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『もっと陽のあたる場所』 ... ジャンル:リアル・現代 恋愛小説
作者:いずみ孝志
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最近、黒木君が気になる。
地元の高校へ入学してもう二年目に入ろうとしている今、私はなんだか変だった。今までまったく気にもとめていなかった黒木君を、なぜか常に目で追ってしまう。むこうはたぶん気付いていないど、授業中や、休み時間のふとした瞬間、いつも黒木君を見ている。私、変だ。
黒木君の成績は上の方。運動はちょっと苦手みたいだけど、人当たりはよくて、優しい感じのする人。クラスではどちらかというと目立たない方のごく普通の人だ。
普通のはずの黒木君が私のなかで普通でなくなったのは、この前の日曜日だと思う。
日曜日、私は図書館に本を返しにでかけた。気持ちのいい天気の日で、最近やっと暖かくなってきた日射しがとても心地よかった。風はそんなに強くなく、これまた心地いい。いつもなら自転車で行く図書館に、散歩がてらゆっくり歩いて行こうという気分に私をさせてくれるような日だった。
私は家のすぐそばのお屋敷の生け垣に小さな花が咲いているのを見つけて、ちょっと幸せになったり、曲り角の木にとまっている鳥の声を聴いて、もうすぐ訪れる春を感じたりしていた。こんなに暖かくなったんだから、そろそろ児童公園の梅も咲いているかもしれない。私はそう思って、ちょっと回り道をして公園によって行くことにした。
公園につくと、やはり梅はきれいに咲いていた。あまりにきれいだったので、私は梅を見ながら日なたぼっこでもしようとベンチに向かった。ところがベンチには先客がいて、その先客は煙草をふかしながら私と同じように梅を見ていた。あれ、でもこの人、どこかで見たことが……
「黒木君……?」
「あれ、金子。なんでこんなところにいるの?」
そんなことを言いながら黒木君はまだ煙草をくわえている。隠す気など毛頭ないらしい。
「図書館行く途中。黒木君はなにしてるの?」
私はわざとらしく煙草の話題を避けてみた。
「梅を見ながら一服、かな」
見たまんまなことを答えた。それは見ればわかる。そうじゃなくって、えーと。
「煙草気になる? そりゃそうだよな。俺まだ高一だし、学校じゃそんなことしてるようには見えないだろ。うん、実は結構前から吸ってるんだ」
「驚いたよ。黒木君って、不良だったんだ」
「いや、違うよ。見ればわかるでしょ。俺はいたってマジメですから」
そういって黒木君はおどけてみせた。別に高一で煙草を吸っているのが珍しいわけではない。クラスでも、不良たちが自己主張の為のアイテムとしてマイルドセブンだのマルボロだのを持っているのを見たことがある。でも、黒木君の場合そういったカッコつけで吸っている連中とはなんだか違って見えた。
「黒木君はなんで煙草を吸ってるの? カッコつける為?」
「なんでって言われてもなぁ……最初は親父が旨そうに吸ってるのを見て、興味本位だったんだよ。一本試しに吸ってみたらクラクラっとキちゃったんだけどさ、それがなんだか心地よくて夢中になったんだ。だから俺はカッコつけじゃなくて、好きで吸ってるんだよ。そもそもカッコつける為だったらクラスのやんちゃ達みたいに見せびらかすだろ? 俺はこの煙草が本当に好きでさ、色々ためしてみたけどもやっぱりこれが一番」
そういって黒木君はポケットから青い箱を取り出した。箱には白抜きの文字で「Hi-Lite」と書いてある。
「ハイライト?」
「そ、ハイライト。金子さ、ハイライトの意味って知ってる?」
「知らない」
「ハイライトって、英語の俗語で『陽のあたる場所』って言うんだってさ。ちょうどこの公園のベンチみたいな煙草なんだ。吸ってると、心がポカポカしてきて、さあ頑張るぞって気にさせてくれるんだよね」
