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『青梅実る木』 ... ジャンル:時代・歴史 未分類
作者:タカハシジュン
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相生坂というのは坂道のことではなく土地の名である。かつてはその名のとおり坂があったのかもしれないが、御一新の頃にさかのぼるのはおろかその遥か以前からしても、大身の旗本が悠然と邸宅を構える城下の平場であって、隆起の名残は何処にもないのだが、武士というものが轟然と居住していた時代の残滓は、大帝が崩御し世の空気ががらりと変わった今に於いてもいくらかは見受けられる。塀の破れ、軒の傾き雑草生い茂る、見るからに恐ろしげな有様の古屋敷がふたつみっつとあるのがそれである。かつての旗本の子孫が其処に執着し、甍の崩れた様を修繕することもできぬ貧窮の只中にありながら、それでも暮らし続けているというのではない。それら歴代の武士などは主君と共にさっさと落ち延び、或いは死んだ。がら空きの屋敷を薩長などの下級武士が入り込んできて接収したのだが、それは彼らの御一新の俄出頭を裏付ける大身旗本の態の装いであったろう。やがて洋化は排斥から国是に近しく、それら出頭人たちは我も我もと古い旗本屋敷を捨て、煉瓦を積み上げた洋館に居を構えるようになった。それがために忘れ去られ、放置されてもいる。
尤も、老い朽ちた姿で世の変わりようを睥睨しているようにも見えるが、それら物の怪でも住まっているような屋敷はほんの例外で、その例外と時代を共にした旗本屋敷はあらかた取り壊されている。更地になったわけではなく、かつての塗り塀は敷地の境こそそのままながらも洋風の煉瓦の茶褐色に姿を変え、同色の煉瓦にやはり身を包む、窓枠と鎧戸のまぶしいばかりに白い、見るものに圧迫さえ感じさせる豪奢な洋館というものが代わってそこにあった。人によっては、ほんの瞬きひとつほどの昔には、攘夷を叫び異人を排斥し続けていた世の中が、次には大工を集めて洋館をこしらえよと命じるようになることに複雑な思いがあった故なのかどうか、古屋敷を壊して跡地に洋館をこしらえるなどという場合も、昔からその庭に植わっていた花木の類はそのままにされることが多かった。故にそれら樹木は相応の歳月を経たものが目だって茂り、世が移ろうとも訪れる四季のそれぞれに相応しい花を咲かせるのだった。中には地つきの木々などに興味を示さず、むしろ本朝の在来種を忌避してわざわざ外来の種を植える凝り性の者が財貨を傾けた例もあったが、洋館を建てる富力を持った者の大方は、洋化という世の一変に戸惑いはしても、一元的な思想のもとにその惑乱を大統一して自身の生活様式にまでそれを貫徹する意欲に甚だ欠けていた。それがため、木々は周囲の風景を喪失しながらも新たな世界に適合するよう求められながらその場に居残ったのである。それは前時代の残滓であると共に、地にしがみつく執念のように見えるものなのかもしれなかった。
その壮麗な、或いは虚飾の洋館の列に、屋敷に寄り添うように梅木の幾本か立つやはり西洋風の屋敷があった。相生坂の土地であるから、由来をさかのぼれば元来はおそらく名のある旗本の邸宅であったろうが、世の一新を真正面から受けた地であるから、そのような有職故実に堪能である古老など、辻々に潜む物乞いほどしかおらぬのかもしれず、先の屋敷も当然解体されているために、どなた様の住んだものであるかわからない。その不確かさは、この梅木を傍らに抱える洋館の主にとっては、何ら不都合でなく、むしろそのために重宝するといえばそうであるのだった。彼らは世の流転につけこむように、するりとこの土地の屋敷の主になった。梅木立つこの屋敷の主もそうである中の最も濃厚な一人であった。
武士は、庭木の姿を楽しむのみならず、果実まで愛でるというのは貪りすぎであるという精神美を持つ者もいる種族であったようだが、この梅木の屋敷の主にそのようなものはない。それがため主がこの洋館を建設する前、朽ちた旗本屋敷の一隅に梅木、それも実のなる品種のそれを見出した時、兆したのは嫌悪や嘲笑ではなく、時期になれば梅の実でも手にできるかという勘定であった。もっともそれはそのほとんどが他愛のない冗談でしかない。生糸相場を端緒にし、賭博のようにして金を儲け、たちまちのうちに財を成したこの出頭人にとって、幾許かの梅の実が手にできるかどうかというのは、砂粒ひとつかふたつほどの些事に等しいものであった。だから頓着したわけではないし、梅木に格別哀憐を覚えたわけでもない。放置のような格好で洋館を建て、時期になったら実を貪った。屋敷に住み着いて奉公するうら若い女中たちは主の精神を体現し、かまびすしく笑いさざめきながら、たわわの枝に青梅を求めるのだった。
