『セラフィンゲイン 第11話』 ... ジャンル:異世界 リアル・現代
作者:鋏屋                

     あらすじ・作品紹介
インナーブレインという画期的なシステムで創造された仮想世界で繰り広げられる新時代の体感ロールプレイングゲーム『セラフィンゲイン』そこで、英雄として称えられる傭兵魔法剣士『漆黒のシャドウ』のプレイヤー影浦智哉【カゲウラ・トモチカ】は、現実世界では、ほぼ毎日のように秋葉原に通う全くさえないヲタクダメ大学生。友達の数は片手でお釣りが来る。彼女居ない歴=人生。二次元以外の女性と話すと極度のどもりで上手く喋れない持病の持ち主。何をやってもついてない、自分に自身が無く、言いたいことも言えないそんな彼が唯一自分以外になれる場所、それがデジタル仮想世界『セラフィンゲイン』だった。

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 序


 汝に問う
 この世界は有限か、それとも無限か?
 有限と答える者よ、では聞こう
 汝はいかなる尺度でそれを測るのか?
 無限と答える者よ、では聞こう
 創世から広がり続ける大宇宙の端を見たことはあるか?
 故に我ならこう答える。どちらも『事実』であると

 汝に問う
 虚構とは無か、それとも有か?
 解らぬか?
 ならば教えてやろう
 この世が、虚無で固められた現実という名の『限界』と、虚構の中に鏤められた無数の真実という『可能性』とが微妙なバランスを保って成り立っているという事を
 その関係は表裏一体
 どちらも有であり、故に無
 それは光が生み出す影のように……
 それは暗黒に際だつ仄光のように……
 目に見える物、肌に感じる物、指に触れる物のみを『本物』として認識し
 現実こそが真実であり、虚構の世界はむなしいと考える単純きわまりない精神構造を有する愚者なら、到底理解できぬであろう
 なぜなら、その者達が語る現実こそ、他の者達からすれば虚構以外の何物でもないのだから
 データの永遠が有限であるように、現実もまた個人の生によってのみ限定された世界である事を理解せよ
 故に我ならこう答える。どちらも『真理』であると

 我は三度、汝に問う
 汝は探求者か?
 この広大なフロンティアで、ひとかけらの『真実』という可能性を探し求める者か?
 ならば勇気を示せ! 挑め! そして求めよ!

 今宵、この円卓に集う大勢の勇者達よ
 その手にある杯を干し、夜空に放れ!
 手にした得物を天に掲げ、星々を震わすほどの魂で戦いの唄を轟かせよ!

 さあ、この世ならざるこの世界で
 今宵も騎士の狩りを始めよう

 そしていつか

 我を滅ぼす剣と成れ……



第1話  漆黒の鴉


 西に沈む太陽が龍の腹の様な雲をゆっくりと赤く染め上げ始める。顔に当たる風が少し冷たいのは、山頂付近に雪の帽子を被った正面に見えるあの馬鹿でかい山のせいかもしれない。突きたった山頂から7合目辺りまで真っ白く化粧した山のさらに上空を、火龍の鱗のような赤い雲が覆う様は、この世界が売りの一つとしている『美しい景観』と言うのも確かに頷ける物がある。
 この風景が実は膨大なデータと信じられない処理スピードで構成された無数のテクスチャーの固まりだという事を一瞬忘れさせるほど、その美しさは圧倒的であり、現実的な説得力に満ちあふれていた。
 現代の東京ではまず見ることの出来ない雄大な日暮れの光景を満喫しつつ、そんなことを考えながら俺は携帯用食料である干し肉を口に放り込んだ。
 どことなく子供の頃食べて吐いた羊の肉の様な味のこの肉はこの世界に存在するアモーという見た目象のような生き物の肉らしいが、何も味まで再現しなくても良いのにと思う。しかしこれもこの世界を構成する技術力のアピールなのだろう。
 不意にどこからか獣の咆吼が俺が潜んでいる茂みの葉を振るわせた。先ほどまでせわしなくそこいらを飛び回っていた小鳥などの小動物達が危険を察知しいち早く避難行動に移る。
 俺は味はともかくスタミナを回復する効果を持つ干し肉を飲み込むと腰に下げた馬鹿長い剣の柄を握り深呼吸をした。その時胸に付けたポーチからおよそ場違いな電子メロディーが流れる。緊張しかけた矢先のその音にうんざりしながらそれを取り出した。
 いつも必ず思うことだが、何でコレなんだ?
 現実世界の中世を模したこの世界で唯一文明社会の権化のようなそれは、この世界で誰もがもつコミニュケーションツール――― 携帯電話だった。
 雰囲気台無し気分のまま2つに折り畳まれたそれを開くと、すぐに男の声が聞こえてきた。
「シャドウっ! 『セラフ』をそっちに追い込んだ!『ギガトール』の大物。『メイジ』の『フレイア』で左目焼かれてやっこさんブチギレ状態だ」
 また余計なことを――― と今更言っても仕方がないのでスルー。
 『セラフ』とは、この世界に出現する怪物の総称で『ギガトール』はこの世界に出現する竜のこと。RPGでおなじみのドラゴンである。体長10m前後、大きなものでは15mの個体も確認されている大型セラフで形や属性の違う亜種も数種類存在する。このエリアに出現するものはこれと言って特殊な特徴がない割とポピュラーな種で、中〜上級者向けの標的だがコイツが時々吐く炎のブレス【息】は近距離でまともに食らうと上級者でも深刻なダメージを食らう破壊力がある。
 中級者向けのボスセラフと言っても、巷で嘯く自称中級のチーム内の平均レベルがやっとこ二桁行った半端な連中が狩れる相手ではなく、上級者のチームですら二体以上で囲まれたら全滅しかねないとっても危険な相手だ。
 次ぎに会話に上がった『メイジ』だが、これも様々なRPGで必ずと言っていいほどある職業、魔法使いのこと。そんでもって『フレイア』はメイジが行使する炎の魔法。
 移動しながらの通信のせいか時折雑音が入る。電話越しの男はかなり慌てた様子だった。
「ダメージは? 」
 俺は斜め前方に広がる森の木々がなぎ倒されていくのを眺めながらゆっくりと聞いた。
「奴のブレスでフレイアをしかけたメイジと巻き添え食らった戦士二名がデッド。後は奴が逃げ出す際に吹っ飛ばされてガンナーがフラフラだ」
 案の定ブレスにやられた訳ね。
 戦士とは言わずもがな、剣や斧などで戦う肉体派キャラ。フラフラになったつーガンナーってのは弓やボウガンなどを扱う狙撃系のキャラで、もっぱらセラフの至近距離でガンガンやってる戦士なんかを後方から援護する役割を持つ。
 えっとつまり――― 
 『強面の竜さんを狩ろうとしてちょっかい出したら、返り討ち食らって仲間が半分天に召された』つーわけか。おまけに顔半分焼かれた竜さんはかなりご立腹なご様子…… そりゃ怒るわな、普通。
 しかし、奴のブレス一撃で前衛、後衛会わせて四人が戦闘不能になるなんて、良くこんなレベルでこのクエストにエントリーしようなんて考えたもんだ。ミーティングの時に見たメイジの娘、結構可愛かったんだけどなぁ……今頃あっちでゲーゲーやってるんだろう、かわいそうに。
「とりあえずそっちに追い込むことには成功した。後を頼むぜ、シャドウ! 」
 『追い込んだ』じゃなくて、『見逃してくれた』の間違いじゃない? とツッコミを入れたかったが、とりあえずその言葉を飲み込み「了解」と答えて通話を終了した。俺はほら、職業上クライアントは大事にする主義だから。
 携帯を胸のポーチに仕舞い頭から被っていたマントを脱いで首のところで留めると、それまで周囲の色に同化していた布が黒く変わっていく。
 このフードは以前エントリーしたクエストで入手した『愚者のマント』というレアアイテムで、AC値【防御力】はゼロだが頭から被ると周囲の景色と同化する『擬態』の効果がある魔法アイテムだ。
 ただ、普段装備している防具の上から羽織れるのだが中に着れる防具に制約があり、あまり高い防御力の鎧は羽織ることが出来ない。そんなわけで俺はいつもAC値6のライトプレートメイルという鎧を愛用している。
 コイツもこちら側に最初に転送される場所である『ターミナル』と言う町にあるショップで黒に配色変更を掛けてもらった特注品だ。
 まぁ、色の設定変更で別段パラメーターに影響ある訳ではないので、これに金を掛ける人は少ないが、ほら、名前も『シャドウ』だし、やっぱり形から入りたいじゃない? 俺はどうしても黒にしたくて装備一式を黒に統一したのだよ。
 被っていたフードを脱いだ俺はとりあえず周囲の索敵をする。大物に気を取られて別のセラフから不意打ちを食らうなんてのも良くある話で、ハイレベルなプレイヤーは標的に襲いかかるこの瞬間にも索敵を怠らない。これ、上級プレイヤーの常識。
 周囲の気配から別のセラフの接近が無いことを確認した俺は改めて咆吼を上げつつ接近するギガトールの方を見据え腰の剣を抜いた。
 鞘から現れた黒光りする刀身がうっすらと濡れた様な光沢を放ち手にした俺を魅了する。シンプルかつ繊細な細工の紐巻きの柄。葦を象った精巧な彫りの鍔から反り返る刀身。目が節穴でもない限り一目で名刀と判る重厚感を醸しだしている
 これも先ほどの『愚者のマント』と同じくレアアイテムでその名を『童子切安綱』【ドウジギリヤスツナ】という。
 後で分かったことだが現実に同名の刀があるらしく、なんでもそっちは『五大名刀』の一つとして『国宝』になってるらしい。
 現実、頭のてっぺんからつま先まで生まれた時から一般庶民で、勿論骨董マニアでも刀剣マニアでもない俺は実物など見たこともないし当然触ったこともないので現実世界の本物がどうなのかさっぱり判らないが、とりあえず此処の設定スペックにあった刀身二尺六寸(約80cm)という長さは、実際鞘から抜き出してみると設定数値より長く感じる。このような剣はこの世界では『太刀』と言う剣に分類される。
 柄の上に配された鍔と、そこから少し反るように伸びた片刃の刀身はまさしく時代劇などで出てくる日本刀のデザインであるが、一般的に『刀』呼ばれる日本刀が60cm前後であるのに対し、この太刀はそれより20cmほど長くなっている。
 この世界には、剣、斧、槍、弓といった種類の様々な武器があるが、その中の剣に大別される武器の中でもこの太刀は異彩を放っており、入手も極めて困難でターミナルのショップでは勿論のこと、プレイヤー同士のオークションでもなかなかお目にかかれない。ましてやこの安綱は接続所の端末で検索するアイテムリストにも出てこないつー俺の自慢の一品。もしかしたら『超』が付くレアアイテムなのかも知れない。
 この世界の創造者が国宝と同名のこの太刀の設定をどういう認識で扱ったのか判らないが、何でも『六人の罪人の体を横に重ねて叩き斬ったら土台まで斬れちゃった』という実物の伝説宜しく、使いこなせればトップクラスの切れ味を誇る至宝の武器って話しだ。
 俺はこの太刀をあるプレイヤーから譲り受けゲットしたのだが、扱いがめっちゃ難しい。斬り方考えないとてんで斬れねぇし、長いから小回り利かないし、扱いにくいことこの上ない。散々使って武器の熟練度を表すパラメータのテクニックレベルが15を越えた辺りからやっと不自由なく扱える様になった。
 今じゃ体の一部のように扱えるが、その域に達するまでにはえらい苦労したよマジで。
 太刀を構えた俺は、少し切り立った崖の上に立ち、先ほどの報告の通り左目を焼かれて怒り狂ったギガトールが突進してくるのを眺めながら開いている方の手を開きながら呪文を口ずさむ。
 呪文。そう、まさに呪文。それしか言いようがない。つーか俺自身いまいち理解不能。
 これは魔法を行使する前段階で、実際自分が何を喋っているのかさっぱり分からないが魔法を使おうと考えると頭の中で意味不明な言葉が浮き上がり、勝手に口がそれをしゃべり出すと言った感じ。考えようによっちゃかなりサイコな状態だ。俺も初めて使った時は気持ち悪くてびっくりしたが、行使する瞬間の爽快感は案外気持ちがいい。
 そのうちに突き出した手のひらに精神を集中させる。程なくして左手がボンヤリと光り出した。
「ボルトス」
 自分でも不思議なほど冷静な声でそう呟いた瞬間、左手から放たれた閃光は突進してきたギガトールの目の前に飛んでいき、奴の鼻先で派手な音と共に弾けて周囲に電撃をまき散らした。今見た通りボルトスは雷撃形の魔法で比較的下位の呪文だ。
 目もくらむような閃光としびれを伴った衝撃で突進してきたギガトールは一際でかい咆吼を上げつつ、つんのめるようにひっくり返った。俺はすぐさま左手を刀身に添え、もう一度呪文を唱えながら真下で昏倒するギガトールめがけて跳躍した。
「ボルトスソード」
 落下しながらそう呟くと、その声に反応して手にした安綱の刀身がバチバチと帯電してスパークする。今の電撃程度ではたいしてダメージを与えられないのは判っている。単なる『足止め』のために放っただけでボルトス程度の雷撃呪文でしとめられるなんて思っちゃいない。本命はコイツ、魔法剣だ。
 この魔法剣つーのは読んで字のごとし、魔法の力を付加した剣技で普通の『戦士』などは使えない技。俺のような『魔法剣士』だけの特権技って訳だ。剣を扱う職業では持つ得物によって様々な『技』が設定されているが、剣技に様々な魔法効果をミックスできるのは魔術に精通する魔法剣士のみなのだ。
 魔法の名前からもわかると思うが『ボルトスソード』は雷撃魔法である『ボルトス』の効果を付加した魔法剣だ。
 つんのめった拍子に狙い通りにうつぶせに倒れたギガトールに躍りかかる俺の狙いはただ一つ、頭の後ろにある後頭部。
 ギガトールは厚い皮下脂肪と竜族特有の堅い表皮で覆われたセラフで、生半可な攻撃では弾かれてしまう。だが、この天然の鎧をまとう暴君、竜族に共通した弱点がある。
 頭の後ろ、ちょうど人間で言う延髄に当たる部分が他に比べて極端に皮膚が薄くなっていて、この部位に強力な攻撃を与える事が出来れば一撃でしとめることも可能なのだ。
 両手で柄を握り、奴の弱点である後頭部めがけ懇親の力で安綱の刀身を三分の一程度表皮の中に突き立てると、同時に目もくらむような閃光がスパークして暗くなりかけた辺りをカメラのフラッシュのような閃光が周囲を照らし出していく。
「ガッ―――グアッガガ―――! 」
 バチバチとした閃光に合わせて、まるで壊れたスピーカーのような呻き声を上げるギガトールの体に電流が流れ皮膚表面に青白い閃光が走った。そして次第に生命力が失われていき残った右目も閉じていって、閃光が消える頃には完全に沈黙した。
 俺は太刀を引き抜くとギガトールが完全に絶命したことを確認し地面に飛び降りた。
 はい、おしまい。
 今回は割と上手くいった。なんつったってノーダメージつーのが何とも嬉しいね。いや、こんなに上手くいくとは正直自分でも思わなかった。
 周囲に危険がないことを確認すると、俺は剣を鞘に戻した。程なくして先ほどの電話の声の主である甲冑を着た男と、緑のローブを羽織った男が三人目の男に肩を貸しながら歩いてきた。セーブキャンプでの打ち合わせの時にチラッとしか見なかったから良く憶えていないが、装備から判断して二人に担がれてるこの男が電話で言ってた『体当たりを食らったガンナー』だろう。ローブを着た男は回復系キャラのビショップ【僧侶】だ。
「ギガトールを一撃かよ…… やっぱすげぇな」
 甲冑の男は感嘆の呟きを吐きながら脇に横たわるギガトールを眺める。
「一人じゃキツイかと思って援護するつもりで急いできたんだが、余計な心配だったみたいだな。噂通りだぜ。魔法剣士、『漆黒のシャドウ』の名前は伊達じゃねぇな」
「いや、たまたま上手くいっただけさ。いつもこんなに上手くいくとは限らない」
 と、一応謙遜してみる。まぁ、この種のギガトールじゃソロでまともに戦っても討ち取る自信はあるけどね。と心の中で天狗になりながら空を見上げると、上空に『Mission complete』と書かれた文字が青白く光り浮いているのが見えた。
 なんともファンタジックなこの文字はエントリーしたクエストで、そのエリアにいるボスクラスのセラフを倒すと掲げられるメッセージ。でもこれは俺達が今エントリーしているクラスAのフィールドしか出現しない。まあ、クラスB辺りでブイブイ言ってる連中じゃギガトールは狩れないだろうけどな。
 これが上がるとその時参加してたチーム全員のレベルアップをしてもまだお釣りが来る経験値と、自分のIDデータに星マークが一つ刻まれる。この星マークはこれによっての特典は無いが、この星はこの世界に浸る者にとって勇気の証であり、誇りでもある。この星の数が多い者ほど他のプレイヤーから尊敬されるって訳。文字通り英雄の証だった。
 俺も幾度となくこの文字を眺めてきたが、何度見ても美しく、胸躍る光景だと思う。それはこの世界を生きる全ての同胞も同じなのだろう。
「さて、セーブキャンプまで戻ろう。だが、慎重にな。撤退中に襲われて全滅したら今までの苦労が水の泡だ」
 俺は刀を仕舞いながらそう三人に声を掛けた。これが此処の怖いところ。今せっかく苦労して倒したセラフの獲得経験値や星マークもセーブしなけりゃ全部パア。セーブして初めて自分のIDデータに書き換え可能になるシステムなのだ。しかもセーブできるのは格エリアに一箇所、出発地点のベースキャンプのみ。戻る途中で死んだら全てノーカウント『振り出しに戻る』つー訳。これが結構辛いのだ。
 大物を倒してクタクタのヘロヘロ状態だったりするじゃない? さっさと帰りたいのが心情なんだが、そう言う時に限って警戒怠って不意打ち食らったりするもんなのだよ。そうやってあえなく全滅して泣くチームを俺は沢山見てきた。
 当然ギガトールのブレスで逝っちゃったメイジの娘や、巻き添えで昇天した前衛2人の戦士達は経験値は入らない。クエスト参加時のパラメーターにリセットされる。脱落者が置いて行かれるのは世の常だしね。
 一通り三人を見回すと、皆相応に少なからずダメージを受けている様子で無傷なのは俺だけだ。ギガトールに出くわす前の戦闘でビショップの魔力も消耗しているはずで、一番下の回復魔法であるケアでも行使出来て二、三回と言ったところだろうな。
 六乃至七人のチームで前衛が二人が消え、援護の魔導士が居ないこの状況では、はっきり言ってかなり危険。もし此処でボスクラスに襲われでもしたら、いくら俺でも生き残った全員を帰還させる事は難しい。
「そうだな、DJ、お前回復液(小)持ってたろう? 今の内に使っておけ。クウカイ、悪いが俺に『ケア』頼む」
 チームリーダーの戦士がそう言って指示を飛ばすとDJと呼ばれたフラフラのガンナーが、腰袋から小瓶を取り出し一気に飲んだ。喉仏の上下に応じ眉間に皺を寄せて「うえッ」と言いながら舌を出す。
 判る判る、苦いんだよな、回復液。絶対味まで再現しなくて良いよ。
 続いてクウカイと呼ばれたビショップはリーダーの戦士に回復魔法の『ケア』をかける。一瞬、ボンヤリ戦士の体が光り、すぐに消える。先ほどまで疲労困憊と言った顔色が幾分良くなったようだ。戦士の口元にうっすら笑みがこぼれる。こちらは苦い回復液と違ってお腹の下あたりが仄かに暖かくなり、それが全身に広がるような感じで結構気持ちいい。
「良し、戻るぞ! 」
 とリーダーの戦士が皆に声を掛けた瞬間、目の前に立っていたビショップの腹から鮮血が吹き出した。見ると腹から尖った角が生えている。鮮血が霧のように舞い結構スプラッターな状況だが、それが一見シュールだなぁと感じるほどこういう状況には慣れちゃってるだけに冷静に対処できる。痛いぜぇ、アレ。
 苦痛に歪むビショップの体がフワリと浮いたかと思うと、ぶんっ! と吹き飛び、横たえたギガトールの体に当たって地面に落ちた。俺はとっさに刀を抜いて後方に飛び上を見上げる。
 暗くなりかけた森の木々の影からのっそりと出現したそれは、うっすらと緑がかった甲殻をまとった大きな蟹のようだった。いや、蟹そのものだ。
 かに道楽の看板を四倍ぐらいにして動かしたらコイツになるな、きっと。
 まさに蟹と言った形の目がきょろきょろと周囲を見回しながら様子を伺っている。
「ダイノクラブだ! 」
 身の丈7mの大型セラフで蟹によく似ているが完全な陸上セラフだ。恐らくギガトールの血の臭いに誘われて出てきたのだろう。両方の鋏を誇らしげに掲げ俺達を威嚇し始めた。どうやら血の臭いで興奮しているようだ。ちくしょう、気が立ってやがるな。
 しかし、こんな大型クラスのセラフが接近したのに気が付かないとは迂闊だった。こんなクエストにさすがにボスセラフ二体は出現しないだろうと高をくくっていたのだが、考えが甘かった。いやはや、やっぱり奥が深いな此処は――― と、感心している場合じゃ無かった。
「シャドウっ! どうする!? 」
 オイオイどうするって逃げるしかないでしょう?
 よりによって今一番会いたくない相手だよ。ギガトールのご馳走はそっくりやるから見逃してくんねえかな?
 コイツはとびきり堅い甲殻で覆われていて通常攻撃はほとんど弾かれる。弱点はあるにはあるが巨体に似合わず動きが俊敏で狙いにくい。おまけに火に耐性があり電撃も体を覆う甲殻の表面を流れるだけでダメージを与える事は出来ない。
 有効な戦法は堅い甲殻に関係なく氷結させる冷却系の上級呪文か、罠で足止めして弱点である目の間を集中攻撃するしかない。
 俺も魔法は使える事は使えるが、回復系と魔法剣を発動するための呪文ぐらいで本職のメイジの魔法とは比べ物にならない。冷却系の魔法剣もあるが、直接攻撃では、やはり弱点を突かない限りたいしたダメージを与えることは出来ないだろう。不意打ちなら何とかなりそうだが、こう面と向かってしかけるなら成功率は四分六――― イヤ七分三分と言ったところだろう。勿論成功が三で失敗が七。
 つまり、さっきの戦闘でメイジを失っている俺達には全滅必至の相手であってどうするって聞かれたって選択肢は決まってる。俺はこんなトコであんた達と玉砕する趣味は毛頭無いよ。
 けどね―――
「俺が奴の目の前でボルトスを弾けさすから、あんた等はセーブキャンプまで全速力で突っ走れっ! 」
 これがリアルなら絶対に取らない行動――― つまり英雄的行動。
「シャドウっ、あんた、どうするんだ!? 殿だぞっ」
 現実だったら絶対誰より先に逃げてるよ、俺。だけど此処での俺はそうじゃない。『漆黒のシャドウ』なんだよ。
「ビショップまで逝っちまったあんた達は、セーブキャンプまでたどり着くのも至難の業だ。俺が時間を稼ぐ。急げっ! 」
「でもそれじゃ、あんたは生還できなくなるんじゃ……」
 尚もそう言う戦士の男にキザっちくも親指を立ててこう言った。リアルの俺がやったんじゃ絶対引かれるポーズだけど、此処での俺ほどこのポーズが似合う男も居まい。現実ヘタレの秋葉ちゃんでも、この世界での俺は英雄なんだよね。
「なぁに、俺は傭兵、殿は日常業務さ。少しでも生還率の高い方法をとるだけの事だ。そこでヒクついてるビショップ担いでさっさと行けよ」
 決まったっ! う〜っ、かっこええ! と自分の言葉に舌鼓。
 俺の言葉に何とも言えない顔をするリーダー。まぁ、無理もないけど。
 そう、俺は傭兵。このチームに助っ人兼ガイドとして雇われた身だ。極端な話し、チームが全滅しようが俺さえセーブできればオールOKだし、雇う側もチームに無関係な傭兵を仲間を犠牲にして生還させようなんて考える奴はいやしない。リーダである戦士がさっき言った言葉だって自分らだけで逃げるのにバツが悪いから言ってみただけでたいした意味なんか無い事も判ってる。俺もその分貰うもんは貰うのだから全然気にしない。世の中ギブアンドテイクなのは何処の世界も同じ事。
 雇う側からすれば、凄腕でいざというときは己を犠牲にしてでも仲間を守り、しかも法外な報酬を要求しない、なんつーパーフェクトな傭兵を望むが、そもそもそんな奴が傭兵なんかになる訳がないという事に考えがいかないらしい。
 だが、俺にはそう言った理由とは別に彼らを一人でも多く無事生還させる義務があった。この世界で凄腕の傭兵魔法剣士『漆黒のシャドウ』を演じきる事こそ、俺がこの世界に来る理由であり、ロールプレイヤー【演じ行動する者】としての存在意義なのだから。
 それにさ、たとえ仮の仲間でもチームが全滅するのは見たくないじゃん、実際。
 俺は呪文を唱え、先ほどと同じく左手を青白く発光させるとダイノグラブは第一脚である巨大な鋏と第二脚の鋭いツメを持ち上げ体ごとこちらを向いた。奴はこちらの思惑通り俺に狙いを付けたらしい。
 うわっ、今目が合った気がする。
「ボルトスっ―――! 」
 先ほどとはうって変わりそう叫ぶと雷撃の弾を大蟹の目をめがけて放った。相変わらず派手な音と共に弾ける閃光で辺りがパッと明るくなった瞬間、俺は三人に向けて怒鳴った。
「今だっ、走れぇっ!! 」
 そう叫ぶと同時に反対方向に走り出すメンバーを後目に俺は思いっきり跳躍した。
 暗くなりかけた周囲に同化するように黒いマントが翻る。脚力にたっぷりパラメータを振り分けた俺の足は現実では考えられない跳躍力を見せる。
 鴉
 そう、まさに……
 俺は、夜の帳が訪れかかる、この作られた夜空を飛翔する一羽の鴉になった気分だった。


第2話  女子二人


 ダイノクラブの第二脚を愛用の綱安で辛うじて切断に成功した俺は、すぐさま奴の反対側に回り込むべく地面を蹴った。
 やはりこの太刀は凄い切れ味だ。ダメ元で斬りつけたのだが、あの堅い甲羅に覆われた脚がまるで枝を切るような手応えで斬れた。使えば使うほど切れ味が上がっているように感じる。
 自分の愛刀の威力に感嘆した瞬間、一瞬の気の緩みを突かれダイノクラブの大鋏が唸りを上げながら襲いかかってきた。
「―――っ!! 」
 何とかガードしたものの、愚者のマントを羽織るためプレートメイルなんつー貧弱な装備を着込んでいるのが辛いトコ。マジで体がバラバラになりそうな衝撃で声が出ない。
 チックショー! 蟹の分際で調子コキやがって、あったまきたっ!
 ―――が、続いて顔面に激痛が走った。
「いってぇぇぇぇっ! 」

