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『LEAKーリークー』 ... ジャンル:ファンタジー 未分類
作者:花角
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あらすじ・作品紹介
緩やかな青空に『浮島』は今日も輝く。そしてそれを見上げ、少年は他に無い温かさや優しさを感じる。 あそこには神様が住んでるんだ。 不思議な確信を持った少年に、ある日――。
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沙織辺・サジ(さしきべ・さじ)は窓際の席から、空を眺めていた。
小春日和の今日は柔らかな風が吹き、沙織辺のいるクラスの内の数人は、そんな風に当てられて夢へと誘われていた。
しかし、沙織辺は眠らず、かと言って授業に耳を傾ける訳でも無く、ただ真っ直ぐに空を見上げていた。
そこには眩い青空と――、一つの島がある。
緑の映える美しい島だ。それを、沙織辺は静かに見上げていた。
「沙織辺ぇ、『浮島』ばっかり見てるな」
ふとそんな沙織辺に、悉く授業を無視され続けていた先生が注意を発した。しかし沙織辺は緩やかな動作で前を向くと、眠そうな形をした瞳を細め、微笑交じりに答えた。
「だって先生、『浮島』が見えるんですよ?」
「そんなもん、年に一度は絶対通るじゃないか。それにテレビで見飽きた」
「俺はその度に見ますけどね」
そして柔和な笑みを浮かべると、沙織辺はまた空を見上げた。
雲よりもなお遅く、なお流れるように『浮島』は空を漂っていた。
堕ちて来た神様
「たはー」
気の抜けた声が、屋上に小さく響く。
世の学生達が最も活気付く昼休み、沙織辺は立ち入り禁止の屋上に居た。勿論、他に人影は無く、沙織辺はあんぱん片手に悠々自適な時を過ごしていた。
「ほー」
と言っても、その過ごし方はただ黙々と『浮島』を見上げるだけである。浪費と言っても良い。
『浮島』は今、丁度学校の真上にあった。と言っても遥か上空なのだが、その巨大さ故に沙織辺のいる屋上からは手を伸ばせば届きそうな錯覚にさえ襲われた。
「あー」
「君はおじいちゃんか」
沙織辺が三度目の間抜けな声を発した時、不意に背後から凛とした突っ込みが当てられた。
「やほー」
その突っ込み主に緩い視線を向けると、沙織辺は寝転んだままひらひらと手を振って見せた。
「サジ……。君、いつでも老人デビュー出来るね」
呆れた果てた声の主は、沙織辺とは対照的にきりりとした顔立ちの、小柄な女学生だった。少年の様に短い直毛と、細く引き締まった体がスポーティーな印象を与えた。
瀬田・円(せた・まどか)。それが女学生の名前だ。
「まどか〜、元気?」
「君の百倍くらい、若くて元気だよ」
即答すると、円は仰向けに寝転んだ沙織辺の隣に腰掛けた。
そんな円には目もくれず、沙織辺はまた真っ直ぐに『浮島』を見上げ始めた。
「そんなに楽しい?」
円は牛乳のパックをくわえ、ぺたりと自分の足の裏と裏をくっ付けた。これが円のお決まりの食事スタイルだった。
いつも地べたにこうして座り、パックかパンかはたまた箸をくわえるのだ。
「お尻汚れるよ」
「セクハラ」
即座に突っ込んで、円も空を見上げた。
柔らかい風が二人を撫でた。円の短めのスカートも。
「パンツ見えるよ」
「変態」
そんな素っ気無い会話が途切れ途切れに交わされた。
やがてその間を縫う様に、静かで温かい沈黙が包んだ。和やかに、会話も無く二人は食事を進め、『浮島』を見つめていた。
『浮島』はまるで深緑に輝く太陽で、フロート・エメラルドとも呼ばれもしていた。宝石店のサンプルなどでよく見る加工されたダイヤモンドの様な形で、それ全体を鬱蒼とした緑が覆っていた。それが朝露に濡れ、昼時にかけて輝くのだ。紛れも無い絶景なのだが、全ての人間はテレビやら雑誌やらでそれを見飽き、こうして稀に実物が通過しても熱心にそれを眺め続ける人間は居ない。いや、少ない。
「――ねぇ、サジ」
小さく、円が呟いた。沙織辺は上を向いたまま「なんだい」と言葉を返した。
