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『哲也秋原のあじきない話』 ... ジャンル:お笑い 未分類
作者:月明 光
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あらすじ・作品紹介
※この作品は、『暑さも寒さも彼岸まで』を読んでいる事前提で進んでいきます。これ一本でもお楽しみ頂けると思いますが、ネタをより理解する為に『暑さも寒さも彼岸まで』を読む事を推奨します。※この作品にあまり期待しないで下さい。漢達がメイドカフェで喋るだけで、特に何も起こりません。
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喫茶店『すぷらうと』の夕方は、緩慢な空気に満ちていた。
そんな中、一つのテーブルを囲む四人の男性。
秋原、藤原、棗、そして堀だ。
テーブルの上には、サイコロが一つ。
一辺が三センチ程の立方体で、黒い面に白い点が記されている。
「……まずは、注文だ」
秋原はそれを手に取り、掌から転げ落とした。
皆の目線が集まる中、出た目は四。
それが表す人物の方向を、三人は向く。
堀は頷き、店員を呼ぶ為のボタンを押す。
「安い物で良いぞ。飲み物一杯で充分だ」
秋原が言った直後、店員の女性が現れた。
黒のロングドレスに白いエプロンのコントラストが目に映える。
「ご注文をどうぞ、ご主人様」
店員に恭しく注文を促され、堀が注文したのは、
「じゃあ、水を四杯」
「止めてぇえええええええええええッ!」
一番安い飲み物だった。
結局、秋原はコーヒー、藤原は紅茶、棗はココアを注文した。
堀はあくまでも水である。
コーヒーを軽く一口飲むと、秋原はサイコロを振る。
出た目は一。
三人の視線が、秋原に注がれた。
秋原は両手を祈る様に握り、テーブルに置く。
軽く息を整えてから、口を開いた。
「近頃のツンデレブームは、最早確認するまでもなかろう。様々なギャルゲー、漫画、ライトノベルにツンデレキャラが出現しておる。俺の友人は気に食わんらしいが、ツンデレ喫茶なるものまで出来る程だ」
「慥かに。少々食傷気味な程です」
秋原の言葉に、棗は溜息混じりに同意する。
「まあ、それ程人気であるという事であろうな。元来、人はギャップに魅せられる生き物だ。普段は弱気な者が積極的に頑張れば、自然と応援したくなる。がさつな幼馴染のしおらしい一面を垣間見れば、自然と持ち帰りたくなる」
感慨を込めて話す秋原に、棗は頷いた。
こんなのが続くのか……と、藤原は溜息を吐く。
「コーヒーやお茶と間違えて、コーラを飲んでしまった時と似てますね。あれって本当に焦るんですよ。一見見分けがつかないので……」
秋原の話に同調する最中、堀は秋原の視線を感じた。
敵意剥き出しの、鋭い視線である。
思わず固まる堀。
「…………」
「…………」
「……済みませんでした」
重苦しい空気に耐えられず、堀は引き下がった。
何事も無かったかの様に、秋原は話を続ける。
「だが、よくよく考えてみれば、主人公こそが真のツンデレではないであろうか。特に、押し掛け女房的な話の主人公の場合はな」
「……何で俺を見る」
三人の目線を感じ、藤原は半ば呆れながら問う。
それらから目を逸らし、紅茶を一口飲んだ。
秋原は軽く笑い、藤原に問い返す。
「時に藤原。明さんとの同居を始めてそれなりに経つが、感想はどうだ?」
「そうだな……。正直、最初は嫌だったんだけどな。今までずっと親に振り回されてきて、また振り回される事になった訳だし。けどまあ……悪くはないかもな。色々と世話になってるし、良い人だから憎み様が無いし」
割と当たり障りの無い質問だったので、藤原は素直に返した。
だが、三人は暫く沈黙する。
藤原は戸惑い、秋原はしたり顔になった。
「……ツンデレだな」
「慥かに、ツンデレですね」
