『ウイルスバスター』 ... ジャンル:アクション 未分類
作者:水兵リーベ
あらすじ・作品紹介
この世界はどこか不完全。その不完全の象徴であるバグ(BUG)をその身に抱える少女、綾瀬亜矢。この物語は、ちょっぴり変わった少女が、『ウイルスバスター』として、悪を成敗しながらこの不完全な世界を走り回る――そんなお話。
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序章「はじまり」
その閑散とした密室には、光がなかった。
燦々と陽気な光も、煌く星の輝きも、時に優しく時に不気味な月光も。そのどれもが存在しない。汚れがどこにも見当たらない、どこか寂しげな真っ白な壁が、室内に一筋の光さえも差し込ませない。
かわりに少女が一人。少女は部屋の中心で、ちょこんと座っている。少女を除けば『無』であるその密室に、さも当たり前のように、少女はそこにいた。
ずっと、ずっと、ずっと、ずっと、ずっと、ずっと。
少女は定期的に瞬きだけをして、そこにいた。
これからも、きっと。
ずっと、ずっと、ずっと、ずっと、ずっと、ずっと。
孤独を感じたことはない。そもそも孤独という、概念を知らない。知ろうとも思わない。知る必要が、ない。
少女にとって、それが当たり前で、日常なのだから。
「さみしい?」
『無』であったはずの密室に、無機質な声が届く。同時に一つの気配が生まれる。
声の主は、実に形容しがたい。今すぐにでも消えてしまいそうに儚く、それでいて全てを統べるかのような圧倒的な存在感。矛盾に近い二つを、なんの違和感もなく持ち合わせていた。
「かなしい?」
……。
少女は押し黙ったまま、寸分も動かない。
「世界って、知ってる?」
――しらない。
「世界はとても不完全って、知ってる?」
――しらない。
寸分も動かない。けれど、少女を纏っていた殻が、ちょっとずつ、ほんのちょっとずつ、ゆっくりと壊れていく。
「使命って、知ってる?」
――しらない。
今度は寸分だけ、動いた。ぴくり。ほんの僅かだが、確かに動いた。
無機質な声は続ける。少女が変化を見せる一方で、こちらは何一つとして変わっていない。相変わらず生気が感じられない、意志のない物質のような声だった。
「使命はね、とてもたのしくて、とてもすばらしいことなんだよ」
――え?
少女は顔を上げた。世界に対する少女の存在くらいに薄かった、少女の持つ興味や関心が、風船のように膨らんでいく。
「今から君に使命をあげる。君はこれから、正義の味方になるんだ」
その一言を聞いて、少女は重すぎる腰を上げた。
言語的な知識など皆無に等しい少女が、果たして今現在耳にしている言葉の内容を、どの程度理解しているかは不明である。0か、1か、はたまた……だがそんなものは微細な問題だった。
「おいで」
手招きを受ける少女は、一歩、二歩、歩いた。何かを探すように、何かを求めるように。
「うん」
少女にとっての、産声だった。
『無』だった密室に、一つの『生』が与えられ、そこはもう『無』ではなくなる。
それは世界の外れの、光すら与えられない小さな一室で起こった、とても小さなできごと。
それは。
世界の始まりで。
世界の終わりを告げる。
第一章「あつい」
1
ふわ、と少女は欠伸をかく。そう言えば昨夜は少しばかり眠りにつくのが遅かったなぁと、思わず眠りに耽っていたその原因解明に至るまでは、そう時間はかからなかった。
夢を、見ていた。
もう思い出せないけれど、とても神秘で、とても怖い夢だった気がする。漠然とした記憶ではあるが、何となくそう思えた。まぁ夢なんて、そんなもの。いちいち気にするものでもない。それが授業中であったら尚更だ。
そしてそれから少し経って、少女はもう一つの欠伸をかいた。品性高潔とはとても言えないその仕草を二度続けてから、少女はいよいよ再び眠りに入ることを決める。
机に顔を突っ伏すような大胆な体勢は取らず、いかにも私は集中して授業を受けてますよとでも言いたげな、実に見本的な体勢である。少女は見事にそれを崩さず、ゆっくりと寝入ろうとする。
「えーじゃあここの英文を、今日は一日だから……綾瀬さん。訳して」
少女は唐突に名前を呼ばれ、狐につままれたような顔をする。安眠妨害だこんちくしょーと言ってやりたいところだが、さすがにそうもいかない。
「亜耶、ここ」
「ありがとっ」
ありがちなやり取りを終え、英語教師が指示する英文をようやく把握。それから机に置かれた教科書を数ページめくって、少女……綾瀬亜耶(あやせあや)は気だるそうに立ち上がった。
もともと英語の成績は中の中、つまり並である亜耶にとって、ついさっきまで眠りこけていた状態から僅かな時間で英文を和訳するのは容易ではない。
というか無理。無理ですごめんなさい。
「えっと」
英文をじっと見つめてみるものの、何も浮かんで来ない。見たところ Whatから始まっているので、一見疑問文かと思いきや、どうやらそうではないらしい。文末にクエスチョンマークが見当たらないのである。
いやいやいやいや。こんな妙ちくりんみたいな英文を、どう訳せと。亜耶は教科書相手に、やり場のない怒りをぶつけていた。
「綾瀬さん?」
英語教師が催促の言葉を投げかける。その言葉には、同時に疑惑の念も込められていた。もうそろそろその疑問は確信に変わり、最終的にはただの不快感になるだろう。その後は言わずもがな、めでたく亜耶の授業態度における持ち点が減点されるという寸法だ。
それらを察していながらも、亜耶には何もできない。むしろそのようなことは、初めからそこまで重要ではなかった。どのみち内申点なんて類は、大学入試において推薦入試を利用する生徒だけが関係することであって、一般入試を考えている亜耶には対岸の火事にすぎない。
もっとも亜耶が推薦入試を受ける資格がないかというと、それも否である。英語こそ平均的な成績であるが、その他の科目においては、大抵が優良の判を押される。よって資格は充分にある。
せっかく得ている資格を、容易く破棄してしまうのは、曰く「単純に勿体ないからねー」だそうだ。
さて、問題は罰ゲームのような錯覚を覚えるこの状況だった。クラスメイトたちの無意識的な白い目を浴び、尚且つ教師からは意識的な白い目を浴びさせられ、亜耶はテレビゲームの脱出系呪文にでも頼りたいくらいだ、といよいよ本気で考えている。
しょうがない。少し、いやかなり恥ずかしいけど、適当な和訳でも良いからとりあえず答えておこうかな。
亜耶は、架空の脱出系呪文を唱えるよりかは、幾分かまともな脱出方法を、渋々取ることに決めた。これはこれで中々の恥じらいがあるのだが、四の五の言っていられる場合ではない。
「えーっとですねぇ」
取ってつけたような和訳文を読もうと思ったその瞬間。
教室のドアが勢いよく開かれる。亜耶の声を除けば、教室は殆ど物音ひとつしない静寂である。その静寂を打ち破るには、充分すぎた。
唐突の出来事のために英語教師を始め、教室内の全員が反応できずに唖然とする中、
「なぁアンタ、俺とやらないか?」
ドアの向こうから聴こえる野太い一声は、唖然としている教室内の全員を瞬時に最高級の困惑へと誘う。その一声は再び教室内をざわつかせるのには、充分すぎた。
「いやいやいやいや」
亜耶という人間を動かすのにもまた、充分すぎるのであった。
2
「やっばいなぁ」
雲一つ見当たらない青一色の初夏の空を見上げ、ぽつり呟く。
結局誘われるがまま「ちょっと用が出来たんで早退します」と言って教室を出てしまったが、後々を考えたら、やっぱり勢い任せに行動するべきじゃなかったなぁと、今更ながらに少し悔いた。
横目でチラッと英語教師の方を見やったが、言うまでもない。後でさんざんしぼられるのは容易に想像できた。説教、反省文、次々と負の単語が浮かんでくる。
まぁでもいいか。ここまで来たら後の祭り、後悔先に立たず。独りで納得したような表情で、前を見つめた。
工場跡地であろう空地には、一人の女性と一人の男性がいた。
その内の女性……綾瀬亜耶は、一般的な女性よりも整った顔つきをしており、端的に言って可愛いという部類に悠々と入る女性である。
年齢よりもいささか少女らしい可憐さが前面に出ており、そういう意味でも『美人』ではなく『可愛い』が褒め言葉としては適切であると言える。また透き通った凛とした瞳とショートよりかはセミロング気味の艶やかな黒髪が、さらにそれを映えさせた。
その顔つきに乗じてか、彼女の体格は女性の中でも小振りで華奢である。その辺も加味して、やはり彼女は可愛いという言葉が相応しい。
一方で、亜耶と向かい合って仁王立ちする男性は、性別はもちろん、亜耶と比べると何から何まで対称的だった。
大抵の人間が彼を一瞥しただけで、あぁこの人は体育会系の人なんだなとすぐに認識できるような、たくましい顔付きと体格。ガタイが良いとは、彼のためにあるような褒め言葉だろう。
服装から、彼が高校生であることが判断できる。この辺りでは見ない制服だった。もともとあまりその手のことには詳しくはないので、断言はできないが、少なくとも同じ高校の学生ではない。
亜耶の視線に気付いたのか、男性が亜耶を見据える。
「ほう? 俺の底知れず器を即座に見抜いたか。アンタ、やっぱできるな」
いやいやいやいや。欠片も見抜けてないです、本当にありがとうございました。
もしかすると、いやもしかしなくても、知らない人にホイホイついて行ってしまったのは、やっぱり間違いだったのかもしれない。というか間違いなく間違いだ。そう再三後悔している亜耶を余所に、男性は続けた。
「自己紹介は拳で良いよな?」
限界。駄目だこいつ……早くなんとかしないと……。そろそろいい加減ツッコミを入れないと、ラチがあかない。