「どうして、君は『浮島』を見続けるの?」
「……見えそうな気がして」
「ん?」
「あそこに住む、神様達が」
言いながら、沙織辺は笑った。円はその横顔を面白そうに見つめた。
「信じてるんだ。浮島に住む神様の話」
「ふふん、勿論。じゃなきゃ、あんな大きいのが浮いていられる理由がない」
「ユアン調査団の話は?」
ユアン調査団――それは、あの『浮島』に上陸して隅々まで調査した国連の調査団である。その調査結果は、『無人で無動力な、謎の浮遊物体』だった。今でも少数の調査団が駐留しているが、その調査結果はこのユアン調査団の時から変わらず、である。
「嘘だね。隠してるんだ」
珍しく、確固とした口調で沙織辺が言った。それを聞いて円はますます面白そうだった。
「なんで?」
「きっと……神様は魔法を使うんだ」
「それで?」
「それが人間の科学では証明できなくて、躊躇してるんだ」
「へ〜ぇ」
笑いと溜息の混じった声を漏らすと円は食事を再開した。
「……まどかだけだよ」
「何が?」
「俺の話を聞いてくれた人」
その言葉に円は固まり、やがて顔を逸らして答えた。
「私だって、聞き流しだよ」
「他の人は聞き流してもくれない」
沙織辺は徐に上体を起こした。それから切な気な瞳で円を見る。
「まどか……」
何時に無く真面目な声で、沙織辺がその名前を呼んだ。
「な、なんだよぅ。らしくも無い声出して……」
「俺は」
沙織辺は戸惑う円に詰め寄った。
「ちょっ……」
「俺はまどか、お前が」
「ま……」
赤面し、ひっきりなしに目を泳がせ続ける円の両肩を沙織辺が掴んだ。
……ごくり……。
やがて円は胸の前で手を握り、恐る恐る沙織辺を見つめ返した。
秀麗な沙織辺の顔が、文字通り目と鼻の先にあった。
「サジ……」
鈴の鳴るような声で、円が呟いた。
沙織辺が、それを合図にしたかの様に、遂に声を発した。
「俺は、お前が神様の一人なんじゃないかと思うんだ」
沈黙。
風が少し寒くなった。
「……は?」
「そうしたら、全部の辻褄が合うじゃないか」
「…………」
「ほぅら、隠さずに……」
円は一瞬呆然とし、それからまた赤面した。しかし、その様子はこれまでとはまるで違った。第一、拳がわなわなと震えている。
「く〜た〜ば〜れ〜っ!!!!!」
ある休み時間の事。
「あ〜、確かに」
いつも通りのまったりとした口調の沙織辺の回りには、クラスでも仲のいい三人の男子が居た。
「だよな? あのゲーセン絶対、商品取らせない気だよな」
活発そうな男が沙織辺の机に腰掛けながら言う。
「けど、前にサジは取ってなかった?」
「え、まじで?」
隣に椅子を寄せて喋る二人がそんな会話を挟むと、沙織辺が静かに頷いた。
「取った。腐るほど」
刹那、机に腰掛けた男が痛烈に沙織辺の頭を叩いた。
「じゃあなんで、俺の話聞いて『確かに』とか言ってんだよ!」
「……ノリ……」
叩かれた頭を押さえながら、呻くような声で沙織辺が答える。
「単なる横着だ! それは!」
机上の男が沙織辺を怒鳴り、それを眺める二人が遠慮なく笑った。
頭をさすりながら、沙織辺はふと窓の外を見た。
「あ……」
するとそこには、先ほどから雲に隠れてしまっていた『浮島』が姿を現しつつあった。
一瞬、沙織辺のとろけた顔がきゅっと引き締まった。
同時にそれを見た友人三人が、飛び跳ねる様に俊敏な動作で立ち上がった。
「ねぇ、皆。浮……」
それを知らずに沙織辺が三人に話しかけようとすると。
「退避〜っ!」
「またサジの妄想癖が発動したぞっ!」
「一一〇番! 一一〇番!」
刹那、三人の友人はからかい半分で口々にそう叫び、教室を飛び出して行った。
「……なんで?」
元通りの眠そうに見える瞳で、沙織辺はぽつりと呟いた。
「――て感じで、誰も浮島の話だけは聞いてくれないんだよ」
沙織辺は赤くはれた右頬を摩りながら、隣で不機嫌な顔をする円に言った。
時は放課後。二人は揃って帰宅の途中だった。
「君……過去に何をしたの?」
不審の目で沙織辺を見ながら、円が尋ねる。
「人を罪人みたいに……そうだなぁ。浮島の神様ってどんなだと思う? とか、クラス中の人間に聞きまわったとか……」
