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『ガーゴイルファイル 第7話』 ... ジャンル:リアル・現代 アクション
作者:鋏屋
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あらすじ・作品紹介
極めて危険な出土品、企画外のガラクタ『ジャンク』とそれを保護、若しくは破壊を目的とした暗躍機関『ガーゴイル』の物語。主人公の神道時総司【しんどうじつかさ】は普段は超平凡な高校生。しかし裏の顔は暗躍機関ガーゴイルの特殊工作員だった。
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「王よ、約束の王よ……
さあ、その剣を抜け……
いざゆかん、この円卓に集いし12人の精鋭とともに…… 」
―――マーリン
「プロローグ」
男はコートのポケットに両手を突っ込みながら早足で石畳の上を歩いていた。
時折後ろを振り返る仕草は追われているようにも見えるが、日本人観光者が海外に来て少し挙動不審に見えるのはさして珍しい話ではあるまい。
日本という国を外から見たときの安全率のギャップがそうさせるのかもしれない。
日本も危なくなったと言われる昨今だが、まだまだ他の諸外国に比べればぬるま湯に浸かった生活だと言っても過言ではないだろう。
此処ロンドンがあるイギリスはヨーロッパの他の国に比べて比較的に治安は良いとされているが夜道や人ごみはやはり危険で置き引きや地下鉄でスリなどにあう被害も多発している。地下鉄や電車の中での居眠りは禁物だ。
もっとも乗り物の中で居眠りする習慣があるのは日本だけだが……
日が落ちてから、多少人通りの多い通りだとは言っても日本人が一人で闊歩できるほど甘くはない。
不意に少し強めの風が吹いて男の被っていた帽子がとばさされそうになるが、ポケットからあわてて出した手で押さえた。
秋の初めだというのに手の甲に当たる風はひどく冷たかった。赤や黄色に色づいた街路樹を裸にしてしまえとばかりにふく風は、人間にも違った形でその矛先を向けてくる。
9月も終わりにさしかかりめっきり寒くなったと痛感する。
イギリスは北緯50度から60度ぐらいで日本よりずっと北に位置しているからすごく寒いのではないかと思われがちだがメキシコ湾からやってくる暖流のおかげで意外と温暖な気候となっている。しかしそれでもこの時期の日本に比べると10度前後は寒かった。
男は通り沿いにある電話ボックスの前で立ち止まり、用心深く廻りを見回してボックスの中に入った。
受話器を取り少し震える指でコインを投入しながら番号を押す。寒いと言ってもふるえがくるほど寒くはないはずだが、男の指先は確実に震えている。
滞在先のホテルからかければ…… いやそもそもこの通信技術が発達した現在において携帯電話を使えばとも思う。
しかし男は恐れたのだ。
ホテルからの電話では盗聴されるかもしれない。
いや、何よりも誰も居ない部屋で一人で電話を掛けることに……
男の指がプッシュボタンを押していく。押す回数を数えるだけでそれがロンドン緊急連絡先案内である999通称『トリプルナイン』ではないことがわかる。
イギリスでは日本の『110』や『119』の様に目的によって緊急連絡先にコールするのではなく『999』に掛けてから警察、消防、救急とに繋いでもらう交換式を採用している。
数回の呼び出し音の後、相手先が出た。
「ありがとうございます。株式会社トークスロンドン支局ヨーロッパ本部でございます」
受話器からオペレーターらしき若い女性の流暢な英語が流れてきた。
男は一度深呼吸をし、呼吸を整えてから同じく英語で答えた
「Jセクションゲストプロフェッサーの加藤です。すまないがGセクションのMrマタイにつないでもらえるだろうか。G〈ガーゴイル〉コールだ。コードJSDG1701131……」
深呼吸したが少し声が震えている。相手の電話口でカタカタとキーボードの音が聞こえる。数秒後答えが返ってきた。
「コード承認。声紋照合。続いて盗聴探知にかかります。少々お待ちください」
物々しい単語がいくつか連続して発せられているにもかかわらず相手先の女性は先ほどと全く同じ営業的な声音で話すのが少々場違いに思えてくる。
「ああ…… 急いでくれ」
そう言うと受話器からFAXの音に似た電子音が聞こえてきた。
時間にして数秒…… しかし加藤には数時間にも感じる間が生じる。
「盗聴されていないことが確認されました。それではお繋ぎいたします」
唐突に電子音がやみ、先ほどの女性の声が帰ってきた。
そして少しして受話器から40代ぐらいの男の声が受話器から流れてくる。
「プロフェッサーカトウ。Jの連中から聞いている。連絡がないから心配していたんだ。どうした? 」
加藤は電話ボックスの外に目を走らせた。通りを行くアベックが一組。足下が少々ふらついてる男は酔っぱらいか…… あとゴミをあさる野良犬が1匹。街灯の下で煙草を吸いながら携帯電話でなにやら怒鳴っている男が一人。
ここから見えるのはそれだけだった。
加藤はそれでも小声で話し始めた。
「Mr.マタイ。やはりあれは『ジャンク』だ。間違いない…… 伝承の通り、いや伝承以上の…… 昨日襲われて確信した。あれは悪意のある者の手に渡ってはならない。Jではおそらく手に負えない代物だ。Gの介入を要請したい」
「襲われた? 相手は? 」
「わからん。どこの組織だか、どのくらいの規模で動いているのか全く不明だ。直接的に襲われた訳ではないからな…… 」
電話先のマタイと呼ばれた男は数秒考えてからこういった
「OKわかった。Gを介入させる。ガーゴイルコールは全てにおいて優先される事項だ。そっちに誰か向かわせよう。今どこにいる? 」
加藤はもう一度外を見回しながら受話器に話しかける。
「トラファルガー・スクエアから北に少し行ったコーヴェント・スクエア近くのセントポール通りの路地にある電話BOXだ」
「OK、わかった。5分でこちらから迎えをやるからそこを動かないでくれ」
「すまない…… 」
加藤はそう言ったが、妙な胸騒ぎを覚え続けて話しかける。彼にはどうしても伝えなければならない事があった。
「Mr.マタイ…… もし私に何かあったら極東本部のMr.シモンに伝えてもらいたいことがあるのだが…… 」
そう言いながら加藤は電話ボックスの硝子を見やる。
外が寒いせいか、それとも心拍数が上がっている自分の呼吸のせいか硝子が曇り始めていた。
その曇り硝子に右手で文字を書いていく。
『美咲』
漢字でそう書いた後、加藤は目をつむり深いため息を吐いた。
「極東? Mr.シモンとは久しく会ってはいないが、我が本部とジャパンの関係は良好だよ。加えてあちらには1人極めて優秀なガーゴイルが居る…… 言ってみたまえ」
「4日前ある物を日本にいる娘に送った。23歳の誕生日プレゼントとしてな。だが例の『ルーカンの手紙』を解読していくうちにとんでもないことがわかった。娘に送ったあれはキーだったのだ。『ジャンク』の所在を示す唯一のな…… まさかこんな事になるとは…… 」
加藤は少し間をおいて再び続ける。
「もう何年も会っていない。娘は…… 美咲は私を恨んでいる。家庭を顧みず、ましてや妻の死を看取る事もせず飛び回っていた私をな…… 」
目をつむると脳裏に涙を浮かべて自分を罵倒する娘の顔が浮かぶ。
『母さんに謝ったって、あたしは絶対許さないから! 』
そう―― あれは妻の葬式の時だった。事際を聞き急ぎカイロから帰国したが通夜に間に合わず、着いた時は妻は小さな骨壺の中だった。妻の遺影と対面した直後、開口一番娘が言った台詞だった。
当時高校生だった娘は目にいっぱいの涙を浮かべ、黒く縁取られた写真の額を力一杯握り震えながら自分を睨んでいた。赤く充血したその目は決して父親を見る目では無かった……
「何一つ父親らしい事をしてこなかった自分が、親心なぞ出すものではなっかった…… おそらく知れれば娘も狙われる。Mr.マタイ…… Mr.シモンは大学時代の教え子でね。彼は確か極東本部のGセクションリーダーだったはず。彼に伝えてくれ、『娘を頼む』と…… 」
そう言って加藤はまた深いため息を吐いた。不思議とそれを伝えるとさっきまでの怯えが嘘のように引いていた。
「わかった…… 必ず伝えよう。もうすぐ迎えが着くはずだ。無事を祈っている 」
マタイは静かに答えた。
「ありがとう…… 」
加藤はそう言って受話器を置いた。そして先ほど書いた硝子の文字をもう一度眺めてから帽子を被り直し電話ボックスを出た。
外はやはり寒かった。
伝えたいことはすんだ。後は迎えが来るのを待つだけだ。
やはり少し神経質になりすぎていたのかも知れない。通りに目をやるが怪しい者は見あたらない。少々寒いが静かな夜だった。
―――――いや、よく見ると怪しい者どころか通りに誰も居ない…… いつの間にか通りには誰も歩いていない。先ほどまでいた野良犬も、アベック、酔っぱらい、携帯電話の男。通りの目の届く範囲に人の気配が、いや生き物の気配がない。
そこで加藤はあることに気がついて愕然とした。
それは…… 音だった。
音が全くと言っていいほど無いのである。いくら夜だからと言っても都市部で全く音がないなど考えられない。遠くの車や電車、町の雑踏などが全く聞こえてこない。まるでこの町に自分だけしか居ないゴーストタウンに紛れ込んだかのような感覚……
Mr.マタイとの会話で幾ばくかの落ち着きを取り戻した心臓の鼓動が早くなるのを加藤は感じていた。おそらくこれから現れるであろう迎えは自分が望んでいる迎えではないだろう。やはり先ほどの胸騒ぎは錯覚ではなかったのだ。
通りに一人立ちすくむ加藤の顔にサワサワの冷たい風が当たり加藤は目を細めて通りの先を見る。その風は寒さと一緒に何か恐ろしい災いを運ぶ使者のように加藤は感じていた。
通りの向こうの闇から何かがやってくるのを感じる。
解りたくもないが解ってしまうのだ。
人ならざる者の気配を……
「私は生き方に後悔はしていない…… が、そっちに行ったらゆっくり詫びよう…… 聞いてくれるか? 美佐枝…… 」
夜の通りを一人たたずみ闇を睨みながら、初老の教授は日本語で亡き妻の名をつぶやいた。
不思議と体に震えは無く、むしろその姿は堂々としているように見えた。
第1話 「神道時 総司」
夏の終わりを告げる残暑も10月に入るとめっきりなりを潜め、心地よい風が教室の窓から秋の臭いを運んでくる。春の暖かいそよ風も気持ちよく眠りを誘うが、秋口であるこの時期の風もまた人を眠りへといざなう。
まあ、午後3時という時間帯の影響もあるだろうが太陽の光の微妙な光束とこの時期にそよぐ風が落ち葉を揺らす音の周波数、そこに体感気温が絶妙なバランスで作用することで、人間の体内時計を狂わすのだという西ドイツの学者のふざけた学説も、あながち間違いではないのかもしれない。
そんなことを考えながら神道時総司【しんどうじつかさ】は欠伸をかみ殺して教室の窓から秋色に染まりつつある校庭の木々を見つめていた。
「神道時っ、おい、し・ん・ど・う・じっ! 」
不意に自分を呼ぶ声が教壇の方から聞こえてきて総司は視線を移した。数学講師でありこのクラスの担任でもある小松先生が教科書を手にこちらを見ている。クラスの大半の生徒もこちらを振り向き自分を見ている。
「休みがちで毎年出席日数ぎりぎりのお前がたまに学校来ているかと思えば、授業そっちのけで風景鑑賞か? 欠席の多いお前だから校庭の風景も新鮮なんだろうけどなぁ。それともきれいな女の子でもいたか? おい」
小松の冗談にクラスのあちこちで笑いが起こる。
「まぁ、俺の授業がつまらんかもしれんが中間にでるとこだぞ、ここは。おい神道時この問題解いて見ろ」
総司は少し落ちかけた眼鏡を指で直し黒板を見る。黒板に書いてある公式を瞬時に計算し正答を導き出す。しかし――――
「わかりません。すいません聞いていませんでした……」
小松はふぅっとため息をついた。
「お前みたいな奴を表現するのにうってつけなのがある。昼行灯だ。みんなわかるか? 行灯ってのは本来夜付けるもんだ。それが昼間にもついているってやつ。ボンヤリとな。つまりやくにたたん訳だなぁ」
クラスじゅうに笑い声があがる。昼行灯……うまいこと言うなぁ、などと総司はまるで人ごとのように思っていた。
不意にスピーカーから授業の終了を告げるチャイムが流れてくる。どこの学校でも変わらないおなじみのメロディだが、この教室のスピーカーは調子が悪く、かすかに音が割れていた。
「ようし、授業は此処まで。面倒だからこのまま学活やっちまうぞ〜」
そう言って小松は教科書を閉じ、黒板を消していった。それを合図に教室の中は帰り支度を始める生徒達のざわめきで一気にうるさくなった。
そんなざわめきの中、神道時総司は無言のまま荷物を鞄にしまう。ずり落ちた眼鏡を再度なおしてまた欠伸を一つかみ殺したあと、ふぅ、とため息を吐いた。
神道時総司は極めて平凡な高校生である。
悪くもないが際だって良くもない印象の薄い顔立ちで記憶に残りにくい。強いて言えば少し目がおおきいくらい。成績は中の中。スポーツもそれなり。チームスポーツでは居ても邪魔にはならないが活躍もしない。
何年かたって同窓会とかで再会しても顔を思い出すのに時間がかかるタイプ。
まさに平凡を絵に描いた様な16歳だった。
「―――だからな、忘れるなよっ それじゃこれにて終わり。今週はパトロール週間だからな、生活指導の先生方が放課後回ってるんでいかがわしい所には寄るんじゃね〜ぞ。特に太田っ、お前先月北口のパチンコ屋入ろうとしてしょっぴかれたろっ」
「それを言わないでよ〜」
太田と呼ばれた学生が大げさに頭を抱えて机に伏すと、クラス中にドッと笑いが起こる。
太田は特に不良生徒というわけではなく、初犯? と言うこともあって指導室で厳重注意と反省文という温情処分が下った。
「あっ、それと神道時っ、あとで職員室に来てくれ。ちょっくら話がある。それじゃ解散。掃除当番あとよろしく! 」
そう言って小松は鼻歌交じりに教室を出ていった。続けて生徒達ががやがやと教室を出ていく。
部活動に行く生徒や帰りに寄っていく場所を打ち合わせている女子生徒達の横をすり抜け、総司も教室を出ようとしたとき名前を呼ばれて振り返った。
「総司っ、あんたまた呼び出し? なにやったの? 」
クラス委員の八神久美子【やがみくみこ】だった。セミロングの髪は今時珍しく色を入れてない美しい黒髪。切れ長の瞳に小さいあご。今時の女子高生にしては珍しくピアスなども付けていないし化粧っけも無いが、充分美人といえる顔立ちをしている。
10年、いや5年を待たずして道行く男たちの熱い視線を受ける様になるだろう
しかし性格が少々―――いやかなりキツく、さらにクラス委員をやっていることもあってクラスの男子からは『ヤガミ』をもじって『ヤッカミ』と呼ばれていた。
総司はこの学校に1学期の途中から編入してきた訳だが、初日から『私、クラス委員だから』と有無を言わさず世話を焼いてくる。
好意はありがたいのだが、なるべく他の生徒と関わらないように努めている総司にとってはありがた迷惑この上ない存在だった。
しかも総司の何事にも無関心とも取れる(確かに無関心なのだが)少し間の抜けた物言いがカンに障るらしく、ことあるごとに突っかかってくる。気に入らなければ無視すれば良いのだが、根っからの世話焼きらしく、ぶつぶつ言いながらまるで姉か小姑よろしくいろいろ言ってくるのである。
「いや、特に思い当たる節は……」
「フンッ、まぁいいわ。はい、コレ」
そう言って八神は総司にノートを差し出す。
「……?」
総司が不思議そうな顔をしてノートを見る。
「さっきの授業と昨日までの授業の写し。あんた休んでたでしょっ、まったく世話が焼けるんだからっ」
「……ありがとう」
間の抜けた声で総司が答えると八神はさらに続けた。
「ぜっんぜんっ、ありがたく思っているように聞こえないんだけどっ……」
八神はとりあえず一言文句を言った。
「それ、ちゃんと返してよねっ、無くしたら訴えるわよ。それじゃ」
総司に話す間を与えず、それだけ言い渡し八神久美子はさっさと教室を出ていった。
大げさな……と言うか頼んでないんですが、と痛切に反論したかったが、それを言ったら危険な予感があったので言葉を飲み込みノートを鞄にしまって総司も教室を出た。
ぞろぞろと下駄箱に向かう生徒達の波を逆行し、総司は職員室に向かった。
職員室のドアを数回ノックしてから「失礼します……」と言いながら総司が中にはいるとずらり並んだ机の真ん中あたりに小松が座ってなにやら書き物をしているのが見える。
総司は教師達の椅子をかいくぐって小松の所までたどり着いた。
「あの……先生、僕に何か……」
「おっ、来たな、ちょっと待ってくれ」
そう言って小松は今まで書いていたノートを閉じ、ブックスタンドに並ぶ本の山の向こう、向かいに座る英語の西崎講師に話しかけた。
「西崎先生、今日はパトロールだから生徒指導室空いてますよね? 」
その小松の声にこちらも同じくなにやら書き物をしていた女性が顔を上げた。
ショートカットの髪に少し赤みのかかったカラーを入れた髪が顔を上げた際にサラッと耳をかすめて靡く。大きめの目とその目尻にある控えめなほくろが印象的だった。
彼女は英語講師の西崎真澄【にしざきますみ】。年齢は現在かろうじて20代をキープしている所だが少々童顔な為か見た目より3,4歳若く見える。生徒達からの人気もさることながら男性教師からの人気も高く職員室のマドンナ的存在だった。
美人であると言うより全体的にキュートと言う表現がもっともあっている様に思う。
そんな彼女がなぜこれまで結婚しないのかはなはだ疑問だが、生徒達の間ではどの独身男性教師が彼女のハートを射止めるのかと言う半分以上冷やかしのトトカルチョまであるという噂だ。
「ああ、大丈夫じゃないですか? さっき横田先生と教頭先生が出かけていきましたから」
そう言って西崎はチラッと総司を見た。
「あれ、神道時君久しぶりね。ってまた呼び出し? 」
「ええ、まぁ……」
と曖昧に答える総司に小松が続ける。
「いや〜たいしたことじゃないんですよ。ちょっと休んでいたんで補講も兼ねて話すだけです。こいつちょっと体弱いから良く休むんで来たときに伝えなきゃならんことが結構あるんですよ」
そう言いながら小松は総司の背中をバンバンと叩いた。決して体の弱い人にやる行為ではないように思えるのだが……と総司は心の中でつっこみを入れる。
「生徒想いなんですね、小松先生は」
「いや、なに、イチ教師としてね、ナハハハ……ほんじゃ行くか」
西崎の言葉に頭をかき小松は鼻の下を伸ばしながら照れ笑いをする。それじゃ と一声掛けて小松は生徒指導室へと向かう。
「がんばってね神道時君。それとあたしの授業にも出てねっ」
そう声を掛けてくる西崎の笑顔に「はぁ、極力……」と答えながら総司は小松の後に続いた。
「いや、西崎女史はいつ見てもいいなぁ。心が洗われるよ」
部屋に入るなり小松は持っていたノートと教科書を机の上に放り、開口一番そう言った。 小松の言葉を無視し、総司は無言のまま正面の窓に向ってスタスタと歩いていった。
「それで……今度は何です? 」
ちょうどグラウンドの西側に面したこの部屋の窓からはテニスコートが見えた。今年入部したテニス部の一年生達がコート整備に汗を流している。
「相変わらず無関心というかクールというか……ずいぶん仕事熱心じゃないか? 」
「それはあなたでしょう? 生徒想いの小松せ・ん・せ。僕はほらっ……昼行灯で通ってますから」
その総司の少し意地の悪い(本人はそう思ってないが)答えに小松は顔をしかめながらかえす。
「なんだよ、気にしているのか? さっきの事……お前にしては珍しいな」
コートの整備が終わり、今度は一列に並んで声を出しながらラケットの素振りを始めた1年生を眺めながら、総司は無意味な練習だなと思わずには居られなかった。
「別に気にしてなんか居ませんよ……そろそろ本題に移りましょう。Mr.シモン」
そう言って総司は小松に向き直る。
Mr.シモン
それは数学教師、小松秀隆のもう一つの名前
「あ、ああ……」
そう言って小松は机の前にある椅子に腰を下ろす。
「帰国早々悪いんだが、今回はある人物の警護を頼みたい」
「警護……そんなのはDかPの仕事でしょう。僕らGの任務じゃないですね」
そう言って総司はまた窓の外を見る。
「まあ聞け、今回のヤマは凄いぞ。何せあの『聖剣』だからな」
その小松の言った言葉を理解するのに総司は少し時間がかかった。ゆっくりと振り向き小松を見ると彼の口元に不敵な笑みが浮かんでいた。
「カリバーン……エクスカリバーですか? 」
総司がつぶやくように言った。
「ああ、それだ。大魔道士マーリンの作った聖剣エクスカリバーだよ」
さらに小松は続ける。
「広く伝えられる伝説では初代は妖妃モルガンによって破壊されているから2本目の聖剣だな。伝承によればその剣を振るう者は世界の王を約束され、その鞘を下げる者に不老不死の力を与えると言う伝説の剣……アーサー王の伝説は知っているよな? 」
小松の問いにめんどくさそうに総司は答える。
「僕の故郷がどこだと思っているんです? あっちではかなりポピュラーなお話なんですよ。でも、もっぱら作り話だと言う説が一般的ですね。僕もそう思ってましたし…… 」
「ああ、俺も最近まではそう思っていたよ。しかし3年前、コーンウォールの古い教会からアーサー王が、いや聖剣が実在したのではないかと思われるある物が発見された。それは手紙だった。」
総司はいつしか窓を離れ、小松の向かいの席に腰を下ろした。
「後に『ルーカンの手紙』と呼ばれるこの手紙は円卓の騎士の一人でアーサー王の最後を看取ったペディヴィア卿が弟のルーカン卿に送ったとされる手紙でな、この手紙には聖剣の隠し場所を示す重要な手がかりが、暗号めいた文章で綴ってあると言うんだ」
