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『「GET!」』 ... ジャンル:リアル・現代 ショート*2
作者:碧
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「GET!」
土曜日の午前九時を少し過ぎた頃。
十時開店の中古ゲームソフト販売店「にこにこ堂」の前に、人が並び始めていた。
現在並んでいるのは、最後尾の彼を入れて四人。
彼、山田和人はほっとした。列の最後尾に立つと、携帯電話を取り出す。
「あ、俺。今、四番目に並んでいるから」
彼はそう言いながら、自分の前に立っている三人に目をやった。
列の先頭に立っているのは五十代と思われる中年の女性。その後ろに立っているのは、彼の息子と同じくらいの年頃の少年。少年の次、つまり、山田和人の前に立っているのは彼より少しだけ若そうな女性。彼女は少年の肩越しに、「今度は買えそうね」と話しかけている。振り向いた少年が笑顔で頷いた。どうやら二人は親子らしい。
「えっ! もう並んでいるの? 」
電話の向こうで、妻が驚いたような声を上げた。
小学生の息子が誕生日に欲しがったのは、携帯ゲーム機用ソフト「GET!」。
しかし、その人気ゲームソフトは、発売と同時に瞬く間に売り切れてしまっていた。発売2週間後の現在は、電話で片っ端から店に在庫を問い合わせても、どこも入荷待ちで、予約さえも受付できない状態だと言う。
誕生日当日、あちこちの店を捜し歩いたものの、がっかりして帰ってきたという妻と息子に、山田和人はインターネットで探してみてはどうかと提案した。
ネットの通販や、オークションを覗いた彼は驚いた。店で買えば四千円弱で手に入る品が、かなりの高額で取引されている。
しばらくすれば生産も追いついて、店には在庫が溢れるだろう。そう考えると、抗議するような息子の「えー! ダメなの? 」という声を聞いても、思い切って注文することができなかった。
彼の妻も、「そんな値段で買うなんて、バカバカしいわよ! 」そう言い切った。
そうこうするうちに、息子の誕生日からは既に数日が経過していた。
一昨日、昨日と、山田和人は遠く離れた場所に出張していた。仕事の合間に、陸の孤島とも呼ばれるその町の、一軒しかない古びたおもちゃ屋を覗いてみた。
しかし、「GET!」は老若男女を問わず知らないものはいないであろう、人気アニメの舞台をモチーフにしたゲームである。四十歳を少し過ぎた彼でも、何度か子どもと観たことがある。半分寝てしまってあまり記憶にないが、夏休みの映画にも付き合わされた。
その人気は既に海を渡り、世界的なものになっているというのも分からなくはない。ただ、こんなにも「たかが子どものおもちゃ」が、正規の値段で手に入れにくい状況なのは何故なのか。彼には全く理解できなかった。
陸の孤島と陰口を囁かれるような田舎町でさえ、入荷待ちの状況は同じであった。
彼は田舎町の寂れたおもちゃ屋に佇んだまま、ひどくがっかりした。誕生日プレゼントを待ちわびている息子のことも、ちらりと頭をかすめはした。しかし、息子のことよりも、彼自身が欲しいものではないが、なかなか手に入れられないという状況がもどかしい。考えてみれば、普段はあまりこういったことを経験しない。欲しいものは、何でもそう待たずに手に入る。買えないものでも、予約できて当たり前である。それに比べて、この「たかが子どものおもちゃ」は、なんと傲慢な商品なのだろうか。
金曜日の深夜、出張から帰宅した彼に、妻が言った。自宅近くの大型おもちゃ販売店「トイらンド」の壁に、入荷情報が貼られていたという。
『土曜日、124本のみ「GET!」入荷。お一人様一本限り 朝8時より整理券配布』
その話を聞いて、彼は並んでみようかと考えた。心配は、何日も前から流れている情報に、一体何人が反応するだろうかということである。そこが分からないので、何時から並べばいいのか全く予測がつかない。出張帰りで疲れていたこともあって、夜中から並ぶ気にはなれなかった。彼は、今から並ぶべきかと散々迷い、思い悩みながら床に就いた。
