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『空色の消しゴム』 ... ジャンル:リアル・現代 恋愛小説
作者:ケイ
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あらすじ・作品紹介
問題児、晶の隣に転校生がやって来て……
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消しゴム。そんな物に運命なんて大層なものがついてくるなんて思っていなかった。
それはノートに書いた悪戯書きを消すための、ただの道具。
人の温もりや、優しさが詰まっているものじゃない。そう思ってた。
チッ。秋の風が窓ガラスをガタガタと鳴らす朝の教室。人影もまばらな部屋で、俺は舌打ちをした。
理由はたいしたことではない、筆箱を忘れただけだ。しかも、よりによって今日は木曜日。
実技科目は一つもなく、ただ椅子に座って話を右から左に流すだけの授業しかない。
仕方なく、廊下でふざけている友人、涼太にシャーペンと消しゴムを貸すように言った。
大人に見られたら、それが人にものを頼む態度か、何てことを言われるだろう。
そんな言い方にも、嫌な顔一つせずに、廊下から涼太が顔を出した。
「あ? どうしたの?」
名前の『涼』という字とは違い、爽やかではなく、喧しくて暑苦しい。それが最初の感想だ。
何だかんだ言っても、結局俺は涼太とつるむことが多かった。一緒にいても、無理して自分を作らなくていい、
そんな気がしていたからだ。元々、俺は友達が多い方じゃない。世間で言う、問題児ってやつだ。授業は聞かない、
最近はやってないが、喧嘩もしたし、窓ガラスも割った。教師からはそうとう厳しい目で見られていた。
悪いことがばれて、なんども説教をされた。他人との協調? ひとりはみんなのために? 笑わせんな、反吐が出る。俺は俺だ、俺は俺以外の誰でもない。いつもそう言っていた。
俺が筆箱を忘れたことを涼太に言うと、シャーペンだけを持ってきた。
「消しゴムは一個しかないから貸せねえよ。別にいいだろ? いつも真面目に聞いているわけじゃないし」
涼太はからかうように、俺にシャーペンを渡した。
バーカ、からかうなよ。そんな意味を込めて、俺は涼太の頭を軽く叩いた。
さて、シャーペンはそろったが消しゴムはない。消しゴムがなければ、いつもの時間潰しができないわけだ。
いつもなら、教師がダラダラ話している間、ノートや教科書に、唯一得意で、好きな落書きをして時間を潰している。
落書きと言っても、小学生のような、歴代の偉人に鼻毛を書くようなものじゃない。何か書くものを見つけて、一時間でそれを書くのだ。小学校や中学校の頃は、大人に真剣に褒められるほどの実力だった。そんな絵を描くために、消しゴムは必要だった。
朝のホームルームが始まるまで探してみたが、消しゴムを二つ持ってる奴はいなかった。
担任の教師が来たので、しかたなく俺は席に着いた。
「おはようございます」
「おはようございます」
ホームルームは、恒例の朝の挨拶から始まる。俺は挨拶をせずに、窓際の自分の席から、外を眺めていた。
特に何も起きない、平凡な毎日が続いているだけだった。
今日もそんな一日だろう、落書きもできないし帰ろうか、そう考えていると、担任が興味深い話しを始めた。
「今日は大事なお知らせがある、転校生を紹介するぞ」
教室がざわめく。誰もが、隣同士で会話を始める。
「静かに、おい静かにしろ」
担任は手を叩きながら、ざわめきを静めた。
「どうぞ、二ノ宮さん」
そう言われて、入ってきたのは小柄な少女だった。
何だ、女か。俺の率直な反応だ。整った顔立ちで、長くて綺麗な黒い髪を後ろでまとめる、いわゆるポニーテールの髪型だった。高校生男子なら、「おっ」となるのが普通だろう。
