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『異国戦記 〜紅の騎士〜』 ... ジャンル:異世界 ファンタジー
作者:宙
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異国戦記
〜紅の騎士〜
古の乱れた世界
人々の心は剣と盾に奪われ
民は傷つき疲弊した
そんな時代に現れた一人の男の戦いの物語
プロローグ
静かだ。
空を飛ぶ鳥が、暗闇に潜む獣が、そして城を囲む兵士たちが城を見つめて思った。
確かに静かだ。
城門には明かりがなく、人がいるような気配はない。
そこから100m以上離れた場所に柵が設けられており、その裏で鎧を着た兵士が大勢立っている。きっちり5列に整列している彼らの背後には、不気味な森が広がっていた。
普通なら不気味で背後を気にしたくなるものだ。それだけ戦場には、人の危機察知能力を高める、一種の興奮作用がある。
だが、彼らはただひたすら城を見つめていた。まるで見ていれば城門に穴が開くとでもいうように。
しかし、木製とはいえ堅牢な門だ。穴が開くなど考えられない。
ガサガサッという音と共に、数人の兵士が森から進み出てきた。そのうち一人は華美に飾られた鎧を着ていて、鉄仮面で顔は見えない。
並んでいた数人の兵士が門から目を離し、その男を盗み見た。
男は左手に皮の手袋をしていた。
何しろ、季節は冬になろうとしている。こんな夜は寒い。何しろ、自分たちが凍えかかっていた。しかしこの男は右手に手袋はせず、指輪を一個はめていた。
ルビーのような赤い宝石がかすかに光って見えた。
「フェン様、お時間です」
「そうか」
供の兵士の言葉に軽くうなずくと、門に右手を向けた。
「どれぐらい溜めたんだったか?」
「半月ほどです」
「そうか」
先ほどの「そうか」とは違う。残酷さにあふれていた。そして確かに、その男は下唇を妖しくなめたのを見た。
指輪の男はいきばり小声で言葉をつぶやいた。まるで炎が燃えるような激しい言葉だった。その瞬間、彼の手から激しい火球が飛び出し、門に直撃した。
轟音。
次の瞬間、さっきまであったはずの門は炎に包まれ燃えていたのだ。中心に大きな穴が開き、残った部分を炎が灰にしていく。
「進め!」
隊長の号令とともに兵士たちが門目指して走っていく。それと同時に、森で敵から見えなかった味方が走ってくる足音も聞こえた。
戦が始まった。
門が破壊された音が城の中心の宮殿にも聞こえた。暗い一室にいた男もそれを聞き、急いで窓から顔を出した。
総髪の男だ。年は40過ぎといったところだが、その腕を見る限りとてもたくましそうだ。
暗い闇夜の向こうが、赤く見える。
「門の方角か」
声には落ち着きが見て取れた。そのとき、兵士が部屋に駆け込んできた。
「国王閣下、門が破られました!」
「伏兵は応戦しているか?」
「はい。奮戦していると報告が届いています」
「弓兵に合図を」
「承知!」
「レイカスは脱出したか?」
「すでに落ち延びました。では、のちほど」
兵士があわただしく出て行くのを見送ると、男は外を眺めながら剣を握った。
その両方の手には指輪が3つ輝いている。
兵士たちは壊れた門をくぐると、無人の城内をまっすぐ突き進んでいた。周りの兵士も、ガチャガチャと鎧を鳴らしながら進んでいる。
するといきなり前方の兵士数十人が消えた。
いや、落とし穴に落ちたのだ。
それと同時に周りの家々からたくさんの兵士が躍り出て、剣を振り回し、槍を突き立ててきた。周りはあっという間に怒号や罵声、悲鳴にあふれた。
さらに城壁の上からは、弓兵が矢をあめあられと降らせてくる。弓を持った味方も城壁の上を見上げ、応戦する。城門からはさらに続々と兵士が侵入してきている。
「味方のほうが数が多いぞ! 押し返せ!」
隊長が、片腕を失った敵に剣を突き立て叫んだのが見えた。
数時間後、城の中心部にも攻撃側の兵士がなだれ込んできた。防衛側も討ち死にを決め、最後の抵抗を見せていた。
しかし、防衛側が数百に対して攻撃側は数千。勝敗はすでに決していた。
そのとき、宮殿の門がゆっくりと開いた。
「レイ様だ! レイ様のご出陣だ!」
防衛側が歓喜の声を上げた。
門から出てきたのは、黒い鎧を身に着けた男だった。抜き身の剣を持ち、威圧的に歩きながら戦場に飛び込んでいった。
なぜこの男の出陣で歓喜したのか?
それはすぐにわかった。
男は近づく敵を歩きながらたった一撃で葬っていった。歩くリズムを崩さず、剣を片手に持って振るう。
それだけで敵を斬っていた。
すると、彼の目の前に大柄で盾を持った男が現れた。野牛を模した兜をかぶり、棍棒を片手で持っている。大男が棍棒を振り回して殴ってくるのを男は一撃でなぎ払った。
棍棒はぐるぐると宙を舞い、30m先の地面に突き刺さる。男は歩きながら剣を振るい、大男は厚い盾でそれを防いだ。
5回目の攻撃のとき、男の指輪の一個が妖しく輝き、大男の盾は剣が当たった瞬間に砕け散った。大男の首は次の瞬間に胴体から離れていた。
「お見事」
レイは声がしたほうに向き直った。
「フェンか」
レンの視線の先には城門を破壊した男が立っていた。
「お久しぶりですね。こちらの猛将ウゼラベスを盾ごと一撃とは。それも、数合打ち合っただけで」
「御託はいい。元気なようだな」
「すこぶる元気です。しかしあなたは自分の心配をしたほうがいい。もうすぐあなたは死ぬ。城を枕に、ね」
レイはそれを鼻で笑った。
「どうかな?」
「本当に、頑固な人だ。負けを認めなさい」
「断る」
「遂に赤髪の血統も絶えるのですか」
男はことさら満足げに残酷な笑みを浮かべた。その表情は敵味方を問わず恐怖させる笑み。
だが、その瞬間にレイは斬りかかっていた。その速さはまるで、風になったようだ。
だがフェンも一瞬で剣を抜き、一撃を防いだ。続けざまにもう一撃がフェンの鉄仮面をかすった。
「速いな」
「指輪の力を使わないのか? 俺は3つすべて使う」
「3つ? ひとつはどうした!」
フェンの血相が変わった。
「どこにやった!」
フェンがつばを飛ばして叫ぶ。
「エレスの指輪だよ。失くしたらしい。お前にとっては残念だったな」
「な、なんだと! あれにどれだけの価値があるのかわかっているのか? そうか。隠したな? そうなんだな?」
「さあな。だが、俺は持ってない」
「隠したはずだ。なくせるわけがない」
フェンの突きはレイにあっさりとかわされてしまった。レイが攻撃を仕掛けようとした瞬間、フェンは右手をレイに向けた。
「エレスの炎をなくしたお前に防ぎようなんてない。最後の火球だ!」
火球がレイの体を包み、一瞬で灰になった。
一瞬周りは静かになり、防衛側の兵士は武器を投げ捨て降伏していく。
そんなことに興味でもないように、フェンは灰の山を手で探り始めた。彼は一瞬ニヤリと笑うと、手のひらの灰をどけ始めた。
彼の手のひらには、3つの指輪が輝いていた。
だがその瞬間、指輪は彼を拒絶するように輝き、男の手の中で炎を帯びた。フェンはそれらを取り落としながら、憎しみにあふれた声で叫んだ。
「細工したな! 自分の一族以外が手に出来ないように! おのれ!」
呪いの言葉が夜を貫く。
同時刻。
数人の男たちが山道を歩いている。
全員マントを着ていて、傍目には旅人を装っている。
彼らは炎に燃える城を振り返りながら、道を急いだ。
先頭の少年の手には、指輪がはめられていた。
【1】
ウェスト一族がこのランド村に来てからどのくらいが経ったのだろう。その答えを知る人物はおそらく、もう誰も残っていない。
この村には歴史に興味を持つような人種はいなかったし、おそらくこれからもそうだろう。全員が全員、畑を耕して家族を養い、馬を育てて平和に暮らすことしか興味もなかったのだ。確かにこの村はタロタロス国の領土として地図には記されていたが、それも表面上のものだけであった。つまり、戦があっても近隣にしか兵は送らず、ほぼ独立した状態にあったのだ。
もちろんこんな村は世界中でここだけだろう。
このなんとも風変わりな村には村長という肩書きの役職があり、その役目はウェスト一族の跡目が常に継いでいた。しかも、村人はこれを全く不平に思ってはいないのだ。
平和を好むというこの村の性質もあるが、大きな要因は間違いなくウェスト一族が権力を持たず、傲慢でもなく、あくまでひとつの村の家族として過ごしていたからである。そしてこの一族は、村の一大事には先頭をきって対処に当たる。