アーサー王の伝説の舞台となったイングランド南部のコーンウォール地方はアーサー王ゆかりの物が数多く存在する。アーサー王最後の戦場である虐殺橋(スローターブリッチ)を初めアーサー王が生まれたとされるティンタジェル城の遺構。手紙の差出人であるペディヴィア卿と円卓の騎士随一の剣士、ランスロット卿がともに余生を過ごしたグラストンベリー修道院の遺跡があるのもこの地である。またアーサー王が眠るとされる伝説の島アヴァロン島はコーンウォール半島沿岸のセント・ミッシェルズ・マウント(St Michael's Mount)という島だという説もある。
「あれっ? でもたしか伝説だと王を看取ったペディヴィアは王の遺言で聖剣を湖に投げ込むんじゃ無かったかな? 」
総司の疑問の通り、伝説ではペディヴィア卿は王の最後の命により聖剣を近くの湖に投げ捨てた。聖剣を投げ入れると湖から『湖の貴婦人』の手だけが現れ、剣を捧げ3度振り消えていったと広く伝えられているのだ。
「伝説ではな……だがペディヴィア卿は聖ミッチェル山におけるアーサー王・ケイと巨人との戦いを助け、さらにはローマのルシウス皇帝に背いてまでアーサー王の戦いに参加した忠義の人物だ。アーサー王の墓にはこう刻まれている。『かつての王であり未来の王、此処に眠る』とな。つまり王は復活を予言していた。忠義に熱いペディヴィア卿が王の復活の日まで聖剣を隠す事を考えても不思議はない。何せ王が王たる証は聖剣だけなのだからな」
「なるほどね……」
総司はそうつぶやきながら椅子の背もたれに深々と寄りかかりノビをした。
本人には全くその意思が無いのだが、はたから見れば本当に話を真剣に聞いているのかと疑いたくなる仕草だった。小松は慣れているのか、はたまたあきらめているのかそのことについては何も言わなかった。
「実は昨日ロンドンにあるヨーロッパ本部のMr.マタイから俺宛に連絡が入った。『Gコール・トス』だ。あっちのJセクションにゲストで入っていた日本人の教授が殺害された。名前は加藤英【かとうすぐる】65歳。彼は死体で発見される前の晩、電話ボックスからヨーロッパ本部にGコールを掛けた直後、行方が解らなくなったらしい」
小松の言葉に少し妙な違和感を感じ取った総司は組んでいた足を戻し座り直した。
「加藤教授は例の『ルーカンの手紙』の発見者だった。手紙を発表した当時、彼は京都大で考古学研究の教授職だったが異端者として大学を追われ学会からも追放された。作り話の人物をあたかも居たように研究する彼を誰しも嘲笑した訳だ。」
「手紙は本物じゃなかったんですか? 」
総司の質問に小松は軽く答えた。
「仮に本物だったとしてそれをどうやって証明する? 書いた本人も送った相手も伝承にしか記されていない人物なんだぜ? 」
それもそうだ。手紙を書いた本人の公式な記録が無い以上それを証明することは不可能だった。
「大学を追われた加藤教授はそれでもあきらめなかった。自分一人で聖剣探索をしていくつもりだったらしい。そんなとき、俺のツテでトークスにゲストプロフェッサーとして入った」
「知り合いだったんですか? 」
小松は軽いため息を吐いて続けた。
「加藤教授は俺の大学時代の恩師だった。3年前に再会したとき手紙の実物を見せてもらった。一見何の変哲もない手紙だったが直感的に思ったよ。本物だってな。長いことGの仕事をしているとわかっちまうんだよな……おそらく聖剣は実在する。しかも伝承通りの代物なら間違いなく『ジャンク』だ」
『ジャンク』
普通に直訳すれば「ガラクタ」だが、彼らが属する組織、中でもGセクションに所属する物にとっては特別な意味をなす。
歴史上絶対にあり得ない発掘品。どの時代にも当てはまらず、古き時代にもかかわらず現在よりも遙かに進んだ技術で製造された品々。
それは武具であったり、装置であったり、はたは技術そのものであったり……
いずれも表の世界にふれれば世の中がひっくり返ってしまう様な代物。
その中にあって、まれに人類に大いなる災いをもたらすであろう事が予測される危険な品物が発見されることがある。
企画外のがらくた――― 彼らはそれを皮肉と畏怖をこめて『ジャンク』と呼ぶ。
その『ジャンク』を悪意ある者の手から保護し、破壊もしくは隠す暗躍機関。
全世界的規模の複合企業トークス、裏の部署Gセクション。コード・ガーゴイル。通称「G」……
トークスはA〜Tまでの様々なセクションに分かれ運営されているがGだけは決して表には出てこない。同企業内においてもその存在を知っているのは数名の幹部と役員のみの完全な暗躍機関であり非合法組織であった。
「ふ〜ん……あなたがそう言うなら間違いないでしょう。でっ、話を戻しますけど、僕に誰をガードしろって言うんです? 加藤教授はお亡くなりになったんでしょ? 」
総司の拍子抜けした声に小松はまたため息をついた。『こいつと話すのは疲れる』と心の中で想いながら話を続ける。
「実は加藤教授には一人娘がいてな、亡くなる3,4日前に聖剣に関するある重要な物を日本に居る娘に送ったらしい。自分が襲われることを感じた教授は、同じ理由で娘が襲われる事を恐れ、Mr.マタイに連絡を付けた訳だ。おそらく教授も『ジャンク』であることに気づいたんだろう。なにせGコールをかけたんだからな。Jセクションじゃ手に余ると判断したんだろう」
「なるほど、それで僕のターゲットはその娘って訳ですね」
そう言って総司は両手を頭の後ろに持っていき再び椅子の背にもたれかかった。そしてそのまま小松に質問する。
「襲ってきた相手についての何か情報はないんですか? どこの国の組織とか、規模とか……」
その質問に小松は渋い顔をして腕組みをしながら答える。
「それが皆目見当がつかんのだ。目下Sセクションが洗っているが今のところ有力な情報は何も掴めてない。大きな組織や国家がらみなら圧力もかけられるが、何もわからんのでは手の打ちようがない」
「トークスの諜報力も底が浅いなぁ……セクションリーダー減給……」
椅子に寄りかかった状態で天井を眺めながら総司がポツリとつぶやく。まるで夕飯のメニューを考える主婦といった口調だった。
「おまえなぁ……」
小松があきれた様に言った。
「ターゲットの情報は? 」
この切り替えの早さにも小松はあきれたが、この質問には待ってましたとばかりに即答する。
「叶美咲【かのうみさき】、年齢は23歳」
総司の驚くリアクションを期待していた小松は次の総司の言葉に逆に驚かされることになる。
「叶……? 加藤じゃないんですね。 写真ありますか? 」
この総司の言葉に小松は椅子からずり落ちそうになった。
「叶美咲だよ、か、の、う、み、さ、き! 歌手の叶美咲。お前知らないのか? 」
「さぁ、知りませんね。僕歌は興味無いですから…… TV見ませんし」
小松はここへ来て3度目の、前より長いため息を吐いた。
総司が今人気絶頂の女性ボーカル「叶 美咲」を知らないとは思ってもみなかった。
一昨年メジャーデビューしてからと言うもの、出すシングル全てがオリコン3位以内に入り、最近ではCMや週刊誌、TVやラジオに引っ張りだこ。抜群の歌唱力もさることながらモデル並みのルックスで下は小学生から上は中高年まで、男女問わず幅広い人気を博していた。
小松もその例に漏れずファンな訳で叶美咲の事を熱く総司に語ったのだが総司はそれを一言で一蹴した。
「ふ〜ん、わりと有名な人なんですねぇ」
もはや何も言うまい…… 小松は心の中でそう思った。
「…… これから早速彼女の元に向かってもらいたいんだが」
「えっ? 今からですか? 」
「ああ、何か問題でもあるのか? 」
いくら何でもこのまま制服姿で行くとは思っても居なかったので総司は言い返した。
「そんな…… 今日生活指導パトロールなんでしょう? せめて着替えくらい…… そうだ、そもそも学校行ってる時はどうするんです? 代わりのGよこすんでしょう? 」
「休みの届け出をさっき出しておいた。他の連中は今、日本にはおらんよ。パトロールのルートはばっちり教えてやるから安心して行って来い」
ニコニコ満面の笑顔で総司の問いに的確に答える小松に圧倒されそうになるが、さらにがんばって応戦する。
「本人に無断でなんてことを…… 中間試験近いし、ほらっ勉強しないと…… 」
最後のほうは半ばあきらめかけた口調だった。
「よく言うよ。10歳で大学課程終了どころか鼻歌交じりでMITを主席卒業できる様な奴を教える教師がこの学校に居ると思うか? というか日本の高校レベルではお前の頭脳に勝てる教師なんかいやしないよ」
もはや勝負あった。この強引さもGリーダーとして重要な資質なのかも知れないと総司は思った。
「と言うわけで、学校のほうは心配するな。ほれっ、コレがパトロールの巡回ルートだ」
そう言って小松は机の上に地図を放った。赤い文字で細かく書かれた巡回ルートを見ながら先ほど英語の西崎の言った「生徒想いの教師」の意味を考えていた。
「所属事務所には話を通してある。彼女の事務所はトークスの出資だから快くOKした。あと敵の情報はわかり次第連絡を入れる。以上だ」
小松も最後はGリーダーMr.シモンの顔で総司に言い渡した。
諦めると決めたら総司は切り替えが早かった。この頭のシフトチェンジスピードもGの重要な資質の一つである。現場での判断はスピードが生死の鍵を握るからだ。
死を恐れない者は戦場では使えない。自分の死はすなわち任務続行不可能を意味し、チームや組織の他の者を窮地に追いやることになりかねない。
それは自分の命だけでは到底拭いきれない……彼ら『ガーゴイル』に課せられた任務とそれに伴う責任はそれほど重いのである。
「解りました…… 行って来ますよ」
総司は鞄をしょい、ドア口まで移動してからなにかを思い出し振り返った。
「そうだ、これ先生から八神さんに返しておいてもらえませんか? 」
そう言って総司は鞄から八神が貸してくれたノートを出した。
「八神に? なんだ、交換日記か? 」
「? 何ですかそれ? たぶん日記じゃないですよ。何でも僕が休んでいたときの授業のノートだそうです」
小松の言ったことがよくわからず首を傾げながらノートを渡した。ノートを受け取りながら小松は交換日記という風習はもしかしたら日本だけなのかも知れないと思った。
「返さなかったら訴えるって言ってました」
「大げさな…… しかし、あいつも世話焼きだな」
総司は扉を開けて外に出た。開けたとたん、ざわざわとした音が流れ込んでくる。この部屋は完全防音なのだ。たかが生徒指導室になぜ此処までの防音設備を、と不思議に思う人間はこの学校には居ないのだろうかと総司はいつも思う。
「あっ、そうだ総司っ」
部屋から小松が声をかけてきた。
「? 」
総司が振り返ると小松が笑みを浮かべて白い色紙を差し出す。とてもGリーダーとは思えない顔で。
「サイン頼めるか? 美咲ちゃんの…… 」
少しの間、自分の上司の顔を眺めた後、総司は無言でドアを閉めた。
彼の隠密性は完璧だな、と本気で感心する総司なのだった。
第2話 「叶 美咲」
「あぁ〜、疲れたぁ。あの司会者さ、テレビで見るのと全然違うんだもん、参っちゃうわ……マジ真逆よっ、真逆」
楽屋に入るなりそう文句を言いながら叶美咲【かのうみさき】は羽飾りの付いた派手な帽子を化粧台に放り投げ、帽子同様派手な衣装のまま畳の上に倒れ込んだ。
「ねえトモちゃん、やっぱTVの仕事辞めない? 音楽番組でこうなのよ? これでドラマやらバラエティやらに出たらあたし……ストレスでアル中になっちゃうかも」
そう言って美咲は額に手を当て目をつむった。
美咲に続いて楽屋に入ってきたスーツ姿の女性は笑みを浮かべながら化粧台に放られた帽子を手に取り、投げた拍子に形の崩れた羽飾りを直した。
紺色のスーツ姿でタイトスカートからすらりと伸びた形の良い脚。長いであろう髪は後ろで品良く結い上げられている。
年の頃は30歳手前ぐらい。美咲ほどでは無いにしろ、上品に整ったプロポーションと顔立ちはエリートキャリアウーマウーマン、若しくは美人社長秘書と言った感じで少しばかり近寄りがたい雰囲気を醸し出している。
「それは無理よ。うちの社長凄い乗り気なんだもの。でも、『ストレスでノイローゼになる』じゃなくて『アル中になる』ってのが美咲っぽくて笑えたわ」
そう言って彼女はまたクスッと笑う。
彼女の名前は小林朋子【こばやしともこ】。美咲が所属する桑江Sプロモーションの敏腕マネージャーで現在は美咲の専属だった。
「やっぱライブがいいな、開放感があって。今日のスタジオマジ最悪。ケンちゃんなんかリハで何度も調整ストップ出しまくってたし……さっきの本番だってきっと納得してなかったと思う」
「ライブ会場と比較したって意味無いじゃないの。設備が違うんだもの。良くわからないけど、音の反響とか機材とか……そういった物。局のスタジオなんてどこも一緒よ。どこでもそれなりに歌ってこそプロってもんでしょ?」
それを聞きのっそり起きあがりながら美咲はため息をついた。
「相変わらずきっつぅ〜、トモちゃん」
美咲がそう言うと2人して顔を見合わせ笑いあった。
「さてと……着替えますか」
美咲が着替えのためのに立ち上がりかけたとき、ふと思い出したことがあった。
「そういや、本番前にトモちゃんなんか言ってなかったっけ? 」
本番前の少々バタついた時にだったので、なんだったのかすっかり話を覚えていなかった。
「えっ? ああ……社長からね、ボディーガードが1人行くからって連絡があったのよ」
「ボディーガード!? なにそれっ?」
美咲は素っ頓狂な声を上げる。朋子は鞄から手帳を取り出し器用に立ちながらなにやら書き込みつつ答える。
「何でもウチのパトロンからの要請らしいわよ。熱狂的なファンに対応するためだって。社長2つ返事でOKしたみたい。この前の埼玉での一件があったから……」
3ヶ月前、埼玉アリーナのコンサート終了後、美咲の宿泊先のホテルに熱狂的なファンが数名ちょっとした騒ぎを起こした。
ルームサービスを装い、美咲が宿泊していた部屋に侵入してきたのだ。
「何でまた断りもなく……」
美咲は絶句した。だが社長の独断専行は今に始まったことではない。あの性格だからこそ事務所立ち上げから10年もしない内に桑プロを業界上位の会社に育てる事ができたのだろう。
「ボディーガードって……道路でニンジン振ってるおじさんじゃ無いよね。ケビン・コスナーとかのアレだよね? 」
朋子吹き出しそうになるのをこらえながら言った。
「道路でニンジンって、それはガードマンでしょ。そうそう、映画のアレよ」
「そっか……でもあたしガードされる様な憶えないよ? 」
朋子は書き終えた手帳を鞄に仕舞って今度は携帯電話を取り出した。
「私に聞かれても解らないわ。う〜ん、ハリウッドスターなんかは個人で雇ってるケースは良くあるけど……日本じゃ精々警備の人間増やすぐらいだものね」
そう答えながら携帯を耳に当てる。
「ボディーガードって聞くとなんだか物々しいけど、海外では割とポピュラーだし、そんなに気にしなくていいんじゃない? 美咲はウチの看板だから社長も気に掛けてくれてるんじゃないかな……あっ、もしもし、お世話になります。桑江Sプロモーションの小林です―――」
電話先が出たらしく、朋子は手で美咲に話をやめる合図を送り部屋の隅に歩いていった。
朋子の話を聞き美咲もそんな物かな、と思い美咲は着替え始める。
ボディーガードと聞くとどうしても映画が浮かんできてしまう。
『ケビン・コスナー』みたいなイケメンだったらいいなぁ……などと少々身勝手な期待をしている自分に思わず笑いそうになった。
衣装のファスナーがなかなか落ちないのでいらいらしだした頃、電話を終えた朋子が手伝ってくれた。
「最近は拉致だのストーカーだの、いろいろ物騒だからちょうどいいんじゃない。ちょっと贅沢なセキュリティだと思えば」
どうやら糸くずが挟まっていたらしく、それを取り除いたとき コンコン とドアをノックする音が聞こえた。それと同時に
「お〜い、美咲っ、まだかぁ!」
と男の声が聞こえた。
「ごめ〜ん、ケンちゃん。まだ着替え終わってないんだ」
バックバンドでギターを担当している柊憲【ひいらぎけん】だった。
「トージとヤマハンがさぁ、いつものとこで打ち上げやろうって言ってんだけど、美咲も来るだろ? 」
それを聞き、美咲は朋子に早口で聞く。
「トモちゃん、この後あたしなんかあったっけ? 」
「大丈夫よ、行ってらっしゃい」
それを聞き美咲はドアの向こうに声を上げる。
「行く行く〜! 速攻着替えるからちょっと待ってて!」
「マジで? 遅すぎだろっ、いい加減楽屋で着替えるのやめてくれよ。俺らどこで待ってりゃいいんだ? 」
そこへ朋子が助け船を出した。
「ケンちゃん、先行ってていいわよ。美咲は私が送っていくから」
「OK、そんじゃ先行ってる。トモちゃん後よろしくっ」
そう言ってケンは歩いていった様だった。
美咲は顔の前に両手を会わせて
「サンキュ〜トモちゃん。恩に着るよ」
その仕草に朋子はまたクスッと笑い
「いいわよ、そんなの恩に着なくたって……私ちょっと局の人と話があるから着替えて待ってて」
そう言って朋子は部屋を出ていった。
ぽつんと一人残された美咲は少しの間ぼぉっとたたずんでいた
「はっ、いかんいかん、着替えなきゃ」
そそくさと衣装を脱ぎ捨て下着姿のままロッカーまで闊歩すると、着てきた薄いブルーのパーカーに袖を通す。そのまま裾に花の刺繍の入ったベルボトムを引き上げジッパーを勢いよく鳴らした。
170cmの長身に均整のとれた体型にはジーンズがよく似合っていた。確かにモデルでも充分やっていけるだろう。
着ていた衣装を適当にハンガーに掛けてから化粧台の前に腰を下ろした。
鏡に写る化粧を施した自分を見ながら
「顔はいいか、このまんまでも……」
そう言って口紅を取り出し塗っていく。
元来美咲はめんどくさがり屋でほとんど自分では化粧をしない。結構おおざっぱな性格なせいか細かい作業が苦手だった。
普段化粧をしないせいか、メイク担当から「化粧の乗りがいい」と良く言われる。
眉毛を抜いてその上からわざわざ書いたり、筆や綿棒なんかでチークだのシャドウだのいじるのがめんどくさくてたまらない。
この業界に入ってメイクの人にいろいろ教わりながらかろうじて出来るようになったが、それでもどうしても必要なとき意外は口紅だけのすっぴん状態だった。
口紅を引き終え、ロッカーにサングラスと帽子を取りに行こうとしたとき、再びドアがノックされた。
「トモちゃん、今支度が……」
てっきり朋子が戻ってきたのだと思いそう声を掛けかけたが、ドアから入ってきたのは朋子ではなかった。
濃いグレーのスーツを着て、サングラスをかけた外人が2人。1人は黒人でもう1人は白人。黒人の方は大きなスーツケースを手に持っていた。
身長170cmの美咲の目線が男の首ぐらいだから2mぐらいあるだろう。黒人が持っているスーツケースが少し小さく見える。
「あ、もしかしてボディーガードの人? 1人って聞いてたけど……」
その美咲の言葉に何の反応も見せないまま、白人の方が近寄ってきた。
「我々と一緒に来てもらおう」
男は日本語で静かに美咲に告げ、美咲の腕を掴んだ。
「えっ、ちょっ、ちょっとなに? 」
美咲は掴まれた腕を振りほどこうとしたが、まるで万力のような力で掴まれていてビクともしない。
「ちょっ、離してっ、マジ離してよ、ヤダッ、何なのよあんた達!誰か来ムムム……」
大声で助けを呼ぼうとしたが、男のもう一方の手が美咲の口を塞いだ為、目的を達することは出来なかった。
「我々も手荒な真似はしたくない。抵抗しなければ身の安全は保証する」
映画で良く悪役が口にする台詞を美咲は聞いた。そう言って連れ行かれて大概安全じゃなくなるのがセオリーなのよね、と混乱する頭でそう思った。
無駄かなと思いつつ、なおも抵抗しようと思ったとき、再びドアをノックする音が聞こえた。
『今度こそトモちゃんだ』
美咲に希望が沸いた。彼女が来たことでこの絶対的に不利な状況から脱出できると確信する。
そのとき、腕を掴んでいる男のジャケットの内側に吊された見慣れない物が目に入り、息を呑んだ。
『―――拳銃!?』
遮二無二動かしていた腕の動きを止め、男の顔に視線を移すと男はドアの方を向いていた。そしてもう一度懐に目線を移す。
実物など生まれてこのかた見たことが無い美咲にとって、それが本物であるかどうかなど判断が付かないが、この状況から考えれば本物である可能性が非常に高い。
もし、朋子が何の備えもせず(当たり前だが)入ってきて騒いだら……
まさか日本のしかもこんなTV局のビルの中で発砲する様な非常識な奴が居るだろうか? すぐに逮捕されるに違いないし、そもそもモデルガンで脅し目的で持ってきているのかも知れない。だいたいこの日本でそんな簡単に銃が手にはいるのだろうか……
―――しかし
大きな外人が2人、スーツ姿で無言で入って来て自分をどこかに連れ去ろうとしている。
こんな非日常的状況の中で、果たして自分の中の常識論がどこまで通用すると言うのだろう……
撃つ可能性は高くはないが、撃たないと言う保証は全くないではないか……
『トモちゃんが殺されちゃう!?』
再びドアがノックされる。
「ムーッ、ムムーッ!!」
美咲は先ほどよりもさらに激しく抵抗し、声にならない声で叫んだ。
『トモちゃん、開けちゃ駄目ーっ!!』
しかし「失礼します」と、少し間の抜けた声で入ってきた人物は朋子では無かった。
「あの……ここって、叶美咲さんの楽屋で合ってますよね?」
この緊迫した状況の中で、全くかけ離れたのんきな声のトーンはどことなくシュールであった。
声の主はブレザーの学生服姿の高校生だった。
身長は165cmくらい。特にコレと言って特徴のない顔立ち。しいていえば少し目が大きいくらいか。
どこにでも居そうだが記憶に残りずらい、平凡そうな少年だった。
「あっ、美咲さんですね。初めまして、トークスから派遣されたボディーガードの神道時総司です」
はぁ? 今なんて言ったのかな??
