『yellowGARDEN・0−5』 ... ジャンル:異世界 ファンタジー
作者:いひっ!                

     あらすじ・作品紹介
人の手で生まれたウィルス、ルギー。残酷な死に至らしめるウィルスはその苦しみとともに“得体の知れない力”を人間に与えた。その人をキマイラ(人間怪物)と呼び、世界崩壊の伝説的化け物――キメラ(怪物)――として恐れをなした。ドイゼ国家を舞台にするキマイラ達のルギーの謎を追うストーリィーだ……しかしルギーの謎を追うたびに、その国家では真実があった。

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0  “prologue.” −プロローグ−



 そこはドイゼ国の辺境、ザクセンという村であった。
 静かな夜に、とある家がランタンの光で闇を切り裂くように照らしていた。
 もう夜だというのに、まだランタンを灯している家があった。耳を澄ますと中から子供の声が聞こえてくる。まだ小さな可愛らしい声だ。
「お母さん、どうしたの?」
 毛布をかぶりベッドの上で咳をこむ“お母さん”は険しい表情を浮かばせながらも、その子には穏やかな眼差しで見つめる。
「大丈夫よ……ス、スヴェン……あなたはお父さんに似て強い子だから」
 その子は心配そうに瞳を潤わせ、歯をかみ締めてうるうると泣きそうに顔をしかめる。
 まだ五歳だというのに。母はランタンの光を見つめてそう思った。
「大丈夫ですか!? クライバーさん!」と乱暴に玄関の戸を開けて入ってきたのは村の医者であった。早々に立ち寄ると難しい顔をして母の右腕を見やった。黒ずんだアザが右手首から肩まで雷のように染み付いていた。
 溜息をつくとその腕に小さく冷たい吐息が吹きかかった。母はふと感じる。
「……駄目、でしょうか?」と言うと子は医者の顔を覗く。
「……先日から言っていましたが、“ルギー病”です。黒く染み付いたアザが何よりの証拠です……が、早くに倒れるとは……」
 医者は母の汗ばんだ顔をちらと見ると、小さな子供を悲しそうに見やった。
「お子さんはどうするのです?」
 しんと静まり返る部屋。一瞬にしてランタンだけが賑やかにしているようだった。
 しかし母はにかりと笑みを浮かべたのだ。
「どうしたんです?」
「……スヴェンは引き取ってもらうんです。幼馴染の友達のお家に……この子は父に似て強いですから、わたしがいなくても夢を持って大人になるんです」
「そうですか」
 その後、少したつと目を閉じて母は眠りについた。
 ただ子は、もしかすると朝になれば母はパンを焼いて待っているのだと思う。しかし母は死んだ。 
 



1  “The chimera.” −キマイラ−



 ほぼ、大陸は月のようにクレーター状態となり、人が生存できる大地ではなくなってしまった。その謎は多く、未だに解明されてはいないが、怪物が暴れて世界が崩壊したのだと言う“キメラの怒号”と呼ばれる伝説はあるが、そのぐらいと言っていいほど、世界の半分以上が崩壊の痕跡を残している。
 ここ、“ドイゼ国”はキメラの怒号伝説から生き残った大地である。古い文献によると“ドイツ”という国名らしきものが記載されていたが、この大地が以前ではドイツと言われていたのかは定かではない。
 
 そのドイゼ国の北西部に位置する“ブレーメン”という小さな町がある。そこに国軍の支部が建立している。周囲には硬い壁が囲み、その内には白壁の建造物が建っていた。数段ほどの階段を上るとその建造物が旗を風になびかせて、権威の象徴のようにその建物を大きく見せた。その旗は軍旗である。二本のサーベルが交差したマークは特徴的である。
 それを飾るここドイゼ国ブレーメン軍事支部には今日も職につとめていた軍人がいた。
 紺のネクタイ、灰色の制服、交差したサーベルのマークが胸にある。階級は肩章であらわせられ、彼の肩章は銀色のリースの上に銀の星が二つある。佐官をあらわす中佐であった。彼の名前はロイター・ローランという軍人である。
「はぁ〜、眠たい」
 馬鹿でかい大口で、生ぬるい息を吐くと、彼は涙目になって頬杖をついた。
 鋭いブラックの眼光が眠気に負けて弧を描いていた。日に焼けていない白色の肌というのが上品に見える。黒髪と、すっと整った頬骨が大人っぽいものを漂わせていた。誰が見ても生真面目な“軍人”であると好感を抱くに違いないとされるが、次の彼の発言が内面をあらわしていた。
「こういうときは……セレン少尉の“裸”でも見たいね、ははは」
 いやらしい顔をする彼は非難されるように周囲から冷たい視線を浴びせられたが、彼は微笑んでいる。そして裸の対象となったのはセレン少尉、セレン・ネクソンという優麗な女性であった。
「いいですよ……」と言うと、周囲に群がるのは言うまでも無い男たちだが、一同は無言のままじっと立ち尽くした。なにより驚愕していた。
 それは彼女がこの軍事支部内で有名な軍人家系の真面目軍人であったからだった。
 腰をかけていた裸発言者、ロイター・ローラン“中佐”もその場で唖然とした。
「しょ、少尉……今、なんて?」
 ブルーの瞳を揺るがすことなく、彼女、セレン・ネクソン少尉は前髪をはらうと、ゆっくりと口を開けた。一同は軍服をぎゅっと引き締めて彼女の言葉を聞きのがさまいとする。
「……冗談です。それと名前で呼ばないで下さい」
 その途端、吐息とともに落胆したのはローランだけであった。周囲はその冗談を淡々と聞き流すとローラン中佐のサボり癖を話題にしていた。
 彼はその外見とは裏腹の呑気な部分を兼ね備えているのだろう。そのギャップが女性には嫌われ、更にはここの支部の司令官に毛嫌いされているのだ。
「あまり馬鹿にならないで下さいローラン中佐。冗談は一度限りです」
 セレン・ネクソン少尉は抱えていた書類を机に乱暴に置くと、書類についてローランに報告した。ローランは急にむっと口を閉じて表情は一瞬にして軍人へと変貌した。
「報告しろ」と彼は言う。
 セレン少尉はローランの鋭い瞳をちらとすると、軍人に戻った表情を確認した。
「……昨夜、爆弾があるという通達が六件ありましたが調べにより全て嘘の報告だったことが分かっています。見識によるとテロ集団の“革命団”だと思われます。詳細はこちらに……」
書類を指差し、セレンは羅列する情報を睨むローランを見つめた。
「今日でも暴動を起す気か?」
 まじまじとその書類に目を通す素振りはなにやら先ほどの呑気な“裸発言”とは逆の様子であった。軍人としての規律は整っているかのようだ。確かにこの男、ロイター・ローランは楽観的なところとは別に軍人としての実務は守るらしい。その点が中佐という地位に高げたのかもしれない。
 セレン・ネクソン少尉、彼女もまた軍人家系という根っからの軍職女性として、軍に身を預けている。だが、彼女はその家柄から少し重荷と言うものを背負わされているのだ。
 ――ネクソン少尉は“軍人家系”だから――という言葉を何度耳にしたことだろうか。そのような他人からの期待もあって彼女は“軍”をこなしている。
 ただ真面目な女性と言うわけではない。淡い優麗なブルーの瞳に、長く伸ばされた潤いのある金髪。誰もが大人の女性と言う煌びやかなイメージを抱くものだ。
「少尉、今晩食べに行かないか? ……少尉の私服でも見たいものだが?」
 ローランは書類を引き出しにしまうと笑みを浮かべて招待した。彼女は無表情で答えた。
「中佐、申し訳ありませんが遠慮します」と率直にいうと、ローランは鼻で笑うとアゴをさすった。
「ははっ、少尉は真面目だな。もう少し私みたいに呑気でも構わないのにな」
「はぁ……そうですか。ですがここの司令官にタメ口はやめたほうがよろしいです」
「はは、そうだな」
 セレン・ネクソンは軽蔑するようにローランを細目で一瞥すると、一礼をして立ち去った。
 そして、まもなく軍の通信回線に一本の通達が入った。ヂリリリン。
「……中佐! 緊急通達です!」
 
 ――ほぼ壊滅したという世界はいまでは伝説としてその要因が伝えられていた。大陸は陥没し月面のようにクレーターが幾つもあるが、その理由はこうだ。
 “キメラの怒号”と呼ばれる大災害が起こったといわれている。人々は“キメラ”という怪物がこの世界を崩壊させたのだと信じたのだ。しかしその真実は未だに解明されていない。
 科学者や考古学者などの権威者は“ベルリン”という地域を包囲している“壁”について手がかりが無いかと模索しているらしいが、その地域がベルリンと呼ばれていることだけしか判明されていないのだ。しかもこの国の名も“ドイゼ”という国名が本当なのかも定かではない――。
 パタン、本を閉じた少年は眠たそうに顔をゆがませると足を組んで考え込んだ。
「怪物の仕業か……メルヘンチックなんだよ、この世界って馬鹿らしいな」
 お気に入りのキャンバス社のスニーカーを微笑みながら眺めた。
 降り注ぐ日光に反射して綺麗に光を放つ栗色の髪と瞳が特徴的な彼――スヴェン・クライバーは、黒デニムに革ジャケットという格好で、なによりも両手首にするブラックのリストバンドが彼のファッションを際立てている。しかし両手には“何か”を隠すように手袋をしているのが見える。
 そして彼の横に座るクラウス・エメリッヒという少女。キャミソールにミニスカートのオシャレな少女は、大きな丸いオレンジの瞳をする明るい印象を受ける女の子である。
「ねぇ、遅いんじゃない?」と愚痴を言ったのは訳があった。
 この二人は訳あってここ、“ブレーメン”の駅にいた。
 ブレーメン軍事支部のローラン中佐という軍人が迎えをするというので駅前のベンチで居座っていた。
 汽車が到着して、かれこれ三十分は待っている。
 二人は軍に急ぎの用事があってそわそわしていた。
「あぁ〜もぉ〜、これじゃ、待ってる間に支部に行けたぜぇ〜」
 虚脱するスヴェン。クラウスも甲高い声で憤怒した。
「そうそう、レディを待たせる男はダメね」とむっとした表情で街並みをちらりと眺めた。
 レンガ造りのレトロな感覚を与えるその街並みは穏やかな優しい雰囲気であった。家の窓にはレースのカーテンが風で踊っている。駅前の広場は小さな時計塔が中央にあり回りを囲むように人々が群がっている。 
 ふと一台の黒い蒸気自動車がエンジンをうならせながら、細い路地から割って入ったのが見えた。うねりを上げるその音が、周囲の自動車とは違った様子を見せていた。
 強引にカーブした車は徐々にエンジンから煙をあげ、猛スピードで駅前の広場で爆発し、時計塔がその衝撃で崩れる。轟音が空高く煙と一緒に舞い上がり、スヴェンらの目の前で車は弾けとんだ。周囲は叫んで動揺するが彼は違った。足を組んだままベンチに座っている。
「ねぇ?」とクラウスが心配そうにスヴェンの革ジャケットをつまむ。