そりゃあ亜耶にとっては「拳で語り合う」なんてフレーズは、嫌いじゃないどころか大好物だ。現にちょっぴりの喜悦が、少なからず表面にも滲み出ている。
それでも時と場合くらいは考えるのもまた、亜耶という人物である。唐突に授業中の教室に入ってきて呼び出しては、ロクな説明もせずに挙句「拳で自己紹介」なんてものは到底受け入れられるハズもない。正直に言えば多少残念でもあるが、亜耶は至極まともな対応を取る。
「まぁそこは普通にしてくれると嬉しいかなぁ。私からしよっか?」
ちょっと意外な受け答えだったのか、男性は面食らって。
「なにぃそこはアンタ、受けて立つぜ! とか言ってくれよ。つまんねーじゃねぇか」
「私は充分楽しんだから良いんだよー。それで……えーと、あぁ自己紹介だっけ。私は、」
「綾瀬亜耶、だろ」
自慢げに、誇らしげに言う。まぁいくらこのような単細胞人間でも、亜耶のことを何も知らずにここまで誘い出すはずもないので、名前くらいは知っていて当然だろう。
頭では理解しているものの、なんとなく面白くない亜耶は、男性をぷーっと見やったまま、黙って男性の言葉を待った。
「アンタの話は聞いてるぜ。それでちょっと興味がわいてな。なーに、ちょっと語ってくれるだけで良いんだ。拳でな」
「情報量が殆ど増えてないよねぇ」
「あ? あーそうか、まだ名乗ってなかったか。マイネームイズ大場悟(おおばさとる)。悟と呼んでくれて構わないぜ」
安易にマイネームイズなんて使う辺りが、頭の弱さを露呈しているとしか思えなかったが、とりあえず男性の名前は大場悟と言うらしい。ここまできて初めてまともな情報を入手した気がするのは、多分気のせいではないだろう。
そう言えばこの大男、噂を聞きつけて、と言っていた。へぇ成程、いつの間にか噂が立つレベルにまでなっているとは。まぁ悪いことではないし、むしろ喜ぶべき案件である。気を良くした亜耶は、少しだけ声を弾ませた。
「おっけー。それでその大場くんが私に何の用かな? ホントに拳で語り合いたいって言ってるの? 正気? だいじょぶ?」
「当然さ。俺は冗談なんて言わん。つーか悟で良いって言ってるじゃねぇか、亜耶」
「綾瀬ですどうぞよろしくお願いします大場くん」
声のトーンを分かりやすく落とし、出来る限りの早口。異性相手に下の名前でなんて呼ばれたくないし、ましてや呼びたくもないわぼけー。
本当に馴れ馴れしい男である。普遍的な女子高生が今の亜耶と同じ立場で、このような接し方をされれば、今風で言うドン引きすると呼ばれる態度を取っているに違いない。ここまでいくと法律とかに触れているんじゃないの、と亜耶は冗談気味に考えを巡らせていた。
「つれないねぇ。まぁいい。それで、やってくれる気になったか?」
「その表現は卑猥だからやめてよ」
「ヤってくれるか?」
「なお悪いよ!」
「しゃあねぇなぁ。戦ってくれるか?」
我ながらくだらない上に意味不明なやり取りだなぁと、自嘲しながら、亜耶はようやく真面目に事について考え、そして逡巡する。
この男性……大場悟の意図する真意が全く分からない。伝わってこない。これっぽっちもだ。ここまで話す限り、真正の馬鹿であることは伝わってきたものの、さすがに彼にもまともな目的くらいはあるだろうに。
可能ならその目的くらいは知っておきたいのだが、この調子だとまともな回答は得られそうもない。しかし万に一つを願って、一応訊いてみる。
「大場くんの本当の目的は何なのさ。さすがに私と戦うだけが目的だけじゃないでしょ? どっかの熱血アニメじゃあるまいし」
ニッと白い歯を見せて、悟は笑う。この時点で彼の次の返答がまともではないのは、確信によく似た予感のようなもので感じた。
「強い奴を倒したいと思うのが男ってモンだろ。女のアンタにゃ分からんか」
「もし私が輪廻転生して男の子に生まれ変わっても、到底理解できそうもないけどなぁ」
「ははは、そうかいそうかい!」
豪快な笑いを浮かべる。え、そんなに面白いこと言った?
さらにそれがおさまって数瞬、悟の顔付きが豹変する。世界の終わりを見知ってしまったかのような顔付きは真剣そのものであり、そのギャップに亜耶は危うく気遅れしてしまいそうだった。
「俺を満足させることができたら、話してやるよ。とっておきをな」
いかにも意味深に言い放つ。どうやらブラフはなさそうだ。というより、この手の人間に駆け引き、心理戦、騙し合いなどの類が似合いそうもないのは、自明の理である。
ちょっと癪だけど、その話、乗ってあげようじゃない。亜耶は話を決めた。
馬鹿らしいけど面白そうだ。人間は好奇心に従って生きるもの。お偉い学者さんたちの持つ才能の一つとして、好奇心旺盛であることが挙げられるように、それはきっと間違いではないだろう。亜耶は頭をポリポリと掻いて、
「おっけー。それじゃまぁ、戦おっか。どっかの熱血アニメもびっくりするベタベタ展開だねぇホント」
「中々話が分かるじゃねぇか。いや待て、その言い方はなんか気に食わん。今のアニメに必要なのは熱さと王道だろうが。そうまさに、こーいうのが足りないんだよ。伏線とか設定とか世界観とかそういうのは確かに必要だろうよ。作画も良いならそれに越したことはない。けれどな、そんなチマチマしたことに囚われ過ぎなんだよ最近のアニメは。あえて言おう、熱さが足りないであると!」
熱の籠った砲声が、昼時の空に響いた。まさに熱論。大統領も驚きの大熱論である。
それにしても実に不釣り合い、ミスマッチである。スポーツマンが、自身の得意競技についての数々のノウハウを熱心に語りかけるように、彼は白昼堂々とアニメーションについて、それはもう熱心に語ってみせた。
「……」
亜耶は普段より大げさな瞬きをするばかり。亜耶もまた、この熱演には驚愕していた。
正しく言えば亜耶のそれは驚愕ではなく、驚嘆である。単なる非常にびっくりした、では語弊が生じてしまう。驚き以外にも、感心の意も込められているのだから。そうつまり、
「その通り! その通りだよ!」
亜耶自身もまた、その手のことについては精通しているのであった。
「あのアニメはホント最高。一期の11話の熱いバトルは何度見ても震えるよ。あーさっき言ってたアレも面白いよね。魔法使いモノでは久々の王道チックなところがイイ。そんでヒロインのツンデレっぷり。私女だけど、あれは萌える。二期がちょっと恋愛面を出しすぎてて残念だけどねー」
「おうよ。恋愛要素やらサービスシーンやらも面白いんだろうが、あの作品の本質はヒロイン、国同士の高度な戦略、そしてアンタが言う魔法使いモノとしての王道っぽいところだ。バトルも中々どうして熱い。だからこそ、不用意なサービスシーンとかはいらん」
「まぁ需要はあるからしょうがないよ。充分面白いし。原作は読んでるの?」
「俺は原作を読まん主義だ」
「へぇ、私もだよ。先にストーリー分かっちゃってたら面白くないしね」
「その通りだ。アンタ、やっぱり話が分かるな。俺が見込んだだけはあるぜ」
「あはは、どうもどうも」
時計の長針が丁度半周して、亜耶と悟はようやく一息ついた。気付けばそろそろ五限目も終わるころ。
こりゃ今日はもう学校戻れないかな。掃除だけしに行くのもさすがになぁ。まぁでもどーでもいっかー。
呆れることに、今の今まで、ひたすら二人は自分たちの、本音をぶつけ合っていたのである。もっとも悟が当初提唱した「拳で語る」とはかけ離れたものだったけれど。
いつの間にか亜耶も爽快な笑顔を浮かべながら饒舌になっており、見事に意気投合していた。そのアニメに対する気炎を上げる様は、悟でさえもいささか驚きを隠せずにいる。豹変とは今まさに使うべき言葉であろう。亜耶はアニメと聞いたその瞬間、豹変していた。
萌えを三次元の世界に具現化したような女性が、二次元の萌えについて喜々として語ってくるのである。それはもう、違和感がひたすらに存在している風景だった。話し相手が悟のような、大柄な男性であれば尚のことだ。
「さぁて、そろそろさすがの俺も疲れてきた」
かれこれ半時も立ちっぱなし。亜耶も同意して頷く。
亜耶が自分の趣味に関することで他人と話に実が入ったのは、久しぶりのことであった。周りにはその様な友人は皆無と言っていいほどだった上に、進んで自分のことを切り出さないようにしている。
それにも関わらず、面識のない人間とこうも話が弾むなんて。一見では自分とは相反している人間としか映っていなかったが、その実は分からないものだ。
「そういうわけで、あー、本題だよ本題。今のアニメに足りないのは熱さだってくだりまでは話したな。あるぇ?」
悟は首を傾げる。
冗談でやってるんじゃないんだろうなぁ、多分。
そう言う亜耶も亜耶で、ふと思い出すかのように、違和感ばかりの状況下にあることを今更ながらに認識した。
……よくよく考えればこのシチュはおかしいよね。色々と。
「よく分からないけど、ホントよく分からないけど、大場くんはよく分からないけど、私と戦いたいって、よく分からないけど、そー言ってた気がするよ?」
「よく分かれってーの! で、あー、あー、」
もう少しで記憶の底から引っ張り出せそうな忘れ事を、綺麗さっぱり思い出した少年のように、悟は跳ねるように顔を上げた。
「そうだそれだ。俺はお前の噂が本当かどうかを確かめに来たんだよ。それがなんでこんな流れに……まぁいい、もう前座はいらねぇ。戦るぜ!」
吠えてから、悟は亜耶との距離を一旦あけようとする。全力疾走しているのだろう、五秒とかからない内に、二人の間には充分な距離が作られる。
束の間、すぐさまその作られた距離はまたも悟の全力疾走によって消えてしまう。亜耶は条件反射に近い反応で、
「ちょーっ? ストップストップ!」
「おいおい、まだなんかあんのか!」
