『目の家の偉大なる魔法使い』 ... ジャンル:ファンタジー 恋愛小説
作者:河鳥亭
あらすじ・作品紹介
婚礼前夜に失踪した王子を探すため、許嫁の姫は老いた魔法使いの家政婦に。しかし魔法使いとの七年の暮らしと旅のなかで、次第に大切なものを見いだしていく。魔法の国の女王に会い、ついに王子を見つける手がかりを得るが……。翻訳された外国の童話のような、古めかしくて新しい恋愛叙事詩。
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目の家の偉大なる魔法使い
昔むかし、いくらくらい昔かというと、なんでも人々がまだ魔法の力をなかば信じていたころのお話です。
どこかの国のまだお若い王子さまが、いよいよ明日、ご婚礼だという晩になって、人知れず、お城を出ていったことがありました。お父さまの王さまも、お母さまのお后も、お城の多くの家来たちも、それからもちろんご結婚なさることになっていたべつのお国のお姫さまも、その行き先はもちろん、いつのまに、どうして出ていったのか、まるで知らないありさまでしたので、お城も街も、国中の津々浦々まで、それはそれは大騒ぎになったものです。
みんなは王子さまをさがしましたが、見つからず、王さまは王子さまやその手がかりを見つけだした者には莫大なごほうびを出すことを約束しました。それでも王子が見つかりませんでしたので、ついにお姫さまはお国に帰されてしまいましたし、お后さまは病気になって寝込んでしまいました。それから王子さまにはお兄さまが一人ありましたから、お世継ぎの心配もなく、みんなもしだいに忘れていって、幾年月もが過ぎていきました。
ところがお国に帰った例のお姫さまは、王子さまのことをお忘れになってはいず、どうしても探しにいきたいといってききません。お母さまのお后は、そうした姫の気持ちを察して、いっしょに王さまにお願いしてくださいました。王さまは、結婚相手ならむこうのほうからいくらでも求婚にくるから、そのなかから選んだらいいといいましたが、姫もなかなか強情で、わたしはあの王子さまとでなければ結婚しませんと一点張り。二人ともゆずりません。お后が、王さまにそっと耳打ちして、姫に見つからないよう護衛の者にこっそり見張りをさせましょうといいました。それでお父さまの王さまもようやく姫の旅立ちをお許しになり、お姫さまは何も知らず、一人で王子を探す旅に出たのであります。姫がどこへ行っても、見張りがいるなど気づくはずもありません。お后がつけた護衛の者というのは、魔法の力をもった一匹の黒犬と、一羽のカラスだったのです。
†
お姫さまは目立たない格好をして国を出、汽車に乗って王子さまの国の都にやってくると、休む間もなく、ご婚礼の前に一度だけお会いした王子さまの姿を思いうかべながら街の中をそぞろ歩きましたが、みんながさんざ探して見つからなかったものがおいそれと見つかるはずもなく、途方に暮れてしまいました。それでいよいよ歩くのはおろか立っているのもしんどくなって、どこかの小さな横丁で石段の上に腰かけておりましたら、すぐそばの小さな洋服屋の娘たちが、何やら紙切れを見ながらやいのやいのと騒いでおります。娘たちの話しのなかからふと、「魔法」だの「願いを叶える」だのという言葉がきかれたので、姫は何かの助けになりはしないかと、そのチラシを見せてもらいました。
「求む 家政婦
仕事内容 身の回りの世話など
報酬 願い事なんでも一つ
目の家の偉大なる魔法使い」
それを読んでいると、娘の一人が姫に言いました。
「ねぇ、おねえさん、やめといたほうがいいわよ。その目の家の魔法使いってのはあんまり評判が良くないの。しょっちゅう家政婦を募集してるのは、すぐにやめてしまうから」
すると別の娘が言いました。
「もうだいぶ年寄りなんだから。仕事といったって、早い話、老人の世話よ。そのくせ本人は夜遊びばかりしてるっていうわ。街に遊びにくるときは若い色男に化けてるそうよ」
また別の娘が言いました。
「あらあたし、化けててもなんでも若い色男でおまけに魔法もつかえるんなら、ついてっちゃうなあ。家政婦になってお金持ちにしてもらうのも悪かないわねえ」
「馬鹿ねえ、願い事なんでも叶えてくれるわけなんかないじゃない。そんなことができるなら、魔法使いなんか今頃この世の大王さまになってるわ」
