『seventeen years』 ... ジャンル:リアル・現代 未分類
作者:忍足 推                

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これから会えない? と彼女からメールが来たにもかかわらず、さっきから返信できない状態が続いていた。なぜかものすごく電波が悪いのだ。
「マジかよ……」
 今日はこのあと予定があるし、このままでは無視したことになってしまう。しょうがないから電話してみるかな。
 信号が赤から青に変わった。
校門を出てすぐの交差点だから、うちの高校の制服ばかりが道路を横断していく。その中に混じって歩きながら、俺は携帯を耳に当てた。
 しかし繋がらない。
「くそっ」
 壊れたのか? この携帯!
 よく見たら時計までおかしいし。なんだこれ、表示が動いてない。
 携帯が駄目なら公衆電話だ。最近すごく減ってるって聞いたけど、見つかるかな……。

「――危ない! 」

その声が、自分に向けられていることに気づくまで少し時間が掛かった。
「え……」
 もちろん、青信号がいつの間にか赤になって、十数メートル先からはトラックが迫ってきていることにも。
「う、わぁああああ」
足が動かない。トラックが近づいてくる。
 そのとき、手を引かれた。
 速くてしなやかな力だった。
「………」
「止まってないで走って! 」
どこか聞き覚えのある、女の子の声。
 後ろ姿はうちの制服。無駄に大きく見えるレトロなヘッドホンをつけて、ステッカーだらけのギターケースを背負っている。
 最初は見間違いかと思った。
 でも俺の手を掴んでいるのは確かにその人だ。

「気をつけなよ……道路で、ぼーっと突っ立ってると、し、死んじゃうよ? 」
 呼吸を整えながらその人は言った。
「一応聞くけど、どこも怪我して、ないよね? 」
「…………」
 俺はまともに口が利けない。何で、この人がこんな所に……。
「ねえってば! 」
「――いてッ」
 背中を叩かれて顔を上げると、睨み付けている顔が目に入った。
「ちゃんと反応してよ。大丈夫じゃないの? 」
「いいえ、……も、申し訳ありません」
「え、そんな、謝ることないけどさっ」
 怒っていたと思ったのに、今度は慌てている。コロコロとよく表情の変わる人だ、と思った。
 長い髪は衣装のかつらみたいな、つやつやした茶色に染められている。眼鏡もレンズが大きめで少し古い感じ。
 でも美人だ。
「別にぼーっとしてたわけじゃ、ないですよ」
 俺は呟いた。
「……どういうこと? 」
「公衆電話を探そうと思って」
「急ぎの電話?」
「はい」
「じゃあすぐ学校戻って電話貸してもらうのがいいよ。うちの学校の生徒でしょ?」
「いえ、違うんです、彼女に――いってえ! 」
 また背中を叩かれた。さっきよりも重い一撃。
「あんたさあ、バカじゃないの? 」
「叩くことないでしょう! 」
「何言ってんのよ! 死ぬところだったくせに! 」
 怒鳴られたあとに、何で男って、と、あきれた声が聞こえた。
 女の子はよく分からない。まあ、この人を「女の子」と呼ぶ気にはとてもなれないけど。

