『終極の禁忌―市街戦編―』 ... ジャンル:アクション 未分類
作者:家内                

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 真夜中の公園は静寂に包まれていた。薄っすらと粉雪の舞う時分に鳴く虫の姿も無く、先ほどから佇む一人の男を残して全ての生物が消え去ってしまったかの様だった。砂場を見ると、昼間に子供達が遊んだ形跡だけが残っている。崩れかけた砂山にトンネルが掘られ、その脇には誰かが忘れて行ったプラスチックのスコップが刺り、空に座す大きな月をおぼろげに映し出していた。それに気付き、男は空を見上げた。深夜の二時を回ったと言うのに、空は不気味な明るさを放っていた。今夜は満月だった。満月は煌々と輝き、公園の遊具や木々に陰を生み出していた。勿論、男の背後にも。男は明るすぎる月に不思議な恐怖、畏怖にも近いものを感じ、そっと目を背けた。
 男の名は三上・由縁(みかみ・ゆえん)。今年で十八歳になるが高校にも通わず、ならばフリーターかと問われればバイトすらもしておらず、ならば引き篭もりかと問われれば五年前の東京テロで家族を失い篭る家も無かった。彼の身分を言い表すのならば、ホームレスか、現代にはそぐわないかも知れないが流浪人という言葉が当てはまるだろう。由縁は氷の様に凍て付いた漆黒の瞳と病的に白い肌を持ち、荷物を一切持たず、傷だらけのジーパンと黒のロングブーツ、同色のタンクトップにロングコートと言う格好だけで日本中を流浪していた。由縁は一切の荷物を持ってはいない。その荷物には財布も含まれている。そう、由縁は一銭の金も持たずに旅を続けているのだ。普通に考えれば、そんな事は不可能だ。早いうちに餓死するか、保護を受けるのがオチだろう。しかし、由縁は痩せてこそいるが餓死するとは程遠く、健全に生きていた。――彼の場合、人とは事情が若干異なるのだ。
 由縁はそっと公園を出ると、深夜にも関わらず明かりを灯し続ける一軒のコンビニを見つけた。公園とコンビニはほぼ並列する様にあり、住宅街とはどちらも離れていた。それに深夜と言う事もあってコンビニの中には一人の客も居なかった。若い店員が一人だけで暇そうにレジの奥で腰掛けて雑誌を読み耽っているだけだったた。そんな光景を適当に流し見て、由縁が静かにコンビニに入ると、はっとした店員が顔を上げ、小さな声で「いらっしゃいませ」とだけ言った。それを軽く無視し、由縁は菓子パンのコーナーまで真っ直ぐに進んだ。
 ――悪いな、これも生きる為だ。
 心の中でそう、店員に弁明しながら由縁は菓子パンの一つを右手に持った。そしてそのまま、動きを止めた。
 防犯カメラの位置、店員の視線、両方から自身の右手が死角になっているのを確かめ、由縁は右手に意識を集中した。その顔に罪悪感は一切無かった。
 ――消えろ。
 由縁がそう念じた刹那、由縁の右手に持たれていた菓子パンが跡形も無く消えたのだった。まるで最初からそうであったかの様に、由縁の右手は虚空で菓子パンを持っていた時と同じ形を維持していた。そこにあった筈の菓子パンは、跡形も残ってはいない。それを無表情で確認すると、由縁は左手をポケットに押し込んだ。
 ――出て来い。
 そう念じると、さっき右手から消えた菓子パンが由縁の左手から現れた。それは何処からか取り出したり飛んできたりしたのではなく、間違いなく由縁の左手から『発生』していた。由縁はそれをポケットの中で引っ掴むと、のんびりとした歩調でコンビニを出た。冷やかしなどよくあるのか、店員はその背を無言で一瞥しただけだった。
 由縁はコンビニの角を曲がると、公園の入り口をまたぎながら、ポケットから菓子パンを取り出した。それは確かに由縁がコンビニ内で、右手で持っていたものだった。
 これこそが由縁の持つ力だった。右手で触れたものを消し、それを左手から出現させる事が出来る。ただし、発動条件として対象が『生きていないもの』と言うのが絶対条件だった。人間でもミジンコでも生命活動を行なっているものに対しては微塵も効果が無いのだ。ただし、死体ならば効果を発揮する事が出来る。 由縁はこの力を使い――万引きを繰り返していた。さっきのがその手口だ。左手をポケットに突っ込み、用心しながら右手でめぼしい物を次々に消す。左手から出現させるタイミングは右手で消してから五分以内と決まっているので、危険ならば右手で物を消したまま店を出て、安全な場所で左手から出現させれば良い。百発百中で誰にも真似できない万引きテクニックだった。
 旅の初期では無銭で食い物を盗り続けるのに罪悪感を覚えていた由縁だったが、それでも一日に三度もその行為を繰り返し五年も生きると、それは薄れ殆ど消えてしまっていた。捕まる事にも誰かに疎まれる事も意識しなくなった由縁にとっては、必然の心境の変化だったのかも知れない。
 由縁は家族を失った五年前から旅を続けていた。理由は無い。東京テロを起こした犯人とその一派は既に捕らえられ、裁かれた。しかし、その瞬間を被害者の一人として傍聴していた由縁は犯人の死刑判決を聞いてもなんら心に感情が芽生えてこなかったのだ。『これで家族が報われる』だとか『私達の戦いがやっと終わりました』と、感極まる被害者団体を見ても、由縁は何も覚えなかったのだ。死人は生き返らないし、それで今生きてる人間まで殺してしまっていいのか? とその時の由縁は純粋過ぎたのだ。その後日、由縁は旅に出た。それから今日に至るまで明確な理由も無いまま旅を続けているのだ。ただ心の空漠を持て余し、身も心を廃れ果てる、その時を待つかの様に。
 由縁はブランコに腰掛けると、徐に両手を覗き込んだ。由縁の両手には不思議な文字が列をなして刻み込まれていた。それは刺青などでは無く、由縁が力を使う度に軽い痛みと共に少しずつ刻まれて濃くなっていく摩訶不思議な代物だった。由縁はなんとなく、これを自分への戒めだと感じていた。
 ――ろくな力の使い方をしない俺は、この先、この文字に全身を埋め尽くされて醜い姿で死んでいくんだろうな。
 由縁は生への執着も薄まり、自身を客観的に見る様になっていた。
「まぁ、生きていく為だ」
 わざとらしくそんな台詞を口にすると、由縁は盗ってきた菓子パンの包装を破いた。空腹も大分、強く感じ、早速それを食らおうとした、その時――季節にそぐわない生暖かな風が唐突に吹き、由縁の頬を舐めた。由縁は嘗て無い不気味さをそれに感じ、飛び上がる様にして立ち上がった。まるで巨大な獣に背後から荒い息を吹きかけられているかの様な悪寒。気付くと由縁は全身を粟立たせ、浅い呼吸を繰り返していた。手にしていた菓子パンはとっくに地面で潰れていた。
「あ、あの……ごめんなさい。ちょっと、からかっただけだから、そんなに、怖がらないで下さい……」
 刹那、まだあどけなさの残るその声は由縁の背後から放たれた。それと同時に由縁を襲っていた嫌悪感がきれいさっぱり無くなり、由縁は弾かれた様に声の方へ振り返った。
 そこには十二、三歳程度の少女が立っていた。少女は華奢だが血色は良く、闇夜に、一切癖の無い漆黒の長髪が溶け込んでしまいそうだった。服装は特異で、キャミソールに裸足で、その上から茜色の高価そうな着物をコートの様にして着ていた。帯は巻いていない。まるで空想の世界に迷い込んでしまったかの様に、少女は神秘的なオーラを放っていた。
「あの、私、沙紗(さしゃ)って言います。い、以後お見知りおきを……」
 語尾になるほど声を小さくしていきながら少女はそう挨拶すると、深々と頭を下げた。
 由縁は困惑気味に頭を掻き毟りながら、沙紗と名乗った少女に歩み寄った。そして手を伸ばしてもぎりぎり触れる事の出来ない位置まで歩み寄ると立ち止まり、沙紗を見下ろした。すると、沙紗の首に由縁の手にあるものと似た文字の羅列を見つけ、無視する事は出来ないと由縁は一人、静かに決意を固めた。
「……誰だ? 今、何をした」
 由縁は一切警戒を緩めず、親の仇でも相手にするかの様な苛烈な雰囲気と口調で沙紗に尋ねた。
「あ、あの。私……沙紗と言って……」
 その空気に威圧され首を縮めながら、おずおずと少女は答えようとした。
「それはもう聞いた」
「あぅ、ごめんなさい……私……あなたを探してて、それでやっと見つけられて嬉しくて、ちょっとだけ、おどかしちゃおうと、思って……【物撃(ぶつげき)の禁忌】の初段詠唱だけ……ご、ごめんなさい……」
 ――……俺を探していた? 【物撃の禁忌】? 
