『デッド オア アライヴ』 ... ジャンル:リアル・現代 ミステリ
作者:こーんぽたーじゅ                

     あらすじ・作品紹介
そう、人生はデッド オア アライヴ

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――序章――


 今日という日は空が一日中雲に覆われていて、朝だろうと昼だろうと夕方だろうと一切変わらない、真っ白な冬空が頭上に広がっていた。
 だからといって、空の様子に合わせて気分が左右されるような俺でもなく、非常に軽やかな足取りで自転車のペダルを漕いでいた。
 気温は冬の曇りの日にもかかわらず、そこまで寒くはない。この前買ったばかりの今着ている黒のコートのおかげでもありそうなのだが。
 今は本屋からの帰り道で、前籠には本屋の店名がプリントされた緑のビニール袋が入っていて、タイヤが段差を越えるたびにグシャグシャという音を立てながら上下運動を繰り返した。あまり高い段差を越えてしまったら、中に入っている漫画(本日発売の新刊)もろとも地面にダイブさせてしまいそうである。
 俺の耳にはMP3プレーヤーにつながれた耳掛け式のイヤホンが掛かっていて、そこからは一年ほど前にCDがリリースされた大ファンである女性歌手の伸びやかで透き通るような歌声が響いている。
 やがて交通量の多く、なおかつ自転車が通るには少し狭い道に差し掛かった。
 行き交う車にぶつからぬように注意しながら進んでいくので、自然とスピードは落ちてしまう。早く帰って買ったばかりの漫画を読みたいのになかなか前に進めないことがもどかしい。
 しばらくイライラ棒のような動作を強いられていたが、信号で足止めをくらって一休止。とりあえずは車にぶつけることはなかったので、一安心である。
 今、足止めを食らっているこの信号は赤から青に変わるまでかなり時間がかかる。「開かずの踏切」ならぬ「変わらずの信号」と地元の人間の間では呼ばれている。いや、実際はそんなに大仰なものではないのだが。
 少し先には、自らに与えられた職務を忠実にこなしてくれている信号があるのだが、いかんせんそこを利用してしまったら自宅からとてつもなく遠くなってしまう。
 信号を無視するわけにもいかないので、しばらく待ちぼうけを受け入れることにした。
(あぁ、早く読みてぇなぁ)
 ハンドルを握る手でリズムを取りながら、ぼぅ、とそんなことを考える。
 俺が買った漫画は週間少年誌に連載されているバトルメインのストーリーで、友情や仲間といった実にその掲載誌の趣向に沿った内容となっている。俺はその雑誌はあまり好きではなかったのだが、高校の友人に勧められるがままにその漫画を読んでみたところ、個性的な登場人物が実に魅力的でたちまちファンになってしまい、俺は強く仲間想いな主人公に憧れを抱いていた。今回の巻では、ライバルとの対決にようやく決着がつくので、どちらに軍配が傾くか先ほどから気になって仕方がない。
(ちょっとだけ読んじゃおうかな)
 伸ばしかけた手を引っ込める。やはり家でゆっくり読みたい。ここで読んでしまっては内容に集中できないのは明らかである。
 読みたい、読んではいけない。それでも読みたい、それでも読んではいけない。でもやはり読みたい、でもやはり読んではいけない。
 堂々巡りを繰り返すうちに、MP3プレーヤーから流れる曲が変わった。今はシャッフル機能をオンにしているので、どの曲が流れてくるのかはランダムになっていた。そして、切り替わった曲は今の自分の気分には合わないものだった。
 ポケットに手を突っ込んで、手探りでMP3プレーヤーを操作する。曲が変わる。気に入らなかったので、次の曲に変える。しかしまた同じ結果となったのでまた曲を変える。
