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『ニデアレントの人形師』 ... ジャンル:童話 未分類
作者:キイコ
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ニデアレントに住むパウル・ライヴェンが人形師になることは、彼が生まれたときから決まっていたことでした。貧しいパウルの両親は、三歳になったパウルを母方の伯父、人形職人のバウエン親方に預けたのです。パウルが手に職をつけ、なにはともあれ安定した家庭を持てるようにと願ってのことでした。
親方はパウルが六つになるのを待って、人形作りの手解きを始めました。手解きとはいっても、彼を隣に座らせて人形作りの課程を見せ、時たまちょっとした雑用を言いつける程度でしたので、パウルは幼心にそれを不満に思っていました。なにしろパウルのやることときたら、作業の課程で出た半端な木切れを暖炉に持っていくか、そうでなければ部屋の中をひたすら掃除するだけだったのです。それに比べて、バウエン親方の操る道具たち! ぴかぴかした鉋や真新しい木材、得体の知れない多様な金具は少年の心を惹きつけるには充分なものであり、それらをただ見るだけでは物足りなかったのです。
「ぼくにもやらせてよ」
パウルは毎日のように言い募りました。
「ぼくにもできるよ」
しかし、親方は笑って首を横に振るだけでした。
「大きくなったらな。売り物に出来るようなものを作れない奴に、大事な木材を分けてやる義理はないんでね」
幼いパウルでも、その台詞の理不尽さは理解できました。鑿を握ったこともないままで大きくなって、どうしたら売り物を作れるようになるというのでしょう。ですから八歳になったばかりのある夏の日、パウルは夜中にこっそりベッドを抜け出し、とりわけ目を引かれていた大きなぎらぎらした鑿を手にして、それをマホガニーの欠片に押し当てたのでした。
翌朝、目覚めたバウエン親方は枕元を見て微笑みました。頭の形はいびつで、手足の折れそうに細い、やすりを掛けていないために表面の毛羽立った、しかし確かに人の形をしたものがそこにおいてありました。削りたての木の匂いがそこら中に漂っています。バイエン親方は起き上がり、隣のベッドで寝ている少年に声を掛けました。
「おい、起きろよ悪戯坊主。大事な商売道具で勝手なことしおって」
罰が必要だな、わざとどすを効かせた声でそう言うと、パウルは飛び起きました。見開いた眼が不安に震えています。
「来いよ」
バイエン親方はそれだけ言って、ガウンを引っ掛けて、仕事場の奥の部屋へと向かいました。今までパウルを入れたことのない、鍵のかかった小さな部屋です。パウルは慌ててその後を追います。親方の消えた黒くて重いドアを押し開けると、彼が小さな人形を二体、抱き上げたところでした。お揃いの青い服を着た、茶色い巻き毛の女の子の人形たちです。
「はじめまして、ちいさなパウル」
「ごきげんいかが、ちいさなパウル」
その甲高い声を聞いて、パウルは卒倒しそうに驚きました。親方の腕に抱かれた人形がしゃべったとしか思えなかったからです。
「そうよ、わたしよ」
「そうよ、わたしたちよ」
口もきけないパウルの心を見透かしたかのように、また人形たちがしゃべりました。絵の具の塗られた赤いくちびるが、声にあわせてぎくしゃくと動きます。親方が満足げに笑いました。
「どうだパウル、これが人形師の真髄だ。“ハート”を持った人形だ」
黙ったままのパウルの目の前にある机に、親方は人形たちを置きました。
「わたしはシュシュ」
「わたしはツェタ」
人形たちは自己紹介をして、声を合わせて笑いました。かくかくかくかく、木でできた小さな顎が陽気な打楽器のように鳴りました。
パウルは魅せられたように、その場を動きませんでした。
「ねえ、まだやるのパウル」
「ねえ、まだねないのパウル」
