『ゲイジュツメイカーズ』 ... ジャンル:恋愛小説 リアル・現代
作者:工藤 円
あらすじ・作品紹介
運命が二人を引き寄せる!全世界、森羅万象巻き込んで、二人の天才が“芸術”を創り出す!
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第1話『運命の告白』
――春原墨也、14歳。中学二年生。文芸部所属、将来の夢は小説家。
本当は漫画家になりたかったのだけど、絵がド下手なのは仕方がない。今は小説家になる為、執筆を繰り返す日々。
でも文章を書き続けるだけの日々というものは、健全な中学生にとっては少し色気が足りない。そんな僕の唯一の華――それが一つ上の先輩、栗山梨穂子さんだ。
伸ばせば背中辺りまであるであろう、ド真っ直ぐな黒髪。それを頭の上で纏めている髪型は、とても魅力的だ。
正直、学年も違うし恥ずかしいし、正面からはっきりと栗山さんの顔を見た事は無いのだが、美人である事は分かる。
目元に出来た黒いクマは神秘的な美しさを醸し出し、アンニュイで嫌疑的なその目つきは彼女独特の魅力を表現する。僕にとって、彼女は最高に美しい。
――でもそれより何より、僕が彼女に惹かれた最たる理由ははその“画力”だった。
プロかと見紛う様な、完璧な色遣い。彼女の内なる性格が前面に押し出された、魅力的な画風。
一度、漫画研究部の同級生に栗山さんが描いたイラストを一目見せてもらってから、僕はイラストレイターとしての彼女にも夢中になっていた。
彼女が――、愛しい。
そしてある日、そろそろ我慢し切れなくなってきたその愛情と確固たる決心を秘め、僕は彼女に告白する事を決意した。
終業のチャイムを合図に、僕は教室を飛び出る。誰よりも早く玄関に辿り着き、栗山さんが来るのを待つ。
すると、五分と待たずに栗山さんがやってきた。
(おお……。やっぱ、放課後は教室でダラダラ喋ってないで直帰…………。ストイックで可愛い)
友達と一緒だったのが残念だけど、とりあえず僕も外靴に履き替え、チャンスを窺う為栗山さん達の後に続いた。
つかず、離れず。絶対にこちらに気付かれない様な絶妙な距離を取りながら、僕はただ栗山さんの足跡を辿る。
暫く、彼女はずっと友達と並んで歩いていた。
(くそ〜、早く別れろよ!)
僕はまどろっこしくて地団駄を踏む。それに気付いた訳では無いだろうが、彼女は友達と別れた。
(! チャンス!)
僕は一気に彼女との距離を縮め、その距離は四〜五メートルとなる。
(告白! 告白!! 何が何でも告白! 告白!!)
未だかつてない程に激しさを増す鼓動。初めての経験故、本当にはち切れてしまうのでは無いのかと心配になるぐらい心臓が締め付けられていた。
(うわっ……! 告白ってこんなに緊張するもんだったのか…………!?)
今まで、小説内での告白シーンを少し軽率に書きすぎていた。何故かは分からないが、過去の登場人物達に心の中で謝った。
――そんな、話題をはぐらかすかの様に頭の中でどうでも良いやりとりを繰り返していると、栗山さんが道を曲がる。
(! やば……急がないと!!)
その通りに信号があるという訳ではなく、マンションとマンションに挟まれた路地。僕は、この通りに彼女が家があるのだという事を理解した。
時間が無い。告白は今日中にしてしまいたい。僕は彼女との距離を更に縮め、彼女の背中へと声を掛けた。
「栗山さん」
「………………」
………………。
栗山さんは、こちらを振り返る事なく歩き続ける。
(!?)
身に覚えの無いシカト。しかしともかく、ここで引き返す訳にはいかなかった。
「あ、あの…………栗山さん?」
「………………」
彼女は、振り返らない。
(なっ、なんだよ! どうなってんの!?)
彼女はもう一度方向転換するとマンションの門を潜り、二枚ある自動ドアの一枚目を開いた。
(………………!!)