「ツンデレだそうですよ、先輩」
「お前が一番腹立つぞ、堀」
三人に言われたい放題に言われ、藤原は軽く殺意を覚える。
秋原はもちろん、他の二人も空気が読めないのが揃っているので、全く気にしていない模様だ。
「ふっ……そう、それで良いのだ、藤原。『まんざらでもない』から恋は始まるのだからな。最初は疎ましく思っていても、段々と彼女が居る生活が当然のものになる。そして、いざ別れの時が訪れて初めて、彼女への想いに気付くのだ。これをツンデレと呼ばずして、果たして何をツンデレ呼ばわりすると言うのだ!?」
何をエキサイトしたのか、秋原はテーブルを両手で強く叩いて立ち上がり、咆哮した。
公衆の面前では恥ずかしいから、勘弁して欲しい。
そんな藤原の思いには気付く事無く、熱の下がった秋原は席に着いた。
コーヒーを軽く啜り、一言。
「……まあ、萌えはせんがな」
「慥かに、萌えませんね」
「萌えないそうですよ、先輩」
「悪かったな……」
早く帰りたいと、藤原は心の底から思った。
次に秋原が出した数字は、三だった。
三人の視線が、次の切り出し役、棗に集まる。
棗は、別段表情を変える事も無く、ココアを軽く一口飲んだ。
脚を組み直すその様は、どこか妖艶だとさえ感じさせる。
両肘をテーブルに突き、両手を顔の前で握った。
「カルピスの……原液の方の話なのですが」
「意外と普通なんだな……」
散々優雅に振舞った挙句の庶民的な切り出しに、藤原は軽くコケた。
「何度試みても、私好みの味加減に出来ないんですよ。濃いと思って水を足すと薄く成りますし、原液を足せば濃く成りますし」
「案ずるな、棗。今時、AV女優とて美味しいと言っては飲むまい」
「……ちょっと待て。それは白濁液違いだろ」
とんでもない方向に話を誘導しようとする秋原に、藤原はすかさずツッコんだ。
代わりに、藤原が真面目に返答する。
「まあ、拘るんだったら、目分量は止めた方が良いんじゃないか?」
「貴方に態々云われなくとも、竓単位で量っていますよ」
「それはそれで神経質過ぎると思うけどな……」
藤原は呆れながら、カルピスの味加減を調節する棗を想像した。
一口飲んでは、ミリ単位で原液と水を交互に入れる棗。
果たして、まともに飲み終える事が出来るのだろうか。
というより、何の為に飲んでいるのだろうか。
「ですので、他人頼りは非常に不本意なのですが、貴方達の意見を参考程度に聞こうと思います」
「ものを頼む態度じゃないだろ……」
「ふっ……甘いな。素直に頭を下げられないのが、なっちゃんの萌えポイントではないか」
三者三様の思惑のまま、結局答える事になった。
まずは藤原。
「あんまり細かい事は意識しないんだよな。目分量で大体何とかなるし。……でも、ペットボトルとかの元々薄めてあるヤツは、少し合わないな」
すっかり忘れられていた堀。
「僕は、少し薄味の方が好きですね。マラソン選手なんかもドリンクは薄味らしいですし」
「そして、ますます薄い存在になる、と」
「え? それってどういう」
細かい事は忘れて秋原。
「先日、真琴嬢がアリス嬢に原液をぶちまけて遊んでおったな。かなり直接的にも拘らず、それ程エロく見えないのが不思議であった。美少女同士である事と、アリス嬢の容姿に救われておるのであろうな」
「……言いたい事は色々あるけど、まずは真琴の教育方針を考えないとな」
満場一致で収まったところで、秋原はサイコロを振る。
「む……また俺か」
サイコロが短い間隔で再び一を出し、秋原は少し意外そうな表情を浮かべた。
軽くコーヒーを一口飲み、少し伸びをする。
恐らく、次のネタを考えているのだろう。
サイコロに指名されて十秒程で、それは一通り決まったらしい。
「この前、原稿を仕上げた我々――俺、兄者、棗は、疲れを癒す為に健康ランドに行ったのだ。そこのサウナに三人で入った時の話なのだが……」
「そ、其の話は……!?」
棗が何かに勘付き、顔を青くする。