 何度も曲を変えていくが、なかなか目当ての曲に変わらない。ならばシャッフル機能なんか使わずに、画面を見てその曲を選択すればいいだけの話なのだが、こうなってしまったからには後に引けなくなってしまった。
 何としてでもあの曲にたどり着いてみせる!
 それから同じ操作を幾度も繰り返したが、どうしても良い結果には至らなかった。
 突然、後ろからけたたましい音量のクラクションが聞こえた。はっとなって、顔を上げると、信号が青に変わっていた。青になってからはそんなに時間は経っていないことは、通行人達の状況から何となく把握できた。
 それよりも、だ。
 俺はきちんと歩道と車道の間に居て、歩行者や運転手のみなさんには邪魔にならない位置にいた。たとえ俺がでくの坊のように突っ立っていたとしても、車はどうということなく進行できるはずだ。
 それなのに、だ。
 後ろの乗用車の運転手は、そんな俺に対してクラクションを鳴らし続けている。しかも、その表情はこれでもかというほどにイライラしていた。
 その様子は歩行者の目にも留まり、その運転手に奇異の目を向けていた。それほど異常だったのだ。
 そろそろ走り出すか、とペダルに足をかけたところでクラクションが止んだ。ようやく静かになったか。
 しかし次の瞬間、車のドアを開ける音、そして八つ当たりするように強く閉める音が聞こえた。音楽を聴いていた俺にも聞こえるほどの音だった。
「おい! そこのガキぃ!」
 振り返ったそこには、怒鳴り声を上げながら近づいてくる男の姿があった。短く刈り上げられた髪と、がっしりとした体躯の四十代くらいだろうか。顔つきも、なるべく関わりたくない職種の人間を思わせる強面だ。
 きっとあの乗用車の運転手の男なのだろう。先ほどまでは光を反射したフロントガラスのせいで、どんなヒトが乗っているのかまでは分からなかったが、まさかこんなにアブナソウなヒトだったとは。
「てめぇが目に入ってると、気が散って運転できねぇじゃねぇか!」
「へっ?」
 思わずそんな情けない声がこぼれる。
 どう考えても運転手の男の主張はおかしい。それどころか、間違っている。俺がいると気が散って運転できない? 莫迦莫迦しい。
 何でそんなことで怒鳴られなきゃならないんだ。怒りを通り越してもう呆れるしかない。
 それにしても……。
 困ったぞ、この状況は。自分に落ち度がないことを主張したとしても、こんなに身勝手な男は聞くこともしないだろう。それどころか、暴力沙汰になりかねない。それだけは御免だ。
「とぼけてんのか。とにかくてめぇが邪魔なんだよ、失せろ」舌打ち交じりに男が続ける。その右手の親指はびっしりと地面に向けられている。
 いさかいを避けるためには、悔しいながらも男の言葉に従うのが得策のように思われる。それに、うかうかしていると信号がまた赤になってしまう。
 しかし、ここで退くのもなんだか癪だ。散々、男に我儘を言い散らかされた挙句に、その言葉にへこへこと従ってしまうのは、間違っていることをしているように思えてしまう。
 漫画を早く読むためにはどっちが良い選択かなぁ。たぶん前者。そう、前者が最善だ。
 大変遺憾ながら謝って立ち去ろうとした、その時――。
「聞いてんのか、コラ!」
 突然降りかかった男の鉄拳が俺の顔面にめり込んだ。
 顔面に衝撃が走ったかと思うと、脳は瞬時に殴られたと認識していて、次の瞬間には鋭く、重たい痛みが駆け抜けていた。
 まったく……。
思考がたちまち怒りで塗り固められていく。常闇のようなどす黒い、黒。空に昇らんばかりの激しく燃え盛る炎の、赤。
 不条理極まりない――!!
 俺は、一体、どうすればいいんだ!!





