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『君が愛したこの世界を』 ... ジャンル:異世界 ファンタジー
作者:柳川都紀子
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君が好きです。
君が好きです。
そう、君に言えないのは、君が私を見てくれないとわかっているから。
例えば私と君が、同じときを過ごしたとしよう。隣で静かに眠っていると、しよう。私は君に寄り添い、私の熱を少しでも多く君に与える。私は君からほんの少しだけ君の体温を貰って温まる。そうしてお互いの暖かさの中で、眠るのだ。
何て幸せな、幸福で満ち足りた時間だろう。
けれどそれは絶対に無理なのだ。私と君では、過ごす時の流れが違うのだから――。
「お姉さま、また下界を覗いておられるの?」
「――あっちへ行っておいで、時子」
「お姉さま、人に想いを抱くことなどご法度にございます。現を抜かさず、職務にお励み下さいませ」
「わかっているよ」
悠久の時を過ごす私と、限りある時を過ごす君は決して共には在れない。
どうして私は君を見つけてしまったのだろうか。何時ものように、写し鏡で人の世を見ていたに過ぎないのに。その僅かの時間に、君を、見つけてしまった。明るく朗らかに笑う君を。君が私を知ることはない。下人風情が、宙に住まう者をどうして捕らえることが出来ようか。
「時子。もう、雨の季節は終わりかな」
「え? えぇ、そうですわ。水巫女がもうすぐ目覚めます故に。何故?」
「いや。晴れ間が出れば、より姿見が良くなると、思うただけだ」
「お姉さま……」
もしも私が人として生まれたのならば、もしかすれば君に出会い、恋を育み、共に生きることも出来たろう。
それが叶わぬ身だとわかるから、私は其れ以上の望みは抱かない。ただ君が人の世で、健く、幸せな生涯を送れることを、私は願おう。いつか君にも愛するものが出来る。その者をしかと、愛してほしいもの。
君から愛を受け取ることの出来ない、私の代わりに。
あぁ、雲が切れた。
人の世には煩わしい、蒸し暑い雨の季節ももう終わろう。水巫女がまた、君の世界を守ってくれる。私は姫神として、君の世に光を送ろう。妹姫には、風を送らせよう。しばしの間私の光は強すぎるから。少しでも君を守るように。
「お姉さま、本殿へ参られませ」
「そうだな」
「大いなる光の姫神。御身で人の世に光を」
君と過ごす時はない。
君を忘れようにも、私は意外と諦めが悪いらしい。だから、君が命を終えるまでは、私が見守っていよう。
「神に仕える巫女達、門を開けよ」
私が君を、愛していよう。
「お姉さま、そのように人を想いなさるな。神力が薄れまする」
「はは……けれど時子よ。人とはかように、儚い者だな」
「当たり前にございます。およそ千年、時の流れが違うのですから。お姉さまの想い人とて、もう三度目の転生ではないですか」
「そうか。もう、三度になるのか――」
上に住まう者の定めとて、人の転生は三度と決められている。それ以後の御霊は消滅し、我らによって清められる。そして無へ還って行くのだ。
愛した君はもう三度目。これが最後の、人の世だ。
「だから時子。私は最後まで、あの君を見守っているのだよ」
「お姉さまの人好きにはほとほと呆れ返りまする。そんなことよりお姉さま、もうすぐ白巫女が眠ります。暖の用意をなさいませ」
「あぁ――人の世はもうすぐ白の季節か……」
何度目の白の季節だろう。
寒さに弱い君のために、この季節、ほんの少しだけ顔を覗かせてあげよう。少しでも君が、温まるように。
君の笑う顔が好きだ。
何度転生してもその笑みは変わらない。眩しく鮮やかに、人を惹きつける。
君の声が好きだ。
歌を歌えば流れるように、声を出せば漂うように。私の体を喜ばせる。
一度だけでも、私が人になれたら、それを直接感じたい。人として君と会い、笑みを貰い、声をかけてもらうだけ。けれどたったそれだけでも私には叶わない。私が人ではない、ばかりに。
「あと何度、私は顔を出すのだろねぇ」
「わたくしが光の巫女になり、お姉さまの神座に座ることを許されるまで、ですわ」
そんなことを口にすれば、血の繋がらぬ妹姫が可愛げもなく、言う。
「わたくしが光の巫女になればお姉さまはお役御免。お暇も出来て休む時間もございましょう。ほんの少しでも、下界へ旅にでも出ればよろしいわ」