どうやら、彼にとって都合の悪い話らしい。
情報の流出を阻止すべく、棗はエアガンを取り出し、秋原に向ける。
「……ここで暴れて良いのか、棗?」
秋原は別段驚く事も無く、目線を棗に向ける。
棗は、引き金を引く事が出来なかった。
ここは、皆の憩いの場であるメイドカフェ。
そこで武器を出す事の罪深さは、流石に彼も理解している。
棗は舌打ちをして、エアガンを仕舞った。
「それに、だ。ここには四人しか居らんのだぞ。下手に話の腰を折って、後に数百人に聞かれるより良かろう」
「くっ……!」
少し挑発的な秋原の言葉に、棗は唇を噛み締めた。
秋原は余裕の表情で、話の続きを始める。
「複数人でサウナに入ると、何故か我慢大会になるであろう? そんな訳で、三人でサウナに篭ったのだ」
「いい歳してお前らは……」
相変わらずな三人に、藤原は溜息を吐く。
現美研や天丹町には、こんな人ばかり集まっているのだ。
そう思うと、藤原は眩暈さえする。
「実に長い戦いであった。正確には計っておらんが三時間は軽く越えたな」
「お前らな……」
もっと、他にすべき事はいくらでもあるのではないだろうか。
馬鹿みたいなことに全力を尽くす三人には、呆れを通り越して羨ましさすら覚えてしまう。
「結局、俺と兄者は途中で脱落し、棗が勝者となった。あの時の棗は、なかなか良い漢であったな。何せ、最後まで自らサウナから出る事は無かったのだ」
「へぇ、結構やるんだな、棗。別に隠す事なかったのに」
少し意外な勝者に、藤原は驚いていた。
無意味に暑苦しい秋原が勝ちそうなイメージだったので、冷めている棗が勝つとは思わなかったのだ。
三人の中では冷静な棗が、こんな事に本気になったという意味でも意外である。
「早い話、意識を失って出るに出られんかったという事なのだがな」
「……ああ、そういう事か」
オチを聞いて、藤原は一気に脱力する。
棗が話されるのを嫌がった訳が、ようやく解った。
「結局、棗はそのまま病院送りとなった」
「健康ランドから病院に行くなよ……」
「ちなみに、早々と脱した俺と兄者は、冷たい一杯を堪能しておった」
「どうでも良い」
一連の珍道中を聞き、藤原は溜息を吐いた。
どこへ行こうと、彼らはトラブルしか起こさないという事か。
行く先々で、必ず事件に出くわす探偵の様だ。
「棗も、そんなになるまで我慢するなよ。恥ずかしい思いも自業自得だ」
「そ、其れは……」
藤原の指摘に、棗は頬を少し紅く染める。
「私とて、味気無い事に熱を上げる時も在りますよ」
「ふっ、冷めた振りをしつつも、実は熱い一面を持つか。流石は棗、ギャップの玉手箱だな」
「ぐ、グルメレポーターの様な事を云わないで下さい」
秋原に萌えキャラ扱いされ、棗は更に熱を帯びた。
「……とまあ、この話の様に、暑さとは危険なもの。
日射病や熱射病は無論だが、夜に寝苦しくて満足に眠れない、というのも深刻だ。俺は、高校受験の頃にクーラーが部屋に導入されたのだが……貴様等はどうだ?」
棗が怒り出す前に、秋原はさっさと話を変えた。
扱いに慣れている辺り、付き合いの長さを感じされられる。
棗が、一方的に秋原に遊ばれている様にも見えるが。
「俺は、物心ついた時には一人部屋で、クーラーもついてたな。こういうとこだけは、無駄にちゃんとしてるから」
「ふむ、それはなかなか羨ましい」
藤原の答えに、秋原は言葉通り羨望の眼差しを向けた。
「棗よ、貴様はどうだ?」
「私は……父に頼んだ事もあったのですが……」
秋原に名指しで問われ、棗は言い淀む。
どうやら、何かあったらしい。
人には言えない様な何かが。
「言わぬなら、俺が独断で脚色して言いふらす」
「横暴だな……」
秋原の対応に、藤原は思った通りのツッコミをした。
秋原に煽られたからか、棗は重い口を開く。
「……『広美が起きる前に、暑さではだけた、あられもない姿を見るのが楽しみ』だそうです」
「ふっ、流石は棗の父。娘を愛でて止まないという事か」