さて、そろそろこの一族が来たころのことを話そう。その話は、今では老人が眠れない子供に聞かせる昔話となってしまった。もちろん、この手の話は家々で微妙に展開や内容が違う。そこで私は、ほぼ5年を費やしてこの話をまとめた。信憑性がないものは削除したし、共通しているほぼ間違いないという事実はそのまま残した。
いい例が、160年前の洪水の話だ。当時の村長であるレイレストが一人で水門を閉じて、村を救ったという話だ。この水門は高さが10m以上ある巨大なもので、大人十人で縄を掛けて引っ張ってもびくともしない。
私はこれを、右から左へ受け流すようにすぐに削除した。このように苦心して編集してきたのだが、願わくばこの話が真実に近ければ、そして後世に語り継がれればいいと思う。
ウェスト一族がこの地に来たったのは今から300年ほど前だといわれている。そのころは周辺で大規模な戦が何度もあった。さすがに村人達もこのときは酒場に集まり、戦禍がここまで及ぶのかと懸念していた。
その頃の村の人口は100人をわずかに超える程度で、非常に貧しい村だった。飢饉が一回でもあれば、すぐに村が全滅するといわれるほどだった。
ある日の夕刻だった。
数人の男達がふらふらと歩きながら村に入ってきた。そのまま倒れてしまった旅人を村人達は怪しんだが、怪我をしていることもあり治療することにしたのだ。
数日後に目覚めた彼らは村人達に非常に感謝し、そのまま村に居座ることになった。幸いにも空き家はあったし、村人も感謝されて悪い心地はしなかっただろう。旅人達がレイカス青年を主のように振る舞い、尽くしているのに多少の疑念は抱いたのだが。
そして噂がたった。じつは戦乱から逃れた非常に高貴な身分だとか言う根も葉もないものだったのだが。しかし実際に、レイカス青年はかなり高貴な顔立ちだったらしい。しかも、彼らが持っていたはずの大きな重い荷物は彼らが目覚めてすぐに消えてしまったのだ。この荷物についても、財宝だとか言う人まで現れ始めた。
だが実際の話、ここで袋いっぱいの金を持っていても全く価値はなかった。換金も出来ないし、物量だって少ない。主に米や野菜の物々交換で暮らしが成り立っていたのだ。
さて、ちょうど季節が夏ということもあり、男手が必要だったので、青年達は汗を流して村人のために働いた。それからすぐ、彼らが木材と鉄で何かを作っているのをみんなが目撃した。彼らは数日後、その何かを使って牛に引かせ、畑を耕し始めた。
それは何だと聞いてみると、東方の農具だという。今まで木製の農具しか使っていなかった村人だったが、その便利さには舌を巻いただろう。
それからはしょっちゅう、レイカスたちは助言を求められるようになってきた。レイカスたちの技術はどこで学んだものかと村人が聞いたことがあった。
「東方のレイラス地方です」
それっきり、彼らは自分達の出生について明かすことはなかった。
同時期にその地方で、ひとつの国が滅んでいる。しかしそんなことを知っていた(あるいは興味を持った)村人は全くいなかったので、これら二つの物証は結び付けられることはなかった。
そしてそれから5年後に、山賊が村を襲ったことがあった。
この村の誕生以来全くなかったことなので、村人達はうろたえた。だがレイカスたちはすぐに剣を取って戦い、あっという間に撃退してしまった。50人ほどの山賊のうち、逃げ帰れたのは半数に満たなかったという。
この事件は後、彼の求心力がますます上昇したのは間違いないことだろう。その頃にはこの村は一番収穫量の多い村となっていた。倉には穀物があふれ、年末や収穫祭のような大きな祭りが開かれるようになったのもこのときからだ。
レイカスの息子であるレイハンの頃にもいくつか事件があった。周辺が飢饉に見舞われたのだが、このランド村は蓄えが豊富であったために何にも影響はなかった。だがレイハンは、余った米を周辺の村に配ろうと提案した。これに村人の大半も賛成し、レイハンと十数人の男達は大量の米を持って出発した。
1ヵ月後、村人達は遠くから土煙と地響きがするのをみつけた。レイハンたちは、百頭を超える馬を連れて戻ってきた。なんと、米と交換にもらってきたのだという。
話を聞くと、村々では人も家畜も非常に飢えていたらしい。もともと馬に乗るのが好きだったレイハンはそれを見て、馬を交換してきてもらったらしい。馬はランド村には貴重なものだったので、村人は非常に喜んだ。
そしてこの後から、この一族が村長(村ではカフーと呼んでいた)としてレイハンはほとんどの馬を、すべての家庭に配って回った。そして巨大な馬場を作り、生涯を終えるまで毎日馬を乗り回していたらしい。
さて、余談なのだが、レイカスもレイハンも馬術に非常に長けていた。その証拠に、彼は時々狩りに出かけていたそうだ。
ある日、村人数人が狩りに同行したのだが、帰ってくると全員が口をそろえてこういったという。
「彼らはまるで馬を手足のように扱うんだ。嘘じゃないぜ。なんたって、手綱を離しても馬を操ることが出来たんだからな」
この特技というか特徴は、彼らの家系のすべてに必ずあらわれたという。
さて、最後にして最大の事件はレイレスの時代に起きた。彼は歴代の中でも特に有名で、最も多く語られている人物だった。そのためいくつかの誇張も多かったのだが、とにかく彼は非常に大きな節目に立ち会うことになったのだ。当時、再び戦乱の火の粉が飛び始めていた。小競り合いが勃発し、いくつかの小国が次々と出来始めていた。
そんな折、レイラスの許に一人の男が面会してきた。男はこの近隣のラス国の使者だといい、服属を求めてきた。条件としては、王の求めに応じて出兵し、毎年決まった収穫量を納めるというものだった。レイラスはすぐにそれを断ったが、丁重に使者をもてなして周辺の様子に耳を傾けた。
さて、使者の持ち帰った返事を聞いた国王は怒り、30人の兵をおくっって降伏させようとした。だが、それを事前に察知していたレイラスは一計を案じた。
数日後、30人の兵は村の入り口まで来て歩みを止めた。
「今すぐ降伏しなければ、村を壊滅させるぞ!」
しかし返事はない。兵達は不思議に思って、村に一歩足を踏み入れた。その瞬間、彼らのほとんどが落とし穴にはまってしまったのだ。
残った数人も何も出来ずに、いきなり飛び出してきたレイラス達に捕まってしまった。レイラスは兵達を無傷で王の許に返し、手紙を預けた。
その内容は今でも語り継がれている。米は納めないが、この村を守るための戦いのみに参加する。つまり、手紙には妥協案が書かれていたのだ。王は承諾の手紙をレイラスに送り、村は地図上ではラス国に組み込まれたが、ほぼ独立は守ったのだ。この事件をきっかけに、彼は村の防備を増強することを決心した。
まず村を堀と塀で囲み、出入り口には矢倉門と矢倉、さらに軍馬を買い込み、村の若者を鍛え始めた。さらに自分の家を村の中心に移し、そこも堀と塀で囲んで矢倉も建てた。実質そこは砦のようで、非常に堅固な防備の要となったのである。そして彼の子孫は、今でもそこに住んでいる。
それから今までの間には、大きな事件は起こっていない。何度か出兵はしたが全員が無傷で戻ってきたし、全く変わらない生活が今も続いている。
変わったの人々だけ。若かった人も老人となり、新たな命をはぐくむ。
そして今、この村を治めているのは若干15歳のレン=ウェスト。彼の時代に、時代は大きくうねりだした。
さて、物語が始まる前に、彼のことについていくつか話しておこう。
レンはウェスト一族の血脈をもつ唯一の人物である。彼はレイラスが建てたあの砦に母と二人で住んでいる。
父は数年前に、はやり病で若くして没してしまった。彼はいつも馬に乗っている黒髪の青年で、黒いマントをつけている。いつも同世代の若者を引き連れていて、狩りに出かけたり、釣りをしたり、木刀で勝負をしたりしている。
こんな彼だが、同い年の女性と出かけることも多少ある。相手はルラという馬飼いの家の子。レンは一週間に一度、ルラを馬の後ろに乗せて野原や川に出かけるのだ。実際にルラは村でも器量よしといわれているし、村でも誰もが口をそろえて似合いだという。そして彼らは、いわゆる清楚な関係を保っていた。
彼らは二人の時間を散歩やつりなどのことで過ごしていたので確かなことだ。まぁ、酒屋の主から言わせれば、村一番の美男と美女なのだから、惹かれあって当然だということなのだろう。
さて、それではこのレンの物語を始めるとしよう。
大陸中央よりやや東にあるその村は、いつもと同じように朝を迎えた。
その美しい朝日がやさしく堀の外側の田畑を包み込み、その光は冷たい石塀や門にも注がれている。緩やかな風が稲穂を揺らし、そのうねりが動くさまはまさに黄金の海の波のようだった。
そのとき、一つの人影が動いた。