 訳の分からない事の連続に由縁は狼狽した。しかし何故か、そんな由縁以上に沙紗はしどろもどろになっていた。
「あ、あのっ、私と一緒に来て下さいっ」
 突然、顔を真っ赤にして沙紗はそう口走る。
「断る」
「あうぅ!?」
「話が全く見えんだろうが。意味不明だ。と言うか、お前不気味だ」
 由縁は頭痛でも起きそうなほど混乱する頭を抱え、ブランコに座りなおした。ややあって、隣のブランコに沙紗が「失礼します」と断りを入れてから、ちょこんと腰掛けた。途端、冷え切ったブランコのあまりの冷たさに驚き、奇声を上げて少女は飛び上がった。そして赤面しながら由縁になぜかお辞儀した。
「あのぅ……」
 やがて口を開いたのは沙紗の方からだった。その顔は未だ赤面したままだったが、その口調には微かな落ち着きが見え出していた。
「とりあえず、お前はさっき俺に何をしようとしてたんだ?」
 それに気付き、由縁は質問をちらほらと始める。
「で、ですから、【物撃の禁忌】……あなたのとは違う種類の【禁忌法】でちょっと、おどかしてみようかと……重ね重ね、ごめんなさい……」
「【禁忌法】? 俺のこれはそんな名前なのか?」
 言いながら由縁は小石を掴みあげると、さっきと同様に右手から左手に小石を飛ばして見せた。その様子を見ていた沙紗は驚くよりも歓喜の意思を強く現した。
「はい。それは【空歪(くうわい)の禁忌】の初段です。自力で初段に達したって言う噂は本当だったんですね」
 そう言うと沙紗は感激した様子で由縁の手を握り締めた。逆に由縁はしかめっ面になっていた。握られた手も気にならない様子で由縁は沙紗に尋ねる。
「噂って、お前……俺の事を何処で知ったんだ?」
「えっ!? あ……あははっ。ほら、私達みたいに【禁忌法】を使える人なんて殆どいないですから、その……友達の間で噂に」
 その言葉に、由縁は目を見開いた。
「俺とお前の他にも、力を使える奴が居るのか?」
 由縁の反応を見て沙紗は楽しそうに微笑むと、くりくりとした小動物の様な瞳で由縁を見上げた。
「……私達みたいな特別な子があと二人、居るんです。それで、私はその二人にあなたを会わせたいなぁ、と思ってお誘いに来たんです」
「……しかし、その二人と俺を会わせて、一体お前になんの得があるんだ?」
 沙紗は紅潮した顔に下手な笑みを浮かべると、ぽりぽりと頭を掻きながら答えた。
「得なんて……無いですよ。ただ、私達、変わり者が多いから普通の人とはなかなか馴染めなくて……だから、一人でも多く友達が欲しいかな……って。……私も含めてですけど」
 ――ああ……そう言う事か……。
 由縁は一人納得した様に頷くと浅い溜息を漏らし、静かに立ち上がった。
「……成程……な。良く分かった。悪いが友達にはなれない」
 そうとだけ言うと由縁は沙紗に背を向けた。
こんな事態は予測していなかったのだろう。戸惑って言葉にならない沙紗の喘ぐ様な言葉の切れ端だけが由縁の耳を打った。
「じゃあな。自分と似たような人間に会えたのは嬉しいが、友達の輪なんて広げる気はさらさら無いんだよ。俺は……一人で生きたいんだ」
 由縁は公園の出口に向かい早足で歩き出した。背後で沙紗がどんな表情を浮かべているかは見るどころか考えたくも無かった。
 ――もし、この出会いが東京テロの前だったなら、俺の反応も違っただろう……が。もう俺は人と関わる事を止めたんだ。このままだらだらと朽ちるだけだ。力について知る事も、友達を作ることも、不要なんだ。
「待って……下さい……」
 かすれて消えてしまいそうな沙紗の声がした。由縁は微かに顔を顰め、更に足を速めた。
「待って……お願いっ……」
 ――すまない。
 心の中で、心にも無い謝罪の言葉を発しながら、由縁は公園を――出ようとした、その時だった。
「待ってって言ってるでしょう!」
 沙紗の怒号が響いた刹那、大蛇が全身に絡みつくような悪寒が、一瞬の内に由縁を襲った。由縁はそれ以降、一歩も進む事が出来なくなり、なんとか自由が保たれた首より上だけで沙紗の姿を捉えるので精一杯だった。
「っ……お前……」
「待ってって……言ってるじゃないですか」
 そこには涙を流しながら、首筋に刻まれた文字を震える指でなぞる沙紗の姿があった。涙こそ止まらないが、その瞳は決意に満ち溢れ力強くさえあった。
「私、力ずくでもあなたを連れて行きます。三上・由縁さん」
「なんで、そこまでっ……」
 苦しい表情のまま由縁が尋ねると、沙紗は咄嗟に何か言い掛けて、そのまま俯いてしまった。動揺が奔ったのか、それと同時に由縁の体を縛る悪寒が微かに弱くなった。咄嗟に、由縁は悪寒を振り払うと公園をぐるりと囲むように生える大木の裏に駆け込んだ。
 ――このまま闇に紛れちまえば、ヤツの力だって……。
 そう思い、由縁が姿勢を低くした――
「っ、待って!」
 刹那、沙紗の放つ悪寒が一気に、爆発する様に高まった。苦しそうに首元を押さえ、沙紗が叫ぶ。
「――弾けろっ!」
 次の瞬間。
 大木の裏に逃げ込んだ由縁の目には、再び沙紗の姿が映っていた。二人の間で隔たりの役目を果たしていた筈だった大木が、一瞬にして弾け飛んでしまったのだ。それは沙紗の叫びと全く同時のタイミングで、大木は丁度真ん中辺りが内側から破裂し、四方八方にその破片を撒き散らしていた。衝撃で闇夜に舞い上がった大木の頭部が、ややあって轟音と共に由縁の真横に落下した。
「な、なんて力だよ……」
 由縁は茫然とするしかなかった。もし、今の攻撃を直接食らったら……。そう考えただけで足がすくみ、逃げる事の無謀さを報せている様だった。
「……お願いです。三上・由縁さん。その木みたいになりたく無かったら、私に付いて来て下さい」
 変わらずの丁寧な口調とは裏腹に、沙紗を取り巻く雰囲気は、苛烈で威圧的なものに変わっていた。 
 ――……くそっ。こいつの力は、俺のとは違って生き物にも有効なのかよ!? 
 そう、心の中で悪態をついた途端、由縁はある疑問を覚えた。
 ――本当に、人にもこの攻撃を加えられるのか? 
 人よりも大きい木を木っ端微塵にし、次はお前をこうする、と脅してきたのだ。脅しとしてはかなり強烈で効果的だろう。ただし、脅しまでに留まり直接攻撃をしかけようともしないという事は、もしかしたら……。
 由縁は両手を上げ、降参する身振りで沙紗に歩み寄りながら思考回路をフル回転させた。
 ――考えられる事は二つ。一つは俺と同じで生き物には力が使えない可能性。もう一つは……力が上手く制御できない可能性。下手に当てたら殺してしまうから、直撃はさせられないのかも知れない。後者の場合、俺が反撃に出ようとしたら……。
 由縁は凄惨な光景を思い浮かべ、青くなった。
 ――くそっ。命には代えられない。ここは大人しく、あいつの友人とやらのところまで行くか? しかし、この対応……あまりに必死だ。本当に会うだけで済むのか……?
「こっちに、来て下さい」
 遅い足取りで投降する由縁に、沙紗は目の前まで来るように指示した。そして右手は首筋に宛がったまま、左手で何かを用意する。それは、闇かすかな月光で燦然と輝く白銀の手錠だった。
 ――おいおい……会うだけじゃ、済まなさそうだな………………ここが…………正念場か。……良いだろう。死んでも元々、この世に未練なんて無い。本当なら、俺の命は五年前に尽きてた筈なんだ。俺の能力でどこまでこの化け物女と戦えるか、命を掛けて試してやろうじゃないか。
 由縁はごくりと息を飲むと、沙紗の目の前まで歩み寄り、真っ直ぐ目を見ながら立ち止まった。すると由縁は必死に、嫌味な笑みを作って見せた。
「お前は、首筋に手を当ててないと力が使えないのか」
 由縁の言葉に、沙紗は微かに驚きを示した。
「大した洞察力ですね。……ごめんなさい」
 すると沙紗は手錠の一つを由縁の右手首に嵌めた。しかし由縁はそんな事まるで無視で、左手を沙紗の首元に伸ばした。
「俺の手に刻まれてるのと似てるな」 
「……向こうに着いたら、その事も詳しくお話しますから……左手を」
 沙紗が手錠を掛けた右手を引っ張りながら、左手にも掛けようとすると――由縁は顔を強張らせ、沙紗を睨んだ。
「不要だよっ!」
 刹那、由縁は嵌められた手錠の鎖部分を右手で掴んだ。そして力を発動させ、即座に手錠を消滅させる。慌てて沙紗が力を発動させようとする。
「させるかっ!」
 次の瞬間、手錠は由縁の左手から現れる。左手は沙紗の首元付近に持っていったままだ。由縁は流れる様な動作で手錠を沙紗の右手に掛けると、思い切り首元から引き離した。沙紗は小さく悲鳴を上げながらも、負けじと左手を素早く動かす。
 ――左手で発動させる気かっ!
 咄嗟に由縁がその左腕を掴んで止めようとした、刹那。
 由縁の顔面がばちりと乾いた悲鳴を上げた。
 それは沙紗の能力ではなかった。ただ、沙紗が余った左手を首に当てるのでなく由縁を殴り飛ばすのに使ったのだ。由縁は予期せぬ攻撃に反応できず、よろけながら後退した。しかしいくら不意を突かれたといっても、十二〜三歳の少女の拳だ。ダメージはそれ程多くない。
「もう、容赦しません」
 静かに沙紗の声だけが響く。慌てて由縁は体勢を立て直す。
「弾けろっ!」
 刹那に弾け飛んだのは、由縁の足元に広がる地面だった。小さめの地雷が炸裂したかの様に足元が砕け、由縁は微かに宙に舞った。しかし――由縁は思わず笑みを零していた。
 ――戦いがこんなに興奮するものだなんて、知らなかった!