――本章――


 Side-A -alive-

 気がつくと、地面にへたり込んでいた。頬からはジンジンと激痛が走り、口の中は鉄の味が広がっている。アスファルトに唾を吐き出すと、案の定それは赤黒かった。マジかよ。
 相変わらず脳みそは煮えたぎっていて、いまにもバクハツしてしまいそうである。
 立ち上がって形成を立て直そうかと目論んだが、殴られた箇所のダメージが意外と大きいようで、頬は立ち上がるのに関係ないと思っていたのだが、あまりの激痛から立ち上がることすらできない。
 なんとか首だけ動かして、あたりの状況を確認してみる。俺から少し遠ざかったところに、愛車のママチャリが転がっていて、前籠に乗せてあったはずの漫画はどこかへ飛ばされてしまったようだ。
 男の姿は、見当たらない。何処にいるのだろう。背後から蹴りかかってくるか――。残念ながら背後まで視線を移せない。
 音で判断しようにも、どうも耳が遠くなっているようで周りの音が聞こえにくい。というか聞こえていない。おかげで今広がっている世界はやたらと静寂に満ちている。
 これから……どうするか。
 立ち上がれないとなると、相手を殴り返してけちょんけちょんにしてやることもできない。いや、逆にけちょんけちょんにされてしまうか。
 ならば、助けを呼ぶか。
 だが、その必要はなかったようだ。数人の大人が、俺のもとに駆け寄って、体を揺すったり、何か語りかけている。「大丈夫?」「怪我してない?」そんなあたりだろうか。相変わらず耳は聞こえない。このまま難聴なんてのは勘弁して欲しい。
「救急車」それだけ簡潔に言うと、大人達も理解してくれたようで、一人が携帯電話を持って電話をかけに行ってくれた。
 殴られて、頭がそれに対する怒りで満ちているというのに、心はどういうわけか冷静を保っている。不思議である。
 それよりも、人の親切がこんなに温かいものだとは知らなかった。見ず知らずの俺なんかのために、もしかしたら俺に関わることであの男から同じ目に遭わされるかもしれないのに、それでも駆け寄ってくれた人生の先輩たちに感謝したかった。
 感謝の言葉を口にしたい。でも、切ってしまった口の傷が「救急車」といった拍子にさらに開いてしまったようで、口を開けるのもつらかった。
 せめて、助けてくれた人生の先輩たちの顔を見ていたい。もしも、いつか町で出会ったときに「あの時はありがとうございました」と言えるように。
 一人はスーツを綺麗に着こなした若い男性だった。細身で、細長いメガネをかけていて、さらさらの髪の毛をしていて、しきりに俺に話しかけていてくれている。俺が耳を指差し、首を横に振ると理解してくれたようで、それからはにっこりと笑顔をで微笑み続けていてくれた。
 もう一人は、色黒で体格のいいオッチャンだった。ジーンズに深緑のジャケットを羽織った、どちらかというと若々しい格好をしている。俺の手を握りながら、真剣な目つきで励ましていてくれている。
 電話で救急車を呼んでくれているであろうヒトは、女性だったようで、買い物帰りのオバチャンのようだった。少しふくよかな体格をしている。
 きっと俺はこの人たちを絶対に忘れないだろう。いや、忘れるもんか。
 細身の男性の微笑がまぶしい。色黒のオッチャンの手のぬくもりが温かい。必死に電話をかけてくれているオバチャンの心遣いが温かい。
 頬を温かいものが伝う。どうやら俺は泣いているようだ。涙は止まらなく、ぼろぼろとその量を増やしていく。
 涙のせいで視界がぼやける。温かい微笑も、真剣な眼差しも、必死な姿も同時にぼやけてくる。