全速力からの急停止に、勢い余って転倒しかける。地面は砂利があるとは言え、半ばコンクリートである。転んでいたらそれなりの痛みを伴うことになっていただろう。
そそっかしく危なっかしい人だなぁ。
「何から何まで急すぎるよー。せめて準備くらいはさせてくださいな。大体私は、未だにこの摩訶不思議な状況を全然把握できてないんだからね」
溜息をつきながら、亜耶は手に持っていたバッグのファスナーに手をかけた。
今日日、晴れの女子高生のバッグの中に入っているモノと言えば、人それぞれ様々なモノがあるだろう。言うならばパンドラの箱の要素を若干秘めた、びっくり箱である。気心知れた友人でさえも迂闊に開けてはならない、プライベートと呼ばれるものが存在する。
そして亜耶にとってのそのプライベートとは、まさに知られざる一面(プライベート)と呼ばれるに相応しい。
「これつけないと、どうも駄目なんだよねー」
取り出したそれを、手際よく身に着ける。何度も繰り返し行っているのか、その動作には一縷の乱れもない。
……身の丈の半分近くの長さがあるそれは、深紅の色をしたハチマキであった。
「新しいファッションか? 最近のジェイケーは分からん」
つっこまれた。何故だろう、なんか悔しい。この人にだけはつっこまれたら負けな気がする。それにジェイケーは、なんとなく犯罪臭がするからやめてっ。
亜耶は小振りな胸を張って、さも常識であるかのように言う。
「そうだよー。知らないの?」
「興味ねぇからな。それで、今度の今度こそ良いんだな? 準備オッケー? 三十分も待ったんだ。もうこれ以上は待てねぇ。アーユーオーケー?」
今か今かと、うずうずしていることが手に取るように分かる悟を見て、亜耶はくすぐったいような感覚を覚えた。
嫌いじゃない。この人となりも、
「半分以上はそっちの責任だと思うけどなぁ。おっけー、いざ勝負っ」
熱血アニメにありがちな、この王道的な展開も。
先ほどから二人がいるこの工場跡地は、街の郊外であり、実に人目に付きにくい場所である。それこそ人が通ることすらも稀だ。
よってこれから開幕されるショーは、ステージにいる演出者の二人を除いて誰一人としていないだろう。スポンサーも、アシスタントも、ギャラリーも。
ちなみにこの場所を指定したのは亜耶である。あろう事か、悟は校庭のグラウンドでおっ始めるつもりだったらしい。亜耶は全力でかぶりを振って、ここを指定したというわけだ。
「っらあああ!」
性格同様、猪突猛進に突っ込んでくる。真っ直ぐこちらに接近してくるその速度は、凄まじく速い。
間合いが縮まったところで、悟は右の拳を振り上げる。フェイントを全く使わない、馬鹿正直な右ストレート。しかし馬鹿には全くできない。その拳速は、常人なら目にも映らないであろう。
「っ」
亜耶は上体を動かすことで、紙一重でそれをかわす。頭に巻いたハチマキが不自然なほど勢い良く舞う。拳速による風圧を確認、喰らったら一溜まりもない。
このまま勢い任せに連撃が来ると予想していたが、意外にも悟は再び間合いをあけた。思いの外、こと戦闘に関しては冷静なのかもしれない。
「くく……ははは!」
戦いの最中というのに、悟は豪快に笑った。青空に燦然と輝く太陽のような笑みである。
しかめ面の亜耶は、この隙に攻撃してやろうかともちょっぴり考えたが、行動には移さなかった。そんな無為なことをしても、何の意味もない。とりあえず何か言いたげだから、それまでは待ってあげよう。
「やはりそうか。かわすか。かわしてしまうか。ははは! そうだろそうだろ、やはりアンタもそうなんだな!?」
亜耶のことを指しながら、本当に楽しそうに言い放つ。何がそこまで面白いのかは理解できないけど、何を言いたいかは理解できた。
既に亜耶自身もこの攻防で、一つの事実を視識し、認識している。恐らく悟も同様なのだろう。その事実こそが、彼の笑いのツボを射抜いたわけだ。
常人では目にも映らない速さの拳を、その両の目ではっきりと見た。
ここから逆算されることは。綾瀬亜耶、大場悟、この両名はいずれも常人ではないという、紛れもない一つの事実である。
「まぁ、そゆことかな」
口の端を僅かにつり上げる。貰い泣きはよく聞くけど、貰い笑いもあるんだなぁ。新しい発見だ。
しかしそんな楽観的なことを考えながらも、亜耶は一抹の疑問を抱く。
――あれ、そういえば、なんで?
「ん、おいどうした?」
急変する亜耶を気遣って、悟は声をやる。亜耶もその一声で我に返った。解からないことを考えていても仕方がない、今はまずやるべきことをやろう。考えるのはそれからでも遅くはない。
「餅は餅屋ってーのがあるからな。アンタがそうじゃないハズはないと踏んでたが、案の定その通りだったか。計算通りだぜ!」
「計算かーっ。あんまり似合わないことはやらない方が良いよー」
「九九くらいならパーフェクトだぜ」
「どんまいだねぇ」
「意味わかんねぇぞコラ」
「あはは」
小動物のように可愛らしく微笑する。その場にいるのが悟以外の人間であれば、と胸をついてしまうくらい、いちいち可愛らしい。
二人の遥か真上の上空を、一機の飛行機が空をかきわけたのだろうか。その残音が、二人の会話の腰を折った。
残音が聴こえなくなって、それから息を吐く程度の少しの間が置かれ。
戦いの第二幕が幕開きする。
「おおおおお!」
開始の合図は、やはり悟の一声から。徒競走でスタートの合図をするピストル音、文字通り砲声だった。
そして砲弾のように直進してくる。馬鹿の一つ覚えだが、それでもこのスピードであれば、その一つも脅威となる。
亜耶は先程とは異なり、待ちの姿勢を取らない。つまり己も相手に合わせて、接近しているのである。二人が同時に全速力で接近、数瞬の内に間合いが詰まった。
「らあ!」
体格差からリーチに分がある悟は、その優位点を惜しみなく使い、先制攻撃を試みる。
まるで鎌だ。右フック気味のパンチは、亜耶の身体を薙ぎ払わんとする。鋭い。リーチを最大限に活かした横に払うこの一撃は、中途半端な動きではかわせない。
だから亜耶は、
「!?」
舞った。跳ねた。踊った。飛んだ。
鋭利な鎌が刈ったのは、ただの虚無のみ。虚しいことに、悟の放った拳は、優雅な舞を際立てるだけの存在と化していた。
唖然とした悟は、亜耶を目で追うことしかできない。真上、視野の限界、そこからは視ることさえも叶わなくなる。
亜耶は、悟の背後を奪っていた。
「よっ」
空気の爆ぜる音が響いて。
亜耶の右の拳は、鮮やかな朱色に包まれる。
轟と共に亜耶の拳に宿されたそれは、燃え盛る炎。
たった二人によって開かれたショー。その主演者は、紛れもなく亜耶である。むしろ半ばワンマンショーと言っていい。
得意な芸は炎を自在に操ること。彼女はさながら『演奏者』ならぬ『炎操者』――当然、人間業ではない。
「いっくよー」
淀みない笑顔で言った。邪気がまるで感じられない、爽快な笑顔。半時とちょっと前、アニメについて熱心に話していた時に見せていた、あの笑顔だった。
悟は未だに唖然としたまま。ふと振り返って、亜耶を見やる。不似合いなハチマキと同じ色をした右手を直視して、彼女が『本物』であることを確認し、確信する。
「くく……はーっはっは! おうよ! 俺の負けだ負けだ! アンタにゃ負けたよ!」
またも痛快に笑うのだった。
3
「んーやっぱ運動後の一杯は格別だな!」
自販機で購入してきたスポーツドリンクを、勢いよく飲む。一口目というのに、悠に半分近くまで残量は減っていた。
戦闘終了後、長くなるかもしれないということと、単純に運動後ということで喉が乾いたため、二人はここから一番近くにある自動販売機でドリンクを購入していた。ちなみに敗者の義務、と言い張って自動販売機まで足を運んだのは悟一人である。亜耶からすれば、まるで幼稚園児にお使いを頼むような心境だった。
希望通りのドリンクが渡されたため、ほっと胸をなでおろす。確かに運動後の冷たい飲料水は、いつもより美味だった。
「さてまぁ、ボチボチ話していくか」
悟が話を切り出していく。実に真摯な面向きで、亜耶も思わずつられてしまう。
ちなみに異能によって繰り出された炎は、今は完全に消沈させている。右手には、焦げ目や痕はその残滓すら残っていなかった。
同じくして、頭に巻いていたハチマキも見当たらない。悟がドリンクを買うために席を外している間に、バッグの中に仕舞っておいたからだろう。
「つっても俺も、何でも知ってるわけじゃねぇ。そんで正しいかもわかんねぇ。とりあえず知ってることは全部話すがな」
「うん、おっけーだよ」
縦に頷く。今の世の中、誤った情報なんて、それこそ山のようにあるのは重々承知していた。
与えられた情報を扱う能力は、ある意味現在の情報化社会においては、必須スキルと言える。インターネットが普及して以来、とにかく人間は情報に敏感になり、同時に情報量も膨大となった。膨大な情報から正しい情報を選び取るには、その人間の判断に委ねられる。そこで必要になるのが、前述した与えられた情報を扱う能力である。
亜耶自身も、これに関して学校などでも度々聞かされており、一応それなりに身に付けていると自負している。そりゃあ毎日暇さえあればパソコンの前にいるのだから、当然と言えばそうだ。
……と、何やら固いことが続いているが、要はその能力の有無を、悟は亜耶に対して問うたのだ。亜耶は思わず、悟に対して感心しそうになってしまった。そして同時に察知する。本当に、これから話されるコトは、大事なコトなんだなと。
「バグってのは、アンタも知ってるよな」
「ん、そりゃね」
――バグ(BUG)。一般的にはこの用語は、英語で虫の意であり、転じてコンピュータプログラムの製造上の誤り・欠陥を表す。しかしここでのバグとは、大まかにいえば、この世界が抱える一つの病気の源、つまりある『病原体』を意味する。