パウルがシュシュとツェタに出会ってから、八年と少しが経ちました。彼はゆるくウェーブがかかった黒髪の、きれいな若者に成長しました。二体の人形は、パウルが兄弟子から譲り受けたお下がりの作業机の上に乗って、あの日からずっと、パウルの人形作りを見守り続けているのでした。
工房のみんなが寝静まった深夜、蝋燭のぼやけたあかりのしたで、彼は作業に没頭しています。寝る間も惜しみ、ものを食べる時間を削っているせいで、頬がくぼみ、眼だけが輝いています。
「はやくねないとおはだにわるいのよ」
「おねぼうするとおやかたがこわいのよ」
パウルは二体を一瞥しました。
「ちょっと静かにしてくれないか。間接を間違えてしまう」
シュシュとツェタは心外そうに顎を鳴らします。
「かんせつなんてどうだっていいじゃあないの」
「ハートをもったにんぎょうなんてできるわけないわ」
「はやくねないとおはだにわるいのよ」
「おねぼうするとおやかたがこわいのよ」
パウルは鏝を作業机に置いて、二体の人形を見つめました。
「できるわけないだって? じゃあ君たちはいったいなんなんだい」
半ば憤慨して彼は言いました。シュシュとツェタに会った日以来、パウルはバウエン親方の言う、ハートを持った人形を作るのに全力を注いできました。何体も何体も人形を作り、ハートが宿りはしないかと見つめてきました。
(大事なのはハートだ。丹精込めて作った人形にゃ神様のご褒美としてそれが宿る。人形師の誇りだ。ある日突然人形がしゃべりだすんだよ、親友みたいにな)
親方が熱っぽく幼いパウルに語った言葉が、いつだって彼を奮い立たせてきたのでした。
「わたしたちはとくべつよ」
「わたしたちはとくべつだわ」
「まちいちばんのおやかたがつくったのよ」
「はんにんまえのパウルにまねできるわけないわ」
二体は声を合わせて笑いました。
「真似するわけじゃないよ」
パウルは人形たちを睨みます。
「僕が、作るんだ。こいつにハートをやってみせる」
(ハートって、心ってこと?)
あの日たずねたパウルに、親方はこう言いました。
(ハートはハートだ。そうとしか言えん。それを生みだした者だけに、それがなにかがわかるんだ)
(とりあえずしゃべればいいんだよね)
合点がいったようにつぶやいた彼に、親方はもの言いたげな視線を向けたのでした。
明け方近く、新しい人形が完成しました。衣装まで細かい木彫りで仕上げた、ユーモラスな顔をしたからくり人形です。パウルは期待を込めてその木製の顔を見つめましたが、人形はただの人形でしかありませんでした。
「……どうすればいいんだ」
パウルはつぶやき、死んだように眠りに落ちました。
「おい、おきろよ。おやかたがおこるぞ」
ぶっきらぼうな声がすぐ近くで響いて、パウルは目を覚ましました。目の前に、昨日完成させた人形があります。
かたかたかたかた、人形の顎が鳴りました。パウルは信じられない思いでそれを見て、それからシュシュとツェタに視線を移します。
「ハートよ」
「ハートね」
信じられない、とでも言いたげに、二体は唸りました。
「でもぶさいくだわ」
「おおきなどんぐりまなこ!」
「うるさいな、だまってろよ」
三体の人形たちが言い合いをするのを、パウルは唖然として眺めていました。
「……信じられない」
「なんだよ、もんくあるかよ」
おどけた顔で、人形が凄みます。パウルは黙って首を振りました。
「ねえパウル、このこのおなまえは?」
「わたしたち、なんてよべばいいの?」
そう問われてパウルは息を呑み、
「……チト」
とだけ、答えました。
「ふうん、いいなまえだな」
チトがかたかた顎を鳴らします。
「なあパウル、おれはからくりにんぎょうってやつなんだろ? おどらせてくれよ!」
チトに促され、パウルはうなずいて、背中の後ろにある大きなねじをいっぱいに回しました。机の上にチトを立たせると、からくり人形は陽気に踊りだしました。チトがぎくしゃくとジャンプするさまを見ながら、パウルはようやく喜びが湧き上がってくるのを感じていました。ふと肩を叩かれ振り向くと、バウエン親方が満足げに笑っているのが見えました。