それはいままで身動きもせずに門の手前の丘で仰向けに寝そべっていたが、少し寝返りを打って横向きになった。黒髪がやさしく風に揺れている。まるでその感触を楽しむように、色の白い手がその髪をなでている。黒い瞳が、揺れる稲穂の波をゆっくりと追っていた。その人影は寝てはいなかった。
すっと通った鼻にやや赤い唇。肌は色白だ。
おそらく髪を伸ばせば女性だと錯覚してしまうほど、その青年の顔立ちは整っていた。
彼の瞳は波を追ってはいたが、波を見てはいない。まどろんで夢に堕ちかけているわけでもない。ただはっきりいえるのは、どこか憂いているような感じがするということだけだ。考えにふけっているというほうが正確なのかもしれない。
だが、青年はそのせいで背後に忍び寄る影には気がつかなかった。いきなり、青年の頭のすぐ上にドスンと何かが落ちてきた。彼は急に身を起こし、背後のものを見た。
「ロステルか」
思わずつぶやいた声に答えるように、ロステルはいなないた。
ロステルとは彼の愛馬のことだ。ひときわ大きな馬格に、黒い毛並み。青年の頭の上に落ちてきたものはロステルの前足だったのだ。
「よくここがわかったな。お前はいい馬だよ」
青年が身を起こして馬の頭をなでると、馬は心地よさげに目をトロンとさせた。彼が11歳のときに生まれたこの馬は、彼が毎日世話をして育てた馬だ。ゆえにこの青年と馬との間には、何か強い絆のようなものがある。しかもこの青年と共に何年もこのあたりを駆け巡っていたこの馬にとって、このあたりはまるで庭のようなものだ。この主人が遠くで助けを求めれば、この馬はすぐに厩舎を突き破って最短ルートで主人の許に馳せ参じるだろう。
「いい馬だ」
青年は今度は独り言のようにつぶやいた。やはり声のどこかには、憂いがかすかにある。そのとき、塀の向こうから鐘の音が聞こえてきた。
「朝の音か。お前は本当にいい馬だよ。お前に乗って家まで行けば、ちょうど朝食に間に合うよ」
彼はそう言うなり、鞍もないその馬にまたがった。馬は一声啼くと、風のように開け放った門の中へと入って見えなくなっていった。
青年は馬を駆けさせ、風のようにまっすぐ村を突き抜けると村の中央の砦の前で馬をとめた。というより、馬のほうが止まった。馬には手綱がついていなかったのだ。
彼はひらりと馬から下りると、再び馬の頭をなでてささやいた。
「ありがとな。厩舎には、戻れるな?」
返事の代わりに馬は嘶き、あっという間に走り去ってしまった。それを見届けた青年は、開け放たれた石の門に急いで駆け込んでいった。
その門は高さが6mほどもある立派なもので、上には見張りようの矢倉もついている。これこそ青年の先祖レイラスが残した砦の門である。青年は門をくぐると、人が100人は寝そべることができる広場を抜け、階段を上がり、隠し扉を通り抜けて建物に入っていった。
入ると小さな小部屋があり、そのひとつ向こうの部屋には赤いカーペットの部屋が見えた。
「ただいま」
青年がカーペットの部屋に入ると、すでにそこには玉子焼きとパンの朝食がテーブルに置かれていて、茶髪の女性がいすに座っていた。
「レン、おかえり。どこに行ってたの?」
レンは同じ質問を返そうとしたが、のどをついて言葉にはできなかった。
彼の母親には秘密がある。
最初にそう思ったのはほんの数ヶ月前だった。
夜中に彼が目を覚ますと、いつもは聞こえるはずの隣の部屋の母の寝息が聞こえない。彼は水を飲みにいく途中、隣の部屋をのぞいてみた。
しかし、その部屋には誰もいない。そのとき、かすかだが声が聞こえた。
泣き声。
それも、女性の声。
しかし、どの部屋を探しても母の姿も泣き声の正体もわからない。翌日の朝、よく眠れたかと探りをいれてみたがよく眠れたというだけだった。問いただそうともしたが、聞いてはいけないような気がしてしまいそのまま現在まで引きずってしまっているのだ。
そしてこのときの夜も、やはり母はいなくなっていた。
最初は一週間に一回ぐらいだったが、そのペースは日増しに増えていき、今ではほとんど毎日のように忽然と消えているのだった。そして今日も彼は、問いただそうとはしなかった。
「城壁の外で、稲穂を見てた」
「もうすぐ収穫だものね。あなたもきっと借り出されるわよ」
いつもと変わらない明るい調子の母の声に、いつものように次第と問いただしたいという気落ちが消えていってしまう。あまりおせっかいを焼かないほうがいいのかもしれない。そう思いながらも、おそらく今日の夜も殻のベッドを見れば再び疑念の声が沸き起こってくるのだろう。
「でも残念ね。今日でしょ? 出発の日は」
「えっ?」
「忘れたの? 一昨日、王様の使者が来たじゃない。また小競り合いでもあるのかしら」
すっかり忘れていた。
今日は召集の日だったのだ。最近、隣国の軍がたびたび国境を侵して村に火を放ったりすることが多くなっていた。しかも、それに山賊も同調し、それに国王がひどく手を焼いているという話が噂でこのあたりまで流れていた。今回の出兵の際に、レンは30人の村人達と共に北を目指していくことになっていた。
彼の初陣だ。
北に4日も歩けば、すでに多くの兵が集まっていることだろう。
この村では、春から秋にかけて農業をして、冬には武芸の訓練をするのが慣わしだった。そしてその中で一番の腕がレン。この村はその習慣のおかげで、今まで戦による死傷者が出たことはなかったのだ。
「そうだったよ。じゃあ、昼にでも出発か」
「ちゃんと友達に挨拶してこなきゃだめよ。みんなはあんた達の代わりの分も収穫で働かなくちゃいけないんですから」
「わかってるよ」
レンはそこで一息つくと、あっという間に玉子焼きを食べてしまった。
「それに」
一瞬、母の目が好奇心を覗かせたのにレンは気づいた。
「ルラちゃんにもよ」
「わかったって」
「あと、鎧とかを今のうちに着ておきなさいよ」
レンはパンを加えたまま、すぐに部屋を出て行って自分の部屋に入った。少しすると、鎖帷子(くさりかたびら)の上に鉄板を組んで作った上着を着て、腰には長剣を2本差し、皮のブーツを履いた青年が出てきた。
「ま、少しは強そうに見えるわよ」
母はちょっと微笑むと、自分よりも背が高い息子の頭をなでた。
「生きて帰ってきてね」
このときの母の表情が、この後一生レンの頭の中に焼きついた。
苦悩の顔だった。
それは一瞬顔に出ただけだったが、レンはどこか後ろめたい思いに駆られてしまった。
「帰ってくるよ」
そうあいまいに微笑んで見せると、彼は隠し扉の向こうへと消えていった。
砦の門をくぐると、村人達が彼に挨拶してきた。
「もう出発ですか?」
「いえ、昼にここに集合することになってます。それより、ゴウたちは?」
「いつもの川だと思いますよ」
「そうですか。じゃあ、村のことは頼みます」
彼はそういうと、川のほうに歩き出した。この村は川に面していて、城壁もそこだけは作られていない。いつもそこに水を汲みに来る人や、洗濯に来る人が利用している。しかしこの時間は誰も使う人がいないため、もっぱら若者の溜まり場になっている。
夏は涼しいし、冬は凍っているため格好の遊び場なのだ。レインは口笛を吹きながら、ゆっくりと川へ向かっていった。すると彼の見込みどおり、ロステルが彼の目の前に現れた。
「お前はいい馬だ」
やはり同じ言葉を繰り返し、彼は川へと馬を走らせた。するとやはり、数人の人影が川に足を浸して談笑している。
レンの姿を見ると、全員が手を振って自分達のほうに招き寄せた。
「ゴウ、今生の別れに来てやったぞ」
「そうか。お前の最期の姿を見納めてやるよ」
レンも含めた全員が笑った。その中でもひときわ大きいのがゴウという青年だ。
背が高く、腕っ節もいい。
ゴウはこのグループの副隊長と言ったところだろう。
「いつには帰れそうなんだ?」
「そうだな、収穫が終わってのんびり出来る頃には返ってきてやるよ」
「そうか。ところで、戦でも二刀流にするのか?」
「当たり前だ。周りを囲まれても、これなら大丈夫だろ?」
「確かに、お前の腕前はすごいよ。だけど、無理するなよ」
「ああ。この川でお前に100連勝してみせるよ」
「言ったな? 戻ってこいぞ!」
「ああ、もちろんだ」
そのとき、ゴウの表情が変わった。
何か、レンの後ろのものに気をとられている。
「じゃあ、俺達は帰って収穫の準備をしなきゃ」
ゴウが立ち上がり、全員を促した。レンが振り返ると、何に気をとられてなぜ急に帰ることにしたのかがすぐにわかった。
2人の女性がこちらを見ている。1人は、ゴウの母親だ。
この村で一番怖いと評判で、3年前にゴウが火事を起こしたときの説教の大きさは村中に聞こえた。火事の原因は、ゴウがたいまつをしっかり消さなかったことだった。このときの恐怖の説教がゴウの肝にしっかりと刻み付けられ、彼はたいまつを消すときには入念に水に突っ込んで、ちゃんと消えたかどうか確かめるようになった。