 ブレーメン軍事支部は、飛び交う軍人の声が賑やかにしていた。
 まさに速報であったその情報はローランを奮い立たせた。それはテロ集団の発見であった。
「おもしろいねぇ、今日はテロ集団と決闘か?」
 むくっと立ち上がって煙草を咥えて火をつける。煙が天井にあがる。
 ローランは煙を吐くと軽はずみな様子を見せる。
「で、どこだ?」とローランが。
 一兵士が返事をして返答する。
「視察中のものから“革命団”の首領であるザウエルの車を発見。ブレーメン駅方面にて逃走とのことです!」
 “革命団”といえば、ブレーメンでは有名な武装集団として知られている。各地で暴動をおこし軍や政府を混乱させている。
 数年前まで、この国では政府という行政機関がなく、軍事国家として営まれていたが、今の軍事最高指揮官ハイデッガー・フランツ総帥になってから政府が創設された。それは武力によって統治される国家を良いとしない考えがあってのことだった。現実、軍事国家であったころは貧困が絶えなかったのだ。
 革命団はその軍を粛正するために登場したのである。
「行くのですか、中佐」
 軍帽をかぶり軍服を引き締めると、微笑してセレン・ネクソンに合図を送った。
 セレンはローランの手招きに応じてショルダーにハンドガンを収めた。
「よし、出陣しようか。久しぶりの暴れだからな、優雅に行うとしよう」
 灰皿に煙草をぐしゃりとつぶすと、鞘に入ったサーベルを腰に掛けた。
 ローランは楽しそうに鼻歌をささやくが、セレンは素っ気無い表情でローランの後を歩いていった。
「私とセレン少尉が出るから、みなはここで待っとけよ」と部下に司令を出す。中佐と言っても、この小さな町の軍の支部は中佐階級が司令官に相当するようなものである。だからローランは楽観と厳格な態度をいつまでも漂わせている。いわば、ローラン以上の階級の者が、ここの司令官――中将だけしかいないからだ。しかも司令官は書類を眺めるしかせず現場には赴くこともない。だからローランがここの支部の指揮を握っているようなものであった。
 二人は軍仕様の蒸気自動車に乗り込むと鉄柵の門から出て行き、ブレーメン駅に直行した。
 その車のフロントにはサーベルが交差した軍旗マークが色づけられていた。

「ちくしょ、このポンコツが!」
 車の助手席は時計塔にぶつかって歪んでいた。
 車から出た男は憤怒していた。
「軍めが!」
 コートをまとった男は、オールバックの髪型を固めて無精ひげを生やした男であった。
 彼はこの革命団の首領であるザウエルである。視察していた軍に見つかり逃走してきたのだが、運悪く支障をきたした車は運転不能になり時計塔にぶつかってしまったのだ。
「止めれ!」
 追いついた軍の車が急ブレーキでそこに止まり、拳銃を向けて厳格な表情で軍人が迫っていた。
「貴様、ザウエルだな!?」
 民衆はその現状に動揺し、その場から離れていく。しかしベンチには二人の少年少女がいた。
「そこの君たち! 逃げなさい!」とスヴェンらに警告するがスヴェンはそっぽを向いた。クラウスは立ち上がってスヴェンを引っ張ろうとするが言うことを聞かない。
 それに勘付いたザウエルは息を荒くして獰猛にベンチに走り出した。
「くそ、人質だ……」
「と、止まれ!」 
 ドン! ドン!
 発砲された銃弾は、ザウエルの足元に直撃した。まだ手馴れていないのだろうか、その軍人は焦りを隠せないでいた。まだ若かった。
 ザウエルは懐から拳銃を取り出すと、クラウスとスヴェンに銃口を差し向けた。
「どうだ……これで」
 燃え上がる車の火に、汗をかいていたザウエルはそれを拭うと、ほっとした表情をした。
「なんでほっとしてんの? オッサン」
 むくっとスヴェンがベンチから立つと、ぎゅっと手袋をつまんでひっぱった。
「なんだ小僧!」と銃口を向けるがスヴェンはその手で拳銃を握り、自分の頭に弾道を向けた。銃口と頭の距離はわずかである。
「撃てよ、オッサン。てめぇ名高い“テロ野郎”なんだろ?」
 風がひゅっと通りかかりスヴェンの栗色の髪を宙に舞い上げた。前髪が邪魔になり顔を一振りして、ブルーの眼光をザウエルに突き刺した。
「野郎なんだろ? 子供ぐらい撃てなきゃねぇ?」
「……生意気な小僧が!」
 その直後、クラウスの悲鳴が空を割った。
 
 猛スピードで止まったのはローラン、セレンの乗る車であった。
 ローランは降りると、炎上するザウエルの車を確認して、それを追跡していた軍人の肩を叩いた。
「君?」
「はっ、中佐!……あれを……」と軍人は困惑した様子で指差した。ベンチの前でザウエルが少年に銃口を向けていた。
「人質か……」とサーベルの柄を握り締めた。すると横に立つセレン・ネクソンが言う。
「中佐、あれを見てください」
「どうした?」
 確かにザウエルが銃を突き出して少年に迫っている。しかし凝視すると、少年のおでこにはザウエルが発砲したと思われる銃弾がそこに止まっていたのだ。そう銃弾が少年の眼前で宙に浮かんで静止している。
 ザウエルは口を大開にして、スヴェンのおでこの前で宙に浮いている銃弾を見つめた。
「なんだ……これは……弾が……」
 しかしローランは愉悦に慕っているかのように微笑んだ。
「あの少年……キマイラだな、少尉?」
「はい。確かにキマイラです」
 セレンは口ずさんだ。目の中に映るスヴェンの正体を――。
 この世界には“キメラによって崩壊した大陸”、新たな人種である“キマイラ”など解明できていない事項がある。しかしそれらは確実な真実である。
「おっさん、おれ、キマイラだからさ」
 おでこの前で停止する銃弾は電気の渦に囲まれていた。スヴェンの体に金色の電流が凄まじく流れた。
「貴様……キマイラか……」
「そうだぜ、おっさん、ここで感電してもらうぜ」とにやけながら、人差し指をザウエルに向けると、指先からは暴れだす“雷”が怒号を鳴らしていた。
 銃弾は一瞬にして脱力したように地へ落ち、それをクラウスが見届ける。
 そして、次の瞬間、ローランが陽気に微笑んだ。スヴェンの指先からムチ打つように、轟音と共にザウエルにまきついた電流の渦は、一瞬にしてザウエルを失神させた。
「があああああ!」
 

「ちくしょ!」と言葉を残してザウエルは手錠をかけられ、軍に身柄を拘束された。
「さぁ、早く乗れ!」
 強引に押し込められたザウエルは、軍の車で刑務所に連行されていった。
 一息ついたローランとセレンも車に乗り込んで支部に戻っていた。それと、後部座席にはスヴェンとクラウスがいた。なぜならスヴェンらは少々軍に用事があるようだと言うのでセレンが乗せてやったのだ。
 腕組をしたスヴェンは流れていく街並みを軽視していた。そこにクラウスが覗き込む。
「ねぇ? スヴェン? 怖くなかったの?」と先程のザウエルの件について尋ねた。
「怖くねぇ……」
 ブラックのリストバンドを指で綺麗にこすると、また欠伸をした。
「おい、坊主」
 歯がゆい表情でローランが運転をしながら、バックミラーに移るスヴェンを覗き見た。
 しかしスヴェンは欠伸をして風景を見る。
「おい、無視かぃ! 坊主!」
「スヴェン、中佐さんが呼んでるけど……?」と苦笑いしながらスヴェンの頭を叩いて、謝るようにローランに頭を垂れる。
「はぁ〜ぁ……何ですかぁ? 今、眠たいんだけど」
 ローランは拳を震わせるが歯をかみ締め我慢する。
「スヴェン・クライバーだったかな? 隣の可愛い娘さんはクラウス・エメリッヒだったか?」
「あ、はいっ」と再び欠伸するスヴェンに代わってクラウスが答えた。
「スヴェン君、あなたキマイラね?」
 ふいにセレンが放った言葉にスヴェンがぴくりとした。
「…………」
 スヴェンの無礼に拳を震わせていたローランも正気に戻る。
「キマイラか……世界が崩壊した伝説のもとになった人種だな。キメラという怪物が世界を荒らし、今では大陸の殆どがクレーター状態だ。訳の分からん話だ。しかし事実だ。このドイゼ国に隣接する国家はポーラドしかないしな」
 車は右折し、軍支部に到着した。門をくぐると車は止まった。しかしローラン達は降りなかった。なぜなら急にスヴェンが欠伸を抑えて喋りだしたからだった。ローランは不思議そうにその話を聞く。
「体内に“ルギー”と言う物質、いやウィルスがあるかぎり、その者は人間としての身体機能を促進させていると言われている。しかもウィルスであるので、その者はウィルスによって“汚い死”が訪れる。今の科学じゃ明らかになってないルギーというウィルス。細胞の核内に存在するという遺伝子をも組み換えするという脅威のウィルス。この国が誕生したときからあったと言われている。おれの母はそのウィルスによる“ルギー病”で死んだ。そしておれもルギーを体内に保持している」
 そう、だからこそスヴェン・クライバーは母の死を解明するため、自分が持っているルギーによるウィルスから救われるために、軍を頼りにきていたのだ。しかし軍がそれについて一庶民を迎え入れるのだろうか。
「クライバー君……軍はあなたのためにルギー病を解明するような優しい組織ではないことは知っているでしょ?」
 セレンの発言にクラウスが言う。
「ネクソン少尉さん、軍はルギー病について何も調査していないのですか?」
「そうよ……」
 そこにローランが舌打ちをした。
「ルギー病の解明に“軍を使う”代わりに、軍に入るということか? ここのブレーメン軍事支部の司令官が目を付けていた有能なキマイラは君のことか?」
 ガチャ、ローランは車のキーを外した。
「あぁ、おれが軍に入り、生体機能促進と言う有能なウィルス、“ルギー”を軍事転用するための人体実験をささげる。その代わり、そのルギーの研究情報をおれにも教えてもらうということだよ……中佐さん」
 太陽に照らされてスヴェンのブルーの眼光がきらめいた。 