「そういう範疇で収まらないと思うけどな……娘じゃないし」
棗に茨の道を歩ませた張本人が現れ、秋原は感心し、藤原は呆れながらツッコんだ。
棗の父の『娘』への愛は、常軌を逸している。
彼の奇行の話も、もう慣れてしまう程に聞いた。
仮に棗が本当に娘だったとしても、彼の行動は異常だろう。
「えーと、僕はですね……ちょ!? まだ僕答えて……」
堀は華麗に無視して、秋原はサイコロを振る。
秋原が次に出した目は、二だった。
とうとう出番が訪れ、藤原は軽く溜息を吐く。
本来、これは将棋部の会議になる筈だったのだ。
なのに、今、自分はこんな事に参加している。
秋原に場所等の手配を任せてしまった自分を、藤原は改めて悔やんだ。
今更どうしようもないので、藤原は止むを得ず話を切り出す。
「この前、電車に乗って出かけたんだけどさ……。そこそこ混んでて、俺も含めて立ってる人も結構居たんだよ。で、俺は連結部の近くに立ってたんだけど……。小学校低学年くらいのガキが、連結部に立ちやがったんだよ」
「ふむ。人は誰しも、電車の連結部に異様なまでの興味を持つ年頃があるからな。そこから発展するか否かが電車マニアの分かれ道ではないか、という説を俺は唱えているのだ。原稿用紙五百枚に及ぶ論文を学会に送り付けた事もあったが……上の連中が揉み消した様だ」
「勝手にやってろ」
こんな話でも自分の領分に引き込もうとする秋原に、藤原は溜息を吐いた。
「で、貴方は偽善者振って注意したと?」
「言い方がかなり引っかかるけど……一応、な。危ないし」
棗に問われ、藤原は頷く。
少し前の自分なら、子供嫌いも手伝って、放っておいただろう。
だが、明に触発されたのか知らないが、最近は価値観が徐々に変化してきた気がする。
幸い、この時の相手は聞き分けも良く、面倒な事にはならなかった。
「しかし、藤原の件に限らず、電車にロクでもない者が乗り込む事は少なくない。貴様等も、一度も遭った事が無いという事はないであろう。棗、貴様はどうだ? 注意した事はあるか?」
「いえ、特に」
秋原の問いに、棗は即答した。
何事にも素っ気無い、棗らしい回答である。
「昨今の碌でもない連中は、本当に『碌でもない』ですから。迂闊に注意為れば、如何様な言掛りをつけられるか判りませんよ」
「うむ……それも一理あるな。正義が勝つとは限らない、それが現実だ。携帯で通話しているのをサラリーマン注意された女子高生が、腹癒せに痴漢の濡れ衣を着せる……という事もある。痴漢に向ける目が厳しい近頃では、人生レベルで痛恨の極みだ。そもそも、立ち上がったばかりのギャルゲーメーカーが痴漢物等の陵辱系から始める事が多いのは、ひとま」
「おい、脱線するな」
また関係の無い話に引きずり込もうとする秋原を、藤原は素早く牽制する。
しかし、何故か周囲の空気が冷めていく感触を覚えた。
三人の目線が、藤原から意図的に逸れていく。
数秒の沈黙。
そして、堀が言い難そうに小声で言った。
「先輩……電車の話だけに脱線、って事ですか?」
「いや、別にウケは狙ってないから」
なるほどそういう事か、と藤原は溜息を吐く。
何でもかんでもネタだと思われるのは、いくらなんでも迷惑だ。
会話の最中に偶然駄洒落が生まれる事は珍しくないのだから、いちいち気にしないで欲しい。
話が逸れそうになったが、棗は淡々と続ける。
「只、此の前、私の隣で漫画雑誌を読んでいた人が居ましてね……。其れが、私がこれから買う予定の雑誌でしたので、気になって仕方無かったんですよ。ちらちらと見るのも乞食臭くて厭ですし、丁度扉の傍に立って居たので、ホームに蹴り出しました」
「あのな……」
傍若無人な棗の行動に、藤原は溜息を吐く。
第一、それはマナー違反ではないではないか。
寧ろ、棗の方に問題がある。