☆  ☆  ☆

 あまりの痛さに涙しながら目を開く。涙ににじんだ風景は暗がりの森の中ではなく、自分の部屋の天井だった。
 まだ痛む鼻に手を当てながらとりあえず眼鏡、眼鏡。
 無事眼鏡発見――― あれ? なんか変だ。うわっ、蔓ひん曲がってるし。オイオイ待ってくれよ、この眼鏡いくらしたと思ってんだよ。先週、眼鏡を作り替えるつもりで、たまたま入った店の女性店員に「似合うから絶対これにしなさい」と半ば強引に買わされた二万八千円の眼鏡の変わり果てた姿にまた涙がにじむ。
 僕の名前は影浦智哉【カゲウラトモチカ】今年二十一歳の大学三年生。いつもはもう少しスマートに始まる起床なんだけど今日は少しドタバタしてます。
 ―――いや、あんま変わらないか。まあとりあえずこんな感じで今日が始まったわけですよ。
 ゆっくり慎重に曲がった蔓を直してみたが、やっぱりちょっと形が違う気がする。仕方ないと諦め、僕はそのクリップを無理矢理伸ばしたような形の蔓を耳に掛け視力を矯正した目で改めて周囲を見渡してみる。
 ベッドの枕の周辺には無数のPCソフトのケースとフィギア数体、それに分厚いアニメの設定本が散乱している。どうやら局地的な雪崩が起きたようだ。
 このベッドに散乱した数々の品物や壁に貼ってあるポスターなんかを見ても判る通り、僕は根っからコッチの趣味の人です。あまり世間に胸はって自慢できる趣味ではありませんが。
 当然こんな趣味の僕だから、起き掛けに「おはよ〜」なんて言ってモーニングコーヒを持ってきてくれたり「もう起きてる?」なんてメールを送ってくれる彼女なんか居るはずもない。彼女居ない歴=人生を貫いてるわけですよ。ええ、もっぱらガールフレンドは二次元オンリーですとも。見ているだけのが良いんです、僕の場合は。
 いや、それにしても眠い。そう言えば昨日ログアウトしたらもう終電無くって、セラフィンゲインの端末がある秋葉原から歩いて帰ってきたんだっけ。
 途中コンビニ前で明らかに年下の血気盛んな少年達にカツアゲされかけ、ダッシュで逃げて何とか家までたどり着いたらクタクタで、そのままベッドでブラックアウト。
 セラフィンゲインつーのは僕が大学入学当初から嵌っている体感ゲームのことで、昨日もどっぷり八時間ほど浸かっておりました。またこれが嵌るんだよ実際。
 アーケードオンラインゲームの発展系なんだけどただのそれじゃない。このゲームはインナーブレインシステムつー画期的な技術で創造された全く新しいタイプの体感ロールプレイングゲームなのだ。
 インナーブレインシステムって何よ? って聞かれても僕もその筋の専門家じゃないから細かいことまでは良くわからんけど、何でも人間の大脳に低周波信号を流して大脳皮質への直接励起によって予めプログラムされた疑似空間を体験することが出来るという…… これマニュアルの受け売り。
 まあ何だその、簡単に言うと夢のなかの空想世界で、ファンタジーRPGを実際に体感できるというわけ。良くある剣士や魔法使いつーキャラに自分自身がなってクエストをこなしていく文字通り夢の様なゲームなのだ。
 プレイ料金は泣きたくなるくらい高いけど、笑っちゃうくらい面白いんだよこれが。そんなわけで昨日もプレイしてたんだけど、それにしても昨日のクエストはしんどかったなぁ。
 最悪のクエストから帰還して最悪の帰路。そんでもって最悪の目覚めかぁ。おまけに当然のごとく寝不足だし。
 でも待てよ、あれから巨大蟹巻いて何とか帰還して経験値も入ったし、クライアントも三人生き残って喜んでもらえた。結果的にカツアゲもされなかったし、辛うじて眼鏡も掛けられないほど破損してない。そう考えれば、これまでの人生を振り返って比べてみてもそう悪くはないだろう。やっぱ人間ポジティブに考えないとダメだよな。
 つーか、そう考えないとやってられません、僕の人生は。
 とりあえず枕元に散乱している物をかたづけようとタウンページのように厚いアニメの設定資料集数冊を持ち上げると、その下に見慣れない物体。
 バラバラ死体発見。被疑者――― アレですよ。赤いボディースーツのドイツ帰りの金髪少女。劇場版の二号機宜しくバラバラになっても尚、僕に微笑みかけるけなげな少女の生首。ちょっとキモイけど……
 前言撤回、やっぱり今日は最悪かもしんない。この瞬間バラバラになった限定物のフィギアで1分半思考フリーズ。

☆  ☆  ☆

 最愛の者を亡くした悲しみのフリーズから解放されバラバラ少女を丁重に箱に埋葬。きっとまた同じ事になると分かっていながら他に全く収納するスペースが無いので、仕方なくPCソフトのケースやらフィギアやらを雪崩前の状態に戻したところで時計を見ると、単位ギリギリの講義まで1時間を切っていた。うっわ、やっべぇ!
 えっと、風呂、風呂は入ってる時間無い、省略。服は――― 選ぶほど持ってないか。顔洗って、歯を磨いて、寝癖を直……せない。形状記憶ヘアーの異名を取る僕の髪の毛はブラシやドライヤーじゃ歯が立たない。もういいや、次ぎっ、朝飯! オイオイ朝飯なんか食ってる場合じゃないって!
 そんなこんなで朝から一人疑似ダイハードを体感しながらワンルームアパートを飛び出して駅に向かって全速力。毎朝まるで日課のように目の前を横切り「にゃぁ」と挨拶する黒猫を嫌な気分でパスして無事改札到着。
 バラバラ少女のメンタルダメージから復活して此処まで18分15秒。すげー、新記録だよ。何とか間に合いそうだ、よかったよかった。やっぱり今日は最悪の日ってわけでもなさそうだ。そう思いながら僕は改札を抜け、タイミングバッチリの電車に滑り込んだ。

 ずっと後になって、この日のことを振り返ると今だに良い日だったのか悪い日だったのか分からない。ただ「人生の転換期はいつですか? 」と聞かれる事があるならば、やっぱりこの日を思い出す。
 人生で初めて、リアル、バーチャルひっくるめ、本当の意味で『仲間』と呼べる人々と出会えた日。現実も非現実もそれほど差はないのかも知れない。
 本人が自分なりに意義を見つけ、それを認めてくれる世界ならば、それはその人にとって現実以外の何物でもない。逆を言えば、自分を認めてくれる仲間がいるならば、そこがたとえ辛い現実世界だったとしても笑って過ごせるってこと。僕にそれを気付かせてくれた愛すべき仲間達。
 そのきっかけを作ったのは僕がこの地球上で最も苦手な生き物である、二人の女子だった。


 寝不足で落ちかける意識を僅かばかりの根性でねじ伏せ、午前中の講義を何とか乗り切り、やっと訪れた昼休み。僕はいそいそと学食ホールへ向かった。
 数人に割り込みされながらやっと買えた一杯百七十円のかけそばをトレイにのせ、がやがや騒がしい学食ホールで空いている席を探す。
 朝の一人疑似ダイハードで財布の中身を確認してなかった僕は食券買う際、中身を見て愕然とした。
 所持金二百五十円。
 帰りの電車賃などは定期があるから良いとしても所持金二百五十円で大学に来る生徒って他に居るんだろうか? 
 考えてみれば、セラフィンゲインの予備アクセス開始が午後五時からで、それからログアウトまで八時間ほどあっちに居たし、昨日は色々あって疲れたから晩飯食わずにブラックアウト。つーことは昨日の昼から何も食べてない事になる。
 二十四時間ぶりの食事がかけそば一杯って、生命維持の観点から言ってどうなんだろ。
 ホールを眺めると、窓際に運良く開いているテーブルを見つけ座れる事が出来た。食べる前にもう一度財布の中を覗く。この昼食で所持金八十円になった。真面目に悲しくなってくる。子供のお使いの駄賃の方がキットこれより多いだろうな。
 まあ、今更言っても始まらない。別に全財産が八十円って訳じゃない。帰れば部屋にはいくらか現金が置いてある。クレカだって持ってる。(使ったことはないけど)今日一日、いや部屋に帰るまでしのげばいい話じゃん。冷めないうちに食べよ。そう思い直し気を取り直して食事に取りかかる。
 あ――― 当然一人です。
 昼休みに一緒に食事をする気の合う仲間なんてのは僕には居ない。
 つーか『知り合い以上友達未満』という相手すら片手でお釣りが来る僕の場合、本当の意味で友人と呼べる存在なんて居ないかもしれない。彼女居ない歴も長いけど友達居ない歴も結構長いよなぁ。
 鞄から昨日買って読んでないゲーム雑誌を傍らに広げ新作の美少女ゲームのレビューをチェックしつつかけそばをすすってると、しばらくして前から声がかかった。
「ここ、良い? 」
 女子の声。
 この大学でこんな僕に声を掛ける奇特な女子などたった一人しか居ない。嫌な予感がしたがシカトでもしようものなら後が怖いので恐る恐る顔を上げる。そこには予想通り、最高のビジュアルフェイスを持つ最悪の悪魔がトレイ片手に立っていた。
「どうせあんた一人でしょ。他空いてなくってさ、仕方ないから同席してあげる。あんたもラッキーねぇ」
 断じてラッキーとは思っていない僕にそう言って、こちらの了解もとらぬまま勝手に席に着いたかと思うと、僕の読んでいたゲーム雑誌を取り上げパラパラと目を通す彼女。
 萌え系女子キャラがにっこり笑う表紙の雑誌をめくるそんな仕草でも、絵になる人はそうはいない。
 蛍光灯の下でも決して色あせない天然栗毛のロングヘヤー。ビックマックとほぼ同じ大きさの小さな顔に完璧な設計で見事に形成されたパーツが神の手によって緻密に配置されている。顔の面積に対して少し大きめの一重の切れ長の目。繊細な鼻梁と愛くるしい唇。どれ一つ掛けてもこの芸術品のような顔は生まれないだろうと思える神の手による美貌の持ち主。当大学のミスコン二年連続ダントツ優勝の実績を持つビジュアル天使、もといビジュアル系悪魔、兵藤マリア嬢 。
「か、か、か、かえししてくくれ…… 」
 つくづくイヤになる。これが僕の持病、極度などもり症。緊張したり特に女子を前にすると確実に言語出力に障害が出る。
 前に人数あわせで無理矢理連れて行かれた合コンの席で『天然ラッパー』なんて言うあだ名が付けられ、以来その不本意なあだ名が定着してしまっているのもこの持病のせいなのだ。
「でてくる女の子、みんな巨乳ばっか。男って何でこんなにおっぱい好きなのかね。こんなでかかったら逆に気持ち悪いだろつーの」
 いや、あんたの胸もそれなりに大きいですけどね。そんなツッコミを心の中で入れつつ視線を下げると、少々大きめに開いた胸元が目に飛び込んでくる。透き通った白い肌の内側に血管が肉眼で確認できる。ほわぁ〜 ほぼ徹夜に近い脳には刺激強すぎるって。
 ヤバイっと思い僕は視線を逸らした。
 見るだけタダと思う無かれ。この女なら確実に金を取る、しかも即金で。所持金八十円の今の僕では自殺行為に等しい。
「はぁ〜ん、やっぱりあんたも生身のおっぱい好きなんだ。てっきり二次コン不能者かと思ってたんだけどねぇ、カゲチカ君」
 そう言って雑誌をテーブルに戻しにんまりと笑うマリア女史。
 イヤ別に『嫌い』じゃなくて『苦手』なだけなんですけどね。
 ―――ってか僕は智哉だ。カゲウラ・トモチカ! 何でも略すな。フルネームを合わせて略すなんて明らかにおかしいだろ。そんなのマツケンだけで充分だ。
 とりあえず触らぬマリアに祟り無し。急いで食って早々に撤退した方がお利口さんの選択だ。僕は蕎麦を啜るスピードを上げた。
「あんた、何あからさまにシカトしてんの? 言っとくけど今の貸しだからね」
 マリアの言ってることの意味が分からず手を止めてマリアを見る。
「かか、か、貸しって? 」
「今の胸元覗き込んだ分。とぼけたって無理→無駄→無謀。しっかり見てたんだから。あたしが気がつかないと思った? 」
 ほら、やっぱり来たぁぁぁ。
 前もたまたま手の甲が腰に触れたとかで駅前のレストランで六百八十円のクラブサンドと八百円のスペシャルオムライスを速攻で驕らされた覚えがある。そういやあの時はご丁寧にその店のプリンまでおみやげに持って帰ったっけ、この人。
 無理、無駄はわかるが無謀って何? つー意味不明な三段活用はこの際スルー。今日はヤバイですマジで。何せ残金八十円ですから。明日に繰り越したら確実に五割以上の利子が付く。恐るべしマリア金融。ダメもとで反論開始。
「い、いい今のは、たた、たたまたま、め、目に入った、だ、だけで、べべ別にの、の覗いてたたた、んじゃななな、無い」
「うら若き乙女の柔肌を視姦しといて何言ってんの? 今すぐ五千円請求されたくなかったら、あたしが食べ終わるまで、そこに座ってなさい」
 ブラの端すら見えてないのにどういう料金設定ですか? しかも視姦って何だ? そんなんで罪を問われるならおまえとすれ違った世の男性は全員逮捕されるだろ! 
 もし、マリアがセミヌードの写真集なんか出したら一冊いくらになるんだろう。でもかなりの高額でもこの女なら売れちゃうかも知れない。やっぱり恐ろしいよビジュアル系悪魔。
 仕方なく僕は蕎麦を啜るスピードを戻して食べることにする。食べながらマリアの方を見るとオムライスとスパゲッティーを交互に食べていた。
 前にも思ったがこの女にダイエットなど必要ないみたいだ。この前も此処の学食ランキングトップスリーのメニューを同時に食べていたっけ。ギャル曽根か、あんた。
 それにしてもホント見るだけなら最高の素材だと思う。二次元マニアの僕でさえ眺めるだけなら時間を忘れて見入ってしまう。これで彼氏が居ないのは絶対性格のせいだよな。
 前に強制的に驕らされた時もレストランに一緒に入った瞬間、店にいた男みんなが羨ましそうにこっち見てて恥ずかしかったけど誇らしい気分を味わったのも事実。
 でも騙されちゃイケナイ。マリアは正真正銘の悪魔的サディストなんですから。
 確かにこの美貌だから入学当初からかなりの男子学生から猛烈なアタックを受けていたが、その全てをワンパンで撃沈してきた。
 あっ、比喩じゃ無いですよ、本物のぐーパンチですよっ!
 中でもそのうち四人はストーカーまがいな追っかけをして逆に彼女に病院送りにされた。
 マリアはハーフで父親がアメリカ陸軍の突撃隊に所属しており、その父からマーシャルアーツを学んでてその腕前は大会の女子の部で入賞できるほどなのだ。僕はその方達に少しだけ同情します。
 あとマリアには妙な趣味がある。こう見えて彼女コスプレマニアなのだ。学校の人間はまず知らないが、秋葉原のコスプレカフェでバイトしている。当然この美貌な訳で、その店ナンバーワンの指名率を誇りかなりのコアファンが居る。
 なにしろ二次元アニメキャラがそのまま三次元になった様な容姿で、それがチャイナやメイド服を着て注文取りに来るんだから二次元マニアはたまらない。僕もたまに行ってみるけどありゃ反則ですよ。
 性格知ってる僕でもマリアを指名する。だってほら同じ値段な訳だから、最高のビジュアルを楽しみたいじゃないですか。
 そんなコスプレカフェでのマリアを脳内で映写しながら目の前で食事をしている素マリアを眺めていた僕だったが、タダで見ているとまた難癖を付けられて請求額が上がりそうなので視線を逸らして蕎麦に集中集中。
 すると今度は背中から声を掛けられた。
「あのぉ…… すいません」
 またまた女子の声。この学校で目の前で最後の一口のオムライスを口に運んでいるこのビジュアル系悪魔以外に僕に声を掛ける女子なんて検討つかない。やっぱり恐る恐る振り向く僕。
 いや、だから苦手なんだってばっ!
 振り向くと、そこにはまたまた美貌の女子! 此処まで来ると何かの呪いかもしれん。
 黒髪のショート。小顔にくっきり一重の大きな瞳。左右と高さが完璧なバランスを保つ鼻筋と、ぷっくりとした唇が印象的。全体的に幼さを残す顔立ちはロリ顔全開の破壊力で、美人と言うよりまさに美少女と言った感じだった。それはマリアとはまた違った美で当然僕はこっちも好みです。 
「ははは、はい、い? 」
 やばい、もはや人間の言語を喋れる自信がない。スイマセン見てるだけじゃダメですか?
「間違っていたらゴメンナサイ。突然こんな事聞いてびっくりするかも知れませんがぁ…… 」
 あんたの顔だけでも充分びっくりさせて貰いました。
 彼女の少しゆっくりとした口調に少しだけゆとりが生まれた僕はとりあえず深呼吸。スーハー、スーハー。
 あれっ? 何だろうこの違和感。なんか変だぞコノヒト。美少女の顔を見ててなんか凄く違和感を感じる。何だろうと思っているとあることに気がついた。この人、俺の顔見てないんだよね。てんで明後日の方向に視線が行ってるんだ。何で? って思いながら彼女の右手を見ると白い杖が握られている。これってひょっとして……
「あっ、ごめんなさい。私、目が見えないんです」
 僕の気配を察したのか彼女はそう答えた。
 盲目の美少女ですかぁぁぁ――――――っ!? 
 なんつー設定で登場してくれるんだよコノヒトは!
 僕はこの時ほど持病のどもり症を呪ったことはない。だってさ、外見全くイケてないモロ秋カジの僕でもこの人にはそれが見えないんですよ。つー事は声とトークでOKって事でしょ? ああぁ、両方ダメな僕は話しにならねぇじゃん……
 しょうがない、とりあえず、勿体ないので彼女のビジュアルだけは網膜に焼き付けておこう。
「もしかして『シャドウ』さんじゃありませんか? 」
 ――――――――えっ?
 この瞬間、僕の頭の中のどっかず〜っと奥の方でスイッチが入るのを感じた。
「あんた、何者だ? 」
 あれ? ここリアルだよな。僕、今ちゃんと喋れてなかった?
「やっぱり。私、目が不自由なんで、代わりに耳が良いんです。一度聞いた声は絶対わすれません。ちょっと聞き取りにくかったけど、もしかしてって思って声を掛けたんです」
 そう言う彼女の顔は急に花が咲いたように明るくなった気がした。ああぁ、マジで可愛いんですけど。
「なるほど、それで、俺に一体何の用なんだ? 」
 あれれ!? やっぱりちゃんと喋れてるよ僕。どうなってるんだこれ? 前の席で食事していたマリアも手を止めて驚いている様子が気配でわかる。
「あ、申し遅れましたぁ。お久しぶりです。あれ? こっちじゃ始めましてか。私、世羅浜雪乃【セラハマユキノ】と申します。半年前、クエストで御一緒した『アポカリプス』のメイジ、スノーです。まさかリアルで同じ学校だったなんてぇ――― なんか運命感じますね」
 ごめんなさい。運命感じて喜んでくれるのはありがたいのですが、全く憶えておりません。ただスノーというメイジは知ってる。あっちじゃ結構有名なメイジだ。でも一緒にクエストしたことあったっけ? 
 それにしても、まさか同じ大学の生徒にセラフィンゲインのプレイヤーが居るとは思わなかった。世間って意外と狭いのね。
「勝手に盛り上がってるトコ悪いが、俺は雇われたチームのメンバーをいちいち憶えていられるほど器用な男じゃない。無論あんたのことも憶えちゃいないが、あんたの名前は知ってる。『プラチナ・スノー』ってあんたのことだろ? 」
 やっぱり変だ。一体どうなってんだろ。どもりはでないしこの高圧的な態度。まるでセラフィンゲインに居る時の僕、そう『漆黒のシャドウ』そのものだ。
「『漆黒のシャドウ』に名前を覚えて貰うなんて光栄ね。再会を祝して『ビネオワ』で乾杯したい気分だけど此処じゃそうはいかないわね」
 ビネオワとはセラフィンゲインの世界でアモーの乳から作られるお酒のこと。極寒フィールドでは寒さを凌ぐために携帯されることもあるが、無事生還した時などにチームメンバーとベースキャンプで飲んだりする事が多い。
 いやしかし完全にシャドウ化してる僕が言うのも何だけど、雪乃さんうっすらキャラ変わってませんか?
「まあな、リアルで煽る酒じゃない。そんなことよりあんたの用件を聞かせろ。オフ会の誘いだったら断るぜ」
 そう言う僕の言葉に雪乃さんはフッと笑いその大きな瞳を僕の顔に向ける。その動作が妙に大人びててぞくりとした。ロリ顔に大人びた仕草のアンバランスさがまた何とも…… やっつけられそう。
 もしもし、あなたホントに目が見えないんですか?
「それも面白そうだけど、またの機会にするわ。実は私が主催するチームに貴方を召喚したいの。ここ良いかしら? 」
 雪乃はそう言って俺の横の椅子を指した。それは盲目である事を感じさせない動作だった。もう何でもありデスこの状況。
「カゲチカ、あんたちゃんと喋れんの!? 」
 それまで蚊帳の外だったマリア嬢が此処でやっと口を挟んだ。ゴメン、聞かないでくれ。僕自身分かりません。突然治るなんてあるんだろうか?
「い、いいや、なな、何故か、ふ、普通にに、し、喋れれ、るんだ」
 ―――喋れてないし。
「あんた馬鹿にしてんの? 」
 残像が出るくらい激しく首を横に振る僕。いいえめっそうもない! Mじゃないですよ自分。地雷をわかってて踏むのはお笑い芸人ぐらいです。
 そんな僕とマリアのやりとりを眺めつつ(いや、実際そう見えるんだって)クスッと笑いながら雪乃さんは静かに隣の席に座った。いやー二次元マニアの僕ですが、その顔だけでご飯三杯はいけそうです。
 ビジュアル数値テラバイトの女子二人にこんな至近距離で囲まれるなんて、これまでの僕の人生には皆無。こういうのなんていったけ? 両手に花? 逆ドリカム状態? ニーヤが辞めたからもう違うか。
 とにかく普通の男なら超ハッピーなんだろうけどリアル女子は僕にとって極めてNGな存在な訳で、はっきり言ってもう限界。
 極度な緊張と混乱で脳がオーバーロードしかけるなか、隣に座る白銀の女魔術師の微笑みだけが妙にはっきりと網膜に焼き付いて離れなかった。