「お前の力、人には当てられないんだなっ!」
 そう叫ぶと、由縁は着地と同時に地面に右手を付いた。途端、足元に広がる地面の内、直径約十メートル深さ約二メートルの土が消滅した。それを確認すると、由縁は静かに左手を沙紗に向けた。
「これで俺は、いつでもお前に巨大な地面の塊を放る事が出来る。これだけの量だ。直撃したら死ぬぞ」
 由縁は爆発の衝撃と吹き飛んだ地面の影響で、全身至るところに傷を負っていた。それでも勝利を目前にした興奮から、まるで痛みを感じていない様子だった。そんな、興奮しきりの由縁を沙紗は無言で見つめていた。
「なにしてんだ? 早く逃げたらどうだよ!?」
 左手をずい、と突き出し由縁が叫ぶ。すると、沙紗は寂しそうに目を伏せ、嗚咽まじりの声で小さく、小さく呟いた。
「……良かった……あなたは、きっと、きっと、適してますよ。これから始まる試練に…………ごめんなさい。――弾けろっ」
「えっ」
 刹那、由縁の右足が小さく弾けた。肉が裏返り、不意に露わになった白骨を夢中で見つめながら由縁は気絶し、その場に崩れ落ちた。
「……なるべく無傷で、連れて行きたかった……これから……嫌でも傷だらけになるから……ごめんなさい」
 沙紗は深々と頭を下げると、由縁の手に手錠をしっかりと嵌めなおし、小さく封印の言葉を唱えた。
 月光が、静かに由縁の足から広がる血の泉を照らしたてていた。



――璃珠(りしゅ)――
 地獄の炎が全てを飲み込んでいた。それは大蛇の様にうねり、獅子の様に唸り、全てを食らい尽くす。堅固な高層ビルの群れも、多くの人々が忙しなく行き来する大通りも、近代国家としての日本の力を誇示する様に聳え立つ、東京タワーさえも。全てを燃やし尽くし灰の地に平伏させるその時まで、炎はその手を決して緩めない。
 愛らしかった、妹が飲まれる。
 優しかった、両親が滅び行くビルの足蹴にされる。
 なぜ、俺だけ生きている。
 なぜ、俺だけを炎は食らわない。
 なぜ、俺にだけ「生」と言う枷を与える。
 なぜ――。
 絶叫と共に由縁は跳ね起きると、悪夢を振り払う様に、激しく頭を左右に振り乱した。
「また、夢だ……畜生、分かってるのに……」
 忌々しげに由縁は呟き、頭を掻き毟った。その瞬間、由縁は両手首に違和感を覚えた。それでも由縁は数分間、頭を掻き毟り続けると、息を切らせながら漸く落ち着き、徐に違和感のある両手首を見つめた。
「……これは……手錠?」
 そこには白銀に輝く手錠の姿があった。それは紛れもなく沙紗が用いていた物だった。それに気付き、由縁は慌てて辺りを見回した。
 辺りは、由縁にとってまるで見覚えの無い場所だった。そこは小さなアパートの一室の様な造りで外へと繋がる扉の他、小さなキッチンやトイレに繋がる扉も見え、冷蔵庫や家具類など生活に最低限必要なものは全て揃っていた。しかし、白塗りの壁や真新しい家具にはまるで生活感が感じられなかった。窓の外を見ると、まるで都内の様に超高層のビルが立ち並び、由縁の居る一室も十数階に相当する場所に立てられている事が窓の下に広がる四車線の道路を見下ろす事で分かった。道路もまだ光沢のある新しいもので、その上を走る車の姿は一台も無かった。そして立ち並ぶ無数のビルの中にも人の姿は無く、それでいて建築物は真新しいものばかりだった。
「なんなんだ、ここは……」
 由縁が狼狽しながら今まで、眠っていたベッドから立ち上がると不意にキッチンの奥にある白塗りの無機質な扉が開かれ、一人の男が姿を現した。思わず由縁は緊張し、身構える。
「んあ……起きたか」
 その男はまだ幼く、どう見ても小学生程度だった。しかし小柄で華奢な体躯に、漆黒の髪は逆立てられ、瞳は鋭利な輝きを放っていた。更に服装は大人びた真っ黒のスーツで、雰囲気は小学生離れしている様に感じた。
「お前っ、あの女の仲間か!?」
 その異様な雰囲気の少年を見た途端、由縁の脳裏には、物でも人でも破裂させられる力を持つ少女――沙紗の姿が浮かんでいた。
「馬鹿すけ、よく見ろ」
 少年は、由縁のその言葉をあらかじめ予測していたかの様に、即座にそう答えると両手を前に出した。そこには由縁と同じ白銀の手錠が掛けられていた。
「っ……お前も……無理矢理、連れてこられたのか? あの女に?」
 一気に緊張感を失った由縁は崩れ落ちる様にベッドに腰掛けながら、少年に尋ねた。
「お前じゃなくて、璃珠(りしゅ)な。……俺の時はむさいオッサンだったけどな。拉致られたのは確かだな。俺は一ヶ月前くらい前にだけど」
 璃珠と名乗った少年は、そう言うと手首に嵌められた手錠をじゃらじゃらと鳴らしながら由縁の座るベッドとは対面の壁に凭れ掛った。その姿勢はどこか強きで、脳内で蘇る沙紗の姿とは対照的だった。
「……どうやら、友達に紹介したいってのは嘘みたいだな」
 ふと、沙紗の誘い文句を思い出し由縁が呟いた。
「ん? 何だって?」
 ぴくり、と璃珠と名乗った少年の柳眉が跳ねる。
「いや……こっちの話だ。それより、ここは何処なんだ?」
 由縁が尋ねると璃珠は皮肉な笑みを浮かべ、小さく肩を竦めた。
「さぁな。俺はほぼ一ヶ月間ここに放置されっぱなしなんだ。別に監禁されてる訳じゃあないし、どういう訳か町で飯も食える。住民は居ないけどな」
「なんだと? …………それなら、なんでお前は逃げないんだ?」
 途端、璃珠は怒気を含んだ目で由縁を睨んだ。
「逃げられないんだよ。ここは、完全な孤島なんだ」
 すると璃珠は窓を乱暴に開き、唐突に吹き込んだ風に乱髪を躍らせながら高層ビルの立ち並ぶ町を睨んだ。
「俺はこの一ヶ月、隈なくここらを調べた。そして、分かった。この島に居るのは俺とお前と、もう一人の拉致られて来た女の三人だけ。船の行き来は無く、連絡手段も無い。それなのに、町は新品そのもので、食い物にも困らない。そして……」
 璃珠はそこで一端、言葉を切ると由縁を真っ直ぐに睨んだ。
「ここに拉致られて来た俺等三人は、みんな【禁忌法】が使えて、これから生きる為に戦わなくちゃならない」
 鋭い口調でそう告げると、璃珠は徐に一通の手紙を差し出した。
「これは、俺がここで目を覚ましたとき、近くにおいてあったモンだ」
 由縁は困惑しながら、その手紙を手に取った。手紙は皺くちゃで何度も読み返された後があった。
 ――何度も読み返したのか。そんなに、信じられない内容なのか? あの、沙紗が書いた手紙なのか?
 そんな事を考えながら、由縁は手紙を開いた。そこに並ぶ字は丁寧だが筆圧が濃く、明らかに男性の字だった。
 ――おはよう。【冒涜者】君。ああ、【冒涜者】と言うのは君の様に【禁忌法】を使える者の総称だよ。古い言葉でね、気にはしないでくれ。さて、君をここまで連れてきたのは他でも無い。君の【禁忌法】を鍛える為さ。私達は訳あって【禁忌法】の終極形態を操れる者を必要としているのでね。その為、君が目覚めてから一ヵ月後にその手錠が外れ、それを合図に強化訓練を始めさせてもらう。内容は簡単だ。――その島に押し寄せる全ての敵を殺しなさい。以上。尚、敵は君を本気で殺す気だ。応戦しなければ、死ぬのは君だ。精々、頑張ってくれたまえ。それと、もしかしたら君の仲間が運ばれてくるかも知れない。その時は、その仲間達にこの事を伝えておいてくれ。では――。
「ふ……ふざけるなっ!」
 思わず由縁は絶叫し、経った今読み終えた手紙を床に叩きつけた。そうせずには居られなかったのだ。璃珠はそんな由縁を冷静に見つめていた。
「ま、当然の反応だね」
 璃珠の冷静さが、由縁の神経を余計に逆撫でした。
「こんなふざけた事があってたまるかっ! 勝手に連れてこられた挙句、命がけの訓練だと!? 馬鹿げてる!」
 由縁は怒号を巻き上げ、ベッドに拳を叩きつけた。それから何か、この状況を否定する為の材料を求めるかの様に部屋を右往左往しだす。璃珠はそんな由縁を見て浅い溜息を漏らすと、ぽりぽりと頭を掻いた。
「分かってるよ。馬鹿げてる。……けど、事実っぽいんだ、これ。町は市街戦の演習舞台っぽいし、そこらに武器も保管されてる。……後、一日で訓練が始まっちまうんだよ。だから、動揺すんのはそれ位にして、俺と作戦を……」
「ふざけんなっ! こんな事、認められるかっ! 俺は帰る!」
 由縁の言葉に、璃珠は盛大に舌打ちした。そして乱暴に由縁の肩を引っ掴み、有無も言わず自分の方を向かせた。由縁はその予想以上の怪力に硬直させた様に体の動きを止め、驚きと困惑の目で由縁を見下ろした。璃珠の目は殺気さえ立ち上っていた。
「無理だって言ってんだろ、馬鹿すけ! そんな事できたら、俺が真っ先にしてるってんだ! それが無理だから、生き残る方法を考えようって言ってんじゃねぇかっ!」
 それは明らかに小学生の域を超えた、殺気溢れる言葉だった。思わず由縁はたじろぎ、絶句した。しかし次の瞬間にはその殺気が綺麗に消え去り、肩を握る力も、か弱い少年のものになっていた。由縁はそれをいぶかしんで璃珠の顔を覗き込んだ。
「……お前まで、取り乱さないでくれよ。頼むから」
 そこにはさっきとは一変して、泣き出しそうな表情を浮かべる璃珠の姿があった。その起伏の激しさと言うか、極端さに由縁はたじろぐしか無かった。
 ――くそっ。子供の泣く姿は苦手なのに……。
 心の中で悪態をつきながら、由縁はなるべく口調を和らげて璃珠に尋ねた。