「確かに、それは気になるな。単行本しか買っていない漫画が載っている雑誌でも、同じ事が言える。好奇心に任せて覗き見るのは良いのだが、俺好みのペースでページを捲る奴の何と少ない事か。その上、俺が読みたい漫画を飛ばし、どうでも良い漫画を何度も読み返された日には……。いっその事、電車内で雑誌を読むペースを、法律で定めてしまえば良いのではないか、と思っておる」
「もっと有意義な法律を陳情しろ」
便乗して更に暴論を述べる秋原に、藤原はやや投げ遣りになった。
そんな法律の為に税金が使われた日には、それこそ暴動が起こってしまいそうだ。
しかも、秋原の話は、よくよく比べると棗と噛み合っていない。
「そんなに気になるんだったら、ホームのゴミ箱で拾えば良いだろ。俺には理解出来ないけど、電車の中で読んだ直後に捨てる奴とか、偶に居るからさ」
藤原は、半ば呆れながら提案する。
電車の中でもやもやとした気持ちを抱えるくらいなら、ホームでさっさと解消した方がマシだ。
特に、この二人の場合、何をやらかすか判らない。
だが、二人の反応は冷やかだった。
「藤原さん……私達に、そんな惨めな真似をしろと?」
「中年がスポーツ新聞を拾うところは何度か見たが……ふっ、我々を一緒にしては困るな」
「人のを覗くのは良いのかよ……」
どうしようもなさそうなので、藤原は放置する事にした。
「さて、堀。貴様はどうだ? 注意する甲斐性はあるか?」
「僕は、車内で化粧をしている女性を注意した事があるんですけど……」
堀の意外な答えに、藤原は素直に感心する。
見た感じは頼り無さそうな堀でも、案外見かけによらないものだ。
しかし、堀は溜息混じりに続ける。
「……僕の声に、気付いてさえ貰えませんでした」
「地味って損だな……」
何とも言えないオチに、藤原は脱力した。
折角の勇気も、記録にも記憶にも残されなければ虚しいだけだ。
「さて、藤原。我々が散々温めてやったのだ。盛大なオチを頼む」
「どんなフリだよ」
勝手過ぎる秋原のパスに、藤原はスルーしたくて仕方無かった。
だが、この話には、まだ少しだけ続きがあるのだ。
これで秋原が満足するのなら、話しても良いだろう。
脱線に脱線を重ねて、何の話だったかさえ危ういが、藤原は話の幕を閉じる。
「……で、この話をアリスにしたら、やたら『連結』に反応したんだよ。性的な意味で」
「人は誰しも、エロに異様に興味を持つ年頃があるからな。……しかし、アリス嬢も御ませな事だ」
「もう、マセガキなんて歳じゃないけどな……」
棗が『連結』の意味にようやく気付き、誤魔化しながら赤面したところで、秋原はサイコロを振る。
秋原が次に出した数字は、再び二だった。
「マジかよ……」
引き続いての指名に、藤原は溜息を吐いて項垂れる。
サイコロが二連続で同じ数字を出す確立は、三十六分の一。
果たしてこれは、幸なのか不幸なのか。
少なくとも藤原にとっては、不幸に分類されるだろう。
肩を落としてばかりもいられないので、藤原は話を始めることにした。
「この前、ちょっと雑用で出かけて……その時に、さっき話した電車に乗ったんだけど。その時たまたま通ったとこに、ペットショップと焼き鳥屋が並んでてさ」
「ほう、それはまた妄想が掻き立てられる……」
藤原の話に、秋原はあらぬ想像を始めた様だった。
「……まあ、真実はさておき。そういうのを見ると、どうしても変な事考えてしまうよな」
「ふっ。俺も『ペタン王朝』の存在を知った時は、思わず同人誌を描きあげたものだ」
「お前と一緒にするな」
やはり自分の領域に引きずり込もうとする秋原に、相変わらず藤原はツッコむ。
ここまで様々な話題に対応出来る辺り、秋原の柔軟さは相当なものなのかも知れない。
もう少し、真っ当な方向に活かしてくれれば良いのだが。
「ま、強ち有り得ない話ではないかも知れませんね。愛玩用の動物を売る店としては、売れない動物など置いておけませんし。私なら、そんな穀潰しでも買って下さる方は歓迎しますよ」
冷たく言い放ち、棗はココアを一口飲む。