僕は流石に、自動ドアの外でその様子を眺める。
栗山さんがインターホンのボタンを押すと女性(恐らく母声)の声に応対され、二枚目の自動ドアが開いた。
二枚目のドアを通るにはインターホンを介す必要があり、僕は栗山さんと同じタイミングでそれを通り抜ける他無い。
僕は咄嗟に、反射的に一枚目の自動ドアを潜り、そのまま二枚目の自動ドアも通り抜けてしまった。
それでも、栗山さんはこちらに気がつく事は無く。入ってすぐ右に曲がり、その奥の扉へと手を掛けた。
「栗山さん!!!」
気が付けば、僕の叫び声が廊下中に響き渡っていた。
流石にこれには彼女も気が付く。開きかけた扉を元に戻し、こちらを振り返る。
――彼女は、両耳のイヤホンを外した。
シカトされていた訳では無かったという安堵感と妙な疲労感とが心の中で混じり合う。
「え、えっ…………。誰……?」
突然の訪問者に相対し、咄嗟に出る怯えた仕草。申し訳無いながらも、僕はそれを可愛らしく思っていた。
「あっ、いや、ちょっとお話があるって言うか…………」
「は、話…………?」
明らかな嫌悪感と、懐疑的が視線が俺を締める。
「いやっ、怪しい者じゃないです! マジで!!」
僕は間抜けなセールスマンかの様に、両手で友好的である事を表現する。
(………………)
その時、栗山さんの家の扉が開いた。
「!!」
「ちょっと、何…………?」
少し掠れた声と、皺の出た肌。
(!! お母さん!?)
「あっ、お母さん……。いや、ちょっと…………」
栗山さんは後ろを振り返り、母親に何か耳打ちした。
「いやっ、ほんと怪しい者じゃないです! 僕、栗山さんの後輩で…………」
「後輩?」
それを聞いて、栗山さんの表情が一瞬緩む。
「知ってる人?」
母の質問に、栗山さんは首を横に振る。
「えっと、栗山さんは知らない筈って言うか……でも、僕後輩です! これホント!」
もはや、何を言っているのか訳が分からない。
僕も、流石にいきなり母と対面するとは一ミリも考えていなかったので、頭の中が真っ白になっている。
「……じゃ、じゃあ、一応話だけでも聞いてあげたら…………」
母が渋々そう言うと、何か二人の視線の間でやり取りが行われ、母は扉を閉じた。
(魔王退散!)
「…………えっと、何ですか?」
頭の中でRPGのグラフィックを思い描いていた隙に、彼女に先に口を開かれた。
「ああ。えっと、いきなりすいません。本当に」
僕は、一歩二歩と歩み寄り、彼女との距離を最大限縮めた。
(……よし、告るぞ!! 告る!)
自分で自分を鼓舞する心の掛け声。
しかし、いざ――と気合を入れた時、俺はふと違和感に気が付いた。
(えっ……? 何、これ…………?)
目元のクマ。手も足も、不健康な程に細い。嫌疑的な目つきは相変わらずで、頬にはニキビ等の発疹が出ていた。
(………………。マジ?)
そして俺は、気がついてしまう。
――もしかして栗山さんって、あんまり可愛くない?
長い年月を経る内に、何重にも何重にも美化されていたその容姿。
栗山さんの持つその独特な雰囲気と髪型が僕にとって好ましいという事もあり、僕の記憶の中で想像以上に彼女は美化されていたのだ。
「……えっと、何ですか…………?」
ふと、我に返る。誰もいない廊下で二人きり、恐らくドアの覗き穴からは母がこちらの様子を窺っているだろう。
(!! えっ……何これ? 何この状況? 僕、告るの?)
冷や汗が、頬を伝う。
(いや……今ならまだ、“間違えました”で何とか済むかも……)
幾らなんでも失礼すぎる。却下。
(お母様にも見られちゃったし……、何にも無しで帰る訳には…………!)
滝の様に流れる汗。唇が乾き、視界が揺れる。
「あ、あの……。どうしたんですか?」
――朦朧と、朦朧と。ぼやける思考の中で、僕は、遂に口を開いた。
「僕の書いてる小説の、作画を担当してください!!」
――――。
…………? 何? 今僕何て言った?
頭の中が、真っ白になる。
(初対面で、いきなり小説の作画って…………!!)