「……あの、取り込み中なら外で待ってましょうか?」
『って、そうじゃないだろ―――!!』
美咲は心の中でつっこんだ。
ノックの音に沸いた希望が一瞬にして萎えていくのを美咲は感じていた。
「お芝居の練習ですか? 歌手って聞いてたんだけどな……」
『んなわけねーだろっ! つーか空気読めよ!この緊迫した空気をっ――!』
と、再びつっこむ。
「ボブスン!」
動きを止めていた白人の男が総司にアゴをさした。
ボブスンと呼ばれた黒人の男は、手に持っていたスーツケースを離し、無言で頷くと総司に近づいていった。
「背高いな……」
総司は見上げながら呟いた。
「じゃあ僕は外に居ますんで……」
総司の前に立った男のちょうど胸あたりが総司の目線に当たる。分厚く鍛えられた胸板はまるでプロレスラーみたいに厚く、一見して何か格闘技をやっているのだと解る。
ボブスンはは少し屈んで総司の肩に手を置き、英語で総司にささやいた。
「Are you even bodyguard's? ……Is the nature certain The little boy scouts guy?〈お前がボディーガードだと? 気は確かか、小僧?〉」
「えっ?」
総司が聞き返した瞬間、ボブスンは素早く拳を総司の鳩尾にたたき込んだ。
総司の体が浮いたかと思うと、背中から後ろの壁に叩き付けられ、そのまま膝から床に崩れ落ちた。
「Good night baby ……Good dream furnace〈おやすみ坊や……いい夢見ろよ〉」
床に倒れたままぴくりともしない総司にそう投げかけ、ボブスンは美咲の方に近づいてきた。
「ケイン、さっさと済まそう……誰か来ると厄介だ。抵抗するようなら指の2.3本折ってやれば大人しくなるだろう」
英語なので美咲には何を言っているかさっぱり解らなかった。どうやらボブスンの方は日本語が喋れないようだ。
「OK」
ケインと呼ばれた白人がそう言うと黒人は傍らのスーツケースを開いた。
中にはロープ以外何も入っていなかった。
黒人はなおも抵抗する美咲の脚をそのロープで縛り始める。どうやらこのスーツケースに美咲を入れて運び出すつもりらしい。
「少し窮屈だが、我慢しろ」
脚に引き続き両手も後ろに縛られ、さらには口に猿ぐつわまでされては従うしかない。
屈強な大男に押さえつけられ、美咲は抵抗むなしく簡単にスーツケースに押し込められてしまった。
スーツケースをロックし、ボブソンは立ち上がった。
そして振り向いた瞬間、膝に激痛が走りよろけた刹那、目の前を影が走った!
続いてこめかみをまるでハンマーで殴られた様な衝撃が襲い、ボブソンはサングラスを飛ばしながら横の化粧台に吹っ飛ばされる。
飛ばされる瞬間、視界の端に黒っぽい影が床に着地するのが見えた。
「Hit …… cruel a little suddenly? Black pig〈いきなり殴るなんて、ちょっと非道くない? 黒豚君〉」
英語でそう言いながら神道時総司は着地した場所でゆっくり立ち上がる。
木漏れ日溢れる公園で遊ぶ幼子のような表情で……
ボブスンのパンチが入る直前、総司は自分から飛び、衝撃を吸収した。
美咲が捕まっている事を確認した総司はそのまま倒れて隙をうかがい、美咲がスーツケースに入れられたのを確認してから攻撃に移った。
振り向いたボブスンの正面から、左の靴底で膝に蹴りを入れ、そのまま膝を踏み台にして飛びこめかみに右の回し蹴りを放ったのだった。
膝の攻撃で相手の体制を崩したうえに、一撃目の反動を利用し、腰を十分にひねって叩き込んだ蹴りは破壊力抜群で2mの大男を吹っ飛ばす威力を見せたのである。
技もさることながら、一連の動作を一瞬でやってのける総司の身体能力は驚愕に値する。
白い顔を凍り付かせてケインが訪ねる。
「貴様……何者だ?」
「さっき名乗った筈だけど?」
そこへ、化粧品やらの破片を払いながらボブスンが立ち上がる。衝撃で多少はっきりしないのか、少し足下がふらつく。
2,3度軽く頭を振ってこめかみに滲む血を右手で拭いながら総司を睨む。
「トークス……? そう言えば以前聞いたことがある。古代の危険な品々を人知れず隠蔽する暗躍機関があると……」
ケインはそう呟き少し考える
「確か……ガーゴイル。まさかこんな餓鬼が……?」
「大正解!餓鬼はよけいだけど……」
ボブスンは口の中にたまった血の混じった唾を床に吐きながら右手を懐に入れた。
「sit! this apprentice……〈くそっ、この餓鬼〉」
そう吐き捨てながら引き出された右腕には黒光りする銃が握られていた。筒先には消音装置が取り付けられている。
「GLOCK 18?…… 珍しいね。そんなのどこで手に入れたの?」
1980年、銃器業界に新規参入したグロック社が開発した自動拳銃GLOCKシリーズは特殊強化プラスチックボディによる計量かつコンパクトをコンセプトに持ち、優れた安全設計の非常に優秀なオーストリア製ハンドガンである。
メディアによる「プラスチック製なので空港検査で引っ掛からない、犯罪向きの銃である」などといった誤報により一躍有名になった。
GLOCK 18は最初に発表されたGLOCK 17のフルオートモデルである。
交戦想定距離10m前後の、そもそもコンシールドキャリー〈着衣内携帯〉を念頭に開発されたハンドガン武装で、毎分1200発で9×19mmをバラ撒くという状況をどんな根拠で想像したのか、はなはだ疑問ではあるが、『フルオート拳銃は悪用されると危険』という至極まっとうな観点から供給は公的機関のみで改良型である18C共々民間には販売禁止となっている。
17と18の外見は基本的に同じだが18にはスライドフレーム側面にセミ/フル切り替えのスイッチがあり、それによって見分けることが出来る。
初期型のGLOCK はグリップのチェッカリングという滑り止めが細かすぎて滑りやすいと言う難点がありホーグ社製のラバーグリップに替えている愛用者も多く、ボブスンの物も換装してあることから、日頃から銃を扱っている事が想像できた。
「よせ! ボブスン」
ケインがそう叫ぶがボブスンは無視する。
「先行ってろ! この餓鬼ゆるさねぇ……」
そう言ってボブスンは銃口を総司に向ける。
頭に血が上りやすい相棒に、半ば呆れつつ、ケインは総司とボブスンを交互に見てから「フンッ」と鼻を鳴らして部屋を出ていく。
出ていくケインを目で追いながら、銃を向けられた本人は涼しい顔でこう告げる。
「無駄だよ。やめておいた方がいい……」
日本語で言ったせいか、それとも総司の言ったことなど聞く耳を持たないのか、ボブスンは無視した。
『殺されないとでも思っているのか? 甘いぜputting〈お坊ちゃん〉』
総司の余裕の表情にボブスンは心の中で毒づいた。この澄ました日本の餓鬼に泣きながら命乞いをさせたいというサディスティックな考えもあるが、日本という危機意識の欠落した国で育った為か銃で殺されるとは考えられないのだろう。
ボブソンは総司の表情を自分なりにそう判断してこう続ける。
「ボスがもみ消してくれる。Regret in the heaven!〈あの世で後悔しな!〉」
口元を歪ませながら、ボブスンは引き金を引いた。
パスッ!
何か空気漏れの様なサイレンサー特有の音が部屋の中に響いた。
総司の苦痛にのたうつ姿を見たくて、ボブスンは弾軸を腹にポイントしていた。腹を押さえて床に崩れ落ちる姿を予想していたボブスンだったが―――
「What……!?」
廃莢された薬莢が床に落ちて乾いた音を立てると同時に、放たれた弾丸が床に落ちた。
総司は余裕の表情で変わらずたたずんでいる。
ボブスンは立て続けに2発、今度は総司の心臓にポイントして引き金を引いた。
「When it is useless, it is ? ……saying〈無駄だと言ってるでしょ?〉」
総司の足下に落ちる先のつぶれた弾頭を見ながら、混乱する頭で総司の言葉を聞いた。それと同時に、この日本人の少年から放たれる気配が、全く別の物に変わる空気を感じ取っていた。
「僕の服の『時間』を止めましたから……」
もう一度総司の顔に目線を移すと―――
「つまり……服の時間軸を3次元からズラす……」
ボブスンの背中から総司の声がかかる。
「ヒィッ!!」
引きつった声とともに振り返るが誰も居ない。
「それによって僕の服には『破ける』とか、『穴が空く』なんて言う『時間的概念』が存在しなくなるんですよ」
再び後ろから声が聞こえて振り返ると、総司が床に落ちた弾を拾っていた。
『物質の時間を止める』
そんなことが可能なのだろうか?
そして―――
何が起こったのか全く理解出来ないが、反射的にボブスンは総司に銃を構え直そうと腕を上げて凍り付いた。
―――!?
手に握っていた筈の銃が無い!
混乱しながら総司を見ると、その手にはいつの間にか自分の銃が握られているではないか!
『そっ……そんな馬鹿な……!? 』
ボブスンは言葉を口に出来ないほど驚愕した。
いつの間に……どうやって……
いや、それ以前に今の現象はいったい何だったのだろう……
ボブスンは先ほどとは全く違う目で総司を見た。
恐怖という色を添えて―――
「ホローポイント……こんな弾で撃たれた人が、どういう痛みを味わうか……想像したことあります?」
総司は静かに、そして呆れた声で聞いた。
ホローポイント
弾頭先端に穴が開けられ、着弾と同時に弾が裂け、ターゲットの人体や動物といった細胞組織を破壊しやすく加工された対人弾頭である。
「きっと自分が撃たれるなんて思ってもみないんでしょうね。だから丸腰の相手に、平気でこんな弾の入った銃を向けられる……向けられた人がどういう気分になるか、味わってみればいい」
そう言いながら、総司は手に持った銃をボブスンに向けた。
静かに、そしてゆっくりとした口調と、子供っぽい総司の顔とのギャップが対照的だった。
「おっ……OK、OK、解ったよBoy……」
そう言ってボブスンは両手を上げ、降参の意思表示をした。
「いや、全く驚きだ。参ったよ、降参だ。もう抵抗しないから警察なりなんなり……」
総司が銃を降ろしかけたのを見て少し安心したのか、それとも心の中のかすかに沸いた恐怖を隠す為か、少しおどけた様に肩をすくめて話していたが、ボブスンが言い終わらないうちに
パスッ
総司は無表情で引き金を引いた。
伝わるリコイル【反動】に微動だにしない銃の廃莢口から、微かな煙の糸を引きつつ吐き出された薬莢がクルクルと回転しながら中を舞う。
「ガァァァッ……Fuck―――!! マジで撃ちやがった……っ! 」
ボブスンは膝を押さえて床に崩れ落ちた。
「あなたも撃ったでしょう? コレであいこですよ」
床を転げ回るボブスンを、総司は感情の絶えた目で見つめていた。
そして未だに銃口を向けるそんな総司を痛みに呻きながら見て、ボブスンは恐怖に震えながら言う。
「ウググッ―― おっ……おいっ、待て、撃つな、頼む、こ、殺さないでくれっ!」
苦痛で額に脂汗を滲ませ、息絶え絶えといった感じでボブスンが哀願する。
グレーのスーツの裂けた膝のあたりが見る見る赤く染まっていく。この弾は体内に潜り込んだ瞬間に裂ける為、貫通こそしないが皮下組織をズタズタに破壊するのでたちが悪い。加えて撃たれた者は想像を絶する痛みを味わうことになる。
「あなた達がロンドンで襲った日本人の老人は、今のあなたと同じ事を言わなかったですか? 」
怒りに振るわせる訳でもなく、また逆転した形勢に驕る訳でもなく、総司は静かに、そして無表情に聞いた。
「いやっ、アレは俺じゃない。おっ、俺たちはただ見てただけだっ」
「知ってます。さっき『触れて』見ました……」
銃を向けながら総司はそう言った。
『触れる』とはどういうことだろう?