みんながそれを笑うと、ゴウはいつも「お前らも家の母ちゃんに怒鳴られてみろ」と毒づく。おそらくゴウは今日の朝、収穫の準備をサボってきたのだろう。その手に握った鍬でいまにも襲ってきそうな形相は見ものだった。そしてそのまま、逃げるように川を離れる息子のところへ猛然と走り抜けていった。
そしてもう1人。
彼女を見た瞬間、レンの脳裏に母の言葉がよみがえった
(ルラちゃんにもよ)
そう。それはルラだった。
草を食んでいるロステルの頭をなでながら、こちらを見ている。レンにしかなつかないロステルが例外に背中に乗せるのを許しているのが、馬飼いの家の一人娘ルラだ。何より彼女は、ロステルの世話をしているのだ。
レンが立ち上がると、彼女は手を振ってきた。長い金髪が美しく風に揺られている。
いつもは家業のために干草や泥がついた作業服を着ていたが、今日は違った。
白っぽい洋服を着ていて、ブーツではなく靴を履いていた。
「どうしたの?」
レンは彼女の全身に視線を移していたが、急に顔を上げた。
「いや、別に。だって、いつもと違う服だから」
「あなたも、今日は鎧を着ているじゃない」
彼女は不思議そうに微笑んでいる。
「俺は当たり前だろ? だけどお前は」
「変だった?」
さりげないい方だったが、ちょっと顔が赤くなっていた。
「別に」
「変じゃない?」強調された言い方だった。
「変じゃないよ」
「ありがとう」見慣れた笑顔だが、洋服のせいかいつもより明るく見えた。
「あのね、ゴウ君のお母さんがあなたがきっとここにいるっておっしゃったの。あなたがロステルに乗って走ってるのを見たそうよ」
「そっか。どうしてここに?」
「最近、思いつめたような顔をしてたから気になってたの」
「戦いのこととは関係ないよ。大丈夫」
微笑もうとしたが、おそらくぎこちない笑い方だったのだろう。彼女の顔が少しだけ心配そうになっていた。
「大丈夫だ」
その瞬間、彼女の頭が自分の胸に飛び込んできていた。
「本当に?」
彼女の頭をなでる自分の手が妙にぎこちなかった。もう片方の手は、知らない間に自分より小さな体を抱きしめていた。彼女の細い手が背中にまわっているのを感じた。
鎧でぬくもりは伝わらなかったが、それでも抱きしめていた。思えば、抱きしめたのはこれが初めてだった。
そしてそのとき、初めて彼女の涙を目にした。茶色い瞳から白い頬にかけて、涙が伝っている。
彼女の特徴的な目が、いつもよりさらに際立って見えていた。とにかく、自分のために涙を流してくれるこの存在を守ろうとこれほど思ったことはなかった。
どれぐらい時間が過ぎたかはわからない。川のせせらぎだけが耳に聞こえてくる。
長い時間が過ぎた気がした。
ようやく二人は離れた。
「それじゃあ、もどらなくちゃ」
彼女は村へ戻ろうとした。
向こうで、洗濯物を抱えた一段がこちらに向かってきている。だが、彼女はすぐにこちらに戻ってきた。
自分の鼻ほどしかない身長の彼女は背伸びをして、キスをした。
「帰ってきたときは、レンからしてね」
彼女の顔を真っ赤にしながら、村に戻っていった。そして自分も、おそらく赤い顔をしているだろう。
とにかく今ほど、絶対にもどってくると誓った瞬間はなかった。
そして彼も、村へと馬を走らせた。
【2】
太陽が南に高々と上がった後も、レンは落ちつかなげだった。
その理由をっているのは当事者の二人だけ。ほかの人たちは、緊張のせいだという結論に達した。
だがレンはほとんど全員が集合して荷物の確認をしている間も絶え間なく砦の前を行ったりきたりしていることは明らかに不審だった。レン自身もそれに気づいていたが、何かをしていないと先ほどの瞬間が何度もよみがえってくる。
まるで頭の中にあの瞬間が、釘で打ち付けられたかのように。そして何より、いまだに胸が早鐘のように鼓動していた。自分以外の誰にもわからないその鼓動が、何にも増して彼が落ち着くことを許さなかったのだ。
すでに砦の周りには30人の屈強な男達、そしてその家族や親戚(つまり村の全員)が彼らを囲み、しばしの別れの間の安全を互いに祈っている。その中には自分の母、友人のゴウたちがいたが、ルラはどこにもいない。
はっきり言って本人を目の前にして何かいえる自信はないが、とにかく居てほしかった。そのとき、母がちょっと来てといって砦に向かって歩いていった。母は妙にニヤニヤしていた。
もし、自分の考えのとおりだったら。
その予想通り、門の裏には少女が手を組んで立っていた。ルラの顔を見た瞬間、まるで体中が沸騰したかのように感じた。相手も顔を夕焼けのように染めている。
「男なら、別れの時にはビシッと決めないとだめだよ」
肩をぽんとたたきながら、母はまた砦の外へと出て行った。うつむいた二人の間に気まずい沈黙が流れていく。頭の中で何を言ったらいいのか考えたが、いまではまともに思考が働くはずがない。
こんなに会いたかったのに、今度は何を言えばいいのかわからず、この場を立ち去ってしまいたかった。
「あ、あのさ」
これだけいったはいいが、この先は全く浮かんでこない。
「あの、す、すぐに帰ってくるから、元気でな」
背中には冷や汗がたれていた。
「うん。レンも元気に帰ってきてね」
聞き取れないほどか細い声だった。一瞬目と目が重なった。
「なにかあったら、ロステルに乗ってくればいいからさ」
何言ってるんだと思いながら、今度は相手の返事をまった。
「うん。きっと戻ってきてね」
その声を聴いた瞬間、頭の中の自分が手を握れと言った。今まで見つめていた、彼女がモジモジさせていた手に手を伸ばそうとした。しかし一歩だけ歩みよって彼女の顔を見た次の瞬間、衝動的に彼女を抱きしめていた。
人生で2度目だったが、最初より力が入っていたと思う。
「ここの周辺だったら俺の口笛でロステルはきっと走ってきてくれる。そのときはあいつはきっと、お前を乗せてくれるはずだ。あいつは賢いから、お前が話せばきっとそうしてくれる。わかったな?」
「うん」
「大丈夫。最近大きな戦いが多いけど、俺はきっと帰ってくるからな」
「うん」
二人はそっと離れた。
ルラは泣いていると思ったが、今度は微笑んでいた。しかし、目を赤くしていて、ぎこちない笑い方だ。
「行ってくる」
レンは最後にもう一度だけ彼女の顔を心に焼き付け、門から外へ出て行った。
彼が出て行くと、自分よりずっと年上の男達がこちらを見つめた。それは確かな信頼のまなざしだったが、それが逆に重圧にも感じ取れる。彼らを取り巻く大勢の人々が、村の外まで道を空けた。
レンは後ろについてく男達と同じように手を振り、別れや応援の声にこたえた。太陽が空に輝き、彼と同じように一点の曇りも迷いもない。ただ、全員が村の門をくぐった後、最後に村を見つめた。
それはきっと、先ほどの自分からルラへの視線と同じような気がした。
村の門をくぐり、小金の稲穂の間の細道をゆっくりと歩いていった。レンが朝に見つめていた、あの稲穂だ。今も太陽の光に輝き、黄金の波をうねらせている。帰ってくる頃にはこの風景も来年まで見納めだと思うと、なぜか少しさびしい気もする。毎年見てきた風景だが、不思議なものだと思った。
このときだけは、不安と共に隠し通してきた影が蘇ってきた。自分が戦で死ぬか、戦で村が滅びる。
そのどちらも恐ろしいことだ。
そんなことがあるわけない。
いや、可能性があるからこそ恐ろしいのだ。腰に差している剣の鞘に、一瞬手が触れた。その冷たさが、余計に不安をあおってしまう。
だが、初日と二日目は何事もなく進んだ。最近は雨も降らなかったために余計な回り道もしないですんだ。とはいっても、ここまではロステルに乗ってきたことがあるため、時間のかからない道を知っているのだが。
山の中は静かだったが、彼らは談笑しながら進んだ。家族のことや村を気遣う声なども聞かれたが、全員が心の奥でなるべくそれを避けて笑い話をするように努めていた。
この付近はまだ国境から遠く、大声を出してもさほど危険がなかったからだ。道のりも順調で、予定よりも余分に進んでいるほどだった。
レンもそのほかの男達も、不安を忘れたかのように見えた。
しかし三日目に、最初の不安が訪れた。
鎧を着た死体を偶然見つけてしまったのだ。死体はかなり前のものだったが、それでも全員が再び不安を抱き始めたのは確かだった。すでに国境が迫っていたため話も小声でしか出来ず、しかも森に入ると視界がきかないために余計に話は少なくなっていった。
森のうっそうと茂った木々は方向を狂わせるし、さらに持ってきた水も少なくなっていた。出発してからここまで、川が近くになかったからだ。