「あたしだったらそんな目立つことしないで遠いところで好きな人と毎日優雅に過ごしたいわあ」
それもそうねえなどといって娘たちが笑っているうちに、お姫さまはチラシを握りしめて小走りにその場を去っていきました。
姫はチラシにかかれた簡単な地図をもとに魔法使いのいるという「目の家」を探しました。夕暮れどきになって、それらしい町はずれに、窓に目の形の枠がついた家を見つけました。姫がドアベルを鳴らすと、入りなさいという声が聞こえましたので、中に入ってみましたら、家の造りこそ立派なものではありましたが、その汚れていること、ちらかっていることといったら、蛙や虫でさえ住めるかどうかわかりません。
姫のうしろでドアが勝手にばたんと閉まると、ゆるやかな螺旋状の階段を、老人がランプをもって降りてきました。姫が、チラシを見てここへきました、家事でもなんでもやりますから、願いを一つ叶えてください、私はある人を探していますと事情をいいますと、魔法使いの老人は姫に近づいてきて、くんくんと匂いをかぎはじめました。見れば、老人の目は閉じたままです。
「おもてにいる動物たちはお前の連れかね」と魔法使いはたずねました。姫はなんのことか知らないと答えました。すると老人はそれならいいと言って適当な箱の上に腰かけ、姫にはそこへ掛けろとだけいいました。するといつのまにか姫のうしろにはちょうど都合よく木の椅子が置いてあって、腰かけることができるようになっていました。
姫は、自分はどこそこの国の姫で、結婚の約束をしていたのに婚礼前夜になってとつぜん消えてしまったこの国の王子さまを探しており、見つけるためならどんなことでもしますと言いました。魔法使いは「お前さまの身の上などしらんが、雇ってやる」と言って、たばこをふかしはじめました。
老人が言うには、仕事は家事ぜんぶ、それも週に三日、土曜日と日曜日と月曜日だけ、家事の合間に魔法の勉強に励むこと、ただし火曜日から木曜日は町に働きにいって生活費を稼いでくること、金曜日は自分の帰りを家で待つ、ようするに、毎日働かなくてはならないのです。お姫さまはいつまでそれを続けたら願いを叶えてくれるのか、ききました。
「七年だ」と、魔法使いは言いました。
「七年ですって! あてがはずれたわ。頼む相手をまちがえました。失礼します」
姫が帰ろうとすると、魔法使いはこれを呼びとめました。
「好きにするがいい。ただしお前さまの探している王子というのは、とてつもなく強力な魔法の呪いで守られている。人さがしの魔法で見つけだそうにも呪いが邪魔をして効き目がない。もしもお前さまが他人ばかりあてにせず自分も精一杯のことをして目的を果たしたいと望むなら、私も魔法使いとしての最後の一仕事としてその呪いを解くための魔法を探してやろう。どうだ、年寄りがここまで言うのだから聞いてみる気はないか。お前さまにはまだいくらでも時間があろう」
老人の世話をすることで王子さまが見つかるとはとても思われませんでしたが、どうもこの老人の言っていることが本当に思われましたし、今はこの魔法使いのほかに頼れるものもありませんでしたから、姫は承知して、ここで働くことに決めたのであります。
†
さて、お姫さまが世話をすることになったこの老いた盲目の魔法使いというのは、噂どおりのたいへんな遊び人でありました。この老人の日々といったら、こんなふうです。
・ 土曜、部屋にとじこもっている。
・ 日曜、まだ部屋にとじこもっている。
・ 月曜、やっぱり部屋にとじこもっている。
・ 火曜、若者に化けて街へ遊びにいく。
・ 水曜、一日じゅう博打をしている。
・ 木曜、昼間から酒場で酒を飲んでいる。
・ 金曜、自転車で小旅行に出かける。
だいたい、火曜から金曜の明け方までは家に帰らず、仮の姿で街のどこかしらにおり、たいていはどこかの娘を連れて歩いておりました。そうやって、さんざ遊んで帰ってきても、金曜日の昼には起きて、けろりとした顔で自転車に乗って、山や川や湖や森など、人気のない美しい場所へ出かけるのです。夜には家に帰ってきて、翌日からは三日三晩、飲まず食わずで部屋にとじこもりっきりでしたが、そのとき老人が何をしているのかは、姫にもまるでわかりませんでした。