「確かに、生きながら手足をもいだのはあなた達ではなかった。でもね……笑って見てたら同罪です」
そう言って総司はもう一方の膝を狙って再び引き金を引いた。
「グワァァァ―――ッ!! ウウッ……ちきしょう……! 」
さらに呻いてボブスンは両膝を抱え込んだ。その様子を見ながら総司は銃からマガジンを向き取り、本体を床に投げ捨てた。
「今のはその老人の分です。もっとも……彼の味わった恐怖や苦痛に比べれば10分の1にも満たないでしょうけど」
「たっ、頼むっ、救急車を……っ」
そう哀願するボブスンを背に、総司はスタスタとドアに向かって歩き出す。
「後悔するのはあなたでしたね。少しそうやって反省してみてください。運が良ければ、助かりますよ。また歩けるようになるかもしれない……」
そしてドアノブに手を掛け、振り向いて
「あっ、そうそう。先ほどの台詞、あなたに返しますよ。Good night baby ……Good dream furnace〈おやすみ坊や……いい夢見なさい〉」
子供を寝かしつける様な優しい声でそう言い残し、総司は部屋を出ていった。
第3話 「総司」と「美咲」
楽屋を出ると総司は早足で廊下を進んでいたが、やがて疾走に移った。
先行するケインの出で立ち、及び持っている荷物を考えると正面玄関は考えにくい。おそらく裏口を逃走経路に考えるはずだ。
廊下の分岐を2回曲がったところでエレベーターホールに出る。
総司は扉上の回数表示板を見て舌打ちした。
「待ってられないか……」
そう呟き、非常階段に向かった。
このビルに着いたとき、総司は玄関ホールにある施設案内図をみて、このビルの大まかな見取り図を瞬時に記憶していた。
現在、総司の居る場所は西棟の地上12階。裏口に当たる北側サブナードと呼ばれる場所は、一度3階まで降りないと行かれないはずだった。
先ほどからの時間経過から考えて、ケインはおそらく北側サブナードに着いているはずだ。そこから北側の立体駐車場は目と鼻の先だった。駐車場を出る前には相手を視界にとらえたいところだ。
「やっぱり駄目か……調子に乗って力を使いすぎたな。インターバル置かないと使えないか……」
先ほどから、総司はあることを試みているのだが、今の口振りから出来ないようだ。
人が走り出る形を模した、緑色のおなじみのマークを掲げたスチール製のドアを開け、総司は階段に出た。
非常階段は螺旋階段になっていて、中央部分は幅1mぐらいの吹き抜け構造になっていた。吹き抜けをのぞき込むと、中央に設置された手摺りが渦のように繋がって伸びていて人の気配は無いようだった。
どのみちこのような高層に属するオフィスビルではよほどのことがない限り、非常階段で移動しようとは考えないだろう。
「ラッキィ〜」
と、あまり喜んでいないような声で呟き、総司は制服のベルトからバックル部分を取り外し、腕の時計にはめ込んだ。続いてバックルの裏面から、ワイヤーを引き出す。
このバックル部分はワイヤードラムになっていて、直径わずか1.2mmの超耐久グラスカーボン製ワイヤーが撒かれていた。
バックルの裏の部分が2つに分かれ、突起の部分を持ち上げると、ちょうど忍者映画に出てくるような鈎爪のような形になる。
さらに腕時計に内蔵されている、超小型高出力モーターを組み合わせることによって、小型のウインチになるのだ。
モーターの内蔵バッテリーは、フル充電で約20分の全力運転が可能。ワイヤーの長さは40m、モーター使用時では、つり上げ荷重は約400kg。ワイヤー単体で実に1.5トンのテンションまで耐える強度だった。
さらに時計のモーターに付属アタッチメントを取り付け、ワイヤーに高周波を流すことによって、ほとんどの物を音もなく切断する高周波ブレードに早変わりする優れものだった。
トークス開発部、Tセクション自慢の製品で去年実用化され、Gに供給された。
フックを手摺りに掛け、総司は踊り場の手摺りから吹き抜けに身を躍らせた。
軽い摩擦音がするだけの、ほとんど無音の降下だった。
3階の踊り場にさしかかったところで、総司は体をひねって勢いを付け、振り子の要領で体を振り、踊り場中央にフワリと着地する。
続けて2,3回ワイヤーを波立たせると、上のフックがはずれてワイヤーが落ちてきた。 そのワイヤーを無造作に手で巻き取り、時計からバックルをはずして上着のポケットに放り込んだ。
「長く出すと、巻き取りに時間がかかるのが難点だよね、コレ。Tに改善要望出しとこ」
そうボソッと呟き総司はドアを開け、廊下に出た。
このフロアーは先ほどの12階の廊下と違い、横幅が広くなっていて比較的通りやすい。
廊下には数人の人が歩いていたが、目立つのもかまわず、総司は全力疾走に入った。
総司は全身に武器、食料など、重量6キロ程度のフル装備を付けても、100mを11秒台で走破することが出来る。
現在、動きにくい学生服に革靴という出で立ちであっても、オリンピック強化選手並みのスピードを誇る。
振り返る人の視線と、驚きの声を物ともせず、総司は野生動物を思わせる軽快なスピードで廊下にいる人々をかわしながら廊下を駆け抜け、裏口のドアに飛び込む。
ドアの向こうは駐車場に降りるスチール階段があり、約建物3階くらいの高さから、駐車場を見渡すことが出来た。
30mぐらい向こうにスーツケースを引きずり歩く長身の男が見える。
ケインだ。
ケインがクリーム色っぽい乗用車の前で止まると、乗用車が前へ出てきた。どうやらもう一人車に待機していたらしい。
車種はプジョー406。ナンバーはここからでは判別できない。
総司はチラッと右手にあるバイク置き場に目をやる。
来るとき、正面横の駐車スペースに止めようとして、警備員に此処へ誘導されたのだった。『関係者です』と言う総司の言葉に、いっこうに耳を傾けない警備員を少し恨んだのだが
「警備員さんに感謝! やっぱり年長者の言うことは聞いておくべきだね」
そう言って、総司は手摺りを乗り越え、駐車場へダイブする。
着地と同時に靴底が床の真空コンクリートを叩き、小気味良い音を立てる。腰を思いっきり下げ、まるでゴム鞠を思わせるしなやかさで1度弾んだ後、脚を伸ばして立ち上がった。
普通なら、悪くて重体、若しくは死亡。良くても骨折は必死といえる高さだったが、幼い頃からの想像を絶する訓練によって鍛え、強化された総司の足回りは、このくらいの荒行を難なくこなす。
床に降り立つと同時に再び疾走しバイク置き場にたどり着くと、ロックを掛けてない自分の愛機を引き出した。
ホンダ CB1300 Super Four
普段は忙しくあまり乗る機会が少ない個人所有のマシンである。もちろん通学には使わないのでクラスメイトは知らない。
と言うより、コレに跨った総司など、クラスメイトは想像することも出来ないだろう。
総司はイグニッションキーを差し込み、左足をクラッチバーにかけた状態でエンジンを始動。ギアを1速に入れたままアクセルをひねってクラッチを繋ぐ。
突然大きな駆動力を得た後輪にタイヤが悲鳴を上げ、けたたましいスキール音を響かせるとともに、鼻を突くゴムの焼ける臭いと煙を吐く。
クラッチバーにかけた左脚のみで器用に体と車体のバランスを保ちながら愛機をマックスターンさせたところで、ヘルメットを被りながら車体に跨がった。
総司は2回ほど空ぶかしさせ、愛機の調子を音と振動で確認する。
股下で吼える水冷・4ストローク・DOHC・直列4気筒エンジンは、ホンダ特有の甲高い機械音、それを覆い被す様な野太い排気音のハーモニーとともに、力強いシリンダーの振動で、良好である事を乗り手に主張する。
総司はこのバイクという乗り物が比較的好きだった。
オープンライドで風を切りながら疾走するのが何とも心地よく、まるで鳥になったような爽快感を与えてくれる。
日本ではヘルメットの着用が義務づけられているのが少々気に入らないが……
総司は再びスキール音を響かせ、少し前輪を浮かせながら発進した。
2輪レーサー並みのテクニックで駐車場を回り車道に飛び出すと、ギアを上げアクセルを全快に開く。
暴力的とも言える加速で疾走する中、総司はターゲットを探す。
右に左に車線をスライドしながら走行車をかわし、さらに加速していくと、視界の先に見覚えのあるプジョーを捉えた。
タコメーターの針をレットゾーンに飛び込ませ、5速を目一杯まで引っ張った後、6速をミートさせて、さらにアクセルをひねる。
乗り手の過酷な要求に車体をきしませながらも、マシンは総司の意志を感じ取ったかのごとく、さらなる加速を試みる。
ケインのプジョーは見る見る近づき、程なくナンバーを確認できる位置まで接近した。
総司は瞬時にナンバーを暗記する。
「おい、凄いスピードで1台後ろに着いたバイクがあるんだが……」
プジョーを運転する白人がケインにそう話しかける。
「あん……」
そう言って助手席に座るケインは後ろを振り返る。
確かに1台、白地に赤のラインの入ったバイクが後ろに付けているのを確認する。
「あれは……?」
ライダーの服装に見覚えがある。おいてきたボブスンとやり合っていたハイスクールの餓鬼だった。
「ガーゴイル!! ボブスンの野郎、しくじりやがった」
ケインは吐き捨てるように言った。
「ボブスン? ガーゴイルって何だ!?」
ハンドルを握る白人もミラー越しに総司を見る。
「聞いたこと無いか? 古代の危険な発掘品の保護を目的とした暗躍機関。それの特殊工作員、コードネーム『ガーゴイル』。奴がそれらしい……」
「おいおい、バカ言うな。どう見たってジュニハイか、良くてハイスクールの餓鬼じゃないか? アレがあの『ガーゴイル』だって言うのか? 」
笑いながらそう言う相棒にケインはこう答えた。
「さあな、奴がそう名乗ったんだ。ガーゴイルなんて聞いた事ぐらいしかない。俺だってあんな餓鬼がそんな凄腕の工作員だなんて思っちゃいないが、さっきからボブスンが携帯に出ないんだ……」
「じゃあ、あの馬鹿はあんな餓鬼にのされちまったって訳か? ハハッ、こいつはいい。奴は最近でかい面して吹いてたからちょうど良いぜ。黒豚、ボーイスカウトでバーベキューかよ……フハハッ、笑えるジョークだ」
そう下品に笑いながら、ハンドルを左に傾け、車線を替えて前の車をかわす。
そのままアクセルを踏み込んで加速していく。
前を行くプジョーの動きにあわせて、総司も車線を替え、アクセルを開ける。
「おもしれぇ、ケイン、しっかり捕まってろ!」
そう言ってハンドルを握る白人はブレーキングしながら交差点を左折する。
ブレーキングと同時にハンドルを切ったため、車体は慣性に従い尻を大きく振りながら交差点を回る。前輪を逆に切りカウンターステアを当て、なおもパワースライドに入る車の加重移動を押さえながら前方の駆動力を稼いで車を安定させる。
なかなかの腕前である。
「やるぅ〜!」
前のプジョーの動きに、総司は素直に賞賛する。総司もすぐさま減速しギアを落としてハングオン体制をとり、左折に入る。
信号は赤だったが、お構いなしにつっこんだ。
レースのお手本のような、スムーズなコーナーリングで交差点をクリアーしていく。
体制を立て直してプジョーを見ると、少し差がついていた。
先ほどのコーナーリングの際に、総司は後輪の接地感に違和感を憶え、軽く舌打ちする。
「タイヤがタレ気味だ。早めにケリ付けないとマズイかも……」
急発進に続き急加速。全快での車線変更に高速コーナーリングと、マシンを少々酷使してきたので、早くもタイヤが熱ダレを起こし始めていた。
猛スピードで追いかけてきた総司の方が、先にタイヤが駄目になることは明白である。「少し荒っぽいけど、やってみますか」
そう言って総司はマシンを加速させた。
一方プジョーでは、ドライバーの白人が、ミラーを見ながら少し苛立っていた。
「あの小僧、なかなかやるぜ。離れねぇでついてきやがる……」
そう言ってまたハンドルを切る。
このあたりは湾岸に近く、貨物の港が近くにあることで大型車が多数出入りすることもあり、比較的道路が広い。
対向車にさえ気を付ければ派手なアクションでコーナーを攻めても道路脇の障害物に衝突する心配はなかった。
左折や右折を繰り返しているうちに、いつしか人通りの少ない、倉庫街のような場所に入っていった。
「そうそう遊んでも居られないんで、このあたりで……」
そう言いながら、総司は制服のブレザーのボタンを左手ではずす。
前を行くプジョーが、また派手な音を立てて左に曲がりかける瞬間、総司は曲がり角の手前で急にギアを落とし、マシンを横に向けて車体を寝かした。
突然のシフトダウンで後輪がロック状態に入り、悲鳴のような音とともに白煙を上げてマシンが横滑りする。ちょうど車のドリフト状態のような格好で交差点に進入していく。 狂気の沙汰で後ろに流れる風景の中、総司は右手で背中をまさぐり、目的の物を握ると、前を行くプジョーに向け、まっすぐ右腕を伸ばした。
総司の手に握られた物は―――
総司の愛銃、Sig Sauer P229
スイスの銃器メーカーSig社(民間企業ではなく、スイスの国営企業)の自動拳銃である。
同社P228のモデルチェンジ版で強装弾に対応できるよう強化スライドとなっている。銃身とリコイルスプリングを交換するだけで3タイプの各口径弾に対応可能なのが大きな特徴。
威力の大きい、いわゆる強装弾薬の使用が第一義であるため、普通は冷間鍛造プレスで作るスライドは、鍛造された鋼材をフライス盤などの高性能な工作機械で削り出すという工程を経て製造されている為、非常に堅牢かつ高精度なハンドガンである。
撃った瞬間のリコイルショックは比較的鋭いものの、強力な弾丸を撃てるにも関わらず、キレが良いのでブレるということは少ない。
これまで5000挺程度がアメリカの公的機関(主に国土安全保障省)に納入されていたに過ぎなかったが、2006年9月以降、アメリカ軍の一翼を担う沿岸警備隊に.40口径DAOモデルの採用が確認され、年間5000挺の規模でそれまでのM9ことベレッタM92FSに替わる装備として隊員に支給が開始された。
ちなみに総司のP229は10.16mm×23の40S&W弾に合わせてあるが、装填されている弾は、貫通力を強化したFMJ(フルメタルジャケット)で、トークスTセクションの手によって火薬量を15%増しにした物である。このため、バレルもTセクションオリジナルの特殊チタン合金を削りだし加工した特注品に換装してあった。
横滑りする車体に跨りながら、総司はプジョーの左の後輪を狙って引き金を引いた。
ドンッ!
と言う音とともに、強烈なリコイルショックが総司の右腕を走る。片手撃ちと言うこともあり、さすがの総司も、撃った瞬間眉をしかめた。
弾は見事左後輪に命中する。スリップ中であった為、タイヤの炸裂と同時にホイールが接地し火花を散らす。やがてセンターディスクごとホイールが吹っ飛び、車は完全にコントロールを失って、スピンしながら道端の縁石に乗り上げ、街灯につっこんで停止した。
総司は発射の反動を利用して、マシンの体制を立て直し、少し離れた場所にマシンを停車させてヘルメットを脱いだ。
「ふぅっ……怪我してなきゃいいけど」
相変わらずのんきそうな声でそう言いながらマシンを降り、右手に銃を握ったまま大破したプジョーに近づいていく。
車の前の座席をのぞき込むと、運転手は頭から血を流してエアバックの上に伏しながら気絶していたが、ケインは低くぐもった唸り声を出しつつ脚を押さえていた。
見るとダッシュボードと椅子に足を挟んで身動きが出来ないらしい。どうやらこちらはエアバックが作動しなかったらしく、鼻を打ったようで、高く整っていた鼻は醜くつぶれ鼻血を出していた。
左腕も折ったようで、ドア横にだらりとたれたままである。
放っておいても害はなさそうなので、総司は背中のホルスターに銃を仕舞って、後ろの席に収まっているスーツケースを車外に引っ張り出し、車からちょっと離れて開けてみた。
苦痛に顔を歪ませ、びっしょり汗をかいた美咲が唸りながら総司を見ていた。
総司は美咲を起こすと、腕、脚と順番に拘束をほどき、最後に猿ぐつわをはずした。
「うは――――っ! はあっ、はあっ……しっ、死ぬかと思ったっ……」
髪をべったり顔に張り付かせ、開口一番美咲はそう言った。
あれだけの衝撃を、スーツケースの中で食らいながら、気絶してない美咲のタフさに、正直総司は少々驚いていた。
とりあえず、美咲にコレと言った怪我が無いことを確認した総司は、立ち上がれるよう手をさしのべて美咲に言った。
「怪我が無くて何よりです。改めまして、トークスの神道時総司です」
やはり、この状況下ではピントのずれた声音だった。そんな総司の物言いがかんに障ったのか、美咲は差し出された手を払いのけた。
「怪我ぁ? 怪我がない!? 今、怪我が無いって言った!? 冗談じゃないわっ!」
そう言って美咲は両腕を巻くって総司に見せた。肘の下あたりが擦りむけて、うっすら血が滲んでいた。
「怪我ならあるわよっ、ほらっ、此処! 此処も! 此処にもっ! 頭の後ろにもタン瘤出来たし、腰だって膝だって痛くてたまらないわっ! 擦り傷だらけでお風呂に入れないじゃない! どうしてくれんのよっ!! 」
総司を睨みながら、美咲はなおも喚く。
「いったい何なのよコレは! 楽屋にいたら突然キン肉マンみたいな外人に羽交い締めにされるは、縛られて鞄に詰め込まれるは、あっちこっちぶつけて瘤だらけになって、汗だくになって出てみたら車事故ってて、変な高校生が間抜けな声でボディーガードだとかって……あ――っもうマジ、サ、イ、ア、クッ!」
額にかかった髪を煩わしそうにかき上げ、総司の制服のネクタイを引っ張り総司の顔を近づけてさらに詰め寄る。
「一体全体何なのよっ! 納得の出来る説明してよっ! 今すぐっ!! 」
「いや、説明って言われても……」
美咲の剣幕に、少したじろいで、困った顔をしながら総司が返す。
ネクタイをグイグイやられながらも
『良く通る声だなぁ、さすが歌手だ……』
などと、的はずれな考えをしては、自分なりに納得していた。
そのとき、何か風を切るような音が上から聞こえてきた。
ヒュゥゥゥーッ とかすれた笛の音のような独特の音は、総司の鼓膜にはなじみの音だった。
「伏せてっ!!」
総司の叫びに、反射的にビクッと体を硬直させる美咲に、総司はとっさに覆い被さったとたん、すさまじい爆音が2人の鼓膜を直撃する。
続いて、熱風とともに、硝子や鉄、プラスチックや良くわからない破片がバラバラと振ってきて背中に当たる。
総司は薄目を開けながら振り返り、車の方を見る。
さっきまで車の形をしていた物はその原型をとどめてはおらず、真っ黒な煙を伴う大きな炎が、空を焦がさんとばかりに立ち上っていた。
ケインと、名も知らぬ白人の運転手は、当然のごとく消失していて、人が居たと言う痕跡を完全に抹消していた。
車体フレームも、よほどの高温のためか、ドロドロと溶解していて、今となってはそれが車だったのかさえ判別できなかった。
総司は再びSIGを抜き、周囲に視線を走らせる。至近距離の爆発だった為、耳鳴りが止まず、音による判断は諦める他なかった。鼓膜が破れなかっただけでも良しとしよう。
爆発前の音から察するに、おそらくはグレネードランチャー(擲弾発射器)か、それに類する武器による狙撃だろう。バイポッド(二股脚)支持や据え置き型ではなく、コルトM79やM203と言ったハンディタイプの物だと思われる。
グレネードランチャー(擲弾発射器)
火薬などの力で擲弾(グレネード)を発射する火器の総称。
火薬の発達と共に、殺傷力に長ける爆発物を敵陣に投げ込むため擲弾や手榴弾などが開発されていったが、第二次大戦前後になると従来の人力で榴弾を投げ込む方法から、銃と同じ様に火薬を使って発射される方式が主流になっていった。
第二次大戦では小銃で空砲の反動を使った小銃榴弾(ライフルグレネード)が主流だったが、日本軍は手榴弾や専用の弾薬を発射する「擲弾筒」を大量に投入。
アメリカ軍も、砲兵の支援が得られない前線でも火力を増強できる有効な手段としてこれに注目した。
続く朝鮮戦争で共産側の人海戦術に手こずったアメリカは、擲弾筒に相当する兵器の開発に着手し、さらにベトナム戦争で川岸から哨戒艇を攻撃してくる解放戦線に対抗するため、海軍が擲弾発射機に再注目し、開発を促進させる。
ただし、薬莢を持たない日本式の擲弾筒やライフルグレネードは連射には不向きなので、発射時に砲身内の圧力が上がらず、軽量のランチャーからも発射できる「ハイ・ロー・プレッシャー薬莢」が採用された。