俺だって女子に興味がないわけじゃない、ただ、話していると全く別の生き物のような気がするから、あまり好きではないだけだ。
「自己紹介をしてください」
担任に促され、二ノ宮と呼ばれた少女は教室を見渡しながら口を開いた。
「神奈川から転校してきました、二ノ宮輝(にのみや ひかる)です。よろしくお願いします」
小学生に勘違いされそうな声で自己紹介を終えた少女は、ぺこりと頭を下げた。
教室内では、男同士で盛り上がり、女子同士でキャーキャー騒いでいる。
その中で、一際浮かれている馬鹿が視界に入った。
「お、俺、中根涼太。よろしくな、二ノ宮さん」
涼太は立ち上がるだけでは物足りないらしく、椅子の上で飛び跳ねて、必死にアピールしていた。
「おい中根、そんなに必死にアピールしてどうした? まさかいきなり二ノ宮さんに惚れたか?」
担任が涼太をからかう、教室に笑い声が響く。転校生も微笑んでいた。
「席は、そうだな……あの一番後ろの席に座ってくれるかな」
担任が指した席は、俺の隣だった。
チッ、まじかよ。今日二度目の舌打ちをした。隣の席に転校生が来るなんて、漫画やドラマだけにしてくれよ。
転校生は「はい」とだけ返事をして、俺の隣に座った。
「よろしくね、名前は?」
人見知りをしない性格らしく、俺に笑いかけてきた。
「黒崎晶」
俺は一言だけ答えると、また外の景色を眺めた。
「じゃあ今日のホームルームはこれで終わりだ、一時限目の準備をしろよ」
担任がそう言って教室を出た途端、輝の席に、クラスの大半が集まってきた。
「ねえねえ、二ノ宮さんの趣味って何?」
「まだこの学校に詳しくないでしょ、私達が案内してあげる」
「なあなあ、スリーサイズ教えてよ」
「何馬鹿なこと言ってんのよ、二ノ宮さん、こいつら相手しなくていいからね」
「本当だよ、男子ってサイテー」
女子のグループメンバー争奪戦と、男子の失礼極まりない質問に輝は巻き込まれていた。
そんな中でも、輝は笑顔を絶やさず、誰とでも仲良くしようとしていた。
よくそんなことできるな。
心の中で呟く。もし自分がそこにいたなら、乱暴に立ち上がり、教室を飛び出していただろう。
転校生の振る舞いと、クラスメートの喧騒に少し苛立ち、俺は立ち上がって教室を出た。
トイレと購買で時間を潰して、教室に入ると、輝が一瞬俺を見たのに気づいた。
恐らく、クラスメートに俺の正体を教えられたのだろう。
もちろん俺はそんなことを気にせず、自分の席に座った。
そうだ、こいつ消しゴム持ってないかな。
そんなことを思い、尋ねてみる。
「なあ、二ノ宮……だっけ?」
「はい」
俺に話しかけられ、輝は一瞬ビクッとしたようだった。
「消しゴム持ってるか?」
「へ?」
輝は予想外の質問だったらしく、驚いた様子で俺の顔を見た。
「だから消しゴム持ってるか?」
「持ってますけど……」
それほど俺が怖いのか、輝は敬語で話していた。
「なんで敬語なんだよ、二つだぞ? 持ってたら貨してくれよ」
そう言われて輝は自分の筆箱中を探し始めた。
「はい」
そう言って渡されたのは、見たことのない消しゴムだった。四角い水色の消しゴムだった。いや、空色と言ったほうが近いだろう。それほど綺麗な色だった。
「サンキュー。……お前ちゃんと二つ持ってるよな? 俺にビビッて、一個しかないの貨したなんてことないよな?」
しなくていい気遣いをしてしまった自分を、少し悔やむ。別に、こいつに気を遣わなくてもいいじゃねえか。
「大丈夫、ほら」
輝が差し出した筆箱の中には、同じ空色の消しゴムが二個ほど入っていた。
「なんでこんなに持ってんだよ?」
「この消しゴムはね、私がいつも行ってた小さな文房具屋で買ってたの。おばあちゃんが一人でやってるんだけどね、一パック買うと、五個も入ってるの。だからいつも筆箱に入れてるんだ」
輝は懐かしそうな顔で答えた。
「ふーん」
