『なんでもチケットマーケット』 ... ジャンル:リアル・現代 ショート*2
作者:タテル                

     あらすじ・作品紹介
 これといった趣味もなく、恋人も友人もいないオレにとって、インターネットは格好の暇つぶしだった。ある夜、オレは妙なサイトに出会った……

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 これといった趣味もなく、恋人も友人もいないオレにとって、インターネットは格好の暇つぶしだった。
 会社からアパートに帰ると、コンビニで買った弁当を食い、風呂に入る。風呂から上がると冷蔵庫から発泡酒を取り、パソコンの電源を入れて、マウスを握る。
 特にブログを書いたり、オークションや株取引をするわけではない。オレにはそういった小器用な才能がそっくり抜け落ちているのだ。
 最初は最近のニュースをチェックして、関連するリンク先を次々とクリックしていく。目的があるわけではないので、どこに行き着くか分からない。十二時ごろに寝るまで、それを繰り返す。不健康で無益な時間だ。分かってはいるのだが、自分を変えようというエネルギーはない。外に出たって金を使うだけだし、体を動かすのも嫌いなのだ。
 そういうわけで、オレはあまり建設的でない日々を、だらだらと過ごしていた。

 どうやってそのサイトにつながったのか、今となっては分からない。ある夜、オレは妙なサイトに出会った。
 確か、「なんでもチケットマーケット」とか、ふざけたタイトルがついていたと思う。黒い背景に赤や青の原色だらけでデザインされ、周りでGIFアニメーションがチカチカと踊っている。全体に下品さがあふれていた。
 画面には四角いカードが並んでいる。「肩叩き券」「お掃除券」「貸し切り券」「乗車券」などだ。カードをクリックすると、アニメーションでカードがくるりと反転し、裏側の説明が読めるようになっていた。

 ○肩叩き券
   ☆カードを渡した人に肩を叩いてもらえます。※六十分以内。
 ○お掃除券
   ☆カードを渡した人にお掃除をしてもらえます。※室内に限ります。

 画面をスクロールするとカードがどんどん出てきて、たくさんの種類があることが分かった。中には「パンチお見舞い券」とか「殺人券」なんてものもあった。気になる名前のカードはクリックして裏の説明を読んだ。どれも「○○してもらえます」とか、「○○できます」とか適当なことが書いてある。
 何なのだろう、このサイトは? 広告やリンクもなく、カードが並んでいるだけだ。ネット上のロールプレイングゲームのカード販売店か何かかと思ったが、「ホーム」とか「戻る」といったショートカットもなかった。
 そのうちに飽きてきたので、オレはパソコンの電源を切り、ベッドにもぐった。

 翌日、アパートに帰ると玄関に茶封筒が落ちていた。中を見ると、昨日インターネットで見たチケットが入っていた。「肩叩き券」や「お掃除券」など十数枚入っている。チケットの他には何も入っておらず、封筒にも何も書かれていなかった。
 切手も貼られていないから、ドアの郵便受けから放り込まれたのだ。あのサイトを見ているときは、住所や名前などの個人情報は何一つ入力しなかった。どうやって家が分かったんだ? オレは薄気味悪く感じながら、チケットの束をペラペラとめくった。その時、玄関のチャイムが鳴った。
「こんにちは。宅配便です」
 宅配が届くような覚えはないが、ドアを開けると制服を着た若い男が段ボール箱を抱えて立っていた。
「木村さんですね。え、違うんすか。すいません、隣でした。どうもお邪魔しました」
 どうせ、オレに何かを送ろうなんて物好きはいないのだ。不愉快に思いながらドアを閉めようとして、オレはふと、チケットを試してみようと思いついた。「お掃除券」でも渡してやろう。どんな顔をするだろうか。まさか見ず知らずの他人の家を、本当に掃除したりはしないだろう。何かと聞かれたら、「こんなものが郵便受けから放り込まれていたのだが、何でしょうね」とか、世間話にしてしまえばいい。「こういういたずらが流行っているんですよ」などと教えてくれるかもしれない。
「あ、ちょっと、これ……」
 オレは、出て行こうとする宅配の男を呼び止めて、「お掃除券」を手渡した。
「何すか? これ? お掃除券……?」
 宅配の男はしばらく妙な顔つきでチケットを眺めていたが、次第に心底うんざりした表情になった。
「マジっすかあ、忙しいんすよねえ。もお、しょうがねえなあ!」
 宅配の男は文句を言いながら、散らかったオレの部屋を片付け始めた。床に散らばった服をかき集めて洗濯機へ放り込み、新聞、雑誌の類をビニル紐で結わえ、スペースができた床に掃除機をかけ、流しに積み上げられた食器を洗った。便所と風呂を掃除して、驚いたことに雑巾で床まで拭いた。雑巾がけなんて、オレは小学校以来したことがない。
「これでいいですよね。オレ、もう行きますよ。あ、しまった。木村さんの荷物、冷凍だった。ああ、やんなっちゃうなあ!」
 宅配の男は湿気でゆがんだダンボール箱を抱えて出て行った。部屋はすっかりきれいになって見違えるようだ。
 オレは残りのチケット束を見つめた。ふと横をみると、玄関の姿見に不気味な笑みを浮かべたオレの顔が映っていた。

 次の日、オレは会社で午後九時過ぎまで残業していた。どうしても今日中に仕上げなくてならない書類があるのだ。離れた席に部長が座り、しかめっ面をしてオレをにらんでいる。できた書類にハンコを押すまでは、部長も帰れないのだ。
 オレは仕事の遅さと注意力の無さでは社内で定評がある。さっきから何度も部長へ書類を出しているのだが、その度に誤字や計算ミスを指摘され、突っ返される。よくあんなザッと見ただけで間違いに気付くものだ。きっと、「次はここを間違うぞ」と見当をつけているのだ。それなら間違う前に一言注意するのが親切というものだろう。

