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『超人』 ... ジャンル:リアル・現代 ショート*2
作者:よしむら
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あらすじ・作品紹介
選挙カーが走る。喧騒。自称偉大な男はイライラする。 自称偉大な男は、自分を認めない世界を呪う。 自称偉大な男は、認めてもらえる術を知らない候補者を笑う。 絶対に当選しない。 人生が劇場なら? 自称偉大な男は、バットを持つ。叫ぶ。
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選挙カーが住宅地を抜けてゆく。半日のうちに七台を超えた。アスファルトを掘り返すつもりか?。
煩い、コーヒーが不味い。古藤は、灰皿にコーヒーを吐き出す。吸殻の山から立ち上る煙が止まった。フィルターが焦げる、嫌な匂いがしていた。
古藤は煙草を探す。紺のスウェットに浮浪者めいた鬚面の男は、ニコチンに飢えている。重い腰を上げると、少し長めのしけもくがペシャンコになっていた。火を着けて吸う。直ぐに無くなる。煩い。選挙カーが煩い。
合併のせいだ。五つの市長村で議員が全て首になり、選挙が始まった。新市の市長選も合わせて催される。市長選は、一人が選ばれるところに三人が立つ。市議は、三十人が定数のところ、五十一人が立った。合計で五十四台の選挙カーが、馬鹿でかいスピーカーを積んで走り回っていた。
パソコンを前にして、古藤は怒っていた。長編小説を執筆中だったのだが、筆が止まってしまった。
偉大な思想家にしてフリーソウルの持ち主である俺。当然に文筆の才能を潜在させた俺。この俺が訓を垂れるため、ちょっくら小説を書いてやろうというのだ。しかし、文章が出てこない。
古藤はキーボードを割りたくなる。望みもしないのに、特に興味のない人間の名前が聞こえてくる。集中力が削がれる。トイレに立つ。便器は巨大な瀬戸物だ。白い。無性に腹が立つ。便器を割りたくなる。
パソコンの周りには菓子の屑が散らばっている。その前に古藤が座っている。何日も履き続けた靴下は、足からの分泌物で糊付けされたようにカピカピだ。ゴミ箱のティッシュから生臭い匂いがする。流しに放置された皿の上で、食べ残しにカラフルなカビが生えた。冷蔵庫の中で、かつては新鮮だったキュウリが、漬物のように汁を出した。一つだけ残ったジャガイモが芽を出している。ビールを溢した畳の上で、謎の茸がコロニーを作った。
働いてはいない。働くよりも重要な仕事が古藤にはあった。世界を救う準備がある。そのために、キーボードを叩いていた。世界は俺の天才を受け入れねばならないと古藤は思う。そうでなければ、この世界は崩壊への道を突き進むだけだ。
崩壊といっても、核戦争やら環境破壊等という分かり易い崩壊ではない。人間の魂が、その思考の軟弱さ故に崩壊してしまうのだ。人々は、直接的にはそれを望まないかもしれない。しかし、時代は新しい哲学を必要としている。それを具現する人間を必要としているのだ。
古藤は腕を振り上げる。風が起きて、コンビニのビニール袋がガサモソと動く。窓枠で、ビービーと蠅の羽音がする。古藤は宣言する。
時代が求めるのは俺。すなわち超人。新たなる世紀のツァラトゥストラなのだ。
八台目の選挙カーが去ってゆく。世界に束の間の静寂が訪れる。
古藤はパソコンに向かい合う。エクスプローラを起動する。掲示板に書き込む。書き溜めた小説を投稿し、詩を投稿する。そして、反応を待つ。この私の一部であり、福音であるにも関わらず、誰も理解しようとしない。
あぁ、これが運命なのか、と古藤は思う。傑出するということは、なんと孤独なことか。
古藤は顎を撫でる。斜に構えてパソコンの画面を見る。顎鬚が油っぽい。もみ上げが臭い。気にしない。さらに掲示板へ書き込む。怒りをぶつける。
やれ構成だの、文体だの、目先のことばかりを気にしている奴が多すぎる。口当たりが良いだけの、飴玉みたいな小説を書く奴が多すぎる。そういう奴らが、寄って集って俺の天才を押さえつけようとする。世界は敵だらけ。悪魔は礼儀正しい振りをしている。多数決の力を使って、哲学の進化を妨げる。
俺は戦わねばならない、と古藤は思う。勇者なのだ。絶対に諦めない。
ハロゲンヒーターの電源を入れる。オレンジの灯で足と手を温める。体の周りに小さな上昇気流ができた。股間から臭う。自分の臭いは好きだ。
古藤は、再び書きかけの小説に戻る。偉大な小説になることは分かっている、けれど、次の文章が浮かばない。イライラする。限界になる。
郵便受けから、ガチャリと音がする。なんだと睨む。選挙公報が入っていた。
古藤は、選挙公報を開いてみる。ため息と共に頭を抱える。ため息の最後に、嘲笑の息をフンと吐き出す。似たり寄ったりの顔が、似たり寄ったりの事を言っている。公約を実現できないことをものともしない、面の皮の厚い奴らだ。世の中が間違っていると言いながら、それを絶対に変えられない奴ら。脳天気な奴ら。もしくは、悪魔か?
