『題名未定』 ... ジャンル:未分類 未分類
作者:櫻                

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 平和。
 昔も今後も同じ言葉で綴られるのが、歴史だ。
 人が作ったものがすぐに壊れてしまう。それが、定めだ。

 歴史と定めは、類義語なのだ。

 私は壊れかけのラジオから伸びたスピーカーを握り締めていた。
 ――歴史は定めだ。
 私はラジオから目をそむけた。
 二月の、肌を刺す寒さを感じた。喉元がいたい。喉からこみ上げてくるのが、涙だと知っていても、私は止められなかった。
 黒いスピーカーが話す男性の声が、路地の片隅に淡々と響いていた。
 難しいことを話していた。しかし、十六年も年を重ねた私にはそれが分かってしまった。

「東京、こわれちゃったんだね」

 重い沈黙に耐えかねたのか、加奈がぽつりと言った。十四歳の加奈にも分かった。町中がざわめていていた。
 うん、と私は頷いた。
 白いジャンバーに黒いブーツ。黒いスカートの中から伸びているピンク色のタイツ。ショートの髪は桃色のニットとグレイのマフラーで隠れている。一回り大きく見える体が、路地の隅でこじんまりと座っていた。

「もうすぐ、来るね。ここにも」

 加奈は遠い目をしていた。
 私は頷かなかった。いろいろな言葉が頭を巡ったが、全部消えてしまった。
 もうすぐ、東京を襲った軍が、神奈川へとやってくるのだ。
 そして、それが始まったら、誰にも止められない。国軍でさえも、その軍は止められなかった。

 神奈川の中心から遠く離れた町並は、枯れ果てていた。この町は年老いていた。
 ざわめく声の数で、寂れた町に人が幾人かしかいないことが分かる。ささやくようなざわめきは、木のせせらぎに似ている。
 すべて、避難できなかった人たちだった。首都でさえ、避難できなかった人がいるのだ。首都に住めなかった彼らは、保護下のすれすれにも、最初から入っていなかった。
 国は戦わなかった。避難を最優先としているのは、国の指導者。
 最初から保身で逃げている国。その片隅に、私は今座っている。私は震えた。

「加奈。寒くない?」
「……寒くないよ」
「眠たい?」
「眠たくないよ」

 私はラジオを切って、路地の端に投げ捨てた。

「じゃあ、加奈。怖い?」
「……うん」

 私の微笑は、憂いを含んで霞んでいた。
 二つ違いの、たった一人の妹は、無表情で私の目を見ていた。

「なら、少し寝ようか」
「でも寝られないよ」
「大丈夫。すぐに眠くなるよ」

 水筒を出して、薬を二錠、加奈に押し付けた。彼女は、手元に目を移さず、手渡された物をぎゅっと握り締めた。加奈の手が冷たかった。

「加奈。おやすみ」
「……ありがとう。ごめんね」

 ごめんね加奈。きっと夢は優しいから。
 
 


 
 人はたくさんの物を作り出してきた。
 人が作ったものは、脆く、あっけない。
 東京。神奈川。平和。何度こわされて、何度作り直すのだろう。
 渦巻く欲望は、“理想の人間”に帰着する。人が最終的に作ったのが、“人”であったのだ。

 ――人造人間。

 人間の手によって作られたそれは、人間に牙を向く。当然のことだった。かつて優れた人間が下の生物を踏みにじって頂点に君臨したように。
 今度は、私たちが踏みにじられる番だ。誰かが言っていた。
 過ぎた科学と欲望は、人を盲目にしてしまった。
 人が生み出した理想の具現が、東京をを焼き払う。
 
 いや、もう遅いのだ。
 私が何を思おうと、この神奈川は、こわされる。






「起きろ!」

 低い怒声に、私は、飛び起きた。
 爆音と轟風が飛び交う光景は、一変していた。綺麗な町は、ここには無かった。
 私は、浅いまどろみが惜しく、目を閉じかけた。耳の遠くで、轟音がこだました。
 悲鳴、恐怖。悲しみが深くにじみ込んだ叫びが、頭の中を駆け巡っていた。この声が現実のものか、夢の中のものなのか分からなくなってきた。