これまで人々は、様々な種類の病気を患っては、医学に携わる人々たちによる、血の滲むような努力によって、多くの病種を克服してきた。それこそ不治の病と呼ばれる病気を完治させること等、その数、数え上げたらキリがない。
当然、いまだに解決できていない病種も多々ある。しかしそれらのほとんどが、その糸口くらいは見えているだろう。癌の特効薬こそ生まれていないが、その症状を和らげる薬が作られているのは、良き例である。
バグとは、治療の糸口すら全く見つかっていない、どうしようもない病気だった。
発症率は極めて少ない。これが世の中の表に全く出ない所以の一つでもある。知らずに一生を終える人間は、星の数ほどいるということだ。
発症条件は不明。他人から感染したという報告はこれまでないものの、そもそも研究機関すらままなっていない以上、当てにできる情報とまでには程遠い。
そう、このバグという病種は、そのあまりに不鮮明すぎるために、現在まともな研究施設や医療施設が殆ど存在していないのである。少なくとも政府公証の、正規的な研究所、医療施設は、皆無だった。
政府は、この究極の難病の根源を解決することを、事実上放棄している。研究援助費を負担する考えは、毛頭ない。負担するのはマスコミに対する口止め料のみ。いわゆる、かん口令を布いているのである。
人の口に戸は立てられないため、完全にバグという事実を握りつぶすのは不可能。しかしこの情報化社会において、情報操作によって情報頒布を著しく縮小させるのは、思っている以上に容易である。現に政府は、バグを世の中の表に出ないように仕立て上げ、表沙汰には決して出ないようにすることに成功した。そしてそれは、今後も続くであろう。
政府でさえ、あっさりと敬遠してしまう、世界においてどうしようもないもの。それがバグという病気であり、現実であった。
その本質、つまり人体における症状は、あまりに特異であり非科学的である。
発症した人間は、非常に高い肉体的なポテンシャルを得ると同時に、現実離れした異能の力を一つ、その身に着ける。ある種の冗談で笑い物にも取れてしまう、とんでもない症状だ。当人たち、そして政府にとってみれば、全く笑えないのだが。
「アニメのような話だよね、ホント。超能力モノは、もう私も飽きてきてるのにねー」
どこか力ない、空笑いをした。
炎を自在に操る、操れてしまうその能力は、バグの症状そのものだ。また尋常なる恵まれた身体能力の高さも、それに準じている。
この世界において、稀有とはいえ、確かに遍在しているバグ……その存在を、亜耶は物心ついた時から、ずっと抱えているのだ。
「だよな。ったく笑えねぇ話だぜ。はーっはっはは!」
えぇー、笑ってる、笑ってるよ君もーっ。
「でも。私はそんな悲観とか、そーいうのは全然してないよ。むしろ幸運だと思ってるもん」
自分に言い説くように、亜耶は、少しだけ言葉に力を込めていた。紛れもない本心である。
過去これまで、この異能の力に何度頼り、何度助けてもらったことか。この力がなかったら、今の亜耶はない。少なくともこれは確言できる。
亜耶にとってバグとは、特徴であり、また特長だった。
「勿論俺もそうさ。つーか超ラッキーだ。力が欲しくてしょうがなかったからな、神さんには感謝してるぜ。サンキューベリマッチョってやつだ」
腕に力を込めて、力瘤を出す。実にくだらないなぁと思いながら、亜耶は急かすように話を切り返す。
「それで、先は?」
「あぁそうだったな。えーと?」
「まだ私にバグのこと訊いただけだよー」
「おぉ、そうだったな! ……さてじゃあ、これはアンタも聞いたことないだろ」
残りのスポーツドリンクを、一気に飲み干す。それからバコッと、空のペットボトルを握りつぶした。
「そのバグ症状者が、ここんとこ最近、次々と殺されてる」
不穏当な言葉に準じてか、神妙な顔付きで、重みのある口調だった。
亜耶の表情にも同じくして曇りが差しこむ。気づけば身乗りを出していた。
「それは――」
「三割近くはな。まぁアンタが気にすることじゃねぇよ」
予想していたのか、悟はすぐさま首を横に振る。気遣いではなく、単に事実を口にしているだけだった。
お互いが認知していたため改めて口にしなかったが、殺された症状者のうちの三割が、生前まで警察によって身柄を確保されていた人間。つまり法を犯したことで、その罪を償うために懲役という形で贖罪をしている、犯罪者なのである。
無造作な動悸が鬱陶しいのは、その犯罪者を拿捕した人間こそ、他でもない亜耶自身であるからだった。
「言っとくが気遣いとかじゃなくて、マジに言ってるんだぞ? 安心しろ。世間的な抹殺とかじゃねぇ。警察とか政府とか、そーいうのが絡んでる問題じゃねぇのさ」
「……どういうこと?」
「なんつーんだ、完全に違う事件(ヤマ)ってーわけだ。警察や政府は表に出さないようにしているが、それは単にバグ絡みであるからなだけであって、奴らが直接手を下したからじゃねぇ。いくら政府でも、殺しなんて物騒な手段で口止めすることはできねぇモンさ」
「そっか」
相槌を打つ。それからほんの僅かな安堵感を感じて、亜耶は自分を苛んだ。
人が命を落としたのにも関わらず、自分に非がないこと、自分の行動が正義に則っていたということ。これらを確認して、私は――。
晴れない表情のまま、ふと亜耶は怪訝に思う。疑問や不惑が深まるばかりの話であるが、その最たるものは、悟の博識さであった。
「ちょっと待ってよ、なんでそんな詳しいの? 何から何までそんな知ってるって、それ普通じゃないよね?」
「ま、その辺りは企業秘密だぜ。禁則……」
「あーはいはい」
「チィッ!」
悟は舌打ちをする。強張っていた頬が、少し崩れていた。
亜耶も追及しない。内容が内容なだけに、悟が黙秘するのも、理の当然であると考えたからだ。
それにしても……亜耶は考えを巡らせる。『とっておき』と言っていたが、想像以上にスケールの大きな話に、内心驚きを隠せずにいた。確かにこれはある意味、『とっておき』である。
バグ症状者を次々殺していく人物がいる。とても他人事ではない。むしろ亜耶にとっては、バグ症状者という観点を除いても、特に関連性の高い案件である。そういう意味を考慮して、悟は『とっておき』と称したのだろう。これから悟がどう話を発展させていくか、おおよそ亜耶は予想できた。
「バグを悪用してやがる悪人共を、成敗してるんだってな」
悟は一拍してから、揚々とした面持ちで機嫌よく口にする。人によっては不可解以外何物でもない亜耶の行動に対し、いかに賛同しているのかが伺えた。
「笑う?」
と言いつつ、からかう様にほほ笑むのは亜耶。
悟の言う通り。亜耶は、バグの症状を悪用し犯罪行為に走っていた人間を、これまで何人か拿捕していた。その過程で、幾度の戦闘も経験している。
先の悟との一戦で見せた戦闘技術も、その賜物だろう。とても素人の動きではないのは一目瞭然である。
「笑うぜぇ〜超笑うぜぇ〜!」
悟は抱腹絶倒する勢いである。
滅茶苦茶な笑い上戸だから、そんな見事な腹筋が身に着いたんじゃないかなぁ。
生真面目モードからモードチェンジしたのだろう、粗野で見ているこっちが落ち着かない、そんな悟に戻っていた。
「んでも何でそんなことしてるんだ? まぁ俺が言えたクチじゃねぇけどよ」
一言付け足したのは、話したくなければ話さなくてもいいという、暗黙のメッセージだろう。馬鹿なのか思慮深いのか、本当によくわからない。まぁ性根は馬鹿な気はするけど。
「んー、単純にアニメとかで憧れたから、じゃないかな? あはは」
頬を紅め、含み笑いをする。
何かを含んだような、どこか様々な意味がありそうな、そんな含み笑い。
「……なるほど。正義の味方ってーのは憧れるよなーやっぱ!」
「あはは……」
思わず、ずっこけそうになったがこれも悟なりの配慮と考えればなんとか納得できた。いや多分そうなのだろう。なんとなく亜耶はそう思えた。この人は、やっぱり嫌いじゃない。それどころか、以前どこかで出会ったかのような、そんなありもしない錯覚を覚えるくらいだ。
「つーわけでよ、アンタの腕を見込んで、ちと頼みたいわけよ。意味わかんねー殺人鬼をさ、俺と一緒に成敗してくんねーか?」
やっぱりそうくるか。きちゃいますか。
正直なところ、恐怖感がないと言えば嘘になる。自分の命を天秤にかけるのだから。誰だって自分の命は惜しい。そう、ある程度は。
恐怖感に上回るものとは一体何か。
それは期待感と、正義感である。命を賭けるに値する理由など、この二つで充分だった。
「まぁ、そんな感じだとは思ってたけどねー。うん、おっけーだよ」
ふと、ふわりと初夏の風が優しく吹く。小さな風だ。この小風もやがては大きくなり、それは夏を始めるための、大切な息吹となるのだろう。
「ウイルスバスターへ、ようこそ」
悟が差し伸べた手を、ちょっと照れ隠しをしてから受け取る。
ゴツゴツとした、硬くて、あついその手を、亜耶は力いっぱい握った。
世界にとってはほんの些細で、小さなできごと。この出会いははたして、歪んでしまった世界を正すための、新しい息吹となり得るのだろうか。
第二章「はやい」
1
「それが〜俺の〜魂〜!」
バスの駆動音による騒音なんて微塵も感じさせない、大音量による大熱唱がバス内に響く。
上手や下手だなんて言葉は二の次である。先に悲鳴をあげるのは、ひょっとしてマイクの方じゃないだろうか。亜耶は耳を力の限りで抑えて、少しでも大音量を緩和しようと努めていた。
いやでもまぁ、とっくに悲鳴あげてるけどさ。いろいろと。
「だからこそ〜俺は〜闘う〜!」