俺は興味がない振りをして、外を眺めた。本当は気になっていた。この消しゴムの色が綺麗で、なんだか懐かしいような気がしたからだ。
すでに一時限目の英語の授業は始まっており、髪の薄い中年教師が、黒板の前で何やらもごもごと喋っていた。
一時限目から英語かよ、そう思った俺は、今日は何を書こう、そんなことをぼんやりと考えながら教室や外を眺めた。
外はいつもの見慣れた景色で、たまに車が走っていくだけだ。かと言って、教室にとりわけおもしろい物があるわけでもない。何も見つからず、俺は最後の手段に出た。
仕方ない、教師のバーコード頭でも書くか。
俺は手始めに、頭の輪郭から書いていった。すると、輝が俺の落書きに気づいたようで、チラチラこちらを見てきた。
「何書いてるの?」
耐え切れなくなったらしく、輝が尋ねてきた。
「バーコード頭」
そう言って俺は書きかけの落書きを見せた。見た途端、輝は吹き出した。
「そんなおもしろいか?」
予想以上の反応に俺は少し戸惑いながら尋ねる。
「いや……皆があなたのこと怖い人だって言ってたから……その人が先生の似顔絵をそっくりに描いてるギャップがおもしろくて」
輝は笑いを堪えながら答えた。
怖い人で悪かったな。
俺は苦笑しながら心の中で呟いた。
俺は学校からの帰り道を、涼太と一緒にブラブラ帰っていた。
日は沈みかけ、道には犬の散歩をしている人や、帰路につく人が歩いていた。
「なあ晶、今日の転校生の二ノ宮可愛くなかった?」
さっき立ち寄ったコンビニで買ったパンを、頬張りながら涼太が言ってきた。
「そうか? 別に」
俺は涼太におごって貰ったコーヒー牛乳を啜りながら、素っ気無く答えた。
コーヒー牛乳のねっとりとした甘さが口に広がる。失敗だったな。今日何度目かわからない舌打ちをする。市販のコーヒー牛乳は甘すぎる。
「晶は女子に興味ないもんな〜。もったいないぜ、せっかくのイケメンなのにさ」
涼太は興奮したように喋った。確かに、中学の頃は多少モテた。バレンタインには何個もチョコを貰ったこともある。
しかし高校に入ってからは、俺の行いが噂になり、女子は怖がってあまり近寄らなくなった。
「俺のモテ期は中学まで。これやるよ」
俺は、飲みかけの甘すぎるコーヒー牛乳を涼太に渡した。
「おっ、マジで? サンキュー。ところで、溜まったツケはいつ返してくれるのかな?」
「今返すよ、ほら」
そう言って俺は涼太の頭を叩いた。
「マジで二ノ宮のことどう思う?」
しばらくの沈黙の後、パンとコーヒー牛乳を胃袋に詰めた涼太が、真顔で聞いてきた。
「さっきも言っただろ? 別に……消しゴム」
「は? 消しゴム?」
訳がわからない様子で涼太が尋ねる。
「お前のシャーペンはいいけど、二ノ宮から借りた消しゴム返してない」
「何だ、そんなことかよ。明日返せばいいだろ?」
「それもそうだな……」
俺の目に、あの空色の消しゴムが浮かぶ。
「それより話題をずらさない。晶は二ノ宮のことをどう思ってんだよ?」
「別に何とも思ってねえよ、しつこいぞ涼太」
「は〜い、すいませんでした〜」
俺の三メートルほど先に走っていって、おどけた様子で謝る涼太に、一発蹴りを入れてやろうと俺は涼太を追って走り出した。
「これ、返すよ」
翌日の朝、教室で本を読んでいる輝に、俺は消しゴムを差し出した。
輝はキョトンとした顔をしていたが、すぐに思い出したようで俺に言ってきた。
「いいよ、別に。何個もあるからあげる。それに気に入ったんでしょ? その消しゴム」
俺の心を見透かしたかのような答えだった。
「そうか、いいなら貰っとくよ。サンキューな」
俺は一言礼を言って、消しゴムを自分の筆箱に入れておいた。
「ねえ、二ノ宮さんって彼氏とかいるの?」
休み時間、机に突っ伏して寝ていた俺の耳に、クラスの女子の声が聞こえた。
「彼氏?」
輝の声が聞こえた。
「そう、彼氏。二ノ宮さんみたいに可愛いと、イケメンの彼氏とかいるんじゃない?」