ところで姫はというと、魔法使いが家にいるときはいつも掃除に追われていました。一階には姫しかおりませんし、魔法使いは二階の部屋にこもっておりましたが、どうしたわけか、少し目を離すと一階もふくめて家中がちらかってしまうのです。どこからともなく増えるゴミや本や道具や、何に使うかわからない人形や誰のものかわからない服を片づけることが、姫の仕事の大半でした。魔法使いが街に遊びにいっている火曜日から木曜日は姫も町へ行って、いつぞやの横丁の洋服屋で売り子として働いておりました。もちろん、魔法使いの家政婦が外で働くのは変だと思いましたが、老人に言わせると、私はお前の生活費まで面倒を見るとは言っていない、しまいに願いを一つ叶えると言っただけだ、というのです。姫は仕方なくこうした生活を続けておりましたが、どうも自分が働いているのはこの老人の遊ぶ金を稼ぐためだという気がしてなりませんでした。
ある金曜日の朝でしたが、いつものようにお姫さまがパンと目玉焼きの朝ごはんを食べているところへ、珍しく早起きしたのか、それとも一睡もしていないのか、魔法使いが降りてきて、自分にも朝飯を食わせろと言います。言うとおりにして二人で食事をすると、目の家の魔法使いは、こんどは、お前にプレゼントがあるといって姫を表に連れ出し、魔法使いがいつも毎金曜に乗っているのと色違いの自転車を一台、姫にくれました。
「今日からはお前さんも私といっしょに来なさい」
姫は本当に珍しいことと思いましたが、町での仕事と家での家事との毎日に一つでも新しいことが加わるし、魔法使いがいつも話してくれる美しい場所を自分も訪れることができるし、そもそもこの遊び人が夜の街の女ではなく自分にプレゼントをくれること、それもおそろいの自転車をくれるというので、なんだかやけに嬉しく、喜んでこの贈り物を受けとることにしました。
「どうした風の吹き回しかしら」
「日頃の感謝さ。それから私もまぶたの開かないこの目だろう、不自由はないが、お前さんの目で見た景色を教えてもらうのも悪くないと思ってね」
それから毎週金曜日には、姫は魔法使いとともに、自転車であちこちの美しい山や川や土手や湖や海辺や古い村やなんにもない野原などへ行きました。魔法使いはそうした場所へ行きながら、姫に魔法の使いかたを少しずつ教えていきましたし、姫も仕事の合間に勉強を熱心にいたしましたので、明かりをともしたり、ひと吹きの風を呼んだり、水脈を当てたり、小石をどうにか生き物の姿らしいものに変えたりと、ほんのわずかではあっても簡単な魔法をつかえるようになりました。あるとき、姫は魔法使いに、どうして魔法がつかえるのに自転車なぞに乗るのか、たずねました。すると年寄りの魔法使いはにこにこして「そのほうが健康にいいから」と答えたものです。
†
そうこうして、姫は目の家の魔法使いのことを悪くは思わずに、毎日せっせと働いて過ごしておりましたが、それがいったい何になるというのでしょう。魔法使いはいっこうに遊びをやめず、王子の呪いを破る魔法を探しているのかどうかもわからず、そもそも王子が呪われているなどという話が嘘かまことかもわからず、生きているかどうかすらわからず、自分が何のために生きているのかもわからずで、姫の心配は日に日に募るばかり。魔法使いの家に来てから、いつのまにか六年あまりの時が過ぎておりました。
姫はある晩、思い切って魔法使いに、あと一年たらずで本当に王子を見つけられるのかとたずねました。すると魔法使いは、私は呪いを解く魔法を探してやると言ったのだ、王子を見つけてやるとは言っておらんなどと憎らしい弁明をいたしましたので、姫も負けずに、それなら自分で探すから人さがしの魔法を教えてくれと頼みました。そんなものお前にはまだ早すぎると魔法使いは言います。すると姫は、もう頼まない、町で評判のいい別の魔法使いに頼みにいくと言いだしました。
「同じことだ」と老人は落ち着いて言いました。「この国でいちばんの魔法使いは私だ。王子にかけられた呪いは誰にも解けやせん」
「それならあなたに解けるとも限らないわ」
「お前さまは何かと言えば他人をあてにしすぎる。といって、うまくいかなければ人のせいにする。お前さまには王子は見つけられんだろうよ」