サビに入って、さらに熱が入る。悟は車内の中心で、自身の限界の声量まで声を張り上げ、歌っていた。無論、アニメの主題歌であるのは言うまでもない。誰もが知っている、アニメソングの中でも有数の有名曲である辺りは、悟なりの考えあってのことなのだろう。
こういう辺りはちゃんと分かってるなー。
結果、クラスメイトたちのテンションは、悟に乗じて上がりに上がっている。まるでライブ会場のような風景である。今度ばかりは、悟のワンマンショーであるのは間違いないだろう。
「本当に面白いわよねー大場君って。今時あんなキャラいないわよ。ウチのクラスに欲しかった人材よ」
亜耶の隣に座るクラスメイトが、けらけらと笑う。彼女は完全に物見気分だ。さしずめ悟はサーカスのピエロである。皆を楽しませるための存在、皆にとっては面白おかしいだけの存在。と言っても、本人は純粋に歌うことのみに夢中で、そんな気はまるでないのだが。
「あはは、だねー」
当たり障りのない言葉で、亜耶は相槌を打つ。
「それにしてもさー、なんで亜耶があんな愉快な男子と知り合いなのよ? ちょーっとお姉さんいろいろ聞きたいんだけどー?」
ずいっと顔を近づけてくる。年頃の女子生徒にとっては格好の話題。前の座席に座るクラスメイト二人も、シートからひょこっと顔を出してきた。興味津々、意気揚々の様子である。
「そうよそうよー。やけに仲イイじゃーん。大場くんって、確か先週くらいに転校してきたよね? その割にその仲……とても転校したてとは思えないわよー?」
「しかもまだ転校してないのに、いきなり教室入ってきて、爆弾発言までしちゃうしね。まさかお二人はコレなのですか?」
「いやむしろこの修学旅行でっていう流れですか?」
次々と質問が、矢のように飛んでくる。矢継ぎ早とは、まさにこのことを言うのだろう。亜耶は、交際が発覚したアイドルがマスコミから質問攻めされている映像を、なんとなく思い浮かべていた。
いやいやいやいや。決して絶対、全く、確実に、完全に、完璧にそんなんじゃありませんって。
あらんばかりの否定の言葉で答えようとも考えたが、それが逆効果であるのは、しっかりと理解していた。ダテに恋愛アニメを見ているワケではない。
「あははー。やっぱりそう見えちゃう?」
「冗談……だよね?」
クラスメイトたちは、心底驚いている表情をぶら下げる。亜耶もこの反応に少し驚いて、慌てて言葉を掻い摘む。
「冗談だよー。あはは」
「で、ですよねー」
うんうんと頷くクラスメイトたち。亜耶も一緒になって頷いていた。
「亜耶〜! アンタも歌うか!?」
ピタリ、と亜耶の首の上下運動が止まる。
涼しい顔をしていた亜耶も、今度ばかりはそうはいかなかった。誰にでも見て量れるような慌てた素振りで、
「歌わないです綾瀬ですどうぞよろしくお願いします大場くん」
「あ? 聞こえねーよ! つーかこれだぞこれ! この神オープニングを聞いてアンタは歌わずにいられるのか!?」
雄弁に言ってのける。悟は、目を子供のように輝かせていた。
おーこの曲かー。確かに激アツだねーってえー。みんな私のこと一般人って……この人もうホントええー?
前言撤回。何も分かってませんこの人。
クラスメイトたちは当然、訝目で亜耶を見やる。その目だけで何が言いたいかは、嫌というほど率直に伝わってきた。
そんな亜耶にお構いなしの悟は、散々はやし立てておきながら、曲のイントロが流れてからは一変して黙り、歌い出しのタイミングを逃さないように、馬鹿みたいに集中して備えている。
「あはは……」
亜耶は、ちょっぴり恥ずかしそうにはにかむ。知られざる一面(プライベート)の一つが、こうもあっさりとクラスメイトに知れ渡ってしまうその心境を考慮すれば、当然の反応だろう。むしろこの程度しか取り乱さない辺りが、亜耶らしいと言ったところだ。
やっぱ冗談だといいなぁ。というか、なんでまたこんなことにねー。
曲のイントロが流れ終わり、待ってました、と言わんばかりに張り切って歌い始める悟を見据え、頭を抱える。亜耶は心底そう思うのであった。
2
――1週間前。
亜耶と悟の『語り合い』が終ってから、おおよそ一時間後のことである。
本腰を入れるのは早い方がいいと判断した悟は、所属している組織(?)のアジトに場所を移した方が良い、と提案した。これに亜耶も二つ返事で受け入れる。この空地は、確かに人目に付きにくいとは言え、絶対の機密性とはほど遠い。場所を移すのは道理だろう。
さらに亜耶としても、『アジト』と聞かされれば、興味が沸くのは至極当然。ちょっぴり鼓動が高鳴っているのは、純粋な期待の表れだった。
「えーっと、これがアジト?」
にわかに信じられない亜耶は、素直な感想を述べる。速まっていた鼓動のリズムは明らかにスローダウンし、いつの間にか何の面白味もない平常時のリズムに戻っていた。
それもそのはず、悟があれだけ大口を叩いていた以上、それなりの規模を期待するのはごく自然のことだろう。地下の秘密基地や、何十階もの高さのある高層ビルなど、アジトと聞いてありがちな妄想を膨らませていた亜耶は、落胆するしかない。
見てくれに騙されてはいけないとはよく言うが、ここから見る限りではどう見ても普通のアパートなのである。駅からはそれなりに近いため、実際はそこそこ良い物件なのだろうが、そんな不動産屋にでも聞くような話は、それこそどうでも良い話だ。
「おうよ。中々のモンだろ。とりあえずこっち来てくれい」
悟は手招きして、一階の一番左に位置する部屋に案内する。
ホントにアパートの一室が本部なんだねー。私のわくわく分を返してよー。倍プッシュくらいでっ。
期待していた自分が馬鹿みたい、と亜耶は項垂れる。もちろんそんな亜耶の素振りに、悟が気付くはずもない。鼻歌交じりに、
「琴姉ー。例の客を連れてきたぜー」
ノックをして、室内にいるであろう人間に呼びかける。琴姉ということは、悟の実姉なのだろうか。『悟の』という言葉だけで、どうにも不安感が漂ってしまう。もっとも既に『悟の』所属する組織(?)に入属しようとしている、亜耶が言えたことではないのだが。
「はい。今開けるわ」
パタパタと足音が聞こえてくる。それから蝶番がこすれる音がして、ドアが開いた。
玄関で待ち受ける女性は、見た感じ二十代前半。端整な顔立ちをしており、亜耶よりも頭一つ分高い長身、凹凸がはっきりしている体型、まさにお姉さんという言葉がしっくりとくるタイプと言ったところ。少しウェーブがかかったブラウン色のロングヘアーで、この辺りもどことなくそれを表現していた。
また特徴的なのは、彼女の持つ穏やかな眼である。ぼんやりしているようで、何でもハッキリと捉えてしまう――そんな眼を、彼女はしていた。
「綾瀬さんね。突然呼び寄せてしまったりと、何かとぶしつけでごめんなさい」
ご丁寧に、亜耶の頭の高さまで、琴姉と呼ばれる女性は深々と頭を下げる。なんだかこちらが悪いような気がしてきた。
そして先程抱えていた不安感は、すでに一掃されている。
あぁこの人は、とってもまともだ。
「おいおい、なんで琴姉が頭下げんだよ。勿体ない事すんな。つか俺が下げまくってやるから安心しろ!」
バグ症状者特有の身体能力を生かした、超スピードによる頭の上下運動。それはもう物凄く速い。まぁ何が勿体ないかどうかは、一目瞭然である。
「悟、首を悪くするわよ。その辺でやめておきなさい」
くすりと笑いながら、悟を制する。言われたとおりに、悟はピタっと動きを止めた。急停止の反動で結局首を痛そうにしている姿を見て、亜耶は呆れ笑いをする。
あぁこの人は、とってもまともじゅないや。
「玄関で話し込むのもなんだし、こちらへどうぞ」
「あー、はい」
室内に招かれ、亜耶は一礼して応える。無意識の内に、普段よりも脱いだ靴を、丁寧に整えて置いていた。
「んーっ」
部屋に入ってから辺りを見回したが、やはり普通そのものである。おおよそ八畳と言ったところのワンルーム。亜耶の住むアパートよりも、若干の広さが見受けられた。日当たりも良さそうである。
これだと家賃は……って、だから部屋探しをしてるんじゃないんだってば。
「どうぞ、楽にして。ちゃんとしてなおもてなしができなくて心苦しいわ」
「いえいえーおかまいなく」
指示されたクリーム色をしたソファーに、亜耶はゆっくりと腰掛ける。小柄で軽い亜耶が座っても、座面が深々と沈む、面白い材質のソファーだった。ふかふかで座り心地も良く、眠ろうと思えばすぐにでも眠れてしまえそう。悟との一戦で疲労してるため、割と現実味は帯びている。
「よっと」
亜耶と同じソファーに座る悟。それだけなら良い。充分許容範囲だ。しかし彼は躊躇せず、堂々と亜耶の真隣に座ってみせた。三人掛けのソファーで、亜耶が右側に座っているのにもかかわらず、である。
「まぁ普通は、一人分くらいのスペースを空けてだねー」
「お? あぁ悪い悪い。なんかこういうのって真ン中に座りたくなんねぇ? ド真ン中ストレートって熱いじゃねぇか」
「たまには低めにチェンジアップでも投げようよ」
「いやむしろ俺は大リーグボールをだな……」
そんな他愛もない会話をしている内に、よく冷えてそうな麦茶と、少し高そうな洋菓子が、テーブルの上に三人分用意されていた。
「うふふ、お二人はもう仲良しさんね。これなら話は早く済みそう」
悟が琴姉と呼んでいた女性が、テーブルの向い側の椅子に座る。「どうぞ」と麦茶と洋菓子を指した。
「まだ名乗ってなかったわね。大場琴音(おおばことね)です。以後、よろしくお願いします」
目を瞑り、軽く一礼する。その仕草には優雅さをも感じられた。この女性……大場琴音の一挙一動は、何と言うか、とにかく大人びた女性らしい。まだ少女そのものである亜耶には、琴音のような女性像はとても遠いように思えた。
ん、あれ、苗字……おおば?
