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『そのままの君で』 ... ジャンル:恋愛小説 リアル・現代
作者:りぃ
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あらすじ・作品紹介
降り続く白雪。卒業式のその日、少女が探していたのは……。中学校の3年間は誰にとっても、何かと思い出が残る期間。その中で、少女、奥山優奈は、おとなしく、あまり目立つような少女ではなかった。いじめ、テスト、友達、そして恋愛、と様々なことを経験し、自らの臆病さと戦いながら、少しずつ成長を果たしていく。これは、そんな少女の中学生活3年間の物語。
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朝から雪が降っていた。まばゆいばかりの、真っ白な天使たちが舞い降りる。わずかに射した日の光が、白雪たちを輝かせ、また、積もった雪が日へと光をはね返す。ひやりと冷たい雪の中、けれど暖かな日差しの中に私はいる。暖かくもあり寒くもある微妙な感じ。でも私はこの空気が好き。冷たさの中に隠れた本当の暖かさが私を見守ってくれているような気がする。
北海道では、三月でもまだ雪が降る。天使たちが人々の中を幸せそうに飛び跳ねる。そんな中の卒業式。
わずか二時間ほど前までは、「昨日よりは寒いね」なんて、笑いながら話していたのに、今はもう、そんな空気じゃない。いつもとは別のもっとしんみりとしたもの。暖かな日射しは私たちの卒業を祝福するように、また、旅立ちを促すように射している。まばゆいほどのものではなく、優しさがこもった色。それがさらに別れを感じさせるのかもしれない。しかしそれは私には関係がないこと。私自身は寂しいとかは思えない。大切と思える、別れたくないという人がほとんどいないからだろうか。
出会いの日、小学校の入学式も雪の日。そこには希望に満ちた表情の生徒たちがいた。けれど、春とは思えないほど寒くて、喜ぶ間もなかった。その中でもこれからの生活を思い、笑い声を響かせていた人もいた。
そのころの私はもう少し子供らしくて、新しい物を目を輝かせて見つめていたものだ。その日のように凍えるほどの寒さや、猛吹雪なら、悲しむ余裕もほとんどなかっただろう。
けれど、今日は雪が降っているとはいえ、そう寒くはない。昨日までが少し暖かかっただけだ。この程度なら逆に意識がはっきりしていろいろなことを思う余裕がある。さらさらと頬を撫でる風を私は心地よく感じていた。悲しみを流すような優しい風。私もこの風のようになれたのならどんなによかっただろう。私は一人首を振った。駄目だ。出来ないことに願いを込めても意味はない。そう、今更変わりたいと思ってももう遅い。私が今いるのは中学校の卒業式。過去には戻れない。あのときああしていたら、と考えていても何も変わらない。今は潔く未来に進まなければならない。そう、後には戻れない。進むしかないのだから。そう割り切るしかない。そうやって私は今まで過ちを犯してきた。それでも私はもう理想の自分になれない。そうあきらめてしまっている。
みんな泣いていた。泣いてない人がほとんどいないくらいに。私はその様子を黙って見つめていた。私は皆の気持ちを理解することは出来ない。分かち合うことも出来ない。ただ見ているしかない。もどかしいけれど、それは仕方のないこと。そうはっきり納得できればもっとすっきり出来た。でも、彼によって変わることが出来たわずかな自分が変化を望んでいる。私が行動を起こすよううながしている。でも私には出来なかった。私はまだ完全に変わったわけじゃない。まだ臆病なままだった。辛いと思う感情を私に植え付けてしまったあの人。恨みは生まれない。それ以上に感謝しているからだろうか。涙を流している人々を私はただ見ているだけだった。
――それはそうかもしれない。――
だって、小学校からの持ち上がりで、今いるメンバーは九年間ものつきあいだから。思えば確かに長かった。楽しいこともあった。辛いこともあったけれど嬉しいことだってたくさんあった。思い出はたくさんある。でも思い出すだけじゃ何も生まれない。だから私はあまり過去にこだわらない。これからのことをいつも見つめる。これだけ長ければやはり別れが悲しいのだろう。でも私は悲しく思えない。何故だかは自分自身でもわからない。だけど涙も流せないまま人々を無関心なまま見つめる。どうしてみんなはこんなに素直に感情を表せるんだろう。私にはわからない。羨ましいとは思わない。それがどんなに無意味な感情なのかをわかっているから。そんな中で何も知らずに、天使たちが人々の中を幸せそうに飛び跳ねる。
これからは高校生。いままで、いろいろなことがあったけど、もう、このメンバーはずっと一緒じゃないんだ。そう思うと悲しくなるんだろうな、と私は思う。でも、私は悲しくない。今までずっと一人だったから、卒業してもそう変わりはしない。そう思うからかもしれない。雪の精霊たちは、天から地へと降りてきて、舞い踊る。
私のことを誰も構わない。私は人付き合いが苦手だから、それが有り難くもあり、せつなくもあった。私だって、ずっと寂しかったから。そう、寂しい……。
寂しい? どうしてそう感じるのだろう? ずっと寂しさなど感じなかったはずなのに。今まで、ずっと一人だったのだから、いつも通り、寂しくないはずなのに。それはたぶん、あの人が孤独を救ったからだろう。それまでは、寂しかったけれど、それを苦には感じなかった。久々に一人ではなくなったとき、嬉しかった。けれど、同じくらい悲しかった。今までの孤独が、望んでいたことではないとわかってしまいそうだったから。私はずっと自ら望んで一人でいようとしているのだと言い聞かせていた。周りもそう思っていた。けれど、本当はきっと寂しかったのだと思う。だからこそ、彼が私を孤独から救いあげてくれたとき、涙がこぼれそうになった。そうして私は人を大切にすることを学んだ。けれど、その彼は今、私のもとにはいない。彼は、彼の友達といるのだろう。私ばかりには構ってはいられない。どうして私のところにいてくれないのだろう。そんな疑問が浮かび上がる。けれど私は心の中で首を振る。彼には私以外にたくさんの大切な人がいる。だから私だけの人じゃないから。
わかっている。けれど、また一人にされるのが私には怖いのだろう。見捨てられるようで、辛かった。一緒にいて欲しかった。でもそれを口に出せない。こんな自分に腹が立つ。でも、結局何も出来ない。
皆はどうして泣いている? 別れがそんなに悲しいのだろうか。旅立ちとは思えないのか。いくら九年間一緒だからとはいえ、そこまで悲しいだろうか。私は悲しくはない。でも九年間一緒だった人たちが別々になるのは不思議な気がした。別れを惜しむのは当然のことだろうと思う。しかし過去にすがりついていてもいいことは何もありはしない。未来を見据えなければならない。たとえどんなことが待っていても進むことしか残されていないのだから。