「……『お前まで』? そう言えばさっき……」
 由縁の平常を取り戻した様な口調に安心したのか、璃珠は涙をごしごしと乱暴に拭い去ると、元通りの小生意気な口調で答えた。
「話しただろ? この島には三人しか居ないって。俺とお前以外にもう一人、居るんだよ。麻生・結奈(あそう・ゆな)って言ったかな……一週間くらい前に来て、俺が手紙を見せて以来、泣くか寝るか食うかしかしてねぇんだ」
「……そうか。そうだろうな……」
 その話は、不思議と由縁の心を落ち着かせた。逃げられないと悟り、ただ単に絶望を覚えたのかも知れない。そんな状況に自分よりも幼い璃珠が一ヶ月も耐えていると言う事実にこれ以上狼狽する事は恥だと思ったのかもしれない。
 由縁の心にはやり場を失った怒りだけが依然、渦巻いていた。
「ふざけた話だ……」
 忌々しげに呟くと、由縁はベッドから立ち、部屋の出口に向かった。その背を璃珠が不安げに見つめる。お前も現実から逃げて、俺を一人にするのか? 璃珠の視線に、由縁はなんとなくそんな思いを感じた。そして考えた挙句、なるべく物臭げな口調で振り返らずに言った。
「俺は三上・由縁だ。……璃珠、この町を案内してくれないか? 俺も、このままじゃ信じきれない」
 由縁の言葉に、璃珠は一変して表情を明るくした。そして駆け足で由縁の横まで並び、嬉しそうに由縁を見上げた。
「ん。由縁、な。案内は任せろよ」
 璃珠の精一杯の笑顔に由縁は苦笑を返すと、二人は町へと歩みだした。気にもしてはいなかったが、由縁の右足は何事も無かったかの様に通常通りに機能していた。由縁自身も、そこは沙紗に粉砕された場所なのだ、などと思い出す事も無かった。
 空に輝く太陽は、明らかに冬のものでは無かった。まるで亜熱帯にいるかの様に猛烈で厳しい日差しが、コンクリートの大地に照り返され灼熱地獄を作り出していた。それでもビル群は涼しげに立ち尽くし、微動だにしない。町中を沈黙が包み込み、太陽だけが延々とそれを燻すのに傾倒していた。
「……少なくとも、日本ではなさそうだ……」
 呟く由縁の姿は、高層ビルの陰にあった。元々、体力の無い由縁は璃珠の案内で町を歩き始めたはいいが、ものの五分でばててしまっていた。日陰で冷えたコンクリートにぺたりと腰を下ろして休む由縁を璃珠は見下ろした。しかし由縁は軽く俯いたまま、璃珠になんの反応も示さない。
「おいおい、由縁……」
 そのばてっぷりには璃珠も落胆の色を隠せなかった。
「……そう落胆するな。これでも……便利な力を持ってる」
 由縁がそう呟いた途端、璃珠はぱん、と両手を叩き表情を明るくした。
「ん、そうだった! お前もなんだった! どんな力なんだ?」
 璃珠の笑顔につられ由縁は微笑しながら足元の小石を一つ、拾い上げた。
 ――思えば、この力を使ってるのを見せて、人が喜ぶのは滅多に見た事が無いな。昨日の沙紗の時もだったが、割と人に喜ばれるの悪くは……。
 それ程、意識もせずに心の中で『消えろ』と命じる。刹那、小石は消える――筈だった。
「なにっ?」
 小石は由縁の掌で不動のままだった。子供の時から使い続けてきた力の不発に由縁は同様を隠せなかった。狼狽しながら、もう一度、今度は鮮明に「消えろ」と強く命じる。しかし、小石は不動を貫いていた。由縁は困惑して、璃珠を見上げた。するとそこには、ほとほと呆れ顔を浮べた少年の姿があった。
「馬鹿すけ。何のため手錠だよ? その手錠、呪文が掛かってて俺等の力を殺しちまうんだ」
 手錠の端に描かれた幾何学模様を指差しながら璃珠が言った。
「ああ……それもそうか。力によっちゃ、この島から出られるかも知れないからな……」
 冷静を装いながら、由縁は赤面した顔を俯く事で必死に隠した。内心では火が出る恥ずかしさだった。
「そういう事。で? 由縁の力って? 口で説明できる範囲で良いからさ」
 しかしその事を璃珠はそれ程、突っ込んでこなかったのだ、由縁は若干ほっとしながら返す言葉を探した。その度に沙紗の顔が浮かび、心がもやもやとする。
「ああ……【空歪の禁忌】って言ってたかな……右手で物を消して、左手からそれを出せる力だ」
 璃珠は由縁の説明に感心した様に大きく頷いた。
「へぇ〜……なんか、俺のより数段便利そうだな……。そうだ、俺のは【隔操(かくそう)の禁忌】って言うんだ。俺を中心に半径十メートル以内に収まる物を一つだけ、手で触れないでも操る事が出来る。古典的な超能力みたいだけどな」
 そして璃珠はからっとした笑みを見せた。
「ああ……世の中には、俺以外に力を持った奴が、沢山いるんだな」
 そんな璃珠を流し見ながら、由縁はふと思ったそんな事を口に出した。
 ――昨日まで、こんな特異なのは俺だけだと思ってたのに……沙紗が現れて、この璃珠と会って……まるで俺の生きる世界が様変わりしちまったな。まるで、今まで生きてきた世界が嘘の様だ。こんな奴らと立て続けに会うなんて……こんな、事態に巻き込まれちまうなんて……。
「なぁ、由縁」
 不意に話しかけられ、由縁は考えるのを中断して璃珠を見た。
「なんとかなりそうな気がしてきた」
 笑って言う璃珠の目には、隠しきれない量の涙がたまっていた。
「俺、絶対に生きなきゃならなんだ。だから、お前と会えて嬉しいよ」
 璃珠のあまりに真っ直ぐな言葉に、由縁は動揺した。
 ――絶対に生きなきゃならなんだ。生への強い執着を見せた璃珠の一言は、由縁にある感情を沸き立たせてしまっていた。
 ――そうだ……俺は、こいつとは違って、死んでも構わないんだ……もう、五年も前に俺の人生は終わったんだから……ここに来て、混乱しながら本能的に生きる術を探そうとしてたが……よくよく考えれば、それも不要な事なんだ。俺はここで死んでも……いや、いっそここが死場に相応しいのかも知れない……。
 一度湧き上がると、由縁の思いは際限無く広がった。
 ――それに、俺は一人で生きると決めたんだ。それを、なんでこんな所で馴れ合いなどしてるんだ? ……全ては無駄な事なんだ。俺は、孤独に朽ち果てるべきなんだ。
「…………」
 何時の間にか、由縁の内外には長旅ですっかり染み込んだ陰鬱な雰囲気が再生し、溢れ出していた。
「ど、どうした? 由縁。仏頂面で黙り込んでよ。……俺が柄にも無い事言ったから、不気味がってんのか?」
 ――もう、ここまでだ。俺は一人で生きると決めた。
 不安げに尋ねる璃珠の顔を見ずに、由縁は無言で立ち上がった。
「おいってばっ。何か言えっ! 恥ずかしいだろうがっ」
 由縁はそんな璃珠に背を向けると、ゆっくりと口を開いた。
「俺は――」
 お前と一緒には居られない。お別れだ。
 由縁がそう言おうとした、刹那だった。
「いやあああああああっ!」
 かん高い悲鳴と共に、不意にビルの角から栗色の髪をした女性が飛び出して来て、由縁と璃珠に襲い掛かってきたのだった。その手には白銀の手錠が輝いていた。



 
 私の名前は麻生・結奈。今年で二十歳を迎える大学生。高校を卒業した時、周りの友達と一緒に髪を栗色に染めて、人並みにお洒落をして、彼氏も作って……そうして、私は平穏に馴染んでいた。求め続けていた平穏の日々を満喫していた。――気弱な少女という皮を被った悪魔に、連れ去られるその時までは。その子は『沙紗』と名乗っていた。服装は常人離れしたものがあったけど外観はどう見ても小学生だった。しかし、どこか大人びた雰囲気を漂わせていて、それなのに口下手で、とても一言では言い表せない子だった。そんな子、沙紗に私の平穏はいとも容易く砕かれた。沙紗は友達と一緒に居た私に、挨拶代わりとでも言いたげに気色の悪い力を発して挑発してきたの。それに驚いた私は……思わず、力を使ってしまった。平穏を失うきっかけになった最悪の、忘れたはずの力で私は沙紗に反撃してしまったの。力を発動させた私の姿を目の当たりにした友達は怯えて、震えながら逃げてしまった。私はそれが悲しくて、悔しくて、憎くて、それ以上、沙紗の話を聞く気もせず、あの子を殺そうと決めた。そして、私は沙紗に戦いを挑んだ。けど――それは、戦いなんてモノじゃなかった。私は何時の間にか足の肉を剥かれて、それでも抵抗すると足を切断された。けど、私は怒り狂っていて、力でその傷を無理矢理、補って沙紗に挑み続けた。その度に――私の足や腕が一本ずつ飛ばされて、涙を流し続ける沙紗の姿が段々と遠のいて見えた。これで、死ぬのだと思った。悔しかったけど、憎かったけど、私はそれ以上、抗う事も出来ず遂に意識を失った。これで終わったなら――良かった、と今はひしひしと痛感している。気付くとそこは無人の町で、私の四肢は何事も無かったかの様にくっ付いていた。そして、小学生に見える、そのせいか何処か沙紗を連想させる璃珠と言う子が私を迎えに来て、絶望的な話を私にしたの。私は平穏な生活が送りたいだけなのに。私は力なんて探求したく無いのに。私は――死にたくないのに! 心の中で強くそう思うと、途端にふわふわとしたものに私は包まれた。それはまるで力を発動させている時の様に狂乱的で恐怖と強大な力を同時に得た様だった。だから、私は泣き続け、食べ続け、頭の中で何度も自分以外の敵の全てを薙ぎ払う想像を巡らせながら眠った。そう――私は、絶対に平穏な生活を取り戻してみせる。その為に、私はもう一度だけ、力に溺れるんだ!