小首を傾げる亜耶は、おずおずと訊く。
「もしかして、大場くんとは姉弟(きょうだい)で?」
「えぇ」
琴音は頷く。彼女は冗談を言うタイプには見えない、よってそれは偽りのない事実なのだろう。
「琴姉って言ってんだからそうに決まってるだろうが。あ、言っとくけど血はつながってるぞ? 義姉とかはアニメだけだ」
「むしろ全く似てない姉弟も、割とアニメだけだと思ってたんだけどねー」
あの悟にして、このお淑やかな姉である。信じられなくても無理はない。むしろ疑わない方が嘘だ。
まず顔を見比べてみても、全くと言って良いほど似ていない。ただこれは性別的な相違があるため、似つかなくても致し方ない点でもある。むしろ言われてみれば、二人とも少し眼が大きい点は共通している。が、亜耶が指摘したいところは、そもそもそこではない。人間的な部分で、である。
対、反対、対称的、対極、シンメトリー、ええと、あれ他に対称っぽい意味を表わす言葉あったかなぁ。
「ふふっ、よく言われるわ。まぁそれは置いておいて、話を戻しても良いかしら?」
「あ、おっけーです」
琴音が揺れのない口調で話題を切り返す。きっとこう言ったやり取りを、琴音は幾度も経験しているんだろうなぁ、そう亜耶には思えた。
「私は、この分室の室長を務めてるわ。分室と言っても、まぁ、見ての通りよね」
亜耶の方を見ながら、申し訳なさそうに言う。亜耶の『アジト』に対する感想は、口にせずとも琴音には伝わっていたということだろう。またも恐縮してしまう亜耶であった。
「全然おっけーです。もーまんたいです」
「ありがとう。それで、悟からはどこまで話を?」
「あー、はいっ。えーっとですね」
先刻に悟から聞いた内容と、加えて話を円滑に進めるために、自分が知る限りのバグについての知識を織り交ぜ、亜耶は淡々と話す。
自身で口にして、亜耶は改めて認識する。全てにおいて謎に包まれている病種であるバグと、そのバグ症状者を殺していく殺人鬼……この二つは、本当にもうわけがわからない。仮に世界に、全てを統治する神が本当に存在するのであれば、こんな難解なパズルを与えたその意図を問い詰めたいくらいだ。
もっとも難解であるからこそ、亜耶は危険を顧みず首を突っ込もうとしているのだが。解けないパズルを解いてこそ面白い。さらにそれは、悪を成敗することに直結する。亜耶の正義に則る。
これはもうやっぱり、面白すぎるよねー。神様仏様ありがとっ。
いつの間にか、自然と笑みがこぼれそうになって、亜耶は慌てて隠した。その仕草を見逃さないのが、琴音である。彼女はそれを見て、どこか嬉しそうにした。
「……なるほど、わかったわ。ありがとう。そうね、悟もお疲れ様。よくやってくれたわ」
「おいおい琴姉、俺を誰だと思ってやがる。この俺が琴姉からの任務をしくじるわけねーだろ。はっはっはっは」
琴音に煽てられて、見る見る内に上機嫌になっていた。
予想はしていたが、悟は亜耶をここまで招聘することを、任務という形で任されていたのである。もちろん悟の行動すべてが任務の内容に則っているとは到底思えないが、今現在、亜耶がこの場にいるのは、少なくとも琴音の一存だったということになる。琴音は組織の分室長として、亜耶の力を必要としているのだ。それは亜耶としても、悪い気はしない。
「今の話を聞く限りだと、……私たち、ウイルスバスターについては、あまり説明を受けていない、ということで良いかしら」
「そうなりますねー」
『アジト』に招待されると聞いて、現地に着いたら一番に訊こうと思ったのがそれだ。
空き地からここまでの道中で、歩きながら悟に聞いても良かったが、どうせなら活動拠点で話を聞いた方が色々と都合がつくと判断し、亜耶はあえて言及しなかった。これはバグ症状者を殺していく、殺人鬼についても同じである。空き地からこのアパートに着くまで小一時間かかったが、亜耶と悟は何らそれらについては喋らなかった。
とは言え、その判断を正当な理由にして、悟につられてアニメの話に熱を入れていたのだから、亜耶の判断が高度なものかどうかは、また別である。今はとりあえず悪くない判断だった、ということにしておこう。
「えぇと、『組織』は、バグを解析することを目的としているわ」
何故か喋り始めると同時に、一瞬戸惑いからか口ごもりのようなものがあったが、取り直して琴音は続ける。
「現在国内で存在する唯一の調査機関、と言えばそれなりに格好は付くわね。多分このアジトを見る限りだと想像はつかないと思うけど、組織はそれなりの規模よ。本部やほかの分室は、それなりの設備、施設が整ってるわ」
亜耶はこの言葉に、素直に驚いた。
政府から研究費や施設費などの援助費が出ない以上、たとえバグの研究を行っても、それはボランティアや趣味の範疇に収まってしまう。学会に発表しようにも、政府が敷いたかん口令の影響で門前払いされてしまうため、決して表に出せない。バグを研究するということは、そういうことなのである。金にもならない、名誉にもならない、そんなものを好き好んで研究する人間は、そうはいない。だからこそ、このウイルスバスターと呼ばれる組織の規模も、自然と小さくなってしまう。……そう考えていたのだが、しかし琴音の口からは、亜耶の想像の間逆である、と。地下の秘密基地や何十階建ての高層ビルなんて妄想は、いわゆるアニメやマンガの見すぎではない、ということなのだろうか。
「けれど……組織の力をもってしても、これまでの研究で、いくつかバグについて判明、また様々な仮説等は立てられたけど、それでも解析の決定打になるようなものはまだ得られていないわ」
これは致し方がないことだ。表向きではないものの、世界最大の難病、奇病とされるバグが、そう簡単に解析されるハズもない。
「けれど、私たちはその決定打に繋がるかもしれない存在を、ようやく掴んだの。……それが今回突如として現れた、バグ症状者を殺害していく、例の殺人鬼……通称、イレギュラーよ」
話をする琴音、話を聞く亜耶、静観する悟、皆が皆、この場の空気が一変したことを感じた。
バグ症状者を殺していく殺人鬼……イレギュラーが、バグの解析と深く関連している。難解な二つのパズルが、連立している問題である、琴音はそう言った。
「今から……えぇと、二年前のコトかしら。最初の犠牲者が出た時のことだから……そう、だいたい二年くらい月前ね。私たちの仲間に、ちょっと警察に顔が利く人がいるだけど、その彼がイレギュラーについて色々と調べたの。……順を追って話すわ」
例の殺人鬼は、刑務所に服役中の人間二人に対し殺しを行っているのにもかかわらず、証拠という証拠をほとんど残していない。あたかもマジシャンのように殺しを行っていたのである。
殺しの手口は、被害者の死因からある程度は推測できる。が、その推測の結果と加害者が防犯カメラに姿が映らないという事実は、明らかに相反、矛盾してしまう。
――被害者全員の死因は、刺殺によるものと鑑定されていた。
刺殺とは読んで字のごとく、被害者が何らかの凶器で刺され、それによって死に至った、という意を持つ。つまり、加害者と被害者に直接的な接触がなければ、通常は成り立たない。不可能である。
故に刑務所のような防犯カメラ等の設備がしっかりと整っている場所で殺しが行われる場合、必然的に被疑者の姿は、カメラによる記録、人による記憶、そのいずれかに何らかの形で残る。
しかしイレギュラーの場合には、それがない。普通では、ない。それは即ち。
「イレギュラーも、バグ症状者ってーことだ」
いつもの調子とは違う悟の口調。
殺人鬼はバグ症状者。今回の事件が表に出ていない理由は、ひとえに殺害された人物がバグ症状者であるというだけではなく、加害者側もバグ症状者であるから。確かにこの事件が表沙汰になったら、世間を大きく揺るがすのは必須だろう。
琴音は黙したまま頷いて、言葉を継ぐ。
「非常に殺傷能力に秀でた症状者と見て良いわね。イレギュラー自体は映ってないけれど、実際に殺害された瞬間が映っているビデオは入手してあるから、後で見てみると良いわ。文字通り、凍りつくと思う」
「ふぇ……覚悟しときます」
あまり人が命を落とす瞬間なんて見たくもなかったが、そうも言ってられない。これから戦うであろう相手は、実際にそれを平然とやってのける相手なのだから。
怖がってらんないよね。いやまぁ、ぶっちゃけ怖いけどさ。
亜耶は視線を戻した。
「ここまでなら、組織はこの件について手を出すべきではない、と判断したわ。組織本来の目的から外れるからでしょうね」
亜耶は露骨に面白くない、と言いたげな顔つきになる。
組織の目的はバグの解析である。だから、バグを悪用している人間がいても、それは組織が関与する問題ではない。琴音は直接口にはしなかったが、イレギュラーの凶行によって失った命も、組織にとってすれば所詮は無関係だった、とも聞き取れる。
それは理には適っているが、亜耶の正義には適っていない。
亜耶の様子の変化には気付いているのか、気付いていないのか、しかし琴音はそのまま続ける。
「けれど、ある情報によって、その状況が少しだけ変わった」
「……ある情報?」
「えぇ。どうやらイレギュラーはバグについて重大な何かを知っているらしいのよ。組織が知らない、何かを。組織……いえ、私たちは殺人鬼、イレギュラーを捕まえたいと考えている。そしてそのためには、あなたの力が必要なの」