「なによ、おいぼれのスケベ爺! 人に説教するなんて、図々しいったらないわ。もう誰にも頼みません。わたし一人で探します」
これだけ言うと、姫は夜だというのに一人で家を飛び出していってしまいました。
といって、あてがありませんから、いつも働いている洋服屋の前あたりをうろうろしておりましたら、親切な言葉遣いの二人組の男につかまって、自分たちの社長は実は困っている人をほうっておけない魔法使いだから、いっしょに来なさいということで、あれよあれよというまに狭い階段をおりて地下の部屋に連れていかれてしまいました。
こざっぱりした明るい部屋には男たちが社長と呼んでいる中年の女がいて、きれいなソファに姫を座らせると、自分たちは万人が幸せになるための活動をしているボランティア団体で、会員になればどんな目的でも果たせるだけのお金が手に入るなどと言います。姫は目の家の魔法使いのおかげで人の嘘を見抜く術を心得ていましたので、この魔女がとてつもなく悲しい嘘をついているのがすぐにわかりました。
「あなたの言っていることは嘘です」
「最初はそう思う人もいるのよ。でも曇りのない素直な目で見ればわかるはず。今の世界にはお金が有り余っているのよ。それをうまく利用して、弱者である私たちがみんなで富と幸せを分かち合えるなら、こんなに素晴らしいことは他にないじゃない」
「働きもしないでお金を手に入れるなんて、おかしいわ。どこかで自分の知らない誰かが自分のぶんまで働かされていることに、あなたは気づいていない、それどころか自分が嘘をついて本当に弱い人々を困らせていることに気づいていないのよ」
「あなた、一体ここへ何しにきたの」
「こっちが聞きたいわ」
姫はさっきの男たちが妙な動きをとりはじめたのを横目で見てこわくなりましたので、部屋を出ていこうとしました。男たちは追いかけてきましたが、そこへ黒い犬が現れて、吠えたりかみつこうとしたりしますし、カラスが現れて騒いだりつついたりしますので、たまらず姫をとり逃がしてしまいました。ところが例の魔女は犬もカラスもまるでおそれず、魔法の杖で追い払ってしまいます。あっというまに姫に追いついて、金縛りの術をかけてしましました。
「悪く思わないでね。あなたみたいに活動の妨げになる人はこうするしかないのよ。大丈夫、ほんの少しだけ記憶を消すだけだから」
女は姫の額に手をあて、魔法の言葉をとなえはじめました。姫は身動きがとれず、お后に遣わされた黒犬もカラスも、はなれたところから吠えたり鳴いたりするほかに為す術もありません。
そこへ、ものすごい速さで路地を縫うように大きな光の玉が飛んできて、魔女をひっつらまえ、遠くの煙突の上へ吹き飛ばしてしまいました。それからすぐに光の玉は、金縛りの解けた姫のもとへ帰ってきました。光がおさまると、目の家の魔法使いが立っておりました。魔法使いは姫を抱きおこし、いいました。
「どうしても王子に会いたいかね」
「会いたいです」
「大事なものを失うことになっても、会いたいかね」
「ひとときでもおそばにいられるのなら、かまいません」
「よかろう。お前さまの気持ちはよくわかったよ。私はこれから魔法の女王の国へ旅に出る。私に魔法を教えたふるさとだ。汽車も車も自転車すらもない旅になるが、一年もかかるまい。共に来なさい。魔法の国の女王に聞けば、王子の呪いを解く魔法の手がかりが見つかるだろう」
こうして翌朝、二人は旅に必要なものをそろえ、都をあとにしました。そのとき、例の黒い犬もカラスも姫を追ってついてこようとしましたが、魔法使いはこの動物たちに言いました。
「もうお前たちはふるさとにおかえり。姫はひとりで行かねばならない」
すると二匹の動物はその場にとどまり、姫たちを追ってこようとはしませんでした。
†
姫は、年寄りで盲目の魔法使いとともに歩いて旅をつづけましたが、そのうち、小さな村にやってきました。その村の人々はどうしたわけか、みなたいへん貧しいのです。そこで、姫は持っているかぎりの金を村人たちに与えてしまいました。また、みんなで働けば売り物になるようなものが作れるし、若ければ都へ行って仕事をすることもできると教えてやりました。村人たちは、そんなことはこれまでついぞ思いつきもしなかった、あなたはすばらしい知恵をお持ちだなどと、とても感激して、しばらく村にとどまってほしいと姫にお願いしました。けれども姫はそれを重ね重ね断って、旅をつづけました。