第3話  悪魔の決断


「どうかしら、シャドウ? Yes or No? 」
 そう言って見えない筈の瞳を僕に向ける雪乃さん。ホントこの人、見えてるとしか思えないんですけど。
「俺は仕事の話しはリアルじゃしない主義なんだ。依頼ならあっちのターミナルで正式に聞く。話はそれからだ」
 僕はぶっきらぼうにそう答えた。マリアと話すとやっぱりどもるのに何故かこの娘と話すと普通に喋れる…… もしかして、これが恋ですか!?
 いや、違うな、きっと。どうもシャドウと呼ばれるとそれに反応してスイッチが入るみたいだ。
 ワード認識音声センサー付き二重人格症かよ……
 どもりだけでも厄介なのに、またいらない機能がインストールされたらしい。もういい加減疲れるんですけど、このふざけた体。
「言葉が不足していたようね。これは傭兵としての仕事の依頼じゃないわ。私が主催するチームの正式メンバーとして、貴方をスカウトしたいって事よ」
「『アポカリプス』に入れってか? 願い下げだな。あそこの前衛とは馬が合わん。きっと向こうだってそうだろう。そんなチームがフィールドで戦えると思うか? たまに組むぐらいでちょうど良い。俺は二度とゴメンだがね」
 そう言って僕はかけそばの汁を啜る。蕎麦自体は不味いけど、汁は出汁が利いてて結構いけるんだよ、此処の蕎麦――― ってそうじゃない。
 僕に嫌な言い方をされて不快な顔をする雪乃さんを直視する勇気がなかっただけ。ゴメンナサイね、自分でもどうにもならないんです、この口調。
「第一、俺は傭兵だぜ。経験値以外取り引きしない。相手を見て言葉を選べよ、お嬢さん」
 いや、見えてませんよー実際。
「『アポカリプス』は解散したわ。元々あまりまとまっていたチームじゃなかったし。貴方に入って貰いたいのは別のチーム。私がこれから作る新しいチームよ」
「新しいチーム? 」
「そう、セラフィンゲインで伝説になるような最強のチームを作るの。それが私の夢。それに貴方の力を貸して欲しいの」
 伝説の最強チーム。ヤバイ、今ぶるっと来た。その響きだけでワクワクしてきてしまうじゃないですか。
「伝説の最強チームか、確かに面白そうな話だな…… しかし何故傭兵の俺を誘う? 俺よりレベルの高い一般のプレイヤーも居るだろう。金で転ぶ様な傭兵じゃイザって時に逃げるかも知れないぜ? 」
 心の中ではワクワクしてるのに素直じゃ無いよなシャドウって。と自分で自分につっこんでる僕って一体……
「そうかしら? 貴方の戦いぶりを見ると本心で言ってるとは思えないんだけど」
 そう言って人差し指で前髪を揺らしながら微笑む雪乃さん。
 ダメだ、萌え死ねる。
 それ狙ってやってるならあなたもマリア同様宇宙人レベルの悪魔女子ですよ。
 落ちかける目尻と意志に反して伸びようとする鼻の下を何とか押さえつけ、トリップしかける意識を強引にねじ伏せながら話を続ける僕。
 今のはヤバかった。コイツは想定外の破壊力だ!
「あんたに俺の何がわかる」
「それがあそこでの貴方の存在理由だから。貴方は逃げない…… 」
 見えない筈の瞳が、まるで僕の心の全てを見透かしているような気がして慌てて目をそらした。そう言えば昔、似たような経験をした気がする……
 他人に流されまくる僕だけど、性格や生き方を決めつけられるのは正直微妙なんだよね。
 そんな気持ちを誤魔化す為に話を続ける。
「ふん、まあいい。それでメンバーは? 」
「受けてくれるなら、貴方が一人目になるわね」
 キックオフメンバーをこれから集める訳か。まずはメンバー探しから始める事になるな。と、すでにその気になってる僕です。しばらく傭兵家業から身を引くのも悪くないかも知れない。そんなことを考えていると話しに入りあぐねていた栗毛の悪魔がしびれを切らして割り込んできた。またややこしい事になりそうな予感…… いや悪寒がする。
「ちょっと、二人して一体全体何のこと話してんのよ。カゲチカ、あんたあたしを放置するなんて良い度胸してるじゃない。あんたこの娘とどういう関係? あたしも話しに混ぜなさい。あんたはあたしの犬なんだからそうする義務があるでしょ」
 さっすが、マリア様。僕って君の犬だったんだねー! マテコラ
「ここ、これは、ききき君には、か、関係いい、ないここと…… 」
「だから、馬鹿にしてんのかって言ってんのよっ! なんでこの娘とは普通に会話できて、あたしとは出来ないのよ―――――っ! 」
 そう言いながら、キーって僕の首を掴み、がっくんがっくんと振り続けるマリア。おーい誰かっ、酸素っ、酸素プリーズっ!!
「あれ? どうしちゃったんですかぁ? 」
 と、まっとうな疑問を投げかける雪乃さん。頼む、見てないで助けて。息が、息が出来ないんですよっ!
 あ、そうだ、この人目が…… 見えないん…… だっ…… たぁぁ……
「カゲチカはね、女の子と喋ると言語障害を起こす奇特体質なの。だけど何故かあんたと話している時はそれが出ないのよ。あたしと喋る時は出るくせに、あ〜ホントむかつくっ! 」
 マリアはそう吐き捨てると掴んでいた手を放した。ハアハア、とりあえず酸素酸素。
 あぶなかったぁ、あと5秒続いてたら落ちてるって。もう少しでこの悪魔を死神にクラスチェンジさせるところだった。頼むから人の病気に勝手にむかついて殺人未遂にまで発展させるのは勘弁して欲しい。
「そうなんですかぁ。なるほどぉ、ふしぎですねぇ」
 どうやら、雪乃さんもスノー化が解けたようで、またあの何ともマイペースな口調に戻っている。僕も雪乃さんもセラフィンゲインのキャラ名で呼ばれるとリアルでもあっちのキャラを演じてしまう体質のようだ。現実と非現実の区別が付かなくなる事は『ロールプレイヤー』にはありがちなことだけど、普通に考えたらそれって単にアブナイ人だよな。
 でもちょっと待てよ、僕の場合はまだまともに言語が話せるから良いことなのか?
 そんなこんなで話しに混ぜろとうるさいマリアにセラフィンゲインの説明をする羽目になった。と言っても、今の僕じゃ説明出来ないので全て雪乃さんが説明し僕はその横で聞いてるだけ。やっぱり喋るスピードは少々スローリーだけど説明が上手いね、雪乃さん。
 ただ少々気になることもあった。
 僕もこの変な持病のせいで人のことを言えるほど人づきあいが上手い人間じゃないが、マリアもあの性格なだけに他人と距離を置く傾向があり、雪乃さんとトラブルにならないかビクビクしながら聞いていた。だってこの二人が険悪になって最悪喧嘩でも始めちゃったらはっきり言って僕じゃ止められませんから。
 しかし、話が進むにつれそんな心配は無用だと言うことに気付いた。なんか妙に仲良いんですけど、この二人。
 スノーの時はどうだか分からないけど、見た目、雰囲気正反対のこの二人がこんなにうち解けるとは思わなかった。
 まぁ、共通点もある。二人とも類い希なる美貌の持ち主ってこと。類は友を呼ぶって言うけど美の持ち主はやはり美を好むのだろうか。僕としても実写アニメのようなこの二人のツーショットは見ていて凄く得した気分になるね。隠し撮りしてデスクトップの壁紙にしたい心境だよ。
 でも、二人のこの仲の良い関係がマリアにある重大な決意をさせることとなる。
「面白そうね、ねえ、あたしも入れてくれない? そのチームに」
 なんですとーっ!? マジですかっ!?
「なっなな、なっ*;sぢういw……! 」
 ごめん、人の言語じゃなかった。何ですってマリア様!?
「私は別にかまいませんよぉ。カゲチカ君さえOKなら」
 ト・モ・チ・カです。
 それより雪乃さん、いつの間にか僕がメンバーという前提で話が進んで行ってる気がするんですが―――
 しかし、そんなことには少しも触れず話が進行していく。この二人の前では僕の選択権とか拒否権とかそういった物は無いことになっているらしい。オイ、君達ちょっと待ちたまえ……
「ああ、コイツの意見は聞かなくて良いの。彼あたしの奴隷だから。あたしに負い目もあるし。雪乃がOKなら決まりね」
 ああ、やっぱり。そう言う流れだったもんね。僕ってそういうキャラだし……
 つーか、出会って数分の人をもう呼び捨てデスカ。さすがだね、天下御免のマリア様。ついでに犬から奴隷に格上げされた僕。オイゴるぁっ!
 でも実際犬と奴隷ってどっちが格上なんだろ? 
 いや、そんなことはどうでもいい。マリアがメンバーってマリアは初心者だろ? そんなの入れて最強チームなんて出来るのか?
「ゆゆ、雪乃さん。ままま、マリアは、し、しし初心者で、ですよ」
「ああ、大丈夫ですよぉ。私とカゲチカ君でサポートすれば。他のメンバーもそれなりに強い人集めれば問題ないんじゃないですかぁ。私たちと一緒にクラスAで大物と戦えば、きっとあっという間にレベル上がります」
 だから、トモチカ…… もういいや、カゲチカでも。『天然ラッパー』よりはだいぶマシだし、好きに呼んでくださいな。トホホ
 いやいやそんなことよりあなた、レベル1でクラスAに立たせる気ですか!? それは素敵すぎます雪乃さん。そこらへん徘徊してる雑魚セラフの軽〜いジャブでさえ一撃でデッドっすよ、きっと。
「あたしも手っ取り早いのが良いなぁ〜 ようはウロウロしている怪物を片っ端からどついて倒してその経験値ってのを巻き上げればいい話でしょ」
 と言い放ち笑うマリア(悪魔)。オイオイ、そう言う身も蓋もない言い方するんじゃない。なんか僕ら山賊みたいじゃないか!――― だいたい合ってるけど。
「最近人間相手も飽きてきてたし、ちょうど良いわ、面白そうじゃない。その話し乗った! 」
 乗るなっ!
 つーか人間相手ってあなた、普段一体何やってんの?
 まぁ、それはこの際置いといて、所詮ゲームって思っているんだろうが、セラフィンゲインはそんなに甘いゲームじゃないぞ。僕だって此処まで来るのに二年以上掛かったんだ。仮想世界って言ったって現実のクオリティを持った体感シュミレータなんだ。イヤ、現実そのものと言ってもいい。
 現実であるが故、およそこの現実世界で考えられる物理法則は全て適応されるのはもちろんのこと、それに魔法など現実では超常的だと考えられる現象まで現実そのものの『本物』として付加されている。テレビや映画などで見るVFXバリバリのような現象や、空想上の怪獣達が当たり前のように再現され自分たちを包容している世界。まさに究極のファンタジーフィールドだ。
 そこでは当然自分たちの体もその世界の法則に則って再現されるわけで、怪我をすれば痛いし死ぬこともある。確かにイメージの世界だから本当に死亡することはないが、痛みや死の恐怖などは現実の物として体感される事になる。これがどういう事か解るかい?
 たとえば、スゲー怖い悪夢を見てそこで怪我をしたり、殺されたとする。確かに怖いけどやっぱり夢だから実際に痛みなどはないでしょ。でもそれが夢ではなく現実に痛みを伴って体感することになるとしたらどうする?
 何年か前に恐竜を現代に復元させるつー映画があったでしょ。アレを自分がリアル体験する事を考えてみてほしい。しかも自分たちか使える武器は近代的な銃やロケット砲、戦車なんかではなく、剣、斧、槍、弓といった笑っちゃうくらい古典的な武装で立ち向かわなければならない。
 まあ実際の物と違って結構強力な物として設定されてはいるけど、何せ相手も怪物ですから、簡単にやっつけることも出来ないわけで、噛みつかれたりどつかれたり踏みつぶされたりして大怪我して死んだりするわけですよ。
 実際死なないじゃんって思うかもしれないけど、これが結構痛キツイ。個人差があるけどシステムとの同調が高い時に腕ちょん切られた時なんて失禁するほど痛くって、終わってからでも腫れてる場合もあるし、初めて死んだ時なんかは精神的ダメージでまず間違いなく胃の中の物をリバースする。
 そう言った恐怖を勇気でねじ伏せて戦いに挑み、勝利を掴んだ者だけが初めて廻りから英雄として認められる。怪我や死ぬのが怖い腰抜けちゃんは掃いて捨てられちゃうつー厳しい世界なのですよ。
 現実ヘタレの僕だけど、あそこで発揮する勇気だけは誰にも負けないと思っている。 あの世界ではこの現実世界で得た地位も名誉も関係ない。偉い人もそうでない人も、強い人も弱い人も、全てに於いて平等に『勇気』が試される場所。誰もが英雄と呼ばれる存在になれる可能性を秘めたまさにドリームワールド。それが究極のデジタル仮想世界セラフィンゲインなのだ。
 その辺りのことを僕ほど熱くはないが、それとなくマリアに説明する雪乃さん。
 ちゃんと説明できる人って羨ましいです、尊敬しますよ。まぁ僕の場合、説明以前の問題ですけど……
 さあどうなのよビジュアル系悪魔マリアさん。そんな勇気をお持ちですか?
 だが僕はこの悪魔が人一倍好奇心が強い事を忘れていた。
「上等じゃない。そう言う緊張感って人生には必要なスパイスよ。そうじゃない? 死の体感ってのも一度味わってみるのも悪くはないわ。どうせ誰でも一回は死ぬんだからさ」
 ものすごーくマリアらしい回答。
 でもね、現実では普通死ぬのは一回こっきりだから。その二回目もあるような言い方は止めようよ、君の場合ありそうで怖いから……
「さーて、そうと決まったら善は急げね。とりあえずあたしは登録しなくちゃ。ねえカゲチカ、あんた今からあたしのガイドね。それでさっきの貸しは半分にしてあげる」
 善かどうかはともかくチャラじゃないんだっ!?
 普通話の流れから言ってそこはチャラになるんじゃないでしょうか―――?
「じゃあぁ、今日の五時にターミナルの『沢庵』で待ち合わせしましょう。なんかぁ、ワクワクしてきますねぇ」
 全然そんな風に聞こえない口調でそう言ってにっこり笑う雪乃さん。
 そうですか? 僕は色んな意味で不安で一杯なんですけど……
 雪乃さんの言う『沢庵』というのはセラフィンゲインに接続してまず最初に転送される『ターミナル』というエリアにあるレストランの名前。あっちの世界では主にチームメンバーとの待ち合わせなどによく使われる店で、レストランと言うからには当然食事も出来る。
 基本的にセラフィンゲイン内での食事には『スタミナ回復』という意味があるため、現実同様取らなければならない。スタミナは時間経過や行動によって減っていき次第に動きなどが鈍くなったり、戦闘時の攻撃力なんかに影響が出てくるため食事は結構重要な行為でクエストに行く前には必ず食事をするし、遠征先では回復アイテムとして携帯食料を持っていく事になる。
 でもあくまであっちの世界での話し。現実での肉体には何の影響もない。夢の中でごちそうは食べても実際お腹いっぱいにはならないでしょ。
 と言うわけで、僕たち三人は今日の午後六時にセラフィンゲイン内のその『沢庵』という店で待ち合わせをすることになったわけだ。恐らくそれが僕らチームのあっちでの初顔合わせになるのだが…… 
 ちょっと待て。結局僕の返答というか意見なんかはこのままスルーなのか?
「それじゃあ、マリアさん、カゲチカ君、六時にあっちで会いましょうねぇ」
 そう言って雪乃さんはにっこり微笑み会釈すると杖を手に学食ホールを出ていった。
 やっぱりスルーかよ…… 
 あのさぁ、入ってくれって『お願い』だったよな、たしか。誘った相手の返答を全く聞かずに話をまとめちゃうって人としてどうなのよ? ねぇ?
 まぁ、もうやる気でいたからいいけどさぁ―――
 この娘もやはりマリア同様侮れないな。
 しかし僕はそれでも可愛いその仕草に脳が溶かされながら、やっぱりどことなく雪乃さんの周りだけ時間の流れが違うような気がしてゆっくりとその姿を見送った。
「さて、そうと決まって俄然やる気が出てきたぞぉ。あたしもう一品食べよ」
 まだ食うんかっ!?
 どんだけっ! どんだけカロリー摂取すれば気が済むんだこの女! 
 きっと悪魔は胃袋が魔界と繋がってるに違いない。ちくしょう! こっちは金無くってかけぞば一杯にもかかわらず、今の一件でカツカレーの大盛り並みのカロリーを消費したというのに……
 マリアはテーブルに置いてあったチェック柄のビトン財布をひっつかむと、そそくさと食券機に向かうその後ろ姿を眺めつつ僕はため息をついた。
「やれやれ、ホントにそんなに上手くいくのか実際」
 マリアが離れたことでようやく言語出力の機能が復旧した僕は、ため息と同じくらいローなテンションで呟いた。
 悪魔参戦。リアルではほぼ無敵キャラのマリアだが、さてさてセラフィンゲインではどうだろう。ビジュアル系悪魔の実力やいかに…… つってもレベル1だからな。実力とかそーゆーのとは別問題なんだよな。
 でもこのとき、実は僕は不安や心配よりもあっちでのマリアのビジュアル面に想像が飛んでいた。だってさ、超美形の女戦士なんてマニアにはたまりませんよ……


第4話  ウサギの巣


 午後の講義は全体の三分の二の時間を夢の中で過ごし、なんとか乗り切った僕は妙にテンションの高いマリアを伴ってセラフィンゲインの端末がある秋葉原へと向かった。 
 駅の西口から北へ向かって進み、西側駅前広場をすり抜けアキバブリッチで明神通りをつっきってさらに進む。イヤに目立つタイムズタワーを横目に田代通りを歩いて蔵前橋通りのちょい手前の路地を入ると古びた雑居ビルのような建物が目に入る。
 普段はシャッターが閉まっていて全く人の気配が感じられないこの建物は、夕方になるとシャッターが開き、ぞろぞろと若者が入っていく。
 入っていく人達の格好は様々でサラリーマン風のスーツを着た者、僕たちのような見るからに学生、明らかに電波な人、正体不明の遊民など、本当にバラエティに富んでいる。
 店の看板、ビルの名前を示すような物は一切無く、シャッターが開いているにも関わらず、入り口にひっそりと蛍光灯が付いているだけのシンプルを通り越して荒廃感すら漂うこの不思議なビルの地下に、魔法の世界の入り口があるなんて普通の人だったら想像も付かないだろうなぁ。まずビル自体気が付かないかもね。
 元に僕も行きつけのゲームショップの店長から聞いてここに来た時、気がつかなくって三回通り過ぎたしな。
「ちょっとカゲチカ、ホントにこんな所にそんなゲームセンターがあるの? 」
 とマリアがもっともな疑問を投げかける。始めてきた時はみんなそう思うだろう。
 ただちょっと待て。ゲームセンターじゃないぞ。
「ああ、が、外見から、みみ見たら、ちちち、ちょっと、わ、わから、らんけどな」
 そう、ここが仮想世界セラフィンゲインの端末がある通称『ウサギの巣』の入り口だ。
 東京都内には此処の他に、渋谷にもあるらしい。そちらには行ったことがないので解らないけど、多分そこも似たような感じだろう。
 数万人規模のオンラインであるため世界各地でもかなりの数の端末があるはずなんだけど、何故か端末の場所は公式には発表されていない。ファンサイトやコミニティーサイトはやたらあるけど、普通一般にあるような公式HPなんつー物は一切無し。ネットの口コミや僕のように常連のゲームショップの店長などから場所を聞いたりして探すほかに僕は手段を知らない。
 それでもかなりの登録者があって、おまけに初回登録料や毎回のアクセス料なんか、かなり高額で儲かってるんだろうから、もっと大々的に宣伝してちゃんとした建物で受け付ければいいと思うんだけど、どういう訳か全くその気配が無い。
 サービス自体を提供している会社は、最近急激に成長している外資系の企業なんだけど、その伸びの原動力は全く別の分野で、企業のホームページを覗いても事業内容の一番下に一行『セラフィンゲイン』とあるだけで全くわからない状態だった。
 ネットの掲示板などでは半ば都市伝説めいた様々な憶測や噂が飛び交っているが、どれも信憑性に欠ける戯言ばかり。ホント謎だらけのゲームだ。
 しかしそんな妖しげなゲームであるにもかかわらず、日本だけでも数千人の登録者がが居るんだから世の中一体どうなってるんだろう。
 むしろそんなミステリアスさがまた、今の若者のニーズにストライクだったのかもしれない。まぁ僕もそのウチの一人なわけで、偉そうなことは言えないけど。
 それだけ妙な刺激に飢えてる人が多いんだろう。世界は一応平和なんだなと実感。
 ビルの入り口には今時珍しい両開きの鉄製框扉が付いているのだが、これがまたやたらに重い。始めてきた時は鍵が閉まっているのかと思ったぐらいだ。
 僕とマリアはそのクソ重い扉を開けて中に入った。中は外の寂しい雰囲気とは裏腹にガヤガヤとした喧噪に満ちていた。
「へぇ〜 中は結構広いのね」
 入って匆々マリアが呟いた。そう、中は外からじゃ想像しにくい広さでちょっとしたホテルのロビーぐらいの広さがある。
 左手に受付カウンター、その前にはちょっとしたテーブルが十数台ほどあり、それぞれのテーブルでは数人の若者達が雑談していて時折変な声を上げている。
 右手には数カ所パーテーションで仕切られた記載カウンターと数台のPC端末が並び、天井から生えたアームが大きな三台の液晶モニターをがっちり掴んでいる。モニターにはエントリーの呼び接続を済ませた登録名が羅列しており、その横には『Standing by』【待機中】の文字が赤く点灯していた。
「なんかさ、空港の発着ロビーみたいね」
 そうマリアが感想を漏らした。確かにそんな感じかなぁ、規模はすこぶる小さいけど。
「とと、とりあえず、う、受付でと、と、登録をしないと。あ、あそこのカウンターの、い、い、一番手前が、と、登録の、ま、ま、窓口だよ」
「よし、ほいじゃちょっといってくるから」
 そういってマリアは右手にある端末に向かった。相変わらず妙にテンション高いな、マリア。
 マリアが登録の手続きを終えるまで僕は適当な椅子を探して座り、天井から下がった大きなモニターを眺めて時間を潰すことにした。
 こう眺めている間にも次々と予備接続をした登録名がくわえられていく。その横にそのキャラのクラスや戦績などが並び所属チーム名などが付け加えられる。
 その中にはチーム名が空欄の者もあるが、これは僕のような何処のチームにも属さないフリーのプレイヤーを表している。
 セラフィンゲインでは仲間と協力してクエストをこなす、いわゆる『チームプレイ』を原則としているんだけど、別にソロでもクエストに参加することは可能でそれに対してペナルティなんかもない。
 しかし簡単にソロでこなせるほどセラフィンゲインの世界は甘くは無く、一番下のクラスCならともかく、僕がエントリーするクラスAは生還すること自体目的と言えるほど厳しい条件付けがされたクエストばかりでかなりサバイバルな環境だ。
 僕も何度かソロを経験しているが、はっきり言ってかーなーりしんどい。そんなわけで、僕は他のチームと契約を交わしてクエストをこなす『傭兵』になった。まあ当然僕も昔はチームに所属してたんだけど色々あって今に至ってる。その辺りのことはあまり触れたくないんでスルー。
 時計を見ると五時を少し回ったところだった。予備接続が開始されるのはきっかり五時からで、実際にエントリーが始まるのは五時半から。それが過ぎるとここに表示されている『Standing by』【待機中】の赤い文字が『Connecting』【接続中】という緑の文字に次々と変わっていく。その瞬間、エントリーしたプレイヤー達の意識は一気に仮想世界セラフィンゲインに転送されることになる。まさに夢の世界の冒険旅行に出発ってわけ。
 そう考えると、さっきマリアが言ってた『空港の発着ロビー』つー表現もあながち的はずれな比喩じゃないな。マリア、上手いこと言うなぁ。
 様々な思惑を抱え、毎晩あの世界で狩りをするプレイヤー達。色々な現実世界のいざこざやしがらみなんかを忘れて、怪物との戦闘に明け暮れる人々。
 退屈な日常から非日常への解放―――みんな夢中になるのも当然だよ。
 僕も現実では何一つ良いことがない。周りに流されるだけの、悲しいくらいにさえない毎日だ。生身の異性とは会話にならず、辛うじて会話として成立してるのは行きつけのアニメショップやゲームショップの店長ぐらい。成績だってギリギリ受かった三流大学の底辺すれすれをキープしてるし、スポーツなんて以ての外。
 普通人間って何か一つぐらい取り柄があっても良い物だけど、僕の場合はそれが完全に欠落してる気がする。きっとこの先の人生も似たような感じで過ぎていって、あっという間にジイサンになっちゃうんだろうなぁ。
 でも、あの世界では僕は全く違う人間としてやっていける。現実どんなにさえないヘタレ野郎でも、あそこにさえ行けば周りのみんなが一目置く凄腕の傭兵として認められる存在になれる。
 現実逃避と言われればそうかも知れない。所詮仮想のゲーム世界だし、そこでどんなに英雄的な存在になっても意味なんて無いのかも知れない。でもこんな僕にとって、あそこでは唯一、自信に満ちあふれた別の人間として過ごせる場所なんだ……
 そんなことを考えつつモニターを眺めていると、カウンターからマリアの素っ頓狂な声が聞こえてきた。
「マジでっ!? しんじらんなーいっ!! 」
 振り向くとカウンターでマリアが受付の係員となにやらもめている様子だった。周りの連中が「何事?」と言った顔でカウンターのマリアを見ている。
 マリアがあんな声を出すのは二つの理由のどちらかしかない。一つは食事、もう一つは…… やばーいっ!、そうだ、一つ肝心なことを言い忘れてた―――!
 僕は急いでカウンターに向かった。
「ちょっとカゲチカっ! 初回登録料二万ってどういう事よっ! ボッタクリにもほどがあるわ。おまけに現金オンリーってあんた馬鹿にしてんの? 」
 やっぱり―――
 つーか僕に怒るな。気持ちは判るけど。
「それに、一回のアクセス料が一万円って、いったいどういう料金設定よっ! って事はなに? 初めては全部で三万かかるわけ? 冗談じゃないわっ! 」
 ごもっとも。たしかにすっとぼけた料金設定だと僕も思う。始めに掛かる登録料抜きにしても、一回のアクセス料が一万円つーのはゲームのプレイ料金としてはぶっ飛んでるよな、実際。
「も、も、持ってない……よな? 」
「あったりまえでしょーっ!! 常に三万以上財布に入れて大学行く学生が、あんなしけた大学に通う訳ないでしょっ! 」
 ―――重ね重ねごもっとも。彼女らしいと言えばらしいが、大学の経営側の人間が聞いたら激怒しそうなコメントだな。
 そもそも常時三万円も現金持ち歩いている様な奴が僕のような見るからに貧乏学生とわかるような奴に食事代たかるわけがないか。
 そうだよな。確かに高すぎるよ此処の料金。マリアじゃなくても喚きたくなるよマジで。僕も始めてきた時はびっくりした。そうだ、あの時はたまたまバイト代が入ってて持ってたんだよな。金額聞いて止めようと思ったけど、受付カウンターで断れなくなって結局登録したんだっけ、情けない話。
 でも結果的にどっぷりハマってるからある意味ラッキーだって思ってるけど、普通の金銭感覚の持ち主だったら値段聞いて帰るよたぶん。
 尚もブーたれるマリア。う〜ん、雪乃さんとの約束もあるしなぁ……
 はぁ…… 仕方ない。
 悲しいけど奥の手を使うことにするか。昼間からマリア、いやに楽しみにしてたしなぁ。何よりも此処で帰したら後が怖い……
 結局ここでも僕が払うことになるのね。グスンっ
 僕はマリアを連れ立って一旦受付カウンターから離れて壁際の端末に向かった。ゲームショップやレンタルビデオなどのカードがわんさか入った財布から一枚銀色に光るカードを一枚抜き取る。右下に赤いアルファベットでセラフィンゲインと書いてあるだけの至ってシンプルなカード。これがセラフィンゲインの会員証であるIDカードだ。
 キーボードの右側にあるカードスロットにカードを差し込むとモニターにウェルカムメッセージが出てくる。そしてすぐに名前とパスワードを打ち込む画面に切り替わった。キーボードで名前とパスワードを打ち込み、続いてモニター上のデュアルセンサーに顔を近づける。二度ほど赤い光が点滅した後、画面が切り替わり会員用サービスのトップページが映し出された。
 セラフィンゲインの会員用サービスページへのアクセスは此処の『ウサギの巣』に並ぶこの数台の端末のみで他の端末や個人所有のPCなどからはアクセスできない。しかも名前、パスワード、そして今の網膜識別によって本人以外の人物以外アクセスできない厳重なセキュリティーが掛けられている。なんかスパイ映画の主人公になった気分だ。
「何すんの? 」
 僕の一連の操作を横で見ながらマリアが尋ねる。
「ぼ、僕も、今は、げ、現金持ってないから、リリ、リーザーブから、ひ、引き出す、んだ」
 画面のサービス項目から『リザーブEXP』という項目を選びエンターキーを押しながらそう答えた。
 セラフィンゲインの中では『セラフ』と呼ばれる怪物を倒したり『ミッション』と呼ばれる任務で目的を達成するとEXPというポイントがもらえる。このEXPはキャラのレベルアップや装備品などの購入に使われたりする、あっちでの通貨のような物で、使わずに貯めることも出来る。その貯めてあるEXPを『リザーブEXP』と言い、通常『リザーブ』と呼ぶ。
 キーボードを打ち込み『換金』をクリックすると、しばらくしてキーボードの下にある排出口から数人の諭吉さんが顔を出した。
「これ、ATMだったんだ。ならあたしも引きだそう」
 そう言ってマリアが鞄から財布を引っ張り出す。いいや違うんだよマリア君。これはATMじゃありません。
「こ、こ、これは、ATMじゃない。セ、セラフィンゲイン、で、かか、稼いだEXPは、げ、現金に、か、換金、でき、る、るんだ」
 そう、これがセラフィンゲインの魅力の一つ。セラフィンゲインで稼いだEXPのポイントは現金に換えることが出来るのだ。
「えっ! マジで!? 」
 マリアの声音が変わる。さすが食べ物か金のことになると食いつきが良い。
 もらえるEXPはセラフの強さや任務の困難さなどによって細かく決められているが、そのポイントの使い道は一切プレイヤーにゆだねられている。全てをレベルアップに使おうが、全てを換金しようがすべてプレイヤーの自由で運営側からの規制は一切無い。その気になれば一度に数十万のお金を手にすることが出来るってわけ。
 しかし確かに得られる現金も魅力的だけど自分のキャラのレベルを上げてステータスパラメータを上げないと大物を倒す事も不可能だし、装備品などにもそれ相応のポイントを支払わなければならないわけでEXPのポイント運用はかなり奥が深くそう単純な物ではないのが現状。
 セラフィンゲインに通うプレイヤーの大半がそんなEXPポイントとキャラクターのステータスや装備とのバランスシートに悩む存在だった。その辺りの事をマリアに説明したのだが、果たして理解しているのだろうか。
 かわりにさっきまでふくれっ面だった美貌が急に明るくなった。金がらみなだけにホント現金なヒト。
「こ、今回は、ぼぼ、僕が、た、立て替えて、や、やる」
「ホント! やった〜らっきぃっ! やっぱ、持つべき物は友達よね」
 昼間犬や奴隷と言っておきながらこの変わり様――― 
 地獄の沙汰も金次第と言うが、アレは悪魔にも通用するらしい。半ばあきれ顔でマリアを見ると僕の表情をどう見たのか、マリアが続けてこう言った。
「なに妙な顔してんの? あ、わかった。あたしが踏み倒すとか思ってるんでしょう。ダイジョ〜ブよ、その話聞いたら俄然やる気出てきたし。あたしの拳ですぐに稼いで返すから心配しないで」
 片腕を上げてガンバリのポーズを決めるマリア。
 拳でって……
 顔が顔だけに確かに可愛いのだけれど、およそ女の子の言葉とは思えませんって。ボクサーか、あんた。
 まあいいや、とにかくその現金もって再度受付カウンターへGO。無事にマリアの登録が完了。
 あっ、そうだ。職業何にしたんだろ、マリアは? と思い受付のモニターを覗き込んだ。