「お前、巫女の儀式は次の月ではないか?」
「ですから、今のうちに旅の支度でもなさいませ。最初で最後の我侭、聞いて差し上げてもよろしくてよ」
「――可愛げのない妹だなぁ」
「お姉さまを、もう一人で泣かせたくありませんもの。これで最後なのです。会って、想いを遂げられませ」
ひと月経ち、巫女の儀式を終わらせた妹姫が私を門へと連れ出した。ほんの少しの荷を持って、下界へ続く道を降りて行く。天と地の境まで、妹姫は共に来た。口ではああ言うものの、ほんの少し離れるだけだと言うものの、やはり少しばかり胸が痛い。
「私の願いは、あの君の生涯を共に過ごすことではない。すぐに戻る。それまで、私の代わりに光を絶やさぬよう――」
「わかりました。お姉さま、お気を付けて」
一つ歩みを増やすたび、ほんの少しだけ怖い。慣れ親しんだ屋敷を離れ今は一人。どれくらい降りてきたか、ついに屋敷は見えなくなり、眼下には屋敷とは違う建物が、つらつらと並んでいる。写し鏡で見た、君の住む世界。
一度会うだけでいい。
一言話すだけでいい。
たったそれだけで、いい。
幾日か過ぎた頃、ようやく其処へ辿り着いた。とん、と、足が地に着く。神々しい神気が立上っている此処は、恐らく我等を奉る社であろう。随分冷えると思えばなんと、この世界の白の季節、このように白いものが積もるのか。触れてみれば冷たく、溶ける。あぁ、これでは君が震えてしまう。戻ったならば光を強めなければ。
「――こんにちは」
「……え?」
あぁ、時子。もしかするとお前が何かしたのだろうか。こんなにも、こんなにも簡単にかの君が目の前に。
「貴女もお参りですか?」
「い、いえ私は。貴方は?」
「僕は願掛けに。ちょっと母の具合が悪くて……この神社の御神体、女神様みたいだからちょっとでも効くかなぁと思って」
「――天照の名において、その願いしかと受け取りましょう」
「え?」
「いいえ、何でも」
私の愛した君は、やはりとても優しく暖かな人。時子、存外、人も捨てたものではありません。
声は交わした。笑みもほんの少し、頂戴した。優しい願いの対価には勿体無いくらい。君の優しい祈り、聞き届けました。
「冬が、嫌いですか?」
突然、そんな声が聞こえてきた。見れば君が不安そうに私を見つめている。
「何故?」
「いえ、なんとなくそんな気がして」
「好きでも嫌いでもありません。私にとっては瑣末な問題ですから。貴方は?」
「僕は冬が好きです」
寒いのは苦手だけど、雪が降るのを見るのが、好きなんです。
君はそう言って笑い、神座に手を合わせ祈った。そして、さようなら、と。別れの言葉を残し石段を降りて行く。君の柔らかな髪の毛が視界から消えるまで、私は見送った。
しんしんと降る雪が何故か身に染みる。少しだけ泣きたくなった。胸が痛くなったのは、願いが叶ったからだろう。
ふいに鈴が鳴る。あぁ、もう戻らなければ。
「ありがとう。神を信ずる、優しき人の子」
言葉と笑みを貰った。もはや私に君を思う未練など無い。帰ろう、私の世界へ。帰ろう、君の幸せを望める場所へ。
「お姉さま」
「ん? どうした時子」
「今年の白い季節は、少々雪が多いのではありませんこと?」
光の巫女へ昇格し、あの時一度だけ神座に就いたものの妹姫はまだ神格が低い。だから私は未だに神座に就いたまま、気まぐれに人の世へ顔を覗かせる。
「白い季節の雪は、見事なものだからな」
「しかし、これでは人の世は震え上がってしまいます」
「時子、人はそう、か弱き生き物ではないよ。寒さを愛する心をしかと、持っているからね」
お前もたまには人の世を覗いて見るといい。そんなことを言えば妹姫は怒って口も利いてくれなくなる。なんとも頑固な可愛い妹だろう。
私の想うあの君は三度前の白い季節に、その生涯を終えた。人ではない私が羨むくらいに穏やかな最後であった。かの君の魂を清めた後、私は写し鏡に蓋をした。もう、これ以上君はその世には現れない。他の者に現を抜かす暇も、生憎持ち合わせていないから。
「あぁ、今日もまた雲が切れた」
久しぶりに、下を見てみよう、か。
愛した者が愛した世界を。
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2008/07/17(Thu)16:32:11 公開 / 柳川都紀子
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