『木製可燃性麒麟』 ... ジャンル:リアル・現代 ファンタジー
作者:泣村響市                

     あらすじ・作品紹介
麒麟はクラムボン。少年は大槻峠。二人とも世界は嫌いだけど、二人とも世界を救ってる矛盾した生き物。

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 彼は世界を愛しちゃいなかったし世界も彼を愛しちゃいなかったらしい。
 

 例えば、夏なのにどこかひんやりした朝や地面に横たわる太陽の日差しを大槻峠は結構心の底から好きだと思っていた。
 これはそんな朝。
 
 大槻峠、十五歳。受験生。本人はどうでもいいとさえ思っているのだけれど、両親の計らいによって県内でも屈指の私立高への受験というなの戦争に身を投じた少年兵。彼は銃器の代わりに筆記用具を持って、優秀な指揮官の代わりに参考書を開いて、頼れる仲間の代わりに頼りない自分の理解力と記憶力を携えて戦場へ向かっていたわけだ。
 そんな訳で峠なんぞという人につけていいんだか微妙な名を命に刻んだ少年兵は、今日も今日とて夏期講習のために制服姿で塾へ向かうことになっている。じーわじわと蝉がうら空く鳴いている。
 夏休みは週三回の一日午前午後合計四時間コース。起床八時。移動時間二時間。眠い。八時起きだからと言って舐めてはいけない。夜型の峠にとっては地獄の日々だ。夏休みなのに地獄。
 そんなこんなで今日も大槻峠くん起床。ぴっぴこぴっぴこと持ち主の心境とは正反対に陽気なリズムを奏でる携帯のアラームを半無意識で止め、寝癖でぼっさぼさの髪をがし、と掻き回す。
「……眠い」
 今日も地獄の始まり始まり。
 スリッパも引っ掛けないままジャージ姿でリビングまで降りる。テーブルの上には焼いていない食パンと目玉焼きと簡単なサラダが盛ってある皿が置いてある。仕事に出た母が用意したのだろう。皿の端にパンは古いのでちゃんと焼くようにという内容のメモが添えられていた。
 寝ぼけ面のまま生の食パンを胃に詰め込み、サラダをドレッシングもかけずにもしゃもしゃと食み、目玉焼きを飲み込む。冷蔵庫をばこりと開けて成長期には欠かせない牛乳を喉に落とした。
 キッチンの水道で顔を適当に洗い、着ているTシャツで拭く。顔を洗ったくらいでは峠の眠気は飛んでくれないが、気分の問題だ。
 一度部屋に戻り、制服に着替える。全く持って平凡極まりないブレザー。
 がたがたと机にぶつかりつつ家を出て、未だに覚醒しきらない脳で家の前の道のT字路を突っ切る。駅まで徒歩十五分。遠いのか近いのか微妙、しかしてもうちょっと近ければ峠の行動範囲はかなり広がっていたであろう距離。
 道端に落ちた百円ライターが寂しげに影をおとしている。
 こつこつこつこつとまるで三十前のサラリーマンの貯金のような音を足元のローファーが響かせる。かなかなと涼しげに蜩が鳴いていた。しかし日差しは暑い。癖に空気は冷たい。
 眠い頭のままで峠は空を仰ぐ。此れは中々珍しいコンディションだ。気分がいい。こんなにも気分の悪い世界の片隅で、今日はそれなりに気分がいい。何でだろう。原因追求は面倒なのでしなかったけれど、少しだけ嬉しくなって峠は歩を進める。
 こんこんこつこんこと、こんっ。
 はたと進めていた脚を止める。
 麒麟がいた。
「……」二、三度瞳を瞬く。こしこしと手首で右目をこすり、もう一度見上げる。「……」
 やはり麒麟がいた。
 伝説上の動物の方ではない麒麟だ。サバンナで悠々と歩き、草を食む方のキリン。長い長い首にぴょこんと生えた可愛らしい角。象にも似通ったつぶらな瞳。黄色い体に茶色の斑点が飛び散っている。
 物凄く場違いな、しかもそんじょそこらの場違いではない。熱帯雨林にいるペンギン並な場違いだった。
「……何故。麒麟が?」
 寝ぼけた頭が必死に事を整理するが、三度ほど整理を繰り返しても出てくる探し物は‘理解不能’の四文字だった。
 三つの理解不能が峠の頭の中を回りだす。
 峠が麒麟の足元あたりで頭を抱えていると、ふと、今気付いたような仕草で麒麟が峠を見た。
「……どうも」
 喋った。
「……えぇ、どうも」
 返事をした。
 麒麟が喋った。
 何だよそれ反則じゃねぇか何だよ何だよ、ニュータイプなのかこの麒麟は。うわ格好いい。え、あれ、それって格好良いのか? いやあんまり格好よくないような……っつうか格好よくない。麒麟は好きだがニュータイプじゃないほうがいい。ナチュラル万歳だとか峠は場違いなことを考えて麒麟を見つめる。
 つぶらな瞳が真っ直ぐ峠を見下ろしていた。
「どうかしましたか?」柔らかな声で麒麟が峠に問いかける。「何か用ですか?」
「用も何も何で麒麟が道の真ん中にいるんだ」と言いかけて、口をつぐむ。見上げた麒麟は、大きかった。
 幼稚園児ぐらいの子供が檻に入ったラクダを怖がる感じ、今の峠は、そんな気分。
 だってでかくて怖いんだもん、というあれだ。
「何で、」少しかすれた声が飛び出る。「何で、こんなところに、麒麟が」
 一歩、気圧されたように下がる。気押されるように、下がる。
「僕は麒麟のクリムボンというのですよ」
「くりむ、ぼん?」
 宮沢賢治? と問いかけそうになる。たしかあの話は蟹の親子が梨を……てどうでもいいどうでもいい。
「はい、クリムボンです。貴方は?」
 そんな極当たり前のように麒麟、否、クリムボンに問われ、
「ぉ、……大槻、峠」
 名乗ってしまっていいのかと一瞬悩み、やっぱり名乗った。
「おーつきとーげさんですか」
 なんだか間違った発音の名前を聞き流し、疑問をもう一度言う。
「何でこんなところに、麒麟が?」
「麒麟ではありません、クリムボンです。」
「……」クリムボンはかなり融通の利かない性格らしい。「クリムボンが?」
 問い直すと、胸を張るような仕草をし、クリムボンは自慢げに言う。