 プレイヤー:兵藤マリア
 キャラクター名:ララ
 性別:女
 職業:武道家【モンク】

 モンクかよ…… だから拳って訳ね。
 ヤバイ、似合いすぎる。つーかまんまだな。
「刃物とかって使うのは、性に合わないつーか、やっぱ最後は肉体で勝負? みたいな」
 と語るマリア嬢。何とも男らしい…… いやチガウダロ。格闘悪魔らしいコメント。結局リアルのみならず、あっちでも殴る蹴るな訳ね、君の場合は。
 しかしよりによって超近接戦闘な職業選ぶとは…… レベル1でクラスAに立つって事の意味わかってんのかな? 
 とりあえずマリアの登録が済み、続いて接続手続きをして貰う。初めてのマリアは現金で。僕はIDカードからリザーブを使って手続き完了。接続手続きが完了するとプレイヤーは続いて接続室に行く。
 今回はマリアが初めてなので案内係のきれー系おねーさんが付いてくれる。ちなみに此処のサービスの女性は皆さんかなり美人さんですが僕の趣味じゃない。まあすぐ近くに性格はどうあれ最高の素材があるんだから色褪せて見えるのは仕方がないだろう。
 ロビーの奥にある二機のエレベーターの内の一機におねーさんの後に続けて乗り込み地下へと降りていく。押しボタンを確認するとB3が光っている。今日は地下三階のようだ。
 このビルは地下が全てセラフィンゲインの接続室になっていて地下四階まであるらしい。らしいというのは単にエレベーターの押しボタンがB4迄しかないからだが、実際にはどうか判らない。何しろシステムといい、建物といい、運営会社といい、謎が多いですから、此処は。
 程なくして到着を告げるブザーと共にエレベーターのドアが開き、接続フロアに降りたところでマリアが声を漏らした。
「なに? ここ―― 」
 そこは上のロビーとはうって変わり気味が悪いほど静かだった。
 妙に明るい天井の照明に照らし出された気の遠くなるような長い廊下の両壁には等間隔で番号が付いた扉が廊下の先まで続いていてまるで牢獄のような雰囲気だ。僕も初めて来た時は背筋の体温が一度ほど下がった様な気がしたのを憶えている。
「じじ、じゃあ、あ、ああ、あっちで、あ、会おう」
 とりあえずそう声を掛けつつマリアを案内係のおねーさんに預け、僕は指定されたドアへと向かった。
 ドアの番号を確かめレバーハンドルの横にくっついたカードスロットにIDを滑らせてロックを外し中へと入る。室内は割とサイバーな雰囲気。
 広さはちょうど大きめのユニットバスぐらい。中央に合成革張りのリクライニングシートがあり、天井から生えたアームの先は二股に別れて一方にはモニター、もう一方には【ブレインギア】と呼ばれる半帽の様なヘルメットがくっついていて正体不明のコードなんかが所狭しとへばり付いている。
 何年か前に流行った映画に出てくるシートをモチーフにしているつー噂だが、現実にするとちょっと生々しい感じがしてあまり好きにはなれない形だ。なんかね、改造手術とか洗脳とかされそうな感じで正直微妙なんだよ、これ。
 右手のは洗面台が据え付けられ蛇口が付いている。これはデッド覚醒時に起こす嘔吐用。実際に初めてデッド食らうとまず間違いなく吐く。僕も今じゃあまり使わなくなったけど最初の頃は何度もお世話になりました。
 荷物を棚に載せ、上着を脱いでシートに腰を掛けると自然にブレインギアが降りてきて頭に装着される。続いてゆっくりとシートがリクライニングしていき正面のモニターが起動。画面に僕のあっちでのキャラクターであるシャドウのステータスデータが表示されていく。
 それらをシートの右の肘掛けの先に付いているボールでスクロールさせ一通り目を通す。これはシステムが起動するまでの若干の演出のような物でたいした意味があるわけではないが、すっ飛ばすことが出来ないのでとりあえず見てるだけ。
 微かに唸るような振動がシートから伝わり、耳の奥に縦笛のような耳鳴りが大きくなっていく。程なくして正面モニターが切り替わりいつも目にするメッセージが出てくる。
 僕はこの瞬間が一番好きだ。すげーワクワクする。
『STANDING BY OK? 』
 OK、おっけー、いつでもオッケー! 
 モニター画面を軽くタッチすると、また画面が切り替わりメッセージが出てきた。
『It prays for the good fight!』
 ああ、サンキューグッドラック!
 その文字を眺めつつ心の中でそう呟きながら目を閉じた。
 一際大きくなる耳鳴り。そして頭の中で重力という概念が消失する。
 高鳴る鼓動と反比例して遠のいていく意識の断片。
 目もくらむような浮遊感の中、僕の意識は暗く深い穴の奥へとダイブしていった。


第5話  ターミナル


 唐突な意識の消失から解放された俺は、足の裏に確かな接地感を確認し自分の意識を固定させ、消えつつ有る耳障りな耳鳴りが止むのを待ってからゆっくりと瞼を開いた。
 ざわついた雑踏を確認するまでも無く、目の前に広がる風景は先ほどの殺風景な接続室などではなかった。
 目の前に広がる景色はセラフィンゲインに最初に転送される『ターミナル』と呼ばれる町の風景だった。
 ほぼ天頂方向から照らされる陽光に反射し、行き交う人々の向こうに据えられた噴水がキラキラした水しぶきを煌めかせ、その存在感を誇示している。その噴水を取り巻くかのように配置された建物は、そのどれもが現実世界の中世ヨーロッパを模したような木材や石などを主体とした意匠に彩られており、初めて見る物に強烈なギャップを持たせるに十分な雰囲気を醸し出していた。
 現実世界に存在する東京の湾岸に建造された某テーマーパークに行った時のような感覚と思って貰えばいいかも知れないが、はっきり言ってこちらはさらに生々しい現実感を出している。
 当たり前だが鼠やクマをなどの可愛らしい動物たちを題材にした着ぐるみ達が徘徊するわけではなく、周囲を歩き回る人々の衣装もまた周囲の景観にマッチした物になっている訳で、本当に自分がタイムスリップをしたような感覚になる初心者のプレイヤーも多いはずだ。
 でも間違ってはいけない。
 現実の歴史には存在しない世界であることを。
 いかに外見が似ていようともこの世界は違う。
 例のテーマーパークは確かに魔法の国をモチーフにしているが、ファンタジーアニメの世界を模した物、あくまでそれらしく見せた作り物である。
 だが此処は紛れもなく現実と呼ぶにふさわしい存在感を持った魔法の世界なのだから……


 噴水の前に立ち、ガヤガヤと騒がしい周囲を見渡す。接続前まで掛けていた眼鏡はこの世界に転送された時点で無くなっている。
 そう、この世界は俺の脳内に直接投影されるいわばイメージの世界であるので視力の矯正は必要ない。眼鏡そのものは存在するのだが、キャラクターのドレスアップを目的とした物や特殊な効果が付加された魔法のアイテムの物で、現実世界の「視力の矯正」のための眼鏡は存在しないのだ。
 これと同様な理由で、たとえば何らかの理由で肢体不自由な人であってもこの世界では不自由ない体で活動ができる。ただし脳に障害がある場合は、その程度にもよるがその限りではない。電気信号による大脳皮質への直接喚起をその手段にしている以上、これは仕方がないことだが、それと同じく麻薬などの中毒症をもつ者も脳とシステムとのシンクロを乱してしまうため接続出来ない。もし偽って接続しプレイ中に何らかの発作や禁断症状等の行動が出た場合、サービス側に強制的に接続をカットされる様になっていた。
 それ以外の人はこの世界では全て平等に設定される。不自由な人はそうでない人を、肉体的、体力的に弱い人は強い人を。費やした時間と努力、工夫や知恵、それに対する情熱、そして何よりも勇気によってそれを凌駕することが出来る。
 現実世界ではほとんど建前と化している本当の意味での「平等」はこんな虚構の世界でのみ実現可能な幻想に過ぎないのかも知れない。

 俺はとりあえず腰の太刀を始め、今現在持っている装備を確認することにした。
 この世界に接続したプレイヤーはまず自分の現在の装備を確認することから始まる。初めてここに来る初心者以外は最後にセーブ(データ記録)した時の状態のまま接続される。装備は勿論、常に今自分がどのようなアイテムを持っているかを把握しておくことはプレイヤーの基本。これを怠ると後で泣くのは自分ばかりか、一緒にクエストに参加しているチームのみんなにも迷惑が掛かるのでこまめにチェックする必要がある。単独で行動するソロプレイヤーなら話は別だけど、ほとんどのプレイヤーがチームプレーを前提行動するだけに、それは最低限のマナーだ。
 俺が一通り装備品を確かめていると、俺のすぐ隣の空間に細かな光の粒が発生しそれらが次第につむじ風の様な渦を巻き始めた。これはプレイヤーがこの世界に転送される前兆である。
 渦が急速にその範囲を狭め中央に凝縮されていく。次の瞬間、パッと光が弾けて忽然と一人の人間が現れた。
 薄い緑の布地に深紅の縁取りの付いた胴衣。少し太めの同色のズボンに腰から膝下まで隠れる腰覆い。燻銀のような光沢の肩当てから皮バンドで繋がった胸当ては女性の体型を考慮して膨らみを持たせた成形になっている。肩口まで有ろう髪を後ろ手に結び、下ろした前髪を肩当てと同じ材質であつらえたであろう籠手を付けた両手で無造作に掻き上げゆっくりと目を開いたその美貌…… ビジュアル系悪魔、兵藤マリア。
「うわぁ……すごっ……」
 開口一番そう呟き周囲を見渡すマリア。
 いや、此処はセラフィンゲインだ。彼女は現実マリアであってもマリアではない。此処での名前は『ララ』 モンク【武闘家】のララなのだ。
 それにしても予想通りビジュアル最高!俺的には密かにミニスカ女剣士を期待していたのだが、コッチも凄く良い。やっぱり素材が良いと違うわ。似合うとかそういうのを超越してるな、こいつは。
 そんなララの容姿に見とれていたら周囲を見回していたララの瞳がそばに立つ俺を確認した。
「うわっ、あんたカゲチカ!?ずいぶん雰囲気違うわね〜」
 そう言って俺を品定めするかのように下から上へと視線をはわせる。
「あんた、あのへんちくりんな眼鏡やめてコンタクトにしたら?結構イケてるわよ」
 好きでへんちくりんになったんじゃない。高かったんだぞ!あの眼鏡。
「余計なお世話だ。それに此処ではリアルでの名前を呼ぶのはタブーだ。俺のことはシャドウと呼べよ」
「へぇ〜ホント普通に喋るんだ。別人みた〜い」
 どうも調子が狂う。だからリアルで知り合いの人とはコッチで会いたくないんだよな。
「ララ、携帯持ってるか?」
「え?」
「恐らくその腰に付いてるポーチに入ってるはずだ。ちょっと出して見ろ」
 俺がそう言うとララは腰のポーチをまさぐり折り畳まれたシルバーの携帯電話を取り出した。
「ホントに携帯なんだ……」
「コイツはこの世界でのみ使える連絡ツールだ。電話機能の他にもメールやマッピング機能、自分のステータスデータ閲覧機能なんかもあるが、もっぱらチーム内のメンバーと連絡を取ったり他のプレイヤーとの連絡などに使うことが多いだろう。とりあえず迷子になると面倒なので、ララのデータを俺の携帯に転送しろ」
 セラフィンゲイン内では全てのプレイヤーがこの携帯電話型端末を持っている。現実世界の携帯同様押しボタンがあるが、番号を押してダイヤルする事はない。登録した相手のキャラ名を検索して発信するだけ。じゃあ何故ダイアルボタンがあるの?つー事は俺には聞かないで。俺だって知らないんだから。こんな形してるんだからとりあえずダイアルボタンがついてないとカッコが付かなかったんじゃないかな。
 フレンド登録のさいもダイアル番号を押して登録する訳じゃ無い。お互いの携帯を近づけ送受信に振り分けられた番号のボタンを押すだけでデータのやりとりが可能だ。
 現実の携帯電話もあまりその都度番号を押して掛けることが少ない昨今、そのうち電話機能自体がオプションになる日が来るんじゃないか?
 とりあえず俺も携帯を取りだしララの携帯に近づけボタンを押した。
「あれ?あんたの黒いんだ」
「ああ、コイツは自分好みにカスタマイズが出来るんだ。俺のは配色変更で黒にした。後でやり方を教えてやる」
 程なくして送受信終了のデジタル音が流れ、データのやり取りが終了したことを告げる。
「使い方は現実の物とさほど変わりはないからわかるだろ……」
 と言った瞬間、俺の携帯が鳴った。液晶モニターに表示されるララの名前。どうやら使い方は大丈夫なようだ。
「でもさ、他がこんなにレトロなのに、何で携帯なの?」
「知らん。此処にいる全員がそう思ってはいるが、納得できる回答がでてくるわけないだろ。細かいことはスルーするのが此処のルールだ」
 自分で言っててわけわからん。つーかプレイヤーの暗黙のニーズや疑問点なんかにいちいち対応しようなんて気はさらさら無いよ、此処の運営側。
「とりあえずスノーとの待ち合わせもあるので沢庵に行く。説明は追々してやるから俺の後に付いてこい」
「は〜い。宜しくね、ガイドさん」
 と、少々浮かれた感じで答えるララ。悪魔的要素満載の実害が無いのは良いのだが、リアルでの彼女を知るだけに何とも言えない気持ち悪さを感じる。あんたキャラ違うやんけ。
 とりあえずそんな妙なテンションのララを連れ立って俺は広場を後にし、スノーとの待ち合わせ場所である沢庵に向かった。
 セラフィンゲインの主要施設は此処ターミナルの噴水広場である『エレメンタルガーデン』にそのほとんどが面しているが、レストラン『沢庵』は通り一つ向こうにある。
 俺達は先ほどの俺達と同じように転送されてくるプレイヤー達を避けながら裏通りに出た。
 噴水広場ほどではないが、それなりに人通りがある通りだ。行き交うプレイヤーも皆思い思いのカッコをして通りを歩いているが、中には数人システムが管理するプログラムであるNPC【ノンプレイヤーキャラクター】も混じっている。この世界のNPCはAIで非常に良くできていて、質問への応答や、この世界の日常会話などは楽にこなせ充分話し相手になる。
 初心者のプレイヤーが本当のプレイヤーと間違えて話しているなんて馬鹿な話しも良く聞くが判らなくもない。
 それぐらい出来の良いAIだが、あくまでAI。数万通りの回答を基本に経験した会話から学習する優秀なプログラムだが、意味不明な質問には対応しきれない。ちなみにAIかどうか見極めるには意味不明な質問を投げかけ、回答を吟味し見極めればよい。この会話はプレイヤーの間で『パラドックス・トーク』と呼ばれている。
「裏通り、通称『寝床通り』だ。向こうにとぼけた色した看板が下がっているのが見えるだろ。あれがレストラン『沢庵』だ」
 そう言って指を指す。どうやらララもすぐに看板が判ったようだ。もっとも、紫の縁取りに赤とオレンジの文字なんて看板、1キロ先でも確認できるだろう。どういう色彩感覚の持ち主がこさえたのかは謎だが、およそ看板という機能は確実に発揮できていることは間違いない。
「ねえ、なんで『寝床通り』なの?」
 と、ララがもっともな質問をよこす。
「沢庵のはす向かいにある尖塔アーチの屋根の建物わかるか?あれは『狩り者の寝床』つって俺達プレイヤーに与えられるプライベートルームがある建物だ。ベッドで休息を取ったり集めたアイテムを保管するBOXがあったりと、およそ自分の部屋として使える。言ってみりゃ長期滞在のホテルのような物かな。そこにちなんでみんなそう呼んでいるのさ」
 建物の外観はヨーロッパの中型アパートみたいだが、入ってすぐのロビーに面した10枚のドアのどれでも好きなドアを開けると、そのドアを開けたプレイヤーの部屋に接続する仕組みになっている。仮想空間であるセラフィンゲインならではの仕組みだ。
 ただ、一つの部屋には一プレイヤーしか入れず、知り合いやチームメイトを招き入れる事は出来ない。恐らくサーバの負荷を考慮してのことだろう。
「こういうゲームに良くある『宿屋』みたいな物?」
「う〜ん、まあ、ホテルに例えたが、此処は何回使っても料金はかからないし、完全なプライベート施設だから、そう言った意味合いからするとこの世界での『家』みたいな物かな」
 そう説明しつつ『狩り者の寝床』を右手に通りすぎ、俺達は沢庵の前まで来た。
 大判の樫の木の板に紫色の縁取りがされ、その中にまるで怒りにまかせて筆を叩き付けたような字体の漢字で大きく『沢庵』と書かれた文字が、赤とオレンジといった素っ頓狂なカラーで踊っている。
 俺達より先に数名のプレイヤーが重厚な作りの木製扉を開けて中に入って行く。俺達もその後を追うように店内に入った。
 開けた瞬間、ザワザワとした喧噪が鼓膜を刺激する。中は外からは想像できない広さだ。ざっと大学の教室二つ分はあるだろう店内にはびっしりと円卓が並び、ほぼ満席に等しい繁盛ぶりだ。
 テーブルを囲んでこれからエントリーするクエストに向けて入念な作戦を打ち合わせるプレイヤー達。そんなテーブル間を忙しなく注文を取り、通り一辺倒に復唱するNPCの店員達。手を叩きかつての戦友との再会に声を踊らせる者。食器やテーブルを叩く音をBGMに意味不明なかけ声で気合いを入れるチームなど……店内はそんな喧噪のごっちゃ煮だった。
 内装は他の施設の例に漏れずヨーロッパ風で、看板の色彩感覚もさることながら、どう考えても店名が致命的に間違ってると言わざるを得ない。開発者のネーミングセンスに首を傾げたくなるが、そこのところは携帯同様スルーしよう。考えるだけ無駄だ。
「うわ〜ひろ〜っ、でも満席じゃん」
 感心した声でそう言いながら店内を見回すララ。アクセス開始からまだ間もないこの時間はいつもこんな物だ。みんなそれぞれ待ち合わせやクエストの作戦会議などでこの店に集まってくる。
 待ち合わせにはこの店の他に別の施設があるのだが、そっちはいつの間にか俺のような傭兵が屯するようになり、他のプレイヤーは依頼以外寄りつかなくなってしまった。
 『待ち人の杜』なんつー洒落た名前があるのだが、何時の頃からか『傭兵の巣』と呼ばれるようになったのだ。もっぱら俺はそっちに居ることが多くこの店に来るのは久しぶりだった。
「やれやれ、待ち合わせも一苦労だな。先に来ているのかもわからんし……」
 そう呟いた途端、俺の携帯が振動と共に場違いな電子音を鳴らす。モニターにはスノーの名前が表示されている。
 オイオイちょっと待て。何でアイツの端末が登録されてるんだ?不思議に思いながらボタンを押す。
「何故俺の携帯に直接交信できるんだ?」
 受け言葉を省略して俺はそう聞いた。凄腕の傭兵が「もしもし、シャドウです」なんて返すのは似合わないだろう?
「前に一緒にクエストに参加したって言わなかったかしら?46番テーブル、待ってるわ」
 そう言うと一方的に電話を切られた。
 そういやそんなこと言ってたな。しかしさっぱり覚えがない。それにしても何とも愛想のない電話だった。やっぱり彼女もセラフィンゲインの魔女だ。リアルの雪乃とこの世界のスノーとはキャラが違うらしい。まぁ俺も人のことは言えないけどね。
「雪乃、先に来てるんだ?」
「ああ、向こうは俺達に気付いたようだ。46番テーブルに来いってさ。それよりララ、いい加減リアルの名前で呼ぶのはよせって。ここじゃアイツはスノーだ」
「あ、そうか。ゴメンゴメン。じゃ、早いとこスノーのとこ行こっ、ねっ、シャドウ」
「あ、ああ」
 コイツの「ゴメン」なんて言葉初めて聞いた気がする。ヤバイ、いやに可愛いんですけど…… 
 容姿が容姿だけに破壊力有る。騙されるな、俺!
 気を取り直し、ぎっちり並ぶテーブルを避け店内を進むと、少し先に白いローブを羽織った女が手を振っているのが見える。テーブルには彼女の他に3人のプレイヤーが座っている。
 大柄な体躯を持つ男と中肉中背の男。そしてその隣に『中坊か?』と思えるようなチビの男。大、中、小と揃った一見『狙った?』と聞きたくなるような綺麗な階段ラインを描いて座っている。
 手前のどう見ても『傷のないドズル中将』にしか見えない顔の大男は装備からしてガンナー。隣の『デューク東郷』のような眉をした中背男は僧侶。そして最後のチビは戦士と言ったところか。
 チビは顔は普通なんだが目が逝ってる。なぁお前、リアルで二、三人刺してないか?
「待たせたか?」
「いえ、私たちも今来たとこ。ようこそ、えっと……」
 とスノーが俺の後ろで突っ立てるララに声をかける。
「ララよ。こっちでは……初めましてになるんだよね?」
 一応気を使ってるらしい。さっき言ったこと憶えている様だな、感心感心。
「そうね、初めまして、ララ。ようこそ『セラフィンゲイン』へ」
 挨拶もそこそこ、俺は早速スノーの横に座っている妙なトリオについて聞いてみた。
「そこに座ってる三人組はなんだ?お前の親衛隊か何かか?」
 素っ気ない通り越してかなり失礼な言い方だが、これぐらいでないと傭兵家業なんか務まらない。
「彼たちは違うわ。貴方と同じように私がスカウトして来たの。三人とも腕は確かよ」
 俺のそんな物言いに、さすがに場数を踏んでるらしく全く気にしない素振りでそう答えるスノー。
 彼たちは違う―――?
 サラリと返されたが、そんじゃ他にいるって訳か。まあこの容姿ならあり得るな。ファンや親衛隊の一個連隊ぐらい居ても不思議じゃない。しかし冗談で言ったつもりだったんだが、マジでいるのかよ親衛隊。TVアイドルにでもなった方が良いんじゃねぇか?
「あら〜、これが噂の『漆黒のシャドウ』?割といい男じゃな〜い」
 と少々バスの聞いた声音で妙な言い回しをしながら立ち上がるドズル中将。
 オイオイなんだ?この生き物は!?
「紹介するわね。彼はマチルダ。でもあだ名はドンちゃん。見ての通りガンナー」
「宜しくね。あたし、セラフじゃなくて貴方も狙っちゃおうかしらぁ〜あははは!」
 マチルダ…… 
 違う、致命的に間違ってる。お前は絶対ドズル・ザビだろっ!世の中のガノタ全員敵に回す気かっ!
 硬直している俺にスノーが補足説明。
「ドンちゃんはこう見えてもリアルじゃ二丁目でお店持ってるのよ。キャラの名前はお店の名前から取ったのよね?」
 こう見えてもって……まんまやんけっ!
「そっ、宣伝も兼ねてんのよ。今度遊びに来てね、サービスするわよ〜」
 そう言ってウインクする二丁目ドズル。
 宣伝ってオイ……
 誰が行くかっ!そんなマニアックな趣味は無ぇ。
 ―――が、間違ってもビクザムの射程距離に入らないよう、店の場所だけは後で聞いておこう。
「それで隣に居るのがビショップのサモン。私はサンちゃんって呼んでるの。サンちゃんはね、リアルでも本物の曹洞宗のお寺の住職さんなの」
 そう紹介を受けたローブ姿のデュークは無言のまま俺に会釈した。
 なるほど、それでビショップか。しかし現職の坊主がこんな殺戮そのもののようなゲームに参加して良いのかよ?世も末だな…… 
 つっても顔は希代のスナイパーなんだからガンナーの方が合ってないか?実際。
「そして最後に戦士のリッパー。彼二刀使いなの。珍しいでしょ?肉を切る感触をいっぱい味わいたいんだって。ちょっと変わってるけどなかなか強いわよ」
 確かに二刀使い【ダブルブレイド】とは珍しい。正式には【双斬剣】つー剣に属する武器で普通の剣より若干短く両手に一本づつ装備する。二本で一つの武器としてカウントされ盾と同時に装備することが出来ない。
 盾を装備出来ないのは俺の使う太刀も同様だが、リーチを存分に利用し、流れる連続切りと高い切れ味を誇る攻撃力で大ダメージを狙う太刀とは違い、双斬剣は一回当たりの攻撃力が低く手数によってダメージを伸ばす武器だ。セラフとの短い接近時間にどれだけの数の斬檄をヒット出来るかが鍵となる。
 連続して斬りつける事を想定して作られている為、武器自体の重量が軽めに出来ている物が多く一見扱いやすそうだが、如何せんリーチと攻撃力が乏しいため接敵時間が長くなりがちで致命的なカウンターを食らいやすく使用者はすこぶる少ない装備だった。
 確かに斬りつける回数は他の剣より格段に増すだろうが、肉を切る感触ってお前……
「なかなかじゃねぇ、かなり強い」
 スノーの紹介を若干修正してチビが口を挟む。
 そういや確か以前に聞いたことがある。戦闘が始まるとまるで何かに取り憑かれたように斬りつけまくるチビのバーサーカーの噂―――コイツのことか。
「強いチームならそれだけ上のセラフを切り刻めるだろ?う〜っ、ゾクゾクするぜ」
 あぶね〜危なすぎるぞお前っ!
「りっちゃんは実家が精肉工場で、そこの2代目。お肉切るのが商売やってるうちに快感になっちゃったんだそうよ。時々町歩いてても肉を切りたくてしょうがなくなる発作が出るんだって」
「……そうなったらどうするの?」
 俺と同じ疑問を質問するララ。そのララの質問にリッパーは何故か自慢げにこう答えた。
「どうしても抑えられなくなったら自分を切るのさ。こうやって手のひらにナイフ当てて……痛みと同時に来る快感で発作が納まる。慣れるとこれが病み付きになるぜ〜」
 アホかコイツ。
 慣れるかっ、んなもんっ!病み付きじゃなくてお前自身が病んでるだろ絶対っ!頼むからリアルで俺の家の廻りをうろつかないでくれ。
 二丁目ドズルのガンナーにゴルゴなマジ物ビショップ。そして切り裂き狂のイカれた二刀流剣士にレベル1のモンクかよ……どうでもいいが、此処ではリアルでの事は、普通タブーなんだが、今のスノーの紹介に誰一人文句を言わないっていうのもすげーな。たいしたカリスマだ
 それにしても正直本気でめまいがする。こんなお笑い大道芸人のようなメンバーで本当に最強チームを作るつもりなのか?
「なぁスノー。悪いが俺は……」
 と言いかける俺を遮りララが口を挟む。
「良いじゃん、みんな個性的で。楽しいチームになりそうじゃない。ねえ、シャドウ」
 そう言ってララはさっさとテーブルの席に着いた。
「とりあえず自己紹介。あたしはモンクのララ。今日初めてここに来たの。初心者だけど頑張るからみんな宜しくね。はいっ、次はあんたの番でしょ」
 そう言って俺の背中を叩いた。さっき言いかけた「帰らせて貰う」という言葉を完全に言いそびれてしまった。くそっ、ララのやつ、余計なことを―――
「……俺は魔法剣士シャドウ。とりあえず宜しく頼む」
 仕方ない、とりあえず様子を見ようか。これからこのチームがお笑い集団になるのか、それとも本当に伝説の最強チームになるのか。抜けるのはそれを少し見てからでも遅くない―――かぁ?
 やっちまった感バリバリな気分の中、俺は渋々席に着いた。
 この変てこりんなメンバーが、後に俺にとってかけがえのない仲間になるなんて、この時はこれっぽっちも思っていなかったんだよ……