続いて陸軍もM79などのランチャーを開発。これにより歩兵の火力は増大し、さらにM203のような小銃の銃身下に装着する「アッド・オン」タイプが登場したことで、専用の人員を要することなく擲弾発射器が使用可能となった。
種類は様々で個人装備用、車両搭載型、三脚による設置発射型、さらには軌道制御用にコンピューターを搭載した大型のものまでバリエーションに富んでいる。
使用される擲弾も、年を重ねるごとに様々な効果の物が開発され、口径、規模、用途によって使い分けられる。
RPGに代表されるロケットランチャーほどの広範囲な破壊力は無いが、歩兵携行火器では集団対人戦闘はもとより、機甲兵器に対抗出来るとして高い信頼を得ている武器である。
有効射程は400m前後の物が主流であるが、こんな障害物の多い町中では、目視出来る範囲が限られてくる。ここから100mと離れていないはずだ。
飛来音、それに破片が散らばっている様子から判断して―――
総司は、車を正面に見て10時の方向、約50m先、高さ10m前後の倉庫屋上を狙撃ポイントと断定する。
総司は目をこらすが、その場所に人影は確認できなかった。
仲間の始末を狙った物だったのだろう。2発目は無いと判断して総司はSIGを仕舞っって立ち上がった。
「それにしても、町中でデミフレアナパーム(溶解焼夷擲弾)とはね。やってくれるよ……」
ほとんどの残存物を溶解し尽くし、急速に勢いの弱まりつつある炎を見ながら、総司はため息をついた。
「な、なっ……なに!? 何だったの!?……」
アスファルトの上に尻餅状態で座り込み、半ば放心状態で炎を眺めながら、美咲は呟いた。
「立てますか? 」
そう言って、総司はもう一度美咲に手を差し伸べた。
「えっ? あ、ええ……」
まだ、耳の奥がジンジンするが、かろうじて総司の声が聞こえ、その手を握る。美咲は今度は振り払わなかった。
立ち上がった美咲は、額に手を当てて目をつむりながら疲れた声で総司に聞いた。
「いったい何なのよ……あたしにはこの状況がさっぱり理解できない……」
最後の方は少し鼻にかかった弱々しい声だった。
だいぶ回復した総司の鼓膜に、遠くで鳴るサイレンの音が聞こえた。
総司は自分のバイクに跨りエンジンを掛け、美咲の前で停車した。そして後ろの座席横にバンドで固定してあるヘルメットを外して美咲に渡すとこう言った。
「説明は後でゆっくりしますよ。今は此処を離れましょう。乗ってください」
美咲は一瞬戸惑ったが、このまま警察が来ても、状況が全く解らない自分じゃ、警察に説明できるわけが無く、面倒なことになりそうだったので総司に従うことにした。
ヘルメットを被り、総司の腰を抱くようにして後ろに跨った。
美咲が乗ったことを確認した総司は、アクセルをグイッと捻り、左足を地面に付けたままターンを決め発進した。
「でも、どこ行くのよ!」
後ろから美咲が叫ぶように聞いた。
「説明したって解らないと思いますよ」
そう総司は返したが、その言い方に美咲はカチンときた。
『ムッカツク〜! 年下のくせに〜っ!』
そう心の中で叫びながら、総司の背中を睨む。
『お前がボディーガードなんて信じられるかっつーの! こんな餓鬼じゃなくて、やっぱケビン・コスナーが良かったなぁ……』
なんて事を思いながら美咲はため息をついた。先ほど死にそうな目にあったにもかかわらず、そういう事を考えられるという美咲の思考回路は、アル意味異常とも言えるだろう。総司に負けず劣らずの神経の持ち主といえる。
そのとき、夕日が何かに反射してまぶしく光った。
「……? 」
見ると小さい何かの破片みたいな物が、総司の背中の服に刺さっていた。いや、それだけじゃない。よく見れば、背中にはさっきの爆発で飛び散った細かな破片が他にもたくさん刺さっている。
所々焦げて、下の皮膚までいってるであろう穴が空いていたり。
肩口には、おそらく飛んできた破片で裂いたと思われる破けたヶ所が数カ所あり、血が固まって黒くなっていた。ヘルメットから覗く首の部分にも数カ所の切り傷があって、白いワイシャツの襟がうっすら赤く染まっているのが見えた。
続けて美咲は自分を見る。
スーツケースの中で付いた擦り傷や痣などはあるが微々たる物で、あの爆発で付いた傷は皆無である。耳がキーンとしたぐらいと、炎の煤で少し顔が黒く汚れた程度だった。
総司の背中は、自分をあの爆発から守ったが為に傷ついたのだった。
『この子……あたしを守ってくれたんだ』
美咲は心の中で総司をなじったことに、罪悪感を感じて胸に微かな痛みを憶えた。
「ありがとぅ……」
美咲はぼそっと言った。尻つぼみに声が小さくなる。
「えっ? 今なんか言いました?」
「……別に! 何でもない!」
そう言って美咲は腰に巻く腕に、少しだけ力を込めた。
『あたしの……ボディーガードか……』
疾走するバイクの後ろで振動に揺られながら、そう心の中で呟き、美咲は破片だらけの小さな背中にもたれかかった。
少し埃っぽく、焦げ臭かったが、不思議と不快には感じられなかった。
第4話 極東本部
湾岸からバイクで首都高を走り、総司達が有楽町にあるトークス極東本部に着いた時には、もうあたりはすっかり暗くなっていた。
受付で総司が2,3言葉を交わし、2人はエレベーターで上階に上がり、少し大きめの応接室に案内された。
美咲がビルの割に、割とおなじみな応接室の内装に意外性を感じながら、先ほど案内の女性が持ってきたアイスレモンティーをストローですすっていると、程なくドアが開き、中年のスーツ姿の日本人が姿を現した。
「いや、大変でしたな……加藤さん。ご無事で何よりです」
そう挨拶すると同時に、中年男は右手を差し出してきた。
「トークスGセクション本部長のシモンです。Mr.シモンとお呼び下さい」
「初めまして、叶、美咲です」
名字を微妙に修正しつつ美咲は立ち上がりシモンの手を取った。
「あぁ……これは失礼。どうぞお掛け下さい」
美咲をソファに掛けるよう促し、シモンは美咲の向かいに腰を下ろした。総司はつまらなそうに壁に掛かっている『最後の晩餐』のレプリカを眺めつつ、立ちながらレモンティーをすすっている。
「ご活躍はテレビなど拝見させてもらっております。まぁ、今や日本を代表する女性ボーカリスト、叶美咲を知らない者の方が少ないでしょうが……メディアでお見かけするせいか、初めてお会いする様な気がいたしませんな」
そう言ってシモンは美咲に微笑みかけた。その姿を見ていた総司は、サインを欲しがっていた担任教師の顔とのギャップに半ば尊敬さえ憶えていた。
「と言っても、実はあなたとお会いするのは初めてでは無いのです」
「えっ、私と……ですか?」
シモンの言葉に、美咲は首を傾げた。名前はおろか、顔や声などいくら記憶を検索しても全く覚えがない。そんな美咲の困惑した表情に微笑みながらシモンが続ける。
「憶えてないのも無理はない。あなたがまだ6つか7つの頃ですから……あなたのお父様がいらした大学の研究室で、元気な声で挨拶してくれた可愛い女の子の事を、私は今でも良く憶えています」
そう言ってシモンは目を細める。シモンの言葉の『父』と言う単語に美咲の表情が少し険しくなった。
『話には聞いていたが、この娘の父嫌いは筋金入りだな……』
美咲の表情を見ながらシモンは心の中でそう呟いた。
「今日、あたしは変な外人2人に誘拐されかけました。おっきなスーツケースに入れられてやっと出れたと思ったら、今度は爆弾の爆発に巻き込まれて……あなた方、ウチの社長にあたしにボディーガードを付けるって連絡したでしょう? 今回の事件とどういう関係なの? 誘拐される憶えも、ボディーガードを付けてもらうような理由も、あたしにはさっぱり無いんですけど。納得のいく説明をしてもらえます?」
一気にそう言い放ち、美咲はレモンティーを口に含んだ。シモンは少し困ったような表情をして美咲に言った。
「確かに、大変な思いをなさったようで、驚かれたと思います……」
「驚かれた!? 驚く暇なんて無かったわよ! マジで死ぬかと思ったわ、いったい何だっていうのよ!」
その美咲の剣幕にシモンはチラッと総司に恨めしそうな視線を投げた。総司は知らん顔でちょうどレモンティーを飲み終えたらしく、ズズッと音を立てた。
「……あなたの身辺警護はお父様である加藤英教授からご依頼があったのです」
「えっ?……」
「実は、加藤教授は一昨日の晩、ロンドンでお亡くなりになりました……」
その言葉に美咲は押し黙った。その目には明らかに動揺が見て取れる。
「加藤教授は我がトークスのロンドン支局で、ある重大な件に関わっていました。そしておそらくそのことが原因で何者かに殺害されたと思われます……」
「殺害って……殺されたの? まさか、さっきの連中……」
「おそらく同一の組織でしょう。……」
シモンは沈痛な趣で、静かに続ける。
「お亡くなりになる数時間前、教授は支局に電話を入れました。『娘を守ってほしい』と言い残したそうです。それが教授の遺言となりました。おそらく教授は自分が殺害されるのを予期していたんでしょう……」
「予期してたって……あの人が関わっていたってっていう重大な件って、いったい何なの? 」
「教授が長年研究してきた事に関係があります。教授の説が正しかった証明できるある物の所在を示す、決定的な手がかりを見つけたようです」
「ちょっ、ちょっと待ってよっ……あの人が長年研究していたのは……」
「そうです……キング・アーサーです」
美咲は絶句した。
確かに父が研究していたのはアーサー王の伝説だった。美咲は子供の頃から、暇さえ有れば父にアーサー王の伝説を聞かされて育った。子供の頃はそれでも良かったが、大人になるにつれてそんな伝説を実際にあった事のように研究する父は非道く滑稽に美咲の目には映った。
程なくして学会から追放され、生活が厳しくなっていっても尚、個人的に研究を続ける父を次第に軽蔑する様になっていた。
家族を顧みずに自分の研究に没頭する父と、生活を支えるべく仕事に家事にと奔走する母の姿を見て育った美咲のなかで、父は憎しみの対象になっていったのだった。
「馬鹿言わないでよっ……何でおとぎ話の研究で殺されなきゃなんないわけ」
美咲は吐き捨てるように言った。
「おとぎ話……ではないのですよ」
シモンは静かに呟いた。
「少なくとも聖剣エクスカリバーは実在する……教授はそれの手掛かりを見つけたのです」
そのシモンの言葉に美咲は呆れてこう返した。
「トークスってカルト宗教もやってるの? こんな高校生まで洗脳しちゃって、胡散臭いったらありゃしない。TVのUFO特番の方がまだ信憑性があるわ。バカバカしい……」
美咲のそんな物言いにもシモンは全く動ぜず、話を続ける。
「信じられないのも無理はないでしょう。あなただけでなく、世界中のほとんどの人があなたと同じ考えだと思います」
美咲も聖剣エクスカリバーの事は伝説で知っている。子供の頃父が話して聞かせたせいで普通の人よりも詳しい。伝説によれば大魔導士マーリンが造った剣で岩に刺さったそれを幼いアーサーが抜くことによってブリテンの王になるといった話だ。
それを携えた者は不死身となり、世界を統べる力を手にすると言う神秘のアイテムでゲームなどでも最高級のアイテムとして良く登場する剣である。
「ですが裏社会では、聖剣が実在するであろう事は以前から言われていたことです。実際いくつかの国家は秘密裏に専門の機関を使って調査をしています」
「国家って……何のためにそんな……」
「もちろん……世界を統べると伝えられる『力』を手に入れる為です」
シモンは冷静にそう答えた。
仮に、百歩譲って聖剣が実在したとしても、それにシモンの言うような摩訶不思議な力があるとは、美咲には到底信じられなかった。ましてやそんな不確かな物に国家の組織が秘密裏に動いているなんて話しも、マンガやSF映画じゃあるまいし眉唾物だと思わざるを得なかったのである。
「我々は過去、聖剣以外にも様々な伝説上の古代の品々を扱って来ました。その時代はおろか、現代技術でも絶対に造ることの出来ない超技術で造られた品々です。れらは世界中の至る所で数多く発見されています。一部でも表社会に公表されれば、それまでの常識がひっくり返るような物ばかりです。もっとも決して表に出ることはありませんが……そうだ、面白い物をお見せしましょう」
そう言ってシモンは上着のポケットをまさぐり何かを掴むと美咲の顔の前に差し出した。シモンの手のひらには一片が5cm程度の透明な水晶のピラミッドが乗っかっていた。
美咲は不思議そうにその物体を眺めた後、シモンに視線を移し説明を促す。
「これは『平面の五面体』と呼ばれる物です。どうぞ手にとってご覧下さい」
そう言われ、美咲はシモンの手に乗るそのピラミッドをつまんで自分の手のひらにのせてみた。その物体は美咲の予想より重く感じられた。かなり透明度の高い水晶らしく手のひらの指紋までくっきり見える。それ以外は何の変哲もない置物のようだ。
「これが……何なの?」
美咲は水晶から視線を移し、シモンを見る。シモンはニコリと微笑み、美咲に言った。
「そのピラミッドを水平方向から見てください」
美咲はシモンに言われた通り、手のひらを目線の高さまで上げてみた。
すると、そこには何もなかった。
美咲はあわてて手のひらを上から覗き込むと、先ほどと同じ位置にピラミッドはある。 美咲はもう一度、今度はゆっくり手のひらを上げていく。するとどんどんピラミッドが低くなり、目線がちょうど水平になった時点でピラミッドは消失してしまったのだ。
しかし、手のひらに伝わる物の感触や重さには全くの変化が感じられない。つまりこの状態でも、その物体は自分の手のひらに乗っていると言うことになる。
ゆっくり手を下ろしていくと、やはりそれに従いピラミッドが姿を現してくる。
「これっていったい……?」
美咲は目を丸くしてシモンに尋ねた。
「この物体は完璧な5面体でありながら高さ、厚みと言った3次元の概念が存在しない、いわゆる完全な2次元物質なのです」
そのシモンの答えを聞きながら、美咲は何度か同じように手のひらを上下させるが結果は同じだった。
「これは4年前エジプトで発見された物で、発掘された地層から考えて今からおよそ3500年前の物だと言います。誰が何の為に、どうやって造ったのか、又何に使う物なのか、今の我々には全く分かりません。大昔の天才が酔狂で造ったガラクタなのかも知れません……」
そう言いながらシモンは美咲の手のひらからそのピラミッドをつまみ上げテーブルの上に置いた。
「現在の我々にもガラクタにすぎないが……この物体の価値は計り知れない」
テーブルの上にあるピラミッドに、美咲は自分の顔が映るの眺めていた。この小さなピラミッドに秘められた技術は、美咲のような素人にも価値のある物だと分かる。
「私が言いたいのは、こういった物が現実に存在すると言う事実です。そして世界各地で回収されていると言うことです」
シモンは美咲に視線を移しこう続けた。
「その中で希に……とてつもなく危険な品物が発見されることがあるのです。使い方一つで世界を破滅に導く力を持った物です。我々はそれらを『ジャンク』と呼んでいます。」
そう言いながらシモンは立ち上がり、ポケットからカードリモコンを取り出し、天井に向けた。ピッと微かな電子音が鳴り向かいの壁に白いスクリーンが現れ、部屋の照明が次第にその明るさを絞っていく。
「『ジャンク』はそのどれもが現在の人類の手に余ります……コレを見てください」
シモンがそう言うと、スクリーンに映像が映し出される。美咲はスクリーンに視線を移した。
少し古い映像の様で画像に微かなノイズが見える。
場所はどこだか分からないがおそらく外国のようだ。大きな石の箱から、黒人の男二人がなにやら長い棒状の物を取り出している。その周りを数人の男達が取り囲み、その様子見守っている。映像に映っている人数はざっと15〜6人で、肌の色も様々の多国籍集団のようだ。中には日本人であろう人も混ざっている。
その棒状の物は長さ2mぐらいで、先に何か丸い球状の物が付いていた。昔のヨーロッパの方の司祭が使う儀仗の様にも見える。
それが横に用意された木箱に入れられると、周囲の人々が歓声を上げたようだった。音声が無いので分からないが、ある者は抱き合い、またある者は隣の者と握手を交わしお互いをたたえ合っている様子だった。
「これは、今から15年ほど前、イスラエルの古い教会跡の遺跡で発見された『ジャンク』で、アメリカの発掘チームが発見した時の映像です。当時発掘に参加した若い研究員が手持ちのホームビデオで撮影した物を後から我々が入手しました」
そうシモンが説明する。スクリーンに木箱に納められた棒状の物がアップに映し出されている。どのくらい古い物なのか分からないが、埃を払った部分から覗く球体の表面は、黄金色に輝いて見える。
「この箱に収められている棒状の物は『インドラの矢』と呼ばれる物です。旧約聖書に出てくるソドムとゴモラを滅ぼした『神罰の雷』を引き起こしたとされる伝説の『武具』です」
場面が変わりスクリーンには別の映像が映し出された。様々な機材が並ぶ実験室の様な部屋で、数人の白衣を着た人が動き回っている。部屋の中央に先ほど移っていた棒状の物体が机の上に固定されているのが見える。球体の部分と棒の部分に数本のコードがくくりつけられていた。
「持ち帰った『インドラの矢』はアリゾナの研究室へ運ばれ、その後の研究で、この物体が高周波に反応する事が分かりました。そこで研究者達は段階的に高周波の周波数を上げてみる事を試みたようです。これはその時の実験の様子です。転送映像ですので所々で若干の映像の乱れがあります」
映像では、実験が開始され、計器に映る数値を記録する数人の研究者が映っている。しばらくして、棒の先端にある球状の物体が黄色く光り出した。
数人の研究者達がその成果に喜び合う様子が見える。
しかし―――
光の度合いがどんどん膨らむにつれて、急に研究者達が慌ただしく動き始める。一人の男がなにやら大声で怒鳴っている。どの顔にも動揺が浮かび、明らかに予想外と言った様子だった。その間にもどんどん光が強さを増していく。そしてスクリーンが真っ白になった瞬間、ノイズとともに映像が消失した。
次に画面が切り替わり、上空からの映像が映し出された。
「そしてこれは人工衛星からの映像です。中央に小さく映っているのが研究施設です」
モノクロの画像で映し出された地表に、ぽつんと白い点が現れ急速に丸く広がっていった。そしてまた画面が切り替わった。
今度も上空からの映像だったが、先ほどよりも低く、ヘリコプターかなにかからの映像だった。赤茶けた大地にとてつもなく大きな穴が空いていて、穴の周囲からうっすらと煙が上がっている。
美咲は月のクレーターを連想した。
「これは実験開始から8時間たった後の施設上空2000mからのヘリによる撮影です。深さ約20m、研究施設から半径4kmの地表が完全に消滅しています。すさまじいエネルギーです。幸い機密保持のためか、施設の周囲30km圏内は無人だったため事故の規模の割に被害は少なかったですが……それでも千人弱の人間が一瞬にして消えました」
映像が終わり、照明が点灯し始め、部屋は最初の明るさを取り戻した。
「この件は化学施設の爆発事故として公表されましたが、今見ていただいたのが真実です。この事故の後、研究施設のあった地点から『インドラの矢』は全くの無傷の状態で回収されました。我々トークスは米国に圧力を掛けてこれを入手し封印しました」
そう言ってシモンはまた美咲の前に座った。
「これが『ジャンク』です。こういった物が他にもまだまだ有ります。誰が、どのようにして造ったのかは分かりません。確かにこれらを有効利用すれば我々人類はさらなる発展が望めるでしょう。しかし一歩間違えれば、今見たとおり自らを滅ぼしかねない諸刃の剣なのです。核など比べ物にならない驚異です。利用どころかその力の制御すら現在の化学力では不可能な物ばかりですから……今の我々には明らかにオーバーテクノロジーです」
確かにシモンの言うとおりだと美咲は思った。あれは人が触れてはいけない力だ。
「……聖剣にもあんな力があるって事?」
美咲は先ほどの映像を思い出しながらシモンに聞いた。
「伝承に記された『世界を統べる力』が、どういった力かは分かりません。ですがその力を手に入れようと各国が秘密裏に動いているのは確かです。伝説の通りであるなら、間違いなく『ジャンク』ですね」
そのシモンの言葉に美咲は少なからずショックを受けていた。子供の頃から父に聞かされていた話しに、そんな途方もない秘密が隠されていたとは思いも寄らなかった。しかし映像であったにしろ、シモン達が呼ぶ『ジャンク』と呼ばれる物の存在を目の当たりにした今となっては信じざるを得ない。
