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『人生の節目は、花見と共に。』 ... ジャンル:リアル・現代 ショート*2
作者:クロウ・G
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春。春夏秋冬の初めの一語にして、一年の始まりを告げる季節。
厳しい冬を乗り越え、多くの草木がその花を咲かせるこの季節、やはり一番の行事といえば誰もが口をそろえて「花見」と答えることだろう。
倉本家もその例外にもれず、毎年四月になると一家総出で花見をすることになっていた。
*
まだ夢の余韻が頭のなかで残響する早朝。暗色と静寂が辺りを包むなか、倉本家の大黒柱である荘介は家を出た。花見の場所取りのためだ。
春風さえもまだ肌に冷たく、吐息は白く染まり、やがてそれは空に溶けるように消えていった。
「うう、やっぱり朝は冷えるな」
思わず荘介の口から本音が洩れた。あまり厚着をしてこなかったことを後悔したが、荘介は場所取りが先決だ、と足早に車に乗り込んだ。
窓をほんの少し開け、申し訳程度に流れ込む風を荘介は感じた。朝のドライブも悪くはない。
それはさっきとは打って変わって肌に心地よく、目が冴えた荘介のハンドルさばきは見事な切れ味を誇っていた。
向かう先は、毎年倉本家が花見に出向いている篠原公園だった。道中人通りは少なく、荘介が信号以外で止まることはなかった。
この時期は大抵場所取りのための車で混雑していたものだったが、今年は異様に少ない。逆にそれが、荘介に奇妙な不安を抱かせた。
車で十五分の道のりを終え公園に到着した荘介は、そのまま車を乗り入れた。辺りは少しずつだが明るさを取り戻しつつある。人は見当たらない。荘介は意気揚々と車を降りた。
早起きの小鳥のさえずりが静けさを打ち破り、見上げた空には灰色の雲が流れていた。
荘介は思い切り背伸びをした。ああ、朝って気持ちいい、と荘介は改めて実感した。
だが、地上に視線を戻した荘介の目に飛び込んできたのは、肩を落とすには十分すぎる数のブルーシートだった。
いくつも連なる桜木の根元という根元はすでに占領されている。惜しくも根元をとることができなかった他の誰かが、せめて桜を近くで見れるようにとやはり根元近辺にシートを構えている。
どうしたものか、と荘介は頭を抱えた。今ここにシートを敷いている……特に根元を得ることができた人たちは、一体いつここに来たのだろう。考えるだけで頭が痛かった。
ふと腕時計を見やると、まだ六時にはほど遠い時間をさしていた。
だが、このまま帰るわけにもいかなかった。荘介は頭をうんと唸らせ、苦心の末公園のど真ん中にシートを敷くことにした。
そんな荘介をあざ笑うかのように、通りすがりの冷たい風が頬をなでた。
*
四時間後、荘介は妻の京子と娘の杏奈と共に篠原公園へ来ていた。
荘介は、家に帰ってからすぐにはどんな場所を取ったのかを言わなかった。というより、言い出せなかった。
どうせがっかりされるのなら、実地に連れて行ってからでも遅くはない、そう考えたのだ。
荘介の思惑どおり、妻子の第一声は「えー」だった。
二人はそろって眉をひそめ、口をとがらせながらぶーぶー文句を言った。
「仕方ないじゃないか。ここしか空いてなかったんだから」
「でもあなた。もっと桜の木の近くにシートを敷こうとは思わなかったの?」
「ああ思ったさ、少しはね。でも見てごらん、ここからなら全ての桜を拝める」
「うーん……ま、そう考える手もあるわね」
どうにかして二人を宥めることに成功した荘介はゆっくりとシートに腰を据え、あぐらをかいた。恰幅の良い荘介のその姿は、なかなか様になっていた。
「ほら、お前たちも座れよ」
「ええ。杏奈、行きましょ」
「う、うん」
今年二十歳になったばかりの杏奈は、耳に桃色のピアスをさげていた。
全員がシートに腰を落ち着けてから後、三人は改めて桜を見上げた。
そういえば杏奈が産まれてから毎年来てるな、と荘介はふと思った。
何百年もの齢を重ねてより二十年の歳月を踏み越えた桜木の林立は、荘厳な佇まいを遺憾なく見せつけている。