私の疑問はすぐに解決した。少し視野を広くしてみれば、楽しそうに笑っている人もいる。私は何故かほっとした。私もあのように笑えるかな。無理だろう。結論はすぐに出た。でも、幸せそうな人たちを見ていると心がなごんだ。
たぶん、同じ学校へ行く友達なのだろう。卒業とはいえ、必ずしも別れとは限らない。あの少女たちのように、また同じ道を歩む人もいるのだ。もっと周りを見れば、泣いている人と同じくらい、幸せそうな人がいた。卒業は、終わりで、でも始まりで。それいでいてただの通過地点でもある。誰もが皆、九年間の仲間と別れることを嘆いてはいない。それがわかった。ほっと胸をなで下ろし、私はまた周りに目を向けた。
白銀の絨毯にしずくが落ちる。ぽたり、ぽたりと何粒も。その悲しみを癒すように、純白の天使たちがそっと、涙をぬぐいながらも、舞い続ける。でも、また別のところでは、天使たちと同じくらい幸福そうな笑顔を振りまいている人もいた。天使たちは、嬉しそうにさらに輝く。
二時間前。式が始まった頃。私たち卒業生、それに在校生。あと、先生に親、小学校の先生たちまでが集まっていて、会場である体育館は人のぬくもりで満ちていた。人同士のぬくもりはどうも好きになれない。そういうものは所詮上辺だけで簡単に崩れてしまう。人を信じても裏切られるのはごめんだ。
私の両親は、人の影のような、目立たないところで、それを受け継いだ目立たない私を見つけて、優しく微笑んだ。私の顔はこわばって、うまく笑い返せなかっただろう。これは別れを意識したわけではない。ただ行事のことを思い、緊張しただけ。そう、それだけだ。
式が進行している間、私には実感がなかった。昨日も「卒業生を送る会」なんてものをわざわざやったけれど、それでも実感はわかない。卒業証書をもらうまでも、その後も私はぼんやりしていた。まるで、他人事みたいに。悲しみも何もない。私は自分のことのような気がしなかった。卒業証書をもらったその瞬間にだけ、感じた。ああ、みんなともとうとうお別れだな。って。ただ、それだけ。寂しさとかじゃない。もう、会えないかもしれないんだというおぼろげな感覚。そうしたらあの人とももう会えないのか。それを考えると今度は少し辛くなった。いつから彼が私の「特別」になったのだろう。たぶん、ずっと前、気付かないうちにだろう。恋ってきっとそんなものだ。うん? 恋? 恋なのか? 私は今まで意識したことはあまりなかった。そうか、これが「恋」というものなのか。
卒業生百十人全員に卒業証書がわたった。誰もまだ泣かない。笑っている人こそいないが涙はまだいない。校長先生の式辞、PTA会長の祝辞。そうして、生徒会長の言葉の時、会長が泣いてしまい、うまく話せなくなってきた頃、悲しみを実感して泣き出した人が現れだした。私は泣かない。そんな悲しみなんて、どこにもないから。
涙を流しながら会長が、降壇すると、次は在校生合唱。去年は私たちがあそこで歌っていた。他の中学校、いや、高校と比べても勝るかもしれないほどの実力を持った私たちの学校。すばらしい歌声の中に感情がこもり、改めて聞いて、はっと息をのんでしまった。歌詞の意味を考え、また涙する者もいた。私はただ、歌そのものの良さを身にしみて感じていた。
続いて、卒業生合唱。泣きながらも必死に歌う者、寂しさを紛らわすために伴奏中に喋る者。しかし、誰一人として適当に歌った者はなかった。別れを噛みしめながらも、最後まで歌いきった。私も歌ったけれど、涙は流れない。けれど、私だって適当に歌った訳じゃない。私自身が悲しくなくても、他人の気持ちを踏みにじったりはしたくなかった。最後の合唱全校生徒での歌。心を一つにし、このメンバーでは二度と行えないであろう合唱を決意と、涙を深く混ぜながら、私たちの心の声を送り出した。私たちの気持ちは、天のハーモニーとなり、旅立ちの色を奏でた。思い出と旅立ち。二つが共鳴し、私たちの背を押した。
卒業生退場。後輩に涙を見られまいと必死におさえこむ姿が見えた。なのに、私はまだ泣けない。何が足りない? もう、涙を流すには十分すぎるほどの理由があるというのに。答えは見つからない。
教室に戻った。静まりかえった教室の中で、鼻をすする音だけが聞こえた。合唱の余韻がまだ残っているようだ。それをわかっているのか、担任も黙っている。担任の目は真っ赤で、泣いていたことがよくわかった。今まで何人も卒業生を送り出して来たろうに、それでも辛いのか。なのに私は何故素直に泣くことが出来ないのだろうか。
先生は何度か口を開きかけたけれど、言葉を紡ぎ出す前にまた閉じてしまった。悲しみのない私にとっては、それはいらいらさせるもので、さっさと終わらせて欲しかった。……私は、何をせいているのだろう? 急いで欲しい理由などないはずだ。待っていれば嫌でも時は流れる。
やっと形になった先生の言葉。それは、
「自分らしく生きよう。そうすれば道は開ける」
その一言に含まれたたくさんの意味を全て理解した人はいないだろう。しかしそれでもその中のたくさんの気持ちが心に響いたはずだ。私自身にもその感動はあったが、表面に出るほど大きな物ではなかった。
誰ももう、言葉を話せなくなっていた。
先生は、一人一人を呼び、一言ずつ言葉と、その人に合った一文字を贈った。どこかのパクリのような気がするが、それは気にしない方がいいだろう。私はまだ、泣くことが出来なかった。ほとんどの人は、感極まって涙を流していたが、ほんの二,三人だけは私と同じように泣いてはいなかった。それは、私のように皆と別れることが辛くないからなのだろうか? ぼんやり視線を揺らしたさきで、ある人と目があった。彼は私に優しくほほえみかけた。涙を流した後の、寂しさの跡の真新しさで。「大丈夫」そう語りかけた目が私には愛おしかった。自分でも、ほっとしたのがわかった。いらだちもおさまった。「ありがとう」言葉には出なくてもその気持ちを受け取ったのか、彼はにっこりと暖かい笑顔を向けた。
卒業生は、最後に外で在校生たちに送られる。そのために私たちは、ちらちら降る雪の中へと出た。そこで、在校生たちの花のアーチをくぐり、卒業式はとうとう終わりを告げた。数分前のことだ。
皆は最後の別れを惜しんでいる。同じ学校に行く人もいるだろうが、ほとんどの人がそれぞれの道を歩んでいく。最後の最後まで一緒にいる。同じ道を歩むわずかな人は、まだ寂しさを感じはしない。また新たな場所へ行くだけなのだから。私の元には誰も来ない。それは、逆に都合がいいかもしれない。
純銀の輝きと、別れを惜しむ人々の中で、私は一人、ある人を捜していた。どうしても、会いたかったから。他の人は私にはどうでも良かった。私と別れたくないと、特別に思う人はいないだろうし、私自身、人を大切に思ったりは、なかなかしなかった。
彼は、私の孤独を救ってくれた人。しかも、私の一番愛しい人。
今までは素直になれなくて、ほとんど話したこともなかった。だから余計に会いたいのかもしれない。他の人は会わなくても別に構わないのに。彼には会いたかった。何故? 彼にとって私は特別ではないかもしれない。でも私にとっては大切であることに変わりはない。会いにいったら迷惑かもしれない。でも会いたい。
甘い恋愛なんかしていない。
けど、私は彼が一番大切なのだと思う。どうして?