第6話  チーム・ラグナロク


 俺達が席に着いたことを確認すると、スノーが改めて話し始めた。
「みんな、あたしの主催するチームに集まってくれてありがとう。これだけハイレベルメンバーでのスタートを切るチームなんて、そうはないわよ」
 メンバーの性癖やリアルでの業種はどうあれ、スノーの言う通り確かに滅多にないハイレベルスタートなキックオフメンバーだった。
 一人以外は全員レベル20をオーバー。そのうち俺とスノーが30オーバーの上級位。それになんと言ってもレベル30を越える上位魔法使いが在籍しているチームなんか、滅多に無い。指揮と連携さえまともならボス級セラフを二体以上同時に挟撃されても怖くないだろう。
 剣を扱う戦士系が二人、回復の要であるビショップも上位聖職者、援護のガンナーは魔法効果を付加させることで強力な破壊力を生む弾である【魔弾砲】を放てるレベルだし、いざとなれば複数のセラフを一撃で消し炭に変える強力な攻撃魔法を唱える上級魔導士が控えているのだ。ただやはり気になるのはレベル1のモンクであるララの存在だ。
 攻撃の先鞭である前衛においてララのレベル差が有りすぎる。戦闘時の配置では、ララを中央に置き両脇を俺とチビが守ることになるだろうが、ボス戦闘時や乱戦になった時は、援護の手が回らず前衛を突破される恐れがある。
 いかに強力な魔法を唱えることが出来る上位魔導師といえど、術が発動する迄のタイムラグがある。魔法は高位呪文で有れば有るほどそれが長くなってしまうのだ。ビショップは基本回復キャラであるため攻撃系は苦手。ガンナーも中、長距離のバトルレンジキャラであるので接近戦では殴る蹴るぐらいしか無い。前衛にはそんなもろい後衛の『壁』としての役割もあるのだが、如何せんレベル1では盾にもならない。もっとも、このレベルでクラスAのフィールドに居ること自体あり得ないからな、実際。
 獲得経験値を考慮すると六人編成はチームとしては理想的だが、現実問題、前衛キャラに初心者が居る以上、員数外として考えざるを得ず、是非とも前衛にもう一人欲しいところだった。
「前衛にもう一人、攻撃系キャラが欲しいところね……」
 俺と同じ考えを二丁目ドズルことドンちゃんが口にする。人間性はどうあれ、よくわかっている。伊達に高レベルって訳じゃなさそうだ。まあもっとも、接近戦が苦手なロングレンジの攻撃スタイルであるガンナーにとっては重要な事だからな。
「う〜ん、此処まで強力なメンバーになると欲がでるからなぁ。元アポカリプスのメンバーはシャドウがイヤだって言うし…… 」
 そう言ってチラッと俺を見ながら考え込むスノー。
 当然だ。このメンバーでさえ少々疑問なのだ。さらにめんどくさいタネを植えたくは無い。仮想とはいえ命のやり取り。自分的に信用できない連中と組むなら俺は傭兵の方が良い。少なくとも『仕事』として割り切ることが出来る。ワガママと言われようがそこは譲れないね。
「誰か良いキャラ知らない? 」
 そう言ってスノーは一同を見回す。
「う〜ん、ティーンズ【10代】なら結構居るけど20オーバーとなるとなぁ。大抵どっかのチームに所属してるか傭兵やってるかじゃね?」
 と、もっともな意見のリッパー。俺もそう思う。しかも一般的にレベル20を越えてくるとチーム内でも主要戦力になってくるため、引き抜くにしてもよほど魅力的な材料がないとなびかないだろう。
 セラフィンゲインでは、クラス【職業】にもよるがレベル15を越えた辺りからレベルアップが急速に難しくなる。上昇に必要な経験値が飛躍的に増大するからだ。どんなプレイヤーでもレベル17から19辺りで伸び悩む事になり、レベル20はプレイヤー達の最初の障壁とされていた。20を越えたプレイヤーは初めて『上級者』と認められる。
 ちなみに傭兵は、レベル20に達しているのが最低条件。そして何処のチームにも属さず、単独でセラフを狩る『ソロプレイヤー』になるには、少なくともレベル30を越え、かつ戦士系の直接攻撃を主体としたキャラ、若しくは俺のような魔法剣士でなければ無理だろう。無論そんなプレイヤーは極めて少ない存在だ。
「傭兵か…… ねぇシャドウ。貴方の傭兵仲間で誰か心当たりのプレイヤー居ない?」
 やっぱりね、そう来ると思ったよ。だがなスノー、それはあり得ないんだよ。
「はいそうですかって簡単にチームに所属するような奴が、傭兵なんかやると思うか? すんなりチームにとけ込めるような奴らならとっくにやってるって。傭兵は元は皆どこかのチームのメンバーだったんだ。何らかの理由でメンバーと上手くいかなくなったり、しがらみなんかが嫌になって傭兵になった者がほとんどだ。仕事として割り切ることで自分の中の感情と折り合いを付ける。それが傭兵のポリシーだ。傭兵に仲間意識を求める事こそナンセンスってもんだ」
 傭兵は金で転ぶ軽薄な存在だと思われがちだが、それは大変な誤解だ。確かに仕事に見合った報酬を要求するが、一度引き受けた仕事を放り出し、雇われたチームを見捨てて先に逃げたりはしない。だがそれは決して仲間意識からではない。純粋な職業意識からの行動なのだ。
 傭兵達のよく使う文句に『信義と評判が命』という言葉がある。傭兵は一度悪評を立てられたら二度と仕事にはありつけない。
 だってそうだろう? 誰だって肝心な時に逃げるような奴に金を払いたくはないさ。
 それに傭兵は大概英雄願望が強い者が多い。
 まあ、この世界に身を置くプレイヤー全てに、多かれ少なかれ『超人願望』『変身願望』が有ることは当たり前なのだろうが、傭兵はそれが顕著に現れる。
 『レベルアップしてより強力なチームを目指す者』と『レベルアップするためにより強力なチームを望む者』
 言葉にすれば微妙な差であるように思えるが、この思考のズレによって傭兵は傭兵であることを望む。相容れるわけがないだろう。俺のような存在は希だということさ。
「仕事でなら何人か食いつく腕のいいのがいるがな」
「傭兵かぁ……背に腹は替えられないか。ララのレベルがアップするまでは」
 スノーがため息混じりにそう言った。
とりあえず頭の中で傭兵仲間の候補をリストアップしてみる。何人か候補を揚げていくうちにある人物を思いだした。いや……思い出してしまったと言うべきか。
「あ――― あのな、スノー」
「なに? 」
「一人、メンバーとして入りそうな奴を思い出した……」
 俺のその言葉に一同の視線が集中する。オイオイ、そんな目で見つめるな。特にマチルダっ! お前はやめてくれっ!!
「マジで? 正式メンバーとしてってこと?」
 輝くスノーの美貌。ああっ、可愛いってずるいよなマジで。
「あ、ああ、昔同じチームだった槍使いでな。今は傭兵なんだが最近会ってない。最後にあったのが半年くらい前で、その時はレベルはたしか……27だったと思う」
「へ〜、25オーバーのランサー【槍使い】なんて珍しいわね」
 マチルダが感心したように呟く。確かに奴のいう通り珍しい。
 槍は扱いが難しく不人気な武器だ。レベルの低いウチは相当苦労する。だが、高レベルになるとその攻撃力と貫通力は驚異的なレベルになる。剣では絶対届かないリーチで攻撃し、時には後衛配置から攻撃できる。助走を付けた突進攻撃は高い貫通力を誇り、そして何よりレベル25を越えると、槍独特の攻撃方法である『ジャンプ攻撃』が可能になるのだ。
 コイツは槍使い特有の攻撃方法で、槍を使い続けることでレベルアップ時に跳躍力のパラメータが増加し驚異的な跳躍で文字通り天空から相手を攻撃する事が出来る派手な技だ。
 空中にいる間は、相手が飛翔系のセラフでない限り、セラフの攻撃対象から外れる特性を持っており、ダメージを受けることがない。しかも上空からの落下スピードと重力による加速力で攻撃力が加算されピンポイントに強力なダメージを与えることが出来る、まさに攻防一体のスペシャルスキルだった。
 しかしこれが繰り出せるようになるのはレベル25を越えてからで、そこまで達するには相当の苦労がある。これを繰り出せる槍使いはそうそうお目にかかれないつー貴重なキャラだが――― いや……
「奴ならメンバー入りに二つ返事でOKするだろうが……」
 性格が少々変わっているんだが、もしかしたらこのメンバーではそれほどおかしくないように思えてきた。
 腕は確かなんだが、アタマがな……
 ハッキリ言って超疲れる奴だ。
「連絡取れる?」
 完璧にその気のスノー。そんな目して覗き込まないでくれ。何度もいうが、可愛いは『ズルイ』
「さあな。なんせ半年ほど会ってないから……とりあえずコールしてみよう」
 黒い携帯を開き名前を検索する。ボタンを連打し画面をスクロールすると、程なくして目的の名前を見つける。
 『イーグル・サム』
 何度見てもふざけた名前だ。見てると腹が立ってくるのでソッコー発信ボタンを押し耳に当てる。数回のコール音の後、相手が出る。

『ヘイヘイヘ―――イ! オ〜ケ〜ブラザー。僕チンは今、ち〜っとハンズフリーになれない事情がある訳よ! ソ〜リ〜 でもぉ ノープロブレム! 問題ナッシングっ! ミーが必ずリコールするから、発信音の後に、用件とソウルをプリーズ!』

 アホかっ!
 発信音を聞かずに通信を切りたくなる衝動を抑えながら、発信音を待つ。
 ピ―――っ
「シャドウだ。聞いたらソッコー沢庵の46番テーブルに顔見せろ。それとな、留守電アタマ悪いからヤメロ!」
 そう言って切ろうとした瞬間、電話口から声が掛かる。
「ヘイヘイ! ブラザーシャドウ。久しぶりだね。元気してた?」
「サムっ! てめえ今の……」
「此処の携帯に留守電サービスなんて有る訳無いじゃ〜ん。何年居るんだYO!」
 だ、騙された。そういやそうだ。迂闊だった。条件反射でつい……
「鴉からのコールなんて珍しいからやってみたけど、大・成・功〜!」
「てめぇ…… ラッキーだったな。目の前にいたら首と胴を分離させてやる!」
 怒りにまかせた右手から、圧力に耐えかねて携帯が悲鳴を上げる。
「WoW そいつはスプラッターだな。でもぉNon、Non怒らない怒らない。人生ポジティブ、世界はラブ&ピース。ところで何用ぞな?」
 疲れる……コイツのペースにだけは合わせられない。いや、合わせたくもないが。
「話がある。沢庵の46番テーブルまで来い」
「それはさっき聞いたYo 何のようなんだい、カラス君?」
「会ってから話す。まずは顔を見せろ」
「ふ〜む、そうかぁ。オーケー、ならば後ろを見たまえ」
 コノヤロウ……
 奴の言葉にピンときた俺はゆっくり振り向いた。
 俺達の居るテーブルの3つ先、カウンターの左から三番目の席に、バカ長い槍を肩にもたせかけて、携帯片手にニヤついた長身の黒人が見える。
 相変わらず人を食ったような顔で、手なんぞふりやがって。
 俺が携帯を切り折り畳むと奴も折り畳み、槍を肩に掛けて近づいてきた。相変わらず背がでかい。前に聞いたら197cmって言ってたが、何食ったらこんなになるんだ実際。日系クォーターだって話だが、どっから見ても日本人の遺伝子が混じっちゃいねえ。
 ドレッドヘヤーに黒い肌。ほとんどの人間を見下ろす高身長。一見NBAのプロバスケ選手のようだが、日本生まれの日本育ちでしかも英語が一切喋れないんだよ、コイツ。
 なのにやたらと和製英語を会話に交ぜるから胡散臭いことこの上ない。まさに『なんちゃって外人』しかも日本のちょっと古い歌謡曲が好きで橋幸夫のファンだそうだ。もうわけワカンネ。
「久しぶりだね、シャドウ。再会できてベリーハッピーだよ。元気そうで何よりだ、安心したよ。わりかしまともにやってるんだね」
「お前よりはすこぶるまともだ。そもそもお前に安心される筋合いはない。それと、念のために言って置くが、俺は再会してもハッピーだと思ってねえ」
「OW……相変わらずファッション同様言うことがブラックだなぁ」
 と両手を広げてオーバーに天を仰ぐ。何処まで本気でやってるんだか見当が付かない。よく『雲を掴む様な』という比喩があるが、コイツの場合は『雲』どころか『霧』だ。
「俺の首が関節炎になる前に、とりあえず席に着け。話はそれからだ」
「オーケー」
 そう言って細く長い腕を伸ばして椅子を引き寄せ、長い槍を肩により掛けながら席に着いた。腕同様長い足を器用に組んでテーブルに肘を付く。
「ウホッ スペシャルなビューティーが二人も! オイオイ何のパーティーだい? シャドウ、どっちがお前の?」
 そう言ってララとスノーを交互に見る。細い目を丸くしながら、妙に白い歯をむき出して笑顔を作る。まるでサルだな。
「黙ってろ。どっちもそんなんじゃねえ。コイツはイーグル・サム。今話してたレベル27の槍使いだ。ふざけた名前だが俺は『サム』って呼んでる。頭は悪いが腕は確かだ」
「28だよ。一昨日アップしたばっかだけど。頭悪いってずいぶんな言い方だなぁシャドウ。でもメ〜ンは頭じゃないでしょ。ココ、ソウルで勝負Yo」
 ならいっそソウル【魂】だけになってくれ。
 とりあえず、一通りメンバーを紹介し、話の趣旨をサムに伝える。サムは時折、さも外人っぽく英語風の合いの手を入れながらスノーの話を聞いていたが、やはり何処か胡散臭い。
「オーケー、オーケー プリティスノー。アンダースタンドしたよ。面白そうなチームだ。引き受けさせて貰おう。何てったってララちんのレベル1ってのが気に入った。チャレンジスピリットに溢れている。う〜ん、エキサイティングだ」
 と快く承諾。気分的に微妙だが、とりあえず前衛の戦力不足の問題はあっさりクリアー。だがサム、『プリティー・スノー』じゃなくて『プラチナ・スノー』だから。気持ち判るけど……
 さて、これで一応メンツも揃ったことだし、クエストについて―――
 あっ、ちょっと待った。
「なあ、シャドウ。ところでこのチームのネームは何なんだい?」
 その通りだサム。俺も今気が付いた。一同がスノーを見る。
「まだ決めてない……みんなで考えようと思ってたんだけど」
「ネーミングかぁ……」
 考え込む一同。俺、ハッキリ言って苦手。そこへドンちゃんことマチルダが提案。
「みんな一人づつ、思いついたのを発表していったらどうかしら?」
 なるほど、それがいいかも。
 ドンちゃんの声音と言葉遣いにサムが反応し耳打ちする。
『シャドウ、あの生き物は何だ?』
『聞くな! 二丁目ドズルだ』
 二丁目という単語に反応し「ノー、ドズル、ノー」と小声で頭を振りながら考え込むサム。コイツにもこんな事があるんだな。恐るべし二丁目ドズル、マチルダ。
「とりあえずあたしから。『ガーゴイル』ってのはどう? 」
 と、まずドンちゃん。悪くない。ちょっとありふれてる気もするが、センスは良い。次ぎ、サモン。
「……『サイレント』」
 そりゃお前だけだ。第一シンプルすぎる。次ぎにリッパー
「『ゲット○ッカーズ』はどうだ?」
 気は確かか? モロパクリじゃねえか。訴えられるぞっ! 次ぎ、ララ。
「そうねぇ、『天然ラッパーズ』ってのは?」
「叩っ斬られたいか、貴様っ!」
「あ〜 マジになってるぅ 大人げな〜い」
 ―――くっ つ、次ぎ、サム 
「ミーはね『サムと愉快な仲間達』ってのは…… NGだよね、やっぱり」
 コイツにはもう何も聞くまい…… 聞いた俺がバカだったよ。
「シャドウはどうなのよ?」
 とララが突っ込んできた。ムムっ、しまった、何も浮かばない。つーかマジに苦手なんだよこういうの。
「俺のは――― 」
「『ラグナロク』ってのはどう? 」
 適当に言いかけた俺を遮り、皆の意見を聞いていたスノーがそう呟いた。
 ラグナロク……
 チーム・ラグナロク
 良いじゃんよ。響きもカッコイイ。一同見回すが、皆相応に気に入った様子だ。
「グッド!負けたよスノー。ユーはナイスセンスね」
 サム……お前のはさぁ、勝ち負け以前に、同じ土俵に上がってないから。
「じゃあチーム名は『ラグナロク』に決定! ねえスノー、ちなみに『ラグナロク』ってどういう意味なの? 」
 とララの素朴な疑問。そういや良く聞く単語だが、『ラグナロク』って何なんだろ。
「えっとたしか…… 『この世の終わり』とか『世界の終焉』とか、そんな意味だったと思ったわ」
 一同沈黙―――― なあスノー、ずいぶん微妙な意味合いだな……
 名前の意味合いからは、嫌な未来予想図しか浮かんでこないが、とりあえず、意味は聞かなかったことにしよう。
「結構シュールなセンスしてるな、あのメイジ。なあシャドウ、どことなく似てないか? アイツに」
 そう耳打ちするサム。
「チーム『ヨルムンガムド』ミーとユーが居たチームだ」
「何が言いたい? アイツって誰だ?」
 肩にもたせた長い槍を指先でクルクルと持て遊びならサムが続ける。
「フッ、オイオイ、マジボケかい?アイツって言ったら決まってるだろ。忘れちまったのか?チームヨルムンガムドの主催者、そんでもって最強の魔法剣士……」
 俺は答えなかった。忘れるわけがないだろ。思い出したくないんだよ、サル。
「んなわけないか。今でもその太刀使ってるユーにかぎってな。奴より上手く使える様になった?『鬼丸』より」
 鬼丸―――
 久しぶりに聞く響きだった。
 かつて俺やサムが在籍していたチーム『ヨルムンガムド』の主催者にしてリーダー。最強の魔法剣士で伝説の太刀使い。
 俺の持つこの『童子斬安綱』は彼から受け継いだ太刀だった。
「さあな……」
 そう素っ気なく言って、俺はサムとの会話をうち切った。陣容はどうあれ、新しいチームの立ち上げの時に昔話はしたくない。それが苦い思い出ならなおさらだ。
 それとな、お前とのシリアストークは、何となく体に悪そうだし―――
   

第7話  初陣


「さて、メンバーも揃ったし、チーム名も決まった。改めて私たちラグナロク結成をここに宣言するわ」
 一同を見渡し、澄んだ声でスノーがそう宣言した。続いてフォーメーションの発表。
「前衛右翼にシャドウ。中央はララでサムはサポートに回って。左翼にリッパー。続いて後衛右翼はマチルダで左翼にサモン。そして中央は私。ターゲットの出方によってはこれにこだわらず、各自フレキシブルな対応をする事になると思うけど、基本はこれで行きます。一応リーダーは主催者である私が勤めるけどかまわないかしら? 」
 主催者がリーダーになることは、言ってみれば通例なことなので当然なのだが、スノーは一応皆に了解を得る。
「俺はかまわない」
「良いんじゃない」
「……異議なし」
「あたしが反対するわけないでしょ」
「誰であろう殺れれば良いぜ」
「ノープロムレブね」
 全員納得。流れから言って当然の役だが、このわけのわからんメンバー達を一発で全員納得させるスノーのカリスマも見事な物だ。可愛いのもあるが、それだけじゃこうはいかない。『プラチナ・スノー』の名はレベル30オーバーの魔導師であるが故の物なんだと実感。
「我々の最終目的は『伝説になる』こと。セラフィンゲインが存在する限り、語り継がれるような『最強』の称号を手に入れるの。それと、このチームの交戦規定を発表するわ。『どんなに窮地でも仲間を見捨ててリセット【撤退】しない。全員で戦い、全員で帰還する』これだけよ」
 リセット【撤退】とは緊急離脱用のログアウトコードのことだ。戦闘中にデッド判定にならないようなダメージを食らったり、何らかの行動不能状態に陥り、どうやっても状況打開が出来ない、いわば『手詰まり』の場合に使われる。
 セラフィンゲインではプレイ中その意志を持って「リセット」と叫ぶと、瞬時に接続を強制切断され意識が接続室に戻される。その場合キャラクターのパラメーターは接続前のセーブデータに戻ることになる。
 これだけ聞くとプレイ中のデッド【死亡】と何ら変わらないように思えるが、その行為に対する他者の認識は大いに違ってくる。
 チームプレイを原則にしているが、リセットをするかどうかは『チーム』の総意や主催者の意志ではなく、プレイヤー個人の判断に委ねられており、それを使用するタイミングや場所などには一切の規制が無いからだ。
 これがどういう事かというと、戦闘中に前衛がこぞってリセットした時の事を考えてみればいい。戦闘中窮地に陥り、セラフと直接刃を交える前衛が、実際に体感する痛みや恐怖から逃げるためにリセットを選択する。いくら強力な武装をしている後衛が控えていようとも、直接攻撃を担当する前衛が居ないのでは戦闘を継続することは不可能だ。そのチームは確実に全滅するか、全員リセットする、そのどちらかしか選択肢は残されていない。
 そして一度でもそれがあると仲間を信じられなくなってしまう。ゲームとはいえ命のやり取りの場に置いて、その疑心暗鬼は致命的だ。
 人は自分の利益や恐怖によって簡単に他人を裏切ってしまう。現実世界ではそうやって見殺しにしてきた者達と二度と会うことはないだろうが、復活を約束されたこのセラフィンゲインという世界では、当たり前だが再び会うことになる。自分のやってしまった結果に否応なく対峙する事を強要される訳だ。
『たかがゲームじゃないか……』
 そう、言ってしまえばその通りなんだ。しかしゲームであるが故に、その結果と向かい合う。死と再生が繰り返されるこの世界だからこそ、人はそれがただ一度きりの裏切りだったとしても許すことが出来ないんだろう……現実そうやって解散していくチームは後を絶たない。
 そして、リセットする者が続出するチームを率いたリーダーもまた、そのカリスマや指揮能力を疑われ、他にメンバーを集めることも困難になってくるのだ。
 だから、上級者やチーム主催者はリセットを選択する者を嫌い、侮蔑して憚らない。リセットは『臆病者の烙印』なのだ。スノーとしてはまず初めにそれを宣言しかったんだろう。
「ヘイ、スノー。リッセトしたらどうなるんだい? 」
 サムが軽く質問した。
「その前に私が殺すわ」
 サムの質問にサラリと返す白銀の魔導師。一同沈黙……
 あ――― なんか今、少し気温が下がった気がする。
「あ、ああ……そうね。ベ、ベリーナイスなアイデアね、HAHAHA――― 」
 サムの乾いた笑いにが静かに響く。笑えねぇよ、実際。
 口は災いの元と言うが、俺も気を付けよう、マジで。なまじロリ顔で可愛いだけに、言葉のギャップが怖いよな。
『ミーはあの娘苦手ね。今目がマジだったよ。その時が来たらきっと躊躇しないよ、あの魔女。ララちんの方が良い…… 』
 そう小声で俺に耳打ちするサム。ああ、恐らく躊躇しないだろう。キレたらヤバイな、ああいうタイプは。
 しかしサム、リアルのララを知ったら今言ったことを後悔するぞ。アイツはリアルじゃ宣言さえしないからな。朝のラッシュで痴漢されて、相手を駅のホームに引きずり出し、そのままマウント取って落とすような女だぞ。躊躇もしないが手加減もしない。つーか手加減なんて言葉はアイツの辞書には無いな、きっと。それがビジュアル系悪魔だ。

 続いてクエストについてリッパーから質問。どうやられいの発作が始まりつつあるようだ。まったくもってアブナイ奴。
「初陣はどんなクエストにするんだ? さっさと行こうぜ」
「そうねぇ…… ララも居ることだし、手始めに『グスターファ討伐レベル3』なんてどうかしら?」
 スノーが少し考えながら答える。
 『グスターファ』とは森林エリアに生息するサイの様な中型セラフで、中級レベルの標的だ。群れで行動することが多く、大体5〜7頭くらいで徘徊しているのだが、希に群れの中にこいつ等のリーダーである『ゲノ・グスターファ』という大型のボスが混じっていることがある。
 姿形はノーマルなグスターファによく似ているが、大きさが3倍強ある。普通のグスターファは猪突猛進で敵に対して一直線に突っ込んでくるしか脳が無いが、このゲノ・グスターファは頭が良く狡猾で、おまけに火を吐く。至近距離で食らったら、中級レベルではまず昇天。上級者でもかなりのダメージを食らうだろう。
 突進も強力で上級者でも直撃すれば確実に吹っ飛ばされ、おまけに『昏倒』というステータス以上を引き起こす。頭上に星が回りしばらくその場から動けなくなるのだ。
 さらにこのボスに率いられたグスターファは、その場合に限り攻撃力が2割増しとなる追加効果まである。
 そして、『グスターファ討伐』のレベル3は、ゲノ・グスターファの出現率が8割となっている。
 ちなみにノーマルのグスターファは小サイ。ゲノ・グスターファはボスサイと呼ぶ。
「おっしゃ、久しぶりのサイ狩りか。ゾクゾクしてきたぜ」
 まあな、アイツ等群れで来るからその分沢山斬れるんだろうけど、一応チームな訳だし連携って言葉の意味わかってるか? お前。
「いきなりボスサイ狩りって、ララにはしんどくないか?」
 と言ってみる。何せレベル1だぜ、レベル1。ホントならアモー相手にするレベルだよ。
「でも、成功したらアレ一体で一気に5〜6はレベル上がるわよ、ララちゃん」
 オイ、ドンちゃん。余計なこと言うな。
「よーし、そのサイだかカバみたいな奴に、あたしの鉄拳お見舞いしてやるっ!」
 そう言ってシャドウボクシングを始めるララ。
「アホかっ、レベル1がサイにダメージ与えられるわけないだろっ! お前は出来るだけ前に出ないで観戦してろ。かすっただけで死ぬんだぞ、お前じゃ!」
 頼むから黙って見ててくれ。
「なによ〜、それじゃつまんな〜い」
 そう言って椅子をガッタンガッタン揺らして抗議するララ。周りの連中も『それは言い過ぎだ』みたいな目で俺を見やがる。
 この馬鹿野郎どもっ、俺はララのために言ってるんだぞ!
「まあ、とりあえず一戦ファイトしてみて、改めてシンクするってのはどうだい? ララちんもスキンで実戦を感じてみないとわかんないだろうし」
 とサムが提案した。コイツにしては割合まともな意見だ。そうだな、とりあえず一回やってみないと感じも掴めない。
「決まりね。一旦解散して各自装備をチェック。15分後エレメンタルガーデンの噴水前に集合。じゃあ一時解散」
 そのスノーの言葉にみんな席を立った。
 解散と言ったが、とりあえず俺はララの装備を整えるため、ララと行動を共にする。サムは買い物があるとかでさっさと出ていって仕舞った。
「さて、俺達も行動を開始しよう。ララ、とりあえずショップに行こう」
「あっ、これおいしそ〜 ねえ、なんか食べて行かないの?」
 そう言って沢庵のメニューを広げながら料理をチェックするララ。
 お前な、さっきログインしたばっかりでスタミナ満タンなんだから食う必要ねえだろう!
「良いから来い!」
 そう言って尚もメニューをめくり「これ食べた〜い」と騒ぐララの腕を引っ張り、やっとのことで沢庵を出た。やれやれ、先が思いやられる。  

