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『今年の八月』 ... ジャンル:リアル・現代 未分類
作者:もろQ
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シャーペンを置くと、明の集中力はいったん途切れた。汗ばむ顔を上げ、時計を見ると四時だった。窓の外を見る。そこには見慣れた町の景色が広がった。青く透き通った空に細長い雲が流れ、その手前を数本の電線が走っている。向かいのアパートのベランダに洗濯物がぶら下がっている。列車の音が聴こえてくる。明は深呼吸をひとつして、それからまた机に向き直った。
朝、一日のスケジュールを立てる。学校と塾の宿題でほぼ埋め尽くしたその日の予定表を、時間通りにこなしていく。少年にとっては、決して難しいことではなかった。小学生の頃から毎年夏休みのあいだはこの生活スタイルで通していたから。決して苦ではなかった。といって楽しいわけでもないのだが、毎年の夏の恒例をほとんど無感情に過ごしていく。なんら変わりない普通の夏休み。
そう、何も変わらないはずなんだ。少なくとも僕にとっては。
両親の離婚を知ったとき、「嘘だろ?!」と思った。確かにここ最近、ケンカが多いのは知っていたけど、普段からそんなに仲がいい風にも見えないし、まさか離婚にまで発展するなんて思わなかったから。
とにかくそれを聞かされたのはつい一週間ほど前のことだった。朝起きると、父と母はもうテーブルについていて、昨日の夜書類にハンを捺したこと、親権は父親がもつ予定であることなどを教えられ、最後に「あまり心配しなくていいから」と気づかいの言葉をかけられた。父は終始手を組んで、まるで会社の上司に語るような、はきはきした口調で話した。母は隣でうつむいていた。コーヒーの湯気が立っていた。目はすっかり覚めていたのに、なんだかまだ夢を見ている気分だった。
ペンが軽快な音を立ててノートの上を滑っていく。出来損ないの英文をほとんど勢いだけで書きなぐった。風が吹き込んで、問題集のページを柔らかくそよがせる。太陽を雲が覆って二階のこの部屋はまたゆっくりと暗くなる。
疑いようもなく普通の夏休みが過ぎていく。空は晴れ、雲が泳いでいる。風が吹き、窓際の机の上を軽やかに通り過ぎる。列車の音が響く。八月の記憶はいくえにも塗り重ねられ、そしてこの夏も同じように、ただ繰り返されていくだけなのだ。
そう、そのはずなんだ。
三日前、母が実家に帰省した。日曜日だった。離婚が決まるのは九月の初めだけど、早めに帰ったらどうかと提案した。父はそう答えると新聞を開いた。急いで母の寝室へ行き、ドアノブを回した。閉め切ったカーテンの水色が異様に片付いた部屋の内側を染めていた。淋しかった。
三日が経ち、家の中には不思議な空しさがあった。親子ふたりで食卓を囲んでいても、父の座る隣に残されたままの椅子が、目について仕方なかった。リビングにはどこかピントのずれたような、パズルのピースが欠けたような、そんな空気が漂っていた。
明は、ひとり父をおいて二階の自室に逃げ込んだ。
太陽が顔を出し、部屋の中を白く照らしていく。空気が熱を取り戻していく。消しゴムのカスをはらい、また黙々と文章を書き続ける。アブラゼミが騒がしく鳴いている。ひたすら文字を連ねていく。意味さえも分からず、ただひたすらに書き連ねていく。白かったノートを黒色に塗り替えていく。無理矢理に塗り重ねていく。僕は,何をしてるんだろう。
風が吹いた。パキン,とシャーペンの芯が折れる音。顔をあげた。窓の外,見慣れた町の景色。セミが鳴いている。列車が通り過ぎていく。屋根の上を電線が走っている。洗濯物がベランダの床に落ちている。雲が止まっている。風が止まっている。
だめだ。これじゃだめだ。僕は何をしてるんだ。
明は立ちつくした。汗が背中を伝う。
スケジュールがなんだ。時間通りがなんだ。これじゃまるで現実逃避じゃないか。去年の夏ならいい。だけど、今年の夏は去年と違う。僕にはやらなきゃいけないことがある。宿題なんかよりも大事なことがある。知ってたはずなんだ。
ドアを開け放った。ノートが床に落ちた。
父さんと話そう。母さんに会おう。いつの間にか、僕がひとりになってしまう前に、言おう。家族一緒に居たいと言おう。きっと、みんな一緒がいいんだ。
何ができるか分からない。自分があがいた所で何が変わるか分からない。それでも明は、一階へと続く階段を早足で駆け下りた。震える声で叫んだ。
少年の消えた後、一匹のセミが部屋にとびこんだ。
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■作者からのメッセージ
どうも。初めましてお久しぶりです。もろQです。
事情により際立って短いんです。
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2020/03/28:Androidスマホにも対応。Noto Serif JPで表示します。