出会いは中一の頃。私は、まだ臆病者で。
学校は同じだったけど、会ったのはそのときが初めてだった。
それまで、私はずっと孤独だった。彼がそれを救ってくれるまで。私はひとりぼっちだった。もしかしたら、私は無意識のうちに、誰かが私を救い出してくれるのを待っていたのかもしれない。自分でわざと一人でいるのだ嘘をつきながら、本当は辛かったのかもしれない。彼は無意識にそれに感づいて助け出してくれたのかもしれない。礼を言いたい。そう、それだけならきっと許される。
ふと、ひやりとした風が吹く。私の疑問を流し、私を過去へと引き戻す、冷たい風。でも、優しい風。
その三年前。私、奥山優奈は、そのときも一人だった。
中一の入学式。クラスは三組だって。
友達が全然いない私は、いちいち同じクラスの人の名前なんか見ない。
どうせ、今回もいつもと同じだろうなんて思って。メンバーは持ち上がり。知っている人ばかりの中 で、状況が変わるはずがないと思っていた。中学校にはいっても、今までになかった、文化祭があるくらいで、それ以外は別にいつも通りだろうな、と思う。
教室にはほとんど誰もいなかった。ほとんどの人は楽しそうに廊下で遊んでる。教室にいる人だって、仲良く友達と他愛のない話をしている。私は一人、席に着いた。することもなく、ただ時計をにらみつけていた。そうでもしていないと、自分の中の孤独に気付いてしまいそうな気がしたから。当時の私はそんなことは考えていなかったけれど。
キーンコーンカーンコーン
チャイムが鳴った。だだだっ、と走っている。どうしていつも同じ過ちを犯すのだろう。急にざわつく。ばかばかしい。でも、いつものことだ。私はそれに大分なれていたが、それでも皆が馬鹿にしか見えなかった。あわてて急いでみんな 席に着いた。もっと早くから準備をすればいいのに。そのうえ席に着いてまでおしゃべりしている。そこまでして話したいのだろうか。
先生がきた。三十代くらいの男の先生だ。顔はわりと若めだが、頭の毛は貧しかった。遺伝だろうか? 関係のない、そんなことを私は考えた。入学式の説明などをした。内容は覚えていない。興味がなかったし、上の空だったから。廊下に並び、歩き、そして入学式。だいたい、こんな式自体ばからしい。必要ないと思う。時間の無駄だ。
つまらない。やはり、中学生になっても、何も変わらない。
入学式のその日は、担任の自己紹介くらいしかなかった。担任の名前は、竹田先生。教師歴十年目のわりとベテランで、三十三歳らしい。その割に頭は寂しいな。というのが私の感想だった。
その次の日は、まだ授業がなかった。いろいろほとんどない校則の説明とか、教室の場所、それから教科担任について。そんなことい時間を割くくらいなら、さっさと授業をやればいいのに。どうせ説明しても、あの呆けた表情を見る限り、理解などしていないのだから。私は一度聞いてほとんどのことは理解したけど、ほとんどの人は何度聞いてもぱっとしない顔をしていた。全然わかっていないのだから説明はほとんど無駄だろう。
さらに次の、四月二十四日。やっと授業が始まったものの、自己紹介ばかりで、肝心の学習になっていなかった。それ以外のことといえば、強いて記すならば、五藤 廉とかいう少年が、私につきまとっていたけれど、それ以外は特別何もなかった。廉は初めてのおとなしいキャラに興味を引かれていたらしい。彼は私によく話しかけてきたが私は軽く流して全然聞いておらず、まともに話さなかった。二人の間に会話は全くと言っていいほどなかった。廉が話しかけても私は軽く無視したりしていた。
そんな状況が変わり始めたのは、学力テストの結果が返ってきた頃だった。学力テストがあったのは、入学して一週間ほどたった四月三十日だった。テストの内容は、小学校の頃よりは難しかったけれど、全然標準レベルだったと思う。塾に通っている私にとっては、簡単すぎるほどだ。もっと難しい方が楽しいのに。皆が口をそろえて、「難しかったね」と言う意味がわからなかったのも無理はなかったのかもしれない。小学校の学力、いやこの学校。そもそもこの地域の学力が低めなためだろうか。どちらかといえば田舎で、トップ校からは随分離れたところの学校。中学生で入試のことも考えなければならないのに皆のんびりしすぎている。これで大丈夫なのだろうかと不安に思うが口には出さない。口に出しても変わらないし、彼らはそれにまるで興味がない。言っても無意味だ。
テスト前になっても、誰も勉強をしない。やる気というか、そもそも必要ないと思っている。今までと同じように。そんなはず、ないのに。私も、あんまり勉強はしていなかった。勉強をしている人もいたがごくわずかだった。そのなかに入ってわざわざ浮きたいとはもちろん思わない。私は必要最低限の確認程度でテストに臨んだ。小学校と同じ感覚だ。結果が帰ってきたのは、その約一週間後。テストのことなどすっかり忘れかけていた。私だけだが。
担任の先生は、その日、教師歴十年目の研修がどうので、休みだったから、変わりに副担任の宮内先生が一人一人に順位と、平均点が書かれた紙を渡していった。様子を見ると、わざわざ一人ずつアドバイスなどをしているらしい。時間の無駄ではないのか? こんなことをしても、皆は変わらないだろうに。
私の順番が来た。先生は、簡単に結果の見方を教えてくれた。他の人には、もっと詳しく言っているのに、ずいぶんぞんざいに扱うものだ。私は、あまりわかっていることをぐだぐだ説明されるのは好きじゃない、というより嫌いだから、それは有り難いことだったが、もう少し構って欲しい気もした。先生は、最後に一言だけ私に他の人には言わなかったことを言った。
「すごいねぇ」だって。何が? 私はそのとき、まだ結果は見ていなかった。
結果を見たのは、席に着いてからだった。誰も見ようとはしなかったが、一人でそっとのぞき込んだ。それで見えたものは、「百十人中三位」そう、高得点、高順位だったらしい。私は心が驚きで飛び上がった。嬉しいとかそういうのではなくて、あの点数で一位だというのが信じられなかった。国語が九十二点、算数が九十点、苦手な理科が七十五点、理科よりは得意なはずの社会が七十二点の計三百二十九点だった。まだ小学生の頃の感覚が抜けない私にとってはかなり悪かった。しかし先生がまるで六十点満点のテストのようだと表現したことから自分がいい方であることはわかっていた。それで納得できるわけではないがこれでもいいらしいことは知っていた。そっとのぞいた隣の坂本 亮介の国語が十六点だったのはそれを知っていても目を丸くせずにはいられなかったのだが。
順位は、どうせなら一位が良かったが仕方がない。それでも十分にいい。その結果をクラスメートの篠本 潤希が「どうだった?」と、人なつこくのぞき込んで、「すげぇ」なんて言いだしたのは別によかった。それを仲のいい廉に言って、彼が他の人に広めたことから状況は少しずつ変わり始めた。私はいやな予感がしたが、どうしようもなかった。
――優奈って頭いいんだって。――
瞬く間に噂は広まった。今までの、ただ近寄らないだけの関係から、敬遠されて、余計に近寄る者は、いなくなるのでは、と思ったが、違った
逆に、たまにだが勉強を教わりに来る人ができた。そんなことになるとは思わなかった。主に同じクラスの奈月 沙耶などだ。明るくて、社交的で、あこがれに 近いものを私は抱いていた。そんな彼女が私の友達になってくれた。今までは友達作りが面倒くさかったし、必要ないと思っていた。だけど、いざ友達ができてみると、嬉しかった。私はとうとう、孤独から 抜け出したのだ、と。私は、本当に幸せだった。本当に……。
そう思っていたのは、私だけだったのかもしれない。そのとき私は、「でも、いいんだ。私は、もう一人じゃない」そう思いこんでいた。私はそれを後悔している。たとえ、一人だったとしても、辛いことがあるよりはマシだと思う。そう、今なら。
それが間違いだとなかなか気付けなかったから。だから、あんなことになったのかもしれない。沙耶がどうして私みたいな人を「お友達」にしたのか、よく考えてみるべきだった。そうすれば、あれは防げたかもしれない。私にはそう思えてならない。私は、馬鹿だったのだ、と。どうしてもっと深く考えなかったのか。疑わなかったのか。もう、いまさらわからなかった。
最近何かおかしい。私が最初に感じたのはそれだった。勉強していても、本を読んでいても、技術や美術で作品づくりに集中しようとしていても、歌を歌っていても音楽を聴いていても、歩いているときも走っているときも。朝から晩まで何故か潤希のことを忘れられない、否考えている自分がいた。おかげで前はしなかったミスをしてしまったり、授業中ぼんやりすることが増えていた。もとからなかったわけでもないが、前より断然多いことに気付いた。潤希、潤希、潤希……! 自分でもしつこいと思うくらい潤希のことしか考えられなかった。それから学校で潤希を目で追ってばかりいる私に気付くまでそう時間はかからなかった。そこで初めて私はこの感情が何なのかわかった。
