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『雑草ポテンシャル』 ... ジャンル:リアル・現代 未分類
作者:緒方仁
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あらすじ・作品紹介
大学受験に合格し、憧れのS大に通うことになった悠斗は、入学式の日にある学生から写真部の勧誘を受ける。最初は乗り気でない悠斗だったが、彼の自由奔放な生き方や価値観に惹かれ、次第に彼を慕うようになる。ところが、彼には秘められた過去があった。彼と接していく中で悠斗が直面する真実とは――。現代を生きる青年たちの青春を描くストーリー。
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【ケンくん】
まさか銅像に話しかけられるとは思わなかった。
たぶん誰かにこう言うと、あきれかえって鼻で笑われるか、でなければ哀れみのまなざしで精神病院の場所を教えられるだろう。
別に、頭がおかしいわけじゃない。本当にそう思ったのだ。実際のところ、話したのは銅像ではなかったけれど。
今年の春、僕はみごと大学受験に合格し、晴れて憧れのS大に通うことになった。インターネットで自分の受験番号が掲載されているのを見たときの感動は今でも覚えている。実際に大学まで行って、受験番号と一緒に写真を撮ったくらいだ。もちろん番号なんか、指を指さないとわからないほど小さくしか映っていなかったけれど。
その僕が銅像に話しかけられたのは、それから約二ヶ月後、大学の入学式の日のことだ。
入学式が終わり、父の迎えの車を母と待っていた僕は、じっとしているということが苦手で、ふらふらと敷地内を歩き始めた。「あまり離れないでね」と言う母を校門に残して。
前の晩に雨が降ったせいで、地面にはところどころ水溜まりができていた。僕は入学式のためにと、買ったばかりのスーツと革靴が汚れるのを嫌い、できるだけ芝生の上を歩いた。
そして、ある銅像の前で立ち止まる。それはこの大学の創立者であり、初代学校長を務めたという人物の、胸から上の肖像だった。
創立八十周年を迎えるこの学校は、大正十四年に開校し、戦時中に一度は西部軍司令部に収容され、一時期仮校舎に移転したものの、終戦後に校舎返還され、本校舎に復帰したのだと、さきほど体育館で学校長が長々と話していた。学校長の話が三十分近くあったという不満は別として、開校から八十年もの時を経て今に至るわけだ。この学校の歴史は、学校長の話よりもずいぶん長いものだと感心する。
それにしても、銅像が新しそうではないかと近くに寄ってのぞきこむと、土台の石碑にはほんの数年前の日付が彫られていた。
「ああ、後付けか。どうりで」
きれいだと思った、という言葉は、思いも寄らぬところから遮られた。
「君は、新入生かね」
「わっ」
いきなり飛び退いたせいで足が絡まって尻餅をついたのは、中学生の頃に放課後の誰もいない教室で予期せず好意を持っていた女子に出くわしたとき以来だった。
しかしその時は、臀部の痛みやスーツが汚れたことよりも、目の前の銅像がしゃべったことに関心が向いていた。
「喋った……?」
たしかに銅像から声が聞こえた。それを裏づけるように、再び銅像が話し出す。
「我が校への入学、おめでとう。心から歓迎するよ」
「はあ、どうも」
湿った地面に手をつきながら腰を上げると、銅像の後ろからひょっこりと男性が現れた。
「なーんてね。びっくりした?」
にこ、と微笑んだ彼の薄い唇の間から、ちらりと八重歯がのぞく。
「びっくりしました。転んで尻餅つくくらい」
皮肉混じりにそう言うと、彼は「ごめんごめん、そんなに驚いてくれるとは思わなかったんだよー」と笑いながら銅像の肩に腕をまわした。
こうしてみると、彼は色白で細身で、お世辞にもスポーツができるようには見えないのだが、身長はバスケットがバレーでもしてるんじゃないかと思わせるほど高く、手足も長かった。
僕が立ち上がってスーツについた泥を手で払っていると、彼は唐突に質問を口にした。
「君、写真には興味あるかい」
「え、写真?」
顔を上げると、彼の端正な顔の上で片目が閉じられた。
「そう、フォウトグラーッフ」
わざとアクセントを強調するようにそう言って、彼は右手の人差し指をクイクイ、と二回曲げて見せた。
ああ、『photograph』ね、と頭に綴りを浮かべながら、軽く首を横に振る。
「いえ、まったく」
そう答えたとたん、彼は「あらら」と言ってこける真似をした。その様子はまるでお笑い芸人のようだ。
「バッサリだねー。ハマると結構おもしろいもんだよ、写真って」
緑のパーカのポケットに手を入れながら、彼は人懐っこい笑みを浮かべた。こちらに歩み寄るたびに、赤茶色に染めた柔らかそうな髪が揺れる。
そして彼は僕の目の前で立ち止まり、少し骨張った右手を差し出した。
「俺、ここの大学の三年生。写真部で部長やってんだ。よろしく」
なるほど、サークルの勧誘かと納得し、先輩の挨拶に答えないわけにもいかず、僕もおずおずと手を出した。
「えっと、一年の萩原です」
「ん、ハギワラ君ね。よろしくー!」
てっきり握手をするのだと思いきや、彼の右手は差し出した僕の右手首を掴み、ぐりんと手のひらを表に返した。そして左手をジーパンのポケットに入れてごそごそと探り、何かを取りだしたかと思うと、それを僕の手のひらの上に置き、握り込ませるように僕の手ごと両手で包み込む。間に挟まれた、ゴミのように丸められた紙が二人の手によってみるみる見えなくなっていく。
「え、あの、これ」