古藤は、選挙公報のページを捲る。ある候補者に注目する。そして、思わず噴出す。えっ、これって、バウネタとかじゃないよね?
選挙公報だというのに、自分が何を成そうというのか全く書いていない。「人間への旅」と題して、論語と史記を引用しながら、政治の理想を語っている。正義の実現に努力して正しい世の中にする、それが政治に求められる緊急の課題だという。だからさあ、それを具体的にするのが議員の仕事なんじゃねえの?
本物の馬鹿だ、と古藤は思った。趣味で物申したいのなら、ローカル新聞の読者欄に投稿してろ。お前なんか絶対当選しねえよ。供託金は没収だな。政は正なり? だから何だよ。お前って、自分の素敵な理想とかにしか興味がないんじゃねえの? 世の中にどうあって欲しいとか、誰かを助けたいとか、そんなこと考えたことないだろ。誰かに伝えたいとか思ってねえんだよ。俺の理想の高さに皆が共感すべき、とか、思ってんじゃねえの? それ、キモイ。はっきり言ってキモイ。最悪にキモイ。
急に気分が悪くなり、古藤は冷や汗をかいた。嫌な予感がする。
見てはいけないという警告が、頭の中で鳴り響く。しかし、「人間への旅」と、それを書いた候補者から目を離せない。鈍い頭痛。目が霞む。候補者の顔写真が歪む。
古藤は、激しく首を振った。天才といえども、偉大な小説のために頭を使い過ぎたということか。
目を擦って、開ける。見えてきたものが古藤の正気を崩壊させた。
キモイ候補者の顔が、自分の顔に見えた。
二台なのか、三台なのか。選挙カーが近づいてきて、ハモる。不況和音。自分の言いたい事を言う事しか考えていない奴ばかりの世界。
古藤は、押入れからバットを出す。パソコンの前に立ち、振り下ろす。素っ裸になる。着ているものを全て洗濯機に放り込む。袋にゴミを詰める。畳に茸が生えているのを見つける。フルスイングで茸を狙う。ビンゴ? 三度目で一本だけ倒す。窓を開ける。
巨大スピーカーには悪意も良心もない。候補者の名前が辺りの空気を支配する。耳が痛い。立て付けの悪い扉が音波でビリビリと震える。古藤の家に面した道路で、選挙カー同士がすれ違う。八台目、九台目。十台目?
「ご健闘を、お祈りいたします」
すれ違いざまに、選挙カー同士が言葉を投げ合う。
古藤は家を飛び出す。そして、バッドを構える。
「健闘しろ! 票を削りあえ」古藤は叫ぶ。「お前等! 共倒れすれー」
語尾が「すれ」になった。素っ裸であることが哲学的根拠を失う。存在が、ただの張りぼてに格下げされる。
「元気の良い応援、ありがとうございます」鶯が言う。「頑張ります。ありがとうございます。皆様の期待に答えます」
「共倒れすれ」古藤は呟く。
人生が劇場なら、と古藤は思う。俺は生涯、役不足だ。
このフレーズ、どう?
いや、そんな事はどうでも良い。何もかも、もう、どうでも良かった。
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2008/04/26(Sat)03:54:42 公開 / よしむら
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■作者からのメッセージ
合併後の最初の選挙戦が、煩いのです。
変な候補者がいたのです。
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