2  “It is not a human being.” −人間ではない者達−




 ブレーメン軍事支部に厳格な軍旗が風に仰がれながら、そこに居座っていた。
 なによりもこの国は、第一に軍が支えているようなものである。しかしながら現総帥が就任してから、まもなく五年が経過しようとしているわけだが、それと平行してドイゼ政府も創設されてから五年が経とうとしている。
 そういう軟弱な政府でありながらも、現総帥であるハイデッガー・フランツは国民を第一に考えて軍が動かす国から脱却を試みて、政府をつくりあげたのだ。
 しかし、それに反対する軍国主義のお堅い軍人もいるわけだ。そういう論争もあってか軍内部では派閥ができあがっている。
 そう、ここのブレーメン軍事支部の司令官――サーマル・マズル中将も、軍国主義を支持している軍人である。
 威厳を表情に出すような、そんな司令官であった。綺麗に整えられたカールする鼻元のヒゲを触りながら煙草をふかす。図太い図体をする太い腹を震わせながら、その司令官の座に座っていた。
「ごほんっ! おまえが、スヴェン・クライバーだな? よくぞ来てくれたぞ、ぐははっ」
 招き入れられたスヴェンとクラウスは、席に座る。
 サーマル・マズル“ブレーメン軍事支部司令官”は威厳ある司令官の卓上で高級な椅子に腰を預けて、大きな机の上に頬杖をついて笑った。
 それをスヴェンとクラウスは脳裏でその男を軽蔑していた。
「で、おれは軍の研究機関に身をゆだねるわけだが、その代わりにルギーについて情報を共有してくれるんだよな?」
 マズルは煙草をくわえた。
 この国が誕生したとき、世界が崩壊して人類が復活したときからそのウィルスであるルギーは誕生していた。未だに解明できていないウィルスであるが、軍はそれを研究調査しなかったのには訳があった。
 ザウエルの逮捕のとき、スヴェンが放った電気の渦は、そのルギーが体内に存在していたからである。ウィルスはその名の通り、人間を死に至らせるのだが、同時に身体を人間でない生物にしたてあげるのだ。
 ルギーは死を与えて、人に能力を与える高度なウィルスなのだ。そんな危険なものを軍が調査するわけがなかった。
「死のウィルスか……だが、研究すれば軍事転用にもなるわけか……そして我輩が一気に“上”に上り詰める特効薬にもなるなぁ。ぐははっ」
 煙草の白煙が部屋に充満していた。クラウスは息苦しそうに咳をこむ。
「ごほっ……ちゃんと情報を共有してくれるんでしょうねぇ?」と念を押すクラウス。
 マズルは微笑する。
「勿論だ。我輩に任せろ、ぬははっ」と煙草を消す。
 マズルは腕を組んで話しを続ける。
「そうだな……スヴェン・クライバー、おまえは今からロイター・ローランの部下にしようではないかな?」
「はぁ? おい! あのバカ野郎の部下!? っていうか、おれは軍人になるつもりはないぜぇ?」
 身を乗り出して訴える。しかしマズルは楽しげに笑う。
 クラウスもそれには悪態をついた。
「ちょっと〜、スヴェンは軍人にはさせないわよ! あんた勝手よ!」
「おいおい、ちょっとまってくれ。情報を共有するのではないのかな? 軍にそんな態度でいいのかな?」
 マズルは上手くスヴェンをからめると、カールするひげを指先でまるめとって、愉悦に浸る。
 スヴェンが虚脱してふらりと身を沈めた。
「そうか、分かったよ。だけど軍服は着ないよ……ただ、軍の味方になればいいんでしょ」
「そうそう、軍もキマイラなんていう能力者を欲しがるし、ザウエルのように実績を残してくれればいいだけだよ。ここの支部の司令官である我輩の株があがるんだから」
 二人は一礼をしてマズルの部屋のドアを静かに閉めた。マズルは大手を振って微笑んでいた。
 ただ分かったことと言えば、あの司令官は昇格欲しさな強欲な軍人であったことだ。
 舌打ちをして、壁を蹴ると腹立たしく歯軋りをし始めた。
「くっそ! なんだ、あの司令官は!」
「仕方ないわよ。あれは昇格欲しさでしょ?」
「あぁ〜〜〜いずれにせよ。情報は共有してくれるんだし……まぁいっか」
 機嫌を取り戻すスヴェンにクラウスは横目でちらりと横顔を覗いた。
 あれから、十三年が経った。スヴェンの母がルギー病によって亡くなってからだ。
 いつもスヴェンの心の中には母がいた。小さい子供時分の母との思い出といえば、あまり思い出せないが、母がいない現実に寂しがっていた気持ちがいつも胸の内にあるのは確かだった。
 そして、ぎゅっと拳を握り締めるとクラウスに明るく言った。
「おれは、絶対にルギーの謎を解く!」
 クラウスは差し出されたスヴェンの拳を両手で包み込んだ。
「あたしは、あんたを支えるからっ! 言っとくけど、友達としてねっ」
「当たり前だ! おまえになんか恋人として……なんて言われたかないぜ!」
「言ったわね〜〜! あたしだって告白されたことあるんだから!」
 ルギーへの解明に一歩前進したという二人の気持ちがなにやら明るさをまして、友達としての絆を深めたに違いない。
 幼馴染である二人はいつでも一緒だったのだから――。
「あ……そういえば、寝床……」とスヴェンがつぶやくとクラウスは無表情に固まった。

「ローラン中佐……これがおれらの寝床か?」
 扉を開けると、そこは疎外されたような部屋であった。
 天井には蜘蛛の巣が張り巡られ、埃かぶった床であった。
 ザクセン村からブレーメンまで電車を乗り継いで来た二人は今、その電車賃で財布の中は空腹のようなものだった。だから頼んで支部の空いている部屋を貸してもうらことになったのだが、そこは物置だった。
「いいだろう? 快適な生活をこの汚らしい部屋で暮らすんだ。ははっ……私なら遠慮するがね、しかし金がない“君”には豪華だろ?」
「はぁ〜……」
 クラウスがよどんだ吐息を零すと、ローランが当惑したようにうかがった。
「クラウスちゃんは隣の部屋だよ」
「じゃ、あたしは汚くないんですねっ?」
 頷いてローランが開けた隣の部屋は、白色で統一された上品な小部屋だった。
 スヴェンは愕然とした。そして激怒するのだ。
「これは……おい! この能天気軍人! 違いすぎだろ! 部屋のレベルがっ!」
「おっとっと、待ってくれ、男と女は品が違うんだ。スヴェンは物置で充分ではないか。それとも上官に逆らうのか? そういえばマズル司令官いわく、私の部下だったかな?」
 皮肉にもスヴェンはルギーの情報を得るために軍に頭をたれこんだのだ。仕方ないことだと思って、ローランの悪戯に我慢した。
 しかし、クラウスは逆に上機嫌に部屋中を駆け回る。
「よかったぁ〜、あんなゴキブリと一緒に寝るなんて嫌だしねぇ」
 不満を募らせるスヴェンにローランは笑みをこぼすと、スヴェンの肩を叩いた。
「別に悪気があったわけではないが、この部屋しか空いてないからな。だけどもルギーの情報は約束する。だから私の部下としてしっかりと働いてくれよ」
「……あぁ」
 不機嫌になるものの、ローランが非情な性格でないことを理解すると、そっぽを向きながらも返事をした。
「中佐!」
 突然、駆け込んできたのは、セレン・ネクソン少尉であった。
 血眼な様子を見せるセレンに、さきほどまでの空気を一変して子供二人は冷め返った。
 セレンはスヴェンらを気にして、わざとローランの耳元でささやいた。
「中佐……“死人のロベル・エッフェ”が来ました」
 瞳孔が小さくなった。ローランは脳裏にそのロベル・エッフェの顔が浮かんで消えた。
「本当か……」
「はい、五年以来です」
 あわてふためる様子にスヴェンとクラウスが心配そうに表情をくらませる。
「どうか、したのか?」
「あぁ、生きた死人がきたのさ」




3  “The sad friendship” −悲しき友情−




 夕暮れ時のもの寂しい雨の中、ブレーメン軍事支部はやっけになって騒動中であった。
 支部内の兵士らは、やってきた“悪夢”を逐電のように周囲の兵士に語りかける。
「あぁ、来たのさ。やつが」
「本当か? どうするんだ?」
「勿論、ローラン中佐が“斬る”んだよ……」
「おい、中佐だぞ……」
 ローラン達が前にいたのに気づいて、ふと顔を床に向けて、ローランをすれ違って去っていく。いかにもローランの噂を聞こえられないように――。
 噂ながらもローランの名前が呼ばれたのを気づいて、ローランはセレンに指示する。
「やはり、私が斬るのかな……“ネクソン少尉”、サーベルを」
「……はい」
 姓で呼ばれたのを気色悪く思って、一つ間を開けて返事をするセレン。
 ローランが自分を“名”ではなく“姓”で呼ぶことは、かなり緊張じみている癖であったことを知っていた。
「おい、ローラン中佐、どうしたんだ?」
 と、スヴェンが問いかけた。
 ローランは深呼吸した。
「……知らないのか? “死人のロベル・エッフェ”という名を?」
「なんですか? それ?」と、クラウスが。
 スヴェンも気になった様子でクエスチョンが頭に浮かぶ。
 悪態疲れたような気分の悪い表情をして、ローランが話した。
「五年前のことだ。その当時はまだ、キマイラ――ルギーについての軍の研究機関があったのは知っているだろ?」
「あぁ、確か……――キマイラ研究機関だったっけ? そのまんまだよな?」
「そのキマイラ研究機関に元ブレーメン軍事支部の当時、中佐階級のキマイラの能力をもつ男が、ルギーの謎を究明するために研究機関に身をささげた」
「どうだったんだ?」
 ローランの口元が震えだす。
「……その男は研究中に脳に障害をきたして暴走した。しかも奴のキマイラとしての能力は、最大級の“免疫力”。傷なら数秒で止血でき、皮膚が回復する――暴走した奴を止めようとしたが脱走された」
 クラウスがそこで勘付いた。
「そいつが、ロベル・エッフェなんですね? 免疫力が優れてるから簡単に死なない、だから“死人”の名前がついたんだ……」
「あぁ、その通りさ――そして今、この支部の門にやってきている。五年以来だ」
「だったら、おれに任せてくれよ!」
 ローランは返答しなかった。
 会話に夢中だったスヴェンとクラウスは、サーベルを抱えて戻ってきたセレン少尉に気づかず、セレンの声にはっとした。
「そのロベル・エッフェは、ローラン中佐の友人なんです。はい、サーベルです」
 セレンはサーベルをローランに渡した。
 そのサーベルを腰にしまうと、瞳を鋭くして、こう言った。
「私の友人は、私が殺す……!」
 ローランとセレンは死人のもとへと向かっていった。
 スヴェンたちはその真実に耳を疑って、立ち尽くしていた。
「だから、ルギーの研究機関が閉鎖されたのか」
 