僕はすっかり蒼褪め、左右の黒目が右往左往する。
しかし栗山さんは相対的に、声のトーンを弾ませた。
「素敵! 君が原作を書いて、私がその漫画を描く! そういう事!?」
「えっ? えっ…………ええ、そうです、そうです」
「私、漫画研究部なの! 君は?」
「…………。文芸部です。一応」
僕はこくりと頷いた。
「うわあ! じゃあ、専門家じゃない! 私一応漫画家を目指してるんだけど、話を作るのが苦手で……。誰か原作を書いてくれる人がいないかなって、むしろ探してたの!」
目元のクマを吹き飛ばす程、輝く瞳。
「………………」
「よろしくね! 一緒に頑張りましょ?」
栗山さんは俺の両手をとり、首を傾げて微笑んだ。
「――――!」
それがどうにも、可愛くて。それはやっぱり、俺の理想の栗山さんで。
「はい……。何卒、よろしくお願い致します」
第2話『才能の隆起』
栗山さんに漫画の作画を担当してもらう約束をとりつけた翌日。僕は文芸部の机に向かっていた。
「なんか、今日春原の奴気合い入ってるね」
「だな」
文芸部部長の杉長さんと、三年女子の持岡さんがはっきりと分かるくらい、この日の僕は燃えていた。
――それもその筈。一応は約束してくれたとは言え、栗山さんは僕の作品を読んだ事など無い。一度読んでもらってみて、もしもそれが酷ければ栗山さんはあっさりと作画を降りるだろう。
激しく滑るシャープペンシル、真っ黒になった右手。僕は、凄いペースで原稿用紙を埋めていく。
「お……おい春原、少し落ち着けよ」
「はい。ありがとうございます」
杉長さんの声も、耳には入っても頭にまでは届かない。僕はシャーペンの動きを緩める事は無かった。
「……聞こえてないな」
「みたいね」
――今僕が書いているのは、“週間交際”という恋愛小説。
内気で弱気な男子高校生、山内透はかれこれ五年以上も一人の先輩、砂本美雪に恋心を抱いている。
とある冬の日、大学受験を控えた美雪に“最後のチャンス”として告白する透だが、過去に恋愛事で心に傷を負った事のある先輩の答えは“私にとって、付き合うというのは重大なこと。もし仮にこの場で私が君に一目惚れしたとしても、お互いどんな人間か分からない内から付き合うという事は絶対にあり得ません”。
これで、長年の片想いが終わる。美雪は大学受験に専念し、透は新たな恋を見つけ出す。
『それは絶対に嫌だ』――。透の出した答えは、“暫く普通の先輩後輩として付き合って下さい。その上で、僕がどんな人か判断して下さい”。内気な透が、一生分の勇気を振り絞って出した条件だ。
しかし、大学受験を控えている美雪はそこまで時間に余裕がある訳ではない。そこで美雪の出した条件が、“一週間、試しに彼女になりましょう。その上で、本当に付き合うかどうか考えます”。
こうして、透と美雪の一週間限定交際が始まった。
――という、二人の一週間を描く小説。
程よく文芸向きで、程よくライト。僕は正直、少しこの作品に手応えを感じていた。
「……持岡お前、春原の小説読んだ事あるか?」
「何度か」
「どう思う」
「……う〜ん。もうひとつ」
持岡は人差し指を唇に当てた。
「俺もそう思う。恐らくそれなりにセンスはあるんだろうが、いかんせん全体的に荒すぎる。展開が単調になってしまいがちだし、何より文法的な粗さがまだまだ目立つ。――まあ文章力については、奴の集中力の無さが原因ぽいが…………」
杉長は物惜しそうに溜息をついた。
「できた!!」
僕は完成原稿を掲げた。それとほぼ同時に、斜め前に座っていた部員、前川も椅子を立つ。
「僕も出来ました」
「お。見せてみろ」
杉長さんが右手で手招きし、僕と前川は杉長さんの所へと原稿を持って行く。