その日から、チトはパウルの親友になりました。
ある日、バウエン親方はパウルにこう言いました。
「まだまだ売り物にゃあできん出来だが、その踊りはなかなかのもんだ。ちょっと通りに出て客引きしてきな」
一人と一体は通りに出て、チトは石畳の上で踊りを披露しました。道行く人々はみな立ち止まり、パウルの帽子は硬貨でいっぱいになりました。パウルは誇らしさでいっぱいになりました。
ある日、バウエン親方はパウルにこう言いました。
「注文を受けた品が出来上がったんだが、届けてきてくれないか」
パウルはチトを連れて行き、人形を買ってもらったお礼に踊りを披露させました。帰りにもらった駄賃で、パウルはチトに新しいねじまきを買ってあげました。チトは幸福そうに顎を鳴らしました。
パウルはあまり人形作りに没頭しなくなりました。チトがいれば充分でした。貧しい家の子供のために、小さな人形を素早くいくつも作っていました。
さまざまなある日が積み重なって、一人と一体は冬を越しました。
ある日、パウルがぼんやりと外を見ていると、立派な馬車が工房の前に止まるのが見えました。恰幅のいい男の人と、小さな女の子が降りてきて、パウルは慌てて店のドアを開けに行きました。
男の人は、町一番のお金持ちのサール氏でした。氏は口ひげを捻りながら、こんなことを言いました。
「見事な踊りをする人形がいると聞いてね」
女の子に視線を移します。
「娘が欲しいと言ってきかなくて」
女の子は父親の上着にしがみついたまま、パウルの腕に抱かれたチトをじっと見つめています。
「なんとか売ってくれないか。……ソフィア、お願いしなさい」
そう言って、氏は相場よりだいぶ高い値段を口にしました。奥からバウエン親方が出てきて、何事かとこちらに近づいてきます。
「おれはいやだからな!」
甲高い声がその場に響きました。チトは顎を鳴らします。いつもの陽気な打楽器のようなそれではなく、攻撃的な硬い音でした。
「おれはいかないぞ!」
ソフィアが息を呑みました。
「……おはなしもするのね」
そう言って父親を見上げます。
パウルは黙ったまま、サール氏の口ひげを見つめていました。状況を察した親方がこちらを見ています。自分の着た、木屑とほこりをどっさり被った作業着と、ソフィアの着せられた絹の服を、パウルは見比べます。自分の骨ばった、ごつごつした両手と、ソフィアの小さな、白い、やわらかな両手を見比べます。それから、チトの後頭部をじっと見つめました。かなしみがひたひたと胸を満たし、パウルは決心を固めました。
「……悪いがこいつは売りもんじゃねえで、」
「お譲りします。売り物ではないですから、お代はいただきません」
親方の言葉を遮って、パウルはきっぱりと言いました。その場にいた人間の誰もがなにか言いかけようとしましたが、パウルは、包んできます、とだけ言って、作業場に駆け戻りました。
チトを作業台に置き、箱を取り出してきても、チトは黙りこくって何も言いません。パウルはチトを持ち上げ、呟きました。
「よかったな、欲しがってた布の服、買ってもらえるぞ」
チトが唸りました。
「なんでだよ、パウル」
パウルは黙ったまま、木箱にチトを納めます。蓋を閉めようとすると、チトが場違いな明るい声を出しました。
「そうだ、にせものとすりかえちまえばいいんだ! いいわけなんてあとからいくらでもできるだろ?」
パウルは黙って首を振りました。それでは意味がないのです。お金持ちの窓辺に座ってきれいな景色を眺めるのは、チトでなければならないのでした。
「だめだよ。サールさんをだますことになる」
「おれよりあのおやじのほうがだいじなんだな!」
チトが激昂します。
「けっきょくパウルはおれをしょうひんあつかいしてるんじゃないか!」
パウルは弾かれたようにチトを睨みました。
「違う」
