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『C線』 ... ジャンル:リアル・現代 未分類
作者:ムラヤマ
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あらすじ・作品紹介
倦怠感から、他人の死までも暇つぶしの道具にしようとする人間の恐ろしさを書きました。
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文芸クラブ『退廃青年会』のメンバー達は、彼等の部屋、大学にあてがわれた、五メートル四方の狭い部屋の中にいた。彼等は男子学生の三人組だった。彼等は全員、いかにも気だるげな様子で、部屋の中に置かれた古びたパイプ椅子の上に腰かけていた。その内の一人、『退廃青年会』のリーダーである水口昭三は、両足を目の前の木製テーブルの上に乗せ、両手を首の後ろに回し、胸を反らせて天井を見つめていた。そして時々、コールテンのズボンを履いた重たい尻で、パイプ椅子の薄いクッションをギュウギュウと軋ませていた。
部屋の中央には、水口が足を乗せている大きな木製のテーブルが陣取っていた。そして、それを囲むようにメンバー達の腰かけている三つのパイプ椅子が置いてあった。テーブルの上には、汚れた文庫本が数冊、そしておびただしい生ビールの空き缶が転がっていた。それらの空き缶は数週間前に開けられたもので、既に耐え難い腐臭を放つようになっていたが、今ではもう三人もその臭いに慣れてしまっていた。
部屋の奥には窓が一つあった。古い窓で、濁った色をした表面のいたる所に、粘着テープの跡がこびりついていた。窓の傍には、二つの書架が並べられており、その中には、雑多な種類の文庫本が納まっていた。書架にぎっちりと並べられた文庫本のところどころに隙間が空いているのは、木製テーブルの上に積み上げられている本が抜き取られた跡だった。黄ばんだ背表紙をしたそれらの本は、狭い部屋の中に強烈なカビ臭さを放っていた。しかし、その悪臭もまた、三人のメンバー達の気にはならなかった。
書架の片隅に、小さな目覚まし時計が置いてあった。授業をサボタージュして昼寝をするとき、丁度いい時間に起きられるように買ったものだった。実際、その効果は抜群だった。けたたましいベルの音は、乾いた響きを部屋中にまき散らし、涎を垂らして寝ている雄犬三匹どもをたちまち目覚めさせてくれるのだった。アナログの文字盤を覆う透明なプラスチックカバーには、大きな亀裂が入っていた。リーダーの水口が酔った勢いで投げつけたとき、壁に当たって割れてしまったのだ。それでも、時計自体が壊れることはなく、今でも正確な時間を刻み続けているのだった。
書架の隣には、大きなホワイトボードが置いてあった。これは『退廃青年会』結成時に買い込んだものだった。当初は、『退廃青年会』のスケジュールが書き込まれる予定だった。だが、『退廃青年会』にスケジュールなるものが定められることは、絶えてなかった。『退廃青年会』は、気まぐれに行動した。ホワイトボードにはついに何も書き込まれず、ただでさえ狭い部屋をますます狭くしているだけだった。
今、時計は午後の二時を指していた。午後の授業が始まって三十分が経っていた。『退廃青年会』のメンバー達は、午後の授業を欠席して彼等の部室にたむろしているというわけだった。彼らには、授業をサボタージュする特別な理由はなかった。いつも彼等は、ただ、何となく、この部屋に集まった。そして、特にすることもなく、パイプ椅子の上で夜までの数時間を過ごすのだった。時々、メンバーの一人が生ビールを買い込み、三人してそれを飲んだ。昼間から飲むビールは最高だった。彼等は満足げな表情を浮かべながら、さらにのびのびと、パイプ椅子の上でくつろいだ。そして今も、彼等は生ビールを飲んだところだった。だが、今日は何かが違っていた。冷たい缶ビールを飲み干しても、一向に爽快感が沸いてこないのだ。三人とも、その異様な感覚に首をひねり、何も言えずに、ただ、パイプ椅子の上でぼうっとしているのだった。
その時、突然、ガラガラという軽い、しかしやかましい金属音が、部屋の静寂を破った。リーダーの水口が、テーブルに乗っていた生ビールの空き缶を、全て床に蹴り落としたのだった。他の二人のメンバーは、このリーダーの異様な行動にギョッとし、身を起こした。