「いやあああああああっ!」
 かん高い悲鳴と共に、不意にビルの角から姿を現した栗色の髪の女性は、一心不乱に由縁と璃珠に肉薄した。
「おい、待てっ」
 その尋常じゃない様子に由縁が必死に声を掛け宥めようと試みる。しかし、栗色の髪の女性は一切の言葉が聞こえないかの様に無反応で、そのまま由縁に目の前まで迫ると細いその指を戸惑いも無く由縁の首に絡めたのだった。あまりに突然の事で、由縁はなんの対処も出来なかった。
「ぐ、おっ、おい……っ!」
 由縁の白い首がぎりぎりと唸りを上げる。栗色の髪の女性は由縁の言葉に一切耳を貸さず、狂気的な目で由縁を睨み続け、首に絡める指に更なる力を込めた。その力はとても尋常では無かった。
 ――っ……こいつ、正気じゃないっ!
 由縁は必死に女性の手首を掴んだ。途端にがしゃり、と金属の擦れる音が響く。
 ――手錠っ……こいつ、力も使わないでこんなっ……。
 女性のか細い手は、由縁がどんなに乱暴に引き離そうとしても、微塵も離れる気配を見せなかった。
「あはははっ! 私の『力』が、素手なんかで破れる訳ないじゃないっ!」
 女性は狂った笑い声を上げると、そう叫んだ。しかし、実際は力など発動してはいなかった。女性はただ、自分だけは手錠が付いた状態でも力を使えるのだと思い込んでいるだけなのだ。それでも、女性は強靭な力を発し続けていた。思い込みだけで。
「ぐっ……や……」
 ――やばい……力が……。
 女性の手首を必死に掴んでいた由縁の両手が、意識に反してだらりと下がった。
 ――意識が……。
 重くなった目蓋までもが由縁の意識に反して伏せられようとした、その時だった。
「お前の力は発動なんてしちゃいないぞ、麻生」
 落ち着き払った璃珠の声が響いた。
 ばちり、と苛烈な音を上げ、女性の手が由縁の首から弾かれる様に外れたのは刹那の出来事だった。由縁が意識を取り戻すと、目の前には小刻みなステップを繰り返しながら女性と対峙する璃珠の後ろ姿があった。
「げほっ、げほ……璃珠……」
「しっかりしろよ。女に手篭めにされやがって」
 その言葉に咳き込みながら苦笑しか返せない由縁を流し見ると、璃珠は一変した鋭い眼光で麻生を睨んだ。一方の麻生は自身の手が生身の、しかも子供にしか見えない璃珠に弾かれた事に多大な動揺を隠せずにいた。
「そ、そんな……私の力……」
 麻生は自身の両手を震えながら睨み、呼吸を荒くしていた。
「落ち着けよ、麻生。訓練はまだだ。お前の力も俺の力もこの手錠が付いてる内は使えやしねぇよ」
 璃珠のその言葉に麻生ははっとした様子で顔を上げた。
「嘘っ、その男は私達を殺しに来たのっ! 璃珠ちゃんも危ないわっ!」
 麻生は酷く錯乱した様子で、今にも再び由縁に襲い掛かりそうだった。璃珠はそんな麻生を睨み、盛大な舌打ちと共に頭を掻き毟った。
「ああっ……馬鹿すけ。大概にしないと、本気で怒るぞ。こいつは由縁。俺等と同じでここに拉致られて来たんだ」
 子供らしからぬ腹にずん、と響く声が璃珠の口から発せられる。
「璃珠ちゃん、その男の味方をするのっ!?」
「こいつのが、お前よかよっぽど正常だからな」
 即答すると、璃珠はぴりぴりと殺気立った雰囲気で麻生ににじり寄った。思わず麻生が後退する。
「酷い、酷いわ、璃珠ちゃん……っ!」
 麻生のその言葉に璃珠は顔を顰めた。鎖で繋がれた二つの拳に力が籠もる。
「今まで泣き入ってた奴が何言ってやがる……消えろ、麻生!」
 璃珠が途端に声を荒げると、麻生は震え上がり意味不明の言葉をちらほらと漏らしながら、走り去って行ったのだった。
 ――璃珠……お前、何者なんだ……?
 一連の事を璃珠の背後でしゃがみ込み、痣の残る首を摩りながら見つめていた由縁は、麻生がビルとビルの合間に逃げ込むのを確認すると真っ先にそう思った。
 会った時から、何処と無く異質な感じはしたが……璃珠は、少なくとも一般人では無いんじゃないだろうか? こんな状況だ……普通なら、俺や、今の麻生の様に動揺や錯乱を起こすだろう。なのに、こいつは外的にも内的にも強すぎる。とても子供には見えない。それにこいつは俺の動揺を鎮めたり、発狂した麻生を追い返したり、他人の事もかなり気遣える……ひょっとしたら、こいつ、とんでもなく凄い奴なんじゃないのか……?
 そう考えると、由縁の璃珠に対する見方が何処と無く変わった。それを璃珠も即座に察したのか、璃珠は顔を顰めながら由縁の前にしゃがみ込むと、真っ直ぐに由縁の目を見つめ、やがて口を開いた。
「俺は璃珠。十二歳だ。……昔から格闘技を習ってるし、教育も人一倍強烈なのを受けてきた。……そういう家系なんだよ。だから、いい大人がビビんな、ほれ」
 そう言うと、璃珠は悪戯っぽい笑みを浮かべ由縁に両手を差し出した。本当は片手を爽やかに差し出したかったのだろうが、手錠があってはどうにも格好を付けられなかった。そんな光景に由縁は苦笑しながら、若干、躊躇いながらも璃珠の両手を取って立ち上がった。
 ――少なくとも、近寄り難い存在では無いのは、確かだな。
 そう思うと、由縁は自然と口を開いた。
「いい大人じゃあ無い。俺はまだ十八だ」
「はぁ? …………っく。由縁。お前、ふけ――」
「それ以上言ったら発狂するぞ、この野朗」
「ははっ、笑えねぇ」
 屈託の無い笑みでそう言うと、璃珠は由縁の手を掴んだまま、すっと由縁を見上げた。
「……由縁、俺と一緒に戦ってくれるよな?」
 その言葉に、由縁ははっとした。
 ――……しまった、俺は、またこんな所で馴れ合いを……一人で生き、朽ちると決めたじゃないか……。
 思わず璃珠の手を離そうとした由縁だったが、ふと手に意識を寄せると璃珠の手の汗ばみや温かさを感じ、思わず動きを止めた。
 ――そう言えば、こんな風に人とまともに触れ合うの、何年ぶりだろうな……。
 そう思うと、由縁は微笑を浮かべながら璃珠の小さな手を撫で回していた。即座に璃珠が粟立ち、由縁の手を弾き飛ばした。
「うあっ!? 気色悪いな、馬鹿すけっ! お、お前、そっち系か!?」
 その言葉に由縁は面白くなって、目を輝かせた。
 ――そうだ。俺は死んでも構わないが、こいつ、璃珠は生きたいんだったな。なら、俺はこいつの楯にでもなってやろう。人の役にたって死ぬんなら、悪くない。
 そうして、由縁は自身の中で弁明を繰り返し、また『生』を選ぶのだった。ただ、無意識の内に自身が生の道を歩んでいる事を由縁自身は気付いてはいなかった。
「チェリーボーイ。お兄さんが大人のレクチャーをして上げよう」
 本当に久しぶりに、由縁は馬鹿な事を口にした。
「ぎゃあああっ、キモいっ! 発狂したか、老け顔!」
「あ、言ったなこの野朗」
 由縁は淀んだ笑みを浮かべ、指をさわさわと忙しなく動かしながら璃珠に迫った。
「うわーっ、セクハラッ! 寄るなぁ!」
「子供の泣き声は最高のご馳走さ――ぐえっ」
 途端、由縁の体は、くの字に折れ曲がっていた。電光石火の勢いで璃珠が由縁の腹に頭突きをかましたのだ。思わぬ反撃に由縁は腹ばいになって倒れこんだ。
「調子に乗るな、馬鹿すけっ!」
 そんな由縁の首根っこを背後から引っ掴みながら、璃珠が叫ぶ。かなりご立腹の様子だ。
「お、おい。冗談だ、璃珠――」
 青ざめる由縁の言葉も、今はもう璃珠には届かない。
「く、た、ば、れ、変態ぃぃっ!」
 璃珠は馬乗りになると、由縁の首を思い切り持ち上げた。乾いた骨の音だけが、由縁が上げる事も叶わなかった悲鳴の代弁をしていた。

 そこは燦然と輝く巨大なシャンデリアを中央に構えた、豪華なバーの様な場所だった。シャンデリアの真下にはカウンターがあり、それをぐるりと取り囲む様に飴色の木目が美しい円形のカウンター席が設けられていた。後方にはテーブル席が広めの間隔で置かれており、奥には半円形のステージもあり、その上には簡単なドラムセットとマイク、アンプ類だけが鎮座していた。壁の殆どはガラス張りになっており、外の眩い青空と地平線まで続く穏やかな海が一望出来た。
「……すごく、素敵な会議場所ですね」
 そんな部屋を神妙な面持ちで見回しながら、沙紗はカウンター席の一つにちょこんと腰掛けた。沙紗のキャミソールに茜色の着物をコートの様にして着ると言う格好は、この部屋でも勿論、滑稽に見えた。
「私は身辺のモノには金を惜しまないのでね」
 そう答えたのはシルクハットを目深に被った男だった。年齢は六十歳前後くらいだろう。シルクハットの下からは大きめの鼻と白髪が多くを占める口髭が覗け、黒のモーニングコートに包まれた体躯は歳の割に引き締まっており、背筋も真っ直ぐに伸びていた。