それでも、あと1日で川のそばに集まっている味方に合流することが出来るはずだった。そんな不安と期待が混じりながらも、4日目の朝が明けた。
地図ではもうすぐ森から出られるはずだったし、そこから川の様子もわかる。一行は歩みを次第に速くしていった。しかし神経は過敏になり、緊張も張り詰めていた。誰かが枝を踏んでポキッと折ってしまったとき、ほとんど全員が殺気をむき出しにして武器を構えた。普段は見せることがない、鬼の表情だった。
これを見たとき、戦の恐ろしさの一端をレンは知ったが、やはりどこかで戦はすぐに終わると安心しきった声がした。レンは心の中で、自分が誰も殺さずに戦いが終わればいいと幾度も思っていた。
出発してから、彼はいつも同じ夢を見ていた。
真っ暗な中で、自分がルラを抱きしめている。しかしその手が血に染まり、ルラは悲鳴を上げて逃げていく。
その夢が自分の甘さだと気づいてはいたが、彼はやはり人を殺すのが恐ろしいと思っていた。
生きるか死ぬか。
そんな中で、自分も鬼になっていくのが怖かった。血に染まった手で純粋な女性を抱きしめるのが怖かったのだ。彼がそんな不安に狩られていると、遂に森の終わりが見えてきた。男達と一緒に、彼は自然と走っていた。森を出れば、不安が消し飛ぶと思ったのだ。そして彼らは、森を出た。森の外はすぐに川原になっており、石が川までの間を隙間なく覆っていた。
しかしそこには、味方はいなかった。
川までの石は血で染まり、そこにはたくさんの死体が無造作に転がっていた。テントが焼けた後がそこいらにあり、川は赤く染まっている。
生きているものは何もない。
ただ、そこには戦の後の風景がそのまま残っていた。そして見るからに、味方の旗を差した兵士が多く死んでいた。
振り向くと、すでに森の木々の上に死肉漁りの鳥達が集まって、こちらをじっと見ていた。腐臭が鼻を突いているのに、いまさらながら気付いた。
そしてとにかく、考えられるのは一つだった。
間に合わなかった。味方が負けた。
「全員、すぐに戻るぞ!」
悲鳴のような言葉が口をついて出てきた。それと同時に、後ろにいた全員が森へ引き返した。
誰も何も言わない。
ここを離れることだけを考えた。暗くなってくると視界がきかずに、仕方ないので見張りを立てて不安な眠りに落ち、朝が明けると再び急ぎ足で森の中を走る。
それは山に入ったときも同じだった。そして全員が、山にあった死体を見るのを避けて道を走り抜けた。村まであと一日までの距離に近づいたとき、一行は始めて睡眠以外で休憩を取った。
開けたところで周りが見渡せて、道が広い場所だった。そこだけは木々が少なく、しかも幸運なことにレンが知らない湧き水を発見したからだ。
全員が久しぶりにのどを潤す中、一本の矢が一行のすぐそばの気に突き刺さった。その瞬間、大勢の兵士が武器を構えて一気に斜面を滑り落ちてきた。あっという間に味方数人が血を流した倒れた。
「敵だ! 固まれ!」
レンがそう叫ぶ間に、また味方が一人矢に当たってゆっくりと倒れていった。彼は剣を抜いた。迷いはなかった。彼は剣を振りぬくと、返り血を浴びながら敵を1人倒していた。レンは瞬く間に3人の敵をあっという間に斬った。
無我夢中だった。
飛んできた矢をかがんで避け、転がりながら敵の足を斬り、返す太刀で倒れてきた敵の首をはねた。
いくら敵を倒しても、敵はあふれるように次々と斜面を下ってくる。きりがないと思ったそのとき、大男が敵の中から進み出てきた。金髪を振り乱し、大槍を手に持っている。そして手には、銀の指輪が輝いている。
筋肉質な腕から、いきなり強烈な突きが放たれた。一撃を何とか剣で弾いたが、次々に突きや薙ぎ払いがレンに向かって襲い掛かってくる。その攻撃をかわしながらも、彼の剣は確実に敵の隙をつき始めていた。
長い攻防の末、いったん二人は間合いを取った。その間に周りを見た彼は愕然とする。彼の味方はもはや、わずかになっていたのだ。
斬られながらも武器を振るい命を散らしていく者や、斜面の上から降り注ぐ矢で絶命していく者。
気付いたときには味方は5人足らずになっていた。
囲まれた。
レンが呼吸を荒げ涙を浮かべながら敵を見ると、大男は何かをつぶやいている。その瞬間、大男の強烈な一撃が放たれた。避けた槍は木の太い幹に突き刺さったが、なんとその木はいきなりそこから砕けてしまった。
「ふん! 田舎のやつらに指輪の力を使う羽目になるとは!」
そうつぶやくと、男は再び猛烈な攻撃を再開した。しかし、明らかに先ほどよりも攻撃スピードが速い。受けきれない、と彼が思った瞬間、その槍が鎧を貫いて彼に突き刺さった。すさまじい衝撃に、レンの体は吹き飛ばされて斜面を転がり落ちて見えなくなった。
全滅した。
そこには30人の死体が残され、すでにカラスがその上に集まり始めていた。
「雨か。急ぐぞ!」
大男は部下達に命じると、あっという間に山奥へと消えていった。
そう、村の方角へと。
雨が降りしきる中、4人の人影が山の斜面を下っていった。
「急げ! 間に合わないかもしれない!」
先頭の男が叫んだ。全員がフード付のマントを着ていたため、顔はわからない。剣をブレーキにして斜面を下っていくと、わずかに平地になっている部分に1人の青年が倒れていた。マントを着ていて、鎧の胸には大きな穴が開いていて、そこからおびただしい出血が見られた。
「いたぞ!」
4人が青年のそばに駆け寄った。青年の顔は青白かったが、わずかに呼吸をしているようだった。しかし、辺りの地面は青年の血がにじんでいた。
「クァイスの指輪は?」
「俺が持ってる」
「はやくよこせ!」
男は仲間から青い宝石のついた指輪を受け取ると、青年の手にその指輪をはめた。銀の輪に青い宝石が埋め込まれている指輪で、その青さは海のように深く、どこか人々を魅了するものだった。指輪は一瞬青く輝くと、再び普通の状態に戻った。
「傷の確認をしなければ」
青年を寝かせると、鎧をはずした。
「これが、あの鎖帷子か」
そうつぶやきながらも彼はすぐに青年に目を戻し、今度は鎖帷子を脱がせた。
しかし、おかしい。鎖帷子には傷ひとつついていないのに、中の服には大きな裂け目が合った。しかしそんなことには気付かないのか、男は洋服も脱がせた。
青年の胸にあるはずの傷はなかった。あったはずの場所には、血が流れた痕跡がまざまざと残っている。
そのとき、青年がわずかにうなった。
「起きてください! お迎えにあがりました!」
「だ、誰だ」
青年はうめきながらも、まぶたを上げて不思議そうに男達を見渡した。
「レン様ですね。私達は紅王のお迎えに上がったものです」
【3】
目が覚めたばかりだというのに、自分の意識がはっきりしているのは不思議だった。
だが、意識が戻ったばかりのはずの頭の中に、たくさんの疑問を感じた。
紅王?周りの4人は誰だ?
それに死んではずの自分がなぜ生きているんだ?しかも、周りの4人はまるで自分の従者のような言葉遣いをしている。
「おま、あなた達は誰?」
お前というのは無礼だと思い、レンは言い直した。その疑問を、4人はあっさりと受け入れた。
「それもそうだ。やっぱり説明されてなかったんだよ」
左側の男が非難がましい目で向かいの男をにらんだ。
「そういうな。今から説明すればいいだろ?」
「ということなので、まずは移動しましょう。傷はもういいはずですので」
4人はゆっくりと立ち上がった。
「傷は、あなた達が?」
ありえない。確かに槍は自分の体に当たったはずだ。
「さぁ、立って鎧を着てください。ここはまだ安全ではない」
一番大きな男が彼の腕に服や鎧を押し付けた。彼らは自分が鎧を着ている間に剣を杖にして斜面を登り、辺りの様子を伺っているようだ。レンが斜面を急いで登り終えたときには4人のうちの1人が目を閉じて立っており、残りは自分に視線を移した。
「何をしてるんですか?」
「ああ、ここの近辺に雨をしのげる場所がないか探しているです」
「え? この人が一人で?」
「それも今説明します。ただ、あなたの指についた指輪をはずしてはいけませんよ」
最後の警告はまるで重要なことのように声を重苦しくしていった。この見知らぬ指輪は非常に美しいもので、なぜか指と穴がちょうどぴったりでもあった。
「あった。少し先に洞窟がある」
「よし。さぁ、いきましょう」
彼らは自分を囲んで辺りを警戒しながら、歩くように促した。
歩く間にレンは、戦死した仲間達を見ないように目を伏せていた。なぜ自分だけ生き延びているんだ?それをどこかで恥じていて、申し訳なくも思った。
そしてその答えを知っていると見られる4人の男達の出現。紅王の迎えといっていた。
自分が紅王?