「それだね。いきなり神様が居ると仮定しての話だし。ドン引きされて当たり前。今、友達が居るのが不思議なくらい」
腕を組んだ円が強い口調で断言した。
「酷いなぁ」
そうは思えない長閑な表情で沙織辺が呟く。
「私がなるべく聞いてあげるから、他の人に対しては我慢しなさい」
円がなだめる様な優しい口調で沙織辺に言うと、沙織辺は少しだけ嬉しそうに頷いた。
それから二人は無言で街並みを進んだ。街と言っても民家と民家の間隔は広く、今の時期はその間に桜が咲き乱れていた。時々、通り過ぎる家から番犬の鳴き声が聞こえる他は特に音も無く、静かな時間が過ぎていった。
「まどかぁ」
やがて、間の抜けた声で沙織辺が円に話しかける。
「何?」
「今日、父さん会社に泊まりなんだ」
「それで?」
「今夜、家に来てよ」
その言葉を聞いて、円は深い溜息をついた。
初めてこの言葉を聞いた時の、自身の赤面ぶりを思い出したのだ。
「簡潔に言いなよ」
呆れ顔の円が呟くと、沙織辺は円の真横に並んで素直に頷いた。
「晩ご飯作って」
思わず円は、くすりと笑みを零した。
「わかった。それじゃ、スーパーに寄って行こ」
「いぇーい」
沙織辺は緩めに歓喜の声を上げ、円の肩を揉み始めた。
「っ……こんな……!」
少女は全身から黒煙を上げていた。その炎の姿は見えないが、少女の服の大半は焼け落ち、粉雪の様に白い肌が露わになっていた。
「あと……四人……なのにっ」
忌々しげに声を上げ、少女は片足を引きずりながら崖の先に立った。
そこから少女は崖の下を見下ろす。
そこには――雲と、その下に米粒の様な街並みが広がっていた。
「行かなくちゃ……」
そう呟くのと同時に、少女は気絶するように体を倒し、崖から身を投げた。
少女の白銀の長髪は激しく靡くが、対照的に体は一切微動せず、放たれた矢の様に真っ直ぐ雲を貫いた。
「……リフレイン……」
刹那、少女の背に純白の羽が生え、少女の全身を包み込んだ。
堕ちて来た神様・U
『浮島』は空を流れ続ける。行き先を緩やかに街の方へと変え、殆ど注目の目を浴びせされることも無く、寂しくさえ感じる輝きを放ちながら。ふと、深緑の包まれた浮島の一辺が輝く。いや、むしろそれは燃え上がると表現した方がいいのかも知れない。煌々とした何かが不意に光を発し、そして誰に見つめられる事もなく静かにその光を萎ませていった。
その部屋の窓からは、流れる『浮島』の姿がよく見えた。遥か上空にあるものの、その位置は殆ど真上に近かった。
羽柴・雄大(はしば・ゆうだい)は小動物の様にまん丸なその瞳で、空を流れる『浮島』を一瞬見やった。
「ん……よしっ」
そして大きく伸びをすると、ぱしんと自身の頬を叩き机上のノートパソコンに視線を戻した。
雄大は今年で中学三年になる、小柄な男の子である。父親譲りの栗色をした髪の毛は首元まで緩やかな波を帯びながら伸び、色白の肌にある低い鼻と大きな瞳が小柄な体格と相俟って雄大を歳よりも更に子供っぽく見せていた。
かちゃかちゃかちゃ。
雄大は慣れた手つきで次々とキーボードを叩き、ノートパソコンに文字を入力していった。
彼は小さい頃から物語を考えるのが好きで、想像の絵を描いてみたり、小説を書いたりするのが殆ど習慣になっていた。
今、こうしてノートパソコンに書き進めているのは、昔から現代に至るまで世界各国の文化や習慣に合わせ、数え切れないほどの傑作を世に送り出した『浮島』を題材とした話だった。
現実の『浮島』に感心が低い今日でも、ファンタジー路線の『浮島話』は高い人気を誇っていた。
そして雄大は、そんな『浮島話』の一つに感銘を受けた一人である。
『浮島』には何がある? そんな事を大真面目に言ったら世間では笑いもされず引かれるだろうが、それが小説を初めとする二次元の世界では当然の様に通る。そこに、雄大は夢を広げていたのだ。
「ふうっ」
雄大がそんな溜息と共に席を立ったのは、一時間が過ぎた頃だった。
「あ、いけね」
不意に自分が学校の制服姿のままだった事を思い出し、雄大は上着とワイシャツを脱ぎながらクローゼットに向かった。
ドタン!