しばらく旅をすると、また小さな村にやってきました。その村の人々は、どうしたわけか、いつも寒さにふるえ、身を寄せあって暮らしているのです。そこで、姫はせっかく背負ってきた毛布を生まれたばかりの赤ん坊のいる家族に与えたり、持ってきていた服をほとんど人に与えもし、暖炉をこしらえて薪を燃やし、暖をとることを教えました。村人たちは、毛布の使い道や暖の取りかたなどこれまでついぞ思いつきもしなかった、あなたはすばらしい知恵をお持ちだなどと、やはりとても感激して、やはりしばらく村にとどまってほしいとお願いしましたが、姫はこれを丁寧に断り、旅を続けることにしました。魔法使いは、毛布をやってしまってよいのかと姫にたずねましたが、姫は、そのほうが荷が軽くなりますといって笑いました。
また何日も歩くと、別の村にやってきました。その村の人々は、どうしたわけか、暑いのに水ものまず、のどの渇きにもだえて暮らしているのです。そこで、姫は持っていた革袋の水を少しずつ村人に与え、水脈をあてる魔法をつかい、ここに井戸を掘ってみればよいと教えました。村人たちは言われたとおりにどうにか井戸らしいものをこしらえて、ほんの少しばかりずつ湧き出る水を見て、あなたはすばらしい知恵をお持ちだなどと、とても感激して、しばらく村にとどまってほしいとお願いしましたが、やはり姫は先へ急がなければなりませんでしたので、村人たちの申し出を断って、旅をつづけました。
姫と魔法使いが旅をつづけますと、また小さな村にやってきました。ところがその村の人々はどうしたわけか、みなことごとく、何かの病気にかかっているのです。それというのも、この村には工場があって、人間に必要なものは何でも土や水や空気から作り出すことができ、昼でも夜でも、食べたいものは好きなものを好きなときに好きなだけこしらえて食べているせいで、人間がおかしな病気にかかってしまっていたのです。それから薬も同じように作っていましたから、病気が一つ治っても別の病気にかかるといったふうで、ちっともよくならないのです。
そこで、姫はいざというとき自分たちのために用意してきた薬草で薬やお茶を作り、村人たちに分け与えてやりました。するとたいていの病気は一晩でよくなりました。それから姫は、畑仕事で拵えた作物を毎日決まった時に食べることや、昼間は働いて夜は寝ることや、病気や怪我に効く草や木の実や根っこなど、魔法使いの家で学んだことを教えました。すると村人たちは、あなたはすばらしい知恵をお持ちだといって感激し、姫にしばらくとどまってほしいとお願いしましたが、姫はどうしてもと断って旅を続けました。
二人が先へ進むと、また小さな村にやってきました。その村の人々は、どうしたわけか皆、心に傷を負っており、ある者は悲しみにふさぎ、ある者は何かといえば人を罵り、ある者は生きることが不安でたまらず、ある者は自ら体を傷つけもし、ある者は人を傷つけもし、またある者は数人で連れだって部屋にこもり炭を炊いて息をつまらせ死んでいきました。
姫はもう村人たちに与えるものを何ももっていませんでしたが、何日か村にとどまり、家々を一軒ずつ訪ね歩いては、一人びとり、悲しみや不安や恐怖について語るのを、ただ黙ってひたすら聞き続けてやりました。みな口々に、生きることはくだらないとか、つまらないとか、意味がないとか言っておりましたので、それは間違いだ、生きることはすばらしく、誰でも強く明るく楽しく生きることができると力強く訴えましたし、楽しい話しをたくさんして人々を笑わせてもやりました。
すると村人たちは、あなたはすばらしい知恵をお持ちだといってとても感激し、やはり姫にしばらくとどまってほしいとお願いしましたが、姫は自分にはやりとげなければならないことがあると言って、村人たちに別れを告げ、旅をつづけました。
またしばらく行くと、もう一つ、小さな村にやってきました。その村の人々は、どうしたわけか、そろいもそろって年寄りばかり。いちばん若くても九十歳で、みんなでほそぼそと働きながら、どうにかこうにか食いつないでおりましたが、二日にいっぺんは葬式の野辺送りをしているありさまで、村そのものがなくなるのも、そう先のことでもないという村でした。