――――そうか、私は潤希が好きなんだ――――
認めたくなかった。今は勉強とかいろいろなことに集中したいので恋などまだしたくなかったし、そもそも女性関係がだらしなく、誰にでも優しくて、気があるのでは? と誤解されてしまう人に好意を寄せているなんて考えたくなかった。でも、潤希が好きだという気持ちはどうも出来なかった。押さえ込むなんて出来なかった。空恐ろしくて忘れようとしたこともあった。でも、そのたびに私は思い知らされる。潤希が好きなんだ、と。認めるしかなかった。悩みに悩んだ末に私はその気持ちを認めた。認めてしまえば案外楽になった。胸の支えがとれて新たな気持ちで潤希を見られるようになった。ミスも減ったし、ぼんやりすることも、前と同じくらいの量に戻った。
私の視線の中に潤希がいつもいる。それはいつでも私が潤希を見ているからでたまにこっちを見て笑いかけてくれたりすると思わず下を向いてしまうけれど、心の中は踊っていた。潤希が私にさりげない優しさを見せてくれただけでその日は私にとって幸せな日に成り代わったりする。逆に潤希が他の女子と楽しそうにしていると辛くて苦しかった。その女子が私だったらと思わずにはいられない。うらやましくもありどうして私はああなれないのだろうと自分自身へのいらだちが募った。潤希が私に話しかけてきたら私は本当に嬉しい。もう言葉では言い表せないくらいに。でも、潤希は誰にでもたくさん話しかける。楽しそうな笑い声が聞こえるたびに私は相手の女子が嫌いになったりした。最も、その女子が私に優しかったりするとすぐに嫌いな気持ちが消えてしまうのだが。潤希を独占したいとも思ったがそれが無理なのは百も承知。わかっているからこそ余計に苦しかった。
私はいつも一人だった。だから私は醒めた目でしか周りを見られなかった。感情の起伏はほとんどなく、ぼんやりばかりしていた。だが今は違う。潤希の行動一つとっても喜び、悲しみ、怒りとたくさんあった。毎日毎日潤希のことで一喜一憂ばかりして何だか毎日家に帰ってきたら疲れたけどそれでも充実感に満たされていた。
ある日のことだった。私は帰宅部なのですぐに家に帰ってきたのだがそのとき妹の恵里が私に言ったのだ。
「お姉ちゃん、変わったね」
どこがとは教えてくれなかったがわかる気がした。前は学校でおとなしい反動か家に帰ってきたらいつもいらいらしていて恵里を怖がらせていたのだが最近は自分でもわかるくらい妹に優しくしていた。しかも前はいつも同じ反応、同じ言葉ばかりだったが近頃はいかにも嬉しそうだったり悲しそうだったりと様々な表情を見せていた。学校では見せられない私の明るい笑顔が家にあるようになった。妹は嬉しそうに私を見ていた。感情が豊かになった私を観察するように。実は恵里は、私が恋をしたのでは? とにらんでいた。全くその通りだが私は恵里がそんなことを考えているなんて思いもよらなかった。
毎日楽しかった。潤希を思い、つまらなかった学校生活が本当に楽しくて。沙耶と笑い、一人で潤希を見つめて、毎日生き生きしていた。勉強をするだけの学校が私にとってかけがえのないもの。違う。かけがえのないものを与えてくれる場所になった。私は本当に幸せだった。
それから後のとある日のことだった。あふれそうな思いをもてあました私は、つい、友達だと思っていた沙耶に相談してしまった。それが間違いであり正解であることなど少しも考えずに。
勉強だけ、と思われていたらしく、彼女は驚いたが、快く相談に乗ってくれた。ようにみえた。優しく、いつもアドバイスをしてくれた。私は出来るだけアドバイス通りに動き、潤希の笑顔を見たときなど心の中で何度も沙耶に礼を言った。素直に行動できるようになった私には学校はさらに楽しいところになっていた。
ついに気持ちが最高潮まで達し告白しようかと考え始めた頃、目に見えて沙耶は潤希に話しかけているように見えた。勘違いなんかじゃない。前は、話しかけても適当にあしらう程度だったのに、今は積極的に話しかけている。微笑みながら返す潤希。私は、出来るだけ見ないようにしていた。
ただでさえ私は、今でも奥手で話しかけれられないのに。悔しくてたまらなかった。好きだという気持ちが苦しいくらいにあるのに行動に移せないのがもどかしかった。
あるとき、とうとう私は沙耶にさりげなく尋ねてみた。私は嘘をつくのが苦手だから全然さりげなくなかったかもしれないけど、勇気を振り絞った。もう、見るに耐えられなかった。
「……さ、沙耶……。そのぉ最近じゅ、潤希にたくさん話しかけてるみたいだけどさぁ……」
ついどもってしまった。
沙耶は私の勇気を振り絞った質問に軽く答えた。
「あたしさぁ、潤希のこと、好きになっちゃったんだよねぇ。だから、健司とも別れたしさぁ。」
ずどーんとその言葉が胸に響いた。サヤハジュンキガスキ。それを理解するのに時間がかかった。何時間もたったような気がしたが実際はほんの数分、いやたったの数秒間のことかもしれない。それだけ当時の私にとっては衝撃的だったとういうことなのだろうか。いや、違う。感づいてはいたんだ。でも認めたくなくて、沙耶が私に「何でもないよ」とか笑って答えてくれるのを期待していたんだ。沙耶はあっさりとそれをうち破った。
「へぇ……そうなんだ。応援してるよ。」
出来るだけさらっと言おうとしたのに声が震えた。まともに沙耶の目を見られなかった。怖くて、苦しくて。
「ありがと。」
沙耶は私の気持ちを知っているのに、まるで知らないみたいに。それでも、やっと出来た『友達』を失いたくなかった。潤希を失うのも辛いけど独りぼっちになることを考えると友達がいなくなることの方が辛く思えた。だから私は潤希をあきらめて沙耶の隣にいようと思った。出来ると思った。私には誰もいなかった。潤希一人を失っても私は私でいられると考えた。私は一人にはならない。
沙耶の邪魔をしようなんて、思わなかった。全くと言えば嘘になるけれど沙耶を失ってまで潤希を手に入れようとは思わなかった。苦しかったけど気持ちを無理矢理抑え込んだ。でも、沙耶は私のことなんてわかっていなかった。
次の日のこと。
みんながちらちら私のことを見てる。なぜ? 予想もつかない。
黒板を見た。そこには大きな文字で、公言をはばかられるようなものが書いてあった。しかも、それらは全部私に対してのこと。完全に悪口だ。ひどい!
内容はひどくて、口にも、文章にも出来ない。私は、ただ絶句することしか出来なかった。
誰も私に話しかけない。そして誰も私をかばわない。唇をぎゅっとかんだ。
「おっはよ。ひどいね〜」
明るい声で、沙耶は言った。その目は笑っていた。あざけるように私を馬鹿にするように。
「うん……」
私は疑っていた。沙耶が犯人じゃないかって。
でも、確信がなかったから、黙っていた。まだ沙耶が友達だと信じていた。信じたかっただけなのかもしれない。独りよがりだったとしても私はそれにしがみついていたかったのかもしれない。今はもうわからない。
私は少しづつ、またひとりぼっちの生活に戻っていった。どうしようもなかった。沙耶は もう、私に話しかけてこない。ちらちら私を見ては、友達と一緒に笑ってる。私はもう、一 生誰も信じないと一人、心に誓った。
ものがなくなった。靴の中に画鋲が入っていた。靴がぬれていた。また、後になくなった。
いじめはいっこうによくならない。それどころか、さらに卑劣さを増している。
暴力がふるわれた。ありもしない噂を流された。もう、どうしようもなかった。
いじめの辛さ、周りに誰もいない孤独、潤希のいない寂しさ。全てが私を追いつめた。
私は何事にも無感動になっていた。潤希の笑顔を見てもせいぜい心が痛む程度だ。彼も私を避けている気がする。
また恵里に辛くあたるようになった。私はもう、前よりも悪いくらいになっていた。
あまりのつらさに私はとうとうカッターで手首を切った。よくあるリストカットだ。痛む手首からしたたる紅い液体。本当に死ぬつもりだったけど震える手首が「死にたくない」と私の意志に逆らって死ねなかった。何度か挑戦したもののその方法で成功することはなかった。この方法では無理だと私はあきらめた。
その後も、 何度か別の方法で自殺未遂をしているが、誰も知らない。たいていそれは一人の時だから。私は死にたいと思っていても私の体は死にたくないと反抗する。そのせいで失敗する。
ある体育の後のこと、体育倉庫のロープを見て私は首つりという手段を思いついた。誰も見ていないのを確かめてから、首つりの準備をした。もう、耐えられなかったから。生きることに希望が見えなかった。
一人のはずだった。他の人はもう教室に戻っているはずだ。また、誰か気付いても私にはかまわないはずだった。構わないのであれば目の前でも私は死ぬ気だった。止められさえしなければ周りに誰がいようと関係ない。もうどうでもよくなっていた。今の状況から抜け出すためなら何だってする気だった。
そっとロープを首に回しかけたとき、声がして手が止まった。誰? 何故止めるの?