天井の上から鈍いそんな音がしたのは、その時だった。
「?」
雄大はその音に驚いて、天井を見上げて硬直した。
「なに……鳥?」
脅える雄大を嘲笑うかの様に、天井の上を何かが転げ落ちる音が響く。それは鳥とするには余りに大きな音だった。
雄大は咄嗟に思考を巡らせ、部屋の一辺――ガラス戸の先に設けられた小さなベランダ――を見た。
天井の音は確かにそこに向かっていた。
「ごくっ」
声に出したのでは、と思うほど大きな唾を飲み込み、雄大はベランダに向かった。
ごろ……。
音が止み、雄大は忍び足でガラス戸に寄った。一度、深呼吸し、それから勢い良くガラス戸を開け放った。刹那。
「うわーーーーーーー!?」
目の前に、真っ白の物体が落ちて雄大は絶叫して腰を抜かした。
「なななな……」
真っ白のそれはよく見ると巨大な羽の様で、それが覆う物体は人ほどの大きさがあった。
「なにこれ……」
片手で左胸を押さえ、落ち着くように自身を言い聞かせながら、雄大はそれに近寄った。
すると緩やかに純白の羽が解け、解けた羽が粉雪の様に空中に舞った。
そして――。
それらに囲まれる様にして、銀髪の少女は身を丸めて眠っていた。
「…………」
雄大は絶句した。
少女は全裸だった。
沙織辺はだらりとワイシャツを出し、ソファに寝そべりながらテレビを眺めていた。
とん、とん、とん。
その背後では色気の無い群青色のエプロンを付けた円が、沙織辺の眺めるテレビを時折眺めながらも、黙々と料理に没頭していた。
沙織辺の家はよくある一軒家で、今二人の居るリビングは四角い、四人が座れる木製のテーブルを挟んで、奥にキッチン、手前にソファとカーペット、そして壁際には本棚が並び、角に一つのテレビが設置されていた。
ぴ、ぴ、ぴ。
二人が無言でそれぞれの時間を過ごしていると、不意にそんなアラーム音が二人の意識を入り口の、扉近くの壁に設置された機械に集中させた。
「サジ。お風呂できたみたいだから、そんな格好でいるんなら早く入っちゃいなよ」
「ん……」
沙織辺はソファの背凭れに顎を乗せて答えると、ワイシャツのボタンを外しながらソファを立った。
「テレビ消す」
「いぇっさ」
言われたままテレビを消し、沙織辺は脱ぎ終えたワイシャツと靴下を手に、リビングから廊下を挟んだ対面にある風呂場に向かった。
「はぁ……」
沙織辺がリビングを出たのと同時に、円は深い溜息を漏らした。
「こうしてると、熟年夫婦みたいなのにね」
沙織辺は湯船に浸かり、すっかりまどろんでいた。
ちなみに、鼻下まで深々と浸かる沙織辺の前には、オモチャのあひるが悠々と泳いでいる。
「円はいい奥さんになるねぇ」
円は家事全般をそつなくこなせた。一番得意なのは料理だが、掃除や洗濯も人並み以上に上手い。これで性格がもう少しおしとやかだったらモテモテだっただろうに……。
そこまで考えて、沙織辺は苦笑した。
でも、それだったら俺にここまでしてくれないか。
ぱしゃりと顔に湯を浴びせ、沙織辺は立ち上がった。
大学生になるまでには、俺も家事覚えないとなぁ。父さんもそろそろしんどいだろうし。円も流石に大学まで頼れないよなぁ。
浴槽に足だけ入れたまま、沙織辺は曇った窓を擦り、そこに映る自分の姿を見つめた。
「ん……?」
その時、一瞬。自分の背に片方が折れた羽の姿が見えた気がした。
「…………」
しかし再度、沙織辺が窓に映る自身を凝視すると、それは影も形も見えなかった。
喧騒日和
YUDAI SIDE
「うわーん!」
雄大は泣いていた。ベッドの上で、両手両足を縛られた状態で。
「静かにして。じゃないと猿ぐつわも用意するわよ?」