時期がひと巡りして、春という恵沢の季節にだけ早落の花びらを実らせるこの桜は、今まさに絶頂をむかえていた。
咲き誇ることしか術を知らないこの花に、何故これだけの人が集まるのか。何故人は喜ぶのか。
答えは簡単だ。それは、「綺麗だから」に他ならない。
あるときは桃色の花びらに「美」を感じ、またあるときは花びらが咲き乱れるその雄大な姿に「美」を感じ、そして散りゆく様にもまた「美」を感じるのだ。
だが散った花弁が地上に降り立ったその瞬間、人は初めて「悲しみ」を感じる。
一度散った以上、雨に流されるしか残されてはいない。それが桜の運命だからだ。そして、その年にまた桜を拝める日がくることは二度とない。
だがまた季節がひと巡りすれば、さらに成長を遂げたその姿で見物衆を圧倒するに違いない。それこそが花見の醍醐味なのだ、と荘介は思う。
*
桜の匂いと酒の匂いとが交錯し、辺りには異様な空気が立ち込めていた。
倉本家もその例外にもれず、京子を除く二人が酒気を帯びていた。京子が酒を飲まない理由は、単に飲めないというだけでなく帰りに車を運転しなければならなかったからだ。
杏奈は、二十歳になり初めて飲んだ酒――実際には未成年のときから、少しずつ飲まされてはいたが――でかなり酔っていた。
立ち上がれば足元がおぼつかず、座れば首が落ち着かない。不自然に前後左右のゆれを刻むそれは、さながらダルマのようだ。頬は紅をさしたかのように赤く、目はとろんと垂れ、視線はどこをさしているのか見当がつかない。
「よーひおとうさーん! 今から私の彼をひょうかいするわ!」
急に威勢のいい声を発したものだから、荘介と京子はそろって背中を震わせた。
杏奈は鞄から携帯を取り出すと、なにやらデータフォルダをいじり始めた。相変わらず目はとろんと垂れたままで、ちゃんと携帯の画面を見ているのか荘介は親心に不安になった。
「これよ、これえ!」
「彼」を探し終えた杏奈が、両親に向かって携帯を差し出した。
だがそれを見た荘介と京子は、あまりの画像のすごさに驚嘆の色を隠せない。
何故なら、そこに写っていたのは「巷で人気の超美形芸能人」だったからだ。
「あ、杏奈。これもしかして」
「えへ、私の彼だよお」
「すごいじゃない杏奈! ふふ、いつかこの子をうちに連れていらっしゃいな。かなりのイケメンじゃないの」
この親にしてこの子あり。京子もまた美形好きであった。
「ねえあなた。産まれてくる子供が楽しみね」
「はは、お前は気が早いな。もしかしたら別れるってこともあり得るんだぞ」
「もー、不吉なこと言わないで。さ、今日は飲んで飲んで! こんなにめでたいことはないわ」
京子が杏奈のコップになみなみと酒を注いだ。どーもどーも、と親父のように礼を言った後、杏奈は一気に飲み干した。頬の赤みがより一層増し、その色はハナミズキの花びらにとてもよく似ていた。
ふと、一枚の桜の花びらが杏奈の黒髪に落ちてきた。
それは杏奈の細い髪の毛の間を縫って鼻頭に落ち、軽快なステップを踏んだあとコップのなかへと吸い込まれた。
「……ふふ、可愛いわね。桜って」
この日初めて唇に乗せたその花の名は、耳にさげたピアスと同色の意味を放つ。
人生の節目を迎えた杏奈は、これからもきっと花見を続けてゆくに違いない。
この、思い出の篠原公園で。
<了>
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2007/04/03(Tue)13:33:59 公開 / クロウ・G
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■作者からのメッセージ
初めまして、クロウ・Gと申します。
「花見」をテーマに短編を書いてみました。ええ、これで完結です。原稿用紙十枚にも満たないかもしれませんが、掌編ということで受け取っていただけるとありがたいです。
それでは、失礼します。
作品の感想については、登竜門:通常版(横書き)をご利用ください。
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