王とつくからには何かの王なのだろう。だが、そんな話はまるで聞いたことがない。
そうこう考えているうちに雨はやみ、一行はやがて洞窟に入っていった。
「どうしてここに洞窟があることを?」
「さっき言いましたが、目で探したんです。この目でね」
男達はそれぞれフードを脱いだ。二十歳前後の男達だ。
1人は大柄で、周りの男達への口調からこの一団のリーダーであることは間違いなさそうだ。茶髪を後ろで結んでいる。鼻筋が通っていて、いかにも厳格そうだった。
次は頭にバンダナを巻いている長髪の男。黒い髪は背中まで届きそうで、目が鷹のように鋭い。先ほどからあまりしゃべらず、落ち着いた言動が目立っている。
そして残りの二人は、なんと顔が全く同じだった。おそらく双子なのだろうが、片方は頬に傷がある。茶髪の二人は癖もまるで同じで、よく耳の後ろを指で掻いている。二人とは対照的にどこか不真面目で、興味津々な目でしょっちゅう自分を見ているのだ。傷のないほうがどうやら、この洞窟を探し出したらしい。
「誰が説明する?」
「リーダー、任せた」
「誰がリーダーだ!」
「だって、あんたが一番適役だと思うよ。話にユーモアを望むんだったら、俺に話をさせればいい」
双子の傷のあるほうが、茶髪の男にニヤリとした。茶髪の男が双子に、変なことを言ったら斬ってやるという目つきでにらみながら、口を開いた。
「さて、びっくりしているでしょう。こんな変な(双子をちらりと見た)4人組が自分に何の用だろうって。私はリチャード。双子の傷のあるほうがラルク。ないほうがライアン。そしてこのバンダナがリカルド。我々は先祖代々、あなたの一族を守ってきた者です。紅王とはその時代の一族の長の称号で、一族の長は300年前に国を興しました。あなたの先祖が率いた軍団は無敵といわれ、国は大いに栄えたのです。しかしその勢いはやがて衰えてしまい、遂に滅びの日が来たときに紅王は御嫡子を城から逃がし、その手に国の宝を預けました。国は滅び、御嫡子はあなたの村にたどり着いた。その宝とは、一式の鎧と一つの指輪です」
「指輪が宝?」
「はい。指輪には人が持つ魔力を具現化する力があり、古くから武器として扱われてきました。その魔力にも4つの種類があり、その種類が人間の持つ指輪の種類と適合することで、初めて力を発揮するのです。あなたの傷が治ったのは、王が持ったといわれている4つのひとつ、水の魔力を具現化するクァイスの指輪のおかげです。水の魔力には癒しの力があり、初めてそれをはめた一族の長の傷を一回だけ癒すのです。そう。たとえ死の淵にいようとも」
指輪の力?
もう一度指輪をよく見た。指輪は先ほどと同じく美しい姿を見せている。これが俺の命を救ったのか?
「これは私達が見つけたもので、行方不明のものが二つ、残りの一つは鎧と共にあなたの一族が村に隠しています。そしてその鎧の一部である鎖帷子は、現在あなたが身に着けているのです」
彼は驚いて鎖帷子を見た。見た目はどこにでもあるようなもので、決して宝物とは思えない。
「それは魔力を防ぐ力があるのです。槍の打撃はあなたを貫きましたが、相手の大地の魔力があなたの体を砕くことがなかったのはそれのおかげです。きっとあなたのお母上様があなたの身を案じてそれを着させたのでしょう。もし着ていなかったら、我々にも指輪の力にもあなたを助けることだ出来なかったはずです。一週間前にお母上様が手紙を我々に送ってきて、あなたを影ながら守るように命じたのです」
「それじゃあ、あなた達は俺を守るために?」
「しかし、事情が変わってきたのです。あなたを王にするのが我等の役目となったのです」
「事情が変わった?」
「あなたを倒した兵の一隊が、村に向かいました」
この4人と出会ってから持った疑問のすべてが吹き飛んだ。自分が今しなければいけないのはただひとつ。
村へ帰らなければ。母が、ゴウが、そしてルラの顔が思考の中に浮かんでは消えた。彼は何も言わずに駆け出そうとしたが、リチャードは彼を抑えた。
「あなたが言っても状況は変わりません」
「じゃあ、お前達なら勝てるんだろう? 頼む。一緒に戦ってくれ!」
その言葉を聞いた4人は苦渋の決断をするような顔でレンを制した。
「確かに、勝てます。しかし、村までの途上にある橋をやつらは壊していきました。回り道をして追いつくのは不可能です」
しかしレンは食い下がった。
「どうして橋を落としたってわかったんだ! お前達は俺とずっといたはずだろ?」
すると双子の片割れであるラルクが進み出た。
「こいつの力だ」
その手には、深緑の宝石が光ったきれいな指輪が洞窟の陰気な光を受けてなお美しく輝いていた。ラルクは、自分達の持つ指輪はレンの先祖から受け渡されたものだということを告げ、考え事をするかのような目をぎゅっと閉じ、ゆっくりと瞼を開けた。彼の瞳がかすかに緑に縁取られていた。
「俺の風の指輪の特性。通称鷲の目というやつで、この目には多少の透視能力と超視力の力が備わるんだ。こんな山の中でも半径1kmなら小さなコインだって探せる」
リチャードたちも自分の指輪をレンに向けた。それぞれが非常に美しく、自分のつけている指輪にすら劣らないものばかりだ。リチャードは自分がもう飛び出さないと判断したのだろう。彼の手を離した。
「ラルクの指輪も私達の指輪も、指輪の中では上位にあるものばかり。しかし、あなたの指輪はその頂点にあるものだということを理解してください。それは一族の最も重要な宝なのです。そしてその指輪は、古の魔力によってあなたの血族しか使えない。ゆえに、あなたの先祖から4つの指輪のうち3つを奪ったフェンは3つを隠した。その3つのうちのひとつは我々が最近やっとの思いで見出し、帰るべき一族の長の手に今日帰ったのです」
おもわずゴクリとつばを飲んでしまった。そんなものがあるなんて。
「指輪は主に国の中枢にいる戦士にしか与えられないものです。だからあなたが知らないのも無理はない」
ライアンが気遣わしげに肩に手を置いた。
「お前の母親は、戦に出るお前にこのことを話そうかとずっと考えてた。だけど、これが重みになると母親はわかってたんだ。だからお前に何も言わずに戦へ出させた。家宝のひとつ、その鎖帷子を着せてやってな」
リチャードが無礼だぞとばかりにライアンをしかっているのを見ながら、またもや焦りがぶり返してきた。間に合わない。それが事実だとしても、行かなければいけない。下唇をかみすぎて血の味が口に広がった。
「あの」
リチャード、彼にヘッドロックされていたライアン、それを見ていたラルクとリカルドがレンを見た。
「やっぱり村へ行きたい。間に合わなくてもいい。だけど、もし村にやつらが手を出していたら」
彼は決然とした顔でいった。
「やつらを倒すのを手伝ってほしい」リチャードはライアンを解放すると、さっと進み出た。
「それが君の決断なら、我々は君と共にいく」
後ろの3人もうなずいた。
「それと」洞窟を出ようとしたレンが振り返った。
「別にまだ王じゃないんだから、そんな礼儀正しくしなくてもいいんじゃない?」
双子がにやっとしてリチャードに襲い掛かった。
「べつにいいじゃねえか。本人もそういってるんだ」
「お返しだ!」
3人がふざけている中、リカルドが彼に近づいた。
「よろしく」
レンの差し伸べた手に、彼は握手した。
「私の一族は常に君の身辺を警護していた。君は私が守る」
その目には覚悟がみなぎっていた。
「そして君が今は王でなくとも、私は君に仕えるものだ」
そういうと彼は3人を止めにいった。
この5人が、いずれ世界を揺るがしていく。
レンはこのわずかな距離を移動するたびを一生忘れることはないだろうと思った。
4人の新たな同行者は彼にさまざまな知識を与えた。たとえば、彼が知らない一族の歴史や有名な戦い、そして指輪を扱うスキル。
レンの持つ指輪には癒しの力があるとされていた。彼らの話では、この指輪なら骨折などもすぐに治せてしまうはずだと聞かされた。しかし、その域に至るまでにはまだまだ修行と時間がかかるということをレンはすぐに思い知った。
最初に魔力は心の強さだということを教わり、精神を集中すれば簡単な力は呪文なしで出来るといわれ、実際にその力を試してみることになった。
日中は主に道を進むため、夜の休養時間に修行を行う。最初は軽い引っかき傷を治すことから始まったが、これがなかなか難しかった。
しかし、これはある意味レンの心を救った。何かに集中したり話ながら山道を歩いていれば村のことを考えずに住んだ。村のことを考えるたびに、恐ろしい光景が脳裏に浮かんでくる。
「もっと集中して」
ラルクが気軽に言った。
「俺が教えてるんだぞ」