「優奈、何してんだ?」
それは、廉だった。前は話しかけてきたりしたけどいじめられるようになってからは話しかけてこなくなった。私は話しかけられても適当に流していたからまともに話したこともない。何故? ますます訳がわからない。彼が私に構う必要も理由もない。
「優奈ってば! 何してんの?」
「…………」
私は答えない。内心は、見ればわかるでしょ! といったところか。それに、こいつは話をばらまくような人間だ。そう簡単には答えられない。そもそも口を利くのもおっくうだ。
「……。自殺、しようとしたわけ?」
聞くくせにすでにわかってるみたいだ。なら放っておいてくれたほうがありがたい。相手は親切の気かもしれないが私としては単なる迷惑なおせっかいでしかない。口をきかないことで答える気はないと察して去って欲しい。私は本気だ。中途半端な慰めは邪魔なだけ。
「…………」
「……ぐっ。なんか、答えろよな!」
ぐいっと廉が体を乗り出した。
「答えろよなっ」
廉が乱暴に私の肩をつかみ、壁に押しつけた。体力のない私だからスポーツ万能、サッカー部の彼には簡単だった。ぎゅっとつかまれた腕のあまりの痛さに私は声が出ていた。
「痛っ……」
廉は私の目を真正面から見据えた。しかし私は目をそらした。真っ直ぐすぎる邪気のない瞳が何故か怖かった。
「死ぬのはもっと苦しいはずだ。……やめろよ。 いじめられてるのは……ごめん。知ってる。けど、ここで逃げちゃだめろ?」
私は答えない。目も合わせない。廉の声が震えていた。肩に置いてある手も小刻みに震えている。
「自分が死んで悲しんでくれる人がいるうちは、死んじゃだめなんだよ……」
説得しているようだが私の心には届かない。そこでようやく私は口を開いた。
「私が死んでも、悲しむ人なんて、いない……」
廉は寂しげな瞳を向けた。その瞳に何が含まれているのかはわからない。
「いるよ……」
ささやくような声だった。私なんかのために心を痛めているように見える。理解できない。少しも。そう、これはただの必要のないお節介。私にとってはどうでもいいこと。邪魔なだけ。そう、私にとって重要なことじゃないはず。なのに、なのに。何故か私は彼の言葉をゆっくり全てを心に刻むように聞いていた。
「だから、死のうなんて考えんなよ。俺が、ついてるから」
ついていられても困るだけ。それに言葉だけのものなんかいらない。そう思っているはずなのに私はそうは言えなかった。
彼はそういって去っていった。私はその言葉に心を動かされた訳じゃない。けど、死ぬ気は失せたから、その場から私も立ち去った。ただそれだけのことだ。本当にそれだけのはずなんだ。
そんなことがあったからって、特別何か変わったりはしなかった。だけど、私が死んで悲しむ人が誰なのか知りたかった。考えても、全然思い浮かばない。昔から一度気になったことは突き止めなければならない性分だった。今回もそれが発動して確かめるまでは死ねないと思った。ある意味廉が私を引き留めたのだった。
でも、変わったかもしれない。あれ以来死のうとしていない。何故かはわからないけど、まだ生きられる気がした。いや、生きていてもいい気がした。知りたいだけじゃない。私は今、生きている。
沙耶は、同じクラスの坂本 亮介とつきあい始めた。理由はわからない。ただ二人は幼なじみらしいということは知っている。それに、沙耶が昔から亮介が好きだったらしいということも。
それと同時にいじめも少しずつしぼんでいった。潤希の取り合いから始まったいじまだから彼女が亮介と付き合い始めた今はもう無意味なことになったからだろうか。どちらにしろありがたい。でも、いじめがなくなったから死ぬのをやめようと思ったわけではない。理由は自分でもわからない。けど、いじめがないからだけで生きたいと思っているわけではない。
廉が言った台詞が気になって、ぼんやり彼を目で追うことが多くなった。そこにはたいてい潤希がいたが、私はもう、気にならなくなってきた。
たぶん、それはこの前のとある『事件』の影響だろう。
「誰か〜。お金貸してぇ。あと五百円足りないんだよぉ」
六月十七日、期末テストが近づいてきた金曜日。教室で潤希が情けない声を出して助けを求めていた。周りの人はそんな彼をちらちら見るか完全に無視するのがほとんどだった。私も最近趣味で書き始めた小説を書いていてちらっと見た後は無視していた。
「何でもするからぁ」
たった五百円ごときに何でもすると宣言してしまって良いのだろうか。私は疑問を抱きつつ、少し様子をうかがっていた。結局、無視できないのだ。潤希はクラスメートの何人かに声をかけたりしているが皆首を振ったり何か答えただけだった。断ったのだろうということは予想できる。
「本当に何でもするの?」
茶色がかった髪に大きい瞳が印象的な今風の少女、クラスメートの天海 舞が尋ねた。瞳が曰くありげに目を光らせた。この少女は潤希の元彼女で、自分をふった潤希を憎んでいることで有名だ。態度で現れないのが逆に恐ろしい。ただ、潤希自体は全く気にしていない。彼女は椅子に座っていたが立ち上がって潤希の目の前に来て聞いた。お金を渡すだけならいい。しかし、舞は廉に「潤希に復讐するためなら何だってする」と宣言している。今、教室にいるのは何人かの生徒のみ。教師はいない。彼女にとっては絶好のチャンスだ。何をするかわかったものではない。絶対に何かを企んでいる。私は舞のことをあまり知らないから彼女がどんなことを言うのか想像もつかない。だけど、悪いことなのは決まっている。潤希を憎んでいるのに何もせずにお金だけ渡したりちょっとしたことをしてもらうだけのはずなはいだろう。私は嫌な予感がしたからとりあえず避難することに決めた。音を立てないように椅子をひき、教室の外へ向かった。まだチャイムは鳴りそうにない。
「じゃあ、キスしてって言ったらキスする?」
私の足がつい止まってしまった。思えばここで立ち止まらずに逃げてしまえば良かった。恐る恐る私は振り返る。舞が潤希の正面にいる。二人は教室の真ん中辺りにいた。ふと窓際で欠伸をする廉が目に入った。彼はそのまま移動し、窓から離れて、自分の席に座った。普段騒いでいる彼もたまには大人しく椅子に座って時間を待つこともあるらしい。
「うん、するよ。金くれるんだったら何回でもいいよ」
潤希は平然と答えた。興味なさそうにだが廉も潤希の様子をうかがっている。廉は舞の幼なじみだし、潤希は友達だから無関心ではないだろう。しかし、だからといって興味深いものでもない。
「ふ〜ん」
舞はなにやら考え込んだ。次には何を言い出すかわからない。恋愛に対しての耐性が低い私にとっては『キス』というキーワードですでにどきどきしている。潤希とキスできたら……と考えないこともない。しかし現実的な問題で私はそこまで踏み切れない。皆は平然と聞き流すかそもそも聞いていない。舞がとんでもないことを言い出す前に逃げようと私はまた歩き出した。教室の隅の方。ドアまで一メートルくらいの辺り。
「じゃあ、あいつと出来る?」
私はつい反射的に見てしまった。潤希が何をするか見たくないはずなのに気になってしまう。怖いもの見たさと言う奴か。その性で私は後になって見なきゃ良かったと後悔することになる。そうして私は自分の目を疑った。舞が指さした方角にいたのは廉、つまりは男だったのだ。
私はぎょっとした。もちろん『キスして』+『男子」という恐ろしいほど気味の悪い組み合わせだったからだ。ぎょっとして教室から逃げ出すなど出来なくなっていた。その場に立ちすくみ、逃げることも出来ず近寄ることも出来ないままただ突っ立っていた。
「えっ!?」
廉は驚きを隠せない。当たり前だ。幼なじみの舞がそんなとんでもないことを振ってきて驚かずにいろというほうが無理な話だ。いくら彼がムードメーカーのお笑いキャラとはいえ、笑いをとるためにそんな不気味な行為は出来ないだろう。ましてや、たった五百円のためにそんなある意味大それた行動を潤希がとるはずないと。それが普通である。というより、そうしない方がまずい。
私はいやな予感がしていた。お願いだから……やめて。
――――これ以上、私の中の思い出になった『潤希』をけがさないで――――
さすがにそれを聞いて無関心な人はあまりいない。興味津々といった風で二人を遠巻きに見ている。私は逃げだそうにも逃げ出せない。これからどうなるのかが気になるし、だからといって見たいとも思わない。いや、絶対にそんな光景見たくない。しかし無視できるほど私は平静でいられない。心臓が脈打つ音が嫌に大きく聞こえる。その音がうるさくて周りの音が遠ざかる。自分の心臓の音と二人の会話しか聞こえない。ざわざわしていた教室が静かに感じられる。
潤希は廉を見つめた考え込んでいた。彼の表情を見る限り本気で考えているようだ。吐き気を催してしまう。たった五百円のために彼は地に堕ちる気でいるのだろうか。信じられない。いや、信じたくない。
「潤希……まさか、本気じゃないよな……?」
廉が怖々と尋ねた。そうだ、彼にとってもこれはただごとじゃない。潤希がたとえ望んだとしても彼はいやがるだろう。彼の態度を見ればよくわかる。それでほんの少しだけ安心した。私が安心しても廉は動揺したままだが。