 そして15分後。
 とりあえず全員揃ったところで、リーダーであるスノーが一同を見回し、出発の言葉を宣言する。
「みんな、用意は良い?」
 一同無言で頷く。いよいよこのチームでの初陣。ララに至っては初めてのフィールドと言うこともあってちょっと緊張した様子……
 いや、緊張してねえな、ありゃ。まるで遠足に行く子供みたいな表情だ。あのさ、そんなキラキラした目でいるけど、これから戦闘に行くんだよ〜
 目的はまずは初戦で手応えを掴むこと。どのような結果であれ、それを次ぎに繋げていく重要な戦闘だ。俺も久々にチームの正式メンバーとしてフィールドに立つ。緊張とは違った気持ちの張りつめ方を意識しながらスノーの言葉を待つ。
 スノーが先ほどチームとして『案内所』にクエストを申請してきた。後はリーダーの「エントリー」のかけ声でフィールドのベースキャンプに転送される仕組みになっている。
 傭兵の場合、クライアントのリーダーから教えて貰う『エントリーコード』を案内所のNPC係員に告げ、直接ベースに転送して貰うので、このようなエントリーは俺も久しぶりだった。
「皆に幸運を! エントリー!」
 言葉と共に、手にした杖を天に掲げるスノー。次の瞬間、俺達は目もくらむ強い光に包まれていった。

☆  ☆  ☆

 ベーステントから出発し、10分ほど歩くと鬱蒼としたジャングルの入り口に付いた。 ここまではほとんどセラフには出くわさないが、ここからは完全なバトルフィールドだ。各自武装を点検し警戒モードに入る。
「グスターファが出現するのはエリア3と8だったわね。サンちゃん、マップ見せて」
 スノーに言われて、無言で地図を広げるビショップのサモン。ホント極端に口数が少ないな。
「エリア4から回り込めば、位置的に有利な場所で会敵すんじゃね? 確か3の東側は川で渡行不能だし」
 とリッパーが提案する。
「そうね、万が一失敗しても、最悪この高台まで後退すればあたしの【魔法弾】の射程距離だしね。アイツ等ココまで来れないから」
 ドンちゃんが地図を指さして位置を確認する。
 さすがにみんな高レベル。何度かこのクエストをこなしているだけに、攻略法はいろいろ知っているようだ。話が早くていいね。
「ねえ、そのサイが居るとこって決まってるの?」
「ああ、だいたいな。必ずそこにいるとは限らないが、出現する率が高い場所があるんだ。俺達は何度かこのクエストに参加しているから、大まかな対応策が取れるってわけさ」
 とりあえずリッパーのエリア4から回り込む作戦で行く事になった。早速一同狩りに出発。俺達はエリア1を横断し隣接しているエリア2と3のうち、西側のエリア3を回り込みエリア4に出るルートを選択した。
 エリア1では害のないセラフである『アモー』が草を食っている。
「シャドウ、アレは何?」
 そのアモーを指さしてララが聞いてくる。基本的にレベル1ではクラスCからはじめ、そこではこの象のような『アモー』が初心者の最初の相手になるから、ここに来るプレイヤーでアモーを知らないと言うことはあり得ないのだが、ララはいきなりそこをすっ飛ばしてクラスAに立っているので、全てが初めてなのだ。
「アレがアモーだ。前にスノーが言ってた『ビネオワ』つーのは、アイツの乳から作られる酒のことさ。さっきショップで買った『干し肉』もあれの肉だよ。コッチから攻撃しない限り攻撃しては来ない穏和なセラフで、初心者はまずあれを狩ってレベルを上げるのさ」 俺の説明に「へ〜」と感心して頷くララ。そのほかにもアレコレと聞いてくる。まさにお上りさん状態だった。まるっきり観光気分だ。
 しかしそんなほのぼのした雰囲気も長続きはしないのがクラスA。
「『ギノクラブ』だ! 正面に2体」
 リッパーの声に皆が反応し得物を構える。
 ギノクラブはヤドカリのような格好をした小型セラフだ。小型つっても人間ぐらいの大きさのヤドカリだからそんな奴の鋏もそれなりの大きさがある。
 パワーもそこそこ。体も結構固くて初・中級者だと『稼ぎセラフ』なのだろうが、俺達には雑魚と言えるセラフだ。
「いっちょ肩慣らしに……」
 とリッパーが両手に刀を構えて前に出る。
「フリザルド」
 スノーが呟く。
 と、その瞬間、ゴウっ!と風が閃光のような唸り声を上げつつ、凄まじい冷気と共に氷りの竜巻がギノクラブ2体を包み込む。
 一瞬の虚を突かれた形のリッパーだったが、そこはハイレベル。頭よりも先に体が反応したようだ。無理な制動を掛けずに横っ飛びに慣性をいなす。たいした反応だ。これなら接敵しながらの連続攻撃を加えつつ、敵の呼吸を見計らい回避するのも可能だろう。
 竜巻が消えると、カチンコチンに凍り付いたヤドカリ2体が出現する。
 冷却系中級呪文『フリザルド』 
 ギノクラブを一瞬で氷り付けにするなんて。さすが高レベルな上級魔導師、俺も使える呪文だが、威力は数段上だ。それにしてもなんつー呪文の詠唱スピードだ。一体いつ唱えたんだか見当もつかん。
「雑魚は相手にしない。先を急ぎましょ」
 そう言ってスタスタと歩き出すスノー。ついでに氷りづけになったギノクラブを杖でコツン。パッキーンと見事に粉々に砕け散る氷の破片の中を、悠然と歩くその美貌。
「なあ、シャドウ…… 今のってさ、結構俺も危なくね?」
 肩すかしを食らった感のあるリッパーだったが、それには触れずに恐る恐る俺にそう聞いた。
 確かに。もうちょっと早く前に出てたらダメージ食らってたかもしれない。誰もあそこまで早く魔法を行使できるとは思ってもいないからな、実際。
『その前に私が殺すわ』
 結成時のスノーの言葉がみんなの脳裏に蘇る。確かにスノーなら、リセットを叫ぶ前に殺れるかも知れない。
 スノーを怒らすのはやめよう。うん、そうしよう。

 しばらく歩き、俺達はエリア4に出た。
 少し小高い高台から覗き込むと、おおかたの予想通り、グスターファの群れが居るのがみえる。案の定ボスであるゲノ・グスターファも確認した。
「えっと、小サイが5匹にボスサイか…… ここからだとちょうどボスサイの背後が取れるな」
 俺が考えても理想的な位置だ。狩りの基本は奇襲、それも背後を取ることは定石。卑怯でも何でもない。何せ相手は文字通り怪物なんだから。
「ああ、いい位置取りだ。俺の言った通りだろう? スノー、しかけるぜ」
 俺の言葉にリッパーがそう反応し、そのままスノーに聞く。
「そうね、このまましかけましょう。まずリッパーとシャドウで先制。ボスサイがコッチ向いたらドンちゃんが魔法弾。その間に先制した二人は小サイを討伐して。少ししたら離れてね、私がタイミングを見て『ギガボルトン』をかけるから。これで小サイは一掃出来るはず。ボスサイも結構なダメージになるはずよ。サンちゃんはとりあえずララに『プロテクション』をかけて保護した後は待機ってトコね」
 そう早口に作戦を伝えるスノー。『ギガボルトン』は雷撃系の高位呪文だ。前に俺が使った『ボルトス』の数十倍の威力があり、しかも複数のセラフをその対象に出来る。
 続いてサンちゃんの『プロテクション』は一時的に防御力を上げる魔法。魔法攻撃にも対応していて、そのダメージを5割カットする。5割カットしてもララなら確実にデッドだろうが、今回は相手に魔法を行使できるセラフが居ないので関係ない。まあ、防御力を上げたところでダメージをゼロに出来ないと同じなんだけどな、ララの場合。お呪いみたいな感覚で魔法をかけるなんて聞いたことねえよ。
「ミーはどうするね?」
 と槍を持って奇妙なリズムを取っているサムが聞く。うっとうしいから跳ねるな。
 自分がどう思っているか知らんが、どう見てもサバンナの原住民にしか見えねえぞ、お前。首狩り族のダンスか何かか?それ。
「サムはとりあえずララをガードしておいて。小サイの一撃でも当たればひとたまりもないから」
「オーケー」
「おいララ、あんまし前に出るなよ」
 とりあえず忠告。オイオイ、両拳をぶつけてなに気合い入れてんだよ。
「大丈夫だって、みんな心配性ねぇ」
 そうかる〜く答えるララ。ホントにわかってるのか、お前。俺何となく胃が痛くなってきたんだけど、仮想世界なのに……
「よし、それじゃみんな、行くわよ」
 スノーのかけ声と共に、まず前衛が高台から飛び降りる。普通なら良くて捻挫、悪くて骨折の高さだが、この世界に転送された時点で若干肉体の基本性能がアップしているためその心配はない。
「遅れるなよ、リッパー!」
「へっ、コイてろっ…… あっ、オイ、シャドウ!?」
 俺の言葉にそう返しかけたリッパーがおかしな声を上げる。なんだ? と思い振り向くと、飛び出すララが見えた。
「オイっ ララ! 待てコラっ!」
 本気で目眩がする。アイツの性格を見誤ってた。「あんまり」じゃなくて「絶対前に出るな」って言えば良かった―――!
 全力疾走でボスサイに接近するララ。ちっきしょー間に合わねえって。あいつ狙ってやがったな!
「鉄――拳――― パ―――ンチっ!!」
 大声でそう叫びジャンプする。
 アホか! そんなでっかい声でさけんだら不意打ちにならんだろうがっ!
 当然ララに気付いてコッチを向くボスサイ。かまわず腕をぶんぶん回して飛び込むララ。

 ぺちっ!

 ―――当然だ。何せレベル1だもんよ…… 
 K1選手に小学校低学年がパンチするようなもんさ。当てただけでもたいしたもんだよ。普通なら近寄る前に踏みつぶされてるって。
 当たり前だが一向に効いた気配がない。するとゲノ・グスタファーは大きく息を吸い込む。そして次の瞬間、ララめがけて炎を吐いた。
「あ―――――っ!!」
 一同唖然。
 ララが一瞬にしてチリとなった。
 ビジュアル系悪魔マリアこと、モンク・ララ。リアルじゃほぼ無敵の彼女だが……
 初戦瞬殺―――っ!!

 何やってんだか……


第8話  目標


「瞬殺だったわね…… ララちゃん」
 椅子に座りながら天井を眺めつつ、ドンちゃんがポツリと呟いた。
 ああ、まったくだ。瞬きする暇もないほどにな。
 あれから俺達はとりあえずボスサイをぶっ倒して沢庵に戻ってきた。出発前に集まった46番テーブルに集まって、再接続してくるララと、ララを迎えに行ったスノーが帰ってくるのを待っているのだった。
「しかしチャレンジャーだよな。レベル1でボスサイにヒットさせたの、ララが初めてなんじゃね?」
「つーかそもそもレベル1じゃ、ボスサイに会うつー状況にはならんだろう」
 リッパーの言葉にそう返す。前代未聞だよマジで。
「ま、これでララちんもアンダースタンドしたんじゃない?ここの厳しさを」
 椅子をそっくり返しながらそういうサム。
「ちょっとサム、あんたララちゃんの護衛でしょ? 何やってたのよ?」
 サムの言葉につっかかるドンちゃん。性別が微妙なトコだが、一応女子寄りな意見なのは仕方ないだろうな。
「えっ? ミーのせい? ミー悪くないよっ。まさか飛び出すなんてアウトオブイマジネーションね」
 想像外って言いたいらしい。なぁサム、逆に言いにくくないか?それ。
 まあ、確かにあれをサムのせいにするのは酷だろう。
「でも素早かったな、ララ。俺様が間に合わなかったし……」
 とリッパー。その通りだ。レベル1にしては早かった気がする。
「確かに早かった。あれはレベル1のスピードじゃない。いくら予想していなかったとはいえ、俺やリッパーが置いて行かれるってのはあり得ない。どうなってんだろ?」
「ああ、それはあれね。『韋駄天の靴』のせいね」
 とサムが答える。なるほどね…… ってオイ! ちょっと待て、何だって?
「ミーがね、ララちんにプレゼントしたの。結構レアなアイテムで、履くとスピードがびっくりするぐらい上がるのね。モンク専用の装備だから出会いの記念にって……」

「「やっぱりお前のせいじゃねぇか―――っ!!」」

 全員一致の指さし避難を浴びるサム。びっくりして椅子ごとひっくり返りそうになるのを槍で必至にこらえている。
 このアンポンタンが―――っ!
 出発前に一人でいそいそと沢庵出て行ったのその為だったのか。ベーステントでなにやらゴソゴソ2人でやってるなぁと思っていたのだが、あの時装備してたんだな。どおりでやたら早かったわけだ。全く余計な事するサルだ。
「スピード上げたって攻撃力は上がらないんだから。普通の奴なら回避率が上がるから良いかもしれんが、アイツの性格考えると返って危険な装備だ。どんなに速い車でも、ブレーキが付いて無けりゃ乗ることは出来ないからな。戻ってきたら没収してやる」
「おっ、戻ってきたぜ」
 リッパーの声に反応してみんなで入り口の方を見ると、スノーに付き添われて歩いてくるララの姿があった。ララの表情が優れない様に見えるのは、やはりデッド食らってリバースしたからだろうか。それともやられて悔しいからだろうか。
 いずれにしても、ララのこんな姿はリアルじゃ絶対見られないだけに、声を掛けるのもちょっと微妙。つーかコイツにも人並みにこういう神経が有ったのかと感心したりもする。
――――が
「ちょっとあんたっ! あのサイ火吹くなんて言わなかったじゃない!」
 と、席に戻るなり俺に噛みついてきた。やはりコイツは普通の女の子じゃないわ。
「アホかっ! あれほど前に出るなって言ってたろうがっ! 火吹く以前の問題だろ!」
 そんな俺の言葉などものともせず席に着くと、メニューを広げて次々と料理を注文し始める。
「ったく、何が悔しいって、お昼食べたもの全部リセットしたのが一番悔しいっ!」
 そこカヨっ!
「おいララ、此処の食い物じゃ腹は膨れないんだぞ、わかってんのか」
「いいのっ! やけ食いしたって太らないんじゃ尚のこと良いじゃない!」
 セラフィンゲインでやけ食いする奴初めて見たよ……
 とりあえずスノーも戻ってきたのでミーティング再開。
「やっぱもう少し戦闘レベルを下げたほうがいいんじゃね?」
 リッパーも先ほどの俺のように慎重な意見を言うようになった。前衛の片翼を担う者なら当然な話だ。しかしまあ、戦闘レベルうんぬんと言うよりは、性格が問題だな、ララの場合。好奇心旺盛、大胆かつ無謀、おまけに無駄に好戦的つー典型的なトラブルメーカー要素満載な訳だからな、実際。
「でもねぇ…… 手っ取り早くレベル上げるなら、討伐クエストの少なくともレベル3ぐらいは参加しないと無理じゃない?」
 確かにドンちゃんの意見ももっともなのだ。しかし、ただ単に居ただけじゃダメなのが辛いトコ。選んだ職業のスキルは、攻撃をヒットさせない限り上昇しない仕組みになっているからだ。
 つーことはだ、超近接戦闘なモンクは否が応でも前に出て攻撃をヒットさせなきゃスキルは上がらないって事な訳だ。このレベルでクラスAに立つなら、ドンちゃんみたいなガンナー、若しくは魔法使いなどのロングレンジな攻撃方法を採れる職業がいい。百歩譲っても、まぁ俺のような太刀は無理でもせめて大剣が扱える戦士を選ぶ方が遥に安全だ。なんでモンクなんだよ、ララ……
 唯一の救いは、俊敏性や高い事と、多の職業に比べてレベル上昇が早いことだが、生き残らなきゃ意味がない。
「確かにドンちゃんの言う通り、少なくともレベル3エントリーは譲れないわよね……」
 ドンちゃん言葉に頷きながらそう答えるスノー。
 まあ、ぶっちゃけララが無謀な突撃しなければいい話なんだよね、実際。
「なあララ、おまえは無茶するな。とりあえずレベルアップしてHPが上がらないと話にならん。スキルアップは後でいくらでも方法はある…… おいっ聞いてんのか?」
 俺の言葉をBGMに黙々とテーブルに並ぶ料理を食べているララ。現実同様魔界にリンクした胃袋は健在な様だが…… あのな、何度も言うけど、ここ仮想世界だから。
「んぐっ…… ぷはぁ〜っ、これおいし! ああん? 大丈夫よ。今度はかわすから」
「だーかーらっ! それ以前に前に出るなって言ってんのっ!!」
 俺の言葉に口いっぱい頬張って頷くララ。親指立ててウインクなんてしなくていいから、言うこと聞いてくれ、頼むから。
「まあ、とりあえずレベル3をこなしていく方向は変えないわ。ララには自重と頑張りを期待しましょう」
 と落としどころを察してスノーが締める。まあ、少なくともレベル3は楽にこなせないと最強や伝説なんて夢のまた夢だしな。
 ふとリッパーがそのスノーにある質問をする。
「なあスノー。一つ聞きたいんだけどさぁ、俺たちが目指す『最強』って件なんだけど、何をもって『最強』になるんだ?」
 ――――確かに。
 考えてみれば、何を持って『伝説の最強のチーム』となるのだろう?
その響きだけにブルッときてここにいるのだが、それはまるっきり考えていなかった。強いメンバーそろえてクエストをこなし、チームランキング上位を常にキープし続ける。その程度ぐらいしか思いつかない。
 確かにこのメンバーは滅多にないハイレベルな顔ぶれだ。だが、果たしてスノーの言うような『語り継がれるような』チームなのだろうか。
 なんか違うよな、それじゃ。
「そうね、まずはとりあえずランキングトップを狙う。チーム内レベル、獲得経験値、生還率、クエスト成功率。すべてを総合したランキングだから、その時点トップイコール最強でしょ」
 ここでスノーはいったん言葉を切り、メンバーを見回す。若干一名、話そっちのけで黙々と食事に励んでいるやつも居るが、まあララは聞いていても判らんだろうから放っておこう。
 セラフィンゲインでは、チームごとにスノーが今上げた項目に対してランキングポイントが付く。このポイントは各項目ごとに割り振られてはいるが、毎週チームごとに集計され、その総合ポイントによって全チームのランキングが端末に中継される仕組みになっている。世界レベルのオンラインゲームではあるが、サーバの負荷を考えて恐らく関東だけだとは思うが、そのエリアの端末全てを統合したランキングで、当然各端末に配信される。
 週単位で集計されるので、当然俺たちラグナロクはまだ乗っかってこないのだが、これだけのメンバーだ。少なくともチーム内レベルだけでも上位に入りそうだが、ララが居るからな。俺的にはこのメンバーにララが居るってだけで、違う意味で凄いチームな気がするが……
「そして最終的には……」
 俺はこのとき、スノーが何を言うか、薄々気が付いていた。
「クエストNo.66の制覇」
 俺とララ以外の全員が息をのんだ。その後にサムがヒューっと乾いた口笛を吹く。
「『聖櫃』か…… 」
 リッパーがぽつりと呟いた。
「HAHA…… ヘイ、スノー。あそこは無理だ。そりゃぁアクセス料の無駄ってもんだYo」
 とぼけた笑いとともにサムそうスノーに投げかけた。他のメンバーも黙っては居るが、サムと同じ気持ちなのは顔を見れば判る。まぁ、ムリもないけど。
「……ねえ、なにその『聖櫃』って?」
 先ほどまで黙々と食事をしていたララがそう聞いた。どうやら一通り食べ終えたようで、どことなく会話の雰囲気が変わったのが判ったらしい。
「クエストNo.66。『マビノの聖櫃』つーフィールドを目指すクエストのことで、通称『聖櫃』またの名を『帰らずの扉』 未だ誰一人として制覇したことの無いクエストで俺たちプレイヤーの間では難攻不落のクエストとして有名なんだ」
 エントリーしたどのフィールドからでも、その頂を見ることができる、このセラフィンゲインのシンボルみたいになってる馬鹿でかい山、『マビノ山』
 その頭頂部にある古代遺跡最深部の扉の向こう側『マビノの聖櫃』つーエリアに行くわけだが、扉の向こうに入りさえすればクリアなのか、それともその内部に潜むセラフを狩るのがクリア条件なのかは判らない。何せまだ誰も『マビノの聖櫃』に入ったことがないからな。だが、それ以前にその扉までたどり着くのが至難の業なのだ。
 道中、山道はそこそこのセラフは出現するが、さして困難では無い。問題は遺跡内部。
 どことなくローマ時代の遺跡を思わせる意匠の柱や壁はかなり凝った作りをしており、神秘的な雰囲気を醸しだしプレイヤーを魅了するに十分なリアリティを表現しているのだが、それとは裏腹に出現するセラフがハンパ無い。
 複数のボスクラスが同時に挟撃してくるわ、大して広くない通路で逃げ場は無いわ、おまけにもたもたしていると時間経過で竜族最強の『古代種』も出現してくるわでもうてんてこ舞い。どう考えても過剰殺傷と言わざるを得ない全滅必死のクエストだった。
 事実、多くのチームがこのクエストに果敢にも挑んだが、【撤退】リセットするか殲滅されるかで敗退していて、誰一人クリアできた者が居ない。かく言う俺も以前挑んだことがあるのだが、チームは全滅し敗退した。
 不本意だが、こと『聖櫃』に関しては、俺もサムと同意見だ。あそこはクリアできない様になってるとしか思えない。
「『入ったら二度と出られない戻らずの扉』『莫大な経験値を獲得できるエリア』または『全く別の世界がある』なんつー様々な噂があるが、どれも信憑性に欠ける物ばかり。はっきりしたことは何一つ判らない謎のクエストってわけさ」
 俺の言葉に「へぇ〜」と相づちを打つララ。納得したように見えるが恐らく半分もわかってねぇだろうな、たぶん。俺とララのそんなやりとりの後、意外な人物が口を開いた。
「セラフィンゲインは完璧なシステムだ……」
 全員驚いた顔でサンちゃんを見る。あんた喋れたのか? いや、そりゃ喋れるだろうが、ほら、心の準備ってもんがあるじゃない。
「作り込まれた経験値システム。絶妙なゲームバランス。これほどのシステムを作り上げた人物は紛れもない天才だと思う」
 少々低いがよく通るサンちゃんの声がテーブルを包み込む。リアルで説法を説いてるだけあって聞きやすいんだろうね。普段無口なのが不思議なくらいだ。
「だが、こと『聖櫃』のゲームバランスだけは解せない。なぜああも悪いのだろう……」
 サンちゃんの言葉とともにテーブルに沈黙が落ちた。一同それぞれ自分なりに考え込んでいるようだった。
「あそこをクリアするのはインポッシブルね。ミーたちもコテンパンでさ、ねぇシャドウ? チームが解散になったのもあのクエストがきっかけ……」
「サム、余計なことは言わなくて良い」
 ったく、余計なことをペラペラとっ! ちきしょう、思い出しちゃったじゃねぇか。
 そこへ、この話題をふった張本人であるスノーが続ける。
「確かに、このセラフィンゲインのシステムとしての完成度は高いわ。ゲームとしてだけでなく、脳を媒体とした仮想体感システムとしてもね。これほどの完成度を持つシステムは他にないはずよ。サンちゃんの言うとおり、この開発者は天才だと私も思う」
 スノーはここでいったん言葉を切り、皆を見回す。
「でも、こと『聖櫃』のバランスだけは何故ああも悪いのか…… これほど完璧なシステムを作った開発者が、意味もなくそんな物を放置しているとは思えない……」
 俺はこのとき、スノーが何を言いたいのか薄々判っていた。かつて同じ事を考え、『聖櫃』に挑んだ人物を知っていたからだ。
「それから導き出される答え。『聖櫃』が過剰設定になっているのは、そこに秘められた意味があるからじゃないかしら?」
 そう投げかけるスノーにすかさずリッパーが返す。
「じゃあなんだ、そこいらで吐かれてる眉唾もんの噂は本当だってことかよ」
「さあ、そこまでは判らないわ。でも何らかの意図があると私は思うの。あの扉の向こうに何があるのか。それを確かめたいと思わない?」
 スノーの言葉に一同それなりの思いを巡らせつつテーブル中央のランタンを眺める。
「良いじゃない、おもしろそうよ、それっ!」
 と、ララが場違いに軽い声で言った。おまえなぁ、状況が判ってないだろ…… この挑戦で一番のネックがおまえなんだぞっ! ノリと好奇心だけで突き進むのにも限界があるよ。
 しかし、この世界でやっていく上で、それが一番重要なことだった。よく考えたらララが一番この世界ではまっとうな住人『冒険者』なのかもしれない。
「こんな高レベルのメンバーで挑んチームは無いかもね。遠からずララちゃんが成長すれば、『聖櫃』クリアに一番近いチームになることは間違いない…… 良いわね、やってみようじゃない」
 脇に立てかけてあった『撃滅砲』をガチンとならしてマチルダが不敵な笑みを浮かべつつ言った。やべー、間違って夜の店で見たくない顔だ。別の意味で狩られそうな気がする。
 リッパーも自分の得物である『双斬剣』を引き抜き、同じく笑みを浮かべ頷いた。サンちゃんはまた黙り地蔵に戻っちゃったが、その表情は納得したようだ。
「はぁ〜、ジャパニーズは万歳アタック【特攻】が好きだなぁ」
 サムが天井を仰ぎながらそう呟いた。何が『ジャパニーズ』だ。おまえだって国籍は日本じゃねぇかっ! 英語喋れねえくせしやがって、このインチキ黒人がっ!
「じゃあサムは抜けちゃうの?」
 ララの問いにサムは慌てて答える。
「ラ、ラ、ララちんの護衛はミーじゃなきゃ務まらないでしょ。当然ウィズしますYo〜」
 何どもってんだよ。体操が始まるのかと思ったじゃんか。
 つーか務まってねーだろっ実際。しかしどうやらコイツ、ララを気に入ったようだ。外見に騙されると痛い目見るぞ。
 明確な目標が決まり、それなりに盛り上がっている一同を眺める中、ふと、スノーと視線が絡んだ。
 何故かどことなく哀しそうな、それでいて冷めた瞳。それは間違いなく、今この場面には到底そぐわない色をしていた。
 だがそれも一瞬のことで、すぐにいつもの美貌で視線を外し、メンバーを眺めていた。俺もそれを追求する事はせず、次のクエストに移った話題に加わった。

 ―――何故、そんな目で俺を見る?

