『pulcinella』 ... ジャンル:ファンタジー 童話
作者:有栖川                

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 おれはね、いつだって、みんなを楽しませなくちゃならない。

 うん? そうさ、ぴょんぴょんおどけて飛び跳ねて、転んで起き上がってまた跳ねて。ほら、こんなふうにね、ああそうさ、あんた笑ったね、やっと泣き止んだ。おや、どうして怒るんだい。いいよ、その顔、とっても綺麗さ。アハハ、やめておくれ、たたくなよ、わかったわかった。あんた、強いんだね!
 そう――おれはね、ひとを笑わせるのが仕事なんだ。みんな、おれが滑稽な動作をすればするほど涙を流して笑うのさ。おれを指差してこう言う、「ブラヴォ、ブラヴォ! プルチネッラ、あいつは本当に駄目な奴! どうしようもない男、あれじゃあコロンビーナは影すら踏ませてくれないよ」
 お客がそうやって笑うから、おれは毎晩、舞台に上がる。こんな衣装を着てね、こうして仮面をつけるのさ。舞台って――ああ、いや、違う、劇場じゃないんだ、おれたちは流れ者だから、芝居小屋の小さなテントがおれの舞台さね。そこでおれは道化師になるわけさ。ぴょんぴょんおどけて飛び跳ねて、転んで起き上がってまた跳ねる。
 問題はね、ああ、そういやあんたの名前をまだ聞いてない、シニョリーナ? 問題は、いつからこんなことをやり始めたんだか、おれ自身が覚えていないってことなのさ。

 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 おれは気付いたらプルチネッラだったんだ。いったいどうしたことだろう?
 だからおれはね、自分が何歳になったのかも知らないのさ。うん? ああ、ありがとう、そうだね、あんたよりちょっと年上ぐらいかもしれない。あんたいくつだい、そう、それぐらいだと思っていた。それじゃあ今がいちばん綺麗なときだね。あんた、ほんとうにきらきらしているもの。ねえシニョリーナ、もしあんたの気が向いたら、おれの話をさえぎってくれてかまわないから、どうぞ名前を教えておくれよ。
 それにしてもおれは話が下手だね、どこまで話した? ――そう、おれはおれがいったい誰なんだか、まるでわからないってことなのさ。おかしなものだろう、そんなのは人に教えてもらうもんじゃないんだから、自分で知っていなくちゃどうしようもないんだがね、おれにはわからない。おれはたぶん、ものを覚えていられないんだ。どこで生まれて、どんなマンマで、いったいどういう人生を送ってきたのだか、おれはさっぱりわからないんだ。振り返ると道が途切れている感じ、わかるかい? いつも俺の後ろにあるのは、底なしに暗い崖っぷち。だから、いつかおれはそこに落ちていくんだろうと思ってる。ときどき、ふうっと背中が引っ張られるような感じがすることもあるんだ。それまで、おれはプルチネッラだ。いいや――それだから、おれはプルチネッラなのかもしれないね、自分のことが何もわからない男、知らない知らないわからない、道化師にぴったり。お客は大うけ! ああ、すまない、あんたにそんな顔をさせたいわけじゃない、そんな目で見ないで、おれのシニョリーナ!
 おれは、いやだったり嫌いだったり、やりたくもないことをしているってわけじゃないよ。おれはね、どんな時だって笑っていられるように、自分におまじないをかけたのさ。ああ、そうさ、悲しいとかいやだとか、そういう気持ちが心ににじみ出してこないようにしたんだ。どうやったかって? どうしたんだいシニョリーナ、そんなことを知りたいの? ああ、ああ、座っちゃ駄目だ、あんたの綺麗なドレスが汚れるじゃないか。あんたはおれみたいに、地べたに座ったりしちゃいけない。どうしてもおれの隣なんかに座りたいなら、ほらこれでいい、この上にお座り。気にしなくていいんだ、これはアルレッキーノのやつのファッツォレットなんだからね。
 さて、おまじないの話だ、シニョリーナ。そんなに知りたいなら教えてあげたいけれど、はじめに言っておこう、あんたは真似しちゃあいけないよ、それだけ約束できるかい? 人間はね、自分の気持ちをごまかしたり、自分に嘘をついたり、悲しいのに悲しくない、いやなのに大好き、そんな顔をしていちゃ本当の幸せを逃してしまうものなのさ。ましてあんたはそんなにきれいな娘さんなんだから、ちゃんとあんたの顔を見て、気持ちを察してくれる男と一緒におなりよ、そのためにもこんなおまじないはやっちゃいけないよ。おれがどうしてるかってことだけ、教えてあげるんだから、わかるね。さて――
 ……ああ、時間だ、残念、今日はここまで。ドットーレが呼びに来た、おれは舞台に上がらなくちゃあ。
 シニョリーナ、また明日。都合がよければここへおいで。おれはいつだってここにいる。迷子の迷子のお嬢さん、おれとちょっぴり似ているね。おれはあんたが何者なのか尋ねない。それが約束、プルチネッラは誰の前でも道化師さ。ああ、ああ、そんな顔をしないでおくれ、おれのシニョリーナ。よければ舞台を見てお行き、きっと楽しい。おれはあんたを笑わせてあげる。ぴょんぴょんおどけて飛び跳ねて、転んで起き上がってまた跳ねて!