洋館の主は、瀬尾義永という壮年の男であったが、その氏と名にはほとんど浮世の仮の呼称という程度の意味しかない。元来は氏もない片田舎の百姓の倅に過ぎない身での出頭、そして目まぐるしく変わる世相の中で、頻繁にその氏名を変えて生きてきたからである。只今その名乗りでどうやら落ち着いているらしくあるのは、主の財貨が膨れ上がって、その面に於いては少々のjことではその生活が揺らぎもしないことを意味してもいる。このような出頭の所以は、無論当人の腕力や持って生まれた運気の強さもあったろうが、風雲の時代に生を受けたということも理由として数え上げられるも知れぬ。武士も貴種もなく、今日の富商も明日には没落する時代であった。そしてそんな風雲の時節の勝利者たちは、得た財で俄かに貴種を装った。この主はかき集めた財貨を用いて、己に箔をつけるべく相生坂の旧旗本屋敷を買い求めてその地に壮麗な洋館を建て、女中や書生を多数その屋敷の中に住まわせ、無論廓に始終行き来したり妾の邸宅の面倒を見てやったりという赤ら顔の酒色の贅を経めぐりしながら、名を仰々しく改め、大尽めかしていたわけである。その姿は、痩せ細ったこの主の少年期からすれば何の脈絡もない別人のように恰幅よく、背格好こそ紋付の羽織を纏えば堂々たる者であった。主はそこまでは装うことはできた。だが、強欲ゆえのすすどさと酒色もたらすたるみとが同居する赤黒いその相貌には、生まれながらの貴種とは、それがやむを得ざることであるとはいえ、決定的に違う或る卑しさの陰りが、幾年たっても、いや年月を重ねれば重ねるだけ、濃く深く拭い取れぬよう刻印されていた。その富力ゆえに主は、多くの人間から追従を受け、阿りや隷属の態を示される渦の中心に笑み崩れながら座っていたが、しかし主はその相貌ゆえに、それら取り巻き連中の秘められたひそやかな内心に於いて、見下され冷笑されていたのだった。ただ主にとって幸福なことに、この主は主なりに苦労人ではありながらも、そういった人心の機微を洞察する種の繊細さを持ち合わせず、それらの者の心底を推し量って自分の神経を疲弊させる、主のような人間にとっての徒労をわざわざ我が身にひきつける必要を持たなかった。それであるからこそ強引に、また傲慢に、商いの色をした賭博にのめりこみ、かつ成功することができたのかもしれず、またその我武者羅を持つゆえに超越者のごとき何者かもこの主を哀れんで、そのような感性を敢えて鈍磨させて世に送り出しているのかもしれないのだった。
しかしそのような洋館の、そのような主の下に、冷笑や嘲笑を除くあらゆる朗らかな笑みというものを知らない冷ややかな美しい娘が産まれるというのは、一体どういうからくりなのだろうか。童の頃から眉目の涼やかさは羨ましがられ、末はどのような艶麗な美人になるかと周囲はおだてたし、主をはじめとするこの屋敷の肉親たちはその追従に機嫌よく高笑いしていたものであったが、それはその時点では確かにいくらかの阿諛を含んではいたといっても、この娘が長じるに従って何の虚偽も含まれていなかったということが結果として示されてしまった。娘は今年十七で、果汁の甘露となって自ら流れ落ちる盛りの女にはまだまだ遠く、引き締まった頬にも固く結ばれた唇にも紅を要さず、一点のくすみもなく滑らかな肌に殊更に脂粉を求めず、それでいて庭先の梅木にたわわに実る蒼梅のように瑞々しい。青々しい果肉は固く、爪で表皮をこそげばたちまちに芳香を発し、雨粒下ればその粒を勢いよくはじき返す弾力、その滴る雫は青梅の香に彩られる。蒼々とした実、蒼々とした薫。梅木と少女と対を成す。尤もそれは、少女が艶やかに花開く牡丹のような笑み、白百合のようなどことなく取り澄ます少女らしく愛らしい様子、また鈴蘭のいじらしさ、そういった雰囲気に程遠いことを意味してもいる。少女にはそれらのほうには歩まなかった。その美しさを賞賛されても、喜悦したりまた含羞を示したりという凡庸な若い女たちと等しい反応を示そうとせず、大抵は無言であり、その表情はごく当然の物言いを黙って耳にしているように傍目からは見える。娘を見て、人ははっと息を呑み、次にその美を賞賛する言葉を口にするのだが、少女はそれを吸い取って充足する、内心ひめやかに喜悦するという、若さゆえのかわいげを一切持ってはいないように見える。事実その内心はそうであった。驕慢といえば或いはそうなのだが、しかし世の少女というものが自分の美麗さに絶対の自信を持ち、また己に清々しく陶然とする、微笑誘われる思い上がりとはまた違っている。少女たちが美を愛でられることを、樹木が土中から水や養分を吸い取るようにして自分の美しい肉体の中に取り込み充足を得るという活動に一喜一憂するというのに、それはこの娘にとってはあまりにあたりまえでありすぎた。他人は誰もが自分をそのように礼賛するから、砂粒ほどの感動も感慨もなく、喜びもない。また同じ年頃の美しいともてはやされる少女がたまさかにその横に並ぶことがあったとしても、娘はその美しさに気圧され、屈服せずにはいられなかったという経験を持たない。常にそれは傍らに立つ少女が噛み締めなければならない領分だった。恩寵の光ばかりが真正面に降り注ぎ、他者は大いに礼賛し追従する。それを気難しく、うっとうしく思うだけで、それは娘にとっては自分を奮い立たせる自信にさえつながっていかぬ、あたりまえの事実をいちいち確認してくるわずらわしさに他ならないのだった。であるがために少女の驕慢さには、自信という力を得た艶やかな輝きという、太陽のような、熾烈でありながらも陽気な力を帯びてはいなかった。冷ややかな月光放つ真冬の満月のような、寒風の息吹に凝固しようと身を固める寸前の静まり返った湖面のような、水晶に酷似しながらも心を開いて愛でるより畏怖させられる洞穴の奥の氷柱のような、冷たく固い美であった。そのくせこの洋館の主と主の握る金品に対する媚態の精神を取り払って娘の姿を酷薄に見ようとしても、無視も嘲笑も瑕瑾へのあげつらいもできぬほど、娘は紛れもなく美しかった。
阿諛を虚心に持ち出すことができる者は、或いは短絡的に幸福であった。娘の美は、見る者によっては、気圧され、自分の居場所を巨大な爪で引き裂くように削り取る類のものですらあった。そういった衝撃を受ける、特に娘と同年輩の少女たちは、相対して自分が受ける不快感に出口を見つけるために、殊更に娘の悪意を探し見つけ出さずにはいられない。娘の美は、美しい毒でもあった。そしてそのような美しい毒を吐息と共に薄絹色の霧のように吐き出さずにはいられないのは、娘が通い、名家名門の子女ばかりが集う、女学校の同じ年頃の級友らであった。