 あぁ、世界はこんなにも温かいもので満ちていたんだ――。





 Side-B -dead-

 気がつくと、俺は運転手の男に殴りかかっていた。男の体は少し揺らいだだけで、倒れはしなかった。
「この野郎!」
 男は体勢を立て直すと、俺に向かって殴り返してきた。かわそうと身をかがめたが、そこでは男の痛烈な蹴りが待ち受けていた。
 避けることもできぬまま、鳩尾に男の蹴りが入る。全身を揺さぶられるような衝撃。一瞬気が飛びそうになる。
 気を練って意識を保つ。降りかかってきた男のストレートを間一髪かわし、渾身のパンチを繰り出す。
 しかし、男は糸も簡単に俺のパンチを避けると、その腕をとってアスファルトに投げつけた。それが一本背負い投げだということは、高校生の時の柔道の授業で習っていたので知っていた。
 受け身を取る間も無く、強く背中を打ちつけ、雷に打たれたような激痛が走る。今ので骨の一本か二本、折れてしまったかもしれない。喉の奥からは、胃からせりあがってきたものが容赦なく溢れてきて、吐しゃ物をアスファルトの上に垂れ流した。
 顔をしかめながらなおも立ち上がる。口の中が鉄の味と胃酸の味でいっぱいになって気持ち悪い。唾を吐くと赤く染まっていた。
(真剣に意識がヤバくなってきたな……)
 最後の気力を振り絞るようにして、ダッシュで男の懐に付け込み、そして――。
 今回の一発には手ごたえがあった。どうやら上手く男のレバーに拳を入れることに成功したようだ。
 なおも意識は昏睡と覚醒の間を彷徨っていて、気を抜いてしまったら間違いなく気絶してしまいそうだった。
 男は殴られた右腹を押さえながら地面に片膝をつきながら唸っている。
 そして、立ち上がったかと思うと、男は自身の車へ引き返して行った。
(やったか!?)
 漫画のような結末もあるものだ、と俺は思った。現実は現実、漫画は漫画と区別を付けていた俺にとってはびっくりだ。
 しかし、そのまま車に乗って逃亡するかと考えていたが、男は車からバックを引きずり出すと、中から「ある物」を取り出して、バックは地面に投げ捨てた。
(――――!!)
 いやいや、それは反則だろう。男がバックから取り出した「ある物」を見た俺はある種の危機を感じ取った。
 男がバックから取り出したのは、刃渡り三十センチ超はあろうかというサバイバルナイフだった。
 カバーから抜かれた鋭く光る刃は、まっすぐと俺のほうへ向けられる。男はニヤニヤと不敵な笑みを浮かべながら走り出した。辺りからは絶望に満ちたような悲鳴が巻き起こる。
 銃刀法違反だろう! と突っこむ暇もないまま、男との間合いが狭まる。
 男の振りかぶった一閃――。
 俺はそれをスレスレのところで回避する。男は勢い余って、地面に転がり込む。あと少し遅かったら確実に体のどこかを斬られていたに違いない。
(逃げたとしても、おそらく追いつかれて刺されてお終い。かといって俺には戦うための武器を一切持っていない)
 まさしく四面楚歌。
 これまでかと思ったその時、ふと地面に目をやると、捨てられて間もない建築用の角材が運良く落ちていた。武器としてはサバイバルナイフには劣るが、素手よりは確実に頼りになる。
 角材を拾ったころには、男は既に立ち上がっていて走り出し、二閃目を繰り出そうとしていた。
 俺はそれを角材で受けると、角材にサバイバルナイフが深くめり込む。
(しめた!)
 角材を握る手に力を込めると、それに伴ってめり込んだままのサバイバルナイフを持った男の手も引きずられる。
 さらに力を加えると、男の手からサバイバルナイフが外れた。
 おれはそのまま、サバイバルナイフがめり込んだ角材を後方に放り投げると、拳を男に向かって振り下ろす。
 しかし、男の右腹を直撃したときのような手ごたえがない。それに、男の手が俺の胸に向かって伸びていて、胸からは何かがつっかかっている感触がある。
 恐る恐る自分の胸に目を向けると、先ほど放棄させたサバイバルナイフとは別のサバイバルナイフが刺さっていて、そこからはおびただしい量の血が溢れ出していた。男はサバイバルナイフを二本所持していたのだ。
 たちまち、俺のシャツは白から鮮やかな赤に変わっていく。
 痛みも出てきて、それも瞬時の間に激痛に変わる。投げつけられたときとは比べ物にならない、絶望的なまでの激痛。
 やがて、手足が痙攣しだして立っていられなくなる。動かしたくても動かない。まるで自分の体が人形にでもなってしまったかのようだ。
 そして、全身に悪寒が走る。寒い。居ても立ってもいられないほど寒い。このままだと凍えてしまいそうである。確か、今日はそこまで寒くない日だったはず。なのに、どうしてだ?
 だんだん視界も暗くなっていく。一度はまったら二度と抜け出せないような深い暗闇に世界が変わっていく。
 畜生、あんな男のために死ぬのか……? 悔しい。まだまだやりたいこともたくさんあったのになぁ。
 死ぬのは怖い。それこそ、究極の暗闇であると思う。先も見えない、何があるのか分からない、だからこそ怖い。
 でも、「誰かのため」に生きることは、できたかなぁ……。