 五年前、急にその機関が閉鎖され、スヴェンはルギー解明に、一時は尻餅をついた時期があったのを覚えていた。
 そのときは、なぜ急に閉鎖されたのか疑問に思っていたのだ。
 そして、今、その謎が分かったのだった。しかしその真実は怖いものだった。
 ローラン中佐の友人であるロベル・エッフェは、軍のためにとルギーの解明に携わったが、それがこうもなろうとは思っていなかったに違いない。
 その友人を自分が殺すことになろうとは、ローランも思っていない。しかしこの支部にやつが赴いたのなら、自分が殺すことに“友情”を感じているに違いない。
 スヴェンとクラウスの二人は、サーベルの鞘が輝くローランの背中を眺めていた。

「さぁ、殺しにいくぞ、少尉」
「はい――」
 外は土砂降りだ。大粒の雨が土におちて、小さな穴をあけている音が聞こえていた。
「サーベルが錆びるまでに終わらせる!」
「そんなにすぐに錆びるわけがないですよ……」
 と、真剣に指摘する。
「――冗談だよ」
 ドイゼ国軍、ブレーメン軍事支部の威厳ある門をぎしり、ぎしりと音をたてて、ローランとセレンは門を押して、外に出た。
「っくっそ!」
 ローランの表情がこわばった。
 どこかに、少しでもここに来ているのは友人であるロベル・エッフェでないことを祈っていたが、その懐かしい顔に嬉しいような、悲しいような感覚を覚えて、瞳に涙を溜め込んだ。
「大丈夫ですか? 中佐、私が銃でやりましょうか?」
「いや、私がやる」
 ここに来たということは、友人である自分に殺して欲しいのだと言うメッセージだと思ったのだ。
 サーベルを抜くと、階段を駆け下りた。軍服のズボンが雨に濡れて黒くなった。
 びしゃり。落ちてくる雨つぶを斬ると真剣な眼で友人を見つめた。
「――私は! ロイター・ローランだ! こい! 殺してやる!」
「…………」
 しかし、無言のままロベル・エッフェはゆっくりと前進しはじめる。
 分かっていたのだった。研究中に脳に障害を起して、喋れないことが――。
「もう、私の声が届いていないのか……」
 サーベルの柄を強く握り締めて、決意を固めるとローランの顔はやさしげになるのだ。
 セレンの瞳には潤った涙がこぼれた。
「おい! いいのか! 中佐!」
「いいんですか! これで!」
 駆けつけたのはスヴェンとクラウスだった。
 友人を殺そうとしているのに、二人はまだ信じきれなかった。
 どこかに殺さずに済む方法はないのだろうかと希望を燃やしていたのだ。
 セレンがそれを制止した。
「二人とも……あの体を見て……」と、指差したのはローランと対峙しているロベル・エッフェだった。
 暴走したロベル・エッフェを抑えこむためにと何度も、兵士に八つ裂きにされた傷だらけの軍服に、肌の傷。
 最大の免疫力を――ルギーの力を借りて、自己意思ではなく生きつづけた体だった。
「そうか、もう暴走したから……自分の意思ではルギーの力は止められなくなったのか」
 暴走したロベル・エッフェには自分の意思ではルギーの免疫力を止めれず、死にたくても死ねない苦痛を味わってきた。
 だから、ここに来て、ローランに“殺しきって”欲しかったのだ。
「それに、あれを見て……黒ずんだアザを」
 ロベル・エッフェの体は傷とは違ったアザが。黒ずんだアザがあった。
「あれは、ルギー病の! ――そうか、もうルギー病になってたのか」
「そうなの。ルギー病のアザは全身にまで広がっていて、どちらにせよ苦しんでたのよ」
「――仕方ないんですね……」
 クラウスが涙目になっていた。
 けどもスヴェンは非力そうに苦しんでいた。
 手袋で隠れた左手の甲をなでながら、歯をくいしばっていた。
「スヴェン?」と、心配そうにクラウスがスヴェンの肩を抱いて、支部の中に戻って行った。
 スヴェンはその左手の手袋をはずして、手の甲をうかがう。
 黒いアザが左の手の甲を染み付けていた。
「くそ……おれ、死ぬのか……?」
「大丈夫よ、だからここまで来て、軍に頼んでまで、来たんじゃない」
 スヴェンはうつむいて、泣きじゃくった。

 冷たい雨が、三人の体をしたたる。
 ロベル・エッフェの顔も体も原型が分からないほどにサーベルと銃弾の傷でゆがんでいた。
 しかしローランはその傷で隠された友人の表情を知っていた。
「殺してやる」
「ウガァ、アガ、アアアアア!」
 何を喋っているかは分からない。けどもローランにはその言葉が分かっていたのかもしれない。
 遠くで見守るセレン・ネクソンもその言葉が何に聞こえたのか――。
「――ありがとう。ロベル・エッフェはそう言っているのよ……」
 セレンは握り締めていた拳銃を離すとローランを見守り続けた。
 そして、サーベルが天に向けられて、振り下ろされた。
 嫌な音と、血が雨に濡れる地面にとびちった。
「ウガァァァァァ!」
 最大の免疫力を屈してなおも、再生しようとするルギーの力にローランは歯をくいしばって、何度も切り刻んだ。
 しかし、その再生能力も衰えることをせずに、傷跡を修正するロベルの体。
 ローランは疲労を感じながらもにやけた。
「……覚えていないのか? 私の友人だろ? 私がキマイラだということを忘れたか!」
 サーベルが思いっきり一振りされた。
 すると、ロベルの体は一瞬で三回切られたように、怪物の爪あとのように体をひっかいた。
「私も……キマイラだということも忘れたか?」
 ロベルの体は一瞬にしてばらばらになって、地面にとびちった。
 確かに一振りだった。しかしロベルの体はその一振りでばらばらになっていた。
 セレンはそれを確認した後、毛布をもって駆け寄り、ローランの肩にそれを羽織らせた。
「セレン少尉、あいつは最後に友人の言葉を残してくれたよ、私がルギーの力を使って切り刻む前に、ロベルはこう言ったんだ」

――……ア……リィ……ガァァァ……トォォォゥ――と、そう言ったんだ。


 
 
4  “Logos.” −ロゴス− 
 

 

 ルギーがあれば、死が訪れる。
 それはルギーがウィルスだからだ。もちろん母体から産まれたときから体内に存在しているわけだから、ウィルスの働きによって早死は“キマイラ”として承知のうえだろう。
 だがその死が覚悟できているものか。長生きできないキマイラ達は死というものに直面して苦しむだろう。
 しかし、死という苦しみだけならいいかもしれない。なぜなら全ての人は必ず死ぬのだから。早く死ぬか、遅く死ぬかの問題だけだ。
 それだけならいいが、忘れてはいけないのがキマイラの能力だ。
 スヴェン・クライバーの能力は勿論、体内に流れる“電気”である。キマイラ達はそうして人間ではない力を自己意思によって働きかけることができる。
 
 小さなキマイラの子供が初めて自分の能力に気づいたとき、人間ではないことに直面したときの精神的苦痛は計り知れないのだ。
 人間なのに人間ではない。化け物だと迫害されることもあるだろう。それがあの伝説に繋がったのは言うまでもない。
 ――ルギーがあるものは人間ではない――それはこの世界の一つの決まり。

 暗黒に沈んだ夜の気配。その夜を切り裂くようにランタンの灯火が輝いている。
 女の声がそのランタンの灯る家から聞こえてくる。その声は子供にやさしく話している。子供は心配そうにその女――お母さんを見つめている。
 夢の中でスヴェンは、小さい頃の自分と寝込んでいる母を見ていた。
「おれ? あの子供はおれなのか?」
 これは夢の中だと言い聞かせて、スヴェンは忘れぬことがない悲しき思い出にもがいていた。ルギーのウィルスで死んだ母のあの最期はトラウマのようなものになっている。
 スヴェンは顔をゆがませた。
「お母さんが、死んだ……おれも、ルギーに殺される……!」
 母は死んだのだった。棺に入れられた母を泣きながら見送る自分の姿が夢の中でフラッシュバックのように描かれている。
「あぁ……やめてくれ! おれをいじめないでくれよ!」
 おまえはキマイラだ、キマイラの能力を見せてくれよ、おまえは人間じゃないんだろ?
 そんな子供の時の思い出がよみがえって、スヴェンは目を覚ました。
「っは、……夢……か?」
「大丈夫だった? うなされてたわよ?」と、クラウスが上から顔を覗き込んでいた。
 汗がにじみだしていたスヴェンはそれを拭うと正気に戻った。
「夢だったか……」
 ベッドから起き上がるとジャケットを羽織った。
 クラウスが不思議そうに見ていたが、ふと周囲を見渡して驚いた。
「部屋、掃除したんだ」
 あの埃かぶった物置部屋は、断然綺麗に磨かれていた。黒ずんでいた床も今では木製のぬくもりがある床に変わっていた。
「あれから一週間がたってんだ、掃除ぐらいするさ」
「あれからって?」
「――おれが泣いた日からだよっ。おれに言わせるなよ」
 クラウスは気づいてはっとした。
「あ、ロベル・エッフェさんの日から……もう一週間がたったんだね」
「……あれからローラン中佐に顔をあわせてないな」
「やっぱり、友人を殺すのっていい感じしないわね」
「あたりまえだろ、気になって喋りかけれもしないぜ……」
 スヴェンは歯を出して苦笑いを見せた。
 クラウスはそれを見守るように微笑みかけた。
「ルギー解明、がんばろうね?」
 しかし、スヴェンの心の中には、あのロベル・エッフェが気になって仕方が無かった。
 キマイラの研究の事故によって死をとげてしまったのが怖かったのだ。自分が今からすることは、そのキマイラの研究だからだ。自分もあのように暴走しないだろうか。
 キマイラとして、ルギーを自己意思で制御することは、それだけ困難なのである。