「もしそんな力が悪意ある者の手に渡ったら……教授は命をかけてそれを阻止しようとしたのです」
テーブルの上で光を放つピラミッドを眺めながら、美咲は父のことを考えた。
あの人はいつから気付いていたんだろう……
地位や名誉、家族を捨ててまで聖剣を追い求める父の姿を想像しながら、もうずっと以前から気づいていたのだろうと思った。そして自分の運命さえも……
「あたしを襲ってきた連中……あの連中もその力が目当てって訳ね」
「そう見てまず間違いないでしょう。相手の組織については今のところ不明ですが……」
「でも……何であたしが狙われるんだろう? 確かにあの人と血の繋がりはあるけど、もう何年も会ってないし、もちろん聖剣の事なんて全く知らないのよ? 」
そう首を傾げる美咲にシモンはこう答えた。
「亡くなる直前に入れた連絡で、聖剣にまつわる何か重要な物を娘であるあなたに送ったと言ったそうです。最近、あなた宛にお父様から何か送られて来た物はないですか? 」
「あの人から……? 」
美咲は少し考え、ある物に思い当たった。5日ほど前、国際便で父から誕生日プレゼントが届いたのだ。もう何年も会っておらず、連絡もない。まぁ、自分から連絡を取ろうなどとは絶対に思わないし、半ば存在を忘れかけていた父からの贈り物だった。何を今更と思い、一瞬捨てようかと思ったが、とりあえず中身を確認したのだった。
「コレのこと? 」
そう言って美咲は携帯を取り出した。ストラップの所に金色の飾り枠にはめ込まれた赤と白の石が一つづつ、その間に剣をかたどった銀の飾りがぶら下がっている。
「元は鎖が付いていたからネックレスじゃないかな。捨てようかと思ったんだけど……」 透明の赤い石と白い半透明な石の裏に、ドラゴンの掘り絵の細工がしてあり正面から見るとドラゴンが透けて、まるでドラゴンが石に封じ込まれている様に見える。軽蔑する父からのプレゼントを首から下げるのを嫌い、捨てようかと思ったが、その神秘的な石の輝きに惹かれペンダントトップだけを携帯に付けて持ち歩いていたのだった。
「赤と白のドラゴン……確かに神秘的ですな」
そう言ってシモンはその飾りを覗き込む。いつの間にか総司もそばに来てそれを眺めていた。
「これと手紙があっただけ。手紙は頭だけ読んで捨てたわ……どうせ聞くようなこと無いし」
「確かウェールズの国旗には赤のドラゴンが描かれていた。ウェールズの初期の物語集【マギノギオン】の写本である【リゼルフの白本】と【ヘルゲストの赤本】では赤の竜ブリトン人と白い竜サクソン人の戦いが出てくる。果てなく続くその戦いはコーンウオールの猪(アーサー王)が現れて白い竜を踏みつぶすまで終わらないとマーリンが予言し、ウーゼル・ペンドラゴン王とイグレーヌ王妃との間にアーサー王が生まれ、彼が王に即位した後も、マーリンはアーサー王の宮廷にたびたび現れては、戦略や政治に力を貸し、王の陰の力となったと伝えられる……」
そう言って総司はグラスをテーブルに置き、腕組みをしつつ続ける。
「赤と白の竜に一振りの剣……コレには何か特別な意味がある……奴らの狙いは、おそらくコレでしょう」
美咲はその総司の言葉を聞きながら二つの石を眺めていた。
今となってはこれが唯一の父の形見である。
そんなことを考えていると、ふと自分は父のことを何も知らないことに気が付いた。いや、知らないのではなく、知ろうとさえしてこなかったのだ。
父が何を見つけ、何を背負い、何を考えていたのか……
生活苦にあえぎながらも笑顔を絶やさずに暮らしていた母とは対照的に、家族を顧みずに自分の研究に没頭する父の背中を憎しみの対象として見てきた自分は、父と向き合うという基本的な選択肢を自分から捨ててしまったのだ。
父はこの世を去る瞬間に何を思ったのだろう……
さかのぼれば、母の葬儀の折、自分が投げつけた侮蔑の言葉を、父はどんな気持ちで受け止めていたのだろうか……
だが、父がこの世を去った今となってはそれを知る術はなかった。
美咲の胸に一抹のむなしさが去来していた。それと同時にもう一つのある衝動がわき上がる。
「あたし……知りたい……」
美咲は静かに呟いた。
「あの人が何を考えていたのか……あたしと母を捨ててでも守ろうとした物が何なのか……」
シモンと総司は黙って美咲の話を聞いていた。
「そしてもし、そこまでしてあの人が守ろうとした物にそんな力があるとするなら……あんな連中なんかに絶対に渡したくない! じゃなきゃ母もあの人も浮かばれないわ」
美咲の心にある決意が沸いた。
「あたし、イギリスに行きたい。行ってあの人が何をしてきたのか確かめたいの」
シモンは美咲の目を見つめた。その目は固い決意を裏付ける輝きに満ちている。
「確かに……聖剣はおそらく英国のどこかにあると我々も睨んでいます。今日襲った連中もそれは考えているでしょう。あなたがこの石を持って英国に行くと言うことはさらなる危険が待ち受けているという事です。それでも行くと?」
「覚悟の上よ」
美咲は間を置かずに答えた。
『少し薬が効きすぎたな……』
シモンはそう心の中で呟きながら少し後悔した。そこに総司が口を挟んだ。
「でも、美咲さん。仕事はどうするんですか? 」
「しばらく休業する。幸いライブとかは無いはずだし、社長はうるさいだろうけど……一応話してみる。最悪辞めるってゴネれば何とかなると思う」
その様子を見ていたシモンは懐から携帯電話を取り出しダイアルした。
「―――ああ、Gセクションのシモンだ。至急桑江Sプロモーションの社長に連絡してくれ。叶美咲はしばらくの間休業する。我が社に所属していた父親がイギリスで亡くなったため遺体を引き取りに行く為だ。それと、その間の休業補償はそちらの希望額を我が社で支払うよう付け加えてくれ……」
シモンの言葉に美咲は驚いて目を丸くした。父の遺体の引き取りの件はともかく、休んでいる間の事務所の損害額全てを、しかも事務所の希望額で支払ってくれるなんて思っても見なかったからだ。うちの社長のことだ、その条件なら2つ返事でOKするだろう。
そこで一旦シモンは携帯を離してこう言った。
「あなたが辞められと困る。私もファンなんですよ……ああ、それとロンドン行きを手配してくれ。ガーゴイルの移動だ。2人分……よろしく頼む」
そう言ってシモンは電話を切り、美咲にウインクした。
「と言うわけだ。頼むぞ総司」
シモンは総司に向き直りそう言った。
「やれやれ……でもまぁ、僕も聖剣には興味あるしな……」
「でも、そんなヤバそうな相手が襲ってきて、この子一人で大丈夫なのかな? 」
美咲は心配そうに尋ねた。確かに昼間、救ってくれたのはこの少年だった。しかし美咲は総司が戦っている所は見ていなかった。自分よりも背が低く、どう見ても平凡な高校生にしか見えない。
「それは安心してください。こう見えても彼はこういう事に関しては専門ですから」
シモンは自信を持って美咲に答える。
「あなた達って……いったい何者なの?」
「トークスの暗躍機関Gセクション……『ジャンク』を悪意ある者の手に渡る前に、速やかに保護、若しくは破壊するのが、我々の任務です」
そう言ってシモンは総司を見る。美咲もつられて総司を見た。
「彼は我がGセクションのエージェントなんです。それもとびきり優秀の……」
美咲は自分の隣にいるこの少年が、そんな秘密組織の工作員だとは到底思えなかった。
「『ガーゴイル』……それが彼のコードネームです。この名前は裏社会では結構有名なんです」
「ガーゴイル……」
そう言えば、今日楽屋で襲ってきた外人達もそう言っていたような気がする。そんなことを思いながら美咲はまじまじと総司を見た。
欠伸をかみ殺し、どことなくぼうっとした総司の姿に、やはり一抹の不安を覚える美咲だった。
第5話 旅立ち
極東本部での話の後、再び襲われる可能性のある美咲は、シモンの配慮で近くにあるトークス傘下のホテルに泊まることになった。
翌朝、総司はイギリス行きの用意をするべく、美咲と一緒に彼女のマンションに向かった。大抵の物はトークスのロンドン支局の方で用意すると美咲に伝えたのだが、美咲は自分の部屋に入ってからなかなか出てこず、総司はマンションの前で約1時間ほど待たされる事になった。
マンションのエントランスで、いい加減待ちくたびれた総司は、美咲の部屋に行こうとエレベーターに脚を向けた時、「おまたせ〜」と言いながらエントランスに現れた美咲の手には、パンパンに膨れた大きなスーツケースが引きずられていた。
「何にそんなに時間かかっていたんですか? タクシー待たせているんですから……」
いったい何が入っているのか、美咲の手にあるスーツケースを今この場で開けてみたい衝動に駆られながらも、総司はスーツケースには触れずに美咲に言った。
「何よっ、女の子はね、色々支度に時間がかかるもんなのよ。旅先の着替えとかお化粧とか……後学のために憶えときなさい」
まるで生徒を相手にする女教師のように主張する美咲だったが、どう見ても口紅だけのすっぴん状態であった。
「ちょっと、見てないで運んでよっ。気が利かないんだからまったく……」
美咲の文句に渋々総司はスーツケースを手にとってタクシーまで運ぶとトランクに放り込んだ。持ち上げるときに思いの外重かったので美咲に尋ねてみる。
「いったい何をこんなに持っていくんです? 」
その総司の質問に美咲は
「女の子の鞄の中身をあれこれ詮索するのは失礼よ」
と一括し、さっさと後ろの座席に乗り込んでしまった。
「やれやれ……」
ため息をつきつつ総司はトランクを閉め、美咲の隣に乗り込んだ。
そのまま空港に直行の筈だったが、美咲が用意し忘れたとかで、途中薬局やデパートなどに寄り道をして総司は買い物のにつき合わされる羽目になった。
美咲は買い物のせいで荷物が倍になって仕舞ったためスーツケースをもう一つ購入した。
美咲が家から持ってきたスーツケースが淡いパステルカラーの女性チックなカラーなのに対して、新たに購入した物はグレーの地味なカラーを選んだことに総司が不思議がっていると「はい」と美咲がそのまま総司に差し出した。
「この色だったら持っていても恥ずかしくないでしょ?」
総司はロンドン支局で大抵の物が用意出来るため、小さなリュックのみのほとんど手ぶら状態だったのだが、こうして強制的に荷物が増えてしまったのである。
結局空港内では美咲が持ってきたスーツケースと合わせ、2つを乗せてカートを押す羽目になってしまった。
寄り道をしたせいで時間ギリギリになってしまった搭乗手続きを済ませ、美咲の待つロビーのベンチに戻ってくると、美咲の手にさらにロビー横の売店で購入したと思われるビニール袋が2つぶら下がっているのを見て総司はまたため息をついた。
「今度は何買ったんですか?」
美咲は早速ビニール袋から丸い包みを取り出し、包みを破がしながら総司に言った。
「『空飛ぶ最中』って言うの。前に雑誌で見て、一回食べてみたかったのよね〜 総司も一つ食べる?」
昨日初めてあったにもかかわらず、早くも呼び捨てデスカ……
そうこうしているうちに、出発を告げるアナウンスがロビーに流れ、2人は搭乗ゲートに向かった。
飛行機に乗り込みシートに着くと美咲は「はぁ〜」と声を出しながら背もたれにもたれ掛かかった。
「こんな席、初めて。シートもフカフカだし、広くて足も伸ばせるし最高っ。総司達はいつもこんな良い席移動してるんだ?」
総司達の座る席は完全個室の特別シートだった。4席あるシートはお互い向き合う様に備えてあり、中央にテーブルがある。ちょうど新幹線の座席を反転したときのスタイルだった。右側には少し大きめの窓、左側には大きなモニターが備え付けられている。総司達ガーゴイルは移動中に此処でミーティングなどを行うこともある。
「いつもというわけではありませんが…… この会社の保有するジェットでこの席がある機はコレの他に15機あります。一般の人も使用可能なんですが、ちょっと金額が張るので我々ガーゴイルの移動で使われるのがほとんどですね」
「へ〜、なんだかもったいない話ね」
総司の説明に美咲はそう答えた。
「まあ、この航空会社もトークスの出資ですし…… それに僕たちガーゴイルは突然の移動が多いので席が空いている方が都合がいいんですよ」
「でもさ、よくスパイ映画とかであるじゃない? 自家用ジェットでビューンって。ああいうのをイメージしてたんだけど……」
「場合によってはそれもありますが、航空管制ルートにゴリ押しで割り込むより、こっちの方が効率がいいんです。安上がりですしね。外国は飛行場が広くて余裕ありますけど日本みたいに狭い空港だと割り込むのが結構難しいんですよ。世界的大企業とはいえ、トークスも一応表向きは民間企業ですから……」
「なるほどね……」
そのうちに、離陸前の機内アナウンスが流れ、天井にあるベルト着用のランプが点灯した。その表示を見ながら美咲はシートベルトをしめた。
総司も同じくシートベルトを締めながら美咲を見ると、美咲はイギリスの観光ガイドブックを取り出し眺め始めた。
「あの……美咲さん、それって……」
「あたしイギリス初めてなのよねぇ〜 とりあえず何処を見るかチェック入れとかないと……」
そう言って美咲はページの端を折って印を付けていく。
「……何しに行くんだか解ってますよね? 」
その総司の問いに美咲は軽く答える。
「ええ、解ってるわよ。でもさ、ほら仕事の心配しないで海外に行く事なんて今まで無かったし…… しかも英語も日本語もばっちりのガイドも兼ねたボディーガードが一緒なんて、こんなチャンス滅多にないんだもん」
「ガイド……」
昨日極東本部でシモンに言った美咲の力説はいったい何だったのだろう……
きっと、ガーゴイルのなかで、ガイド扱いされる人間は僕だけじゃないだろうか?
そんなことを考え、総司はため息をついた。
「……ヒースロウまで約12時間。イギリスと日本の時差はだいたい9時間ぐらいです。はしゃぐのも良いですけど、少し寝ておかないと時差ボケでつらいですよ? 」
完全に観光モードの美咲に一抹の不安を感じながらも、総司の頭は、生まれ故郷である英国で待つであろう未だ正体の分からない敵に向いていた
窓の外を眺めていると、景色がゆっくり後方に流れていく。
やがて尻から伝わる振動とともに体に離陸特有のGがかかり、フワリと中に浮く感覚を体に感じる。
聖剣の謎
正体の掴めない敵
そしてワガママお姫様のお守り……
少々厄介なミッションになりそうだなと総司は感じていた。
そんな総司の湯鬱さを表すかのような曇り空の中を、2人を乗せた飛行機は一路英国はロンドン、ヒースロウ空港に向かっていた。
昨夜から降り続いていた雨があがったのは夕方の6時を回った頃だった。あたりが薄暗くなると同時に静かに立ち込める霧は、まるで意志があるかのごとく町全体を怪しく包み込んでいく。
霧の発生率が多いことで有名な此処ロンドンでは、さしたる珍しいことではないが、今夜の霧はその怪しさをより一層引き立てる何かを含んでいるようだった。
ヒースロウ空港のちょうど西側にある倉庫街を一人の男が歩いていた。
身長は190cm前後。鍛えられたであろう屈強そうな肉体を黒い軍用のロングコートに包み、これまた頑丈そうな揃いの軍用ブーツでアスファルトを鳴らしている。
綺麗に刈りそろえられた金髪を逆立たせた精悍そうな顔つきの男だった。
暗くなりかけたこの時間帯にもかかわらず掛けているサングラスには、遮光とは別の目的があるのだろう。ましてや見通しの悪い霧の中でありながら、その歩みは確実だった。 男は不意に立ち止まり、ポケットから煙草を取り出し口にくわえる。右手でスナップを利かせ慣れた手つきでZippoを鳴らし、片手で風を遮りながら煙草の先に火を付けた。
顔の周りを霧の粒子がライターの火に反射して淡い明かりの玉を作り、口元から漏れる紫煙とともにサングラスに映り込む炎が揺れる。その明かりに映し出された男の顔には、左の眉の上から頬に掛けて、抉られたような傷があった。
男は一旦煙草を口から離し、肺に入れた煙を鼻と口から深く吐き出した。
その瞬間、建物の影から闇が男の左右から襲いかかった。
街灯に明かりにキラリと何かが反射しそれが男の顔に伸びた。
突然の攻撃にもかかわらず、男はさしてあわてた風もなく少し状態を反らしてかわし、そのまま体をひねらせコートを翻し右方向から来た物に向けて左拳を突き出す。
鈍い機械音とともに、ヒュゥゥゥンッと言う風が唸る様な音がしたかと思うと、犬の鳴き声のような声が響き渡り、男の傍らで何かかバラバラとアスファルトの上に落ちてきた。
地に落ちたソレからドクドクと液体がにじみ出てアスファルトに黒いシミを作っていく。
アスファルトに転がるソレは、バラバラに刻まれた獣の体のようだ。広がった液体の溜まりの中で、バラバラになりながらも尚ピクピクと痙攣したように蠢いている。
もう一方の影は男にかわされたと見るや、2,3度地面を跳ね、男から距離を取って着地した。
やはりこちらも獣の様な唸り声をあげながら男を威嚇しているが、その挙動は微かに怯えの色が伺える。
街灯に照らされ浮かび上がったその姿はごわごわとした毛に覆われた体つきは人間ではあるが、顔はオオカミのそれだった。赤い口に犬を思わせる犬歯を覗かせ、長い舌から涎が糸を引いている。まさしく数ある伝説に度々登場する人狼そのものである。
男はまるで何事もなかったような佇まいで、また口から紫煙を吐き出し無言でその人狼を見る。サングラスのせいか無表情に見えるが、煙草をくわえる口元が微かに歪み不敵な微笑を作った。
右手を口元の煙草に添えながら左拳を人狼に向けると、やはり先ほどと同じように微かな機械音と風が鳴るような音が走り、次の瞬間、人狼の腕が鮮血をまき散らして肩口から切断され宙を舞った。
獣の雄叫びを辺りに響かせながら、人狼はアスファルトをのたうち回る。
「素晴らしい……」
肩を押さえて唸りながら蹲る人狼の傍らの闇から、声と同時に一人の男が姿を現した。 茶色の品の良いスーツに同じ色のコートを羽織り、これまた同じく茶色のハットを被った初老の紳士然とした男だった。
初老と言っても鼻下に蓄えられた髭は綺麗に揃えられ、肌のつやも良く若く見えるが、鬢に混じる白髪と目元に刻まれた皺から年齢が伺える。一見して裕福な暮らしをしている者だと解りまさに英国貴族を思わせる風体である。
この奇怪で凄惨な場面にはおよそ場違いとも思える人物だった。
「さすが、『ミート・チョッパー』の異名を持つ男……噂通り、いやそれ以上だ」
「これは何の真似だ……?」
初老の紳士の言葉に、男は煙草をくわえたまま問いかける。
「貴公の腕を確かめたくてな……しかしその必要も無かったようだ。見事に細切れだな、ランディ・ガーランド少佐」
「元……少佐だ」
そう言って男は煙草の灰を落とした。
「それで……俺の相手は何処の誰だ? 退屈な話なら断るぞ」
それを聞き、初老の男は喉の奥でぐもった笑いを吐く。
「楽しめると思うぞ……ガーゴイルの神道時総司だ」
それを聞き、煙草をくわえようとしていたガーランドの手が一瞬止まる。しかしすぐ煙草をくわえ、口元を歪め乾いた笑い声を絞り出した。
「奴か……一度会ってみたかった男だ。なるほど……久々に楽しめそうだ」
そう言ってガーランドはまた深く煙を吐いた。煙にくすむ顔の左目の辺り、サングラスの黒いレンズの奥で小さな赤い光が灯る。
その怪しげな光を見つめながら、初老の男は含み笑いを漏らしていた。
やがて夜の闇と、霧の都特有の深い霧が2人の男と片腕を失いもがく獣を包み込んでいった。
ちょうど総司と美咲が英国に向けて飛び立った直後、ロンドンでの出来事であった。
第6話 『ミート・チョッパー』
「寒―――――いっ!」
それがヒースロー空港に降り立った美咲の第一声だった。
「だから寒いって言ったじゃないですか……」
絶叫に近い美咲の声を横で聞きながら、ため息混じりに総司はそう答えた。
「イギリスって国は日本よりもずっと北にあるんですよ。これでも暖流のおかげで同じ緯度にある他に比べると暖かい方なんです」
「でもまだ10月よ、10月。なのに外気温6度って何っ?」
そう言って歯を鳴らす美咲はトレーナーに薄手のグランドコートと、この地域のこの時期の気候を舐めきった格好だったので無理もない。
一方総司はフード付きのダッフルコートを着てはいるが、中はシャツに薄ジャケットとジーンズというこれまた薄着ではあるにもかかわらず、幼い頃からの訓練で鍛えられている肉体は気温の変化にもそれなりの耐性を持っているため全く寒がった様子はなかった。