――終章――


 目を開けると、そこには微笑み続けてくれた細身の男性、手を握っていてくれた色黒のオッチャン、電話をかけてくれたオバチャンの三人がいた。
 しかし、三人の恩人たちの表情はどこか浮かない。まるでお葬式のような表情をしている。
「救急車が来たよ」低い声で細身の男性が言う。どうやら聴力は元に戻ったようだ。
「あの、ありがとうございました」口の傷もある程度ふさがっていたので、言いたくても言えなかった一言を、三人に向かって言う。
 普通に立ち上がることもできるようになっていたようで、救急車まではオッチャンの肩を借りながら歩くことができた。
 しかし、止まっていた救急車は二台。俺を乗せるだけなら一台でいいはずなのに。
「あの……。何で二台も止まっているのですか」
 肩を貸してくれているオッチャンに思ったことを尋ねてみる。
 すると、オッチャンは悲しそうな表情を浮かべながら「坊主、どんなことであろうと聞きたいか?」と聞いてきた。
 何かあったのだろうか。先ほどからの皆の悲しそうな表情。二台の救急車。オッチャンの確認するような口ぶり。
「ええ。それで……どうしたんですか」思わず自分の口調も沈んだものとなってしまう。
 するとオッチャンは涙ぐみながら、俺の後方を指差した。
 そこには、おびただしいまでの血で作られた血溜まりが広がっていた。今まで見たこともないような量の、血。ドラマで位しか見たことのないような量の、血。
「坊主をさらに殴りにいこうとしたあの野郎を、ひとりの兄ちゃんが殴りかかって助けようとしたんだ。でもよぉ、その兄ちゃん、あの運転手の野郎の持ってやがったナイフで返り討ちにあって……。あの量の出血じゃ……助かってないだろうな」そういうとオッチャンは口ごもってしまった。そして、顔をクシャクシャにして嗚咽を漏らしながら泣き始めた。
 俺には一瞬、そのことが理解できなかった。死んだ? いや、殺された? 俺のために、一人の男性が?
 頭の中は真っ白になっていた。ガクガクと体が震えだす。口からは言葉にならない声が漏れる。
 そんな莫迦な。嘘だ、そうだ嘘なんだ。これは何かのドッキリなんだ。このオッチャンは役者で、あの血溜まりは絵の具で……。
「う、嘘……でしょ?」真っ白な頭から言葉を紡ぎだす。
「嘘じゃないんだ。坊主を守った兄ちゃんが確かにいたんだよ。確かに、たしかにな……」涙を拭いながらオッチャンは言う。「坊主はその兄ちゃんに命を救われたんだ。感謝しねぇとな」
「ふ、ふざけるな!! そんなこと信じられるわけないだろ!!」
 信じられないくらい大きな声が出た。それに、どうして俺はイライラしてるんだ? さっきまで頭が真っ白だったはずなのに。しかも、やさしく話しかけてくれたオッチャンに当たるなんてことも……どうして?
 信じられないことだってないはずだ。あの血溜まりの質感、この騒動を一目見ようとする野次馬から伝わる雰囲気。嘘や冗談にしては出来すぎている。
 ならばこの状況はやはり現実で、俺はいきなり突きつけられた現実に戸惑っているのか。
 それに、感謝するって……。一体どうすればいいんだ。俺の声は届くのか? 俺のことを恨んだりしないのか? 遺された彼の家族に対して何て詫びればいい?
 体は震えているのに、心は何故かこの状況を判断しようとしている。まるで、心と体がバラバラに切り裂かれたかのようだ。
「信じられないのも無理はない。少しずつ受け入れていけばいい。しかし、坊主を助けた兄ちゃんがいたということはどうか受け止めてほしい。それが手向けであり、今の坊主に出来る唯一のことじゃないかな」
 イライラした俺を咎めることのない、オッチャンの精一杯の眼差し。俺のために相当、気を遣ってくれているのを痛感して心が苦しくなる。
「お、俺はどうすれば……いいんでしょうか。感謝するって言ったって……。俺の、俺のせいでそのお兄さんは死んだというのに……」
 全身の震えが未だに止まらない。考えれば考えるほど広がっていく罪の意識に押しつぶされそうになる。思考も冷静さを欠いてきたようだ。現実を受け入れはじめたのか?