「ちがわないさ! どうせおれなんてふくまできでできたぼろにんぎょうだっておもってるんだ!」
そのぼろにんぎょうをつくったのはだれだよ、チトが喚きます。パウルは箱を持ち上げて、叫ぶように言いました。かなしいくらいに空虚に響く叫びでした。
「そうだよ、君が邪魔するおかげで新しい人形が作れなくて困ってたんだ! いなくなってせいせいするね!」
チトは一瞬黙って、それから低く呟きました。
「そうかよ、じゃあはやくつれてけよ。おれだってパウルにはうんざりしてたんだ」
「……言われなくたって」
パウルは箱の蓋を閉め、部屋に戻ってサール氏にそれを突き出しました。氏は気圧されたようにそれを受け取りました。箱の中からくぐもった声が聞こえます。
「ばーか、パウル。ばーか」
ソフィアだけが無邪気ににこにこと笑っていました。
立派な馬車が走り去るのを見送って、パウルは小さくつぶやきました。
「ばーか、チト。ばーか」
親方が何か言いかけるのを無視して、パウルは身をひるがえし、工房の奥へと戻ります。
パウルはまた、手の込んだ人形を作り始めました。きれいな服を着た、躍らない、しゃべらない、女の子の人形を何体も何体も作りました。店に卸せるようなものを目指して、機械的に手を動かしました。眠るときは座ったまま、作業台に突っ伏して意識を失いました。わざと自分を痛めつけるように、パウルは毎日働き続けました。
「これでよかったんだ」
鑿を振るいながら、パウルは誰に言うでもなく呟きます。シュシュとツェタは、変わらずパウルを見つめ続けています。
ときどき親方が心配して、ちょっとしたお使いを頼むことがありました。そうでもしないと、パウルは外に出ようとしなかったからです。
ですからその日もパウルは魚屋の袋を持って、ぼんやりと通りを歩いていたのでした。
大きなお屋敷に差し掛かり、パウルはため息をつきました。そこはサール氏の家だったのです。ふと上を見上げ、パウルは息を呑みました。ぎくしゃくと躍る木の人形が、レースの窓辺に見えました。
チトです。ごてごてした、変なピンク色の服を着ています。
チトは踊り続けました。手足を不恰好に振り回し、頭をかくかくと揺らします。パウルが見ているのを知ってか知らずか、身体をゆすって陽気に踊っています。
パウルは下唇を白くなるくらい、強くかみ締めます。
「……馬鹿みたい」
パウルは吐き捨てて、踵を返しました。
それから親方にお使いを頼まれるたびに、パウルはサール氏のお屋敷を通って帰りました。奇妙なことに、パウルが窓辺を見上げるたびに、チトは決まって躍りだしました。痛々しいくらいにいつまでも躍り続けるのでした。
「変な奴なんだ、あいつ」
パウルは家に帰ってから、シュシュとツェタにチトのことを話しました。
「僕が通るといつも躍りだすんだよ」
二体はかたりと顎を鳴らします。
「どうしてだろう」
「わたしたちにきかないでよ」
「わかるわけがないわ」
パウルは窓の外を見やって、うん、とだけ言いました。
「こうかいしてるの?」
「してるの?」
パウルは答えません。
パウルは毎日外に出るようになりました。親方に用事を頼まれなくても、毎日同じ時間、サール氏の家の前に立ちました。その度にチトは躍り出しました。くるくるくるくる、毎日躍りました。
「仲直りしたらどうなんだ」
一度、親方がそう言いました。
「冗談じゃないですよ」
パウルはそれだけ答えて、また作業に戻りました。親方はため息をつきました。
「……いなくなってよかったんです。あんな奴」
自分に言い聞かせるように呟くパウルの横顔は、白くこわばっています。
その日、パウルはいつものようにサール氏のお屋敷に行き、そして異変に気付きました。
チトがいないのです。
あのレースの窓辺に、あの悪趣味なピンク色の服はどこにも見えませんでした。
きい、と門のきしむ音がして、パウルは振り向きました。ソフィアが立っていました。
「ソフィアちゃん、チトはどこ?」
噛み付くように問われて、ソフィアは手に持った人形を抱きしめます。