透き通った眼差しを、亜耶に向ける。
力を貸してほしい。悟も真剣な眼差しで、この場を見守っていたが、想いは姉と同じなのだろう。
亜耶はその眼差しを……背けた。
やっぱり、違う。
「そちらさんの組織の言いたいこと、やりたいこと、それはだいたい分かりました。でも私はそれにあまり興味ないですねー」
知らぬうちに、亜耶は語気を強めていた。
バグを解析することは悪いことではない。むしろ亜耶としても好ましい。バグは自分も抱えている病気であり、よって自分の身体のことは知っておきたい。当然の道理だ。
だが、その目的に沿ってようやく初めて悪に正対するその態度は、正義じゃない。面白くない。
だから亜耶は、ちっちゃなその身体を精一杯張って。
「私は私で、イレギュラーを捕まえます。悪を成敗する者――ウイルスバスターとして」
力強く、そう言った。
それから。
一瞬の沈黙が流れて。
琴音と悟は、笑った。そこには何の含みもない。純粋にただ嬉しそうな、そんな笑い方だった。
「はっはっは! やっぱアンタならそう言ってくれると思ったぜ! なー琴姉? 俺の目には狂いなかったろ?」
得意満面で、琴音の肩を二度三度叩く。琴音も喜色満面といった様子である。
一人ぽかんとしているのが亜耶だった。巷の流行に乗り遅れてしまった、そんな可哀想な子になっている気分。
「あぁ、ごめんなさい。これじゃ気分悪いわよね。ちゃんと説明するわ。悟も調子に乗るのはおしまい」
そんな亜耶を見かねてか、琴音が場を収める。悟は「へーい」と生返事をした。まさに唯々諾々である。
「ちょっとここの分室は、本部とか他の分室とは変わってるのよ。まぁ私が言えたクチじゃないわね。一番の変り種が私って言うのは、そこそこ自覚しているけど」
自嘲気味に言う。
亜耶にはまた解せない。これまで琴音の一挙一動全てにおいて、一様に変わった様子はどこにも見当たらないどころか、見本にしたいくらいなのだから。
弟さんの方が、一万と二千倍くらい変わってますよー。
そうツッコミかけたが、言うや否やの内に、ツッコミのタイミングを逃していた。
「それで組織からは散々な扱いなのよ。ここの分室。アジトがあまりよろしくないのも、それが一因なの」
「イレギュラーの拿捕のために増員要請しても、門前払いで却下されてるもんな。つーかヤツらは自分可愛さで全く持って直接手を出そうとしやがらねぇ」
まるで愚痴を聞いているかのような錯覚に陥る。
聞いた話を纏めると、琴音が統治するこの分室は、組織にとっては異端のような存在と判定されている、と。そう彼女らは言っているのだろう。分室長である琴音の方針が、組織のそれとそぐわないため、結果分室ごと忌み嫌われているのだ。
そこで初めて亜耶は気づく。はっとする。琴音の話を、よーく思い返す。
組織の「何よりもバグの解析を優先とせよ」と言った意向を嫌う琴音たち。その考え方は――どこか自分と似ている?
「そうね、私たちウイルスバスターは、亜耶さん、あなたと全く同じ考えね。バグの解析はもちろん私としても目的であり、夢のようなものよ。でもそれ以上に、私たち……ウイルスバスターは、イレギュラーという、殺人鬼を野放しにしたくないの」
「もしかして、ウイルスバスターっていうのは……」
「そーいうことだ。俺らの分室が勝手に名乗ってるだけだ。ま、組織もこれくらいは目を瞑ってるってーか気付いてないみたいだがな。つーか正直俺らとしても組織から脱退したいんだが、どうしてもある程度のバックアップは必要だからよ。悔しいが、組織の力がないと俺らもやってけねぇんだ。現実は厳しいぜ」
琴音、悟の言葉にあった『組織』と『ウイルスバスター』は、完全に別の意を示してしていたのである。
またも亜耶は琴音の話を思い返してみるが、辻褄は確かに合っている。琴音が『組織』と口にする時、なんとなく口ごもりのようなものがあったのは、そういうことだったのか。
「さっき私はイレギュラーがバグについて何かを知っている、って話したわよね。正確に言うと、殺人鬼はある言葉を残した。これは目撃者……とは言っても、殺人鬼の姿は見れなかったそうだけど、とにかくその人がたまたま聞いた言葉よ。そうね、状況から察するに、イレギュラーの独り言だったのかも」
殺人鬼が残した言葉。それは殺人鬼が残した数少ない跡(情報)の一つでもあった。
そしてその言葉を、琴音は一字一句違えずに言った。あたかも伝言ゲームのように。
亜耶は、この言葉を聞いた瞬間、自分の抱くバグに対する全て――脳裏に存在するバグという概念そのものが豹変していく様を、感じる。
そして同時に気付く。琴音たちがウイルスバスターと名乗るその意味を。ウイルスバスターが、この殺人鬼を追うその理由を。
騙されたというか、試されたというか。しかし亜耶は気分を害していない。
琴音が率いるウイルスバスターの在り方、それはまさしく自分の生き様とぴったりと重なる。まさしく鏡のようなものだ。気持ちが高ぶるのも無理はない。
「試すようなことをして、ごめんなさい。そうね、ちょっと変わった試験、みたいな感じで受け取ってくれたら嬉しいわ」
優しい笑みを浮かべる。何というか、敵わないなぁ。悟が彼女に対し頭が上がらないのも、頷ける気がする。
「こっちの採点は百点満点。後はあなた次第よ。もしウイルスバスターに入るのであれば、私たちは心から歓迎するわ」
琴音は椅子から立ち上がり、ソファーに座っている亜耶に対して、ゆっくりと手を差しのべた。
やっぱり、この人と彼は似てるかもしれない。つい一時間前くらい前に同じようなことがあったことを思い出して、亜耶はそう感じていた。
一度は琴音に対して背信の態度を取った亜耶だったが、今度は違う。再び語気を強めたその言葉は、快諾の一言。
「よろしくお願いしますっ」
小柄な身体を、そして小ぶりな胸を、やっぱり出来る限り張っていた。
悟は随分と前から表情を緩めていたが、ここぞと言うばかりに白い歯をニッと見せる。琴音もまた、実に満足そうだった。
「それじゃあ早速だけど、亜耶さん、悟、あなたたちに任務を言い渡すわ――」
3
修学旅行。高校生活におけるいくつかの行事の中でも、特に大きな行事である。
実際は歴史的な見物や戦争の追体験等を目的とした校外の特別活動と銘打ってあるが、その実は学校規模のお泊り会だ。そして修学旅行の夜と言えば、何らかの恋愛イベントが発生するのはある種お決まりである。
そんな様々な想いが交差するであろう修学旅行初日の夜、一人の男子生徒と女子生徒が、誰の目にも触れずに、旅館を後にする。
月は二人を歓迎するかのように、淡い光で二人を包む。微かに輝く彦星と織姫も、南天から二人を見守っていた。
「っていうムードなのに、私たちのせいでブチ壊しだねー」
「あ? なんか言ったか?」
「いやいやなんもー」
「なんだなんだ、イベント発生でもすると思ってたか? そういうことなら先言えよ」
「残念ながら好感度ポイントが綺麗さっぱりありません、本当にありがとうございましたっ」
会話をしながら颯爽と道行く、亜耶と悟。同じ校章のボタンが付いた制服を着用している二人は『人常』ではないスピードで夜を駆けていく。
亜耶の額には、真紅のハチマキがしっかりと締められていた。表情もどこか締まっている。
修学旅行先の見知らぬ土地であるのにもかかわらず、悟は殆ど迷いの色を見せずに道を先導。右折、左折、容易ではない道なりをテンポよく進んでいく。
「ホントにわかるんだねー。悔しいけどすごいや」
感心する。もともと亜耶も土地勘は優れている方だったが、悟のそれとはとても比較にならないレベルだった。
初見の土地で、地図一つ頼らずに目的地へと向かう。まさに芸当と呼べるだろう。並みの人間ではできない。
「まぁアンタの炎には敵わねぇよ。つーかなんで俺の能力はこんな微妙なのなんだよおおお!」
頭を大げさに抱えて苦悶し、ブンブンと頭を大きく左右に揺らす。
あ、前ちゃんと見ないで走るとー。
「ひでぶ!」
案の定、電柱に正面から激突。
悟は今度は痛みで苦悶する。あまりの勢いで、電柱の方が可哀想になってくるくらいである。
「くっそおおお! なぁアンタ! 俺の能力とアンタの能力、トレードしようぜ! ぷりーずぷりーず!」
そのままジェスチャーゲームにでも使えそうな、激しい身振り手振りで訴えられる。
いやいやいやいや。どうしようもないです。
「そういう能力って良いと思うけどなーっ。ホラ、実際今なんて大場くんがいなかったら、なんもできないワケだしさー」
「はぐらかそうたって無駄無駄無駄無駄ッ! くっそおおお神さんも、力をくれるのはありがてぇけど、もうちっと気ィ利かせろって話だぜ! アンタみたいな実戦向きの能力の方が断然良いぜチクショウ! 炎出すなんてカッコよすぎるじゃねぇか!」
「うーんそうかなぁ。まぁそりゃ戦闘には有利だけど、身体の外に火炎放射みたいに飛ばしたりできないし……」
バグ症状者特有の、人の力を超えた異能の力。悟のそれは、亜耶の持つ炎操能力(メルト)とはまるで異なるものだった。
とは言え口でこそこうだが、悟は胸中ではこの能力に対してそこまで嫌悪感を持っていない。それは亜耶も薄々感じていた。自分の能力を説明するとき、使用するとき、悟の表情に陰は見当たらなかったからである。
「検索(サーチ)だっけ? とっても便利だと思うけどなぁ。というか、私もその力あったらどれだけ楽だったかー」