 やあ、シニョリーナ、こんばんわ。
 どうした、今日はそんなに息を切らせて? 急いだり走ったりしなくたって、おれはいつだってここにいるよ、大丈夫、ちゃんとあんたを待っている。ちょうどほら、おれはここから見える夕陽がとても好きだから。シスタヴァーナの鐘楼の鐘に反射して、ご覧、あの見事なあかね色を。
 さて――それじゃ、いつものように話をしようか、シニョリーナ。おまじないの話だったね。そう、おれは自分で自分におまじないをかけている。プルチネッラが舞台の上で辛気くさい顔をしてちゃいけないだろ、だからおまじないが必要なんだ……
 さあ、ご覧! ここに取り出だしたるは魔法の鍵だ。見事だろう、この銀細工。宝石もついている。夕暮れ空のようなこはく色、まるでここから見る景色のようだね。とても綺麗な石だろう。
 おれはね、この鍵で心に錠をしているんだ。その奥に気持ちを閉じ込めてしまって、出てこないように鍵をかけている。願い事もぜんぶ閉じ込めている。少しずつ少しずつ、おれは望むことを捨ててきたのさ。風のように生きるんだ、そう、風のように。おれはもう、自分がどこの誰なのかわからなくてもいいと思うようになったんだよ。いつまでプルチネッラでいるのかということも考えない。どう言えばいいだろう、それを決めるのはおれじゃないんだ。もちろん、ドットーレやコロンビーナ、アルレッキーノの奴でもない。ただね、おれがいったいどこから来てどこへ行くのか、おれ自身にもわからないのだから、きっとこれからもわからないんだろうと思うのさ。だっておれはものを覚えていられないんだ。きっと、おれはばかなんだ。ばかなのに、ものを思うことはやめられないから、鍵が必要なんだよ、わかるかい、おれはこの鍵がなくちゃやっていけない、ばかなプルチネッラなのさ。おれはこの鍵で自分の心を閉じ込めた!可哀想な奴なのさ!
 罰当たりなプルチネッラ、おれは死んだら神様のところには行かれない。おれは嘘つきだから。おれはね、シニョリーナ、そうやっておれ自身に嘘をついているんだよ。神は嘘つきを嫌うだろう。 どんな嘘を、って訊くのかい? たくさん、たくさんだ、シニョリーナ。おれは罰当たりで嘘つきで、憐れまれることすらない道化者、どうしようもないプルチネッラ。
 ああ、そんな顔をしないでっていつも言っているだろう、あんたはそんな顔をしちゃいけない、せっかくのきらきらがくすんでしまう。おれはあんたのそのきらきらが好きなんだ。あんたが初めておれに声をかけた日から、おれはあんたのきらきら光るのが好きさ。とっても綺麗だよ、シニョリーナ。なあ、泣くなよ、あんたひとり笑わせてあげられないんじゃ、情けないじゃないか、おれも。
 うん? ああ、そうか、おれは男前かい、ありがとう。でもこの仮面を外したら、おれはますますおれが何者なのかわからなくなってしまうんだよ。あんたに素顔を見せてあげることはできないのさ、おれは誰の前でも道化師だ。道化師ってのはそういうもんさ。ねえシニョリーナ、おれのおまじないの話は終わりだよ、あまり面白いもんじゃなかったろう、だけれど真似はしないと約束しておくれ。あんたは思ったように生きればいい。あんたは嘘つきになっちゃいけない。地獄に落ちたくはないだろう? あんたはちゃんと幸せにおなり。 
 大丈夫、なにも心配いらない、あんたはとても綺麗だよ。あんたを射止めた幸せ者はどこの誰? はっはあ、赤くなったな、おどろいた? あんたが恋をしていることぐらい、道化師にはお見通しさ。
 ……ああ、今日も時間だ、今日は少ししか話が出来なくてすまないね。よければ舞台を見てお行き。きっと楽しい、ぴょんぴょんおどけて飛び跳ねて!
 