「貴方に殺されにきたんです」
 
「……はあ?」
 思わず聞き返した。
 峠は未だ自分は寝ているんじゃないかという思いに囚われ始める。まだ起きてない自分の見ている夢なのか。道の真ん中に麒麟がいてそいつは喋って自分に殺されにきている。だとしたらこの夢が暗示してるのは一体なんなんだ。今度ユングあたりの本を図書室かなんかで借りるべきなのか。
 ワケが分からない。理解不能。
 思考を停止させようと麒麟を見上げる。
 黒い瞳が峠を写している。
 特徴の無い顔。ヒビリ染めしている髪。平凡極まりないブレザー。
 唯黒く黒く黒く黒く染まって。
 黄色い体に飛び散った茶色の斑点に目を移す。サバンナではカモフラージュになる其れは、一般的な住宅街では逆に目立たせるだけの無用どことか邪魔な産物。毒々しい、黄色茶色。
「クリムボンは貴方に殺されにきたのですよ」
 そういうとかぷかぷと笑い出した。
 麒麟が笑う様を虚ろな気分で見る。
 人通りの少ない私道の真ん中、麒麟と少年の邂逅。ただただ不思議な不可思議な世界。
 クリムボンはかぷかぷと笑い続ける。
 かぷかぷかぷ。
 人間だってしないだろう、不可思議な不気味な可笑しな笑い方。
「……え? はあ?」
 間の抜けた声が声帯から飛び出す。
「クリムボンには世界を壊す力があります」かぷかぷと笑うのを止め、クリムボンは語りだす。「そして貴方は其のクリムボンを壊すことが出来る」
 ワケの分からないことを。
 意味の分からないことを。
「そして私は世界を壊したくなんて無い。だから貴方に殺されます。どうでしょう、理にかなっていませんか?」
 理にかなってなんていない。
 麒麟が、
 麒麟が。
「……どうして」
 峠が呟く。理解が追いつかない、意識だけの声。
 彼は何も考えてはいない。
 さして言うなら、思い出している。
 小さな頃。まだ彼が受験なんて戦争の存在さえ知らなかった頃。宮沢賢治のやまなしを読んで思った。
 クリムボンって誰だよ。
 其の答えが、今なら分かった、気がした。
 こいつだ。
 サバンナで悠々歩いて草を食んでいれば良いのにこんなところにまで来て殺されたがってる。
 かぷかぷ笑って。
 どうしてクリムボンは笑ったの。
 何故笑ったかって? そんなの簡単じゃないか。俺に殺してもらえるからだよ。
 世界を壊せるクリムボン。紅い世界を爆発させる其れ。
 そして、其れを壊す、峠。
「どうして、世界を壊さない?」
 虚ろな声に、クリムボンは跳ねずに笑う。
 先ほどまで鳴いていた蜩は静かに死に、油蝉の大合唱が空気を割っていた。
 クリムボンが空を見上げる。
 峠の感じる空よりもきっとずっと冷たいであろう、空。


「この世界は、壊すに値しないでしょう?」
「わかった」

 即答した峠を見て、クリムボンは更にかぷりかぷりと泡のように笑う。
「どうやって殺せばいい」
 虚ろな表情のまま問う。クリムボンは首をくい、と動かして道端に落ちていた百円ライターを差した。
「あれで僕を燃やしてください」
「燃えるのか?」
 そう聞き返すとまたクラムボンはかぷかぷと笑った。
「僕は今までずぅっと草を食べてきました。もうからだの半分は草みたいなものですよ」
 そうか、と峠は答えて、力無げにライターを拾い、かちりと火を起こす。その小さな小さな日を眩しげに見つめるクラムボンの脚に押付けた。ぼぅ、と大きく火が燃え移る。
 まるで新聞紙が燃えるように、クラムボンは燃えていく。
「有難う、御座います」
 燃えくずが残る間も無く峠が返事を返す暇も無く炎は空へ散っていった。
 峠はソレを見上げることなくライターを捨て、腕時計を確認する。
 わかってはいたが紛れも無い遅刻に溜息を吐き、諦念気味の走りで駅へ向かった。


「大槻、お前、遅いぞ」
「すんません」
 教師の呆れの声に、棒読みの謝罪を述べると、席へ向かう。
「お前何してたんだよ、大槻が遅刻なんざめっずらしい」
 隣の哉秋(友人)のにししという嫌な感じな笑いに、

「世界を救ってたんだよ、こっそり」
 答え、ガタガタと椅子を引いた。


2007/04/20(Fri)18:28:33 公開 / 泣村響市
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■作者からのメッセージ
木製麒麟(改)です。
 むしろ(壊)とかのがいいような気もします。

前にここに投稿させていただいた木製麒麟の書き直しです。が、大して変わっていないような気もします。けどこの話、結構気に入っているので何度も書き直してしまうんですね……。

でかい生き物と少年or少女というシュチェーションが好きです。

ご意見ご感想いただければ此れ嬉しさ極まりです。


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