「日本じゃまだクリスマスの飾り付けさえやってないって言うのに……まるで12月の気温じゃない」
総司からイギリスは少し寒いかもしれないと忠告を受けていた美咲だったが、完全に舐めていたことを思い知ったのである。パンパンのスーツケースの中には冬の洋服はフリース1枚くらいしか入ってはおらず、出るとき苦労して詰めたものの、中身はおそらくこの旅では着れない物ばかりであった。
「東京とはだいたい10度くらいの気温の差ですが、風が冷たいので体感的にはもっと寒く感じるでしょう……向こう出る前に説明したと思うんですが……」
その総司の説明にブルッと震えて美咲はため息をついた。
「セーターとダウンジャケット持ってくれば良かった……」
総司は知らないが、美咲はスーツケースの中になんと水着まで入れていたのである。総司がそれを知っていれば、今のコメントもまた違った物になっていたかも知れない。
とりあえず入国カウンターで手続きを済ませ、2人はロビーに出た。
イギリスは昔から日本同様入国審査が厳しい事で有名である。米国で起きた9.11のテロ以降はさらに厳しく時間が掛かる様になったはず筈なのだが、ガーゴイルである総司はほとんどフリーパスで抜けることが出来る。トークスが長年積み上げてきた各国家中枢への根回しは強力な力にまで成長しており、こういった入国の審査などは電話一本で国家のVIP並みの対応がなされ、よほどのことがない限り長々と質問されたり手荷物を調べられたりと足止めをされることはない。
実際な話し、金と力その両方を持ち合わせる限り、世界中の国はその門を快く開くのである。
「おっきな空港ねぇ〜 」
ロビーのエスカレーターを降りながら美咲は感歎を漏らした。暖房の利いたロビーに入って多少落ち着いたらしく、ぐるりと辺りを見回していた。
「ここヒースローはイギリス国内では最大級の国際空港です。イギリスの空の玄関口と呼ばれていますよ。ヨーロッパの中でもかなり大きい空港で、世界第3位の取り扱い旅客人数を誇ります」
美咲の言葉に総司はスーツケースを押しながら答えた。
「歴史も古く、最初に作られ滑走路が1930年ですから、実に76年にもなります。Great Western Aerodromeと言うのが当時の名前ですが、この空港完成時に遮断されてしまったヒースロー通という道の名前が現在のヒースロー空港の名前になったと言われています」
へぇ〜、と言う美咲の返事を聞きながら総司はなおも説明を続けた。
「第二次世界大戦が始まると、クロイドン空港の代替として少量の商業空輸が取り扱われるようになりましたが、1944年にイギリス空軍に接収されます。軍港として使用される筈でしたが運用前に終戦を迎え、その後1946年1月にイギリス民間航空局に返還され、1946年に民間空港として開港しました。この頃のヒースロー空港は、プロペラ機用の短い滑走路でまたあらゆる風の向きでも離着陸可能なように交差していたのですが、その後近代的な配置へと改良が進められ、1986年にターミナル4が開業して現在の形になりました。日本からの国際線が着くのは、主に今我々が降りたターミナル3です。その向こうに工事中の建物が見えるでしょう? あれが2008年開業予定のターミナル5です」
「さらに大きくするんだ?」
「いえ、それに合わせて現在のターミナル2が閉鎖・解体されるのでターミナルの数は4つのままです。ターミナル5の開業に合わせてヒースローは日本の成田空港を参考にした、乗り入れ航空会社のアライアンス別ターミナル振り分け方式になる予定です。狭い、混み合う、使用料が高いなんていうクレームの多い成田空港ですけど、発着関係のシステムに関しては意外に評価されているんですよね」
その総司の説明に美咲が感心する
「詳しいわねぇ……ひょっとして空港マニア? 」
「いえ、そんなんじゃないんですけど……」
総司は言葉の語尾を濁しながらそう答えた。
確かにガーゴイルである総司の頭には各国の主要な空港は構造から内部事情まで相応の知識はインプットされている。しかし此処ヒースロウ空港だけは別の理由で詳しかった。
施設の構造、航空管制、非常回線経路、警備員の配置や巡回経路。さらには国家要人の緊急時脱出通路の位置まで把握してある。
それは、総司の過去に起因していた。
何度ここを訪れ、王室専用機発着ゲートまで警護の任に付いたことか…… 全てある人物を守るために。
「昔、よくここでの仕事が多かったもので、それで詳しいだけですよ」
そう発する言葉に、総司には珍しくわずかに寂しさを含んだ声だった。
「それより、これから外に出てタクシーに乗ります。その格好じゃ寒いですから、そこのお店で防寒装備を整えましょうか」
気を取り直し、総司はそう言ってロビーの脇にある少しカジュアルな洋服のショップを指した。
「賛成! 是非そうしましょ。マジで凍死したら洒落になんないし」
その総司の提案にすぐに同意し、そう言って一人さっさとショップに向かった。
「凍死って…… 相変わらずオーバーな人だな……」
落ち掛けた眼鏡を中指で直しながら総司はそう呟き、美咲の後を追ってスーツケースを押していった。
ショップで適当に冬物の洋服を購入し、試着室を借り買った服に着替えた美咲を伴い総司はロビーを出てタクシー乗り場へ向かった。
外は多少日が差すものの雲が多く、風は冷たかった。購入したばかりのダウンジャケットのジッパーをアゴまで上げても尚、「寒い、寒い」を連発する美咲をよそに総司はタクシーを選びトランクを開けてスーツケースを放り込んだ。
飛び込むようにタクシーに乗り込む美咲の後に続き、総司も後部座席に乗り込んだところで運転手が話しかけてきた。
「お客さん、日本からかい?」
英語だったが、少し訛りがある。年齢は30代後半と言ったところで陽気なしゃべり口調の運転手だった。訛りの調子からスコットランドの出身ではないかと総司は推測した。
「ええ、日本の成田からさっき着いたばかりです」
そう総司は返した。運転手の口調が少々早口な事もあり、美咲には何を喋っているかさっぱり解らない。
「日本じゃまだ暖かいって聞くが、こっちは寒いだろう? 先週乗せた日本人も偉く寒がってたよ……で、何処まで行く? おきまりのピカデリーサーカスかい?」
どうやら観光客と思ったらしい。ピカデリーの発音に美咲が反応したが、それを制して総司が答える。
「いえ、シティに行ってください。キャノンストリートまで」
「シティ? オイオイ、あんなとこビルばっかで観るトコなんか無いよ? まさかあんちゃん株でもやんのかい? 」
運転手はミラー越に総司を見ながらジョーク混じりにそう言った。
「知り合いを訪ねに行くんです」
そう総司は答えた。
シティとはテムズ川のちょうど北側、歌で有名なロンドン橋近くの一角でビショップズゲート通り、リーデンホール通りとキャノンストリートが交差する場所には、有名なロイズ保険取引所、はす向かいには王立取引所、その隣には世界3大市場の一つであるロンドン証券取引所がある金融街であった。
その匆々たる建物街の一角に世界企業トークスのロンドン支社があった。
「ねえ総司、この人今なんて言ったの? これから何処に行くの? 」
あれこれ聞いてくる美咲に総司は、自分たちを観光客だと思ったこと。これから向かう行き先など、今の会話を美咲に通訳した。
「あたしもピカデリーサーカスに行きた〜い!ショッピングだってしたいし……」
「あのデスね…… 今回の旅の目的、美咲さんちゃんと理解してますよね? 」
「そりゃあ解っているけど……」
そう言いながらも、「だって……」や「でも……」などブツブツ文句を言う美咲に諦めたように総司が言った。
「解りましたよ。ピカデリーサーカスは後でちゃんとご案内します。どっちみち僕も用事があるので……」
その総司の言葉に美咲は目を輝かせて反応した。
「ホント? やった〜! あとね、バッキンガム宮殿でしょ、英国博物館でしょ、セントポール寺院も見てみたいし、ハロッズデパートやセルフリッジ・デパートで買い物してフォートナム・アンド・メイソンでお茶なんてのも良いわね……」
脳内で勝手な観光プランを入念に練り上げる美咲を後目に、総司はため息をついた。そもそもセルフリッジは良いにしても超高級店であるハロッズデパートや、王室御用達のフォートナム・アンド・メイソンなんて店に、この人はどんな服装で入るつもりなんだろうか? と心配する総司だった。
「それじゃあシティで良いんだな」
そう言って運転手はギアを入れ車を発進させた。古い型のシトロエンなせいか発進時に少しエンジンが咳き込む。
「ええ、お願いします」
車はウインカーを出しながらレールウェイに入った。運転手はミラー越しに総司を見ながら話しかけてきた。陽気な人の多いスコットランド人だが、この運転手も根っからの話し好きらしかった。
「最近は少なくなったがあんたらみたいな日本人を狙ったボッタクリのタクシーもまだある。あんたは達者だが日本人はその娘みたいに英語が旨く使えない人が多いからな。金額言えば素直に出しちまうんだそうだ」
確かに日本の教育システムは世界に類を見ない高水準ではあるが、こと英語教育に関しては眉唾物と言わざるを得ない。日本を出てみると解ることだが、日本人が習う英語は他の英語圏の国ではほとんど使い物にならない。単語のスペルや文法などよりも先に会話力を養う教育に切り替えていかなければ国際社会では通用しない日本人になってしまうだろう。
英語を話せると言うことは、世界10億の人間とコミュニケーションを図れると言うことなのだ。
「俺はそんなことしないから安心して良いよ。こう見えてもそう言うところはマジメなんだ」
そう言って運転手は笑った。
車はレールウェイを抜けたところで右手に曲がった。
「ちょっと近道するか……」
そう呟きながら運転手はハンドルを切った。総司は頭の中で空港周囲の地図を思い浮かべながら車の動きをトレースする。
彼の言うとおり此処を曲がって倉庫街を抜ける方が近道だ。確かに良心的な運転手のようだ。総司は敵の刺客ではないとの判断を下し、彼に対しての警戒を解く。
するとしばらくして、パンっと音がしたかとおもうと、程なくして車体ががたがたと揺れだした。
「くそっ、パンクだ。憑いてねぇな〜 」
そう言いながら運転手は道路脇に停車させ車を降りた。
「何なの? 」
美咲が総司に聞いた。
「パンクみたいですよ……スペアに交換するんじゃないですか? 」
運転手は後方に周りタイヤを調べながらため息混じりに嘆いた。
「参ったな〜 何踏んづけたんだ。ズタズタだよ」
美咲の乗っている席の方に回ってウインドウ越しに話しかける。
「タイヤがイカレちまって交換するからちょっと中で待っててくれ」
「解りました」
と総司が答えた瞬間、美咲の横のウインドウが、まるでペンキを被ったかのように真っ赤に染まった。
――――!!
「きゃっ!」
びっくりした美咲が驚きの声を漏らす。
ウインドウの硝子に赤い絵の具のような液体がしたたり落ち、所々に肉片がこびりついて居る。ちょうど美咲の目線に運転手のものであろう親指と耳の破片が硝子にくっついていた。
「きゃああああああっ!」
それを確認した美咲が再び、今度は絶叫しながら後ずさった。
なおも後ずさろうとする美咲の背中を支えながら、瞬時に総司は索敵を開始する。車内からぐるり四方を見回すが敵の姿は確認できない。
「美咲さん、ちょっと待っててください」
そう言ってオープナーに指をかける。
「えっ、ど、どうするの?」
「外の出ます」
その総司の言葉に美咲が反論する。
「ちょっと正気?」
「ここからじゃ何も出来ませんから。美咲さんは車に居てください」
そう言って総司は車の外に出た。
「ちょっ、ちょっと待ってよっ、イヤよっ、あたし一人で待ってるなんて。あの時みたく車爆発したらどうすんのよっ」
そう言って総司に続いて降りようとする美咲を総司は押さえてこう言った。
「大丈夫です。僕が出た後、この車は物理攻撃による破壊は不可能にします。車内に居れば安全ですから。もっとも出れませんが……」
「えっ? それってどういう事……?」
困惑する美咲を車内に残し、総司はドアを閉めた。そして左手を車の屋根に触れさせながらこう呟く。
「Geostationary(静止)……」
そしてポケットから黒い皮のような手袋を取りだし両手にはめた後、眼鏡を直して背中のホルスターから愛銃Sig P229を抜く。
倉庫街のあまり頻繁に使われていない倉庫なのか、全く人の気配がない。総司は周囲に視線を走らせるが敵の姿は確認できなかった。
総司は素早く車の反対側に回り込み、運転手を確認する。しかしそこに運転手の姿は無く、血だまりの中に細切れの肉塊が散らばっているのみで彼の肉体は原型を留めては居なかった。
パンクしたタイヤに目をやると表面のゴムが何か鋭い刃物で裂かれたかのようにズタズタに裂かれていた。
おそらくパンクではなく、どういう物だか解らないが、先ほど運転手をミンチにした物と同様の物で攻撃されたのだろうと総司は推測した。
すると総司の後ろの方からヒュゥゥゥンという微かな機械音がした。
総司はとっさに跳躍した。ゆうに6mはあろうかと言う高さに跳躍した総司のコートの裾が、刃物で切られたように短冊状に裂ける。
それと同時に車の車体に何か見えない物が当たり甲高い音を鳴らした。
総司は空中で状態を捻り、車の反対側に着地し、ずり落ちた眼鏡を直して立ち上がる。
チラリと美咲に目をやるが、美咲は外に出ようとオープナーを引っ張ってはいるがピクリともしないドアを叩きながらなにやら叫んでいる。それから機械音がした方向に目をやるが誰も居なかった。
「どなたか知りませんが車への攻撃は無駄です。車体の時間を止めましたから……」
総司は車を降りた瞬間、車全体の時間を止めたのだった。先日日本のテレビ局でのボブスンとの戦闘で見せた『物質の時間を止める』と言う技だ。
総司は触れた物の時間軸を3次元から別次元へ『ずらす』ことによって物質の時間を止める事が出来るのだ。時間が止まった物質は、止めた瞬間から時間という概念が存在しなくなるため変形、破損と言った一切の物理的な変異が不可能になるのである。先ほど美咲に『出られない』と言った理由は、車体がドアを閉めた状態で時間を止めるため『ドアを開く』と言う時間が存在しないからである。
つまり総司が解除しない限り美咲の乗っている車は、放射能などの副次的な影響は別にしても物理攻撃なら核ミサイルの直撃でさえ通じない完全なシェルターと化しているのだった。
ただし、1度に止められるのは1つの対象物だけで別の物を止めるには、先の対象物を解除しなければならない。しかも今の総司ではコレが使えるのは1日に2〜3回、止めておけるのは30分が限度だった。
時間の流れはせき止めたりズラしたりすると、自然にそれを戻そうとする働きがあり、それを無理に制御しようとすると次元間に歪みが発生してしまうのだ。
総司のこの力は幼い頃、彼の体内に埋め込まれた『ある物』の力による物で、本来の力を発揮させればさらに複雑で膨大な時間の流れを制御できるのだが、現在の総司はその力のほとんどを封印した状態にあった。そして彼自身、その封印は独自で解除することが出来ない。過去、ある人物に諭され、総司は自分からその力を封印する道を選んだのだった。
Sigを片手に佇む総司の前方から、再びあの機械音が聞こえ、姿無き刃が襲いかかる。
総司は左に飛び退いて交わし、地面に片手を付いてトンボを切る。しかし着地と同時にまた見えない攻撃が襲いかかった。
避けられないと判断した総司は顔を両腕でガードし踏みとどまった。次の瞬間、突風のような衝撃とともに総司のコートのあちこちがナイフで切ったように引き裂かれ、総司の頬に浅い切り傷を残す。
ここで、初めて総司は相手の気配を察知した。総司の鋭敏な感覚に今まで気配を察知されずに攻撃をするとは恐るべき穏業技術の持ち主である。
総司は感じた気配の方に向き、左手で眼鏡に触れる。すると眼鏡の右のレンズに一瞬デジタルノイズが発生し、青紫の風景が映し出される。
総司の掛けている眼鏡はTセクションの開発した暗視機能付き映像解析眼鏡である。ズーム、赤外線暗視、サーモ、動態センサー、光学解析などの機能を内蔵している。眼鏡の蔓の部分に超小型マイクロCPUとメモリチップ、マイクロソーラバッテリー内蔵されていて同じく左の蔓の部分にスイッチが付いており、押すたびに映像が切り替わる仕掛けになっている。
何度か左手で眼鏡の蔓に付いたスイッチを操作すると次々と映像が切り替わる。そして4回目の操作の時に、自分の正面、約20mほど向こうに人間の影を捉えた。
すぐさま総司は横に走りつつSigを構えて放つ。水平に構えての片手打ちだったが、不思議なことに湾岸でバイクに跨りながら放った時と違い、鋭いリコイルにも全く動じない射撃だった。たて続けて3発放ったうちの2発が影の腹部に命中する。
すると今まで誰も居なかったはずの場所に、黒いコートを着た大男がまさに沸いたように姿を現したではないか。
「……やるなガーゴイル」
サングラスを掛けた金髪の精悍な顔立ちの男だった。黒い軍用のコートに身を包んだその体は鍛え抜かれた屈強な体躯である。
「この眼鏡は特別製でね。見えない物が見える魔法の眼鏡なんですよ」
こんな状況でも相変わらず人を食ったようなのんきな口調の総司だった。
「それにしても、オプティカルカモフラージュシステム【光学迷彩装置】か……トークス意外に実用化出来ているとはね」
光学迷彩装置はその名の通り物体を光学的にカモフラージュするための技術で、自身の衣類や機体等の色や模様を背景に合わせリアルタイムに変更することにより視覚的に偽装する、または光を透過・偏光させ 再帰性反射材によって光が入射した方向に反射する素材を用いて物体を背景に同化させてしまういう装置のことである。
発想自体はかなり昔からあってカメレオンの皮膚変色を参考に考えられ、米軍を筆頭に各国もこぞって研究開発している。トークスのGセクションでは、『ジャンク』によって得られた技術を参考にTセクションが3年前に実用化に成功していた装置である。
「フンッ、トークスだけが古代の超技術を独占できているとは思わぬ事だ。超古代の品々は世界各地に数多く存在する……」
そう言って男は懐から煙草を出し、ジッポを鳴らして火を点ける。煙草のパッケージにどくろが描かれていた。
「そんな事はともかく……会えてうれしいぞ。ガーゴイル神道時総司……お前とは1度戦ってみたいと思っていた」
男は煙草をくわえた口元がわずかに不敵な笑みを作る。
「あなたのことは知っています。元アメリカ陸軍極秘実験部隊『ヘッジホッグ』のリーダー、『ミートチョッパー』【肉切り包丁】の異名を持つランディ・ガーランド少佐でしょ?」
総司の言葉を聞きながら、ガーランドは煙草を放して灰をを落とした。
「お前に知ってもらえるなんて光栄だな」
「ソニックブレイドギア【圧縮真空刃射出装置】……左手にそんな物騒な代物をぶら下げてる人なんて、滅多に居ませんから…… 少佐まで登りつめた貴方が軍を脱走して行方不明になったと聞きましたが、今じゃタダの殺し屋ですか? 哀れな物ですね」
そんな刃に衣を着せぬ総司の物言いに全く動じた様子もなく、ガーランドは笑って返す。
「フハハハッ、言ってくれる。確かに普通の人間から見れば馬鹿な話かもしれん。だがそう悲観されることもないぞ? こうやってお前の様な骨のある奴と相まみえることが出来るのだからな……」
そう言いながらガーランドは左腕を突きだし、総司の方に向ける。
「なぁんだ、ただの戦闘マニアですか……」
いつもののんきな口調で総司は少し呆れた様子で答えた。
「さあ、始めようかガーゴイル……願わくば楽しい戦いになる事を祈っているぞ! 」
ガーランドの左腕から、低い機械音が聞こえだした。着ているコートの袖が風に波打つのが見える。総司も右手のSigをガーランドに向け立ちつくす。
くわえた煙草の灰が折れ、次の瞬間ガーランドの左腕から見えざる空気の刃が、前方に佇む総司にめがけて放たれた。
第7話 「ストリート・ファイト」
ガーランドの左腕から放たれた姿無き刃が総司に向かって音もなく走る。
総司はSigを構えたまましゃがみ込み、くるりと体を独楽のように回転させて右に避ける。そして左手を地面に付けながらガーランドの向けてSigを放った。
そんな体制にもかかわらず、総司の射撃は寸分狂わぬ正確さでガーランドの眉間を狙う。しかしガーランドもその射軸を読んでいたらしく、耳の数センチ先をかすめる弾の熱を感じながら驚異的な反射神経で首をわずかに反らして交わした。