またか、心の中で呟く。どうして人の心の中に、土足でずかずか踏み込んでくるのだろう。
自分が言われている訳ではないのに、無性に腹が立った。
「彼氏……なのかな? 一応いるけど」
恐らくだが、輝は嫌そうな顔一つせずに答えた。
「マジで? いいな〜、今度その人の友達紹介してよ」
「でも神奈川だから……あっ、そういえば冬休みこっちに遊びに来るって言ってた」
そんなとこまで答えるのかよ。お人好しだな。
「紹介してくれるように頼んどいてくれない? じゃあね」
無理難題を押し付けた女子は自分の席に戻っていったようだ。
「あんたってお人好しなんだな」
顔を上げて、輝の顔を見て、思ったことを言う。
「聞いてたんだ……頼まれると断れないんだ」
少し寂しそうな顔で輝は答えた。
「ふーん」
そう言って、俺は再び寝る体勢を取った。
輝に彼氏がいることを聞いて、残念に思う心が自分の中にあることを、必死に否定しながら。
終業式、一年の終わりの大事な会と、教師は言うが、生徒は誰一人そう思っていない。
だいたいの奴は、友人との予定だったり、クリスマスのデートで頭が一杯だ。
「来年からは、新たな決意を持って……」
全校生徒の前で、校長がだらだらと話を続ける。生徒はもちろん、教師も疲れてきたようだ。
疲れた俺は、ふと輝が気になって後ろを見た。輝は前後の女子と、何やら楽しそうにお喋りをしていた。
この前言ってた彼氏、いつ来るんだろう。
普段の俺には考えられない思考をしながら見ていると、輝の横から見慣れた顔が出てきた。
涼太だ。出席番号が近いため、朝礼で並ぶと輝の隣になるのだ。
涼太は、輝に二、三質問していたが、近くの女子に叩かれ、自分の位置に引き下がった。
チッ。最近することが多くなった舌打ちをする。名前ならまだしも、どうしようもない自分の苗字を少し恨んだ。
『く』と『に』じゃ離れすぎだろ。
席は隣になったが、苗字までは神様も運命をいじってくれなかったようだ。
「先生、トイレ」
いい加減朝礼に飽きた俺は、担任にサボる口実を言って、体育館を後にした。
この高校の体育館はあちこちにガタが来ていて、風が吹くと、隙間風が容赦なく吹き付けた。
そんな風をまともに受けながら、俺は小走りで教室に向かった。
誰もいない教室。それは想像していたよりも寂しくて、想像していたよりも寒かった。
これじゃあ、どこにいても一緒だな。
俺は苦笑しながら、一番寒い窓際の自分の席に座った。
俺は、何かを考えるでもなく、ただボーっと外を眺めていた。
「雨、降らないかな」
そんなことを呟く。雨は一番好きな天気だった。特に雷が鳴るような嵐はなおさらだった。何となく、自分をアピールしているような、「俺はここにいるぞ」というような主張をしているようで好きだった。逆に雪は嫌いで、静かに落ちて儚く消える。悲しい生き方のような気がして嫌いだった。
この季節、東京に大雨が降ることはあまりない。どちらかと言えば、雪の方が降りやすいかもしれない。
俺は静かな教室で短いため息をついた。無性に空色が見たくなり、消しゴムを取り出す。
いつ見ても、綺麗な色だった。真夏の入道雲と一緒に、空一面に広がる色だった。その色が見られるわけはないのに、俺は外に目をやる。空はどんよりとした鉛色で、空色どころか、太陽さえも見せてくれる気はないようだ。
仕方なく、輝の消しゴムを指でいじる。ただそれだけなのに、何とも言えない心地よさがあった。
俺がそんな感触に酔っていると、廊下が騒がしくなる。終業式が終わったのだろう。
俺は消しゴムをしまって、また始まるであろう担任の長い話に対抗するため、睡眠体勢を取った。
「起きて、起きて黒崎君」
頭を誰かが叩く。
もう少し寝かせろよ。
そんな意味を込めて手を払う。
「もうとっくに下校時間過ぎてるよ、涼太君まで呆れて帰っちゃったよ」
小学生のような声が響く。
輝?