息を詰めて見守る人々の中、とうとう潤希が口を切った。口元に微笑をたたえて。
私の祈りは残念ながら届かなかったらしい。
「うん、金くれるならな。でも、お代は弾んでくれよ」
私は愕然とするしかなかった。彼が少しの金のためにそんなことをする人間だったとは知らなかった。ショックだった、というほかない。
廉が少しずつ後ずさる。私が気付かないうちに立っていたらしい。椅子もきちんとひいてある。
「じゅ、潤希、まさか、本気、じゃ、ねぇ、よな?」
取り乱しつつ、廉は希望をつなごうとした。さっきと同じ質問をしても無意味だと思うのは私だけだろうか。しかし確かめずにはいられないのだろう。彼がどのような気分なのかはわからないが、答えがわかっていても聞いてしまうのだろう。手が意味不明に動いている。何を表したいのかは不明だが、動揺しているのは明らかだった。つまり、動揺して手が勝手に動いてしまっているのではないかと私は思う。
「え? 本気だよ? 廉って女子とたくさんキスしてるから、いいじゃん」
平然と潤希は答えた。わずかな希望もうち砕かれ、廉はぐったりしている。まだ何もしていないのに自分の運命を思って絶望でもしているのだろうか。
「よ、良かねえよ!!」
そのわりに声は元気だ。顔を上げて廉は叫んだ。声は元気でも潤希を悪魔でも見るように見つめ、恐ろしさ、のようなもので顔を強ばらせている。潤希の方はいつもと変わりない。
「本当に? 本当にする気なの?」
舞が念を押すように潤希に聞いた。その声が震えていたような気がしたのは気のせいだったのだろうか。
「うん、するよ」
軽く潤希は答えてそろそろと廉に近づいていく。私はもう呆然として逃げることも出来ずただ見ていた。見ていただけだった。何も出来ないままただ見つめていた。
もう、何の音も聞こえなかった。しーんと静まりかえった教室で潤希と廉と舞しか見えなかった。風景もかすんでいる。張りつめた私の心はもう周りなど見る余裕はなく、何も考えずにただ三人の姿をぼーっと見ていた。潤希がゆっくりと廉に歩み寄り、廉が後ずさる。あたりまえだ。いくら仲がよくても、男同士でキスなんて、正気の沙汰じゃない。
私の中の潤希はもう、どこにもいなかった。今、いるのは、愚かな私は知らなかった、新たな彼。私が好きだと思えた大切な人であり、そして、私がもっとも憎むような人。こんな彼は知らない。知らなかった。好きじゃない。でも嫌いでもない。どっちなのか自分でもわからない。
「やめろ!! これ以上近づいたら舌をかんで、死んでやる!」
廉が脅すような口調で宣告した。廉も必死だ。どうにか助かろうと追いつめられた哀れな頭でいろいろ考えているようだ。以外に頭の回転は速いらしい。しかしそれが報われるかどうかは定かではない。誰が死ぬと脅されて真に受ける。余裕の潤希にはまるで通用しない。
「廉には出来ないでしょ?」
にんまりと潤希は勝ち誇った笑みを浮かべる。そして、そろそろと歩み寄る。二人の距離は少しずつ、少しずつ縮まっていく。
「ままま待てっ。こ、降参だから、許して。」
廉は本当に必死だった。もうプライドも何もあったものではない。キスをまぬがれるためにならどんなことでもする覚悟だ。冷や汗を浮かべ、潤希が近寄るたびに後ずさる。ただ、固まった廉はあまり動けず距離は縮むばかりだ。
「ななななんでもするからっ!」
しかしあくまで冷静な潤希の方が一枚上手だった。
「じゃ、キスして」
軽く頼んだ。私の胸をしめつけるようだった。潤希が浮かべている笑顔はいつものもののようだが、いつもの潤希とはまるで別人のように見えた。心の持ちようだろうか。私はもう、見ていられなかったがだからといってそらすことも出来ないで苦しんでいた。
「それだけはやめて〜」
いつの間にか人だかりが出来てる。何故かそれに気付いた。でも、私はその恐ろしい光景を見ることも、この場から立ち去ることも出来ない。
ただ、呆然と立ちつくしていた。
「潤希、落ち着けって。な? 金ならいくらでもくれてやるから。な、な!?」
廉は必死に説得を試みていたが潤希はまるでためらう様子を見せなかった。
「廉」
文章だったらハートマークや音符マークでもつきそうな気色の悪い声色で潤希が呼びかけた。背筋に悪寒が走ったのは私だけだろうか。いや、一瞬廉の方がびくっと揺れた。廉も同じようだ。ただ、私よりもずっと不幸な目に遭っている。「潤希、今日、絶対おかしい。熱でもあるんだろう!」
私もそう思いたい。
「そんなことないよ。全然、おかしくない」
「ば馬鹿っ。近寄んな!」
そろそろと潤希が歩み寄る。
「ななな何でもするからっ!!」
廉はもうほぼ何も考えられないだろう。同じ手段を使っている。
――――早くチャイムが鳴ればいい。どうして、こんな時ばかり時間がゆっくり流れるのだろう。時計の針は今どこをさしているだろう。固まってしまった私は見ることが出来なかった。
「じゃ、キスして」
潤希はにっこりと微笑んだ。
「それだけはやめて〜」
廉はもう同じ台詞しか言えないのだろうか。ここまで追いつめられれば当たり前かもしない。
「い、嫌だ! やめてくれ!! 潤、お前にはプライドがねえのか!?」
廉が叫んだ。彼の額には冷や汗が浮かんでいる。もう潤希は廉を窓側の壁に追いつめていた。逃げ道は、ない。
「そうやってあがいてる方がよっぽどみっともないと思うけど? それに……プライドなんてあったって邪魔なだけだし。覚悟はいい?」
潤希の顔が廉のすぐそばにあった。私は目を背けたくても背けなかった。もう、私の目はそこに釘付けだった。
「い、嫌だあああ〜〜」
「やめてええ!!」
廉の悲鳴と舞の叫びが重なった。舞は目に涙を浮かべていた。驚いて潤希が舞に目をやると舞がぽろりと一粒の涙を落とした。
「……もういいよ……。わかったから。五百円、あげるから」
舞は震える声でそういうと五百円玉を潤希に渡して走り去っていった。へなへなと座り込んだ廉、不思議がっている潤希。ほっとした私。しーんと静まりかえる教室。実際はざわざわしていたかもしれないが私にはわからなかった。呆然として私はそのまま固まっていた。
そのたった数秒後くらいにチャイムが鳴った。いつのまにか止まっていた私の思考回路も復活し、世界に光と音が戻ってきた。教室は数秒間ざわついた後、いつも通りにある程度静かになった。遅れて先生が入ってきた。
この日の、特にこの時の英語は全然集中できなかった。静かな教室の中で潤希が隣の人と話していて「キス」のキーワードが出てくるたびに何も考えられなくなった。私は自分のことで手一杯で他の人がどんな様子だったのかは知らない。だけど、次の休み時間廉も潤希もいつも通りだった。この二人がそうならきっと他の人も平気だったのだろう。私は平然となどしていられない。その様子を他の人が気付いたかはわからないが。ただその日、舞は授業に戻ってこなかった。休み時間の後、どこかへ行ってしまった舞はそのまま家に帰ってしまったのだろうか。先生は何も話さなかったからわからない。翌日、学校に来た舞はいつもと同じように笑っていたが目が寂しげだったように私には見えた。
たぶん、舞は潤希がまだ好きだったのだろう。でも、自分がふられたのが辛くてそれが恨みになってしまったのだ。しかし実際にあのような状況に陥って自分の好きな人がああなってしまってショックを受けてしまったのだろう。憎んでいるつもりでいても本当は好きだったから自分のせいで彼が落ちぶれるのを見られなかったのだ。
彼女の性で私があれを見てしまったわけだが私は彼女を恨むことは出来ない。あれは強すぎた思いが招いた悲劇とも言えるかもしれなかったからだろう。あれで彼女自身も傷ついたし、彼女が悪いわけではない。もしあれが私でもああなったかもしれない。軽々と承諾した潤希が悪いわけでもない。彼がそういう人間だったというだけのことだから。それで割り切らなければならない。実際に割り切れるかどうかは別問題として。
私は潤希への思いが苦しいほどのものからもっと大人しいものになるのを感じた。このまま嫌いになれたら楽かもしれない。このまま好きな気持ちをいだき続けるよりはずっと幸せになれるかもしれない。それでも私は潤希に話しかけられれば嬉しくなり、他の人と楽しそうに話していると辛くなった。その気持ちが前よりも弱いだけ。弱いだけで同じ感情を持っている。
それから私は廉を目で追い、潤希がいても苦しい思いを抱かないようになったのだ。楽しそうに潤希が話していてももう前ほど苦しくはない。慣れたのだろう。きっと。またはもう、彼のことなど好きではなくなったのだ。
でも、私は本当にもう潤希が好きではないのだろうか。この答えは見つからない。好きかもしれない。そうではないかもしれない。わからない。答えはいつか出るのだろうか。
あのとき私の中で、ガラスが大きな音を立てて割れた。沙耶は、失望したみたいだった。
少なくとも私は、もう、前のように真っ直ぐな気持ちで潤希思うことは、出来そうになかった。
それから誰が潤希とはなしていても、気にならなくなった。 それより、あのあともっと公言をはばかられるようなことがあって、よけいにみきりをつけることが出来た。はず。
私が死んで、悲しむ人って誰だろう?