リアリストならではの冷徹な発言に、藤原もコメントに困ってしまった。
棗は悪い奴ではないのだが、この手の発言がざらにあるので、どうしても誤解されてしまう。
「極端ではあるが、棗の言う事も不自然ではあるまい。我々とて、家畜として飼育されている動物の恩恵を受けているのだ。食肉用や愛玩用の区別など、人間の勝手な都合に過ぎん」
「食す為に飼う、殺す為に生かす……人とは業の深い生き物ですね」
秋原の言葉に、棗は肯定も否定もせず、淡々と呟いた。
「まあ、我々に出来る事は、衣食住全てに恵まれている現状に感謝するぐらいであろうな」
「……話の腰を折って悪いけど、喫茶店でこういう話は止めないか?」
話が一段落つきそうなので、藤原はここで話を断ち切った。
こんな話をするのは、もっと然るべき場所であるべきだ。
少なくとも、食事中にする話ではない。
「ペットショップと言えば、先輩たちは何か飼ってますか?」
堀の加勢もあって、無事に話題を逸らす事が出来た。
「俺は、特に何も飼ってはおらん。獣姦は好きではないしな」
「そんな事訊いてない」
明らかにペットの意味を間違えている秋原に、藤原はすかさずツッコミを入れる。
「だが、バター犬は嫌いではない」
「だから訊いてないって」
少し声を荒げる藤原。
ここまでくると、彼の発言全てに反応出来る自分すら怪しく思えてしまう。
つくづく、慣れの恐ろしさを思い知らされた。
秋原を止めるべく、藤原は半ば強引に話しに割って入った。
「俺も、ペットは特に飼ってないな。今更飼っても、明さんに負担かけるだろうし」
「ふっ、今は西口姉妹で充分という事か」
「そういう意味じゃなくてな……」
またしても変に絡んでくる秋原に、藤原は溜息を吐いた。
何を言ってもこれでは、話す気さえ無くなってしまう。
面倒なので、さっさと堀に話を振る事にした。
「堀は、何か飼ってるのか?」
「はい、メダカを何匹か。性格にはヒメダカですけど」
藤原の問いに、堀は頷く。
ちなみに、純粋なメダカは貴重なので、なかなか見つからない。
一般に飼われている『メダカ』は、主にヒメダカ等の変種である。
「妹と二人で世話しているんです。妹と言っても、双子なので年の差は」
「ちょっと待ったぁあああああああああああああッ!」
堀の話の最中、秋原は絶叫した。
同時にテーブルを思い切り叩いたので、堀は驚きの余り声も出ない。
藤原の鋭い視線を気にも留めず、秋原は堀に言う。
「堀。貴様が妹の話をするのは、些か尚早だ」
「は、はあ……?」
目をぱちくりさせ、首を傾げる堀。
「まず、貴様のこの小説におけるポジションは……まあ、少し残念なところだ。オブラートに包んで表現するなら、『黄土色』だな」
「最後まで使われないクレヨンじゃないですか……」
秋原の言葉に、堀は力無く項垂れた。
それは気にせず、秋原は続ける。
「貴様が地味なのは勝手だが、妹……美少女まで巻き込む道理はあるまい」
「はっきり言いましたね、地味って」
「このような場合、前情報を提示せず登場させ、『え!? お前の妹だったの!?』とするのが、無難にインパクトを与える方法だ。他にも色々あるであろうが、いずれにせよインパクトを重視する。少なくとも、喫茶店の話のネタにするべきではない」
「そう……なんですか?」
一見正論らしく聞こえる話に、堀は少しずつ飲み込まれ始めた。
少しでも受けに回ってしまえば、一気になだれ込んでくるのが秋原である。
案の定、秋原は畳み掛けるように続けた。
「キャラの第一印象というのは大切だ。『ギャップ』という萌え要素もあるが、それも第一印象があってこそ。これを外してしまえば、貴様の妹も茨の道を歩む事になろう。まさに、今の貴様の様にな」
「そんな……妹まで僕の轍を踏むなんて……!」
妹の行く末を案じ、頭を抱える堀。
最早、秋原の手中にすっかり嵌ってしまっている。
遠まわしに地味だと言われている事にも気付かない程だ。