ただ、級友という言葉は相応しいものではない。彼女たちは娘を友とは考えていなかった。娘は何ら暴力的な恫喝も陰湿な詐略ももたらさなかったが、その気圧されるような美しさと、他人の心をほころばす愛嬌の笑みをいささかも持たぬ有様であるのが、彼女らとの友誼を育むことなく、逆に損ない続けるに十分であった。彼女らはつつましさから表面上は決して逸脱せぬようにしながら、連帯し、秘めやかに娘の欠損を執拗に探した。それは比較的容易に見つかった。彼女らの過半に染みとして同感できる染みであった。つまりは家柄である。もっとも、そんなことを言い立てれば、彼女らの中にも必ずしも胸を張ることのできるものばかりでないということになる。倉嶋伯爵家の少女、佐田子爵の年離れた妹など、爵位を持ち、濃紺の袴の色鮮やかな様に富をかざすきらびやかな身姿の少女らも、元をただせば維新の時流の末端に連なり生き延びた貧乏志士の家の出であり、彼女ら近親の先祖は泥土にまみれて猫の額ほどの畑を耕さねば糊口をしのげない有様であったのを、顕官高位の綺羅で飾り立てている。そういった面々は、無関係な居場所にある人間からすれば同類にしか思えない些細なその出目の違いというものの微細な違いに、病的で絶対的な差異を生じさせ、強引に線を引いて自らを内側に入れるものだ。それがため娘への内心の排斥の心は過剰であった。また摂家清華家の本流とまではいかずとも歴然たる公家諸流の子女などは、なるほどその家系こそ連綿と続く藤原貴族の末裔ではあったが、立身した武家華族に比すればその家計は華美な振る舞いを支えるべく火の車で、殊更に見やれば身なりは上質ではあっても真新しさとは異なっていた。彼女たちにはそれが淡い劣等感の薄い帳となってわだかまってはいたが、それは自らの出目の確かさをより誇る道へとつながった。彼女たちはそれが歴然として存在すると思い込むことが容易かったため、俄か出頭の子女への軽侮で、ある程度はその感情を無意識に紛らわしていられた。そもそもそうであったから、更に一等美しく、一等富裕である級中の一少女が、出目が彼女らの尺度で随分見栄えせぬものであることを、内心で殊更に喜んだ。
彼女たちは娘が美しく、そして愛想も可愛げもない有様、周囲の冷ややかな、それでいてつつしみから逸脱することのない、であるからよりいっそう陰惨である、示された越えられぬ壁と親和への拒絶に取り囲まれながらも、嘆きも脅えもせず、力を込めた切れ長の瞳に涙も徒労も浮かべず前を見つめる、その硬い表情にいささかの下卑た様子もないことに、落胆し苛立ち、また娘が時折、さすがに気疲れしたのか心持肩を落とし加減になったり静々と嘆息したりという様子に、公然と悪意の笑顔をくつろげてさらけ出した。そしてそのような周囲の様子に、娘は益々素直で朗らかな笑顔からは遠ざかり、西洋人の珍重する白磁の陶器の光沢に似通う色白の美しい面相を氷結させてしまうのだった。その仕草が、よりいっそう少女たちの反感を買った。少女たちには自分らが娘に冷笑されているかのように感じられたのである。そしてそれは、彼女たちの中にある、意識が探し終えているのか、或いはいまだ無意識に追いやられているのか、所在の定かならない、だが確実に存在する、或る種の娘への後ろめたさが醸し出す幻影なのかもしれなかった。
少女たちのそれら悪感情は、娘の内心を的確に察知しているがために生まれたものではなく、特にその愛嬌のない仕草に関しては誤解であるといえばそうだった。しかし娘に反発を抱く少女たちが、娘の実相を何ら把握しようとせずただその様子、雰囲気と、表面上最もわかりやすい容貌の美麗さという点ばかりを材料とし、それを使って悪感情で娘の立像を彫り立ててしまうのと同様に、娘も何故自分がそれら同年輩の少女から忌避されているかについて曲解をしていた。確かに少女たちは娘の出目の彼女らの尺度に基づいた卑しさを嫌悪の種にしていた。だがそれは、彼女たち自身の内面にとっても何ら本質的ではない、いわば言いがかりに近いものであった。彼女たちは娘の気圧されるような美しさを憎んだのであるし、美しさに気圧される自分自身の或る部分もまた同様に憎んだに違いない。そのことが娘にはわからなかった。彼女たちの題目、名目を、つまり出目卑しい自分に対する嫌悪を真実と取った。そしてその曲解された真実は、娘にとっては身動きしない票所の奥底に沈んでいる痛々しさを生み出す事実でもあった。娘は日に数度はその相貌に生れ落ちた階層の刻印を無残なほどに浮かべる父親と対面せざるを得なかった。その都度娘はそこに自分の血がどこからやってきたのかを思い知らされた。学舎の少女たちの歌うような嘲笑は、父親の顔にその論拠を証明し、娘に、自身の持つ美を、自身とは不可分の存在などではなく、いかようにも着込みまた脱ぎ出すことのできるただ服飾に過ぎないものと同然であるという酷薄な事実を突きつけてきた。彼女のものである美は彼女の心底からは乖離した。撞着に安住しようとしても少女たちがそれを妨げた。否、実際少女たちが投げかける言葉の刃が美と少女を常に切断していたのではない。少女たちがそれをする以前に、娘はその影に脅え、自らその緒を切り取らざるを得ないのだった。娘は自分に美があることを知っていた。別にそれについて執着も自負もなく、ごくそれがあたりまえのものであると思っていた。同時に、娘はそれが只今は自分の手中にありながらも、与えられた似非に過ぎないものであるという心境を抱いていた。一皮向けば父親のどす黒い面相が自分にもあるような幻覚を持った。ゆえに娘は自分の持つ美をしごく当然とあたりまえの顔で信奉しつつも、しかしその美に安住することができなかった。それは丁度かりそめに過ぎないと思われる、彼女の住まう家屋敷や、彼女の享受する豪奢な洋風の生活と重なり合っているかのようだった。