 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 やあ、シニョリーナ、こんばんは。
 おや、どうした、そんなふうに泣いたりして? ああ、ああ、泣かないで、きれいなドレスも台無しだ。さあ落ち着いて、よければ理由を話してご覧、プルチネッラが笑わせてあげよう。さあお座り、もう大丈夫。話せるかい、そう、急かさないからゆっくりでいい。涙を拭いて、泣き止んで。どうしたんだい、おれのシニョリーナ。あんたがそんなふうに泣いちまうと、おれの気持ちの鍵ががたがた言うよ。
 うん? これは――おやおや、鍵じゃないか、なんてこった、綺麗な鍵だ。きらきらしてるね。かざりもの? 首飾りにしてもいいぐらいのトルマリンじゃないか。おれのと似ているね。おれにくれるのかい、ありがとう。でもどうしてだ?
 シニョリーナ、まさかおれの真似をしたのかい、そんなら駄目だ、あんたはそんなことしちゃいけない。いけないばかりですまないね、でも駄目だ。あんた、おれの真似をしようと思ったのかい? あれほど駄目だって言ったろう。ああ、ああ、泣かないで。おれは怒ってるんじゃない、怒らないから顔をお上げ。どうしてこんなことをしたのか、って訊きたいのさ。あんたはおれみたいなくずじゃない、自分の気持ちを無理やり押し込めたりしちゃいけないだろう。あんたの話を聞きたいひとはたくさんいるよ、綺麗な綺麗なシニョリーナ。やけにならないで、二度とこんなことをしては駄目だよ、おれはこうするしかないからこんなふうに生きているだけさ。おれとあんたはまるで違うもの。今度こそ約束してくれるね、おまじないの話なんかしたおれも悪かった、だからもうやめるんだ、いいね。気持ちを落ち着けて、さあ、鍵をお開け。そのためだったら泣いてもいい。そうしたら今度は、この鍵はおれが預かるから、いいね。二度とこんなことしちゃあ駄目だ。
 おや、どうしておれにキスをするの? やめるんだ、そんなことしちゃいけないだろう。どうして泣く、シニョリーナ? 何があんたをそんなにまで悲しくさせるの。どうしておれの真似なんかしようと思った?
 大丈夫、安心おし、プルチネッラが聞いてあげる。あんたをきっと笑わせてあげる、シニョリーナ。

 お願いだ、泣かないで! おれはあんたが好きなんだ!





 アウローラ、そう、そんな名前だったんだね、おれのシニョリーナ。
 綺麗だよ、すてきな名前だ、きらきらしたあんたにぴったりじゃないか、おれのシニョリーナ! ああ、こんなふうに知りたくはなかった、こんなかたちであんたの名前を知ることになるなんて、こんな悲しいことはないよ、アウローラ。おれの鍵はもう壊れそう。がたがた、がたがた、気持ちがあふれ出しそうだ。
 あんた、いいとこのお嬢さんだから、言えなかったんだね、芝居小屋の道化師を好きになったなんて。アルレッキーノが好きだなんて! 死んでしまうほど好きだったなんて!
 あのとき、あんた言いたかったんだね、アルレッキーノが好きだって。おれに確かめたかったんだね。そうさ、アルレッキーノは婚約したよ。ごめんよシニョリーナ、おれのシニョリーナ、芝居を見ていけなんて言ったおれのせいだね。あんたも恋する女だから、気がついてしまったんだね、アルレッキーノとコロンビーナができてるってこと、見抜いてしまったんだね。
 あんたの鍵はどうしたらいい? おれは、ふたつも持っていられないよ。
 ねえ、シニョリーナ、おれのお嬢さん。あんたと話しているときは、おれ、とても楽しかった。
 アルレッキーノが好きでもいいから、ときどきはおれと話してくれたら、それだけでよかったのに。
 あんたはまだ若いんだから、恋の痛手はいつか忘れられるもんだ、そうしたら次の恋をして、ほんとうに幸せになれたかもしれないのに!
 シニョリーナ、あんたは、鍵のおまじないをしたんだね。アルレッキーノが好きな気持ちを、閉じ込めてしまおうとしたんだね。でもうまくいかなかったろう? だから真似をしないでって言ったんだ。そんなもので自分をごまかせるぐらいなら、誰も夜、ひとりでベッドの中で泣いたりはしないものなんだよ。おれだってそんなことは知っていた。それでもおれは、ただ不安で怖くて、効かないおまじないにすがらなきゃいられないっていうだけだったんだ。だから、真似をしないでって言ったじゃないか。あんた、アルレッキーノに言えばよかった、いっそ失恋をすればよかった! どうしてあんたは死んでしまったの!


 「マンマ、見て、今日のプルチネッラはとっても楽しそう! いつもよりずっと面白いわ!」
 
 
 おれはプルチネッラ、心に鍵を、笑顔のままで。おれは踊らなきゃ、アウローラ。
 ぴょんぴょんおどけて飛び跳ねて、転んで起き上がってまた跳ねて!
 




 Fin.

2006/11/17(Fri)12:30:10 公開 / 有栖川
http://fathertime.my-sv.net/
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■作者からのメッセージ
こんにちは。超お久しぶりすぎる投稿でございます。
コメディア・デラルテをもとにした道化師の話です。ここの利用者の年齢層に受け入れられるネタかどうかは甚だ疑問ですが(汗)やってみました。このプルチネッラが何者なのか、どうして自分のことがわからないようになったのかはご想像にお任せします。

<補足>
コメディア・デラルテは、イタリアの古典喜劇です。「プルチネッラ」だの「アルレッキーノ」だのはそのキャラクター。コロンビーナ、ドットーレも同様です。他、作中であえてイタリア語のまま使用している単語もありますが、ファッツォレットは手拭い・ハンカチ。マンマは母親です。

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