そして、そんな雄大の前で凄む一人の少女。今は雄大から剥ぎ取ったワイシャツを一枚素肌に通している。
突如として堕ちてきた少女は、目を覚ますと、目の前で脅える雄大を驚きの手際で縛り上げ、堕ちて来てからわずか数秒でこの状態にしてしまったのだ。
少女は乳白色の肌に白銀の長髪が良く似合う美人だった。しかし、半裸の美女にうつつを抜かす暇さえ雄大にはなかった。
どうか猿ぐつわは勘弁して欲しい。
「ぐすん……静かに、します……」
「良い子ね」
少女はどう見ても十二、三歳の容姿で雄大よりも小柄な癖にどうにも大人びた態度でそう言うと、雄大の頭を撫で、その対面に椅子を持ってきて座った。
「君は誰なの? どうして……」
雄大が恐る恐る、猿ぐつわを噛まされない様に小声で尋ねようとすると、それを遮って少女が語り始めた。
「私の名前はユフィ。ユフィ・トゥルーニア。浮島からここへ、人を探しに来たの」
刹那、雄大の目から涙が止まった。眼の下に池が出来ていた。
「へ、何処……から?」
雄大の反応を少しでも予想していたのか、ユフィと名乗った少女は大して驚きもせずに答えた。
「別に信じなくてもいいわ。私は浮島から来たの」
面倒臭そうにユフィは頭を掻くと、眼下で雄大の反応を見守った。
「……ん……信じられないや……」
はぁ、とユフィは浅い溜息をついた。
「でしょうね。私も……」
「でも、書きたい!」
沈黙が流れた。言葉を遮ってまで叫んだ雄大の言葉が、ユフィはただ純粋に理解できなかったのだ。
「……は?」
思わず阿呆な顔をして、雄大に聞き返す。そして。
「僕僕、僕ね! 小説を書いてるんだ! 『浮島』の! 大好きなんだ『浮島』の話! あれこそ男のロマンだと思うんだっ! すっごく素敵なんだ! そしたら君が来て! 凄いや! 君は虚言癖のある変態なの? ううん、さっき羽みたいなので包まれてたもんね! 魔法使い? それとも本当に浮島から来たの? ね、ね、ね! この際なんでもいいや! 沢山話してよ! 僕聞きたいんだ! いろんな話が! ねぇ、聞かせてよ! 良いでしょ!? ねぇ! ユフィ!」
雄大の嵐の様な言葉が返ってくる。
ユフィは即座に頭痛を覚えた。
こ、こんな人間初めて……。
うろたえるユフィに雄大は四肢を縛られた状態にも関わらず芋虫の様に這って更に詰め寄った。
「き、気色悪い……」
「ねぇ! どうしてユフィはここに来たの!?」
詰め寄る雄大を横倒しにして、その背を踏み潰していると、ふとユフィはある事を閃いた。そして、ややあって雄大に提案する。
「それなら、話をする代わりに私をここに泊めてくれないかしら?」
「え? うん! いいよ! 願ったり叶ったり!」
「…………」
予想以上の即答にユフィの方がたじろいでしまっていると、雄大があっ、と何か思い出した様な声を上げた。
「うん……でも、ユフィ。長い間は無理かも」
「何故?」
「だって、お父さんとお母さんが居るから」
ユフィは項垂れた。
「それ、真っ先に気付いてあげなさいよ……」
「それでね、お母さん、僕が居ないと勝手に部屋の掃除をしちゃうんだ。それって……困るでしょ?」
「別に、隠れるのは不可能じゃないと思うけどね」
「そんな、捨て猫をナイショで飼うのとは訳が違うんだからさぁ……ご飯だってあるし」
雄大が呟くと、不意にユフィは雄大の背から足をどかし窓際に歩いた。
「なら、問題無いわ」
「どうし……!」
尋ねようとした雄大の目の前で、ユフィが輝いた。
それは髪と同じ銀色の閃光で瞬く間にユフィの全身を包み込んだ。
「万事解決よ、少年」
大人びたと言うよりかは、今度は年配者の様な口調で閃光の中のユフィが呟いた。するとそれを合図に、閃光が小さくなり消えた。