「……こわれたわ」
「どうして!」
パウルは動転し、我を忘れて聞きました。ソフィアは首をすくめました。
「躍りすぎたのよ。木でできてるくせに、毎日同じ時間になると限界までねじをまかせるんだもの。巻かないと怒り出すし……、あっという間に金具が磨り減っちゃたわ」
パウルは絶句します。
「ちょっとおかしかったのよ、あの人形。躍りながら何度も繰り返すの、ごめん、ごめんって……」
みなまで言わせず、パウルはソフィアの肩を掴みました。
「見せて欲しいんだ。修理させて欲しい」
ソフィアは怯えたようにパウルの手を振りほどき、
「……いらないわ」
そう言って、家の中に駆け戻っていきました。
その日からまた、パウルは寝る間も惜しんで人形作りに没頭しました。なんども木彫りの人形を作ろうとして、けれど柔らかな、上等な人形を作るのに慣れてしまった手は、思うように動きませんでした。それに、同じような人形を作っても求めるものが帰ってこないことは、パウルがいちばん良くわかっていました。
パウルは一月かけて、新しい人形を作り出しました。黒髪の、赤い服を着た、青い瞳の少女の人形でした。陶器の肌は淡く色づき、生きている少女のような風情でした。
けれど、その人形はしゃべりません。
パウルは深く息を吐き、人形の頬をひとつ撫でました。
「……君のどこにも、こころなんてみつからないよ」
絶望と自嘲が入り混じったような声がでました。神経を張り詰めさせていたためにじっとりと汗ばんだ額を、パウルは手のひらで拭いました。
「いい出来じゃないか」
背後から親方の声がします。彼は新しい人形を覗き込みました。
「これなら店に出せる」
本当ですか、とパウルはつぶやきました。そんなことはどうでもいいことでした。親方が苦笑します。
「なんだよ。もっと喜べよ。一人前になったんだぞ」
パウルは黙ってうなずき、親方は人形を箱に収めました。
「ほら、店に卸して来い」
ぽつんと取り残された箱を見やって、親方の消えた部屋、パウルはひとりつぶやきます。
「人形にこころを求めるなんて、やっぱり間違ってるんだ」
人形を卸した店で、パウルは戦争の話を聞きました。
「全体主義の国がここを狙ってるらしくてね。大戦に巻き込まれそうな気配なんだ」
眼鏡を掛けた店主は気弱そうに微笑みます。
「本当は国外に逃げたっていいような状況なんだけれど」
大戦の話はパウルも知っていました。店主が口にした全体主義の国の名は、大掛かりな民族淘汰の真っ最中で、パウルの国のほとんどの人が反感を持っていました。
かたりと音がして、パウルは振り向きました。痩せっぽちの小さな男の子が、目を大きく見開いて、扉の奥からパウルをじっと見つめていました。胸には木彫りの、粗末な人形を抱きしめています。店主は慌ててその子に駆け寄り、扉を静かに閉めました。こちらを振り返った店主の顔は、もう少しも気弱そうには見えませんでした。
店主の言ったとおり、数ヶ月のうちにきれいに整列した兵士たちがやってきて、ニデアレントは占領されました。民族淘汰が行われ、愛すべき隣人たちは姿を消しました。町を歩くと、泣いている子供やそれを抱きしめる老人を見かけるようになりました。誰もが眼を伏せ、足早に歩くようになりました。
いつものように人形を店へ卸しに行ったパウルは、その扉が閉ざされているのを見て愕然としました。ぴったりと閉じた扉に張られた白い紙には、店主が淘汰対象である人種の家族を匿っていた旨が、事務的な文章で綴られていました。けれどその紙よりも、曇ったガラスの窓からわずかに見えるがらんとした店内のほうがよほど雄弁なのでした。
(本当は国外に逃げたっていいような状況なんだけれど)
気弱な振りをして微笑んだ店主の顔を思い出して、パウルは静かに両手で顔を覆いました。
「どうしたらいいんだろう」
工房に戻ったパウルは、シュシュとツェタに語りかけます。
「きまってるじゃあないの」