 強者どもを乗せた船の舳先に立ち、対岸を見つめる美貌の女神。戦士たちを死地になるであろう戦場へといざなうワルキューレ。
 ふと俺はそんなことを考えつつ、先ほど見た白銀の女魔導士の冷めた瞳が、妙に脳裏に焼き付いて離れないでいた。


第9話  ロスト


 午後からの全く持って眠くなる大学の講義を終え、僕はいそいそと電車に乗り込み秋葉原へ向かった。
 最近よく一緒に秋葉へ直行するようになったマリアも、今日は買い物があるとかで、アクセス開始時間に『ウサギの巣』で合流することになっている。
 華々しい? 初陣から早2週間がすぎ、僕たち『ラグナロク』はかなりの数のクエストをこなし、ランキングトップ3の常連になっていた。
 マリアも初めのうちは1日に3回以上デッドしていたが、段々回数が減り、最近ではそれなりに攻撃仕掛けても死なずに帰還できるようになっていた。さすがにあれだけのレベル差がある戦闘を繰り返しているだけあってレベルアップも早い。
 リアルで格闘術に長けていたせいか、その戦闘センスは非凡な物を見せ、元々持っている反射神経や持ち前の勝負感なんかも影響してか、一昨日早くもレベル17になり中級クラスのボスにもクリティカルヒット【致命打】を与えられる様になっていた。
 モンクというクラス自体、成長が著しいという事を考慮しても、これは驚異的だと思う。初めは疑問だったけど、今にして思えばあれほどマリアにぴったりな職業は無いかもしれないよ、マジで。
 当然ティーンズな訳だからまだ若干心許ない部分もあるけど、ちゃんとチームに付いていっている。いやはやびっくりだ。さすがは悪魔。常識で測っちゃダメだね。
 
 まあ、そんなわけで今日は一人で秋葉に向かっていた。
 セラフィンゲインのアクセス時間にはまだ早いけど、僕には別の目的があったんですよ。
 今日は前々から予約していたDVDの発売日。しかも初回限定版には限定500体のヒロイン特大フィギアが付いてくるのですよ!
 ネットで見たフィギアの出来は素晴らしかった。掛けている眼鏡は外して『眼鏡無しバージョン』になるし、顔の造形も忠実に再現され、『怒った顔バージョン』と『微笑みバージョン』に選択可能。しかもシリアルナンバーが刻印された超レアな品物。もうね2万8千円つー値段はこの際スルー! 全然痛くないですよぉっ!
 あっ、いや…… そりゃ痛いけどね。
 まあ、つー訳で僕は秋葉原の駅からほど近い行きつけのショップに向かった。
 『耳屋』つーよくわからん店名は店長さんのセンスだろう。基本はゲーム店なんだけど3階建ての店にはゲーム以外にもDVD,フィギア、セルなど、およそ僕のような人種がへばり付きたくなるアイテムが満載で、はっきり言って、僕はここで3時間は潰せます。 とりあえず1階のゲーム関係を15分ほど掛けて散策した後、2階の店長が居るフィギアのエリアに上がっていった。
 階段の壁には、僕が予約したDVDのポスターが『どうよ?』ってなかんじで貼ってあり、その上から『本日入荷!』と『品切れ中』のポップがヒロインの顔を覆うように貼り付けてあった。
 予約してあるんだけど、この『品切れ中』の文字はちょっとドキッとするよね。大方『零時待ち』の連中で無くなったんだろう。
 この店は基本的に予約販売はやってない。僕は店長と知り合いなので特別って訳。高校の頃から通っていただけのことはあるでしょ。
「マスターさん、居ますか?」
 カウンターの微妙に崩れたバンドマンみたいな店員さんに声を掛ける。耳ピー鼻ピーの金髪レゲエみたいな格好に、ケロロ軍曹のTシャツは正直どうかと……
「てんちょー! かげさん来たでぇ〜」
 何故か関西弁の店員さんに呼ばれ店長さんが顔を出した。どうでもいいけどその『かげさん』って呼ぶのは止めてほしい。苗字が『景浦』だから仕方ないかもしれないけど、日頃から社会的に存在が薄いかも〜って自覚しているだけに、芯に来ますよ、それ。
「だから、マスターって呼べっていつも…… よう、いらっしゃい」
 角野卓造さんをちょっぴり若くしたかんじ。でも40前に見えないのはきっとこの顔のせいだね。いやーいつ見てもよく似てるなぁ。ラーメン屋やったら似合うよきっと。
「あります?」
「あるよっ!」
 ちょっと低い声でそう答えてもう一度奥へ消えていった。
 ひょっとして…… 今のものまね!? 
 道理でマスターって呼べって言ってたのか。全く似合ってないが、それについてはコメントを控えよう。
 少しして奥のバックスペースからお目当ての品物を持ってきてくれた。僕が代金を渡すとそれを袋に詰めながら店長、もといマスターが話しかけてきた。
「あっちは最近調子どうよ?」
 『あっち』とは、セラフィンゲインの事だった。実はこのマスターもセラフィンゲインの古参のプレイヤーで、あっちでの名前は『オウル』 ドンちゃんと同じくガンナーで僕と同じく傭兵をやっていた。何を隠そうセラフィンゲインを教えてもらったのはこの人からだ。リアルじゃもうかれこれ5年くらいになるよなぁ、この人と知り合いになってから。
 向こうでも何度か話したことがあるけど一緒にクエストに参加したことはない。まあ基本的に傭兵が同じチームでやることは滅多にないから当たり前なんだけどね。
 そして僕が居たチームが解散してこれからどうしようかと考えていたとき、傭兵に誘ってくれたのもこの人だった。傭兵の間ではそこそこ有名な人なんだ。
「何でも傭兵から足を洗って新しいチーム作ったんだって? 『カラスが飼われた』って結構噂になってるよ」
「マジですか?」
 新チーム云々は別にして、なんつー表現だよ、それ……
「ああ、あんた有名だからな。それに結構評判の良い傭兵だったから『ネスト』じゃあんたが居ないことを知って残念がって帰る客も多いって話だよ」
 内容はどうあれ、惜しまれるつーのはちょっと気分がいいかも。リアルじゃ惜しまれるどころか、居ても居なくても一緒つーのが僕の立ち位置だから。ちょっと哀しいけど……
「はは…… 僕はほら、クライアントは大事にする主義でしたし。それにしてもマスター、辞めたのによく知ってますね」
 昔から意外と情報通なのよね、この人。あっちでは『情報屋』的な事もやってたようだし。
「まあな、俺も『オウル』【梟】だからカラスの動向には興味あるんだよ。それとな、俺はまだ『現役』だぜ?」
「えっ? そうなんですか? 最近全然見ないからてっきり辞めたのかと思ってました」
 知らなかった。まさかまだ現役だったとは。しかし、奥さんとも別れて、もうすぐ40歳になるのにそんなことやってて大丈夫なんだろうか、この人。どことなく自分の未来像を見ているようで怖いんですけど…… そのよくわからないアニメキャラのバンダナも微妙ですし……
 まあ、僕もそうだけど、セラフィンゲインのプレイヤーって変わった人が多いよね。
 そんなことを思っているとマスターがさらに聞いてきた。
「何でもプラチナ・スノーと組んだんだって? そんでもってメンバーほとんど25オーバー。しかもそのうち30オーバーが2人かよ。すげーチームだな、オイ」
「ええ、まあ……」
 陣容だけ聞くと、確かに凄いんだけどいろいろ問題も多いんですよ。精神的に……
 確かに最近はやっとこ本来の実力が発揮できつつあるけど、若干1名レベル1からのスタートって聞いたら驚くだろうなぁ、この人も。僕的にはある意味そっちの方が凄いと思われ。
「サムも一緒なんだろ? あいつ腕は確かだけど、基本行動はサルのそれだからな。疲れるだろ? 実際」
「察していただいて痛み入ります……」
「でもさ、あの白い魔女には気を付けた方がいいよ。あんまり良い噂聞かないから」
「えっ?」
 大きな耳を付けた女の子が印刷された、ちょっと手に提げて表を歩きにくい手提げ袋に入れてくれた品物を受け取る手が止まる。ちょと待って、何ですか、それ?
「知らない? あいつが居たチーム今まで全部妙な形で解散してるんだよ」
 つー事は『アポカリプス』もってことか。雪乃さんはまとまりが無くって解散したって言ってたけど違うのか?
「そうなんですか? でも妙ってどんな?」
「いやそれがね、解散する前の最後のクエストは必ずあいつ一人だけ戻ってくるらしい。後の連中は全員デッド」
「でもスノーは上級位の魔導士だから生還する確率高いだけじゃないんですか? 呪文行使も早いし」
 あれほど詠唱のスピードだったらぶっちゃけ前衛が消えても生還出来る気がする。
「だがな、そのメンバーの中で、帰ってこなかった奴が居たんだと」
「帰ってこなかった……」
「ああ、MIA【未帰還者】が出たらしい。『ロスト』だな」
 『ロスト』とは希にセラフィンゲインの接続が遮断されても意識が戻らなくなってしまう接続干渉事故のことだ。
 僕も前に見たことがあるけど、『ロスト』した人はまるで人形のようで、目を開けているにもかかわらず感情が絶えた表情でただ『存在』しているだけ。喋ることも、自分の意志で歩くこともできなくなってしまう。およそ人間的な肉体機能を維持しているのにもかかわらず、その機能を自分の意志で動かすことができない。つーか動かそうという意識そのものが無い。人として一番大事な物が掛けてしまった状態。そんな感じだった。
 自分が何者なのか、いや、そもそも何であるかも判っていない。魂とかそういった物をインストールされるのを待つ人間の『素体』のような印象で病院のベッドに横たわるだけの存在。
 セラフィンゲインはインナーブレインという脳を媒体にしているシステムだ。だから脳で何らかの傷害が出た結果だと推測できるんだけど、未だにその原因はおろか治療方法さえ判らない現象だった。
 ロストになったプレイヤーは速やかに運営側の手によって病院に搬送される。それもひっそりと。
 聞いた話によると、セラフィンゲインは脳に直接干渉してプレイするシステム自体に賛否両論の批評が当てられ、とりわけ『死』を疑似体験することへの精神の影響が以前から懸念されていて運営当初から、やれ人権団体やら倫理団体からのクレームなんかがあったらしく、その辺りを配慮しての事だそうだ。だから運営側もロストについてはかなり神経質な対応をしているみたいだった。
 確かにゲームやってて廃人になっちゃうなんて話が世間に広まったら運営も危うくなってくるもんね。
 この世ならざる夢の世界を永遠にさまよう戦士たちの成れの果て……
 そんな接続者たちを僕たちプレイヤーは、現実の戦争で戦場から帰ってこなかった行方不明の兵士になぞらえてMIA【未帰還者】と呼んでいた。
「あいつが以前居たチームで、もう6人も居るらしい。前にあいつと組んでた奴から聞いた話だ」
 そりゃ多い。つーか多すぎますって。
 運営側もそのあたりの安全性についてはかなり力を入れているハズだ。ホントにごく希で年間を通して1人から2人、それも何らかの脳障害や麻薬などをやっていた者が、検査を旨くパスして不正にアクセスしていたつーケースがほとんどで、普通にプレイする事に関しては何ら問題がないはずなんだ。
「でも、マジでそんな人数だったら騒ぎになるでしょう。警察なんかが出てきたりしてもっと大事になるんじゃないですか?」
 そんなしょっちゅう病院送りになってたら周りが絶対騒ぎ出すって。それじゃなくったって過去に妙な団体から少なからずバッシングを受けているんだからマスコミだって黙っちゃいないでしょ。
 第一いくら脳を媒体とした体感型って言ってもあくまでゲームだよ。そんなヤバかったらもうゲームじゃないじゃん。
「それがどういう訳か表に出てきてないのよ。外部はもちろん端末内でもそれについてはいっさい公表されてない。被害者の家族なんかも全く騒ぎ立てようとしないんだって。不思議なくらい知らないぜ、みんな」
 じゃあ、なんであんたは知ってるの? つー疑問はスルーしとこう。この人の情報通は結構有名だし、情報源は当然シークレットだから聞くだけ無駄。でも結構ガセも多いって聞くしなぁ、この人の情報。
「ホントなんですかぁ? 正直どうも信じられないつーか、信じたくないつーか……」
 だって怖いじゃん、廃人になっちゃったら。まだ女の子とまともにデートすらしたこと無いのに不能どころか人間的に再起不能になりたくないよ。
 さらに雪乃さん、かわいいんだもんよ、実際。スノーもそうだけど、リアルのあの雪乃さんが実は毒女だったなんて考えたくもないじゃんか。
「はは、ちょっとビビッたろ? 今のところ噂だけどな。まあ、妙な噂を小耳に挟んだんでちょっと言ってみただけだよ。真偽のほどは、実際一緒に組んでる奴が確かめてみりゃ良いじゃん。スルーするかは俺の範疇じゃねぇし」
 どうやって確かめるんですかっ? 帰ってこれなかったらどうすんだよっ! 全く持って無責任なおっさんだ。
 でも、僕はこのとき、以前僕を見つめていたスノーの冷めた瞳が脳裏に浮かんでいた。冷めているのにどことなく哀しげな目で僕を見ていた白銀の魔導士。そのミステリアスな印象が、今の『オウル』こと耳屋マスターの話と変にシンクロしてちょっぴり寒くなりましたよ、マジで。
 聞かなきゃ良かったよ……
 そんな妙な気持ちのまま、挨拶もそこそこに僕はそそくさと店を出て、セラフィンゲインの端末がある『ウサギの巣』に向かった。



第10話  PvsP【プレイヤーバトル】

 馬鹿でかい尻尾が唸りを上げて頭上をかすめていく。
「リッパー!」
 尻尾の軌道を確認し、セラフの左脇腹で調子に乗って斬りつけまくっているリッパーに怒鳴る。そこに視界の端から何かが飛び込んでくるのが見えた。
「くらえぇぇぇぇっ!!」
 と、およそ年頃の女の子とは思えない言葉を発しながらつっこんでくるララだった。サムから貰った『韋駄天の靴』のせいか、目を見張るスピードで接近すると尻尾の付け根に右拳を叩き付け、次の瞬間尻尾を蹴って上方へジャンプし離脱を計る。
 ボンッという鈍い音とともにララが拳をぶつけた箇所が内部から裂け、周囲にセラフの体液が四散するとともに、耳が痛くなるほどの咆吼が辺りに響き渡った。
 モンク特有の打撃技『爆拳』である。体内で練った気を拳を通して相手の内部に伝え、内部で爆散させる技で、相手が今回のような堅い表皮を持つ竜族であってもそれを無効にしてダメージを与えられる特性があった。
 セラフの咆吼に弾かれる様に後方に飛び退いたリッパーに気づいたセラフは、その鎌首をリッパーに向け、大きく息を吸い込む。ブレス攻撃の前兆動作だ。
「ウホホ―――イッ!!」
 意味不明な奇声を上げつつ、上空からほぼ垂直に槍を構えたサムが急降下してきた。今まさにブレスを吐くという瞬間に、サムの槍がセラフの右目に突き刺さり、たまらず上空に炎を吐いた。
 だがサムが槍を抜いて飛び降りようとジャンプした瞬間、セラフの体が青白く光り、稲妻が発生してサムに直撃、サムは「ホゲェッ!」とこれまた奇妙な声を上げて吹っ飛ばされた。
「サム!!」
 とりあえずそう叫んだが、あの馬鹿っ! なんで弱点の後頭部狙わねえんだよっ!
 サムの余計な攻撃により、『雷帝』と呼ばれる古龍種、『アントニギルス』は怒り狂っていた。
 アントニギルスは古龍種と言われる竜族最強の種類に属するセラフで、大きさ、攻撃力もさることながら非常に高い知能を持っており、ブレスの他に魔法も使ってくるやっかいなセラフだった。特に雷撃系呪文を好み、雷撃系高位呪文『ギガボルトン』を使ってくることが『雷帝』と呼ばれる由縁である。非常に強力なセラフで上級者といえど全滅を余儀なくされることも少なくない相手だ。
 まるで地団駄を踏む子供のようにバタバタ前足を踏みならし、怒りをあらわにするアントニギルス。至近距離にいる俺はまるで激震の様だ。
 俺は素早く呪文を口ずさみ、安綱を下段に構える。
「フレイアソード!」
 魔法剣フレイアソードを行使し、右の前足を下段から上へ斬り上げ、返す刀で横に薙いだ。安綱の刃は堅い竜族の表皮などものともせず、まるで豆腐を切るような手応えで右前足を骨ごと両断し切り口から炎が上がる。信じられない切れ味だった。
 最近何故だかやたらよく切れるんだよな、安綱。この前のダイノクラブもそーだけど、なんつーの? 斬るたびに斬れ味が増すつーかさ。それになんだか妙に軽く感じるし……
 そこへ、間髪入れずに複数の炸裂音とともに頭上に閃光がはじけた。
 確認しなくても判る。ドンちゃんの魔法弾だ。マジで絶妙なタイミングで撃ってくるな。このタイミングで着弾するって事は、俺や他のメンバーの動きを予測してないと絶対出来ない芸当だ。
 それに恐らく炎焼系上級呪文『メガフレイア』の効果を負荷した弾だろうが、かなりの破壊力だ。さっきサムにえぐられた方の右目から口にかけてが、高温で溶けてやがる。さすがにレベル30オーバーの魔導士が呪文を込めると違うわ。
「おーいっ、凄いの行くから離れてねー!」
 とドンちゃんの声が響く。俺は直ぐさま後方に飛び離脱を計った。
 顔半分が溶けて、右前足無くなったにもかかわらず、飛翔して逃げようとはせず、なおも残り一本の前足で踏みとどまり俺たち狩人を睥睨し、灼熱のブレスを吐こうと鎌首をもたげる雷帝アントニギルス。まさに帝王と呼ぶにふさわしい闘争本能だった。
「メテオバースト――――!!」
 雷帝の咆吼に被るように響き渡る白銀の魔女の澄んだ美声。
 今まさに決死のブレスを吐こうと息を吸い込んだ雷帝の頭上に大きな火球が出現した。そして次の瞬間その灼熱の大玉が逆落としに雷帝に直撃した。
 目も眩むような閃光と、皮膚が焼けるような熱風が周囲を席巻し、すさまじい高温が一点に凝縮されていく。
 炎焼系最上級呪文『メテオバースト』
 これが行使できる魔導士はそういない。別にアントニギルスは火が弱点ではないが、それでもこの高温では生き残る術がないだろう。相変わらずすげー破壊力だった。
 魔法の影響が消え、周囲に静けさが戻る。
 着弾地点は半径20mほど地表がめくれクレーターのように抉れていた。そこにいたであろうアントニギルスの姿は無く、ただかろうじて直撃を免れた首だけが、抉られた地面の外側に横たわっている。
「すげーな、バグってやがる……」
 クレーターの中心を見ながら、リッパーが呟いた。
 見るとクレーターの底の方の地面がポリゴン化してノイズのように明滅を繰り返していた。メテオバーストの行使とアントニギルスの消失、それにこのフィールドの処理による負荷でプログラムが一時的にダウンしているのだろう。
 呪文が行使された瞬間に退避していたララやサム、それに離れていたドンちゃんなんかがのぞき込んでいる。
「もう少し早くやった方が良かったかしら」
 そう呟くスノー。相当な集中力と魔力を消耗するはずだが、当の本人はけろっとした顔だ。やっぱすげえぇな、上級位の魔導士って。
「あそこでサムが急所突いてりゃメテオバーストなんて撃たなくても終わってたんだ」
 急所が狙える絶好のポジションだったのに…… そもそもおまえ何のためにジャンプしたんだよ……
「ミーはララちんの護衛ね。ララちんがつっこめばミーが飛んで駆けつける。相方としてこれ当然の事ね」
 だーかーらー、護衛だっ! ご、え、いっ! 相方って、芸人かおまえはっ!
「それにしてもララちゃん、だいぶ慣れてきたんじゃない?」
 とドンちゃんがララに声をかけた。確かにララの成長はめざましい物がある。レベル17でアントニギルスに接近戦を仕掛ける度胸もすごいけど……
「まあね、ヒットアンドウェイってやつ? 最近やっとこつが掴めてきたの。なんて言うの? セラフの呼吸みたいなのが判るってゆーか」
 ホント、2週間でたいした物だ。タイミングってさぁ、ふつうは経験で培う物だけど、ララの場合本能でやってるんだから。恐るべし、格闘マニアのビジュアル系悪魔。
 でもまあ、これからが伸び悩むんだけどね。
「リッパー、おまえ接敵長すぎ。ララが飛び込んでこなけりゃヤバかったろ」
「へっ、あんな尻尾に当たるほどトロくねえよ」
 俺の文句に二本の剣を両手でクルクルと弄びながらそう不敵に答えるリッパー。
 嘘こけっ、俺が怒鳴るまで一心不乱に斬りつけてたじゃんかっ! まったく、コイツのこの癖直らんのかな。
「それにしても、だいぶチームとしてのポテンシャルが上がって来たわね。古竜種相手にたいしてダメージ受けずに狩り捕れるんだもの」
 フードに付いた砂埃を軽く払いながら満足げにスノーが言う。確かにスノーの言うとおりだ。一様にしてみんなさしたるダメージを受けていない。電撃を食らったサムも平気な顔して笑ってる。まあ、コイツの場合は死ぬほどのダメージ食らってても笑ってそうな気がするが……
 ララの成長もさることながら、メンバー間での攻撃の連携が取れてきたことが一番の要因だろう。まあそもそもl元々1名を除いては皆ハイレベルな上級プレイヤーなのだから当然なんだろうが、メンバーの妙な性癖や性格を考えるとそうも言い切れないものがある。
「さて、そろそろベースに戻って精算しようぜ。続けて別のクエストもエントリーするんだろ?」
「そうね、各自装備を点検して。戻るわよ」
 リッパーの言葉にスノーがそう答え、みんな各々自分の装備の点検に取りかかる。ベーステントまでそうたいした距離じゃないが油断は禁物。撤退時が一番危険なのはプレイヤーの常識だった。
 俺も安綱を鞘に仕舞い、少々緩んでいた『愚者のマント』の留め金を絞り直す。それから一応スタミナ補給のため干し肉をちぎって口に放り込んだ。相変わらず独特の味が口の中に広がる。どうもこの味は慣れないなぁ。
 とその時、独特の飛来音が俺の鼓膜を刺激した。
 よく聞き慣れたその音に、反射的に俺はドンちゃんことマチルダを見る。魔弾砲の装填数を確認していたマチルダもその音に反応したのか、怪訝な顔をして俺と目があった。
 次の瞬間、爆裂音とともに俺達の周りを炎が包み込んだ。
 肺まで焦がしそうな熱風を顔に感じつつ、俺は瞬間的に隣にいたララの腕をひっつかんで横に飛び退いた。
 弾けた赤い炎が瞬間的に高温を発して辺りを焦がし、急速にその勢いを失っていくのが分かる。セラフのブレスじゃない。魔法特有の炎、恐らく中級呪文『フレイガノン』程度だろう。そして爆発前に聞こえた音……
「いったぁ……」
 俺の隣で横たわるララが肘をさすりながら上体を起こして文句を言う。
 全く何が起こったのか分かっていないだろうララをとりあえずスルー。直ぐさま立ち上がり他のメンバーに声を掛けつつ、腰の安綱を抜いた。
「みんな無事かっ!?」
 見ると皆俺達と同じように瞬間的に散開したようで、直撃は免れたようだ。
「シャドウっ! 今のは……!?」
「ああ、ドンちゃん。間違いない、今のは魔弾砲による狙撃だ」
「魔弾砲!? 魔弾砲撃ってくるセラフなんて居るんだ?」
 経験の浅いララなら知らないのも無理はない。
「いや、そんなセラフはいやしない。魔弾砲は俺達プレイヤーだけの武器だ」
 つまり、この攻撃は他のプレイヤーからの攻撃って事だ。しかし―――
「おいスノーっ! オープンでエントリーしたのかっ!?」
「馬鹿言わないで。ララが居るのにオープンでする訳無いじゃないっ!」
 俺の詰問にそう怒鳴り返すスノー。だとしたらこれはいったいどういう事だ?
「ねえ、オープンって何?」
 困惑する俺にララが質問する。
「オープンってのはクエストをパブリック化してエントリーすることだ。オープンでエントリーすると他のチームも俺達が今エントリーこのクエストに自由に参加することが出来る」
 サーバの負荷を考えてか、同時にエントリーすることが出来るチームは2チームまで。大体のチームは通常『ブロック』という他のチームが介在しない単独エントリーを選択する。オープンでエントリーする場合は、イベントやチーム交流戦、または傭兵がエスコートする場合、そして…… チームバトルという特殊な戦闘をする時以外にない。
 オープンでエントリーした場合の最大の特徴は、他のチームメンバーを攻撃できるという点だ。しかもこれが結構極悪で、デッド判定をかわすダメージを与えて行動不能にすれば、相手の装備を奪うことが出来るのだ。それ故、オープンエントリーのチームバトルは大方仲の悪いチーム同士の決闘や因縁を付けてくる性悪チームなんかの喧嘩の場として利用される。
 俺は傭兵だっただけに、実はこの手のもめ事には慣れている。傭兵は基本的にオープンのクエストでしか参加できない。雇う側が1チーム、傭兵が2チーム目といった具合だ。複数の傭兵を雇う場合は傭兵側の仮で作ったチームに登録させてエントリーすればいい。
 そして雇い主であるチームとのもめ事は言ってみれば日常茶飯事だった。大物セラフを狩り終え、いざ精算って時に、やれ高いだの働きが悪いだのと難癖を付けて少しでも払いを少なくしようという輩も少なくないのだ。
 俺ぐらいになるとそんな難癖を付けてくる奴らはほとんど居ないが、それほど名が売れてない傭兵なんかは雇う側もなめてかかってくる場合が多く、バトルに発展するケースが往々にしてあった。
 多対一じゃんと思うかもしれないが、そんな前衛戦力を傭兵で補わないとクラスAのフィールドに立てないような半端な連中じゃ、束になって掛かってきたって負ける気がしない。踏んでる場数や経験、そしてそもそもレベルが違う。
 相手が高レベルだったらどうかって?
 そんな上級者が傭兵を必要とするか? ってのもあるが、そういう連中はここのルールをよく分かっているから余程理不尽な扱いや働きでない限り、バトルにまでは発展しなかった。
 話は戻るが、さっきのスノーの言葉を信じるなら、ブロックでエントリーしている限り他チームによるこのクエストの介入はあり得ないはずだ。
 ならば何故?
 前にも述べたがセラフィンゲインのセキュリティは軍事施設のそれに匹敵する強固な物だ。ハッキングや不正アクセスなどのプレイヤー側からの人為的操作はあり得ないはずだ。だとするとホスト側に問題があるはず。プログラムのバグか何かだろうか?
 皆目見当が付かないが、攻撃されているのは間違いない。俺は思考を切り離し、戦闘モードに移行する。
 何者かの気配を察知し、警戒しつつ安綱を構え、正面の茂みをにらむ。程なくしてがさがさと草葉が揺れ、右手に剣を携えた銀色の鎧姿の男が姿を見せた。
 鎧姿の男の後に続き、同じような装備の人物が2人、その後にローブ姿の人物が2人と、ドンちゃんと同じく魔弾砲を担いだガンナーであろう人物が続く。
 装備を確認するまでもない。俺達と同じ、プレイヤーだった。
「おいっ! お前らどういうつもりだっ!!」
 両手に剣を構え、今にも斬りつけそうな勢いで怒鳴りつけるリッパーの声が、まるで聞こえないような雰囲気で沈黙を守る一同。なんだこいつら?
 ふと、ちょうど正面に立つ戦闘の男の顔を見て、俺は息を飲んだ。見知っている顔だったからだ。
 こいつ確か『アポカリプス』の……
 俺はスノーに目線を移す。スノーはまさに凍り付いた表情で先頭の男を凝視し、瞬き一つせず、ただ唇をふるわせてこう呟いた。
「カイン…… 何故?」
 距離があったのでよく聞き取れなかったが、唇の動きがそれを伝えている。
 カイン―――
 それは以前スノーが在籍していたチーム『アポカリプス』の前衛を努めていた戦士の名前だった。
 やっぱりね。いやな奴、嫌いな奴ほどよく覚えている。
 その時、スノーのその呟きが引き金になったかのように、前衛3人が突然斬りかかってきた。俺は即座にララを庇いつつ斬撃を安綱で受け止める。立て続けに2合ほど斬り合い鍔迫り合いに持ち込みお互い膠着する。
「おい、手前ぇ……!」
 と声を掛けつつ、カインと呼ばれた男をにらみ返す。しかし、彼の目は色を失っていた。
 全くの無表情。その表情からは何の感情をうかがい知ることはできない。まるで『人形』のそれだ。数秒の膠着を続け、力で押し返すと、スッと下がって剣を正眼に構え直し、俺を見つめる。
 だが、またしてもその表情は何の変化も見いだせなかった。
「ララ、少し下がってろっ! こいつらどうもおかしい」
 少し距離を取ったせいで少々余裕が生まれた隙にそうララに声を掛けて安綱を構え直しつつ、他のメンバーを伺う。
 サムもリッパーも初回の斬撃を受け止めつつ、同じように相手を突き放し距離を取っていた。
 サムは傭兵だったこともあり、対プレイヤー戦には慣れているのだろう。いつも通りの動きで相手を牽制しつつ相手を威嚇している。時折意味不明な奇声を上げているが、アレにいったい何の意味があるのだろう……
 しかしリッパーは動揺を隠せないようだ。表情がそれを物語っている。まあ、無理無いけど。普通一般的なプレイヤーなら、他のプレイヤーとの戦闘なんて経験無いだろうからね。セラフ相手とは勝手が違うのだろう。
 前衛は俺とサムとで何とかなるが、後衛はやっかいだな。さっきの魔弾砲の威力から考えるに、魔導士も結構高レベルだろう。こっちは俺とサム以外はプレイヤー同士の戦闘なんてあまり経験がないだろうからタイミングが掴めない。上位呪文を唱えられたら対処が遅れるのは確実だ。
「ねえスノーっ! どうすればいいの?」
 ドンちゃんの悲痛さを含んだ声が響く。だが、スノーからの指示は沈黙だった。
「カイン…… 何故…… あなた……」
 見るとスノーは顔面蒼白のまま口元を押さえて硬直している。
 ダメだっ スノーがテンパってる以上、バックアップは期待できない。そうこうしているうちにまた前衛が斬りかかってきた。
「くっそーっ! なんだってんだよっ!」
 吐き捨てるようなリッパーの声が響く。セラフ相手じゃないから調子が狂うらいしい。本来のリッパーの動きではない。
 だが俺もララを背にしたカインとの斬り合いで援護できない。確か奴はレベル28の上級者だ。そう簡単にはいかない。
「プロテクション!」
 不意にカイン達の後ろに控える後衛の一人がそう叫んだ。その瞬間向こうのメンバー全員の体が青白い光に包まれる。
 ちくしょー! やろー『プロテクション』をかけやがった。コレでこちら側の攻撃ダメージは半減されることになる。セラフ相手で無かろうと、その辺りは律儀に補正されるんだよな。
「サンちゃんっ! こっちもプロテクションだっ! 同条件じゃないと被害がでかくなる。急げっ!」
 スノーが沈黙している今は、指示を待っていると命取りになる。とりあえず俺がそうサンちゃんに指示を出す。程なくしてこちらのメンバーの体がほのかに光る。
「ドンちゃんは狙えるなら向こうのメイジを狙撃してくれっ!」
 カインの斬撃を凌ぎつつ、続けてドンちゃんに叫ぶ。これだけ敵味方接近した乱戦だから、まさか派手な魔法は相手も使わないと思うが、万が一にも高位呪文を詠唱されたらやっかいだ。早めに潰しておいて損はない。
「どりゃーっ!」
 そこへ甲高い声が響く。ふと見るとララの『爆拳』が前衛の剣士に炸裂したところで、相手が吹っ飛んで行くのが見えた。
 あー、コイツの場合、経験浅いのが幸いした。とりあえず自分に向かって攻撃してくる相手は全て『敵』と認識しているようだ。それがセラフであろうが無かろうが関係ない様子…… まぁ、経験浅いつーか、日頃人間相手に格闘しているだけに、その辺の抵抗感というか禁忌感といったものは皆無なんだろうな、実際。リアルで悪魔張ってるだけのことはある。
 俺はカインとの斬り合いの中で、ふと妙な違和感を感じる。結構高レベルなプレイヤーだから手強いのは分かるが……なんか違う。なんだ、コイツ?
 普通プレイヤー同士のバトルの場合、何というか相手の殺気みたいな物を感じるのだが、カインからはそれが全く感じられない。まるでセラフと戦っているかのようだ。なんかなまじ知ってる顔だけに気味が悪いんだよ。
 そうこうしているうちに、俺の鼓膜を刺激してきたのは相手のメイジの呪文詠唱だった。
「オイオイ、マジかよ。こんな接近戦で……」
 聞こえてきた詠唱は長さ、複雑さから考えて恐らく高位呪文だ。この距離じゃ確実に自分のチームの前衛を巻き添えにするだろうが、そんなことはお構いなしなのか?
 ドンちゃんもさっきからメイジを狙って攻撃を仕掛けているが、敵のガンナーに逆に狙われていて思うように狙いが付けられないようだ。それにドンちゃんも対プレイヤー戦は経験が無いらしく、躊躇しているようだし。
「ヤバイな、こりゃぁ」
 と呟いた瞬間、目の前が真っ白になり、痛みを伴った冷気が顔面を直撃した。とっさに左手で『愚者のマント』を顔の前に掲げて冷気から逃れる。続いて一瞬にして右手のグローブごと安綱に霜が掛かる。
 冷却系高等呪文『ブリザガント』メイジが使う冷却呪文では最強クラスだ。
 効くぅ〜っ!
 さっき掛けて貰ったプロテクションに加え、ある程度属性攻撃や魔法攻撃を緩和してくれる『愚者のマント』だが、この至近距離では完全とはいかない。その証拠にマントを持ち上げた左手の感覚が全く感じられなかった。恐らく凍り付いたのだろう。このバトル中は左手は使えないな、たぶん。
 霜の張り付いたマントを払い正面のカインを見ると、奴は剣を地面に突き立て、右半身にびっしりと霜が張り付き片膝をついていた。見ると右足が完全に凍っている。同じチームの仲間に食らったにもかかわらず、その表情には何の感慨もない様子だった。
 カインの右足が動かないのを確認した俺は、他のメンバーを見渡す。皆似たようにうずくまっている。デッドするまでではないが、皆一様に結構ダメージを受けたようだ。
 と、思った瞬間、隣にいたララが崩れるようにしゃがみ込んだ。
「ララァっ!?」
「だ、だい、じょうぶ……」
 全然大丈夫じゃないっ! 全身真っ白じゃんよ、お前っ! レベルが上がったせいと、プロテクションの効果で何とかデッドしてないだけつーかなりのダメージだ。
 そこに動けないララに向かってカインが斬りかかってきた。右足が凍り付いているにもかかわらずえらいスピードだ!
 くそっ! 間に合わねぇ――――!
 そう思った瞬間、俺の中で何かが弾けた。
 絶対に間に合わないと思ったタイミングだったが、蹲るララの前で安綱はカインの斬撃を水平に受け止めていた。さっきのブリザガントのダメージで左手は使えないから、右手のみ受け止めたのだが、カインの斬撃がまるで力をかけていないかのように微動だにしない。
 俺が自分のやったことに驚いていると、耳の奥にキーンっと耳鳴りのような音が鳴り出した。
「なんだこりゃ!?」
 大きくなったり小さくなったりを繰り返し、まるで生き物の鳴き声のようだ。
 違う…… この音は安綱から……
 見ると黒光りする二尺六寸の刀身が音に合わせて小刻みに震えていた。
「安綱が……」
 鳴いている。間違いない。この音は安綱から発せられている。鬼丸から譲り受け、もう1年以上使っているが、こんな事は初めてだ。何が起こったんだ?
 するとカインが素早く剣を引き、今度は突きを繰り出してきた。俺は体をくるりと回転させ突きをかわしつつ、安綱を縦に振るった。先ほどのダメージを感じさせない、流れるような動作だった。自分の体じゃないみたいだ。
 振るった刀身は、カインの装備している甲冑を物ともせず、銀色に光る小手ごと突き出されたカインの手首を切り落とした。俄然手応えは空を薙ぐようで、抵抗が全く感じられず切り口はまるで線を引いたように鮮やかな断面を形成している。信じられない切れ味だ。いったいどうしちゃったんだよ、安綱。
 右手に握られた安綱は、耳鳴りのような音を発しつつ小刻みに震えている。それはまるで、敵を威嚇する獣のようだった。
 さらに、切断したカインの手首が驚きの現象を見せる。
 安綱に切断され、腕からスッと離れて地面に転がったと思ったら、なんと手にしていた剣と一緒にパッとポリゴン化されて弾けてしまった。
「消えちまった!?」
 セラフィンゲインではデッド判定がされるまでその装備品が消えたりすることはない。にもかかわらず、カインの剣が着られた手首ごと消滅した。しかもあんな消え方は見たことがない。
 俺は警戒しつつカインを見る。すると、此処で初めて無表情だったカインに変化が見られた。
「――――!?」
 表情はあいかわらず無表情なのだが、その瞳からは涙が溢れていた。
 両腕を失った事が悲しいのか、激痛に耐えているのか、それとも何か別の理由があるのか…… 無言無表情のまま、ただ涙を流すカインからはその理由をうかがい知る事は出来なかったが、その異様さに俺は少し背筋が寒くなるのを感じた。
 おかしい…… 
 ブロックエントリーで突如出現した第2のチーム
 無言にして無表情のまま、まるで人形の様に襲いかかるプレイヤー
 それに呼応するように鳴りだした安綱の奇妙な反応
 デッド判定を待たずして消滅する装備……
 何か違う、何かが致命的に狂っている。
 この作られた世界でイメージとして肌に感じる風の中に、何かとてつもない毒気のような物が混じっている様な錯覚を覚えつつ、さっきから鳴りやまない安綱を構え直した。
 いったい何が起こっているんだ……?