娘は高子といった。
女学校は高子にとって面白くないことばかりが連鎖する居心地の悪い城だった。少なくとも高子は絶えずその意識を持っていた。そのような瞳で見つめれば木立の梢の葉の揺らめきも、なにやら悪意を帯びた陰鬱なものであるように思えてくる。それは高子に対してある程度は平明な好意を持とうとする視線や、局外中立を望む眼差しなども、高子にとって同様だった。高子のこのようなものの見方は、大抵はその中の風景を好転とは正反対に押し出し、折角のそれら視線の好意も散じてしまうのが常だった。そして一度、その態度や立ち居振る舞いが倣岸、驕慢であるとそれら人たちにとられてしまうと、高子が小さな世界に対して為す視線と同種の屈折された光景が反転し、高子に帰ってくる。そのためそのつもりがなくとも、邪推を受け、事実はいいように歪められた。しまいには高子の父親の事業まで悪く見て取られた。もっとも、この件に関しては高子はさして痛痒さを感じはしなかった。そもそも高子自身も似たような見方を持っていたし、嫌悪はその父親と血のつながった自分の存在ということであって、父親の事業を肯定したい心境を不当に覆されることに対する憤りのようなものはなかった。ただ、その力によって綺羅立てられて養われているという卑小な意識がこの娘の中にはなかったのは、高子が何不自由なく育まれた証であると共に、周囲の眼差しほど内面に悪徳ばかりを塗りたてた少女ではないにせよ、やはり或る種の傲慢さを持った人間であると言わざるを得ない。
その性質を改める気概を持った人間は、高子の周囲にはいなかった。教師らは女学校に多大な私的援助を行う高子の父の影を絶えず意識して言動に注意しなければならなかったし、生徒たちで高子を見知っている者の中で、嫉妬や不快感の靄を払って高子に直言しようとする人間はいなかった。時に親代わりとなり、時に友同然となる、兄や姉といった年上のきょうだいは高子に与えられておらず、同腹の弟妹もまたいなかった。高子の父は食い散らかすようにしてあちこちに子供を作ったが、そのような中で高子に対等に意見することができる人間はおろか、目通りできる者さえ存在しないに等しかった。母親は死んでいる。だから高子に対してそのような義務を唯一持つのは彼女の父親以外には存在しないのだが、この青梅の洋館の主にしても実の娘に辟易させられ、時には貫禄負けさえした。高子の内面が殊更に猛々しいのではあるまい。やはり父親も、自分の血統とまるで埒外の相貌を宿しているとしか思えぬ高子に対し、別段その出生に疑義を抱いたわけではないにせよ、口ごもるような威圧を感じていたのだろう。それはやむないことだった。傍目から見れば、洋館の主は父親の役割を果たしえぬ腑抜け同然であったが、高子を前にして、例えそれが自身の娘であっても、冷ややかな面相を前に毅然とした態度を貫徹するというのは困難であった。高子の美しい相貌は、対峙する者になにやら後ろめたさのようなものを感じさせるのである。高子の美は、他者の美ならざる翳りを糾弾する光、少なくともその光を真正面から受ける人間はそう思わずにはいられなかった。
父親からしてそうであった。いっそこのような娘にしてみれば、若い、なんのくすみも後ろめたさも持たない、失敗すら知らない、それゆえの匹夫の勇と傲慢さに包まれた、ある意味高子自身と同種のそして同年輩の男と接する方が、そしてその男と似たような失策をお互い繰り返しながら試行錯誤していくほうが、よほど驕慢さの矯正になったかもしれない。が、女学校の風紀の厳格さや世人の眼の監視ということもそうなのだが、高子の美の皮膜に対して怯まず、また溺れず、その向こう側の高子の人間としての実相と向かい合う、つまりは高子と対等であることのできる、そんな望ましい年頃の男というのが都合よく周囲にいるはずもなく、ために高子はその矯正の作業について誰からも放置されていた。いや、そうですらない。実際そういった存在を懸命に捜し求める尽力がなされることはなかった。それを考える者がいないわけではなかったが、その誰もが足を踏み出す前に断念した。高子の面相を前にすると、そういった行為が徒労であるかのように、冷ややかに嘲笑われるかのように、漠然とながら思わずにはいられないからであった。故に神崎もまたそれをなしうる存在だとは誰からも思われておらず、彼は陰鬱な表情をうつむき加減にしていても、どこからも苦情は持ち込まれなかった。
神埼というのは、一見すれば高子の矯正役に実に相応しいようで、その実誰よりもその元気を持たぬ青二才であると高子の屋敷の誰からも見なされていた。年齢は高子より二歳年上というから、二十に一年及ばない。痩身で、書生の身分で、屋敷のあちこちの雑役に汗を流しながらも、木石のように陰鬱な表情で押し黙ったままのことが多かった。その姿は、決して炎を燃え上がらせることなくじりじりと白布を琥珀色に焦がし、煮え切らないまま燻る様を思わせた。いかに広大な屋敷とはいえ、一つ屋根の下であることには相違なく、当人にそれなりの好き心でもあれば、女中のうちの、小鳥のように笑いさざめく年頃の娘らの気を引くことも、全くの難事というわけではなかったろうが、年頃の女たちは神崎の陰気さとそういった男としての気概のなさを侮っていた。