 ガチャ、扉が開いた。
 背の高い軍人が鋭い視線で入ってきた。
「やぁ、元気かい? スヴェン……それと可愛らしいクラウスちゃん〜」
 憎たらしい笑みでその物置部屋に入ってきたのはロイター・ローラン中佐だった。
 クラウスは小さく礼をするが、スヴェンは視線を横にそらした。
「……まだ、あのことを根に持っているのか? 友人を自ら殺した私を気にしているようだが?」
 近寄ってスヴェンの肩を叩いた。スヴェンはそらした視線をゆっくりローランにあわせる。
「平気なのか、あの……ロベル・エッフェのこと――」
「おまえみたいな餓鬼に心配かけられるような軍人ではない。それにあれで良かったと私は思っている」
 自ら志願したキマイラの研究に身をささげたロベル・エッフェは、軍のため、国のため、キマイラ達のためと、ルギーの解明に人体実験という研究に身をあずけた。
 それが逆にルギーの制御不可能と言うロベル自身の暴走につながるとは思ってもみなかった。
 しかし、ローランは友人として最後に会えたことを喜んでいるようだった。
 スヴェンは深呼吸を置いた。
「……っち、だったら中佐に心配かけなきゃよかったぜ。中佐が思い悩んでるかと心底思っちまったよっ!」
 と、言い張るとローランを振り払って部屋から出て行った。手袋に隠された左手の甲を見つめながら――。

「ぬわっ! なんだこの坊主はっ! こいつがスヴェン・クライバーだぁ!?」
 拍子抜けたような声が支部内を駆け巡った。
 その男――カール・ワイルという“政府局”の軍人である。クリーム色の華奢な髪は、綺麗にセンター分けされ、上品に香水をもしてオシャレをしているみたいだが、それには似合わないアゴのひげが、その男を矛盾させていた。
 整った顔立ちをしているほか、体型も良さそうであるのに、なぜか雑草のように生えたひげだけが、そのカール・ワイルという男を格段に下げていた。
「はぁ!? 誰だおっさん!?」
 支部内の休憩ルームでバッタリ出合ったその軍人と対峙するのはスヴェンであった。
 突然に怒鳴られたので、スヴェンも気を悪くしたようで顔をしかめた。カール・ワイルは頭をかいて謝った。
「お! すまんすまん、子供だとは思わなかったんでなっ。“おれ様”は政府局のカール・ワイル大尉だ。よろしくな!」
 口調は子供のようであった。自分をおだてて“様”を付け加える口調はなによりも、ローランのような楽観的な人柄だった。
「政府局? おれになんの用なんだ?」
 と、ソファーに腰をかけたが、ちらりとカール・ワイルのあごひげを見て、「なんだその変なひげ……」と笑ってやった。
 カール・ワイルが気にして言った。
「バカ野郎! この坊主! おれ様は、この自分の濃いひげを気にしてるんだぞ! 言わばコンプレックスなんだぞ!」
「……政府局のやつって、案外キャラ濃いなぁ」
 スヴェンは苦笑した。そして次ぎのカール・ワイルの行動に指摘した。
「あんた、ナルシスト?」
 カール・ワイルは素早く胸ポケットから手鏡を出すとひげを気にするようになでまわし、髪型をセットし始め、いつしかにっこりと微笑んで、自ら笑みをチャックしていた。
「しっかりとチェックしておかないと、男として駄目だからねぇ」
 と、手鏡をしまうと、急に貧相になって真面目そうに顔を変えた。
「ではでは、坊主。おまえはキマイラとしてルギーの情報が知りたいと?」
「え? あぁ、そうだけど……なんでおっさんが知ってんの?」
 急に小声になってワイルはスヴェンの耳元でつぶやいた。
「ローランから聞いたんだよ、坊主がルギーについて知りたいってな。キマイラは運命なんだよな……生を授かったときからルギーと言うウィルスも授かってしまったんだよな、そうだろ?」
「――で、あんた、あの中佐のダチ?」
 カール・ワイルは頷いた。
 政府局のカール・ワイル大尉は、あのローランの友人であり、軍に入隊した同期である。
 政府局というのは、五年前創設された政府の地方における行政機関である。法務などを扱うほか、軍自体を抑制する権利を持っている。とは言っても、その政府局や政府であっても殆どが軍幹部や裕福な家柄などの天下りなので、まったく機能を果たしていない。だから軍に対して民は期待などしていないのだ。
 ワイルは長々とローランとの友人関係や政府局について説明するとやっと一息ついたので、スヴェンが問う。
「それで政府局がおれの、キマイラの研究に何の用?」
 スヴェンが気に食わないような表情を浮かべた。
「おれの体内のルギーの研究は軍がするんだろ? 政府は関係ないと思うけどさ?」
 しかしカール・ワイルは愉悦に浸るような笑みをする。
「おれ様の死んだ親父が、閉鎖されたキマイラ研究機関の元学者だったんだよ……だから手伝ってやるよ。研究資料を坊主に見せてやる」
 スヴェンは仰天した。
 と、そこへ割り込んで入ってきたのは、クラウスとローランだった。
「ナルシストのカールとご対面かな?」と、ローランが微笑みかける。
「え? だれ? この“ひげ”の人」と、クラウスが口をふさいで笑いを押さえ込んだ。
 カール・ワイルは当惑して赤面した。
「おれ様は……ナルシストでも、ひげの人でもない! おれ様は政府局のカール・ワイル大尉だ!」

「カール、スヴェンにおまえの親父の研究資料を見せてやってくれないか?」と、いうローランの言葉でやってきたのは、ブレーメン軍事支部から少し離れたところのカール・ワイルの家宅だった。
 整理された緑の芝生に、石畳の玄関前。白壁レンガの大きな家である。
「まじかよ……ワイル大尉、これがあんたの家?」
 まじまじと眺めるワイルの家は、一般的な政府局の軍人だとは思えないほど、優麗な建物であった。
 ワイルは鼻を高くしていた。
「もちろん! おれ様の家だ。まぁ〜おれ様の家系は医者だからな〜」
 ワイルの家系はみんな医者である。
 それについてクラウスが問いかけた。
「じゃ、なんで医者にならなかったんですか? 頭いいんでしょ?」
「う〜ん。五年前に政府が創設してから、同じく行政機関として地方に政府局が設置されたんだ。そのときに、おれはローランの影響で軍人となって大尉階級までのぼった。けど、その家柄によって軍幹部から政府局勤務にされたってわけだ」
 ワイルは始めから医者になろうとしていたわけではないようだ。友人であるローランの影響によって軍人になろうと決意したのだ。
 ワイルが政府局勤務になったのは、軍人としての素質ではなくて、裕福な家柄として軍幹部が選抜したのだ。だから仕事をしっかりとしているというのは本当のところ良く分からない。
「ワイル大尉、政府局ってことは給料いいんだろぉ?」
「まぁ〜な……ローランには悪いけどな」
 と、ワイルが苦笑ぎみで、家の中へと案内した。
 
 ワイルの家に来たのは、言うまでも無く、ローランの頼みによるものだった。
 ワイルの父は――もう亡くなっているが――閉鎖された軍の“キマイラ研究機関”にいた有能な生物学者であった。だから、ワイルの父の書斎には、その資料が山ほど棚に並んでいた。
 ワイルは、スヴェンとクラウスを、その父の書斎に案内すると、好きなように資料を見てくれと言った。
 スヴェンは、ぺこりとおじぎした。
「おっ! サンキュウ、ワイル大尉」と、書斎の棚を一生懸命さぐりだした。
 ずらりとあるその資料の数に、頭を痛めているクラウスもいた。
 クラウスは書斎の机に座ると溜息をついた。
「なんて数なの……この資料……」
「凄いだろ〜? 親父が置いてった資料さ、おれ様も意味不明でね。キマイラやルギーとかいうのは訳が分からないよ。まぁ、坊主には役にたって、いい事したけどな〜」
 スヴェンは血眼になって、片っ端から資料を読みふけた。
 キマイラ研究機関が調べ上げたドイゼ国の全キマイラの所在地、そして能力。ルギーの資料――。
 そして、ロベル・エッフェの初めてのルギーについての人体研究。そしてその事故。
 全てがそこに記載してあった。
 こんな重要な資料が軍ではなくて、この家に置いてあるということが不思議に思うほど詳細に書き記されていた。
「……なんでこんな資料が軍に保管されてないんだ? ワイル大尉」
「その資料は重要じゃないんだろ。ここに置いてある資料は人に読まれてもそれほど重要じゃないってことじゃねぇか?」
 その返答にクラウスが勘付いたようで、書斎の机をどん、と、叩いた。
「じゃ、もっと重要な、機密にされるような資料があるんじゃないの? ルギーに関するなにか手がかりが……」
「そうだろうな、その資料が軍に隠されてるか、それともここのどこかに隠されてるのか」
 スヴェンが辺りを見回す。
 棚に並んである一冊の本だけがまったく別の風貌で置いてあったのに気づいた。
「おい、この本だけ全く綺麗だぜ……他の資料は黒ずんで古いけどな」
「坊主、それを押してみたらどうだ?」
 ワイルが言うまでも無く、スヴェンの手は、その本を押さえ込んだ。
 すると、本は棚の奥へと吸い込まれていくように勝手に奥へ移動した。
 そうすると、その本が並んでいた棚だけが横へスライドして、地下へ通ずるコンクリートの階段が現れたのだ。
 スヴェンは、地下の奥に潜むルギーの手掛かりを想像していた。緊張よりも先に笑みがこぼれた。
「ルギーの手掛かりはおれが貰うぜぇ〜」と言うと、横でワイルが「ふん、おれ様の親父も面白いことするねぇ〜」と、コンクリートの階段の奥を見つめる。
 クラウスもやっと得たかもしれない一つの手掛かりに、大はしゃぎだった。
「やったじゃん!……これでルギーの手がかりが掴めたら一歩前進かもしんないねっ」
 三人はそう言うと、中へ入っていった。
 誰も知らない場所へ――。