ライアンが首を突っ込んできたラルクの頭をガツンとぶった。二人の喧嘩を見て笑いながら、彼は再び手の甲の浅い傷に指を当てて神経を集中させた。傷には事欠かなかった。
なぜなら山道は棘の蔓だらけで、日増しに傷が増えていくからだ。しかしレンのこの修行は順調とはいえなかった。それでもなぜか4人は気にしていないようだ。
「大丈夫。そんなにあせらなくても、すぐに習得するはずだ」
リチャードの慰めは、レンの心の劣等感をさらに増加させるだけだった。
「もし習得できなかったら?」
「そんなことを心配しなくてもいいんだ。村に行けば、君はきっと習得できる」
「それってどういうことだ?」
「君の先祖達は代々、生まれた子供の力を封じてきたんだ」
「封じてきた? 力って?」
「君の一族の血を継ぐものには、常に絶大な力が与えられてきた。それは代々遺伝していたんだ。だが落ち延びた君の子孫は、その力が目立つのは一族の存続にはあだにしかならないと決め、成人するまではその力を村の秘密の地下室に封印してきたんだ。たとえば、指輪を操る才能かな? だけどその才能だって本当はきっかけに過ぎない。高度な魔力を使うものには、努力が不可欠だということを覚えていてほしい」
そういわれたレンは、心が少し落ち着いたのを感じた。目をつぶり、指の先に神経を集中させた。
「力むのとは違うぞ」
ラルクがアドバイスした。
深呼吸した。
こわばった肩の力が抜けていく。
そのとき、指先が一瞬冷たくなったのを感じた。
目を開けると、指輪はかすかに青く光っている。
おそるおそる、指で傷をなぞる。
まるでぬるま湯に傷の部分だけが浸かったような、心地よい感触が伝わった。なぞったところの傷は、きれいに消えていた。
「おっしゃぁ!」
双子がわざとらしく歓喜の声を上げ、自分の頭をくしゃくしゃなでるのを感じた。
リカルドはかすかだが笑みを見せ、リチャードはよくやったとほめてくれた。
「やはり君は一族の正当な継承者だ。素人が指輪を扱えるには、最低でも一ヶ月以上はかかるものだ」
彼は空を見上げた。星がこんなにきれいだということを、初めて知った気がした。
遠回りのおかげで、村の近辺に行くのに5日かかった。村に近づいたところで、ラルクが鷲の目の力を使って村の様子を探った。
「様子はどうだ?」
レンは生唾を飲んだ。惨劇の想像がまたしても浮んできたのだ。
「いるのは兵士ばかり。村人の姿はない。みんな殺され、いて!」
「お前には気を使う心配りが足りない」
リチャードがにらみつけた。
レンは無理に少し笑ったが、吐き気がしてきた。
心臓の鼓動は痛いほど激しくなってきた。
「生きている人はいないのか?」
「レン、いなかった。残念だけどな」
ラルクが肩を軽くたたいた。
「レン、君の力が封じ込められた地下室はあそこにある」
リチャードの指はまっすぐ、砦を指していた。
「最優先事項はそこで君に能力を取り戻し、そこにある鎧と剣、指輪を回収することだ。それまでは極力戦闘は避ける。ただし」
リチャードはまっすぐレンの眼を見た。
「ただしそこからは君の自由だ。われわれは君に従う。きみはどうする?」
全員がまっすぐレンを見た。
「俺はとにかく、敵を討ちたい!」挑むような目で4人の顔をじっと眺めた。双子は同情の顔をしておりリカルドは無表情だったが、リチャードだけはなぜかまっすぐな視線で彼をにらんだ。
「君はこれから乱世の渦に飛び込んでいくだろう。そして幾度となく略奪や殺人を目にするはずだ。それでも、やはり許せないか?」
「許せない!」リチャードは表情を緩めた。
「わかった。ラルク、一番敵と出会わないルートは?」
「西から一直線だ」
「よし、全員で一気に突っ切るぞ!」
村はひっそりと静まり返っていた。4人はラルクの指示通りにとおりの陰に隠れながら、砦にゆっくりと近づいていった。とおりには時々死体が放置されていたが、レンは確かめる勇気がなく目をそむけるしかなかった。5人は何度か遠回りはしたが、誰とも会わずに砦に近づけた。砦には数人の兵士がうろついていたが、これはあっという間に解決した。
リカルドがすさまじい速さで兵士すべてを、音もなく切り伏せた。おそらく兵士の半分は、何が起こったかわからずじまいだっただろう。
砦の中は非常に散らかされていて、家具はひっくり返されていたし食べ物は根こそぎなくなっていた。そしてその家具に押しつぶされるような形で、見覚えのある服を着た女性が息絶えていた。
「気の毒に」
リチャードがつぶやいた。レンは家具をどかし、母の顔を覗き込んだ。
青白い。胸には深い刺し傷があり、そこから流れた血はすでに乾ききっていた。
すでに覚悟していたことだが、それでもやはり悲しい。世界がこんなに冷たいものだと感じたのは初めてだった。まるで太陽が隠れてしまい、暖かい日差しが消えたかのように感じた。
「あった」
ライアンがつぶやいた。カーペットをひっくり返すと、床に小さなくぼみがあった。
「指輪をはめて」
リチャードに言われたとおりに指輪をくぼみに押し付けると、部屋全体が揺れ、光に包まれた。目を開けると、そこは小さな小部屋になっていた。冷たい空気が灰を満たす。
そしてなぜか、部屋の中央には自分と同じ年ぐらいの金髪の少女が倒れていた。忘れようがない。母の次に心配していたルラの姿がそこにあった。顔は白く、手は冷たくなっていた。だが、呼吸をしている。
「知り合いだ。助けてくれ」
4人に向かって叫んだ。
「大丈夫。まずは暖めないと」
リチャードは部屋の隅の暖炉に歩いていった。彼が暖炉に向かって小声でつぶやくと、一気に炎が部屋を照らした。レンはすぐに彼女を暖炉の前においた。暖かい炎の息吹が、彼を暖めるのを感じた。
「あった」
再びライアンが先ほどと同じことをつぶやいた。
部屋の真正面に、鎖帷子がなくなった鎧と3本の剣、それに槍が2本が飾られていた。そしてその間には炎の指輪が暖炉の炎の光を受けて美しく輝いていた。指輪は黒と赤の宝石で飾られていて、自分の持つ指輪と同様に美しかった。
彼はその指輪をはめた。それと同時に、暖かさが体全体に伝わるのを感じた。その暖かさは彼を暖め、それと同時に奇妙な感覚が訪れるのを感じた。
彼は指輪を見た。指輪はまるで自分に語りかけるように輝いている。
彼はルラの前に歩いていくと、手のひらを彼女の胸にかざした。何をすべきかはすぐにわかった。自分でもよくわからない呪文が口から飛び出し、それと同時に一瞬彼女の体が何かに包まれるのを感じた。
彼女はもう大丈夫だと、彼は直感的に感じた。
「どうやら」
4人に向き直った。4人は神話の中にでも訪れたかのような驚きと賞賛に目を彼に向けていた。
「その封印された力とやらを授かったみたいだ」
その言葉も4人にはおそらく全く聞こえていないだろう。
「じゃ、じゃあ、遂に」
ラルクが双子の片割れを向いた。
「ああ。俺達の時代に誓いが成就されたんだ」
「何を言ってるんだ?」
レンがいぶかった。
「理解してくれ。俺達の一族は、君の一族を歴史の表舞台に立たせることを誓っていた。何百年も待ったんだ。感動しないわけがないだろ?」
リチャードの説明も、半分ほどで途切れそうになった。彼の目に、一滴の涙がこぼれたからだ。
「でも、これからどうするんだ?」
「それは後で説明する。まだ、君は村人の仇を討つつもりなんだろ?」
「当たり前だ」
「なら、それが先だ」
リチャードが指をぱちんと鳴らした。5人とまだ意識のないルラは、砦の中に戻っていた。鎧なども一緒に、足もとに置かれている。
だが、それからすぐに扉の向こうで声が聞こえた。
「誰の声がするぞ! 隊長に知らせろ!」
「どうやら、長い時間の間に部屋の魔力が衰えて、こちらの声がこの部屋から漏れ出していたみたいだな」
リチャードが冷静に言った。
レンは先ほどの地下の部屋からこの部屋に移されていた鎧と一緒になっていた3本の剣のうち、一番長いものを手に取った。
細身の剣だが驚くほど長い。
鮮やかな装飾が施されており、長期間地下に眠っていたはずなのにとても美しく、錆ひとつない。
「ライアン、レン様を守れ。私はこの女性を守る。あなたは3人と一緒に好きなだけ暴れてください」
レンは扉を蹴破って外に出た。扉のすぐそばで身構えていた敵の胴体は彼は躊躇なく剣でなぎ払った。
すでに外は、先ほどの声で多くの兵士が集まっていた。4人はその中に駆け入って遮二無二剣でなぎ払った。
体が軽く感じた。そして彼の剣は今、地下室で見つけた炎の指輪の力を受けて赤く染まっている。その剣は相手の体を鎧や剣ごと切り裂いていく。
そして彼は見つけた。自分が敗北した大男を。大男は彼の姿を見ると驚きの顔を浮かべた。何せ、自分が葬ったはずだから。彼は槍を取り出し、再び呪文を唱えると突きかかってきた。しかし、その動きをレンははっきりと見ることが出来た。身を翻して槍を交わすと、そのがら空きの巨体に剣を突き刺した。