気になったので、仕方なく顔を上げる。さっきと同じ教室で、相変わらず鉛色の空が俺を見下ろしていた。
一つ違うのは、教室に俺と輝しかいないことだった。慌てて時計を見る。午前十一時三十分。
今日の予定は終業式と、宿題の配布だけだから、十時過ぎには終わっているはずだ。
俺は思わず、勢いよく椅子から立ち上がった。
輝はびっくりしたように目を見開いていた。
「やべぇ、寝坊した!」
「寝坊は朝遅く起きることだと思うんだけど……」
輝は苦笑しながら、冷静にツッコミを入れる。
「もうこんな時間じゃねえか、輝もいるなら起こしてくれよな」
俺は慌てて教室を歩き回る。
「起こしてたじゃん、何回も」
少し頬を膨らませながら輝は答えた。
「なんでそんなに慌ててんの?」
「『笑っていいとも』見逃した。せっかく平日で早く帰れるから見ようと思ってたのに」
「はぁ、くだらなっ」
輝は少し失望したような声で言った。
「まあいいや……そうだ、輝。一緒に帰ろうぜ」
俺は、自分で何を言いたいのか理解してないうちに言葉が出てきた。
「い、いいけど」
輝は少し以外だったようで、慌てて答えた。
「う〜寒っ」
外に出た俺は、身を屈めて言った。
「そんなに厚着してるのに寒いの?」
輝は冬にしては薄着の格好で、俺の横に並んだ。
「寒がりなんだよ」
俺はそれだけ言うと、校門に向かって歩いていった。
「そういえば、黒崎君の家ってどこ?」
輝が覗き込むように尋ねる。
「どこでもいいだろ」
「今度遊びに行きたいな」
「駄目だ」
俺は即答で断った。
「どうして?」
「散らかってる」
「別にいいじゃん」
「俺がよくない」
俺はぶっきらぼうに断り続けた。
「そういえば、彼氏来るんだっけ?」
俺はさりげなく聞いてみる。
「うん……まあね」
輝は少し俯いて答えた。
「何だよ? 嬉しくないのか?」
「ちょっとね……」
「なんか食ってく? おごるからさ」
気まずい空気にしてしまい、耐えられなくなった俺は、マクドナルドを指差した。
「うん」
さっきのことは気にしていないのか、輝は明るい声で答えた。
「ただいま」
玄関の扉を開けながら呟いた。どうせ誰もいない家だ、言わなくてもいいはずの言葉を、ついつい言ってしまう。
癖? いや、違う。昔からそうだったから、癖になることはない。むしろ、願望かもしれない。
俺の両親は、共働きで、外資系の会社のため、一年のほとんどを海外で過ごす。金は毎月振り込まれるので心配はない。一人で過ごすには多すぎるほどの金だった。
家に帰れば誰かいて、「おかえり」なんて言葉を掛けてくれることを願っているからこそ、「ただいま」という言葉が出てきてしまうのだろう。
社会人になれば一人暮らしをして、家族のありがたさに気づくのが普通だ。しかし、俺は温かい家庭というものを持ったことがない、故に家族のありがたさが微塵も感じられなかった。
鞄と制服をソファに投げ捨て、テレビの電源を点ける。バラエティー番組をやっっており、若手芸人が体を張ってコントをしていた。客席から笑いが響く。
無性に寂しくなった。さっきまで輝とハンバーガーを食べて、遊んできたせいもあるだろう。人の温かさが感じられないリビングで、一人テレビを見ていた。
軽い夕飯を食べ、風呂から上がると、俺の携帯電話が一昔前に流行った歌のメロディーを奏でた。電話だ、誰だろう? 俺の番号を知っているのは、涼太ぐらいしかいないはずだ。
画面を見ると、知らない番号が並んでいた。世間ではオレオレ詐欺だので、知らない番号には出ないのが普通だろう。しかし、人の声が聞きたくなった俺は、通話ボタンを押してみた。