 その階段は長かった。
 冷たい白色の階段は、螺旋階段であって、だいたい二十段ぐらいもの長い階段だった。
 三人は地下に向かって突き進むと、先頭にいたスヴェンが頭を壁にぶつけた。
 階段は電気も通っていなかったので、暗く目の前に壁があるとは分からなかった。その壁を手探りでさぐると、ドアノブが手に引っかかったのに気づいて、やっとそれが扉だと分かった。
「……あ、扉だぜ」
 スヴェンはそれを開けると、明りもない真っ暗闇の一室に入った。
 三人はその暗闇を歩き回り、やっとのことでワイルが、机に置いてあった白熱電球のスイッチを見つけた。
「おれ様、電気みつけたっ!」
 カチッ――。ワイルがスイッチを入れ、白熱電球に電気を通すと、その暗闇は一瞬で吹き飛んで、明りによってその部屋の内装があらわれた。
 ワイルの父の書斎のように、ここも大きな机、本棚が壁にぎっしりと並べられ、本棚には勿論、ルギーに関する本などが並べられていた。
 ワイルは父の生物学者としての権威を物語った。
「おれ様の親父は、このドイゼ国では抜群の“頭”だった。だから軍に呼ばれてキマイラ研究機関に加わった。そんな親父が……隠れ部屋の一つぐらい持っててもおかしくないかもな」
「だけど、これって別に上の部屋の資料と変わらないんだけど?」
 クラウスが資料をぺらぺらと見つめて言った。
 スヴェンもうなずいた。
「そうだな。別に重要な資料っていうこともないけどさ」
「本当か?」と、ワイルが本棚から何冊か取り出して書斎の机に置いた。簡単に読むと、ルギーの単純な説明ほどしかなく、重要な、機密になるまでもの情報は記されていないようだった。
 そこへ、書斎の引き出しを開けていたクラウスが顔をしかめた。
「――ねぇ? この本はなに?」
 クラウスが引き出しから取り出した一冊の本。
 他の本とはなんら変わりない様子だったが、表紙に記された書籍の名前を見て驚いた。
「なんだこれ……“ロゴス”……?」
 スヴェンが放ったその言葉には、深い意味があるようだった。
 それはその通りである。“ロゴス”といえば、このドイゼ国が誕生する前から伝わるとされる“キリスト教”という宗教の“思想”の一部である。
「ロゴスって言えば……キリスト教の思想みたいなものじゃないの?」
 ワイルが深々として目を細めた。そのロゴスについて語り始めた。
「ロゴスの思想に“世界の本性が火または闘争”とされている。もっともな論理だが、そのロゴスという考えがなぜ、このルギーの資料に関係するのかが分からないな」
 ワイルが語ったキリスト教のロゴスと言う思想。それは人と人との紛争は絶えず流動してしまうという、当たり前の思想であった。
 そのロゴスがルギーに関係するのかは、その本をめくってみなければ分からない。
 スヴェンはゆっくり本に手をあて、ページをめくりはじめた。
 ひらり――。ページをめくり、出てきた文章は、やはりキリスト教のものだった。
「これじゃまるで、キリスト教の本じゃないか」
 本はまさしくキリスト教のものだった。しかしその本はワイルの父による手書きのものだった。他の資料はタイプライターによるものであるのだが。
 でも、もしかしたら、ワイルの父はキリスト教信者なのではないか……?
 しかし、クラウスが言った。
「ちょっと待って、これ見て」と、一部の文章を指をさす。ワイルの父が自ら記した手書きの文章だ。
 その一連の文章をワイルが読み上げた。
「――“ロゴス、それは『世界の本性である火または闘争は絶えず流動する』。つまり人は嫌でも紛争を起こし続ける。それは『永遠の闘争』というロゴスの考えである。その永遠の闘争を活性化させるのがロゴスという思想であり、ルギーとキマイラである。」
 真剣な眼差しで、その文章を見つめるスヴェンはつぶやいた。
「つまり、ルギーっていうのはロゴスの考えの一つである“永遠の闘争”を活性化させるものだということか……?」
 それに加えてクラウスが言う。
「“永遠の闘争”って……人と人とが争う紛争とか戦争とかっていうのを永遠に持続させるっていうことだよね?」
 最後にワイルが締めくくった。冷たい表情で言った。
「ルギーとかキマイラっていうのは、人が紛争を起すための道具っていうことか……人があんなキマイラのような力を持ってたら紛争は必ず起こるということか。だけど誰がルギーを生んだんだ? おれ様には、ぜんっぜん訳が分かんないよぉ〜!」
 大の字に腕を広げて頭を振るワイルは当惑した。
 キリスト教のロゴスと、ルギーとはなんらかの関係があるようだ。
 そしてそのロゴスの思想である“永遠の闘争”を、人間の憎しみや憎悪を活性化させるためのもの――ルギーというウィルス。
 誰がなんのために造ったのかは、誰にも分からない。
 しかし、いずれにせよキマイラ研究機関にいたとされるワイルの父には、知っていたことかもしれない。
 だとしたら、軍が関係してくることかもしれないのが浮き彫りになるのだ。
 スヴェンはそれに勘付いてにやりとした。
「その“ロゴスという名のついた本”を、ワイルの親父さんが記したとすれば、親父さんはルギーについて何か知っていた。もしくは閉鎖されたキマイラ研究機関の軍人、いずれは学者が、ルギーの謎を知っているのかもしれないな」
「じゃあ、キマイラ研究機関にいた人達に聞けば分かるかもしれないわよ?」
「あぁ、一歩前進だぜぇ」
 スヴェンは握りこぶしをつくって笑みを浮かべた。

 “ロゴス”。それは人と人との紛争、憎悪、憎しみなどの根源。つまりロゴスというキリスト教の思想は悪夢の力なのかもしれない。
 そのロゴスを活性化させるのが、ルギーである。
 しかし一体、誰がルギーを造ったのか。それさえ分かればルギーの解明にもつながり、ルギーというウィルスを体内から排除できるかもしれないのだ。
 スヴェンはそう思った。
 
 ――ドイゼ国軍ブレーメン軍事支部に一本の電話が鳴った。兵士が受話器を取ってみると、ローラン宛の電話であった。
 ローランは電話を代わり、耳元に受話器をあてた。
「はい、ロイター・ローラン中佐です。電話変わりましたが」
〈やぁ、僕はアレジだよ。革命団って知ってる? 今僕がザウエルの代わりに革命団の首領をやてるんだ〜。それでね、ローラン中佐に爆弾見つけて欲しいんだ〜〉
 軍の回線につないできたのは革命団の現首領だった。
 ローランは目を丸くして顔を固めた。
「……爆弾はどこだ……?」




5  “Bremen, destruction by fire” −ブレーメン炎上−




 訃報が出たのは昼間のブレーメン軍事支部だった。
 ついさっきのことである。理由は分からないが、なぜか指名されたローラン中佐は革命団首領と名乗る“アレジ”に爆弾設置を告げられた。
「……爆弾はどこだ?……?」と、ローランが静かに聞くと、アレジは受話器越しにせせら笑うと、「爆弾はネ、ブレーメン駅だよ。ローラン中佐に見つけて欲しいなァ〜」と、ローランを招待するようにそのまま電話を切った。
 “その時”は、ローラン自身はアレジのことを知らないものだと思っていた。首をかしげて、なぜ私に見つけて欲しいんだ。と疑問に思いつつ、サーベルを腰に引っ掛けてセレン・ネクソン少尉と共に軍車に乗って駅に向かった。

 太った腹を叩いて煙草を吹かし、ネクタイをゆるめた。
 昼食後の昼休み中だというのに関わらず、その訃報はマズルにとって嫌なことではなかった。逆に退屈を消す朗報というものだったが、その理由にはこの国家の情勢があったのだ。
 いつものようにカールするヒゲを指で丸めとった。
「ふほほっ。昼休み中にやってくれるとは想定外だが……我輩にとって不穏分子はいらないのだ!」
 それは、その訃報を知っていたかのような発言であった。
 煙草の煙を口から吐くと、窓ガラスから市内を見渡した。
「革命団も今は、金だけで動く勢力となってしまっては、刑務所にいる反軍のザウエルもさぞ悔しいだろうよ。ふははっ」
 革命団は軍を嫌う過激派である。同じく国民も軍を嫌っているわけなので革命団に賛同する者も多いかった。
 しかし、元首領ザウエルの逮捕によって革命団の秩序は乱れ、軍に対するテロ攻撃はなくなって、軍が雇う武装集団となっていたのだ。
 各地のテロ集団も軍事支部単位で雇われている事が実態だった。それを国民が知らないのも現実。 
「ぬふふ……革命団を金で雇い、政府に賛同する不穏分子をなぎ払う! 民主主義では国民が強くなってしまう。国の頂点に立つものは本当の力を持つ軍だけなのだ! 政府と言う民のオモチャなど消えてしまえなのだ! そして……その政府を作ったハイデッガー・フランツ総帥も消えてしまえ! 独裁政治こそが国にとって成功の道なのだ! ぬふふ」
 マズルは狂気したように笑う。
 自分が雇ったテロ集団を手駒にして、軍幹部の目指す独裁政治を実現しようとしていた。マズル自身も軍幹部の駒に違いないのに――。

 五年前に創設された政府は、軍総帥であるハイデッガー・フランツが政府の統領となっている。政府ができたことによってフランツは独裁政治である軍事国家を取りやめて民主国家という革命を始めた。それについて賛成を示さない軍人がいるのは勿論のことだ。
 フランツ総帥――政府の統領――が行い始めている民主国家を目指す動きは、独裁政治により権力と金を握っていた軍人を弱くさせていった。軍内部では軍が国家の頂点とする“独裁政治派”と、民衆を第一とする“フランツ総帥派”の二つの派閥が強烈にもめているのだ。
 そして、今――マズルに雇われた革命団は“民主国家”に賛成するロイター・ローランを潰そうとしていた。