男は悲鳴を上げながらも、再び襲い掛かってくる。今度は槍を剣でたたき折り、足を切りつける。
そして倒れる刹那に男の首を天高く跳ね飛ばした。
「すっきりしたか?」
剣を鞘に戻したとき、ラルクがつぶやいた。その問いにはどう答えればいいかわからなかった。
「それでいいんだ。すっきりしたなんていうやつは、ただの人殺しだ」
その彼の顔には、今までにない険しさもあった。
「そうだ。気づいてないかもしれないが、赤髪の一族は意識的に体の変化を起こすことが出来る。そこの水桶に顔を映してみるといい」
彼は自分の顔を水に映した。疲労しきった顔がこちらを見ている。返り血を浴びた顔。しかしそんなことはどうでもよかった。彼の髪は黒くなかった。
「赤?」
思わずつぶやいてしまった。
「そう、髪の色を赤に変えられる。だから、赤髪。この能力はあまり知られていないものだ。炎の指輪の力の一種だともいわれてる。でも、今の君なら変化のさせ方もわかるはずだ」
そういわれると、なぜかそれが判る気がした。目を閉じ、痛いというように顔をしかめて目をぎゅっと閉じた。
再び目を開けると、水鏡には黒い髪のいつもの自分がいた。
砦に戻ると、リチャードがこちらを振り向いた。いすには女性が一人、青白い顔で座っている。
「ルラ」
自分の声に、彼女は顔をこちらに向かせた。おびえきった顔だった。
「今、すべてを説明したところです。しかし、精神的なショックが大きいようです。あとは、お任せします」
そういうと、リチャードは3人を引き連れて退出した。
残った二人は、じっとお互いを見詰め合った。
「大丈夫?」
先に口を開いたのは、彼女だった。声が震えていた。その目にはうっすらと涙を浮かべていた。
「今、あの男の人からあなたが死にかけたって。それに、あなたはあの人の王様なの?」
「俺にもわからないんだ。だけど、一度は死に掛けた。だけど大丈夫」
最後の言葉は、彼女のおびえた顔を見て付け足した。
「でも、俺はこれからも戦いに出なければいけない。そんな気がするんだ」
「それが、あなたの運命? 戦いで死ぬのがあなたの未来なの?」彼女の声は悲痛さにあふれていた。しかもその悲痛は自分を想ってのこと。なおさらないがしろに出来る言葉ではなかった。
「今、いろいろな国が争っている。それを誰かが治めない限り、こんな思いをするのは俺達だけじゃすまない」
自分でも、奇麗事で逃げようとしているのはわかっていた。だが、この体の中の血が騒いでいる。戦いに出ろと。
彼女は黙っていた。そしてそのとき、不意に彼女を抱きしめたくなった。すべてが不安だったが、彼女と一緒にいるときだけは安心できる気がした。
彼女に一歩近づいた。彼女の瞳に涙がこぼれる。
だがそのとき、自分の体の返り血に気づいた。まるで塗料をかぶったように血がべっとりとしていた。手も血で赤い。この手で、彼女に触れることが出来なかった。レンは身を引いた。
「すまない。顔を洗ってくる」
背を向けた。温かみが去っていくのを感じた。救いがないのを感じた。
水の桶に近づくと、彼は手を洗った。血がじんわりと水面に広がっていくのを目で追いながら。顔を手で洗おうとしたが、不意に衝動が襲ってきた。レンは顔を桶に突っ込んだ。
このまま死ねればいいと一瞬思った。この世界が終わってしまえばいい。
顔を上げて水を滴らせながら振り返った。ルラが布のぼろを持って立っていた。
「これ。顔を拭いて」その無表情な顔からは何も読み取れなかったが、かすかに温かみを感じた。
顔をぬぐった。迷いも吹っ切れた気がした。
彼女の顔を見た。
「俺はこれからも戦う」そして彼女を抱きしめた。
「そして還ってきて、必ずお前を抱きしめる。約束する。俺は、戦から救ってくれ」
互いに見詰め合った二人は、ゆっくりとキスをした。
【4】
これからすべきことは決まった。レンは確信に満ちた目で、後ろに従うルラを存在を感じた。
気配ではない。それとは別の何かで。そしてそれは、ルラと自分の間でしかわからないだろう。砦の石段を下りる音でもなく、荒い呼吸でもない。五感とは別の何かで。間よりも確信に近いもので。とにかく感じたのだ。
砦を出ると、探していた4人はすぐに見つかった。先ほど斬った敵の死体から使えるものは無いかと漁っていたところだった。
自分を見たリチャードはすぐに調べていた死体をまたいでこちらへ歩み寄ってきた。先ほど自分が斬った、大男の死体だ。
「この男の指輪です。おそらく大地の指輪でしょう。ランクもなかなかのものですので、しばらくは付けておいてください」
赤銅の指輪をレンに差し出した。わずかに血がこびりついている。彼が手に取ると、指輪は瞬時に彼の指のサイズに大きさを変えた。それを指にはめるのを、ルラはただじっと見つめていた。しかも、その様子を4人もじっと見詰めているのだった。
俺にはまだここでやることがある。彼はそう感じた。
「ルラ、荷造りをしてくれ」
4人から目を離さずに、背後のルラをここから離そうとした。
「リカルド、護衛を」
リカルドはおとなしくそれに従った。彼の目を見つめると、彼は目でこちらに訴えていた。従うという意思を。
まずは1人。
2人が離れると、残りの3人がこちらに近寄ってきた。
それぞれの目を見てわかった。この3人は、彼女を、ルラを旅に同行させるつもりはないということを。
「言いたいことはわかっている」
「わかってないね」
ラルクの言葉に、リチャードは無礼だぞという視線を送りはしたが言葉には出さなかった。つまり、言葉自体は否定しないということだ。
「ルラを残してはいけない」
リチャードは眉をしかめて反論した。
「近隣の村に預けるべきです。それが、彼女が平和に過ごす唯一の方法なのだから」
「誰が守る? また村が襲われたら? そんな思いはさせられない。今度こそ殺される」
「ラルク、ライアン。説得してくれ」
リチャードは困ったという合図を二人に送った。
「レン、考えるんだ。ここからはどこに行っても山道が続くんだ。女の足腰じゃ越えるのに時間がかかりすぎる。ここはまだ戦が続くだろう。お前の身まで危なくなる。だから、いったん隣村に預けてどこか仕官先が決まったら迎えに来ればいい」
ラルクはレンの両肩を握って揺さぶった。同情的な声だったが、それでもレンの心は折れない。
「馬に乗せていけばいい。ここにまだ残っているはずだ」
ラルクの手を振り解きながら今度払い案がレンを見つめた。
「探したよ。だけど、一頭も残ってない。厩舎らしい場所は全部灰になってたんだ」
その言葉を信じたくはなかったが、彼の能力を考えれば信憑性はかなり高い。それなら、どうすれば。
「あきらめてください。馬は逃げるか死んでしまった。あなたはもう論破されたんです」
リチャードが背を向けた。そのとき、あることに気がついた。そうだ。馬といえば、あいつがいる。何で気づかなかったんだろう。あいつなら危機を察知して逃げた可能性も高いし、こちらからすぐに呼べる。
「ライアン、四方を見張っていてくれ。馬が来るかもしれない」
レンはそう叫ぶと、高々と口笛を吹いた。その音は山の向こうまでも響きそうなぐらい高く、澄み渡っていた。
レンは、目をつぶって四方に神経を集中させているライアンをじっと見つめた。頼む。これが最後の頼みの綱なんだ。
そのとき、ライアンが驚きの声をあげた。
「来た! 黒い馬が来た! 大きな馬だ! 西から来た」
思わず歓声を上げてしまった。足が西に向かって走っていく。リチャードたちも後ろからついてくる。
そして見た!
黒い馬がこちらに向かって走ってくる。ロステルはいつものようにすばやくこちらに向かって走ってくると、ぴたりとレンの前で足を止めた。レンに手でなでられると、いつものようにうっとりと目を閉じた。
そのとき、後ろで叫ぶ声が聞こえた。
見ると、ルラがこちらに向かってかけてくる。彼女も今現れた馬を、信じられない様子で見つめていた。
レンはルラについてきたリカルドを含めた4人をにらんだ。
「まだ、文句があるか?」
その問いに、誰も何も言わない。リチャードは半分あきれながらうつむいていたし、双子は驚きのまま顔が固まっていた。そしてリカルドは相変わらず無表情のままだった。レンはしばらく4人の顔を覗き込んでいたが、やがてそれぞれの肩を軽くたたくと叫んだ。
「さぁ、出発しよう!」
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2007/11/04(Sun)15:57:33 公開 / 宙
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