洋館の主もおそらく同様の気でいたのだろう。さすがに娘の高子の生活する部屋の周辺に神崎を配する振る舞いはしなかったが、さりとて屋敷の中に娘が不用意に心を動かしかねないような年頃の青年を置いておく姿を改めることもせず、神崎を他所に出すことなど考えもしなかった。また他の使用人も忠臣めいてそのような配慮を口にしもしなかった。神崎は屋敷の中のほとんど全てから、高をくくるという名の信頼を十分に得ていた。
そのことについて、神埼が内心で憤慨するというのであれば、男としての気概を全く持たぬではないのだが、この境遇に積極的な幸福を見出すことはないにせよ、さりとて呪詛に至るまでの不満を抱え込むという素振りでもなかった。何が起ころうと、隈取のような陰りを表に宿し、どことなく悲しげに、だが反駁も拒絶もせずに、左右の雑務を言いつけられてはうなずくことを繰り返すばかりだった。
むしろこの有様が、かえって高子の目を引いたのかもしれない。数多い使用人や書生の類の中で、高子はこの神崎の面立ちに他の誰より鮮明な印象を覚えていた。といってそれは思慕といった甘美さからは程遠いものだった。女学校での鬱屈や苛立ちを抱え、氷の表情の奥底で紅蓮の憤りを燃やす高子の瞳に、あらゆるものに従順にならざるを得ないという諦観を表に現したような神崎の卑屈な姿は、焦がれるものでも慈しみたくなる衝動に駆られるものでもなく、自分の掌の上で支配し、嗜虐してやりたくなる哀れな小動物を思わせるものだった。高子は邸内で神崎の弱々しい光を放つ瞳を見つけると、決まって自分でさえ気紛れにしか思えぬことを神崎に言いつけた。髪を結うレエスのついた白巾を、神崎の前でこれ見よがしに解き、和洋の折衷した造作の庭園の只中にある円池に向かって風に乗せた。黒髪はためくと共に白巾は舞い、木立の側の円池の水面に音もなく下りた。そっと波紋立つ。高子は神崎に言いつけた。池に入って拾ってきなさい。神崎は悲しげな目で高子を見つめ、ややあって軽くうなずくと、円池のほとりに履物を脱いで、貧しげな絣の着物の裾をたくし上げながら池に入り、結局腰までを黒く濡れ染めた。庭園の木々の緑を水面は映し、水は苔の青臭さが鼻につく。神崎は手を伸ばし、ようやくそれを収めた。それを見て、高子は神崎が池から戻りもせぬというのにきびすを返してその場を去った。翌日高子は、綺麗に洗われ乾かされた白巾を、うつむき加減の神崎から手渡された。高子はじっと、自分から目をそらそうとする神崎の目を見ようとした。そこには屈辱や憤怒に燃える色は見出せなかった。他の使用人はそうではなかった。無論高子も他の使用人に対してこのような露骨な嫌がらせをすることは乏しかったが、それらの者たちも、高子の言いつけに服従してはいてもその奥に不快や嫌悪を秘めていることを高子は見破っていた。高子は、平然と他人の心境を踏みにじりかねない驕慢さを持つ一方で、他人の気持ちを見抜こうとする鋭さを自身で育て上げてもいた。これは他人を慮るという建設的な心構えなどではなく、父親と自分に対する賞賛や追従の中に潜む人の陰を、幼い頃から感知していたせいであり、それは脅えの色をしてもいた。他人の、自分に対する悪感情というものを察知することに関して、高子は才能もあったが鋭すぎもあった。そしてその過敏さは、専ら自分の立脚地への不安とそれを無意識のうちに欺瞞しようとする行為として渦巻き、高子は気を許すことができないのだった。が、神崎に対してはそれとはやや異なっていた。神崎を信頼していたわけではない。むしろ神崎の瞳の弱々しさを侮ることによって、高子は神崎に絶大の安堵を抱いていた。高子が神崎に絡み、驕慢以外の何者でもない振る舞いに出るのは、神崎が弱い存在であって自分に絶対的に服従するという事実を確認するためであった。もっとも、その目的を明確に見定めた上で彼女は身をそのように動かしているというわけでもなかった。もっと直裁に、虐げられる神崎を目の当たりにすることが高子にとっては悦楽だったのである。それは彼女自身の存在が、危うく、不安定であるというところから、全きものへの昇華へと至るかりそめの限られた時間であった。
「拭いなさい」
女学校から戻った高子は、わずかばかり爪先が泥に汚れた皮革の洋靴を、足に履いたままぬっと神埼に近づけた。神崎は一瞬それが何を意味するか理解することができなかったが、次いで悟った。わずかばかり無口な口元に隙間が開いて虚脱の吐息を漏らしたが、しかしすぐ様に、ぎこちなく、だが納得しえぬ肉体を強引に軋ませて拝跪するというのでなく、その為人の不器用さただそのままに身を屈め、高子の藤色の袴からわずかにのぞく脛の、西洋人の珍重する白磁の肌合いにも似た美しい白さに幻惑されながら、手を伸ばし、片方の手で高子の靴を受け止めるともうひとつの手でそっと靴の泥を払った。そして、わずかばかりの拭い残しがないようにそれを捜し求めながらも、さまよう視線は高子の露出した脚を行き来し、禁忌と、高子の袴に包まれたその先の脚を思う若々しい衝動、それを感じる我が身の浅ましさへの嫌悪、畏れ、様々なものに内心震わせながら、丁寧さを装った緩慢さで泥を払い続けた。
高子はそんな神崎を見下ろしながら、神崎の心乱れが、そのひとつひとつ泡沫のように浮き沈みする有様を、存分に堪能した。このようなことは、形を変えながらもいくつも高子と神崎の間で生じた。その都度の神崎の卑屈な態度、弱々しい振る舞い、決して高子のそれに反抗することのない絶対の安堵感は、常に高子を慰めた。常に高子は喜悦を覚えた。