 車は軍事支部から二キロ程進んでいた。市内はやけに人が多いく、ローランの車は人が少ない裏路地を通って走っていた。そのためか時間が無くなる一方で、細い道なので車には爪あとのように傷がついていた。
 そして車は道の悪い段差続きの裏路地にいた。
「くそっ! なんだ、この悪い道は! これじゃ、大便したいとき漏れてしまうではないか!」
「ローラン中佐、今は真剣に駅に向かってくれませんか?」
「あぁ、分かっているよ、セレン少尉……」
 こんなときにも関わらず間抜けなことを言っているローラン中佐ではあったが、その表情はりきんでいた。
 セレン少尉が顔を覗いて、もしやと思い問いかけた。
「中佐、本当に大便ですか?」
 ローランが歯を食いしばった。
「あぁ、早く大便がしたくてたまらないな……車に乗る前にトイレに行くのを忘れていた……」と、ローランは雨雲のような暗い顔を浮かべてぎこちない苦笑いをセレンに見せた。
 とは言いながらも車はやっとのことでその道から開放されると、ローランは少しほっとした様子だった。
 その道はまだ駅まで程遠いかった。「まだここか」と、ローランが嘆くとセレンがはっとして思った。
「そういえば駅の近くに政府局のカール・ワイル大尉と、スヴェン君達がいますけど」
「そうか……あのナルシスト野郎と、キマイラのスヴェンがいるな……」
 ローランはポケットから時計を取り出すとうなづいた。
「爆発予告まで後十五分か……セレン少尉電話頼む! ワイルの家の番号は……」
「知っています、中佐のお友達ですから」
  このまま車を走らせていては駅に着いたときにはもう手遅れで、爆発しているに違いないと判断したローラン達は、駅の近くにいるワイルらに頼むことにした。
 車は急ブレーキをして一軒の家の前で停車。セレン少尉が家にノックせずに強引に押し入った。家の者は慌てふためいて叫んでいたが軍服姿に気づいて物静かになった。
 セレンは土足で電話のもとへと早歩きで行き、受話器を取って呼び出しした。呼び鈴が二つコールするとカール・ワイルが電話に出た。
「はいはい〜。カール・ワイルですよ〜」
 道楽的な口調のワイルに一切の注意の言葉をせずにセレンは眉を細めて怒鳴った。
「カール・ワイル大尉! 駅に直行ねがいます! テロ予告まで後十五分です!」
 ワイルの返答は無かったが、少しすると状況を判断してこう言った。
 後ろからはラジオの放送が鳴っていたので気づいた。革命団の駅占領が放送されていたのだ。
「……ははは! テロだな! 任せろや! こっちにゃ、キマイラさんがいるんでな!」
 ワイルは駅に行くことを了解して強引に受話器を切った。セレンはそれを確認してまた土足で家から出る。
 乗車したセレンはローランに報告した。
「ワイル大尉とスヴェンが向かいます」
「そうか、後に私らも駅につくだろう……」
 ローランはアクセルを踏み込んで発車した。

 セレンからの電話によってワイルとスヴェン、そしてクラウスの三人は地下の書斎を後にしてワイル宅から出た。
「ブレーメン駅にまた革命団ってか?」
 スヴェンがぼんやり呟く。
「あぁ、まただよ。テロなんてしたら政府局のおれ様が忙しくなるだけなのにな……」
「いいじゃないですか、お給料高いんですし」とクラウスが釘を刺した。
 三人はワイルの軍車に乗り込んだ。
 ワイルは鍵をさしてアクセルを踏み、車は駅に向かって走り始めた。
「革命団が駅に爆弾なんて可笑しくないか? だって民衆のヒーロだぜ!?」
 ふと疑問に思い腕を組んでつぶやいたのは後席に乗るスヴェンだった。同じくクラウスも首をかしげる。
「……そうね……だって革命団って軍を嫌うテロ集団でしょ? 民衆も軍を嫌ってるわけだから革命団はどちらかと言うと民衆の味方だよね? だったら駅を爆発させちゃ民衆が黙っちゃいないわ」
 それに対してはワイルも同意した。
「確かにだな。そういえばザウエル逮捕から革命団の動きも変わったっけな? ブレーメン市内での小さな暴動も軍を批判するような事をしていないみたいだしなぁ」
 ――やはり、何かがひっかかる。
 フランツ総帥になってからというものの、一気に民主主義の政策がなされて国家情勢も軍内部の様子も一変した。
 今、この時が、ドイゼ国が変わる時なのかもしれない。スヴェンはそう思った。

 ブレーメン駅には民衆の人影がなかった。物寂しいだけがそこにはあって、ただ時計塔の針の音だけが響いていた。
 しかし、その音が聞こえなくなった。
 駅からぞろぞろと大勢の革命団の兵士が鉄パイプや拳銃を持って駅の周囲を固めだした。
 時計塔の下に座っていた男が駅前の通りを舐めるように見渡した。
「……ま〜だかなぁ〜ローラン中佐は……」
 その男は革命団現首領のアレジだ。
 マズル中将に雇われた革命団の首領だった。
 童顔で背が高く、ひとまわり小さな肩。ぼんやりとした冷徹な表情。コンクリートのような冷たい雰囲気がアレジにはあった。
「アレジさん!」と、アレジに寄ってきたのは一味の男だった。「なんだぃ?」とアレジが振り向くと男は視線を泳がす。おどおどとしながらも発言した。
「……やめませんか!? こんなこと……ザウエルさんが悲しみますよ!」
 その一言に空気が乱れたような感じがして、その男は周囲を気にして、きょろきょろとする。
 ――が、一番冷ややかな目線で睨んでいたのはアレジだった。彼のグリーンの瞳が男の眼前まで近づいていた。そして口をゆっくり開けた。
「なんか言ったァ〜?」
 ぐりぐりと顔を男に寄せるアレジは微笑みかけた。
 男はうつむいて続けた。
「金欲しさに軍に雇われるたんて……。おれらは独裁政治の軍を恨んでるんでしょ!? アレジさんも軍兵に両親を撃たれたって……言ったじゃないですか! それがなぜ軍に雇われなければならないのですか!」
 周囲がざわざわとうごめいた。
 アレジは顔を地面に向けて沈黙する。それを必死に睨みつける男――。
 ――革命団の中でも金欲しさに軍に雇われることを決意した者がいる。そして軍を憎んで軍を潰そうと決めた者もいるのだった。
 しかしアレジは顔を起こして、男の頭をがしりとつかんだ。そうして一言だけ漏らした。
「ブレーメン軍事支部のロイター・ローランを殺せば報酬は高いんだよぉ?」
「しかし! おれらは革命団です! 民主主義を訴えるフランツを支持する誇り高き革命団です! やっと軍の総帥に民主主義を訴えるフランツが就任したんだ!」
「黙れよ……」
 アレジの口調が一変して、男は息を飲んでぞっとする。
 暗い表情でアレジが顔を近づける。
「僕たち革命団は軍に反対するばかりに金をしぼりとられたんだよ? 金がなきゃ生きていけないだろ? おまえだってそう思ってたんじゃないかぁ〜? 」
 その通りだった。軍に雇われれば報酬がもらえる。そうなれば軍を反逆するテロリストとして金を搾り取られることもなくなる。しかし男は納得いかなかった――。
 男はそのジレンマを抑え込んで、グっと拳を固めて黙ってアレジから離れていった。
 アレジは冷徹な表情をすると、ため息ついて座り込んだ。
「僕だって民主主義は良いと思うよォ〜。でも……金がないんだから、雇われるしかないんだよネ……どうせドイゼ国に民主主義は到来しないんだヨ……」
 アレジはこの国の民主主義を期待していなかったのだ。ザウエルの逮捕後、アレジの心は一変して軍に身を預けてしまった。しかし本当は心の中に埋もれる願いがあった。それはザウエルの願いでもある。
 ――軍の独裁政治を倒し、民衆を大事にする国をおこすこと――、それが革命団の本当の信念であり、ドイゼ国民の願いだった。