「どうしたっていうんだ、水口」水口の右側に座っていたメンバーが言った。
「どうしたもこうしたもねえや」水口はゆっくりと言った。その眼は、相変わらず天井を見つめていた。「ビールを飲んだっていうのに、ちっとも気持ちよくならねえっていうのは、こりゃ一体、どういうことなんだ」
「だからって、ビールの空き缶に当たらなくてもいいだろうに」
「よくねえや」水口は言った。「おれはこの空き缶どもが憎たらしくて仕方がねえんだ」
「でもよう、水口」今度は水口の左隣にいたメンバーが言った。「おれは、どうもこりゃ、原因はおれ達の方にある気がするんだ。うん、やっぱりおれ達の方に原因があるんだと思うんだ」
「どういうことだ」
「おれは聞いたことがあるんだよ。一日中仕事をしてな、目一杯汗をかいた後でなけりゃ、ビールはうまくねえってな」
「馬鹿言え」水口は言った。「お前はおれに汚ねえ汗をかけっていうのか? そんでもって、家畜みてえに臭くなれっていうのか?」
「汗をかいたくらいじゃ、家畜の様には臭くはならねえよ」右側のメンバーが言った。
「同じことだぜ、田中」水口は右側のメンバーに言った。「家畜も汗をかく奴も皆同じだぜ」
「そうとは思えねえがな」左側のメンバーが言った。
その時、水口は、それまで天井を向いていた彼の顔を下に降ろし、自分の左側に座っている男の顔をじっと見つめた。黒いゴム玉の様な眼が、大きく見開かれた。
「今泉、お前はそう思うだろうよ」水口は静かに言った。「お前はそう思うだろうよ」
「いや」今泉は言った。彼は脇の下に、嫌な汗が流れるのを感じた。「そうとも限らねえかもしれねえ」
水口は今泉を睨みつけることをやめ、上を向いて天井を見つめ始めた。再び、部屋の中に沈黙が訪れた。今泉は、もう一度缶ビールを買いに行こうかと考えたが、今そんなことをしたら水口が烈火の如く怒り出すのは、目に見えていた。田中は、床に散らばった生ビールの空き缶を見つめた。そろそろ、この空き缶もすっかり掃除してやらなければならないだろう、と田中は考えた。しかし、今すぐに掃除をしようなどとは考えなかった。倦怠感が、彼をパイプ椅子に縛り付けて動けないようにしていた。結局掃除は後回しだ、と田中は考えた。
水口は天井を見つめながら、何か生ビールに代わる面白いことはないかと考えていた。どうも、今泉の言うことは本当で、ビールの味を楽しむためには、必死で臭い汗をかかねばならないことになるらしい。しかし、おれは汗をかくことなんざ御免だ、と今泉は思った。必死で汗をかくことほど馬鹿らしいことはない。おれはそんなことはしない。だが、そうなると、やはりビールに代わる新しい暇つぶしの方法を思いつかなければならない。そして、その新たな暇つぶしの方法は、この部屋の中で、このパイプ椅子に座ったままでできることでなければならない。
「今日はもう、お開きだな」水口が言った。「帰ろうや」
「ああ」他の二人が答えた。
だが、三人は決してパイプ椅子から立ち上がろうとはしなかった。
次の日、昼の十二時。やはり『退廃青年会』のメンバー三人は自分たちの部室へ集まった。もちろん、午後の授業も欠席するつもりだった。
「今日は面白い話があるんだ」今泉が言った。彼は、昨日の失態を気にし、彼のリーダーのご機嫌を何とか取り繕おうとしていた。
「話してみろ」水口が言った。
「昨日の夜の話なんだがな」
今泉の話によると、それは昨晩のT駅で起こった出来事らしい。今泉はT駅から、C線の列車に乗って通学している。当然、帰る時も、C線の列車でT駅まで行くのだ。昨日の晩も、今泉はT駅で列車を降りた。彼は普段通り、ホームに降り立つと、そのまま階段を下りて改札口へ向かおうとした。その時、彼は背後から異様な人間のうめき声を聞いた。彼はギョッとして後ろを振り返った。しかし、そこにはごく普通のサラリーマンが一人立っているだけだった。そのサラリーマンは、線路の下を見つめていた。異様なうめき声は、相変わらず続いていた。今泉は、訳が分からなかった。このごく普通のサラリーマンが、このような異様な声を発するとは思えなかった。すると、サラリーマンは、いきなりホームの端に腰掛けた。そして、線路の上へ、ぶらぶらと足を出した。彼の視線は線路の下に向けられていた。今泉はとっさに、「自殺だ」と考えた。このサラリーマンは自殺しようとしているのだ。今泉は慌ててサラリーマンの元へ駆け寄った。すると、彼の眼に、線路の上の光景が飛び込んできた。そこには、中年の男が一人、仰向けに横たわっていた。今泉ははっと息を飲んだ。中年の男は、低いうめき声をあげた。そして、苦しそうに身もだえした。先ほどのうめき声は、これだったのだ。そして、サラリーマンはこの男を助けようとして、ホームの端に座り込んだのだ。