「もしもし」
返事はない。新手の詐欺だろうか? 一応もう一度呼びかけてみる。
「もしもし?」
「……はい! はい! もしもし?」
大声で話しているのだろう。俺は思わず携帯を、腕が伸びる限り放した。
「もしもし」
負けじと、大声で呼んでみる。
「もしもし? 黒崎君?」
聞きなれた声だ、恐らく、さっきおごってやった奴の声だ。
「輝か? 声を小さくしろ」
「あ……ごめん」
ようやく通常通りの電話が出来そうだ。
「何で俺の番号知ってんだよ?」
一番最初に思った疑問をぶつける。
「中根君に聞いたの」
「中根……? ああ、涼太か」
俺より先に涼太かよ。そんな言葉が頭をよぎる。お構いなしに、輝は喋った。
「三十日、空いてる?」
「空いてるけど?」
晶はカレンダーを見ながら答えた。ちょうど一週間後だった。
「付き合ってほしい場所があるんだけど」
「どこ?」
「秘密」
「なんだよ、今言えよ」
「明日になればわかるから、三十日の二時に、学校の前に来てね」
輝はそう言うと、一方的に電話を切った。
「なんだよ、まったく」
苦笑しながら呟く。だが嫌なわけではない。長期の休みはいつも暇を持て余していたからだ。
一週間後に期待しながら、俺はベッドに入った。
三十日は、珍しく十二月から雪が降り、気温は氷点下まで下がった。
雪かよ。朝、カーテンを開けて俺は舌打ちをした。
よりによって今日雪なんてついてない。しかし、どんよりとした空を睨んでも、天気が変わることはない。仕方なく、質素な朝食を取ることにした。
朝のニュースもこれといってやることがないらしく、初雪で騒いでいた。
二時までには時間がある、やることもなく、俺は外に出た。
街をブラブラしていると、聞き慣れた声と、知らない声の会話が聞こえてきた。
「ごめん……」
「もう俺のこと好きじゃないのか?」
輝? そう思って角を曲がると、輝と見知らぬ男が会話をしていた。
「どうしてだよ? どうしてなんだよ?」
男は無念そうな顔で輝を見つめた。
「ごめん……」
輝は、同じ答え方をした。
男は、一瞬何とも言えない表情になったが、すぐに背中を向けた。
「折角神奈川から来たのに、別れ話を聞くとは思わなかったよ」
どことなく、男の声は震えているようだった。
「ごめん……」
輝は、同じ言葉でただただ謝り続けていた。
「もういいよ、もう僕達は赤の他人なんだから」
晶は、その言葉に苛立ちを覚えた。
「健」
輝は男の名前を呟いた。
「もういいって! それじゃあな」
男はそれだけ言って、走り去った。
輝は泣いているようだった。俺はどうしていいか分からず、立ち尽くしていた。
やがて輝が振り返り、晶と目が会った。
「よ、よう」
俺は何と言っていいか迷い、口から出た言葉はそれだけだった。
「見られちゃった?」
輝は明るく振舞おうと、笑顔まで作っていた。
「たまたまな、気にすることない」
俺は必死に言葉を絞り出した。
「格好悪いとこ見られちゃったな〜」
輝は溢れる涙を、手袋をした手の甲で拭いた。
晶は、輝の涙を見て、胸が締め付けられるようだった。
「そういえば、行きたい場所ってどこ?」
話題を逸らそうと、晶は約束を持ち出した。
「ここでいいの、場所はどこでもよかったの」
「じゃあ、あそこ座ろうぜ」
二人は、すぐ横の公園のベンチに座った。
「大事な話があるの」
座ってすぐに、輝が口を開いた。
「何?」
「私ね、三ヵ月後に引っ越すの」
「え?」