「あれっ!? ユフィ?」
なんと、閃光と同じくユフィの姿まで消えていたのだ。雄大が慌てて辺りを見回す。
「ここよ」
その声は、雄大のベッドの上から聞こえていた。それに釣られて雄大がそこを見上げると――そこには、銀色の毛並みをした子猫が凛々しく座っていた。その横にはついさっきまでユフィが羽織っていたワイシャツの姿があった。
「ユ、ユフィなの……?」
呆然とする雄大の前に、銀色の猫はしなやかに降り立った。
「そうよ」
銀色の不思議な猫になったユフィは、答えるとすっかりなりきった様子で毛づくろいを始めた。
「す……」
途端、雄大の体が小刻みに震え始める。
「どうしたの? まさか今更無理だなんて……」
「凄いや! 最高だよ、ユフィ!」
絶叫し、雄大は立ち上がった。拍子に腕を括っていた紐が衝撃に耐えかねて解ける。
解き放たれた両手がユフィを捉える。
「カワイイッ!」
「うぎゃーーーーっ!」
ユフィを抱き上げた雄大は、その華奢な体を胸に抱え込み、思い切り頬ずりした。ユフィは必死に抵抗して爪を立てたが、雄大は微塵も怯まなかった。痛覚が麻痺しているのかも知れない。
こ、こいつ半裸の女よりも珍しい毛並みの猫の方が興奮するのか!? ヘンタイか!?
そんな事をユフィが口にする間も無く、雄大は更に目を輝かせた。
「そうだ! お父さんとお母さんにも見せてあげよぅ!」
こらこらこらっ! そんな元も子もない……。
ツッコムよりも早く、雄大は足の紐を解きユフィの両脇を持って部屋を飛び出していた。
部屋を出るとそこは僅かな廊下と、一階に続く階段があった。雄大は豪快な音を立ててその階段を駆け下り始める。
「こ、こら少年! 両親に見せちゃ意味が……」
「猫が喋っちゃまずいんじゃないの?」
「ぐ……」
「お父さん、お母さん!」
苦虫を噛み潰した様な表情の猫を抱え、雄大は勢い良くリビングに飛び込んだ。
「どうした、雄大?」
パジャマ姿でくつろぐ雄大の父は外人で、雄大にも引き継がれた栗色の癖っ毛と、青い瞳が印象的だった。無精髭が気になるが、長身でなかなかの美形だ。
「何持ってるの?」
雄大の母は人一倍小柄で、優しそうな笑みを浮かべる日本人だった。エプロン姿がよく馴染んで見える。
「見てよ、ユフィって言うんだ!」
園児の様な勢いで、雄大はユフィを二人に翳した。
二人は同時に仏頂面のユフィを覗き込んだ。
あ〜、馬鹿、馬鹿。こんな事して……怪しまれたら……。
ユフィが雄大の手の中から恐る恐る両親を見つめた。
両親は絶句していた。
やばい……。
思わずユフィが顔を逸らした、刹那。
「素敵な子猫ちゃんだね!」
「可愛い、可愛過ぎるわっ!」
そんな声と共に、両親の手もユフィを捉える。
三人の六つの手が限りなくユフィを愛撫した。
「に、にやあああああああああああっ!」
ユフィの精一杯の抗議の声は、馬鹿親子三人組の『可愛い』の合唱で即座にもみ消された。
SASIKIBE SIDE
「ふあ……」
短く欠伸を漏らし、沙織辺は大きく伸びをうった。
今日は生憎の天気で、空一面は灰色の雲に覆われていた。
沙織辺はいつも通りの、窓際の席に座りあまり好きではない灰色の空を見上げていた。
一日経っちゃったし……もう、浮島は遥か向こうだね……。
曇った空の一辺を見上げ、憂鬱そうに沙織辺はそう考えた。
キーンコーンカーンコーン。
色気の無いチャイムの音でようやく意識を浮島から逸らした沙織辺は、担任の教師が入ってくるのを眺めながら、体を正面に向けた。
「ん……?」
今日は担任の、いつも呆れた様な口調が特徴の男性教諭に続いて一人の見たことの無い生徒が一緒に教室に入って来たのだ。
うおおおおおおおっ!