そこに、駅員がやってきた。サラリーマンと今泉の姿を、奇妙に思ったらしい。駅員は「どうしましたか」と尋ねた。
「落っこちちゃったんですよ」サラリーマンが、線路の上を指さして言った。
駅員は「あっ」と声を上げると、急いで傍にあった列車の緊急停止ボタンを押した。けたたましいベルの音が鳴り響いた。階段を上って、数人の作業服を着た男たちが駆けつけてきた。今泉はといえば、もう自分がこの場にいても意味がないと判断し、階段を下りて改札口を出た。
「列車はこの後数分遅れるだろう、そして今列車を降りたこのおれは、きっと幸運だったに違いない」今泉は駅を出ながら、こう考えた。
以上が、今泉の話の内容だった。今泉はこの話をするとき、滑稽な身振りを加えて、面白可笑しく話した。特に、その酔っ払って線路に落っこちた中年男の真似は傑作だった。水口も大笑いした。久しぶりに、『退廃青年会』の部室の中に若者の豪快な笑い声が響いた。
「傑作だぜ、そいつは」水口は腹を抱えて言った。「おれもその中年の間抜けなうめき声を聞いてみたかったなあ」
「録音してくればよかった」今泉は笑いながら言った。
「いずれお前もお眼にかかれるかもしれねえぜ」田中が水口に言った。「C線は特にそういう下らねえ事故が多いっていう話だからな」
「電車事故なんてのは」水口は言った。「どれも下らねえものばかりさ」
「運が良ければ死体が見られるかもしれねえ」今泉が言った。「おれの友達が死体を見たって言っていたぜ。ブルーシートの間から見えたんだってよ。真っ二つになってたってさ」
「そいつは最高だぜ」水口が言った。「真っ二つの死体っていうのは最高だぜ。一度見てみてえもんだな。いやはや、久しぶりに面白え話だったな」
その時、水口の頭に、ある考えが浮かんだ。それは素晴らしい考えだった。昼間の生ビールに代わる新しい暇つぶしの方法が浮かんだのだった。
「おい、面白えことを思いついたぜ」
「何だ?」
「新しい暇つぶしの方法さ」
今泉は手を叩いて喜んだ。田中はヒューっと口笛を吹いた。
「こりゃあ、期待できそうだ」今泉は言った。「面白え話の後には面白えアイデアが浮かぶもんだ」
「おい、もったいぶってないで早く教えろ」田中が言った。
「ああ、じゃあ、教えてやろう。新しい暇つぶしっていうのはな、C線の死人の数を数えるゲームさ」
「ひゃあ」今泉が叫んだ。また、手を激しく叩いて大喜びした。「そいつは聞くだけで面白そうだな」
「一体、どんなゲームなんだ?」
「簡単さ。C線で起きた人身事故の数を数えるのさ。一週間で一番多く人身事故に出くわした奴が勝ちだ。人身事故が起きたら、列車内に流れるアナウンスを携帯で録音するんだ。それを証拠として提出してもらう。車内アナウンスだけなら五点、実際に現場に居合わせたらボーナスポイント十点だ。現場に居合わせた場合は、写真を証拠として提出してもらおう。一週間で一番多くポイントを稼いだ奴が勝ちだ。おれ達は三人ともC線で通学しているからな。立場は平等だろう?」
「面白そうだな」田中が言った。「勝ったらどうなるんだ?」
「一週間に一度、生ビールで祝杯をあげる。勝った奴はビール代を払わなくてもいい。他の二人の奢りだ」
「そいつは素敵だ」今泉が言った。「おれ達はC線で人が死ぬたびに祝杯をあげるわけだな。いやはや、こいつは何とも面白そうなゲームだ」
「これならビールもうまくなるな」田中がうれしそうに言った。「死人探しで、おれ達も気持ちのいい汗をかけるだろうよ」
「馬鹿言え」水口が笑いながら言った。「汗をかくのはおれ達じゃねえさ、汗をかくのはおれ達のために列車に轢き殺されてくれる間抜けな死人どもさ。それも、ひでえ冷や汗をかくだろうぜ」