俺は思わず聞き返してしまった。輝の口から出た言葉は、それほど予想外のものだった。
「この間引っ越してきたばかりだろ? どうして……」
「元々、三ヶ月だけって決まってたの。三ヶ月だけだから、できるだけ皆と仲良くなりたくて、笑顔作ってたんだ」
だからか。俺の脳裏に学校での光景が蘇る。嫌な質問をする男子、騒ぐ女子、全員に笑顔を作ってたのかよ。
お人好し? 違う。 頼まれたら断れない? それも嘘なんだろ? 無理して自分作ってたのかよ。俺の一番嫌いな生き方だ。
雪が二人の周りに、少しずつ積もり始めた。俺の神経を逆なでする。こんな日に限って、一番嫌いな天気だ。ちくしょう、止めよ。
「どうしてだよ? どうして無理して自分を作ってたんだよ?」
俺は少し語気が荒くなりながら尋ねた。
「言ったでしょ、仲良くなりたかったの。皆と、黒崎君とも」
輝はそう言って微笑んだ。初めて、本当の輝を見たような気がした。
「……一つだけ約束してくれよ」
俺は下を向いて、低い声で言った。
「今から、ありのままの自分で生きろよ」
「黒崎君……」
「俺と話すときも、学校行くときもだぞ。それで文句言ってくる奴がいたら俺がどうにかしてやる、守ってやる」
問題児の俺とは思えないほど、クサイ台詞だった。それを感じたのか、輝はクスクスと笑った。
「やっぱり、ギャップがおもしろい。黒崎君って本当はいい子なんじゃないの?」
「やっぱりクサかったか? 俺も自分がどうなってんのかよくわかんねえ」
「じゃあ私も約束してくれる?」
「何?」
「ちゃんと勉強して、大学に入ってよ」
「俺の学力じゃ無理だ。もうすぐ二年生だぞ?」
「約束だからね、黒崎君は、本当は真面目な優等生なんだから」
「わかった、わかった」
そう言って、二人で真冬の公園で大笑いした。でも、内心はそんなに穏やかじゃなかった。輝がいなくなる。その現実が、重く俺に伸し掛かっていた。
それ以来、俺はもっと雪を嫌いになった。
「ねえ黒崎君」
公園からの帰り道、滑りやすくなった道路を歩きながら、輝がこちらを向いた。
「ん?」
「どうして私から消しゴム借りたの?」
「見ただろ? 俺の芸術。あれが書きたかっただけ。誰も持ってなかったしな」
「購買で買えばよかったんじゃないの?」
痛い所突いてきやがる。
「財布忘れたんだよ」
「涼太君にコーヒー牛乳おごってもらったんでしょ?涼太君言ってたよ、あいつは財布持ってこないことが多いから、すぐ俺に払わせるんだよ〜って」
輝が、涼太の声色を真似て言った。
「それがどうしたんだよ? 財布忘れたからおごって貰っただけだろ?」
「消しゴムはどうしておごって貰わなかったの?」
輝は勝ち誇ったような顔で俺を見た。
「わかったよ、正直に言えばいいんだろ?」
俺は半分やけになって言った。
「何となく……気になって」
「ん? 何が気になったの?」
輝は笑みを浮かべていた。
「輝が気になったから購買で買わずに、話し掛けたんだよ」
俺はやけくそになってそう言った後に、小さく「ちくしょう」と呟いた。
輝はわざとらしく「へぇ」とだけ呟き、ニヤニヤしていた。
「そういえばさ、まだ携帯のアドレスとか教えてもらってないよな? 今教えてくれよ」
俺は急いで話題を変えた。
「うん、でも……携帯持ってないんだ」
「マジ?」
俺は驚いて尋ねた。
「親がね、引越しばかりで、仲良しの友達も出来ないから、携帯なんかいらないだろうって言われたの」
「そっか……」
そこで俺は、何となく引き下がってしまった。新しい住所を聞いたり、親に頼んでもらったり、何か行動をしていれば変わっていたかもしれない。