だが、次の瞬間、射撃と同時に突っ込んできた総司がガーランドのこめかみに蹴りを放った。
「――――ぐっ!!」
ぐもった声を吐き、煙草とサングラスを飛ばしながら、ガーランドの長身が数メートル先の貨物用コンテナボックス突っ込んだ。飛んできたガーランドの体を受け止めたコンテナボックスは内容物をまき散らしながら大きくひしゃげて見る影もなくなっていた。
総司はゆっくりと体をコンテナボックスに向けながら、コンテナに体をめり込ませたまま動かないガーランドに向けてこう言った。
「いつまでそうして居るんです? サイボーグの貴方が今の攻撃で参るわけがない」
その言葉に反応して、ガーランドがゆっくりと立ち上がった。
サングラスの無いその顔は、精悍な顔立ちで映画俳優でも充分通用しそうなほど整っている。だが、左目から頬にかけて、何かで抉ったような無惨な傷が走っている。そして彼の左目は本来あるはずの眼球は無く、代わりに機械仕掛けの義眼が露出していた。何かのセンサーであろうか、時折赤い光点が明滅しているのが見える。
なまじ、まともな方の顔が整っているだけに、そのギャップが激しく、より凄惨さを醸し出している。
「やっぱりね、思った通りだ。貴方のソニックブレイドは連射が出来ない。空気を取り込み、内部で圧縮して打ち出すのに数秒のタイムラグがある……でしょ? 」
その総司の指摘に、ガーランドは別段気にした風もなく、コートの埃を払いながら答えた。
「やるな……たいした洞察力だ。確かにお前の言う通り、連射が出来ないのが難点だ。良く見破ったとほめてほしいかっ? 」
そう言うが早いか、ガーランドは右手で腰のホルスターから銃を引き抜き、総司に向けて引き金を引いた。2人以外人気のない倉庫街の一角に、けたたましい発射音を響かせながら、ガーランドの銃口が数回火を噴く。
目にもとまらぬ抜き撃ちだったが、総司は神業とも言える反応スピードで横に飛んで交わし、美咲の乗るタクシーの影に入った。
「そんな致命的な弱点を持った武器だけで戦うとは、お前も思ってはいまいっ! 」
そうタクシーに向かって叫びながらガーランドは建物の陰に入って総司から身を隠す。
「FN57【ファイブセブン】か……厄介な銃持ってるなぁ」
総司はタクシーの影でしゃがみ込みながらそう呟いた。信じられない事に、一瞬でガーランドの持つ銃を識別したのである。その動体視力は驚愕に値する。
「確か弾はSS190だったよな……」
FN ファイブセブンとはベルギーの代表的銃器メーカーFN【ファブリク ナショナル】社製の高性能カスタム自動拳銃である。
使用される弾薬は、総司の言ったように新型弾SS190を用いる。この弾は薬莢が従来の拳銃弾のドングリ形ではなく、先の尖った細長いライフル弾を小型にしたボトルネック形状をしているのが特徴だ。
「弾丸の初速が速いから貫通力が凄いんだよな。前見た時は、米陸軍の使ってたクラス3のボディアーマーなんか紙同然だったし……」
総司はチラっと道端に視線を移す。道路脇にあるステンレス製のセイフティポールに、ガーランドの放った弾丸によって出来た穴を確認しため息をついた。
「おまけに特殊弾頭……ハンドガンで何相手にするつもりなんだか……装甲車両でも穴が空くんじゃないの? 」
タクシーの車体から覗き込もうとすると、その瞬間、けたたましい銃声とともに眼鏡の先で火花が散る。
「ぷうっ、音から察しても火薬量もUPしてるみたいだし、至近で食らったらちょっとやばいかも……」
やはりこんな状況でも、どこか緊張感に欠ける総司の口調だった。
Sigのグリップ上にあるマガジンキャッチを中指で押してマガジン【弾倉】を引き出し、残弾を確認する。SigP229は一般的な9mmを使用する場合13+1の14発装填だが、総司の場合40S&Wに合わせた特注弾のため12発装填だ。残弾は9発。予備のマガジンは車のトランクにある鞄の中だった。
現在、タクシーの車体は総司によって時間が止まっている為、有効な掩体となっているが、マガジンを取り出すには車体の時間静止を解除しなければならない。
だが、通常の車体なら、間違いなく穴だらけにされるだろう。車内に美咲がいる以上、その選択は出来なかった。
総司は軽い舌打ちをしながらマガジンをグリップに押し込んだ。
「さて、どうしますか……」
そう呟きながらSigを握る右手に力を込める総司だった。
一方、美咲はタクシーの車内から、2人の常人離れした戦いを唖然とした顔で観戦していた。
「凄い……総司ってば本当に凄かったんだ……」
初めて見る総司の戦闘は、驚愕の一言に尽きた。慣れない美咲には2人の戦いを目で追うのも困難なほどだった。
信じられないくらい高くジャンプしたり、銃弾を避けたり、大男を蹴りだけで数メートルも吹き飛ばすなんて、まるでアニメかSFの世界である。
そして、総司と同様、相手の男もまた常人離れした相手であると感じていた。総司の撃つ弾は避けるし、スーパーマン顔負けのような総司の蹴りを食らって、鉄の箱がくしゃくしゃになるくらい叩き付けられてもピンピンして反撃してくる。
『常人どころか人間じゃないわよ!? 』
と、心の中でツッコミを入れた。そしてそんな敵を相手に、命がけで美咲の身を守るために戦う総司の姿に、美咲は少なからず感動していた。
「総司……」
そう呟きながら美咲は、銃を片手にドアの裏にしゃがみ込む総司を覗き込んだ。その美咲の視線に気付き、総司はニコっと微笑み返す。
「大丈夫、心配しないでください。美咲さんは僕が絶対守りますから……」
そう言う総司を、美咲はウィンドウ越しに見つめる。
これといって特徴が無い、記憶に残りづらい顔。いつもの、少し気の抜け掛かった総司の声だったが、幼さの残るその笑顔に、美咲は心地よい安心感みたいな物を感じた。
「うんっ……」
総司の言葉を何故か素直に信じられた。不思議と恐怖や不安は感じなくなっている。
『総司は絶対守るって言った。あたしはその言葉を信じて見守るだけっ……』
心の中でそう呟きながら、2人の戦いを見守る美咲だった。
この時、美咲の心の一角に、微かにある感情が芽生え始めていた。だが、本人がそれを自覚するのは、まだ少し先のことであった。
美咲がそう頷くのを確認して、総司はまたガーランドの方に視線を移した。
「ソニックブレイドだけならさして驚異ではないけど、FN57が問題だな。無駄弾撃たせて再装填の合間に飛び込むにしても、装弾数はたしか20発……ちょっとしんどいな。Tセクション信じて、一か八かで突っ込むか……う〜ん」
そんなことをブツブツ呟いている総司の足下に何かが転がってきた。ちょうど野球のボールを一回り大きくしたようなそれは総司も良く知っている物だった。
「まずいっ!! 」
総司が叫んだ瞬間、転がってきた物はその場で炎を上げながら爆発した。
「きゃあああっ!」
目の前で突然炎がわき上がり、車の中で美咲が驚いて悲鳴を上げた。
「焼夷手榴弾!!」
爆発の瞬間、総司はとっさにジャンプし炎から逃れた。翻るコートの裾に煙の筋を引かせながら跳躍していたが、その瞬間、自分がミスをしたのを自覚した。
「引っかかったな、ガーゴイル!! 」
身動きの出来ない空中にいる総司の首を、ガーランドの手が掴む。
「ぐうっ!」
掴まれた衝撃で、総司がうめきを漏らす。
「捕まえたぞ、これで終わりだっ!」
ガーランドは総司の首を掴んだまま振り回し、空中から倉庫のめがけて投げつけた。
総司は手の放れた瞬間、ガーランドに向けてSigを放つ。
投げ飛ばされながら放った3発は全てガーゴイルの腕や胸に命中するが、ことごとくはじかれて火花を散らすだけだった。
「この距離で特殊FMJをはじくのか!? 」
総司は驚きの声を上げた。ガーゴイルはそのまま左手を突き付け構えた。左手は空気を十分に取り込み、ソニックブレイドは発射準備が整っている。
「死ねぇ!」
ガーランドの叫びとともに発射された真空の刃が、空中の為身動きの出来ない総司めがけて飛ぶ。
総司はとっさに両腕で首から上をガードした瞬間、総司の体を衝撃波が襲い、着ていた衣服のあちこちが裂けて空中に四散した。だが引き裂かれたのは衣服だけで、総司の体に傷は無かった。ぱらぱらと剥がれ落ちる衣服の下から、黒い皮のようなアンダースーツが顔を覗かせる。
「何っ!? 」
今度はガーランドが驚きの声を上げた。
総司は叩き付けられるはずだった倉庫の壁を蹴り、その反動でガーランドに向かって突撃した。
ズタズタになったコートと服を体にまとわりつかせながら、まるで弾丸のようにガーランドに向かって飛ぶ。ガーランドはとっさに銃を構え、総司に向かって数回引き金を引いた。
轟音とともにガーランドの銃口が連続で火を噴いた。先ほどの総司同様、全て総司に命中するが、総司の黒いアンダースーツに弾かれていく。
「Tに感謝!! 」
総司はそう叫び、ガーランドの脇腹に拳をめり込ませた。
そのまま二人は反対側の倉庫の壁に突っ込んだ。コンクリートの壁を貫き、ガーランドは内部にあった物資につっこみ、総司は倉庫の床に転がりそして立ち上がった。
続いてガーランドも崩れた資材の山から立ち上がり、総司に向き直る。
「さっきもそうだった。貴様、装甲服を着ているのか? しかし……」
FN57の、しかも特殊コーティングされたSS190の特注弾をあの距離で弾くとは……
それにこのパワーは何なのだ? 機械的に強化されたこの俺と互角に殴り合えるなど、信じられん!
困惑するガーランドに総司が答える。
「テクニカル・メック・ウェア【TMW】……トークス技術部、Tセクションの開発した装甲強化スーツです。まだ試作品ですけど」
総司は体にまとわりついた服の破片を引きちぎりながら続ける。
「表面が【デルマンタイト】という特殊な合金繊維で編み上げられていてね、この金属は普段は柔らかいんですが、衝撃が加わるとそれに瞬時に反応して硬度が跳ね上がる性質を持っています。この特性によってほとんどの銃弾を弾けるそうです」
それを聞きながら、ガーランドは銃をしまい、代わりに両手を肩の高さで軽く握り構えを取る。これといって特徴がない構えだが、少し腰を落とし利き足を下げて膝に余裕を持たせた実戦的な構えで、数々の戦場をくぐり抜けてきた者が持つ独特の殺気を放っている。
「なるほど、つまり俺のソニックブレイドは通じないと言う訳か。お互いに銃も効かない。後は……俺の拳でお前の頭を叩き潰すしかないな」
そう言ってにやりと笑った。
ガーランドのその言葉に、総司も銃を仕舞い構えを取った。
一度大きく息を吸い込み、次ぎに深く息を吐きながら両腕を突きだし、そのまま両腕で円を描きながら左手を掌のまま突き出して右拳を腰に添える。軸足を前に出し、利き足である右足を後ろに回しながら踵を浮かせた状態で止めた。
「ほう……珍しい構えだな、空手とも違う。拳法か? 」
総司の構えに目を細めがらガーランドが尋ねた。
「功夫ですよ。色々やりましたが、僕にはこれが一番しっくりくる。特に体の大きな相手と戦う時にはね」
先にガーランドが動いた。軽く体を横に振りながら間合いを詰めて総司のむき出しの顔めがけて拳を繰り出す。
総司はガーランドの腕に右手を擦らしてパンチを上方に反らし、体をひねって腹部に肘を放つ。ガーランドはこれを左腕で払い、そのまま回し蹴りを放つが、予測していた総司はしゃがんで交わし、その場で独楽のように回転しながら右足でガーランドの足を払った。
そしてそのままバランスを失って倒れ込むガーランドの顔めがけて踵を落とす。
ガーランドは間一髪、総司の踵を横に転がりながら交わし、総司の踵がコンクリートの床にめり込んだ。ガーランドは2度ほど転がり距離を取った後、下半身で反動を付けて跳ね起きた。
「ククッ、楽しい、こんな楽しい戦いは久しぶりだ。うれしいぞ、お前のような本物の戦士と出会えるとはっ! 」
ガーランドは笑いながら間合いを詰め、総司を攻撃する。
「5年前、俺はカンボジアで作戦中に爆発に巻き込まれこんな体になった。その後も様々な戦場で戦った。ボスニア、ソマリア、そして中東……だが、どの戦場も俺を満足させてはくれなかった……」
そう叫びながらガーランドは息つく暇もなく総司を攻撃する。あまりの連続攻撃に総司は防戦一方で反撃する暇もないほどであった。
「このギリギリの緊張感! お前のような相手を俺は望んでいたのだ! 全力でぶつかれる相手と巡り会えることは、戦士にとってこの上ない幸福っ! お前もそう思うだろうっ、神道時総司っ! 」
総司はガーランドの放った蹴りを受けた反動で後方に飛び、トンボを切って着地し距離を取って構えを取り直す。
ガーランドの攻撃はそのどれもが、常人では即死を免れない強力な物だ。しかし総司の着ているTMWは表面材であるデルマンタイトの内側に封入されている【ディメイション・グラウト】と呼ばれるゲル状の衝撃吸収素材によって 実に約8tの衝撃に耐える事が出来るのだった。
しかし―――
「同意を求めないでください……」
そう言いながら総司は心の中で舌打ちをした。先ほどから受けているガーランドの連続攻撃の中で、今の蹴りも含めて3発ほど受けた箇所に鈍い痛みを感じていた。たぶん痣、若しくは内出血を起こしているだろう。
いくら衝撃に応じて硬度を増すデルマンタイト合金の表面繊維だとしても、強度が増すだけであって衝撃の吸収は出来ない。おそらくガーランドのパワーが内部にあるディメイション・グラウトの衝撃吸収値を瞬間的に上回っているのだろう。
『長引くと不利だな……』
そう考えるが、ガーランドはそう簡単にはいかない相手である。構えたまま何か突破口は無いかと考えながら周囲見回すと、ガーランドの後ろの2階棚にあるドラム缶が目に入った。
すると、向かい合うガーランドの左腕から、再び機械音が聞こえてきた。
「何のつもりです? 僕には効きませんよ? 」
総司は不思議そうにガーランドに言った。だがガーランドは気にした風もなく、不敵な笑みを浮かべた。
「だがな……こういう使い方も出来るのさっ! 」
そう言ってガーランドは右腕で横に積んであった麻袋を総司めがけて放り投げた。そしてその麻袋めがけてソニックブレイドを放つ。
麻袋が空中で裂け、中に詰まっていた石灰が飛び散り、辺りに白煙が上がった。
総司はとっさに目を細め、石灰が目に進入するのは防いだものの、目の前が真っ白になり視界が効かなくなった。すぐさま後ろにジャンプするが、次の瞬間、白い煙の中からガーランドの腕が飛び出し、総司の首を掴んだ。
「ウグッ!」
突然万力のような力で喉を絞められ、ぐもった呻きを漏らした。
「捕まえたぞ、ガーゴイル……勝負あったな」
総司の首を両腕で掴んだままつり上げ、ガーランドはニヤリと口元に笑みを作り、左目の義眼が怪しく明滅する。
総司は苦痛に顔をしかめ、首を掴んでいるガーランドの手首を掴んだまま、ガーランドの脇腹へ蹴りを放つが、つり上げられているため反力が取れず、むなしく弾かれてしまう。
「無駄だ、このまま首をねじ切ってくれる……」
そう言って両手に力を込める。ガーランドのパワーなら、総司の首など一気にねじ切る事が可能なはずだが、じわじわと力を込めていくつもりらしい。勝者の余韻に浸るつもりなのだろう。
「ううっ! 」
総司が苦しそうに呻きつつ、ガーランドの手首を掴む両手に力を込める。
「フフッ、無駄だと言っているだろう」
総司の抵抗に、悪あがきだと悟りガーランドが笑う。
だが、そのとき総司の両肩から腕に掛けて、筋肉が隆起するように一回り膨らんだ。そしてガーランドの手首にすさまじい圧力が掛かり、腕がきしむ。
「何だとっ!? 」
ガーランドが驚愕の表情で叫び、さらに両腕に力を込めるが、徐々に総司の首から手が放れて行く。
「くっ、そっ、そんな馬鹿なっ……」
機械化され強化された両手の手首が、総司に掴まれて悲鳴を上げる。さらに今ではフルパワーで力を込めているにもかかわらず、総司に掴まれた両腕がギシギシと軋みを上げながら開いていく光景を信じられないと言った様子で見ながら呻いた。
「グゥゥゥゥッ……」
一方総司の方もまた、顔を歪ませながら両腕に力を込めていた。首の後ろに熱を感じる。
『オーバーロードかっ……』
総司の着ているTMWは、内部に毛細状に張り巡らされたマイクロファイバーに高周波を流す事によって、封入されたディメイション・グラウトが人工筋肉の役割になり、着ている総司の筋力を数十倍に増幅させる機能を備えている。ちょうど首の後ろにスーツの全機能を司るマイクロCPUがあり、総司の脳の電気信号を読みとり瞬時にパワーフィールドを展開する。
だが現在、限界まで酷使している人工筋肉の可負荷に耐えかね、マイクロCPUがオーバーロードして発熱しているのである。
総司は腕が肩幅まで開いたところで、ガーランドの顔を両足で蹴った。ガーランドがよろけたところで着地し、ガーランドの右腕を両手で掴んだまま、するりと背中に周りそのまま逆背負いの状態でガーランドを放り投げた。
「おおおおおおっ―――! 」
総司は叫びながら背負い投げるとともに、背中のホルスターからSigを抜き、ガーランドを飛ばした先の2階棚にあるドラム缶めがけてSigを数発放った。
積んであった木箱を粉砕しながら突っ込んだガーランドの上から、ドラム缶から漏れだした液体が降り注ぎ、服を濡らしていく。
「この臭いは……? 」
崩れた木箱の破片に埋もれながら鼻をヒクつかせてガーランドが呟く。ドラム缶から降り注ぐ液体は航空燃料だったのだ。
立ち上がり掛けたガーランドはとっさに総司を見た。
すると総司は何か指先にぶら下げながら、にっこり笑ってこう言った。
「僕はね、やられたらやり返す主義なんです。それもおまけ付きで……」
いたずら好きな子供のような声で言う総司の指先で揺れる物体は何かのリングのようだ。
それに気付き、ガーランドは自分の左脇腹に目をやる。2つぶら下がった手榴弾の1つにピンが無い事に気が付く。
「ガーゴイル―――っ!! 」
そう叫びながら、ガーランドはフックごと手榴弾を引きちぎり放り投げた。ガーランドの手から放れた次の瞬間、倉庫は爆発とともに紅蓮の炎に包まれたのだった。
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2007/02/13(Tue)20:20:09 公開 / 鋏屋
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■作者からのメッセージ
どうも、鋏屋でございます。
初めて読んでくださった方、ありがとうございます。
いつも読んでくださる方、ホント感謝いたします……いやマジで
第7話更新です。ガーランド少佐とのガチンコ対決で、いつものんきであまりやる気の無い総司ですが、今回は少しマジメに戦います。
美咲というお荷物?を抱えて少々苦戦している様ですが、まあ、主人公ですのでもう少しやる気を出して貰わないと。
今回FN57やらTMWやらを説明するに当たって、自分なりに説明文にならぬようやってみたつもりですが、いかがだったでしょう? 危うくまたやりそうだったので気を付けてはみたんですが……
でもなんか今度は台詞が軽くなったような悪寒がするし_| ̄|○
最近は劇中にどんな銃を出そうか悩んだりもして
総司のシグも好きですが、なんか最近ハンドガンはグロック化してきてるからなぁ。ベレッタやS&Wはなんとなく上品すぎてヤダし、Ciz75辺りは私はかなり好きなのですが、コレ出すとうんちくたれだすのでやめときます(ワカランケド)
それにしてもFN社ってなんでこんなにカコイイ銃ばかり作るんでしょう。ブラウニングハイパワー、57、MC51、MAG、P90……は置いといて、大好きなFAL!
そんなことはさておき、毎度の事ながら感想のほう宜しくお願いいたします
鋏屋でした。
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等幅フォント『ヒラギノ明朝体4等幅』かMS Office系『HGS明朝E』、Winデフォ『MS 明朝』で42文字折り返しの『文庫本的読書モード』。
CSS3により、MSIEとWebKit/Blink(Google Chrome系)ブラウザに対応(2013/11/25)。
MSIEではフォントサイズによってアンチエイリアス掛かるので、「拡大」して見ると読みやすいかも。
2020/03/28:Androidスマホにも対応。Noto Serif JPで表示します。