洋館の主が父親として高子に縁談話を持ちかけてきた時、その年頃からすればやや早いではなかったが、主は主なりに娘の性質を慮り、先行きに不安を覚えたのであり、より露骨に言えば誰かに責任を押し付けたいという心地もあったろう、それ故に、いかにも拙速に、思いついたことを即断で実行に移したといった様子で、帝大から官吏となった一青年の、やや色褪せた数年前の写真をくすねるように入手して高子に開陳したが、高子はそれに冷笑をもって報いた。主は気分を害しながら何度か更に高子に迫ったが、悠然と、冷厳とその勧めをはねつける高子に口舌で及ばず、また高子の冷ややかな態度を屈服させられるだけの気概もなく、嘆息を響かせ断念の意を示すように頭を垂れた。高子にはその父親からすれば付け込む隙がまるでなかった。縁談だの花嫁だのといった光景に小娘臭い羨望、或いはやはり小娘臭い忌避を幾許かでも漂わせているのならばまだ可愛げがあるのだが、そういった幻想をまるで持ち合わせていないと表明するかのように、高子の表情は冷え冷えとしていた。そしてその表情はまた、高子が男という存在が自分自身を庇護するという光景に何ら幻想を抱きえぬことを意味してもいた。むしろそこに至った時、高子は自分を皮膜のように推し包む今ある幻想が破られてしまうという危惧を、それと積極的に知覚することなく漠然と感じ取っていた。高子にとっては、それゆえに神崎が都合がいいのだった。神崎は何ら高子の幻想を妨げず、破綻させず、むしろそれを護持するための存在であった。といってそれは思慕ではなかった。恋慕という情感が対象への大いなる屈服であるのならば、高子のそれは全く程遠かった。高子は屈服することによって飛び込む思慕の酩酊の心地など寸毫も欲しなかった。高子の求める喜悦は、絶対的な服従であった。自らの世界を侵さぬ、心底乱さぬ存在であった。だから神崎を内心で思慕し、いずれは主従から別の関係に引き上げようなどとはまったく望まなかった。そうではなく、神埼が永劫自分に屈服し続けるという、極めて不安定な、状況の継続を切望したのである。だから縁談の話があった時、咄嗟に高子の脳裏に神崎の弱々しげな面立ちが浮かんできたのと、神埼への思慕を明確に否定することができたのとは矛盾しない。それを父親に告げるなどということはありえなかったが、神崎の存在を理由に縁談を断ったというのも高子の中では矛盾しない。
その神崎の姿を、高子が朝靄漂い木々の葉の朝露に濡れる中に見出したのは、殊更そうしたのではなく全く偶然の所為であった。前夜閉め忘れた寝室の鎧戸の開け放たれた先から、硝子を透かして零れ落ちてきた気の早い朝日の白々とした光が寝台に進み、僅かに寝乱れした格好の高子の結ばれた瞼や浅い寝息と共に緩やかに蠕動する首筋を照らした。それに気付かされたがため、高子は常の刻限より早く目覚めることを強いられた。寝台の上で半身を起こし、金襴に縁取られた文字盤を持つ縦長の置時計の示す時刻を確認して、再び眠りの園に舞い戻ろうか迷ったが、硝子戸で遮られながらも聴こえてくる、梢に舞い降りた小鳥の鳴き声の麗らかさにそれを断念し、寝巻きの上に一重着込み、簡単に身づくろいをして部屋を出た。洋館の内は静まり返っていた。廊下に敷き詰められた絨毯はわけもなく高子の足音を消し去り、白々とした早朝の明かりは、夜に燦然と灯火を連ねて煌めき、頭上から睥睨するシヤンデリヤの饒舌を封じていた。明らかに日本のそれと木目の異なる洋材で木組まれた階段は、静々と階下に下る高子の動作に軋みひとつも漏らさなかった。大広間に下り、気紛れに高子は外廊下に足を進めた。其処は、等間隔に洋館の外壁と同色の白亜の柱が庭園側に並ぶのみで、回廊は吹きさらしであり、さすがにそこには絨毯は敷かれていなかった。屋敷の女中などは掃除に気を払わねばならず、必ずしも歓迎している造作ではなかったが、その労務とまるで無縁の高子にすれば、外廊下のすぐ側の欅の老樹が屋敷にまとわりつくように枝をかしげながら庇を作る格好に、朝日がそそがれ、葉々の緑とその影と、光を受け止める洋館の白亜の壁色とを縦横の織り糸とする光景に、和やかさと美しさを覚え、足を踏み入れる気になったのかもしれない。
その光景の只中を歩むに、殊更に足音を消そうと高子が目論んだのは、その先の光景を予想してのことではなく、煤に薄汚れた現実というものからまるで遊離したこの朝靄の中の光景を、いささかなりとも汚したくなかったからに他ならなかった。故に欅の立ち木の先の、塀と建物の折れ曲がる陰りの近辺にある、青梅実る木々の傍らに、色褪せた飛白の着物をまとう神埼が佇む後姿があるのを見つけた時、高子は驚いた。
神崎は後ろの高子に気付かぬ様子であった。高子は朝も早くから神埼が何か用事を言い付かって作業していると咄嗟に思った。その忠実さと勤勉さについて感心したりすることがなかったのは、高子の苦労を知らぬ若さであると共に生来の鈍感な驕慢さのせいであったが、しかし折よく身を納めるに都合のいい物陰を側に見つけ、そこにそっと体を押し込めて神崎の様子をうかがうに、咄嗟にそう見えた神崎がなにやら仕事をするという光景は全く誤解であることがわかってきた。神崎は三脚の画架を置き、そこに画布を広げ、せわしなく、また緩慢に、画布に彩色を施していた。遠目にその画布を見やれば、若葉色の中に萌黄のぼやけて入り混じる青梅とそれを抱え込む枝振りがそこにあった。神崎は画架に向かい合うように置いた椅子に腰掛け、少し筆を走らせたかと思えば、立ち上がり、角度を変えて梅木を眺め、また椅子に戻っては画布に向かった。このためその後ろの物陰から窺う高子には、画布の様子も神崎が立ち上がった時に遮られず見ることができたし、梅木を凝視する神崎の横顔の、苦行者に似た何かを削げ落とした表情の様子も眺めることができた。間違いなく、神崎は油彩に没頭していた。