手を開こうとするが、しっかり掴まれていて動かせない。力強く握りこむ手から顔を上げると、彼はやはり人懐っこい笑みを浮かべて僕を見下ろしていた。
「即入部オッケーだから! ほかにも優しい先輩が沢山いるし、顧問の先生も寛大だから初心者でも大丈夫。あ、最初は学校のカメラ貸し出すから、自分で持ってなくても平気だよ。普段は二号館の視聴覚室を使ってるんだけど、そこは現像するときに使うくらいで、あとはほとんど外で写真撮ってんの。自分が好きなものを、好きなだけ撮るんだ。もちろん毎日来られなくたって全然構わないよ」
それとね、とまだ勧誘を続けようとする彼から逃れる言い訳を考える。そこで、むこうで親が待っているので、と言おうとすると、それより先に校舎のほうから別の声が飛んできた。
「こら、そこー!」
声がしたほうに顔を向けると、スーツの上から白衣を着た年配の男性が、二階の窓から上半身を乗り出していた。
「サークルの勧誘は、明後日からの新入生オリエンテーションからだって言ってあるだろうがー!」
それを聞いて、そういえば明後日、サークル紹介があるんだったなと思い出す。どうりで学生が少ないわけだ。明後日までは勧誘が禁止されているのだから。
急に手の束縛が解けたと思ったら、さっきまで僕の手を握っていた先輩は「やば、マルティー!」と小さく呟いて、校庭のほうに駆けだしていた。
「タカミヤー! 次に勧誘しているのを見つけたら単位やらんからなー!」
なおも怒鳴り続ける先生らしき人を見上げ、先輩が走っていったほうに目を戻すと、長身の先輩の姿はもうどこにも見あたらなかった。
そこで思い出したかのように、握りこんでいた右手を開いてみた。そこには、白い紙切れがくしゃくしゃに丸くなって収まっていた。その紙を、破れないようにそっと開いてみる。
「悠斗、お父さん来たよー!」
遠くで母が自分を呼ぶ声がして、僕は「今行く」と短く返事をすると、紙切れを適当に折りたたんでスーツのポケットにつっこんだ。
その紙切れには、『写真部、新入部員募集中!希望者は部長の三年・高宮まで!』と黒マジックで大きく書かれていた。
家への帰路をたどる車の中で、僕はずっと頭を抱えていた。もちろん、写真部に入部するかどうかを検討していたわけではない。
あの先輩が、誰かに似ている気がしたのだ。
バイト先の先輩、高校の先生、親戚、友人、近所のスーパーの店員。さまざまな顔を思い浮かべてみるが、該当するものはない。もしかしたら人じゃないのかもしれないと、ついこの間家の前で見かけた猫のことを思い出す。
すると、ずっとつけっぱなしだったラジオで、父が好んで聞く番組が始まった。いつもどおりDJの自己紹介から始まり、最新チャートに並んだ曲をバックミュージックに、ファックスやはがきでの番組の感想や悩みごとなどが読み上げられていく。なかには『大学受験に失敗して途方に暮れている、いったいこれからどうしたらいいのか』という悩みがあったり、『最近結婚しました』という幸せそうな報告もあった。それを聞いて、人生どう転ぶかわからないものだ、と少し思考が脱線してしまい、軽く頭を振って再び高宮という学生の顔を思い浮かべた。絶対に以前、どこかで似たようなものを見かけたはずなのだが。
そして新コーナー、『我が家のペット自慢』の時、僕は「あっ」と声を上げた。
ラジオでは、柴犬のケンくんが両手でお手をする、それがとても可愛らしいのだとDJが読み上げていた。
「なんだ、そうだったのか」
「え? 悠斗、何か言った?」
助手席に座っている母が顔だけで振り返る。僕は「何でもない」といって窓の外に目を移した。
二日くらい前に、コンビニの入り口で自転車のサドルにリードを結びつけられたまま、おとなしく座って待っている柴犬を見た。それに似ているのだ。なんというか、黒目がちの目や、人懐っこそうな雰囲気などが。
頭の中で、柴犬のケンくんが両手でお手をする姿と、高宮という先輩が僕の手を両手で握っている姿が重なる。
それらがあまりにもぴったりと一致するものだから、たまらずクスクスと笑っていると、父と母はどうしたのかと顔を見合わせた。
そうだ、あの人のことはケンくんと名付けよう。大学は広いし、学年も違う。二度と会わないだろうからと、人懐っこそうだけど人の話を全く聞かない変わった先輩に、強引に入部させられそうになったことを入学式の日の思い出の一つとして胸にしまっておくことにする。
さて、大学では何のサークルに入ろうか。サークルに入ったほうが友達ができやすくなると言うし、中学や高校のように毎日行かなくてもいいサークルもあるという。そうだな、中学、高校ではサッカー一筋だったから、こんどは違うスポーツをやってみようか。あるいはバンドを組んでストリートライブというのもしてみたい気がするな、なんて考えてみる。考えれば考えるほど、大学での生活は希望で満ち溢れているように感じられた。
そして家に帰り着いた頃には、写真部のことなど頭から消え、今度から学校に着ていく私服はどうしようとか、髪を染めようかとか別のことで頭がいっぱいになっていた。
そう、そのときの僕には、写真部に入部するなんて考えは微塵もなかった、はずだ。
《続きます》
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2008/03/10(Mon)00:35:36 公開 / 緒方仁
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■作者からのメッセージ
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