土曜日の朝、彼は並ばなかったことを少々後悔しながら目を覚ました。
コーヒーを飲みながら、何気なく広告を眺めていると、「にこにこ堂」新装開店を知らせる新聞の折込チラシが目に止まった。
そこには、新品「GET!」入荷の文字が小さく躍っている。
「これだ! 」
山田和人は、思わず声に出してそう言うと、台所に立っていた妻を呼んだ。
何本入っているかは分からないが、新装開店で開店と同時に品切れということはないだろう。ライバルは皆、以前から情報が流れていた大型おもちゃ販売店「トイらンド」に並んでいるはずである。朝早くから並んだ人間は、「トイらンド」で買いそびれたとしても、折込みチラシには気づかないに違いない。
「にこにこ堂」。この店ならいける。彼は妻に向かって、自分の推理を意気揚々と語った。
妻は、職場へ向かう夫を玄関先で見送りながら、十時になったら「にこにこ堂」行ってみると言った。
九時前に車で家を出た彼は、出張で空けていた二日間で、書類で山のようになっているはずの職場の机の上を整理しておくつもりであった。休日ではあるが、部下から乞われて、今後の打ち合わせの予定も入っている。
しかし、ふと思いついて、車を職場とは逆の、「にこにこ堂」に向けた。妻が行くと言っているのだから、任せておけば良かった。しかし、この仕事だけはどうしても自分の手でやり遂げたい。彼はそう思った。こうなりゃ意地である。
しばらくすると、次々に人が並び始め、彼の後ろに長蛇の列を作った。
山田和人は、ただ立っているだけの時間に飽きて、一体どんな人間が並んでいるんだろうと、後ろを振り返った。そこにいるのは、「GET!」を欲しがっているということ以外、何の共通点も見出せないような多種多様な人々であった。
若者、主婦、小学生、そして、チラシを手にした、おじいちゃん、おばあちゃん。
「孫のために嫁に頼まれて並んでいるんですよ」
「そうですか、うちもでね」
見知らぬ年寄り同士が、そんな挨拶を交わしている。
「T市から来た」などと言っている若い男もいる。T市なんて、県境ではないか。車で1時間弱はかかる。
「ここへ来れば買えるって情報聞いてさー」
一体どこからそんな情報が流れるのだろうか。
彼は、列の中ほどに若い同僚の姿を見つけると、慌てて前を向いた。
十時の開店を前に、「にこにこ堂」の店員が、店の前に並んでいる客を整理し始めた。行列は小さな店の前から溢れ、通りの歩道にまで延びていた。
「ええと、お並び頂いておりますが、「GET!」の入荷本数は三十七本のみとなっております! 」
店員は声を張り上げた。
四番目、いや、前の二人は親子なので、実際は三番目となる場所に並んでいた山田和人は、ほっと胸をなでおろした。ようやく息子の誕生日プレゼントを買うことができる。ここ数日、入手するために妻と奔走し、思いがけず味わった挫折感や苦労も、もうすぐ報われる。
彼の後ろの方に並んでいた人たちから、ざわめきが起こった。自分が何番目なのか、皆が皆、数え始めたのである。
その時、先頭に並んでいた五十代半ばと思われる地味な格好の中年女性が、店員に持っていた紙を広げて見せながら言い放った。
「私、三十六本買うから」
彼女が店員に渡した紙には、名前、住所、電話番号がずらりと記されていた。
「なんだと!どういうことなんだよっ! 」
四番目に並んでいた山田和人は、先頭の中年女に食って掛かった。間に挟まれていた少年とその母親は、彼のその剣幕と、ふてぶてしく物怖じしない中年女性の態度に、怯えたような表情になった。
「何がいけないのよ!お一人様一本限りなんて書いてないじゃない! ねぇ? 」
彼女は、呆然と立ちすくんだまま、言葉を失っている店員の方を向くと、有無を言わさぬといった口調で同意を求めた。
店員は、「まぁ、そう、です、けど」などと曖昧な返事をしている。
大型おもちゃ販売店「トイらンド」では、先頭が午前三時から並び、午前五時の時点では、整理券を配っても買えない人が現れた。
彼女は、その買えなかった人たちの名前を集め、代表としてこちらに並んでいるのだと堂々と説明した。
「汚ねぇやり方しやがって! 」