同時にクラスの男子生徒達が一斉に歓喜の声を上げた。
入って来たのは、女子生徒だった。しかも。
「すんげぇ……」
途轍もなく胸が大きかった。
それでいて顔立ちはとびきり清楚で、真っ黒の長髪は歩く度にきらきらと輝いて綺麗だった。
「急な事だがな、両親の都合でこっちに通うことになった神門・美都(みかど・みと)だ」
先生が、相変わらずの物臭そうな口調で女子生徒を紹介した。それに連動して、胸の目立つ転入生は深々と一礼した。
「は、初めましてっ。神門・美都と申します。よろしく、お願いしますっ」
赤面して早口に言うと、美都はまた深々と頭を下げた。
うおーーっ!
狂気にも似た歓喜がクラスを包んだ。こんな初心そうな女子、クラスに居ただろうか? いや、いない。皆変に砕けていて話易いと言えば確かにそうだが、なんだかそそられるモノが無い。
するとよっぽど、この美都と言う女子生徒は一際斬新だったんだねぇ。
沙織辺は友人達の熱狂ぶりにいつの日かの熱弁を思い出し、面白そうに微笑した。
素早く美都が頭を上げると、無意識に沙織辺は彼女と目が合った。
その時、はにかんでいた転校生の瞳が、一瞬……なんと言うか、上手くは言えないけど、直線的な感じになった気がする。よく分からないけど……こっちを、品定めする様な。
困って沙織辺が苦笑しながら手を振ると、美都はさっきと同じはにかんだ顔で控えめに振り返してきた。
「お、なんだ神門。あの変人と通じてるのか? じゃあ、席はアイツの隣でいいな」
横柄とも言える担任の独断で、美都の席は即決された。
俺は別に良いんだけどね……。
ふざっけんなぁーー! よりにもよってあんな朴念仁の隣かよぉ!?
……これが原因で、イジメられたりしないかな? 俺。
「よ、よろしくね。沙織辺君」
一切の罵詈雑言が聞こえないのか、渦中の美都は涼しい程にはにかんだまま沙織辺に挨拶した。
「あ、うん。程々に」
美都はにこりと笑って、淑やかに席についた。
転入生騒動は直ぐに収まった。担任がいつもの決まり文句を吐いたからだ。『これから喋った奴、減点な』。どの教諭でも使いそうな脅しだが、物臭なこの担任は人一倍注意に熱が籠もってないくせに、容赦なく減点する。
特に沙織辺はテストで七十点近く取るのだが、授業中に気まぐれで注意されるので、前学期は内申を含めた合計点が三十ギリギリだった。
これに似た話がクラスあちこちから浮かび上がり、初めてクラスはその担任のタチの悪さを知ったのだった。
だから担任の授業である日本史は、寝ている者がちらほら居る他は極端に静かだった。
「んで、あるからして……」
物臭な調子の声を聞き流し、沙織辺は曇った空を見上げていた。
寝ている生徒は注意しないクセに、担任はたまにこの時の沙織辺を注意する。それでも、沙織辺は一切怯まないが。
空を覆う雲が、徐々に薄れてきていた。
青空が見えても、既にそこに浮島の姿は無いだろうが、沙織辺は青空だけを見るのも好きだ。
「沙織辺君、空を見るのが好きなんだね」
「ん……」
ふと視線を戻すと、美都が小さく笑っていた。
転校したての美都は勿論、教科書が無いので沙織辺のそれを見るために、ぴたりと机を繋げていた。
「その、『沙織辺君』てのやめない? 変な感じ」
「ごめんなさい。両親の教えで……なんて呼んだら良いかな?」
「人は俺をサジと呼ぶ」
「じゃあ……サジ君で。良い?」
「ん、合格点」
二人が笑みを交わすと、担任が此方を向いたので、二人とも無言で各々の作業に戻った。
美都はノートの書き取り、沙織辺は空の見渡し。
「……沙織辺ぇ、空見てるなよ」