わからない。お父さんはずいぶん前に事故で死んだ。お母さんは子供に興味がない。お姉ちゃんは、アメリカに留学。勉強にしか興味ないし、妹は彼氏が出来たからそっちのほうが大切らしい。
このことを彼は知らなかったとしても、何となく違う気がする。何故かはわからない。でも、なんとな く、別の誰かのことの気がする。
誰だろう? 聞こうか?
ぼんやりと、廉を眺める日々が続いた。
廉は『あの日』のあとも、普通に潤希とつきあっている。私にはとても出来ない。すごいと思う。
廉はムードメーカーで、授業中も、休み時間も、給食の時間も、クラスの笑いを、いや、別のクラスも含めて、笑いをとっている。いつも、みんなに囲まれて、幸せそうだ。
私とは正反対だ、と付け加える。
一人でいることが多い私。まじめで静かな私。人を幸せに出来ない私。
いつも皆に囲まれている廉。明るくて、元気な廉。人を楽しませることが出来る廉。
――――私を絶望から救ってくれた――――
お礼を言いたい。そう思った。ついでに、私が死んで悲しむ人が誰なのかも聞こう。あのときは素直になれなくてありがた迷惑だと思っていたけど冷静になった今は彼に感謝している。その気持ちを伝えたい。
放課後、サッカー部が終わる時間に待ち伏せた。校門そばの木陰で廉が来るのを待っていた。でも、結局私がそのときいたことを、彼が知ることはない。
「へぇ。で、どうなったの?」
廉は女子と楽しげに話していた。知らない子だ。可愛らしい顔立ちをしていて廉より少し背が低い。私は息を潜めてじっと観察していた。
「でねぇ」
その女子も楽しそうだ。にこにこ笑っている。
私は黙って隠れている。そしてそのままばれないように尾行していた。何故、そうしていたかは自分でもわからない。何故ばれなかったのか、そんな技術が自分にあったのも驚きだ。そこまでして見ていたわけもわからない。
しばらくつけていたら女子の家についたらしい。結構歩いた気がする。二十分ほどだろうか。どきどきしながら見守っていると、廉は少女に軽くキスをした。そして、手を振って去っていた。少女も手を振って、にこにこしている。
私はまた呆然としてしまった。
廉が女たらしだなんて前から知ってたことじゃない。何を驚いているの? 何にびくびくしているの?
私は、どうして……泣いているの?
衝撃のあの日から一週間。期末テストがやってきた。あの出来事の性かどうかはわからないがあれ以来勉強をする気力が失せてしまっており、ほとんど勉強していなかった。これではうまくいくものもうまくいかない。いや、私のうまくいかないが他の人にとっての「めちゃめちゃ良かったっ」に当てはまることもあるが自分で納得しないと気が済まない。私は変にプライド高く、しかも奇妙なところにこだわっている。
何となくうまくいかなかった一日目。二日目の二十二日もあまりうまくいっていない。特に悪いのが体育だ。大体、体育にテストがあるほうがおかしい。と思考を巡らせるも、なかったら余計に駄目だし……。と思い当たる。私はかなり体育が苦手だ。たまたま教科担任の先生が他の先生よりも厳しいことで有名なのもあったのか、私の成績は二だ。知識理解のAを失うとかなり危ない。内申が五教科のみでないことを恨むのは私くらいしかいないかもしれない。
……話を戻そう。
ともかくテストの調子は悪かった。どっと疲れて私は帰ろうとしたところだ。
「優奈? 一緒に帰ろーぜ」
そう、廉が声をかけてきた。いじめがなくなってからというものの彼はまた私につきまとうようになった。相変わらず彼の思考回路は私には理解できない。まあ、見てて面白くなくはない。いや、正直言うと彼といると心が和むし、楽しい。ただ、何となく女たらしだからと警戒していた。あの日のことがあったからかもしれない。
「……何で?」
尾行するほど彼が気になっているくせに私はかなり無愛想だ。私は素直に態度に表せるほど単純じゃない。それどころか天の邪鬼かもしれない。
しかしそれを気にした風もなく満面の笑みで廉は答えた。
「最近元気ないじゃん。心配だからさぁ」
にっこり優しく微笑んだ。この表情が、幾人もの少女をだましてきたんだろうな。と思うと無性にムカムカした。一度そうなると私は頑固だから素直になれない。ぷいっと横を向き、冷たく返した。私のおかしな意地だ。
「……いい。一人で帰るから」
廉は笑みを崩さない。しかし一瞬彼の表情がかげったのを私は見逃さなかった。横を向いていても私の鋭い観察眼はだませない。いや彼にだます気はまるでないだろうが。
「あ、そ〜お? せっかく……まぁ。いいや。じゃあな」
何を言おうとしたの? また彼は謎を残して去っていく。私は疑問は解決しないと気が済まない。嫌な奴だ。いつもいつも私をいらいらさせる。
本当によくわからない奴だ。いつもいつも私の心をかき乱して、なぞめいた言葉だけ残して去っていく。 いやだ。気にくわない。
でも、何を言おうとしたのかだけは、気になる。それをねらっているのか?
ますますいやな奴だ。でも、どうして私は……ここで尾行なんてしてるんだろう。 まただ。また私は変なことをしている。どうしてまたこんなことをしているのか自分でもわからない。私は、才能でもあったのだろうか? 待ち伏せ作戦とか、尾行とか、やったことのないようなことでもうまくいってしまう。
いや、もしかしたら、廉が気付きにくいだけかもしれない。または、気付いてて、 気付かない振りをしているだけか。どちらにしろ私は変人かもしれない。普通こんなことをする人はいないだろう。
私は物陰から追っていた。私はなんて暇なんだろう。人を尾行する暇があれば、少しは勉強でもすればいいのに。今日のテストを思い出してしまった。……今度はしっかり勉強しなければ。
十分ぐらい歩き続けたろうか。公園に着いた。すると、廉はくるりと振り返った。いきなりだったから隠れる暇がなかった。
「やっぱりいた。俺になんか用?」
優しく微笑んだ。私に向かって。って、私は何考えてんの? この程度で何うろたえている。何で喜んでいる。しっかりしろ、自分。頑張れ、私!