「滑稽とは思わんか? 『地味』というキャラ付けを。地味キャラを維持するためには、目立つ事は許されん。それが、貴様の最後の生命線なのだからな。即ち、目立つ為に『目立つ事』を許されない。そんな矛盾に貴様は囚われてしまったのだ。そして今、貴様の軽率な発言によって、妹までも巻き込もうとしている。兄として、それが嫌なら、妹の話は暫し自粛する事だ。言っておくが、これは貴様の為でもあるのだぞ。貴様が陥った泥沼は、今や自力では抜け出せまい。そこで、妹に引っ張り出してもらうのだ。妹が目立てば、自ずと兄も目立つ筈。恐らく、抱き合わせで出番は増えるであろう。要するに、自分の妹に投資するのだ。信頼性は充分だと思うが、如何か?」
「……判りました。さっきの話は忘れて下さい」
こうして、堀はまたも目立つ機会を失うのであった。
「さて、残るは棗だが……」
堀を片付けた秋原は、棗に目をやる。
棗にしては珍しく、積極的に話を始めた。
「高校に入った頃に死んでしまいましたが、喇蛄を飼っていました。秋原さんなら存じていると思いますが……」
「ああ、あのアメリカザリガニか。憶えておるぞ。なにせ、あの頃は電話でその話ば」
「余計な話はしなくて宜しい」
秋原の声を遮り、棗は更に続ける。
「中学の頃に、父が近所の池で捕ってきましてね。『女の子たるもの、生き物を愛でる心が必要』だそうで」
「……ツッコミどころは色々あるけど、『女の子』にザリガニはないだろ」
この場に居ない棗の父に、藤原は律儀にツッコんだ。
彼が望む『女の子』に育てたいのなら、犬や猫が普通だろう。
息子を『女の子』として育てている事に関しては、今更言う事も無い。
「狗や猫は、飼うのが大変ですからね。喇蛄は餌と水換えさえ惰らなければ、比較的楽に飼えますから。溜池で釣れば、安価で簡単に捕まえられますし」
「ところで、棗よ」
話が少し途切れたところで、秋原が話に割り込む。
秋原が何をするかを察し、密かに溜息を吐く藤原。
「そのザリガニは……可愛かったか?」
秋原がそう言った途端、棗はそのまま固まった。
初めて見る光景を、堀は不思議そうに見つめる。
藤原は、堀だけに聞こえる様に耳打ちした。
「棗は普段あんなんだけど……本当は好きなんだよ」
「な、何がですか?」
「何て言うか……生き物とか飼うのが。いつもの振る舞いがあれだから、表には出さないけどな。で、秋原みたいに話を振ると……」
その時、棗の表情がパッと明るくなった。
同時に、まくし立てる様に一気に話し始める。
「其れはもう! 自分の子供みたいに可愛がりましたよ! 最初は遣らされていましたけど、飼っている内に可愛く思えてきましてね。あの小さい瞳に、鮮やかな紅い甲殻、餌を食べる時の仕草の愛らしさといったら……! 嗚呼……思い返す丈で胸の内が擽ったくなってきます。此の感情をより明瞭に云い表すならば、稚児を抱く母が覚えるであろう想いと喩える可きでしょうか」
一人暴走を始める棗を、秋原は面白そうに見物している。
いよいよ見た事が無い光景に、堀は呆然としていた。
こうなると止められない事を知っている藤原は、ただ溜息を吐く。
「兎に角、毎日の餌付けが楽しくて楽しくて! 自室のドレッサーの傍に水槽を置いてたから、朝に身だしなみを整えた後に世話してたの!」
「先輩、ドレッサーって……あの……」
「『女の子』なら持ってるだろ」
戸惑いながら小声で尋ねる堀に、藤原は冷静に答えた。
棗は一旦箍が外れると、『女の子』として振舞っていた頃に戻ってしまうのだ。
こうなると、口調も一気に砕けたものになってしまう。
やや女性寄りな容姿に高い声も相俟って、その姿は女性と見紛う程だ。
隙だらけな姿を気にせず晒し、棗は続ける。
「飼って半年くらいだったかな? エリスの様子が何だかおかしくって。豊太郎と番で飼ってたから、まさかと思って見てみたら……お腹に卵が在ったの! あの歓びは、ペットを飼わないと絶対に解らないだろうなぁ……。自分が作った環境をペットに認めて貰えるのは、飼い主にとって最大の栄誉だもの」