それだけ言って、担任は授業に戻った。
また減点された。そう沙織辺が思っていると、隣で美都が両手を合わせ『ごめんなさい』と小さく言った。
沙織辺はそれに肩を竦める事で答え、また飄々と空を見た。
薄らいだ雲に切れ目が入り始めていた。
沙織辺は何気なく、昨日、最後に見た浮島の位置を見つめていた。
浮島は雲のように浮遊し、既にその場所を離れている――筈だった。
沙織辺は目を見開いた。
雲の合間に、翡翠の輝きが覗けた。
「ばっ……ま……!」
言葉にならない声を断片的に放ち、沙織辺は思わず立ち上がった。
すぐにクラス中の目線が沙織辺に集中する。
「おい、沙織辺。なにして……」
担任の声を遮る様に、沙織辺は空を指差した。
「浮島が!」
初めて聞く、危機でも迫るかの様な沙織辺の叫び声だった。
「浮島が、あの場所に留まってる!」
薄らいだ雲を引き裂き、快晴を背にそれは輝いていた。
ざわめき始めるクラスを横断し、沙織辺はクラスを飛び出した。
「おいっ! 沙織辺ぇ!」
担任は声を荒げたが、沙織辺は止まる素振りさえ見せなかった。
「なにを……」
担任は減点する事さえ忘れ――空に留まる浮島を凝視した。
浮島が静かに輝く。背に広がる青空と太陽に映え、翡翠の全体は金色にも似た輝きを放っていた。
「嘘、みたいだ……」
昨日、眺め続けたその景色が、今も確かにそこにあった。
沙織辺は屋上に立ち尽くしていた。
位置的には、昼に見てた時より少しだけ進んだ所……止まったのは、日が暮れる前後?
沙織辺はごくりと息を呑んだ。こんな事、今までにあったのかな……。
「異例だけど、当然の事態だと思う」
「!?」
沙織辺の心中を察した様な、唐突のその言葉に、沙織辺は狼狽して振り返った。
「どうも」
そこには――はにかんだ笑顔を浮かべる転校生、神門・美都の姿があった。
「……なんて?」
人は確認した、しかし。どうにもその口から発せられた言葉が理解出来なかった。
「浮島の事。理に適った対処だと思う」
もう一度。美都は違う言葉で、沙織辺に言った。
「神門……ちゃん? 君一体……」
「美都、で良いよ。……まさか、こんなに都合よく一人になってくれるなんて。嬉しいよ。サジ君」
美都が足音も無く沙織辺に近づく。
「分かる様に話してくれないかい?」
冷や汗を流しながら、沙織辺が必死に言葉を返す。
すると美都はにこりと笑い、上空を指差した。そこには、異様に佇む浮島の姿がある。
「浮島には神様が住んでいるの」
温もりを帯び始めた風が、二人の間を吹きぬけた。
自分が常日頃唱える言葉とは、他人の口から聞くとこうも不気味なのか。
真っ先に沙織辺が思ったのはそんな事だった。
「どうして……断言できるんだい?」
通常の状態なら、俺もそう思う! と手でも握っている状況だろう。しかし、今の沙織辺は核心の無い緊張と不安に揉まれ、それを押し隠しながらそれだけ尋ねるので精一杯だった。
美都は、今度は困った様に笑った。
「私も……それに似たモノだから」
美都の表情が沙織辺を見つめ、変わった。それは彼女と出会って初めて見た、世辞に乗せる様なものでない、純粋な笑顔だった。
不思議とそれは沙織辺を安堵させた。しかし無意識に言葉を聞き入れた沙織辺の心臓は、爆発しそうな程、高速に脈打っていた。
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2007/02/16(Fri)00:09:33 公開 / 花角
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