 俺のせいで俺のせいで俺のせいで俺のせいで俺のせいで……。
 俺のせいで俺のせいで俺のせいで俺のせいで俺のせいで……。
 罪の意識は俺の心をじわじわと、しかし確実に侵食し、蝕んでいく。
 彼はどんな人生を送ってきたのだろうか。顔も、名前も知らない彼。俺さえいなければ彼の人生もまだまだ続いたことだろう。俺がそれを奪ったようなものだ。
 俺がいなければ……。俺がいなければ……。俺がいなければ……。
 俺がいなければ……。俺がいなければ……。俺がいなければ……。
「坊主が責任を感じることはない。悪いのはあの男なのだから。本当に、あんな……誰かのために命を張るなんてこと、並の人間にはできないよ。だからな、坊主。お前にはあの兄ちゃんの分も生きなくちゃならないんだ。あの兄ちゃんの痛みや苦しみ、過去や未来を考えたら心が痛むだろう? それはあの兄ちゃんのことを想っているからこそ感じる感情なんだよ。絶対に忘れるなよ、その感情。そして、あの兄ちゃんに胸を張って生きていけるような男になるんだぞ」
 罪悪感に首を絞められているような気分がして、そのまま罪の十字架を背負ったまま生きていく自信がなかった。いっそ、この現実から逃げ出したかった。死ねるものなら死んでしまいたい。
 でも、俺のために命を投げ出した「兄ちゃん」を思うと死ねるはずなどなく、きっと俺には生きるという道しかないのだろう。いや、生きるしかないのだろう。オッチャンのいうとおり、胸を張れるような男になるようにならなくてはいけないんだ。それは手向けであり、義務であり、責任なんだ。
 改めて「兄ちゃん」のことについて考えてみる。
 どうして俺なんかを助けてくれたのか、どれだけ苦しかったのか、俺を助けたことを後悔していないのか……。
 俺を助けている様子を想像すると、胸が締め付けられるように苦しくなった。止めどなく涙が溢れ、頬に川を形成していく。やがて、その川に嗚咽が混ざって、言葉に出来ない慟哭を叫びあげる。心から体から。
 立っているのも辛い。体ってこんなに重たかっただろうか? これは罪の、いや「兄ちゃん」の意思や魂の重さなのか。でも、へたり込むわけにもいかない。彼の味わった苦痛はこんなものじゃなかっただろうから。俺は胸を張れる男にならないといけないのだから。
 まだ分からないことだらけで、「兄ちゃん」に聞きたいことはたくさんある。詫びても詫びても、感謝しても感謝してもしきれないこともたくさんある。
 そして何より、言いたいのは――。もし、いつかどこか出会えるのなら――。その時は胸を張れるような姿でこう言いたい。

「ありがとうございました」と。


《了》

2008/01/16(Wed)00:42:42 公開 / こーんぽたーじゅ
■この作品の著作権はこーんぽたーじゅさんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
久々の投稿となります。お久しぶりです。はじめての方ははじめまして。こーんぽたーじゅです。
リハビリも兼ねて、一気に頭に浮かぶアイデアを書き上げたようなものなので、誤字脱字、矛盾点があるかもしれません。その点につきましては、ご指摘のほどよろしくお願いします。あと、普通の感想もどしどしお待ちしています。
登竜門でミステリを投稿するのは初めてかもしれません。いや、新参のころに投稿していたかもしれませんが……。僕自身、ミステリの大ファンですので書いてるときはもう……ノリノリでした。頭に浮かぶアイデアを次々と文字にしていく快感といったらもう……。頭の中をスコーンと抜き取られるような感覚で……。おっと、だんだん変態じみてきたあとがきになってしまいました。
最後に、この作品を読んでくださった皆さんに最大限の感謝を送らせていただきます。ありがとうございました。
ではでは、

作品の感想については、登竜門:通常版(横書き)をご利用ください。
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