山田和人は顔を真っ赤にして激昂した。普段は温厚な人間で通っている彼である。職場では、皆の信頼も厚い山田課長である。部下の一人がどんでもないミスを出して、徹夜で復旧作業に当たらなければいけなかったときだって、腹を立てはしても、怒鳴ったり、罵ったりすることはなかった。人の足元を見てふっかけてくるような取引先の営業担当者と、地を這うような口論を交わしても、思わず感情的になることはあったが、感情だけを相手にぶつけたことはない。それは、仕事を通して現実の中にいることを、彼の理性が忘れなかったからである。
山田和人と、先頭に立つ中年女性は、全くの赤の他人である。二人は、「GET!」の中の戦闘キャラクターのように、敵意を剥き出しにして向かい合っていた。そして、中古ゲームソフト販売店「にこにこ堂」の前は、まさに今、二人の熱い闘いのために用意された、バトルフィールドと化していた。
彼は今や、「GET!」を求めて闘う戦士であり、彼の目の前にいる敵は、他人のアイテムを「GET!」していく盗賊であった。
彼と先頭の中年女性は、気の毒な親子を挟んだまま、激しい口論になった。
「あ、あの、お客様……」
気の弱そうな店員が、山田をなだめにかかった。
「単品では三十七本限りですが、特別パックという形でなら、「GET!」をご提供できますが……」
「なんだよ! 特別パックって!? 」
苛立ちを店員に向けながら、彼は腕組みをして身を乗り出した。もう手に入らないのかと諦めかけていたが、ひょっとするとまだチャンスは残っているのかもしれない。
「ええ、「GET!」のですね、ブラックとホワイトに、「MGニュー」をお付けする、という形でですね、二万円でご提供できる商品が十セットのみ用意してありまして」
「MGニュー」とは、現行の携帯ゲーム「MG」より機能的になり、新デザインで発売されたモデルである。これも人気の品薄商品で、なかなか手に入らない。定価は一万八千円。ゲームには全く興味がない山田和人であるが、その程度の情報は一応頭に入っていた。
「GET!」は、ブラックとホワイトの二種類があって、彼の息子によると、微妙に「GET!」できるアイテムが違うらしい。基本的には同じゲームである。
つまり、冷静に計算すれば、特別パックはかなりお買い得だということになる。
もっと冷静に考えれば、微妙に違う同じゲームソフトを一人息子に二本も買う必要はないし、既に「MG」を持っているのだから、「MGニュー」も、必要ないのであるが。
「二万!? 」
彼は絶句した。彼の小遣いは、月に二万ぽっきりである。職場ではちょっとだけ偉い山田課長でも、家庭では妻に財布の紐を握られている恐妻家なのだ。
背中を丸めながらこっそり財布を確認する。妻からゲームソフトを買うために5千円札を一枚預かって来たが、いつも寂しい彼の財布に、果たして二万という大金が入っているのかどうか、自信がなかったのである。
五百円玉、百円玉、十円玉とかき集めて、どうにかこうにか2万円になることを確認すると、彼は安堵した。なんとかなりそうである。
財布を仕舞って、彼が雄雄しく顔を上げると、先頭に立つ中年女が、勝ち誇ったような顔で山田和人を睨みつけていた。
(クソババアがっ! )
彼は心の中で毒づいた。が、手に入れたいものを手に入れられるという普段は当たり前であるはずの満足感が、彼の怒りをするすると静めていった。今や、目の前の中年女性は彼の敵ではないのである。
自分が買おうとしているものが息子の誕生日プレゼントであることを、彼はすっかり忘れていた。そんなことは、どうでもいいことであった。
小学生の誕生日に、四十を過ぎた男の一ヶ月の小遣いに相当する額は贅沢ではないか? それも全く考えられなくなっていた。
人を見下したような態度で先頭に立っているあの中年女。あの女には負けられない。手ぶらで尻尾を巻いて帰るような情けない状況になるのだけは嫌であった。ただ、それだけであった。
十時の開店と同時に、行列は小さな店に雪崩れ込んだ。
先頭の中年女性は、札束を出して36本の「GET!」を買占め、二番目に並んでいた親子は、最後の「GET!」を嬉しそうに買って帰った。
山田は、財布をさかさまにして、ジャラジャラと小銭をガラスケースになっているカウンターの上に並べ、何とか2万円の代金を支払った。