 沙紗はそんな男を微かに流し見ると、ガラス越しに覗ける青海を見つめた。
 海は静かに靡き、青天に映えているが、それを見つめる沙紗の顔は明らかに曇っていた。それを見て、思わずシルクハットの男が口を開いた。
「沙紗。あの三人が不安かね? 二人は君が送り込んだのだろうに」
 男の言葉に、沙紗はきゅっと唇を噛んだ。
「はい……ですけど……力の説明もしないで、いきなりこんな試験だなんて……」
 泣き出しそうな沙紗の声を聞き、シルクハットの男は一瞬驚いた後で、柔和な笑みを浮かべ沙紗の背を撫でだした。沙紗はそれを感じると寂しげな微笑を浮かべ、そっとシルクハットの男に寄り掛かった。それからシルクハットの男が沙紗の耳元で小さく何かを呟こうとした――刹那。
「ここで死ぬ程度なら、説明も何も無駄だっての。どうせ最後まで残れやぁしねぇよ」
 唐突に響いたその声はカウンターからで、咄嗟に沙紗はシルクハットの男から体を離すと、カウンターを睨んだ。
「よぉ。お姫様?」
 そこにはワインをラッパ飲みする巨大な男の姿があった。
 男は二十代前半で、体は締まってこそいるが見た目は細身だった。銀色の髪は逆立てられ、襟足だけが背の中ほどまで波打ちながら伸び、色白の肌に瞳は鮮やかな青色をしていた。
「……ウィクセルさん。なんですか? 会議の時間にはまだ早いですけど」
 沙紗はその男をウィクセルさん、とそう呼ぶと露骨に侮蔑的な視線を男に向けた。それを分かっていて、ウィクセルは豪快な笑みを返す。
「へっ、お姫様は冷たいねぇ。そろそろ試験が始まるからって、わざわざ報せに来てやったのに」
 ウィクセルはひょいとカウンターを跳び越すと、空になったワインの瓶を床に叩きつけながら、沙紗の肩に大きなその手を置いた。そうして見ると、二人の身長差は瞭然だった。沙紗の頭はウィクセルの腹の辺りにあったのだ。
「? ……まさかっ! 隊長は、今回の試験に貴方のサンプルを!?」
 珍しく動揺を露にした沙紗を見て、ウィクセルは満足げに笑った。
「当たりだぜぇ、お姫様。力は三割程度だが……俺の使える三種の【禁忌法】は全部、コピらせた。あいつら、全員ここで死ぬだろうなぁ。へへっ」
「っ、そんなっ! そんな試験、正気とは思えないですっ! 中段の人間からサンプルを取るなんてっ……無茶ですっ……」
 沙紗は目から溢れ出そうな涙を必死に堪えながら、ぎゅっと裾を握り締めた。
 ――泣いちゃ駄目っ。絶対、諦めたら駄目っ。このままじゃ……『あの人』が……なんとか、なんとかしなくちゃ……。
「ま、お姫様。……出過ぎない事だな。なに企んでるか知らねぇけど、いらねぇ人材までわざわざ集めて来んじゃねぇよ」
 ウィクセルは鋭く、殺気立った調子でそう囁くと、ひらひらと手を振りながら沙紗に背を向けた。沙紗はその背を睨みながら必死に色々な事を考えた。どうすれば、試験の敵である【冒涜者】のサンプル体を弱体なモノに出来るのか。どうすれば、三人を生かす事が出来るのか。そう、その為には――。
 沙紗はごくりと息を飲んだ。
「……中段程度のくせに……」
 沙紗の掠れる程の呟きに、ウィクセルは過敏に反応した。
「――何だと? 沙紗」
 ウィクセルは一変して笑みを殺し、右腕の袖を捲り上げながら踵を返した。露わになった右腕には黒、赤、白の三色の色で刻まれた文字の羅列が躍っていた。それを見て、沙紗は思わずごくり、と息を飲んだ。それでも、こうなればもう、引く訳にはいなかい。
 ――そう……ここでウィクセルさんを倒して、サンプルとの能力連動を弱めれば、まだ……。
 沙紗は思い切り息を吸い込み、自らウィクセルに歩み寄った。
「中段程度のくせに、誰に指図をしてるんですか? 自惚れも大概にして下さい」
 沙紗の言葉を受け、ウィクセルの額に次々と青筋が浮かぶ。
「てめえっ……! 容赦しねぇぞ!?」
 ――ウィクセルさんはなかなか上段に上がれない事に、人一倍のコンプレックスを抱いてる。そうやって苛立って、戦う気にさえなってくれれば……。
 沙紗は震える手も、潤んだ瞳も押し隠し、ウィクセルに凄んだ。
「上等です。貴方は弱いくせに偉そうで……前々から大嫌いだったんです」
 気丈に言い放ち、沙紗は自身の首筋に手を伸ばした。それを見たウィクセルも、獰猛な笑みと共に、自身の右腕を左手で乱暴に掴んだ。
「面白ぇっ! ばらばらになっても、何度でも貼っ付けてやるからよぉっ!」
 辺りに、重厚な空気が流れ絡み合い、破裂する様に広がった。重い沈黙の中で獰猛な空気だけが渦巻き、二人は一滴のと汗を流した。興奮と緊張で互いに息が上がる。長い沈黙はどちらにとっても毒だった。それを悟ったかの様に――空気を引き裂き、沙紗とウィクセルが同時に絶叫を上げた。
「弾けろっ!」「弾けろっ!」
 刹那、カウンターのワインセラーに並ぶ酒瓶が次々と弾け飛び、粉砕されたシャンデリアの残骸が二人の開戦を告げる様に、轟音と共に落下した。飛び散る破片が日に照らされて燦然と輝き、砕け散った酒瓶から溢れ出る何リットルもの酒が滝となって床に広がった。そんな光景を遮る様に、沙紗とウィクセルは疾走し、交錯した。刹那に烈風が奔り、辺りを覆うガラスの全てが弾け飛び、平穏だった海に波が生じる。
 途端に戦場と化したその場所で、シルクハットの男は一人、グラスを片手にカウンター席に腰掛け、虚しそうに二人を見つめ続けた。
「……沙紗。君は結局、戦いの道を選んでしまうのだね」
 シルクハットの男の持つグラスがかたかたと震え、やがて弾け飛んだ。その破片は、シルクハットの男に突き刺さる直前で、一つ残らず消滅した。




「ん、つぅ…………はぁ……」
 小さな呻き声と共に、由縁は板チョコに食らい付いた。冷え切った板チョコは中々噛み切れず、由縁は顔を顰めながら奥歯で何とか砕くと、やっとの思いで板チョコの欠片を飲み込み、疲れた様子で溜息を漏らした。
「なんだよ、由縁。お前、胃袋まで弱ってんのか?」
 小生意気な口調でそう尋ねる璃珠は、卓上で胡坐を掻き脂ぎったポテトチップスを素手で次々と口内へ放り込んでいた。
「馬鹿言え。食おうとする度に、首と背が悲鳴を上げるんだ。誰のせいだと思う?」
「どっかの老け顔変態男のせいだろ」
「お前と麻生のせいだっ。主にお前っ」
 璃珠を指差して言うと、由縁は板チョコをくわえたまま近くにあったソファにどかりと腰掛けた。
「俺がメインかよっ! ってか、そもそも由縁が軟弱過ぎんだよ! 女子供にいい様にされて、悔しくないのか?」
 答えて、璃珠は空になったポテトチップスの袋を卓上に置いて、自身はひょいとテーブルから飛び降りた。卓上には菓子類の空き箱で山が出来ていた。由縁は、璃珠に不満げな表情だけ返すと、その山に食いかけの板チョコも放り込んだ。
 二人は今、ビル群から僅かに外れた所にある巨大なスーパーの様な建物の中に居た。そこには雑貨類からスポーツ用品、食料品までが無人の中で恐ろしい程、丁寧に取り揃えされ陳列されていた。そこで二人は、真っ先に『おかしうりば』の札が下げられた食料品店の一コーナーに直行し、両腕に一杯の菓子を抱え込むと家具売り場でそれを広げ始めたのだった。
「それにしても、こんだけの品を置きっぱなしにしといて、補充とか整備とかはどうしてんのかね?」
 璃珠は食い散らかした菓子の残骸には目もくれず、塩の付いた指先をぺろりと舐め上げながら、マッサージ・チェアに飛び乗った。
「……全くだ。本当は誰かが夜な夜な出入りしてるんじゃないのか?」
 答えると、由縁はわざとらしくブーツをソファに乗せた。今まで歩いた所は殆どコンクリートかフロアリングの床だったので、意図と反して、さほどソファは汚れなかった。
 二人の居る家具売り場は建物の二階にあり、上にはあと三階もあった。それにも関わらず、上下に挟まれた階だとは思えないほど天井は高く、近い間隔で照明も吊るされており、室内はかなり明るかった。辺りには思わず体を揺すりたくなるような流麗なジャズの曲が流され、木材家具特有の香りが二人を包み込んでいた。
「こうしてると極楽なんだけどねぇ〜。散らかしても誰にも怒られないし」
 璃珠はぴょいと立ち上がると、大きく伸びを打ちながら適当な方向に進み出した。その背を由縁が無言で付いて行く。
「……璃珠。訓練とやらの始まる、正確な日時は分からないのか?」
 どんなに寛いで見せても、二人の頭からその事が離れる事は無かった。それでも二人は、一瞬明るくなりかけた空気を重くしてしまう事を恐れているかの様に、その事を今まで互いに口にしなかったのだ。