高子は、神埼が絵を描くということをこれまで知らなかった。興味があることさえ知らなかった。書生であるといっても、屋敷の労務から開放された僅かな合間を縫って画学校や画塾に通うといった素振りもまるでないように思えた。それを念頭に置いてよくよく神崎を凝視すれば、持ち出してきた画家も広げた画布も筆も、どこか不恰好で収まり悪く、玄人が作った出来合いの道具を買い集めたのではなくて、素人が不器用にあつらえたものばかりであることに気付くことができたかもしれなかった。それらは、困窮の中に独学で臨む神崎の姿を物語っていた。高子はそこまでは洞察することができなかった。ただ神崎の、屋敷にて常に見せている覇気のない弱々しげな表情からすれば、まるで別の、耽溺しながらも決してその喜悦を表に出さず、深みへ自身を追い込んでいくような面相に、描くという行為が神崎にとっていかなるものであるかをある程度悟ることはできた。そして、思惟が其処まで達した後に、高子は神崎という飼犬を褒め称えてやりたいような、それでいて所詮余事に過ぎぬものに打ち込む飼犬を罵倒し殴打してやりたいような感覚が疼くことに気付いた。高子の中にあって、神埼とは柔弱な、そしてそのためにただひたすら従順な男であって、非力であり、何らかの事態をよきように改変することなど思いもよらず、故に草木や奇岩がただじっとその場で嵐の去るのを堪えて待つような自然物に等しかった。その神崎が絵という、画布の上に自身の感じる美を吸い取ろうとする行為に密かに没頭している姿は、高子を彼女自身それと気付かぬながらも惑乱させた。其処には不安が兆していた。神崎という不変の存在が美を得るという翼をもち、不変ならざる雄飛を為しえるのではないかという連想がそれを呼んだのだった。それは神崎という生身の男に対する執拗な執着ではなかった。神崎という、若いながらもどこかうらぶれた感のある男の体臭を貪る粘液の固執ではなかった。男の腕や胸板といった肌身に覚える具象的な触感でもなく、其処から浮遊した生娘らしい抽象的で虚構的な恋慕の情でもなかった。それは高子の、自身の立ち所が極めて不安定であるという認識を押し込める日々の労苦を、それと知らず踏みにじり嘲笑う行為に等しかった。彼女の砂上の楼閣を揺らす無慈悲さと同等であった。一方で高子には、その不安をもたらした神崎に対しての腹立ちは肺腑で遊弋しながらも、その神崎を憎悪するという方向には赴かなかった。神崎が画布の上に求めているのであろう美に、いや美というものを実際に手にしようとしている行為、手にすることが可能であるという姿に、高子は内心羨望を感じていた。そのせいであるのかもしれなかった。
美、神崎は立ち上がって物陰の高子に無防備に描きかけの画布をさらし、高子は凝視した。画題はどうやら青梅のようであった。朝露に濡れる梅木と実る萌黄の梅、決してその実に甘露など押し詰まってはおらぬというのに、硬質でありながらどことなく艶やかな丸み。画布の上の世界に、高子は様々な情感を喚起された。その源である神崎の絵は美しいものだと、遠目に高子は思った。賛美の爽やかな感慨が一瞬だけ風のように吹き抜けた。だが次に高子の中に、先程来からひくく奏でられ続けた苛立ちの響きが、苦く迫ってきた。再び神崎は画架の前に戻り、画布と高子とを遮った。高子は唇を噛み締めながら、息を潜め、足音を殺し、そっとその場を離れた。
定刻の朝食の一時の後、女学校に登校する幾許か前、些細な理由をこじつけに高子は神崎を呼んだ。いつものとおりやや陰鬱な表情をしてうつむく、わずかに髪を乱した神崎が、姿を見せて一礼した。高子はその表情をじっと見つめた。そこには今朝の光景を取り繕う色は微塵もなく、高子の方が自分を疑えば夢の中の出来事であったかのように確証を抱けぬ素振りであり、神崎はあくまでこれまでどおりの神崎のまま、暗澹とした卑屈さを自身で気付いて押し黙っているような素振りで、高子がそれを嘲笑しつつ安堵する高子にとって収まりどころに収まる存在から微塵も欠損していないように見えた。しかしその常と何の変動もない神崎に対して、高子はこれまでと等しい侮蔑交じりの安堵の中に、銀色に光る針先のような一点の疑念を感じざるを得なかった。
或いはそれは神崎の心に秘める牙であろうかと、高子は我が身に照らし合わせ、学舎の中で退屈な講義に身を委ねながら漠然と考えた。或いは自分や屋敷の人間に対する神崎の態度は、自分が女学校で取り囲まれる蔑視に対する憤りと重なり合うのかもしれないと高子は思った。高子自身は神崎のように卑屈さも、うわべだけの恭順もまるで示さなかった。優美に、そこから決して逸脱をせず、だが涙をにじませて隷属するような下手に出る態度は決して表に出さなかったし、気構えが時に疲弊し弱気になった時であっても、己の誇りを全て投げ捨てて逃亡しようとは決して考えなかった。その内心には、決して砕けぬ憤りの牙があった。決して融けぬ氷塊があった。そしてそれらは、自身の基盤とする美麗さという大地から隆々と佇立したものであった。高子は、その美しさを持つがために本質的に嫌悪されるということを知らず、かえってその美しさを誇りとして自身を支えていたし、それがために屈せず、それがために牙を持った。
その牙は、神前にもあるのではないかと高子は思った。だが、高子は神崎の中に苛烈さがあるのではないかという仮定を、自ら持ち出しながらも、それを信じきることができなくもあるのだった。神埼も、普段は人の渋面の押し付けがましい情けに身を寄せ、庇の下に身を置く哀れな病み犬のようにうなだれて生きながらも、内心他人に譲らぬ狷介さで自身の美を暖め続けてきたのだろうか。そこまで行かずとも、自分の描き出す美が神崎の生きる意味であり、生を支える行為なのだろうか。自分と神埼とは似たもの同士であるのだろうか。