姫はどうしてもこの村人たちを見捨てるわけにはいかず、最後のときまでとどまりたいと魔法使いにお願いしました。魔法使いは先へ行こうとなだめましたが、姫がこればかりはほうっておかれない、わたしの最後のわがままだと思ってつきあってほしいと頼みますので、いっしょにとどまることにしました。姫は年寄りたちのために毎日身を粉にして働いたり、話し相手になって暮らしていましたが、それでも彼らは寿命らしく、やはり一日か二日に一人ずつ、静かに息をひきとっていくのです。この村の葬式はお祭りのように楽しいものでした。
そうしてしまいには九十のおじいさんだけがひとり残りましたが、そのおじいさんにもすぐにお迎えがやってまいりました。臨終の際、おじいさんは姫たちにようやく村の秘密を話しました。 「この村が年寄りばかりになったのには、わけがある。昔、わしたちがまだ若く働きがいのあったころ、大人がわけもなく幼い子どもたちを殺してしまう事件が相次いだ。他人だけではない、実の親が子どもを殺してしまうこともあれば、子どもが子どもを殺す事件もあった。それで、子どもを生もうとする大人は減りつづけ、ついには誰も子どもを生まなくなってしまった。そのうち、大人たちはみんな年をとって、子どもを作れなくなった。それがわしたちだ。お若い方々、いろいろありがとうよ。わしらのようになってはいけない。勇気をもってたくさんの子どもをこしらえなさいな。みんなで助けあえば、子育ては楽しいもんだよ」
姫が老人の最後を涙ながらに看取って、ふと魔法使いを見ると、盲目の魔法使いはいつのまに変身の術をつかったのか、若者のようなきれいな顔をしております。
「こんなときによくふざけたことを」
「どうした、私の顔に何か」
「都の女の子たちの前でもあるまいし、若いふりなんかしなくてもよいではないの」
「私の顔は、若いかね」
「どうぞご自分におたずねくださいな」
二人は最後の老人のために今までどおりの葬式を済ませ、村をあとにしました。
魔法使いの話では、魔法の国まであと少しというところでしたが、もうひとつだけ岩山の峠を越えなければなりませんでした。峠の手前にはまたも小さな村がありました。この村ときたらどうしたわけか、どこもかしこも家々は崩れていますし、人っ子一人、狐の子一匹見あたりません。それでも日暮れも近いので、どうにか雨風のしのげそうな寺を見つけて、そこで寝泊まりすることにしました。
ところがこの村というのはじつは方々の死者たちがさまよい集まる場所でした。死者の霊たちは寺の中に生きた人間がいるのを見つけると、戸をがたがたゆらしたり、天井から小石を落としたり、茶碗や鏡を投げ飛ばしたりして騒ぎたてたものです。姫は物音に目を覚ましましたが、何かが体の上にのっているようで、身動きがとれません。横目で魔法使いを見ると、魔法使いも起きているらしく、何やら魔法の言葉をつぶやいています。それから魔法使いは両腕を突き出して自分の上にいた何者かをつきとばしたようでした。魔法使いは姫の上にのりかかっている霊も追い払ってしまうと、面倒くさそうにため息をついて言いました。
「まったく、とんでもないところで休んでしまった。ここは死者たちの集まる村だ。生きた人間がやってくると、自分たちの不幸な死に様を見せびらかしに集まってくる。話しにならない相手と見ると、追い返したり、殺してしまうこともあるようだよ」
「どうして誰も供養してくれないの」
「相手は一人や二人ではないのだ。お前、ここにとどまろうというのかね」
「わたしがみんな供養するわ」
「死者たちはお前の体をかりて語ろうとするだろう。とてもお前ひとりで手に負える数ではない」
「かまいません、やらせてください」
「まったく、とんでもない連れととんでもないところへ来てしまった。仕方がない。ついてきなさい」
魔法使いは小川のほとりに姫を連れていきました。そこで死者を一人ずつ呼び寄せ、姫の口をとおして死の不幸を語らせました。老いて死んだ者も、若くして死んだ者も、幼くして死んだ者もありました。殺された者も、自ら命を絶った者も、戦争で亡くなった者もありました。死んでから何百年たった者も、まだ死んだことがわかっていない者もありました。魔法使いは死者に死のいきさつなどを語らせると、魂を平安に導く言葉を与え、鳥をかたどった紙きれにその霊を託して川に流してやりましたし、そのたびごとに石を積み上げていきました。