 ――そのとき、仁王立ちする男が現れた。
「やいやいやい! 革命団野郎!」
 軍車がブレーメン駅の広場に着くと、運転席から怒鳴りあげながらワイルが出てきた。眉間にしわをよせて問答無用で大股で歩き寄ると革命団の前で仁王立ちした。
「ってめぇらぁ〜おれ様に許可なししてテロなど許さん!」
 そのワイルにスヴェンとクラウスは後ろで苦笑いしていた。集まっていた革命団の兵もその男を睨み潰していた。
 するとワイルがふと後ろを振り向いて、スヴェンに対して指差した。
「キマイラ坊主! ここでこいつらを倒しちまえ!」
「……ワイル大尉、あんたってローラン中佐以上に能天気なんだな」
 仕方なくワイルの指示どおり革命団の鎮圧を了解した。
 周囲にむらがる野蛮な男の中心にスヴェンが前に出て突っ立った。クラウスも心配そうに見守る中、スヴェンは鼻歌を漂わせて、ポケットに手を突っ込んで軽くあしらっていた。その様子にワイルも慎重に立ち去るとクラウスの傍らでぼそりと言った。
「クラウスちゃん? 坊主、本当に大丈夫なのかい?」
 ただ一人で革命団の中にいるスヴェンを見つめながら、風にあおがれる金髪をさりげなく耳にかけるとにっこりと笑った。
「ワイルさん、あいつ強いですから」
 その言葉にワイルは眉を細めた。
「そうか……坊主に任せりゃ大丈夫……か……」
 クラウスには幼馴染としてのスヴェンに対する強い安心感があった。キマイラとしての力とスキルには納得していたのだ。
 スヴェンは駅広場の中心で兵に囲まれて鼻歌を歌い続けていた。
「さてと……すぐに終わらせて帰って眠りたいんだけど……首領って誰?」
 あたりを舐めるように伺って、ふと時計塔に腰かける細身の男がいたのが視界の横で見えた。
 アレジはむくりと立ち上がって、つばを吐き捨てると奇妙なまでに微笑んだ。
「僕がアレジ……首領だ。まだローラン中佐は来てないみたいだネ」
「あぁ、おれらが先にここに着いた。中佐はもうちょっと後だぜ……だけど、おれがお前をぶっ飛ばすから中佐には顔合わせできないぜ?」
「ははっ、そうかぃ? じゃちょっと面白そうなキマイラさんだな」
 拳を握り締めたまま、スヴェンに突進していく。
「おいおい! 捨て身か!?」と、スヴェンが微笑んで手のひらを前に差し出す。電流が手のひらで踊っているのが見えた。
 アレジが勘付いて笑った。
「ははっ! 電気のキマイラさんかぃ!?」
 突進してくるアレジはもうスヴェンの目の前まで近づいてきて、スヴェンはここだと決め込むと手のひらに踊る電流をはじけさせて、アレジの体目掛けて竜のように一直線に手のひらから電流がかけ飛ぶ。
「……直撃だぜ……?」
 直撃はまぬがれなかった。アレジの体にあたった金色の雷は全身を巡って体全体を金色に光り輝いた。
 悲鳴をあげるアレジを凝視して、初めて見るワイルはスヴェンの力に唖然とした。
「坊主、やっぱりキマイラか……人間じゃねぇな……」と、その一言が聞こえたのかクラウスがふとワイルの顔を一瞥して苦笑いを浮かべた。
「やっぱ恐ろしいですね、何度見ても」
 クラウスは幼馴染であるが、このスヴェンのあれについては慣れないようだった。
 アレジは勢いよくおたけびを轟かせて、天を仰ぐように両手を広げて電流を浴びていた。
「あががが! あぁ! がぁ〜! あ……あぁ!」と、意味の分からない言葉を連呼してその場で立ち尽くすアレジにスヴェンはつまらなさそうに表情を変えなかった。
 しかし、アレジの様子が一変した。スヴェンの顔をふと真顔に戻ったのだ。それは、アレジが全くもって電気によって倒れなかったからだ。「可笑しい」とスヴェンの心内ではそう思っていた。いつまでたっても電気によって倒れこまなかった。アレジの体が絶縁体のように――。
 すっと電気が水蒸気のようにアレジの体からふわりと浮き上がって消えたと思うと、アレジはにっこり微笑んだ。スヴェンの表情は暗くよどんだ。
「なんだぃ? あの電流はぁ? これじゃ全く僕は死なないヨ……」
 そう、アレジの体は電気を通さない絶縁体であった。スヴェンは直感した。
「お前、キマイラか?」
「そうだヨ……僕はキマイラさ……皮膚の構成物質が全て絶縁体で出来ているんだヨ。とは言っても何の物質かは僕には分からないから聞かないでくれヨ?」
「自分がキマイラなら、それぐらい知っておくべきじゃないのか?」
「僕は、科学者じゃないからネ……これも子供のときに感電死しなかったのが原因で分かったことだからさぁ〜……くくく」
「――それにしてもやりにくい相手だな。絶縁体のキマイラなんて初めて相手にするぜぇ……」
「くふふふっ……楽しいなぁ〜キマイラさん」
 アレジは愉悦に浸って、なおかつ歓喜の笑みをこぼしていたが、スヴェンは困惑したようで眉間にしわをよせた。
 周囲は革命団の兵によって固められ、中央に時計塔を隔てて、スヴェンとアレジが対峙している。この状況では逃げ切ることもできない。それを見守っていたクラウスとワイルは慌てふためいていた。
 そこへ、その低迷した空気を切り裂くごとく一台の黒色の車が広場に停まった。ローランとセレンが乗る軍車である。それを見たワイルとクラウスはこれを打開できるものだと信じて目を輝かせた。
 ローラン、セレンは降りるとすぐに現場の状況を飲み込んだ。
 ローランは集団に囲まれるスヴェンを睨むと、ワイルの肩を叩いた。
「ワイル、お前はすぐに駅内の爆弾を見つけて来い。爆破予告まで時間がない」
 ローランのとがった眼差しで、ワイルは肩をすくめながらあいづちを打つ。
「お、おう……おれ様が爆弾を見つけるんだな……お前はどうするんだ?」 
「私はスヴェンを加勢する」
「そうだよな! キマイラのおまえがいれば問題ナシだな……」
 ワイルはその言葉を聞くとすぐに立ち去って駅内に向かう。爆弾を探しに――。
 走って駅に向かうワイルの背中を確認するローラン。拳銃を持つセレンもローランとアイコンタクトを取るとワイルを追って駅内に向かった。
 真剣な面持ちのローランに対してクラウスが当惑した表情でうかがった。
「ローラン中佐、スヴェンを守ってくださいね?」
「……当たり前だ。私もキマイラなんでね」と微笑む。
 ローランがキマイラだということを知って仰天するクラウスに手を振ってローランはにこやかに。そして真剣な表情を浮かべて革命団の兵の中へと入っていった。
 ローランに気づいたスヴェンが後ろを振り向いた。
 アレジも首をかしげている。
「中佐!? ……何しにきたんだ!? 助けなんていらねぇぜ?」
 スヴェンはローランに助けられることが嫌だった。自分がキマイラだという人並みと違った力があることにプライドがあったからだ。
 ――ローランもまたキマイラである。しかしスヴェンはまだ知らない――。
 スヴェンが子供にして力を使えることに対して有能だと思って心配はしていなかったが、意外にもアレジにてこずっている様子を見て少し笑うローラン。
「スヴェン、なにをもたもたしている? “一般人”なのだろ?」
「ローラン中佐、やつは“絶縁体”だぜぇ? おれの電気は無効だよ」
「やつも、キマイラか……しかし絶縁体だろうと私には関係ない。しかし人並み外れた身体能力はキマイラとしてあるだろうから少しは頑張ろうかな……」 
 すっと軍服を脱いで地面にぱさりと置く。すると彼の白色の上半身が日光に照らされた。肩の、腕の、背中の、腹の筋肉はぐっと引き締まって、いかにも軍人らしい体型が伺われた。不思議そうに凝視するスヴェンにローランは一瞥する。
「スヴェン、今から私のキマイラの力を見せてやる」
 サーベルの柄を掴んで鞘からすっと抜き出して一振りした。
「ローラン中佐、あんたキマイラだったのか? ……じゃあ、あのときも――」
 スヴェンの脳裏によぎったのはローランが殺したロベル・エッフェのことだった。
「だから、中佐は死人のロベル・エッフェを倒せたのか……」
 ローランはこくりとうなずく。そしてサーベルの先をアレジに向ける。剣先が眉間に刺さり、アレジは舌を打つ。
「スヴェン……こう見えても私は強い。見よ、私の剣さばきを! ――冗談は後にして、今はアレジを潰すか――」
 アレジは激昂してローランを睨む。その視線に答えるようにローランはサーベルの柄を強く握り締めた。
 その直後、二人が目の当たりにしたものは――。
「マジかよ……ローラン中佐」
「なによ、あれ……キマイラってやっぱり凄いかも……」とクラウスも軍車に身を隠して呟いた。
 ローランの上半身の筋肉は硬直し、白色の綺麗な筋肉の筋も、一瞬にして鍛え上げられたような大きな筋肉と化して、ローランのその優しげのある顔には似合わない体つきとなった。腹筋は割れて、二の腕は腕力の塊りのようである。
 彼はサーベルの剣先をアレジに向けたまま、視線を鋭く突き刺した。
「これでも、私を殺せるというか?」
「なるほど、アンタは一気に筋肉を増幅させることができるのかァ……僕はただ電気を通さないような強い皮膚だけだから勝てないかもしれないネ……」
 気色の悪い笑みを浮かべるアレジにいきり立ったローランはサーベルを構えて、「なら、すぐになぎ払ってやろう!」といいながら振り上げたサーベルは一振りされてアレジの肩から脇腹まで斜めに切り裂いた。
 ――アレジを裁判にかける訳だから死なせる訳にはいかない――。ローランはそう思って軽くサーベルを振った。斬った感覚はあった。しかし――、
「どういうことだ?」
 感覚はあった。しかしそれはアレジの服だけが斜めに切れていただけで、サーベルは肉を斬っていなかった。その感覚はただ服を斬ったものだったのだ。
「……皮膚の上を滑った? サーベルが……」 
 アレジは電気を通さない絶縁体だけの機能を持った皮膚ではなかったのである。
 ぞっとした冷たい空気がローランの頬を蹴った。
「ローラン中佐さん……僕って案外強いでしょ? 僕の体、強いでしょォ?」
 確かに予想外である。アレジの肉体を斬れいないことが。
 しかしキマイラは完全に不死身ではない。ルギーは肉体を強化するが、同時にウィルスであるから、そのダメージは身体に大きい。完全に強化された人間ではないのである。
 ローランはサーベルを降ろして力んだ肩をすくめて、キマイラの力を抑え込み、盛り上がった筋肉はゆっくりと静まり返り、体は一回り小さくなった。
「斬れないと手出しができない。スヴェン? どうする?」
 スヴェンは目を丸くして首を振った。
「いやいや、これじゃ、おれでも手は出せないぜ」
 その会話を笑うアレジは愉悦に慕っていた。
 光沢するアレジの皮膚には傷一つ無く、すっと筋を通る腹筋だけが服の裂け目から見えていた。
「はは……僕は無敵なんだヨ……」

 汽笛も聞こえず、駅内は静まり返っていた。もちろん爆弾があるから人はもういない。
 革命団は軍の独裁政治特権を否定していたから、民衆も革命団には賛同していた。しかし、今となっては革命団も独裁政治派の軍人に操られている。
 ドイゼ国が、軍の独裁政治によって完璧に統制された国となるのか……それとも、民主主義を柱にする国となるのかは、民主主義派の軍人、政治家――そしてフランツ総帥らによってなしえるものとなっている。それが今の国の局面である。
「どこだ! 爆弾は!?」
 暴れるように駅内を走り回るカール・ワイル。
 もう一人、ワイルの背中を追うセレン・ネクソンもいた。
「なぜでしょう……爆弾処理班も、増援部隊も来ないなんて……へんですね」
「あぁ、確かに。おれ様がこんなに爆弾探しているのにも関わらず、なぜだ?」
 当たり前だった。増援部隊も爆弾処理班も駆けつけてこないのは、マズル中将の命令があったからだった。ローランらに任せておけ――マズルの言葉に反対する軍人も多かったが上官に逆らうはずも無く、増援部隊も駆けつけてはいない。
 増援部隊が来てしまえば爆弾は発見され、アレジも捕まり、ローランを“殺す”ことが出来なくなるからだ。
 もちろん、そんなことはワイル達は知らない。汗が頬を流れてあせりだす二人。
「っくそ! 一体、どうなってんだ!? 増援部隊がこないのは!」
「――もしかして……マズル中将が、行かせるなと命じてるんでは?」
「そ、そんなわけあるかっ!」
「しかし、未だに増援が来ないのは話が変です……」
「た……確かにだ……軍も狂ってるんじゃないか?」
 二人は思慮した。
 未だに増援が来ないというのはおかしするぎと。
 爆弾が設置されているという情報は嘘なのか――そういう考えが一つ浮かんだ。
 ワイルはそんなことを思って、ふと駅の鉄柱の裏にちらつく赤い点滅が視界に入ったのに気がついた。
 もしかして――駆け寄るとそれは確かにカウントダウンの点滅だった。
「あったぞ! セレン・ネクソン少尉!」
 セレンは微笑みながら駆け寄ると、表情を暗くした。
「あと……一分……爆破まであと……一分!」
 爆弾のウィンドウに表示される赤いデジタルの数字は、“00:01:00”となっていた。
 爆弾発見に歓喜あげていたワイルも真面目になってそれを見ると、うつろになった。
「……死ぬのか……?」
 チカチカと、赤い点滅がリズムより照らしていた。こくこくと数字は減りだす。
 “00:00:59”――……。
 その赤い数字がぼやけて見えた。


2007/11/24(Sat)20:52:47 公開 / いひっ!
■この作品の著作権はいひっ!さんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
いひっ! です!

甘木さん、分かりました。キャラを詳しく、分かりやすく表現しなければなりませんね。キャラを個性豊かに、というよりかはキャラを区別できるように・・・。いや難しいなぁ・・・まずは更新だけしました。
また、次回ぐらいには修正を加えたいと思うので、少々お待ち下さい。

またのアドバイス、よろしく^^

作品の感想については、登竜門:通常版(横書き)をご利用ください。
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