苦労の過去を振り返って、亜耶は溜息をつく。
これまで亜耶は、バグ症状を悪用した犯罪者を何人か捕らえてきた。これは誇れる実績と言っていい。琴音と悟が亜耶に協力を要請したのは、当然この実績からきている。もちろん先の試験結果を含め、人柄やその他諸々を考慮した上ではあったが、一番は何よりも実績ありきである。
亜耶がこの実績を作り上げられたのは、もちろんバグ症状、炎操能力による戦闘能力の高さがあってこそではあるが、そもそも対象……バグ症状を悪用した犯罪者と遭遇できなければ、そんなものは宝の持ち腐れだ。
バグ症状者を悪用した犯罪者と遭遇するにはどうする。実に簡単だ、地道な聞き込みや膨大な調査を経る。それしかないだろう。学校の欠席数が少し多いのは、これが原因だった。
亜耶には亜耶のちょっとしたツテがあるため、結果的にいくらかやりやすい点はあったものの、それでも相当な苦労を重ねたのは言うまでもない。バグ症状者を探すとは、そういう途方もない、途轍もない大変な作業を経るということだ。
「そうか? おーじゃあどんどんホメてくれい!」
悟の能力とは、一瞬でその作業を成し遂げてしまうシロモノだった。
バグ症状者の現在地を座標単位でサーチし、感知できる。それは対象者と自分にある距離等は一切関係なく、互いがどんな位置にいても可能。
悟いわく、なんとなくビビっとキャッチして、なんとなく分かるだそうだ。なんとも信憑性の薄い解説ではあるが、実際に正確なデータを残せているのだから文句の言いようがない。キャッチしている症状者であれば、地図やマップなどにピンポイントで差すことができる。
バグを解析する目的を持つ組織としては眉つばものの能力なハズだが、どうやら組織は全くアテにしていないらしく、結局はこの能力も琴音の分室……ウイルスバスターとしてしか機能できていないらしい。ただこれは琴音の思惑通りでもあった。組織が悟の能力が本物と判断すれば、悟のことをただの便利な道具としか見ず、酷使するのは間違いない。琴音としても、実の弟が道具扱いされるのを許すはずもなかった。
「琴音さんって、弟想いのお姉さんなんだね」
悟に気付かれないよう、夜に隠して、亜耶は寂しげな顔をする。深いところに何かを秘めた、そんな顔。
家族の誰かが想ってくれる、労わってくれる。そんな優しさを最後に感じたのは、いつだっただろうか。
もうあんまり、覚えてない。
「まぁな。ちと過保護気味なくらい、俺は相当大事にされてるんだろーな。まぁだからこそ、今回の任務もしっかりこなしてやるぜ」
小っ恥ずかしくなるような話も、毅然な態度であれば別である。亜耶は相槌を打って、表情を戻す。
任務、かー。
琴音から言い渡された当初は、あまり実感は湧かなかったが、いざ始まってしまえば嫌でも身が入るというもの。この会話を皮切りに、悟も真剣身が増したようで、いつの間にかお互いの口数は減っていた。
バグ症状者を次々と殺す、殺人鬼を捕らえる。そのためにはまず、殺人鬼を探し出す。
亜耶と琴音が任された任務は、大雑把に言えば、後項を経て前項を遂行せよというもの。もっとも殺人鬼を捕らえるために肝心の殺人鬼を探索するのは、当然の過程ではある。
殺人鬼を探し出すには、悟の力は必要不可欠。しかし悟の能力では、具体的な場所はサーチできても、それがイレギュラー本人であるかどうかまでは把握できない。これはイレギュラーが姿を確認できていないからではなく、それが悟の能力の限界であるからだ。
あくまで悟の能力は、バグ症状者がどの位置にいるか感知できるだけであり、その人物がどんな症状を持っているか、どんな人物なのか、等の症状者に対する詳細情報までは認知できない。そう言う意味では、亜耶の炎操能力が、身体の外に炎を放出できないように、『人常』ではないバグ症状による能力でも、何でもできる完璧に万能ではないと言ったところだろう。
とすれば、しらみ潰しに当たるしかない。悟が感知した対象に対し、とにかく接触する。果てがないようにも思えるが、これが一番真っ当な手段だろう。琴音から悟の能力の説明を受けた時、亜耶が真っ先に浮かんだ案であり、唯一考えられる案であった。
だからこそ、そこそこ楽しみにしていた修学旅行、その初日の夜を犠牲にしているのにも、渋々納得できているのだった。
「それにしても、ホントに転校までしてくるんだもんなぁ」
思わず呟いてしまう。独白のつもりだったが、悟は我先と言わんばかりに反応した。
「くくく……琴姉もなかなかどうして面白いこと考えるぜ。つーかむしろアンタんとこの学校がナイスすぎる。運命ってレベルじゃねーぞ」
「うーん、そればっかりは否めないなー。なんでまたこんな絶妙にっていうか、もうなんていうか珍妙だよまったくー。大場くんは珍獣だねっ」
「誰がだごるぁ!」
とまぁ、そういうことである。
悟がサーチによってキャッチした一人の症状者の所在地が、偶然にも亜耶の修学旅行先と同じ場所だった。最寄り駅一つズレがないという、もはや殆ど一致に等しい。偶機にしては出来すぎであり、これ以上ない好機、見逃す手はない。
幸いウイルスバスターのアジトと、亜耶の通う学校は自転車通学ができるほどの距離であり、悟としても通学に苦はない。一番難しいとされる転校手続きも、そこは琴音の手腕でどうにかなったらしい。亜耶の通う高校が私立校であったため、辛うじて何とかなったのだろう。組織のバックアップもあったのかもしれない。
むしろそうじゃないと、大場くんの頭でもこの学校に入れちゃうってことで、なんか悔しいしねー。
そんなこんなで右往左往して、ようやくたどり着いたのがここだ。旅館を出てからおおよそ一時間、悟がキャッチしたポイントまで、もうあと僅かである。
「あの家だな」
悟が百メートルほど先の一軒家を指さす。現在地から見てもお世辞にも豪邸とは呼べず、一昔前の家、悪く言うならばボロ屋のような家だった。
あそこに、いる。
突如、二人の間に緊迫感が走る。可能性は少ないだろうが、このキャッチした症状者が例のイレギュラーであることも零パーセントではなく、ここまで偶然が続けば充分あり得る。そんな予感がどうしてもしてしまう。
決して畏怖から緊張しているわけではない。亜耶と悟は、各々若年にして死線と呼ばれるものを何度か経験しているため、戦いの前に畏怖してはならない、ということを経験で理解している。
それでも緊迫するのは、考え得る相手が相手だからであった。琴音に渡されたビデオの内容――いつ見ても戦慄を覚えるそれを亜耶は自然と思い出していた。
「ちょ、おま、なんでそんなビビってんだよ。なんかこっちまで緊張しちまうじゃねーかよ」
「いやいやいやいや、これは武者震いってヤツだよ。あはは」
極力声のボリュームを落とし、少しずつ歩を進める。
亜耶にしても、悟にしても、普段よりもどことなく声が震えている。いくら『普通』とは異なると言えども、それでもまだまだ少年と少女。ある程度の緊張は致し方がないのだろう。
それでも、亜耶の言葉には嘘偽りはなかった。声が震えているのも、本当に武者震いによるもの。緊張の大きな一因も、期待感によるものだった。
「さてさて、それじゃ行きますかー」
「おうよ」
六月十七日午後十時十分。
任務、スタート――。
2009/03/07(Sat)13:34:22 公開 /
水兵リーベ
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■作者からのメッセージ
はじめましてー。水兵リーベと申します。ちなみに高校時代は化学が大嫌いでした。そして今でもアニメは大好きです。どうでもいいですね。
一応単行本一冊分程度を見据えています。長編の部類になるのかな?
文章スタイルはちとチャレンジの意味を込めて、三人称+一人称という、ちと変わったものをイメージしてます。とは言え真新しいものでもありませんが;
アドバイス、批評、文句、とにかく何でも受け付けております。作者様からの感想レスをいただいた場合、極力そちらの作品にも感想を送れるよう努めるつもりです。
少しでも上達したいと考えておりますので、どうか皆様よろしくお願いしますm(_ _)m
※投稿時にバグがあったらしく、不可解なスレッドを二つも乱立してしまいました……。この記事のパスと同じパスワードを打ち込んでも削除できないため、自分ではどうしようもないっぽいです;
ただ今報告スレッドに削除依頼を出しております。本当に申し訳ございません;……と思って再び確認してみたら、消えていました。管理人様が削除してくださったんでしょうか。ありがとうございますm(_ _)m
09/02/15 序章〜一章を投稿
09/02/15 加筆訂正
09/02/17 バグの説明部分を一部訂正(何度も申し訳ございませんm(_ _)m)
09/03/05 第二章の一部を投稿
作品の感想については、
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の『文庫本的読書モード』。
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MSIEではフォントサイズによってアンチエイリアス掛かるので、「拡大」して見ると読みやすいかも。
2020/03/28:Androidスマホにも対応。Noto Serif JPで表示します。