弔いの儀式はそれから何日ものあいだ、夜ごと、明け方まで続きました。さいごに、子を身ごもったまま毒を飲んで果てた女の霊を慰め、川に流し、石を積んで仕事を終えました。姫は気を失って川原に倒れてしまいましたし、魔法使いも疲れ果ててそのまま昼近くまで眠ってしまいました。二人は目を覚ますと、あちこちに石の山の築かれた川原をあとにして、寺に戻り、荷物をもって峠の村から立ち去りました。
†
峠を越えると、魔法の国が眼下に見えました。こうなると二人ともゆっくりしてはおられず、すぐに女王のすむ宮までやってまいりました。魔法の国の女王は、愛する生徒が、つまり目の家の老魔法使いが帰ってきたのがたいそう嬉しかったらしく、自分から出迎えてくださいました。魔法使いは旅の途中からずっと若者の姿でおりましたが、女王はその姿を見て「変わらないわねえ」とおっしゃいました。姫は女王に、自分の愛する王子が婚礼前夜にいなくなったこと、王子はどうも呪いをかけられているらしく、魔法使いの人さがしの魔法もつかえないこと、目の家の魔法使いのもとですでに七年ちかくも過ごしてきたことなどを熱心に話しましたが、女王はにこにこしながらうんうんそうそうと聞いているばかりでした。
それから女王は姫と魔法使いに言いました。
「すると、その王子さまにかけられた魔法の呪いが、ようやく解かれるときがきたというわけね。お姫さま、その呪いはね、とてもとても強力なのよ。でもね、あなたもこの人から教わったでしょう、この世に解けない魔法も呪いもありはしない。どんな魔法にも鍵があるの。魔法使いは必ずどこかにその鍵を隠しているわ」
どうすれば鍵が見つかるのか、姫はたずねました。すると女王の言うには、この国の港から舟でこの世の果ての島へ行き、そこで島に生えた草だけを食べて七日七晩祈りを捧げながら過ごす、それから島のどこかに祀られているこの世の最初にできた石の上を探せばわかる、ただし島へは船頭と二人でいかなければならないというのです。
姫はここまできたら何をためらうこともないと思い、女王の言うとおり一人で舟にのって白い海をひたすら進んでいきました。すると青草の生い茂った小さな島にたどりつきました。姫が島におりたつと、船頭は舟にのって港へ帰っていきました。
島には庵があって、娘はそこで、女王に言われたとおり、島に生えている草だけを食べて、七日七晩ひたすら祈りを捧げて過ごしました。八日目、それは目の家の魔法使いのもとで働きはじめてからちょうど約束の七年がたった日でしたが、姫は自分の一生に満足したようなとてもすがすがしい心持ちで朝を迎えました。風の動きや波のうねり、鳥の鳴く声や魚のはねる音が、はるか遠くのほうのものまで感じられましたし、生きとし生けるものや、石や砂や土や、風や水や、日の光や闇のある意味が分かったような気がしました。
それから姫は、島をぐるりと歩いて周りました。島の裏側は砂丘になっていて、その真ん中に大きな石がありました。姫はこれがこの世の最初の石にちがいないと思い、よじのぼってみましたら、石の上は広く平らになっていて、そこに目の家の魔法使いが横たわっておりました。
姫がかけよると、年寄りの魔法使いは、お前さまに約束したとおりに王子の呪いを解く魔法を見つけることができなかった、真面目に生きることを潔しとせず、ただ自由を得るために魔法を学び、世のため人のために生きたわけでもない自分が、お前さまのような美しい姫君と晩年を過ごすことができたのは、身に余る幸福だった、唯一心残りなのは結婚して家庭をもたなかったことだが、当然の報いだろう、とにかく自分はこのまま死ぬ、王子にかけられた魔法の鍵はおそらく王子本人であろう、王子が見つからぬ以上魔法は解けない、しかしたった一つだけ方法がある、それは身代わりの魔法を使うことで、この自分が身代わりになって鍵となれば、王子の呪いも解ける、この魔法の小刀で私の心臓を一刺ししなさい、といいました。
姫はいいました。