 ――けど、あと一日もしない内、俺達はここで命がけの訓練をさせられるんだ。腹ごしらえも大事だが、そろそろ……。
 由縁の問いかけに、璃珠は振り返らないままぽりぽりと頭を掻いて見せた。そのまま、数分間、二人が無言で歩き続けるとコーナーは家具売り場から若者向けの洋服売り場に変わった。その売り場はフロアの丁度角に位置しており、壁に空けられた大き目の窓からは傾きかけた午後の日差しが、ぎりぎり衣類に当たらない所まで差し込んで来ていた。
「ああ……」
 切れの悪い返事を返しながら、璃珠はマネキンの頭から天頂部にポンポンが付いた真っ白のニット帽を奪い、被った。璃珠は黒のスーツ姿で上着を着ずにネクタイをだらりと緩めた格好で、それとニット帽が思いのほか似合っていた。すると璃珠は由縁の方を振り返り、笑みを見せた。しかし、笑っているのは口元だけで、目元はニット帽で隠され、本当の感情はいまいち窺い知れなかった。
「俺が目を覚ましたのは丁度、夕日が海に沈む頃だった。だから、あと二〜三時間あるかないか位だと思う」
「そうか……思ったより時間が無いんだな……それで、これからどうするんだ? まさか、お前が、このままダラダラと時間を浪費し続けるなんて言わないよな?」
 由縁が苦笑交じりに尋ねると、璃珠は微かに表情を曇らせた。
「ああ……この区画の奥に武器を大量に保管してある建物があるんだ。……殺し合いともなれば俺等の能力だけじゃきついかも知れないし、武器を確保しようと思って……けど……」
 珍しく歯切れの悪い璃珠の喋りに、由縁は顔を顰めた。
「どうした、璃珠?」
「ああ……」
 璃珠は言い淀んでいた。まるで、言って良い言葉と、悪い言葉の境界を決めかねているかの様な、そんな戸惑いが由縁には感じられた。
「璃珠、これから一緒に戦うんだろ? なら、つまらない遠慮はするな。見ていて、こっちの方が居心地悪くなってくる」
 由縁がぽん、と璃珠の頭に手を置く。すると、微かに璃珠の口元から笑みが零れた。
「お前は、何かと一言余計なんだよ……」
 唐突に璃珠が顔を上げた。鋭い目に、微かな躊躇いが浮かんで見えた。
「なぁ、由縁」
「なんだ? チェリーボーイ」
 由縁の軽口にも反応せず、璃珠は数秒、言葉を探す様に沈黙すると、やがて呟く様にぽつりぽつりと言葉を紡ぎ始めた。
「その……俺がこんな事、言っていいのか分かんないんだけど……俺………………実感が沸かないんだ」
 由縁はその言葉に微かに眉を顰めたが、口は開かなかった。沈黙する事で、璃珠に次の言葉を催促する。
 璃珠はそれに気付き、視線を落としながら話を続けた。
「……ごめんな、俺がしっかりしなきゃいけないのに……けど……俺……今になって、急に実感が沸かなくなって来たんだ。今のこの状況にっ! 今まで、何度も想像して来たのに……急に、今、この状況の全てが夢物語の様な気がしてきちゃってさ。全部が嘘で、いつか夢が覚めるんじゃないかと、思っちゃってるんだ……俺。ごめんな……情け無いだろ?」
 すると璃珠は寂しげな笑みを由縁に向けた。
 それを見て由縁は――ほっと肩を撫で下ろした。
「ははっ」
 途端に由縁は破顔して璃珠の頭をニット帽の上からぐしゃぐしゃとかき乱す様に撫で回した。
「ちょっ……ゆ、由縁?」
 思わぬ由縁の反応に璃珠は戸惑いを隠せなかった。
「ああ、璃珠。お前は心身共に立派な子供だよ」
「な、なんだよそれぇ」
「ははっ。可愛いな、お前」
「……ぶっ殺すぞ、変態」
 璃珠の口調が重くなったので、由縁は手を離して笑うのをやめた。
「ま、何にしてもだ。俺等は同じ境遇だって事だ。お前がそれで情け無いなんて言うなら、俺は自殺しなきゃならないレベルまで現実見てないぞ」
 ――そうさ、璃珠は良くやってる。俺なんかが、それを咎められる訳、無いだろ。
「そ、そうか? ……くくっ。由縁、お前、意外と優しかったりするのなぁ」
 ――まさか、そんなもんは上辺だけだよ……俺の中身を知ったら、璃珠の奴、きっと落胆するだろうな。
 そんな内心を押し隠す様に、由縁はわざとらしく親指を立てて見せた。
「ようやく気付いたか。……璃珠。夢物語でもゲーム感覚でも何でも良いさ。お前が生き残る為の、策を考えよう」
 その言葉に、璃珠はむっと口をへの字に折り曲げた。
「お前もだろ、由縁」
 ――俺も? ……ああ、そうか。璃珠本人には、俺が璃珠の楯になって死ぬ、なんて言ってなかったか。そもそも、そんな事、言える筈無いよな。
「そうだったな。それで、武器を取りに行くんだろ?」
「? …………あ、ああ。そうだけど」
「なら、早く行くぞ」
 由縁は釈然としない表情の璃珠に背を向けると、一人、すたすたと一階に続く階段に向かい歩き始めた。
 璃珠はその背を少し離れて追った。
 ――分かんねぇよ、由縁。お前っていう人間が。最初は人並みに動揺してたのに、急に暗くなったり、明るくなって馬鹿な事言ったり。まるで人相が定まってないじゃんか……お前は、何を考えてんだ? 由縁。本当にお前は、俺と同じで現実を把握出来てなくて戸惑ったりしてるのか? 俺には……その事自体を問題視してないで、ずっと他の何かを考え続けてる様に見えるぞ……。
 由縁はじゃらじゃらと手錠の鎖を鳴らしながら、真っ直ぐに階段を見つめ、そこに向かっていた。
 ――脈が上がってきた。死を意識したからだろうか。何となく、怖い気もするが……確かな心地良さもある。生の枷から開放される、その時を俺は望んでるんだ。家族の元に戻り、あの日から見続けている悪夢に終止符を打つ事を。沙紗と戦って、微かに思った。戦いが楽しいと。それはつまり、俺は戦いを求めていて、その中で朽ちる事を望んでるって事だ。それならここは、最適の死場だろう。■■■……守ってやれなかったお前の代わりとは行かないだろうが、俺は璃珠を守ろう。そして、死に花を飾ろう。
 由縁は人知れず恍惚とし、歩調を速めていた。
 二人の距離が微かに開き始めた――刹那の事だった。
 その出来事は、唐突に訪れた。
 カシャアン。
 乾いた金属音が二つ、重なって広大な店内に響き渡った。
「な……」「嘘っ……」
 二人の声も重なった。――金属音の正体は、二人の手首からなんの前触れも無く滑り落ちた白銀の手錠だったのだ。『手錠が外れ、それを合図に強化訓練を始めさせてもらう』。確かに手紙に記されてあった、そんな文章が二人の脳裏を過ぎる。いや、停滞し渦舞う。
「璃珠っ」
 咄嗟に由縁が振り返ると、そこには険しい表情で駆け寄ってくる璃珠の姿があった。
「由縁、手錠がっ! これって!」
 璃珠が言い終えるよりも早く、由縁は大きく頷いた。
「確か、手錠が外れるのが訓練開始の合図だったな。と言う事は」
 すると由縁は徐に右手を、璃珠の被るニット帽に伸ばした。璃珠はそれに訝しげな視線を向けながらも、無抵抗で由縁にニット帽を触らせた。
「消えろ」
 由縁がそう呟いた刹那、璃珠が被っていたニット帽が消え、その中に封じられていた璃珠のふわふわの黒髪がぴょんと飛び出した。
「……力が、戻ってる」
 半ば唖然としながら由縁は左手を璃珠の頭に乗せ、ニット帽を出現させた。
 ――何だ、この感じ。体がぞくぞくする。
 由縁は自由になった両手をぎゅっと握り締めた。手首には薄っすらと手錠の跡が残っていた。
「けどっ、まだ日没じゃっ!」
 対照的に璃珠は動揺を隠せずにいた。声を荒げ指差す窓の向こうには、確かに青天を照らしたてる太陽の姿があったのだ。しかし、由縁は太陽にも璃珠にも視線を向けず一人、高い天井を見上げ苦笑いを浮かべていた。
「……璃珠。どうやら敵は、随分と気が早いらしいぞ」
「えっ――」
 璃珠は思わず、由縁の視線を追った。そして、その先で――ばらばらと破片を落としながら小さな振動を繰り返す天井を見た。
「なんだ、これ……」
「璃珠、しっかり頼むぞ」
 ぽん、と由縁が璃珠の頭に手を置いた。その時、由縁の顔が嬉々としていた事は、璃珠も由縁本人すらも気付いてはいなかった。
 どん、ずんっ。
 振動は徐々に大きくなっていた。それは恐らく『何か』が屋上から一枚ずつ床と天井を打ち壊し、此方に近付いてきている事の証なのだと、二人は直感していた。由縁は無意識に笑みをへばり付かせ璃珠の方を見た。そこにはすっかり元通りの精悍な顔立ちになった璃珠の姿があった。
 ――頼もしい限りだ。
 そう由縁が口にしようとした刹那、今までの何倍もの振動が二人を襲った。天井が弓なりに減り込み始め、二人はその一点を睨み続けながらごくり、と息を飲んだ。
 ウオオオオオオオオオオオオオッ!