「別に……通りかかっただけ」
あくまでこれは偶然と言うことに。動揺を悟られないように。無表情が売りでしょ? 感情出さないんでしょ? ほら、こういうときしか使えないんだからしっかりしろ、自分! って何自分で応援しているのだろう。少し前までこんなことはなかったはずだが、いや……。
今はそんなことを考えている場合ではない。目の前の廉に集中しないと。
「家の方向、全然違うじゃん」
私は思わず目を丸くした。廉が私の家を知っている!?
「あれ、何で知ってんの? ってかんじだね。俺は、物知りだから」
そういって笑う廉の表情に嘘はみじんもなかった。それが不思議でならない。どうしてこの人はいつも笑っていられるのだろう。いいことばかりではにだろうに。何故彼は私に優しくしてくれるのだろう。わからない。でもわからなくてもいいと思った。それが彼ならそれでもいいと思う。
「何の用? 優奈の頼みなら、何だって聞いてやるよ。……優奈に限ってないだろうけど、男とのキスは出来ない……」
ちゃっかり忘れているのかと思ったら、気にしているらしい。底抜けに明るいだけかと思っていたが、そうでもないようだ。そういうところも全て廉なのだろう。人はその人のイメージではない部分を知ると拒否反応を起こすという。しかし私にとってその人の新たな一面を知るのは喜びだ。一部悲しみの場合もあることをのぞけば。
「えっと……」
私は何を頼もうとしてるんだろう。ただ、廉がそばにいるのにそのまま何でもないと返してしまうのはもったいない気がした。ただ何となく一緒にいたい。それだけだ。だからどうというわけでもない。そう、彼と一緒いると楽しい。それだけ。
「この前……」
優奈はずっと目をそらしていた。だが、このときようやく、廉と目を合わせた。暖かな茶色の目が私の瞳をしっかりとらえた。深くて、優しい色。暖かくて、私を安心させてくれる。
そのとき、廉が嬉しそうな目を輝かせた。
「やっと、俺と目、合わせてくれたな」
私には自覚がなかった。そんなに気に病まれるほど目をそらし続けていただろうか。それに、私と目が合っただけでそんなに嬉しいものなのだろうか。私はその喜びを知らないから今回も理解できない。
「初めてあったときから、ずっと、俺は見てたのに。優奈は俺と目ぇあっても、すぐにそらしちゃってさ」
今、廉は「ずっと」と言わなかっただろうか。それは大げさすぎる。それじゃあ、まるでストーカーだ。そこまで彼は私を見ていないだろう。現に彼は彼女らしき人がいたではないか。しかしいぶかしんでいる私をよそに廉が勝手に話し出す。聞いてもいないのに。
「健司に聞いたんだ。優奈は謎をかけられたらすっごく気になるって。クイズとか出したら、答え聞かないと気が済まない、とか」
そういえば健司は幼なじみだった。最近はずっと話していなかったから、つい、忘れかけていた。それにしても私も薄情だな、と私は考えた。最近少し話さないだけで大事な幼なじみの存在を忘れかけていたとは。懐かしい。彼は私の良き理解者だった。
「だから、ちょっと試してみた。あれから自殺しようとしてただろ? 体育館の倉庫で。で、ちょぉっとなぞめかせてみたら、死のうとするの、やめたよな。あれ以来1回もしてない」
ちょっと待って。この人、ストーカーなの? 私の中で疑問が再び浮上する。さっきからの物言い。もしかして本当に? 私が距離を置こうとするのに廉が気付いた。気付いても傷つく様子もなくさらっと答えた。
「別にストーカーとかじゃないから、誤解するなよ。だから、ちょっと気になってるだろ? おまえが死んで悲しむ奴のこと」
図星だった。どうして、この人はいつも私のことがわかっているのだろう。不思議で不思議でたまらない。もっとこの人のことを知りたい。それが私の本心だ。
「教えてやるよ。それは……」
どきどきと私は彼の返答を待った。
「それは……」
引っ張っているが意地悪のつもりはないのだろう。彼の性格的にはこのどきどきを楽しんでもらおうと思っているのだ。生憎私にその余裕はなかったが。
こういうときに邪魔が入るとかなり「ムカツク」正直「うざい」普段そういう言葉を私はいっさい使わないが、考えて出なかった答えがようやく出ようとそのときに邪魔されるほど嫌なことはない。そうなると上のような言葉が思い浮かぶのだ。
「それは……」
廉は何かを言いあぐねているようにも見えた。しかし決意を固めたらしい。だが、その言葉が続くことはなかった。
「あれ? 廉、何してるの?」
はっとして振り返ったのは、廉だった。私にはその姿がよく見えていたから振り返る必要はなかった。なのに教えてやらない私は意地悪かもしれない。だがそれが私だ。来たのは潤希。私がずっと避け続け、接触を拒んでいた人物。 近づいただけで、悪寒がする。近くにいるのがいやなわけではない。怖いのだ。あの日以来私は彼が壊れるのが怖かった。もう近づいて傷つくのはごめんだ。
「べ、べっつに〜。じゃ、じゃあな、優奈っ」
だだだっと廉は走り去ってしまった。その足の速さは、何かの大会で優勝か、準優勝するレベルだった、気がする。詳しくは覚えていない。興味もない、少なくともなかった人の履歴など詳しく覚えているはずがない。そこまで私の記憶力は良くない。
「変な、廉……。何話してたの?」
廉と目を合わせても怖くなかったなのに、純也は怖かった。近くにいる。ただそれだけで傷ついてしましそうで。澄んだ瞳はほんのわずかにも悪意はないのに、なぜだか恐ろしくてまともに見られなかった。心の底から震えが走る。体が拒否している。この人はだめだ、と。私は後ずさりした。潤希は気付いていない。
「別に。じゃあ、塾あるから」
私は早足で去っていった。それは嘘ではなかったが、真実でもなかった。
「変な優奈……」
後に残されたたのは、何も知らない潤希だけだった。
それ以降1学期中はなんの音沙汰もなかった。
私的には良くないテストの結果、負けた中連、苦すぎる成績……。
特に何もないまま、1学期は終わってしまった。それでもいい。 私はこれ以上潤希の姿を見るのが、辛かったから。女子と楽しげに、話している彼を見るくらいなら、平和でつまらない日々の方が そのときの私にとっては良かった。
特別何もないまま北海道の短い夏休みが終わった。
夏休みが終わってから、私は学校でぼんやりすることが増えた。元からぼんやりして いることが多かったから、周りの人はほとんどわからなかったと思う。理由は今回もわからない。中学生になってから私は私自身のことがわからなくなってきた。前は気分が悪いときもいいときもどんなときも大体その原因はわかったのに。
いじめはもう完全になくなった。潤希の取り合いが、原因だったからかもしれないけど、単に飽きたのかもしれない。沙耶は飽きっぽい性格だったから。それを知ったのはあるていど親しくなってからだが。
ぼんやりしながらも、視線が探しているのは潤希の姿。私はあれ以降も潤希のことを避けている。避けているくせに私はまだ潤希を目で追っている。楽しそうに女子と話していたりすると心が痛む。体は悪くない。これが恋というものなのか。私に確かめるすべはないけど、そうであるだろうことは何となくわかる。私でも嫉妬するんだな、と改めて思った。前は夢中すぎてそうであることに気付かなかったけど冷静になった今はわかる。ああ、私まだ潤希が好きなんだ。だからこんなに苦しいんだ。潤希はその私の気持ちを知ってか知らずか、相変わらず友達と楽しそうに喋っている。そこには、いつも廉がいた。
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2006/10/28(Sat)14:31:48 公開 / りぃ
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■作者からのメッセージ
はじめまして、りぃと申します。
私は読書が好きなので、自分でも書いてみたいと思い、投稿させていただきました。
まだまだ、未熟者ですが、この話を読み、感想をいただければ幸いです。
これは、結構長くなると思うのですが、読み続けてくださればありがたいと思います。
作品の感想については、登竜門:通常版(横書き)をご利用ください。
等幅フォント『ヒラギノ明朝体4等幅』かMS Office系『HGS明朝E』、Winデフォ『MS 明朝』で42文字折り返しの『文庫本的読書モード』。
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2020/03/28:Androidスマホにも対応。Noto Serif JPで表示します。