そうやって黒木君は嬉しそうに煙草の話をしてくれた。ああ、本当にこの人は煙草……ハイライトが好きなんだな。なんだか不思議な人だ。新しい煙草に火をつける黒木君の仕草を見て、私は少しドキリとした。
それ以来、私は黒木君のことを目で追ってしまうようになった。
最近、私と黒木君はそれとなく話をするようになった。前は全然話なんかしなかったのに、これはやはり『共通の秘密』を持った中というやつなんだろうか。
今日も私は授業中寝たフリをしながら黒木君を見ていた。六時間目の授業中、なんだか黒木君はずっと何かが気になるみたいでソワソワとしていた。これは、やはりアレだろうか。
「ヤニ切れですか? オニイサン」
授業が終わった後、私はいたずらっぽく聞いてみた。黒木君は「それは内緒だろ」という風に口に人指し指を当てて言った。
「違うよ、昼休み金魚に餌やり忘れちゃったのを思い出したんだよ」
黒木君は飼育委員だった。クラスでは金魚を飼っていて、でも飼っていることを誰も意識していないくらいに忘れ去られた存在だった。黒木君が世話してたのか。
「ほれ、ご飯だよ。忘れててごめんな」
そんなことを言いながら黒木君は餌をやっている。黒木君って、実は魚好き?
「うん。実はこいつを学校に連れてきたのも俺なんだ。実は名前もつけてある」
「なんて名前?」
「……キャスター」
どうやら煙草の名前らしい。この煙草と魚をこよなく愛する少年と私は気がつくと教室で二人きりになっていた。皆帰るの早いよ、とか思っていると黒木君が言い出した。
「帰ろうか? 一緒に」
二人きり。二人きりだ。なんだかわからないけど、私は緊張してしまっていた。
「ね、ねえ。黒木君の家ってこっちなの?」
なにどもってるんだ私は。
「そうだよ。な、ちょっと帰り公園に寄っていっても良いかな」
そう言って黒木君はこの前の公園の方に歩いていった。私は黙って後をついていく。緊張して会話が続かない。
公園のベンチに私達は並んで腰掛けた。黒木君は学生服の内ポケットからハイライトとライターを取り出すと、慣れた手付きで火をつけた。
「黒木君、いつも帰りにここで煙草を吸ってるの?」
「いや、いつもはガマンしてるよ。今日は金子と一緒だから、吸いたくなった」
黒木君は実においしそうにハイライトを吸っている。学生服と煙草、実にミスマッチな組み合わせだけど黒木君がしているとそれはごくごく自然なものに見えた。私がじっと黒木君を見ているとそれに気付いた黒木君が煙を吐き出して言った。
「金子も一本どう?」
「え? 私はいいよ。やめとく」
「そっか。ま、あんまりオススメしないよ、これは」
黒木君、そんなこと言いながらちょっと残念そう。黒木君って友達は多いけど、こればっかりは仲間がいないんだろうな。
「煙草、いつも持ってるの?」
ハイライトの箱をポケットにしまっている黒木君に聞いた。
「うん。いつもは吸わないけどね。これがここに入ってるとなんか落ち着くんだ。いつも胸に日溜まりを持ってる気分でさ」
いつも胸に日溜まり。ハイライトは黒木君にとっての「陽のあたる場所」なんだなと、あらためて思う。あと、魚ね。前は全然気付かなかったけど、本当に面白い人だ。
一服終えた黒木君は私に帰ろうかと言い、私もそうねと立ち上がった。公園を出て三つ目の曲り角で私達はわかれた。
「じゃ、また明日」
「また明日」
そう、また明日。明日になればまた黒木君に会える。そう考えただけで私はなんだか嬉しくなった。やっぱり私は最近変かもしれない。
翌朝、私はいつも通り早めに登校した。私は朝の学校の雰囲気が好きだ。朝誰もいない時間、ひとりで過ごす教室の空気はなんだか切ない感じがして好きなのだ。
昨日のこともあって、私は教室につくとまず金魚を見たくなった。鞄を下ろし、水槽の前まで行ってみる。
「お前がキャスターか。黒木君はいつも優しいかい?」