その思考法に高子自身、嫌悪を感じなくもない。普段自分が何者とも思っていない神崎に同類の感触を覚えるというのは、自分の落剥を連想せざるを得なくもない。弱々しくみすぼらしい神崎と自分が同一視されるというのは耐え難い。それ故に心乱れもする。でありながら、その全てを否定しようとしても否定しきれぬ。高子は惑った。そのためその日の女学校でのいくつかの不愉快な級友たちの接し方も、どことなく上の空で、不快感に憤る機会は減った。級友たちも肩透かしを食った格好で、その煮え切らなさが不愉快ではあったが、常のように彼女たちの目に高飛車にしか見えぬ高子の振る舞いがこの日はぼやけてしまっていたがため、目配せして引き下がらざるを得なかった。
そんな高子の惑いと、気抜けした素振りとは数日続いた。その間屋敷に於いて高子は幾度か神崎と会話を持ったが、高子の疑念を神崎が明快に晴らすことはまるでなく、相変わらず煮え切らず、回らぬ舌でしどろもどろに語る様子に、高子は苛立つばかりであった。その苛立ちを抱えながら、高子は夜明けと共に目覚め、再び神埼が絵を描く光景を盗み見しようと目論んだ。それは成功する日もあればそうでない日もあった。雨が降れば神崎は画布と画架を持ち出しては来なかったし、高子の瑞々しい肉体がなおいっそうの眠りを求める朝もあった。慌てて飛び起きても、馬丁が厩で馬車馬に秣をやる頃には既に神崎の姿はなかった。ほんのわずかの黎明時の暇、時を盗むように神崎は、闇の中にわずかな白い曙光を混ぜた中をやってきて、朝露滴る青梅を描いては、さっと引き上げるようだった。それでも何度かは、高子は神崎の姿を見つけることができた。見つけられない日は大抵高子がしくじったせいであったから、天候さえ許せば神崎はほとんど毎日そうしている様子だった。
高子と神崎のそのような堂々巡りはいくらか続いた。この間、高子は絵のことを面詰するような勢いで神崎に問いただしたい衝動に駆られながらも、不思議とそこに自分でも釈然としない躊躇を感じてもいて、面と向かいながらも視線をそらし続ける神崎に常より更に苛立ちを覚えながらも、それを切り出すことができず、朝靄の中の神前の姿は常に盗み見るばかりであった。
だが、堂々巡りもあっけなく終わる日が訪れた。ある朝自分の姿を隠すのに、高子は物音を立ててしくじったのだった。神崎は振り返り、画架の前ですっと立ち上がった。
高子は狼狽しながらも、胸中このような有様に陥ったら神埼がどう振る舞い、また自分がそれにどう応じるのか、かつて脈絡もなく想像したことを思い出した。それによるならば、神崎は悪びれながら、しかし一面毅然として、自分の美に対する誠実さを貫徹する。うなだれながらもその面相に、自分の美に対する清々しい矜持を浮かべるのではないか。事態に狼狽しながらも、自身の美には悠然とし続けるのではないか。
それは高子にとっては予測ではなく願望であった。気の迷いに近しく、自分と似通ったところを持った神崎という姿を想像した高子には、知らぬうちに自分の振る舞いの理想を神崎に投影するところがあったのかもしれなかった。
だが、現実は高子の願望を妄想として裏切った。神崎はどこまでも神崎であった。卑屈に陳謝した。高子の冷ややかな視線が自分の絵に注がれていることに過敏すぎるほどに気付き、痛々しくなるほどにその絵を自分の体で隠した。そして、ここまでで失望の煮え湯を存分に飲み込んだ高子が、胸中憤りながらも、それでも一縷、自分の抱いた妄想の具現のため、殊更に落ち着き払いながら神崎に、その絵はよく描けているのかもしれないと常の高子からすれば想像もできぬような優しい言葉をかけてやった。それは、無論孝子の外面的な態度からは微塵もうかがうことができなかったが、高子にすれば哀願に等しいものだった。霧のような自分の想像を裏切って欲しくないというかそけき情感がそこにこもっていたのかもしれなかった。そして、当然、神崎はその情感を皆目理解できぬということを振る舞いで示した。慌てた神崎は、こんなものを、と自分の絵をあっけないほどに否定した。
こんなつまらないものにうつつを抜かし……。
そんな神崎の卑屈な弁解を耳にして、高子の激情は盛り、次には平手で神崎の頬を打っていた。裏切られたという実感が伴わないまま、その情動だけが駆け巡って、造反という言葉でその情動に形を与えてやることができないだけに高子はそれを飲み込むことも吐き出すこともできず、高子はきびすを返した。以来神崎はその時刻その場所で絵を描くことをやめた様子だった。そのことを高子は何度も明け方に目覚め確かめた。用事を言いつけるために神崎を呼び、なにやら言葉をかけると、神崎はこれまで以上に卑屈で陰鬱とした態度で、犬のように隷属してそれを承った。高子はこの男が不愉快でならなかった。
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2007/05/05(Sat)11:52:02 公開 / タカハシジュン
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■作者からのメッセージ
うん、まあ見切り発車気味になってしまったのですが。よろしければどうぞご一読を。
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