次の日から、早速三人の死人探しが始まった。彼等は暇さえあれば、携帯電話と定期券を携えて、C線に乗り込んだ。そして、昼の十二時には、あの部室に集まって、互いの点数を確認し合うのだった。携帯で録音した証拠を提出するのも、この時だった。彼等は、自分達の点数を、あの大きなホワイトボードの上に書き付けた。今まで何も書かれなかった白いボードの上には、点数を表す『正』の字がいくつも踊った。それほど、C線での人身事故は多かったのだ。彼等は、ほとんど全ての授業を欠席し、丸一日かけて人身事故を探した。電車がストップして大学に行けない場合には、事故の記録をメールで送った。送られた記録は、公正に点数として加えられた。しかし、三人ともC線を利用するので、なかなか点数に差が生まれなかった。休日なども、こまめにC線の駅をチェックし、人身事故のアナウンスが流れていないか確かめた。
一週間の終わり、最終確認の時点で、田中がトップに立った。二位の水口と五点の差だった。幸運にも、前日に田中の住むK町の駅で人身事故が起こったのだった。田中は線路の上に敷かれたブルーシートの写真を撮ることに成功し、一気に十点を手に入れた。その時、別の駅で水口は事故のアナウンスを録音したが、田中と五点の差が生まれてしまった。水口は必死に田中を追い上げたが、田中もしぶとくこらえ、ついに勝利を得たのだった。
負けた二人も、酒盛りの場では上機嫌だった。三人は生ビールをしこたま飲んだ。今度は、あの爽快感を感じることができた。
「いやあ、うめえビールだな。今日のは格別だぜ」水口が言った。「こんなにうめえビールが飲めるんなら、もうこのゲームをやめることなんかできっこねえな」
「そりゃそうさ」今泉が言った。「こんなに楽しいゲームを、そう簡単にやめられるもんかね?」
「それにしても」水口が言った。「今回のゲームは最後の最後で田中にしてやられたな。まさかお前の住んでいるところで事故が起こるとは思わなかった」
「おれも驚いたんだよ」田中は嬉しそうに答えた。「事故が起こっていないか確かめるために駅に行ったらさ、その駅で人が死んでいやがるんだからなあ」
「そいつはどんな風に死んでいたんだ? お前の写真はブルーシートばっかりで、肝心の死体が映っていなかったよ」水口が尋ねた。
「真っ二つに決まってら」今泉が言った。「列車に轢き殺された奴は、皆真っ二つだよ」
「ぐしゃぐしゃになっちまったかもしれねえ」水口が言った。「よくトマトを真っ二つに切ろうとして結局みんなぐしゃぐしゃにしちまうことがあるじゃねえか。あれと同じことが起こったかもしれねえ」
「おれはどっちでもいいや」田中が言った。「おれはうまいビールが飲めりゃ、どっちだっていいや」
「同感、同感」今泉がうまそうにビールを飲み干した。
「いやあ、おれはやっぱり死体そのものに興味があるね」水口が言った。「お前達はこのホワイトボードに書いてある得点を見てりゃ十分だろうけれど、おれはやっぱり実物の死体を見てみたいね。どんな風に人間が真っ二つになるか」
「真っ二つは真っ二つだろう」今泉が言った。「見るまでもねえな」
「お前はいくじなしなのさ」水口が言った。「お前は死体を見る勇気がねえんだろう?お前はこのホワイトボードを見てりゃ、それで満足だろうからな。だけれども、おれは酒の肴に轢殺死体だね」
「でも、死体なんざめったに見れるもんじゃねえぞ」田中が言った。
「なあに」水口はビールを一口すすって言った。「死体の一つや二つ、見ようと思えば簡単に見れるだろうよ」
「へえ、一体どうするつもりだい? まさか、ホームからわざと人を突き落とすのかい?」今泉がおどけて言った。
「そのまさかよ」
「こいつは傑作だぜ」今泉は手を叩いて喜んだ。「こいつ、人一人殺して見せるとよ」
「なんなら二人でもいいぜ」
「ますます笑えてくる。どうやら本気のようだから、帰りの電車で一人殺してもらおうかな」
「二人でもいいぜ」
「馬鹿」田中が笑って言った。「電車が止まったら、帰れなくなっちまうだろうが」
「なあに、かまいやしねえや」水口は大笑いした。「かまいやしねえや」
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2009/02/21(Sat)20:36:01 公開 / ムラヤマ
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■作者からのメッセージ
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作品の感想については、登竜門:通常版(横書き)をご利用ください。
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