それから三ヵ月後、輝は引っ越した。「ありがとう」という言葉だけを残して。ありのままの輝は、あまり喋らず、女子から少し悪口を言われていたが、俺が傍にいるときは、輝は笑顔だった。その後、俺は改心して勉強を始めるようになった。元々就職を考えていたが、輝との約束を思い出したからだ。俺がそのことを担任に話すと、担任は涙目になって喜んだ。
そんなに問題児だったのだろうか? 苦笑しながら、俺は努力をした。輝との約束を果たし始めてから一年後、俺は約束を果たすことが出来た。
見事大学に入学したのだ。しかも結構な有名大学だった。家にいない両親からも、メールが来た。文面を見ていると、何となく両親のありがたさを理解できたような気がして、俺は思わず笑ってしまった。
そして今日、今日が大学の初講義の日だった。俺はベッドで横になり、小さくなってしまった、空色の消しゴムをいじっていた。すぐ脇にある時計は七時を指していた。テレビの時計は七時三十分を指している
「ん?」
俺は跳ね起きた。
「しまった〜、遅刻だ〜」
昨日、置時計が壊れたことをすっかり忘れていた。俺は急いで支度をして、家を飛び出した。
講義開始の三分前に何とか大学に着き、教室に入ると既に何人もの生徒が座っており、俺は空いていた窓際の席に座った。
チッ。俺は癖になってしまった舌打ちをした。理由はたいしたことではない。消しゴムを忘れただけだ。どうやら、慌てて出て来たときに、机に置いて来てしまったらしい。しかし今日は初講義の日なので、メモすることも多いだろう。消しゴムがあるに越したことはない。だが、今更買いにいく時間もない。
仕方なく、周りの生徒に貸してもらうことにした。ちょうど知り合いも出来て、一石二鳥だろう。
俺はそんなことを考えながら、隣の席の人に声を掛けた。
「なあ、消しゴム持ってない? 二つ」
隣から、だまって渡されたのは、空色の消しゴムだった。俺は慌てて、帽子を深く被った隣の人の顔を、じっくり見た。
それに気づいたのか、隣の人はゆっくりこちらを向き、にっこりと笑った。
真夏の空、入道雲と一緒に空一面に広がる色。空色、俺と、俺の大事な人が一番好きな色だ。
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2009/02/02(Mon)15:59:36 公開 / ケイ
■この作品の著作権はケイさんにあります。無断転載は禁止です。
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■作者からのメッセージ
慣れない恋愛小説ですがよろしくお願いします。
読んだ後に、甘酸っぱい気持ちになってもらえたら一番嬉しいのですが……多分無理です(汗
もう一つの連載もがんばりますので、そちらも読んでもらえたら幸いです。
何だか尻窄みになってしまってすいません(泣
恋愛小説が上手く書けない私なりに、精一杯の頑張ったのですが、酷い作品になってしまいました。この駄作に付き合ってくださった方、本当にありがとうございました。恋愛小説には、もう少し腕を磨いてから挑戦しようと思います。
作品の感想については、登竜門:通常版(横書き)をご利用ください。
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2020/03/28:Androidスマホにも対応。Noto Serif JPで表示します。