「始まったんだ……」

 遂に、神奈川に来たんだ。私はぽつりと呟いた。グレイのマフラーを握り締めた。手の体温を奪う現実感。炎が蠢く町。私は夢幻の境をさまよっていた。真っ赤な光景が、私の世界の終わりを歌いながら、踊り狂っている。炎が我が物顔で町中を徘徊する。

「ああ……」

 私は、嘆息した。
 私は静かに、死を覚悟した。黄泉へ誘う炎は、あまりにも凄艶だった。
 循環する世界の、ひとつの役目を終えた気分だった。町中を蠢く炎の、ぎらぎらと輝く光に、心を惹きつけられた。
 小さい。私は歯噛みした。私は世界が作った物の、ひとつの副産物に過ぎない。
 人間はあまりにも、小さすぎる。
 無性に込み上げる、悔しさ、怒り。炎に、死に、世界に、すべてを呑み込まれた。炎に呑み込まれて、すべて溶けてしまう。消えてしまう。

「危ないッ!」

 私が目を見開くより早く、ふいに体をさらわれた。
 九十度回転する視界に、黒い空が映った。空が、暗かった。背中を叩きつける衝撃に悲鳴をあげた。
 爆音と同時、私の瞳に映る空は赤く炎上する。

「馬鹿野郎!」

 私は飛んでいったニットを取ることも適わず、目を瞬かせていた。
 五十歳代の男が、腕に刺さった棒切れを乱暴に抜いた。痛そうだと思ったが、目を背けられなかった。仰向けになった私の上から、私を睨みつけていた。厳しい目だった。

「無駄死にする気か! 親から貰った命を粗末にするな!」
「ごめんなさい……」私は、気づけば謝っていた。
「もう少しで死ぬところだったんだぞ! 分かっているのか!」
 
 男は立ち上がると、私に背を向けた。ついて来い、と右手でサインを送る。

「えっ?」
「時間がない。来い」

 私は、はっとして立ち上がった。
 白髪交じりの彼の髪は、短かった。深い緑の服は、軍服のようだ。私は、この五十歳代の男に、助けられたのだった。
 私は、戸惑いを抑え切れなかった。彼を、信用しきれなかった。
 廃屋のガラスに映った私は、迷子になった子供のような目をしていた。

「あなた、誰なんですか?」
「……ここに残った者だ」
「ここに残った者?」

 男の声は、はっきりとした低い声だった。

「ああ。自主的に避難しなかった者たちばかりだ」

 私は、目を細めた。ひとつの単語が浮上した。

「反抗組織の人ですか?」
「すまないが、国が運営している組織ではない」
「非公式の組織……」

 私が呟くと、男は一旦足を止めて振り返った。皮肉っぽい笑みが、口に刻まれていた。

「その方が、信用できるだろう?」

 私は、薄く笑った。安堵の笑みだった。

「ええ。ありがとうございます」
「いや。いいんだ。行くぞ。避難経路を確保してある」

 それを聞いて、もう一度私の表情が強張った。助かる。一筋の希望と、一縷の不安が、背中をちりちりと焼いた。

「あの」
「なんだ」

 私は背後を振り向いて、青ざめた。路地の上に、二錠の薬が落ちていた。灰色の路地の上に、白い二つの丸が脳に焼きついた。
 加奈が飲んだ筈の睡眠薬が、なぜここにあるのだろうか。

「この近くに、女の子を見ませんでしたか?」
「女の子? 見たのは、君一人だけだが。どうした?」
「加奈っていうんです。私の妹です。この近くに、本当にいなかったんですか?」

 五十歳代の男は、眉を潜めて、口を引き結んだ。私の不安に揺れる瞳を、受け止めようとしてくれた。
 彼は目を伏せると、後ろに引っ掛けていた無線に手を伸ばした。黒いそれは、無線のようだった。

「片桐。聞こえるか。人探しだ。そこら辺に女の子を見なかったか?」
『女の子……』

 無線から、雑音まじりの低い声が聞こえた。
 ふいに、男の視線が向けられた。加奈の特徴をたずねられた。彼の低い小声に、頷いて口を開いた。

「十四歳です。黒いジャンバーを着ています。髪は長くて、背中ぐらいまでで……」
「聞こえたか。片桐」
『ああ。それらしい女の子なら、見た』
「それらしい、だと?」
『それらしい、だ。これ以上の話は不要だろう。作戦行動中だ。切る』