「お疲れ」
僕らは杉長さんに原稿を手渡すと、元の席へと戻る。
「………………」
(……正直、これが一番キツイんだよなあ〜)
杉長さんに作品を読まれるのは、とても緊張する。眼鏡の奥の鋭い瞳、今にも罵声が飛んできそうな口元。僕は、手に汗を握りながら杉長さんの評価を待った。
――五分程して、杉長さんが片方の原稿を掲げる。
「おい春原〜。お前これ、前言った事全然直ってねーじゃねーか。文章は荒いし、話の作りも甘すぎる」
「え、ええ?」
僕は、思わず立ち上がった。
(…………そんな。今回は自信があったのに……)
「お前はまだまだだな」
杉長さんは続きのページに目を通しながらそう言った。恐らくまだ途中なのだろう。にも関わらずこんな事を言われるというのは、序盤を読んだだけで相当酷い出来だという事だ。
「………………」
一気に執筆した疲れと、自分なりに自信のあった作品を悪く言われたショックで僕は鞄を持ち上げた。
「すいません、今日はとりあえず上がります」
「おう。今回はお前気合い入ってたからな。帰って休め。まあ見所が無い訳でもないし、次回また頑張れ。とりあえずちゃんとした評価は明日話すから」
「はい」
僕は杉長さんの目を見ずに返事をして、文芸部を出た。
「は〜……、正直ショック」
家。僕はベッドに体を投げた。
(……あの栗山さんに作画をしてもらうんだから、僕が足を引っ張る訳にはいかない……。栗山さん自身も、漫画家になりたいんだ)
「………………」
気が付けば、右手に力が入っていた。
「くそーっ!! とにかく書くのみ!! 打倒杉長部長!!」
僕はベッドから飛び降り、机に向かった。
***
「……これ、凄く良いんじゃない?」
夜七時、文芸部室。持岡は感心した様に唸った。
「おお、前川の作品か。あいつも最近イマイチだと思ってたが、今回は頑張ったな。今までと比べて格段に良くなってる」
杉長も嬉しそうに原稿を眺める。
「いや、これ良いわよ……本当に。私も負けてらんないわ」
「まったくその通りだぞ。お前、前回の作品展の結果酷かったからな」
「う……」
持川は気まずそうに視線を逸らした。
「お疲れでーす」
前川が杉長の前を通り、部室から出ようとする。
「お、前川待て。これ読んだから、持って帰れ」
「あっ、ありがとうございます」
「凄く良かったぞ。この調子で頑張れ。お前も、詳しい話や推敲は明日するからこの原稿また明日持ってこいよ」
そう言って杉長は原稿を手渡した。
「はい」
「あ……でもお前、なんか字下手になったか?」
「はい?」
前川の身に覚えは無く、聞き返した。
「いや……なんか今回随分字が荒れてたからな。まあ、どうせ後で清書するから良いんだが」
「はあ……」
前川は困った様に原稿用紙をパラパラと捲った。
「あ」
「どうした?」
「これ……多分春原の原稿ですよ。部長に渡す時に入れ替わったんじゃないですか?」
杉長と持岡は、お互いの目を見合った。
「それにしても……アイツ今回そんなに良かったんですか? 俺も読んでみたいんで、今日これ家に持って帰っても良いですか?」
――杉長と持岡は、原稿を渡されてからの会話や出来事を何度も何度も振り返っていた。
第3話『構成力とストーリー』
翌日――。俺は杉長さんから昨日の事の顛末を聞き、正しい評価をしてもらった。
ウチの文芸部では、完成した作品は部長らを中心に色々な観点から五段階評価を付けられる。顧問の先生は殆ど部に顔を出さないので、その役割は専ら杉長さん、持岡さん、岸和さんらが請け負っている。
今回の僕の作品“週間交際”には、ストーリー、独創性、文章力など高評価の“4”がついた。
(やった!)