「そんなこともわからないの?」
二体はかたかたと顎を鳴らしました。
「にんぎょうをつくりつづけるのよ」
「パウルにできることなんてそれしかないじゃない」
「ほかにのうなんてないんだから」
「わかったらはやくはじめなさい」
パウルは苦笑しました。
「酷いなあ」
それから工房の奥へ、木材と道具を取りに行きました。
パウルは人形を作り続けました。次第に手に入りにくくなっていく布や材木の切れ端を使って小さな人形を作り、町を回って泣いている子供たちに配りました。
「いつかは終わるよ」
パウルは自分に言い聞かせました。
「いつかは終わる」
そして人形を作り続けました。
戦争はいつかは終わります。連合国の軍隊がやってきて、ニデアレントを救ってくれるという噂が、数年立った後にパウルの町を駆け巡りました。町を占拠していた軍隊が浮き足立つのを見て、その噂は真実だと知れました。
「いつかは終わるよ」
現実味を増したその言葉をつぶやき、パウルは人形を作り続けます。
そんなある日、サール氏の屋敷に火が着けられました。連合軍の夢を見て恐怖に気の触れた兵士が、目に付いた建物に火を放ったのでした。
知らせを聞いたパウルは、工房を飛び出しました。
チトがいるのです。
一家と使用人たちは、すでに外へ避難していました。ものが焼けるにおいがそこら中に漂っています。
火柱の立つ屋敷に飛び込もうとしたパウルを、親方が止めました。
「やめとけ。もうすぐ戦争が終わるのに、わざわざ危険に飛び込んでどうする」
「でも!」
パウルは叫びました。
「チトがいるんだ。あいつ、木でできてるのに! ……ハートがあるのに!」
身をよじって親方の腕から逃れようとするパウルに、親方が叫びました。
「ハートなんてないんだ!」
パウルは眼を見開いて、その顔を見つめます。
「ハートなんてないんだ、パウル。俺が小さいお前をからかっただけで……、チトや、他の二体の声だって、俺がちょっとからくりを仕込んだだけなんだ!」
だから死ぬな、と親方が静かに言いました。自暴自棄になるな。
「……本当に? 本当に、そうなんですか?」
パウルはそっと問いかけ、親方は肩を落としました。
あんなに精密にしゃべるしかけを作れるなんてことは、考え難いことでした。でも、親方は待ち一番の腕の持ち主です。
「……自暴自棄になんてなってないですよ」
パウルは言いました。自分でも知らぬ間に微笑んでいました。
「ありがとうございます、親方。でも、それが嘘でも本当でも、そんなことどうだっていいんです」
だってチトは中にいるのです。炎に囲まれているのです。
(こうかいしてるの?)
ぎくしゃくと躍る不恰好な人形の姿が、瞼の裏に浮かびました。
「……してるさ、もちろん」
パウルは大きく息を吸い込んで、屋敷のドアを押し開きました。
次の日、連合国軍によって火の消し止められた屋敷の中から、倒れ伏した青年がひとり見つかりました。何かを抱きしめるように曲げられた、焼け焦げた腕の中には、小さな鉄の装置がひとつ、溶けかけて鈍く光っていました。
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2007/01/03(Wed)20:30:53 公開 / キイコ
■この作品の著作権はキイコさんにあります。無断転載は禁止です。
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■作者からのメッセージ
どうも、こんにちは。異世界といっていいのかどうか、微妙な物をお届けです。初投稿のものを読んでくださった方は、なにやら思うところがあるやもしれません。何か一言いただけると喜びます。躍ります。
それでは、読んでくださってありがとうございました。
作品の感想については、登竜門:通常版(横書き)をご利用ください。
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