「ナカハラミユキ」
 と、その人は自分を指差した。
「いや、知ってますよ」
「え? 何で知ってるの? 」
 ミユキさんは驚いた顔で訊いてくる。
「それは……」
「……あ、もしかして三年? タメ? 」
 俺が頷くと、ナカハラミユキは勝手に納得した。それから指をくるりと俺の方に向けて、
「あんたは? 」
「俺ですか? サトウマサヒトです」
「へーえ……」
「ミユキさん、でもいいですか、呼び方は」
 何だかすごく不思議な気分だ。
「やめてよ、タメなのに敬語なんて」
「……いや何となく」
「えー、いつからそんなに敷居の高い女になったのかなあ、あたしってば」
 ミユキさんは高らかに笑った。別にそう言う意味じゃないんだけどな。
 彼女曰く、「公衆電話なんてどこにでもある」らしい。
「学校の周りだけでも二、三個あるでしょ」
「えっ?」
「校舎裏のクリーニング屋さんの前と、この道をもうちょっと行ったバス停のそばもだし、だいたい何で知らないの? 使うでしょ?」
「いや、めったに」
「嘘! そんなんどうやって友達に電話するのよ! 家からかけるの? 」
「まさか」
 携帯を使うのだが、そのことは言わないほうがいいような気がした。
「まあいいわ、知らないなら一緒に行こう」
「いいんですか? 」
「うん、あたしの家学校のすぐ近くだから、通り道」
 ミユキさんはそう言って俺の少し前を歩き始めた。背中のギターケースにはMIYUKIと白いペンで書かれていて、その下にはYUMAとある。彼氏の名前だ。そして雑誌の切り抜きがステッカー代わりに貼ってあった。俺も良く知っているバンドの写真。
「ザ・ブルーハーツ……」
 ミユキさんが振り返った。
「知ってるの?」
「ああ、少しは」
 そう答えるととても嬉しそうな顔をする。
「あたしね、大好きなの!」
「へえ……」
「リンダ リンダとか、人にやさしくとか、うん、特にね、ヒロトさんの曲が好き」
「あ、それは知ってます。リンダリンダ〜っていう」
「そうそうそう!」
 小さい頃によく聞いた覚えがある。サビの部分を覚えてしまって、真似して歌う姿が可愛かったといつか親父が言っていた。
「あたしもね、バンドやってるんだけど」
言いながら、ミユキさんはギターケースを下ろし、前ポケットからチラシを取り出した。
「今度ライヴやるんだ。ブルーハーツのコピーで」
「リンダ リンダもやるんですか?」
「やるよ! マサヒトくんもよかったら来てね」
「ありがとうございます」
 俺はチラシを受け取り、日付を確認してカバンに入れた。
「――といっても俺、その曲サビしか知らないんですけど……」
 白状すると、それは駄目だよ!と言われる。
「確かにこの曲のいいところはさ、誰でもサビなら知ってる、っていうのもあるんだけど」
 ミユキさんは熱い口調で言った。
「そこだけじゃないんだよ、この曲は」
「はあ……」
「この機会に知っとくといいよ」
 そして彼女は少し息を吸い込んで、その一節を歌った。
 聞いたことはないのに懐かしい声が俺の中に響き渡る。

 学校の裏にクリーニング屋はちゃんとあって、店先には緑色の公衆電話がちゃんと置いてあった。
「――やっぱり駄目です、繋がりません」
 受話器を置きながら俺は溜息をついた。十円玉がからりと音をたてて落ちてくる。
「うーん、残念だけど諦めたら?」
「そんなに軽く言わないで下さいよ……確かにまあ、そうするしかないですけど」
 かからないだろうと予想はしていたが、やはりショックだ。結局、俺たちはすぐにまた歩き始めた。
 ローラースケートを履いた子供とすれ違った。五、六人で歌いながら走っている。流行なのだろうか。
「そもそも、何でそんなにまでして断りたいの? せっかく彼女のお誘いなんでしょ? 」
「あー、いや、法事なんです」
 何でもないようにミユキさんは聞いてくるが、実はとても答えづらい。
「何だか下手な言い訳みたいだね」
「俺もそう思います……でも本当なんですよ。親戚の、十七回忌で」
「……マサヒトくんが生まれてすぐに死んじゃったのか」
「……はい」
 午後から墓参りに出かけるから、部活のあとは母方のばあちゃんの家に直行することになっていた。一回家に帰るよりも学校からのほうが断然、近い。
「でもさ、たまには連絡つかないことだってあるよ。電話なんだし。あとでちゃんと謝れば絶対分かってくれるって」
「だといいんですけど……」
「ええ? 駄目っぽい子なの? 」
「いや……」
 俺は苦笑する。
「あのね、マサヒトくん」
「はい? 」
「女の子はね、本当に、心から好きだって気持ちをいつでも見せてくれる人なら、信じられるんだよ」
 その言葉には確かな重みがあって、
「……参考にさせていただきます」
 背筋を伸ばして答えると、ミユキさんは笑った。
「なーんて、なんかえらそうでごめんね」
「そ、そんなことないですよ! 」
「ほら、マサヒトくんってサトウマサヒトだよね? 確か。実は私の彼氏もサトウだからさ」
「……それがどうかしたんですか」
 日本人の苗字で一番多いのがサトウかスズキだったと思う。
「うん、全然関係ないんだけど、なんか嬉しくて」
「ユウマさん、ですよね?」
「何で知ってるのよー」
「ミユキさんギターケースに書いてるじゃないですか」
 俺が言うと、やめてよー、などと恥ずかしがっていた。でも今更だよな。
「――いい人なんですか? ユウマさんは」
「そりゃあそうだよ!」
 そしてすぐに復活する。
「二十歳で、楽器屋さんで働いてるんだけど、面白いのに真面目で優しくて、大好き」
「ブルーハーツよりもですか? 」
「ブルーハーツよりもです! 」
「即答ですか……」
 本当に大好きなんだな。道端なのにテンション高くて、話し方からも表情からも愛が感じられる。もうここまでくると俺の方が恥ずかしいくらいだよ。 
「結婚しようって言ってくれたの」
「………」
「嘘みたいでしょ」
 でも信じてる。
 ミユキさんはそう言葉を結んだ。
 住宅地の中を暫く歩いて、小さな一軒家の前で足を止める。表札には「中原」と書かれていた。
「ここですか」
「うん」
 ミユキさんは門扉に手をかけながら振り返った。
「じゃあね。今度学校で見かけたら声かけるから」
「はい――あ、あの」
「何?」
「車には、気をつけてくださいね」