「わたしは王子を探すために生きたこの七年に満足しています。もう望みは何一つない。ただ目の前のあなたを救いたいという思いだけがあります。結婚しなかったのが心残りだというのなら、わたしがあなたと結婚したげる。だからあなたの心臓を突き刺すなんてことさせないで」
「お前はもう少しで王子と会えるのだよ。この最後の旅に出るとき、大切なものを失ってもいいと覚悟を決めたのではなかったか。大切かどうかしらんが、私の命を奪うことができるのなら、お前さまには王子と再会する資格が十分にある。私はどのみち死んでいく老いぼれだ。さあ、やりなさい」
姫はそれでもどうしてもやりたくないと言いました。魔法使いはどうしてもやってほしいと言いました。
「やりたくないって言ってるでしょう」
「いいからやるんだ。やらなきゃだめ」
魔法使いは魔法の小刀を自分の胸に突き立てました。
「どうしてもやりたいなら自分でやってよ」
「いやだ、そんなの、自分じゃこわい」
「やらない!」
「やって!」
「やらないやらないやらない!」
「やってやってやってやってやって!」
「もう、うるさい!」
と、姫は魔法の小刀を一押ししました。小刀が心臓に突き刺さると、魔法使いは叫び声をあげ、それから力つき、若者の姿になっていきました。姫はとんでもないことをしてしまったと思い、大声をあげて泣きました。そのときの涙は、最初は真っ黒のどろどろした涙でした。それから涙は茶色くなり、赤くなり、黄色くなり、緑色になり、空色になったり青くなったり白くなったりして、しまいにはきらきらと輝くように透きとおった美しい涙に変わりました。
姫は自分の涙でびしょびしょに濡れた魔法使いを抱きおこし、唇にキスをして、小刀を引っこ抜きました。すると魔法使いは息を吹き返し、今までずっと閉じたままだったまぶたもぱっちりと開いたものです。その両目のなんと美しく輝いていたことでしょう。それらはまるで宝石のようでしたが、宇宙に散らばった星々を集めたって、こんなに美しく深く輝く宝石を作りだすことなど誰にもできますまい。
魔法使いの輝く目を見たとき、姫はようやくこの若者が、自分の探し求めていた王子だと気がつきました。魔法使いが若者の姿をしていたのではなく、若き王子が魔法使いの姿をしていたのでした。
「姫よ、あなたは私の呪いを解いた」と王子は言いました。「想いを寄せあうあなたと結婚するはずだったあの前夜、私はただ自由を失うことをおそれるあまり、
自らの身に呪いをかけた。それこそ自由という名の呪いで、本当に愛する者の手でいちど命を奪われなければ解けない呪いだったのだ。私は魔法を学ぶために女王のもとで修行をつみ、都に帰った。そこで私は望んでいたとおりの自由を手に入れた。けれども私は間違っていた。私が手にしていたのは自由ではなく、やはりただの呪いだったのだ。真の自由とは己の宿命に従い生きること。私にとって、それはあなたとともに生きることだ。行こう。そしてともに暮らそう。私と結婚してほしい」
姫は喜んで答えました。
「わたしはもう何年も前にあなたとその約束をかわしております。わたしの答えはあのときとかわりません。わたしの王子さま、わたしはあなたと結婚いたします」
それから二人で連れ立って、まず魔法の国の女王の宮にもどりますと、女王さまが例の黒い犬とカラスとをひきつれて待っておりましたが、この黒犬とカラスの魔法もそのとき解かれて、もとの姿に戻りました。それは姫の二人の弟君で、お母さまのお后に遣わされたのだとわかりました。
そうしてみんなでお国に戻って、王子さまと姫はそれぞれ王さまやお后さまやみんなと再会し、もういちどご婚礼のお祭りをおあげになりました。そのときの人々の喜びようといったら、そりゃあもう、まるでお話になりません。
† † †
おわり
2008/10/22(Wed)22:48:38 公開 /
河鳥亭
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の『文庫本的読書モード』。
CSS3により、MSIEとWebKit/Blink(Google Chrome系)ブラウザに対応(2013/11/25)。
MSIEではフォントサイズによってアンチエイリアス掛かるので、「拡大」して見ると読みやすいかも。
2020/03/28:Androidスマホにも対応。Noto Serif JPで表示します。