特別パックを買うことができた十人より後に並んでいた客たちが、店員に詰め寄って、店内は騒然となっている。その光景を後にして、山田はようやく手に入れた「GET!」の入っているビニール袋をしっかりと握り締め、足早に店を出ると車に乗り込んだ。
彼の後を、「GET!」を買い損ねた何人かが追いかけてきた。
「すみません!もし、もしよかったら、ブラックかホワイト、どちらか売ってくれませんかっ! 」
彼らは、血走った目で、なりふり構わず追いかけてくる。少々ぞっとして、慌てて車のアクセルを踏み込んだ。
「待ってくださーい! 」
バックミラーに映る彼らの姿に、先刻、中年女性と口論していた自分自身の姿をふと思い出す。
彼は、やっとの思いで目標を達成したという清清しい充実感が、慣れないことをした時の、じっとりとした嫌な疲労感に変わっていくのを感じた。
午前十時半、予想もしていなかった戦闘を終え、疲れきって帰宅した彼は、小躍りして喜んでいる息子に特別パックを渡すと、大きなため息をついた。妻が目を三角にしている。事情を話してやったが、彼女はどうにも納得できない顔のままである。
「二万ってどういうことなの!? 」
「仕方ないだろう、あの状況で、買わないわけには、さ」
妻は、黙り込み、呆れたように夫の顔をしばらく見つめていた。
「三十六本も買い占めるなんて、プロね、きっと! 」
夫がひどく疲れた顔をしているのを見て取ると、彼女は怒りの矛先を先頭に並んでいたという中年女性に変更した。
「大体、持っていたっていう名簿だって、アヤシイじゃないの。見ず知らずの人を信用してにお金渡して買ってもらったりする? 普通しないでしょ」
「そうだな」
山田和人は、気のない返事をした。
「でも、その人、そんなに悪い人じゃないかもしれないわねぇ」
「そうか? 」
「後ろの小学生の分、一本残したんでしょ? 」
「だったら、俺の分まで残せっていうんだよ、チクショー! 」
「アンタは大人でしょうが」
一つの小さな闘いを終えて帰還した夫に、妻の口調はどこまでも冷たかった。
この闘いで、彼が得たものは何だったのだろうか。小さな小さな、満足感と大きな疲労感。そして、二万しかない小遣いから、予算オーバーした金額は補填しないという、妻のむごい仕打ち。
彼にとって一番意外だった拾いものは、「GET!」を一緒にやらないかという息子からの誘いであった。
古い方の「MG」を父が、新機種の「MGニュー」を彼の息子が使い、互いに戦闘キャラクターを育てて戦闘したり、「GET!」したアイテムを交換した。やり始めると、これが結構面白い。
山田和人は、妻が自分を見る目がさらに冷たくなったことにも気づかずに、小学生男子のように夢中になった。
昼休み、会社の食堂で昼食を終えた山田課長は、今夜の息子との戦闘に備え、「GET!」のキャラクターのレベルアップに余念がなかった。
すると、「にこにこ堂」で、彼の後ろに並んでいた若い同僚に声を掛けられた。
「課長、ボクも「GET!」買ったんスよ。あ、「黄金のミツバチ」ゲット!「銀のハチミツ壷」持ってますよボク。両方で「とろけるハチミツ」ゲットできる場所あるの知ってますよね? 今度ボクとアイテム交換してくださいよー」
山田課長は、顔を上げると、温厚そうな目を細め、若い同僚にうんうんと頷いた。そして、また小さな携帯ゲームの画面の中の、広大な世界に目を落とした。
その世界では、 「トイらンド」で並んでいただろう人たち、「にこにこ堂」で並んでいた人たち、そして、多種多様な人間たちが、アイテムを「GET!」しようとひしめきあっていた。
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2006/10/16(Mon)10:40:00 公開 / 碧
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■作者からのメッセージ
読んでくださった方にお礼申し上げます。
10.16 感想を頂いて、全体を見直しながら書き直してみました。
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