水槽の中のキャスターは動かない。寝ているのだろうか。いや、これは違う。だって、キャスターはお腹を上にして浮いているのだから。これって、やっぱりそうなんだろうか。
昨日、元気に泳いで黒木君に餌を貰っていたキャスターは今日の朝、死んでいた。黒木君は、悲しむのだろうか。私は急に泣きそうになってしまって、教室にいられなかった。トイレの個室に入り、わんわん泣いてしまった。キャスターが死んだことよりも、それを知った黒木君の悲しそうな顔を想像して、私は泣いた。
どれくらい経ったのだろうか。やっと落ち着いた私は顔を洗って教室に向かった。やっぱり泣いたように見えるかな、とか考えながら教室に入ると、水槽の前に立ち尽くす黒木君がいた。
「なあ、どうしよう。キャスター死んじゃったみたいなんだ」
「うん。知ってる。さっき見たから」
うつむいていた黒木君は私の方を見るとちょっと驚いた顔をした。やっぱり、泣いてたのわかっちゃたみたい。
「金子、お前ひょっとしてそれで泣いてたのか?」
「なんだか悲しくなっちゃって」
黒木君は、悲しそうな、でもちょっとだけ嬉しそうな顔をした。
「……ありがとう。きっとこいつも浮かばれるよ」
その日一日、黒木君は悲しそうな顔をしていた。それを見る私の顔も、悲しそうな顔をしていたかもしれない。でも教室のみんなは、金魚が死んでいることに気付いたり、気付かなかったり。みんなには大したことなくても、黒木君にとっては「日のあたる場所」だったキャスターの死。放課後、黒木君は私の所にまでやってきて言った。
「金子、帰りちょっと付き合って。お墓を作ろう」
黒木君はティッシュで丁寧に包まれたキャスターを胸に抱き、黙って歩く。私も黙って後をついていく。お墓を作る場所はなんとなくわかっていた。
私達はあの公園につくと、梅の木の根元を少しだけ掘り、そこをキャスターのお墓にした。土をかけ終わると黒木君はハイライトを取り出して火をつけた。
「キャスターに」
そう言って黒木君はほうっと煙を吐き出した。
「キャスター、ここなら寂しくないよね」
私はお墓を見つめて言った。黒木君もうなずいて言った。
「うん。また来よう。二人で。キャスターに会いに来よう」
「キャスター、良かったね。こんな陽のあたる場所に埋めてもらって」
この場所は私達の「陽のあたる場所」だ。黒木君の心の日溜まりは、別の日溜まりへと帰っていった。今日も暖かな陽射しは、私達を優しく包み込んでいる。私も、黒木君のようにキャスターに追悼の意を示したくなった。
「ねえ、黒木君。私にも煙草一本ちょうだい」
黒木君は一瞬驚いて、そして優しい目をして私にハイライトを一本くれた。
「キャスターに」
黒木君の真似をして火をつけた私は、早速むせてしまった。それを見た黒木君が、今日はじめて笑った。私はむせて涙目になりながら笑っている黒木君をみつめた。
公園を出た私達は、自然と手をつないでいた。私の右手に黒木君の暖かさが伝わってくる。黒木君の胸にはいつも「陽のあたる場所」がある。それがつないだ手から私に流れ込んでいるような気がしていた。
三つ目の角まで私達はずっと手をつなぎ続けた。もう黒木君は悲しい顔をしていなかった。黒木君が見えなくなるまで私はまだ温もりの残る右手を振り続けた。
黒木君は私を暖めてくれる陽のあたる場所のような人。黒木君が見えなくなった時、私の変な気持ちははっきりと恋に変わっていた。
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2007/03/11(Sun)03:05:49 公開 / いずみ孝志
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■作者からのメッセージ
日頃から愛してやまない「Hi-Lite」にまつわるお話。尚、未成年の方は絶対に煙草吸っちゃダメです。マジで。
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