僕は、評価の紙を見ながら鼻高々に笑った。この評価方式は五段階評価と銘打ってはいるが、“5”がつくというのは“それ以上無い”という事で、それは杉長さんの指導方針に反するらしく、僕らが実際に目にするのはほとんどが“4”までだ。つまり、今回のこの僕の評価はかなり高い位置にいるという事になる。
僕は新たな原稿用紙に向かい、気分良くシャープペンシルを動かした。
「そう言えば春原、お前コンクールに出展するよな? あとお前だけなんだが」
杉長さんが右手のパンフレットをパタパタと叩きながら言った。
(ああ、もうそんな時期か)
“全国中学校文芸コンクール”。小説家を志す者ならば誰もがその大賞を夢に見る、中学生文芸の一大コンクールだ。僕らの部活でも、皆このコンクールを目標に日々切磋琢磨している。
(微妙なんだよなー……。僕は文芸部員って言っても漫画家志望だし、そんなガチガチに文芸向きの作品書いてもなあ)
漫画の原作用に書いた作品と文芸コンクールに出展する様な作品とでは、趣が大きく変わってくる。僕は少し迷った。
「……まあ、まだ時間はあるしゆっくり考えとけ。なんならコレを清書して投稿しても良いしな」
「はい」
杉長さんは、“週間交際”の原稿をヒラヒラとなびかせてそう言った。
***
――栗山さんに作画を担当してもらうとあっては、時間はいくらあっても足りない。その週の土曜日、僕は図書館にやってきた。
高い天井まで吹き抜けた広々とした空間、雑音の無い静かな空気。作品を書くには最適だ。僕は数冊の小説と原稿用紙を持ち、空いている椅子に座った。
――高く積み上げられた本、何十枚という原稿用紙。斜め前の椅子に座った男は、僕と同じ様に原稿用紙に向かっていた。
「――――――」
思わず眺めてしまっていると、男はこちらに気付き目が合った。
「あっ……き、君も、小説書いてるの?」
僕は自分の原稿用紙を指差して言った。
「うん。キミも?」
その男は明るく微笑んだ。整った顔立ち、真っ直ぐな髪の毛。鋭い瞳も、笑った時には優しさを帯びる。
「うん。――って、あれ? それ漫画?」
僕は、目の前に積みあがった本を指差した。
「ああ、そうだよ。僕、将来は漫画家を目指してるんだ」
「えっ、ほんと!?」
思わず声が大きくなる。男は驚いた様に目を丸くした。
「う……、うん」
「僕もだよ! 僕も、漫画家を目指してるんだ」
「えっ!?」
男も自然と声が大きくなった。
「うわーっ、奇遇だなあ! じゃあ、キミもコンクールに向けて?」
「あっ……いや、多分僕はコンクールには出さないんだけど」
「そうなの? なんで?」
「なんでって……やっぱり、漫画って“ストーリー”と“絵”じゃん。小説を書く練習の場として文芸部には入ってるけど、文芸作品にはあまり興味無いんだよなあ。漫画家目指すにはあんま必要無いし」
それを聞いて、彼は笑った。
「そんな事ないよ? ちょっと、これ見てみて」
積み上がった漫画の一番下から一冊を取り出す。
「何コレ。『赤い白井さん』?」
「うん。砂木って人の作品で、結構人気あるんだけど」
「ふーん……」
僕はパラパラとページを捲った。
「コミックスの売上げも良いし、連載してる雑誌では人気もかなり上の方にある。……だけどその漫画、他と比べてストーリーが抜きん出てるとは思えないんだ」
「え?」
「ちょっと読んでみてもらうと分かるんだけど、別に主人公が個性的な訳でもなく、派手なストーリー展開がある訳でもない。言い方は悪いけど、多分相当地味な話だよ」
「えっ……でも、人気あるんだよね」
「そう……。話も画力も平坦だけど、その作者、話の構成と展開力がズバ抜けてるんだ。多分、ボクがこれまでに読んだ漫画の中じゃダントツ。結論だけ聞けば何て事無い様な話も、その作者の手に掛かれば魔法の様に面白くなってしまう。だからこうやって、ボクも必死で参考にしようとしてるんだけど」
積み上がった漫画に目をやって、気恥ずかしそうに笑った。どうやら、これが全部『赤い白井さん』らしい。
「つまり……、“普通の話”も展開力と構成力次第で“面白い話”になるんだ。ならもしも自分がしっかりとした展開力と構成力を持ってれば、“面白い話”は“物凄く面白い話”になる…………。そう思わない?」
僕の目から、鱗が落ちた。
「うおーっ!! それ、それスゴイよ!! 君の言う通りだ! うわーっ、構成バンザーイ!!」
僕は両手を上げて騒いだ。
「うるせーぞバカヤロー!!」
少し離れた所に座っている男の人に怒鳴られた。僕達は声量を極端に下げ、顔を寄せ合った。
「僕……文芸コンクールに出る! それで、ゼッタイ大賞をとる!」
「ハハッ、ほんと? ボクも負けてられないな」
その男は爽やかに笑った。
「僕は春原墨也。君は?」
「一条新歩。よろしく」
「よろしく!」
そしてその日、僕と一条は日が暮れるまで作品を書き続けた。
第4話『鋭気隆々』
図書館に通い出す様になって一週間。僕は毎日一条と共に作品を書き続け、文芸作品としての構成、展開、登場人物の心理描写等、とにかく片っ端から学んだ。
今までこんなに真剣に執筆に取り組んだ事なんか無い。栗山さんの事を思うと、その気が無くてもやる気が沸き立つ。
そして翌週の土曜日、その栗山さんからメールが届いた。
From:栗山梨穂子
Subtitle:(non title)
Text:道の絵画コンクールで賞をとる事ができました。市営ホールで展示されるんだけど、見にきてくれたら嬉しいな。
(! コンクール入賞!?)
