『つながり』 ... ジャンル:ファンタジー 未分類
作者:夏樹 空
あらすじ・作品紹介
純文学のような感覚で書いてみました。
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一章
風がカーテンを揺らし、部屋に入ってくる。心地の良い春風を感じ、勇真は目覚めた。まばゆい光が朝の空を包み、雲は心狭しと青空を駆け回る。起きなさい、という普遍的な言葉を耳にして勇真は事態を理解した。壁に吊るされているカレンダーに目をやり、ベッドをすぐさま降りて階段を駆け下りる。勢い余ってこけそうになった自分に口元が緩んだ。木製のドアを開いたら、そこには暖かい空気が溢れ、テーブルには朝食の用意がされている。まだパジャマ姿の勇真は急いで、味噌汁を口へ運んだ。窓から一之瀬小学校が見える。勇真は胸を躍らせて、食事に箸を進めた。
「早くしないと、遅れちゃうわよ。」
勇真の頭を軽く撫でて優しい声色で言った。勇真は微笑んで返事をして、急いで朝食を終えた。駆け足で階段を上り、窓が開けられ春風の充満した部屋に戻り机に向かった。光沢を放つ真新しいランドセルを背負ってみた。洗面所へ行きその姿を確かめようしたが、もう一人の自分を見てまだ自分が夢の中にいることに気づき、慌てて部屋に戻った。パジャマを脱ぎ水色の半袖のTシャツに腕を通す。紺色の半ズボンに脚を通し、少年は満足して階段を下りていった。
「ハンカチは持った?忘れ物はない?」
息子の晴れ舞台に少し興奮した面持ちで問いかけた。勇真は大丈夫だよ、と言いながらもどこかぎこちない様子で佇んだ。
玄関のドアを開けて、いざ出発というところで勇真は、見送りに出てきた母親の手をずっと握り締めていた。手は汗で湿っていて先程の嬉嬉した表情とは違って、目にはうっすらと涙が顔を出していた。
「どうしたの?」
「ぼく、行きたくない。」
母親の憂色をただよわせた顔をじっと見つめ、勇真が答えた。小さな手を離し、母親の足にしがみついた。母親は頭を軽く撫でてから、座り込み一笑して言った。
「ほら、勇ちゃん。真治君みたいになるんでしょ?」
息子の涙を優しい手で拭い、にっと変な顔をして勇真を見つめた。勇真は頷き、ぎゅっとガッツポーズをしてみせた。笑みがこぼれたわけではなく、戸惑いの相好は隠しきれずにいたが、ゆっくりと第一歩を踏み出した。
「いってらっしゃい。」
その言葉が勇真を外の世界にかり出す。いってきます、と返す余裕のなくなった勇真は前へ進んだ。学校までは五分もあれば着くという距離だったが、彼にはそれが果てしないものに感じた。そして数メートル進む度に後ろを振り返る。母の存在を確認していた。心の中ではすでに自分の存在を見失いかけていたのだ。母という存在を確認することで自分の存在を確かめていたようだった。勇真は次第に小さくなっていく母親の姿や、赤い屋根の家を正視しながら前へと進んだ。そして勇真の目にはもう母の姿しか映っていなかった。左右に広がり美しく咲き誇る桜の木、自分が通うことになった一之瀬小学校でさえも。とうとう曲がり角に直面して、勇真は立ち止まってしまう。車の通りが多かったわけでも、信号機に待ったをかけられたわけでもない。ただ怯えていたのだ、自分の存在が儚く消えてしまうのではないかと。ふと勇真はある言葉を思い出した。「四月八日だね、必ず届けるから!」。何のことだかはまだ思い出せなかった。そう思っているうちにもう、勇真は角を曲がってしまっていた。どこまでも続くはずの空が有限に思えた。空につながる心地いい春風の形がわからなくなった。戻ることもできなかった。そういう時に限って車や信号機が行く手を阻む。勇真は朝日に照らされてできた桜の木の陰に、座り込んでしまった。地面を見つめ、じっとしてしまった。行き交う人々は携帯電話を片手に電話をしていたり、自分も急いでる、といった様子で見てみぬふりをしている。まるでそこに勇真という存在がなくなってしまったかのように。勇真は唇をかみ締め、地面すら見えなくなってしまっていた。しかしそこで肩に何かが当り、その感触で現実へ戻ってきた。勇真はその感触が何を物語っていたのか、思い出したように腕で顔を拭って立ち上がった。眩しい朝日が目に入り一瞬顔をしかめたが、歓喜に満ちた声で叫んだ。
「ピースだね!」
勇まは肩に乗り、朝日を受け輝いた一羽のハトに目をやり、明るい笑顔を見せた。両足は宙に浮き、両手は朝日に向かって伸びきる。ハトをじっと見つめ、人差し指で頭を軽く擦ってやった。ハトはポッポーと鳴き、右足を勇真に向けた。その足は五センチ位に丸められた白い紙がしっかりと括り付けられている。勇真はゆっくりと頷き、そっとその紙を外して開いた。〈勇真くんへ〉ときっちりとした字で書かれている。ほとんどが平仮名で書かれていた。勇真はすぐにその後に続く文章を読んだ。瞬きを忘れるほ真剣な顔つきで手紙を読んだ。
《勇真くんへ
ひさしぶり、げんきですか?ぼくはげんきです。きょうはにゅうがくしきでしょ?じかんまでにちゃんととどいたかな。きみがきっとこわがってるとおもっててがみをかいたよ。いっかげつまえみせたピースをつかってね。きみにとってもなついていたね。すこしはげんきがでるようにとおくったよ。じゃあがっこうにおくれないようにね。
真治より》
少し前に見える学校の時計を見て、あわてて走る。
「ピース、行くよ!僕が返事を書くまで一緒にいてね。」
走り出す足がもつれそうになったが勇真は踏み止まって、また走り始めた。満開の桜の花に目を奪われ、スーツ姿の女性にぶつかってしまった。会社に行こうと急いでいたのだろう。母親と近所のおばさん、そしておばあちゃん以外の女性とは話したことがなかった勇真はごめんなさい、という一言ですら外に出なかった。転んだまま黙ってしまったが、
「大丈夫、僕?ランドセルが……。」
ほっぺたに笑窪を浮かべ、ランドセルと勇真の洋服についた汚れをはたいてくれた。その手は優しく、立ち上がったのに勇真はずっと黙ったまま、女性を見つめている。
「じゃあね、僕。ごめんね。」
勇真は口を開いたままで、女性は走り去っていった。彼は振り返り手を伸ばす。だが彼女はもう手のひらほどの大きさになってしまっていた。勇真はありがとう、と言えなかったことを後悔したのか、走らず歩き始めた。集合時間である九時まではあと五分しかなかった。見知らぬ世界に踏み出すのが、またこわくなったのだろうか。勇真は上に飛んでいるピースを見てから、もう一度手紙を見た。下を向いていた顔を前に向け、全速力で走り出した。彼は学校、桜の木、春風、そして道行く人々が存在する空間に溶け込んでいた。空との境界線を失った地面にやっと足がついたのだった。意味がないことはわかっていたが、勇真は手紙を握り締めてありがとう、とつぶやき学校の門をくぐった。
2006/11/02(Thu)21:29:06 公開 /
夏樹 空
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