第11話  強制削除 

 未だに小刻みに震えながら妙な音を出し続ける安綱だが、この得体の知れない攻撃力は今の俺にはありがたかった。しかし戦況は芳しくない。
 複数の対象に強力な攻撃を仕掛ける事が出来る魔導士が使えない俺達の方が圧倒的に不利だ。先ほどの攻撃からも判るとおり、相手は見方が居ようがお構いなしに魔法を行使してくる。
 ちっきしょ〜考えが甘かった。マジでヤバイな……
 幾ら安綱がコレでもさっきみたいな高位呪文を連発されたら持たない。
「せめてスノーが復活してくれれば……」
 彼女の呪文でこのわけのわからん状況を一掃できるのだが―――
 すると、後ろからドンちゃんの慌てた声が聞こえてきた。チラッと見るとスノーが頭を抱えてしゃがみ込んでいる。
「ちょっとスノーっ! どうしたのよ!?」
 今度は何!?
「わ、私が、悪いんじゃ、ない…… 私が…… 助け、て、お、にま、る―――」
 ――――!!

 な、に? 今なんつった?

「カイン……お願い、そんな……そんな目で……私を見ないで……」
 手にした杖を頼りに、かろうじて立ち上がるスノーの姿は、まるで幽鬼のようだった。
「私を……」
 そう呟きながら手にした杖をおそるおそる顔の正面に掲げるその姿は、彼女の通り名である戦慄の『白銀の魔導士』とは到底思えない弱々しい物だった。
 まるで泣いている幼子の様……

「見ないで――――――――――っ!!!」

 フィールド全体に響き渡るようなスノーの絶叫! そして直ぐさま呪文詠唱に入る絶対零度の魔女。
 おっしゃ! スノー復活っ! こっから巻き返す―――あれっ? なんだこの呪文?
 俺の鼓膜に安綱の鳴きに合わせてスノーの詠唱が乗っかる。ぴったりと合うリズム。だがしかし、俺はこの詠唱を以前聴いた事がある……

 ―――コレは!?

「おいっ! スノー、ちょっと待てっ!! おいってばっ!!」
 完全なトランス状態に入っているスノーに俺の制止の言葉は届いてはいない。複雑な呪文だが元々詠唱時間が早いだけに恐らく半分以上は消化しているだろう。
 ヤバイヤバイヤバ――――――イっ!
 とりあえず隣にしゃがみ込むララの腕をひっつかむと全速力の疾走に移る。
「リッパー! サムっ! 全速力で逃げろ―――っ!」
 走りながら怒鳴る俺にリッパーが怒鳴り返す。
「なんだってんだよっ!!」
「良いから逃げろってっ! それも出来るだけ遠くにっ!」
 俺の必死さに何かを感じ取ったのか、恐らく意味も分からないだろうがリッパーとサムが交戦場所から撤退を計る。
 全速力で離脱を計る俺達に反応して相手のチームも移動を開始した瞬間、空が『ブレ』た。高負荷にシステムの処理が追いついていない。
 あの時と同じだ、間違いない! 
 スノーっ、てめえっ……!!
 続いてさっきまで俺達が戦っていた場所を中心にオーロラのような色をした半透明な傘が掛かる。相手チームは一人残らずその中に取り込まれた。
 リッパーは反応が早かったが、もたもたしていたサムはギリギリセーフ! それを確認して少しばかりほっとする。
 以前見たときよりだいぶ範囲が小さい。だが、コレがこのフィールドにどのような影響を及ぼすか判らないだけに安心は出来ない。
 俺は敵を見るような目でスノーを睨んだ。
 スノーは呪文詠唱を終え、その杖を高々と天に掲げて最終コマンドである呪文名を唱える。

「コンプリージョン・デリート――――――っ!!!!」

 ほとんど絶叫に近いスノーの声。そして……
 
 ズゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥンっ――――――!!

 臍の下辺りがゴリゴリと押されるような重苦しい音とともに世界が揺れた。
 さっきまで虹色に輝いていた半球のドームは、今は極彩色の明滅を繰り返し、まるで理不尽な罠に掛かった獣がもがいているかのように見えた。
 大地や木々と言った物理的なテクスチャーだけではなく、空や雲、光や風の表現プログラムまで、そのドームは包み込んでいく。いや、食われていく……
 時間にして数秒。
 そしてそのドームは出現したときと同じように唐突に消え去っていった。ドームが消えた後にはぽっかりとした穴だけが残った。
 穴―――
 まさに穴としか表現のしようがない……
 この世界の売りの一つである緻密なテクスチャーで構成されたハズのこの世界の景観は、まるで黒のクレヨンで塗り潰されたかのように無惨な姿をさらしていた。優美な絵画に心ない者が墨汁を落とした様に、その空間だけが切り取られ消失している。
 以前見たときより半分ぐらいの規模だが、意図的にコントロールできるのか、それとも行使者の力量に比例するのかは判らないが、相変わらず背筋が冷たくなる光景だ。もう二度と見る事が無いと思っていたのだが……
「……なあ、コレって何だよ?」
 リッパーが呟く。
「削除されたプログラムの痕だ。強制的に削除されたのでシステム処理が出来なくなっているんだ」
「ほぉぉ〜う」
 俺の説明にそう頷くリッパーだが、お前全く理解してねぇな。
「それにしてもすっごい呪文だったじゃない? あたし初めて見たわ〜 なんつったっけ?コンプリート……? あれ?」
 とドンちゃんが無条件に賞賛する。それにつられてサムとララも同感といった様子だ。
「う〜ん、まさにファンタスティックなマジックね。流石はオーバーサーティー。『プリティ・スノー』の通り名はフェイクじゃないね。ミーは感動したよ」
 いや、だから『プラチナ・スノー』だって……
「スノーがテンパった時はどうなる事かと思ったけど、やっぱり頼りになるわね〜」
 さっきまでへばっていたララもサンちゃんの回復魔法で元気を取り戻したようだ。サンちゃんは相変わらず黙っていたけど、皆と同じようにやはりスノーを賞賛しているようだし。
 知らないって幸せだよなぁ、マジで。でも、俺はそうはいかない。どうしてもやらなきゃならない事が出来ちゃったよ……
 俺はゆっくりと安綱を鞘から抜き、その刃の切っ先をスノーの鼻先に突きつけた。先ほどからの皆の賞賛を受けても、俯き1人浮かない顔をしていたスノーの目がその黒光りする刃を見つめる。そしてゆっくりとその刃を渡り俺の視線と絡む。
 何故そんな目で俺を見る? あー、でも今問いただす事はそれじゃない。
「ちょっ、ちょっと何やってんのよシャドウ!?」
 俺の行為を見てドンちゃんが目を回す。
「さっきから何怒ってんだよ、シャドウ?」
「そうよ、スノーの魔法で助かったのに……」
 リッパーとララも口をそろえて俺を非難。
「ミーは判るね。自分の活躍が少なかったんで拗ねてるネ。傭兵にはありがちな事Yo」
 いや、違うから…… つーかお前は少し黙ってろ。ややこしくなるから。
「『コンプリージョン・デリート』……アレがどういう物か判ってて使ったんだよなぁ?」
 俺の問いに無言のまま見つめるスノーの瞳は少し潤んでいるように見えた。やべっ、カワイイ……ってそうじゃない。イカンイカン!
「だからぁ、あの呪文がいったい何だってのよ? 確かにすっごい魔法だったしちょっと危なかったけどみんな無事だったし。結果オーライで良いじゃん」
 と、ララが口をふくらまして言う。
「スノーもさ、私たちなら交わせるって信じてたから使ったのよ。ララちゃんの言うとおりちょっと危ない行為だったかもしれないけど、あっちの魔導士容赦無かったし、結果的にスノーのおかげで全員無事に切り抜けられた事だし……」
 ドンちゃんもそう言って俺をなだめようとする。見かけによらず、仲間内のイザコザは見ていられないタイプみたいだ。リアルでこの顔と二丁目口調で諭されたら無条件で従うトコだけどそうもいかないのだよ、ドンちゃん。
 だってさ、みんな『ロスト』するとこだったんだぜ?
「さっきスノーが使った『コンプリージョン・デリート』は一見魔法のように見えるが、実は魔法じゃない。アレはプログラムの『強制削除コマンド』なんだ。システムサポート側の目をかわす為魔法のような形態を取っているだけだ」
 俺のその言葉に皆の顔に?マークが浮かぶ。
「えっと、つまりそれって……何?」
 ララだけじゃなく、スノー以外のみんながよく分かっていない様子だ。しゃーない、説明してやろう。アレがどれだけ危険かを―――
「プログラムの強制削除。つまりこの世界にある物全てを強制的に消してしまえるコマンドの事だ。さっき見たろ? あの傘だかドームだかに取り込まれた物は全て消されてしまう『初めから無かった事』になるのさ」
 まだ、ピンとこないか。
「俺達プレイヤーが此処に来る際、端末で接続し意識をプログラムとシンクロさせてこの世界にロードされる。インナーブレインつーシステムを介してこの仮想世界転送された時点でプログラムの一部として組み込まれている。
 つまり俺達プレイヤーも『コンプリージョン・デリート』の削除対象になるってことだ」
「つーことは、俺達もあの中にいたら消えちまうってことか?」
 とリッパー。
「ああ消える。いやただ消えるじゃないな。正確には『無かった事』にされる。初めから存在しなかった『役割』としてシステムメモリーから削除されてしまうんだ。
 セラフィンゲインに接続したまま、プログラム化されて組み込まれた意識が最初から無かった事になる…… 肉体は接続室のベッドの上にあるのに意識だけが消える。つまりそのプレイヤーは確実に『ロスト』するってことさ」
 『ロスト』という言葉に息を飲む一同。そりゃそうだ。セラフィンゲインはあくまでゲーム。なのにゲームで人生捨てる事は嫌すぎるよね。俺だって嫌だ。リアルじゃ世間的に終わってるっぽい俺の人生だけど、生物的に終わるのは御免被りたいよ。
 若干一名言葉の意味が分からないので事の重大さが理解できてない者もいるが、一様にアレがどれほど危険なことだか判ったようだ。宜しい、では本題に入ろう。
「だが、俺がスノーに聞きたい事は『何故使ったか』じゃない……『何故使えるのか』って事だ」
 俺は安綱を鼻先に突きつけ、スノーを睨みながら話を続ける。スノーもまた俺を無言のまま見つめていた。
「1年半前に『禁呪』に指定され使えなくなった筈のコマンドを何故お前が使えるんだ、スノー?」
 そう、アレが使える人間を俺は一人しか知らない。他にいるはずがない。つーか、他にいてたまるかってんだっ!
「ねえシャドウ? 『禁呪』って何?」
 ドンちゃんが首を捻りつつそう聞いてきた。確かに聞いたことがないのも無理ないかも。
魔法に携わる者でさえその存在を知らない者も多いぐらいだし。2年以上やってる古参のプレイヤーなんかは知っているかもな。
「サポート側にプロテクトが掛けられた使用禁止の魔法のことだ。アレは魔法じゃないが便宜上『禁呪』にカテゴライズされているそうだ」
「確かに敵味方を問わず、強い弱い関係なく消しちまうんだろ? そりゃ反則だよな」
 リッパーの言う通り反則だと俺も思う。何しろ見境無しに消してしまいおまけにロストつー極悪オプションまで付いてくるのだ。つーかフェア、アンフェア以前にもはやゲームじゃないだろ、そんなんじゃ。
「1年半前、アレを『聖櫃』に続く通路で使ったヤツがいた。追ってくる数体の大型セラフを通路ごと消し飛ばした。後衛のメンバー4人と山の北側3分の1を巻き込んでな。規模が大きかったんでサポート側のセキュリティに引っかかり、それ以降アレは禁呪としてプロテクトが掛けられた筈だ……」
「何かのエラーとかじゃね?」
 とリッパーが口を挟む。
「それはあり得ない。サポート側だって馬鹿じゃない。アレはこのゲームそのものの存在を脅かす危険なコマンドだ。仮にそれにエラーがあったにしろ、それをそのまま放置するほど此処の監視体制は甘くはない」
「じゃあプロテクトを外部から破ったとか?」
「セラフィンゲインのセキュリティは軍事機密のそれに匹敵する強固な物だ。外部からのアクセスによるプログラムの改竄は物理的に不可能……」
 仮にスノーが天才的なハッカーだとして、プロテクトを解除できたとしても、不正なアクセスで行使されたコマンドがサポートの監視に引っかからないわけがない。
「アレが使えると言う事は解除コードを知っている者……つまり、システムの『向こう側』の人間……」
「システムの向こう側? それってどういう意味なの?」
 ドンちゃんが首をひねる。いまいちピンと来ないらしい。
「いくら情報に疎くても聞いた事ぐらいはあるだろ? 『システムを担う者達』…… スノー、あんた『使徒』なのか?」
「うそっ!? マジで!?」
 リッパーが驚きの声を上げる。続いて傍らのサムもヒューと口笛を鳴らす。
「コイツはファンタスティックだ。ミーは初めて見たよ」
「私も……『使徒』なんて噂だけの存在だと思っていたのに。実在してたなんて……」
 ドンちゃんも驚いた顔でスノーを見る。いつも無言のサンちゃんも、言葉には出さないが驚いた様子だった。まあ無理もない、俺だって初めてなんだから。
 そこに全く話に着いて行けてないララが質問してきた。
「ねえ、『使徒』って何?」
「このセラフィンゲインの制作者の事だよ。何でも13人いたらしくてな。セラフィンゲインつー名前にちなんで『使徒』って呼ばれている。
 その13人がどんな人達だったのか、なんて名前なのかなんつーのは全くの謎。ただ、いずれも『天才だった』つー事は確かだな。今となっちゃホントに実在したのかも判らない伝説の人間達だ。そいつらの事はセラフィンゲインの中でも『最大級の謎』として俺達プレイヤーの間では知らない者は居ないぐらいの有名な存在なんだ」
 噂ばかりが一人歩きしていて有力な情報はいっさい無し、その存在自体も怪しい『使徒』だが、その名前から連想されるミステリアスさも相まって、プレイヤー達をくすぐり続けているのもまた確かな事だった。俺自体半信半疑だったが『使徒』という名前には惹かれるものがある。
 だが、もしスノーが『使徒』なら、それは致命的な反則行為と言わざるを得ない。開発者側がプレイヤーになりすまし、さらにチームを主催してゲームに臨むなんて反則以外の何者でもない。入試問題を作った大学の講師が身分を偽って大学入試を受けるような物だ。さらにその行為に何の意味がある? テストプレイならまだしも、本格的にゲームに参戦して何になる? 金が目的ならこんな人数でアクセスしなくてもいい。スノーほどの魔導士ならソロで充分稼げるはずだ。だが、だとすると他にどんな目的があるというのだ?
「私は『使徒』じゃないわ……」
 俺の心の中の疑問を見透かしたように、それまで沈黙を守っていたスノーが不意にそう呟いた。
「でも、『使徒』だった人は知ってる。『コンプリージョン・デリート』のプロテクト解除コードはその人から教えてもらったの」
 安綱の切っ先を見つめていたスノーはフッと瞼を伏せた。
「でもね、その人はあなたも良く知っているハズよ、シャドウ?」
 スノーはそう言って自分に向けられた安綱の漆黒の刀身に手を添えた。それはまるで愛する人を愛おしむような慈愛のこもった仕草だった。俺はその仕草だけで降伏しそうだ。
 もうね、萌・え・す・ぎっ!
 しかし俺が知っている人物? 誰だそりゃ? おいおい『使徒』に知り合いなんて居ないぜ、俺。
 けど、次の言葉は俺にとって衝撃的すぎた。
「貴方にこの太刀を託した人物…… そう、『鬼丸』が『使徒』なのよ」
―――――――!?
 スノーの萌える仕草にとろけそうだった脳が一瞬にスパークした。


『何言ってんだよシャドウ。仲間だろ? 俺達……』


 手にした刀が折れると同時に折れた闘争心。
 ベースに帰還どころか立ち上がる事すらままならない全身疲労とダメージに、リセットを覚悟してその身を大地にさらす。
 そこに差し出される、血糊で真っ赤に染まった皮のグローブに包まれた右手。
 先の戦闘で左腕を失いながらも泥と血をこびりつかせた頬を歪ませながら、極上の笑顔でその男は俺を『仲間』と呼んだ……
 俺は口に出してそう呼んだ事はない。
 けど、奴は……
 奴だけは確かに俺の『友』だった―――





2008/08/05(Tue)08:49:09 公開 / 鋏屋
■この作品の著作権は鋏屋さんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
初めて読んでくださった方、ありがとうございます。
毎度読んでくださる方々、心から感謝しております。
第11話更新いたしました。
常に沈着冷静なスノーがパニくってやらかしてしまうシーンは以前から考えていたのですが、当初はもう少し早く登場する予定でした。内容ももう少し軽い物だったのですが話の流れとスノーのキャラが結構固まってしまったので変更しました。彼女がセラフィンゲインの制作者側に関係する人物という設定は初めから考えていたんですけどね。
今回リアルでの話も入れる予定でしたし、前回の次回予告で『鬼丸』とシャドウのエピソードを少し盛り込むつもりでしたが、話が長くなりすぎてしまって切りが悪くなるので次回に先送りにしました。ホント、構成力が無いですね、自分。情けなや……
次回は、次回こそはっ……

次回予告
スノーから語られた衝撃の事実。
かつての友にして解散した所属チーム『ヨルムンガムド』のリーダーだった最強魔法剣士『鬼丸』はセラフィンゲインの制作者『使徒』の一人だった。
智哉の口から語られる1年前の『ヨルムンガムド』解散の経緯。
仮想世界のみならずリアルでさえ友達の居ない智哉を『仲間』と呼び、智哉自身『友』と慕った人物『鬼丸』とは、どんな男だったのか?
そして、白銀の魔導士『プラチナ・スノー』こと雪乃と『鬼丸』の関係は?
徐々に明かされていく謎は、物語を加速させ大きな波となって智哉達を翻弄する。
次回セラフィンゲイン第12話 『伝説の剣士』
こうご期待!(笑)

作品の感想については、登竜門:通常版(横書き)をご利用ください。
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2020/03/28:Androidスマホにも対応。Noto Serif JPで表示します。