 午後十一時を過ぎて、やっと部長のハンコをもらえた。
「遅くまでかかって、すみませんでした」
 オレは殊勝にそう言った。本当に、多少すまない気持ちもあったのだ。
「キミは、S君とは同期だったかね」
「はい」
 オレはSが嫌いだ。仕事ができるからだ。
「彼が私の部下だったらと、つくづく思うよ」
 いくらオレの仕事が遅いからとって、この言い草はない。一言「ご苦労さん」とでも言ってくれれば、遅くまで頑張った甲斐があるというものだ。
 何かイヤミでも言い返してやろうと思ったが、こんなとき適度に部長を嫌な気分にさせて、なおかつ後々まで尾を引かない程度のイヤミを都合よく思いつけるほど、オレは頭が良くない。その代わりにオレは、ポケットからチケットを出し、部長に差し出した。
「部長、これを……」
 部長はいぶかしげにそれを受け取った。
「何だね、これは? 肩叩き券……? おい、ふざけているのか。こんなもの……」
 後の言葉を飲み込み、苦々しい顔をして部長は「ええい、しょうがない!」と言って立ち上がった。
 代わりに部長の椅子にオレが座る。革張りで肘掛付きの立派な椅子だ。部長の尻の温もりが残っているのがちょっと気色悪かったが、なかなかの座り心地だ。部長は後ろに回ってオレの肩を揉んだ。
「部長、へたくそですね。もっと強くやってくださいよ。あいたた、今度は強すぎる。まったく、威張るのは上手だけど、こういうことはからきしダメですね」
 部長は小さく唸り声を上げたが、何も言わなかった。試しにオレは脚も揉むように頼んだ。部長は太ももからすねまで念入りにマッサージした。チケットは肩以外にも使えるようだ。
 最後にオレは靴を脱いで、足裏マッサージをしろと言った。足の臭いに顔をしかめながら、部長は足の裏のツボを押した。すっかり身体がほぐれたころ、オレはやっと部長を解放した。時計は十二時近くを指していた。
 翌日、出社したオレは恐るおそる部長に挨拶した。部長はいつもと同じ仏頂面で、「おはよう」と挨拶を返した。昨日のことは何も覚えていない様子だった。オレは胸をなでおろした。

 その後もオレは「貸し切り券」で高級クラブを貸し切って豪遊したり(後でプロ野球の試合でも貸し切ればよかったと後悔した)、「試乗券」で外車ディーラーからフェラーリを借りて乗り回したり(慣れていないのですり傷をつけたが、特に何も言われなかった。店員は泣きそうな顔をしていた)、「生ライブ券」を学生のころ好きだったアイドル歌手に送りつけて、自宅で歌わせたりした。
 チケットの束は瞬く間に減っていった。最後に残ったのはお米券で、オレはそれで一番高い米を五キロ買った。買おうと思えばきっと米俵でも買えるのだろうが、どうせ自炊もしないのだ。

 チケットが無くなるとオレは元の怠惰な生活に戻った。部長には怒られ、恋人も友人もおらず、金もない。家では相変わらずインターネットで暇をつぶしているが、あの「なんでもチケットマーケット」とかいうサイトに再び出会うことはなかった。
 チケットがあったころが夢のように思われる。いや、本当に夢だったのかもしれない。ろくな楽しみもなく暮らしている俺を不憫に思って、神様がよい夢を見せてくれたのだろう。俺は自分勝手にそう思っていた。

 アパートに帰ってひと風呂浴びたころ、ドアのチャイムが鳴った。時計は午後十時過ぎを指している。宅配や集金が来るには少し遅い時間だ。ドアを開けると、黒いスーツを着た大男が立っていた。 
 顔は異様に彫りが深く、感情のない濁った目はサメを思わせた。腕は太く、胸板は厚く、気合を入れれば漫画みたいに上着のボタンが飛びそうだ。
 男はオレの許可も得ず、身をかがめて玄関をくぐった。たたきに立つと天井に頭がつかえて猫背になっている。
 男はグローブみたいな大きな手で、ポケットから一枚の紙切れを取り出し、オレに差し出した。それは請求書で、オレの年収の数十倍の金額が記載されていた。
 オレはとっさに逃げ出そうと思ったが、ドアの前に立たれると抜け出る隙間はまったくなかった。
「知らないとは言わせないぞ。耳をそろえて払ってもらう」
 猛獣が唸っているような声だ。
「こんな金はとても払えない。何も知らなかったんだ、許してくれ」
 涙声でオレは言った。全身がガクガクと震えている。
「まあ、そうだろうな。それじゃあ、これを……」
 男はもう一度ポケットに手を入れて、二枚の紙をオレに渡した。一枚は「殺人券」で、もう一枚は地図のコピーだった。一軒の家に印がしてあり、知らない男の名前が書かれている。オレが受け取ると、男は何も言わずに出て行った。
 オレはしばらく呆けたように殺人券と地図を眺めていた。そして、「……しょうがねえなあ」と、チケットを受け取った者が必ず口にする一言をつぶやいた。オレは財布を尻のポケットに入れ、台所の包丁をタオルで巻いて紙袋に突っ込んだ。アパートを出て、大通りに向かって歩く。前から来た空車のタクシーに向かって、オレは大きく手を振った。

2009/01/15(Thu)01:52:17 公開 / タテル
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