僕は間髪入れずに返事を書いた。
To:栗山梨穂子
Subtitle:Re:
Text:本当ですか!? おめでとうございます! 絶対見にいきます!
From:栗山利穂子
Sub:Re:Re:
Text:あっ……、忙しかったら無理しないでね?? もし都合が悪かったら、今度写真送るから(汗)
(可愛い……)
やっぱり、栗山さんの性格は僕にとってドストライクなんだ。僕は思わず携帯を抱きかかえた。
――翌日、僕は市営ホールへと足を運ぶ。玄関には“平成二十年度北海道絵画コンクール”という大仰な文字が佇み、このコンクールの規模の程度を僕に感じさせた。
中には割と人がいるにも関わらず雑音や雑談は殆ど無く、静かな空気だけが流れる。
一枚一枚、絵とその受賞者の名前を確認しながら奥へと進むと、緊張感ともとれる様なものがほのかに漂ってきた。
――更にもう少し進んだ広い壁、二枚の絵画に挟まれ、それはあった。
金賞『天真爛漫婦人』栗山 梨穂子
――写真が飾られているのかと錯覚するかの様な臨場感。艶やかな色遣い、柔らかなタッチ。おおよそ、真っ黒なワンピースには不釣合いな程の満面の笑みが、僕を無理矢理にでも惹き入れる。
――――――。
僕は言葉を失う。
(これが……栗山さんの……)
本当に、鳥肌が立った。握った右手には自然と力が入り、はからずも笑みが零れた。
(……図書館に行こう)
心の底から気合いが沸き立ち、僕は出口へと向かう。その途中に並ぶ他の絵になど目もくれず、栗山さんの描いたあの絵だけが頭の中を埋め尽くしていた。
――図書館を出ようとすると、長机の上の色々なコンクールのパンフレットやチラシが目に入った。吹奏楽、放送、写真――。僕は文芸コンクールのパンフレットを一部とり、ページを開く。
中には応募要綱、文芸作品の書き方、過去の受賞者など形式的な内容が並び、僕はなんとなく過去の受賞者のページを開いてみた。
平成十九年度 入選『光の道』一条 新歩
(一条!!? まさか――!)
堂々と並ぶ入選者の名前。それは何回確認しても、一条のものだった。
(…………! そんな……)
驚きと、焦燥感と。不思議な感情が混ざり合い、それは不安として僕を包み込んだ。
***
「あ、春原くん!」
僕が図書館に行くと、一条はもう机に向かってシャーペンを走らせていた。
(…………)
僕は黙ってその正面に座る。
「今日はちょっと遅かったね。来ないかと思ったよ」
「…………」
一条の言葉に返事を返す事もなく、僕は考え込んだ。
(一条……。一条も漫画家を目指してるらしいが、こいつは絵を描けるのか……? ――もし、一条も作画を担当してくれる人を探しているなら……。もしも一条が栗山さんに目をつけたら……)
僕が、一体栗山さんの何だと言うんだ。ただの口約束だけで繋がった、僕の作品を読んでもらった事も無い様な薄い関係。文芸コンクールに入選する様な奴も作画の担当を探しているとなったら、間違いなく栗山さんは一条を選ぶ――。
「春原くん?」
黙ったままの僕に、一条は不思議な顔をした。
「ごめん……今日は帰るよ」
「えっ……?」
「……次ここに来るのは、文芸コンクールで入選した後だ」
「…………?」
一条は、戸惑った顔で僕を見ていた。
「一条……。お前には絶対に負けない」
2008/12/11(Thu)23:35:29 公開 /
工藤 円
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