって)、こぼして、あきらめて、なげいて。
繰り返していくうちにだんだんと、変わることに慣れていくのかもしれない。あるいは、変わらないことに。
リューチャン、と、そう呼んでくれるのは、ヒロだけでいいし、ヒロだけがいい。ヒロがリューチャン、と口にする度、部屋には優しい色が増える。ヒロの声は何故だかいつも、虹色の霧を吐き出す。
リューチャン、ご飯できたよ。リューチャン、明日はどんな予定なの。リューチャン、もう時間だよ、起きて。
リューチャン、リューチャン。
ヒロの周りに虹色の泡ができて、それがあんまりにも自然だから、どうにかすれば、掴めるような気がしてくる。
昔、お互いのシェルターになりたいと言ったらヒロは、それってもしかして愛の告白なの、と困ったように首を傾げた。俺はあわてて、それ以外に何があるの、とヒロを見上げ、ヒロは、告白の仕方にも、いろいろあるんやね、と。
クスリ、笑いながら、あの大きな手のひらで俺の頬をおおった。ヤカンがヒューヒュー鳴って、その赤が虹色に混じる。
少しずつ少しずつ、ヒロの言ういろいろが増えていけばいいと思う。そうやって少しずつ少しずつ、俺とヒロの間にある、他人と自分の間にある溝が埋め尽くされていけばいい。
ヒロが言ういろいろは、耳に心地よく、優しい色をしているから、昔から、どんなに我を見失っても、取り乱しても、ヒロの言ういろいろ、があれば、俺の心は落ち着きを取り戻していけた。
変だ普通じゃないおかしい。言われ続けて、それでも音が織りなす色彩と付き合い続けなければならなかった俺にヒロは、すごいね、と無邪気にはしゃいでそれから、いろんな人が居るんやね、とひたすら感動していた。
ヒロはその口癖で、色んな壁を取り払い、あらかた全てのことを許容している。ヒロにとっては全てが、いろいろ、で片付けられてしまうから、ヒロの声は何年経っても汚れない。きれいなまま、虹色のまま。
数字が感情持ってるように見える人も居るんやって、と、ヒロは、俺の住んでいる、見ている景色のことを調べて理解に努めてくれたようだった。
いろいろあるんやね、とヒロはまた、目を細めて人なつっこく微笑んだ。
うんと小さなころ、校庭にウサギが居た。シロと呼ばれていたけれど、俺はモモって名前の方が似合っていたと思う。シロが動くと、ピンクにラメを加えたようなキラキラが辺りを舞って、それが、入学式のサクラと、そっくりな色をしていたから。
はるか遠くから降ってくる花びら。ピンクだ、ピンク。桃色だ。
白い毛に赤い目に、桃色なウサギ。ずいぶん盛りだくさんな動物やな、と心の中でつぶやいたのを、おぼろげに覚えている。モモは――つまるところのシロは、隣の小屋で飼われているチャボと並んで、同級生の注目の的だった。エサやり係やお世話係、生き物係が乱立して、結局休み時間中、シロは、たくさんのにぎやかな声と、たくさんの瞳に、ぐるりと囲まれていた。
俺は、わざわざそこに行かなくてもよかった。教室の窓からその人だかりを見れば、桃色に染まっていたから。シロが居る、と思うと、目の中に桃色が入ってくる。なんとなく、シロが生きているのが、呼吸をしているのが理解できた。なんで一緒にシロんとこ行かへんの、と聞いてきた友達を前にして、幼い俺は、うまい言い訳ができなかったと記憶している。
ある日、虫の息になったシロを前にして、死んでもうた、死んでもうたって、ぼろぼろ泣く級友たちを不思議な心持ちで眺めていた。俺の視界には、まだ細々と桃色の霧が立ち上っている。お墓を作ってあげような、先生が言った。まだ生きてるのに。
しばらくして、シロが死んだ瞬間、そこに確かに存在した桃色は、消えてなくなった。
また放課後来よう。
先生の言葉を受けて、級友たちは、バラバラと教室へ戻っていく。
シロが死んだ。
峠を越して泣きやんだ友達の横で俺は、こぼれる雫をこっそりぬぐった。
寂しいなあと、ずっと思っていた。
寂しいなあ、なんでみんなは、分からんのやろ、って。なんでみんなは、知らないんやろ、って。
朝のリビングの、パレットみたいな賑やかさを、季節ごとに違う風の、彩り鮮やかな変化を、大人の背中から感じられる、汚い色や凛とした色を、俺を、どうして知ろうとしてくれないんやろ、って。
世界はこんなにきもちわるいのに。世界はこんなにうるさいのに。
いつしか尖ってふさぎ込んだ俺の心は、ヒロが溶かしてくれた。いろいろ、いろいろあるんやねって、魔法の言葉で支えてくれた。
ヒロのおかげだ、全部、全部。物事に美しさを見つけられるようになったことも、愛しさを感じられるようになったことも、全部、全部。
ヒロの魔法の言葉は俺にとって、いつまでも変わらない存在だけれども、俺の見ているこの景色は、だんだんと失われていくものらしい。年を重ねるにつれて、この感覚は薄れていくらしい。
見たくもないどす黒いヘドロや、おぞましい紫などは、喜んで手放してしまいたいけれど、でも、ヒロの虹色だけは、ずっと取っておきたいなあと思う。ヒロの言ういろいろ、や、あの微笑みと一緒に虹色の泡も、ずっと、手の届く距離にあって欲しいなあと思う。
要するに俺はどうやら普通ではないようだ、普通でなく生まれてきてしまったようだ。
蒸発してしまったおばちゃんのように。いろいろ、が口癖のヒロのように、普通ではないようだ。
通常なら、普通でいられない事を責めるだろうか、ぼやくだろうか。かなしいかな俺には、不特定多数への感謝の念しか浮かばない。なんてったって、こんなに優しい虹色を見られたのだから。
常日頃、なんの前触れもなしに音と共に訪れる、色の洪水に、頭が割れそうになったこともあったけれど、今は静かになったこの街が、とても住みやすい。とても住みやすい。とても住みやすい、ヒロのとなり。
弁当屋だった空き地。居なくなったボス猫。虹色がもれてくる、部屋の入り口。
ヒロはまだ帰らない。
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2009/02/25(Wed)02:39:16 公開 / 崎本けん
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■作者からのメッセージ
気晴らしをしようと、二か月ぶりに文章を書いてみました。まだまだ至らない点ばかりですので、精進いたします。
共感覚というテーマで一度、書いてみたかったのです。
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等幅フォント『ヒラギノ明朝体4等幅』かMS Office系『HGS明朝E』、Winデフォ『MS 明朝』で42文字折り返しの『文庫本的読書モード』。
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2020/03/28:Androidスマホにも対応。Noto Serif JPで表示します。