 しばらくして、男は、ため息をついて、無線を切った。彼の眉間の皺が、さらに深くなる。私は無線が切れたことを確認して、身を乗り出した。
 不安が、私の心を支配していた。早く知りたいという苛立ちが、慌てふためいていた。

「あの、加奈は?」
「……それらしい子なら見たそうだ」

 私は、安心と親愛に、自然と顔が緩んでいた。心の引っかかりが、すっと消え去る。

「本当ですか? ありがとうございます!」
「……ああ」

 私は、その時に歪んだ彼の顔に、気がつかなかった。彼の顔を、見ようともしなかった。









「蔵本か」

 避難シェルターの入り口には、十六歳ほどの少年が立っていた。

「片桐。状況はどうだった」
「東京は、もう駄目だったな。……そっちの女の子は?」

 深い緑の制服を着込んでいる少年は、私に視線を向けた。鋭い双眸だった。
 片桐、という名らしい。
 私は彼を、目の端だけで見た。

「俺がさっき助けた子だ。名前は、まだ聞いてなかったな」
「藤森春奈です」

 私は、呟くように言った。私が軽く頭を下げると、彼は頷いた。

「片桐だ。こっちは蔵本。この組織のリーダーだ」
「はい。蔵本さん。あの、助けてくれてありがとうございました」

 やや早口ぎみになった。
 蔵本は、皺だらけの顔を歪めて、笑った。会った初めに怒られた印象が強く、私は小さく驚いた。

「それはさっきも聞いたよ。春奈ちゃん。感謝の言葉は何度も言うもんじゃあない」
「そうですか?」

 私は眉を潜めて首を傾げた。
 答えるように、入り口の壁にもたれかかっていた片桐が立った。

「感謝は何度も言うものじゃない。感謝の気持ちは行動で返す。ここのルールだ。俺たちはお互いの利益になることしかしない」

 私は、視線を落とした。

「利益?」

 しかし、下には、草一つ残っていない大地しかない。
 利益。幼いころから散々聞いてきた。嫌な言葉だった。不安が、心の中に広がった。風が止み、肌を刺す冷気だけを感じた。
 彼ははっきりとした口調で言った。

「生きるための組織だ。お前は生かされた。ならお前は国の人間じゃない。俺たちの仲間だ」

 片桐は、蔵本の隣に立った。彼の声が低くなる。
 『仲間』、と私は口の中で呟いた。搾り出すような声だった。

「お前は国の、人間なのか?」

 彼の切れ長の目が細められた。彼の長めの前髪から除く双眸は、強く輝いていた。目をそらせなかった。
 強い語調で語る、彼の短い言葉。彼の細い目から覗く、瞳の輝き。彼の強さ。私は動けなかった。これほど強い思いを正面から受け止めたことが、あっただろうか。
 不安。戸惑い。孤独。
 片桐は私に手を差し伸べた。
 惑う私の心を引きずり込む手だった。

「違うなら、俺の手を取れ」

 滑り落ちるように、私は、手を伸ばした。
 自分でも驚くほど、すっと。
 片桐は、私の手を握り締めた。彼は口元で笑った。それは、ひどく似ていた。かつて私が夢に抱いた優しさだった。
 私はその既視感に、私は確かな現実性を感じた。

「ありがとう」

 言ったのは、片桐だった。
 私は頷いた。私は、安らかに揺れる風を感じた。

 私は夢幻の境をさまよっていた。炎上する、神奈川の町。まぎれもない現実だった。しかし、あまりに、現実的だった。私は、目をそらさずにはいられなかった。
 私は必死で逃げていた。しかし、私に逃げるところはなかった。私に寄り添っていたもの。暗闇の傍の、夢の優しさ。一つ、私に残されたものだった。
 
「ありがとう」

 私は言った。
 私は、彼の存在に、夢に求めた優しさを感じた。
 私は今、ようやく、助けられたのだと悟った。
 



2008/03/02(Sun)18:27:52 公開 /
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■作者からのメッセージ
もっと情景描写を鍛えないと私が何を考えているか分かりませんね……。
世界観は真剣に書いたら重要じゃないのに多大な量になりそうだったので、雰囲気だけにしました。“私”という言葉の連発。何かの技法になるかと思ったけど玉砕しました。続くかもしれません。

作品の感想については、登竜門:通常版(横書き)をご利用ください。
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