「あと、……お幸せに」
 俺は少し泣きそうになって、やっぱり笑った。なんだよそれ、と言う声が聞こえて、俺は目を閉じた。
 
 目を開ければそこにはさっきと同じようで違う、住宅地の中の小さな一軒家がある。
 十七年の月日を経た、中原家。
 門扉のそばのインターホンを押して中に入る。
 俺が生まれてすぐに死んだ母親を弔うために。
 
 居間に親父と、両家のじいちゃんとばあちゃんが座っていた。奥には仏壇があり、長い茶髪に眼鏡をかけた、まだ若い女の子の遺影が立てられている。その下には古いギターケースが置いてある。ブルーハーツの写真は黄ばんで、MIYUKI・YUMAの下にMASAHITOと書き足されている。
 中原みゆきは親父と結婚して佐藤みゆきに変わったあと、俺が生まれてすぐの十九歳で死んだ。交通事故だった。
「遅かったな」
 親父が言った。
「ごめん」
「まあまあ裕真さん、急だったことですし。みゆきも喜んでいますよ」 
 ばあちゃんがお茶を運んでくる。
「父ちゃん」
 仏壇に線香を上げながら、俺は言った。
「俺、母ちゃんに会ったよ」
「……夢でも見たのか?」
「多分そうだと思う」
 チラシに書かれたライヴの日付は、一九八八年になっていた。
 見間違いではなかった。だから白昼夢だと思うことにした。
「でも、母ちゃんだった」 
 覚えていないのに何度も聞かされた。
 高校時代はいつもギターを背負っていたことも、ブルーハーツを愛して止まなかったことも、表情豊かで元気な女性だったことも、「人にやさしく」にちなんで俺に優人と名付けたことも。
「俺、母親がいなくて哀しいなんてずっと分からなかったんだ」
「………」
「だけど……」
 あの人に、ナカハラミユキに、俺はずっと会いたいと思っていたような気がした。
 そして今は、十七年後の、三十六歳の母ちゃんを見たかったという気持ちが生まれている。

『車には気をつけて』

 別れ際にそう言えば何かが変わるかもしれない、奇跡が起こるかもしれない、そんなありえないことを心から願ったのだ。

「父ちゃん」
「ん?」
「母ちゃんの話、してくれない」

 写真立ての中で、あの人は微笑んでいる。

2007/02/22(Thu)15:11:30 公開 / 忍足 推
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■作者からのメッセージ
こんにちは、忍足推です。
初投稿です。自分では頑張ったと思っていますが、まだまだですよね……。
精進します。
よかったら批評、感想残していってください。
よろしくお願いします。

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