 耳を劈く鮮烈な雄叫びに呼応する様に、天井が轟音を上げ崩れ落ちた。吊るされていた幾つもの照明が揺れながら床に叩きつけられ、鮮烈な光と破片を飛ばして次々と沈黙する。そんな沈黙を食らうかの様に再び雄叫びが轟き、崩れ落ちた天井から予想を遥かに上回る『化け物』が姿を現した。
「ウオオオオオオオオオオオッ!」
 その化け物は、五メートルはある体躯を真っ黒の鎧の様なぶ厚い鱗で包み込んだ、ゴリラに近い外観をしていた。背には巨大な槌や機関砲が無数に背負われ、両手にはここまでの床や天井を破壊したのに使ったと思われる、鎖に鉄球を繋いだ原始的で凶悪な武器を握り締めていた。
 そのあまりの容貌に、由縁は不気味な笑みを浮かべていた。
 ――こんな化け物と戦えって言うのか!?
 心の中には当然の様に恐怖が芽生え、しかし表情には笑みが浮かぶ。
「上等だっ!」
 そして由縁は一人、駆け出していた。化け物目掛け一心不乱に。
「お、おいっ! 由縁!」
 璃珠の怒号にさえ似た静止の声もまるで聞こえず、由縁は自由になった両手を大きく前後に振り、瞬く間に咆哮を上げる化け物の足元に迫った。すると叫び狂っていた化け物も漸く、自身に肉薄する由縁の姿に気付き、叫びを威嚇する様なものに切り替え、それと同時に手にする鉄球付きの鎖をぶんぶんと振り回し始めた。しかし、それすらも見えていないかの様に、由縁は走る速度を緩めもせず、ただ直進し続けた。
「ウオオオッ!」
 由縁が化け物の膝下に潜り込もうとした刹那、遂に化け物の手から巨大な鉄球が放たれた。それは由縁の全身をすっぽりと覆い尽くす程、巨大だった。食らえば確実に必殺となるその一撃が、轟音を上げて由縁の頭上に降り注がれる。
 轟音が頭上に迫り、由縁は漸く足を止めた。見上げると、黒光りする鉄球が視界を埋め尽くしていた。すると由縁は――恍惚とした笑みを浮かべた。
「これを待ってたんだよっ、消えろっ!」
 そう叫びながら掲げられた右手に鉄球が迫り、そして、鉄球が鎖もろとも消える。
 由縁が力を使、鉄球を消したのだ。右手で生き物以外の物体を消し、それを左手から出現させる【空歪の禁忌】の力で。
 化け物は突如、手から武器が消えた事にかなりの狼狽を見せた。そんな化け物が正気に戻るのを由縁が待つ訳も無く、由縁は化け物の足元を駆け抜けて背後に回ると、衣類の陳列される棚を足場に、高く飛び上がった。
 鱗に囲まれた化け物の後頭部を微か上に見ながら、由縁は左手を突き出した。
「出て来いっ!」
 由縁の声にはっとし、化け物が振り返る。途端、その目に飛び込んできたのは――唸りを上げる鉄球の姿だった。
「ウオオオオオオオオッ!?」
 化け物の悲鳴が溢れ出る口を塞ぐように鉄球は顔面を捉えると、勢いそのままに頭上まで跳ね上がり、空中で重圧に負け化け物の後頭部へと落下した。鉄球の衝撃で化け物は有無も言えず轟音と共に、崩れ落ちるようにフロアへと平伏させられた。衝撃でフロア全体が揺れ、ばきばきと足元にひびが広がっていく。
「言い忘れたが俺の力、出現させる時は、右手で消した時のスピードそのままで出てくるんだ」
 ひびが徐々に広がり、所々で陥没を始めたフロアに降り立つと、由縁は化け物にあっさりと背を向け璃珠に言った。璃珠はあまりの出来事に唖然とし由縁に、即座に返事をする事が出来なかった。ただ、悠々と此方に戻ってくる由縁になにか言葉は掛けなければ、と璃珠が言葉を探そうとした、刹那だった。璃珠は由縁の背後で蠢く巨大な影の姿を見た。
「由縁、後ろっ!」
 その言葉に、由縁は殆ど反射的に振り返った。
「なっ――」
 そこには、後頭部と右手だけで鉄球を持ち上げ、立ち上がった化け物の姿があった。鉄球が直撃した顔には、へこみ一つ、傷一つさえも付いてはいなかった。
「馬鹿――なっ!?」
 刹那、由縁は弾き飛ばされた。ばちり、と特大の鞭でも打たれたかの様な音が響き渡り、由縁はフロアを二転三転とすると、商品棚に背中から激突し漸く静止した。衝撃で棚に陳列されていた大量の衣類が由縁の上にどさどさと降り積もる。
「ウオオオオオオッ!」
 その攻撃が、化け物がその巨体に似合わぬ小さな動作から繰り出した『ビンタ』だったとは、背中と叩かれた右半身の激痛に悶える由縁にとっては知る由も無い事だった。
 ――嘘だろっ、今ので……くたばらないなんて……。
「由縁、由縁っ!」
 慌てて璃珠が駆け寄り、衣類の山から由縁を引きずり起こす。
「……ぅ……璃珠……」
「しっかりしろ、走るぞっ、由縁! 兎に角、外に出るんだ! こいつ、丸腰じゃ歯が立たない!」
 由縁を無理矢理立たせながら璃珠が叫ぶ。その背後では鉄球をフロアに投げ捨てた化け物が怒りの咆哮を上げ、二人に迫ろうとしていた。しかし、陥没したフロアに足を取られ、化け物はなかなか進めない様子だった。
「あ……ああ。行こう」
 思わぬ反撃で由縁の顔からは、笑みと共に血の気も引いていた。
 ――なんて激痛だ。沙紗と戦った時には微塵も感じなかったのに……こんな痛みに耐え続けるくらいなら、いっそ死にたい……。
 そんな事さえ考えながら、由縁は璃珠に肩を借り右腕と右足を引きずりながら敗走する。心と体の矛盾に、彼は気付かないのだ。いや、気付かないフリをしているのかも知れない。
 化け物が現れる少し前まで、階段を目指して歩いていた事もあって、既に階段は視界に入っていた。距離にすれば百メートルも無く、歩く度にフロアに足を取られる化け物の鈍重さを考えれば楽々に逃げ切れる――筈だった。
「マスプロイドの一匹もまともに殺せないの? 絶望的ね」
 階段の前に突如、姿を現した一人の女の台詞だった。それは麻生の声とはまるで違う、冷酷な響きのあるものだった。それは刹那に由縁と璃珠に敵としての認識をさせた。
「なっ!?」
 進行方向を塞がれ、由縁と璃珠は思わず足を止めた。後方からは化け物が絶叫を上げながら少しずつ、しかし着実に近付いて来ている。慌てる二人に、その女は至極冷静な仕草で歩み寄った。
「私はペルセフォネ。今回の訓練の総指揮を担当しているの。【禁忌法】の成熟具合の確認も兼ねて、挨拶に来たわ」
 氷の様に無表情で蒼白の顔は、目も唇も細く精悍さと美麗さを兼ね揃えていた。すらりとした長身は、ぴたりと体に密着する漆黒の上衣とバミューダーに収められ、凹凸の激しいボディラインが露わになっていた。髪は紅と言うよりかは鉄錆びに近い色で、柳眉の上で一直線に切り揃えられていた。これだけ見たら、色っぽい女と言う事で片付きそうだが――ここは数分前から戦場と化していた。そんな女が一人で居る筈も無い。ペルセフォネと名乗ったその女は、両手両足から首回り、左頬に差し掛かるまで、何十色もの文字の羅列がびっしりと刻み込まれていたのだ。さらに異質なのは、左胸の僅か上にあるものだった。
 ペルセフォネのそこには、拳ほど大きさをした穴があったのだ。穴といっても、それは貫通したものでは無く、巨大なジャックがはまりそうなプラグの様な穴だった。
「お、お前、一体……」
 その余りに異質な姿に、由縁はたじろぐしかなかった。
「挨拶は終わりよ。璃珠とその同期、さっそく試させてもらうわ」
 由縁の言葉を遮ってそう言うと、ペルセフォネはぱちり、と指を鳴らした。それがなんの合図かは、由縁も璃珠も刹那に知る事となった。
「ウオオオオオオオオオオオッ!」「ウオオオオオオオオオオッ!」
 二つの方向が木霊したかと思うと――天井とフロアが同時に砕け散り、そこから二体の化け物が姿を現したのだった。その化け物は、二人を後方から追尾する化け物と全く同じ容姿・装備をしていた。
「そ、そんな……こいつ、一匹だけじゃ……」
『ウオオオオオオオオオオオッ!』
 三匹の化け物が同時に咆哮を上げた。一瞬にして三倍になった咆哮はびりびりとフロアを震わせ、由縁と璃珠の鼓膜を痛烈に叩いた。それでも前後、どちらにも逃げる事が出来ず二人は右往左往するしか無かった。
 そんな二人を、冷酷な目で見つめるペルセフォネがそっと呟いた。
「この三匹は『マスプロイド』……マス・プロダクション・アンドロイドの略。直訳、『大量生産人造人間』ね。さぁ、諦めて戦いなさい。もし、それでも逃げ回ろうとするのなら……」
 するとペルセフォネは二人に背を向け一人、静かに階段を下り始めた。
「死期が早まるわ」
 咆哮の合間を縫って、遠くなるペルセフォネの声が聞こえた。
 三匹のマスプロイドが、背負っていた特大機関砲を二人に向け一斉に構えた。

2007/09/16(Sun)20:56:43 公開 / 家内
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■作者からのメッセージ
 どうも、家内です。ぴったり半ズボン=バミューダー、らしいですっ。ありがとうございましたっ。中々、本編の更新が出来なくてごめんなさい(汗 今週末には、書き終えたいです。

作品の感想については、登竜門:通常版(横書き)をご利用ください。
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