「この頃から、既に文学少年だったんですね」
「みたいだな」
敢えて、その辺りを掘り下げる堀と藤原。
ちなみに、エリスと豊太郎は、森鴎外の処女作『舞姫』の登場人物である。
「でも、一番嬉しかったのは、何と言っても孵化した時! 物凄く小さいけど、ちゃんと喇蛄の形してて、とっても可愛いの! あの時は歓びで頭が一杯で、正に狂気乱舞したなぁ……」
「そうだろうな。そのテンションで俺にまで電話してきたもんな」
今にも舞い上がりそうな口調で話す棗とは対照的に、藤原は溜息混じりに言い放つ。
本人は嬉しかったのだろうが、一時間もその話に付き合わされた方は堪ったものではない。
秋原から後で聞いた話では、『被害者』は二桁に及んだらしい。
「喇蛄の子供ってね、生まれたての時は母親のお腹にくっ付いているんだけど、大きくなると少しずつ離れる様になるんだよ。元々喇蛄は臆病だから、何かあると直ぐに母親の所に逃げ込むんだけどね。皆が一斉に逃げ出すから、それがもう可愛くて! 飼える訳無いのに、全員に名前付けたくらいだよ」
「あの……アメリカザリガニって、何百個も卵を産む筈なんですけど……名前全部憶えたんですか?」
「それ以前に、見分けつかないだろ」
親馬鹿を白熱させる棗に対して、堀と藤原は冷静にツッコんでいた。
特に藤原は、棗の親馬鹿の被害を被っただけに、冷徹とも言える反応である。
子ザリガニが脱皮する度に電話で騒がれた事が、余程気に入らないらしい。
「結局、欲張っても共食いする丈だから、子供は全員手放したんだけどね。あれから何度か産卵したけど、一匹くらい残しとけば良かったかな。エリスと豊太郎が亡くなった時は、一週間くらい落ち込んだし。……子供が独立した親の気持ちも、あんな感じなのかな?」
「ザリガニと一緒にするな」
藤原がツッコむが、棗は一人黄昏れるだけである。
聞き入れる様子も無いので、藤原は溜息を吐き、先程の続きを堀に話した。
「……こうなるんだよ」
「子が親に似るのって、本当なんですね」
窓の外を暫く眺め、ココアを一口飲み、前を向き直った棗は、秋原に尋ねる。
最愛のペットの死を思い返した所為か、熱はすっかり冷め、普段通りの振る舞いだ。
「所で、秋原さん。貴方の厚意に甘えて、『孫』の行く末は貴方に委ねていましたが……あれ程の数の喇蛄、何方に預けていらしたのですか? 素人が扱える数ではありませんが……専門店か何かですか? まさか、牛蛙の餌にしていませんよね?」
「ああ、あれはだな……」
棗に尋ねられ、秋原は軽い口調で答える。
「なかなかチリソースと相性が良くてな。俺はもちろん、父上と母君にも好評であったぞ」
「…………」
その一言で全てを察した棗は、完全に固まってしまった。
顔が真っ青になっていくのが、端から見てもよく判る。
棗だけでなく、藤原と堀も、絶句するしかなかった。
よりによって、本人の前でそんな告白をするとは。
傍若無人で知られる秋原だが、これは輪をかけて凄まじい。
棗は暫し固まった後、乾き切った笑い声を少しだけ漏らし、椅子から転げ落ちた。
「先輩!? 棗先輩!?」
「悪気が一切無いのが怖いよな……」
「さて、次の話に移るとしよう」
何事も無かったかの様に、秋原はサイコロを振った。
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2007/12/06(Thu)16:23:40 公開 / 月明 光
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■作者からのメッセージ
さようなら、ケンタッキー。騒動が無ければ、もう一回くらい食べたかったよ。
そして、作品の話は一切しない私のあとがき(ぁ
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